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いっこーに、日中涼しくならん!↑北海道基準んだがね~、オイラの身体に肋間神経痛が出現したとこ見ると、やっぱ、そろそろ秋なのかなあ、と。秋と言えばさposted by (C)ともるーやっぱ、秋刀魚だろー...とか思うわけで。たとえあんまし涼しくなくてもね~。てか、この画像ってば頭と尻尾が逆じゃね?とか思わないわけじゃないけどもまーいーまーいー。まずアタマをとってですね、もぐもぐもぐ骨ごとバリバリposted by (C)ともるーごちそうさまでした。たいへん美味しゅうございましたっ!←男なら ポチ!人気blogランキングへ←内臓も骨も、バーリバリといけやー! ポチ!
2010.09.06
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なくなっちゃった柿の木を偲びつつ現場に落ちてた実とかを拾ってきました。そしてposted by (C)ともるーウチのウッドデッキにそっと置いてみました。まだこんなにちいちゃくて青いのにね。...って感傷なんかに耽っていたらposted by (C)ともるーこそ~りと、忍び寄る白いものアリ。そこになにかがある限りposted by (C)ともるーとりあえず匂ってみるでつ。←え~い! ポチ!人気blogランキングへ←感傷がどっか行っちまったわい! ポチ!...と憤りつつそれも悪くないかな...って思う。もういっかいposted by (C)ともるー青くてちいちゃい柿の実。S・A・Y・O・N・A・R・AA・R・I・G・A・T・O・N・EW・A・S・U・R・E・N・A・I・W・A送料無料!!【CD】We Love Cyndi-Tribute to Cyndi Lauper-価格:3,000円(税込、送料込)シンディー・ローパーのライブインジャパンで歌われたTime After TimeとTrue Colorsアンコールラストで、この日二回目のTrue Colorsを歌うんだけどもそこでW・A・S・U・R・E・N・A・I・W・Aって言うのがね、すっごい良かったなってのを思い出したです。ツェッペリンのStairway to Heaven価格:3,480円(税込、送料別)カンケーないけどStairway to Heaven、これ初めて聴いたとき、ぶわーって鳥肌出た。
2010.08.31
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ウチの庭は、ほとんどまったく手入れしないんでつ。んでもさ、すくすく育って花を見せてくれるのがいっぱいあってね。たとえばposted by (C)ともるーモモバキキョウこのお花も好きだな。人気blogランキングへお?下の方にゴールドコインも元気に写っつとる。
2010.07.07
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特に夏、いちばんおっかないのは脱水症状だったりするわけでしてね。水分補給は欠かせないわけだ。おまけにさ、ビルとかマンションの貯水槽ってすんごくヤバイでがしょ?ナニが貯水槽に浮かんでっかわかんったもんじゃない...って、マンション管理がお仕事のお友達が、けっこう力説したりするし~。それに、歳のせーですかね、冷たい水は、お腹にヤバイんですわぁ。...となると、ミネラルウオーターしかもさ常温のお水が必須!なわけです。んなわけで、こないだケンコーコムの クリスタルガイザー 500ml 30本入(正規輸入価格:2,887円(税込、送料別)↑買ったのは正規輸入品じゃなくて、もっと安かった。をご購入。↓posted by (C)ともるーこのこれの、向かって右側んで、向かって左側がどようびに副業的某所の自販で買ったクリスタルガイザー、ニポンヴァージョン。これさーびみょーに違ってる。まずかキャップの色がねニポン版が水色で、輸入版が白。あとさ、ボトルのカタチ。輸入版のほーがなんてゆいますかねズングリってしてるぜ。あとさ、輸入版はposted by (C)ともるーめっさ、ラベルの巻きがゆるい~!これって、どーよ!←ま、お味は ポチ!人気blogランキングへ←かわんない(よーな)気がする ポチ!ぜんっぜんカンケー無いんですけれどもWii Fit Plusの運動貯金posted by (C)ともるー333:33333時間と33分になったでつ。
