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2012年08月30日
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『ヴィレッジ・グリーン』に続くコンセプト・アルバム ザ・キンクス(The Kinks)は、1964年から1996年まで活動したイギリスのロック・バンド。ビートルズとローリング・ストーンズばかりが注目され、日本ではザ・フー(The Who)と並んで過小評価を受けているが、イギリス4大バンドの一つである。このキンクスの過小評価の原因は、前にも書いたように(参考過去記事(1) および(2) )、「ユー・リアリー・ガット・ミー」がすべてみたいに捉えられる風潮にあると筆者は思っている。しかし、これでは、ビートルズの中・後期をまるっきり無視して「ラヴ・ミードゥー」だけでビートルズの本質を評価するのと変わらない。 キンクスの本領の一つは1968年の『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』以降、立て続けにというか、執拗なまでに制作されたコンセプト・アルバム群にある。当初、『ヴィレッジ・グリーン~』は世界中でわずか10万枚ほど(米国内では2万5千枚以下とされる)しか売れなかった上、一部では“想像力に欠け不十分にアレンジされた、ビートルズの貧しいコピー”と言うレッテルまで貼られた(現在ではキンクスの代表作として当時よりもはるかに評価されている)。そんな状況にもかかわらず、彼らはコンセプト・アルバム第二弾を翌1969年に発表する。それが本作『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡(Arthur or the Decline and Fall of the British Empire)』だった。 前作同様、本作も問題含みの作品だった。グラナダTVのドラマのサントラとして企画されながら、TV番組の方は実現せず、アルバムだけがリリースされた。シングル発売された「ヴィクトリア」も大きな話題とはならなかった。まったくチャートアクションがなかった前作のシングル「ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ」よりはましだった、といったところだろうか。 内容的には、アーサー・モーガンなる労働者階級の人物が主人公で、二つの世界大戦を経た大英帝国に住むこの人物と家族の苦境を題材としたもの。アルバム半ばに6.「オーストラリア」という曲があるが、これはアーサーが息子のためにオーストラリア移住を決断するという筋書きのため。 サウンドの面では、前作に比べて正統的ロック・サウンドへの回帰が見られる。1.「ヴィクトリア」や5.「ブレインウォッシュド」、12.「アーサー」がその典型である。とはいえ、これだけが本盤のいいところという意味ではない。ギターが効果的に使われているレイ・デイヴィス節全開の2.「イエス・サー・ノー・サー」や6.「オーストラリア」、さらには、郷愁ただよう3.「サム・マザーズ・サン」(特にこの曲は個人的にイチオシ)や7.「シャングリ・ラ」および10.「若くて純真な時代」が組み合わされて聴きどころになっている。こうやって毛色の違う楽曲をうまく組み合わせて1本の起伏あるアルバムに仕立てているところが、コンセプト・アルバム群の時代のキンクスの大きな持ち味だったということが実感できる。[収録曲]1. Victoria2. Yes Sir, No Sir3. Some Mother's Son4. Drivin'5. Brainwashed6. Australia7. Shangri-La8. Mr. Churchill Says9. She Bought A Hat Like Princess Marina10. Young And Innocent Days11. Nothing To Say12. Arthur1969年リリース。 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【送料無料】アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡 +10/ザ・キンクス[SHM-CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年08月29日
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ジャニスの記憶を辿ってヘイト・アシュベリーへ サマー・オブ・ラヴ。1967年夏、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーには10万人が集結し、ヒッピー・ムーヴメント、カウンター・カルチャーの聖地となった。そんな時代の中を生き、サイケデリックサウンドを典型とする新たなロックの動きの中にいた同地のミュージシャンとしては、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインがいるが、もう一人、絶対に忘れてはならないシンガーがいる。それがジャニス・ジョップリン(Janis Joplin)だ。 テキサスから出てきた少女が居場所を求めたのは、1960年代前半のサンフランシスコ。いったんはクスリが過ぎて故郷テキサスへ戻ったものの、1966年ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother & the Holding Company)に加入し、サンフランシスコへ舞い戻る。1967年の第1作はさほどのヒットはせず、マイナーな人気を集めた程度だったが、翌68年にリリースの第2作目の『チープ・スリル(Cheap Thrills)』は、空前の大ヒットとなった。 その内容はと言えば、とにかくパワフルの一言に尽きる。まず演奏のヴォリュームがでかい。静かなところは控えめにとはいえ、鳴らすところはしっかり鳴らすというのが、このバンドのいいところの一つ。ピーター・アルビン率いるビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのこの音も、決してジャニスのやりたい方向性と同一ではなかったかもしれない。けれども、何よりもいっそう凄いのは、ジャニスのパワフルさ。バンドの各楽器の音の主張が強い中でまったく負けないパワフルなヴォーカルを披露する。 収録曲の内容もヴァリエーションに富んでいる。3.、4.、7.がカバー曲。5.はジャニスの自作曲。1.はメンバーのサム・アンドリューの作で、残る2曲(2.と6.)はジャニスとバンドメンバーとの共作。ハードな曲から落ち着いたブルースまで悪く言えば統一感がないぐらいヴァリエーションのある曲が含まれる。そんな中でのお勧めを3曲挙げておきたい。まずは、何と言っても有名な3.「サマータイム」。スタンダード曲のブルース風熱唱で生々しい歌声の名唱。同じくジャニスの熱唱を聴くという意味では、5.「タートル・ブルース」が同じく素晴らしい。三つめは、3.と同じくカバー曲の7.「ボールとチェーン」。こちらはバンドとしての曲構成というか盛り上がりもしっかりしていて、9分におよぶ長編だが、聴いてて退屈など一切しない。 ジャニスはこの後、バンドを抜けてバックで演奏するメンバーを探し求め、コズミック・ブルース・バンド(1969年の『コズミック・ブルースを歌う』)、フル・ティルト・ブギー・バンド(1971年、死後リリースされた『パール』)とメンバーを変えながらレコードを発表していく。