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先週土曜日に花火大会に出かけた。 私たちの住む街周辺の大きな花火大会が2つ重なっていたのだが、Sはそんなすごい人混みに行って、座って何時間も過ごすなんて見方は無理。 そういうこともあって一昨年は熱海旅行に行って花火を部屋から見る(半分は見ていないけど)ことにしたのであった。 今年は家族が入院する都合があって旅行に行けないので、花火をあきらめていたのだが、なんとその2つの大きな花火大会以外に、もっと近い町、というかとなり町で同じ日にあることがわかった。 インターネットで調べてみると、町のお祭りの最後にあるらしい。 ということで行くことにしたのだが、花火打ち上げ会場は混むだろうし自分もイヤだったので、川原からうち上がる花火を、行ったことのある中学校に車を止めてそこから見下ろそう…と計画した。 その中学校の先にある記念碑があり、その道路に行き止まりに車が止められることを思い出したのだ。 そこに向かう途中で川原のお祭り会場の脇を通ったが、案の定、駐車場は満車、人だかり。 「よし、我が家は貸し切り特別席へ!」とその中学校のある山へと向かった。 その道に入ろうとすると、入り口で警備の人たちが車を止めている。「あれ、なんで?」とは思ったが、無心のまま、「いや、中学校にちょっと…」と言うとなぜか通れた。 道沿いに進むとなぜかこちらにも人がたくさん歩いていく。中学校を過ぎてもう少し先に行くと今度は消防車が増えてきた。 一番奥で車を止めたが、隣は花火業者の車?という感じ。行こうと思った山は「立ち入り禁止」になっている。 消防署員に聞いてみると、「ここが打ち上げ会場です。」 なんと私がのんびり見ようと思った場所は打ち上げ場所…中学校は見物場所の主会場でバスがピストン輸送している。どおりで警備が厳しいわけだ。 しかし、その警備網をくぐり抜け(笑)、車で入れてしまったので、少し歩いてその中学校のグラウンド(見物主会場)に行くことにした。 一般席はすでに満席。同じ大きさの招待席はガラガラ。あきらめかけたところで、『朝礼台』を発見。Sは日頃から朝礼台オタクなので、ここにのせとけば、飛び跳ねたり、スリスリしたり、座ったり…花火がなくても楽しめるはず。 待ち時間がかなりあったり、町長の話が15分くらいあっても、困らなかった。 そして花火大会が始まると、まさに大迫力! こんなに間近に見たのは私も初めてだった。 最初の一発で、Sはびっくりして親の方によってきた。その後は泣くこともなくだんだん慣れてきてしっかり見ることができて楽しんでいるようだった。朝礼台を走り回れるのがよかったかも。 途中、連発で小さな花火が鳴ると、まるで機関銃のような音…鳴り始めた時に、Sの腰が引けたのを見られたのはおもしろかった。人間びびるとほんとに腰が引けるんだなあと。 本当にいい花火大会で、人は少なめ、花火は適度な量、これなら今後も参加できそうだぞと思うのであった。あっ、ただひとつ、車で強行突破の問題だけ何とか考えないと、あの「無心の突破」はもう難しいなあ…。
2007/07/31
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で、その書いてしまった2作品。 自費で出すには金がない。 とりあえず誰かに読んでみてはもらいたいけど、知り合いに読ますのも恥ずかしい(笑)。 本当は、それなりに出版とかされてから「これ出したから読んで」と宣伝したかったのだが、そんなことを言っているとタイミングを永遠に逸すると見た。 まあ、どれくらい恥ずかしがっているかというと、うちの妻は、私が書いていることも送っていることもだめ出しされていることも知らないと思う。時々出版社から送り返される原稿も、例の年代暗記の参考書の企画書だと思っているだろうし…。 そんな時にひらめいたのは、オンライン小説というもの。ようは自分で勝手に発表するか…と。 かといってこのブログに急に連載するのも唐突だ。あとで恥ずかしくなっても消しづらいし…。まあ、こういう日頃の記事も十分恥ずかしいが…。 で、勝手にのせられるところないかな…と調べていたら、あった。 アルファポリスというところのドリームブッククラブという企画がそれだ。期間限定で3ヶ月だけ載って消えていくというもの。なんだか携帯から投票したり、もし出版されたら必ず買う…とかそういう奇特な人が約束をしたりするとポイントになり、一定数になると本当に出版されるというまさにドリーム企画なのだが、そこまでは期待していないので、興味ある方はとりあえず作品を読んでみてください。 宣伝をするのはいいけど、組織票はいかん(笑)というよくわからない但し書きもあったので、知り合いではない人を装ってそちらの掲示板にコメントなどを書いてくれるとうれしいです(苦笑)。 ちなみにこの小説サイト…他の作品を見ると明らかに私の世界とは違うので、このサイトにぶらりと来た人が投票してくれる確率は0に近いと思います。 ということで、この話に持って行くための流れ『夏季休業の過ごし方 1~6』の記事、ごらんいただきありがとうございました。ドリームブッククラブへ入場 ドリームブッククラブにはここ↑から入場できます。ちなみに10月24日まで『虹色シンドローム』公開中です。 お手数ですが、入れなかったら、検索してみてください…。
2007/07/29
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印税生活をめざしての『参考書作成』は幻に終わったのだが、いろいろ送っていた時に自費出版系の会社からは何百万か出して絵をつけて出版しては…と言われた。大笑いである。金儲けしようとして出しているのに、何で私の方がお金を出すの…とおかしくてしょうがなかったのだが、担当の人は電話で一生懸命にこの企画をほめる。 「あの、そこまでいいと本当に思ってくださるんなら、そちらに全部お任せするから本出してもらって、僕には売り上げの一部を一定額でいただけますか。または企画を買ってください!」と言うと電話がかからなくなった(笑)。 でも逆に考えさせられた。この企画(年代暗記の連想記憶法)に苦労はしたけど、自分でも「これを世に出したい」という強い思いはそうなかった。 じゃあ、もし自費出版でも出したい…というような、本当に書きたいことはなんだろう? あるのだろうか?と考え始めた。 そう考えていると、H中が一番荒れてたある年の生活指導記録を匿名にしてすべて暴露…という次に考えていた企画(笑)もやめることにした。 で、考えた結果、『自閉症への理解とか啓発』 そういうものが書けないかなあと思い始めた。 仕事でもプライベートでも彼らに関わっている自分にしか書けないこと、自閉症児の親ならみんな思っていても時間がなくて書けないようなこと…そういうことを形にすれば、売れるとか売れないとかよりも、誰かの役に立つかもなと思い始めた。 