2010.07.04
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ネタはいっぱいあるんだけどさ時間がないわいっ!そんなわけで、昨日の記事後半の雪つながり。17日深夜には、昨日の記事画像みたく、雪、降ったんですけれどもその前の日、16日のかようびには人間のおかあさんの方が、こちら方面とは違うお外仕事でね、そんでそのあと美容室に行ったんでね人間のおとうさんの方が、帰りが早かったんだね。ワシ、火曜日って週の平日の中で一番早く帰れる確率が高いんだな。ほんで、帰ったらすぐ、posted by (C)ともるーワンコらのお散歩でいっ!てっけけてー!んで、公園に行ってみたらば、公園ってばposted by (C)ともるーまだまだこんなに雪があるわけです。冬の間ってば、たいがいの公園ってご近所の雪捨て場、排雪所になるんだよね~。←雪がいっぱいあるとこでは~ ポチ!人気blogランキングへ←人の背丈くらい残ってるんだよね ポチ!お散歩と遊びに疲れた姫はposted by (C)ともるー人間のおかあさんの足元に、くっついて寝るひっつき虫のよーであるな、と。
2010.03.17
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んで、人間のおとうさんが600日目のWii Fitやってるとき時は既に深夜なのでウチのカレは人間のおかあさんと二階で寝てるわけで。んじゃ姫は?とゆーと、posted by (C)ともるー寝る。posted by (C)ともるーあ、ちょっと起きた。posted by (C)ともるーやっぱ、寝た。←ま、その前に ポチ!人気blogランキングへ←さんっざん遊んでますからね~ ポチ!これさー、GIFアニメにすればいかったかも。
2009.10.24
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夕べ、迎えに来てくれた車に乗り込んだら人間のおかあさんがぽつりと「丸くんが死んじゃった」とポツリとつぶやきました。富士丸な日々の富士丸くんが永眠しました。みんなに愛される、ハンサムでとっても気のいいヤツでした。ウチの人間のおかあさんなんて、丸くんをupしたいばっかりにブログ始めましたもん。人間のおかあさんが初めてブログにコメント入れたのが富士丸くんのところでそれに穴澤さんがリコメントをくださって大喜びしてね。いのちにはかぎりがあって、そしていぬのいのちはひとよりもみじかくてそれはわかっていても思い出は決して消えないのだけれども思い出になるまでの時間はたぶんとっても長い。穴澤さんのお気持ち哀しみはほんとうに、いかばかりのことか。気を落とさずにとは言いません。だって、グッド・パートナーが亡くなられたのですから。でも、でもね、穴澤さんと富士丸くんは人間のおかあさんを私をそれ以上の、もっともっとたくさんの、たくさんの人をエンパワーしてくださったし穴澤さんの撮られた富士丸くんの画像たちと穴澤さんが書かれた富士丸くんとの言葉たちほんとうに、大好きです。私たちは富士丸くんと穴澤さんを愛し、穴澤さんの画像たちと言葉たちは私たちを、ほっこりとした気持ちに和ませてくださいました。穴澤さん、富士丸くんありがとうございました。そして富士丸くん、合掌posted by (C)ともるーposted by (C)ともるー富士丸君 享年7歳心よりご冥福をお祈りいたします。人気blogランキングへposted by (C)ともるー夕焼けposted by (C)ともるー今日は涙雨posted by (C)ともるー2007年04月22日 鼻乗せパックン 札幌にて。10回だけ繰り返して表示されます。画像のサイズが微妙に違うため、GIFアニメ下部が見にくいです。すいません。
