全55件 (55件中 1-50件目)
以前に比べると、私は悩みごとがなくなりました。そして、たいてい「いい気分」で過ごせるようになりました。私はそれは、「認め上手」になれたからだと思っています。以前の私は、「責めること」が多かったのです。ちょっとでも思い通りにならないと相手を責めていました。相手を責めると、「自分は悪くない」と思えるので、溜飲が下がります。でも、相手がそれでも思うようにならなかったら、イライラは長引くのです。また、「どうせ私が悪いのよ」と自分を責めて、すねることもありました。スピリチュアル系の本には、「自分に起こることは自分が引き寄せている」と書いていることが多いです。すると、「私が悪いから、こんなことが起こるんだ。どーせ、どーせ」と自棄になるんですよね(笑)。そして、状態が改善しないと、「私のせいで・・・」とますます自分を責めてしまうのです。その後、心の勉強をいろいろするようになり、その考え方を自分でも取り入れるようになりました。そして、人を責めているときは、「人のふり見て、わがふり直せだ!」と、自分にも原因がなかったか見るようになると、やっぱり、自分にも相手がそうしたくなる要因というのがあるのが分かりました。そして、「どうせ私が悪いのよ!」と人に言っているときというのは、一見、自分を責めているようでも、相手がそれを聞いて折れてくれるのを求めている、相手を責めていることだとも気づくようになりました。さらに「どーせどーせ」と思っているときには、「こういうことが起こってもしょうがない」と自分が心の奥底で思っていたから、引き寄せられていたんだ、ということも分かったのです。「責めること」は、結局、現状の改善にはあまり役立たなかったんですね。それで始めたのが、「認めること」です。「責める」というのは、自分が「是」とする価値観から外れているからするのです。だから、その「是」の範囲を広げるようにしたんですね。一番効果があったのが、「ダメでもいいじゃん」と開き直ったことです(笑)。うまくいけば嬉しいし、評価もされる。うまくいかせるためにやったこともいい経験になる。だから、うまくいったほうがいいです。けれど、できなくても、やることを諦めても、「できない、やらない、という経験をしたかったんだからいいじゃん」と、ダメを認めるようにしたら、ラクになったのです。ただ、「やらない」と決めるときには、一つだけ自分に条件をつけました。それは、「それをやらない代わりに、別のことで喜んでやる」ということです。例えば、体調がよくなくて、勉強会に行くのをやめるとき。行ったら、すごくいいことを教わるかもしれないし、それがその後の収入に関わるかもしれません。けれど、やめることにしたのなら、「その時間はたっぷり寝る!」と、自分が喜ぶ、別のことをするのです。そうしたら、後で「行けばよかったのに~」と言われても、「あのときは、寝ることが必要だったんだ!」と後悔しないで済むんですよね。私は、必要なことであったら、何度でもチャンスはある、と思っています。「幸運の女神には前髪しかないから、そのとき掴まないと」という言葉もありますが、「そのとき」は別の選択をしても、本心から求めていたら、また幸運の女神はやってきます。もし、やってこないとしたら、「あのとき、チャンスを掴まなかったらだ」と自分で自分を洗脳してしまったからです。だから、諦めない限り、女神はまたやってくるのです。・・・そんなふうに思うようになったら、後悔することも少なくなりました。・責める代わりに、認める。・ダメでもいい・やらないと決めたら、別の喜ぶことをやるよろしければ、参考にされてください^^。★10月10日16:00~、渋谷・大盛堂書店「秋の読書フェア」にて、トークショー!⇒詳細・申込★10月15日に「自分を大好きになって願いを叶える1dayセミナー」を開催!⇒詳細・申込★10月30日に「オトナ女子力を上げて、幸運なプリンセスになる!セミナー」を開催⇒詳細・申込「ダメでもいいんだ」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年09月26日
「わたしもプリンセスになれる☆☆☆って気持ちになれました(●^ー^●)」(M.Tさま) 『幸運が舞い込む プリンセスルール』すでに増刷!先日に対面セッションにいらした方は、恋愛についてのお悩みでした。職場恋愛だったのですが、尽くすのに疲れて別れる決心をされたとのこと。なかなか尽くし甲斐のない彼氏さんだったようで、同じように働いて疲れているのに、彼の家に食事を作りに行かないと機嫌が悪くなったり、作っても感謝の言葉がなかったり。外に見せる顔はとてもいいのに、家で見せる顔はわがままだったり・・・。人間関係というのは、「欲求の綱引き」だと私は思っています。やって「あげた」ら、やって「ほしい」と思います。失ったものを、満たそうとするのですね。けれど、思うように満たされなかったら、不満がどんどん溜まっていきます。ただ、その綱引きは「等価交換」ではありません。30分の労力をかけて作った料理でも、一言の「美味しいよ、ありがとう」で満たされることもあります。でも、そのたった一言が言えなくて、人間関係のバランスがどんどん崩れていくこともあるんですよね(もったいない~!(>_
2011年07月06日
「私も自分の夢を叶えたいと言いながら、恐れから動くことが出来ない状態だと思いました。「喜び」を探す。これはとても素敵なことです。実行していきます!」(K.Iさま) 『「喜び」と「怖れ」の法則』50ページ無料公開中!アーユス直子さんとお話をしていたとき、『僕のアニキは神様とお話ができます』の神さまが、人生の目的は「悩みたい、迷いたい、苦しみたい」と言っていた、というお話になりました。「あの世」では、思うことがすぐに叶うし、人の心は素通しだとといいます(あくまで、聞いた話ですが(笑))。そのため、「思いを叶えるにはどうしたら」と悩むことも苦しむこともないんですね。だからわざわざ、制限された地上に降りて、さまざまな経験と思いを味わうのだ、というのが神さまの言い分です。そして私も、この考え方に共感しています。なぜなら、そう思うとラクになるからです。人がイライラしたり悩んだりするのは、ズバリ、「自分の思うようにならないから」です。だから、そうさせてくれない対象を責めたり、不満を抱いたりします。そして、「他人」というのはそうそう思い通りに動いてくれないものです。けれど、「悩むために生まれてきたんだ」と思うようにすると、責める代わりに、「引き受けること」ができるんですね。「あ~、自分はこのことで悩んで、それをクリアするために奮闘する、ということがしたいんだ」と思うようになったら、ただ不満を感じたり、そこから逃げようとするのではなく、「じゃぁ、どうしたらいいか」と前向きに取り組むことができ、その結果、クリアすることも早くなるのです。これは、「悩み、迷い、苦しみ」というものを、「怖れ」ではなく、「喜び」の対象として変換することでもあります。「悩むこと」というのは、うまくいか「ない」ことだから、「怖れ」るもの、と思うのが普通です。けれど、悩むことは、自分の魂が求める経験を「得る」ことだから、「喜び」…。そう思うようになったら、「悩み」は怖れではなくなるんですね。私は、ミッションスクールの出で、中高のときは、毎朝礼拝があって、讃美歌を歌っていました。そのとき、私が大嫌いだった歌詞が、「来たれ来たれ 苦しみ 憂き悩みも 厭(いと)わじ」というものでした。紅顔の美少女だった私は(かなり嘘(笑))、「苦しみや悩みなんて、厭うよ!来てほしくないよ!」と、そこの場所だけ黙っていたものです(笑)。それは、苦しみや悩みを怖れていたからなんですね。でも、讃美歌の意味していたところは、苦しみや悩みを経ることによって、成長する喜びを得られますよ、ということだったのかな、と今では思います。そして大人になって色々なものの考え方を知るようになった私が、苦しみや迷いと上手に付き合うための特効薬だと思っているのが、「認めること」です。悩んだり、迷ったりするのは、「うまくやりたい」と願うから。トクを「得る」ほうがいい気分になれますから、それは当然の願いです。けれど、逆に「損」をしたらイヤな気分になる、両刃の剣のようなものです。だから、「損」も認めること。●うまくやれれば、トクを得て、いい気分。●うまくやれなくても、魂の願う経験を得られて、まぁ、いい気分。そうしたら、どちらに転んでも、得るものがある、いい気分になれるでしょう。それに、うまくいかないことからたくさん学んでいる人のほうが、後々に飛躍しているんですよね^^。失う怖れを大きく感じている人ほど、なかなかそうは思えないかもしれません。けれど、『「喜び」と「怖れ」の法則』、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』などを読まれると、参考になるのではと思います。「損して得取る」という言葉もありますが、「損もまたよし」と認めることができると、とてもラクになりますよ。ぜひトライしてみてください!「やってみようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年06月18日
「ストーリーが一日ごとに進んでいく構成だったので、とても読みやすく、寝る前に読むのを楽しみに1週間過ごしました。今は2周目を読んでいます」(A.Kさま) 『「喜び」と「怖れ」の法則』50ページ無料公開中!『「喜び」と「怖れ」の法則』の読者さまから、「ある程度距離のある人の価値観の違いは認めやすいのですが、家族となると認めにくいのですが…」というお声をいただきました。こういうこともありますよね~^^;。なぜなら、他人よりも家族のほうが「求めること」が大きいから、と私は思っています。別の言葉でいうと、「甘え」があるのですね。例えば、疲れているときに他人に話しかけられたら、面倒だな、と思っても普通に接するでしょう。けれど家族だったら、「疲れているんだから話しかけないで!」等と感情をぶつけてしまうことがあるかもしれません。それは、「家族なのだから、わがままも許してくれるべき」という気持ちがあるから。他人に比べて家族には、「してもらうことが大きい」という期待があるので、自分も「こうしてくれてもいいだろう」と求めるし、相手も「こうしてくれてもいいだろう」と求めるので、お互いの「欲求の綱引き」が大きくなるので、それが得られないと、「ない」と思ってイヤな気分になるし、欲しいものを与えてくれない相手を、認められないのです。けれど、他人であったら、そこまで求めないので、不満に思う気持ちが少ないんですね。「こうしてくれるべき」という気持ちが強ければ強いほど、それが満たされないと、求められません。ではどうしたらいいか。それは、「求めるレベルを下げる」のです。「お父さんがイヤ!」というとき。「親だから、面倒をみるべき。それが義務」と思っているから、いろいろしてもらっていても、不満が出るのです。だから、お父さんを、「知らないおじさん」と思ってみるのです(笑)。もし、知らないおじさんが、家に住まわせてくれたり、ご飯を食べさせたりしてくれたら、ものすごく感謝するでしょう(笑)。または、「年上のくせに分かっていない」と思うのなら、「年上だけれど、魂の上では、まだ子供なのかも」と思ってみるのです。すると、頼んだことをきちんとしてくれなかったら、「いい年のくせに!」と不満に思うことも、「…まだ子供なんだから仕方ない」と思って、温かい目で見ることができます。そうすると、自分の当たりも柔らかくなるので、相手もいい気分になるので、関係自体も良くなるんですね。他人よりも、家族のほうが、「こうしてくれるべき」と求めることが大きいから、うまくいかないのです。「こうしてくれるべき」のレベルを変えることによって、自分の感じ方を変え、態度が変われば、相手も変わってきます。試してみてください^^。「やってみようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年06月16日
「色んな本を読んだりした中で、解りにくいと思っていた『ある』と 『ない』の関係が、とてもしっかり理解出来ました」(I.Wさま) 『「喜び」と「怖れ」の法則』50ページ無料公開中!『「喜び」と「怖れ」の法則』の読者さまから、ご質問をいただきました。マンションの隣人がベランダでタバコをすうのですが、タバコが苦手なため、そのにおいと煙を感じるたびに怒りがこみ上げてしまうそうです。相手を認めようとしても、苦手なものは苦手。こんな状況でも『ある』に目を向け続けたら改善されていくんでしょうか…。とのこと。いやぁ、分かります!ウチもマンションなので、階下のタバコのにおいが上がってくるんですよね~f^^;。すっている方は、自分の家族のために、室内でなくベランダまで出ているのですが、そうすると、他の家に被害を及ぼす、ということには気づかれないのです。ウチの場合は、平日は出勤されるのですわれず、土日のみ、ちょうど洗濯物を干しているくらいの時間ににおってきます。それでも、「ウチも、足音を立てることがあるし」ということで、心で折り合いをつけて認めています。心というのは・「ある」「得る」に気づくといい気分になり・「ない」「失う」に気づくとイヤな気分になるという構造があります。なので、「ない」という要素が大きければ、「欲求の綱引き」をするようになりますし、「ある」という要素が大きくなれば、心は満たされ、いい気分に戻れるのです。そのため、「ウチも、足音を立てることがあるし」と思うと、「実害を被っている時間」≦「実害を与えている時間」(損(ない)をしている≦得(ある)をしている)と思うことでも、まぁ、許せるんですね。そして、タバコのにおいをかいで、「イヤだなぁ」と思うたびに、心の中で、瞬間的に「ない」<「ある」を見つけて、相手を認め、許しているのです。けれど、自分は相手にマイナスの要素を与えていない、と思っていたら、自分は奪われるばっかりですから、なかなかそうは思えません。そうなると、もっと壮大な、「ある」を見つける旅をすることになります。例えば、「忍耐という修行をつけてくれている、マイナスの恩人だ」と思うとか。そうするとにおいをかぐたびに「修行の時間を与えてくれてありがとう!」と思うかもしれません。が、ちょっと自虐的な人向けですね(笑)。おすすめとしては、「まぁ、いつもじゃないし」と思うこと。「実害を被っている時間」<「被っていない時間」(平安が「ない」<平安が「ある」)と思うと、「ない」<「ある」となって、許せる気持ちになりやすくなるかもしれません。「自分<相手」と思い続ける限り、不愉快な気持ちは続きます。そして、相手に言うことができないなら、自分ばかりが苦しい気持ちでい続けてしまいます。だから、大切なのは「認めよう」と思うこと。ちょっとしたことでも、ムリヤリでも(笑)、「自分が得たこと」を見つけようとして、「<」を「=」、そして「>」に持っていこうとすること。すると…。相手に直接働きかけなくても、いつの間にか、相手が引っ越したり、というように、状況が変わることも起こります。(本当です!)それと同時に、「ああいうことも許せたのだから」と心の器が広がって、ストレス耐性が強い人に成長したりもします。そうして、後になって、「あぁ、あの経験があったのは、認めることの大切さを実感したり、ストレスに強くなるためだったんだなぁ」と感謝できる日が必ず来ます。だから、「認める訓練」。想像力を駆使して、色々な方法で、ぜひぜひ、やってみてください!「なるほど~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年06月15日
「今まで、沢山の自己啓発の本を読んできましたが 集大成と思える本に出逢えました!(M.Tさま) 『「喜び」と「怖れ」の法則』50ページ無料公開中!昨日は、小原ミチルさん、kokkoさんと、「ハッピー天使のお祭り♪」を開催しました!あいにくの雨にもかかわらず、満員御礼!ピカピカの笑顔の皆さまとすっごく幸せな時間をご一緒できました!^^kokkoさんが、天使との関わりのお話、私が「見えない力(天使)と『「喜び」と「怖れ」の法則』の関係」についてお話しさせていただき、ミチルさんが、天使体験(天使が体に入っていきたお話)、天使リーディングでの「恋愛」のモデルケース、そして、「自分の天使に会う」誘導瞑想をし、最後はプレゼント大会(ハズレなし!(笑))…という盛りだくさんの2時間40分でした!ミチルさんは、私の熱烈アプローチで(笑)、昨年4月、横浜で「天使のお話会」をジョイントさせていただき、今年もkokkoさんのご提案でジョイントイベントができて、嬉しかったですね~^^。「天使」が好きな方はたくさんいらっしゃると思います。「天使」というのは、大きな大きな力でもって、迷える子羊を導いてくれそうなイメージがあります。だから、お守りのように天使グッズを持っておられる方も多いでしょう。でも逆に、「大きな力」を持っている「偉い存在」なので、自分が身を正しくしていないと、怒ったり、諫めたりするのではと畏れていることもあるでしょう。また、「いいことをしている」から、「いいこと」を起こしてくれるのであって、いいことをしていなかったら、いいことを起こしてくれない、と思っているかもしれません。けれど、ミチルさんは、天使が体に入ってくる体験や、それから始めた、天使リーディングを通じて、「そんなことはない」という確信をしました。ミチルさんがその不思議な体験をしたのは、進行性の持病で、体も心も全然動かなかったとき。人に迷惑をかけるばかりで、自分は何もできない、役に立たない人間だと思っていたときに、天使が伝えてくれたメッセージは、それまでミチルさんが「絵空事」と思っていた、「無償の愛」ということだったそうです。それを体内からわき上がるように感じて、「無償の愛」というのが「存在する」ということを実感したこと…。それが始まりでした。チャネリングやリーディングというのは、「観る人」を通して、伝えてもらうものです。ですから、同じメッセージを受け取っていても、「観る人」によって、観る角度も違うし、伝わるメッセージも違っていくものです。けれど、「天使は、たとえ「自分など何の役にも立たない」と思っている人でも、 愛し、そして力になろうとしてくれている」ということを実感したミチルさんを通して伝わるメッセージは、どんなときにも温かいんですね。実は、今回の新刊『「喜び」と「怖れ」の法則』を書いたのは、昨年の4月。ちょうど、ミチルさんとジョイントイベントをやった頃でした。ミチルさんが教えてくれた、「天使は、どんなことがあっても、責めたり否定をしない、 認めてくれる存在」ということは、私に、「「認める」ということが、人に「喜び」を生まれさせるのだ」ということを実感させてくれました。そう考えると、この本ができたのは、ミチルさんのおかげもあるのです!(^人^)ミチルさんの温かな天使リーディングは、6月22日頃から、新たなメニューも加えて再開の予定です。また、お知らせさせていただきますね!(^_-)-☆昨日は、kokkoさんの先生の斎藤さちよさん、ジュエリーアーティストのMikaさん、がプレゼントのご提供を^^。ヒーリングフラワーのやすこさん(プレゼント提供も!)と、メンタルセラピストのMaikoさんがスタッフを^^。素敵な方々がたくさんいらしてくださいました。こうしたイベントをすると「場のエネルギー」というのがすごく高まるようで、瞑想も、一人でやるよりも「入り」やすかったり、体や心が元気になられた方も多かったようです^^。ミチルさん、kokkoさん、ご参加の皆さまのおかげです。ありがとうございます~!^^ プレゼントもありがとうございました!(///∇///)「楽しそうだ!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年06月12日
今回の本、 『「喜び」と「怖れ」の法則』そのテーマの一つが「認める」ということなのですが、私は、認めることができたら、「悩み」や「イライラ」というのはなくなるだろうなと思っています。例えば、愛社精神がある人にとっては、社員が、社長が何代目であるかを知らなかったら、「給料をもらっているのに、何たることか!」とイライラすることでしょう。それは、もの知らずな相手を認められないからです。けれども、そのことについて責められたら、社員は、「なにも怒らなくても」と、相手の反応を認められず、イライラするでしょう。たとえ、「正論」と思われていることであっても、それ以外のことを認められなかったらイライラしてしまうし、認められなかった相手は、自尊心を損なわれるので、不快になってしまいます。「認めない」という行為は、ネガティブな結果を引き起こすのですね。また、「会社に苦手な人がいる」という悩みも、その相手を認められないから起こるものです。「また大地震が来たらどうしよう」という悩みも、平安を奪われるというマイナスの予想を認められないから起こります。そんなときに、「でも、あの人のおかげで成長できたよな」と、得たことを少しでも見つけることができたら、相手にも価値が「ある」と認められます。そうすると、前よりは苦手意識が薄れるでしょう。「大地震が来るならその前に」と、先延ばしにしていたことを思い切ってやって、それですごく素敵な体験ができたのなら、「もう地震が来ても思い残すことはないゾ!」と、地震を認めることができて、地震を以前より怖れなくなるかもしれません。本では、主人公の佐々木チャンが「認めるとしたらどうする?」とさまざまな方法でチャレンジしていきます。悩みやイライラがある方は、本を読んで試していただけたら嬉しいです^^。☆ありがとうございます!☆『「喜び」と「怖れ」の法則』をブログでご紹介ありがとうございます!★心屋仁之助さん…人気心理カウンセラーの仁之助さん。「紹介したくない本!」ということでご紹介くださっています(笑)。なぜ紹介したくないかというと…。ぜひブログを読んでみてくださいませ^^。★佐野美月さん…セミナーをご一緒した、ビューティームーンセラピストの美月さん。美月さんが実践されていて、本にも書いてある「魔法の言葉」、ブログでチェックしてみてください!☆お知らせです!☆6月11日に開催する、小原ミチルさん、kokkoさんとの「ハッピー天使のお祭り♪」ミチルさんや、Mikaさんの作品の展示もあるのですよ。当日は天使ムードいっぱいのキラキラ空間になることでしょう!お二人のファンの方、必見です!(^_-)-☆「認めるって大切かも~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年06月08日
