★そら・ハヌル・ヒンメル★

涙・涙・涙・・・



Jは休暇をとって一緒にいてくれた。

何もできない、力もでない。また、涙。Jは一生懸命ほかの事を考えるように、ほかの話をしてくれた。

両親になんて話をしよう・・・。そのことを思うだけで、涙。Jの両親に申し訳なくて、たまらない。いつもいつも、私の体のこと、あるみちゃんのことを本当に本当に心配してくれていて、楽しみにしていたから・・・。

Jが電話をした。それをみているだけで、また涙・・・。お母さんが私に、ゆっくり休むように話すが、私は泣くことしかできず、返事をするのがやっとだった・・・。心配して、こちらに来るというが、今は誰かに会ったり、話をすることができないので、もう少し後に来てもらうように伝えてもらった。

口に出して、流産したと言うことをどうしても言えそうもないので、私の母にはメールで伝えた。少したって、電話が来た。私のこと、とても心配していた。ありがたかった。また涙。何をしても、涙・・・。

夜、電気を消して、テレビを消した。涙がでた。体も疲れていて、とても眠たい・・・。なのに、眠れない。頭の中はあるみちゃんのことでいっぱいだ。 
自分を責めた。これが悪かったのか、あれが良くなかったのか・・・。あるみちゃんを失ってしまったこと、どうして守ってあげられなかったのか・・・。いっぱい辛かったのかな?痛かったのかな?いろんなことがめぐって、涙がとまらない・・・。 
何時間も泣き続けた。



2月16日

何時に寝たんだろう、朝は眠くて、だるくて起き上がれない・・・。Jが私にゆっくり休んでいるように言って、会社に出かけた。

少し休んで、みんなからのメールを読んだ。涙が止まらない。みんなに会いたかった。メールは本当にありがたかった。

一人で部屋にいると、また涙。病院にいかなければならず、Jは午前中で早退してくれた。

一緒に病院に行った。一緒にいてくれるだけで、本当に心強かった。子宮内に血液が残っていた。注射と、また新たに薬が処方された。

この注射がびっくりするほど痛い。そして、韓国ではおしりに注射をするのだ。家についたころ、注射の影響らしく、お腹がものすごく痛い。でも、収縮して、血液も出ないといけないのでと、がまん、がまん。

痛みを感じながら、なにもかもが辛かった。夜、電気を消すと、また涙が溢れた。こんなにどこから涙はでてくるのだろう・・・。
枕はびしょびしょだった・・・。自分が情けなくて、情けなくて・・・。何時間泣いていたのだろう。  

Jを起こしてしまった。少し話をした。自分はなんて弱い人間なんだろう、こんな情けない私だから、母親になれなかったのかなー、私の中の小さな大事な命を守ってあげられなかったこと、悲しくて、悲しくて・・・。この悲しみをどこにぶつけたらいいのかわからない・・・。  

Jの両親、友達にどんな顔して会ったらいいのかわからない・・・。いろんな気持ちをJにぶつけた。

Jが言った。泣きたいだけ思いっきり泣けばいいと。みんなずーっと笑ってばかり生きていられないと。悲しいときだってあるんだからと・・・。そのままで、無理しなくていいと・・・。なんか少し心が落ち着いた。

友達からも、たくさんの励ましのメールをもらった。それにこたえなければと、本当は苦しくてたまらないくせに、無理していたんだと思った。元気なふりをした・・・。でも、実際は泣いてばかりの情けない私・・・。日本に帰って、みんなに会いたい私・・・。ひとりでいるのが怖い私・・・。これが本当の私・・・。

泣きすぎかなー、頭が痛くなってきた。眠れなかった。体がものすごく熱くて、全身が痛くて、全然眠れない。熱がでていることを感じていたが、動けない。冷たい飲み物をなんとか飲んだが、変わらない・・・。朝まで辛くて眠れなかった。


2月17日

朝になって熱を測った。38.4度。Jに伝えようか悩んだが、伝えた。どうしようと思ったが、とりあえず寝ていると伝えた。

Jは毎日、休んだり早退していたので、申し訳なかった。とりあえず会社に行ってもらった。 夜も寝ていないのに、やっぱり眠れない。熱くて苦しくて・・・。熱はどんどん上がった。39度・・・。

