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あまり夢はみないほうですが、先日のんさんと結婚する夢を見て目が覚めました。そういえばインスタグラムをフォローするくらいで、映画も新型肺炎がはやり始めた2年前の2月に星屑の町を観に行って以来、行ってないなと思い、アマゾンプライムビデオで「私をくいとめて」を観ました。しばらく観ないうちに大人の女性っぽくなってきれいになられてました、もういつの間にか28歳です。私が62歳になるわけです。アラサー女子の恋愛の話ですが、その年代の女性の本音が覗けて面白かったです。クライマックスもよかったです。あまちゃんで共演された橋本愛さんが出演されていたのもよかったです。2/25からのんさん脚本・監督・主演 映画「Ribbon」が、公開されるそうです。今年の益々のご活躍を期待します。Wikipedia:私をくいとめて『私をくいとめて』(わたしをくいとめて)は、綿矢りさによる小説、及びそれを原作とする日本映画。『朝日新聞』の夕刊に2016年4月 - 12月まで連載。2017年1月6日に朝日新聞出版から刊行されたのち、2020年2月7日に文庫化された。2020年12月18日に実写映画版が公開[1]。第33回東京国際映画祭「TOKYOプレミア2020」部⾨出品作品[2]。あらすじ黒田みつ子は、いわゆる“おひとりさま”生活を満喫している32歳。周囲の干渉が耳に届かないわけではないが、自分の行動も悩みも、迷いが生じた時は脳内にいる『相談役「A」』に相談する。「A」はいつでもみつ子の味方で、傷つけることも孤立させることもしない。正しいアンサーを選択してくれる「A」と一緒にこの先も心地よい“おひとりさま”が続くのだと思っていたのだが、ある日、年下の営業マン・多田くんに恋をした。アラサーの自分から年下の男性にアプローチすることに戸惑いつつも、きっと両想いに違いないと信じて自分の意志で一歩踏み出すことにする。映画2020年12月18日公開。監督・脚本は大九明子、主演はのん[3][4]。のんと橋本愛は2013年のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』で親友役を演じて以来、7年ぶりの共演となる[5]。第33回東京国際映画祭のTOKYOプレミア2020で、2020年11月5日及び11月7日にワールドプレミア上映された[6]。
2022.02.19
雨の日曜日、新宿のK'sシネマに常盤貴子さんの映画「われ弱ければ 矢嶋楫子伝」を観に行ってきました。女性を中心に7割くらいの入りでした。映画は女子学院創設者矢嶋楫子の人生を、わかりやすく描いており、常盤さんの代表作の一つになるのではと思います。当時は珍しい女性から男性に三行半を突き付けたり、それまで主婦だったのが、39歳で師範養成学校に入ったり、熱心な教育ぶりを見ている人がいてチャンスが開けたり、現代にも通じることがあるように思います。小倉一郎さん、堀内正美さんとか、キャロリン愛子ホーランドさんとか、共演者の演技も良かったです。明治維新となり武士という身分が無くなりうろたえる男性たちは、重厚長大から福祉等のサービス業への産業構造の変化や男女雇用機会均等法により、戸惑う現代の男性たちに通じるところがあるように思います。このK'sシネマはSHOWAKAN-BLD.にあります。昔新宿昭和館があった跡地にできた映画館だそうです。大学生のころ、たまに高倉健さんの映画を観に行った記憶があります。当時ある日、映画を観ていたら足元をネズミが走り抜けていったのを見て、びっくりした思い出があります。予告編でやっていた与那国島関係の2本の映画が面白そうだったので、K'sシネマにはまた行きたいと思います。■参考リンク教育家・矢嶋楫子の生涯描く映画 常盤貴子さん、熊本ロケで熱演 「自分自身ありよう変わる」毎日新聞 2021/10/13 地方版 有料記事 765文字熊本県益城町で生まれ、近代日本の女性の地位向上に尽くした教育家、矢嶋楫子(かじこ)(1833~1925年)の生涯を描いた映画「われ弱ければ 矢嶋楫子伝」の撮影が熊本市などであり、2022年1月の公開に向けて製作が続いている。矢嶋楫子の生き様を通して女性の新しい生き方の提示を狙う作品で、主演は俳優の常盤貴子さん(49)が務める。【山本泰久】以下着映画が終って、近くにある牛丼のたつ屋で牛丼の大盛定食を食べました。だしがちょっと薄味の独特のみそ汁と、牛丼にのっている豆腐が好きです。
2022.02.13
