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有能な職業軍人として頭角を現し、軍制改革を成功させ、 平民執政官として、権力を掌中に収めたマリウス。 一方、その下で外交的才能を発揮し、同盟者戦役でも活躍したスッラ。 そして、小アジアで勢力拡張を図るポントス王・ミトリダテス。 スッラは執政官に当選すると、オリエント戦線担当となり、軍団編成に着手。 しかし、オリエント征に野心を抱くマリウスが横槍を入れたことで対立が始まる。 その結果、スッラはマリウスをアフリカへの逃避行にまで追い込むが、 ミトリダテスがアテネと反ローマで決起したため、オリエントに発つことに。すると、次期執政官キンナはスッラを裏切り、マリウスとその一派の名誉回復を決定。もう一人の執政官オクタヴィウスが拒否権を発動し、ローマでまたも武力衝突。キンナはこれに敗れローマから逃れたものの、アフリカから帰国したマリウスと合流、武力によってローマを手中に収めることに成功する。惨めで屈辱に満ちた逃避行の日々を忘れられないマリウスは、ローマで復讐の血祭りを断行。紀元前86年には、マリウスとキンナが執政官となるが、マリウスは就任13日目で亡くなる。そして、その後はキンナの独裁政治が始まった。彼は、亡きマリウスに代わって、民衆派を体現化することになる。一方、スッラはアテネを攻略し、ポントス軍との二度の戦いに大勝利する。しかし、そこへキンナが派遣したローマ正規軍が迫って来る。すると、スッラはミトリダテスからの講和を受け入れると共に、ローマ正規軍とは一戦も交えぬまま、見事にこれを吸収してしまった。その後、小アジアでのローマの威光を回復したスッラは、いよいよイタリアを目指す。そして、2年に渡る戦役に勝利し、ローマに復帰したスッラは、反対派の大粛正を行う。独裁官に就任したスッラは、元老院体制修復のための改革を実行した後、政界を引退、ナポリの西、クーマでの隠遁生活中に亡くなるが、その国葬は盛大なものであった。しかし、このスッラの成し遂げた改革は、彼の死と共に崩壊が始まる。その時期に台頭したのが、スッラも認めた軍事の天才・ポンペイウス。彼は、地中海一帯の海賊を見事に一掃すると、ミトリダテス征伐を開始、遂に宿敵を自死に追い込み、地中海を巡る全域をローマ覇権下に置くことに成功したのだった。 ***長々と本巻の流れをまとめてしまったが、それは、私がスッラという人物に、これまで登場した誰よりも興味を持ったからだ。国内において、マリウスやキンナと絶え間ない権力闘争を展開しつつ、ローマの宿敵ミトリダステにも、外交を交え見事に対処しきった手腕は、本当にすごい。そして、戦の鮮やかさにおいては、彼の弟子・ルクルスも、大いに注目に値する。何と、総勢十二万五千のアルメニア軍に対し、一万二千の歩兵と三千の騎兵で勝利。アルメニア側の戦死者十万以上に対し、ローマ側の犠牲者は百人足らずの負傷者、戦死者はわずか5人と言うから、スゴ過ぎる。そして最後に、本著で最も感銘を受けた一文を記しておくことにする。 ギリシアの歴史家ツキディデスは、ペリクレス時代のアテネを、 「外観は民主政だが、実際はただ一人が支配している国」と評した。 そして、後世のわれわれだけでなく古代のローマ人も、 この“独裁者”ペリクレスが死んだ後に、 衆愚政という言葉を生んだほどの惨状にのたうちまわったアテネを知っている。 そのアテネに絶望したのは、哲学者のプラトンだけではない。 ツキディデスは、著作『ペロポネソス戦史』の中で、 「大国の統治には、民主政体は適していない」とまで言っている。 民主政だけが、絶対善ではない。 民主政もまた他の政体同様、プラス面とマイナス面の両面をもつ、 運用次第では常に危険な政体なのである。(p.136)
2011.01.30
