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【モーニング】微風(そよかぜ)に踊る陽だまり(ひだまり)朝露(あさつゆ)に煌めく(きらめく)緑青空に色付く楓黄葉(ふうこうよう)落ち葉舞い落ちて彷徨(さまよう)香る喜びの朝降り注ぐ命の息吹歌う鳥の囀り(さえずり)生かされた風景が鼓動を高ぶらせて今日のこの日に目覚めを向かえる恵み深き朝の訪れに彩り(いろどり)豊かな色彩のオーケストラが 豊かな音色を満たしてシンフォニーを奏でていたハレルヤ・エーメン―――――――――――――――――――――――――――――2003年10月18日 【30分間の運動会】その後・・・妻は保育園に水餃子と杏仁豆腐を先生に持って行ったとのことです。息子の言葉は強かった・・・
2003年10月31日
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【サタンの紋章】美味しそうな完熟トマトを見詰めていた。カブリつきで見詰めていた。上から見ると何故か緑の蔕(へた)が☆ (星)印???かな???お口に広がる甘い誘惑・・・昔、伝道師さんから聞いたこんな話しを想い出させる。そう・・・☆印にはこんな意味があると言っていた。「印を人に見立てると、普通の☆印は、天を仰ぐ顔に左右に大きく広げて天に祈る腕、全身を強く支え広く左右に開かれた足に見立てられると言っていた。天からの恵みを受け入れて、地に強く根付いて受け止める印なのだそうだ。では六本のトンガリのある星印はどうなのだろうか・・・???これは人間以外の生物の印の可能性が有るという。だって尻尾(シッポ)が有るのだもの・・・」と言っていた。そして、逆星印は???「これは天とは逆の地獄を崇拝(すうはい)しているから、サタンを含んだ偶像崇拝者を指す」印だと言う。これの回りに丸が付くとサタンのマークとなるといっていた。そして続けてこんな話しをしていたのが印象深い・・・意外にもサタンのマークが密かに使われているものは多いという。子供の洋服にも最近はドクロマークや異国語でのマーク、ファッションやCD、様々な物に良く使われていることに気が付かされると言っていた。それは、サタンの力が突発的な人気を及ぼすところにある。と言っていた。サタンの誘惑に干乾びた儀・・・貴方が願うことわ ???ただただ祈って・・・エーメン彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(コリントの信徒への手紙二 12章4節-10節)エーメン
2003年10月30日
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【寝違えてゴキッ!】笑っちゃいけない・・・とグッとこらえて!!!やっぱりゴメン、ウッはははハハハハハ・・・それを見てムッとする息子が独り???今日(10/27)、長男4歳は保育園でお昼寝をしていると首を寝違えたらしく、お昼寝から起きてあまりにも神妙面(しんみょうづら)の息子に保育園の先生が驚き「大丈夫」と声掛けたそうだ。すると息子いわく・・・体全体を硬直(こうちょく)させて「痛いの」と言ったらしい。保育園の先生は兎も角(ともかく)とばかりに病院へと連れて行った。病院の先生の往診の結果は・・・ニンマリとして、「こんな小さい子も寝違えるのですね???」と言って固まりフリーズしている息子にシップ薬を貼ってくれたという。夕方に息子を保育園へと迎えに行くと保育園の先生は、真面目な顔に意地(いじ)らしく笑いを堪えて、こんなことを話してくれた。「〇〇〇君頑張ったのですよ~~~」と話す、口元からは白い歯がスマイルを噛み砕き(かみくだき)毀れ(こぼれ)ていた。息子は、首を傾げて(かしげて)直立不動(ちょくりつふどう)でチョコチョコと門の方へと歩いて行く。ペンギンのようにありキリンのようにもある歩き方にチョット、チョッカイを出してみたくなって、指で息子の頭を軽く突っついてみると???「痛いょ~~~」と私のお尻をサウンドバックにパンチパンチパンチ。でもね、今日の彼は本当にヨワッチイのだよ・・・そんな訳で、注意力も散漫になった彼は何故かお店(台湾茶房「謝栄村」)でママに甘えると、机の角に(豆腐の角では無いよ)頭ぶつけてオデコまでも擦り剥いた。でも大怪我でなく兎も角は感謝・感謝の一日はフィナーレを迎える。明日の朝には治っているかな???主に祈って・・・エーメン「ベテスダ・柏」はに参加しています
2003年10月28日