アマゾンプライムビデオで視聴。毎年、バレンタインデーは洋の東西を問わず、男女の日ごろの恋心を清算というか棚卸というか、決着を着ける日のようで、クリスマスとは違った意味で重要な日のようです。アマゾンプライムビデオでラブコメディを検索していて見つけた作品です。以前途中で観るのをやめた記憶があったのであまり期待してませんでしたが、評価が4.3/5だったのでとりあえず観てみました。途中までは淡々と進みます。ラブアクチュアリーのパチモンかと思いましたが、中ごろからエンディングにかけて俄然面白くなりました。2つのメッセージが明確に伝わってきたのが良かったかもしれません。登場人物のセリフが心にしみました。ビターチョコの中にミルクチョコレートが入っているようなお勧めの作品です。ベストシーン:地味なベストシーンで本編を観ないとなんのこっちゃという感じかと思います。以下はモロ、ネタバレになるのでまだ観ていない方はご注意ください。どっかで観たことのある女優さんとおもったら、マイ・インターンのアン・ハサウェイでした。ジェニファー・ガーナーを、ジュリア・ロバーツの若いころかと間違えました。ジュリア・ロバーツのこのシーンが一番良かったです。シャーリー・マクレーン&ヘクター・エリゾンド:よく知りませんが有名な俳優さんたちのようです。アシュトン・カッチャー:物語の進行役のような花屋さんです。米国ではバレンタインデーに、チョコでなく花束とか、男性から女性にも送るようです。日本もホワイトデーとか廃止して、米国同様バレンタインに男女の告白合戦にしても面白いと思いますが・・・。■参考リンクWikipedia:バレンタインデー (2010年の映画)『バレンタインデー』(Valentine's Day)は、2010年のアメリカ合衆国のロマンティック・コメディ映画。ゲイリー・マーシャル監督による群像劇。ロサンゼルスに住む10組の男女の、それぞれのバレンタインデーをグランド・ホテル形式で描いている。ストーリー花屋を営む男リードは、同棲中の恋人モーリーに朝一番でプロポーズをする。しかし、笑顔で婚約指輪を受け取ったモーリーだったが、彼が出かけた後に部屋の荷物をまとめ始める。飛行機でたまたま隣り合わせたホールデンとケイト。男は洗練された物腰が魅力的な30代。女は11ヶ月ぶりに一晩だけ、ロサンゼルスでの滞在許可が出た軍人。会話を交わすうちに意気投合する二人だったが、共に目的地には意外な相手が待っている。理想の男性ハリソンと出会い、幸せいっぱいの小学校教師ジュリア。しかし仕事で出張に行くというハリソンは、空港ではないある別の場所へと向かっていた。結婚五十年を過ぎても変わらぬ愛を誓い合うエドガーとエステルの老夫婦。だが、よりによってこの日、妻は夫に重大な告白を始める。有名アメフト選手ショーンのマネージャーを務めるカーラは、今年も主催予定の“バレンタインデーなんか大嫌いだパーティ”の参加者が、いまだゼロと知り自暴自棄になる。そんな彼女に取材目的で近づいたスポーツキャスターのケルヴィンだったが、彼女がバレンタインデーを嫌う理由を知る。グレースとアレックスは高校生のカップル。二人はバレンタインデーに初体験を済ませようと計画している。彼女の実家の彼女の部屋で、ひとり初体験を盛り上げる演出を準備するアレックスだったが、そのとき突然彼女の母親が帰宅する。母親と久しく離れ離れになっている小学生のエディソン。通学する小学校の女教師に恋をした彼は、バレンタインデーの昼休みに、学校まで花束を届けてもらおうとする。初めて一夜を共にしたばかりのジェイソンとリズ。バレンタインのディナーを約束する二人だったが、彼女のほうには彼に伝えていないある秘密があった。
2022.02.11
アマゾンプライムビデオで視聴。先日観たNHKのプロジェクトXで帝銀事件を調べていたら、拷問による自白があったとの記事を読んで興味を持ち、観ました。この映画は若いころに観た記憶がありますが、それほど印象に残らず、すっかり忘れていました。大量殺人事件の犯人を捕まえないと納得しない世論、それを煽るマスコミ、犯人検挙のためには荒っぽいことも許された時代背景、ないがしろにされる容疑者家族の人権、戦後の混乱期の闇等、現代にも通じるさまざまなことに考えさせられる作品でした。どの俳優さんも熱演です。お勧めの作品です。なお、再審請求を出し続けていた養子の方が亡くなり、2013年に東京高裁は事件の再審請求手続きが「終了した」との決定を出したそうです。ストーリーも良かったですが、笹森礼子さん、山本陽子さん、それから平沢死刑囚に面会する娘を演じた女優さん、柳川慶子さんでしょうか、に見とれていました。ラストシーンが感動的でした。2022.11.5内容の追加。関口宏さんの「知ってるつもり?! 平沢貞通」で、コルサコフ症候群をくわしく取り上げていました。事件にこの病気は大きな影響を与えていたように思います。2023.1.9内容の差替え。2024.7.14リンク切れにより削除。■参考リンクWikipedia:帝銀事件帝銀事件(ていぎんじけん)とは、1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区長崎の帝国銀行(後の三井銀行。現在の三井住友銀行)椎名町支店(1950年に統合閉鎖され現存しない)に現れた男が、行員らを騙して12名を毒殺し、現金と小切手を奪った銀行強盗殺人事件。