K/Night

K/Night

6


剣を抱え、エリクは長い事座り込んでいた。
男を殺して、ノイン達と離れてその後、白夜に連れられて来たのがこの、紅い木々に囲まれた神殿だった。
周りの、紅い装飾と塗装で彩られた壁が、年月で風化し、かつては美しかったのだろうが今はその影を残しているだけ。
中央の床には赤々とした猛々しいドラゴンが描かれている。
奥にある祭壇に祭られているのも同じドラゴンだ。
昔の人々はこのドラゴンを崇拝していたのか…
「そういえば、入り口の前にもこんなドラゴンの石像が立っていたな」
ここに入ってから一度も外に出ていない。
一回見ただけの記憶を思い出し、1人呟く。
今日、目が覚めたら白夜がいなくなっていて、それからどのくらい時間が経ったのか、唯一分かる手段は窓から射し込む光が作る影の長さだ。
始め、短かった。
それは昼を示していて、今は少し長くなっている。
2、3時間が過ぎた辺りだろうか。
白夜が自分が寝ている間に出掛ける事はなかった。
あったとしても、目が覚める前に必ず帰ってきてくれていた。
エリクが決して独りにならないようにしてくれていた。
「…なんでいないんだよ」
嫌な考えだけが頭を巡る。
置いていかれたんじゃないのか。
捨てられたんじゃないか。
嫌われたのだろうか。
もう一緒にいるのが嫌になったんじゃ…
膝に顔を埋めて身をこわばらせる。
早く帰ってきて。
帰ってくるのなら早く。
独りにしないで。
「…ぁっ…」
自分の声ではない音が聞きたい。
何でも良いから。
何も考えないように。
気が紛れるように。
何でも良いから…
―――ギシリ
自分が発てたものではない音に、エリクは瞬発的に顔をあげた。
―――ギシリ
再度音が神殿内に響く。
抱えていた剣を鞘から抜く。
―――ギー…ッ
重く、錆び付いた音に大きな扉が開く。
ここに入る時にエリク達が使った朱色の扉だった。
「…白夜?」
確認する声は小さかったが、それは神殿内に響き渡った。
扉から漏れる光が長い影を映し出す。
「…エリク?」
「―――っ!?」
声は白夜のものではなかった。
聞く事はもうないと思っていた声。
「…ノ…イン…」
息が漏れるように名前を口にする。
扉から入って来たのは見間違える事のない、ノインの姿。
「…違う…違う…」
目を見開き、視線をノインから外す事が出来ず、エリクは自分に言い聞かす。
「ノインがここに来るはずがない…あれは、違う…幻覚を見てるだけだ…」
言い聞かす声は徐々に大きくなっていく。
ノインはエリクから視線を外す事なく真っ直ぐに向かって来る。
コツッ、コツッ、とブーツが床を蹴る。
反響する音に、エリクは耳を塞いだ。
ノインの影がエリクに重なる。
コツン…
目の前でノインは立ち止まった。
「エリク」
「―――」
跪き、槍を脇に置き、手を胸に当てる。
「迎えにまいりました。お姫様」
冗談を言って、屈託なく微笑んで頭を下げる。
「ノイ…?」
まだ、信じられない。
こんな事、誰が信じられるだろうか。
白夜の森より更に奥にあるこの神殿に、ノインが来たなんて。
「…ッ…」
恐る恐る手を伸ばす。
痙攣するように指先まで震えている。
蜃気楼―――きっとそれだ。
触れたら一瞬にして消える―――
「…っ!」
瞬間、エリクの体が小さく跳ねた。
指に触れる、髪の感触。
そして―――
「馬鹿野郎!!」
怒鳴り声が響き、エリクはノインの腕の中にいた。
カラン…音を発てて剣が床に落ちる。
「…ノイ…」
力の加減を忘れた、ノインの腕。
だが、エリクは痛みを感じていなかった。
「馬鹿野郎…ッ…無事で良かった…」
肩に当たる、苦し気な呼吸に、視界が霞む。
「ごめ…んなさい…ごめんなさい…」
自分が何に対して謝っているのか分からない。
けれど、謝らなくてはノインの名を呼ぶのも許されない気がした。