じゃあそれを誰に対して書くのか…これは仕事でよくわかる年代、中学校とか小学校で担任した子たちの年代に捧げよう…となると児童文学かな?と思いながら作品をイメージした。あの時の小学校4年生たちを思い浮かべて、彼ら・彼女らがわかるように書こうと。 書きはじめたのは一昨年(2005年)の年末…そのまま冬休みの間にほとんど書き終わった。『虹色シンドローム』という自閉症の中学生と通常級の中学生の交流を、生活指導主任から特学の担任にうつった先生の目から見る…という作品。 書いているうちにいろいろアイデアがひらめいてきて、登場人物が自分の手を離れて動いていくというのはこういうことか…などと思いながら、自分のことを「天才か!?」と思った。 が、全部書き終わってからもう一度読むと、まあ普通だった(笑)。とりあえず天才でなくて安心した。文学の天才は悩んだり心中したりいろいろと大変だ。 昨年の夏は、高校1年生の時に活動したバンド『ZEAL』のことを書きたい…とほぼノンフィクションながら無理に自閉症のテーマに結びつけた作品を書いた。『下関ワーストロックフェスティバル』…本当に自分たちがやったイベントが作品名だ。こうなると、新ジャンル、『自閉症文学』作家である。 で、せっかくなので文学賞とか出版社に送ってみようと思って、はたと現実に帰った。 児童文学と言っても絵本のようなこども向けではない。かといって、大人をうならせるほどのひねりはない。 今、中高生に受けているファンタジーでもない。 そうなると、文学賞にしろ出版社にしろ、ピタリと来る相手がいないのだ。 それでも今年に入ってからいくつか中堅の児童文学を扱う出版社に送ってみたのだが、「今は募集していません」とか「今は児童文学作品そのものが売れないので新作を扱っていません」などのだめ出しのお返事をいただくか、そのまま無視のどちらか…。まあこれが『バッテリー』のような中身なら対応も違うのだろうが、書いた本人が普通とか言ってるんじゃなあ…。(続く)
2007/07/29
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2年前(2005年)は、公立中学校の講師や介助員をやるようになって初の夏休み。 講師の給料は月割りだし、自宅研修ということで堂々と休める。枠数がある程度あるとボーナスも一応出る。 10日程度は、Sの小学校のプールの引率だ。 それ以外の日は家でごろごろしていてもいいのだが、クーラーがないので暑くてそれもできない。 さらに、義父母の手前、「大学附属の学校に籍を残して、講師として出向している。授業研究のための公立派遣」なんていうややこしい肩書きを装って(笑)いるので、特にSの用事がない日は自宅にはいづらく、図書館通いをすることにした。 ちょっと足を伸ばして(車で)、自分のパソコンが使えて電源も取っていいH市の図書館を見つけた。 この夏のテーマは、給料減額分を埋め合わせるために『印税生活をめざそう!』であった。 第一歩として、参考書のたぐいの企画書を作ろうと考えた。 題名は、『中学生が考えた 年代暗記 連想記憶術!』 実は、2002年度のY中の選択授業でアホなことをやっていた。内容は、歴史の重要年代についてひたすら覚えるために「語呂合わせ」をひたすら考える…というもの。 その年の3年生は自分の学年ではなかったし、半分冗談ですまそうとしたのに、なぜか人が集まってしまった…。 なんと3回に分けて100人も参加することに…。学年150人くらいの学校なんですけど…。 なんでまたこんなことになったのか…と感じたのは、同じ週のうちに、たくさん、人のダジャレを聞かされること…けっこう苦痛だ。自分が言うのはそうつらくないのだが(笑)。 その時間の進行はこうだ。まず、その日のお題として、5つくらいの事件と起きた年を板書してその内容を説明。ここまでは普通だ。そしてシンキングタイム! この間、座席も自由に移動して遊んでいるかのようだ。そして20分くらいして発表の時間。この時にネタを思いついていない人は責められる。(というかデコピンコースかお説教コースの選択) この発表が楽しいような苦痛のような…週の最初の時間はいいのだが、3回目ともなると…。メンバーは3回とも全員違うのだが、たいていその時間ごとになかなかいいのを出す大物がいて、そういう面では結構楽しめた。 で、その時間の各項目の優秀作品第1位を最後に多数決で決める。 というのを1年間もやったので、ネタはたくさんたまっていた。そして、『万が一、これを出版するようなあかつきにはお前らは著作権を放棄しろ!』ということも認めさせていた。その代わり売り上げの一部はユニセフへ寄贈…なんて口車に乗ってみんな納得したのだった。 それを原稿にして企画書にまとめる作業をこの年の夏休みに始めたのだが、結構大変。さらに、ダジャレだけではなく、視覚的な記憶に残るように1枚の絵(漫画)とセットにしたいと考えた。 たとえば 『1867年 徳川慶喜、大政奉還・江戸時代終わり』であれば、語呂合わせが『 一発むなしい徳川慶喜』とか『 いばる(ろ)な徳川、大政奉還』。そうなる と絵のアイデアは『慶喜がふんどし姿でため息』とか『いばって胸を張る慶喜と、両手で×だしをする西郷隆盛』とそういうのを108項目の年代についてすべて3コずつ以上考えてまとめるのは大変であった。一夏使った。 こうしてできた原稿と企画書を大手漫画出版社数社に送った。ところが漫画っていうのは持ち込みが基本なのかまったく相手にされず。ひどいところは数ヶ月後に、「漫画新人賞の選に漏れました」という通知が来た。いや、漫画の新人賞ねらっているのじゃないんですけど…。 江川達也の絵なら大ヒットだ…と関連の編集者に送ったものはちゃんと返事が来た。いずれにしても、漫画に便乗して売ろうという作戦は難しかったので、普通?に、その後は、教材系の会社に営業しようと思った。 で、本屋でそういうコーナーをのぞいてみると…あれ、ある。小さい本で、『くもん出版』から出ている本で、絵が1枚と語呂合わせ…。中学生が本当に考えたという点ではこちらに分はあるのだが、中身もそんなに悪くない。 ということで、あの夏はなんだったんだろう…という思いを残しながら敗北宣言。もしよかったら改訂の際にでもお使いくださいとその出版社に原稿を送った。 まあ、勝手に送ったのだから文句は言えないが、お礼の連絡も何もなし。もし、勝手に使って黙っていたらその時は何か要求していいのかな…。 で、その原稿だが、絵こそつかないままだが、語呂合わせは、I中の授業(補教の時など)でプリントとして配布されている。Y中のOBたちのダジャレがよその土地で花を咲かせて?いるのである。
2007/07/28