犯人として画家の平沢貞通が逮捕され死刑判決を受けたが、平沢は獄中で無実を主張、刑の執行がなされぬまま1987年(昭和62年)に95歳で獄死した。太平洋戦争後の混乱期、GHQの占領下で起きた事件であり、未だに多くの謎が解明されていない。Wikipedia:帝銀事件 死刑囚『帝銀事件 死刑囚』(ていぎんじけん しけいしゅう)は、1964年に公開された日本の映画である。1948年に起きた帝銀事件を描いている。概要[icon] この節の加筆が望まれています。丹念な資料調査、平沢貞通死刑囚との面会、現場の実地の調査や関係者への取材を積み重ねて、製作されたセミドキュメンタリードラマである。監督した熊井啓は関川秀雄の『ひろしま』で助監督を務め、日活入社後は、すでに脚本家として活躍しており、本作は監督デビュー作となった。映画に登場する銀行名、地名、被告名等、事件の核心部分の名称は実名。新聞社の会社名、新聞記者らの名前は架空のものとしたが、撮影のために、帝国銀行椎名町支店の見取り図から忠実に事件現場を再現したセットを設け、瓶、ピペット等、犯行に使われた器具をすべて再現した[1]。毒物を茶碗に正確に注ぎ分けるシーンは、正確に再現するため、日頃からピペットを使い慣れている某研究所員に「手」の演技の代役を依頼し、撮影を完了した。1963年秋にはすでにこの企画を決定しており、熊井は、仙台市の宮城拘置所(現在の宮城刑務所仙台拘置支所)に平沢を訪ねている[2]。 映画は、公開前から評判になり、真犯人を追及する本作の公開を平沢自身も非常に喜んでいた。1964年5月15日、第46回国会衆議院法務委員会で、日本社会党の坂本泰良議員は、最高裁判所の横田喜三郎長官が同年5月8日、記者からの問い合わせに応えて、本作品について、「興味本位なもので、しかも判決とは違う印象を与えると聞いている。学問的に裁判を批判するのは自由だが、この映画については遺憾だと考えている。」と発言したこと(5月9日付の読売新聞に掲載)を紹介し、発言の真意を質した。これに対して、関根小郷最高裁判所事務総長は、「横田長官はまだごらんになっておらない」「特定の事件について無罪であるというような批判を受けるようなことになると、これはやはりおもしろくないのじゃないかということをお話しになった」と答弁した[3]。なお、真犯人の声は加藤嘉が担当した。帝銀事件の再審請求手続き、養子死亡で「終了」 東京高裁2013年12月3日 12:26 (2013年12月3日 12:38更新)日本経済新聞12人が毒殺された1948年の「帝銀事件」で、東京高裁(小西秀宣裁判長)は3日までに、獄中死した平沢貞通元死刑囚の養子で再審請求人の武彦さん(当時54)が死亡したことを理由に、再審請求手続きが「終了した」との決定を出した。決定は2日付。武彦さんは今年10月、東京都の自宅で亡くなっているのが見つかった。弁護団は11月末、手続きを終了させないよう求める意見書を出しており、決定に対し異議を申し立てる方針。平沢氏は55年に死刑が確定した後も獄中から無実を訴え続けた。武彦さんは平沢氏を支援していた作家、森川哲郎さん(故人)の長男で、81年に平沢氏の養子になり、87年に平沢氏が95歳で獄死した後の89年、19度目の再審請求を起こした。弁護団は毒物に関する鑑定書などを新証拠として提出し「画家だった平沢氏には入手できない毒物が使われた可能性が高い」と主張していた。帝銀事件は48年1月26日に発生した。東京都豊島区の帝国銀行(三井住友銀行などの前身)椎名町支店に、東京都の防疫班員を名乗る男が訪問し「赤痢の予防薬」と称して行員らに青酸化合物を飲ませ、12人を殺害して現金や小切手を奪った。類似事件の捜査過程で画家の平沢氏が浮上。逮捕後に自白したとされるが、公判では一貫して無罪を主張した。
2022.02.10
3連休だし、久々にアマゾンプライムビデオで、ディズニーのファンタジーでもと探していて見つけた作品です。観ていて言葉がなんかドイツ語だし変だなと思っていたら、ディズニーとは関係ないドイツの映画でした。ただ、長さも83分とちょうどよく、ドイツらしいちょっと武骨なファンタジー映画で、そこそこよかったです。すっかり子供のころ読んだ絵本のストーリーは忘れてしまいましたが、なんか当時のストーリーとは微妙に違っているような感じですが、立体的な感じの演出でおもしろかったです。主演の王女様は魔法使いの魔法で100年眠らされるため、出番が結構少ないのが、ちょっと消化不良気味です。王様、女王様が、庶民的というか、あまり貫禄が無く、かえって魔法使いのほうが、女王様風な感じでした。「眠れる森の美女」の「眠れる」は文法的には「森」にかかるそうですが、意味的には「美女」にかかるそうです。今回はじめて知りました。Filmarks:眠れる森の美女■参考リンクWikipedia:眠れる森の美女「眠れる森の美女」(ねむれるもりのびじょ、仏: La Belle au bois dormant)は、ヨーロッパの古い民話・童話。