触れる事を、抱き締め返す事も出来ない気がした。
ノインは腕を緩めると、袖口でエリクの涙を拭う。
「傷、大丈夫か?腕、動くか?痛くないか?」
何処までも優しい言葉に、エリクはただ首を振る事しか出来ない。
「そうか…良かった…」
安堵して、ノインはまたエリクを腕の中に収める。
今度はエリクはノインの脇の服を掴み、胸に顔を押し付けた。
音もなく白夜が2人の横に座る。
「白夜…」
気付いたノインが腕を離し、エリクは白夜の首に手を回し首に顔を埋める。
白夜は顔を寄せ、それからノインに、
「傷の手当てをしてやってくれないか?」
自らの腹部に揺れる包みに視線を落とした。
「それ…?」
「お前が頼んでいたのだろう?薬と服だと聞いたが。ジルが忘れないようにと巻き付けていった」
「そうか…」
ノインは懐からアルマから受け取った短刀を出し、腹部にくくり付けられた包みを紐から切り離した。
包みを手元に引き寄せ、
「おいで、エリク」
エリクを呼ぶ。
「傷、見せて。手当てするから」
「うん」
目の前に座るエリクは頷いて、すぐさま服を脱ぎ出した。
「―――っ!」
間の当たりにしたノインは自分が発した言葉とエリクのその後を想像をして、一気に紅くなる。
だが、
「…ノイン?」
脱ぎ終わったエリクの姿は想像していたのではなく、肌着を着た姿だった。
背中に白夜が爪を立てたのとエリクが首を傾げたので、慌ててノインは平常心を装う。
「何でもないよ。傷口、見るからな?」
エリクに断ってから、ノインは襟を引き、肩口を見た。
「……」
あの男に食われた時、確かに骨が見えていた。
だが、今間の当たりにした傷口は、傷こそ深いが骨が見えていた事など初めからなかったかのような、骨を覆う筋肉も肉も、そこにちゃんと存在している、そんな傷口。
「…しみるけど、我慢しろよ?」
有り得ない。
あれから何日経ったのか分からないが、それでも数日でここまで治るはずはないのだ。
治癒の呪文でも掛けられない限り。
その治癒の呪文を掛けるとしても、この過程を見られるだろうか?
治癒の呪文は、体の自己回復力を促進させ、それで傷を治す。
内部の組織は治っていないにしても、外面は傷を残さないはずなのだ。
薬を染み込ませた布を傷口に当てながら、ノインは考える。
何かが…治癒ではない、何かが手を貸している。
ノインにはそれ以外の事は考えられなかった。
「包帯は服の上から巻くから…村に帰ったら母さんか姉さんに手当てしなおしてもらった方が良いな」
肩の傷に包帯を巻き、それから左脇腹に薬を染み込ませた布を当て、包帯を巻いた。
「はい、今度は右腕出して」
渋る事なくエリクは右腕を出す。
その右腕も、二度もの開いた傷口に、痕が残らない事はないだろうと思っていた。
だが、そこも、やはり組織は綺麗に繋がってきているようだった。
白夜は知っているのだろうか…
反応を窺うが何時も通りだ。
「はい、これで良し」
包帯を巻き終えて、顔や腕の火傷を消毒し、ノインは肺に溜った酸素をようやく、というように吐き出した。
エリクの表情は暗い。
ハンナとアルマの事を口に出したからだろう。
話しかける言葉に迷って頬を掻き、思い出してノインは懐からエリクの翠の石を取り出した。
そしてエリクの手に握らせる。
「これはエリクの大事な物。これを渡すくらいなら、エリクが俺の傍にいて」
「……」
「一緒に帰ろう?俺がいるから。帰って、もし…」
エリクはノインの言葉を塞ぐように立ち上がった。
「ご飯、食べよう?白夜がね、魚とか木の実とか色々獲ってきてくれるんだ」
無理矢理作ったエリクの笑顔を見るのが辛い。
「…そうだな」
これ以上言うのはまだエリクにとって負担になるだろう。
唇を引き結び、それから微笑んだ。
「ノインはここにいて?身体中痛いだろ?」
