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次の日、健は店を休んだ。店先には当分の間、都合により閉店しますと張り紙をした。傍らに久美子、麗子が居た。神通川に来ていた。あの飛行場前の釣り場だ。ここはネット仲間に教わった場所だ。いつか訪れようと思った場所だ。早速、赤山で作ってもらったスーツから作ったベストに袖を通した。さすがに職人仕事だ。体型にぴったり合っている。収納も配置がとても考えられている。健は満足した顔つきだ。どこに入るか、考えたが久美子はまた上流だ。喜び勇んで下流の激流に健はおとりを出した。すると、肩口からなにやら、声が聞こえた気がした。「そんな、乱暴におとりを扱うな。竿角度が悪いぞ。」健には確かに聴こえた気がした。デモ、まわりには久美子しか居ない。久美子の声ではない。「分からんのか、竿をもっとベタ竿にしろ。わしの言う事が聞けんのカ。このベストを着るのは10年早いかもな」確かに聴こえる。健は首を傾けるばかりだが、指示通り、ベタ竿にして見た。すると、鋭い当たりと共に強い引きが竿を満月に引き絞った。良い形の鮎がかかったようだ。何とか、2,3歩下がり、抜きの態勢まで持ち込んだ、次に抜く瞬間にまた、声がした。「何をしている。その位で下がるな。すぐ抜け、その2,3歩自体がもう、負けているんだ。」また、声がした。健は声を無視して抜いたが、空中でポロリと分解した。「アホか、何し天然。しっかり千回。そんなんじゃ、千回やっても釣れんワイ。わしの弟子になる気があるのか」「何だか、どこの誰だか知れないがうるさいお方ですな、どこに居てるんですか。わたしの勝手にやらせてください。」「口答えするんか。アホか。ワシは友釣りの神様だぞ。そのわしに向かってなにぬかすんだ」「友釣りの神様?そんなのが居たかな?知らないな?」「その態度が気に入らない。分かった分かったぞ。今日はモウワシは助言しないから、勝手に釣れ。ワシは昼寝をしてるからな」「どこの誰か知らないが勝手に昼寝でもしてれば良いよ。このくそ暑い炎天下で熱中症になるなよ」「勝手に言ってろ」それからは長い沈黙が続いた。久美子がまた、上流で怒涛の入れ掛りをしていた。健は2匹目のおとりを出しても、マルであたりが無かった。その日は結局ボウズに終わった。麗子もその様子を岡から見ていてあきれていた。「あんた、全然釣れないね。岡釣りも下手だけど友釣りも下手なのね。」まるで女房気取りだ「ナンだよ、お前まで!、何だか知れないが、誰かうるさい声が聞こえたんだ。誰だろう、あの声は?」「私の師匠は友釣りの神様と一部の人にあがめられていたわ。その方かしら。でも、見えなかったわね?」久美子がいった「そうだろう。誰も居なかった物な」その日は結局、久美子が100匹、健がマイナス2匹で終わった。夕方になり、釣り宿に投宿するため、3人はある小さな民宿に向かった。 二つポチポチしてね 健は三人で酒を飲みながら、夕食を楽しんだ。しかし、気がかりはこの後の、就寝時間だった。その時、どう対処するか、思案投げ首だった。妄想も少し、入っていた。そんな事を考えていられるほどの状況は実際は待っていなかったのだ・・・・・・・
2008年11月12日
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「この村では座敷わらしは大切にしなくてはいけない存在なんです。幸運をもたらしマス。でも、本人にその話をするとどこかに消えてしまうんです。ですから、その話題にはあまり、大人の村民は触れないようにしてるんですよ。」「なるほど、それで、学校でも、子供達は知らん振りしたんですね。」「それに座敷わらし自体が周りの人間の記憶を消してしまうんです。ですから、他の子供達は知らないのかもしれませんよ。しかし、先生みたいに数字に強く記憶力が強い大人は不思議がるんですよ」ワシはそれで大体、この村に来てからの不思議な事柄に合点がいったんだ。「おじいちゃん、それって、昔話を脚色しただけじゃない。」「そんな事はないよ。信じられないけど、わしは次の日に実際に、分かったんじゃ」続く......