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3年前(2004年)は、小学校の担任として迎えた夏だった。 公立ではない大学附属小の講師となっていた。 他の先生たちと違って、講師の夏休みはまるまる休みだ!… と喜んでばかりもいられない。 なぜなら、こちらはお給料が完全実働制(時給計算)なので、なんと8月の収入が0円なのだ! 毎月のお給料については、今考えるといい条件なのだが、授業のない夏、ボーナスなしの、ましてや8月0円はつらい。 なので、小金を稼ぎに(笑)プール指導にせっせと出かけたりもした。 しかし、プールがない時期も3日に1回は通った。片道1時間30分の車の道を行くのだ。 何のために、誰のために? カブトムシとスズムシと熱帯魚のえさのためだ(笑)。 地元の小学校なら児童の当番とかもありだろうがこちらは広域の通学区。児童を呼んで事故があっても困るので、結局一番遠い私自らが行く羽目に…。 カブトムシは1学期中にさなぎから成虫になってくれれば個人に託したのにまだ土の中だし、スズムシの飼育ケースはでかいから持ち帰れないし…。それでもハムスターは善意ある児童(というか保護者)に持ち帰ってもらった。他の生物ならもし夏休み中に死んでも良心の痛みは小さい…。で、熱帯魚だけなら日直の仕事で回ってもらうことになっているが、みんな結構やってなさそうだし…。 ということで、3日に1回くらいは行って、帰りに大学の図書館によって勉強していた。夏休みの前半は、授業の予習とか何かの行事の原案づくりとかで、後半は試験勉強! こちらの学校とは1年契約だったし、翌年からはSが小学生なので、近いところの時間講師じゃないとできない(小学校の担任は無理)とわかっていたので、私立の一斉試験(教諭も講師もここの成績優秀者からとる学校があるらしい)みたいなヤツを受けることにした。 申し込むと、受験料が高く、その分、過去問がもらえる。申し込んだ受検区分は高校(中学も)の日本史。 過去の問題を見た瞬間、難しすぎて「やめとけばよかった(笑)」と思ったが、しょうがない、夏休みは暇だから勉強することにした。現役社会科教師だった割には、高校の教科書には知らないことが一杯だ(笑)。 やっと、教科書に太い字で書いてある内容は覚えられたのだが、試験当日、あまりの重箱の隅をつつく問題にショック! 太字どころか、本文中の細い字でもなく、欄外にちっちゃい字で書いてあるような内容ばかり出ていた。 ほぼお手上げ! わからない…終わらない…頭真っ白。高校時代の定期テストのような懐かしい気分を味わった(笑)。 私は公立向きの人間です…こっちの試験は教諭になる時ものすごい倍率(35倍)を突破したのだぞ!…ということで、翌年からは『公立中学校に講師として戻ろう』と決意する夏であった。
2007/07/27
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4年前の養護学校教諭時代の夏季休業は一転つらいものとなった。 時代はもう自宅研修もなければ外部研修さえそうそう認めてもらえないようになっていた。そこに来て、意地悪校長だったので、外部の自腹参加の有料講演会さえ、「休暇を取って参加してください」ということだった(らしい)。私はそこまでやる気のある人ではないので詳しくは知らないがそういう噂だった。 さらにここN養護では、校内研修をやたらとやらされる。外部に「あの校長はこんなに取り組んでいる」と宣伝するために5日間連続講座とかの場所提供を引き受けている。100人以上の校内職員が強制参加なので会場は連日満員(笑)である。しかも私は研修部だったので外部から来る人のお世話とかビデオ係とかなんだかんだと大変。 また夏季休業中に、学部会、学年会から、文部科学省指定の研究発表のための会議が相次ぎ、どんどんみんな暗くなっていく…。生徒がいない分、学校がつまらないの何のって…。 ちなみに「夏休」と言われる企業で言うところの夏休みは、たったの「3日間」しかとれないのだ。だから「夏休み」ということばが私の中から消えて、「生徒の夏休み」とやたら言うようになったのはこのころからである。 さてさらに、担任ペアを組んでいる人から頼まれた教材づくり(それも無茶な大がかりな工作)をやったり、結構自分のペースで過ごせないのもイヤだった。お盆の頃には他の職員もあまり来なくなり、校内が静かになり、人からやらされる仕事がなくなってきた。 かといって帰ると年休がもったいないので、教室の『自閉症のある子がパニックを沈める場所』をお借りして、大汗をかきながら寝ていた(笑)。 それでも休んだ思い出にならないのは、帰宅時間のせい。仕事は定時の5時に終わってきっちり帰っている。それでも遠距離の2時間25分通勤では家に帰ると7時半。夏休みですら、家に帰る頃には真っ暗かよ…と悲しくなった。それまでの中学校教諭生活は、日頃は8時9時当たり前でも、夏休みだけは6時には家に着いていたから。 さらに朝早いのも日頃と一緒。ちなみに朝5時55分に家を出発。途中食事も取るが、着くのはギリギリの8時15分。夏休みのある日に、海外旅行で空港に向かう元同僚に会った日には、「こんなに朝早く学校に行くんですか?」と驚かれていた。早く行くけど遅くに着くんですよ(笑)。 とにかく、夏休みさえSと遊ぶ時間がない…。どんなに自閉症のこと勉強したって、目の前のSにそれが還元できないのではしょうがない…。 今年1年間はがんばるけど、異動を希望して、転勤できないようならやめよう!…と決意の夏となってしまうのであった。 まあ、それでも本当にやめることになるとはびっくりでしたが(笑…ってる場合じゃないよ)
2007/07/26
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最近のことを書こうと思ったのだが、夏季休業中はあまりネタもないので、ここ数年のいわゆる夏休みの過ごし方についてその変遷を忘れないようにつづることにした。 今回は、いきなり5年前までさかのぼる。 5年前(2002年)の夏まで10年以上、夏休みといえば部活動の毎日だった。40日中25日くらいはやっていたと思う。教諭になりたての頃は、「なんちゃって剣道部顧問」や「泣く泣くサッカー部顧問」だったのだが、それでも夏休みは結構がんばった。 で、「本気でやる野球部顧問」になってからは夏休みがとても楽しかったのを覚えている。 授業のある1学期中は、野球部顧問もやっているけど、一日の大半は授業のことか、生活指導のことか、学級経営のことか、校務分掌のことか…とにかく突発的なことに追われて、放課後のグラウンドにもなかなか行けない。 でも、夏休みだけは、「野球」のことだけを考えていればいいのだ。ずっとグラウンドにいられるし、一夏で10試合以上組まれた練習試合もあるし、新チームが計画通り完成していく楽しみは、たぶん「プロ野球の監督」のような気分だったに違いない。自分の仕事がこれだったらいいのになあ…なんて思ったりもしていたが、この程度のチームの監督が専業でできるわけはないのだ(笑)。 そんな感じだったので、1学期中の健康診断でひっかかる消化器検診(胃)も、夏休み中に直接撮影に行くと「問題なし」となるのであった。 