じゃーん!昨日は、新刊『「喜び」と「怖れ」の法則』のトークショー&サイン会でした!今週あたりから店頭に並ぶ予定の新刊。全国で一番初めに手に入れられる!…とのことで、台風の近付く雨の中だというのに、たくさんの方にお越しいただきました。ありがとうございます!m(__)m「心で参加」の方も、ありがとうございます!m(__)mお花もたくさんいただきましたよ~!尊敬する作家の藤沢あゆみさん、キュアマインド・セラピストの野口みずほさん。スピリチュアルセラピストの吉野奏美さんとパーソンドケアの寺田真理子さん、翻訳家の笹根由恵さんらが連名で。ヒーリングフード・コンサルタントの須永晃子さん。寺田さん、須永さんのブログでは、昨日の模様をご紹介してくださっていますので、よろしければご覧ください^^。 お菓子もいろいろいただきました!皆さま、ありがとうございます。この場を借りまして、御礼申し上げます!m(__)m当日のご来場の皆さまへのプレゼントは、私からはミルキー!(笑)ミルキーといえば、「ママの味」。今度の本は、「母親との関係」というのも関係しているので、ちなんでみました。でも、ただのミルキーじゃないのです。通常の1.7倍のサイズの「大玉ミルキー」なのです(笑)。あと、ご参加のEさまが、柳川の毬の模様のおまんじゅうを皆さまにお持ちくださいました!Eさんは、先週、団長さんが北九州で行われた、「食のワールドカップ」にもご参加されたのですよ。そのお土産でもあります。美味しかったです~^^。そして9回目となる、本のソムリエ団長さんとのトークショーも楽しかったです!鋭いツッコミに大汗をかきながらも(笑)、楽しくお話をさせていただきました^^。今回の本のテーマは二つ。・「ある」を見つけると「喜び」、「ない」を見つけると「怖れる」・認めることの大切さこれに気づき、上手に対処する方法を、小説という形で、できるだけ分かりやすくお伝えしたものです。けれど苦手な人は、なかなか認められないもの。例えば、タバコのポイ捨てをしている人を見たら、「イヤ」「何とも思わない」「大歓迎!」の、どの反応をするかというと…。会場の皆さまも「イヤ」が一番多かったです。けれど、その人に何も言うことができないのなら、モヤモヤした気分でい続けると、自分の気分も悪いし、体にもよくありません。そのとき、「認める」ということができると、自分のなかで折り合いをつけられやすくなるのです。本には4つほど認めるのに役立つ方法をご紹介しているのですが、その一つが「相手の事情を思いやる」。ポイ捨てをする人を見て、例えば、「あぁ、あの人は、それがマナー違反だと教えてくれる友達がいなかったんだな」と思ったら。同時に、自分にはそういう人がいた(あった)、と思ったら、「ある」に気づいて、いい気分になれます。さらに、「あの人はちょっと気の毒だな」と思って、責める気持ちが少しでもおさまってきたら…。ポイ捨ての人を認めることができてくるのです。「認める」というのは、マナー違反の振る舞いを「正しいとする」ことではありません。自分の心の平安のために、「それもあり」とすることで、落ち着きを取り戻させることです。「では、マナー違反の人をほうっておいてもいいのか?」と思うかもしれませんが、友人なら注意などをできるかもしれませんが、他人だったら、なかなかできませんし、逆切れされても大変です。ここは、「やったことが還ってくる」という宇宙の法則がありますから、「ポイ捨てする人は…やがて本人も…」と想って、その人でイライラし続けるのはとりあえずやめてみましょう。どんなことにも「ある」を見つけられ、どんなことでも認められたら、悩みというのはなくなると思います。でも、そう分かっていても「うきゃー!」ということも起こります(笑)。(私も昨日、起こりました(笑))けれど、それでいいんですよね。「うきゃー!」ということをどう対処していくか、そのプロセスを楽しむのが、人生の醍醐味なのでしょうから…^^。ただ、それをラクに楽しく乗り越える術を参考にされたい方は…ぜひぜひ、『「喜び」と「怖れ」の法則』を読んでみてくださいませ!(^_-)-☆昨日は、6月11日の「ハッピー天使のお祭り♪」でご一緒する、小原ミチルさんとkokkoさんも来てくださいました^^。こちらでは、スピリチュアルな「見えない力」(天使)と、『「喜び」と「怖れ」の法則』の関係についてお話しさせていただきます。この関係をシッカリと知っておくと、「見えない力」の応援をもらいやすくなります。お店を10年続けたり、本を出したり等々、「やりたいこと」の実現率も高くなりますよ!ぜひぜひ、「ハッピー天使のお祭り♪」にもいらしてくださいませ。お待ちしております~!^^★5月末に新刊『「喜び」と「怖れ」の法則』発売!5月29日、無料トークショー!☆6月11日、小原ミチルさん、kokkoさんと「ハッピー天使のお祭り♪」を開催します!ツイッター始めました!「認めるか~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年05月30日
さぁ、いよいよですよ~^^。『「喜び」と「怖れ」の法則』、おそらくこの週末に全国の書店さんに配送され、週明けくらいから、店頭に並ぶ予定です。うぁ~、嬉し恥ずかし楽しみです!こちらの本は、・「喜び」と「怖れ」ということをテーマにしているのですが、それに関連して、もう一つお伝えしたいテーマがあります。それは、・認めること私は、「「喜び」と「怖れ」の仕組み」と「認めること」の二つのことをマスターしていたら、いつもいい気分でいられ、悩みはなくなるのでは、と思っています。なぜなら、「悩み」というのは、「比べること」からほとんど生まれているからです。人と比べて、自分が足りないとイヤな気分になったり、人を羨んだりしてしまいます。今の状況が前よりも悪かったり、これから先が思わしくないから、後悔したり不安になったりします。他人に不快感を感じるのは、自分が「こうであれ」と思うことと違うからです。「比べること」から「認めること」これができると、すごく気持ちがラクになっていくのを私は実感しています。では、「認める方法は…?」というと、明日、29日のトークショーでもお話しいたしますし(ほぼ満席ですが、もう少し、大丈夫です!^^)、6月11日の「ハッピー天使のお祭り♪」でも触れさせていただきます。どちらもムリ~!(>_
2011年05月28日
先日のお客さまは、ご自身の体について、コンプレックスをお持ちとのことでした。子供のころ太っていたので、親に「醜い」と言われたり、級友にいじめられたり…。そういうこともあったそうです。今は、あるエクササイズのインストラクターをされているのですが、先生たちからは、「生徒の手本となる仕事なのだから、もっと痩せなさい」と言われており、いくら生徒さんから、「先生の体型はセクシーですね!」と褒められても、受け取ることができないのだそうです。私から見ても、「細い」ということはないですが、出るところは出て、魅力的です。けれど、子供のころから言われてきたこと、そして現在も師から言われていること…。それらによって、「自分を認める」ということができないんですね。実は、今度の新刊『「喜び」と「怖れ」の法則』のテーマの一つは「認める」ということです。人を認められないこと。それよりもっと問題なのが、自分を認められないこと。それは、さまざまなネガティブなことを引き寄せるのです。お客さまの場合も、「こんな体じゃダメ」「ここをもっと細くしたいのに、うまくいかない自分はダメ」…自分を認められないだけでなく、自分を責めることまでするので、自分で自分を傷つけ、それで苦しくなってしまわれているのです。このお話をうかがったとき、私の頭に浮かんだメッセージがありました。それで、それをお伝えすることにしました。「体に、「ありがとう」と言ってみるといいですよ」と。「手さん、いつも欲しいものをとってくれてありがとう」「足さん、行きたいところに連れていってくれてありがとう」「腸さん、いつも食べ物を消化してくれてありがとう」…もっと、太ももが細かったらいいのに。お通じがスムーズならいいのに。それが悩みであったら、体を責めたくなります。でも、しっかり歩くための筋肉、そしていざというときのための脂肪を蓄えているからこそ、太ももにはある程度の太さがあるわけです。お通じがもっとスッキリすればなによりですが、それでも腸は、24時間、文句も言わず、ただ黙々と、自分の命を生かすために、働き続けてくれているのです。自分がどこかの会社で働いていて、一生懸命やっているのに、「それじゃダメだ」と言われたら、傷つくでしょう。私たちは、自分の体に対しても、無意識のうちに、同じことをしているんですね。しかも、なぜ「ダメだ」と言うかというと、他人の価値観に引きずられているからです。私は、「自分に起こることは自分で引き寄せている」と思っています。意識していないとしたら、無意識や魂レベルで、それを選んでいる、と。だから、自分の太ももが太いとしたら、自分が心の奥底で「それでいい」と選んでいるから。本当にイヤだったら、細くするための方法を何としてでも探して、実践するはずです。でも、そこまでやる意欲がなければ、「それでいい」と認めているのです。だから、太ももはその状態でいるのに、「ダメだ」と言われたら、太ももが可哀想ですよね(想像したら、なんだかホント可哀想でしたf^^;)。自分でアクセルを踏んでいるのに、同時にブレーキも踏むから、苦しいのです。だから、まずは「ありがとう」。「丈夫な足で、ありがとう」体のいろいろな部分に「ありがとう」と言い続けると、体は、一番大切な人…そのために働いている宿主に感謝されるのですから、ものすごく嬉しいでしょう。そして、そのためにもっと元気に働いてくれるでしょう。さらに、「もっとこうなれば」ということも叶えようとしてくれることでしょう。…こんなお話をお客さまにさせていただいたら、大きくうなずかれました。「生徒さんは、太った方も多いのです。 だから自分はその気持ちも分かるし、 痩せにくい体の大変さも分かります。 私は同じ気持ちを感じるために、今の体型なのかもしれません」自分の今までの体型は、よく「ない」と思っていたのが、それでためになっていることが「ある」。「ない」という「怖れ」でなく、「ある」という「喜び」にシフトしたとき、お客さまは笑顔になられました。「喜び」と「怖れ」、そして「認めること」。本で書いていることをそのまま目の当たりにできて、とても感激しました。自分の体にコンプレックスがある方、ぜひぜひ、「体に、ありがとう」をやってみてくださいませ!^^★ビックリ!AKBの指原莉乃さんのお母様が、拙著『お金と人に愛される101の習慣』を読んでおられると、指原さんのブログで紹介されていました。ビックリ、嬉しいです!ツイッターでは、「ロイヤルウェディング」ネタで、ちょっぴりつぶやいております~(笑)。☆5月15日、佐野美月さんの「自分癒しの達人になろうセミナー」でお話します!☆6月11日、小原ミチルさん、kokkoさんと「ハッピー天使のお祭り♪」を開催します!「言ってみよう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年04月30日
4月になりましたね!本日から職場に新入職員が入ってくる、という方もいらっしゃることでしょう。私もウン年前に新OLになったとき、会社のホールで社長の訓示を聞き、その後、迎えに来てくれた部長とともに、社会人としてこれから過ごす職場に向かったときのときめき感。昨日のことのように…あんまり覚えていませんね(昔なので(笑))。そのときの私は、その後数年経って、よもや自分が「マッサージ屋さん」になるとは、まさに、夢にも思っていませんでした。人生、一寸先は闇…もとい。先はどうなるか分かりませんね。久々に会った同級生が、「もう、自分の先は見えた気がする。 旦那がどこまで出世するか、 そうすると収入がどれくらいか分かるし、 子供もだいたいどんな大人になるか分かるし」とため息交じりに言っていましたが、突発的な何かが起こらないとも限らないし、家族や自分が変わるかもしれません。未来は未知数だと私は思っています。昨日のお客さまから、「よく、前にあったことをぐずぐず後悔してしまうんですが、 そういうとき、どうしますか?」と訊かれました。人の脳みそは優秀ですので、何かをしながらも、いろいろ思考を巡らせることができます。その思考を「後悔」に使っていたら…。くたびれてしまいますよね。そう言われて考えてみると、私は「あのときああしていたら」ということをあまり考えません。「後悔する」というのは、イヤな気分ということです。イヤな気分ということは、それによって、「失った」「不足した」と考えているということです。だから、それを「取り戻せたら」と思い続ける限り、モヤモヤしてしまうわけです。けれどそこで、「ある」を見つけられると。「苦い体験だったけど、これが得たことが「ある」」と思うことを見つけることで、イヤな気分を、いい気分に転換することができます。あともう一つ。私は、「自分に起こることは、自分が魂レベルでOKを出したことだ」と思っています。だから、もしそれが必要なことでなかったら、その前に、直感なりなんなりで、「止められていた」と思うのです。であるからして、止められなかったのであれば、それがどんなに苦しい体験であっても「自分が引き受ける必要があったことなんだ」、とハラをくくることにしています。・出来事の中の「ためになった」面を見つける・自分に必要なことだったと引き受けるこうすることによって、私はあまり後悔をしなくなったように思います。苦しいときの逃げ道として、「誰かのせい」にすることもできますが、それで気分がラクになることもある半面、失われたものを取り戻せないと、いつまでたってもモヤモヤが解消できないこともあります。サッカーのカズこと、三浦知良さんは「学ばない者は人のせいにする。 学びつつある者は自分のせいにする。 学ぶということを知っている者は誰のせいにもしない」と言ったそうです。自分に起こる困難は、人のせいでも自分のせいでもなく、「自分のために起こっているのだから、 責める相手はいない」と考えるのも清々しいですね。過去に思いをとらわれず、未来を楽しみにして、現在を納得して生きていきたいなと思います。☆今日のよかったこと桜がプチプチッとほころんできましたよ~^^。枝の先がポップコーンのようにはぜているのがカワイイです。実は朝ジョグは5日目になりまして走りながら、いろいろなところの桜の開花具合をチェックしています。1日ジョグしたら100円寄付しようとモチベーションを上げているのですが、これからしばらく、桜目当てでもジョグを続けられそうで、よかったです!「ジョグは三日坊主だろうと思っていた」という方は、押してみてくださ~い!↓
2011年04月01日
昨日からご紹介している、心屋仁之助さんの新刊、『「めんどくさい女」から卒業する方法』。ここにとてもステキなことが書いてありました。それは、「自分に自信をつける方法」。あなたは、自分に自信をつけるためには、どんなことをすればいいと思いますか?普通だったら、何かにチャレンジしてやり遂げたとき、自信がつく、と思いますよね。けれど、仁之助さんはこんな方法を提案しています。それは、・自分に期待しない・自分をあきらめる・自分の弱さを認めるええ~?と思うかもしれません。けれど実は、こうして自分のありのままの小ささ、弱さを「認める」と、逆に自分をあきらめず、可能性を信じられるようになるのです。なぜかというと、自信をつけようとしてチャレンジしても、失敗するとそれ以上に落ち込みます。「よく見せよう」「よく見られたい」、その気持ちは「張りぼて」なのです。けれど「自分はダメなんだ」と認めて、、「ダメでもできることをやればいい」「今の自分にできることを精一杯やろう」そう思えるようになると…。「自分はもう、なにも足さなくていいんだ」と気づきます。すると逆に、今の自分を大切にしようとし、今の自分にできることを頑張ろうとし、そして何よりも「楽しむ」ことができるようになります。それが自分の輝きとなって、自信になるんですよ…と、仁之助さんはいいます。私も『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』で書いたのですが、人前で話すのがすごく苦手だった私は「失敗しても、それで笑ってもらえたらいいじゃん」と、「ダメなところを認め」たら、逆に力が抜けて、話すがうまくなってきた、ということがありました。「ダメでいいじゃん」、「それでも得るものが『ある』」!それに気づくと、いい気分になれるので、逆に自分のいいところが出やすくなって、成功率も高くなって、結局、自信がつく結果を得られる、ということもあるのでしょう。「人は、自分の能力を90%以上使っていない」という学者もいます。「何かを足さないとダメ」と思いがちですが、「自分の中」には、もともとシードバンク…「眠っている種の銀行」があり、光や水を少し与えれば、芽吹くことを待っている種がたくさんあるのです。それを芽吹かせるには、自分のいいところも、悪いところも「認めて」みること!ぜひぜひ、やってみてくださいませ~!^^「ダメな自分もいいかも!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年02月27日
昨日のお客さまは…人気ブログ「天使が我が家にいるらしい」のkokkoさんでした~!^^スペシャルコースをオーダーされて、本日にそなえてくださいましたよ。本日、2月22日は…kokkoさんのブログでは、「ぞろ目祭り」なのです!ぞろ目…222ですとか、333などのぞろ目は、「エンジェルナンバー」とも言われています。「これを見たとき、こんなときが起こった!」というエピソードをコメントすると、素敵なプレゼントが当たりますよ~(私の本や姉のカードなどもアリ!)!ぜひぜひ、kokkoさんのブログを訪問されてくださいね!(^_-)-☆私はここ数年、「ある」と「ない」というのことをよく考えているのですが、なんで人は「ある」と安心するのかというと、それは「存在」を確かめることができるから、だと思うのです。その最たるものが、「自分の存在」です。「人に認められたい」「自分を認めたい」そう思うのは、それによって、自分の存在を実感したいから。けなされるとイヤな気分がするのは、自分を否定されるからです。逆にほめられるといい気分になるのは、自分を肯定され、認められることで、自分の価値や存在を実感できるからです。私は、「認める」の反対は「比べる」だと思っているのですが、なぜ比べたくなってしまうかというと、比較することが、手っ取り早く自分の位置を確かめることができる方法だからです。そして自分が上なら、すぐにいい気分になれます。けれど、自分が下だと、落ち込んだりイヤな気分になってしまうんですね。人が「幸せ」を感じるときというのも、「自分の存在を実感しているとき」だと思います。今、テレビよりも携帯電話やメールに時間をかける人が多くなったのは、「観るだけ」ではなく、双方向のコミュニケーションのほうが、「自分ありき」を感じられるから。また、本や漫画や映画などは受け身ですが、それを見て、ワクワクしたり涙を流すと、「自分の感性」というのを感じられるので、これも一種の「自分の存在を実感すること」だと思うのです。自分の気持ちが下向きになっているときというのは、ついつい人と比較して、自分のほうがダメだと思って、落ち込んだり人や自分を責めたりしてしまいがちです。けれどそれも、「自分は価値があるんだ!」ということを自分でも実感したいし、自分で自分を認めたい表れゆえ。そんなときは、「自分の感性」をふるわせることで、自分を実感するといいのかもしれません。石川啄木に「人がみな我より偉く見ゆるとき、花を買い来て妻と親しむ」という句がありますが、何も「ない」と思っていても、こうしてこの世にいるだけでも素晴らしいこと。花をめでる心もあれば、一緒に楽しんでくれる人もいる…。そんな「ある」を見つけられたらいいですね!^^「漫画で燃える!」という方は、押してみてくださ~い!↓
2011年02月22日
数日前からこのブログで、私が思う「悟り」について書いているのですが、お友達のtaasieさんが、「私は、魂を高めて、楽に幸せを感じるのが悟りで、 執着しちゃだめというより、 幸せだから執着する必要がないのかなーと思っています」とコメントしてくださいました。素晴らしい~!確かに、幸せだったら執着する必要はないですよね。私は、幸せな人が執着をしなくなる理由として、考えていることがあります。またまた、「ある」「ない」の話になってしまうのですが(笑)、人というのは、・「ある」に気づくといい気分になり・「ない」に気づくとイヤな気分になります。私はそれが、「つながり」を感じているからではないかと思うのです。お財布にお金が「ある」と、自分は豊かさにつながっている気がして、いい気分がします。けれど、お金が「ない」と、豊かさから切り離された気がして、喪失感と怖れを感じるのです。友達が「いる」と思うと、つながりを感じて安心します。けれど、友達とケンカをして離れそうになると、つながりが切れる気がして、寂しさを感じます。執着をする人は、「ない」のほうに強くフォーカスしている傾向があります。だから、すでに持っているものを失うことを怖れます。さらに、持っていないものを得るために固執します。それは、自分は「つながっていない」ということを心の底で思い、怖れているからではないかと思うのです。私は、『お金と人に愛される101の習慣』という本で、ハッピー・リッチな人の習慣についてもご紹介させていただいています。ハッピー・リッチな人は、豊かだし、幸せです。それはきっと、「自分は、豊かさの源泉とつながっている」と信じているか、実感しているからなんですね。お金を出すことは失うことではない、と思っているから、誰かを応援するために、喜んで出資や投資ができます。そしてそれがやがて還ってきます。そのとき還ってくるのは、お金だけでなく、感謝や信頼がプラスされることもあり、ますます豊かになれるのです。「出したらなくなる」と考えていると、なくなることを怖れるので、執着をします。けれど、「出しても得るものがある」と、循環やつながりを信じていたら、「ない」を怖れることがありません。だから、執着をすることもありません。さらに、「出せば出すほど、それ以上還ってくる」と心から思って(←ここ、ポイントです(笑))実践していれば、ハッピー・リッチになれるでしょう。悟ることは、すべてのことを「それでいい(いいことがある)」と認めること。それにプラスして、「つながり」を実感しているから、怖れがないこと。そんな感覚でもあるのかなと思います^^。taasieさん、素敵なヒントをありがとうございました~!^^「ふーむ」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年02月01日
