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講習そのものは、おもしろいものもあったが、そう人にお勧めするほどのことはなかった。算数はおもしろかった。社会は時にへえーということもあったが、講師が教育委員会関係者のせいか元校長のせいか、おごった発言が多く何度も頭に来た。 全体を通して、講義を聴いている人を小学校教諭だと決めつけすぎてるなあと感じた。 演習の時の自己紹介でわかったのだが、実際に私の席のそばには、算数の指導補助員、音楽専科の先生など、私と同じように全科を今見ていない先生もいた。 「落とさない」とは言っていたが、実は試験が一応ある。それは大体の問題を前もって聞いて、数日分まとめて行われるのだが、講義で聴いたことをベースに、自分でその教科の指導案を立てる…というパターンが多かった。 その宿題は実は大変。なぜなら門外漢は教科書すら持っていないのだから(笑)。 この時 役に立ったのは、私が4年前に某大学附属K小学校にいた時に、捨てずにとっておいたみなさんの指導案! 研究校だから校内研も含めてたくさん出たそれをとっておいたのだ。家に帰って教科別にして倉庫の奥にしまってあったそれをとりだし、「まったく、何がどう役に立つかわからんなあ」としみじみ思った。 ちなみに直接役立ったプリントは当時3年生のI先生の算数の研究授業の指導案と、自分が4年生の先生方に向けて作った水の授業のプリントであった。 でも考えてみればこれは大学側の不手際で、それこそ、小学校の他の職種のみならず、今後は他校種の先生も受けに来るのだ。なぜなら選択講習はどの教科で取ってもOKとなっているし、今後時間のない中で取るとなると、中身よりも場所や日程が優先して選択されると思われるからだ。 だから、その時間に習ったことの中で試験をしていくのでなければ本当はおかしいと思う…と反省アンケートに書いたかどうか、3教科の試験を60分間で無理矢理受け終わった後で、本当にアタマが痛かったので、アンケートに書いたかどうか覚えていないのであった。 あと、国の指導で、必修の講習の中に『特別支援教育』についても盛り込むことになっていたらしい。でも「なんちゃって…」という感じだった。みんなが発達障害を知っている前提で講師は話していて、でもそれ以上のことは踏み込めてなくて、少なくとも私には(エセ専門家)得るものがなかった。 みんなが知らない気で一からていねいにやるか、または知っている人たちでも忘れがちな指導の工夫とかをテーマにやって欲しかった。レジュメを見るとインクルージョン的な結構いい感じのことが書いてあったのだが、講師の先生は時間がなくて2校時にその後半を飛ばしてしまった(怒)。 4校時最後の質疑応答の時に時間が余っていたので、勇気を出して手を挙げて、その飛ばしていた部分をやってもらった。私一人の質問(要望)で20分も説明していたけど、でも残念ながら、内容はやっぱり深まらなかった(笑)。 小学校新学習指導要領改訂の要点
2008/08/26
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ちなみにこの大学の講習は、90分1コマの授業を一日に4枠受ける。小学校の45分授業に置き換えたら8時間授業! それを月曜日から金曜日までの5日間連続。ちなみに同じ日の4枠はすべて同じ先生の授業があるので、授業がわかりにくい先生の曜日は丸一日わかりにくい(笑)のだ。 そんな勉強付けの毎日なので特におもしろいことはないのだが、自分では結構な事件が、2日目の昼食時間に起こった。 この日のコンビニ買い弁メニューは、おにぎり2つとコーンサラダ。それに食後のおやつのドーナッツ。何が太る原因かは一目瞭然だがそれはおいといて、いきなり大変なことに気がついた。 「はし」がない…。 前日は弁当的なものを買ったからつけてくれたが今日はサラダだけだから忘れたのか…と思いながらも、どうしても食べたい。しかし、朝これを買ったコンビニは遠い。大学の学生食堂は夏休みで閉鎖中。自動販売機にラーメン用のフォークとかないかと調べるがない。 決断は早かった。「Sにできて俺にできないわけがない!」 ごまドレッシングをかけてビニル袋に隠し気味にして、手づかみで食べた。恥ずかしさよりも、実際に食べにくい。どうしてもぽろっと落ちたりするし、近くに座っていた人は気がついたとは思うのだが、まあしょうがない。慣れてきて、3本の指でつかむよりも、親指と人差し指だけの方が口からこぼれにくい…などの発見もしたが誰にもそれを伝えられなかった。 最後の3分の1は面倒になって、容器から直接犬食いした。まわりの人は「ワイルドな人だな」と思ったに違いない。 あと、3日目もついていなかった。帰りの電車に乗る際に、4時25分のに乗ると接続が良くて自宅に6時前につくことがわかっていた。その後の電車だと結局5時に乗るのと同じで6時半くらいになる。 