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消毒や包帯、時にビニールテープぐるぐる巻きの日々を過ぎ、サポーター一つの日々ののち、治りました!写真を撮るのをずっと忘れていて、治ってから撮ってもこの長さ。なかなかの傷でした。もうついているから怖くないけど、苦手な方や想像しすぎる方はこの後の写真は見ない方がいいです。私は傷がついていない頃に毎日見ていたから、これがむしろいい感じに見える(笑)↓↓↓↓
2013/06/30
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高校の友人たちに知らせようとメールを出したけど、かなり届かなかったので、こちらに載せます。学生時代にそんなに話したこともなかったから、その後の人生を知らなかったのに、活躍していることを知ったのが訃報という皮肉…。私なんかもよくもめた(笑)先生との確執が有名で、当時、同姓が多くて、野球部の西村、バンドの西村などと区別するときに、その先生から言われた(今だったら大問題の暴言だが)「対象外の西村」と呼ばれていた。ネットでニュースに載るってすごいことだなあと思う。その後の活躍(大学のところから)に驚いて、まだ訃報に驚くところまで行けてないのが正直なところだ。以下はニュースからの引用 【ハノイ=永田和男】ベトナムの警察当局によると、首都ハノイ郊外で9日、同市在住の考古学者、西村昌也(まさなり)さん(47)がオートバイを運転中、前方の車に衝突し、病院に運ばれたが死亡した。西村さんは東部のバクニン省方面に向かう途中だったらしい。 西村さんは山口県下関市出身。東南アジア考古学が専攻で、20年以上、ベトナムを中心に遺跡や集落などの調査活動を続けていた。非営利組織(NPO)「東南アジア埋蔵文化財保護基金」を設立し、文化財保護に取り組んできた。著書「ベトナムの考古・古代学」で2012年度の東南アジア史学会賞を受賞している。(2013年6月10日 読売新聞)ベトナムの首都ハノイ郊外で交通事故で死亡した考古学者、西村昌也さん(47)の突然の訃報に、出身地・下関市の家族は10日、「信じられない」と悲しみ、研究仲間から悼む声が上がった。父親の謙治さん(78)によると、西村さんは小学生の頃から考古学に興味を持ち、下関市内の遺跡を見に行っていた。県立下関西高を卒業後、東大に進学。学生時代から各国を回り、1990年頃、ベトナムを拠点に活動を始めたという。ベトナムと日本を行き来する日々で、最後に帰省したのは今月2日。謙治さんは「いまだに信じられない。魚が好物なので、仏壇には魚を供えたい」と話した。親交がある桃木至朗・大阪大教授(57)(東洋史学)は「粘り強く発掘に取り組み、ベトナムの研究者の間では名の知れた男だった。本当に残念だ」と惜しんだ。(2013年6月10日15時25分 読売新聞)
2013/06/11
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