By Tomoko F.
Clapton's Plastic Cup from MSG
1998
私が生まれて初めて行った「外国人アーティスト」のコンサートはエリック・クラプトン&ヒズ・バンドだった。
それから今日まで、クラプトンのコンサートには、かなりの回数行ってはいるけれども、熱狂的な“追っかけ”ファンにくらべれば、その数は大したものではないし、また、そのほとんどのコンサートをニューヨークとニュージャージーという、簡単に行ける範囲でのみ行き、F1グランプリのために、遠路遥々、飛行機に乗ってモナコやイタリアまで行くことにくらべると、大変にいい加減な情熱とさえ言える。
けれども、「エリック・クラプトン」という名前は一生涯、私から離れることがないと確信している。
生きていると、人はそれぞれ、いろいろな困難や苦難と出逢うのは当たり前のことで、また、どういう境遇に生まれたかに関わらず、心の中に、ある種の「孤独」や「苦悩」を抱えながら暮らしていることも多い。まるで、そういうふうに“生まれついた”としか言い様のないほど、感じやすく、簡単に傷付いてしまう心を持って生まれてしまった者は特に、クラプトンの音楽に共鳴するDNAを持っているのではないかとさえ思われる。
昔、インタビュアーから「あなたは富も名声も手に入れて、自由にならないものは何もない身分になっていながら、何をそんなに思い悩むことがあるんですか?」と聞かれたクラプトンがこう答えた。『全てを手に入れていながら、それでもどうしようもない時、ぼくは一体どうしたらいいんだい?』と。
1992年。その年は3度、クラプトンのステージを見る機会があった。
5月、ニュージャージーでのコンサート。8月、シェアスタジアムでのエルトン・ジョンとのジョイントコンサート。そして、10月、ボブ・ディランを讃えるコンサート。
1992年という年は、くどいほど、"Tears in Heaven" や
アコースティックの "Layla"
がどこからともなく聞こえてくる年で、当時私は(二つ目の)大学に通う学生だった。そして、孤軍奮闘しながら、なんとか前に進もうと始めた年でもあった。クラプトンが
"Unplugged"
で自らを励まし癒し、前に進もうとしていた時期とそれが同時期であったため、"Unplugged"
のアルバムがどれほど私の背中を支えていたか、例えようがない。けれども、そんな
"Unplugged"
の「魔法」も、秋口になる頃には次第に力を失い始め、私は極端に落ち込んで行った。それまでの頑張りのリバウンドのように、何もかもが嫌になっていた。
そんな気分のまま、10月16日、MSGに行くことになった。目当てはクラプトン以外何もなく、そのお目当ての「彼」が登場するまで、実に延々と、2時間近くかかったと記憶している。私は演歌とカントリーミュージックが大嫌いで、その日は半ば拷問のような時間が続いていた。気分はさらに最悪であった。話は飛ぶが、そういう「落ち込んだ」状態を、作家・北杜夫は「鬱期」と呼び、その鬱期に書かれたエッセイには数々の名(迷?)作があって、さすがに精神科医は鬱をも作品のネタにするのか、あっぱれであると感心しながら読んだものであるけれども、その当時の私には、もはやそういう、面白がる気持ちの余裕すらなくなっていた。
エリック・クラプトンはその夜、黒のスタドカラーのシャツに濃紺のスーツ、丸っぽいメガネをかけ、そして茶系の趣味のいい靴を履いて登場した。そしてたった2曲を演奏してクラプトンはステージから姿を消した。私の気分を180度ひっくり返して。
その夜のコンサートは8時から深夜12時という長いものであったけれども、私にはその中の10分ほどのクラプトンだけで充分なものだった。何故、その時のクラプトンの2曲がそれほどまでに私の気分を変えたのかは、本当のところ今でもわからない。ただ、まっすぐに心に到達したことだけは確かで、そうでなかったら、私は今頃ここにはいなかっただろう。
"Good-bye is too good a word to say, so I say 'fare thee
well'..."
写真の赤いプラスティック・カップは、1998年、MSGで行われた計3回のコンサートの2日目の時に、クラプトンが水を飲んでいたカップである。
MSG初日に一抱えの薔薇の花をクラプトンに贈った。その話はまた、後日、書くことにするとして、2日目のコンサート終了後、このカップをもらって帰って来た。鑑識に調べさせたらきっと、クラプトンの指紋が検出されるはずである。中にはまだわずかに水が残っていた。それがまるで「聖水」のように見えたのが、不思議でもあり、自然でもあった。
Dead End Street...すっかり行く先を失った私の方向転換のきっかけをくれたクラプトンは、生きている人で唯一、私が薔薇の花を贈る人である。
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