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【神の時を受け入れよ】昨日、目覚めてテレビのスイッチを入れると初めに耳に入ってきた言葉は、吉川幸枝さんの「何事も途中で止めるから苦労で、遣り切ってしまえばそんな苦労もバラ色の想い出にと変えられる」と言っていた言葉であった。そしてオーバーラップするかのように「ゴスペルアワー」でこんなことを言っていた。「あなたの全ての問題ワ、心の罪から始まっている」「謙り(へりくだり)傲慢(ごうまん)やプライドを低くして罪を見詰め神を信じなさい」と・・・「神の前で、自分が罪人で有ることを見詰め認めて、神を信じることが大切なのだ。」と・・・そして今日の礼拝でのメッセージは・・・「神の時を受け入れよ」と題して新納真司兄が出エジプト2章11節~15節、3章7節~12節から「ミッション(使命)を持ってチャレンジするように・・・」と話してくれた。そして、その後のビュン先生の学びの中では、マタイ1章から礼拝→傾聴(けいちょう[静聴]){聖書を読む・主に問い聞く[教訓・約束・導き]・適用}→礼拝(最後に泉の恵みを汲み上げる)「命の泉は御霊に有るが、そこから汲んで飲むのは自らの選択(せんたく)しである。」と語って下さった。この繋がり・・・とめどなく繋がる恵みかもしれない!!!エーメン
2003年10月27日
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【雨音の囀り】(あまおとのさえずり)雨音を遮る(さえぎる)ように電車が駅のホームへと入って行く雲が厚く垂れ込めて(たれこめて)悲しみ色に染まる駅を出てくる人々の波の中に見なれた顔が潜んでいる上から見下ろす私の下をただ前方だけを見詰めて消えて行く風が重たく ゆったり流れる行き交う電車の音に遠く刻む時の音が掻き消されて 深く深く深呼吸 一つ傘の花がアスファルトに満面の笑み(えみ)を咲かせている雨樋の水滴が光を貯えたて路面に静かに落ちて行く路面に滲んで(にじんで)消えて行く君の心の一つの染みのように・・・エーメン「ベテスダ・柏」はに参加しています
2003年10月25日
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(写真をクイックすると「アバ音楽の森」のHPに繋がります)【生きる膂力】先日、アバ音楽の森で行われた「福祉ボランティア体験合宿」の雑談の中で講師に招かれた障碍(しょうがい)をお持ちの者(かた)が、こんなことを仰(おっしゃ)っていたのが今、とても脳裏に響いている。「生きることよりも、自らを死に至らしめることの方が、よっぽどの膂力(りょりょく)とよっぽどの決意を必要とするのに、 何故!!!その渾身(こんしん)の力(努力)が命の歩みに、未来への希望の道へと結び付けられないのだろうか ???」と語られた。「今、喜びを忘れていたとしても、生きていれさえいれば、出会いがあり、喜びもある。 チャンスがある。」と話して下さった。歩けずに手も思うように動かないのに、彼は熱く語っていた。目を輝かせて若者達にエナジーでも注ぐかのようにこの言葉を語っていた。彼の渾身の力が、生命へのメッセージの中で活力として籠められていたように今思っている。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 (ローマの信徒への手紙 14章8節)エーメン
2003年10月23日
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【写真の調理】私は最近お店(台湾茶房「謝栄村」)のメニューをなるべく見やすく分かりやすくするために料理の写真を写している。そんな中で私としては思い掛けない事に気が付かされた。それは、粽(チマキ)の写真を撮っている時に起こった。初めに電子レンジでチンして写真を写したのだが、数枚写したところで変色して表面が硬くなり、かさかさで粘りが無くなり、食べても硬くて歯ごたえが悪かった。また一つを、蒸し器で蒸して写真を写すと余裕を持って写真も撮れてツヤツヤしていて美味しく食べられた。そんな中でデジタルに勝るとも劣らない(まさるともおとらない)アナロクの先人の智恵の有り難味(ありがたみ)に気づかされた思いがした。たんに写真、されど写真、写真こそ柔順(じゅうじゅん)で素直な表現力かもしれない、アナログ写真の融通性(ゆうずうせい)に梃子摺る(てこずる)のは使い手の腕かな???旧約聖書の智恵が今の私にも活かされますように・・・エーメン
2003年10月22日