1970年10月、上記『パール』レコーディング中のロスアンゼルスにおいて、ヘロインの過剰摂取で27歳の生を終えたジャニスの遺灰はカリフォルニアの海に撒かれた。生きていれば来年で70歳…なんて考えてはいけないのだろう。ジミヘン(ジミ・ヘンドリクス)が2週間ちょっと先にちょうど同じ27歳で死去した際、“ちくしょう、先を越されたわ!”と言ったというぐらいなのだから。 ちなみにその当時にジャニスが生活の拠点としたサンフランシスコ市内のヘイト・アシュベリーにはもうヒッピーなんぞいない。けれど、こうした若者のカウンターカルチャー発祥の地としての雰囲気は残され、その観光遺産化(!?)がしっかりなされている。最近、実はジャニスの幻影を追いかけて(?)ここを訪れた。“Cheap Thrills”なる雑貨屋(どうやらcheapは値段、thrillsは変り商品をいろいろ置いているということらしい)を見かけて思わずニタッとしたのだが、きっと他にもこの感覚を共有してくれる人がきっといるのではないだろうか。[収録曲]1. Combination of the Two2. I Need a Man to Love3. Summertime4. Piece of My Heart5. Turtle Blues6. Oh, Sweet Mary7. Ball and Chain1968年リリース。 【送料無料】チープ・スリル [ ジャニス・ジョプリン ] 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【送料無料】[枚数限定]チープ・スリル/ジャニス・ジョプリン[CD][紙ジャケット]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年08月27日
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“出世作”セカンドのローカル度 ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(Huey Lewis & The News)は、80年代にヒット曲を次々と放ったアメリカン・ロック・バンド。現在では、当時のアメリカという国の勢いそのままに、ポジティヴなイメージを体現したような音楽と評されたりする。 そのヒューイ率いるこのバンドは、元々70年代から活動し、エルヴィス・コステロのデビュー盤の演奏を務める(ただしヒューイ自身は参加していない)などしたが、アメリカでこのバンドとしてのデビューを果たしたのは、1980年。ヒューイ・ルイス&ジ・アメリカン・エキスプレス(いかにもクレジット会社から訴えられそうな名前!)からヒューイ・ルイス&ザ・ニュースに改名してのデビューだった。この頃、西海岸(ウェスト・コースト・)ロックのシーンは新しい時代へ移り変わろうとしていた。ドゥービー・ブラザーズ(参考過去記事(1) ・(2) )、イーグルス(参考過去記事(1) ・(2) )といった、かつて70年代を彩ったグループから、次世代への変化の時期だった。ヒューイのグループは、80年の最初のアルバムこそセールス的には失敗に終わるが、1982年にリリースされた本盤『ベイエリアの風』からは次第に人気アーティストの仲間入りを果たし、『スポーツ』(83年)、『FORE!』(86年)の大成功へとつながっていく。 この盤からは、初のシングルTOP10ヒットが生まれた。6.「ビリーヴ・イン・ラヴ(原題:Do You Believe in Love)」がビルボードで7位を記録し、アルバム自体も13位になった。他にも2曲(4.「サンフランシスコ・ラヴ・ソング」と5.「ワーキン・フォー・リヴィン」)がシングル発売されたが、これらの方は、30位台~40位台どまりだった。 そのようなわけで、一般的には“出世作”と言われるような本盤だが、筆者は案外ローカル盤なイメージの部分が強いんじゃないかと思う。これに続く2枚のアルバム(『スポーツ』と『FORE!』)に比べ、本盤はまだ荒削りだとか、発展途上の部分があったとか言われたりする。完成度としては確かにそうも言えるのかもしれない。でも、それ以前に、根本的に、この時点では“ローカル”だったというのが筆者の見立てだ。ヒューイ自身が後に“悪魔と契約した”とも評したシングルヒットの6.「ビリーヴ・イン・ラヴ」はかなり洗練度も高いが、アルバム全体を通して聴いていると、なんだかカリフォルニアや、もっと言うとサンフランシスコ(ベイエリア)の人にしか共有されなかった曲も多かったのかもしれないと思えてきたりする。 サンフランシスコの明るくて、人がよくて、都会っぽくない(実際は都会とはいえ、“人工的な大都会っぽさ”がない、という意味)雰囲気が、なんだかそのままいくつもの曲に反映されているような気がする。1.「チェンジ・オブ・ハート」のどこか垢抜けない部分、3.「5時半からのデート(原題:Giving It Up All For Your Love)」のローカル丸出しな雰囲気、8.「トゥルー・ラヴ」の曲全体に行きわたる明るさなんかは、いい意味でサン・フランシスコ・ローカルな味わいを出していたのだと思う。なお、4.「サンフランシスコ・ラヴ・ソング(原題:Hope Love Me Like You Say You Do)」にいたっては、邦題でずばり“サンフランシスコ”とされてしまっているように、いかにも地元的な哀愁漂うラヴ・ソングである。 とまあ、以上のような訳で、この『ベイエリアの風』は全米や全世界レベルのヒットにはならなかったという気がする。後年の曲やアルバムほどにユニヴァーサルな受けを狙っておらず、ローカルさを残していたというのは、いい意味にも悪い意味にも取れるけれど、実際のサンフランシスコの町やその人々の雰囲気を思い浮かべながら聴くと、案外それもよかったのではないかと思えてくる。ついでながら、収録曲最後の10.「バズ・バズ・バズ」は、1950年代のR&Bヴォーカル・グループ、ハリウッド・フレームズの代表曲のカバー。この元気よさはやはりヒューイも若かった(ちなみに現在は62歳)ということだろうか。[収録曲]1. Change Of Heart2. Tell Me A Little Lie3. Giving It Up All For Your Love4. Hope Love Me Like You Say You Do5. Workin' For Livin'6. Do You Believe In Love7. Is It Me8. Whatever Happened To True Love9. The Only One10. Buzz Buzz Buzz1982年リリース。 【Aポイント+メール便送料無料】ヒューイ・ルイス&ニュース Huey Lewis & The News / Picture This (輸入盤CD)【YDKG-u】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年08月26日
