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【子供の夢】次女(小5)と長男(4歳)が寝る前は大変である。お尻に火が着いたかのように大ハシャギでポッポ・ポッポと大暴れする。私は、そんな子供達にせっせ、せっせと水をかけては消化する。それでも消えない火の粉の中で、パパに怒られて長男は、涙を流して何時しか夢の世界へと旅立って行った。そんな、寝顔を覗き込んで暫らくすると・・・「パパのバカ」との大声と共に手をパタバタ・足をバタバタとしている。翌朝のこと、長男に「パパと喧嘩した夢でも見ていたの???」と聞くと長男は、「仮面ライダーに変身して、パパに勝ったんだ・・・」だって。「ヤー負けた・負けた・・・」夢の中で負けたパパです。-------------------------------------------------------【ウィルス・・・空しい労力】昨日からとんでもなく沢山のウイルスメールが届いている。この労力・・・空しくは無いのかと厭きれるほどに淋しくなる。もっと良い方向に力を向けて下さい。イエスの御名によって・・・エーメン
2003年08月31日
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【終止符】妻は今日が誕生日・・・妻は昨日(8/27)、お気に入りだった一つの仕事に終止符を打って、今日から台湾茶房「謝栄村」に専念しようと考えている。仕事を止めるに際しては、軽薄(けいはく)な策略(さくりゃく)の落とし穴や心の格闘もあったようで怒りが生まれた時も有ったようだが、送別会に集う方々を見て、その思いも天の恵みと変られたようである。そして台湾茶房「謝栄村」スタッフの暖かい励ましは彼女を変えている・・・エーメン「怒りは未来に前進する際の足枷(あしかせ)である」そんな言葉を誰かに聞いた記憶がある。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」 (ヨハネ福音書12章23-26節)エーメン------------------------------------------------------前にこの箇所で「栄光」とはイエス様にとって十字架に掛かって再び多くの実を結ぶ「苦を感謝と喜び」の上に受け止めた時と解釈されて話された牧師さんのお話しを思いだす。ビジョンの上に味付けされたスパイスは、まことにまこととしもハートに沁みる洗練(せんれん)された味を出す。エーメン
2003年08月28日
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【男のシャンプー】先日のこと私は、夏の暑さを待ちきれずにバーゲン品になっていた、メントールのシャンプーを買ってきた。ラベルに「男のシャンプー」と書いてあるのを長女が見つけて、「男のシャンプー」とそのシャンプーを呼び始めると四歳の長男は「男のシャンプー」「男のシャンプー」と言っては、自分で勝手に使っている。今日(8/27)のこと・・・そんな長男のお風呂の様子を覗って(うかがって)いると???全身までも、そのメントールシャンプーで洗っている。そしてお風呂から出てきて・・・風に「ゆーら、ゆら」寒いよ~ 寒いよ~~~バスタオルに小さい体を包んでは、小刻みに震えている。オイオイ・・・これから飛行場に行くんだよ。風邪退くなよナ・・・
2003年08月27日
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【嘘(ウソ)】 先日の礼拝の中でこんな例え話があった。ある女の子がお母さんにこう尋ねた(たずねた)。「お母さん・・・泥棒と嘘つきとドチラの方が罪深いかな???」お母さんは空かさずにこう答えたと言う。「泥棒でしょ、他人の物を盗るのだから・・・」とすると女の子は、答えをこう返した。「でもね!!! お母さん、泥棒は盗んだ物を返す事が出来るけれども、ウソは、他人の心をキズつけ痛めて、返す事も元通りにすることも出来ないのだよ・・・」そして牧師さんは、話をこう進めた。何事も前に起つリーダーは、ウソの噂にキズを受けやすい。弁明に力尽きて、潔白の証明に溺れて蟻地獄のように悪魔の壺に落ちて行く・・・私は先日、「フッ」としたことから夫婦が学んだ体験談を思い出しメッセージのこの言葉の解決をこう理解した。使命を持って働けば、本当の和解が語らずしても示される。御言葉の剣が暗黒と繋がる帯を切り離すかのように、風がドアを開くように前への道が自然と示されると・・・でも !!!「うなぎの蒲焼と人の噂は焼くほどに旨い」「他人の振り見て我が振り治せ」とも言うし???慎み(つつしみ)ましょう・・・エーメン[2003.8.17.メッセージ「敵の策略に勝つ力」卞在昌師 聖書:ネヘミヤ記6章1節~19節]奇跡は短い期間で行なわれる・・・