2008年11月01日
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ワシは名人の家に招かれた。彼の家は藁葺き屋根で古い家だったんじゃ。わしゃなその家に味わい深い歴史を感じたんじゃ「この家は玄関に入った途端に温かいこころになりますね。」「そうかね、私はそうでもないよ。毎日寝泊りしてるからね。」彼は相変わらずそっけない返事を返してきたんじゃ。囲炉裏が居間の中央にあり、そこにはモウ、なべがかけられていたんじゃ。周りには山女や岩魚の串刺しがあったんじゃ。鍋には、私の知らないキノコがいっぱい入っていたんじゃ。そして、漬物はさらにいっぱい用意をしてくれていた。「先生、まず、お近づきのしるしで一杯行きましょうか。」「この酒はこのアタリで一軒しかない造り酒屋の息子が私にくれたモンです。美味しいですよ。さ~どうぞ。」彼はそう言ってな、わしの盃になみなみと注いだんじゃ。酒の臭い香りはあたり一面にすぐ広がり、とてもいい空気のようだったんじゃ。その晩はワシらは色々話し込んでしまった。この村に赴任してきてから初めて、村の人と酒飲み、楽しい会話をしたんじゃ。お前はまだ子供だから、酒の味も分からんし、大人同士の会話もわからんじゃろが、大きくなるまでの楽しみで取っておけばいいことじゃな。その晩のワシらの会話は次の回に回すよ。それじゃな、続く・・・・ 二つポチポチしてね
2008年10月29日
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名人は自分の家の近くの河原で待っていてくれたんじゃ。そこはな、それ程大きくない里川だったんじゃ。「ワタル、良く来たな、この方がお前の先生か、まだまだお若いな。先生、ワタルが迷惑掛けてないかな。」「そんな事言わないでよ、ここまで先生を連れてきたんだ。おとなってのは、扱いが大変だな!」わたしゃ、その二人の会話に内心笑っちゃいそうだった。「どうも、初めまして、私がワタルの担任です」「先生、そんな堅苦しい挨拶は良いから、ここに来てください。」われわれは一言二言話すと何だか昔からの友人の様な雰囲気になったんじゃ。その彼の片手には「返し」と言うのかな、仕掛けがあったんじゃ。彼はそれを持って、川に入り、ワタルと私の見てる前で作業に入ったんじゃ。何だか知らんが、石をひっくり返して、それを川底に置いて、周りに石を置き上からも石を置いたんじゃ。彼の仕掛けた返しは川の石に溶け込んでどこにあるか、全然、分からなくなったんじゃ。「コンナ感じかな」彼は、そっけなく、言ったんじゃ。「これで一晩、待てば入ってるだろう。後は運を天に任せるんじゃ。ははっはは」ワシャな、この人が本当に名人か疑ったね。しゃべり口調がまるっきり、真剣味とか、誠実とかないんじゃな、それはそれで、気楽なんじゃがな。そん時は彼の鰻取りは単なる、道楽の趣味みたいに感じたヨ。それでも、ワタルの師匠だから、とりあえず、信じたよ。見よう見まねで、ワシも彼から渡されたその黒い筒を日が暮れるまであちこちに仕掛けたんじゃ。さすがに疲れたね。その様子を見た、師匠は「今日はむさくるしいけど、わしんとこに晩飯食いによればいいですよ、先生。」「そのお言葉に甘えて、寄らして貰おうかね。ワタル、お前はどうする」「僕は家に帰ろうか。明日、朝に早く、来るからね。バイバイ、」「気をつけて帰れよ。」ワシャ、疲れたからだで答えたんじゃ。続く。・・・・ 二つポチポチしてね
2008年10月29日
