K/Night

K/Night

Human being後編


不安。
それが体を支配していた。
急いでリビングに向かう。
「・・・・・・」
人の気配。
思わず安堵の息が漏れる。
「居て・・・良かった」
不安の塊を吐き出すような言葉に、聞こえたのかいないのか、それでも気付いたグレイグが複雑な顔を向ける。
「どうかしたのか?」
テーブルについたグレイグの前の椅子に座る。
朝食は冷めていた。何時もより時間は遅いのだから、作った時間とを考えれば当たり前なんだろう。
グレイグはなにも言わなかった。
如何しようかと思って視線を落とすとグレイグの左手が目に入る。
つなぎ目はもう殆ど目立たない。だが、何故かそこに不自然な赤い痕がある。
シルバールはその手を掴む。
「・・・っ・・・」
「どうしたんだ?これ」
「・・・・・・」
問うとグレイグの手が掴む手から逃れようと動いた。しかしそれを許すシルバールではない。
グレイグとて振りほどこうと本気で思ったのなら出来るはずだ。『人間』は人間よりも筋力が強く造られているからだ。それが出来ないのはグレイグに迷いがあるから。
「大した事ではない」
苦し紛れに呟いた言葉に、
「そんな事を聞いているんじゃない」
怒りを含ませた声で斬り捨てる。
「誰にやられたんだ?」
グレイグは視線を巡らせてため息を付くと、ポケットから白い封筒を取り出し、シルバールに差し出した。
「本当は嫌な予感がしたから渡したくなかったんだが・・・」
「手紙・・・?」
グレイグが頷く。
「手紙を配達に来た男が俺を見た途端左手を掴んで、『如何してお前みたい奴がここにいるんだ』と聞いた。俺は黙っていたんだが、男は答えも聞かずに何処かに行ってしまった。」
その時に左手に赤い痕が、とグレイグは付け足す。
シルバールは封筒を見る。差出人の名前を見て手に力が篭った。
「シルバール?」
シルバールの様子にグレイグは再度不安が蘇った。如何したのだろうかと声を掛けたが答えてはくれない。
シルバールは封を開け中身を取り出して読む。内容は短かったらしく、すぐに閉じられた。
「出掛ける事になった」
険しい声が低く部屋に響く。
「・・・今日か?」
遠慮がちに尋ねる。出来れば今日だけは止めて欲しい、願いを込めて。しかし返事は1回の頷きだけ。
「昼ぐらいには出るから」
声に抑揚は無い。何の感情さえも現れていない。表情は首を傾いで出来た影で見えない。
それっきりシルバールは口を開かなかった。

昼になるにつれてお互いに落ち着かずに部屋の中をウロウロしていた。話しをしようにも出来なくて、相手を唯見るばかり。
勇気を出して声を掛けたとしても、タイミングが重なって話す事を互いに譲ってまた、沈黙が落ちる。昼食の際もその調子だった。
そして、家を出る時刻になって―――
「じゃあ・・・行ってくるよ。留守番の方、よろしくな」
手紙を受け取って以来の言葉をシルバールは口にした。その言葉にどう反応して良いか分らず黙ってしまって、見つめていると悲しそうに微笑む顔を目にした。そのまま玄関の取っ手に手を掛ける。ガチャリと音が発てられた。
途端、グレイグの体が反応して、シルバールの手を掴む。
「・・・くなっ・・・行くなっ・・・」
それは悲痛の言葉。
「行くな・・・行ったら・・・もう会えないような気がして・・・」
つぎはぎのされた手は震えていて。
「グレイグ・・・」
思わずその手を握り締め、手と同じように震えている大きな背中に片腕を回す。
「大丈夫だ。必ず戻ってくるから。な?」
それから小さく笑う。
「なんか・・・俺、父親になった気分だ。幼い息子を家に留守番させている父親って、こんな気持ちなのかな?」
「父・・・親?」
反復した言葉にグレイグは少し考えて、
「父さん・・・」
考えついた結論を率直に述べて、腕に身を任せる。
驚いたのはシルバールだ。まるで本当に幼い子供のようになったグレイグを見て驚き、そして嬉しさが込みあがってきた。
「俺の、大切な子供だよ、グレイグは。だから、戻って来ないなんてことは有り得ないんだから。大丈夫、大丈夫だよ」
嬉しくて泣きそうだった。
グレイグもちゃんと人間だって、人間なんだって、今すぐにでも全世界の人に言ってやりたかった。大声で。例え、誰かが冷たい視線を向けても、嘲笑しても、指を指しても。全世界の人間に、『人間』でもこんな風になれるんだって、こんな風な絆で結ばれるんだって、言ってやりたかった。
早く用件を済ませて早く戻ろう、そして小さなパーティでも開こうか。バダナも呼んで。グレイグが父親と呼んでくれた事のお祝い。バダナはきっと羨ましがって悔しがるだろう。そしてグレイグに難題を付きつけるんだ。俺の事は兄と呼べ、とか。
未来があるのはこんなにも楽しい事なんだ、改めて思う。思うと胸が熱くなった。
昔には感じた事の無い感覚。
本当に幸せをこの手に掴み、握りしめているんだと実感した。
「じゃあ、留守番頼んだよ」
まだ不安そうなグレイグの額にキスをして、頬を両手で挟みこんで顔を覗く。
「・・・行ってらっしゃい」
ギュッと結んでいた口をようやく開けて、グレイグはシルバールの頬に同じようにキスを返した。
体温が離れていく。
外気が玄関から入り込んだ。
微かに残る体温さえも奪い取るような冷たい風。
「・・・っ・・・」
今一度引き止めようと体が動く。それを必死に抑えると、玄関の扉が閉まった。
「それでも・・・」
シルバールがいなくなった瞬間に震え出した体を自分で抱きしめる。
怖い―――
唯怖い。
何かが起こりそうで。
何かを失いそうで。
それも、自分のせいで。
「不安なんだ」
玄関にしゃがみ込む。
部屋中に残っている残り香だけが支え。