AT分類では、410に分類されている。ペロー童話集にも取り上げられ、グリム童話集では、「茨姫」(いばらひめ、独: Dornröschen;KHM 50)として類話が取り上げられている。また、ジャンバティスタ・バジーレの『ペンタメローネ』所収の「太陽と月とターリア」も類話として知られている。「眠りの森の美女」「眠り姫」の訳題もある。“Sleeping Beauty”(スリーピング・ビューティー)の英語題で呼ばれることもあり、同タイトルの小説も発行されている。日本語の表題からは、文法的に、眠っているのは美女とも森ともとれるが、これはフランス語の原題も同様である。しかし、La Belle au bois dormantは代換法(形容詞転移)という修辞が使われており、文法的に「眠っている」が修飾するのは「森」であるが、意味的に眠っているのは美女と考えるのが正しいとされる[1]。あらすじ民話のため、ストーリーには様々な種類のパターンが存在するが、ここではひとまず、日本語圏では最もポピュラーなグリム版に基づいてストーリーを紹介する。ある国に、子供に恵まれず悩んでいた王と王妃がいた。しかし、ある時、王妃の前にカエルが現れて、「あなたは一年以内に女の子を産む」と予告し、その予告どおりに女の子が生まれた。願いが叶って非常に喜んだ王と王妃は、国内に住む魔法使いの女たちを祝宴に招待することにしたが、魔法使いの女は国内に13人いたにも関わらず、彼女たちをもてなすために必要な金の皿が12枚しかなかったため、13人目の魔法使いだけは招待されなかった。以下略
2022.02.09
最近オンライン購読を始めたクリスチャン新聞で紹介されていた映画です。女性の地位向上に尽力された女子学院創設者の矢嶋楫子さんの物語です。原作は三浦綾子さん、主演は常盤貴子さんで両方ともファンです。監督は90歳の女性映画監督というのも異色ですメジャーな映画館ではやっておらず、2/13(日)に新宿のK's cinemaというところで予約しました。ラジオ深夜便の監督インタビューが面白かったです。■参考リンク劇映画『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』 - 現代ぷろだくしょん:山田 火砂子監督、主演 常盤貴子映画『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』新たなる映画製作にあたって矢嶋楫子役 主演 常盤貴子さんに決定しました!!矢嶋楫子の素晴らしい生き方が、一人でも多くの人の力になればと願いつつ映画製作を進めています。矢嶋楫子は1833年に、現在の熊本県に生まれ、38歳まで武士の妻でした。武士の妻は大変です。木綿を綿から作り、絹織物も自分で作り、洗濯のたらいも男女を分けるなど、極端な男尊女卑の社会で苦労を重ねました。抱いている女の赤ん坊に向けて小刀を投げるなど、家族への度重なる乱暴を引き起こす酒乱の夫に身の危険を感じた楫子は、末の子を連れて家出し、離縁状を叩きつけます。女性から離縁を正々堂々と申し出た初の女性が矢嶋楫子でした。楫子の甥には徳富蘇峰、徳富蘆花がいます。 上京して小学校の教員になった楫子は、ミセスツルーというアメリカ人の先生から、女学校の校長先生の仕事をすすめられます。これまで勤めていた小学校の生徒達には、まだお酒の悪さを教えられないが、女学生なら分かるはずとその仕事を引き受けます。そして洗礼を受け、クリスチャンとなり、その後、現在もある女子学院の院長になり、教育界では押しも押されもせぬ女性となります。 1886年、日本キリスト教婦人矯風会の全国組織を結成し、初代会頭となりました。一夫一婦制、婦人参政権、禁酒、廃娼運動など、たくさんの活動に関わり、女性解放運動の元祖と言えます。そして、90歳のときにはアメリカで世界平和を強く訴えました。 明治大正という、女性が一人の人間として尊重されることのなかった時代に、女子教育に力を注ぎ、女性解放運動に生涯を捧げた矢嶋楫子。その素晴らしい生き方が、一人でも多くの人の力になればと願いつつ映画製作を進めています。監督・脚本 山田火砂子映画館2022年2月12日(土)〜[東京都新宿区]K's cinemaほか2022.5.11リンク切れにより差し替え。「女性たちの魂の声いまに続く」映画「矢嶋楫子伝」2月全国上映2022年1月14日 「女性たちの魂の声いまに続く」映画「矢嶋楫子伝」2月全国上映2022-01-31T13:03:10+09:00ニュース, フォトニュース クリスチャン新聞近代における女性解放運動先駆者、教育者、矢嶋楫子(やじまかじこ)の生涯描をいた、三浦綾子原作小説「われ弱ければ 矢嶋楫子伝」が映画化され2月から各地で公開される。主演は常盤貴子さん、監督は近代のキリスト者を映してきた山田火砂子さんだ。楫子は男尊女卑の武家社会の中で育ち、家族や夫との重圧の中、家庭の破綻を経験。一方40歳で教育者として歩む中で、キリスト教宣教師と出会い、キリスト教学校女子学院を設立した。