2003年08月21日
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【虫の羽ばたき感謝の祈り】 黒い雲が垂れ込めて(たれこめて)躓き(つまづき)に下を見ると!!!Tシャツの裾(スソ)を引っ張るサタンの手、死神の腕・・・そんな貴方も、目線を上に少し逸らして(そらして)見てごらんそこには広大な青空が寛大(かんだい)に広がっている恵みの豊かさが所狭し(ところせまし)と広がっている空中飛び交う小さな虫の小さな羽ばたきすらも力溢れる呼吸すらも主の恵みは働いている・・・ハレルヤの感謝の思いは風までも御方(みかた)に付けて永久(とこしえ)に君を導く・・・山も谷も喜びが滴となって身を清め道は光に照らされるグローリアエーメン
2003年08月19日
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【終戦記念日の風景2】私の終戦記念日に忘れられない風景の二つ目は、野尻湖である。多分、終戦記念日だったのだと思う???私の記憶の中では終戦記念日の出来事のように覚えている。それは長野でのことだった・・・美しい湖に外国の人が利用する別荘地が在ると聞いた私は考えも無く夕日の湖を見たいと思い、旅先から足を伸ばして出かけていった。湖面へと出る入り口を見落として、湖の周りの細い道を一周すると、もう太陽は落ちて暮れていた。細い道の路肩には懐中電灯やチョウチンを持った人達が並んで歩いていた。私はその人並みの流れる方向にと車を進めた。やっと車が止められた所は、そんな別荘地の別荘と別荘の隙間の長く雑草の生い茂った草陰だった。蚊に何箇所も刺されながら、雑草を掻き分けて這い出すように湖の淵に出ると・・・何時しか其処に幻影のような風景が広がっていた。口をパカッと開いて、腰をくの字に曲げて見とれてしまった。水面(みなも)には灯篭流し(とうろうながし)が煌き、湖面にはその光がオパールを散りばめた宝箱のようにクリスタルに踊る。水面を擦れ擦れに飛ぶ蛍の光がチカチカと白や黄色にウインクをしながら遊んでいる。そして空には満開に開く大輪(たいりん)の花火の数々・・・このシチュエーションが人生の前期と中期の境界線に思えたのは、其の時感じたことなのか???今だからそう思うのか???もう今は定かで無いが、あの日が私の記憶に刻まれたことだけは今も確かな「誠」である・・・其の時・・・主は私に近づき二度目に触れていた。私は、それを気が付かない素振り返し無視して前に進んでしまった。エーメン
2003年08月18日
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【終戦記念日の風景1】終戦記念日と言うと私は二つの風景を想い出す。その不思議な風景が今年も続いているのだろうか???と想い出す。その一つは、茨城県の大洗の海でのことだった。友人と二人で、海に面した小さい別荘を借りて、蒸し暑い夏に泊まりに行った時のことである。まだ、バブルも続いていたのか???忙しい中の平安な一時であった。雨の中、荒川沖に出て国道51号線を車で走ると、ハイウエービーチ海に着いたのは・・・もう夜も近い夕方だった。海は、みるみると闇夜に包まれていった。激しい波音と潮の香り、砂浜に集まる花火を楽しむ人達の声と打ち上げ花火の音だけが、今も妙(みょう)に耳元に残っている。そし酔いどれ朝が白々と明けると、そこには不思議な風景が広がっていた。砂浜には白い靄(もや)のようなものが、地べたを這う(はう)かのように広まり埋め尽くしていた。それは香りからスグに何なのか分かった・・・砂浜左右目の届く所全てに2~3mごとに置かれたお線香だった。其の周りにお婆さんが跪き(ひざまずき)、小さい女の子がハシャいでいる。「夏休みで帰郷しているお孫さんかな???」などと思い見詰めていた。そして其の日が終戦記念日だということを知った。青空が海を染めて、その海に泳ぐ煙の流れが、朝日の残り火に染まる風景は、とても幻想的で今も目に残る思いがする。そしてそのお線香の煙の周りで笑い遊ぶ子供達は、戦争と平和ギャップを無邪気に表現(ひょうげん)する証人のようにも思えた一時だった。『 モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。』( 出エジプト記 14章21節)エーメン