会社について、30分後にJから電話。熱があがって、やっぱり病院へ行こうと思っていることを伝えた。Jが病院に電話したら、すぐ来るように言われていた。一人で行こうか、ソウルに住んでいる友達に連れて行ってもらおうか悩んだ。一人では、ちょっと動くことができなかった・・・。

結局、Jが会社から戻ってきた。こんな状態も、迷惑ばかりかけていることも、辛くてたまらなかった・・・。

病院につくと、妊婦さんがたくさんいた。私の先生は女の先生で人気があるので、予約をしていないと何時間も待たなくてはいけない。しかし、今日はすぐに診察してもらえた。

子宮の中の血液がでていないため、感染してしまったようだ・・・。涙がでそうになるほど痛い処置だった。もう、何もかも嫌でたまらなかった・・・。

処置してもやはりだめで、再度手術をすることになった・・・。体が辛くて、早くどうにかしてもらいたい気持ちだった。

オペのあと点滴などがあり、2時間はかかると言われた。Jがいないと辛いが、会社も大事で、会社に戻るように伝えるが、オペが終わるまで待っているといわれた。

再びオペ室。点滴をとり、手足を固定され、先生を待った。また、思い出してしまった。あの日の診察、エコー、先生の話、そして手術のこと、なんでなのか、ものすごく、ものすごく鮮明に覚えている。頭のなかでぐるぐる回っている。なんでまた、ここに・・・。辛かった。

こんな風に寝かされ、手足を固定されるとそれだけで、ものすごく不安だ。そういう時、優しい言葉をかけてもらうことが、どんなに安心するか、身をもって感じた。(私もそんな、人の痛みや不安を少しでも取り除いてあげられる看護師さん、いやそんな優しい人間になりたい・・・。)

先生がきて、麻酔をすると、すーっと寝てしまった。気づいたら、ベットで寝ていた。点滴も、3つ・・・。点滴はあと30分以上はかかると言われた。Jは、中に入れないと・・・。時間が気になってしょうがない。

看護師さんに、Jに、点滴が終わったら、一人でタクシーで帰るから、会社に戻るように伝えてもらった。

看護師さんに、携帯で話すように電話を渡された。もう少し待っていてくれると・・・。看護師さんに、点滴を早めてもらって、外へ。Jに会った。安心した。タクシーで帰れるから、会社に戻ってもらった。

家で休んだ。熱もだいぶ下がり、薬のせいか眠かった。
何時間か寝てしまった。Jが帰ってきた。夕食を食べた。

Jの元気がなかった。私が栄養のあるものをたくさん食べなければいけないのに、自分が作ってあげられないと責めていた。

病院の先生が電話をくれた。熱は下がったか、痛くはないか・・・。明日も来るように言われた。

寝ようとするが、やはり眠れない。夜が本当に嫌いだった。怖かった。

私はいつになったら元気になれるのか・・・。たった3ヶ月でも私の中にいたんだ。
そんなに簡単なことではない。少なくても、母親になろうとしていたのに・・・。

あるみちゃんのママなのに守れなかったなんて・・・。こういう気持ちは、初めてだった。自分が変わりに辛いほうがよかった、かわいそうでたまらない。

あの最後のエコーが忘れられない。上の方に、静かに眠っているような姿が・・・。

あの日のことがぐるぐるする・・・。悲しくて、悲しくて・・・。この世にはどうしようもないことがあることもわかっている、仕事をしながらそういう赤ちゃんも見てきて知っているはずなのに・・・。
自分にはどうしてもあてはまらないのだ。わかっているのに、受け入れられない・・・。私はなんて弱い人間なんだ・・・。



2月18日

夜眠れなず、午前中はずっと眠っていた。起きると泣いて、また眠った。

インターネットで流産のサイトを読んだ・・・。すこしずつ受け入れて、前に歩いていかなければを思いつつ・・・。

夕方、Jと待ち合わせて、病院へ行った。

看護師さんたちが、熱は下がったか、体は大丈夫か、心配してくれた。診察した。血液はほとんど出たと・・・。

Jが先生に、私が眠れないことを伝えた。睡眠薬を処方してくれた。

痛い注射と、30分ほど、点滴をして帰った。
私のおしりは、注射のあとがいっぱいで、青あざがすごい・・・。右にも左にもたくさんあって、座っていても痛かった。両腕に点滴の青あざも・・・。それを見るだけで、本当に病人のようだ・・・。