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次の土曜日になったら、早速、ワタルはワシの家に来たんだ。「こんにちは!!約束どおり僕来たよ。先生、鰻捕りの名人のところへ行こうよ。」「来てくれたか、それでは行こうか、コンナ格好で良いか。」ワシは、昔買ったウエーダーを出してきて履いたんじゃ。「先生、少し、大げさだね。僕らは裸足だよ。ま~いいよ、それより名人が待っているから、行こう。」ワタルはワシをせかすように背中を押したんじゃ。「分かった、分かった、惚れ、これでも食いながら行こう。」と言って、わしはワタルに爆弾おにぎりを一つ渡してやったんじゃ。爆弾だから、すごい大きくて、これ一つで満腹になる大きさだ。「わ~先生、大きいおにぎりだね。有難う!」ワタルは口を目一杯開けて、それをほおばったんじゃ。ワシも勿論、同んなじ、爆弾おにぎりじゃ。名人の待っている河原までわしらは道すがらそれを全部たいらげたんじゃ。そのうち、河原について名人らしき人物が立っているのが見えたんじゃ。今日はこの辺までじゃな。ジャ、またジャ! 二つポチポチしてね
2008年10月28日
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「さて、そろそろ、始めようじゃないか!お兄さん、頼むよ。」私はブルドーザのオペレーターに合図を送った。その合図をまって居たのだろうか、彼は思い切り、川の底をえぐり出して、小砂利をむき出しにした。すると川のアチコチからこの前の鮎達の声が直接津波のように私の大脳皮質に飛びこんできた。 「オイ、わしらの意見は聴かないのか、この、おっちょこちょい野郎。」「んだ、川底に5ミリから5センチ程度の石を入れてくれ、何でもカンでも掘り返せば良いというもんではない。」「わても、そう思う、わしの卵を産み落としてすぐ食べる仲間もいるそれを防ぐような石組みを作って欲しい。」「そうか、わかった、今度はうまくやるよ。水の中に入って見るから指示してくれ」「お前何をブツブツ言っているんだ。」「いや、何だか、疲れたみたいだ、ところで、もう少し、やり方を変えよう。」私たちはどうも、脈絡のない会話をした。そして、また、作業に入った。半日程度の作業が終わった頃には、鮎たちの声も大分納得のある声に変わってきた。最後にそこの一番鮎が宣言した。「モウ、その辺でOKだぜ、作業はこれで終了してくれ」「おい、湯河、終わりにしようぜ。もう、鮎たちは満足してるぞ。」「鮎が満足?。お前に分かるのか、論理的でないが実に面白い。そうだな、モウこれで僕も十分出来上がったと思う。止めよう。」「これで、明日には、すぐ、産卵に入るかもしれないぞ。明日また、ここに来てみようぜ。」私は自信満々に彼に言った。湯河はいつものクールなまなざしを金縁の眼鏡越しに投げかけてきた鮎に憑かれて六十年第2版 2箇所お願いします
2008年10月22日
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私はバーボンの抜けきらない頭を冷たい氷水を飲み、リセットし直した。研究室の隅のテーブルの上には湯河のメモ書きが置いてあった。「酒匂川の青橋で待っている」 それだけだった。私は大急ぎで、首都高経由で東名高速の太井松田に向かった。1時間も走っただろうかETCのゲートに衝突するほどの速さで私は太井松田のインターを抜けた。そこから、国道を少し走り、左折して、右側には酒匂川が流れている。 青橋をとりあえず渡り、橋のたもとを右折して、すぐ、川沿いの堤防の上の道を走るとそこには囮やがあった。そこに湯河がすでにたって、待ちわびている様子だった。「おう、1時間程度の遅れだな、その間に時は金なりで色々、水中観察をしておいた。どうだい、酒は抜けたかい。昨日は、昔の女の子の話になったらお前も変だったな。」「すまんな、わざわざ、ここまで、先に来て現地を見てくれるなんてな!しかし、女の子の話なんてしたかな?」「ま~済んだ事だ、そんな事は良いから、早速、分かった事を説明しよう。論理的に言えば、この川は昔からの暴れ川でドンドンと出水して、大きな石が流されたが、上流にダムが出来た事により、その石が供給されなくなり、砂ばかりになった川床のようだ。そのため、この川を維持するため、ここでは川止工があちこちに作られている。しかし、埋まっているところもあるな。そこで、砂ばかりになり、鮎たちが産卵しやすい場所が少なくなったようだ。