もう、何度も歩いた事のある歩道をある目的地に向かって進んでいく。周りは殆どが高層ビルやデパート。車の往来も激しい。
こんな所に来るなんて2度と無いと思った。ましてや、自分の居場所を教えてもいない。どうして、知られたのか・・・考えて首を振る。
彼奴ならやりかねない。どんな手を使っても自分の居場所を探し当てるだろう。そして、探し当てたからこそ呼び寄せたのだ。あんな所から逃げ出した自分を。
「そうなんだろう・・・?」
眼前には薄い水色で塗装された銀行。この辺りでは一番大きく、そして一番力があった。そこはシルバールにとって一番忌々しい場所。

シルバールが家を出て、数十分が経った。しかしグレイグには何時間にも思える長さに感じた。
嫌な予感はますます募るばかり。もう戻って来ないのではないか・・・そんな考えが何度も頭を巡る。
グレイグはその嫌な予感を払う様に頭を振り、ポケットからそっと1枚の紙切れを取り出した。
『レディッシュ・ブラック』
それはグレイグがシルバールに手渡した手紙の差出人の名前。もしかしたら、と思って書き留めていたのだが、如何やら使う事になりそうだ。
シルバールは確実にそこにいる。あの、手紙を読んで出かけたのだから。誰かに住所を聞けば、1人くらい知っているはずだ。
グレイグは意を決すると紙切れを握り締めて外へと飛び出した。

苛々としながらシルバールは席に座っていた。ここに来てから何十分も待たされているのだ。
通されたのはあの銀行の奥にある応接間。
中はソファーと机、壁際には本棚。掛かっている物はいかにも高価そうな絵画。
あらゆる手を使って手に入れた金で揃えたのをシルバールは知っている。
そんな場所にいるのは気持ちが悪かった。
更に監視のように、部屋の隅に置物のように立っている『人間』を見ていると、その苛立ちは更に募った。そしてそれは自分にも向けられる。
「以前はこの中に・・・俺は暮らしていたんだ・・・」
怒りと遣る瀬無さとが込み上げてくる。
このままいると今の自分が壊れそうで・・・。
「俺は・・・あの時とは違う・・・」
呪文の様に何度もその言葉を繰り返した。
自分を保つ為に、自分の心を信じる為に。

家を出てすぐにバダナと鉢合わせした。バダナは、ちょうどシルバールとグレイグに会いに行こう思っていた所だと告げた。
「ちょっと仕事で、ある所まで呼ばれているんだけどさ、待ち合わせ時間にまだ早かったからお前達の所にでも遊びに行こうと思っていたんだけど」
明らかに急いでいる様子のグレイグ。
「忙しかったか?」
尋ねるバダナ。
しかしグレイグはその言葉を聞いてはいない。胸倉を掴む勢いで、逆にバダナに尋ねる。
「この人間の住所知っているかっ?!」
バダナはと言うと、グレイグの剣幕に驚いていたが、差し出された紙切れを見て表情を変えた。
「この人・・・この街一の大手銀行社長の名前じゃん。こんな所に行ってどうするんだ?あ、貯金でも始めるとか」
しかしグレイグはその問いの返事はせず、逆に問い詰める。
「知っているんだな?!どうやって行けばそこに行けるっ??!」
「お・・・おいっ・・・。落ち着けって。何かあったのか?」
その時始めてグレイグの表情が変わった。遣り切れなくて、苦しそうな表情。
「シルバールの事か?」
グレイグの表情を見て、すぐに察した。彼がこんな表情をするのは、シルバールに何かあった時ぐらいだろうから。
しかしバダナには1つ心に引っ掛かることがあった。シルバールと大手銀行社長の『レディッシュ・ブラック』の関係。
初めてシルバールと会った時、彼は自分の名字を言わなかった。否、言ったのはグレイグだったが。しかし、その後に付け加える事も無く『シルバール』とだけで過ごしていた。そして、その彼が社長と関わりがあるかもしれないという。
もしかしたら・・・ある1つの考えが頭を過る。あまりにも嫌な考えだった。考えたくも無いモノだった。それはグレイグにも、シルバールにもバダナにも辛い現実となるだろう。
「・・・その社長の場所に行くのならこの道を真っ直ぐ進んで行くといい。大通りに出たら、右に。更に十字路が見える筈だから、そこを今度は左に。そのうち大きな建物が見えるはずだから」
「バダナ・・・?」
行かせてしまう自分は後で恨まれるだろうか。しかし、もしかしたら、グレイグにならシルバールを助けられるかもしれないから。
否、グレイグだからこそ、助けられるはずだから。だから、賭けさせて欲しい。
―――お前がきっと変えてくれるということを。俺の言葉はきっと、人間には空を掠めるだけだから。
「行きな。早く行った方が良い。走るんだ。そうすればシルバールに会えるだろう。俺もすぐ後を追うから」
グレイグはバダナの変化にすぐさま気付いたが、敢えて何も言わなかった。頷くと言われた通りに道を走って行く。
バダナはその後姿を見つめる。バンダナに隠れているだけではない暗い顔。手はあらん限りの力で握り締めて。