まだ「自宅研修」が認められていた時代で、完全週5日制でなかった頃は年休(土曜の分の指定休)が余ってしょうがなかった。休むべきところを来てやっている…というあつかましさがあったせいか、当時は部活で出勤してもみなさんやりたい放題が許されて?いた。 私は主に午前中に練習をするのだが、終わったら冷房の効いた職員室にもどって冷たい飲み物を飲む。 それは、職員室の冷蔵庫には入りきらないからと、ほぼ勝手に使っている校長室の冷蔵庫でキンキンに冷やしたビール。ダースで買って冷やしていた。校長がいても、「ちょっとジュース取らせてくださーい」なんて言いながら取りに行く。校長がいない時は、お客様用のゆったりソファーに座り、出前の昼食を持ってきて校長室でくつろぎまくり。高校野球のテレビを見ながら、うとうと寝てしまう…。ああ、あの頃、結構幸せな夏だったなあ…。 状況が変わったのは、教諭の自宅研修が認められなくなって、さらに完全5日制になって指定休もなくなった頃から。夏休みも休みたい日は年休を取る必要が出たから、まず夏休みの土日の練習をやめた。そのかわり平日は全部やるから日数は変わらないのだが、土日にやると父ちゃんたちが息子の練習や練習試合を見られたし、時には校庭にパラソルとテーブルまで出て、ビールが出て、酔っぱらいたちが交代でノック…なんてこともあったのだが、それもできなくなった。 午後も出勤中だからもちろんビールもお昼寝もなし。まあ、お昼寝は隠れて暑い部屋ならできたが、普通は仕事をするから(実はやるべき仕事はいくらでもある)部活だけって感じではなくなった。 そうやって古き良き時代は終わったにしても、その後もやはり部活動で過ごす夏休みはよかった。自分は暑い中にいるだけであまり動いてはいないのだが、生徒にたくさん運動させると自分もやったような気になって、夜はビールを飲み過ぎてまた太るのであった…。 それが5年前までの、運動部顧問の夏。
2007/07/25
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もう10日くらい前のことになるが、Sは日帰りで妻の母方(私の義母)の実家に行った。このあたりではなぜか旧盆ではなくて、暦通りのお盆…ならしい。「らしい」というのは、私は毎年行かないから(笑)よく知らないのだが、とにかくこの一族は集まるのが好きで、我が家も何かにつけて行かされていたのだが、もうおじいさんもおばあさんも亡くなったので、お二人に会いに行くという理由もなくなり、それでもその家(独身の妻のおじさん二人が住む)に毎月ペースで他のみなさんは行っている。ようは義母の思うまま、気分次第で急に行くことになるのだ。 私は行ってもつまらないし、年2回くらいだけにしているが、妻とSは義父母とともに行く。そういう時は私はノビノビと留守番! で、10日前に何があったかというと、Sはその実家でいつものように室内階段で遊んでいた。階段の先はおじさんの部屋だ。そこには入っては行けないことになっているのだが、以前からふざけて入って、呼びかけられると出てきていたらしい。 この日はしばらくしても出てこない。出てくる代わりに妻が聞いた音は、「パタパタパタ」という足音と「ヒュー」というご機嫌な叫び声。 何かおかしいと思い、部屋に入ると、もぬけの殻…。 開けられた網戸から外を見ると… なんと屋根の上にSの姿! 出ているだけではなくて、さらに、瓦屋根の上を、ご機嫌な奇声を発しながら走り回っていた…そうだ。 呼んでも、戻ってこない。ニヤニヤしてより端っこの方に行く。 1階に助けを呼びに行き、おじさんが窓から出て、そろりそろりと近づいて、やっとつかまえることができた。 ご近所の人も心配して見に来たり、屋根の下には布団を持った義母がうろうろしたり…大変な騒ぎだったらしい。 とりあえず落ちなくてよかった。さすがはジャングルジムの頂上に立つ男だ。 というかこわいのはまわりばかりで、本人は味をしめているに違いない…のが困ったものだ。 S以外の3人はげっそりして帰ってきた。 これで今後はあの家にあまり行かなくてすむかも(笑)。 ちなみに、内緒だが、我が家の2階からもすでにやっちゃっているので、2階の網戸にはすべて厳重に内カギがかけてあるのであった。
2007/07/23
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いらない広告紙や、漫画雑誌のカラー広告をはがして、細かくちぎってひらひらさせるのが、Sの余暇の過ごし方の一つである。 最後にちゃんとゴミ箱に入れる…というのを条件にしつけてきたが、結構途中で不機嫌になってばらまいたり…とかもあって、「2階の掃除担当」である私としてはとても迷惑である。 そんなS、先週のこと、掃除したての部屋には広告もなく、探し出してきた紙も「それはダメ」とことわられた。 その後、私は少し昼寝してしまったのだが、Sはおとなしくしているので、安心していた。 30分くらいして目覚めると… 忘年会のビンゴで当たった地球儀(たぶん100円ショップで購入されたもの)が、「ただの球体」になっていた。 見た時には、ミカンの皮を縦に向いたようなあの紙の状態(経線に沿って切り取った球の展開図のような)で地図は存在していたのだが、すでに数枚が破かれている…。 これは復元は無理と思い、「どうぞ」と言うと、うれしそうに残りの紙をちぎっていた。 それにしても、よくこれが紙だと見破ってはがしたもんだ…。持ち主は知らなかったのに。 ちなみに今時のちゃんとした地球儀は、「紙貼り」式ではなくて、平たい時にセルロイドだかプラスティック?に印刷して、それをそのまま機械で半球状に押し出して作っていますのでご参考までに。(昔、帝国書院で工場見学させてもらった。伸ばした時にちょうどよくなるように印刷するのが「企業秘密」だそうだ。)
2007/07/22
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地元の特別支援学校(養護学校)の夏祭りに出かけた。 Sは家でごろごろしていたいのか、お出かけの理由がわからないものにはギャーギャー騒いで抵抗。やっと連れ出した。 少し離れた会場で、ポニー乗馬体験をやっていた。祭りスタート直後はイベントの方にお客さんが行っているのでがらがら。 ついについに、「初乗馬体験」できそうなムードだ。 4年くらい前は、会場に近づいた時点で大泣き。毎週、テレビの競馬中継を見せた成果(笑)か、馬に興味津々。 近づいていって、指導員さんの「さわってごらん」の声に肩のあたりをなでなで。 しばらくして馬が嫌がっていると思ったら、いつのまにか爪を立てて強めになでている…。 「じゃあ、乗ってみようか」と指導員さんがだっこしようとすると、突然しゃがみ込んではい回る。 馬の後ろ足の足下に逃げ込もうとするなど、そっちの方がよっぽど危険なのだが、上に乗るのはイヤらしい。 他の人が乗るところを見せたり、数回試みたが、今回は断念。まあさわれたからよしとしよう。 イルカセラピーみたいなのがあるみたいに、乗馬もなんかいいだろうとは思うのだが、私たち両親の方も乗ったことがないし…。