産卵に適切な石の大きさは、川により異なる。5ミリから5センチ程度の石だけで、彼らが満足する産卵床ができる事もある。」湯河はいつものZIPPOを取り出し、煙草に火をつけ、煙をくゆらせた。「しかし、場所により、それではダメな河川もある。彼らがそういう配置を嫌っているんだ。天然の産卵場では、10センチ以上の石もあちこちに散らばっているんだ。どこでもそうと言うわけではないから、その川の流速、水深なども関係しているはずだ。また、産み落とした卵が、外敵や、友食いをする鮎に狙われないようにして、わざわざ、そういう場所を選んでいるのかもしれない。」「いささか、早急ではあるが、先ほど、潜ってみた感想だ。私はこの川にはもう少し大きな石を入れてやれば、立派な産卵床ができると思う。」彼は一気にそこまで、まくし立てた。若い頃から、彼は一方的に話を進めてしまう嫌いがあったが今でもそのようだ。続く・・・ 2箇所お願いします
2008年10月21日
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そんな入院生活が終わると、私は懲りずに次の休みに酒匂川に車を出していた。それは何かが待っているような気がしたからだ。その予感は河原に到着するとはっきりと分かった。何かが私の脳に直接話しかけてきたのだ。とりあえず、杉本囮屋でおとりを2匹買い、川に向かった。このおとり屋の前は一本のチャラ瀬で、小石底である。ヘチ沿いの変化や土手のギリギリに鮎が付いているのをいつも私は狙うのが常套手段だ。私は今日もそのつもりでチャラの芯にたちこんだ おとりをつけようとして引き舟からおとりを勢い良く出した。と、その時、私の脳に直接話しかけてくる声が聞こえた。「おいおい、手荒に扱わないでくれよ。これから、ワシをどこへ放すつもりだ。しっかり、鼻カンを通してくれよ。いや、このまま、ワテを自由の身にしてくれるのがありがたいんだがな。たのんまっせ。!」何だか、関西系のなまりの声だ。周りを見回したが、誰も、みんな、夢中で釣っている。私に声を掛けた人間は見受けられない。「おい、こっちだよ、お前の持っている網の中だ。ハヨ、せんかいな。しまいには、しばくぞ!」「え!お前か、!そんなところで話してるのか」思わず、私は大きな声を出した。周りの釣り人は網の中に向かって大きな声を出している私を変な奴だと言う顔で見ていた。あわてて、私は何事もなかったように、座り込んで、おとりに鼻カンを付けた。具合の悪い鼻カンだった。どうも、ブルージグの固定部分が不安だったが出して見た。とりあえず、おとりは泳いで行った。しかし、また、何だかまた声がした。「どうでもいいがな、ワテは関西から来たんだ。関西の友釣り師並にしっかり、泳がせてくれ、テンションが掛かりすぎだし、この適当な鼻カン回りはナンだよ。お前の適当な性格が出てまっせ。本場じゃ通用センナ。もう少し修業をセナあかんぞ。わかったか。返事をせい」「ハイ。スンまへん。しっかり作ります。今日のところはこの辺で許してくれなはれ」私は、つい、関西弁の声にエセ関西弁で答えてしまった。またもや、周りの釣り師がこちらを見てひそひそ話をしていた。「おい、あいつは関西から来たのか、変な関西弁だけど、へたくそな感じだ。ああいう輩のそばでは釣りにならないかもしれないからどこかへ移ろうぜ」「そうだな。」みんなその周辺の釣り師は私の姿を見ながら、気味悪がりながらどこかへ行ってしまった。 鮎釣りブログランキングブログランキングを見てね!
2008年10月17日
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大げさですね。そろそろ、釣りシーズンですので、ブログ小説はここらで断筆します。決して、どこからも圧力はかかって降りませんが、時間がありませんのです。下らん事書いていたから、頭も変になってきたみたい。これからは、釣りのリアルなサイトに当分なります。ヨロピクね断筆宣言の波紋 応援してね!