2009.10.08
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昨日の記事の最後にも書いたことだけれども(こちら)、山田辰夫さんが亡くなった。彼を最初に観たposted by (C)ともるーposted by (C)ともるーposted by (C)ともるー狂い咲きサンダーロードPANTAや泉谷しげるの楽曲が使われていることが、かなり大きな理由で観たのだがこの映画は、鮮烈だった。上の画像は映画館で観たときに買ったパンフレットで昨年06月14日に記事にした。本当に、観たこともないグルーブする映像VHSで出た後も何度観たかわからない。(あ、当時は、金がなかったのでレンタルしてダビングした)石井聰互の次の作品『爆裂都市』で主演した陣内孝則よりもずっと彼は輝いていた。私は、映画を(本木雅弘と上野樹里を除き)役者ではなく監督で見るタイプなのだがそれでも滝田洋二郎監督の『壬生義士伝』、大林宣彦監督の『理由』で彼の姿と特徴ある声を目に耳にすることができた。一番最近は本年06月28日に記事にしたposted by (C)ともるーposted by (C)ともるー『おくりびと』良い味を出している彼を観て「ああ、頑張っているんだな」と、思った。山田辰夫さん、享年53歳。なんと、若い死なのだろう。ご冥福を心よりお祈りいたします。合掌人気blogランキングへ
2009.07.28
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土居健郎先生が亡くなられました。たぶん、ごく普通には『甘えの構造』の著者というのが、もっともスタンダードな見方、ということになるのでしょう。実際、死亡告知記事、おくやみもそのようなスタンスで書かれておりました―小此木啓吾先生がお亡くなりになった折り、『モラトリアム』が業績であるかのようなスタンスであったと同じように。朝日、毎日、日経、読売、東京、道新ちなみに、やはりと言うべきか産経は検索かけてもhitせず。ま、所詮その程度の新聞ということです。『甘えの構造』は、私が高校のときの国語の教科書にすら、載っていたことを思い出します。文部省(当時)に都合の悪い部分(アメリカのフクヤマ―だったと思う、が学生弾圧を行った部分)はものの見事にカットされて。紹介の肩書きは、曰く「精神医学者」「元東大教授」「PHP研究所顧問(←だから渡部昇一などという下らない人物との共著を出してたのか)」。「精神分析医」という、土居先生のアイデンティティをもっとも的確に表す肩書きを使っていたのは毎日新聞だけでした。『甘え』について、もうひとつ。この概念は、古澤平作-小此木啓吾の『阿闍世』とともに、日本人論というよりも、患者理解の概念として位置づけられるべきです―『甘え』概念にはマイケル・バリントがひじょうに理論的に共感を示し、彼の『一次愛』『基底欠損(basic Fault)]』などの理論/概念と響きあうものがあるのであり、その意味でも『日本人論』という位置づけは、出版社の思惑はともかく、非常に浅薄なものと言わざるを得ません。wikiでは、以下のような記述があります。土居は「甘え」が日本独自の言葉だとしたが、李御寧は『「縮み」志向の日本人』で、朝鮮語にもそれに相当する言葉はあり、西洋とのみ比較する比較文化論の非を鳴らした。ために土居はその後、どこの国にもある概念として「甘え」を用いるようになったが、そのため日本人論としての意味がなくなり、学問的には無意味なものとなった。誰が書いたか知らないけれども、この記述は、したがって間違っています。この薄っぺらな書き手は、前段では比較文化論と言い、後段では日本人論と言い、それこそ用語使用が滅茶苦茶で「無意味なものとなった」どころではなく、この解説(もどき/のようなもの)は最初っから「無意味である」と言うのも馬鹿らしいです。だいたいね、仮に比較文化論であるとしても、土居は『日本語-英語』の比較をしているのであってね。