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【ゴキブリ程の・・・】貴方に言っておく貴方にゴキブリ程の生命力があったなら貴方は生きて害を齎す(もたらす)かもしれないでも、貴方が人(ひと)として死ぬなら貴方は神の哀れみによって生かされて神のビジョンに満たされる一粒の麦のように・・・エーメン「貴方はゴキブリのように人として生きて、ゴキブリのように人に踏みつけにされて死ぬのですか???」はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネによる福音書12:24)エーメン――――――――――――――――――――――――――――――今日(10/20)の祈りの中のレスポンスで、「貴方は御子キリストを信じて洗礼まで授かり一度死んでいるはずなのに、まだ人として生きるのですか???」と問われた気がした。「謙遜(けんそん)に伏し、委ねなさい」との声がした気がした。「貴方はゴキブリのように人として生きて、床を這い回り塵(ちり)を食べて、ゴキブリのように人に踏みつけにされて死ぬのですか???」と問われた気がした。
2003年10月21日
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【あの店へ】 あの店は生きていたそして未来の希望を育む新芽のように青々と芽吹いていたでも今は・・・皆が殺してしまうイエス様を殺した人々のようにゴルゴダの丘を登りつめて十字架に掛けられるのか!!!思惑(おもわく)が偽善者(ぎぜんしゃ)を生み恵みは果敢無く(はかなく)も息絶えて破壊に向かうそして聖母マリアは全てを見詰め見守っている悲しみに強張った(こわばった)顔をして苦悩に乾いた目を開き・・・でもきっとあの店は一粒の麦のように生き帰るより多くの恵みを蓄え稔らせ(みのらせ)齎す(もたらす)ためにそれを知って今は祈ろうグローリア・ハレルヤ・エーメンと・・・―――――――――――――――――――――――――――――倒産が相次いでいる。先日も最近良き友人になった方がウソのようにソウなったと噂で聞いた。とても真面目な良い人だった・・・そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。(ヨハネによる福音書19:16-18)イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 (ヨハネによる福音書19:26-27)はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネによる福音書12:24)エーメン
2003年10月20日
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【30分間の運動会】パパは走った、ダダン・ダダンダンダン♪♪とお腹の脂肪をダボ・ダボ揺らせて冷や汗を掻きながら・・・それは今日(10/17)の朝のことだった。四歳の息子を保育園に送り届けて車から下ろすと息子は突然に「水餃子を持ってこないとヤダー」「杏仁豆腐を持ってこないとヤダー」と暴走を始めた。駐車された車の合間を掻い潜っては逃げ回り駆け回りしている。やっとの思いで息子を捕まえると、どうも事情があるらしい。男気(おとこぎ)の有る気風(きっぷ)の良さで先生に「持ってきてやるよ」とでも約束をしたらしく、男が廃る(おとこがすたる)と言わんばかりの主張をする。園内に何とか入れて「今日は無理だ」とパパが言うと、また追いかけっこが始まった。プレイルームを2周3周・・・グルグル回りヘトヘト走り息切れゼェ~ゼェ~息子を見詰め「律儀(りちぎ)な奴だゼ」と父は思った。ダッシュして、やっとの思いで捕まえて息子に敬意(けいい)を籠めてお尻ペンペン2×3=6(ニサンがロク)そして先生の元へと連行した。「寝不足気味でグズって居るのかも!!!」とパパ(私)は先生に説明して引き渡すと・・・ヘヘヘ、パパの心の中は「これで我輩の勝利だゼ・・・ウッシシ」そんな感じであったはずだが !!!チョット出席簿に目を落として登園時刻を記入している間に「アラ??? ヤラレター」油断(ゆだん)した間に逃げられた~~~パパ(私)は厭きれて(あきれて)ニンマリ笑う。又もプレイルームか・・・???居ないことに気がついた先生二人がプレイルームに入っていった。「どうなったかなぁ~~~」それはさだかではない・・・パパ(私)はトンヅラ高飛び決め込んでお先にバイバイ時計を見たら30分も息子と運動会をやっていた。や~~~これはダイエットになるワ~~~これも全て主の恵みとハレルヤ・エーメン感謝・感謝の一日の始まりであった。そして今日の帰り彼を見るとオデコにバンソーコを張っていた。はしゃぎすぎて、土に半分埋めて有るタイヤから転がり落ちたという・・・愚か者よされどエーメン
2003年10月18日