2007/07/22
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Sの通う小学校特学では、1学期の給食が終了したこの2日間、連続して調理実習だった。 1日目はカレーライスとサラダ、2日目は肉じゃがとサラダ。 でもSの連絡帳の内容は2日とも同じ。 「ピーマンを洗ったり切ったりしました。生で少し食べました。おやつのゼリーを見つけてきてつついたりくずして遊びました。」 偏食王Sは、人の嫌いなもの(生ピーマンとか生ネギとか生タマネギとかミョウガ)は結構好きだったりする…。
2007/07/18
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翌日、そのビラを大学に送って使命?は果たしたのだが、せっかくなので他のルートからも人材を募集しようと思った。Sの行っている小学校の地域(つまり私たちの住む町)とその大学などがあるような地域とは地理的に離れているから、「近隣の人」という条件がかなり難しそうなのだ。 午後からS中の授業日だったので、行って「こんな風に募集もしていますがその結果どうなるかはまだわかりません」と副校長に報告。「こちらでも当たってみます」と副校長も快諾。向こうも私の代理がなかなかいないから必死である(笑)。 そんな時に、なんとちょうどいい人(失礼)がとなりに座っていることか。以前の記事に書いた、H中の時の教え子で、なかなか優秀な人材、今、S中で学校ボランティアをやっている男、M君がいた。本人をさらっていくのはさすがにS中に申し訳ないが、とりあえず置かれている状況を彼に説明して、大学の友人などにも聞いてもらうことにした。彼はまた違う大学の教育学部で運動系なのだ。 ちなみにSのボランティア募集の条件には 『教職への興味と知的障がい児への愛情がある方なら経験を問いません。が、もちろん経験者大歓迎です。本人が教室からの脱走を試みるため、逃げてもすぐに追いつける足をお持ち…など、体力や運動神経にそこそこ自信のある方が望ましいです。』 と書いたくらいなので、運動できることは結構重要なのである(笑)。 その彼が、可能性のある友人をピックアップしていてふと思い出したように言った。 「元2年1組関係だとIさんとかどうですかねえ。」 おおそうだ! 小学校だから教育学部…とばかり思っていたが、よく考えてみたら「保育士」免許取得をめざす人の方がより障がいとか自閉症とかの勉強が役に立つに違いない! というかそっちの関係の知り合いの方が、小学校特学でのうちの子への付き添いという仕事は得意に違いない…というわけで、募集の範囲がより広がっていった。 自宅に帰ってから、そのIさんにメールを出してみると、いきなり好感触! 知り合いの紹介どころか、本人が大丈夫とのこと! 作ったビラを添付ファイルで送って見てもらい、募集曜日のうちのひとつ(ほぼ2つ)がうまった。いやあこれは助かった。というか、よく知っている人(教え子な上にほぼ毎年クラス会参加中)なら面接の必要もないし、信頼度も高いし(ちょっとほめすぎか)、運動がどれくらいできるか(確か結構速い)もすでにわかっているし。 ということで、トントン拍子に話が進んで、あとは水曜日にもいい人材が来てくれるかどうか、引き続き募集中…という状態である。 今回、玉突き状態で、通常級からの新入生たちに押されて、Sともう1名の認定就学者が追い出されそうになった。その関係で私がS中をやめようと動き始めたら、副校長が動き、そのただならぬ様子が耳に入った講師仲間が動き、そのアドバイスで私がビラを作り、それが生かされてH中出身のボランティアのMくんに話をして、そこからのアドバイスでIさんが見つかる…とこの玉突き状態が次々といろいろな人との出会いや運命を後押ししているかと思うととても不思議なのであった。 だからといって、玉突きがこの後も続くうちに、Sを追い出そうとした校長や市教委には天誅でも加わるといいのに…なんてことは思ってはいけない(笑)。
2007/07/16
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実は現在も、火曜日・金曜日は給食指導(交流給食)に私が行っていたり、午後の授業は週1のみ出て、他の曜日は早めに義父が迎えに来て早退したりと協力はしている。でもそれでも手が回らない時間があることは確かなので、どの時間が大変なのか具体的に時間割に合わせて考えていくことにした。 そうなるとたいていは午前の授業部分。今、各校で私が授業を入れているところばかりだ。あと半年のことだし、S中は何が何でも続けていきたい…って状況ではないし…ということで、1校分まるまる講師枠を削って、I中の枠は時間割を変えてもらって…という方向で考えた。 ところがI中の時間割を見てみると、もともと私の都合に合わせて無理して組んでもらったので、今入っていないところに選択授業とか学活とか今さら変えてとは言えないようなものばかり入っている。そうなるともし組み替えても全部は行けなさそうだ。 そこで、担任の先生も「何日かだけでも代わりの人でどなたか探せたら」と言ってくれていたのを思い出し、信頼できる人でボランティアを探すことにした。 翌日、S中で、ことの経緯を副校長に相談。もしかしたら「枠全部なし」になるか、「枠一部」になるという話をこちらはすっきりした表情でお伝えした(笑)のだが、向こうは代わりがなかなかいない学校だけに必死で事情を聞いてくれていた。「年度初めにOKだったことが、途中で変更なんてのはおかしいですね。」とその市の特別支援のあり方まで一緒にあきれてくれていたので少しうれしかった。(でもご本人は私を採用する際に学年を伝えまちがえた方である) そんな話をしていると講師仲間が「○○大の学生が見る掲示板に貼ると絶対来ますよ。ましてや無償じゃなくて有償ボラってことなら下手すると取り合いです。」と言ってくれた。なるほどと思い、その日のうちに大学に電話をした結果、「募集のビラ」を作って送ればいろいろとやってくれるとのこと。実はここは自分の母校なのだが、講師の仕事を私立で探していた頃にはその掲示板を私もしょっちゅう見に行っていた。その時ついでに目に入る「小学校で付き添いの方を探しています」とかのビラというか貼り紙をよく見ていたので、それを思い出しながら作成した。 作成しながら考えていたのは、自分が入ることのメリットとデメリット。入るとなると個別学習とかも見られるからそれこそ自分が仕事でやるのと同じつもりで本人にびしばしとやれる。今までそこそこで過ごしていた時間の学習が充実すると思われる。が、家でSと一緒にごろごろ過ごす自分と、学校で厳しくする自分の使い分けに、自分もSもとまどう可能性がある。 一方、ボラが予定の曜日全部に見つかった場合は自分が入らない。メリットは講師枠を減らさなくてすむこと。有償ボランティアなのでその分、お金も出ていくのだが、自分が講師枠をまるまる1校分切って入ることに比べれば差額は少なくてすむ。何よりもそういう人材が新たに活用されて育ってもらえることで、社会に還元される?気がする。Sにとっても関わる人が増えることはいいことだし、もし近隣にそういう人材が見つけられれば、他の何かの時にも助けてもらえるかもしれないし、人脈は広がる。 そう考えていると、単純に「S中やめて、自分が入るのもしょうがないか」と思っていた段階よりも、少し夢が出てきて楽しい気持ちになってきた。応募者が出るかどうか、これまた運命と言うことで…。 そのビラを完成させたことで、その日はもう大きな未来が開けたかのような気になった(笑)。 その3に続く。