李御寧氏の指摘は私も読んでますが、それは学問的に正しいと思います。ただ、この書き手の「読み」は恣意的であり、その点に多分気づいていないというところがさらに醜悪です。上述の、患者理解の概念として位置づけられるべきという、その後の臨床学的あるいは当初から土居先生が意図しておられたものを、おそらくは意図的に否認しているからです。なお、「ために土居はその後、どこの国にもある概念として『甘え』を用いるようになった」わけではまったくありません。だいたいさ、「国」じゃないんだよ、土居が言ってるのは。『甘えの構造』のどこを読んだら「どこの国」なんて表現ができるのだか。既に述べたように、マイケル・バリントと彼のパートナーが、バリントの「一次愛」「愛されることの重要性」概念との一致に注目し、土居-バリント間の知的対話を経て、土居は(「どこの国にもある」ではなく←wikiの愚かな書き手は、な~んか『国』が好きらしいね。まるで外務省官僚のよ~だ)『人間に共通する心性』の概念として「甘え」を用いるようになった...ってことぐらい、わざわざ書かなければならい必要がない常識です。ほんとに、最近のwikiは「便所の落書き」化...と言って悪ければ、2ちゃん化してますね(←挑発してる)。前はもっとマトモだったんですけどね。ついでに言うと15年来のweb使用者としては、以前の2ちゃんはまともだったよね~。閑話休題私(たち)/臨床家にとって、土居先生の一番の著作は、なによりも『方法としての面接 臨床家のために』であり、薄く読みやすいものでありながら、読むたびに新しい発見がある、臨床経験を積みながら数年おきに読むと、何気ない(けれども練りに寝られた)表現や行間から新しく目を開かせくださる、そういう書物です。また、『精神療法の臨床と指導』は、シューパーヴィジョンという馴染みの薄かった「ひとりひとりの患者/クライアントさんとの治療者の関わり」に目を開かせてくださるものでした。『精神分析』はフロイトをいかに読み込むか、その指針となりますし、このご本が1967年という40年以上前に書かれたことは、驚異的ですらあります。個人的な思い出を一つ。10数年前に日本精神分析学会に参加した折り、この領域ではひじょうに高名な或る方が講演をなさいました。それは、たいへんに硬質...というか、ただ事前に用意した原稿をモノトーンな「説明的な言葉」で演説であるかのように読み上げるだけの「講演」だったのでありました。私は、よく吟味されていない言葉の羅列と口調/非言語表現に嫌気がさし、途中からすっかり眠りこけてしまったのでした。私が座っていた座席の一つ空いた隣に「なんだか、見たことのある爺さんが座って居るなあ」と思って、でも眠ってしまったのですが、講演の質疑応答がはじまり、それが途切れたとき、司会をしておられた小此木啓吾先生が「土居先生が、いらしております。先生、何かコメントを戴ければ」とおっしゃいました。すると、隣の隣の「なんだか、見たことのある爺さん」が立ち上がり、講演者が45分かけて語った事柄を「私は○○と理解いたしました」と、その本質を短い文章で要約し、その舌鋒は講演者を、たじろがせたのでした。講演が終わり、フロアのオーディエンスが立ち上がったときに先生は私の方を向いて「冗長でつまらない話でしたね」と声をかけてくだいました。後にも先にも、土居先生と言葉を交わしたことは、この一度だけです。しかしながら、このときの土居先生の言葉たちは、強い印象と、それから影響を与えてくださいました。土居健郎先生、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。人気blogランキングへ方法としての面接新訂精神分析「甘え」の構造増補普及版一次愛と精神分析技法治療論からみた退行
2009.07.05