今夜もやはり眠れない。Jと2-3時間話をした。Jは明日も出勤なのにごめんなさい。
結局眠れず、薬を飲んで眠った。


2月19日

薬で眠ったせいか、朝起きられなかった。午前中ずっと寝ていた。

お昼にJが帰ってきた。体はだいぶ楽だったが、薬のせいか、相変わらずお腹は痛かった。

母から電話が来た。来月父と二人で、こちらに来ようと思っていると言われた。うれしかった。本当にうれしかった。

少しずつ、栄養のあるものも作って食べなければと思い、Jにスーパーでいろいろ買ってきてもらった。

Jにとって、一人でスーパーであんなにいろいろ買うことは初めてだったらしく、買い物中にわからなくて、3回も電話をかけてきた。時間もかなりかかった。食材もそろったので、久しぶりに夕食も作った。

量はあまり食べられないけど、妊娠中(つわりの時)とはだいぶ違かった。
においも嫌、限られたもの意外は考えるのも嫌だったのに・・・。常にお腹や、胃に違和感があったのに・・・。そういうものはもうなかった。不思議だった。
薬を飲んで眠った。


2月20日

今日はJがずっといてくれたので、とてもうれしかった。

Jは私を笑わせようと、違うことを考えるように一生懸命だった。
本当にありがたかった。Jも辛いはずなのに・・・。

Jのお母さんか電話で、明日来るとのことだった。栄養のあるものを食べさせたいと、心配だから早く行きたいと・・・。

とてもありがたかったが、どんな顔をして会ったらよいのか、人に会うのは怖かった・・・。明日は病院にも行かなければいけないし・・・。頭の中でいろいろ考えた・・・。

部屋も片付いていない・・・。あの日から掃除もしていない・・・。いろんなことがストレスだった。

Jと大掃除をした。このまま汚い部屋に来てもらうのがもっと嫌だった。Jはものすごく一生懸命やってくれた。嫌な顔ひとつせず、ほとんどやってくれた。でも、やっぱり緊張するな・・・。


2月21日


朝から落ち着かない・・・。ずっとそわそわしていた。
Jもいないのに、会うのは本当に不安だった。

明日は時間がないだろうと思い、Jにプレゼントもあげられないので、手紙を書いた。

今日は病院だったので、1時間半ほどJも早退してくれた。早く帰ってきてほしかった。

Jの両親、お姉さんと子供が到着した。
私の顔をみて、大丈夫、こんなに青白くて、かわいそうに・・・っと・・・。涙がでた。お姉さんも、泣いたら体に悪いからと・・・。

すごい荷物だった。たくさん作ってきてくれた。牛のテールスープが栄養があって元気になると、5-6時間煮込んで作ってきてくれた。
ナムルも何種類もたくさん。感謝感謝。

Jが帰ってきて、すぐに病院に行った。体がだいぶ楽になったせいか、妊婦さんをみて、うらやましいと思った。妊娠して子供を産むこと、あたり前のように思っていたのに・・・。
子供がほしい、でも今はまだ怖い・・・。

診察した。子宮はきれいになっていると言われた。そして、先生がこれからのことについて説明した。

私は気になって、質問した。妊娠してすぐに、飛行機に乗ったこと、運動したこと、私の子宮の形が悪いのではないのか・・・。

先生は、そんなことないよ。大丈夫だよ。1度流産しても、また子供はできるからと・・・。今は少しゆっくり休むようにと・・・。睡眠薬をまた処方してもらった。

また注射をした、看護師さんが、いやー痛そうだね、こんなにたくさん、でも今日で最後だからと・・・。

家に帰ってきた。すごい食事が並んでいた。こんな食事は久しぶりだ。お母さんの気持ちが伝わってきた。おいしかった。スープもナムルも、ご飯も。ご飯の中にも、雑穀や豆など10何種類も入っていた。たくさんは食べれなかったけど、本当によかった。

この食事を私に食べさせたくて、Jが何度も、お母さんに来てもらおうかと私に言っていたんだと思った。お母さんが睡眠薬は体に良くないからと言うので、飲まなかった。

でもやっぱり眠れなかった。本を読んだり、電気を消したり、また本を読んだり・・・。




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