長い廊下をシルバールは歩く。やっとの事で会える、そう思うと怒りがこみ上げてきて、気持ち悪くなった。
周りには多くの『人間』。数えるのも馬鹿らしいくらい。やはり『人間』は使われるためだけに生まれてきたのかと、悲しくなった。あまりにもグレイグとは違う。
そう、彼奴は使う事しか考えていない。
『人間』も、自分も。
始めにどんな言葉で罵ってやろうか・・・
シルバールは奥歯を噛み締める。

走っていくと確かに言われた通りに大きな建物が見えてきた。薄い水色で塗装された、いかにも清潔そうな建物。出入り口には警備員が2人立っている。
グレイグは駆け込むように出入り口の入ろうとした。が、その2人の警備員に阻まれる。明かな侮蔑の表情。それは、人間には決してしないであろう『人間』だけにする表情。
「お前のような者が入る所ではないぞ。帰れ」
不快を感じながらも、グレイグとて引き下がるわけには行かなかった。
「ここにシルバールと言う者が来ているはずだ。俺はそいつに用がある」
「何戯言を言っている。シルバール様がお前のような『つぎはぎ人間』を知っているはず無かろう」
警備員の言葉にグレイグの眉が上がる。確信。そう、グレイグの予想は当たっていた。本当ならば、当たってなんか欲しくなかったが。
「ここにいるんだな?」
一歩後ろに下がる。片足を引き、拳を握る。殺さず、気絶させられるよう力を調節して。
「そうだったらどうだと言うのだ」
「こうするまでさっ!」
言い終わると同じにグレイグは拳を突き出し、1人の警備員の顎を殴った。
「―――グッ・・・」
地面に沈み込む警備員を横目で見て、驚いて立ち尽くしている警備員と対峙する。我に返った警備員は無線機を取って仲間に連絡しようとしたが、グレイグの手刀で地面に沈んだ。
「・・・・・・」
転がった無線機を踏み潰す。
グレイグは無言で倒れている2人の警備員を見遣ってから、急いで中に入っていった。