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木村恒久さんが亡くなった。グラフィックデザイナーの木村恒久さんが死去(←朝日)訃報:木村恒久さん 80歳 死去=グラフィック・デザイナー (←毎日)木村恒久氏=グラフィックデザイナー : おくやみ (←読捨)いちおう、インフォシークも載っけとこうちなみに、産経はパス。...てかさ、産経の記事検索かけてみたら、ね~でやんの。さっすがクソ産経そのて~どのメディアだ~ね~。てかさ、産経みたいなクソに載らないのは木村恒久の勲章だね。...いやいや、そういうことじゃなくてさ。とっても残念です。とってもビックリする作品を発表し続けた方でした。グラフィック・デザイナーっていう肩書きで追悼記事は書かれていてそれは間違いではないのだけれど、真骨頂は、やっぱりフォトモンタージュです。しかもそれは、今みたいにフォトショップでお手軽にチョンチョンとクリックしてレイヤをいっぱい重ねて作っていくののではなくてすべて鋏と糊で作られていたのでした。実は、この記事のテーマを「持ち物自慢」にしようかどうか迷ったのですがこういうものを持ってます。木村恒久 LAST MONTAGE posted by (C)ともるーLAST MONTAGEマンハッタンのビルとナイアガラの滝をモンタージュ、組み合わせたたぶん、一番有名な作品がパッケージの表紙になっています。このように、視覚的なインパクトとパワーを感じるだけではなくてちゃんと現代の批評になっているそういう作品を作る方でした。裏表紙は木村恒久 LAST MONTAGE (1) posted by (C)ともるーツェッペリンとタイタニックを組み合わせたもの中に入っている、昔のレコードで言えばライナーノーツにあたるところには木村恒久 LAST MONTAGE (2) posted by (C)ともるー榎本壱郎さんが書いておられます。その昔、ロッキード事件があった時には歴代首相のフォトモンタージュを作られました。昔ね、『週刊ロッキード』っていうミニコミ?がありました。それに、特別付録として木村恒久さんの作品があったのでした。懐かしい思い出だけど、それを思い出にしちゃいけないんだ!とも、思います。こういう時代にやりたいことはいっぱいとてもいっぱいあったのではないかと思うと、無念だったのではないか。そう思わずにはいられません。合掌人気blogランキングへその『週刊ロッキード』ですが、田中角栄が逮捕された時の見出しが「検察ファッショ」でそれはなんか違うんでないか?って思ってたら読者の方々からこれは、違うぞ!って意見が続出したらしい。付録のポスターも、ウチのどっかにあるんだよな~。今回は見つけられなかったけれども。あとさ、このLAST MONTAGE、XPじゃ、再生できないでやんの。ほかにもある95用のソフトも無理ってこと?ザ・キムラカメラ
2009.01.10
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赤塚不二夫先生がお亡くなりになられました。ほぼ10年、闘病生活を送り、最後の6年くらいは昏々と眠っておられたとのことです。私たちの世代にとって先生は特別な存在でこころに響くことばたちをオンデン1970さんが既に書いておられますし、それをここで繰り返すよりもオンデンさんの記事をお読みいただくのがいちばんだと思います。なので、私は私の記憶と思い出を書きたいと思います。赤塚先生は、別格でした。ただひたすら、面白くて楽しくてゲラゲラ笑ってしまう。ニャロメとケムンパス、いっしょけんめ模写しました。もう少し年を経て、小生意気な思春期を私がむかえてスラプスティックという言葉を知った時「よく分かんないけど、これだ!」って思いました。同時期の藤子不二夫(どちらも「不二夫」なのですね、そういえば)先生の作品たちは(私はそちらも好きでしたが)SF的/SFそのものの設定であるがゆえに「論理」が徹底されていたのに対し赤塚先生の作品は、論理というよりはもっとグラグラするような感覚「そうくるか!」という驚きを私(たち)にぶつけてくださいました。ちかごろは廃れてしまった言葉かも知れませんが先生は前衛なのでありました。突然「山田一郎」とペンネームを替えられたり左手で描いてみたり担当編集者に描かせた漫画をそのまま載せてみたりそういうこころみはおそらくアイディアが出ない時の苦し紛れの方策であった、のかもしれませんがたしかに先生はそこで遊んでおられたのでした。