2003年08月17日
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【長男の朝】今日(8/14)の朝のことである。妻が二階に居る長男に声を掛ける。「おきなさーい 〇〇〇くん」長男は寝ぼけ眼で階段を下りてきた。一人つぶやきながら「イチ・ニイ・ゴー・ロク・・・」階段の下に着いて、〇〇〇くんは、「サンじゃ無かった良かった」とつぶやく。彼にとってのサンと言う数字は、パブロフの条件反射の法則のように、其の数字を聞くと叩かれると思いこんでいるようだ・・・???其の数字を聞くまでに妻の言付けを聞くことが懸命と思っているらしく、ズルをして其の数字を自分で抜いて階段を下りて来た。それからトイレにと向かう・・・〇〇〇くんは、トイレに向かいママにこう言った。〇〇〇くん 「〇〇〇くんは、どうして大きく無いの???」ママ 「四歳だからよ」〇〇〇くん 「何でパパは、大きいの???」ママ 「何でかしらネ~~~ イエス様に聞いてみたら???」〇〇〇くんは、トイレに立ったまま手を合わしている。「アーメン」の声が聞こえる。その答えはまだ息子から聞いていないが、其処には、それを見詰めて吹き出している妻が居た。エーメン
2003年08月14日
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【ダークな虹】(写真:手賀沼の白い雲) 今日(8/10)、教会から久々に早く帰って来て少し仮眠する時間が取れた。そんな中でこんな夢を見た・・・空一面を埋め尽くす(うめつくす)ように虹が掛かっていた。そこには沢山の色が束ねられていた。その色の中には、ダークな色が、そっと身を密やかに潜めていた。そのダークな色の虹は身を丸め震えていた。黒々と大きな雨雲が近づくことにビビって、涙を流して震えていた。小さい者が大きい者を呼び寄せて、大きい者が小さい者を従わせる(したがわせる)のだと、カラフルな色の束に隠れて潜む、ダークな者は、自らの行ない(おこない)に恐れを感じて泣いていた。そして虹は白く大きな輝く綿雲(わたぐも)に運ばれ底知れぬ青空の彼方(かなた)へと消えて行った。未来へと・・・――――――――――――――――――――――――――――――2003.7.20.の「十字架の愛で行なう改革」(ネヘミヤ記5:1-19)卞在昌師のテープを目覚めて聞いている。エーメン
2003年08月10日
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ヒメジョオン【貧乏草】 昔、貧乏草と呼ばれる花があった。それは、何処にでも在って、有り触れた花だった。道端(みちばた)を闊歩(かっぽ)するかのように咲きのさばっては、犇(ひし)めいていたが、淋しい程に見向きもされずに踏みつけにされていた。ある日、ある子供が、そんな花の名前も知らぬままにその「貧乏草」を摘み、優しく母親にプレゼントをした。母親はニッコリと笑い個性に乏しい無機質(むきしつ)な透明なガラスコップに水を注ぎ、その花を一握りの束にして無造作に投げ活けた。そんな花だった。時は流れて、時は刻々とコップの花を変えていく白くか細い花弁は、一枚、一枚と抜け落ちてコップの周りに歴史を刻む・・・水が淀んで、花は火に投げ込まれた。そんな雑草だった。でも・・・そんな貧乏草ですら、今のこの世の中には、拒(こば)んで咲かない。悲しいほどに見かけなくなっている。アスファルトは花弁を蒸し焼きにして、花の命を「これでもか」と言わんばかりに地底へと押し込めている。命がアスファルトやコンクリートに塗り固められている。黒い雲が垂れ込めて、重たい熱気が凭れ(もたれ)掛かり・・・やっとのことで世にでても、世の毒気が花の命を蝕んでいる。 『畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。』(マタイの福音書 13章38-40 節)エーメン
2003年08月08日