「久しぶりだね。シルバール」
穏やかで柔らかい声がシルバールを迎える。
建物内、最奥にある社長室。今、会いたくもない人物とやっと会えた。
嫌悪で吐きそうになるのを堪えながらシルバールは相手に返事をする。
「久しぶりです。父さん」
鉄色の髪を堅苦しくない程度に後ろに固めた男―――レディッシュ・ブラックは息子に柔らかく微笑んだ。
「元気そうで何よりだ。お前が突然出ていったから、随分心配したんだよ」
「はっ。どうだか。あんたのことだから探偵でも雇っていつも俺の事を見張っていたんじゃないのか?」
「見張っていただなんて人聞きが悪いなぁ」
険しい顔のシルバールを見遣りながらレディッシュは苦笑する。それから部屋の中心にあるソファに座るよう促した。しかしシルバールは座らない。レディッシュだけが座る。
「そう言えば・・・手紙を配達していた者に聞いたのだが、シルバール、お前の家に『つぎはぎ人間』がいると聞いたのだが?」
「・・・それが?」
シルバールは表情を崩さない。それを父親は楽しそうに見ている。
「どうしてそんなモノがお前の家にあるんだい?」
ゾクリと背筋が冷たくなった。顔は笑っているのに声は冷たい。
以前もそれを味わった事があった。そう、自分が『人』を殺した後―――まるで物を取り替えでもする様にそれを捨てて新しいモノを入れた―――その時の父親の声と同じ。唯でさえ嫌だった父親を、もう2度と見たくないとまで思わせた瞬間だった。
「彼奴は・・・グレイグは・・・『人間』じゃない・・・俺の家族だ・・・」
先刻までの威勢など何処かに吹っ飛んでしまったかのようだった。肩や手が震えて止まらない。
「私達人間が、『人間』と家族にでもなれると思っているのかい?『人間』は家畜であって人間にはなれないのだよ?」
冷笑。それも瞳は冷酷そのもので。しかし、俯くシルバールにはその顔は見れなかった。もし見ていたら彼は言葉を紡ぐ事が出来なかっただろう。彼にとって父親は恐怖の存在でしかなかったから。
「なれるさ・・・。俺達はなれた・・・」
「本当にそうなのかな?」
レディッシュの声に、シルバールは自分の言葉を疑いそうになる。
「俺達は・・・」
本当になれたのだろうか。自分だけの思い違いではないだろうか。所詮自分と『人間』は違うから―――
シルバールは頭を振る。流されては行けない―――額に張りつく髪を払って汗を拭う。
そして真っ直ぐに父親を瞳に捉える。
信じれば良かった。例え自分だけでも。自分とグレイグが家族だと言うことを。それだけで、充分なのだ。
黙って待っていたレディッシュは頭を振る。
「こんな事を話す為に呼んだのではないんだ。すまない。これはお前達の問題であって私が干渉する事ではなかったな」
また、冷や汗が背中を伝う。眼前の笑み。昔見た、父親だと思っていた頃の優しいそれ。避けるように顔を伏せる。
怖くなった。何故に今更そんな父親面をするのか。『人間』と自分の関係に深く干渉しないのか。
怖かった。レディッシュがそんな事を言うはずは無いのだ。父親は『人間』を自分達より下と見ているから。
歯が鳴るのを抑えて顔を上げる。父親は背中を向けて窓際に立っていた。
「実はね。この銀行が経営不振になってしまってね。立て直す為にはお金が要るんだよ」
太陽の光が窓から射し込んでいる。
父親の表情は見えない。
声は悲しげだった。だが、どんな意味の悲しげかは分らない。
シルバールは目を見張った。急いで立ち上がり、扉に向かおうとするが待機していた『人間』達に阻まれる。
今までレディッシュの考えに気付かなかった自分に腹が立った。もし手紙を貰った時点で気付いていれば、こんな事にはならずグレイグと共に暮らして行けただろうに。彼の『嫌な予感』と言うのは当たっていたのだ。
「息子が綺麗で良かったよ。大丈夫。苦しまずに逝かせてあげるから」
振り返り、窓枠に体を預けて唯笑う。
人間の表情とは思えない。
それは悪魔の笑み。
父親だなんて思った事も無い―――そう言いたかったが言葉は声にならず掠れた吐息しか出なかった。
「・・・っ・・・グレイグ・・・」
こんな事になった自分を君はどう思うだろう。悲しむだろうか、嘲るのだろうか。
扉の前の『人間』は幾ら力を込めて退かそうとしても動かなかい。そんな事、分っていながらもやらなければならなかった。容易く諦めるのは父親に逆らえない自分を思い出して嫌だった。
けれど、幾度部屋を出ようとしても『人間』が立ちはだかって出口を塞ぐ。数分か、それとも数十分か、足掻いたが結局は変わらない。逆に体力が無くなり、このままではいざこの先抵抗しようとしても出来なくなるだろう。抵抗した所で、事態が変わるとは思えなかったが。
約束、守れなかったな―――
悔しくて情けなくて、泣きそうになる。
「―――っ!」
部屋の外が急に騒がしくなった。レディッシュが険しい表情を作る。同時に部屋の扉が開いた。
「シルバールッッ!!」
「グレイ・・・グ?」
ここまで走って来たのか、グレイグは肩で息をしていた。その後ろを何人もの警備員が走っている。
「そいつを部屋に入れるなっ!!」
レディッシュの鋭い声が部屋に響いた。部屋で待機していた『人間』達が動く。しかし、その時は既にグレイグは中に入っていた。扉を閉めて、鍵を掛ける。だが、その間に『人間』が周りを囲み、捕らえられてしまった。
「グレイグッッ!!」
シルバールは駆け寄ろうとしたが父親に手を掴まれて出来なかった。グレイグもどうにかして自分を捕まえている『人間』を引き離そうとするのだが、幾ら筋力があっても同じ筋力を持つ『人間』複数相手に敵う筈もない。抵抗できない様に更に強く抑えられる。
「邪魔だな。足の間接を外し、手首をもげ。目を潰して視界が利かないようにしろ」
冷酷な声に『人間』達は従った。
「うああああああぁあぁっっっ!!!」
嫌な音と共にグレイグの絶叫が響く。右目が潰れて左手がもげて下に落ち、左足の間接を外されて床に倒れ込む。
「・・・っ・・・う・・・」
激痛に体が震える。右頬に生暖かい物が流れていくのが分った。以前中に入っていたモノが眼前の床に落ちている。左手首からも生暖かいものが流れているのに微かに気付く。痛みで、痛みの事しか考えられないのだ。
「グレイグッ!グレイグッ!!クソッ!放せっ!!」
シルバールの声が聞こえるのに返事をする事が出来ない。その隣にいるレディッシュが抑え込もうとしているのが視界の端に映る。そしてもう1つ・・・
グレイグは目を見開いた。シルバールの背後に何かを持った『人間』がいる。それを今、振り下ろそうとして・・・
「シルバールッッ・・・危ないっっ!!」
「―――!」
鈍い音と共に頭が体ごと床に落ちた。シルバールが呻いて殴られた側頭部を抑えた。
「避けなければ苦しまずに済んだものを」
表情を崩さずレディッシュが言い放つ。
「父親としての情けだ。私の手で逝かせてやろう」
『人間』から受け取った長い棒状の物を父親が振りかざす。
それを無情にシルバールの頭を目掛けて振り下ろした。
「シルバールッッ!!!」
側頭部を抑えていた手がダラリと床に落ちた。凹んだ頭から血を流し、シルバールの顔が見る見るうちに赤く染まっていく。
「そいつも殺しておけ。残りの目や手首が売れるだろうよ」
驚愕。
疑いたくなる言葉。
それは・・・バダナが見せた表情の意味。
「シルバールを・・・売るために殺したと言うのか・・・?」
手に持った物を床に捨て、グレイグを見て嘲る。
「父親の為に死ねるのなら幸せだろう?」
冷笑がグレイグを煽る。
「このっっ・・・!」
怒りに我を忘れて立ち上がる。『人間』達が抑えようとしたが殴り飛ばして床に沈み込ませた。
「・・・っ・・・!!」
グレイグの剣幕にレディッシュが後ずさる。一歩一歩下がる度に、グレイグが同じ歩数詰め寄った。床に血を滴らせ、瞳に怒りの色を宿しながら。
「お前に・・・父親を名乗る資格なんて・・・無いっ!」
「やめっっ―――!」
レディッシュは逃げようとしたが一足先にグレイグの手が彼の襟首を捕らえた。ズルズルと引きずる様にして窓際へと押しやる。
「さようなら。かつてシルバールの父親だった人間殿」
皮肉を込めて人間の体を窓に叩きつける。窓が割れて心地よい風が中に吹き込んだ。その風を受けながらグレイグは人間の体を青空の下へと落とした。
「ぎゃああああああああぁあぁあぁ」
声は長々と空を舞って、途切れて消えていった。それからドンッと音が小さく聞こえた。
下を覗くと地面に人間の体が奇妙な方向に曲がって横たわっている。目は大きく開かれて、口は開いていた。周りには脳みそが飛び散り、体の下を這う様にして赤々とした血が流れる。
何処からとも無く鴉が集まってくる。それに紛れてまだ完全ではない『人間』も群がる。思い思いに手を伸ばし、必要なパーツを切り取っていた。
無表情のままに眺めていると、後ろから小さな呻き声が聞こえた。振り向くとシルバールが微かに動いている。我に返ったグレイグは駆け寄るとシルバールを抱き起こす。
「シルバールッ?!シルバールッッ!」
血に染まった顔が微かに微笑む。
「グレイグ・・・」
暖かい白い手が頬に触れる。
「あの人は・・・死んだんだな・・・?」
「・・・・・・」
胸が詰まって何も言えなかった。
仮にもあの人間はシルバールの父親だったのだ―――今更ながらに思い出す。
「いいんだ・・・あの人が死んだのなら・・・ここにいる『人間』は皆自由になれるから」
普段と変わらない優しい声がグレイグを苦しめた。辛くないはずなど無いのに、シルバールは笑う。
「気にするな・・・俺はもう・・・あの人のことは見限っていたから・・・」
金のことなら何でもして、ある日母親が出ていっても気にしなかった父親。息子が苦しんでいても、またそれは同じ。
シルバールはそう言って付け足した。
「だから・・・泣くな・・・」
暖かい手が頬を流れる涙を拭った。涙は血と混ざって赤い液体となって流れていく。グレイグは頬に添えられている手に自分の手を重ねて、強く握り締めた。もう、放したくないと言うかのように。
「ゴメンな・・・俺のせいで怪我させて・・・辛かったよな・・・」
「そんなこと・・・っ・・・」
しかし続きは嗚咽によってかき消されてしまう。
そんなグレイグにシルバールは微笑んだ。
「俺が死んだら・・・無くなったパーツ、俺の体から取って・・・」
「何を・・・何を言って・・・」
「そうしたら・・・俺はグレイグの中で生きられることになるだろ・・・?」
パタパタと、涙はシルバールの顔に降る。
「い・・・やだ・・・。シルバール・・・そんな事・・・まだ助かるかも知れないだろ・・・?」
助かるわけが無い―――頭ではわかっているけれど言わずにはいられなかった。失いたくないと言う気持ちが涙と共に溢れてくる。
シルバールは静かに首を振って、グレイグの灰色の髪に指を通す。
「俺・・・グレイグと会えて本当に良かったよ・・・」
微笑むシルバールの顔はとても綺麗だと前から思っていた。血で染まっていても、その笑顔は変わらずに綺麗だ。
「シルバール・・・シルバール・・・」
頬を両手で挟んで額を合わせる。唯、唯近くにいたい。より近く。顔が視界いっぱいに広がることでそれを感じられるかは分らないけれど。
「ありがとう」
瞳の中から光が消えて、手はゆっくりと床に落ちた。抱えている体はずっしりと重い。
顔は笑顔のまま、だけど息はしていない。揺さぶってもされるがまま。
「どうして・・・?」
後ろからバダナが走り込んできた。その光景を見た顔が悲痛の表情に変わる。
もし、もう少しバダナが早く来ていれば状況は変わっていただろうか?バダナは知っていたのかもしれない。この事が起こる事を。だからこそ走れと、急げと言ったのだろうか?
「嫌だ・・・シルバール」
何度も強く揺さぶる。腕の中の首がガクガクと揺れた。
たとえ、もし、バダナが知っていたとしても、グレイグは責めることは出来なかった。彼も辛い思いをしていると知っているから。家族の様に接していた3人だったから。
「グレイグッ・・・もう止めろ!」
バダナがグレイグの肩を掴む。濡れた顔がバダナに降り返った。ゆっくりと横に首を振ると、肩を掴んだ手から震えが伝わってきた。
「嫌だ・・・シルバール、シルバールッ!シルバ・・・と・・・うさん・・・父さん父さん、父さんっっ・・・」
涙は止まらない。シルバールを抱きしめて泣き続ける。
バダナは掛ける言葉も見つからないまま、肩に手をかけたまま。