コマ割りを無視したこともありました。それは私が熱烈なファンである吾妻ひでお先生(これは持ち物自慢、いっぱいあるよ~!)それからとり・みき先生が後に試みられたことでもあります。クルーザーを買い、1回しか乗らずに売り払ったり、プロダクションの電話番号を「ニャロメ」にちなんで「286○(←最後の番号が思い出せない)」にしてみたり山下洋輔さんが出会ったタモリさんをご自分の「邸宅」に住まわせて面倒を見たり...自分のお家なのに、洋服を取りに帰られた時にはシャイで遠慮がちだったそうです。たしか真田浩之さん主演の映画、酒場のシーンでお尻に花火を差し込んで火を付け「あたしは蛍よ~!」っていうのがあったと思いますがあれ、赤塚先生は、たしか、ご自分で(タモリさんと一緒に)やっておられたということを聞いたこともあります。生き方そのものが前衛であられたわけです。フジオプロの古谷正敏さん、北見けんいちさん、高井研一郎さんそのほかたくさんの方々を育てることもしてこられました。私の過去記事に書いていることなのですがまんがNo.1 創刊号:1972(昭和47)年―責任編集:赤塚不二夫まんがNo.1 1973(昭和48年)4月号―責任編集:赤塚不二夫のように、マンガ雑誌を作ろうとされたこともあります。つまり、手塚治虫さんのCOMを赤塚さんも作ろうとされたと、今では、思います。過去記事画像から、まんがNo.1をいくつかあげさせてください。創刊号表紙創刊号目次6号目表紙ソノシート 赤塚さんご冥福をお祈りいたしますと共にあちらの世界でも楽しくお酒を飲みながら永遠の前衛でありますように。 人気blogランキングへ
2008.08.04
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30年くらい前からず~っと、ず~っと好きだった山口小夜子さんが亡くなった。まだ57歳。たしか、21世紀に入った2001年01月01日資生堂の全面広告に出てた。50歳のときぜんっぜんかわんなくってこの人は、絶対、歳とんないんじゃないか?とか思った。それから去年か今年、「安珠のデジカメ動画日記」で(今はもう、なくなちゃってるのか表示されなかった...お気に入りに入れといて、ちょこちょこ観てたのに)動いて話してる山口小夜子さん見て「やっぱ変わんねー!」とかおもってたのにね。でっかいポスターとか、いろいろ持ってるのにあわてて探すと出てきやしない。本はとかとか。この「小夜子」を撮った、横須賀功光さんが2003年に亡くなって光と鬼が出て買おうと思ってるうちになくなっちゃってた月/山口小夜子さんと山海塾のコラボも、ちょこっと載っててその中から、一番好きなのをご冥福をお祈り致します。←ほかにもいっぱいあって ポチ!人気blogランキングへ←ときどき、画像を載せるっ! ポチ!
2007.08.22
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最初に書いたとき消えてしまった、河合隼雄先生のことでは、もうひとつの思い出も書いてました。どうしようか、ずいぶん迷ったのですが、書かせていただきたいと思います。なにとぞご容赦を。今から12・3年前、私たちは、ある方々の事業に協力して新しい関わりをすることになりました。そこで私たちが関わる場は、外部の人間が入ることに、ひじょうに慎重というか、閉鎖的なところでありました。私は、それまではたらいていたびよいんを辞め、プーだったので(ウソ)、いろいろな方が依頼してくださったこともあり、うかがうことになったわけです。最初の頃、すんごく居心地が悪いことは予想していたし、消耗したけど、わりと平気でした。でも、考えもみなかったのが、こうえん依頼の多さでした。あるこんしんかいで、「こーえん依頼多くて、まいっちゃうよね~」とか知り合いと話していたら、私がちょうど背にしている、私からは見えなかったテーブルに河合先生がいらして、突然、「講演の極意お教えしまひょか?」と肩を叩かれました。その時先生がおっしゃった「講演の極意は、1. 