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2018.12.28
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カテゴリ: 宗教
アマゾン・キンドル・アンリミテッド読み放題で閲覧。

10月頃に、日本の仏教と葬式の関わりについて調べていて見つけた本です。ひろ さちや先生の本はこれまで気になっていましたが、読み放題になったので借りて読んでみました。返さず今でもたまに読んでます。

「お葬式をどうするか 日本人の宗教と習俗」は、宗教評論家という立場から、既存の宗教界や新興宗教に遠慮せず、わかりやすく仏教を含む宗教と葬式の関係について解説している作品です。ひろ先生独自の世界が展開されていて、これも一つの宗教かなと思ったりします。
自分のも含めてお葬式や法要をどうやったらいいのかとか、現在跡継ぎのない自分にとってのお墓を守る問題とか、自分のお葬式やお墓にたいする考え方を変えさせてくれた本でおすすめです。
そのほか、水子供養と地蔵菩薩、不登校、厄年の話とか面白いトピックスも多いです。

お葬式をどうするか 日本人の宗教と習俗 (PHP新書) Kindle版ひろ さちや (著)


同じくひろ先生の1冊です。ひとことで言うと、生きるのが少しラクになる本です。
一番面白かったのが天国泥棒の章です。なるほどこんな考え方があるんだと、長い間もやもやしていたものが晴れ、ひょっとしてこれが宗教の本質なのかなと思いました。

のんびり生きて気楽に死のう Kindle版ひろ さちや (著)


「天国泥棒」――信心がなければ不安の生涯 
カトリック教会には、「天国泥棒」といった言葉があるそうだ。 さんざん悪いことをして生きてきた者が、死ぬ直前に洗礼を受ける。するとその人は天国に入れるのであるが、それはまるで天国を泥棒したようなものではないか……。そういった意味の言葉らしい。

途中略
日本人は、どうしても他人が気になる。 仏教のほうからこの問題を考えると、どうなるか。仏教においても、臨終に「南無阿弥陀仏」を唱えた者は、阿弥陀仏に救われる。長いあいだ信心を持って生きてきた者と差がない。それでは不公平だ……といった考え方も成り立つ。 しかし、これはこう考えるべきだ。長いあいだ信心を持って生きてきた者は、その長い人生を安心して、ゆったりと生きてこられたのだ。死ぬ間際に信心を持った者は、それまでの長い長い人生を不安のうちに生きてきたのである。信心がないから、あくせく、びくびくとしか生きられない。だから、天国、お浄土にその人が往けたとしても、その人の一生は不安の生涯であって気の毒な人だ。信心とは、そういうものだとわたしは思っている。

■参考リンク
Wikipedia:ひろ さちや
ひろさちや(1936年(昭和11年)7月27日 - )は、日本の宗教評論家であり、多数の一般向けの解説書を執筆している。本名は増原 良彦(ますはら よしひこ)[1]。自称「仏教原理主義者」[2]。
人物
大阪府大阪市に生まれ北野高校を経て、東京大学で印度哲学、仏教学を学び、気象大学校で教鞭を執る。教員生活の傍ら、「ひろさちや」のペンネームで平易な言葉で多数の入門書を執筆し、一般の人々に仏教を身近な物として再認識させた。ペンネームの由来は、ギリシア語で愛するを意味するPhilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)の造語である。本名名義での著書・訳書もある。
また、超宗派の仏教信者の集まりである「まんだらの会」を主宰していたが[1]近年「まんだらの会」活動を終了した。 本来の仏教を伝えるべく執筆と講演活動を行なっている[2]。
ひろさちや自身は浄土宗の人間である[3]。





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Last updated  2018.12.31 01:46:34


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