また一夫一婦制、婦人参政権、禁酒、廃娼運動などを訴えた日本キリスト教婦人矯風会の初代会頭となり、国政、社会にも影響を与えてきた。第一次大戦後は、90歳近くで米国にわたり、世界平和を訴えた。楫子の運命を変えた宣教師をキャロライン愛子ホーランドさんが演じるなど印象的なシーンにキリスト者も配役されている。賛美歌や聖書の言葉、ストーリーが楫子の内面を変えるシーンもある。全国上映に先立ち、完成披露試写会が、楫子の出身地の熊本県や東京、大阪で開かれた。以下略われ弱ければ(小学館文庫) 文庫 – 1998/12/4三浦 綾子 (著)Wikipedia:矢嶋楫子Wikipedia:現代ぷろだくしょん山田火砂子(やまだ ひさこ、本名・山田久子(読み同じ)1932年1月23日 - )プロデューサー、映画監督、脚本家、女優。現代ぷろだくしょん現代表取締役。戦後、女性バンド「ウエスタン・ローズ」の一員として活動後、舞台女優となり現代ぷろだくしょんへ。先代取締役である山田典吾の妻。夫の没後、アニメーション作品『エンジェルがとんだ日』よりプロデュース業と監督業を兼務。
2022.02.07
漫画家の松本零士さんの若いころを描いた作品です。曽根中生監督の作品なので観てみました。アルバイトに明け暮れた大学時代を思い出しながら懐かしく観ました。主人公の痩せたきれいな若い女優さんだと思って調べたら篠ひろ子さんでした。どこか陰のある妖艶な女性を見事に演じていました。1973年の時間ですよの小料理屋さんのおかみさんといい、こういった大人の女性を演じさせたら、右に出る女優さんはいません。前川清さんも、面白かったです。1975年に欽ドンでブレークして5年後の作品ですが、やくざをコミカルに演じていました。何より良かったのは、加藤登紀子さんの「止まらない汽車」という作品を知ったことです。CDになっていないのが不思議です。止まらない汽車:加藤登紀子■参考リンクWikipedia:元祖大四畳半大物語『元祖大四畳半大物語』(がんそだいよじょうはんだいものがたり)は、松本零士による日本の漫画。1室が四畳半の下宿である「第三下宿荘」に住む主人公、足立太(あだち ふとし)と周辺の人物の生活を描いた作品である。「別冊漫画アクション」(双葉社)誌上で1970年6月27日号から1974年2月9日号まで連載され、1980年にはこれを原作とした実写映画も公開された。映画にっかつで実写映画化され、1980年8月16日に公開。宣伝ポスターのキャッチコピーは「夢と希望と野心に燃えて おいどん青春、十九歳!」。同時上映は『鉄騎兵、跳んだ』。性描写のある本作の映像化にあたり、原作者の松本と日活ロマンポルノ作品の監督を多数務めた曽根中生による共同監督となっている。足立太役の山口洋司(やまぐち ようじ、1961年6月19日 - )は一般のオーディションで選ばれ、その後1982年公開の『胸さわぎの放課後』にも出演した。2002年8月23日にDVDがリリースされたが間もなく廃盤。2018年10月に幻の映画復刻レーベルDIGから新装DVDとして再発された。
2022.01.25
2022.8.20リンク切れにより差し替え。2022.12.16リンク切れにより差し替え。先日、いつも行くお寺でアップしている法話を覗いたら、マスクをされていてよくわからないけれども、かわいい女性の声がしてネットで気になって検索したら、大阪府摂津市明教寺 葭田誓子先生でした。ちょっと前風に言うと、美人過ぎるお坊さん、だいぶ前風に言うと仏教界の聖子ちゃんでしょうか。YouTubeに先生のシネマ法話、影武者を見つけました。予断を排するために、法話を聴く前に映画を観ました。この映画は私が大学3年のときの作品で、観ようと思っていましたが、ロードショーも名画座も見逃して気になっていた作品です。一番旬だったころの萩原健一さんや根津甚八さんや、きれいな桃井かおりさん、倍賞美津子さん、しゃきっとした大滝秀治さんが観られます。黒澤映画らしく美しい映像と音楽です。ストーリーがいまいちよくわからず、影武者を演じた主人公が、役に感情が入りすぎたために、自分を武田信玄と錯覚して失敗した映画なのかと思ってました。先生の講談師のような立て板に水のような話を聴いて、一気にストーリーが理解出来ました。最後のオチも、なかなか考えさせられて、良かったです。また、ネットで先生の法話を拾って勉強したいと思います。長年気になっていた予告編の冒頭に流れるクラシックの曲名が、ネット検索して判明。42年の胸のつかえがおりました。クラシックの名曲の一説を見事に自分の映画のシーンにジグゾーパズルのようにはめこむ黒澤監督の才能はすごいと思いました。グリーグ: 「ペールギュント」組曲 ソルヴェイグの歌■参考リンクWikipedia:影武者 (映画)『影武者』(かげむしゃ)は、1980年に公開された日本の歴史映画である。監督は黒澤明、主演は仲代達矢。カラー、ビスタ、180分。