「大丈夫。俺も手伝うよ」
「でも」
「エリク」
今度はノインがエリクの言葉を塞いだ。
左手を掴んで仰ぐ。
「傍にいさせて」
「……」
困って、でも泣きそうに表情を歪めるエリク。
それでも右手を差し出して、立ち上がるノインの体を支えた。
「食材、何処にあるんだ?」
「…あっち」
指す指は神殿の奥。
エリクの視線は今だ繋がれた手。
ノインは強く握り締める。
今更離す気など毛頭ない。
「美味い物作ろうな」
にんまり笑ってエリクの顔を覗き込んだ。
エリクに辛い思いをさせたくない。
話を聞ける日まで待つから。
今、エリクが笑ってくれるのならそれで良い。

「……」
あれから3日。
進展なし。
「なあ、エリク…」
「…外、行ってくるね」
話を切り出そうとするとこの調子。
隣に座っていたエリクは必ず神殿の奥か、外へ出てしまう。
今日は外だ。
「…いってらっしゃい」
小さな溜め息を吐くと、エリクは申し訳なさそうに顔を伏せたが、そのまま扉に向かって行った。
まだ、葛藤があるのだろう。
それは分かる。
だが、薬はなくなってきているし、正直何時までもここにいるわけにもいかなかった。
またあの男のような者がここに来たら、それこそ袋の鼠なのだ。
いや、だからこそここにいるのだろうか。
ここにいれば、村の誰1人に迷惑を掛ける事はないから?
自分はどうなっても良いという事なのか?
俺は、エリクを守りたいのに?
父さんや母さん、姉さんだって思ってるはずだ。
ジルだってそうだ。
シャナもソウルも、多分テーベーだって。
それなのに、1人で全てを背負おうとするのか?
「……」
「…何を考えている?」
険しい表情をしていたのだろう。
隣で寝そべっていた白夜が身じろぎした。
ノインは今日何度目かの溜め息をまた吐く。
「エリク、戻って来る気はないのかなって」
「……」
白夜は扉に目を向ける。
「お前が来るまでの3日、エリクは一度も外へ出た事はなかった」
「…俺、そんなに寝込んでたのか?」
「聞いていなかったのか?まあ、あれだけの怪我に、魔力を直接体に受けていたんだ。それくらい時間が経っても何ら不思議はない」
腰を上げ、その場に座る白夜。
「だが、お前が来てからは、エリクは頻繁に外へ出るようになった。外へ出た時は必ず、村の方角を見ている」
「……」
「お前の気持ちは、エリクにちゃんと伝わっている」
目を細める白夜に、ノインも微笑んだ。
誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない。
「ありがとな」
「礼を言われる程の事はしていない」
言ってまた、寝そべった。
ノインは壁に背中を預ける。
その時だった。
「ノイン!白夜!」
外に出ていたはずのエリクが頬を紅潮させて戻って来た。
「ノイン、歩ける?白夜も早く!」
ノインの手を引き、白夜を急かすエリク。
「どうしたんだ?」
「良いから!」
訳を聞こうにもエリクが話す事はなく、結局ノインと白夜は急かされるままに外へ出た。
「…っ…」
眼前に広がる光景にノインは息を飲む。
紅い夕焼けが、神殿を染めていた。
紅い木々さえも、夕焼けでより紅く染まっている。
しかも何故か、その光景に既視感を感じる。
「今初めて気が付いたんだ!ね?綺麗でしょ?」
問いかけるエリクの声に我に返り、ノインは既視感を振り払った。
ここに来たのは初めてだから…
「そうだな。俺、こんなに綺麗な光景初めて見たかも」
言って笑うとエリクも笑い返した。
アルマから渡された萌黄色の上着が夕焼けで染まり、それを着ているエリクが何時もとは違って見えた。
「…あのね、ノイン」
笑みを消し、うつ向くエリクは唐突に言葉を紡いだ。
「私、村に帰るよ」
躊躇いながらノインの指を握る。
「エリク…」
「村に一度、帰るよ」