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やっぱり天才と認識させる一枚 リトル・スティーヴン(Little Steven)は、スティーヴ・ヴァン・ザント(Steve Van Zandt)あるいは、マイアミ・スティーヴ(Miami Steve)の名でも知られる米国のロック・ミュージシャン。1950年、ニュージャージー州アズベリー・パークの生まれで、長らくブルース・スプリングスティーンの相棒として活躍してきた。1999年からのドラマ『ザ・ソプラノズ』では俳優としてもその才覚を示した。 ブルース・スプリングスティーンの右腕だった彼は、1982年からソロ活動(ソロアルバム制作)を開始し、その数年後にはスプリングスティーンのバックバンドであるE・ストリート・バンドを“卒業”する(ただし後に復帰)。しばらくはソロ活動に専念し、サン・シティ(1985年の反アパルトヘイトのチャリティ盤制作)に代表されるように、政治的なロッカーとしての活動を続けた。そんな中、1989年にリリースされたソロ4作目がこの『レヴォリューション(Revolution)』というアルバムだった。 正直、“ロックは政治メッセージ”というのも好きではないし、奇抜なファッションといい、どこかホモっぽい佇まいも好きではない(念のため、女優の旧姓モーリーン・サントロ、現モーリーン・ヴァン・ザントと結婚している)。本アルバムのどこかしらやかましいエレクトリック・ファンク風(明らかにそれは打ち込みのドラミングのせい)なのも決して最高とは言い難い。 それでもなお、本盤は何度聴いても素晴らしい。何べん聴いたかわからないけれど、今後もう百回聴いたとしても、きっとこの感想は変らないと思う。でもって、その理由を考えてみると、ひとえにリトル・スティーヴンの才能ゆえに他ならない。クレジットを見ると、バックバンドとしての位置付けの“ディサイプルズ・オブ・ソウル”は、以前のメンバーから総入れ替えされている。しかし、よく見ると、ヴォーカル、ギターのほか、一部のドラムとパーカッションを除き、ドラムのプログラミングも全部L・スティーヴン自身がやっている。つまるところ、キーボード(およびMidiのプログラミング)、ベース、一部のパーカッション、バックヴォーカルという、どうしても必要な部分だけを助っ人の手を借り、基本的には自分自身で作ってしまったようなアルバムなわけである。もちろん、ロック・ポップ界には、トッド・ラングレンに代表されるように、何でも自分自身でやってしまう凄腕がいるが、実はリトル・スティーヴンもその手の人間なわけだ。B・スプリングスティーンのプロデュースをやっていたことからもその辺の音楽制作者としての才能は窺い知れるというものだが、これだけ力の入ったものを見せられると、聴き手の方は“恐れ入りました”としか言えない。そんな迫力がこのアルバムにはある。 個人的おすすめは、1.「ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー」、表題曲の2.「レヴォリューション」、6.「ニュースピーク」、8.「レオナード・ペルティア」、9.「自由への扉(直訳では、「解放の神学」)」、10.「ディシプリン」(こんなに挙げてしまっては収録曲の半数以上ではないか…、苦笑)。繰り返し言うが、政治的なロックはご免願いたいと心の中で思っている自分がいる。でも、ここまで見せつけられると、それもありなのかもと思わされてしまうほど、秀逸なアルバムである。[収録曲]1. Where Do We Go From Here?2. Revolution3. Education4. Balance5. Love and Forgiveness6. Newspeak7. Sexy8. Leonard Peltier9. Liberation Theology10. Discipline1989年リリース。 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年08月24日
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70年代前半のボズの魅力を再認識 ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)といえば、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)という日本特有の表現(米国ではAC=アダルト・コンテンポラリー)の代表格とされ、大人志向の甘いロック・ヴォーカルのイメージが強い(過去記事「ハート・オブ・マイン」;同曲の動画はこちら)。けれどもこのイメージが日本国内市場のセールスとして大々的に利用されたのは80年代末のことで、ボズ自身がアダルト向けロックの雄と見なされ始めたのも70年代半ばあたりからだった。 けれども、ボズ・スキャッグスの音楽的キャリアは、70年代半ばよりも前にさかのぼる。1944年、オハイオ州で生まれた彼は、父親の仕事からオクラホマ州、テキサス州へと移り住み、12歳でスティーヴ・ミラーとバンド活動をする。一時期、ボズがヨーロッパへ移り活動をしたものの、60年代後半にはスティーヴ・ミラー・バンドの初期2作品に参加している。 その活動が認められ、ボズは1969年にソロ・アルバムも発表する。デュエイン・オールマンも参加した盤で、日本では『ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン』の邦題で呼ばれているアルバムだった。だが、上述のAOR路線に大々的に転換してセールス面でボズが大きな成功を収めたのは、1976年の『シルク・ディグリーズ』であり、それまではある種、地道な活動をしていた。 実はその地道な頃のボズに筆者は結構魅力を感じていて、時折、荒削りかなと思うこともあるけれど、全体としてはR&B色が濃く、質の高いことをやっていた。特によく聴くのは、上記『ボズ・スキャッグス(&デュアン・オールマン)』、第二作の本盤『モーメンツ』、そして第三作の『ボズ・スキャッグス&バンド』という、1970年を挟んだ前後のアルバム群で、日本では未発売だった頃の作品たちである(日本では1972年の『マイ・タイム』から国内盤がリリースされるようになった)。 初作の『ボズ・スキャッグス(&デュアン・オールマン)』は、デュエイン・オールマンの参加によって捨てがたい魅力があるのだけれども、ボズ自身はまだ型に力が入っているというか、緊張気味な部分もある。それに引き換え、続く本盤『モーメンツ』は、曲に多少のばらつきがあるとはいえ、前作よりもやりたいことを楽しんでやれている感じがする。 前作同様、大半の曲がボズの自作曲で、10曲中7曲(4.、6.、9.以外)が彼のクレジット曲。ヨーロッパでの経験もあってか、ブルー・アイド・ソウル系に傾いた、しかしどこか泥臭いR&B志向の曲がいい感じで、5.「きみのそば(Near You)」や9.「ウィ―・ビーン・アウェイ」なんかはその好例。アルバム全体のベスト曲は、筆者の独断と偏見で、6.「ブルースを歌い続ける(I Will Forever Sing (The Blues))」に決まり。シンガーとしてのレベルの高さはもちろんのこと、バンドの演奏のまとまりも本盤収録曲中でピカイチだと思う。あと、さりげなくいい味を出しているのがアルバム最後を締めくくるインスト曲の10.「キャン・アイ・メイク・イット・ラスト」。フリートウッド・マック初期の有名曲「アルバトロス」(68年シングル発売)に匹敵するインスト・ナンバーというのは言い過ぎだろうか。[収録曲]1. We Were Always Sweethearts2. Downright Women3. Painted Bells4. Alone, Alone5. Near You6. I Will Forever Sing (The Blues)7. Moments8. Hollywood Blues9. We Been Away10. Can I Make It Last (Or Will It Just Be Over)1971年リリース。 【送料無料】モーメンツ [ ボズ・スキャッグス ] 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年08月23日