その日は家に早くつきたい、そうしないと豪雨にやられそうだ…と思い、大学からがんばって駅まで走った。いや、半分はばてて歩いたがそれでも徒歩20分の所を12分の好タイムで、電車は目の前…というところまで来た。そして予想に反してなんと4時25分の電車に乗車できた。 乗り換え2回も順調、6時前に自宅のある駅に着き、バス停に向かった。そこにいたのは妻…それがついていない…のではない。 バスに乗ったら、例の局地的な集中豪雨の始まり! もう駅には戻れないし、自宅のあるバス停まで来たら降りるしかない。妻には「ここからは別行動だ」宣言をして、私は降りて走りまくり、妻はゆっくりと帰ってきた。バスから降りた時が最も激しく降っていたので、走ろうが歩こうがカバンの中までびしょびしょであった。(二人とも傘はあった) そして、その20分後、雨はきれいにやんでいた。もし、最初の駅でもう1本遅い電車にさえ乗っていれば…濡れなかったのに。
2008/08/26
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そもそもこの研修は何かというと、「現職教員が力不足だ!」と現場をよくわかっていない人たちが言い出して、あの急にやめてしまった山口出身の総理大臣の頃に急に具体化して、10年に一度、教員免許更新のために試験などさせてはどうか…さすがにそれで落とすのは法律上難しいならせめて研修をさせよう…という国の嫌がらせである。 免許を取る時に「更新」の話がなかったものを、後から更新の研修を義務づけるのは本来おかしい。なので、「現職の先生に限り、更新を怠ると免許が失効する」というわけのわからないことになってしまった。 つまり、免許は取ったけど教師にはならなかったという立場の人(私の大学の友人には多い)は何もしなくて良くて、ずっと現場にいる人は「今のままでは先生を続けられなくなるぞ」って使用者側からの圧力がかかったのだ。 私が教諭だったら「裁判で勝つ!」…とまでは言わなくても「誰かが裁判で勝つまで待つ!」(笑)と言ったかもしれないのだが、今の私は年間採用の講師で毎年契約更新なので、免許がないとまちがいなく首になるので、素直にあきらめて受けることにした。 再来年の3月までにその研修を受けなければならない人たちは、私の学年(42~43歳)とその10歳上と10歳下の学年。いきなりやると混乱するから、今年度は実験的に「予備講習」という形で各大学で行われ、それを受けた人はその単位を持って本講習に振り替えることができる。 だから、今年度は講習を申し込んで受けられる権利を得ること自体が狭き門だったのだ。 そんな先取りみたいな形になぜ私が応募しているかというと、今年度に限り『無料』なのである。来年度からは1枠1000円(30枠で3万円必要)になるという噂もあり、急に必死で探した結果、自宅から1時間半くらいで行けるS大学を見つけたのである。 自分の母校は講座ごとの抽選となり、当たった枠だけ取っても全部は終わらない。ところがこのS大学のは、5日間みっちりやって全部の30時間が終わるのだ! しかし、一つ問題があった。必修講習(12時間)はいいとして、専門講習(18時間)の中学校社会科がここにはないのだ。実はここの大学は幼稚園と小学校の先生対象にしているので、行くとしたら小学校の先生として行くしかない。一つの免許状だけ更新すれば他のも自動的についてくるということで、私は小学校教諭免許(もともと私はこれが主免許で、中・高が副だったんだけど)の更新講習に出ることにした。 だから、なんていうか、今の仕事に直接役立たなくてもいいや…免許さえ更新できれば…というある意味いい加減な取り組みである。 そうなると大学側が受けてくれるかどうかが問題だったのだが、運良く現在、小学校の先生でもある! 体育週3時間だけしかやってないけど(笑)。そこで、申込用紙の学校長欄に中学校ではなくて小学校長の署名がとれたので、ばっちりであった。 さて、初日、久々にネクタイを締めて、6時台のバスに乗って出発。教室50名には知り合いが0名。考えてみれば小学校の先生の知り合いって現任校の10名(笑)と息子の小学校の30名くらいだ。大学附属小の時の知り合いはその大学で受けるだろうし。なので誰とも話さずにいたのだが、図らずも休み時間に知り合いの先生にまとめて会うことになった。 このS大学、そのK市の第五中学校と隣接している。そういえば野球の練習試合でA市のH中の連中と来た10年くらい前に、S女子大学(当時)の方ばかりのぞくヤツがいて注意したことを思い出した。(その日は風が強かったので余計な期待をする中学生男子) この日、その第五中学校では大規模な練習試合が朝から行われていた。教室に知り合いもいないから、休み時間の度にグラウンドを見ていたのだが、昼休憩の時にはすぐ脇までいって野球を見ていた。 あれって気がつくと、知っている監督ばかり。