『家』に戻ってから、何年も泣き続けた気がした。だけど実際は3日ぐらいしか過ぎていなくて。ずっと抱き続けていた亡骸は、その頃になると少し異臭を放ち始めていた。
泣き声が聞こえなくなったからなのか、丁度バダナが部屋に入ってきて、
「埋葬、するか?」
グレイグのベッドに腰を下ろす。
始めは首を振った。前に聞かれた時も嫌がった。けれど頭の中では理解している。
「シルバール、もう眠らせてやろう?」
掠れたバダナの声。
腕の中、横たわる亡骸に涙を零して静かに頷いた。
そして今ここにいる。
「本当に良いのか?」
バダナの声が尋ねる。
「良いんだ。俺はシルバールを壊したくない」
グレイグは膝をついてその問いに答える。
「俺は初めて会った時にシルバールからこれを貰っているから」
風が吹いて灰色の髪がなびく。シルバールから貰った髪。例え他のモノが無くても、これさえあればシルバールをいつでも感じていられる、彼はそう言った。
「そうか」
バダナは頷いて、手に持った花を墓に添える。
綺麗で真っ白な石で作られたシルバールの墓。グレイグはシルバールから何も取らずに埋葬した。
「俺さ、何も言ってやれなかった。最期にシルバールに父さんと言ってやれなかった。ありがとうとも、言えなかった」
小刻みに震える肩を、バダナが手を置く。慰める様に肩を何度も優しく叩いた。
「グレイグ・・・」
バダナは白い墓を見つめる。
「グレイグは俺の事、恨んでいるよな。シルバールも・・・」
グレイグは首を振るがバダナは続ける。
「あの男が何をするか知っていて止めなかったんだから」
「お前は悪くない・・・悪いのはこの世界の律だろ?」
言って肩に置かれた手を握る。バダナもその手を握り返した。
「俺、『売買人』を辞めようと思っているんだ」
グレイグが仰ぎ見る。見つめる瞳は決心に満ちていた。
「前々から考えていたんだけどな。『義肢』を作ってみようと思って」
「義肢?」
「義足とか、義手とか、作り物の手や足等を作るんだ」
言ってグレイグを見る。
「そうすれば、もう、こんな悲しい事が起こらなくなるかもしれないだろ?」
バダナは今にも泣きそうな笑顔を見せた。
「そうだな・・・良い考えだと思うよ。お前にならきっと出来るだろう」
「あぁ。1番初めに出来た奴はお前にあげるからな」
左足の関節は嵌めたけれど、左手はもげたまま、右目は潰れたままだった。
グレイグは苦笑する。
「その時はありがたく受け取ろう」
「あぁ、それと」
思い出した様にバダナがグレイグに笑って。
「俺の事は兄さんと呼んで良いからな?」
もしこんな事が起こらなくて、シルバールが生きていて、この言葉を聞いていたらきっと笑っていただろう。
「あぁ・・・」
また泣きそうになった。
今度は悔いの残らない様に、言いたい事は、大切な思いは言える時に言おう。
「あぁ」
そうだよな?シルバール。