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2012年08月20日
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素材の良さを生かした二人だけの奏者のコラボ 1970年代、デンマークの名門レーベル、ステープルチェイス(1972年にコペンハーゲン大学のとある学生が立ち上げたジャズレーベル)から出された1枚がこの『アイ・コンセントレイト・オン・ユー(I Concentrate On You)』。特殊な演奏形態なので、万人好みする類の盤でないのは確かにそうかと思うのだけれど、個人的にはわりと好きでときどき引っ張り出してきては聴いているアルバムである。 この作品の何よりも最大の特徴は、演奏者がたった二人だけということ。サックス(アルト)奏者のリー・コニッツと、ベース(ただし当初未収録、CDで追加のうちの1曲ではピアノも弾いている)のレッド・ミッチェル。つまり、ベースとアルトだけの演奏というわけである。ジャズ愛好者の間では、二人だけの“対話的”演奏からは、トリオ(3人)あるいはそれ以上の人数(楽器数)による演奏から生まれるジャズ特有の相乗効果やスリリング感が生まれないと考える人もいる。一般論として、実際、それはその通りかな、とも思う。つまり、本盤で繰り広げられているのは、あくまで“二人の対話”なのである。これを好むか好まないかは、聴き手次第で、それゆえ万人向けではないかもしれない。 ただ一つだけ、上のような意見に対して付け加えさせてもらうならば、“だから退屈”というのは、必ずしも言えないようにも感じるということ。3人以上のプレイヤーが組み合わされた時、特にジャズでは意外な即興演奏(単なる組み合わせでは想像できない結果)が飛び出してくる。それに対し、2人の対話になるとそういう偶発性はあまり望めない。でも、その偶発性に期待しない演奏というのもあってもいいように思う。変に何が飛び出してくるかわからない緊張感で聴くのではなく、顔が割れている二人の、予想違わぬ見事な対話にじっくり耳を傾けるというのもまたよい。 ちなみに、リー・コニッツと言えば、“クール”という言葉がよくつきまとう。いわゆるクール・ジャズの歴史的モーメントに立ち会ったの、代表作の一つが『ヴェリー・クール』(ただしこれもまたクール期の録音というわけでもないが)という表題だったりする。けれども、初期はともかく、コニッツの長いキャリアの演奏を短い言葉でまとめるのなら、むしろ“ウォーム”の方がしっくりくる。この盤でも、2人だけの演奏で暗かったり寒かったりするかと思いきや、むしろ温かさが特に前面に出ているという風に感じる。[収録曲]1. Just One of Those Things2. *Just One of Those Things (take 7)3. Easy to Love4. It’s Alright with Me5. *Everytime We Say Goodbye (take 1)6. Everytime We Say Goodbye7. You’d Be So Nice to Come Home to8. Love for Sale9. In the Still of the Night10. *Night and Day (take 1)11. *Night and Day12. I Love You13. I Love Paris14. I Concentrate on You*2.、5.、10.、11.はCD化に際して加えられた追加収録曲。[パーソネル・録音]Lee Konitz (as)Red Mitchell (b; 10.のみp)1974年7月30日、コペンハーゲンにて録音。 【送料無料】 Lee Konitz / Red Mitchell / I Concentrate On You 輸入盤 【CD】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年08月20日
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オルガン+ギター・ジャズの魅力 グラント・グリーン(Grant Green)は、1935年(1931年説もあるが、どうやら真相は1935年生まれとのこと)、セントルイス出身のジャズ・ギタリスト。ルー・ドナルドソンの紹介でブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンと出会い、1960年からニューヨークで吹き込みを開始する。1979年に43歳で亡くなるまで、年代とともに異なるスタイルを取ったが、とりわけ60年代前半を中心にブルーノート・レーベルで主にバップ・スタイルの好盤を多く残している。そうした作品群の中で、『グラントスタンド(Grantstand)』は比較的よく知られた一枚で、ブルーノートでの4枚目となる作品である。 本盤の演奏上の特徴は二つある。一つは、ユセフ・ラーティフ(Yusef Lateef)という個性的なテナー奏者の参加である。ユセフ・ラーティフというのはムスリム名で、本名はウィリアム・エマニュエル・ ハドルスンといい、実際にはテネシー州生まれでミシガン州デトロイト育ち。18歳で高校を卒業する頃には地元デトロイトの実力者になっていたという。この人のサックス演奏は朗々として実に味わいがある。息もつかせぬ豪快なプレイというわけでも、進歩的な得意なフレージングというわけでもないところが、かえって本盤の雰囲気にマッチしているように感じる。なお、本盤では2.「マイ・ファニー・バレンタイン」の冒頭で聞こえてくるように、フルートも担当している。 演奏面でのもう一つの特徴は、オルガン奏者ジャック・マクダフとの組み合わせである。半年前に吹き込んだデビュー作(『グランツ・ファースト・スタンド』)以来のオルガン入り編成で、この時期のオルガンはある種の“旬”の時期を迎えていた。それは80年代以降、再評価され、こってりとしたソウル・ジャズのイメージへとつながっていくが、本盤を聴けば、彼のオルガン・プレイが実にツボを押さえたものであったことが、本盤を聴けばわかる。1.「グラントスタンド」のようなアップテンポの曲調のものよりも、2.「マイ・ファニー・バレンタイン」や4.「オールド・フォークス」のゆったりした雰囲気の中での抑え気味でいて、出る所は出るプレイにその実力のほどが窺える。 最後に、話をグラント・グリーン自身に戻そう。彼のギター演奏は、いかにもテクニシャンぶりを見せつけるという感じではない。むしろ、素朴でシンプルな感じがするのだが、この印象はどこから来るのだろう。きっとその理由は、シングル・トーン主体のスタイルにある。つまり、ギターを弾いているのに、なぜかその演奏が“ギター的”というよりも“ホーン的”に響く、そういう意味で面白いギター演奏だと思う。[収録曲]1. Grandstand2. My Funny Valentine3. Blues in Maude's Flat4. Old Folks[パーソネル・録音]Grant Green (g)Yusef Lateef (ts, fl)Jack McDuff (org)Al Harewood (ds)1961年8月1日録音。 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【送料無料】グラントスタンド+1/グラント・グリーン[CD]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年08月18日