昨日のブログで、私が思う「悟り」について書きました。「悟り」とは、「認めること」。いいことはいいと認め、悪いことも、「それも意味があった」と認めるのです。そうすると、「ない」「少ない」「負けている」という、比較して、「ない」に気づいて不愉快になることがなくなるので、ストレスもなくなるし、執着もなくなるのです。なので、とりあえずは「ない」に気づいて「ある」を見つけ、「『ない』でも意味が『ある』」というさまざまないろいろなケースをご紹介したのが…。昨年出した、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』です。こちらの本を読んでくださった佐野美月さんが、この考え方を活用したという、素敵なエピソードを教えてくださいました。許可をいただいたので、ご紹介をさせていただきますね。・・・「ない」を「ある」に転換するワザはこんな風にも使えました。ハンバーグを作ろうとしたら、家にあると思い込んで、玉ねぎを買わなかったことに気が付きました。玉ねぎが「ない!!!」肉の賞味期限は今日なのに。今から買い物に行く時間は「ない!!!」気分は「ない」で一杯になりました。そこにまたまたAYA天使の「あるとしたら~?」はい☆ニンジンなら「ある」長ネギなら「ある」白菜なら「ある」ちょっと変わった和風ハンバーグが出来上がりました♪これが家族に大評判だったのです。ありがとうございました!・・・おお~!ニンジン、長ネギ、白菜のハンバーグ!甘辛い煮ハンバーグにしたら美味しそうです~~~^^。(あ…「AYA天使」って…(照))「玉ねぎが『ない』!」という「マイナス」が、「ある」に気づいたことによって、「玉ねぎがなくて、ヨカッタ!」という「プラスα」にまでなって、「かえって、いい気分になれた」という好例ですね!また私は、本を読んで、ご感想をフォームからくださった方にはすべての本で全員プレゼントを差し上げています。そこで先日も、「ものの捉え方一つでこんなに気持ちが軽くなるとは 目から鱗でした!」という、嬉しいご感想をいただきました^^。「ない」を数えると不幸せになりますが、「ある」を数えると幸せになれます。こちらの本でサインを求めていただくと、「『ない』から『ある』でいい気分!」と書くことが多いのですが、ぜひぜひ、「ない」から「ある」を試してみてくださいませ~!^^「やってみようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年01月30日
まだ明日もありますが…。ブログをご覧の皆さま、こちらに来てくださって、心から感謝いたします~~~~!m(__)m毎日更新のこのブログ、毎日お越しくださる方もいらっしゃることと思います。私は本・メルマガ・ブログで、自分が思っていることをお伝えしていますが、本はテーマに沿ったことのみ、メルマガは週に1回ですので、間違いなく、ブログが一番、ボリューム的にも内容も、お役立ち情報(笑)が充実しています^^。コメントを書いてくださった方も、ありがとうございます。いつも嬉しく拝見しております。コメントの代わりに、ブログランキングに「ポチッ」をしてくださる方も、ありがとうございます!m(__)m何度も書いているように、私にとって今年は、「認める」ということの大切さを深く考える年でもありました。「本、よかったです」「書いてあることが役に立ちました」…。そうコメントしていただけると、すごく嬉しいのは、自分が伝えたことが認められたからです。伝えたことが共感されたりお役に立ったりして「ある」と認められたということは、「私自身も認めていただいた」ということにもなるので、喜びにつながります。もちろん、人の価値観はそれぞれ違いますから、「自分はそうは思わない」「これは間違っている」…。と思われることがあるのも当然です。私もそれは重々承知しているものの、もし、面と向かって私が思っていることを「ぜんっぜんダメ!」と全否定されたら、間違いなくヘコみます(笑)。それは、自分が「ない」と思われ、認められなかった、という喪失感から、反射的に感じる思いでもあります。今、水嶋ヒロさんの小説『KAGEROU』がベストセラーになっていて、レビューでもいろいろ書かれていますが、・お金を出して買ったからには感想を言う権利がある・言論の自由がある・自分が正しいと思う情報を伝えたい・これをバネにさらにいいものを書いてほしい…いろいろな思いもあるでしょうが、頭から尻尾まで作品を否定されたら、「認められなかった」という喪失感で、「人それぞれと分かっちゃいるけど」、傷つくだろうなぁと思います。自分のことで考えてみても、「認められると嬉しい」「認められないと悲しい」ものです。悲しいのはイヤなので、「ない」でなく「ある」を見つけることを始めた、ということもあります。すると、そうしてみると、ちゃんと「ある」を見つけることができるんですね。「怒られちゃった」「でも、それは私のことを本気で考えてくれているからだ」そう思うと、心が軽くなります。お客さまとお話ししていても、「姑が細かくて」「でも、そのおかげで、家事が上手になりませんでしたか?」「…そういえば…!」「ない」でなく「ある」を見つけ、認められると、元気が出ます。俗にいう、「波動が上がる」状態になるんですね。というわけで。人と接するときも「ある」を見つけ、認めようとしてみること。さらに見つけたことをほめてみること。そうすると、相手だけでなく、いいところ見つけ、認められた自分も、「いいじゃん!」と認めることができて、お互いが幸せな気分になれます。お正月。帰省して、たくさん人に会う方もいらっしゃるでしょう。ぜひ、「認め上手」になって、波動を上げまくってください!^^☆このブログを読んでくださっている皆様、重ねがさね、ありがとうございます!m(__)m「よーし、今日はクリックしてみるか!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年12月30日
今年の私は、「認める」ということについて、本当にいろいろなところから考えさせてもらえました。その一つが、ゴル2001さんのブログ、超スピリチュアル体験記です。亡くなられて霊界にいる奥さまとコンタクトを取りながらこの世とあの世、人間界と霊界、三次元と四次元のことをいろいろなテーマで説明してくださるこちらのブログや、実際にゴルさんとお話しして教えていただいたことは、とても大きな気づきになりました。ゴルさんは「人間界はプラスとマイナスがあるけれど、 霊界にはプラスしかない」と言います。これはどういうことかというと、私なりに解釈すると、「人間的な見方をすると、良い悪い・上下を考えるけれど、 神様的な見方をすると、「すべてがよい」と認める」ということです。例えば志望校の試験に落ちてしまったとします。そうすると「ガッカリ」と思いますよね。それは、受かるのが「良い」、落ちるのが「悪い」と人間的に考えているからです。そしてマイナスという「ない」に目を向けているので、モヤモヤするわけです。そして、マイナスのままだったら、ずっとモヤモヤして、「どうせ自分は…」なんて、ますますマイナスになってしまうんですよね。ゴルさんは浄化もされているのですが、それを「マイナスにプラスのイメージを当てる」というような表現をされています。そのことを私なりに解釈すると「『ある』(プラス)を見つける」ということではないかと思うのです。どういうことかというと、「試験に落ちた」、「自分はできない」という、「ない」に向いている視点を、「ある」に向けるのです。つまり、試験に落ちたおかげで「得たこと」「役立ったこと」「ためになったこと」を見つけてみる。それで、「別の学校に行ったおかげで○○さんに出会えた」「別の学校にったおかげで通学時間が少なくて済んだ」等々の「ある」というプラスの面を見つけられたら…。マイナスがプラスで相殺されるんですね。そしてさらに、「試験に落ちたおかげで、よかった」とまで思えたら…。試験に落ちたというマイナスが、プラマイゼロから、プラスになります。このように、「落ちた」というマイナスも認められたら、「すべてがよい」と認める世界…神様の見方の世界、とも言えるのではないかと思うのです。「よいことも悪いことも認める」というのは、プラスの中にもマイナスの中にも、「それがあってよかった」いう、さらなるプラス(感謝)を見つけられることでもあります。人は「ない」と思うとシュンとしますが、「ある」に気づくと元気が出ます。元気が出るということは、波動が上がる、ということにもつながります。よく「波動を高める」とか「波動が高い」ということが言われますよね。「高い、低い」という時点で、すでに人間的な見方なのですが(笑)、元気がある、活力がある人、というのを「波動が高い人」と言うならば、「波動が高い人」というのは、ものごとの「ある」を見つけるのが上手なのだと思います。だから、困ったことの中にも「得たこと」を見つけ、それを認め、前向きに取り組むエネルギーに変えることができるのです。逆に「波動が低い人」というのは、「ない」ばかりに目が向いてしまうので、「どうして」「どうせ」「だって」「でも」…と、もんもんとしてしまいがちなのでしょう。でも、人間界はプラスとマイナスの世界です。あの世に行ったら、プラスしかありませんから、マイナスを味わうのが「人間界の醍醐味」でもあるんですよね。お金が「ない」!と思うからこそ、プラマイゼロ、さらにプラスを目指して、・やりくりしよう!・お金を稼ごう!という、「得る」ための原動力になるわけです。「すべてがプラス」という見方になったら、もう人間界にいる必要がなくなりますから、すぐにお迎えが来てしまいます(笑)。だから人間界にいるからには「チェッ」と、比較して不満を感じたり、「ムッ」と、自分のほうが正しいのにと怒ったり、「クスン」と、自分が失ったものを嘆いたり、比較の世界で、さまざまな感情を味わうのが当然なのでしょう。でも、イヤな気分になったとき、「ダメダメ、こんな感情もっちゃ」と自分の感情にフタをしたり、「ありがとうって感謝したほうがいいっていうから」とムリヤリ違う意味づけをしようとしても、結局、歪みが出てしまいます。だから、まずは、おおいに「チェッ」とか「ムッ」とかするのがいいのです。そしてそれから、マイナスで終わらず、「でも、これのおかげで得たことはないかな?」とプラスを見つけてみる。それで、「そういえば!」と得たことを見つけられて、心が軽くなれば…。マイナスがプラマイゼロになった、ということです。これが、ゴルさんの「浄化」でもあるようです。「浄化したい」と思うのは、自分にイヤなものがついていたり、困ったことが起こっていると思うからです。でも、その「おかげさま」を見つけることができれば、マイナスがプラマイゼロ、さらにプラスになります。そうすると、それはもうマイナスではないので、浄化された、というにもつながります。私は、昨日も、リフレクソロジー(足裏マッサージ)をさせていただいたお客さまから、「足裏からは、悪いものが出てくるといいますが、 それを受けたりしないんですか?浄化とかしていますか?」と心配していただきました。敏感なセラピストは、お客さまの痛みや、悪い波動を受けやすい、というのがこの業界ではよく言われています。でも私は、お客さまが「悪いもの」を出しているとは思っていないのです。お客さまの肩や腰が痛いのは、それが「悪い」からではなく、「生活習慣が間違っていますよ」という、体からの「良くなってほしい」というサイン、つまり「いいもの」だと、私は思っています。だから、「悪いもの」がないのですから、「悪いものを受け取る」ということもないのです。実際、どんなお客さまでも、その後、具合が悪くなったことはありません。だから、自分の「思い」だけで浄化できているのかもしれません。もちろん、もって生まれたものなどもあるでしょうから、一概には言えませんが、「悪いものを受けてしまう」と思い込みが暗示となって不調につながっているケースもあるようです。ゴルさんは、霊的な修行をしていたときに、狐に憑かれたことがあるのですが、そのときに痛感したのが、「すべてのことは、自分の思いから出ている」ということであったようです。人生はプラスとマイナスを味わう場。だから、さまざまなことが起こるのはしょうがありません。自分が引き寄せていることだって・顕在意識・潜在意識・魂の約束…自覚、無自覚のいろいろな要素が絡み合っています。でも、顕在意識がほんの氷山の一角であったとしても、自分で動かせる意識で「かじ取り」ができます。「『ない』の中から『ある』を見つける!」そう意識するだけで、マイナスが浄化され、毎日がプラス寄りになって、「すべてがよい」「大丈夫」…人間界にいながら、天国気分を味わいやすくなるのでしょう。そう考えると、今年出した、「ない」の中の「ある」を見つける、さまざまな方法をご紹介した、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』は、「天国に近づく」「究極の浄化?^^」の本。人の中、自分の中の美徳を「ある」と見つけてほめる方法を書いた『誰からも好かれる人になる魔法の「ほめ力」』は、「自分が天使になる」本。今年は、「認める」ということの考えを深めながら、形にも残すことができて、本当に嬉しかったです。自分の意識で自己浄化!やってみてくださいませ~^^。☆今日も長くてスミマセンf^^;「なるほど~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年12月28日
昨日からご紹介している、はづき虹映さんの『「いま・ここ」にある幸せに気づくセンタリング』。名古屋のお友達のSODfactory美術館さんが、「初めて聞きました。 サッカーではお馴染みの言葉ですが(笑)」と書いてくださって、「そういえば~!」と思いました(笑)。こちらで言う「センタリング」とは、ポジティブでも、ネガティブでもない、「真ん中、中庸、ニュートラル」ということ。人は、ついつい「比較」してしまいます。そうすると、「あの人より上!」とか「下…(>__
2010年12月11日
お知り合いのピース小堀さんが、『比較五原則』というのを紹介されていました。1、比較そのものが、論理的におかしいと知る2、比較をするなら人ではなく、昨日の自分と比較しよう3、比較をして人の良い所を見て凹むのではなく、 人の良い所を発見できるのは 自分の中に素晴らしくなる可能性の種があることを知る4、比較からは、勝ったら傲慢。負けたら卑屈しか生まれないことを知る5、みんな違うから初めてワンピースの世界が成り立つことを知るなるほど~!分かりやすいですね!私の今年のテーマは、「認める」でした。私は、「認める」の反対は「比べる」だと思っています。認めるというのは、「ありのまま」の個性を認識すること。比べるというのは、「比較すること」で個性を認識すること。例えば、自分がお酒だとしたら、「ワイン」「日本酒」「ウイスキー」というのは、ありのままをタイプ別にしたものです。「これは、甘い」「辛い」「酸っぱい」…というのは、他と比較することによって、個性を判断しています。タイプ別も、比較も、認識するには両方必要なことです。比較することで切磋琢磨して、よりステキになることも多いものです。けれど、比較しすぎる弊害というのも多いんですよね。がんばりすぎて燃え尽きたり。「自分はダメ」と萎縮したり。「あの人はなっていない」とイライラしたり…。そんなときに、「今の自分だっていいところがある!」と「ある」を認めること。「あの人は、ああいう人だから、しょうがない」と、個性を認めて、許すこと。これらのことをしようとしてみるだけでも、なんだか心が軽くなるんです。認める、比べる。両方、いいあんばいで使っていきたいですね!^^★この前の、小原ミチルさんのお茶会のレポート、yukoさんのブログでもご紹介されています~!「なるほど~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年12月01日
昨日の続きにもなるのですが、私が、「認める」ということをできそうだ、と思うようになったのは、「『相手を正しいとすること』が、『認める』ということではない」ということに気づいたことでした。「相手をありのまま認めなさい」ということも言われていますが、自分だったら許せないような行為をしている人を認めるのは難しいです。「認めるのがいいことだ、と言われているから、やらなくちゃ」と思おうとしても、それは自分に我慢をさせることになりますから、結局は不満になります。たとえば、自分の自転車のカゴに、飲みかけのコーヒー缶が置いてあったら、ムカッとしますし、失礼な行為をした相手には好意を持てません。そんな行為を認めるかというと、認めたくありません。けれど、その人が、「ゴミ箱に捨てる手間を惜しんで、他人の自転車に捨てた」という行為は、事実ですから認められます。その人が、マナーがイマイチな人なんだ、ということは認められるんですね。私が、自分のことだけを考えていたら、「自転車に手間のかかるゴミを置かれた」ということで、・労力を奪われる・心の平安を奪われるという、失うことだけを考えるので、イヤな気分になります。けれど、顔も知らない相手ですから、文句を言って謝罪を奪い返すこともできません。すると、イヤな気分になっているだけ、自分が損なんですよね(笑)。だから、自分が何とか「いい気分」になる考え方をしてみるのです。そのときに、「その人はマナーがイマイチな人」と認めてしまえば、・マナーを教えてくれる人が周りにいなかったのか~と相手を思いやることもできます。また、・くそう!私は仕返しできないけれど、因果応報。 こんなことをする人は、きっと同じような目に遭うのだ!と思って、溜飲を下げることもできます(笑)。「カワイソウな人」と思って、ちょっぴり上から目線になったり、溜飲を下げて、「ヘヘン!」と思うことで、自分が「得た」「上だ」と思うと、心が満たされて、いい気分になれます。こんな感じで、「認める」ということでストレスを軽減させることができるんですね。たいていのストレスは、「相手を自分の思い通りにしよう」「相手の価値観を自分と同じにしよう」と思うことが、うまくいかないことで起こります。けれど、相手を「あーゆー人なんだから」と認めてしまうと、「欲求の綱引き」をしなくなるので、ストレスが減るのです。自分にはちょっとできないようなことをする人も、「あの人にはあの人なりの理由があるのだから」と認めて、思いやってみることは、自分の幅を広げることになり、余裕となります。そうすると、相手を変えようとせず、ありのままであっても、許容範囲が広がるので、ストレスを感じにくくなるんですね。詳しくは、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』でご紹介しています。よろしければ、読んでみてくださいませ~^^。「それなら認められそう」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年11月24日
お友達の寺田真理子さんが、新刊の『パーソンセンタードケア講座』という本を出版されました!「パーソンセンタードケア」とはなじみがない言葉だと思いますが、「パーソン=人」「センタード=~を中心とする」ということから、「その人を中心としたケア」ということになります。「パーソンセンタードケア」というのは、主に認知症の方を介護している方が、「自分の都合で」ではなく、「相手を中心として」ケアすることにより、相手も気持ち良くケアされ、自分もゆとりを持つことができるケアの仕方なのです。真理子さんは、ご自身がうつ病になり、「やりたいことができない状態」というのが認知症に通じるものがあると気づかれ、今はパーソンセンタードケアの講師もされていて、この本は、その講座の内容を紹介しているのです。人というのは、「自分の思い通りにならないこと」が起こると、イラッとするようになっています。なぜなら、「思ったことが得られない」という、「ない」にフォーカスするからです。ですから、例えばホームで認知症の方を介護していて、お風呂に入れようとしたら、嫌がられて抵抗されたら…。イラッとしてしまうんですよね^^;。そして、「今日が入浴日なのに」と、「自分の都合」を進めようとすればするほど…。抵抗が強くなって、お互いが不愉快になってしまう、ということが起こるのです。けれど、そこに「お相手中心」の視点を取り入れると…。まずは相手を知ろうと、ご家族に話を聞いたら、「日曜日しかお風呂に入らない」ということを教えられたりします。そこで、お風呂のときに「今日は日曜日だから、お風呂に入りましょうね」と言ったら、「じゃ、入ろうか」と快く入ってもらえて、お互いがニコニコ、ということにもなるんですね。認知症の方と接するときに限らず、すべてのコミュニケーションの場面で、「自分中心」にしたいところを、「お相手中心」の視点を取り入れることでうまくいくことはたくさんあります。私の今年のテーマの一つは「認める」ということでした。「認める」というのは、相手がしたことを、すべて「正しい」とすることではありません。そう思ってしまうと、自分の倫理観とのギャップで、苦しくなってしまいます。そうではなくて、自分には到底受け入れられないことでも、「あの人はそうやりたかったんだな」ということなら、事実ですから認めることができると思うのです。さらに、「自分はそう思わないけれど、相手がそう思うのはなぜか」ということを思いやることで、「お相手中心」の視点も備わってきて、それがやがて、お互いのコミュニケーションの円滑化にもつながっていくのです。真理子さんは、「人をモノ扱いしないでくださいね」と言っておられますが、相手を認め、尊重することの大切さを、しみじみと感じます!「お相手中心、難しそう」と思われた方は(笑)、押してみてくださ~い!↓