名前を呼ばれて壇上に上がって、まず名前を名乗り、「こんにちは」と挨拶して礼をする。2. ゆっくりとまわりを見回して、レスポンスを見る。3. そのとき頭に浮かんだことを喋る。4. 言葉に詰まりそうなときは、喉が渇いたふりをして、水差しのコップをとり、コップに水を注いでから、ゆ~っくり飲む。5. そしたら頭に何か浮かんでくるので喋る。6. 時間になったら、話がどんなに尻切れトンボでも、礼をして終える」こうおっしゃって「これが講演の極意です」そうおっしゃって、ニコニコしておられました。軽いでしょ? 「何それ?」っていうぐらい軽いでしょ?でもね、すんごく大事なことです。1~5は、硬く言うとアセスメントを行う、やーらかく言うと空気=雰囲気を読むってことです。そもそも、講演、っていうのは、私たちの日常の仕事からすると真逆です。普段は「聴く」のが仕事なのに、講演で求められているのは「話す」なわけです。もひとつ。講演は、言語的には単方向コミュニケーションという構造。話し手と聞き手が明確に固定されています。...ということは、話し手が語る「情報」を聴き手がどう受け取るか分からない。見かけの形式とは逆に、聴き手の恣意性というか自由度が高いわけです。これはコミュニケーション構造から言うと、仕方のないことです。ここに、非言語的双方向コミュニケーションを、あえて導入する試みや工夫を行う。表現が硬くて申し訳ないのですが、そういうことを行うわけなのです。また6は、時間というリアル、またしても硬い表現で申し訳ないのですが、現実原則を守るということなのです。私たちは1セッション40分なり50分なり90分なりを、相手の方に用意します。そしてそのセッションが終わった10分後には別の方がいらっしゃるわけです。こういう現実原則を守らないと、私たちの日常の仕事は、ああっ!とゆー間に立ちゆかなくなります。私は、一見冗談めかしておっしゃった河合先生のお話しから、そういうことを学びました。もしかしたら、間違っているかもしれないけれども、私は確かに、学んだのでした。私にとって河合隼雄という方は、そういう方でした。河合先生、ありがとうございました。私は、私なりの咀嚼かもしれないけれども、そういうことを先生に教えていただきました。...あ、でも、こーえんは、なるたけ受けないようにしています。すんません。それと、受けたときには、会場の付近をゆっくり歩いてみることと、控え室では主催者の方とお話しをすること、会場では紹介していただいている間に話すことを箇条書きにメモすること(←ここいらへんが、まだまだです)。そういうことは、やっています。比べるのはおこがましいし、間違っているかもしれないけれども、そうしています。無礼で遠慮ってものを知らないワカゾーだった私が戴いたご本がこちら↓サインして、献本してくださいました。私の好きな河合先生のご著書はこちら↓魂にメスはいらない 明恵夢を生きる 影の現象学もうひとつフロイトとユングどうしようか迷ったけど、ランキングつけます。 人気blogランキングへ
2007.07.20
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河合隼雄先生が、お亡くなりになりました。タイトルでは「河合隼雄さん」と表記していますが、私にはやはり「河合隼雄先生」の方がしっくりくるので、本文では「先生」をつかいます。それと、私のプロフィールに記してあるとおり、仕事の具体的な中身について、ふれるつもりは一切ありません。また、私は河合先生に、直接教えを受けたとか、講義を聴いたということもありません。ただ、片手でも余るほど何回かですが、お話しをしたことがあります。河合隼雄先生は、私(たち)をぐいぐいと引っ張ってこられましたし、それがこれからはもうないのだということが、とても、とても、悲しいです。ですが、軽妙洒脱な河合先生のことですから、悲しいことを、ただ「悲しい」と嘆くだけでは、きちんとお送りすることにならないなあと思います。ちょこっとだけの、いくつかの思い出を書ければなあ。そんなふうに感じます。