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B・ジョエルを久々に取り上げたついでに、前から気になっていた“ロックの高齢化”について雑談&動画紹介をしてみたいと思います。 もうだいぶ前(といっても2000年代に入ってから)なのですが、ビリー・ジョエルがすっかり老け込んだのを見て衝撃を受けました。イタリアの街角で仲間とだべっている初老のおじさん、というのが正直な印象でした(ファンの方ご免なさい! ちなみに、ビリーは現在63歳)。 ロックやポップスのミュージシャンと言えば、ドラッグが原因だったり、謎の死を遂げたり(最近だったらマイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストン)、はたまた暗殺されたり(ジョン・レノン)、長生きしない人が多いという印象があるかと思います。ポップ/ロック界に限らず、ジャズ界まで視野を広げると、はもっと激しい生き様を見せた人も多くいます。 でも、よく考えてみると、普通に70歳、80歳まで生きるミュージシャンもいくらでもいるわけです(それはジャズ界でもある程度は真実)。わかりやすい例は、ビートルズでしょう。若くして予期せぬ死を遂げたジョン(享年40歳)。早くに癌が見つかり、結局は60歳手前で亡くなったジョージ(享年58歳)。現役を続けているポールとリンゴ(現在、それぞれ70歳と72歳)。 それでもって、今回のロンドン五輪。ポール・マッカートニーが登場し、「ヘイ・ジュード」を熱唱して注目を浴びましたが、ポールもかなり好爺な顔つきになってきたように感じました。昨年には3度目の結婚宣言をし、まだまだ元気なのでしょうけれど…。 ポール・マッカートニーにせよ、ビリー・ジョエルにせよ、高音域がきつくなってきて(実際ライブなどではキーを下げる曲も)、5年後、10年後もこのまま元気で歌っているかどうかは、実際のところ、わかりません。時の流れを感じ、複雑な思いにかられつつも、以下の最近の映像をどうぞ。 まずは、記憶に新しいロンドン・オリンピック開会式でのP・マッカートニー「ヘイ・ジュード」です。 さらに最近のポールをもう一つ。同じく今年、メキシコのエスタディオ・アステカ(アステカ・スタジアム)でのライヴより、「レット・イット・ビー」です。 続いては、ビリー・ジョエルの名曲「ピアノ・マン」です(キーは下がってしまっていますが…)。正直、この老け込んだビリーの姿にはがっかりした部分もありました。 と思いきや、「ニューヨークの想い」がやたらカッコいい最近のインタヴューもどうぞ(今回は英語オンリーではありません。画面右下ボタンのうち、いちばん左のものをクリックすると日本語字幕が出ます)。 せっかくなので最後にもう1本。昨年のポールのライヴから、ビリー・ジョエルとの共演での「アイ・ソーハー・スタンディング・ゼア」です。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年08月16日
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前回、ビリー・ジョエルの『コンツェルト―ライヴ・イン・U.S.S.R.』を取り上げて、今とはあまりに違っていて、当時はもはや歴史という話を書きました。 以下の動画は逆にいかに同時代的できごとだったかを伝えるTV番組映像です(番組は英語で和訳なしです)。リアルタイムでビリー・ジョエルがインタヴューに答えています。長い動画(48分ほど)ですが、複数日の映像がつながれています。 英語のニュース映像とインタヴューはちょっと…という向きに、ソ連公演から2曲。まずは「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」。公演後に制作されたミュージック・クリップです。 もう1曲は、日本で特に人気の曲、「オネスティ」。レニングラードでのライブの模様からです。 【送料無料】【輸入盤CD3枚でポイント5倍対象商品】【輸入盤】 BILLY JOEL / PIANO MAN : VERY BEST OF [ ビリー・ジョエル ] 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年08月15日
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歴史の証人、ビリー・ジョエル ソ連、略さずに言えば、ソビエト社会主義共和国連邦。既に歴史の教科書の1ページになってしまった国家である。中年以上の人たちにとってみれば、ソ連という国家は“現代”の一部かもしれないけれど、いまの若者や子どもたちにとっては、生まれた時からもう存在していなかったわけで、もはや“歴史”である。1985年に書記長の座に就いたゴルバチョフは改革を推し進め、一党(共産党)独裁をやめ、大統領制を導入し(ゴルバチョフ自身が最初で最後の大統領となった)、やがては東欧諸国の民主化(1989~90年)、さらにソ連邦の解体(1991年)へと進んでいく。 この流れの中、ゴルバチョフが当初推し進めた政策が、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)だった。こういう国内情勢の中、1987年の夏、ソ連には米国からミュージシャン訪れ、ライブを敢行した。まずは、モスクワ郊外で4万人規模の平和のための大コンサート(サンタナ、ドゥービー・ブラザーズ、ジェイムズ・テイラーらが参加)が開かれた。その数週間後、続いて今度はビリー・ジョエル(Billy Joel)がモスクワで3日、レニングラードで3日の6本のライブを行い、計15万人を動員した。 ビリー・ジョエルは前年の1986年夏にスタジオ盤としては10作目のアルバム『ザ・ブリッジ』を発表していた。このアルバムを引っ提げて世界ツアーを行い(日本には87年6月に来日)、そのツアーの締めくくりとしたのが本ソヴィエト公演だった。そのため、『ザ・ブリッジ』からの楽曲も収められている(6.、7.、10.)が、全体としては、それ以前のアルバムからも、彼のライブの定番曲がバランスよく収められているといった印象だ。 内容は当時のビリー・ジョエルの迫力あるライブを無難に収めたような内容で、少し後に筆者がライブで体験したビリー・ジョエルの印象とも大差ない。なので、彼の当時のパフォーマンスが高かったと言えばそれまでだけれど、特にこの公演が抜きんでているというわけでく、当時の平均的パフォーマンスが収められていると言える。普通の(アメリカや日本で行う)公演との違いと言えば、MCの後にロシア語の通訳が入ること、いくつかのサービス曲(1.、15.、16.)が含まれているところ。 その3曲をちょっと見ておこう。1.「オドイア」は、実は上記の6本以外に急きょ追加されたグルジアのトビリシでのテイクで、地元の合唱団との共演となるグルジア民謡である。15.「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」は別項で既に取り上げたが、言わずと知れたビートルズの曲(なお、U.S.S.R.は英語でのソビエト連邦の略称で、ロシア語ではC.C.C.P.)。16.「時代は変る」は、1960年代のボブ・ディランの有名曲で、本ライブ盤では3.「オネスティ」とこの「時代は変る」の2曲だけは実際のコンサートではなく、放送用に収録された音源からのもの。 今となってみれば、ディランの「時代は変る」を演じ、このアルバムに収めたというのは示唆的だった。当時のロシア人(ソ連人)にとってはまさしく時代の変革期。この後の数年で東欧は変貌し、ソ連は消滅し、本当に時代は大きく変わった。