「うん」
ノインは頷くと、手を握り返した。
「一緒に帰ろう。もし、皆が受け入れなかったら、一緒に何処かに行こう。エリクの記憶を探しに行くのはどうだ?いろんな国を巡ってさ…エリク?」
「……」
止まらない。
涙が止まらなかった。
エリクは静かに首を振る。
「…ありがとう…ノイン」
無理に笑うエリクが愛おしく、ノインは優しく抱き締めた。

『帰るのは明日の朝にしよう』
エリクの提案に同意して夜が明けた。
マントにくるまり、白夜の背を枕に寝ていたノインは、反対側、白夜の腹を枕に寝ていたエリクがいない事に気付いて飛び起きた。
「どうかしたか?」
振動に白夜が目を開ける。
「エリクは?」
「外に出ていたはずだが」
「ありがとう」
傍に置いていた槍を片手にノインは扉へ向かう。
僅かに開いていた扉から、光る糸のような物が中に風と共に入って来ていた。
掬うように手を視線まで持ってくると、糸が指に絡み付いている。
「青色…?」
違う気がする。
「…っ!」
ノインは目を見開くと弾かれたように扉を開いた。
扉の前の階段に座っていたエリクが気付いて振り返る。
「頭、軽くなった。すっきりした」
周りには青銀の髪が散らばっていた。
エリクの長かった髪は今は肩辺りで揺れている。
「エリク…」
「ね、手、出して?」
晴れやかに笑うエリク。
ノインは言葉を飲み込んで右手を出した。
その右手に、エリクは青銀の紐を結び付ける。
「これは?」
「女の人の髪には魔力が宿ってるんだって。こうやって、髪を編んだものを身に付けるとお守りになるらしいんだ」
手を離して微笑む。
「気持悪かったら捨てて良いから」
「いや」
ノインは右手に付けられた編まれた髪に触れると、
「ありがとな。大事にする」
嬉しいが複雑な心境で微笑み返した。
エリクが自分の事を思ってくれるのは嬉しいが、好きなエリクの髪がなくなってしまったのは悲しい。
今更言っても何もならないが。
「そうだ。あのね、村に戻る前に寄りたい所があるんだ。行っても良い?すぐに帰りたいのなら行かないけど…」
「俺は構わないよ」
「良かった。ノインと一緒に行きたかった所だったんだ」
「俺と?」
「白夜を起こしに行こう?白夜が起きないと何時まで経っても出発出来ないよ」
目を丸くするノインに手招きしてエリクは神殿に入って行った。
結局、どうして自分とそこに行きたいのか、何処に行くのか聞けなかった。
「まあ、俺もそこに行くわけだから別に良いか」
「ノイン?どうかした?」
扉の隙間から顔を出すエリクに、
「何でもないよ」
と言ったら首を傾げられたが、構わずノインは神殿の中に入った。
白夜を起こして神殿から出発したのはそのすぐ後の事。
白夜が体の大きさを変えられる事に驚きながら、ノインはエリクが寄りたいと言っていた場所に向かった。
「…ここだったのか」
到着してからの第一声はノインである。
そこはエリクを初めて見た、何百年も生きているであろう大樹がそびえ立つ森の中に出来た小さな空間だった。
エリクはノインとあのように出会う前まではずっとここにいたのだ。
「ノインを初めて見た場所、帰る前に寄りたかったんだ」
白夜の背を降りたノインに続いてエリクも降りる。
「ノイン、約束して欲しいんだ」
「?」
「こっちに向かないで」
振り向こうとするノインの背中を押して止まらせる。
ノインはそれ以上振り向こうとはしなかった。
「もし村で、何が起こっても、私の好きにさせて欲しいんだ」
「エリク?」
「約束して。じゃないと私は帰れない」
「…分かった」
背中の手が離れる。
ノインが向くとエリクの笑みがあった。
「ありがとう」
「―――!?」
ノインの胸に顔を埋め、すぐに離れると白夜の背に乗る。
「おい」
放心しているノインに白夜が呼び掛けると、体が跳ねた。