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【2003.8月の空の下】オッペケペ オッペケペレースのカーテンが風に揺らぎ幸せ色の虹がかかる 青い空を見詰め白に雲の流れに恋をして緑に芽吹く野山の喜びの香りに深呼吸をする窓を擦り抜ける香はモーニングコールのように・・・パッパラパ パッパラパ主のラッパ山 高らかに 谷 底深く鳴り響き ハレルヤの喜びと感謝が泉のように湧き上がる君の栄光の松明に火が燈る暗闇に光が混じり光は継ぎ足されて束(たば)となり 群れとなり天に広がり満たす 喜びとなる天が幸いの矢を放つ電撃が背筋を流れるように・・・グローリア 勝利を語りエーメン 主に祈りに親しみの交わり・・・喜びと感謝を籠めてエーメン
2003年08月07日
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【クロスライト】あなたの錯覚(さっかく)に囚われる(とらわれる)目は・・・あなたの幸いを捕らえることは出来ない目の前の幸いを身近な幸いへと程好く(ほどよく)突き放すことによってあなたの幸いは目の視界へと取り入れられるエーメン
2003年08月06日
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(写真:蝶&向日葵)【マイゴスペル】マイゴスペルに初恋の灯火(ともしび)懇願(こんがん)の祈り主の油に炎を注ぎ神の松明(たいまつ)癒す罪・・・喜びのスピリット福音の感激に喜びの泉燃える十字架木漏れ日の語らい・・・Jesusエーメン―――――――――――――――――――――――――――今週(8/3)のアガペーチャペルのメッセージ「福音の力を回復させるハーベストビジョン」ローマ人への手紙1章8節-16節鄭トゥルヨン師
2003年08月04日
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【子供部屋の恐怖】・・・・・・・・・子供達、次女と長男をお昼寝させている時のことだった。(8/2)子供達を子供部屋に寝させ「目を瞑りなさい」と言って、二階から私は下りて仕事の続きを始めた。子供達は、尚もザワザワとしていたが、一時間もした頃だろうか???何時の間にか静かになっていた・・・私は子供部屋に入って寝顔を覗き込んだ。その時のことだった・・・軽く閉めた子供部屋のドアの向こうで、カタンと音がしてその後にコトンという音が後を追いかけるようにした。私が気にも留めずに子供達の寝顔に安心を覚えてドアを開けて子供部屋を出ようとした・・・すると!!!子供部屋のドアが開かない!?!?なぜ???必死になって少し開けで外を覗くと、立て掛けていた板がドアの向こうからツッカエ棒になって押さえている。その上に掃除機の枝の部分が跨って(またがって)、ガッチリと固定されている。子供部屋で目に付いたリコーダー(縦笛)を右手に握り、必死に無我夢中で一時間程を費やして板を少しウエに上げて20センチか30センチ程の隙間を作った。そこで音に驚き目を覚ました次女に「この隙間から出て戸を開けろ」と言うと、次女は音に驚き目覚めたせいか???高ぶる緊張に私の声が大きかったのか???出られない事なのか???驚いて、泣き出してしまった。そんな彼女を宥め(なだめ)ようと右手をゆるめて、左手を娘の方に出すと・・・又もコトンという音で振り出しに戻ってしまった。「おいおいどうするのだよ???」「このままじゃ夜になっても出られないよ???」と頭の中が徐々にパニックてくる。これはヤバイと一呼吸を置いて祈り「エーメン」レスポンスを待つ・・・ドアを目掛けて体当たりした・・・ドアが歪んで頭が何とか出て挟まった。「苦しいよ~~~」とモガいてモガいて手がやっと外に出た。でも、妊婦に近いお腹がどうも引き抜けない。中々抜けない・・・又、そんなこんなで一時間・・・時の速さと遅さが頭の中では交差している。後戻りも出来ずに時が流れ子供の声も耳に入らなくなっていた。「こんなの初めてだよ・・・」とブツクサ言いながらトホホ!なんとか右足が抜けて左足が抜けた。後でドアを見ると完全にドアが歪んでいた。ドアの下はパカっと割れていた。そして主は私にいい加減にダイエットをしなさいと語っているのが聞こえたように思えていた。エーメン苦しみの後の開放感に、こんなに喜びがあるとは誰が私に悟らせてくれたのだろうか???この出来ことが主のユニークな御業に変えられたことを笑いと共に??? やはり笑い話かな???