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【たじろぎ】青空に豆腐屋のラッパの音が響く透き通る秋の風がまどろむ光にたじろぎ眠る。秋の午後 静かに遠いお空に鳥が鳴く―――――――――――――――――――――――――――【クルクルパー】「また最近、道路の工事が多いなぁ~~~」と車を運転していると警備員さんが、回れ回れ大きく回れと言わんばかりにグルグルと手を回す。その仕草がいかにも小さい子供が憎憎しくクルクルパーをするときの動作に似ていたので、何だか少しムカっと嫌な気分になってしまった。コンプレックスを抱えたインナーチャイルドがムクムクと顔を覗かせているように思える・・・改めまして・・・エーメン
2003年10月17日
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「待つ」という感情に広がり仰ぐ青空に、糸の切れた凧が浮遊している。行き先を見失って、グルグルと風に回って、天(天国)と地(地獄)を見失って・・・エーメン【待つワ・・・携帯電話(2/2)】電話のハードルを上手く飛び越えても携帯電話の無い時代には、まだまだドラマが熱く繋がっていた。待ち合わせでも約束しようものなら・・・来るか???来ないか???思い悩んで、(電話は手短に無く)時は永く遠く感じる。来れば良いが、来なければ落胆して惨めさに涙する。出会いのシチュエーションをイメージしたりシミュレーションしたりして、時にはコッケティシュにパントマイムで一人二役をしてみたりして、期待が胸を膨らませる(ふくらませる)時間を過ごす。(今なら携帯電話で「マタセルナ」と切れて怒鳴って終わりかもしれない !!!)点と点の関係は切れるのも早い・・・でも線の繋がりの時代には感情のバイオリズムがあった。相手が時間に遅れても、初めは期待感に想像を巡らして、(おめかしが長引いているか??? プレゼントでも買っているのだろう???と・・・)詰まらぬ期待に胸躍る。もう少し待たされると怒りがジワジワと込み上げてきたりもして、それが自分への嫌悪感(けんおかん)や罪悪感(ざいあくかん)ともなったりもする。そして相手への心配と労わりへの気持ちにと変えられて行くのである。出会いの感動にも喜びがあった、感情の起伏(きふく)があった。今、携帯電話の時代になって失ったものは多い、タイムリーな情報がイマジネーション・感情の起伏に阻害(そがい)を与え、ロマンはシリアス(serious)に飲まれてシリー(silly)(愚か者)へと変わえられた。犯罪・事件の多い中、防犯には便利で良い手段の面も有ると思うが、その中で消え行ったものも大きいものがあったことを憶えるべきなのかもしれない。暗闇(サタン)が用いる(悪用する)部分があることも心に止めておくべきなのかもしれない・・・「待つ」という感情に広がり仰ぐ青空に、糸の切れた凧が浮遊している。行き先を見失って、グルグルと風に回って、天(天国)と地(地獄)を見失って・・・こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですがこれは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。(エフェソの信徒への手紙 3章10節-13節)エーメン2003年10月15日 【待つワ・・・携帯電話(1/2)】
2003年10月16日
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【待つワ・・・携帯電話(1/2)】昔、「待つわ」という曲が有ったよなぁ♪待~~~つわ・・・何時までも待つわ・・・何処までも待~~~つわ♪♪「わたせ せいぞう」さん、という人がこんな話しをラジオの中で、しているのを聞いた事がある。「昔は電話一つ取っても、線で繋がり、そこには相手に対しての喜び・怒り・労わり(いたわり)・思い遣りのドラマがあった。」「今の電話は携帯になって点と点の係わりは、味気ない」と・・・そう、そう・・・と頷く(うなずく)と・・・!!!こんな事を心に思った。昔はこの季節ならこうだっただろう・・・人恋しさに小銭をジャラジャッラさせながら、寒い中を表の路地に、小刻みに悴んで(かじかんで)振るえる手を摩り公衆電話を探しに出る。相手がスグに出るか???(もしかしたら両親が出て「いないよ」の一言でタッチダウンされるかもしれない???そんな思いを廻らせながら)受話器を取る。受話器を手に持ってドキンドキンと心臓の高鳴りを憶えてダイヤルを回す。ティルルルル・ティルルルルル・・・そして電話の向こうの声に落胆(らくたん)したり喜んだりして、天国気分か地獄気分かのギャップの中で悶絶感(もんぜつかん)を味わっていた。つづく
2003年10月15日