2008年03月17日
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私が空中にいるとき突然、辺りは砂煙に突然包まれた。地球温暖化により、全世界的な砂嵐が起きたのだ地上に落ちたときは落下防止用布を持っている人々も砂嵐のため、蟻の子を蹴散らすように全員非難したので、私は単なる布切れの置いてある地上に落下した。その衝撃はすざまじく、釣り師の花道を飾るにはふさわしい姿で命を落とした。右手に竿、左手は印を結んだままに・・・・人々は世界的な気候変動で地下生活や石の下で暮らすことになってしまったのだ。それも、人類の知性に対する傲慢なうぬぼれだ、仕方ない事だ。千年後・・・・・・・・・・・・・・・・・・の地球私は死んでいた。しかし、かすかに残った人類は静かに石の下で暮らしていた。気候も落ち着いた。地上には新たな生物達が闊歩していた。魚類が鰓呼吸から脱却し、自由に陸に上がってきたのだ。彼らは足はひれ状から指がついてきていた。体にはうろこも完全になくなっていた。また、食性も肉食になっていた。勿論、肉は豚、牛でも摂れた。それと同時に彼らの遺伝子上には祖先からのトラウマが残っていた。人類に弄ばれ、釣り遊ばれた事だ。そのため、彼らの珍味として、人間の肉が賞賛された。肉も高い値段で取引された。彼らには西瓜、メロンの様な味らしい。彼らの中には職猟師として、人間を専門に捕獲する職業も確立された。とにかく、石に着いた少ない苔や草、虫を食べている人間どもを探し捕獲するのが彼らの仕事だ。中には破格な年収を得ている仲間も居た。そして、エリート職猟師で、中にはインストラクターも現れた。彼らは素人に色んな技を教えたのだ。ルアーのインストラクターは色んなスプーンを提供した。秀逸な物は牛丼の○野屋の丼を模倣したルアーだった。これは余り苔の生えていない石の周りに投げて引きずると特に若い食べ盛りのオスの人間どもがかかってきた。懐石料理セットなどのルアーはやはり年寄りが食いついてきた。餃子のルアーは一時期喰い付きもしなかったこともある。それはある国の農薬問題だった。いつの時代も同じで流行があるもんだし、時代背景があったみたいだ。餌釣り師はいかに自然な餌かを見せかけるのに研究し、ファミレスまで建設した仲間が出現した。フライフィッシャーは蛸を真似たフライで人間を騙しておびき寄せた。その中で、ビーズを着けたり、色んな着色をしたのも流行った。しかし、食品添加物表示偽装で捕まった仲間も出てきたので、妖精フライ?などの白いフライが釣果が上がった時もあった。友釣りインストラクターは人間を生かしておいて、人間がいそうな場所に歩かせていって、石裏から人間をおびき寄せて釣った。この人間はおとりと云い、このおとりの活きの良さが釣果を左右したもんだ。人間の思春期になるとメスをおとりに使い、オスが入れ掛かりになったらしい。ありとあらゆるもので人間たちは魚達の猟の対象になったのである。そして、釣り具メーカーもいろんな道具を提供し、莫大な利益を得ていた。それに人間は脅威を覚えたが、何も対抗手段が打てなかったのである。そして、ある日、ある石の横の三角錘状の建物の横である人物の遺体が発見されたのである。やっと、次回で終わりそうだ。 応援してね!
2008年03月14日
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はるか下に見える「貴重な釣り師を保存する会」の横断幕を見て私は胸糞が悪くなってきた。何を今更、この期に及んで、下手な私を保存する必要があるんだ。どうせ、見世物になるだけだ。身体のあちこちをいじられ、DNAまで採取されるだろう。もしかしたら、剥製になるかもしれない。この貧弱な持ち主の私が皆の前で裸で立ってガラス越しに見られるなんて、とても、我慢がならない。絶世の美女と子孫を残すために交配させてくれれば別だが、それは無理な話だろう。ここは身投げをして、その運動を阻止するしかないとおもった。しかし、敵もさるものしたたかだ。既に落下防止用布を張り巡らしていた。そんな事はどうでも良い。飛び降りよう。いや、落ちながらも,本懐を遂げなければ、花道を行こう。友釣りに決め所、抜きのポーズをしよう。右腕を天にむんずと突き上げ、左手に網を・・・無い・・・仕方がない、親指と人差し指で印を作り、網代わりだ。気持ちよくフンワリと私の体は空中を落下して行った。 応援してね!