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戦後、チキンラーメンを世に送り出し、 インスタントラーメン業界の先駆者となった安藤百福氏。 彼は、さらにカップヌードルを世に送り出し、 日清食品の業界におけるトップの座を、確固たるものにした。 その次男である宏基氏は、兄の宏寿氏の退任の後、37歳で社長に就任。 創業者精神を継承しながらも、長期安定成長のための基礎づくりを進めるため、 時に、会長である父・百福氏と激しくと意見を衝突させながら、 トップダウンの風潮を払拭すべく、次々に改革を断行していった。本著は、そんな宏基氏が、これまでの人生を振り返ったものであるが、第1章「創業者は普通の人間ではない」と、第2章「創業者とうまく付き合う方法」とが、圧倒的に面白い。それは、誰もが共感できる、父と子の葛藤の日々を描いたものだから。それに比べると、第3章以降は宏基氏が自らの経営戦略を語ったぐっとビジネス書的色合いが濃いものに仕上がっている。経営改革における試行錯誤の様子が、かなり詳しく示されているが、興味深くはあるものの、自分としては、この社長の下では働けないなと感じた。ワンマンからの脱却と言いながら、本著を読め進めれば進めるほど、先代以上のワンマン振りとしか思えないのは、私の思い過ごしなのだろうか。記憶に新しい「ラ王騒動」一つ取っても、最近の日清には、残念ながらあまり良いイメージがない。
2011.01.30
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著者が「心のレントゲン」を用いて解明した「ホンネ」は三つの欲求。 1.本当の自分を「隠したい」欲求 2.自分を「アピールしたい」欲求 3.他人の隠したいものを「知りたい」(暴きたい)欲求 本著は、このことについてヒット商品の数々を示しながら、 人々の「建前」と、その裏側に隠された「ホンネ」に迫る。 それは、スーパーのATMの三つ目のボタンや、 指紋認証・シークレットモードが充実したF携帯等々。本著は、最後のページのナンバリングが186。しかも、1ページ当たり38文字×15行なので、あっと言う間に読み切れるのだが、まとめや再確認のため、同じ内容の繰り返しも多く、結論として言えば、第四章と「おわりに」の約20ページが、その内容の全てである。これだけのことに838円の価値があるかどうかは、読者各々の判断を待つしかないが、私としては、「はじめに」の中で語られる、彼女の「ホンネ」を聞き出すエピソードで、「今まで、まきちゃんが好きになった人って、どんな人だったの?」と男性に聞かれ、元彼のことをペラペラと喋ってしまう、まきちゃんには、大いに首を捻ってしまった。だから、これで彼女の「ホンネ」が見えてきたのでは?などと、得意げに語る著者に対しても、出だしから、何か胡散臭さを感じざるを得なかったのである。「この本、本当に大丈夫なのか?」と。しかし、この件については、さらに先を読み進めていったところで、キャバクラのゆみちゃんに、好みのタイプを聞き出そうとするエピソードが登場し、著者が「ホンネ」を聞き出そうとしていたのは、そういう類の女性に対して、そういう状況でのものだったのかと、すっかり納得。そんな本著だが、アンケートについての記述には、大いに感心させられた。 このように、商品開発の基になるデータには、 「自分の理解していることしか答えられない」と 「建前しかデータには落ちてこない」という、致命的欠陥があります。(中略) 実際、データを基に作られた商品には、「はずれ」がとても多いのです。 科学的で、確実さにたけたように見えるアンケートという手法も、良く考えると、 非常にあやふやであることがわかっていただけたのではないでしょうか。(p.32)アンケートが万能でないことを、見事に言い尽くしている。その実施に当たって、質問項目の設定が、いかに大事で難しいものあるか、また、実施後の分析が、どれほどの注意深さを要求するものであるか、さらに、他者が行った結果を見る際、どんな姿勢で臨めばよいかを、改めて感じさせられた。 ユーザーから出てきた言葉から、キーワードを200ほど拾い上げ、 そのうち特に重要で「恥じらい」や「見栄」に関わるものを50~80選び出し、 それらをキーワードのタイプ別に四つに分けます。 1.機能的な価値(価格が安い、店が便利な場所にあるなど) 2.感情的な価値(自分がカッコよくなった気持ちになれる、安心感が得られるなど) 3.目に見えるブランド力(店員の制服が上品、お店の外観が斬新など) 4.目に見えないブランド力(海外資本、業界のリーダー的な存在など)(中略) 普通のアンケートでは、あらかじめ企業側が評価項目を用意しますが、 「心のレントゲン」では、ユーザーから評価項目を浮かびあがらせ、 それをすくい取るようにします。(p.48)これこそ、本著のエッセンスである。