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【差別の恩恵(2/2)】主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。(創世記3:1-17) エーメン-------------------------------------------------------「福祉ボランティア体験合宿」昨日(10/11)は、「アバ音楽の森」(花園)に子供(長女(中一)と長男(4歳))を連れて行ってきた。(花園まで通常なら3時間もあれば着くのにその日は5時間以上か かったょ !!! オ・ド・ロ・キ)「福祉ボランティア体験合宿」をこの連休は行なっている。昨日が身体に障碍(しょうがい)を持たれる方からのボランティアの有り方についてのメッセージであった。今日がきっと、自作ローソク教室、明日は、カヌー教室ようである。とにかくハレルヤ・アーメンで無事に帰って来て欲しい。
2003年10月13日
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【差別の恩恵(1/2)】数日前になるだろうか、仕事場で何気なくしていると、外からこんな話し声が耳に入って来た。それは、ラジオの声だったのだと思うが・・・このような話しであったように思う。「近年、美容整形はポピュラーになった、それはファッション性の意気を超えて人権の差別意識(さべついしき)にも、関わってきている、「差別の恩恵(おんけい)」とも言えるかも知れない。」との話しだった。それは美容整形が今までの治療(傷・染みを治す)の意気を放れ、現代社会が同じ顔形(型)に当て嵌め、組み込もうとしている象徴(しょうちょう)だと言う。個性が犠牲になり全てのフェイス(表情)とボディー(肉体)を現代社会が選択肢(せんたくし)して、社会が好み受け入れやすい形にと一律化(いちりつか)するものだと言っていた。エデンの園で智恵の実を蛇に言われて食べた女のように、エバに言われて食べたアダムのように一触即発(いっしょくそくはつ)の共有化は危険を伴う(ともなう)のかもしれないと「フッ」と思った。(「神のように善悪を知るもの(果実)」の時ように、神に近づく思いを持って、園の木の果実を口にした人類の潜在意識の中には、神の御顔の造形が残り、それを次に人類は求めているのかもしれない・・・と!!! 思う。)神の御言葉が夫々一人一人の個性に輝く御霊にと語りかけるように祈りたい・・・エーメン
2003年10月12日
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【妻から聞いた聖書のお話しNO.1】『 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。』(創世記 2:7)妻が隣でこんな事を言いだした。「不思議よね~~~ 神様は人を作る時にちゃんと人間の呼吸器の鼻から命の息を吹き入れているのよね~~~」と・・・そしてつづいてこう言った。「なぜエバはアダムのあばら骨から造り上げられたか分かる ???」と・・・妻は切々(せつせつ)と話しだす。「それはネ・・・アダムのハートにより近く寄り添い命の鼓動を守る骨で有り、ハートの高鳴りと温もりが寄り身近に伝わり感じられる骨だからなのょ・・・」とのことである。そしてこう付け加えた・・・「もしエバが造られた骨がアダムの頭の骨だったら、きっとウーマンパワーに踏み潰されて押さえつけられていたかもしれないわね !!! 足の骨ならきっと、その逆の立場だったかも???」と・・・「本当に聖書に的確(てきかく)な表現で書かれていることに驚かされる。」と言っていた。もしも、これが神の書で無くてモーゼが書き記した物だと言うならば、きっと彼は現代人に及びつかない天才かもしれないと言っていた。『主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」』 (創世記 2:21-23)エーメン
2003年10月11日
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【前向きな受け取り】貴方のキズも主の御座に・・・1, 痛みを絶えて押し退ける2, 痛みを保護・キズをふさぐ3, 痛みキズと向かい合い直視した祈り4, 視線を周りから喜びを取り入れる 貴方のキズは完治へと前向きに進む・・・あぇーめん
2003年10月10日