…耳の先まで赤くなっている。
「行くぞ。それとも置いていかれたいか?」
「置いていかないでくれ!帰れなくなる!」
自分の方向音痴を思い出したノインは心なしか青ざめて、急いでエリクの後ろに飛び乗った。
それを確認し、白夜は今度こそ村へ向かった。

村の中はあれから静かだった。
子供達の声も何時もならあるものの、今はすっかり消えている。
大人も同じだった。
「…帰ってくるかしら…?」
広場の一角に座っていたラノアが不安そうに呟く。
「帰ってくるわよ」
隣に座るシャナもまた、不安を拭い去る事は出来ないようだった。
「ノインなら、大丈夫なはずだから」
キースの言葉は慰めにもならない。
「結局、前と殆んど変わらなかったな」
稽古に使っている槍を眺めながら、ソウルは溜め息を吐いた。
「俺、村の入り口に行ってみる」
立ち上がるテーベー。
その直後に誰かの声が響いた。
「帰ってきたぞ!」
誰が、とは言わなかったが誰もが分かった。
5人は顔を見合わせると村の入り口に向かった。
もう既に大人達が円を描いて立っている。
その中心には白夜の姿が見えた。
そして―――
「ノイン…エリク!」
人を掻き分け、シャナはエリクに手を伸ばす。
エリクはその体を抱き止めた。
「シャナ…」
「馬鹿!エリクの馬鹿!心配したんだから…私達、ずっと心配してたんだから…っ!どうして1人で行っちゃうのよ…私達、友達でしょ!?悩みがあるなら話してよ…1人で抱え込まないでよ…」
泣きながら内に溜った想いをぶつけるシャナに、掛ける言葉は見付からない。
ただ、体を支える事しか…
「……」
胸宿る嫌な予感に、ノインは自分の右手を掴んだ。
何故髪を切った?
何故それを編んで自分に渡した?
何故帰ると言った?
何故好きにさせて欲しいと言った?
お互いを初めて見た場所に寄ってから、エリクは一言も口を開かなかった。
お守り、と言って渡したこの右手の髪は、実は別の意味も含まれているのではないのか?
「エ―――っ…」
「エリク」
ノインが声を掛けるより先に、村長がエリクの前に姿を現した。
村長の姿を認めるとエリクは深く頭を下げる。
「エリク、わし等は…」
「村長に、お願いがあって参りました」
頭を上げ、村長の言葉を遮る。
翠の瞳は村人から一瞬も逸れない。
エリクは剣を鞘から引く抜くと、村長の隣に立つあの、ノインが殴った男に柄を向ける。
戸惑いを見せながら受け取る男を確認して、エリクはシャナを離した。
「それで私を殺してください」

『死ぬ事を怖いと思うか?』
まだ神殿にいる時、エリクは唐突に尋ねた。
怖くはない、と言ったら嘘になるけども、大切な人を守り死ねるのなら、俺は恐怖も乗り越えられる…
そう答えたら、今までにないくらい綺麗に微笑んで、
『そうだな』
ふっ切れたように呟いた。
今考えれば、あれは今日の事を言っていたのではないだろうか。
「エリク!」
テーベーの声にノインは我に返る。
エリクは背中を向けたまま。
「エリク!」
「何言ってるのよエリク!」
ソウルとシャナの焦りを含んだ声も聞こえた。
だが、エリクは反応を返さない。
「エリ…」
頭の中は真っ白で、目の前にいるはずのエリクの姿はぼんやりとはっきりしていなくて。
かすれた声が名前を呼ぶと、エリクはここに来て初めてノインを見た。
「来るな。約束しただろ?」
突き付けられる言葉。
「エリク…」
止まってしまった足は動かない。
「エリク」
「ノインの言葉、嬉しかったよ。ありがとう」
ノインの視線から逃れるように背を向けた。
そして今一度男を仰ぐ。
「殺してください」
「……」
白夜も一歩踏み出すが、エリクの鋭い視線に立ち止まってしまう。
あの時から…
あの時、村に帰ると言った時からこの事を覚悟していたのだ。
「……」
大量の汗を額に浮かべながら、男が剣を振り上げる。