2003年08月03日
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【台湾茶房「謝栄村」(展望)】(写真:杏仁豆腐) 当店自慢、奥深い美味しさの「杏仁豆腐」現在、このお店では毎週木曜日に、「ベテスダ・柏」の聖書勉強会が行われている。今後、より多くの方々の参加を期待しているとともに、毎日の数時間が、何処かの教会に用いられて御言葉の飛び交う場所として使用されたく思っている。特に夜にあっては、出来ることなら、兄弟姉妹が職場帰りにストレスの解放と、癒しの場所として、聖書を学び、悩みや喜びの分かち合いをして頂ける場所として用いられたいというのが、最近になり妻と思い祈り始めた事柄の一つである。エーメンこのお店には、色々なアイデアが取り入れられ、また今も多くのアイデアを取り入れて吸収している。例えば、初めに書いた婦人科の先生の意見を将来的な展望として含んでいるし、5/31の日記に書いたような、アルコールに苦しんで亡くなった方の意思も告ぎたいと思っている。今は安息日の日曜日をお店の休みにしているが、今後の展望として・・・礼拝の場所として、ミトコンドリアのような働きが出来たらと思っている。(分かり難い表現ですね・・・???)[小さい吸収と発電の群れが大きく働き、より大きい力の導きとなるように、連動される・・・!!! ]台湾情報の発信や、インターネット礼拝、インターネット聖書放送、賛美歌・ゴスペル・コンサート、中国語・聖書教室、等・・・。色々なビジョンが持ち込まれ、色々な夢の実を熟させたいと祈って止みません。最終的には、フランチャイズで繋ぎ一つ一つが教会の役目(日本的に言うと「駆け込み寺」となるのだろうか???)を果たし、その全ての統合で炊き出し等も出来たならばなどとも未来への展望を巡らしている。「応援」「ご支援」「お祈り」賜れますよう宜しくお願い致します。「各種パーティー」も承っています。スタッフ一同、心より歓迎申し上げます。教会の方々にも寄り多くこの場所を活用して頂ければ幸いです。
2003年08月02日
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【台湾茶房「謝栄村」(その種)】 特性「手作り水餃子」シュウシー度満点の絶品です。(冷凍で通販も致しております。)【その種は・・・】その種は、神の「愛の恵み」によって、程好い(ほどよい)水を与えられ程好い栄養の土を与えられ翼の影に守られた、良質の環境を与えられます種はいずれ 天を仰いで幹(みき)を伸ばして神の恵みに枝を前後左右に伸ばします何本も、何本も・・・神の油注ぎを受ける為の壷を用意するかのように・・・葉は幾重にも枝より芽吹き神の「愛の恵み」に喜びの笑顔を伺わせますそして夫々に「愛の恵み」を受け取ります病んだ葉も神の「愛の恵み」に平等に授かりますが・・・???もしその「愛」に対して理解が乏しかったなら病んだ葉は、病んだ葉を続けなければなりません健康な葉からも病んだ葉は、「愛の恵み」を授かりますがその「愛の恵み」にすらも否定して授かる喜びを拒む(こばむ)のならば、葉は、悲しみの色に変えられて、枝から切り離され他の使命にと示されるのです(地に落ちて神の「愛の恵み」を改めて受け入れて「土」に帰り、種の為に謙遜(けんそん)を持って使えること???)一枚、一枚の葉は、夫々の力量によって神の光の恵みを枝えと運び、枝は幹へと運びます同じように根も土の一粒、一粒から栄養を分別して幹へと運びます幹は太くなり、実を結びます様々な夢と希望の実は、神のビジョンと喜びによって甘味の詰まった、熟した実へと、時と共に変えられて行きます未来への多くの種をその腹(実の中)に宿しているかもしれません・・・その中の幾つかの種が、また神のユニークな御業(奇跡)によって運ばれて新しい実を熟させるのかもしれません・・・神に感謝してエーメン
2003年08月01日
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