ハリウッドの大手スタジオから世界配給された最初の日本映画で[4]、黒澤を敬愛するフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスが外国版プロデューサーとして参加した[5]。黒澤が『デルス・ウザーラ』(1975年)以来5年ぶりに撮った映画で、久しぶりの時代劇となった。彼の作品では唯一、実在の戦国武将にまつわるエピソードを取り上げたスペクタクル巨編で、戦国時代に武田信玄の影武者として生きる運命を背負わされた小泥棒の姿を描く[5]。勝新太郎の降板劇など公開前から話題を呼び、当時の日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位を記録し、1983年に蔵原惟繕監督の『南極物語』で抜かれるまで破られなかった[5][6]。第33回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し[7]、第53回アカデミー賞で外国語映画賞と美術賞の2部門にノミネートされた[8]。映像作品とクラシック音楽 第九回 黒澤明監督作品・中編〜『赤ひげ』と『影武者』:自主映画制作工房Stud!o Yunfat 改め ALIQOUI film 映評のページさん法話って何ですか?:浄土真宗の法話案内抜粋もともと落語や講談は、浄土真宗の説教がその発祥起源です。いまでも、落語や講談には浄土真宗に限らず、仏教的な要素が散りばめられています。もちろん法話は落語ではありませんが、笑いあり涙あり、また元気をもらったり明るい気持になったりする話もあるのです。それは説教師(布教使)の個性とも大いに関係があります。難しい仏さまの教えを、筋道を立てて話される人、おもしろおかしく話す人、涙を誘うような話をする人、・・・それぞれの人柄を感じることができるでしょう。男性も女性もいます。高齢で味のある話をされる方も、若くて元気なイケメンもいます。そんな「人」を感じる楽しみも得ることができるでしょう。大阪府摂津市明教寺 葭田誓子先生:白雲山善功寺ほっこり法座
2022.01.13
最近、曽根中生監督の作品をいくつか観る機会があり、その中の1本です。光石研さんのデビュー作で、言われるまでわかりませんでした。博多を舞台にした作品で、1970年代の博多にタイムスリップした気分です。海援隊の武田鉄矢さんや、松田聖子さん、チェッカーズとか、福岡出身の歌手の方が、街を歩いていると出くわしそうな感覚になります。松本ちえこさんがういういしくてかわいらしいです。年上の女性へのあこがれ等、思春期の中学生の心情が誇張することなく描かれているなかなかの作品です。春川ますみさんや小池朝雄さんを観ていると古き良き日本人を連想します。自分が歳をとった実感がします。竜虎さんが懐かしかったです。■参考リンクWikipedia:博多っ子純情『博多っ子純情』(はかたっこじゅんじょう)は、長谷川法世の劇画作品、およびそれを原作として1978年に公開された映画(監督:曽根中生)、2019年と2020年にKBCラジオで放送されたラジオ番組。概要漫画1976年から1983年まで、漫画アクション(双葉社)に連載された。単行本は双葉社からアクションコミックス全34巻が発行された。2010年に中央公論社から愛蔵版全6巻が発行された。1996年には双葉社から双葉文庫名作シリーズ全10巻が発行された。2005年に西日本新聞社から新装本として再出版されたが、中学生編で刊行が停止した。現在はコミックパークの双葉社オンデマンドコミックスから全34巻が復刊されている。福岡県福岡市博多区の古くからの町人街を舞台とし、主人公の郷六平とそのガールフレンド小柳類子の、中学生から大学生になるまでの青春群像を縦軸に、博多祇園山笠などに代表される人情味あふれる古き良き時代の博多の風物を横軸にした作品であり、「博多」を全国に広めた作品でもある。セリフは博多で使用される方言の博多弁であり、全375話のサブタイトルは博多弁もしくは博多の名所、文化、文物などにちなんだものになっている。第26回(昭和55年度)小学館漫画賞青年一般部門受賞。2017年には名作「博多っ子純情」の原作者であり、現在、博多町家ふるさと館の館長を務める漫画家 長谷川法世さんの漫画家歴50周年を記念した企画展「法世さんの締め切りより命」展が博多町家ふるさと館で開催された[1]。映画1978年には松竹配給で映画化され、12月2日に公開された。「キネマ旬報」のベストテンに入る等の高評価を得る[16]。2013年6月にDVD化された。キャスト郷六平:光石研小柳類子:松本ちえこ阿佐道夫:小屋町英浩黒木真澄:横山司重富青葉:立花美英穴見武:赤木良次郷五郎:小池朝雄郷スミ:春川ますみ小柳加代:上月左知子阿佐道造:桂歌丸阿佐光恵:宮下順子黒木信江:岡本麗重富剛造:竜虎重富志乃:小畠絹子穴見武市:田崎潤荒井しのぶ:伊佐山ひろ子富田松男:本間進長谷部町内役員:長谷川法世山内町内役員:佐藤蛾次郎博多屋:桂米丸バーのママ・千草:園佳也子ホステス:児島美ゆき、渡辺とく子黒岩:野崎英則老夫婦:陶隆司、春江ふかみ銭湯の男:なぎら健壱スタッフ監督:曽根中生脚本:石森史郎、長谷川法世音楽:服部克久