それこそ同じA市内で一緒だったT中の先生が五中の先生で、同じく市内F中の先生が今はF市の一中の先生で、さらにその後H市のY中に私がいた時に知り合った私立K学院の先生2名…などなどやたらと知っている人がいたので、つい塀ごしに声をかけてしまった。 こっちが行こうと思ったのに、大学側に侵入したい先生(ここが元女子大だからか)がバラ線のすきまから来てくれて、数分話をした。その先生は昨年度S中で奥さんが働いていたので私の近況を知っていて話が早かったが、まったく会っていない人にとっては、「ここ数年野球の試合で見ないと思ったら、突然大学の敷地からネクタイしめてのぞいていた」ともう説明するのが面倒になるだろうと思ったので、声をかけるのはもうひとりくらいにしておいた。 野球部の監督でなくなっている理由と免許更新で今ここにいることの二つを説明をするのは、結構大変だった。聞かされる方は「?」マークの聞き所がたくさんありすぎて。 しかし、その練習試合(というかミニ大会)の出会いはそこで終わらない。来ていた6チームの中に、私が監督をしていたH中学がいたのだ! 顧問も私が引き継いだ人からまた新しい人になったし、選手はもちろん誰一人知らないのだが、こんなに遠くに来たのに(土地じゃなくて私の人生が)、ここでこうして自分がいたチームの試合を見るなんて…不思議だなあと小田和正か誰かの曲がBGMとして頭の中に流れるのであった。 H中、ユニフォームが替わっていたのがちょっと残念だった。
2008/08/26
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6日目は、海響館(下関の水族館)に。家族で行くのは2回目だ。前回行った2年半前、イルカのショー会場の濡れた階段で、ビデオカメラを持ったまましりもちを着いた妻が『尾てい骨骨折』という大技をやってのけてから鬼門となっていたが、今回はそろそろあのショーをSが楽しめるのではないかということで再チャレンジである。もちろん、あの人はカメラ係禁止である(笑)。 さて、そのイルカやアシカのショー(イルカがかなりすごいことをやる。お兄さんを海中からジャンプさせるとか)は、大人4人(父母込み)が楽しんでいたが、Sは見てるのやら見てないのやら…。私にもたれてぐったりと横になっていたが、イルカがわざと激しく飛び跳ねて、最前列の人たちに水がかかってびしょびしょになると大喜びしていた。(性格悪いな) 展示生物の見学に移ると人混みも平気になり、水槽の前に座ったり寝たりしてくつろぐ。素通りするときと粘るときがあるから自分なりに何かあるのだろう。 スナメリの水槽の前では、立ち止まり、コンコンと水槽をノックした後、スナメリ相手に何か謎の言葉を話し始めるS(笑)。それこそ「バビュ・パキューン」みたいな日頃もしゃべらない謎の発音。 するとスナメリが近づいてきて、Sの顔の前でツンツンしている。誰でもそうなるのかと思いきや、私たちのほうには来ないのだ。そして、座り込み、くつろぎ、時々呼びかけて?見つめ合う(笑)。よその小さな子がその様子を見て「あの子、スナメリと仲良しだよ」と不思議がっていた。仲良しというより、いばっているのだが…。 犬のリョウといい、この地に来るとなぜか急に動物の親分となるから不思議である。ちなみに日ごろは動物にまったく関心がなく、犬が横を通っても素通りなのだ。 その後、クラゲがたっぷり入った水槽が気に入り、円形の窓枠に入って一緒にゆらゆら…。4日前に刺されたのと同じ生物だとは気がついてないから仲良しになれるのか…。 水族館を出た後は、対岸の門司(もじ)にわたって展望台の高い所からの眺めを楽しんだ。 下関最後の夕飯は、チャーハンや鳥のから揚げなど好きなものをたっぷり用意したのに食べないS。 みんなの食事が一段落したころ、私が酒のおつまみにしようと、小さめのアジの開きを焼いたのを食べようとしたら目の色が変わった! ものすごい勢いで食べ始めた。思わず私はすべて譲ったのだが、大骨があるのでそこから取り分けようとする妻のペースよりも口に入れてしまうほうが早い! 追加も含めて小アジを3枚くらい食べて、そこからは食欲もりもり。先のチャーハンから鳥のから揚げを食べてみんなを安心させたのであった。 7日目は行きと同じく、乗り物に乗って帰るのみ。家に帰るとSはバタリと倒れるように寝たのであった。寝ているふぐ結構ちゃんと見ているスナメリと話をする少年(笑)クラゲと一体化する少年関門トンネル門司側入口海響館駐車場そばの明治維新オブジェで遊ぶついでに載せた中学生の頃の私と兄がスケボーで疾走していた近所の坂。そういう使い方(直滑降)をするものだと思っていたが、現在の交通量なら死んでしまう。 ちなみに、新幹線の帰りの指定券を取った時には知らなかったけど、私たちが帰ったこの日はなんと関門海峡花火大会! なんともったいない。 今度来る時はこの日に海沿いのビジネスホテルに泊まろう!