同時に、この当時のビリー・ジョエルは中年世代に入り(このソ連公演の時点で38歳)、“ロックンロールをやるには自分は年を取り過ぎた”という発言を何度もしていた。実際には、90年代に入ってからも『ストーム・フロント』と『リヴァ―・オブ・ドリームズ』のヒットでまだまだ花を咲かせることにはなったのだが、この時点では、自身のキャリアとしても“移りゆく時代”みたいな感傷を持っていたのだろう。だからこそ、キャリアの集大成の一つとして、“西側”の音楽の体現者という立場で、“東側”の聴衆にそれを伝えるという使命のようなものを強く感じていたんじゃないかと想像する。最高のライブ・パフォーマンスを誇りながらもなかなかライブ盤を出さなかった彼だったが(これ以前に出たライブ盤は1981年の『ソングズ・イン・ジ・アティック』のみ)、そんな心情から、様々な制約のある音源にもかかわらず、本盤を記録としてリリースする気になったのではないだろうか。蛇足ながら、個人的な体験も加えておくと、初めて本盤を聴いたのはまだLPレコードだった。この体験からもやはり時代は変っていったということだろうか(苦笑)。[収録曲]1. Odoya2. Angry Young Man3. Honesty4. Goodnight Saigon5. Stiletto6. Big Man on Mulberry Street7. Baby Grand8. An Innocent Man9. Allentown10. A Matter of Trust11. Only the Good Die Young12. Sometimes a Fantasy13. Uptown Girl14. Big Shot15. Back in the U.S.S.R. 16. The Times They Are A-Changin’1987年リリース。【送料無料】 CD/ビリー・ジョエル/コンツェルト-ライヴ・イン・U.S.S.R.- (紙ジャケット) (完全生産限定盤)/MHCP-549 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年08月14日
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グリフィンの本当の魅力とは ジョニー・グリフィン(Johnny Griffin)と言えば、“リトル・ジャイアント(小さな巨人)”というニックネームの印象から、小柄な体がテナー・サックスと一体になったかのようなオーバーブロウ、さらには勢いそのままにスピーディーな演奏といったものをイメージする人も多いかもしれない。この印象は確かにその通りだし、かつて“もっとも速いサックス奏者”と呼ばれたことも確かなのだけれど、果たしてそれこそがグリフィンの本当の魅力だろうか。実は、以前、筆者はグリフィンがなかなか好きになれなかった。それは、豪快なブロウにばかりに耳が行っていたからだったと今では思う。 その辺の考えが変わったのは、『ザ・コングリゲーション』や『ザ・ケリー・ダンサーズ』といった盤を気に入り始めた頃と一致する。これらの盤の特徴は、強烈なブロウ(単純化して言えば、音のでかさや勢い)よりも、グリフィンの“歌いっぷり”(もちろん、サックスっで歌うという意味)が前に出ている点である。つまりは、独特の音色を持ちながらも、その真髄はフレージングや歌心にあるとも言えるのかもしれない。 さて、本盤『ウェイ・アウト!(Way Out!)』は1958年のリバーサイドへの吹き込み。時期的に言うと、上述の『ザ・コングリゲーション』の数ヵ月後であるが、この間には所属レーベルの変化があって、ブルーノートからリヴァーサイドへと活躍の場を移した。そのリバーサイドでの最初のリーダー盤は『ジョニー・グリフィン・セクステット』で、ドナルド・バード(トランペット)とペッパー・アダムス(バリトン・サックス)を含めた三管編成だった。実は、本盤『ウェイ・アウト!』は、この録音の翌日と翌々日に吹き込まれ、バックのメンバーは同一だが、管楽器はグリフィンのテナーのみという編成で演奏されたものである。 グリフィンの故郷であるシカゴ(彼は1928年シカゴ出身)色が強い作品で、複数の曲がシカゴの作曲家によるもの。グリフィンだけでなく、本盤に参加の個性的なベーシスト、ウィルバー・ウェアも同じくシカゴの出身。何よりも、グリフィンの演奏に関して、力の抜けた部分と豪快なブロウとのバランスがうまく詰め込まれている。最初に述べたイメージからすると4.「チェロキー」の豪快でスピーディーな演奏が彼の本領だと言うことになってしまうのだが、むしろ筆者は、軽快なフレージングの1.「ホエアズ・ユア・オーヴァーコート、ボーイ?」、感傷的な3.「サニー・マンデイ」の方が好みである。あと、外せないのはケニー・ドリューのピアノで、とくに6.「リトル・ジョン」では、安定したフィリー・ジョー・ジョーンズのドラミングにのって抜群の跳ね具合のピアノ演奏を披露している。 最後に余談ながら、このジャケットの前衛的過ぎる絵(下記商品リンクのうち上のもの)はいったい何なのだろうか。オリジナルのライナーによれば、現代オランダの彫刻家によるチューリップの描写(??)ということだが…。芸術性のカケラも持ち合わせていない筆者には、やっぱりどうもよくわからない。まあ、リバーサイドは一目でそうとわかるこういう斬新なジャケットを作っていたので、リバーサイドらしいということで、何だっていいのだけれど(笑)。[収録曲]1. Where's Your Overcoat, Boy?2. Hot Sasuage3. Sunny Monday4. Cherokee5. Teri's Tune6. Little John[パーソネル、録音]Johnny Griffin (ts)Kenny Drew (p)Wilbur Ware (b)Philly Joe Jones (ds)1958年2月26・27日録音。 JONNY GRIFFIN / WAY OUT 新古品 【送料無料】ザ・コングリゲーション+1 [ ジョニー・グリフィン ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年08月12日
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音楽の枠を超えた芸術性 ギル・メレ(Gil Mellé)は、カリフォルニア出身の芸術家で音楽家。2004年に72歳で亡くなっている。バリトン・サックスおよびテナー・サックス奏者として、さらには作編曲家としてジャズの分野では50年代に主に活躍し、ブルーノート、プレスティッジに主要な録音を残した。 そもそもこの人は“総合的なアーティスト”だった。50年代、ニューヨークの画廊で彫刻や絵画作品を展示し、そうした芸術性は他のジャズ・ミュージシャンのジャケット・デザイン(例えばセロニアス・モンクのこれなんかが有名)も手掛けている。ブルーノート・レーベルのアルフレッド・ライオンとその録音を長く取り仕切ったルディ・ヴァン・ゲルダーを最初に引き合わせたのも、何とこの人物だった。そもそも、ヴァン・ゲルダーが手掛けたギル・メレの録音に、アルフレッド・ライオンがいたく感激したところからこの関係が始まったという。 彼の作り出す音楽は“幾何学ジャズ”とか“建築学ジャズ”とか呼ばれたりもする。幾何学というと、小難しいどころか本当に難解そうで、最初っから聴き手が後ずさりしてしまいそうだが、要するに、上のような“総合的アーティスト”ならではの芸術性といった方がよい。つまり、“音楽的”というよりも“芸術表現的”。よって、曲やアレンジも、また音の組み立ても、“空間的”もしくは“立体的”というものだ。 