2010年11月23日
先月から対面セッション<ハッピーライフ・カウンセリング>を始めました。皆さま、さまざまなお悩みや考え事がおありで、私も気づかせていただけることがたくさんあります。誰でも、ぐるぐると考えてしまうとき、「こういうときは、こうすればいい」というズバリの解決策を知りたいものです。けれど、やはり「考え方の方向性」というのはいくつかパターンがありますので、それによっては、解決する方法も変わってきます。なので、「こうしたのに、ダメだった」ということもよく起こります。対面セッションですと、その方の思考パターンに応じて、「こうしてみたらいかがですか?」とお伝えすることができるのが嬉しいですね。でも、どんなパターンであっても、・認める・「ない」でなく「ある」を見つけるということは有効です。先日、とある職業の方がいらしたのですが、いろいろお話しするうちに、その職業に対する根深いコンプレックスがおありなのが分かりました。その職のイヤな面を嫌って、数年で辞めた。そして、専業主婦を経て、またその職に戻ったけれど、イヤな面を避けた、ちょっと違う分野の仕事をしている。その職業のお陰で生活の糧を得ていることは、ありがたいとは思いつつも、その職に誇りを持てない。けれど、そう思うことは、同じ職の人を否定することにもなるから、そう思ってしまう自分を責めてしまう…。そうおっしゃるのです。そんなときも、まずは認めてみるのです。「イヤな面があると思っても、いいじゃないですか」と。イヤな面も好きになろう、イヤだけれど、無理やり感謝しよう。そう思っても、「臭いものにフタ」をするようなもので、フタの下ではそれがもっと腐るだけです。だから、フタをしないでそれを見て、「あってもいいじゃないか」と思うのです。そして、「ある」こと、「得た」ことを見つけてみるのです。「イヤな面を嫌っていたおかげで、すぐに辞めた。 そのおかげで、イヤイヤ働いて、クライアントさんを 不愉快にせずに済んだじゃないですか」「イヤな面を嫌っていたおかげで、 今、それとは別の面を伸ばして、お役に立てているじゃないですか」このように、「臭いものがあったからこそ」という「お陰さま」に気づくことができて、「なんだ、イヤでよかったんじゃない!」と、イヤなことを認めることができ、嬉しくなると…。臭いものは、「カビの生えた要らないチーズ」でなく、「かぐわしくて美味な、高級ブルーチーズ」に変化するのです!多くの人は、「こんなことを考えちゃダメだ」と、自分を戒めていて、それが自分を呪縛していることがあります。私も、「うまくやれなきゃダメだ」と思って、かえってうまくできないことがいろいろありました。でも、「うまくできないおかげで、気づくことがある」と「うまくいかなくてもいいじゃないか」と開き直ることで、目が覚めたことがたくさんあったのです。ダメだ、と思っていたことも、「ダメと思っていたからこそ、得たこと」に気づくと、「フタをして、存在をないものにしたかったこと」が、「自分に必要であったこと」と認めることができます。そうすると、フタをすることも、もっと腐らせることもことなく、パクっと食べて、自分の中に取り入れてしまって、もう気にならなくなるようにもできるんですね。対面セッションを通じても、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』に書いた、・認めること・「ない」でなく「ある」を見つけることこのことは、私の今年のテーマであって、そしてとても大切なテーマだと、しみじみ実感しています^^。「パクっと食べるのか!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年11月09日
皆さまの周りでも、だいぶ紅葉は進んできたでしょうか?^^私は今まで、「紅葉」というのをあまり意識していませんでした。毎日、自宅の窓から、遠方の山や、眼下の公園の緑を見ていたのにもかかわらず、いつ始まって、いつまで続いて、いつ終わるかも、たいして知らなかったのです。けれど先月、母を紅葉を見に連れて行くことにしたとき、私の胸騒ぎ(笑)で日にちを早めたものの、なかなか涼しくならず、「紅葉は大丈夫か?」とヤキモキしていたため、いつもの100倍以上、家の周りの緑の色にも注意していたのです。すると。今までは、「落ち葉が大変」くらいにしか思っていなかった桜の葉が、黄から橙に、橙から赤にとさまざまな色に変化してから落ちていることに気づきました。通勤途中に見ていた木も、以前は隣の敷地のモミジが色づいたときくらいしか気づいていなかったのですが、いろいろな色に変化しています。また、眼下の公園でも、何本かの木が、緑・黄・橙・赤茶…と、一つの木のなかで、素晴らしいグラデーションとなっています。見とれるくらい、美しい!「紅葉を見る」というと、どこかに出かけることばかり考えていたのですが、こんなにも身近で起こっていて、しかも曇りの日、晴れの日、雨の日と天候によって表情を変えるのも気づくことができたのです。ずっと住んでいて、ずっと同じものを見ていても、「心」が意識を向けていなければ、あってもないと同じなんですね。私の今年のテーマは・「ない」でなく「ある」に意識を向ける・認めるということだったのですが、どんなに目に映っていても、すでに経験していても、意識を向けなければ、あっても、存在しない。認めることができないのです。けれど、意識をして「ある」を見つけようとすれば、実は目の前に、ずっと前から用意されていたりもするのです。「あたりまえ」の日常の中で、「ある」を見つけるよう意識をすると、毎日が面白くなる…。紅葉を眺めながら、しみじみ思います^^。「今年は紅葉をチェック!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年11月05日
昨日ご紹介した、心屋仁之助さんのお話。世界は二つあって、一つが、「つねに足りないという不安を感じている世界」もう一つが、「つねに満たされて安心している世界」といっています。これは、私が『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』でも書いている、・「ない」に目を向けるか・「ある」に目を向けるかということと、同じことですね。「ない」に目を向けていると「欲しい」と飢える。だから、いつも満たされず、自信がなく、人を責めたり、自分に罪悪感を感じたりしてしまうのです。では、「ない」のはいけないことかというと、私は違うと思います。「ない」からこそ、「得たい」という望みが生まれます。弱くて苦しいから、「じゃあ、どうしようか」とあがこうとするのです。傷つくのがつらいから、「乗り越えよう」と思うのです。負けたからこそ、「次は負けたくない」と前に進めるのです。人は、「ない」を怖れる弱さがあるからこそ、強くなれるし、成長できるんですよね。そして、それで得たことによって、「ある」の喜びを実感できるのです。傍から見ていると、生まれつき才能にもお金にも恵まれている人は、うらやましいなと思うものです。でも、足りないものが多いからこそ、少し得たことでも喜べたり、得る過程、気づく過程をたくさん味わえます。きっと、「どうして自分はこんな」と思う人は、自覚はなくとも、魂レベルで、「自分は、さまざまな体験をしたいんだ」と願っているのでしょう。人は、「ない」を得るために生きています。「食べたい」いう欲がなければ、死んでしまいますものね(笑)。ただ、「ない」にばかり目を向けすぎると、いつもイヤな気持ちになってしまいます。だから、・「ない」の中の「ある」を見つけること・「ない」ことも「○○な意味がある」と認めることが役に立つ、と私は思っています。そうすると、「なんだ、『ない』と思っていたけど、実は必要だったんじゃん!」と気づいて、「ある」喜びを感じられると…。自然と感謝したり、自分を肯定できたりし始めます。そうすると、自分に余裕ができて、周りの人にも優しくなれます。心屋さんは、「つねに満たされている」世界の人になったバロメーターは、・何か役に立ちたい・人を喜ばせたいと思うようになるかどうか、といいます。「自分が欲しい」が、「人にしてあげたい」になるかどうか、ということですね。けれど、一足飛びに「満たされる世界」に行こうとするのは危険です。「人にしてあげなきゃ」と、自分が満たされていないのにやろうとすると、「喜ばれたいからやってあげる」というギブ&テイクになってしまいます。すると、それで思うようにならないと、ますます自信を失ってしまうことがあるのです。ですので、まずは、自分の「ある」を見つけること。それを「ありがたいなぁ」としみじみと実感すること。私はそれが大切ではないかな、と思います。『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』よろしくです!そして、それを上回る名著が、この本の「兄本」、心屋さんの『人間関係が「しんどい!」と思ったら読む本』ダブルでよろしくです!(^_-)-☆私や心屋さんの講演を聴きたい方は、1dayサミット・ダウンロードをどうぞ~!(携帯では難しいようです。すみません~!m(__)m)「「ない」も大事にしようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年10月14日
はづき虹映さんの近著『幸運が一生続く スピリチュアル女子のルール』「スピリチュアルが大好きだけれど、 あんまり毎日うまいこといかないなぁ…」と思っている女子は必読ですよ~^^。スピリチュアルが好きな人は、「自分ではうまくいかないから、 『目に見えない大きな力』に、 うまいこといくようにしてもらえたらな…」という気持ちがあると思います。「何にも頼らない。すべては自分で!」という現実的な人は、スピリチュアルに興味を持ちませんからね。「見えない力」とお友達になる方法はいろいろありますから、それをやってみて「面白い!」とか、「ホントだ、イイコトが起こった!」と思って楽しむのはいいことです。が、それが高じると、「すべてに神頼み」というか、自分は行動せず、依存して、うまくいかないと不満を言って…となってしまうことがあるのです。パワースポットに行って開運するのは、「よし、ここに来たからには、きっといいことが起こるぞ!」という、「自分の気持ち」がもたらすもの。「行って、写メして、ケータイの待ち受けにしているのに、 何も起こらないじゃない」と思っていたら、やっぱり何も起こらないんですね。スピリチュアルなことに興味を持ち始めると、スピリチュアルな能力がある人を「スゴイ」と思いがちになります。でも、それで「あの人に頼っていれば大丈夫」となったら、依存になってしまいます。でも、チャネリングをする人の意識のレベルによって、つながるものも変わってくるそうです。はづきさんが勧めるのは、「友達になれそうな、いい感じかどうか」が見極めるポイントとのこと。そして、「当たる、当たらない」だけで見るのでなく、そのメッセージが「明るい。自由。決めつけない。指図しない。脅かさない」かどうかが大切です。「○○をしないと、××になってしまうよ」とか「自分の言う通りにしないとダメだよ」とか言うのは、エゴが入っているんですね。「こうするといいけれど、やるやらないはあなたの自由」というような、自由度があるのが、「天使」レベルだと私も思っています。あともう一つ、「なるほど~」と思ったのが、アセンション(次元上昇)のこと。はづきさんは、次元を上げるために必要なのは「○○をしないと」という「足し算」ではなく、不要なものを手放す「引き算」だといいます。英語の「Ligtht」というのは、「軽い」という意味と、「光」「明るい」という意味があります。世間の常識や「ねばならない」という観念や価値観、お金やモノ、人に対する執着やしがらみ…。もちろん、三次元で生きていくためには、こうした人間らしい欲望も必要ですが、そこに縛られるのでなく、いつでも手放せる自由や軽やかさを持つこと。確かに、執着がない人は、軽やかで明るいですよね。ちなみに「enlightenment」というのは「悟り」を意味します。すべてから解き放たれて軽くなったときに、悟れるのかもしれませんね!「良い・悪いをつけない」「自分を責めない」「他人を裁かない」この三つが、軽くなるための心構え。「認め」好きの私は、「良いも悪いも認める」「自分を認める」「他人を認める」ということでもあると思っているのですが、こうしてみると、「認める」と悟れるのかも('-'*)♪(笑)。ちなみにこれらのことは、高次のメッセージがもっている「明るい。自由。決めつけない。指図しない。脅かさない」ということと共通していることです。高次のメッセージは、さすが悟っていますね~^^。できることから、かる~くして、楽しくアセンション(次元上昇)していきたいですね!☆そうそう!明後日の金曜日朝7:15~25まで、ラジオに生出演します!文化放送の「吉田照美のソコダイジナトコ」!HPの番組情報にも私の名前が載っていて、ドキドキです~^^。「ほー!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年10月06日
今日は、私のお誕生日です!(≧▽≦)ノ昨日は、「プレお誕生日」ということで、ケーキを6個、自分で買って(笑)、家族3人でワイワイ言って食べました。モンブラン。リンゴのシブースト。洋梨のシャルロット。チーズスフレ。キャラメルムースの。カシスとチョコムースの…。自転車で運んだらちょっとひしゃげてしまったため、画像はナシですが、色とりどりで綺麗でした。ホールケーキを分けて食べるのもいいですが、私は、「せっかくならいろいろな味を試したい派」です(笑)。いまどきのケーキは、割ると何層にもなっていて、カシスのソースの下にチョコムースがあって、その下にシャリシャリした食感の生地、さらにその下にクッキー生地…と、さまざまな味と食感を楽しめます。まるで「食べる宝石」ですね!そして、ケーキを美味しいと感じられる、健康な体が「ある」。1個400円以上するケーキも余裕で買える経済力が「ある」(笑)。一緒に味わい、喜びあえる人が「いる」…。「ある」に気づくことで、たくさんの喜びを感じることができます。私はこの一年、「ある」と「ない」ということについて考え続けてきました。「ある」に気づくと喜び、いい気分になる。「ない」に気づくと怖れ、イヤな気分になる。それをまとめたのが、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』。そして、人の「ある」を見つけることで、相手を喜ばせ、自分も嬉しくなる行為、「ほめる」ということにフォーカスしたのが、『誰からも好かれる人になる 魔法の「ほめ力」』です。江原啓之さんは、「生きる目的は、生き切ること」と言っていたのですが、自分という存在が「ある」ことによって、さまざまな体験を「得る」こと。それが、魂が人間という形を持って、地上に降りてきた意味なのかもしれません。そして、自分が何かを作り出したときに喜びを得られ、結果や成果を出そうとしたがるのも、「ある」を創造する実感を味わい、自分の存在価値が「ある」と認め、周りへの影響力が「ある」と思いたいからなのでしょう。では、なぜ「人は『ある』ということを求めるのか」。そう考え続けて、私は一つの結論に至りました。それは、「『ある』と『つながれるから』」です。「ない」と、つながることができません。お金がなかったら欲しいものは自分の手には入りません。だから、人はお金がないことを怖れ、お金を欲しがるのです。うまくいかないことを怖れるのも、それによって、欲しいものを得られなかったり、自分の評価が下がることによって、豊かさや喜びから切り離される気がするから、「うまくやろう」としたがるのです。お金がある、いい仕事がある、人に恵まれている。さらに、自分のことを認めている。そうしたら、豊かさや喜びとつながることができます。だから、それから切り離されることを怖れ、得ることを求めようとしているのではないか、と私は思っています。「ない」でなく「ある」を見つけること。それは、「自分が一人でなくて、あらゆるものとつながっている」ということを確認する作業なのかもしれません。ブログなどで、私が発信するメッセージを読んでくださる方が「いらっしゃる」のが嬉しいのも、「ある」というつながりを感じられるゆえです。(いつもご愛読ありがとうございます!m(__)m)こうして、この世の「ある」を見つけ、つながることができるのも、自分がこの世に「ある」からこそ。お誕生日。私をこの世に生みだしてくれた両親と、私を生かし、喜ばせてくれるすべてものに、感謝したい一日です^^。「誕生日っていいな!(≧▽≦)ノ」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年10月01日
今日は、私のお誕生日です!(≧▽≦)ノ昨日は、「プレお誕生日」ということで、ケーキを6個、自分で買って(笑)、家族3人でワイワイ言って食べました。モンブラン。リンゴのシブースト。洋梨のシャルロット。チーズスフレ。キャラメルムースの。カシスとチョコムースの…。自転車で運んだらちょっとひしゃげてしまったため、画像はナシですが、色とりどりで綺麗でした。ホールケーキを分けて食べるのもいいですが、私は、「せっかくならいろいろな味を試したい派」です(笑)。いまどきのケーキは、割ると何層にもなっていて、カシスのソースの下にチョコムースがあって、その下にシャリシャリした食感の生地、さらにその下にクッキー生地…と、さまざまな味と食感を楽しめます。まるで「食べる宝石」ですね!そして、ケーキを美味しいと感じられる、健康な体が「ある」。1個400円以上するケーキも余裕で買える経済力が「ある」(笑)。一緒に味わい、喜びあえる人が「いる」…。「ある」に気づくことで、たくさんの喜びを感じることができます。私はこの一年、「ある」と「ない」ということについて考え続けてきました。「ある」に気づくと喜び、いい気分になる。「ない」に気づくと怖れ、イヤな気分になる。それをまとめたのが、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』。そして、人の「ある」を見つけることで、相手を喜ばせ、自分も嬉しくなる行為、「ほめる」ということにフォーカスしたのが、『誰からも好かれる人になる 魔法の「ほめ力」』です。江原啓之さんは、「生きる目的は、生き切ること」と言っていたのですが、自分という存在が「ある」ことによって、さまざまな体験を「得る」こと。それが、魂が人間という形を持って、地上に降りてきた意味なのかもしれません。そして、自分が何かを作り出したときに喜びを得られ、結果や成果を出そうとしたがるのも、「ある」を創造する実感を味わい、自分の存在価値が「ある」と認め、周りへの影響力が「ある」と思いたいからなのでしょう。では、なぜ「人は『ある』ということを求めるのか」。そう考え続けて、私は一つの結論に至りました。それは、「『ある』と『つながれるから』」です。「ない」と、つながることができません。お金がなかったら欲しいものは自分の手には入りません。だから、人はお金がないことを怖れ、お金を欲しがるのです。うまくいかないことを怖れるのも、それによって、欲しいものを得られなかったり、自分の評価が下がることによって、豊かさや喜びから切り離される気がするから、「うまくやろう」としたがるのです。お金がある、いい仕事がある、人に恵まれている。さらに、自分のことを認めている。そうしたら、豊かさや喜びとつながることができます。だから、それから切り離されることを怖れ、得ることを求めようとしているのではないか、と私は思っています。「ない」でなく「ある」を見つけること。それは、「自分が一人でなくて、あらゆるものとつながっている」ということを確認する作業なのかもしれません。ブログなどで、私が発信するメッセージを読んでくださる方が「いらっしゃる」のが嬉しいのも、「ある」というつながりを感じられるゆえです。(いつもご愛読ありがとうございます!m(__)m)こうして、この世の「ある」を見つけ、つながることができるのも、自分がこの世に「ある」からこそ。お誕生日。私をこの世に生みだしてくれた両親と、私を生かし、喜ばせてくれるすべてものに、感謝したい一日です^^。「誕生日っていいな!(≧▽≦)ノ」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年10月01日
