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春からの仕事状況の報告。講師勤務はこれで、同じ市内のG中(略した読み方で5つ無いけど五中)は11年目、M中は4年目。昨年度は8枠ずつあって、水曜日を空けて、日中に子どもの学校のPTA活動をしていた。この4月の総会までに、引継ぎもほぼ終わり、本部の役職は降りられたので(当番校の大きな講演会のお手伝い等はまだあるのだが)、その分、昨年度よりも余裕が出る。今年度は、そのままにするか、少し枠数を減らして、息子卒業後に備えて自分が何をやっていくかを考えたり動き始めたりする時間をつくろうと当初は思っていた。が、自宅の離れ(旧宅)は水回りが壊れていてそのままでは使えず、改修が必要だし、そうなってくるとお金はないし、何か作りはじめるとなると祖父の許可を取るのが大変だろうし、それを言い出すと祖父に言うのが嫌で妻が不機嫌になる(やれというくせに、祖父が死ぬまで待てという問題先送り派…)し…結局まだ何も動けだせそうにない。最初、クラス減でM中の枠がなくなるかも…ということだったので、「ついに公立中から離れていく覚悟ができた」と、私立のちょうどいい話があれば、全部切ろうかと思ったのだが、やめるにしても、だんだんと…じゃないと、あの時の失敗(特別支援学校に転勤してパワハラ校長ともめたり、その支配下の職場のムードがつらかった…ご存じない方は、このブログの最初のあたりを参照ください)を繰り返すかも…と、思いとどまった。というのも、息子が2年後に卒業して生活介護やB型就労型等の作業所に行くようになると、今よりは朝はゆっくりで、夕方は早くなる。(現在は放課後デイサービスやヘルパーさんとの学校でのフットサル等で6時くらいに帰ってきている)そうなると、現実的には授業が近いところでも3~5校時しか入れられないし、祖父に何かあった時や、学校でのいろいろな活動(テストや授業プリント印刷などの準備)を考えると、もう講師をやるのは難しい…と考えている。あと、2年で終わりかもと考えながら、ここで楽しみながら終われるように、無理せず、入ってくる仕事で可能なものを受け入れてみよう…と考えた。(結果的にはM中も6枠残ったので、公立中は2枠減の14枠。そこに私立1校増やして、18枠となった。)増えた1日は、私立高校と言えばそうだが、通信制の高校…といいつつも、通いが中心という学校の非常勤講師。ちょうど、「空いた一日、何の仕事をしようか」と思っていた2月頃、一緒に本部をやっていたお母さんから「息子(学園の子の兄)は中学で不登校だったので、SS学園っていうちょっと変わったところに行っていて…」なんて話をたまたま聞いて、昔知っていて興味があったけどこの10年忘れていたそのSS学園(旧MZ学園と言った方がなじみがある)のホームページを見てみた。不登校の子や発達障害の子を積極的に受け入れているのは以前と同じだがそんなに前面には出していない。が、なんと、組織が全国に広がり、大学までできていてびっくり。遠い隣県の奥の方の駅…と思っていたら、私の住む地域から1時間の場所にもできていて、そして、そこに求人案内。とりあえず、公立中での上からの圧力(社会科はこれから増々)に嫌気も差していたし、「よし、向こうの反応を見てみよう」と履歴書を送ってみた。そもそも募集の勤務時間に全然合わない(私は10時から4時までで週1日しか無理)のに、「もし採用の可能性があったら連絡ください…」という高飛車な応募で(笑)、面接に行き、週1日の、ゼミ(選択教科みたいなもの)時間講師をやることになったのである。高校での授業は、大学卒業1年目の有名私立女子高以来の27年ぶり!不登校経験者や発達障害を持つ人も多い…と書いたが、いろんな人たちがいろいろな問題をかかえつつも「再出発の場所」としてお互いを否定せずに過ごす…ことが大切にされているので、妙に明るくて自由な校風…そして校則も含めて何かとゆるゆるである。そういう意味では、もしかして、俺、すごくあってる?(笑)おかしかったのは、全部本当のことを書いた履歴書だったのだが(公立教諭の採用試験の時は「ライブハウスでロックバンド…」は、「老人ホームでピアノ演奏…」に置き換えて試験に通りました…ちょっと詐称w)、いろいろなタイプの学校の経験があって、障がいについてかかわりがあって、そして何よりも、音楽関係の略歴…バンドマンだったことが高く買われたようである。何というか、その『BUCK B EAT』で勝ったコンテストのことなどを記入すると、自分の実力以上の実績が記録上は残ってしまうのだ。Do Music Festival'88全国大会グランプリ、ヤマハ・バンドエクスプロージョン関東甲信越大会渋谷ブロック代表、コカコーラ・フレッシュサウンズコンテスト'90関東大会3位、住友ONE'90世界大会日本代表…。「自分がうまいのではなく、『うまい仲間を集めるのがうまいんです』よ。」という名言(事実)と共に、2回目の授業見学の時にはなぜかBUCK BEATのDVDとCDを名刺代わりに置いてくることになった(爆)のだが、「謙遜している」人ということになってしまったようである。高校生相手にどんなゼミ(選択授業)が開けるか…こういう流れで、社会科の何の教科を教えているのだろうと思われるだろうが、今回、実は普通の教科の授業を持っていない。倫理とか日本史なども含めて、開けそうなものをいろいろと書いて送って、「書いていないもので『今まであったけど担当の先生がやめるなどでなくなるゼミ』があれば応相談」としておいたのだが、ふたを開けてみると、身に覚えのない内容も担当となっていて、びっくり(笑)身に覚えのない1つは「進路対策ゼミ」で面接や就職試験の対策(こっちは元進路指導主任の肩書からか)をする授業。もう一つはここでならやってみたかった「ミュージックゼミ・ キーボード講座」で、コードを覚えて伴奏しよう…みたいなもの。これは希望していたけど、募集の説明にはギターとか木管・金管とかソルフェージュとか、前年の内容がキーワードとして載ったままなんですけど…。笑ってしまうけど、まあ何事も経験だし、もし、それが本当に誰かの役に立ったら面白いというかやりがいもあるので、すんなり納得。これがうまくいくようだったら、友人たちをゲストとか講師に誘い始められるかな…なんて思うし。何が嬉しいかって、音楽をやってきたことが仕事になるってことである。昔、事務所所属(正式契約のハンコは押さぬものの)だった時に、スタジオ代が出て、ライブのギャラが出てはいた。でも、事務所がらみでもらったギャラは、バンドのお金として個人に回さなかったし、よく考えてみれば「音楽が仕事になる」のは初めてなので、ある意味、昔の夢がかなったとも言えるのだ。初授業の日は、みんなが恥ずかしがらないよう、自分も恥をかこうとあいさつ代わりに…コブクロのYellを弾き語り。小教室で10数人しかいないのに、一人で歌って弾くのは死ぬほど緊張した(笑)。この後なら、キーボード弾いてコーラスするだけなら、「ポール・マッカートニーのバックの演奏を武道館でやれ!」って言われてもあまり緊張しないかも…と思った。この感想を他の人にメールで送ってから気がついたが、そんなすごいことやれって言われないし、そもそも弾けん!…という第一歩を踏み出した。ただ、笑ってしまうほど、学校的にはゆるゆるというか、良くも悪くもルーズで、「あれ、来週は行事が入ってるから授業ないですよ」と1週間前に知る…ような所もあり、(そもそもゼミは5月からと聞いたから4月末に子どもの学校のPTA総会を設定したのに、それが初回となり、午前の授業はいきなり補教…午後は総会後に駆けつけw)そのルーズさに自分が慣れられるか…という、大人側の課題もあり、今後どうなるのかは未知数である。というのが5月初めの頃の感想だったのだが、その後、「あれ、何か俺、ここに導かれていたのかな…」というできごとがあった。それは次の機会に。すでに知っているのは、「進路対策ゼミ」に協力していただいた隣県のバンド仲間の手前田夫妻(仮名)だけなのだが、そもそも彼らに相談したところから…自分の意思だったのかどうか…。 Paul Mccartney ポールマッカートニー / Mccartney: 2 【SHM-CD】http://seisa.ed.jp/
2015/04/24
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近所の小学校が廃校になった。近いけど学区ではなかったのだがもったいないなあ…。景色もいいし、まだ何も使っていないので、数回トレーニングに(壁とキャッチボールしたり歩いたり)使っている。今年こそこれを機に少し運動を(笑)
2015/04/04
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