2011.01.30
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昨年末にCTVで映画化されたものを見たのだが、 正直言うと、見終えた後に少々モヤッと感が残った。 そして、原作である本著を読んだわけであるが、 こちらは、読み終えてスッキリ、納得の読後感である。 どこが違うかと言えば、第一部「事件のはじまり」、第二部「事件の視聴者」 そして、第三部「事件から二十年後」が、原作には存在すること。 映画の方は、冒頭が第五部「事件から三ヶ月後」のワンシーン、 そして、いきなり第四部「事件」が始まり、再度第五部に戻って終わる。これでは、本作の持っている意味合いを、正しく理解することが出来ない。なぜなら、第三部「事件から二十年後」こそが、本作の核心でありそれを知っているのと知らないのとでは、第五部「事件から三ヶ月後」に至ったときの、読者・視聴者に湧き起こってくるであろう感慨が、まるで違ってくるからである。即ち、第三部を知らずに、事件の経過だけをなぞってしまうと、エンディング後に残るのは、何とも言えぬ不条理感ばかりで、「何故?あまりに理不尽、かわいそう……」の他に、何の感慨も抱けないのである。青柳君の最後の選択に対し「よく頑張った。良かったな!」と、決して思ってやれない。ただし、映画の方には、原作を上回る名シーンが存在する。その部分の台本は、原作に則り、それを忠実に再現すべく書かれているだけなのだが、演じる役者さんの技量があまりに素晴らしく、通常、文面から読者がイメージ出来るであろう領域を、遙かに凌いでしまったのである。それは、青柳君の父が、押し寄せる報道陣に相対する場面。伊東四朗さんの演技は、原作を読んだ今、さらにその凄さを実感した。もちろん、第五部における、毛筆の手紙「痴漢は死ね」が届いたシーンも同様である。本作のテーマの一つとも言える「親子の結びつきの強さ」が、圧倒的な力で伝わってきた。 「セキュリティポッドで電話の通話情報もチェックしているらしいし、 フルに機能を使えば、効果はあるんじゃないの」 「おまえはほんと、監視社会が好きだな」 「好きじゃないよ。それとも、ビッグブラザーがあなたを見守っています、 みたいな世界のほうがいいってわけ?」(p.47)病院で、田中徹と保土ヶ谷康志との間で交わされた、このお話の根幹に関わる会話である。ところが、映画では、このセキュリティポッドについて触れることがなかった。触れてしまうと、見る者を理解に導かざるを得ず、時間的にきつくなる等あったのだろうが、原作の持つ意味合いが曖昧となり、見る者に消化不良を引き起こす結果となった。そうそう、『歌うクジラ』を読んだときにも感じたことだが、この会話部を読んで、やっぱり『一九八四年』は、ぜひとも早めに読まないと駄目だと思った。そして、本作も『歌うクジラ』『一九八四年』も、管理社会の中を生きる人間を描いたものだが、今現在の日本も、結構それに近いかもと思わされる一文が、本作にはあった。 多数意見や世論、視聴者の興味や好みに沿わない情報は流さない。 流せないのがマスコミの性質なのだろう。 マスコミはいけない、というつもりはなかった。 ただ、マスコミとは、報道とはそういうものなのだ。 嘘はつかないが、流す情報の取捨選択はやる。(p.447)でも、本作の魅力はやっぱり、「人間の最大の武器は信頼なんだ」を感じさせてくれる、大学生時代の人と人との繋がりである。伊坂さんは、本当に大学生というものを描くのが上手い。
2011.01.16
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私にとって『永遠の0』は、あまりにも衝撃的な作品だったので、 とっても期待しながら読んだ。 百田さんの作品としては、『ボックス!』の方が存在感があるが、 「解説」にもあるように、本作が彼の『永遠の0』に続く第2作である。 本作は5つの短編から成る、クリスマスの物語である。 一話40ページほどのものばかりだから、スラスラと読め、 最後には、心がホッコリと温まるお話しばかり。 誰もが安心して読めるし、他の人に薦めることが出来る一冊。ただし、『永遠の0』とは全く趣が違うし、読後感も全く違う。それ故、『永遠の0』で味わった、あの重厚で深い感慨を得ようとして、本作を手にした人は、かなり拍子抜けしてしまうかも知れない。『永遠の0』とは異なる百田さんを知り、楽しむ作品である。