2008/08/26
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5日目。また海水浴に行った(笑)。 今度は、近場の普通の海水浴場へ行く計画を立てていた。近いと言っても車で30分くらいはかかるが、余裕で日帰りできる。 それなのに数日前にホテルに泊まってまで山陰の海に行ったのは、「下関の海はきれいではない」という20数年前の思い込みがあったからだ。 そのころに比べると水がきれいになったと聞いてはいたが、実際に行ってみてびっくり。相当にきれいである。関東だったら伊豆の奥の方まで行った感じかなあ。 行った場所は彦島というほぼ下関駅周辺の工業地区。ロンドンブーツのあつしの出身地でもある。対岸に工業地区が見えて、大きな船が行きかうのも見えて、でも水質もきれいなのだ。(実はインターネットで行政の海水浴場水質検査のデータを手に入れていたのだが、水質ランクはAA) ちなみにそこは『西山海水浴場』というところ。このたび、護岸工事とかもやり直して名前も『ひこっとらんどマリンビーチ』と生まれ変わっていた。「ひこっとらんど」って、旧市内の私たち(当時)がどちらかというとバカにして使う言葉だったと記憶しているけど、自虐的なネタで現代風?を出すところがすてきである。 でも商売っ気がないのだ。駐車場は無料。駐車場から海までは50m! 満車で駐車できないと困るので朝一番に行ったのだがその後もガラガラ…。たぶん10家族も来ていない。 お昼ごろに来た若いお父さんお母さんの3家族くらいのグループは、海岸べりでバーベキューの準備。こんなことまで無料でOKなのか! また、部活帰りの中学生が体育着で寄っていた。寄り道禁止?(笑) もしかしたらここは地元(彦島)の人だけしか来ない超穴場なのかもしれない。 Sは近所の「しまむら」で買った長袖に身を包み、クラゲ対策も万全。しかし、この海水浴場では見かけることもなかった。湾になっていて波は先のプライベートビーチよりも穏やか。 Sは砂浜の波打ち際で遊んでは、急に遠浅の海に向かって走り出す…口のぎりぎりの線まで行ってジャンプしながら溺れそうになると手を伸ばす…というのを繰り返してなぜか楽しんでいた。ちょっと戻れば浅くなるから助けはいらないのに、いくら言ってもわからず…遠浅な海岸に慣れてよそで急に深いところに落ちないかちょっと心配になった(といっても目を離すことはありえないから大丈夫だけど)。 堤防で仕切ってあって、反対側では水上スキーなどのマリンスポーツが行われていた。その堤防で釣りをしている人もいた。なんとものどかな、それでいて雄大な眺め。 驚いたのは、シャワー室。建物に立派なロッカーとシャワー個室があり、ちゃんとお湯が出るし時間の制限もなし。出るときに支援金100円を支払うだけ…。これだけの設備がすいているのだから、驚きだ。ちなみに西長門リゾート近くの角島の2つの海水浴場は人でごった返していたから、九州からのお客さんはこちらまで足を伸ばしているらしい。 あまり人が増えるのも困るけど、せっかくいいところなのに知られていないのももったいないか。 さて、この日は高校の野球部の友人3人との飲み会を設定してもらっていた。つきっきりの息子の世話から離れて羽を伸ばすぞ!(笑) その前に先日亡くなった「友人の父」(KIHACHIさん)にお線香をあげに寄らせてもらった。二度目の癌で、家族よりも先に余命の告知を受け、それを悟ったかのように亡くなる前にはいろいろなことをやり終えて、自分の葬式の段取りまで決めていたとのこと。それよりも前に息子(私の友人)に家業を任せてからも驚くほど口を出さなかった…という話を聞いて、「らしいなあ」と感動した。 四十九日もすまない祭壇はまだ生々しかった。 …というしみじみした気持ちを忘れて、飲み会に行き、その息子も含めて飲みまくり、とても楽しかった。帰り道、困ったことに、道や街が大きく変わり自分の家がタクシーの運転手に説明できないことに気がついた(笑)。同乗者(市内在住)がいて助かったが今後の課題として書き記しておこう!
2008/08/26
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4日目は本当はゆっくりごろごろする予定だったが、勝山の100円朝市でいい花が手に入ったとかで(父はここでおばさんたちと戦うのが趣味?)、急遽母方の墓参りにこの日に行くこととなった。 こちらの墓は旧市内と呼ばれた栄えた方にある。墓から関門橋も見える。が、それだけに人もたくさんだ。違法駐車の嵐。 そういえば下関の友人ともそのことで話したのだが、下関ではお盆の時期に迎え火や送り火をしない。お盆のときに「盛大に墓参り」をするのだ。ふとそれを不思議に思って、飲み会で友人たちに「下関ではお盆に祖先の霊はどこにいるのか?」と聞いてみたが「家にいる」派と「お墓にいる」派とに分かれた。「お墓にいる」派に、「じゃあ日ごろはどこにおるんか?(笑)」という新たな難題が生まれたが、「そこに私はいません…千の風になって…(笑)」という説もあり…。 とりあえず、なすの馬の飾りもわらを焼く風習もないが、お墓や仏壇にお供えする「らくがん」は固くて甘くておいしい。 墓参りの後は唐戸市場(からといちば)に。ここは昔から魚は新鮮だが、今は建て直して観光客向けのつくりにもした。「まいうー」の石塚くんの番組とかテレビでもたびたび出てくる日曜日の唐戸市場は大混雑だったが、握りずしとかふぐのから揚げとか新鮮な魚介類がその場で食べられる。