2007/07/15
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このブログに何度か書いてきたが、我が家のSは就学相談時に「養護判定」が出ているため、養護学校ではなく今の地元小学校の特学に行くためにかなりの労力を要して、やっと「認定就学」という形で入学許可が出た。 市教委にしてみれば、時間切れでそうなったけど一日も早くやめさせようというのがありありで、いくつも条件があり、そのうちのひとつが「毎学期ごとに、市教委・校長・教諭・保護者の面談」をおこなって、認定就学を更新するというものだった。 昨年度最後の面談で、「あと1年間」3年生の終わりまでここですごして、新学年から円満転学…その後は副籍交流で今も交流している3年○組が、そのまま4年生になっているからそこへおじゃまする…ということになった。 本人にとってはここがいいのにただ出されるのなら粘って抵抗するのだが、本人の学習や身辺自立のことなど考えると、保護者としても「養護学校の方がそろそろいいな」と思い始めていたので、来年度はキリもよくOKだった。 そして迎えた1学期…だったのだが、毎学期の終わりのこの会がまた荒れることは4月には想像もつかなかった。 状況が変わった。年度初めは新入生0名の計8名だったのが、1学期の途中で1年生3名、2年生1名が校内の通常級から特学に来た。特別な支援が必要という判断だったのだろうが、通常級の子の支援をするためにクラスに人を派遣するのではなく、まずは固定型の特別支援学級へ…というのは、ケースとしてはありなのだろうが、4人みんなこのパターンとなると「方針」を疑いたくなる。 その子たちは、知的な遅れはあまりなく、身辺自立などはしっかりしているが、言うことは全然聞かないので手はうんとかかる(といってもSほどマンツーマンではかからない)。 とてもかわいい後輩たちと過ごすことはとてもいいのだが、どう見ても先生たちの手が足りなくなっている。 しかし、もともと介助員さんや嘱託の先生までついているので、これ以上増員する余地はないらしかった。そのせいか、6月・7月の連絡帳には、「今日、Sくんが上履きのまま脱走して、プールの前にいました」→「今日、プールのまわりを走り回って6年の先生に捕まりました」→「今日、校門から出てしまったのでしかられました」…という報告が出るようになった。 以前なら、脱走の事前に防げていたことが、行方不明になってしまうのは、人手不足もあるし、「いたずら成功?」に味をしめたSが誤学習してしまったことの表れでもある。以前は裸足で逃げることはあっても、上履きで外に出ることはあり得なかったのだ。 「通学許可している限りはしっかり対策を!」と言いたいところだが、先生たちはよくやってくれているし、それを言うと、次の更新時に「ではこれにて」と校長・市教委に言われるのはわかっているので、わざと流しているうちに1学期の終わりが近づいてきた。 そしてその話し合いを迎えた。だから「荒れる」予感がしていたのだ。 それぞれが一通りの報告をする時はずいぶんと淡々と進んだのだが、校長の2巡目の話の時に、来た。安全面を強調して、ここで転学することも考えて…という意見。ちなみに、昨年度の話し合いの時に、「場合によっては年度途中でもこちらがそう思った時には」と途中転学もあり得るとしていたのは私の方で(要するにこっちに決定権があるんだという意味で)、その時は、「イヤ、来年度は最後までいてくれた方がいい」と言っていたのは学校側だった。 そのあたりのことも含めて、いろいろとこっちもネチネチと意地悪く言ったのだが、最後まで「校長の意志は養護学校を薦めている」という姿勢を崩さなかった。 しまいにはこっちも「男気を見せて欲しい」とかいろいろと挑発したのだがのってこなかった。 「安全面がクリアできれば、2学期も3学期も今まで通りというふうにくみとっていいんですね」という問いかけには、のらりくらりと政治家のような答弁だった。 細かいところは担任とこの後の打ち合わせで…ということになり終わったが、なんだかすっきりしないまま。 ところが、担任たちとの打ち合わせでわかったことは、「落としどころは予定通りで変わっていないです」とのこと。つまり、最初から今年度の在籍はOKだけど、安全面で不安が残るから、家族かそれに変わる誰かに付き添ってもらう時間を増やして欲しい…ということだったのだ。 それなのに、市教委の前だから、そういう方向で言わずにおいて、さらにもしもの時には自分が責任逃れできるようにした…と考えると、本当に「ケツの穴のちっちゃい男だ」とあきれさせられるのであった。 ということで、校長と市教委がいなくなった後の担任の先生方との面談では、「30秒」で、「2学期もよろしくお願いします」となったのであった。 しかし、その安全面のことでどうするかということになった。(その2に続く)
2007/07/15
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I中の卒業生のうち、現在の高1だけは中2の時に1年間授業を担当した。 昨日は、I中で3時間授業をしてから、5・6校時S中の授業に行くために車で移動する曜日。その途中のI中付近の細い路地で、その学年の中でトップクラスにうるさかった女子2名を発見。うるさかったことを忘れてつい声をかけてしまった。 道ばたで車の窓越しとはいえ、相変わらず、声はでかいし、口は悪いし、人気のない道でよかった…。 最初、車から手を振ったのが私だとわからなかったらしく、「車に乗ってると若いかっこいい人に見えてわからなかったよ。座ってるから背もわからないし…」と相変わらずの失礼な奴らだ! まあ、口は悪いが、気のいいおもしろい奴らなのだが、この日は高校が朝学活のみで母校訪問の日?に(勝手に)しているらしく、どうやらこのあとI中に行くらしかった。職員室がうるさくなることまちがいなし。さらに「車からわらGにナンパされた」とか言いまくることまちがいなし…。 少し話した後の私の別れのことばは、 「お前ら、口ふいてから行った方がいいぞ」 駅からここに来る途中にコンビニに寄ったらしく、ひとりはドーナツを食べたのか、くちびるが白く粉をふいており(砂糖?)、もうひとりは、話す時に食べていたバニラアイスがほっぺた何カ所かについていた(笑)。 お前ら、食べながらしゃべりすぎだよ! バックミラーに、二人でお互いの顔を見ながら爆笑している姿が写っていた。