ご質問のメールをいただきました。「私は、心の奥底に悲しい思い、淋しい思いが残っていて、 普段は忘れているのですが、時折何かの拍子にその思いが顔を出します。 例えば怒りは、その感情を認めて、相手を許せばいいと思うのですが、 この悲しさや淋しい思いをどうやって昇華させたらいいのか、わかりません。 何度もその思いに向き合い、できるだけその思いを味わい、涙し、を 繰返しているのですが、癒す事ができません。 どうしたらいいでしょうか?」ううう、苦しいですね…!私は、「イヤな気分」とは、「ない」「失う」「得られない」ということによって起こる、と思っています。悲しいのも、おそらく「大切なものを失った」「もうそれを得られない」「手に入らない」「思う通りにならない」という理由からでしょう。そしてそれに、「自分のせいで」という自責の念、罪悪感が伴っていたとしたら、さらに強烈なものになります。例えば、自分の不注意のせいで、大切なペンダントを落としてしまった。ショックですし、悲しいです。自分を責めることもあるでしょう。でも、スピリチュアルな考え方でいうと、「自分に起こることは、すべて自分に必要なこと」。例え無意識であったとしても、「自分が体験することが必要」と思って引き寄せたことです。もし、それが自分に必要なことでなかったなら、「必ずその前に、それを止めることが起こったはず」です。だから、それが起こらなかったとしたら、それは「魂レベルで、自分が経験することが必要と、許可したこと」といえるのでしょう。苦しいこと、悲しいこと。それは、できるだけ経験したくないことです。でも、もし経験したとしたら、「自分に必要な体験」と自分が求めたから。そう思って、「起こったことを認める」というのが、悲しみを癒す第一のステップです。そして、第二のステップとして、「ない」と思うと悲しくなりますが、「ある」と思うと心がホッとすることから、「この出来事で得たこと」と自分なりに見つけてみます。・失ったからこそ、大切さをより深く感じられた・今まで自分のもとにあってくれたことに感謝できた・今あるものを大切にしよう・悲しい気持ちにいる人の気持ちを、より思いやれるようになった…このように、「得たこと」をなんとかひねり出せたら、それは、「感謝」に変わることにもなります。そうしたら、「失った後悔」は、「得た感謝」に転換するのです。1dayサミットで、「過去は変えられないけれど、 過去の解釈は変えられる」と言っていた方がいますが、解釈が変われば、悲しみも変えることができると私は思います。けれど、どうやっても「得たこと」をひねり出せない場合や、ひねり出す努力をしたくない場合。一つの出口を知っても、そこに向かいたくないときは、「悲しみにまだまだ浸りたい」「もっと別の出口を知りたい」ということでしょう。思いやできごとをどうとらえるかは、個人差があります。軽くとらえる人は、気に病むことは少ないでしょうし、重くとらえる人は、傷つきやすかったり、長引くでしょう。でもそれは、それがそれぞれにとって必要なこと。自分にやってきたできごとや思いをしっかりと味わって、「ではこれからどうするか」と進んでいきたいですね!『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』では、ネガティブなことの「ある」を見つけるためのさまざまなヒントをご紹介しています。よろしければ、参考にされてみてください!^^遅くなりましたが、Mさまへの回答です。海外からのご愛読、ありがとうございます!「やってみようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年09月26日
昨日は、本当の自分を知るための8つの智恵 ~人間関係向上1dayサミット~でした!穴口恵子さん、青木勇一郎さん、吉野リョータさん、水蓮さん、龍&アニキさん、マツダミヒロさん、心屋仁之助さん、そして私。8名(組)による講演マラソン、1日がかりのイベントでしたよ~!個性にあふれる方々が、瞑想あり、ワークあり、鑑定あり、講義あり…と、さまざまな形でお話をされたので、どの話も興味深くて、最後まで疲れることなく、とても楽しく聞くことができました。私は今回、いくつかのチャレンジをしていました。一つが、司会として、自分の言葉でも話すこと。司会というのは原稿があるので、それを読み上げれば、つつがなくやることができます。でも、それにプラスして、自分が感じたことを織り交ぜたり、原稿なしの場面でもスムーズに進行していくこと。原稿なしのとき(第5部)、噛み噛みでチョンボもしたのですがf^^;、まぁまぁ、いい感じでお話しすることができました。よかった!もう一つは、原稿なしでお話をすること。いつもは、お話しする要点や流れを書いたものを手に持って、見ながら話しているのですが、今回の講演者の方々は、何も持たず、舞台の真中でお話されているので、私も急遽チャレンジ!(笑)これもですね、まぁ、あらかじめ頭にインプットしていたからでもあるのですが、なんとかできました。いやぁ、けっこう「やればできる子」ですよ、私は(笑)。なんでも、チャレンジしてみるものですね~^^。『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』でも書き、講演でもお話したエピソードなのですが、「よく見せよう」と思うと緊張します。でも、失敗したからといって、誰かに殴られたりするわけではないんですよね(笑)。だから、「失敗してもいいじゃないか」と思って、失敗する自分も認めてみる。「それで、『カッコ悪!』と思われても、 そのせいで『あんな人でも舞台に出ているんだから自分もできるかも』と 励みにしてもらえたら、 うまくいかなくても、それでよし。 うまくいけば、それはそれでよしだから、 どっちに転んでも大成功だ!」と思うと、肩の力が抜けて、逆にいい感じになれるんですね。「ねぎらいの書」というブログを書かれている吉野リョータさんも言っていたのですが、「成果ばかりを追い求めていると必ず苦しくなる。 大切なのは、経過や途中の努力を察してねぎらうこと」。うまくいってもいかなくても、「それをしようとした」ことだけでも認めると、心がホッとして幸せな気分になれるんですね。実はリョータさん、私のことを以前から知っておられて、5年前に出した『ハッピーの種の育て方』を持ってきてくださったんですよ~~~!@@青木さん、ミヒロさん、仁之助さんという旧知の皆さんともゆっくり話せて楽しかったです。実は私たち、受けた場所や期は違うのですが、皆日本メンタルヘルス協会の心理ゼミナールの受講生なんですよ~^^。心理学やカウンセリングについて楽しく学べるこちらのゼミ。こうして、卒業生は自分の活動に生かしてるんですよね。オススメですよ!(^_-)-☆主催のダイナビジョンのスタッフの方や、ボランティアスタッフの方も気持ちがいい方ばかりで、とっても楽しい一日になりました。サミットの「遠隔参加」の申込は昨日までですが、音声ダウンロード販売は、後日行われるそうです。多分4000円です。これは聴く価値アリだと思いますよ!私のブログの読者さんにもお会いできて嬉しかったです。そのお一人、ゆうこさんのサロンとイラストのページ、プラネットアースもどうぞご覧くださいませ^^。「行きたかった~!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年09月24日
昨日は、10月23日のスペシャルセミナーでご一緒させていただく、池田明子さんが学校長のソフィアフィトセラピーカレッジ主催のフォーラムに行ってきました!4年前、池田さん、江原啓之さん、彦根市立病院の黒丸尊治さん、グリーンフラスコ代表の林真一郎さんで行われたこのフォーラムの1回目が、私が初めて池田さんを知り、そして生・江原さんを見た記念すべき日でした。昨日も充実の5時間でしたよ~~!まずは池田さんや林さんが植物やハーブ、森林についてのお話をしてくださいました。植物の持つ・抗酸化作用・デトックス作用・自然治癒力の向上の働きを、生活に生かすことの大切さ。木を植えて緑を育てることが、未来につながること…。自然の中で生かされている自分をしみじみと感じて、ワクワクします。池田さんには、10月23日にもたっぷりとお話しいただきますので、ぜひぜひ、コチラへいらしてくださいませ!(^_-)-☆黒丸先生は「何が人を癒すのか」というテーマでお話され、とても共感することがありました。それは、「ものの考え方が人を癒す」ということです。普通、「癒されるぅ~~~~^^」という時というのは、アロマだったり、マッサージだったり、温泉だったりを思い浮かべますよね。仕事の後のお酒や一服の場合もあるでしょう。もちろんそれでリラックスして心や体がほぐれ、それによって免疫力が高まり、明日の元気をもらえることにもつながります。けれど、それは、「一時的な快楽」とも言えるんですね。例えば、職場の人間関係で忸怩たる思いをしていたのなら、そのモヤモヤをお酒の力で一時的に忘れようとしても、やっぱり会社に着けば、イライラは戻ってきてしまうのです。けれど、例えば、カウンセラーや誰かから、「その人のおかげで気が付いたことはありませんか?」と言われ、「そういえば!」と気がついたとしたら、イライラの対象が感謝の対象になって、気持ちが一瞬で変わることもあります。そうしたら、心が晴れますよね。そんなふうに、世の中で「癒しグッズ」はたくさん出ていますが、根本から癒してくれるのは「ものの考え方」。それはすごく共感できます。実は、「ものの考え方によって、一瞬で心をラクにするには」ということで書かせていただいたのが、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』なのです(笑)。誰かから自分を害され、奪われていたのではなく、自分はその人から得ていたことも「ある」と気づくこと。人は、「ある」「得る」と思うと、喜ぶ心理があります。なので、「ある」に気がつくと喜び、いい気分になることができます。それは、「癒されること」でもあるんですね。黒丸先生が言う、「癒しとは、自分に起きていることをを理解し、受け入れること」。それは、私流に言えば、「認めること」です。自分も人も、物事も認めることができたら、イライラの原因がなくなり、心が軽くなり、癒される。そうか、認めると癒されるんだ!と、私も発見でした。けれど、すぐに認められる人となかなか認められない人がいます。それは、それぞれが経験したこと、他者とのつながりや関わり、人生観、価値観などが違うからです。それは、その後の江原さんの話にもつながるのですが、「理解には段階がある」のですね。江原さんは「もっと考えることが大切」と言っています。「スピリチュアル」というと、ブルース・リーの言葉ではないですが、「考えるな、感じろ」という世界な気がしますが、なぜ江原さんがそう言うかは…。長くなりますので、明日に!(^_-)-☆9月23日は、「仕事も恋も友情もうまくいく!」1dayサミットがあります!「ものの考え方が癒し!?」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年09月20日
lavendercloverさんが、アメリカの教育家、マービン・トケイヤーの素敵な言葉を教えてくださいました!・・・・・・・・・・・・・・・賢人とは誰か?あらゆる人から学べる人。強い人とは誰か?感情を抑えられる人。豊かな人とは誰か?自分のもっているもので満ち足りている人。人に愛される人とは誰か?あらゆる人をほめる人。・・・・・・・・・・・・・・・おお~!マービンも(ちょっと親しげ(笑))、「ほめる人は、愛される」と言っておりますよ!賢人。私は賢人というのは、人の話をよく聞いて理解し、必要なときに分かりやすく伝えられる人だと思います。強い人。私は強い人というのは、どんなことでも認めようとできる人だと思います。豊かな人。私は豊かな人というのは、自分が持っているものの価値を認めて感謝し、最大限に生かせる人だと思います。人に愛される人。私は人に愛される人というのは、どんな人であっても認め、よいところをほめられる人だと思います。私の大好きな「認める」を連発していますが(笑)、「ほめる」ということは、「相手の美点を認めて伝える」ということなんですよね。自分の良さを認めてもらえたからこそ、人はほめられると嬉しくなるのです。逆に、ほめられても「そんなことありません」とつい否定しまうクセがある人は、自分で自分を認めていないところがあるので、認めてもらっても受け入れることができないのです。けれど、そういう人も、「人をほめる」ということをしてみると、「人のいいところを見つけられた自分」「喜ばせることができた自分」というのにだんだん自信がついてくるのです。そして、自分も人をほめられるのだから、自分も人からほめられてもいいのかもしれないと思えるようになって、「ほめられ上手」にもなれます。『誰からも好かれる人になる 魔法の「ほめ力」』には、「口は、誰かをほめて、 お互いが幸せな気持ちになるためにあるのです」と書いてありますが、「ほめ力」がつけばつくほど、ハッピーになりますよ!ぜひ、「だまされた」と思って?(笑)トライしてみてください!(^_-)-☆この言葉をご紹介くださったlavendercloverさんは、10月23日に「夢実現名刺」セミナーをされます。ご興味のある方はぜひ!^^(実は私も、この日はイベントがあります(^_-)-☆)そして、お友達のりこさんからのお知らせです。「心美人」になりたい方のための、パーティーが開催されます!講師は、開運おもてなしサロンの小田恵理先生。おもてなしのレッスンや、心美人のワーク、試食などもあるそうですよ。心美人になりたい方はどうぞ参加されてください^^。<心美人なおもてなしパーティー>【日時】9月20日(祝)13時30分~17時 (開場・受付:13時15分~【会場】 豊洲パーティールーム 【会費】9月15日(水)までにお申し込み・お振り込みいただいた方に限り! 新規 4000円→2500円、詳細・お申込はコチラまで!9月11日の新刊トークショーお申込はコチラ!おかげさまで、残りあと6席です!大盛堂さんのイベント会場で本をお求めの方には、私の手書きメッセージカードをプレゼントさせていただきますよ。お楽しみに~!^^『誰からも好かれる人になる 魔法の「ほめ力」』の詳細・プレゼントは…コチラ!「ほめてみようかな~^^」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年09月09日
敬愛する、佐藤伝ちゃん先生の新刊『たった1分でできて、一生が変わる!魔法の習慣』(学研・1260円)を読みました。「らくらく幸せに夢をかなえる人の小さな約束49」ということで、「ご縁の習慣」「強運の習慣」「お金の習慣」「仕事の習慣」「恋愛の習慣」「健康の習慣」「幸福の習慣」…。7つのカテゴリーで、紹介されています。ハードルがあまり高いと、「やってみよう」という気が失せてしまうものです。けれどこちらは、「面白そう」「すぐにやれそう!」というものが多いので、「やってみる」→「人生も変わる」というプロセスに、すぐに発展しそうですよ!私が「いいな」と思ったことの一つが、◆いっさい「戦わない!」と決めるというもの。私たちは、コンビニの列が長ければイライラ、レストランで注文の品が来るのが遅ければイライラ…と、つい、自分にやってくることに対して「戦って」しまいます。そして、「ここはダメだから、次!」と切り捨てることを考えたりもするものです。けれど、トラブルも「ご縁だな」と考えてみると。戦わないで、「自分に必要なことかも」と認めてみると…。「今日は混んでいますね」と、後ろの人に話しかけてみたら、友達になれたりとか。「忙しそうですね、何かありました?」と店員さんに話しかけたら、店員さんもホッとして、サービスをしてくれるかもしれません。ギスギスするよりも、たとえ誰かが不快な態度をとっても、「戦わない!」と決める。すると、相手も「戦いモード」にならなくなるんですよね。すると、場が和やかになって、自分も相手も「いい気分」になれるのです。私はけっこう短気なので、すぐにイラッとしてしまいますf^^;。それで、ついそっけない態度をとってしまうことがあるのですがf^^;;、それは「相手を認めない」ということであり、イヤなムードをまき散らしていることでもあるのです。「戦わないゾ!」というのを、ちょっとやってみようと思います!そして、もう一つ◆「自分にマル」をあげるというもの。「魅力的な人と出会って、素敵な恋をしたい」というとき。大切なのは、「自分にオッケーを出すこと」だと伝ちゃん先生は言います。「あれもダメ、これもマダマダ」と自己処罰して、くら~くなっていると、自分もつまりませんし、それを見ている周りの人も近づきがたく感じてしまうものです。だからたとえ、離婚歴があったとしても、「バツイチ」なんて言ってはダメ!「マルイチ」と、積極的にマルをつけるのです。私も『「なか前」本』で、「離婚は失敗ではなくて、 それで学んで成長したことがあったら、 それは他人がどう思おうと「成功体験」です」と書いています。それに、「ダメ」という短所もおしゃべり→話題が豊富と、裏を返せば、長所になるから、バツでなくマル!なんですよね。自分の中に「マル」とか、「ある」を見つける。そうしていったら、前向きにもなれるし、人生も上向きになっていくでしょう。「たった1分で、一生が変わる!」そんな魔法の習慣をどうぞ身につけてくださいませ!『たった1分でできて、一生が変わる!魔法の習慣』(学研・1260円)『「なか前」本』もごいっしょにどうぞ!(^_-)-☆書店でお求めの方は、「紀伊國屋書店」ですとますます嬉しいです!(笑)(全国の書店さんは、紀伊國屋さんでの売り上げを参考にするそうなのです^^)◆お知らせですヒーラー、チャネラーでもある斎藤さちよさんのセミナーが大阪で行われます!スピリチュアルに関心のある方はぜひ!^^<エンジョイ・ライフ・セミナー大阪特別講演>『スピリチュアルで傷ついたあなたへ』~地に足をつけて、自分の好きな事を自分の仕事にするためには?~日時:9月26日(日)9時30分会場 10時~12時場所:大阪府立男女共同参画・青少年センター 中会議室3参加費:5000円詳細はコチラまで「マルをつけるぞ!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月26日
「この人は、きっとうつにならないだろうな」と思う人がいます。どういう人かというと、「オレ様」な人です。「オレ様」な人でも、「自分は良くて、相手は悪い」と思っているのではなく、「自分が大スキ、周りの人も全員自分がスキ」と思っている「オレ様」です(笑)。うつの大きな原因をストレスだとすると、「何か自分の思うようにならないこと」が起こっているはずです。それは、1.相手2.自分3.環境でしょう。たいていは「相手」なのですが、なぜストレスになるかというと、「自分の思うようになってくれない」から。けれど、「過去と他人は変えられない」という言葉もあるように、人は変えにくいものです。相手が居丈高で自分が気弱だったら、よけい何もできません。すると、「自分」を責めるようになります。「あんなことを言われるのは自分が悪いせい」「言いたいことも言えないなんて、なんて自分はダメなんだろう」…それで奮起して、前向きなアクションを起こして、状況が変化すれば、ストレス源はなくなります。けれど、変わらなければ「やっぱり自分は…」と、さらに自分を責めるようになります。すると、その責める気持ちが心身に影響を及ぼし、うつ状態を起こしていくのです。けれど、「オレ様」な人は。どんなことがあっても、自分が好き。そして、どんなことをされても、「愛情の裏返しか?」と思っていたら、ストレスになりようがありません。いつも「いい気分」。だから、うつにはならないでしょう。…そう考えると、Mっ気がある人も、うつになりにくいのかもしれませんね(笑)。私は、『ツキの天使がやってくる秘密のレッスン』で、「人から、「キノコが生えていますよ」と言われても、 思い当たることがなければ、「はぁ?」で終わります。 けれど、「変な顔をしていますね」と言われたら、 ムッとするでしょう。それは、顔を意識しているからです」というようなことを書いているのですが、人から言われて「グサッ」とくるのは、自分もちょっと気にしていているから。そして、そう言われることを認められず、抵抗しているからです。「バカじゃないの?」と言われて、グサッとくるのは、自分もちょっと思っていたり、バカにされることを認められないからです。それで「そんなことない!」と抵抗したら、ストレスになります。けれど、「そうかもしれない」と受け止めて、「直したければ直せばいいし、直さなくてもそれでいいじゃん」と相手の意見も、自分のことも認められれば、それは「受け流す」ことになって、ストレスにはならないでしょう。でも、繊細で内省的だと、真正面に受け止めすぎてストレスになり、心身を痛めることにもなります。それはそれぞれの個性でもあるし、その経験がきっと未来につながるからこその体験だとは思います。私は、上司のストレスで、うつ症状にはなりませんでしたが(プチうつにはなっていたのかもしれませんがf^^;)、全身に湿疹ができました。医者に行っても薬が効かず、数ヵ月苦しみ、「一生治らないのだろうか」と恐怖したものです。けれど、別の医者に行って、おそらくステロイド系の塗り薬をもらったら…。数日で引いたのです。それは、「もう充分味わっただろうから、そろそろいいよ」ということだったように思います。そしてその経験は、自分の行く道を変えることにもなりましたし、本にも書きましたし、こうして今も伝え続ける、大きな糧となりました。でも、必要な経験だとしても、早目に切り上げられるとしたら、切り上げたいですよね。心の本をたくさん読み、心や魂の仕組みを自分なりに理解した私は、その結果、・自分に起こる「悪いこと」を、「必要なこと」と認め、受け入れる・相手を責めたり変えたりしようとせず、自分にできることをやっていく・行動した自分をほめる・うまくいくと信じ、「見えない力」にも 「うまくいくよう応援してください。ありがとうございます!」と オファーするというステップを進むようになったら、ストレスを引きずらず、物事の解決も早まるようになりました。ポイントは、起こることも、相手も、自分も責めることなく(責めるとストレスになります)、「自分が幸せになるために起こっている」と信じること。昨日のブログにも書きましたが、「悪いこと」を「敵」と思うのでなく、「必要なこと」と認めると、ストレスでなくなり、心がラクになるんですよね。認めることに抵抗があればあるほど、「敵」であり続けるので、ストレスは続きます。もちろん、「認められない」のには、いろいろ理由があるので、できにくい人も多いと思いますが、「単純な人ほど、ストレスが少ない」のは確か。「起こったことは、しょーがないじゃん」「あの人はそう思いたいんだから、それでいいじゃん」と、起こったこと、相手を、まずは認めてみる。「そうまでして、自分に知らせたいなんて、 自分、愛されているなぁ」と、「愛の教え」と認めてみる。「それは、自分に見所があるっていうことだ。 やれることはやって、できないところは今はそれでいい」と、自分を認めてみる。単純でもいいので、まずはそう思ってみると、けっこううまくいきますよ!「単純でいいのかも」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月25日