振り上げて、そのままの姿勢で止まる。
剣を持つ手はブルブルと震えていた。
青ざめる表情。
「俺…俺には…」
苦痛の色を見せ、躊躇いを見せる男。
しかし、
「殺せ!」
怒気を孕んだエリクの鋭い声に、男の腕は揺れた。
「エリク―――!」
重力に従うがままに落ちていく腕は、エリクを目指していく。
ふざけるな…
「誰がそんな事認めるか!」
銀色の刃が、エリクの左肩に食い込む。
「―――!?」
同時にノインの手がエリクの体を引き寄せた。
血が飛び、エリクの頬を濡らし、男の服に染みを付ける。
ザクッ…
土をえぐり剣が地に刺さった。
男が尻を土に付ける。
「出来ない…っ!俺には出来ない!!」
突き刺さる剣を前に、男は震えながら頭を抱えた。
「……」
掴むエリクの肩に力が入るのが分かる。
「エリク…!」
エリクはノインの手を払い退けると、剣を掴んだ。
首筋に当て、ノインを睨む。
「約束しただろ…」
「あんな約束なんて糞食らえだ。俺はそんな事認めない」
「ならどうすれば良いんだ!」
苛立ちを含んだ、けれど泣きたいのを堪えている声。
「私に出来る事は、皆の不安を取り除く事しか…死ぬ事しかないじゃないか!私は…私を拾い育ててくれた人達の恩を仇で返したくはない!」
「どうしてそんな事しか考えられないんだよ!」
今にも首に当てた剣を引こうとする、その刃を掴んでノインは止める。
指の付け根が切れ、刃先を血が流れた。
「っ…手を離せ!」
「嫌だ」
「離せ!!」
「なら俺を殺せ」
「―――!?」
明らかに弱まるエリクの力。
動揺しているのが分かった。
「俺にエリクが死ぬ所を見せるくらいなら、俺を殺してから死ね」
「私に…お前を殺せと…?」
「出来ないか?」
「当たり前だろう!!」
何故、自分がこんなにも冷静でいられるのか疑問だった。
多分…エリクの事だからだろうけれど。
「なら自らの手で死ぬよ」
手に持つ槍を地に刺して、懐から短刀を取り出した。
周りが息を飲むのが分かる。
誰かが何かを叫んでいるけれど、何を言っているのか分からなかった。
視界の端に映った家族の姿は、自分を信じてくれている瞳だった。
安堵に胸をおろし、短刀を振りかざす。
「…どうして止めるんだ?」
まるで分かっていたかのように尋ねるノインの手を掴んで止めているのは、目の前のエリクだった。
唇を、肩を震わせて、痛みこそないがしっかりとエリクの手はノインの手を握っている。
振りほどこうと思えば出来たが、そんな事するつもりは鼻からなかった。
「私が死んでも…お前が死んで良いわけはないんだぞ…?」
「どうして?」
「っ…私は!」
「俺が死ぬのが駄目ならエリクも駄目だ」
「お前と私は違う…!」
「同じだよ」
裂かれたエリクの肩に触れる。
血が付いた手を見せ、更に自分の、付け根が切れて血が付いた手を見せた。
「同じだよ。流れている血も同じじゃないか。一緒にだって生きている。同じ人間なんだ。だから、エリクが死んで、俺が生きて良いなんて事はない。エリクだけがこんな理不尽な事で死んで良いわけがないんだ」
「…っ…」
「それに言っただろ?エリクが死を覚悟した時は一緒にいるって」
震えている背中を支えてあげたかった。
けれど、今は触れるのを我慢する。
理解して欲しかった。
「……」
剣が地に落ちた。
ノインの手を掴んでいた手が離れる。
「…どうして…」
顔を覆う、その指の隙間からは涙が見えた。
「どうして死なせてくれないんだ…?私は…私の望む事で皆を不安に、傷付けるぐらいなら、死んだ方が良い…」
「…エリク」
声を殺して泣くその姿に、ノインは手を伸ばす。
否、伸ばそうとした。
「―――!?」
産毛を逆だて、森へ向く。
エリクも同じだった。
「何か…来る」
ノインの声を合図に、落ちた剣をエリクが拾う。
「白夜!」