今までは平日しか行かなかったからその商品の多さにも大混雑にも驚いた。 人込みが得意ではない自閉症児Sを連れてそんな中にいるのは大変だったが、海鮮丼1000円を家族全員で買って帰ることができた。 どれも1000円なのだが、「生うに」のみの丼、「生うに」と「いくら」の丼、「うに・いか・はまち…その他いろいろ」の丼とかそれぞれ入っているものを自分で選べる。その中身だけでは、どの店もおいしいのは同じなので、お客を争うように、この店は「お茶付き!」だったので、迷わず決定した。なかなかおいしかった。 そうそう忘れないようにメモすると、「ふぐの白子」や「あんこうのすり身」もあると宣伝しているカモンワーフ1階海沿いの「たこ焼き」屋さんは、たこ焼きの外側がおいしくなさすぎて、ぱさついたお祭りのたこ焼きのよう…。なぜか甘いし。雑誌とかにも載っていて期待しただけにちょっとショックだった。どおりで地元の人が誰も並んでないはずだ。 この日も早めに家に帰ってくつろいだ。
2008/08/26
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3日目の朝食は和食と洋食が選べたので、皆同じにせずに混合して、Sの好きなものが入ることに期待。洋食の卵料理…目玉焼きとかベーコンエッグでよかったのだが、おしゃれな卵料理(名前が思い出せない数種類)しか選べなかったので撃沈。 また持ち込んだ「めかぶの干したやつ」をつまむS。そこに私の和食のメインとしてアジの干物が焼きあがった。小ぶりなのだが一口食べると濃厚な味でうまい! と一口私が食べたところで食欲に火がついたのか、Sが手を出してくる。食べる、食べる……でひとりでアジを全部食べられた。後からわかったが、これぞ「瀬付きアジ」と呼ばれている近海物のおいしやつだったのだ。日頃偏食なくせに、ちゃんとグルメで生意気である。 この日も夜の雨は上がり、朝には晴れていたのでまた泳げた。午前中いっぱい海を堪能した…と言いたいところだが、ホテルのプールも気に入ったようで、同じ時間くらい真水のプールで泳いだ。こっちは絶対にクラゲが出ない(笑)から安心と言えば安心だったが…。 帰りに、この辺りで評判のラーメン屋 『楽’』(「楽」からのれん分けされた店で「らくてん」と読む)に寄った。久留米系九州ラーメンである。しょうゆラーメン育ちのSがどうなるか不安ではあったが試しに入ってみた。 九州ラーメンの店では、テーブルに「高菜」 「めんたい」 「紅しょうが」「にんにく」などがトッピングとして出てくる店がある。 Sはそれが置かれるなり、紅しょうがを素手で取って食べようとした…。必死で止めてせめて箸で取らせようとしていると、お店の人があわてて小皿を持ってきてくれた。 注文前に紅しょうがを食べ始める小学生…すごくいじきたない一家のようだが、さすがのマイ父母もこれには便乗しなかったのでほっとした。ちなみにSは好きな餃子をまったく食べず、ラーメンはわけぎ(関東の万能ねぎのようなもの)を食べまくり、麺を少し食べ、スープは結構飲んだ。だがそれ以上に紅しょうがを1カップ近く大量に消費していた…。 帰りに寄った大スーパーでは疲れたのか大泣き。家に戻るとまたご機嫌で過ごした。じいちゃん(マイ父)が寝ると横にもぐりこんでは足を乗せたりして邪魔をするのがすっかり定着してしまった。
2008/08/26
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2日目は、まず父方の墓参り。以前は山奥まで竹やぶを踏み分けて行くような場所だったのだが、もうおじさんおばさんたちが年を取り、そんな山中の墓にはお参りできない…ということで祖母の墓を作る際に、先祖代々の墓のある場所(江戸時代とかの墓石などもある『土葬』の12畳くらいのスペース)から一部の土を持ってきて『移転?』したようだ。それで先祖代々の墓として成立しているのか、前の場所はどうするのか…謎は多いがよそに住んでるものがとやかく言うことではないのでまあいいか。 その新しいお墓が、あまりにも道路から近い平地にあったので時間が余った。山登り墓参りのころは往復で1時間半くらいかかっていたのが、20分くらいで終了。お昼は川棚温泉名物『瓦そば』(茶そばを焼くこの地方の名物。ちなみにSは焦げるほどよく食べる)行く予定だったのでまだ早すぎる。 周りを少しドライブだ! 吉母(よしも)海水浴場に行ってみよう! となったのだが、マイ父が車で適当に進んでいくとどんどんその海水浴場方面とは離れていく(笑)。そんな時に、ふと小さな手書きの看板が目に入った。 『本州最西端 毘沙の鼻』 行ったことないだけでなく、今まで聞いたこともなかったぞ…ということで目的地変更。狭くてくねくねした道を進む。やたらと鳥や赤とんぼがいる。行き交う車は、観光客ではなく、ごみ処理場のトラック。岬の隣がごみ処理場らしい。 そして着いた。なんと無料駐車場やトイレなどよく整備されている。駐車場から岬への道もいい感じだ。展望台からは蓋井島(ふたおいじま)や九州が望めすばらしい景色。これが無料って観光資源としてどうよ…って感じだが、すいていてよかった。 Sは我が物顔で、手すりの上に立って歩いた。さすがに本州最西端部分の海側の手すりは歩かなかったが…。展望台の土台より先に少しだけ薮というか崖の部分があるのだが、そこには「危ないからこの先は行かないでください」との看板があった。想像するに、「俺の方が本州最西端!」