2007/07/13
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実はここんところ、S中での授業が少しやりやすい。 期末テストの後、授業のやり方を少し変えた。 もともと私の授業は、対話形式を大切にしたり、あるテーマを1時間に1つつくって問題解決学習したり…という結構毎時間が研究授業(笑)というイメージ。そのために資料プリントを作ったり、考えたり発表する時間を作るため、板書をノートに写す時間を省く穴埋め式ノートプリントを作ったり…というのが自分なりの工夫であった。 もともと「勉強があまり好きでない人がのってくる」ためのメニューとしてやり始めたことなのだが、それが自分のスタンダードになって結構いいはずだった。 が、S中では、道具も持ってない、のってこない、すぐ勝手にしゃべる、怒られる、暇をもてあます、本を読んだり内職してる…と怒りモードの対応が続いたのだが、結構やけ気味で、いわゆる「昔の社会科」みたいにやってみた。 生徒が順番に教科書を読む。句点の○1つずつ読む。ページごとに大事なところを言って線を引かせたり、ちょっと説明。何度かそれをやったらまとめて板書し、生徒はそれをノートに書く。 最高につまんない!(笑) 誰かに授業見学されたら、末代までの恥だ…というくらい、今時やってはいけないはずのあまりに普通の授業。というか教員免許がなくても誰でもできそう。 ところが不思議なことにS中のみなさん、この方が授業が中断することなくテンポよく進行していく…。 もちろん、本を読む間、他の人をしゃべらせないとか、どこ読むかわからなかったらチェックするとか多少はやるが、日頃うるさいヤツは自分の番が遠い時に深い眠りにつき(笑)、自分の番が来ても起きずにチェックされ、でも無理に起こさずに進行…ということに。 本当に全員を大切にしていたらこんな方法はダメなのだが、今しばらくは、「まともにやろうとする人」の学習権を保障するためにもこのやり方でいくつもりでいる。 それにしても、せっかくたくさんいるわさわさした連中が、「自分の意見で授業を進める」ことよりも「ただ型にはめられる」ことにすんなり従うのが何か不思議な気がする。 何はともあれ、S中での授業もやっとやりやすくなってきたのだが、2学期以降のここでの勤務が黄信号に! 今、できればそのままできるように動いてはいるのだが、どうなることか。 実は私のセクハラ疑惑と暴力沙汰などつもりつもった不祥事のための処分……ではなくて、この間にSの学校の状況でまたまた新展開があり、今の講師枠めいっぱい働くのが難しくなってきた。 この件についてはもう少し様子がはっきりして落ち着いてから。
2007/07/12
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今朝は雨模様だったので、Sは歩かず、妻も自転車に乗らず、私の車に乗り込んで出勤・登校。 二人をそれぞれおろしてからS中に向かう。日頃は、Sと歩いて小学校まで送った後、一人、車を取りに戻り再出発なので、雨の日はなんだかんだ楽だ。 途中、コンビニに寄って、ペットボトルのお茶や月曜発売の雑誌を買って…という時に、後部座席にバッタを発見。自宅の駐車場で誰かが乗り込む時に入られたようだ。 運転中に飛ばれても困るので、軽く取り押さえて車外に…と思ってつかんだ。 クワガタでもカブトでも背中のかたいところを持つだろうし、カマキリなら鎌を警戒して背中の細いところの一部を正確にと気を使うだろうし…でもこれはただのバッタ、トノサマバッタとも少し違うし、キリギリスに近いけどなんか違うな…なんて考えながら、飛ぼうとする羽をバタバタさせながらその羽根が広がらない程度にグーを作ってつかんで車外に…と思ったのだが、 なんと、バッタにかまれた! 右手の人差し指の先にチクッと痛みが走る。「イテテテテテ」と言いながらコンビニの駐車場に投げ捨てた。 投げ捨てる直前にクワガタの角みたいな形の口が刺さっているのが見えた(ような気がした)。 今、左手の人差し指を見てみると、5mm幅の赤い点が残っていた。バッタもなめてはいけません。
2007/07/09
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障害児童の答案、無断で抜き取り=昨年の学力調査でトップ校が-東京・足立区 7月7日22時33分配信 時事通信 東京都足立区教育委員会が昨年4月に行った学力調査で、トップの成績の小学校が、情緒障害などのある児童3人の答案を保護者や区教委に無断で抜き取り、採点から外していたことが7日、分かった。この学校では他の不正も指摘されており、区教委は調査に乗り出した。学校側は児童の保護者に謝罪している。区教委が同日記者会見して明らかにした。 以上引用記事 「不正をしてまでいい点を取ろうとするなんて、人として最低です」と言ったことあるような立場の人が判断してやったんだろうから情けない…。 でも、この区は、学校の予算をこのテストの順位で決めようと(さすがに反対が強くて保留になった)していたくらいだから、無理に学校に競争原理を持ち込むと学校の秩序が崩壊する…という悪い見本を一番にやってのけてくれたと思う(笑)。 記事の中の「他の不正」っていうのは、試験中に誤答している児童の机をトントンとたたいたということらしく、そんな面倒なことをやるのならいっそのこと集めた児童の答案を先生が全部添削してから提出すれば…と意地悪く思うのであった。 本気で全員同じ条件でやるのなら、中学校は以前の業者テスト(偏差値を進路指導に使用したり私立の推薦に活用していた)を普通にやればいいと思う。今、採点基準のことでもめているあの全国テストだって、採点方法とか基準とかやり方を整理してから実施するのが筋ってもので、文章で答える問題で生徒の珍回答に悩まされる(笑)なんて、現場にいる人間にとっては当たり前すぎて何でその準備ができていないのか不思議なくらいだ。(逆に言うと全国で客観的に行うテストでそんな問題を出題すること自体が無茶) さて、足立区のある学校が不正をした先のテストからさかのぼること1年、私の行くI中ではこんなことがあった。 同じような共通テストの日、その日に限って、日頃のテストでほぼ満点を取るような生徒が何と二人とも風邪で欠席! さらにその日に限って、日頃は全然来ていないヤンキー生徒…まじめに受けてもほぼ0点…が来校。先生が「受けていくか?」と一応聞くと、なんと「受ける」って言う(笑)。 学年の人数は100人超くらいなので、各教科とも日頃の状態と比較すれば3点(少なくとも2点)のダウン! でもそれがわかっても、教員はみんな笑っていたし、「世の中、こういうもんだよねえ」と余裕。でももしこれが足立区のように学校予算に関わったりするようだとこうも言ってられなかったかと思う。 さあ、これから各校の不正が次々と明らかになるのか?それともこのテストの存続が検討されるのか…興味津々である。