「この前の男の魔力が魔物に今更影響したらしい。ここへ向かっているぞ」
「…っ…ここには入れさせない!」
「俺も行く」
走り出そうとするエリクの腕を取るノイン。
「連れて行くわけには…っ!?」
「ほら、行くよ」
腕を引き走るノインにエリクは顔を歪ませた。
「…勝手にしろ」
「アルマ!私の槍を持って来てくれ!先に行っている!」
「分かったわ!」
ダンガンはアルマに指示すると2人の後を追った。
「俺も行く」
「俺も。テーベー、シャナとラノアを任せたぞ?」
「分かった」
キースとソウルもそれぞれの武器を持ち、村を出る。
残された村人は、何をするわけでもなく立っていた。
いや、何をするべきか分からないようだった。
ハンナは村人を見つめているだけだ。
「…大丈夫よね?皆、戻って来るわよね?」
胸の前で手を組み呟くシャナの声はいやに大きく聞こえた。
「…まだいたの?」
アルマがハンナ達と村人の間に戻って来た。
手にはダンガンの槍と、自分の剣と弓。
森がざわめく方向を確認すると、アルマは村人に向く。
「あんた達に私が知ってる事を教えてあげるわ」
シン…と静まりかえる場にアルマの声だけが響く。
「1つ目は私達、仲間内での情報。最近、頻繁に魔物が村を襲う事は知ってるわね?この間、ここより北西の村が魔物によって消えたわ。この村にも大分魔物が来るようになったわよね。でも、あの子が来てから村に魔物が来てない気がするのは私だけかしら?」
誰も答えない。
「2つ目。これはノインからの情報。あの子、ここに来てから、朝から晩まで村にいなかったらしいじゃないの。ノインが見た話だと、あの子、ここに向かって来る魔物を森の中で倒していたらしいわね」
「……」
誰もそんな事は知らない。
知ろうとしていなかった。
うなだれる頭に、アルマは更に続ける。
「ねぇ、あんた…」
「俺か…?」
あの、今だ地面に座り込んでいた男に声をかける。
「そう、あんたよ。ねぇ、どうしてエリクを殺せなかったの?殺したら災いが振りかかるとでも思った?それとも、まだあどけない少女を殺す事に後悔すると思ったから?」
「俺は…」
村人を見渡すアルマの表情は辛い。
「ねぇ、あの子は私達の、この村の家族なのよ?」
「…っ!」
男は踵を返すと自らの家に入ってしまった。
説得もこれで限界か…
「あんた達も家に入っていた方が良いわ。ないと思うけど万が一魔物が来た時外にいたら守りきれないから。まあ、その時になったら中にいても危険な事には変わりないけどね」
吐き捨てるように言って、背を向ける。
エリク達と一緒に行ったはずの白夜が戻ってこちらを見ている。
「…行くのか?」
「行くわ。案内してちょうだい」
「俺も行く!」
「…!?あんた…」
アルマが振り返ると、そこには先ほどの男が立っていた。
震える手で古びた剣を持っている。
「彼奴、俺のせいで怪我してるし、変な男のせいで他にも怪我してるんだろ?俺だって守られてるだけじゃ、大人としてどうかと思うし、普通俺達が子供達を守るものだろ?それに…」
そこで息が詰まり、男は深呼吸をすると、
「エリクは俺達の家族だから!家族を見殺しにするなんて出来ない!」
顔を紅潮させて言った。
男の言葉に背を押されたのだろう。
「俺も行こう」
「私もだ」
次々と村の男達が名乗りをあげ、それぞれが持ち慣れない武器を手に取る。
「これでもう、大丈夫ね」
柔らかい風を受けながら、ハンナは涙ぐむ。
そう、とても柔らかい風だ。
何かを包み込もうとする風。
「皆…」
男達はアルマに力強く頷く。
「行こう。白夜が案内してくれるわ」
アルマも頷き、白夜は表情を和らげた。
「気を付けて」
「エリクをお願いね」
ハンナ達の声を背に、アルマと白夜、そして村の男達は森へ向かった。

「……」