とか言いながら藪の中に入ったり危険なことをしそうな若者(バカモノ)がいそうな気がする。 それはとにかく、偶然にもなかなかいい観光地で時間つぶしができたのであった。 本州最西端の展望台 蓋井島と最西端のやぶ そして瓦そば(それ以上にカキ氷)を堪能した後は、このたび最大の目的地、『西長門リゾート』に到着した。 山陰の海はきれいだが、ここ角島はまた別格にきれい。さらにその角島を眼前にしたこの『西長門リゾート』のプライベートビーチは波も穏やかでまさに高級リゾート…ここに庶民代表?として、クーラーボックスに持ち込みのビールやジュースを詰め込んでチェックインした。だって、まわりに店はないし、ホテル内は高いし。 入り口に「ホテル内での飲み物をクーラーボックスで持ち込まないでください」となんとも具体的に(笑)書いてあったので私はやばいと思ったのだが、そんなことにひるむN家の人々ではないので、さりげなく持って行って、受付を待つ間、他のかばんで隠して置いていた。そして受付が終わるころ、気の利くホテルの方が「台車」を用意してくれて荷物を載せ始めた。一瞬「やばい」と緊張する私だったが、マイ父はいばったもの、「ああ、それは重いから気をつけて」と言ったか言わなかったか…のやりとりで『当たり前のように』持ち込み禁止のクーラーボックスをホテルの人に運ばせていた。堂々としたもんの勝ち!?だ。 部屋から海が見えるので、Sは張り切りまくり。着替えが早いの何の。N家の父母も張り切って水着に着替えて一緒に海へ。水もきれいだが何よりも砂がきれい。砂質がいいのか、裸足でもまったく痛くない。Sは波打ち際でちゃぷちゃぷやったりしていて、大人4人が交代で面倒を見ながらすごした。 宿泊日は変えられないので、晴れて本当によかった。ただし風が強くて、ビーチパラソルが何度も倒れる。我が家が買った1本760円のパラソルは風の前に歯が立たなくて閉じる羽目になったが、よその人のもっと大きくて太い高そうなパラソルは閉じなかったばかりにものすごい勢いであっという間にぶっ飛んで転げ回って消えていった。パラソルなんて砂に埋めればいいと今までは思っていたが、最近「土台(水を入れるタンクになっている)」が売っている理由がよくわかった。 ちなみにマイ母は何度指摘しても『ピーチ(ぴーち)パラソル』と呼んでいて直す気がない。桃かよ! さて、調子に乗って泳いでいたSだが、急に「ギャッ」と言って顔をしかめて、右の二の腕をつかんだ。その後は泣きもわめきもせず、左手でそこをじっとつかんでいる。 「クラゲだ!」と察した私と父が患部を見ようとするのだが見せない。本当はタオルとかで触手をこすりとって、アンモニアや海水で流すといい(真水は絶対だめ)のだが、何もやらせない。 実は、「今年はクラゲが出るのが全国的に早い」と聞いていたので、前もって治療法をインターネットで調べておいた(笑)のだが、その中に「熱い砂をかけてこすると熱で痛みが和らぐ」とあったのを思い出し、その一番原始的な感じのことをやろうと私が砂をつかむと、Sは「おっ、やってみろ(推定)」と言う感じで右腕を差し出す。 熱さで一時的に気持ちよかったのか、「もっとやれ(うー)」とアピール。こうしてその日 泳いでいる間は平気だった。こちらではクラゲの中で毒の強いヤツのことを『イラ』というのだが、なぜか私は昔から刺されたことがない。Sが刺されたのはイラではなかったようで、虫刺され薬を塗って、痛みはすぐになくなり、腫れた赤色も数日でよくなった。 翌日に泳いだときも、海の中に『茶色い平行な数本の線』を見た。あれはクラゲの足だ!と気づいて避けるのだが、水がきれいなので『見えてしまう』というのもまた不思議である。向こうはただ浮いているだけでこっちが勝手にぶつかってるんだから、あまり悪者扱いしてもクラゲに悪いか。 さて、本州の西の端の下関では、夕陽は海に沈む。この夕焼けがこのリゾートホテルの売りでもあるのだが残念ながら雲が多くて沈み行く夕陽は見られなかった…。 ちょうどもうひとつの売りである無理やり掘り当てた温泉の「展望露天風呂」から見ていたのだが、夕陽の代わりに、九州に豪雨をもたらしている黒い雨雲の中の『稲光り』がたくさん見られた。 夕食は、洋食のコース料理。Sにも子ども用のコースでいっぺんに小皿がたくさん出てきた。この男、ストレートな魚料理などは好きだがいわゆる洋食の工夫をしたものをあまり好まない。小皿は私たちに少しずつ取られていく。それでも大人のコースに出たものからパセリとかアスパラとかをちょこちょこつまみながら、なぜかそんなフランス料理?の店にタッパーに入れて持ち込んだ『めかぶ干し』をつまみながら90分近くいい子ですごせた。夜の海に光る稲妻をまた楽しんでいた。 Sが長くそんな店にいられたのは、高級料理店のムードを出しながらも実際には家族連ればかりで、こちらがかなり精神的に余裕を持っていたのもよかったのかもしれない。まあ、あれだけ言っておいたのに、マイ父はその店にゆかたでやってきたので出直してもらった(笑)。黒服のお兄さんに「お客様…」と呼び止められていた。 さて、Sは新しい場所では、相変わらずすぐには寝ない。ホテルの部屋の中で跳んだり跳ねたり。ちょうどオリンピックの開会式の日だったので私たちも遅かったが、日付が変わりそうになっても寝る気配なし。風呂が12時までだったのでぎりぎりでまた入りに行った。露天風呂に行くと足元をフナムシが逃げていってちょっとびびったが、「フナムシはきれいな海にしか住めない」と風呂の更衣室に写真つきで自慢してあるのを見つけて、逆転の発想というか、ああ言えばこう言うというか「下関商人やるなあ」と感心した。 満足したのか、Sもそのうちにツインベッドの隙間に入って布団に包まって寝た。