2008年03月14日
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筆記試験、実技試験で摘発され、監獄に送られた釣り師はさめのえさとされたが、それでも間に合わないため、お魚のえさとして貴重な飼料となった。しかし、そんな魚を食らう消費者は居なかった。各地で不買運動が展開され、魚の卸値は暴落し、仕方なく、畑の肥料としてフィッシュミールに加工された。これこそエコだとマスコミは取り上げた。そうだろう、有機肥料を使用しているからだろう。そのため、世の中では、エセ菜食主義者が蔓延した。魚は異常繁殖し、野菜ばかりが消費される社会になったのである。魚は自由に水の中を泳ぎまわっていたのだ。そんな、なかで私は釣り師の尊厳を守るべく立ち上がったのだ。やるべき事はエコな釣りだ。そうだ。エコだ!糸を変えれば良いのだ。竿を自然素材に変えれば良いのだ。長い研究期間をへて、ツル科の植物から繊維を取り出し、縒り込んだ。また、蚕さんのDNAを組み替え、フロロカーボンの繭を作らせることにも成功した。この二つを組合せ複合素材として、出来上がった糸が釣り人に試供品として配布された。釣り竿はたけと杉の木の複合素材だしかし、釣り人への反感はすでにピークに達していたため、その努力は無駄であった。私が国会議事堂に突撃した時は、すでに私が孤立無援になっていたときである。世の中の釣り人は誰も居なくなっていた。いつの間にか私は国会議事堂の上で大きな声で「釣り人の人権尊重せよ~、」などといって大きな声で訴えていた。催涙弾がバンバン飛んで来た。目の中が真っ暗になってきた。気が遠くなってきた。しかし、何とか踏みとどまった。そのはるか眼下には何か横断幕が見えた。「貴重なる釣り人保存を推進する会」の横断幕だ。釣りのようなことをする人物が居る事が返って貴重になり、保存運動が始まったようだ。 応援してね!
2008年03月13日
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漢字検定などと称して、魚偏ののついた漢字を読ませたりもした。これで10問以上答えると立派な釣り師と認定されてしまったのだ。特に「鱸」などという難しい文字を読むと一発でつかまった海釣り専門の知的な友人がいた。こんな口答質問などで摘発された釣り師は無数に及んだ。しかし、私を含め、世渡りの上手いというか、下手の横すき、すれかっらしの釣り師はその網をかいくぐったのである。「魚って半身で泳いでいるんでしょ。」とかかまととぶっている女の子も居た。そういう釣り師を摘発するために、今度は実技試験が催された。一メートルぐらいの伸縮する棒を持たせたのである。「これはなに使うのか、貴方はどう持ちますか」という問題が出たのである。あるゼロ釣法の釣り師はおもわず、いつもの構えでえさの振り込む格好をしてすぐこれもつかまったのだ。もう一人の友人は友釣りのシェイクを始めたらつかまった。とくにこの辺は摘発件数が多かったようである。ヘラブナ氏はあの独特の振込みで見破られたし、フライマンは10時3時の方向に振り始めて即刻つかまった。棒の次は糸であった。特にここでは念入りにチェックが入った。専門の漁師とレジャーの釣り師をふるいにかけるため、もやい結び、ボーラインノットなどからスタートした。怪しい人物は「チチワ」「フィンガーノット」「内掛け結び」、「とっくり結び」「投げ縄結び」「ブルージグ」「編みこみ」などをやらされた。フライマンは「クリンチノット」・・・・もうその他色々でテストされた。ここでも、我こそはと言う腕自慢があっという間に摘発されてしまい、自分の好きな結び方で締め上げられて、犠牲になったのである。彼らのほとんどが嬉しそうに刑に処せられたらしい。一部、というかほとんど不穏当な表現が多いのでここに陳謝申し上げます。 応援してね!