「悪いことは、ことごとく意味がある」という言葉を知りました。そうかもなぁ、と思います。悪いこと…。トラブルや、自分をイヤな気分にさせる人。今よりもっと未熟だったころは、「悪いことは敵」と思っていました。それがなければうまくいっていたのに、そのせいで自分が不幸になっている。だから、「悪いこと」を責め、排除しようとしていました。けれど、責めても事態は変わらないし、自分ばかりがストレスを感じて疲弊してしまうのです。それから、やがて、「悪いことは気づかせるもの」と思うようになりました。それがなければうまくいっていたのに、起こったとしたら、それは「今までのやり方を見直しなさいよ」というサインだと思うようになったのです。なので、「相手を変えよう」とする代わりに、自分を見直したり、新たな道を探そうとし始めました。すると、やっぱり、「悪いこと」のおかげで成長したり、発展したりすることがあったのです。それに気づいてから、悪いことは「敵」ではなく、「自分のために起こること」と思うようになり、悪いことも認め、受け入れられるようになりました。すると、トラブルが起こっても以前よりあわてることなく対処できるようになって、責めたり不満を言うのにエネルギーを使わないぶん、前向きに対処するほうにエネルギーを傾注できるので、解決も早くなったのです。「悪いことが起こっても大丈夫」。そう思えるようになると、悪いことは悪いことでなくなります。「自分がよりよくなるために起こること」と思っていたら、怖くなくなりますよね。これはつまり、自分の許容範囲が広がった、ということです。悪いことを「敵」という「自分外のもの」と見なしていたら、悪いことは「悪」のままです。けれど、悪いことを「自分に必要なこと」と思ったら、悪いことは、「自分の中のもの」と見なすことができます。つまり、「認める」と敵でなくなるのです。敵が減る。だから、ストレスも減るのです。状況が変わらなくても、自分に害をなすものを、「敵」でなく「味方」と視点を変えるだけで、自分の心が変わります。すると行動も変わり、状況も変わってくるんですね。もちろん、認められないこともあるでしょう。社会の通念、自分の思い込み、こだわり…。自分の心はさまざまなものから構成されています。それをすべて取っ払うのは難しいものです。でも、「悪いこと」にいき当たるのは、それらを認められない自分の心を向き合う機会でもあります。なので、「悪いことは、ことごとく意味がある」というのは、当たっているなぁ。そう思う私です。ただいま『彩雲国物語』というアニメを集中して見ています。中華風ファンタジーなのですが、私は未だかつて、こんなお話は見たことがありません。どういうことかというと、登場人物の8割(脇役抜くと、ほぼ100%)が美系なのです(笑)。まさに「美形インフレ」。まるで金太郎アメのように、「どこを切っても美形」なのです。まさに目の保養(笑)。ストーリーも面白いですよ~^^。「自分も美形は好き!」という方は、押してみてくださ~い!(笑)↓
2010年08月24日
人というのは、「ある」を見つけることができると、「いい気分」になることができます。「ないよ」と言われるよりも、「あるよ」と言われたほうが、嬉しくなることからも分かりますよね。でもこれも、「見つけ上手」になるには、いくらか訓練が必要です。あと、多少の気力も必要となります。どっぷりと落ち込んでいるときは、「見つけよう」という気力すらも起こらないからです。そんなときは、まず自分を労わって、可愛がること。「自分が好きなこと」を自分にしてあげて、自分のエネルギーを高めることが必要になります。さらに、甘いものや脂肪分が多いものではなく、旬の野菜やフルーツをたくさん食べて、「自然エネルギー」を補給すること。心のこもった手作りのものを食べて、「愛情エネルギー」ももらうこと。まずはこれらをやって、体という土台をしっかりさせてから、訓練をします。どんな訓練かというと、「ない」と思うときに「あるとしたら?」を見つけることです。でも、「人のせいで迷惑を被ったとき」というのは、被害者意識もありますから、なかなか「ある」を見つけられないものです。私はOL時代、今まで順調にやってきたのに、難しい上司が上になったため、多大なストレスを感じるようになりました。そうすると、今までが順調だっただけに、「あの人のせい」で、と思ってしまうんですよね。そして、「あの人さえいなければ」と、相手を責め、相手が変わることばかりを望んでいたのです。けれど、人というのは、そうそう変わるものではありません。それで、望んだことが得られない苦しみ、叱責される自分への自信喪失、被害者意識…。それらが積もり積もって、ストレス性の湿疹に冒されるようになりました。でも、それから数年たって、心の勉強をするようになって、「許せない人のおかげさま」というのを見つけることを知りました。『「なか前」本』でも書いていますが、「あの人のおかげ」で、セラピストという新しい道が拓けたことを想うと、「マイナスの恩人」と認めることができるようになったのです。「あの人のせいで」と思うと、失ったことにフォーカスしていますが、「あの人のおかげで」と思うと、得たことに気づくことができるんですね。どうひねっても見つからないときは、「反面教師」。これでイイです(笑)。あと、私がけっこう気に入っている考え方は、「あの人は、私が無意識に望んでいることを叶えるために、 憎まれ役という悪役を買って出てくれた、マイナスの恩人なんだ」というものです。「他人に自分が翻弄されている」と考えると、他人任せ、運命任せの人生に思えてしまいます。けれど、「自分の人生に起こることは、意識無意識に関わらず、 自分が経験したいと望んでいること。 だから、起こることは自分が引き寄せている」と考えると、トラブルだって、「主役の自分のために、他の人がいろいろな役回りを 買って出てくれているんだ」と思うことができるのです。ちなみに、トラブルのない舞台の主役になることもできますよ。それはズバリ、「人生は幸せになるためにある」と、本気で!!!信じることです。また、「他人」のなかでも、一番難しいのが家族です。人にだったらガマンできることも、家族だとつい感情的になってしまう。それは、家族には「甘えと期待」があるからです。「家族なんだからこうしてくれるはず」「家族なんだからこうであるべき」そう思っているから、許せないことが多くなるのです。そういうとき、「相手が悪いから、自分のいうとおりにさせないと」と思うと、他人は思い通りになりませんから、「うまくいかない」と、不満になります。だから、ここで、「認め」ワザを使ってみるのです。「私はやらないけれど、あの人は、ああいうことをしたいんだ」と、認めてみます。そして、本でも書いた、許しテクを使います。「ああいう人なんだから、しょうがない」。「しょうがない」というのは、諦めているように見えて、その実、相手のことを「おおらかに認める」という高度な許しテクです。家族だから、逃げられない縁があるからこそ、がっつりと学ぶ機会が「ある」。「ある」を見つけたり、「認めて」みたり、「許して」みたり。これらをすると、心が上向きになれます。いい気分、前向きになるための訓練。楽しみながらやっていきたいですね!^^…というわけで、ちびさんへのご回答でした~!m(__)m昨日の続きです。ウチはクーラーは使いませんが、冬はさすがに暖房は入れます。が、けっこうギリギリまで厚着でしのぎます(10度を下回る北西向きの部屋はシベリア…)。暑いのと寒いの、どちらが苦手かと言われれば、断然寒いのです。あぁ、これから冬が来ると思うと…。ううう(笑)「「ある」か~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月20日
自分が「いい気分」になるため、自分が「求めるもの」を得るために、誰かに迷惑をかける、ということもありますよね。そうすると、自分の欲しいものを得ることのみに集中するのは、利己的じゃないかな?悪いことじゃないか?と悩むこともあるでしょう。いろいろなケースがあると思うのですが、フラメンコギタリストの沖仁(おき じん)さんのインタビューで、こういうことが書いてありました。沖さんは、19歳のとき、アメリカの音楽大学にクラシックギターを学びに行こうとして、入学手続きも滞在先決まっていたときに、フラメンコギタリストのビセンテ・アミーゴのテープを聞いて、フラメンコギターを学びたいと思います。…が、もちろん、反対されますよねf^^;。けれど、フラメンコを選ぶことにし、親の助けを借りず、自活してバイトをしてお金を貯め、スペインに渡り、演奏活動を続け…、ついに今年のフラメンコギター国際コンクールの国際部門で優勝するという快挙を成し遂げるまでになられたそうです。迷惑をかけるから諦める、ではなく、迷惑をかけてもやってみよう、ということを追求した結果ですよね。また、家業を継ぐことを期待されているのに、他のことをやりたい、という場合もあるでしょう。そうすると、影響を受ける人の数はもっともっと多くなります。では諦めるか。けれど、そこでは三つの選択肢があると思います。一つは、家業は、自分のやりたいことでは「ない」と思うのをやめて、やりたいことや、やりがいなどを見つけられることも「ある」と思ってみること。そうしたら、家業がやることを楽しくなってくるでしょう。二つめは、家業は自分が継がなきゃいけ「ない」でなく、他の人でも代わりができることが「ある」と思い、その道を探すこと。そうして、皆ができるだけ納得するような形を模索して、自分のやりたいことも家業も軌道に乗るようにするのです。三つめは、家業もやりたいことも両立させること。「できない」と思うのではなく「できることがあるとしたら」と思えば、できる道も見つかるはずです。人間、切羽詰まると、「これしかない」と思い詰めて、他の道を探すという、想像力が働かなくなります。私も、OL時代、難しい上司に悩み、体中がストレス性の湿疹だらけになったとき、「この状況を変えるには、自分か上司が異動するしかない」と頑なに思っていました。でも、「会社を辞める」という選択肢もあるんだと気づいたとき、本当にホッとしたのです。「これしかない」でなく「あれもある」。強い力を加えられれば、たやすく傷つく脆い体を持っている人間の最大の武器は「想像力」です。「別の道があるとしたら」「できることがあるとしたら」本気でそう考えれば、必ず道は見つかるものです。どれだけ、「これができるのは自分しかいない」と思っていたとしても、不慮の事故などで、体が動かなくなるようなことが起こったとしたら、周りの人が、必ず「なんとかする」のです。それで、周りの人が苦労を負うことになったとしても、不慮のことだったら、責めることはできませんし、「引き寄せの法則」的に考えれば、そのできごとは、その人たちのチャレンジのために、「彼ら自身が無意識的に求めたこと」、ともいえるのです。なので、できるだけ思考を柔軟にして、想像力を働かせて、「できる道」を探すこと。さらに「私はこれがやりたいです! だから、それをできて、なおかつ周りの人も幸せになるように 応援してください!」と「見えない力」にもサポートを頼むと、きっと不思議な偶然も起こるようになるでしょう。そして、後になってみると、「あのことがあったおかげで」という大きな体験になると思うのです。ただ、「仕事」なら選択肢は多いかもしれませんが、「人生のパートナー」というような、ただ一つのポジションを得たい、ということだったらどうでしょう。「奥さんがいる人と一緒になりたい」それは、日本の法律的、倫理的には難しいことですね。ただ、「僕アニ」の神様が、「人のキャパシティは大きいので、複数の人を受けいれられます」というようなこと言っているように、魂的には、たくさんの人を大事に思えるものなのでしょう。それに「好き」という気持ちは、止めようと思って、止められるものではありません。そんなとき、自分が一番願うのは、「別れて、自分と一緒になってくれること」ということかもしれませんが、奥さんの事情もありますから、早急に叶うことではありませんよね。そうすると、「求めることが得られない」という不満になってしまうのですが…。このときもやっぱり、「これしかない」ではなく、「他の道もあるとしたら」と考えるのがいいだろうと私は思うのです。・「奪うしかない」と思っているけれど、そうなのかな?・「この人しかいない」と思っているけれど、そうなのかな?・「今すぐでないとイヤ」と思っているけれど、そうなのかな?人の心というのは、時間とともに、思いの変化とともに変わっていくものです。急いでことを運ぼうとしなくても、時間の変化が、それぞれの心に変化をもたらして、それぞれの求めることが変わってくることもあります。奥さんのほうから、別れたいと言うかもしれませんし、自分や相手の気持ちが離れてしまうこともあるかもしれません。だから、「自分が求めることが、誰かに迷惑をかける」というようなことがある場合。「これしかない」と思うのではなく、「自分も誰かも幸せになりながら、うまくいく方法も見つかるはずだ」と思ってみること。そうすると、最終的にはどんな形になっても、「いい気分」な結果を得ることができると、私は思います。理想論に見えるかもしれませんが、諦めたら、諦めたとおりのことを引き寄せます。ナルトの口癖の、「諦めないド根性」。それをもって、幸せな未来を信じる気持ちをもち、そのために知恵を絞り、行動していくこと。それが、自分と周りの幸せを切り拓くと思うのです。>ちょっと抽象的ですが、フィンちさんへのお答えになりますm(__)m。「ド根性か~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月18日
作家の中井俊已さんのメルマガ「心の糧」で、このような寓話が紹介されていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「幸せをさがす王様」というお話をしましょう。 美しい妃とかわいい子どもたち、 財宝の数々に恵まれた王様の日々の悩みと苦しみは、「自分はまだ幸せというものを味わったことない」ということでした。「幸せとは何か、どうすれば幸せを手にいれられるのか」 大臣たちに訊いてもわかりません。 学者たちに尋ねてもわかりません。 そこで、著名な占い師を呼んで占ってもらったところ、「この国で最も幸せな者のシャツを着ればわかる」と言います。 ひそかに大臣を遣わし、捜索がはじまりました。 大臣は国中の大金持ちや有名人などを訪ねてまわります。 しかし、金持ちは 「幸せ?とんでもない。それより、この国は税金が高すぎる。 そのせいで、私の家では車が三台しか買えないないんだ」 と渋い顔をします。 有名人は、 「幸せ?何を言っているの。 まだ、この国には、私を知らない人が大勢いるのよ」 と眉間にシワをよせます。 だれを訪ねても、その口からは愚痴と不平不満が出るばかりです。 この国で最も幸せな者のシャツは見つからず、 三ヵ月が徒労に終りました。 疲れ果てた大臣は山村の小道で休んでいたところ、 何か楽しげなひとりの若い羊飼いに出会います。 大臣はふとその若者に声をかけたくなりました。 「あの、あなたは、もしかして、いま幸せですか?」 大臣の必死な形相に驚いた若者ですが、目を輝かせて答えました。 「お日様は昇る。雨も降る。ぼくはみんなが好きだ。 みんなもぼくが好きだ。幸せだよ。もちろん」 この人だ!と確信した大臣は 「いくらでも金を出すから、あなたのシャツゆずってください」 と頼みます。 しかし、それは無理な話でした。 その若者は上着の下にシャツを着ていなかったからです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この国の王様が聡明であったなら、大臣がシャツを持ち帰らなくても、報告を聞くだけで、「幸せの手に入れ方」が分かったことでしょうね^^。「ない」に意識を向けるか。「ある」に意識を向けるか。どちらを選ぶかで、幸せ体質かどうかが決まります。人は、「ない」に気づくとイヤな気分になり、「ある」に気づくといい気分…幸せになります。だから、たとえシャツを着ていなくても、毎日昇る太陽に感謝をして、雨が降るということだって感謝できていたら、いつも幸せでいられるんですね。私の尊敬する人は、すごく端的に言っていました。「不満が多い人は、感謝が足りない」「ない」ことばかりが気になって、「ある」というありがたみに気づけないと不満になってしまうからです。もちろん、「ない」ことを意識することは、「ある」を求める原動力になります。人類は、「もっと」を叶えることによって発展拡大するものでもあります。だから、不満を持って、「もっと」を求めることは、当然のことではあるのです。でも、不満を持って、そこで「どうせ」と腐ってしまって、歩みを止めてしまったら、もったいないんですね。不満が多い人は、感謝が足りない。そういう要素はあると思います。そして、もう一つの要素があるとしたら、それは「想像力が足りない」ということだと私は思っています。想像力を育てることをしていないから、寓話の中のお金持ちのように、「3台しか車が買えない」と思って、「3台も車が買える喜び」に気づけない。私は、『「なか前」本』で、「財布の中に500円あったら、 ランチを外食しようとしたら足りないかもしれないけれど、 コンビニだったら、パンをいくつか買うだけでなく、 人にあげるお菓子も買うことができます」ということを書いていますが、想像力をはたらかせて、可能性を考えていけば、「今あるもの」でもできることはたくさんあるし、それに気づいて、「ありがたいなぁ~^^」と自然に感じることもできるのです。想像力も「力」です。だから、もともと持っているだけではなくて、鍛えたり伸ばしたりすることができるものなんですよね。だから本では、「ない!」と思ってシュンとしたら、すかさず「あるとしたら?」と、「ある」を見つけるよう頭を働かせてみましょう!とご提案しているのですが、この訓練が、自分の「幸せ想像力」をアップさせてくれるのです。「ない」というつらさを知り、「ない」ということが自分に教える意味を知り、「ある」に気づいて、前向きな気分になり、できることをやっていく。そうしていたら、間違いなく、幸せなことも引き寄せられてきます。だから、何があっても「幸せ」になれますよ、きっと!^^◆新刊のご感想をブログでアップしてくださいました!●野口みずほさんのブログ 前向きな野口さん、ありがとうございます!●みーこさんのブログ ご自身の子育ての経験と照らし合わせてくださいました。ありがとうございます!●寺田真理子さんのブログ 「「生きる意味」というのは、自分の中に、他人の中に、ものごとの中に、 「ある」を見つけることかもしれません」 この本の最大の決めゼリフ!にご注目くださいましたね。さすがです~!^^◆オススメのセミナーです!クチコミデザインの伊堂寺義則さんが、8月22日(日)18:30~<自分でできる!「ゼロから始めるクチコミの広げ方」>という少人数セミナーを開催されます!本田健さんやはづき虹映さんの信頼もあつい、穏やかで知性的な伊堂寺さんから、ぜひ大切なエッセンスを学んでください^^。「王様は幸せじゃないんだ~」と思われた方は(笑)、押してみてくださ~い!↓
2010年08月17日
・「ある」「得る」に気づくと、人は「いい気分」になる・「ない」「失う」に気づくと、人は「イヤな気分」になるこの法則に気づいて、ありとあらゆることをあてはめて、「やっぱりそのとおりだ!」と確信したとき、私は、「スッゴイことに気がついちゃった!!!(≧▽≦)ノ」と、めちゃくちゃ嬉しくなったものです。でも、これって、ずーっと前から、誰でも知っている、一般的なことなんですよねf^^;。それを物語っているのが、英語。その語源です。「勝ち」「負け」のことを、英語では「win」「lose」といいます。winというのは、「古英語 gewinnan(ge-結果を示す接頭辞+winnan働く =働くことにより得る→勝つ)」loseというのは「古英語 leosan(失う)」ということから来ています。勝つと「いい気分」になるのは得るから。負けると「イヤな気分」になるのは失うから。まんまですね(笑)。でも、英語の語源からいうと、「勝つ」ということの見方が、ちょっと変わってくるように思います。「勝ち負け」とワンセットでいうこともあるため、勝つというと、「誰かを蹴落とす」「争う」というニュアンスがありますよね。けれど、語源は、「働いて得た結果」。つまり、自分が努力したことで得られる成果なのです。人と争った結果ではなく、自分自身がやったことで、得たことの成果の分量が多かったので、「勝つ」と評価されているわけです。だから、本来の意味では、「勝つ」ということに、「誰かの足を引っ張る」とか「誰かを負かす」という意味はないのです。私がスポーツ観戦が苦手なのは、敗者に感情移入して、胸が痛くなってしまうことがあるからです。でも、「勝つ」ということは、それだけその人たちが努力し研鑽した量が多かった、ということ。それは素晴らしいことですよね。そして、負けて失った側は、失ったからこそ、それでまた「得よう」という情熱になるわけです。「負けてカワイソウ」だなんて、どれだけ私が「上から目線」なんでしょうf^^;。本物のアスリートにとっては、「負けてからが本番」。フィギュアスケートの浅田真央ちゃんを見ていてもそう思います。勝つのは、それ相応のことをやってきた結果。負けるのは、一見失ったように見えても、それはそれ以上のものを得るための起爆剤。だから、どっちも素晴らしい!…そう思うと、スポーツ観戦も楽しめそうです。そして、「勝ち負けを決めるのが苦手」というのは、「負け…失うということを認めていないこと」、というのにも気づかされました。そして、負けることで「得るもの」にも気づくことができました。私の「認める旅」はまだまだ続きます!^^語源までしこしこ調べる自分は、マニアだと思います。マニアだから本が書けるんだろうと、このごろ思います。マニア万歳(笑)。「負けも認められるかも」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月16日