2008/08/26
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さて、帰省1日目は相変わらず乗り物ばかり。東京駅まで2時間近くかかるというのもあるが、のぞみ優先の新幹線運行体制にあって、新山口駅(旧・小郡駅)ではのぞみからこだまへの待ち時間50分!という驚きの体験をするのであった。 値段が高くなっても、のぞみで小倉駅まで行き、1駅戻る方が接続が順調らしい。次回以降の検討事項だが、とにかくこの日は、朝6時50分に家を出て、新下関駅には14時50分頃に着いた。 私の念願であった新下関駅の『肉うどん』を着いて早速食べたのだが、Sは『揚げ天ぷら』好きということもあり、かといってそれに合わせられないほどあの肉うどんへの私の思いも強く(笑)、肉うどんに天ぷらトッピングという贅沢な注文。 ただ、お昼は駅弁を食べていてあまり入らないので、S、私、妻(見学者)の3人で一杯のみ。 「一杯のかけそば」のような状態でありながら、贅沢な中身を食べている不思議な親子連れとなった。贅沢といっても600円くらいだけど…。 ちなみに下関(山口?)のうどんは麺にコシがない。細い円柱状でちゃんぽん麺のようなのだが、今回わかったことで、麺そのものに何か味がついている。出汁がおいしいだけでなく、あれも下関出身者をひきつける秘密のようだ。 ついでだが、このうどん・そばをよその土地の人に「おいしいよ」とお勧めしてもあまりおいしいと思ってもらえない(笑)ようなので念のため。 しかし、Sは下関の血が騒ぐのか、私と争うようにうどんをつつき、「肉はいらん」とばかりによけたり私の口に入れながら、天ぷらを食べて、汁にいたってはこれまた私と争うように全部飲んだのであった。 さて、実家に着いたS、声もかけてないのに勝手に裏の犬小屋に続く場所の鍵を開けて、老犬リョウにあいさつ。といってもニヤニヤ笑いながら、一段高い家の床から足を出して嬉しそうにしている。 しばらく見ていると、近づいてきた犬の体に足を乗せて押さえて(踏んで)いる。日ごろ動き回るくせになぜかそのままなすがままの犬のリョウ。さらに、両手でアタマから口の部分をなでている…かと思いきや、いつのまにか口のところを両手でぞうきんのように絞ってやっている。完全に、久し振りに会った子分をしめている兄貴分である。 前回の帰省時に犬の眼球まで触ったりなめたりした男のスキンシップはさすがに違う。 今回参ったのは、裏の家がシロアリにやられて解体工事をする日程とぶつかったこと。私たちは日中に出かけることが多いからまだいいが、あまりの騒音に犬は結構弱っていた。その家も含めて、辺り6軒くらい同じ建売住宅だったので、その工事の進行を見るにつけ、「この家も誰も住まなくなったら壊す日がくるんだなあ」と少ししみじみとした。 うちの実家は早めにシロアリ対策をしたから大丈夫…ということだったが、裏の家(シロアリにやられまくり)は4日間かけてばらばらに崩したが、シートもしなければ、殺虫スプレーなどをした様子もなく、ただ単に壊して土台から立て替えるようだ。それって、今までいたシロアリは全部周りの家にぞろぞろ引越ししたんじゃないの…と思うのであった。工事始まった日は原型があったが最終日はこうなっていた
2008/08/26
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8月に入ってから更新が滞った。 7日から13日に下関帰省。 16・17日は大学の友人たちと家族ぐるみのバーベキュー&お泊り会。 18日から22日は、教員免許更新予備講習。 23日は特別支援学校PTAの放課後活動。 25日は自ら望んでいった研修扱い?の原子力発電所見学会。 なかなか密度の濃い日々だけに、リアルタイムでブログ更新をすればよかったのだがそうもいかず、でも我が家の記録的な意味もあるので今更ながらまとめて更新する予定。 まとめて書いて、まとめて更新するので驚かないでください。楽天さんの不具合ではありません(笑)。
2008/08/26
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13日に下関から戻ってきたのだが、記事を書く時間の余裕がないので、ひとまず匿名性の保てる写真を公開。大体何があったのかわかるかと…。最後のは隣の家の解体工事なのでご心配なく。
2008/08/15
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以前ブログで書いて、宣伝忘れていました。 本日8月1日付けで発売される(たぶん定期購読の配本はすでにされていた)、実践障害児教育8月号(学研)の特集「本人・保護者・きょうだいがかたる 学校にしてほしいこと、してほしかったこと」の中に、私の文章も載っています。P6の分量で、私の名前は本名みたいな仮名で、「SのことをS太」として書いてあるので、すぐにわかるかと思います。 ただ、雑誌自体が専門誌でそうそうどこにも置いていません(笑)。 万が一、お手にすることがあれば、「へえー」と読んでみてください。まわりの他の執筆者の人生の方が重すぎて、私の文章は「軽く」感じられました(泣)。実践障害児教育 2008年 08月号 [雑誌]おおー、ここから買えますよ!
