わたしは、両親の欠点ばかりを受け継いで生まれて来たような気がする。 *
この写真のどれもが、私の記憶にはない。 父はこの写真ではわからないけれども、大きくはっきりとした二重の目を持ち、鼻もしっかりと高い。私は子供の頃から「お母さんにそっくりね」と言われては、あからさまにがっかりしていた。それがいかに母をがっかりさせていたかも知らずに、父の大きな目と三角の鼻に憧れていた。
父は強い。体力的にはすでに衰えを隠せないけれども、精神的にはずっと強い。 父が弱いのは多分、私だけだろう。
私がまだ十代だった頃、従姉の結婚式に出席した時、私は結婚式というものに感心が全くなく、花嫁姿になることはないとわかっていたから、私はこういう格好はしないから、代わりによく見ておくようにと父に言ったことがあった。そして、からかうように『私が嫁ぐ時に泣かないでよぉ』と言うと、「わんわん泣いてやる」と言った。そのためだかなんだかわからないけれども、私は結局、まだ嫁にいってない。
父は礼儀正しく、外ヅラがいいので「優しそうなお父さん」「優しそうなご主人」という言い方をされ、母と私はそれを耳にする度に、一度家の中でどんな風か見せたいものだと思う。
父は「父」としては面白いけれども、母にとって「夫」としてはきっと、苦労が耐えなかっただろうと思う。私の両親が別れずに助け合って暮らして来れたのは、母の「忍」の一文字に尽きると思う。父の人生で最高のラッキーは、母を妻にしたことだと私は信じている。他の人ではとうてい勤まらなかっただろう。多分、三日で逃げられていたに決まっている。私はその「忍」の一文字を母から受け継がなかった。 父は母と違って複雑な構造をしている。 父は私に絶対にピアスの穴をあけることを許さない。多分、黙って開けたとしても気付きはしないだろうけれど、とにかく許さない。その言い付けを守っている訳ではないけれども、私はピアスをしていない。今では珍しがられたりするけど、結局、開けなくて良かったと思うことが多い。
父はよく幽霊を見る。母はそういうものを信じない。 父は当時ではちょっと「ハイカラ」な私立の学校に通っていたらしい。学生の頃の写真を見ると、学生服の上にマントを着ていて、ちょっとコム・デ・ギャルソン風に見える。授業中に見事な音色の「屁」をひっては手をあげ、『先生、今、屁をしました!すみません!』と発言すると、先生は「うん。今のは小笠原流に叶っていたのでよろしい」と言ったとかなんとか聞いたが、本当かどうかは定かでない。とにかく、この手の話しは後を断たない。 母はそのような話しはいっさいしないので、面白みに欠けるところがあるけれども、夫婦揃ってそのような話しが大好きだとしたら、それこそ大変な家になっていたと思われるので、母のほのかな上品さは価値がある。
両親は仲がいい。 前途洋々たる青年は、今ではすっかり禿げ上がってしまった。
彼らの長所のどれもが、わたしには欠けている。
そして、両親を泣かせてばかりいる。
少なくとも、こころの中で、泣かせてばかりいる。
ひとつは父がまだ若かった頃の写真で、私はまだこの世にいない。
この、前途洋々たる青年は自分の未来に「私」が現れるとも知らずに、カメラの前で涼しい顔をしている。
私は未だかつて、父が弱音を吐いたり泣いたりしているところを見たことがない。どんなにつらいことがあっても、じっと拳を握りしめ、どんなことがあっても、家族を守るという意志が常にある。それなのに、やたらと短気で、早合点が多く、猜疑心も強く、時々「猿」の仲間ではなかろうかと思うこともある。とにかく意地が悪くなると、とことん意地悪になる。右と言ったら左だと言い張るところがある。これを私は受け継いでしまった。
私は父の欠点を目撃する度に『私だったらこんな男とは絶対結婚しようとは思わないね。冗談じゃない』と言い、それに対し父は『オレだってこんな娘を嫁にもらおうとは思わない。冗談じゃない』と反撃に出て、いつしか夫婦喧嘩は親子喧嘩に発展していった。
クラシックカーなのかスポーツカーなのかわからないようなところがある。
兄は父の欠点ばかりを見つめて反発し、私は長所ばかりを眺めて面白がって育ったような気がする。私にはそうするより他、なかったのかも知れない。
父はUFOの類いの話しが大好きで、母はそういうものを呆れて信じず、そういう意見の食い違いでよく喧嘩をしている。聞いていてアホらしくなることのほうが多い。
私がマンハッタンの夜の空を北から南へ静かに飛んで行く謎の飛行物体を目撃した話しをすると、父は勝ち誇ったように「そらみろ、自分の娘が見たと言っているのだから、これなら信じるだろう」と母に詰め寄り、母はそれでも鼻で笑っているので父はますます面白くないらしく、私にもう一度説明するように強要する。
しかし、父の幽霊話しや、若い頃のエピソードは面白く、よく出来た番組のように、何度聞いても飽きない。
特に父親の家系というのか、やたらと『屁』や『糞』に関するエピソードが多く、それを当たり前のように聞いて育った私は、いい年頃になっても平気で「屁」と「糞」の話しを人前でしては呆れられたし、今でも呆れられる。そういうところはしっかり受け継いでしまった。
一度、一緒にデパートに向かっていて、信号が変わったので大通りを横断している間中、父がニヤニアしているので「なに?」と渡り終えた頃に聞くと、『今の屁は長かった。ブッブッブッブと、渡り始めてから、渡り終えるまで続いた』と言うので、さすがに呆れて食欲がなくなったのを覚えている。最近、その話しを蒸し返したら、まるで釣り師がいかに大きな魚を釣り上げたかを説明するように、誇らし気に話しはじめ、「ああ、聞くんじゃなかった」と私は後悔しながらも、つい聞き入ってしまうのだった。
どこに行くにもワンセットで、ほぼ24時間、いつも一緒にいる。母がトイレにちょっと長く入っていると、ドアの前に行って「おい、大丈夫か、大丈夫か」となかなか離れないので、出て来た母から「あんな風に言われると出るものも出ない」と叱られている。そのくせ、父がひとりで出かけて帰りが少し遅いと、玄関の外に何度も出て心配している母の姿も私は知っている。
急に老け込んだのは、私のせいかもしれない。
どんな様子かと言えば、マンガ「ちびまるこ」の友蔵にそっくりで、
ただ、友蔵よりほんの少し、毛が多いだけかな。
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