2008年03月12日
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釣り師だけに危害が及んでたわけではなかった。ある国会議員が「私の友達の友達に釣り師がいます。」と一言口走った時はマスコミはこぞって書きたてた。彼は一応陳謝したが、どうも、おさまりが着かない為、魔女狩りの如く捕まえてきた釣り師を「自動的に死刑執行できる制度にしょう」と言い出した。そんな訳で彼はどちらの味方なのか釣り師には判断しかねていた。釣り師からは敬遠されたのである。そして、彼は、ある日とうとう、死刑執行の命令を粛々と下した。それも、数名まとめてである。これで、彼は釣り師にとって敵であることが明確になったのである。釣り師達もそれを見過ごすわけにはいかなかった。死刑台の露として消えていった釣り師を弔うべく、あちこちで決起集会や暴動が起こったのである。釣り竿で各主要都市の警察と対峙した。また、ある時は金属糸を駆使し、交通妨害もしたのであるしかし、そんな反社会的運動が新たな敵対組織を生んだのである。それに対抗すべく、F.B・I(フィシャーマン、ブレイクアウト・一掃社)が立ち上げられたのだ。各地で潜んでいる釣り人をあぶりだす為、色んな口答質問が各市区町村で行われた。例えば、「友」・・これをどう読むか・・とも・・ぜったい鮎釣り師と認定され、後ろに手が回った。また、「おとりそうさ」を漢字で書けという問いに「おとり捜査」ならO.K.「おとり操作」などと答えると即座におどり串にされて火あぶりの刑にされた。友釣りマンだけでなく、それはフライマンにまで捜査の手は及んだ。「「タコ」の次に続く言葉を述べよ」・・これに「たこ焼き」と答えれば、O.Kしかし、「タコフライ」などと答えたらむごき「ゆで蛸の刑」に処された。「リーチとはなんぞや」という質問で麻雀用語と答えればO.K・しかし、「マラブーリーチ」などと言うと即刻、ヒルの一杯居る水槽にぶち込まれて、吸血ヒルに血を吸い取られ、失血死した友人もいた。また、「数字を1から10まで英語で述べよ。」と言う問題も出された。普通に皆さん数えてください。はい、ワン、ツー・・・・テン・・「それではここでテンの次に続く言葉を答えなさい」という問題が出された。天麩羅なら完全な食いしん坊でO.K。しかし、ここで「テンカラ」などと答えた私の友達がいた。古式日本独特毛バリ釣り師であった彼も捕らえられたのだ。彼の場合、深い渓谷で長い紐の先にくくられ、バンジージャンプを何度もやらされ、気を失うと水をかけられ、最後には気が変になってしまった様である。惜しい人なくした。 応援してね!
2008年03月11日
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釣人化計画とは別にね。短期連載よ。私は国会議事堂に向かって卵を投げた。次は環境省だ。ラウムであちこち回っているうちに到着した。もう其処には警察隊が待ち構えていた。そんなのは無視して、抗議の横断幕を車の横に掲げて窓は隠れてしまった。勿論釣り用の偏光グラスは装着している。どうしてこんな事になったのかわたしも分からない。原油高騰で化学繊維の釣り糸使用禁止が発令されたのだ。みんな最初は釣り団体は反対に回っていたが、マスコミのヒステリックな記事掲載で烏合の衆一般市民が飲み込まれ、やがて、国会議員もそれにあわせてカメラ目線で「この緊急事態に原油製品をむだずかいする輩は非国民だ。追放しろ。」と細くやせこけた野党のポッポ山議員はまじめくさっていた。かたや、与党議員は「遺憾ながら、この事態に釣りたるお馬鹿な遊びをする人間は日本人の恥です。是非、この際、釣りは止めるか、何らかの具体策を出していただきたい。」と言語明瞭、意味不明なことをテレビに向かって叫んでいた。国土・・省ではマサージチェアに全員座り、空気清浄機をフル稼働させ、宴会騒ぎをしながら、「そうだそうだ、みんな川を工事しろ、川はまっすぐが一番だ」「いやいや、土手を高くして彼らが河原に降りられないようにすれば良いんだ。」と酒に任せて言いたい放題だった。ほとんどの釣り師は河原に行くたびに石ころを投げられ、傷つき竿はへし折られる事がたびたび起きた。各地で秘密裏に釣り師の会合が催されたがそこも釣りの反対派に襲われ先月までに50万人の死傷者が出たと報じられた。釣り師はこの数ヶ月で激減した。その中でとうとう私だけが表立って行動しているのだ。ブログで釣り日記を更新するためには釣りをしなければ私の生きている意味がない。そのための行動だ。 応援してね!
2008年03月11日
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