ゆっくりと、そして速く時間が人々を通りすぎる。
なぁ、シルバール。俺、聞いていたんだ。お前と初めて会って、暗夜市場に行ってバダナと会って、そしてそのバダナと2人で話していた事。その時、こいつなら出来るんじゃないかって思った。こいつになら、どんな事でも出来る気がした。だから俺は一緒に暮らす事を選んだんだ。
・・・俺、シルバールの想いを受け継ぐよ。バダナにも手伝って貰おうと思ってる。シルバールが変えたかった事、俺が、俺達がやってみせるから。
だから、見ていてくれ。

真っ白い髪が道を走っていく。
人間は彼を見て嫌な顔はするものの、何も言わずに通りすぎた。
彼は大通りを外れて、小さな路地に入っていくと、一軒の小さな店に入っていく。
「頼まれた部品、持ってきましたよ!」
その声に奥で作業をしていたバダナが、やはり頭にバンダナを巻いて出て来る。
「おお。ありがとうな、シロイ」
「いいえ。バダナさんには沢山お世話になっていますから。僕がこうして走っていられるのも、バダナさんの義足のおかげですし」
彼もまた、『つぎはぎ人間』だった。数年前に作られた『人間』。
完全で無かった彼を見つけたのはグレイグ。今やグレイグはシロイの、否、『人間』全体の父親とも言える存在だった。あれ以来、彼は『人間』の世界では有名になっている。
シロイは義足を触りながら笑顔を向ける。
「それにしても凄いですよね。義肢って。僕の仲間たちもこれによって沢山助けられているんですよ。それにパーツより物凄く安いですし」
バダナは何も言わずに笑うだけだった。
「そう言えば、グレイグさんが見当たりませんけど・・・。何処かに行っているんですか?」
「グレイグならいつもの所にいる筈だけど。行ってみるか、一緒に」
バダナはシロイの義肢の調子を見ながら答える。すぐに上から、はいっと言う返事が聞こえた。