2011.01.16
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久しぶりに東野さんの作品を読んだ。 評判が良いだけあって、読みやすいし面白い。 一気に最後まで読み切ってしまった。 エンターテイメントとしては、やはり一級品である。 読書前、タイトルの「ジャック」は、人の名前か何かだと思ってたが、 読み始めてしばらくすると、すぐにそうではないことが分かった。 「なるほど、ハイジャックのジャックだったんだね。」 つまり、これはスキー場が乗っ取られたっていうお話しです。登場人物がさほど多くなく、場所もスキー場だけと限定されており、お話しの流れも非常にシンプルなので、理解しやすい。そんな中に謎解きを仕込んでしまう技量は流石。誰もが「一番怪しい、二番目は……」と思う人たちは、もちろん真犯人ではない。
2011.01.16
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タナカアキラは旅の目的地に辿り着き、 尋ね人に巡り会い、そこまでやって来た真の理由を知る。 そして、その旅が自分にとって一体何だったのかにも気付き始める。 まだ、アキラの旅は終わっていない。 この旅が、いつどんな形で終わるのかは分からない。 ひょっとすると、もうすぐ終わってしまうのかも知れないし、 まだ、この先ずっと続いていくのかも知れない。 分からないままに、お話しは終わる。さて、このお話の中に登場する未来社会は、次のようなものだった。 最上層の住民は、SW遺伝子の注入者とその家族が中心となって、推薦枠が作られ、 死亡者や脱落者と相殺するやり方で新規の居住者が認可されたので、 住民数には多少の増減があった。(中略) 二百五十万の人口を持つ上層は、 二度の移民内乱で政府側に利益を提供した人間とその子孫のうち、 資産と生産設備、それに知性をかねそなえた者で構成される。 中間層は、移民内乱で政府側に利益を提供した者のうち、 資産と生産設備を持たない者で、 おもに工場労働者と一般農林水産業従事者で構成され、 移民内乱の際に反乱移民側に利益を提供した者のうち、のちに順化の意志を示し、 ある程度の資産と生産設備を持っている者も含まれる。 それらの残りと移民、その家族とその子孫が下層だ。 中間層と下層は日本国の総人口の約九割弱、二千万人で構成されている。 その下に、犯罪者と脱落者たちが居住する最下層の社会が、 おもに離島に設置されている。 また、上層以上の住民の食料と水を生産したり輸入したりする 特別農林水産業に従事する者、あるいは水素エネルギーの核融合炉の技術者などは 独立した居住地と生存権を与えられていて、独立区と呼ばれている。(中略) その他にも非合法の独立区が列島のあちこちにあるが、秩序は保たれている。 ロボットによる治安制御システムと、情報と交通を分断するやり方の浸透で この半世紀秩序が乱れたことは一度もない。(p.294) 要は、最上層という特権階級の座を手に入れた者たちがつくりあげた階級社会であり、彼らはそれが揺るがぬよう、階級毎に厳密に棲み分けを施し、人やもの、情報の往き来を厳しく制限しているのだ。 しかし、その特権階級にとって理想の姿であるべき社会にも、歪みが生じてしまった。 移民内乱がおさまって治安が戻り、文化経済効率化運動が成功をおさめ、 棲み分けが完了し、理想社会が実現しつつあるころのことだが、 その当時の切実な問題は一定の割合で発生する凶悪な犯罪、とくに性犯罪だった。(p.129) 文化経済効率化運動と棲み分けによる社会の理想化は間違いなく革命だった。 悲劇は、棲み分けが自然環境として固定化したときに 人間の精神にどういった影響があるか予測できなかったことから生じた。(p.304)実際、アキラが目的地に辿り着いたときには、最上層の住民たちの暮らしは、人間らしいものとは程遠いものになっており、既に破綻状態を迎えていたのである。そして、追い詰められた最高権力者の最後の悪足掻きに、アキラは立ち向かったのだった。
2011.01.10