2008/08/01
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12日間連続水泳が終了した! 体重はなんと 1kg減…って誤差の範囲だよ(笑)。そもそも水の中にいるだけで本人はそんなに泳いでないから。 この期間、平日は弁当買っていって、午後、冷房のある職員室でワープロ仕事をして帰ろう…と思っていた。 が、折りしも校内が工事中。職員室前から工事の中心が移動すれば…と思っていたが、工事は日に日に激しく本格化(笑)。 出勤してあの中で仕事をしなければいけない(うちの都道府県では、10年前くらいから教諭の自宅研修が認められなくなった)のも気の毒だ。 私は、「自宅または最寄りの図書館で研修」と書類提出しているので、プールが終わるとそのまま隣の市の図書館通い。自宅は、暑いし、じゃまする少年(S)もいるし、在宅ワークには適さない。 8日間、午後は4時間くらい「2学期以降の授業のプリントづくり」のために、ワープロ打ったり、本を調べたり…。そこはパソコンの電源をとらせてくれるので重宝している。これからの時代の図書館はそうでなきゃ。 相当昔、教育実習で「1時間の授業のためにその10倍?の時間の準備をしろ」と言われたような気がするが、それがいざ講師になると「同じ時間の準備」となり、他の仕事(主に生活指導)で忙しかった教諭の頃は10分の1になり、しまいには「授業中に展開を考える(思い出す)」ようになり(笑)、それなりのレベルは維持しているつもりでも「授業が後回し」になっていた。 今回、久しぶり(7年ぶり?)に中3の公民を受け持ち、資料のプリントを一新しているのだが、7年前の時に使った資料の多くは1980・90年代のデータで、すっかり時代遅れ。 国会議員の決め方も人数も変わり、内閣の仕組みも変わり(環境省に防衛省)、株式会社のルールが変わり(有限会社は新たに作れない)、日銀の公定歩合の操作は金融政策の柱ではなくなり、悪徳商法の手口もいろいろと変わり、独占企業も業種ごとの順位が大きく変わり(自動車で三菱が躍進していたのが今は5位にも入らず)、ゲーム機では任天堂のシェアが復活し、エンゲル係数は取り扱わなくてもいいようになったり…時代が激変していることに驚いた。 逆に「官僚主義(お役所仕事)」とか「たてわり行政」とか問題がそのままなものには苦笑い。 このプリントづくりの苦労は大変なのだが、今年度は「あいつらのために少しでもいい授業をするか」と思えるI中の連中が相手だからよかったかも。「彼らの受験に向けて力になろう」…とまるでまじめな若い先生のような(笑)モチベーションがある。こうして一度ちゃんと作り直せば、今後はマイナーチェンジで使えるはずだし、今年無理して3年生の授業を持っておいて良かった。 それにしても、考えてみれば「自宅研修」を届け出て、本当に学校授業の研鑽している非常勤講師なんてそうはいないはず。もともと長期休業中はのんびりするか塾の夏期講習とか他の仕事しないと割に合わない時給なのだ。 そんな中、今年の私は「講師の鏡」…「ミラーオブなんとか…」だと自画自賛するのであった。(英語も研修した方がいいな) ここから半日経って気がついたけど、ここでいう「かがみ」は「鏡」じゃなくて「鑑」でした(たぶん)。だから少なくとも「ミラー…」ではない。現代国語も研修の必要ありでした(笑)。誰かに突っ込まれる前で良かった。手に取る公民・現代社会教材(続)よし!いける社会公民の総点検これを使っているわけではありません…。
2008/08/01
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環境問題や農林業や農村学など?の勉強をしていた教え子で、今年1年間の農業修行に出た男が地元のテレビ局の取材を受けたようだ。 映像を見つけて教えてくれた教え子(ややこしいな)がいたので、自分が忘れないためにもここにアップ。 上の「農業修行」の文字をクリックすると入れる予定。ちなみに「農業修行」の正式な名称はたぶん映像の中で出ると思うけど、やってることは修行以上(笑)彼の昨年までのブログもあるので、そういうことに興味のある方はぜひご覧ください。
2008/08/01
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