白い墓の前、グレイグは向き合う様に立っていた。
空は青い。
木々は青々と茂っている。
風は心地よい。
それを全身に浴びながらグレイグは立っている。
何も言わない。
何も言えない。
多分判っているだろうから。
だから心に思って口は開かない。
世界が少しずつ変わった事。
『人間』差別が無くなった事。
『人間』が製造廃止になった事。
全ては始まったばかりでまだまだだと言う事。
笑顔を見せる。
時には涙も流した。
それに何かを言う者はいない。
墓が沈黙を保ったままそこにあるだけ。
グレイグにとってそれで良かった。
「グレイグ」
呼びかけられて墓から目を離す。
バダナとシロイがこちらに向かっているのが見えた。
手を振ると相手も振り返す。シロイは駆けて来てグレイグに抱き付く。
「グレイグさん。またここに来ていたんですね」
それから無い左手と潰れている右目を見て、
「折角綺麗なんですからバダナさんの作った義手と義眼使えばいいのに」
眉を寄せて話す。
グレイグは苦笑して、
「まぁ、良いじゃないか。これが『俺』なんだからさ」
バダナはその言葉に微笑む。
シロイは首を傾げるだけだった。
バダナが初めて作った義肢は、グレイグは使わずに大切に保管していた。嬉しかったのは確かだ。でも、今更自分の体に手を加える気にはなれなかった。あの日の事を忘れたくはなかった。
「それで?何かあるのか?」
その問いにバダナが答える。
「シロイがグレイグの場所を聞いたから来ただけさ。それに、俺も会いたかったしな」
言って墓へと目を移す。
いつもグレイグが綺麗にしているから真っ白のままだ。
「ふぅん。でもそれだけじゃなさそうだけどなぁ」
うん、と答えるバダナ。
「飯、どうすんの?今日。もう俺腹減ってさ~。死にそうなんだよ。お腹と背中がくっ付きそうだ。冷蔵庫の中身見ても何にも無いしさ。だからお前の所に行って、一緒に買い物にでも行こうと思ったわけ。シロイも連れてきたから買いだめも出来るぞ。お金もそれなりにあるしな」
息吐く暇もなくバダナは言葉を並べて、それにシロイは驚き、グレイグは楽しそうに笑う。
「久し振りにお前のマシンガントークを聞いたな」
それから背後を振り返り、白い墓を見つめる。
「お互いに立ち直ってきたって所かな?」
「そうだな」
グレイグは首を傾げるシロイの頭を撫でる。彼の白い髪は、以前グレイグが自分の髪から分け与えたものだった。彼の白い髪は、彼の色。グレイグはそれを知っていたし、以前、もういなくなってしまった人から聞いていた。
「じゃあ、買い物に行くか。何が食べたい?」
「えっと、僕はカレーライスと言う物が食べたいです。仲間が前に食べて美味しいと言っていたんで」
「俺も俺もー。久し振りに食べたいなー。作り置きも出来るし、そしたら何時でも食べられるし」
「ならそうするか」
3人の楽しそうな声が空に木霊する。
グレイグは振り返り、そっと呟いた。
「もう、大丈夫だから」
白い墓は何も言わない。
ただそこにあるだけ。

世界が変わり始めて数年。
世界からは『売買人』と『解体者』が消えた。
偏見と差別はまだそこら中にあったが、徐々になくなっていった。
人間は『人間』を1人の人間として認めていった。
それは新しい世界の始まりの合図。
ようやっと、新たな1歩を踏み出したのだ。

ある日、グレイグは気だるそうにベッドの上に座っていた。壁に背を預けて、四肢をだらりとさせて。
バダナはそれに気付くと、体調でも悪いのかと聞いた。
グレイグは首を振るだけ。体調が悪い訳ではないらしい。ただ、これは何時かくる事だからと言った。
どう言う意味かと聞くと、
「如何やら俺は死ぬらしい」
さして気にも留めてない様子で答える。始めは嘘かと思ったけれど、嘘ではないらしい。
悲痛に顔を歪めると、そんな顔をするなとグレイグが苦笑する。
バダナは居た堪れずに、
「ごめん」
一言消え入る様に呟いた。
「俺は彼奴の代わりにはなれなかったな」
「そうだな」
言ってバダナに手を伸ばす。
「でもバダナはバダナで、彼奴は彼奴だ。誰も誰かの代わりにはなれないよ。兄さん」
久しぶりに呼ばれたその呼び名。血の繋がりは無いけれど、2人で、2人だけでいる時に時々使う呼び名。
それからグレイグは頬を軽く叩く。
「謝らないでくれ。俺はお前と過ごせて楽しかったんだから」
バダナは泣きそうに顔を歪めて笑った。
「お前は本当に彼奴に似てきたな」
仕草や、考えや、全ての事が。
グレイグは嬉しそうだった。
「あいつに伝えてくれ。いろんな事を」
「あぁ」
グレイグの瞼がゆっくりと閉じられる。
「俺の最期の頼み、聞いてくれるか?兄さん」
「・・・なんだ?」
「・・・傍に埋めてくれないか?」
薄く開いた瞼。その奥にある瞳には、まだほんの少しの光りが輝いていた。
「シルバールの・・・」
その一言で理解した。
思わずグレイグの肩を抱く。
堪えていた涙が頬を伝って、服を濡らした。
「父さんの・・・傍に・・・」
「・・・あぁ」
グレイグは抱き返しはしなかった。
そんな力などとうに無かったのだろう。
だが、顔を少しばかり動かして、バダナの頭に乗せた。
「頼む・・・な?兄さん・・・」
「あぁ・・・分った・・・」
ふ、とバダナの背中に温もりが伝った。
グレイグの腕が、手が、最期の力でバダナを抱きしめていた。
「ありがとう」
そして、手はベッドに沈んだ。