少し前に書いたことですが、思い出は決して消えない生きがいですし、私のいくつかの思い出の中での先生のことは、忘れません。思い出は、思い出話という形で表現されるのがいちばん良いと思います。もし良かったら、ちょこっとだけおつきあいください。...あ、でも、私のことだから、ちょこっとじゃなくて、「すんげ~長文」になるかもしんない(そんでもきっこのブログのきっこさんほどにはなんないと思う)。...それとね、私は根本(「ねもと」じゃなくて「こんぽん」って読んでね)から、ニンゲンが軽くできてるので、そこんとこもひとつよろしく。えとね、15年~20年くらい前? 一度だけ河合先生のお宅に伺ったことがあります。これもね、ま、「小僧のお使い」でね。ま、「はじめてのおつかい」みたいもんです。ある方からある物を渡すように頼まれて(ホントは、郵送でも何でも良かったはずなんだけどね)、札幌から奈良の先生のご自宅のある町に行きました。駅から電話をして、行き方をうかがったわけです。...ホント、徒歩5分くらい。ところがっ!途中道路工事をしてて、通れないところがあるじゃないですか。札幌って、道路は碁盤の目になってて、通れないとこがあっても、ちょっと迂回すればちゃんと行ける。私にとっては、それがデフォルトなわけです。んで、ちょこっと曲がってみて、またちょこっと曲がってみて、...ぜんっぜん行き着かない、むしろ遠くなる...。おおおお!これがユング派のラビリンス、迷宮かぁ?ってなもんですよ。ようやく公衆電話見つけて改めてかけ直すと、ほら、全然知らない町なわけでさ、そもそも現在位置が分かんない。河合先生にも「あなたがどこにおられるのか、私も分からないなあ」とかゆわれちゃうしっ!うんとこ歩いて、商店見つけて訊いて、ようやく近所にたどり着いた。...迷宮抜けたぜ。で~、近所にはたどり着いたんですけど、先生のお宅が分かんない。こっちは「天下の河合隼雄っ!」とか思ってるわけで、門塀に囲まれたでっかい家、塀からたわわに実ってる柿の木が見える家の表札ばっかしみてたわけで。先生のおうちは、こぢんまりとした、ちいちゃいとはゆわないけど、ま普通のおうちで、門塀もなくてさ。先生が玄関を開けてくださったときに、ちょうど電話が鳴りました。玄関で立ったまま聞いてると、うちらのぎょーかいでは有名な出版社で、河合先生は「はい、書いてます!今書いてます!」ってゆってる。...てか、書いてないじゃん。受話器を置くと、「そば屋の出前と一緒。『今出ました!』ってね」ってウィンクしながら、にっこりして、先生はおっしゃいました。「今、ワイフが外出中でね~、私はワイフいないと何にもできなくてね、堪忍な」で、ホントにお茶も出なかったあたり...う~む。んでさ、ワシらって、「顔見ただけで、何考えてるか分かるんですか?」とか、わりと訊かれて、「んなわけないじゃん!!」って話なんですけども。先生がいつも応対に使っているお部屋で、こう、座ってると、思わず思っちゃいました。「あ! ぜって~今、オレが何考えてんのかバレてる! おまけにジブンじゃよく分かんない何事かもバレてる!」とか。...んなわけないじゃん、...たぶん。とか、頭では分かってるはずなのに、こころが勝手にそう思う。いや~、不思議な体験でございました。帰るときに「北海道からわざわざ来てくれたから」って『ユング心理学入門』っていうご著書を、「私の代表作...」って照れながらおっしゃって、くださろうとしてるのに、オレってば「あ、持ってます、私」んだけならまだしも、「持ってますんで、違うのがいいです!」とかさ。違うご本を戴きました。なんつー、無礼で遠慮ってものを知らないワカゾーだったんだっ!オレ!!あのときの河合隼雄先生の苦笑、忘れないです。心より、ご冥福をお祈りいたします。
2007.07.19
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河合隼雄先生の追悼記事を書いてました。なんでかわからないけどこれだけは書きたい!明日にします
2007.07.19
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