そのようなわけで、本盤の第一の特徴は“立体性”、つまりは、音の深みにある。けれどもただそれだけでは芸術的に過ぎて音楽として(何よりジャズとして)なんにも面白くない。そこで出てくるのが、本盤の第二の特徴、リズムとスウィングである。2.「ウィアード・ヴァレー」と5.「ヴァーモントの月」という、ムードで聴かせる2曲の演奏を例外として、どの曲の演奏もわかりやすくスウィングしている。 要するに、ここで披露されるギル・メレの音楽とは、スウィングしながら(時にじっくりのムードでも)聴ける楽しみをクリアした上で初めて、音の立体性とか奥行きとかという要素が特徴になっているわけだ。その基本条件がクリアされてこその“音楽の枠を超えた芸術性”なわけで、決して“純粋な音楽としてのよさ”をすっ飛ばしての芸術性ではない。というわけなので、“幾何学ジャズ”とかいう難しい部分抜きに、ただ聴いて楽しみたい人にもきっと楽しんでもらえる盤だと思う。[収録曲]1. The Set Break2. Weird Valley3. Moonlight in Vermont4. Long Ago (And Far Away)5. The Arab Barber Blues6. Nice Questions[パーソネル・録音]Gil Mellé (ts, bs)Eddie Bert (tb)Joe Cinderella (g)Oscar Pettiford (b)Ed Thigpen (ds)1956年4月1日録音。Blue Note 1517 【送料無料】 Gil Melle / Patterns In Jazz 【LP】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年08月11日
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INDEXページ(ジャンル別、アーティストのアルファベット順)を更新しました。ここ最近の記事を追加しています。INDEXページへは、下のリンク、もしくは本ブログのトップページ右欄(フリーページ欄)からお入りください。 アーティスト別INDEX~ジャズ編へ アーティスト別INDEX~ロック・ポップス編(A-L)へ → 分量が増えてきたので、2つに分けました。つづき(M-Z)はこちらです。 アーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へ アーティスト別INDEX~邦ロック・ポップス編へ下記ランキングに参加しています。応援くださる方は、各バナー(1つでもありがたいです)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村 : 人気ブログランキング:
2012年08月09日
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2012年08月07日
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カーペンターズまとめ(過去記事リンク) 6月から少しずつアップしてきたカーペンターズの曲紹介(全7回)が完結しましたので、まとめのリンクです。 カーペンターズ~愛しの名曲たち(1):「涙の乗車券(Ticket To Ride)」【動画あり】 カーペンターズ~愛しの名曲たち(2):「遥かなる影((They Long To Be) Close To You)」 【動画あり】 カーペンターズ~愛しの名曲たち(3):「雨の日と月曜日は(Rainy Days And Mondays)」【動画あり】 カーペンターズ~愛しの名曲たち(4):「スーパースター(Superstar)」【動画あり】 カーペンターズ~愛しの名曲たち(5):「シング(Sing)」【動画あり】 カーペンターズ~愛しの名曲たち(6):「トップ・オブ・ザ・ワールド(Top Of The World)」【動画あり】 カーペンターズ~愛しの名曲たち(7):「オンリー・イエスタデイ(Only Yesterday)」【動画あり】 あれ?「イエスタデイ・ワンス・モア」は?という方もいらっしゃったかもしれませんが、こちらは別の過去記事(同曲を含むアルバム)で触れています。よろしければこちらの過去記事もご覧ください。 カーペンターズ『ナウ&ゼン(Now & Then)』 過去記事リンクだけではなんなので、動画も貼り付けておきます。上の記事で解説している『ナウ&ゼン』のB面、「イエスタデイ・ワンス・モア」から始まる16分超のメドレーです(動画の写真は、同アルバムのジャケットと盤面)。 残念ながら、この後に続く「イエスタデイ・ワンス・モア(リプライズ)」は含まれていません。個人的にはそこまで通して聴いて、「イエスタデイ・ワンス・モア」の魅力だとは思うのですが、気になる人はアルバムそのものでお試しください。 ついでにもう一つ。1976年のTVショウからのヒット・メドレーです。今回のシリーズで紹介した曲では、「シング」、「遥かなる影」、「涙の乗車券」、「オンリー・イエスタデイ」が含まれています。こうやってみると、兄リチャード・カーペンターはアレンジャーとしての能力が高く、異なる曲調のものでもメドレーに仕上げるのが上手だったのですね。 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【送料無料】ナウ・アンド・ゼン/カーペンターズ[SHM-CD]【返品種別A】 【今だけ!特別価格!】カーペンターズ/青春の輝き~ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年08月06日
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愛しの名曲たち(7・最終回) カーペンターズ(Carpenters)の名曲を振り返る不定期企画、ほぼ2カ月がかりでようやくひとまずの最終回に辿りついいた。とか何とか言って、実のところ、最初から締めくくりにしたい曲が筆者の頭の中にはあって、半ばそれは最初から決まっていた。それがこの「オンリー・イエスタデイ(Only Yesterday)」である。客観的なことを何も考えず、個人的な好みと感性でとにかく1曲選べ、と言われたら、おそらくは「イエスタデイ・ワンス・モア」とこの「オンリー・イエスタデイ」の間で悩むこととなるだろう。そのくらい、筆者はこの歌の虜になってしまている。 カレン・カーペンターのヴォーカルの魅力には、“憂い”の感覚がある。その部分は、既に紹介した「スーパースター」のところで述べた通りなのだけれど、その“憂い”の感覚を醸し出すにはヴォーカリストとしての重要な要素があった。“低音の魅力”である。カレンの歌は低音域が実にしっかりしている(カレンいわく、この低音域は彼女の“basement”だった)。この「オンリー・イエスタデイ」においても、それは存分に発揮されていて、サビにいたるまでの低音の部分が実にいい味を出している。並のシンガーならばここまで引っ張れないだろうと思うほど、低音部の多い歌でも聴かせることができる。実際、カレンは3オクターブの音域を持っていながらも、高音部を特に強調しようとは考えなかったという。この曲の歌声を聴けば、それもなるほどと納得がいく。 詞の内容の微妙な感じもいい。ただハッピーというわけでもなければ、ただ憂鬱な内容でもない。“悲しい昨日と明日への希望”とでもいったモチーフである。「悲しくて孤独だったのはもう昨日のこと/あなたのおかげで過去と涙から離れることができる/明日はきっと今日よりずっと明るくなる/悲しみは昨日に置いてきたのだから/それはもう昨日のこと・・・」というのがサビの内容。 