静かになった森の中の開けた場所で、ソウルとキースは荒い呼吸を繰り返していた。
隣ではダンガンが、武器がないため、素手で闘ったために傷だらけになった両腕に布を巻いている。
大樹の根本では、エリクとノインが互いの背に背を預け座っていた。
うなだれた頭に表情は見えない。
微動だにしない2人に不安を感じ、ソウルは呼び掛ける。
「エリク?ノイン?」
「……」
「……」
だが返事はなかった。
まさか、嫌な予感が巡り、再度呼び掛けようと身を乗り出す。
「大丈夫。眠っているだけだ」
「寝て…?」
ダンガンの言葉にソウルは目を丸くする。
「すぐに第2波がくる。その前に体力を回復させているのだろう」
それは、場数慣れしている者だけがする行為だ。
ソウルやキースがそんな事をしたら魔物の気配に気付かずに殺られてしまうだろう。
「下手に近付かなん方が良いぞ。魔物と間違えられて切られるかもしれないからな」
「…切りませんよ」
起こさないように言ったつもりだったがどうやら聞こえたようだった。
不意にエリクは頭を上げると、周囲を見渡す。
微妙に、森が揺れていた。
「起きられるか?」
背中越しに尋ねると、
「彼奴と闘った時より全然マシだ」
ノインの頭が起き上がった。
「上空からも来る。気を付けて下さい」
ノインが立つのに手を貸しながらエリクが告げる。
視線を上げると確かに影がこちらに向かってきていた。
「ソウルとキースはあまり無理するなよ?実戦慣れしてないんだからさ」
先程とは違ってエリクと背中合わせにノインは立つ。
「上は任せろ。リーチが長い方が飛行には有利だろ」
「…任せた」
波打つ空気に緊張を高める。
上空の魔物が下降を始めた。
「来るぞ!!」
ダンガンが叫んだ。
木々の間から何十体もの魔物が現れる。
魔物にとって巨大過ぎた魔力によって、その体が奇妙に変形してしまっている。
先程の戦闘でも全てを屍にしてきた魔物と同じだった。
「…無事で」
「そっちもな」
言葉を掛け合い、背中を離す。
ノインの槍が魔物の翼を捉えて地に落とした。
同じ時にエリクの剣が突進してくる魔物の首を捉える。
「―――!?」
別の空気の振動を感じたのはその後だった。
「背後から何か来る!」
ノインが叫び、エリクが走る。
その瞬間、上空に何かが飛んだ。
魔物が地面に落ちる。
「…矢?」
それは首を貫いていた。
顔を上げる。
「…アルマ…さん?」
「姉さん!!」
「上空は任せなさい!飛行には弓が有利でしょ?」
アルマは片目をつむって見せると手に持った槍を投げた。
地に刺さる槍を取り、ダンガンはアルマに叫ぶ。
「助かった!お前も気を付けるんだぞ!!」
「あら、私より皆の事を心配してよ!あの子を助けるんだって張りきってるんだから」
「皆…?まさか…!」
ダンガンは信じられないとばかりに目を開いた。
立ち尽くすエリクの周りに、男達がいたのだ。
「おい!大丈夫か!?」「私達も加勢する」
「指示してくれ!」
「お前達の邪魔にはなりたくないからな」
「あ…っ…」
「あんた達!そんなに詰め寄ったらエリクちゃん怖がるでしょ!弓が使える人は上空の魔物を狙って!他は父さんの指示に従って!」
矢を放つ手を緩める事なくアルマは的確に指示する。
男達は言葉に従ってエリクの前から散っていった。
「……」
エリクは胸元の服を握る。
唇を引き締めると元いた場所に戻った。
「…良かったな」
今は隣に立つノインがエリクにしか聞こえない声で言った。
泣きそうになるのを堪えて叫ぶ。
「今の波が終わる前にもう一度、魔物の群れが来る!大きいがそれが最後の波だ!どうか持ち堪えてくれ!!」

戻る 次ページへ TOP Dragon Knight TOP



© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: