Japaneseness in yourself

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History of granma July




細い鉛筆がはやってなあ、誰かひとりが持っとったらそれどこでこうたんいう話になって、あの山の上の店でこうたんよ、言う話になったら、昼休みにみんなでその店に行って買うんよなあ、その店に行かん子らも、あんた、その店行くん、ほなあたしの分も買うてきて、言うてお金渡してな、とにかくそういう風にしてみな持っとった。もうどの子のふでばこもみな細い鉛筆ぎりよ。
あたしらそんなん買えんけん、誰ぞがもう短かなった鉛筆をほろうとしよるの見たら、あんたそれ、ほるぅん、言うたら、ほうよ、もう短かなったけんほるんよ、あんた要るん、言うから、ほんならおくれや、言うて、こまいんでも、いっぱいあるほうがええ思て、もろたんよ。

休み時間に鉛筆削るんよなあ、みんなで鉛筆削るんやから、自分も削らんとほかにしょうがないやろ、ほやけんいっしょけんめ削ったんよ。

あたしらなんか、兄弟が8人もおるんやけん、帳面がなくなって買うんでも難儀した。最後まで使こてしもてから言うたんじゃ用が足せんのじゃけん、あと1枚か2枚言うとこになって、親にな、帳面買うけんお金おくれや、言うんよ。畑へ行く前に言わな、いかんけん、玄関のとこでおくれや、言うて手ぇを出すのよ、そしたら、お前、こないだ帳面買う言うてまたもうのうなったんか、何しよるんじゃ、そんなに帳面ばっかり使てしもて、落書きばっかりしよるんじゃろが、言うけん、帳面持ってきて見せて、ほら落書きなんかしてない、もうあと1枚やけん今日買わないかんのやけん、言うて初めてもらえるんやけんな。


戦争頃は何にもなかったんよ。配給で時々な、妊娠しとったり、赤子がおる家には、ちーとやけどりんごが配られるときがあったんよ、だいたい半分、丸ごとのときもあったけどな、配給がある言うたらじいちゃんはすぐ飛んでいきよった、それでそれを持って帰って自分で食べてしまうんやけんなあ、これは洋子にくれたんやけん、洋子に食べささないかんのやけん、言うても、まだ歯も生え揃ってない赤子にこんなうまいもん食わせられるか言うて、一人で食べてしまうんやけん、ちょっとでも子供やわたしに食べさせてあげようなんちゅう気ぃがないんやけんな、それくらい皆ひもじい思いしとったんよ。
配給言うて、今日はごぼうがもらえる言うても、これくらいの(40cmくらい)を3当分せないかんのやけん、ちぃとよ、そんなちぃとのごぼうぎりくれても、何にもできせん。そりゃご飯に入れて炊いたらおいしいんやけど、おかずの一品にもならん。
ほやけんな、あの頃を知らん人間はあのひもじさはわからん思うわ。


(父が子供の頃大人がバケツリレーの練習をしているところを見た話を聴いて)
ばあちゃんら、バケツリレーもやったしわら人形を竹で突いたりする練習もしたわ。
(見えてなかったんよね、アメリカはボタンひとつで爆弾が落とせよったのに、と母が言った。)
(今の北朝鮮みたいなもんや、と父が言った。)


夏になると重信川に行ってな、何年生まではここまで、言うて、浅いところしか行かせてもらえんかったけど、ばあちゃんら泳げんけん、川のへりを堰きとめて小さい池をこしらえてな、てぬぐいで川の浅いところを泳いどる魚をつかまえちゃその池へ移して遊びよった。はや、言うんかなあ、さっと逃げるやつ、あれ今考えたら鮎やったんやろなあ、あれは早すぎてつかまえられんけん、あたしらがいっつもつかまえるんはめだか。それでも池の堤防が弱かったりしたらすぐ壊れてしもたりしてなあ、また作ったりして、ひがないちにち、そんなことばっかりして飽きもせんと遊びよったわ。小学校の2年生くらいやったかなあ。上の子ら(2人)はもう畑の手伝いがあったけんな、ほやけどその川も大人なんか誰も来たことなかった。大きい子供らが、小さい子供らにお前らこっちくるな、言うて、ちょっと深いところが一部あったんよ、そこでもまあ子供の腰くらいやったけど、そこには近づかんように大きい子供らが来させんかった。






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