『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』…略して『「なか前」本』(略しすぎ?(笑))。「ない」から「ある」ということで、「友人が少ないとき」というテーマの項もあります。何かをするときに一緒にやる人がいないと、友達が少ないような感じで、なんだか照れくさい。寂しい…。そう思うかもしれませんが、一人自営業を始めて9年余の私は、そんなときは、「一人でできることがある!」と気づき、一人遊び(笑)がとっても上手になりました。一人映画や一人美術館は、まぁ一般的ですが、一人カラオケ、一人ラーメン、一人寿司屋、一人立ち食いそば、一人スイーツバイキングも…。それをトークショーの後で雑談していたときに団長さんに言うと、団長さんは、「自分はとてもできない!!」と言われるのですよ。一人スイーツバイキングなんて、エロ本を買うより恥ずかしいと!(笑)どうやら、「あ、あの人、男の人なのに、一人でスイーツバイキングに来てる。クスクス…」と、女子高生や女の店員さんに思われるのが照れくさいようです。ふふふ…。団長さんもまだまだ色気があるんですね(^m^)。女性はですね、ある一定の年齢を超えると、周りにどう思われようと、自分の欲求を満たす行動を、ずんずんとできるようになるんですよ!そういう人種を、人は「オバタリアン」という…(笑)。いえいえオバタリアン限定、というわけではありませんよ(笑)。自分の好きなことを自分にやって自分を満たす、というのは、とってもステキな自分を喜ばせるコト、だと私は思っています。それを一人でやるのは、他の人の予定を気にして、結局やらずじまいになったりすることもありませんし、思いついたらすぐできるので、いいんですよね。誰かと一緒に、楽しさを分かち合うのも素晴らしいことです。私も、「一人上鰻重」(けっこうリッチ)をしたときは、「うーん、家族を連れて、一緒に「美味しいね」と言いたかったなぁ」とさみしくなって、せっかくの鰻を味気なく感じたこともあります。出張先だったので、叶わないことでしたが。けれど、他の人を気にしすぎて、やりたいことガマンするくらいなら、一人でやるのも、いいものですよ~^^。ホテルのラウンジでお茶をするのも、「一人の時間を優雅に楽しめる、大人の女性」といった感じになります。一人でカラオケを歌いまくるのも、「ヘタクソでもオッケー!そして大声出してスッキリ!」と楽しめます(笑)。「人からどう思われるか」という思いを浄化すれば、「やりたいことをすぐにやる自分」というのを認められます。それは、「自立する」ということにもなるのでは、と思うのです。たくましくなりたい方は、ぜひ「一人○○」にチャレンジしてみてください!(^_-)-☆団長さんが、トークショーのプチレポートをしてくださいました!コチラです^^。そして、みーこさんが、トークショーのかなり詳細なレポートと、本のご感想をご紹介くださいました!コチラです!ありがとうございます~!m(__)m一人遊び(笑)もいいですが、漫画の感想は誰かと分かち合いたい~!「銀魂」の最新刊でウルウルきたとか(空知先生、尊敬しています!)、「NARUTO」の最新刊でナルトの成長に嬉しくなったとか、「BLEACH」の最新刊で「13kmって誰が測ったの?」とツッコミたいとか…(笑)。「一人も楽しそうかも^^」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月10日
『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』。こちらは、10冊目の著書(お、キリがいいですね^^)にして初めての「心理エッセイ」になります。私の本は、「女性向けエッセイ」「女性向け自己啓発」といったジャンルに入ることが多いのですが、いつも一番気合を入れてお伝えしようとしているのが、「心の動き」なんですね。だから、「こういうことが起こると、心はこう動く。 なぜなら、心にはこういう傾向があるから。 だから、それに気づいて、こういうふうにすれば、 心がラクに幸せになる」ということを見つけては、せっせとご紹介しているのです。なぜなら、自分の人生をラクに幸せにするには、自分の「心」の持ちようが一番の鍵だと思うからです。歩くたびに石をふんずけては痛い思いをしている人がいるとします。石が痛いので、誰かに頼んでそれをどけてもらったとしても、また新たな石を踏んでしまう。それは、自分が石がゴロゴロしているところを知らず知らず歩いているから、ということがあります。自分がその場を選んでいる限り、その都度誰かに頼って取り除いてもらったとしても、また石に当たってしまうのです。けれど、自分が方向転換すれば、石のない場所を歩くこともできるのです。その方向転換をするのが、「心の持ちよう」なんですね。そのことは、「超スピリチュアル体験記」を読んでいても強く思います。こちらのブログは、奥様の死をきっかけに霊能力に目覚め、浄化などもされているゴル2001さんが書かれているのですが、ゴルさんは、依頼を受ければ、浄化をされます。けれど、浄化しても浄化しても、また元に戻ってしまうことも多いのだそうです。けれど、その人に「前向き」な意識があって、物事を受け止める力があればあるほど、波動エネルギーが高くなるので、浄化の効果も高くなると言われます。人は、トラブルが続くと、祟りなど、人外の力のせいではないかとお祓いをしたり霊視をしてもらったりしようとします。でも、それで一時はラクになったとしても、その人の「心の方向性」が同じなら、また同じものを引き寄せてしまうのでしょう。「またこうなったらイヤだな」と思えば思うほど、「イヤなこと」を引き寄せます。「あれは○○のせいだ」と思えば思うほど、また誰かのせいにしたくなるようなことが起こるのです。けれど、私の新刊でも書いていますが、・イヤなことでも、「自分に必要なことだからかも」と引き受ける・ダメな自分も、「いいじゃないか」と受け止めてみるそういうことをし始めると、だんだん、「どんとこい!」という気持ちになってきて、「イヤなことが起こってもなんとかなる」と思えるようになってきます。そうすると、「イヤなこと」にフォーカスしなくなるので、結果的に、イヤなことが起こらなくなるのです。石ゴロゴロのところでなく、石のないところをいつの間にか歩いているようになるんですね。そして、「こういう気持ちを持っている限り、大丈夫」と自分を信じれば信じるほど、「どこかでお祓いしてもらわなきゃ」という気持ちにもならなくなってくるのです。そんなエッセンスもたっぷり詰まっている、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』。明日の出版トークショー、まだ駆け込み申し込みOKだそうです!(今関店長さま、ありがとうございます!)よろしければ、いらしてくださいませ~!^^日時:2010年8月8日(日)15:00~場所:大盛堂書店渋谷駅前店3階イベントスペース JR渋谷駅ハチ公口下車徒歩1分:センター街入口参加費:無料(要お申し込み)申込方法:電話 03-5784-4900 メール imazeki@taiseido.co.jp ※お名前と緊急ご連絡先、件名「8/8恒吉トークショー申込み」の明記をどうぞお忘れなく!^^「心か~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月07日
ただいま絶賛発売中の、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』。本では、私が前向きになれたエピソードもいろいろご紹介しています。その一つが、「人前で話をすること」について。私は、人前で話をするのが子供のころから苦手でした。授業のとき、国語の教科書を読みあげるのでさえも、緊張して声が裏返ってしまうほどだったのです(笑)。さらに、「恥をかく」ということも怖がっていました。だから、人前でうまく話せなくて恥をかいたら…と思うと、よけいに緊張していたのです。恥をかくのが怖い。これはつまり、「失敗する、うまくできない自分を「認められない」」ということなんですよね。認められないと、どんどん自分が苦しくなりますし、苦手なことを克服することもできません。それで、本のテーマでもある「「ある」を見つけて、認めること」をしてみようとしたのです。人前でうまく話せなくても、なにか得ることが「あるとしたら?」。…すると、見ていた方が、「なぁんだ、あんなに話すのが下手な人でも、 人前に出ることができるんだから、 自分だってできそうだ!」そう思ってくださったら、その方の勇気のきっかけになります。だから、「失敗しても、いいじゃないか」と、失敗して恥をかく自分も「認める」ことにしたのです。そうしたら、これが大当たり!「うまく話せても成功、失敗しても成功、どっちに転んでも大成功だ!」と思ったら、肩の力が抜けて、けっこう楽しく話ができるようになったのです。笑いをとる余裕までできるようになりました。もちろん、すべることも多いのですが(笑)。緊張してしまう場面。そんなときはきっと、「よく見せよう」という気持ちがあるはずです。でも、「失敗しても、いいじゃないか!」と、失敗する自分を認めて、もし失敗したとしても、それによって得ることもある、と開き直ると、心がラクになりますよ。「できない自分を認めること」ぜひ、やってみてください!^^…そんな話し下手だった私のトークショー。いよいよ8月8日15:00~に、渋谷で出版記念として無料でさせていただきます!まだ申し込み受付中ですので、「やっぱり気になる!」という方は、ぜひ!^^「どれだけ成長したのか?」を見たい方もどうぞ(笑)。全員プレゼントに、プチセミナー、重大?サプライズ発表もありますよ~!お申込・詳細は http://plaza.rakuten.co.jp/ayatherapy/4000「ダメなところも認めてみようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月06日
高校生の頃、夜、ベランダに出て、風に吹かれているのが好きでした。階下では公園の木々がざわざわと緑の葉を揺らし、涼やかな風が、ほおをなでていきます。それを感じながら、「今吸い込んだ空気は、マイケル・ジャクソンやマドンナも 呼吸した空気かもしれないなぁ」などと思いを馳せていたのです(笑)。でも、可能性はゼロではありませんよね。流れていてもよどんでいても、地球の大気は一続き。つながっているのです。いわば、「一つの大きな空気」をみんなで共有しているんですよね。もう一つ思っていたことがありました。「足をつけて立っている限り、 好きな人とも嫌いな人とも、 同じ地球の上で、つながっている」どんなに離れていても、どんな人とでも、「一筆書き」のように、私たちはつながっているんですよね。同じ空気を共有して同じ大地を共有して体は別々ではあるけれど確かにつながっているそんなことを想っていたのです。さらに長じて、ユングの心理学では、「集合無意識」ということで、意識も奥底で他者とつながっているという考えがあることを知りました。スピリチュアルな考えでは、人は、「大いなる存在(神)」の一部であって、それぞれの魂が経験したことは、そこに集まっていく、というようなことも言われているのを知りました。「他人も自分も一つ」というのは、さまざまなところで言われているんですね。別々の体を持って、別々の経験をしているけれど、奥底はつながっている。「あの人」は、自分がしていない経験を、自分の代わりにしている。そう思うと、うらやましい人も、「あれは自分だから」と思うこともできるし、非道なことをする人も、「あれは私の別の姿かもしれない」と思うこともできます。そうすると、自分と異質なものも、「認める」ことができるんですね。認めると、うらやむ心や責める心がおさまって、心がラクになるのです。なかなか、スピリチュアルな域までは「一つ(ワンネス)」を実感できません。けれど、「同じ一つの空気を共有している」。というのは実感できるでしょう。ショボンとしたとき、深呼吸して、「いま吸っている空気は、自分が大好きな人が 呼吸したものかもしれない」と思うと、なんだか呼吸が深くなって、心が晴れてきます。好きな人というのは、身近な人でも、憧れの芸能人でも、海外のスーパースターでも、もちろんOKです。また、足を下につけている限り、「大好きな人と、地球を通してつながっている」と感じることもできるでしょう。心がラクになるために、「一つのものを共有している」「もとは一つ」そういう視点を持ってみるのも役立つと思います^^。ただ、残念なのは、漫画やアニメのキャラクターとは同じ空気を共有できないんですよね~(笑)。というわけで、「作者の先生と同じ空気」ということでガマンです(笑)。「深呼吸しよう」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年07月30日
図書館で、面白そうな本を見つけました。『大正時代の身の上相談』(笑)。大正時代の善男善女の相談事を、新聞紙上で記者さんが答えてくれる、というものです。「芸者になるには声が悪い」「妻が処女でなかった」「お尻の大きい少年の僕」「何不自由ない暮らしだが空しい」―。どうかと思うような悩みや、深刻な悩みが時代を映し出し、つい現代のわが身を省みる…というもので、それに対する記者さんの答えも見ものです(笑)。私が「ナルホド」と思った相談とその答えが。「お悩み 私は、仁とか博愛とか慈悲とかいう宗教的観念に 捕らわれているのでもないのですが、 しかし、この宇宙を唯心的に解そうとすると、 自然、魚鳥を喰い牛馬を使役することに、 大いなる矛盾を見つけます。 この疑問に少なからず煩悶しています。 明快なるご教示を願います(煩悶生)」※唯心的…物質主義への反発から、精神的なものを尊ぶ考え方…お悩みも、なんだか格調高いですね!仏教でも、「殺生はいけない」と言っていますし、今も、スピリチュアルな考え方では、肉や魚を避けるようにと言うところも多いです。それに対する、記者さんのお答えは…。「お答え 宇宙を唯心的に見れば、魚鳥だけでなく草木にもまた 心があるのですから、野菜を喰うことも残酷な業だといえます。 そうすると、飢えて死ぬほかしかたがありますまい。 それゆえに唯心的宇宙観も、そう神経質になってはおしまいです。 万象は、互いに犠牲的生涯を送るところに大いなる意義が あるのではないでしょうか。 魚鳥も牛馬も草木も、人間の犠牲になって、 宇宙の最高目的を実現するためのいくらかの手段となれば 満足だろうと思います。 しかし、人間がこれらのものに対するときは、 できるだけ慈悲の心を持つべきだと思います」いかがでしょうか~?「魚鳥だけでなく草木にもまた心があるのですから、 野菜を喰うことも残酷な業だといえます」いやはや、そうなんですよね。人は、何であれ、生き物の命をいただかなくては生きてはいけないのです。そう思うと、どんな形であれ提供された食べ物は、ありがたく美味しく感謝していただくこと。そして自分の血肉とさせていただいて、元気をもらったら、自分にできることを周りにしていくこと。それが命を譲ってくれた生き物たちへの恩返しになるのではないかと私は思っています。「命を犠牲にして申し訳ない」と思うこともできますが、「命を犠牲にしてくれたから、応えよう」と意識したら、自分のやる気や意欲にも影響すると思うんですよね。人は、自然を変え、生き物を飼育してまで、たくさんの命を消費させていただいています。だからこそ、それに応えるべく、自分らしく幸せに、喜びを自分にも周りにも生まれさせるよう生きていこうとするのは、人としての義務ではないかと、私は密かに思っています(笑)。もちろん、過剰に食べたり、無駄にしてしまうことがないようにする、慈悲の心も大切ですね。あともう一つ「ほぅ~」と思ったのが、転職を繰り返す22歳の男性のお悩みへのお答え。「昔あるところに、一人の石切り職人がいました。 毎日コツコツ鑿(のみ)で石を切っていますと、 立派なりをした人がうらやましくてなりませんでした。 そこで、石切り職人は何事も自由に贅沢できるお殿様になりました。 ある日、このお殿様が猟に出ました。 すると雪雲が出て猟ができませんでした。 このお殿様は、自分より雲が偉いと思い、 今度は雲となって自分の威力を示していました。 けれども雲は太陽に勝てませんでした。 ところが、この太陽も道に横たわっている石の像には かなわなかったので、ついに石になりました。 ところが石は、毎日石切り職人にコツコツ鑿で切られなければ いけなかったので、結局もとの石切り職人に還俗して、 真面目に暮らしました…という話が、 千葉の田舎に伝説として残っています。 こういう話を聞いて、あなたは何と思いますか。 迷えば、三千世界を彷徨しても足りませんが、 覚悟をすれば今すぐにでも自分の暮らしを見出すことができましょう」いや~、例え話まで出てきましたよ!(笑)「覚悟をすれば今すぐにでも自分の暮らしを見出すことができましょう」確かに、今の「ない」でなく「ある」を見つけて、それに打ち込めば、どんなことでも面白くなるでしょうね。でも、いろいろなことをやってみるのも、これはこれでいい経験になるのでしょう。ちなみに、「三千世界」とは、仏教用語でいうところの「10億個の須弥山世界が集まった空間」。つまり「全宇宙」ということですね。江戸の末期、「三千世界の烏(からす)を殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたい」という、「主を取り巻く世間の些事から開放させて、ゆっくりと過ごしたい・帰したくない」という妓女の願いを歌った都都逸(どどいつ)が流行ったそうです。ちなみに高杉晋作の作だそうですよ。こうしてみると、大正時代は、今よりもずっと、仏教観が日常に浸透していたのでしょうね。そんなこんなで、「人の不幸は蜜の味」?(笑)人生相談を読んでみるのも、なかなか楽しいものです。なにげに、昨日のブログに引き続き、高杉が出てきましたよ~^^。「人の不幸は蜜の味!」と思う方は、押してみてくださ~い!↓
2010年07月20日
佐藤伝ちゃん先生を通じて知り合いました、コーチザビジョン代表の原村和子さんの著書『イタい人にならない自分☆発信力』を読みました。原村さんは、コーチングを通じて、「人の最上級の強みを引き出す」プロフェッショナル。コーチングとは、「人は自分の中に答えを持っている」「人は完全な存在である」とう哲学をもとに、夢や目標を実現させるために行う、自己開発の方法です。本でも、その手法が余すところなくとりいれられて、・思い通りに生きる「自分軸」の作り方・自分を伝えるコミュニケーション能力・自分発信にかかせない演出…さまざまなことを分かりやすく紹介してくださっています。「自分をもっと知りたい!」「もっと上手にコミュニケーションできるようになりたい!」という方には、オススメですよ!「自分軸」というのは、「自分らしさ」ということ。自分軸がないと、人の意見に左右されてしまったり、反対に他の意見を受け入れられなかったりしてしまいます。自分の自分軸を知るヒントは四つ。・自分が好きなことは何か?・心躍るものは何か?・人生の中で自分がお金をかけてきたものは何か?・時間を費やしてきたものは何か?その中から、自分らしさを見つけていくのです。原村さんは、プロレスが好きだそうです。(プロレスの選手のコーチングもされています)そこから見えてくる「自分軸」。それは…・たくましく生きる・自分の生きざまを表現したいということなんですね。あなたの「自分軸」は何でしょうか?^^コミュニケーションについても参考になることがたくさんありますよ。例えば、質問の仕方。会話を発展させたいと思ったら、質問をしますよね。けれど、「お酒は好きですか?」というような、「イエス・ノー」で答えられてしまう、「クローズド・クエスチョン」では、すぐに終わってしまいます。けれど、「ど」のつく質問、「オープン・クエスチョン」は違うのです。「どんなお酒が好きですか?」「どこのお酒が好きですか?」「どのようにして作られたお酒が好きですか?」このような質問は、相手の意思を引き出していくのです。さらに、「未来質問」と「過去質問」。「○○さんはこれからどうしたいの?」というのが未来質問で、未来に向かって動くことを訊きます。「どうしてできなかったの?」というのが過去質問で、原因の追及をすることはできますが、前向きな答えは期待できなくなってしまうんですね。そして私が、「これ、やってみよう!」と思ったのが「肯定質問」と「否定質問」。肯定質問というのは、質問の中に「できる」「する」「始める」などの肯定的な言葉が入ります。なので、意識が前に向き、エネルギーを充電できるものです。例 「いつから始めますか?」否定質問というのは、質問の中に「できない」「やらない」など否定の言葉が入ります。すると、暗い気持ちになってしまいます。例 「どうしてやらないの?」これ、「認める」ですよ!(笑)「できない」とか「やらない」というのは、「ない」ということですから、「認めていない」ということなんですよね。すると、人は「認められない」と思うと、元気がなくなってしまうのです。けれど、「できる」「する」「始める」というのは、「ある」ということ。相手ができると「認めている」ことです。すると、人は「認められている」と思うと、元気が出て、やる気になるのです。何かに失敗してしまったとき、「どうしてできなかったの?」と過去質問をされ、「なんで、こんなことができないの?」と否定質問をされたら、自信を失ってしまうでしょう。けれど、同じ失敗しても、「じゃあ、これからどうすればいいと思う?」と未来質問をされ、「それをいつ始めようか?」と肯定質問されたら、自信がわいてきますよね。会話というのは「テクニック」ではないと思います。けれど、「丸い卵も切りようで四角。物も言いようで角が立つ」という都都逸もあるように、同じことでも、「言い方」によって、スムーズに行かせることも、人間関係を良くすることもできるものです。気持ちがよい会話術というのも意識してみると、相手も喜びますし、自分も楽しくなります。原村さんの本を読んで、ぜひ素敵に「自分発信」をしてくださいませ~^^。昨日、久しぶりに「龍馬伝」を見ました。坂本さんと高杉さんが「桂さん」の話をしていました。「きゃ~!萌え~!(*^O^*)」と思ったのは、単に私が好きな漫画『銀魂』に、坂本、高杉、桂というイケメンキャラが出てくるからです(笑)。「質問の仕方を考えよう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年07月19日