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【次女の側面】あのとき君は・・・白い頬っぺたがポチャッと、熟した桃のように艶やかに輝いていた。私は次女のことを側面(そくめん)から見ていることが多いのに気が付かされた思いがした。最近よくグズル知能障碍を持つ次女が・・・昨日(10/9)こと、お菓子屋さんで素敵な笑顔を見せてくれた。何時も姉弟と、お菓子屋に入る時は、自らの自我にパニックを起してグズって家族のものを悩ませるのだが、昨日は少し違っていた。私(夫)と二人だったからか???「〇〇チャン(姉)に秘密」「〇〇君(弟)に秘密」と言っては、私の腕にきつく絡んで(からんで)きて、如何にも満足そうな顔で私を見上げていた。お店に入っても、いつも姉弟と来る時は、我先にと姉が仕切らなければ止め処無く見境(みさかい)も無いのだが、昨日の彼女はチット御淑やか(おしとやか)だった。慎ましやかに(つつましやか)に3・4個のお菓子を取り、私が「これだけで良いの」と尋ねると、謙遜(けんそん)した笑いを含んで頷いて(うなずいて)答えを返してくれた。その屈託(くったく)のない笑い顔は、夜であっても輝いて見えた。親である至福(しふく)の喜びの時である。そして彼女は、雲間に見え隠れする、半月を指差して「ヘンなの・・・綺麗(きれい)」と呟いた。私は、頭に白い十字架を何故か描いて、「アーメン」と呟いていた。クローリア・エーメン 群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。(マタイによる福音書 15章31節)
2003年10月09日
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【生理現象】トイレに立ってハタと思い出したことがある。自称クリスチャンと名乗る人がトイレを例に神と人を語ってくれたことがある。改めて、(紙と人では無い・・・)その話しはこのようなものだった・・・人はトイレを生理的に催して(もよおして)自らの判断でトイレへと向かう。これが神と人間の関係を示していると言うのだ。(A)「トイレに生理的に行きたくなる」のは神の啓示(けいじ)で、(B)「トイレに行くのを選択する」のは人の意思だと言う。神の啓示と人の意思がオーバーラップして重なることによって人間が正常な生活を行えるという一つの例だと言う。「もしも、このドチラか[(A)・(B)]一方を無視しても、君は病院に入ることになるでしょう。」と言われた。神の伝える方向は人類に不可欠なものばかりだと言っていた。この方だったと思うが、トイレの事でもう一つこんな話しも聞いた記憶がある。「何故、旧約聖書の中では男性がリーダーとして立てられたか???」「それは、トイレに向かう時に男性は「大」か「小」かお前もって判断して決断して向かうために判断能力と決断能力が女性よりもあるからだ。」と言っていた。(今の男性は座ってトイレに入る人も多いと聞いたことがあるが、それが男尊女卑(だんそんじょひ)を男女同権(だんじょどうけん)に、そして女尊男卑(じょそんだんひ)に変えているものなのかもしれない・・・???)上記は、不謹慎(ふきんしん)な話しかもしれないが、改めて思い出し憎めない思いに書いてみた・・・気に入らなかったらトイレの水にでも流して忘れてくれれば幸いに思う。私も忘れていた話しなのだから・・・エーメン追伸・・・そう言えば、アーサーホーランド牧師も、自らのお証しする中で大怪我で入院した際のトイレの恵みについて語られていたことがある。「あるものが、きちんとあるのも主の恵みなんだゼ、ベイビー」と・・・
2003年10月08日
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【長女と私の会話】中学生の長女と昨日(10/5)の夜遅くに、お店 ( 台湾茶房「謝栄村」)近くのスーパーに入った時の事である。突然に娘が・・・娘「お父さん、白髪が増えたね~~~ 頭真っ白になってきた。 本当に苦労しているからネ~~~」(娘が私の髪の毛をさわってきた)私「なぜ・・・!!!」(と言いながらチョット、ジンワリ・・・ウルウル)娘「だって苦労しているでしょう、ここ数年色々と有って・・・」私「でも、神様の導きだよね、祝福の前兆(ぜんちょう)じゃないの・・・」(ニコ)(気を取り直して、この時ばかりと思い直して・・・)私(娘をジッと見詰めて)「でも本当に最近は、特にね。」娘(アタフタと!?!?!?!?!? 少し パニクッたように???)「そ、そ、そ、そうじゃ無く!!!」「チガクテサ~~~」今思えば何が「チガクテサ~~~」なのだろうか、私は何も言っていないのに???(中学生の娘を持つ父親の気持ち・・・)ただただ祈ってエーメン 君の未来にハレルヤ・グローリア
2003年10月07日
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【教会の午後】静かに流れる綿毛(わたげ)の雲にそっと浮かぶは 筑波の御山身を密やかに鈴虫 鳴いて秋風おどけて 木々踊る愛しい(いとしい)青空 そっと目を上げ木の葉 夕日に まどろみ燃ゆる心に呟き 響く思い金木犀(きんもくせい)が 何処かで香る礼拝に満たされて エーメン2003.10.5.アガペーチャペルの清き礼拝・・・