2022.01.10
岩井俊二監督のラストレターを観ました。この映画が上映された2020年1月は新型肺炎が流行り始めたころで、興行収入は8億円にとどまりましたが、アマゾンの評価の4.6/5もうなずける傑作だと思います。映像も、前作のLove Letterに勝るとも劣らない美しさです。ストーリーもLove Letterよりわかりやすいです。広瀬すずさんと神木隆之介さんの若い二人が、自分の高校時代を思い出せてくれるみずみずしい演技です。登場人物の心理も丁寧に描かれています。久しぶりに水越けいこさんを観れました。Love Letterの中山美穂さんや豊川悦司さんも登場します。おすすめの作品です。■参考リンクWikipedia:ラストレター (映画)『ラストレター』は、岩井俊二の同名小説を原作とした日本映画。2020年1月17日に公開。主演は松たか子[2]。企画・制作企画の出発点は、岩井がペ・ドゥナを主演に韓国で撮影した2017年のショートムービー『チャンオクの手紙』。それを長編にしたらどうなるかという想定から企画開発が始まった。脚本を完成させた岩井は、日本・中国・韓国でそれぞれ別の作品として創るというアイデアを思いつき、まず中国において岩井の古くからの友人で同世代のピーター・チャンの尽力により映画『チィファの手紙』の製作が実現して、2018年に中国で公開された。次いで同2018年に小説版『ラストレター』が出版され、さらに2020年に本作が日本において製作された。岩井の故郷である宮城県を初めて舞台とし、岩井自身の原体験を詰め込んだ集大成となり、初の長編映画『Love Letter』に対するアンサー映画にもなっている。ロケ地は主に仙台市と白石市(滑津大滝のみ七ヶ宿町)で、2018年夏に撮影がおこなわれた[3]。岩井は「SNSでやり取りできてしまうこの時代にあって、手紙を使った物語は現代においては不可能だと思っていましたが、ある日それを可能にするアイディアを思いついてしまったところからこの物語の構想がスタートしました」と説明している[4]。
2021.11.07
先日ご紹介したルーシーショウの女性がブドウを踏むシーンの映画を調べたら、雲の中で散歩(A Walk in the Clouds)という題のラブロマンスで、アマゾンの評価が4.4と高かったので興味が湧き、観ました。スピードのキアヌ・リーブス主演の作品です。スピードは、飛行機の中で1994年頃上映されたのを観て、アクションシーンに衝撃を受けました。サンドラ・ブロックも印象的でした。雲の中で散歩はイタリア映画のリメイクだそうです。キアヌ・リーブスが若くて、男から見てもいい男だなと思います。元々、プロヴァンスの贈りものとか、農村を舞台にした映画が好きな自分にはぴったりの映画でした。不倫の子を宿したブドウ園主の娘と、妻のあるチョコのセールスマンとの恋を、厳しい娘の父やその暖かい家族を交えながら、美しい自然、興味深いブドウ園の行事・風習等とともに描いたなかなかの作品だと思います。予告編の映像があまりきれいでなかったので、探したら出てきた別の映像で使われていたWestlifeというグループのUnbreakableという曲も、いい曲だと思いました。■参考リンクWikipedia:雲の中で散歩『雲の中で散歩』(A Walk in the Clouds)は、1995年にアメリカ合衆国で制作された恋愛映画。監督はアルフォンソ・アラウ、脚本はロバート・マーク・ケイメン、マーク・ミラー、ハーヴェイ・ウェイツマン。この映画は1942年のピエロ・テッリーニ、チェーザレ・ザヴァッティーニ、ヴィットリオ・デ・ベネデッティ脚本のイタリア映画『雲の中の散歩』(Quattro Passi Fra Le Nuvole)が基になっている。この映画はセピア調で撮影されている。
2021.10.11
Amazonの評価は4.4/5とかなり高かったので、大林監督の遺作となった海辺の映画館―キネマの玉手箱を観ました。前後半に分かれる2時間59分の超大作です。予告はあらかじめ観ませんでした。予告を観ると楽しそうなコメディーミュージカルを想像しますが、全然違います。前半は大林監督の映画史的な要素も交えながら、過去からのいくつもの戦争・暴力・女性差別を走馬灯的に流れるように描いていたので、大林監督の脳内に浮かぶことを描いた作品なのかなと思い、黒沢監督の夢をイメージしてました。後半になってテーマは絞られてきて、ラストで作品の意図がわかりました。監督はたぶんこれが最後の作品と思われて、描きたかったことを全部盛り込まれたのではと思います。3時間はちょっとしんどかったので、途中から1.5倍速にしました。テーマも、後半の1時間のものを膨らませて1本にしぼったほうがよかったと思います。