会社役員で、チャネラーでもある斎藤さちよさんの本、『あなたを開華させるEQ(こころ)・SQ(たましい)』を読みました。「IQ」(知能指数)、「EQ」(心の指数)は聞いたことがあったのですが、「SQ」(魂の指数)というのは初めて知りました!本では、さちよさんがビジネスマンとして感じる、EQ、SQの必要性と、生まれてからのあらすじを紹介することでの、日々に必要なことの教えが紹介されています。「なるほど~!」と思ったこともいろいろありました。「現実に起こる問題には「クリアできる問題」と、 「クリアできない問題」があります。 クリアできるかできないかは、 クリアすると決めて、「やるか、やらないか」。 クリアするまで諦めずに、 「やるか、やらないか」、 その違いなのです。 どんなに困難に思えることでも、 これまで問題をクリアしてきた経験を活かしながら、 知恵を働かせれば、「やればできる」ことなのです」そうなんですよね!「できるか、できないか」ではなく、「やるか、やらないか」。あきらめなければ、やる気を失わなければ、やる、と決めたことはやればできるのです。けれど、「事情が…」等々で、「できない」と思うこともあるかもしれません。そんなときに、私が使う例えが「トイレ」です。ほとんどの方は、大人になってから、トイレに行きそびれて、人前で粗相をしたことはないですよね。トイレに行きたかったら、どんなことをしてでもトイレを見つけて駆け込んで、用を足したはずなのです。このように、「絶対叶える」と本気で思っていたら、叶うのです。だから、もし「できない」と思って、やらないでいることがあったとしたら、それは自分にとって「トイレよりも、優先順位が低い」ということなんですよね(笑)。ちょっと乱暴な言い方ですが、こうお伝えすると、皆さん笑って、「トイレは100%できてますから、これも本気になればできそうです」と言ってくださいます。また、さちよさんは、「360度の視野を持つ」ということも言われています。「心の視野を360度に広げてみたら、 好きなところや共感できるところが、 一つや二つ見つかる」ということです。例えばAさんが嫌い、というときでも、「好きなところ探し」をしてみるのです。ネクタイを見て、好きな柄だったら、「趣味がいいネクタイだな」と、外見でもいいから一つ認めてみるんですね。これは私もしたことで、OL時代、体が湿疹だらけになるくらいのストレスをかけられた上司に対しても、「あの人のもの言いは××だけれど、 仕事を離れると○○なところもあるから」と思って、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と、「丸ごと嫌いになる」ということは避けようとしていました。それと同時に、「あの人は、私の仕事の××なところを指摘しているのであって、 私の人格すべてを否定しているわけじゃない」ということも思うようにしていました。そう思っていたからこそ、のちにあの人を「マイナスの恩人だ」と認めることも早かったのかもしれません。「360度の視野」。大切ですね!あと、「黒・白・グレイ」のお話。プロジェクトのメンバーで仕事に前向きな人(白)が5人、否定的な人(黒)が1人、どちらでもない人(グレイ)が4人いたとします。すると、「腐ったミカン」のように、一人でもマイナスのエネルギーを持った人がいると、チーム全体が引きずられてしまう、かと思いきや。グレイの人は、同じチームに「白」と「黒」がいることで、両方を見て自分の立ち位置を決めることができるので、より「白」のプラスのエネルギーに巻き込まれる、ということがあるそうなのです。そうかもしれないですよね!「何でこんな人が」と思う人が反面教師となって、自分のやり方や考え方を見直す、ということは確かにあります。大きな会社には、デキる人も、普通の人も、ヤバい人も(笑)いるものですが、ヤバい人も会社にとっては必要である面もあるからなのでしょう。そう気づくと、「「黒」を認めてもいいかな」と、「認める器」も広がりそうですね。最後に、使えるワザが、「体移動」。これは何かというと、モヤモヤやクヨクヨがあって、なかなか気持ちの切り替えがうまくいかないとき。今いる場から立ち上がって「今はこうだけど、もう変わる。変わった!」と言って、歩き出して移動するのです。「体を移動する」というような「実際のアクション」はけっこう効くんですよね。やってみてください^^。スピリチュアル、というとなんだかフワフワした感じがしますが、さちよさんは、地に足のついた実業を行いながら、それにスピリチュアルを生かしておられるのが素敵ですね~^^。「なるほど~!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年07月18日
「エチカの鏡」に出演し、「人生を変える本屋さん」として話題の、清水克衛(かつよし)さんの新刊、『一瞬で忘れられない人になる話し方30のコツ』を読みました^^。清水店長は、私も入っている「読書普及協会」の理事長でもあり、たくさんの方から慕われています。そんな店長の「話し方の極意」。面白いですよ!店長の店、「読書のすすめ」のそばに、ラーメン屋さんがあるそうです。けれどそこが、毎日スープの味が違い、ギョーザは焦げているかべちょべちょかで、お世辞にも「美味しいお店」ではないそうなんですね。そういうお店に入ったら、あなたはどういうリアクションをしますか?その上に、店員さんの態度まで悪かったとしたら…。きっと不機嫌になってしまいますよね(笑)。けれど店長は、「修行」だと思って、「ごちそうさまでした。ありがとう。美味しかったです」と言うことを勧めています。それには、二つの効果があるからです。一つは「相手が気持ちよくなる」こと。お礼を言われて、イヤな気分になる人はいません。この「ありがとう」のおかげで、次のお客さんには、もうちょっと機嫌よく接してくれるかもしれません。さらにもう一つが、「自分の気分がよくなる」ということです。店長は、「自分の機嫌は自分でとる」とよく言っています。人は、自分の機嫌の良し悪しを、他人や周りのせいにしたがるものですが、「機嫌を損ねているのは、自分以外の何者でもない」んですよね。態度の悪い店員さんに対して、腹を立てているのは「自分」。だから、自分が(ああ、この店員さん、昨日彼氏とケンカでもしたのかな? じゃ、しょうがないな。元気出してね)と思いやることで、心を和らげられるのも「自分」なんですね。(泣きたいくらいの気分なのに、働いてえらいね)という気持ちになったら、「ありがとう」も、心から言えるでしょう。…けれど、「向こうが悪いのに、なんでこちらが下手に出なきゃいけないの?」と思うかもしれません。けれどこれが、店長流の「話し方の極意」の一つなのです。相手の態度が悪かったとして、それを責めても、お互いの気分が悪くなるだけです。でも、思いやることで、イライラが少し収まったら、「自分の機嫌を自分でとる」ことができますよね。それに、自分が「ありがとう」と言うことで、店員さんもいい笑顔で「ありがとうございました」と言ったら、ちょっと見直せて、さらに気分がよくなるかもしれません。これも、「認める」ということなんですよね。イヤな相手のことを、いいふうに思いやることで、少しでも認めることができたら、イライラが減るのです。イヤな相手を「認める」とか「許す」というと、こちらが「負ける」と思うかもしれません。でも、違うのです。これは、自分がラクになって、イライラから解放されることなのです。さらに、「あの料理に感謝できるなんて、自分すごーい!」と自分をほめたら、さらに気分良くなれます(笑)。もう一つ、店長が「好かれる人になるために必要」だと思うことがあります。それは「愛嬌」。具体的にいうと「いつも笑顔で、挨拶ができること」です。笑顔も挨拶も、「あなたを受け入れていますよ、認めていますよ」ということですよね。人と接することにおいても、「認める」ということは大切ですね~~!^^今や、何を見ても「恒吉EYE(アイ)」に映るのは「認める」ことばかり(笑)。「オチはやっぱり「認める」かい!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年07月16日
福岡セミナーで、私は『「認め力」「開運力」を高めて、愛されて幸せな人になろう!』という、壮大なテーマでお話をさせていただきました(笑)。わたくし、「認める」ということは、孫子の兵法「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」になぞらえ、「人を認め、己を認め、物事を認めれば、万難危うからず」と、まじで思っているのです(笑)。例えば。買い物で並んでいるときに、自分のほうが先に並んでいたのに、隣の列のほうが早く進んだら、イラッとしませんか?私は短気なのでします(笑)。ではなぜ、イヤな気分になってしまうかというと、・自分の列のレジ打ちの人がなっていない!・この列を並んだ自分の見る目がない!・時間がなくなる!…このように、たくさんの「ない」に気づくからです。人は、「ない」ことは、なかなか認められません。そして、「ない」ことに気づくと、イヤな気分になる傾向があるのです。けれどここで、「ある」を見つけてみるんですね。例えば・自分がこっちに並んだから、隣の列は一人分早くなった。いいことをした。・この時間に、夕御飯のメニューを考えることができる・急ぎの予定もないから、待つ時間はある…このように、「得たこと」「あること」「ためになったこと」に気づくと、なんだかイヤな気分がおさまってくるでしょう。人は、「ある」ということに気づくと、いい気分になれます。そして、その物事を「認める」ということができやすくなるのです。また、人間関係においてでもそうです。この前、電車でよろけて足を踏んでしまったら、謝ったのにも関わらず、ものすごく叱責されてしまったのです(>_
2010年07月15日
7月10日は、福岡で初のジョイントセミナーをさせていただきました!本州以外では、なんと5年ぶりとなります。5年前に鹿児島セミナーを主催してくださったTさんも新幹線で駆けつけてくださって、感激でした!(TOT)参加者の雰囲気というのは、その土地によって変わるもの、と言われますが、福岡の方は…(福岡中心ですが、佐賀、長崎、山口、広島からも来てくださいました!)あったか~~~~い雰囲気でいらっしゃいましたね(*^O^*)。今回のテーマは、『「ひらめき☆直感力」&「認め力☆愛され力」でほしいものすべてを手に入れよう!』というイケイケなタイトル!(笑)「怪しまれるのでは…」という若干の不安をよそに(笑)、たくさんの方にお集りいただき、すごく嬉しかったです。まずは、今回のパートナーの伊堂寺博枝さんからのお話、「ひらめき☆直感で、ほしいものをすべて手に入れよう!」。ひらめきとか直感というのは、「見えない力」からのメッセージであって、それをうまくキャッチできると、人生の波に乗れる…。そんなふうに思いますよね。では、その力を高める方法というのは…?断食/瞑想/質のいい睡眠(夢)/プチ瞑想テレビを消す(情報を断つ)/芸術に触れる(絵や音楽を生で体験する)旬のものを食べる/自然に触れる(グリーンを置く)歩く/新しいことを始める(習慣を変える)…いろいろありますね!私も共感することいっぱいです。(いくつかは『自分を浄化する101の習慣』でもご紹介しています^^)「瞑想」というと、なんだか大変そうですが、「プチ瞑想」というのは、ほんの1分でもできるもの。朝、今日の予定と、「あったらいいな」ということを思い浮かべる。夜、今日あった楽しいことと、「明日こうなったら楽しいな」ということを思い浮かべる。これ、オススメですよ!引き寄せやすくなります!けれど、こうやってひらめきや直感力を高めても、浮かんだことを実行に表さないと、そこで終了、となってしまうのです。夢に○○さんが出てきたとします。それを、「ふーん」で終わらせたら、そこで終わり。でもそこで、「じゃ、久しぶりに電話でもしてみるか」と行動することが大切なんですね。ひらめきや直感を行動に表していくとどうなるか。だんだん、シンクロニシティ(不思議な偶然)が起こりやすくなります。さらに、ツキや幸運が起こりやすくなります。そしてさらに、セレンディピティ…「ひらめきによって幸運をつかむ力」や、「失敗から、それ以上の成果を得る力」を身につけることもできるようになるのです!楽しみですね~!「たった3秒で直感力アップ」という方法も教えていただきました。それは…買い物をするとき、直感で選ぶ、ということ。「あっちのほうが大きい」とか「こっちのほうが安い」とかいうのは、「頭」で考えていることなんですよね。でも、「ピン!」ときたものを選ぶようにしてみるのです。ちなみに、どうしてもそれが気に入らなかったら、1回のみ、チェンジOKだそうです(笑)。私もさっそく、次の日に試してみました^^。ヒロさんは、洗面所でトイレを選ぶとき、「奥」と浮かんだのに面倒なので手前に入ったら、汚れていたりとか、帰り道で「遠回り」と浮かんだのに、いつもの道を通ったら、そこで露出のおじさんに出くわしたりしたことがあったそうです(>_
2010年07月13日
福岡、行ってまいりました!\(*^O^*)/ご来場の皆さまもとても素敵で、ものすごく楽しい時間を過ごせたのですよ~!^^そのレポートは明日ということで…。今日は、この頃気に入っているブログのご紹介をいたします。ブログランキングで見つけたのですが、それは…。『超スピリチュアル体験記』。こちらは、数年前に奥さまを失くされたことをきっかけに霊能力が身につくようになられた、3人のお子さんがいらっしゃる、アラフォーの看護師・ゴルさんのブログです。まだ数カ月分しか読んでいないのですが、とても面白いです。霊のエネルギーを視ることがおできになるので、ニュースなどを見ていると、その対象に意識を向けることで、その霊(亡くなった方のも、生きている方のも)とコンタクトを取り、メッセージを受け取ることができるそうです。カテゴリー分けしたものから、マイケル・ジャクソン、ダイアナ妃のこと、フィギュアスケートやワールドカップのことも紹介されています。「2012年のアセンション」もありますよ。もちろん、ゴルさんご本人が書かれていますように、これは正しいかどうか証明できるものではありませんし、私も真実かどうか分かりません。けれど興味がある方は、「こういうこともあるのかもしれないなぁ」という意識でご覧になると、面白いと思います。読んでいて、「なるほど~!」と思ったのが、「自己波動の上げ方」。「波動を上げると良い」と言われていますよね。それで波動を上げるというパワーストーンやお水とかも販売されています。滝行などの荒行もあります。けれど、ゴルさんは「『人間の満足度』が自己波動の上昇に必要です」と言われます。具体的にいうと、・どんな場所でも文句を言わないで、いい所を一つ見つけて納得し、 できることをすること・好奇心をもって、恋愛や新しい発見、感動などをして自分を存分に楽しむことということです。確かに、不満があるときというのは、「どよん」としています。けれど、「あ、こうすればいいのか!」と解決策に気づくと、急に目がイキイキしてきますよね。きっとその瞬間、波動が上がったのです。波動=「生体エネルギー」と考えても、エネルギーのある人は、前向きでイキイキとしています。もちろん、どうしてもテンションが上がらないときというのもあります。でも、そういうときにでも、一つでも「いいところ」を見つけたり、感動する映画などを見て、心を動かしたりしたら、その瞬間、波動は上がるのでしょう。私がこの頃おすすめしている「認める」ということも、さまざまなことを認めることができるようになると、「いい気分」になれるからです。いい気分になっているときというのは、波動も上がっているのでしょうね!そう考えると、「ない」の中から「ある」を見つけて気分を変える、ということを書いている新刊『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』は、「波動を上げる本」かもしれません(新刊に話を持っていくか!(笑))。『超スピリチュアル体験記』。ご興味のある方は、どうぞ読んでみてくださいませ~^^。なぜ今日福岡レポートでないかというと、午前中はシャカリキでゲラの再校正するので、書く時間がないからです(笑)。こちらは、福岡に行く前に書いておいた記事です^^。>rikoさん書き込みをありがとうございました!いろいろな視点を教えてくださってありがとうございます。ほかの方もコメントをありがとうございました!福岡で、ヒロさんが「直感に従う方法」をご紹介くださったのですが、ふと「これも書くかな」と思ったことを書いたら、それに反応される方がいらっしゃる…。これも必然のことなのだと思います。ヒロさんの直感のお話はまた後日に…!「波動を上げるってカンタンそう!」と思われた方は、押してみてください!↓
2010年07月12日
「天使にお願い」。これはものすごく効く手!なのですが、ちょっと迷うのが、「お願いするときの言葉」です。苦手な人をなんとかしたい場合、「あの人に嫌われませんように!」というのが一番ストレートなお願いかもしれません。けれど、この言い方は、「嫌われる」という言葉の痛みが強いので、「ませんように」という打ち消しが消えてしまうのです。なので、逆に「嫌われる」ということを引き寄せやすくしてしまいます。また、「あの人」を動かそうとしても、あの人は、あの人が求めるものを引き寄せます。だからこの場合は、「あの人と一緒に、楽しい時を過ごせます!」と言って、楽しい気分を体感する。それが一番、「引き寄せの法則」的に、願いが叶いやすい方法です。ここで迷うのが、「~しますように」という言葉。これは、使わないほうがいい、と言われています。なぜなら、「しますように」と言うということは、「現実ではそうでない」という逆暗示を自分にかけることになります。また、「しますように」と「願っている事実」はもう引き寄せている、とも考えられるからです。だから、「~します」というような現在形、さらに「~しました」と完了形にするほうがいい、とも言われているのです。でも私は、幸せでないのに、「幸せになりました、ありがとうございます!」と言うのは、人によっては、「本当はそうでないのに…」と逆暗示をしてしまうので、逆効果の場合もあるのでは、と思っています。だから、「~しますように」と願うほうが、なんとなく信じられて気分がいい、というのであれば、そちらでもいいのではとも思います。皆さん、ぜひ「幸せになれますように」「幸せになります」「幸せになりました」と言ってみて、どれが一番、自分の心が温かくなるか、試してみてくださいね。ちなみに私は、「なります」という現在系が好きです。例えば、今週行われる、7月10日の福岡セミナー。関東と違って、アウェイ。福岡近辺に、読者さんいらっしゃるかしら。参加者、集まってくださるかな…。ドキドキしながらも、「当日は、たくさんの方の笑顔を見られて、 ニコニコ楽しくお話しができます!! ありがとうございます!!!」と唱えていました。最後の「ありがとうございます」は、私の天使さんに、「お礼まで言ってるんだから、よろしく頼むよ~!」というプレッシャーをかけているものです(笑)。そうしたら…。主催してくださる伊堂寺義則さん、ジョイントで一緒にお話しをさせていただく伊堂寺博枝さん、告知にお手伝いしてくださった方々のご尽力もあり、おかげさまで定員40名を超える皆さまが集まってくださることになりました~~!\(*^O^*)/天使さん、皆さん、ありがとうございます!初・福岡は、ウキウキワクワク、ドッキドキです!昨日は、セミナーを目前にして、お二人とスカイプ・ミーティングをいたしました。スカイプとは、インターネットで音声通話ができるアレですね。ヘッドセットをつけ、パソコン画面に表示した当日の資料を見ながら通話する…。なんだかカッコいいです(笑)。ヒロさんは「直感・ひらめき」ということで、「見えない力」のメッセージを上手に受け取る方法。私は、「認め力・愛され力を高める」ということで、「認め力」をつけることで、全てのトラブルを上手にクリアにしていき、愛される人にもなろう!という欲張りなお話をさせていただこうと思っています。伊堂寺ご夫妻とは、2年半くらい前に一度お会いして、今年の4月に再会。それですぐに「福岡でジョイントしませんか?」というお話しになりました。今、なぜ福岡に?きっと、これは導かれていると思うのですよね…。私にとっても、きっとご来場される方にとりましても。答えは当日分かることでしょう。「毎日ブログを見ています!」という方もお申込み下さり、嬉しいです~~~~~^^。お席を増やしましたので、まだご参加大丈夫です!ご興味がある方は、コチラからどうぞ^^。福岡、楽しみです!飛行機に乗るの、久しぶりですよ~~~!「自分はどのお願い口調かな?」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年07月07日
全55件 (55件中 1-50件目)