2003年10月06日
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「永遠のベストセラーそして人類の宝『聖書』」には、アルファ(初め)とオメガ(終わり)の力が秘められているのかもしれない。・・・エーメン【神の系図】ある人がこんな事をいっていた。「人類は今も神の系図に寄って歩まされている。それは、旧約聖書に残された事実のように、緻密(ちみつ)な計画性を持っている。もしかしたら聖書の中に未だに秘められた現実が隠し忍ばされているかもしれない」と・・・今、神のシナリオを演ずる人々が、幾つかの脚本(きゃくほん)から選んだ方向を歩んでいるとしたら、それは何処に進んでいるのだろうか???人間の誤った(あやまった)アドリブが神を困惑(こんわく)させてはいないだろうか???人は空を仰いで、潜在意識の中の故郷(原点)に帰ると聞いたことがある。「永遠のベストセラーそして人類の宝『聖書』」にも、そんなアルファ(初め)とオメガ(終わり)の力が秘められているのかもしれない。台湾茶房「謝栄村」(シャローム)のお店でも新約聖書を無料贈呈しています。お近くの人はお気軽にご用命下さい。 エーメン
2003年10月04日
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【時の流れ】「神は、人々が作る時代(歴史)を変えわしない、でも時として時間を遅れさせる。」「それは、神が人々に時代を選び作る権利とその責任をとる義務とお与えになったからである。」これは、友人のクリスチャンがアメリカのツインタワー崩壊の時に話された言葉だった。彼は続けてこう言っていた。旅客機がツインタワーに突っ込みビルが崩壊を始めた時も神は一人でも多くの人が、その場から逃れられるように、救われるようにと、ビルを支えていたに違いないと・・・そりが彼のその日の祈りだった・・・エーメン又、山が切り崩されてゴミ焼却場が出来ると言う。電線に異様とも思える鳥の群れが止まっているのは、行く場を追われて失ってなのか ???何れ我が身、人々も・・・???日に日に自然が遠のいて行く、人が自然を突き放す。自然の胸元を人々の両手が、ドツいて突き放す音が今、聞こえているような気がする。エーメン
2003年10月02日
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【蟻とキリギリス】「自らの力は空しく限界を見詰め、天に視線を置く者は、答えと共に力溢れる。」エーメン 今日(9/30)、黙想の祈りの中でウトウトとしていた。そんな時、年齢にそぐわない不思議な夢を見た。それは、童話にも有る「蟻とキリギリス」のお話しだった。「蟻とキリギリス」のお話しと言えば、蟻が夏・秋の温かい内に、せっせと働き冬への蓄えを作り、キリギリスは音楽に明け暮れて遊び、冬に腹を空かして飢え死にをする。と言う話しのようでもあったが、私が今日見た夢は、チョット違っていた。蟻がキリギリスに「働かないと冬を越せないよ・・・」と忠告する所までは同じのようだったが、その後、蟻は食料の運搬中に人の足に潰されてしまった。蟻は死に、蓄えは空しく悪臭を放つ生ゴミと化した。キリギリスの方はと言うと、「キジも鳴かずば撃たれまい」では無いが、その音色の美しさが虫取り網を呼び寄せて、網の中でピョンピョンもがいて片足を失い、透明のムシカゴへと入れられ、自由を失い、自分の望む物も食べられない有り様であった。そして何故かそこで解説が入ったのである。(ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。創世記 32:31)(主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令を与えられた。それは、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せというものであった。 出エジプト 6:13) (イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。出エジプト 16:31)(イスラエルの人々は、人の住んでいる土地に着くまで四十年にわたってこのマナを食べた。すなわち、カナン地方の境に到着するまで彼らはこのマナを食べた。出エジプト 16:35)エーメン「自らの力は空しく限界を見詰め、天に視線を置く者は、答えと共に力溢れる。」「モーセが大勢の民をエジプトより救いし時のように蟻は救われ、天からマナが降り注いだように、キリギリスも飢えずに温かい風呂場を提供される。」と・・・
2003年10月01日
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