さらに注目なのは、ギター・ソロの部分。エレクトリック・ギターがソロ・パートをとっているが、これもまたさらりといい味を出している。実は1972年のシングル「愛にさよならを(グッバイ・トゥ・ラヴ)」でファズなギター・ソロを起用してカーペンターズは一部のリスナーから批判を浴びたことがあった。結果的に、その後はギター・ソロの使い方がうまくなったのではないかと思う。本曲でもこのソロ部分でギターサウンドが効果的に使われて功を奏している。 1975年のアルバム『緑の地平線~ホライゾン』からの先行シングルとして発売され、全米チャートでは4位、同イージーリスニング・チャートでは1位を記録した。1970年の「遥かなる影」以降、数々のヒット曲を世に送り出したが、全米TOP10入りはこの曲が最後となっている。アルバムのヴァージョン(アルバムとシングルでミックスが若干異なるそう)を映像つきでどうぞ。 ちょっと意訳し過ぎ?な感じもしますが、日本語(字幕)で大意を知りたい向きはこちら。 *リンク切れにつき、以下、オフィシャルビデオ映像を追加しておきます。 [収録アルバム]Carpenters / Horizon (1975年)Carpenters / Yesterday Once More(1984年)など各種ベスト盤類に収録。1975年シングル・リリース。[関連過去記事] カーペンターズ~愛しの名曲たち(1):「涙の乗車券」 カーペンターズ~愛しの名曲たち(2):「遥かなる影」 カーペンターズ~愛しの名曲たち(3):「雨の日と月曜日は」 カーペンターズ~愛しの名曲たち(4):「スーパースター」 カーペンターズ~愛しの名曲たち(5):「シング」 カーペンターズ~愛しの名曲たち(6):「トップ・オブ・ザ・ワールド」 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【送料無料】緑の地平線(ホライゾン)/カーペンターズ[SHM-CD]【返品種別A】 【送料無料】ポップス定番ベストセレクション::カーペンターズ 20/20ベスト・オブ・ベスト・セレクション [ カーペンターズ ] 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年08月05日
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初期ガーナーの代表作 エロール・ガーナー(Erroll Garner)は、1921年生まれで1977年没のジャズ・ピアニスト。『ミスティ』(1954年)や『コンサート・バイ・ザ・シー』(1955年)がよく知られた盤であるが、本作『ペントハウス・セレナーデ(Penthouse Serenade)』は、50年代に人気を博す前の、1940年代後半、ガーナーの活動全体からすれば初期の代表的な盤である。 このピアニストの特徴はと言えば、良くも悪くも“ビハインド・ザ・ビート”が挙げられる。鍵盤に触れる左手が強いビートを刻み、右手は一瞬遅れてメロディを奏でるという演奏の特徴である。ある種、型にはまらないタイプの演奏なので、そもそも好き嫌いが分かれるかもしれない。また、バップ的というよりはポピュラー向きな演奏の傾向がある。そんなわけで、一般の人々からもジャズ・ファンからも評価されにくく、ある意味では不当な評価を受ける結果となってしまっているのだろう。つまり、一般大衆の側からは、エロール・ガーナーとはジャズに手を出してみて初めてその名を聴かされるような人物であり、ジャズの愛好家の中ではポピュラーよりな演奏内容と癖のあるスタイルでこう評価されにくいという構図である。 彼の演奏の特徴は、どうやらその生い立ちにあるらしい。3歳でピアノを始めたが、楽譜を学ぶことなく自由に弾くという独学を続けた。勝手気ままにやっていたとはいえ、音楽環境は恵まれたもので、クラシックやジャズのレコードを多く聴ける環境だったという。母親がエロールにピアノ教師もつけたが、自由な発想でコードをうち、メロディを創作するばかりで、基礎的な音楽の知識には目もくれなかったらしい。さらに、彼は左利きであった。このことが左手の強烈なビートを可能にしたとされる。ガーナー自身もこうした“型破り”な部分にはかなり自覚的だったようで、「自分のスタイルは自分自身のもの。まったく同じスタイルのミュージシャンなど世界に二人といない」といった発言を残している。 ともあれ、彼は10歳でその演奏がラジオでの放送にのり、地元ペンシルヴァニアで同地のバンドや歌手の伴奏などをこなすようになる。1944年にはニューヨークに進出し、47年にはチャーリー・パーカーのセッションに参加した。本盤には1945年と49年の吹き込みが収められていて、ちょうどこの頃というわけである。同時期の吹き込みは分散して複数枚の作品に収められているが、本盤はスタンダードを中心に彼の独創性がよく表れた盤になっていると思う。 “独創的であること”は、必ずしも“奇抜である”という意味ではない。ガーナーは言う。「メロディゆえに弾きたいと思う曲がある。メロディを嫌いだなんて言う理由はないから」。本盤の曲を聴いても、やはり要はメロディなんだろうと思う。彼の奏法に着目すると、左手の音(ビートの側)に意識が行きがちだが、やはり右手の方で奏でられるメロディがメインなのだ。左手はメロディのための演出、そう意識してエロール・ガーナーの演奏を聴くと、いままでいまひとつと思っていた人も違った風に彼の演奏を聴けるかもしれない。例えば、2.「ラヴ・ウォークト・イン」や12.「スターダスト」、14.「オーヴァー・ザ・レインボウ」なんかは、いかにも有名曲で彼のメロディへの愛着が透けて見えるように感じる。収録曲はいずれも3分前後と短いので、メロディの方に集中して聴いてみるのもいいように思う。 最後になったが、本盤はジャケットもよくできている。駄ジャケも結構多いサヴォイ・レーベルにおいて、このジャケは結構イケてるんじゃないかと思っている。赤という色の使い方が若干どぎついと思う人もいるだろうけれど、個人的にはインパクトもあってなかなかいいように感じるのだけれど。[収録曲]1. I Cover The Waterfront2. Love Walked In 3. I Don't Stand A Ghost Of A Chance4. Indiana5. Somebody Loves Me6. Body And Sou7. Penthouse Serenade8. Undecided9. Red Sails In The Sunset10. I Can't Believe You're In Love With Me11. Stompin' At The Savoy12. Stardust13. More Than You Know14. Over The Rainbow[パーソネル、録音]1.~3.,6.~11.,13.,14.:Erroll Garner (p)John Simmons (b)Alvin Stoller (ds)1949年3月29日録音。4.,5.,12.:Erroll Garner (p)John Levy (b)George De Hart (ds)1945年9月25日録音。 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】ペントハウス・セレナーデ/エロール・ガーナー[CD]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年08月03日
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