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村上龍さんの名前や顔は知っていても、 実は私は彼の作品をあまり読んだことがない。 私の本棚に並んでいるのは、『13歳のハローワーク』だけ。 つまり彼の小説は、一冊も読んだことがなかったのである。 私は、小説をハードカバーの段階で購入することはめったにないが、 (文庫化は一定以上の評価を得ている証しであり、安心して購入出来る) もちろん、本著はまだ発売されて間がなく、文庫版は存在しない。 それでも、購入に至ったのは、新聞で見た書評が妙に心に響いたから。お話しはというと、近未来を舞台にしており、かなりSFチックである。作中に登場する乗り物や流行のスポーツ、医療技術は現存しない想像の産物である。しかし、その生活環境やそこに生きる人々の様子には、既視感を覚える。人間の思考や行動は、どんな時代でもそんなに変わらないということか。 ***サーバーベースを管理していたタナカアキラの父は、幼女との性的行為という冤罪によって、テロメア切断という医学的刑罰を受ける。それによって老化が促進され、死を三日後に控えた父は、自分の願いアキラにを託す。それは、SW遺伝子で加齢を遅くしてもらった人々が暮らす老人施設でヨシマツに会うこと。父の影響で、その時代には珍しい「敬語」を操ることが出来る主人公・タナカアキラは、こめかみの穴から分泌される膿に毒性があるという突然変異「クチチュ」のサブロウと二人が「新出島」から脱走する際に奪ったトラックに乗っていた反乱移民の子孫・アンとで、時代の頂点の人々が暮らすという老人施設を目指す。その老人施設に、島の子どもや若者を性的行為の奴隷として斡旋したのがアンジョウ。三人はアンジョウを探し出し、彼に老人施設まで案内させ、偉大な政治経済学者、日本で39番目にSW遺伝子を組み込まれたヨシマツに会って、SW遺伝子に関する秘密情報が記録されたICチップを渡そうとする。 平等が善だという常識がSW遺伝子によって崩れた。 不老不死のSW遺伝子は人間の等級の頂点と最底辺を明らかにした。 頂点の一つがノーベル賞受賞者で、最底辺は幼児を犯して殺す犯罪者だった。(p.146) 父によると、アキラの体内に埋め込まれたICチップに記録された情報は、社会全体を破壊できる爆弾のような価値を持つという。旅の途中から、アキラは自分にしか聞こえない声を聞くようになる。その声に導かれながら、3人は老人施設を目指す。上巻は、アンジョウを探し出し、老人施設へと案内を開始させたところで終了。
2011.01.09
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「ローマは一日にして成らず」「ハンニバル戦記」に続く 第3のシリーズ「勝者の混迷」の始まり。 ここまで、様々な紆余曲折を経ながらも、 国としては、常に一致団結して成長し続けたローマ。 しかし、本シリーズでは、初めて国内に亀裂が入る事態が生じる。 まさに、勝者のみが辿り着くことが出来る、混迷の時期を迎えたのだ。 そのことを、宿敵ハンニバルは半世紀も前に口にしている。 そして、それは、本著の中で最も印象に残る言葉だ。 いかなる強大国といえども、長期にわたって安泰でありつづけることはできない。 国外には敵をもたなくなっても、国内に敵をもつようになる。 外からの敵は寄せつけない頑健そのものの肉体でも、 身体の内部の疾患に、肉体の成長に従いていけなかったがゆえの内臓疾患に、 苦しまされることがあるのと似ている(p.12)この時期にローマを主導したのがグラックス兄弟。母方の祖父は、ハンニバルを倒した名将スキピオ・アフルカヌス。父方の祖父は、奴隷軍団を率いてハンニバルに抗したティベリウス・グラックス。父も紀元前2世紀に活躍した為政者の中でも特筆に値する人物という、名門中の名門出身。兄ティベリウスは、29歳で護民官に当選すると農地法を成立させ、農地改革を推進する。しかし、これに反発する勢力も存在し、両者は激しく対立する。そして、その対立はそれまで400年近くなかったローマ人同士が血を流す争いに発展、ティベリウスは、実働期間わずか7か月足らず、30歳で命を落としてしまう。兄が亡くなったとき21歳だった弟ガイウスは、30歳になると護民官に立候補、当選する。