其処は白い場所だった。
しかし、白ではない、白。
色が不規則に混じっている感じ。良く見ると、色は銀・灰色・白の3色しかない。
グレイグは辺りを見渡した。如何してここにいるのかが分らなかった。
「・・・俺は死んだ筈じゃなかったのか?」
声に出しての呟きは、空間に響いて溶ける。
はっきり言って、如何すれば良いのか分らない。何もかもが白く、何もかもが無い空間。
死ぬとこんな所に来るのだろうか・・・?
そんな事を思いながら歩く。
驚きこそしたが、さして動揺はしなかった。
死ぬ前は、ここに来ること以上の驚きや動揺、喜びがあったから。
白い空間に道は無い。だが、グレイグはまるで誰かに導かれる様に真っ直ぐに歩いた。
「・・・・・・」
唯無言。
足が向くままに歩く。
何時しか空間の色は、始めの頃とは違い、一色ずつ場所によって変わっていた。
先程は白。
今は灰色。
そして次は・・・
「・・・銀」
1歩、足を踏み出すと同じに空間の色が変わる。銀一色の空間。あの人の色の―――
「グレイグ」
不意に呼ぶ声が響いた。知っている声。聞き間違える事の無い声。
「シルバール」
ここでもやはり驚きはしなかった。多分、分っていたのだろう。彼がグレイグを呼んでいたという事を。
「もう、ここまで来てしまったんだね」
寂しそうな声だった。それと同時に眼前に姿が現れる。怪我も何も無い、綺麗なままのシルバールの姿。
「充分生きたと思うけどな、俺は」
手を伸ばす。頬に触れる。懐かしい温もり。もう、触れる事は無いと思っていた人。嬉しくて、笑みが零れる
「俺はまだ、グレイグに生きていて欲しかったけど・・・でも、ここまで来てしまったから仕方が無いね」
苦笑するシルバール。そして、頬に触れたグレイグの手を握った。
「聞いていたよ。何時もグレイグが話してくれていた事を。嬉しかった。ありがとう」
「・・・礼を言われる程の事ではない」
「グレイグがバダナや、新しい友人のシロイの事を話してくれるのを、何時も楽しみにしていたんだ。それに俺の考えを継いでくれた。実行に移してくれた。泣いた時は如何しようかと思ったけれどね」
「・・・そ・・・れは・・・」
「俺の為に泣いてくれたと取って良いんだよね?」
「・・・あぁ」
シルバールの顔に笑顔が戻る。
「会えて嬉しいよ。まさかこんなに早いとは思わなかったけど」
「俺も・・・会えて嬉しいよ、父さん」
ずっと呼びたかった名前でグレイグは呼ぶ。墓の前でも言えなかったそれ。今の今まで心の奥につかえてたモノが、外れた気がした。
「・・・今、俺、凄く嬉しいよ」
満面の笑みがグレイグを見た。照れくさくなって顔を背けると、シルバールが頭を引き寄せて抱きしめた。
「な・・・ぁ?」
フワリと漂ってくる懐かしい匂い。
「俺、決めた!バダナがこっちに来るまでグレイグとずっといちゃいちゃしているんだ」
「い・・・いちゃいちゃ?」
「離れていた分、穴埋めしような?」
何年もの離れていた歳月。それを埋めよう、と言ってくれた。それが嬉しかった。泣きたくなるほどに。
「・・・っ・・・ここに来た時のバダナの顔が思い浮かぶようだよ」
「そうだね。俺は楽しいから良いけれど」
そう、きっと楽しくなるのだろう。バダナがここへと来た時は。前と同じように、3人で・・・いや、今度はシロイも入るだろう。人の死を待つのは悪いとは思うけれど、それでも先を思うと楽しそうだ。
「もう、時間かな?行こうか?グレイグ」
ふ、と気が付いたようにシルバールは抱擁を解いた。そしてある一点を見つめる。
「時間?」
「あぁ、あっちへ行く時間」
と言って指を指す。今まで空間に無かった強い光が小さな点から徐々に大きくなっていく。
「ここはまだ、終点じゃないんだ。唯の通過点でしかない」
「何処へ・・・行くんだ?」
「ヴァルハラ〈天国〉さ」
言って微笑んだ。
光りは強烈になる。
眩しくて目が開けられなかったけれど、シルバールが手を伸ばした事は分った。グレイグはその手を握る。
「さぁ、行こう」
「・・・あぁ」
導かれるままに、グレイグは光りの中へと入っていった。

バダナが顔をあげる。
眠る様にグレイグは息を引き取っていた。
だが、その顔は、安らかに微笑んでいた。
後から聞いた話だが、『つぎはぎ人間』の寿命は5年から10年らしい。
グレイグもまた、寿命だった。

世界から『売買人』と『解体者』が消えた。
『人間』が製造廃止になって、徐々にそれは少なくなってきた。
何時しか時がくれば『人間』も消えるだろう。
そして、何時しか『人間』を知る人間も、消えて行くのだろう。
命とは儚い物だから。
でも、その命を語り継がせる事は出来る。
1人の人間と1人の『人間』の物語。元『売買人』そして今は世界で初めての『義肢師』として生きた者がそれを書いた。
唯、残しておきたかったのだ。彼等の人生を。このまま忘れ去られるのはもったいない、そう彼は言った。悪戦苦闘、しながら苦笑して。

『Human being』

『人間』という意のたった1冊の本。
その本の中で彼等は生き続ける。人間と『人間』の壁を超えて。

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