2007/07/07
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Sと私が給食交流に行く3年2組には、幼稚園時代のお友だちが二人いる。 二人とも当時からやんちゃで目立っていたのだが、Sも入れて、A幼稚園のビッグ3と言える存在(笑)である。 そのうちのY君のそばにいるとなぜかSは落ち着くのでこのクラスが交流先となり、いつも彼の班にいたのだが、今や彼なしでもよくなり、いろんな子がかまってくれる。 もう一人のH君は、おうちの人とも道ばたでよく会うのだが、とてもいい感じの人だ(たぶん元ヤン)。本人もいたずらっ子だが要領が悪くてすぐ怒られる損な役回り…将来、「憎めないヤンキー小僧」になるかなと勝手に期待?している。 そんなH君が、今日、給食中に立ち上がり、「先生、僕のところに牛乳のストローが置いてなかったので、引き出しから取ってもいいですか?」と、状況報告から解決方法まできちんと担任の先生に言っていた。 まあ、なんて立派になったことか! よく他の子が「先生、ストローがないー」なんて言っては、「そう、じゃあどうすればいいのかなあ」なんて言われていたり、「僕のところにストローがありません」とかただ怒って言うような場面を見たので、H君の成長に、思わず目を細めてしまった …のだが、彼が「引き出しから取ってもいいですか?」といった直後に、班の人から声がかかった。 「H君ー、足もとにストロー落ちてるよ!」 人はそんなにいっぺんには成長しない(笑)。
2007/07/06
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Sの連絡帳より 「プールはとても楽しみにしていたので、着替えがものすごく早く びっくりしました。 しばらく入水していましたが、冷たかったようで、すぐ出ようとしました。 出るとプールサイドを走るので、注意されました。」 たぶん、ギャーギャー言いながらそれを繰り返したんだろうなあ(笑)。
2007/07/05
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我が家の王子、自閉症児Sのこの数日の態度はひどいものだ。 昨日は、朝の登校を、いや、朝の起床を渋り、結局休んだ。日頃は、トイレに行った後、ご飯を見せても反応なし、飲み物さえ飲まず…というような日でも、時間が来れば一応立ち上がってそのまま出かける(これが5割、食べる日が5割)という感じなのだが、この日は最後まで抵抗し、全くダメだったのでやむなく休ませることに。一応前日・前々日と熱が出ていたので、「自分で調子悪いのを感じているのだろう」ということになったが、欠席連絡の電話をしていて「行かなくていい」とわかった時に「ニヤリ」と笑っていたらしい(笑)。 両親が仕事に出かけた後は、すっかり元気、いたずらの限りを尽くし、じいちゃんばあちゃんに怒られて過ごしたそうだ。 そして本日、水泳もあるかもしれないし、何としてでも行かせよう…というこちらの気合いが空回りするほど、すんなりと登校。 ところが、学校でも一日中不機嫌。というか、怒ったり、笑ったり、逃げたり…の一日だったとのこと。 私が行った給食と帰りの時間だけでも、何か注意や指導をされると先生に暴行! シャツをつかむ、つねろうとする、少し蹴る…など私も含めて3人の被害を確認! 中学生なら親呼び出しまたは警察沙汰だ!(今回親もやられたが) 帰るときもグラウンドで私とバトル。つかみあったり、けりあったり、手を持って引きずっていったり、怒鳴ったり…ほとんど虐待親?のようなシーンを見せながら帰った。(ただし、「○○します。○○しません!」とか業界敬語で怒鳴っている) そしてこんな日に限って、2週間に1度のST(言語聴覚訓練)とOT(運動訓練)が療育センターであったりする。予想よりはよくやったが、それぞれの先生の髪の毛を2回ずつつかんで離さなかった…。 よく謝ったり、謝らせた一日だった。 イライラの元は何か…昨日の早朝(夜中)に蚊に刺されたそのかゆみ! 夜中にブーンと飛んでいた3匹の蚊を妻が倒すとすでに血を吸っていたらしい。そのせいか顔にも刺された後が…。 今日も顔、手首、足首…とまだ腫れていて、こうなるとダニとか違う虫も疑われてきたが、何度も薬を要求してきてはつけてもらっているにもかかわらず、イライラ…。 かゆいから怒るのか、怒るから血行がよくなってまたかゆくなるのか…よくわからないがどうもそのあたりがこの2日間の不機嫌・反抗の理由?かと思われる。 他のこどもたちにそれをやらないのは救いだが、自分に指示する大人に抵抗してくる…ということは、やっぱりただの「反抗」か?
2007/07/03
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S中の一部で私は「マッキー」といわれている。 面と向かって言ってくるのではないのだが、なんとなく他の人の話題にしてはやたらと耳にするなあと思ってそのうち気がついた。 授業中に、「出た、マッキー」とぼそっとつぶやいたヤツがいて、何のことだかはっきりとわかった。 昨年のドラマでTOKIOの長瀬君がやっていた、本当はヤクザの組頭だけど、高校生をやっている…という役の名前。 ようは、私の二重人格ぶり(もともと笑顔で授業をやっているのに、怒らせるようなヤツがいるとそのうちキレる)というのを影でそう呼んでいるらしい(笑)。 彼らは組織力がないので、一部の人だけでその呼び方は終わっており、また違うクラスでは、苗字の方から来る芸能人の名前(○○○くんとか○ンとか)だったり、わざと苗字の漢字を逆さまに読みまちがえたりとか、いろいろ言われながらもいずれも大して工夫が感じられない…。 まあ、ぷーさんとかドラえもんよりはいいにしても、その名前って、自分らがさんざん怒られていることの裏返しなんだけど…。 たぶん、I中の人が聞いたら何のことかすらわからないと思う。なぜならこちらでは、丸1年間、どなっていないので…。 ちなみに大体コミュニケーションがうまくとれている時は、下の名前に先生をつけて言われています。(例:わらじ先生) そうそう、マイボス・マイヒーローって題名だった。ヒーローとして言ってるならともかく、「キレルから」って理由じゃあなあ…。
2007/07/02
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