演壇の上に立ったまま抑制した話しぶりで理を説いた兄に対して、弟は火を噴くように激しく、演壇の端から端まで歩き回りながら説きつづけた。兄に続き改革を進めたガイウスだったが、これもまた2年で反対派により命を奪われる。 ティベリウスとガイウスのグラックス兄弟は、 兄が七ヶ月、弟は二年の実働期間しかもてなかったにしても、 そしてその間に実行された改革のほぼすべてが無に帰してしまったにしても、 成長一路であった時代を終わって新時代に入ったローマにとって、 最初の道標、つまり一里塚を打ち立てたのである。 これが彼らの、歴史上の存在理由である。なぜなら、ローマ人も紆余曲折はしながらも、 結局は兄弟の立てた道標の示す道を行くことになるのだから。(p.110) そして、このグラックス兄弟の構想を、あっけないくらい簡単に実現したのが、先祖の名も定かでないガイウス・マリウスという人物である。 失業者問題が福祉の充実では解消しきれない問題であることは、 またその理由が、失業とは生活手段を失うだけでなく、 人間の存在理由まで失うことにつながるとは、グラックス兄弟の項ですでに述べたとおりである。 グラックス兄弟はそれを、農地を与えることや新植民都市の建設、 また公共事業の振興によって解決しようとしたが、 兄弟の早すぎた死が、その実現を許さなかった。 マリウスは、これらの失業者たちを、軍隊に吸収したのである。(p.138)しかし、その後も権力者は、新たに現れては、それを失い消えていく。そして、遂に「同盟者戦役」が勃発し、ローマとイタリアとが争う事態に。その後、ユリウス市民権法が成立し、ローマ連合は発展的に解消、これが、都市国家ローマが世界国家ローマへと変貌していく端緒となったのである。
2011.01.09
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村上さんが、これまで巡り会った作品の中で、最も重要な一冊。 氏自身がそう公言し続ける、20世紀米文学を代表する作品。 そして、本著はその村上さん自身が翻訳したもの。 訳者あとがきに30ページを費やすという、熱の入れようである。 ところがこの作品、発表された当時の売れ行きは芳しいものではなかった。 この作品の評価が高まったのは、著者フィッツジェラルドの死後である。 彼の存命中、米文壇の英雄は、ヘミングウェイ唯一人だった。 フィッツジェラルドは脚光を浴びぬまま、44歳の若さでこの世を去っている。訳者あとがきに示されたフィッツジェラルドの人生は、まるで短編を読むかのようだ。さすが、村上さんである。そして、私は先にこの訳者あとがきを読んでから、本編を読んだ。この順で、本作品に接して大正解だったと思う。なぜなら、本作を読み始めてしばらくの間、私も、訳者あとがきに登場する質問者と同じ感覚を抱いたからだ。 「『グレート・ギャツビー』って読みましたけれど、あれって村上さんが言うように、 そんなにすごい作品なんですかね?」と口にする人も少なからずいる。(p.334)日本に住む私たちの生活とは、まったくかけ離れた世界。それは時代の違いもあるだろうが、やはり文化の違い・感性の違いが大きいだろう。その違いに、読み手である自分自身が付いていけないのだ。それ故、「……………?」状態で固まってしまった。しかし、先に訳者あとがきを読んでいるので、その状態に耐え、自分自身に鞭打って、何とかページを捲る作業を継続する。そして、しばらくするとページを捲る速度が上昇。気付くと、何とか読了していた。先に述べたように、この物語で語られる世情や風景、人々の感性・価値観といったものは、日本に住む私たちにとって、あまり馴染みのない、全く別なものと感じられる。しかし、村上さんにとって、それは、きっと別物などではないのだろう。それは、村上さんの海外生活が、結構長いことも関係しているのかも知れない。実際、村上さんの作品からは、本作に見られる世界観をあちこちで感じ取ることができる。そして、こういった世界観を表現しているからこそ、村上さんの作品は、日本だけでなく、と言うよりも、日本以上に、世界で広く受け入れられ、評価されているのではなかろうか。
2011.01.09
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