もう一度観たいシーンがあるかと言うと、なかなか思い浮かびません。Amazonの評価とは対照的に、今の自分にはこの作品の良さを理解できる力が無かったのかなと思いました。6歳の頃、35mmフィルムに手書きで絵を描いて、近所の人を集めて映画を上映したのは、すごいなと思いました。■参考リンクWikipedia:海辺の映画館―キネマの玉手箱『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(うみべのえいがかん―キネマのたまてばこ)は、2020年7月31日[1][2]公開[3][8][4][5]の日本映画。大林宣彦監督作品[6]。尾道の映画館で日本の戦争映画特集を観ていた戦争を知らない若者3人がスクリーンの世界へとタイムスリップし、明治維新から第二次世界大戦までの戦争を体験し映画のヒロインたちがその犠牲となる姿を目撃して、原爆投下前夜の広島で出会った原爆の犠牲となる定めの移動劇団「桜隊」の運命を変えるべく尽力する姿を、モノクロ、サイレント、ミュージカル、時代劇、アクションなどさまざまな映画の表現や様式を総動員して描く[9][10]。映倫区分はPG12[11]。2020年4月10日に肺がんのため逝去した大林宣彦監督の遺作となった[12][13]。映画「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」公式サイトWikipedia:大林宣彦1歳のとき父が軍医として南方に出征したため、母方の実家、尾道の山の手で幼年期を過ごす[48]。2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳で35mmフィルムに手描きしてアニメーションを作った[3][18][49][50]。映画監督は、映画を観て監督という職業を志すが、大林の場合は映画を観るより作ることから先に始まった[38][3]。このとき作った『マヌケ先生』をもとにして後に三浦友和主演でテレビドラマ、映画が制作された[51]。自身を投影している主人公の名前馬場毬男は、イタリアの撮影監督・マリオ・バーヴァをもじったもので、遺作となった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の主人公名でもある。
2021.10.08
先日、大林宣彦監督の映画「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」を検索していた時に、レンタルした作品です。以前見つけたときは退屈そうな感じがしてやめましたが、アマゾンのレビューを見たら4.3と高かったので今回は借りてみることに。なんでもそつなくこなすしっかり者のお姉さんが事故死した後も幽霊になって、姉とは正反対に頼りなく心弱い妹・母親や、間違いを犯した父親等の家族を心配して、良い方向に導いていくといったストーリーです。ちょっとだけまず観ようとしたらついつい2時間半最後まで、見続けてしまいました。主演の石田ひかり さんがNHKの朝の連続ドラマでデビューする前の作品で、ダイヤモンドの原石のような雰囲気を漂わせてます。中嶋朋子さんとの姉妹コンビも自然な感じです。 さすが大林監督さくひんだけあって、映像が幻想的できれいです。東京物語で観て、2回訪れたことのある尾道の景色が懐かしいです。好きな俳優の尾美としのりさん、岸部一徳さんの若い頃の映像が観られてよかったです。 30年前の自分にはわからなかったかもしれませんが、今の自分には観終わったあと、暖かい気持ちになれるような作品でお勧めです。漠然としたイメージですが、人間には人を導く人と、導かれる人2種類があるのではというのが、この映画を観て改めて感じました。大林監督の歌も魅力の一つです。■参考リンクWikipedia:ふたり(1991)温かくつづった青春ファンタジー。大島弓子がカバーイラストを手がけた。大林宣彦監督により1990年にテレビドラマ化、1991年に「新・尾道三部作」第1作として映画化されたほか、映像・舞台化されている。11年後を描いた続編『いもうと』が2019年10月に新潮社より刊行された[1]。カバーイラストは大島弓子。映画大林宣彦監督により「新・尾道三部作」の第1作として1991年に映画化され、同年5月11日に公開された。製作NHKのテレビドラマとして製作され、テレビ放映後再編集して劇場公開された[5]。当初から劇場公開を想定しており、外部演出家である大林の起用や35ミリフィルムでの撮影などNHK作品としては異例の要素が多い[5]。原作者の赤川次郎は本作を映画化して欲しくない作品としていたが、大林がそれを承知で交渉に来たと知るとこれを承諾した[5]。映画は原作にほぼ忠実で、赤川自身でさえ限りなく近いので驚いたという。原作では千津子は声のみの出演で姿は現さない設定であるが、映画では千津子が幽霊として姿を現すという設定(ただし実加にしか見えない)になっている。ハイビジョンの合成による映像も用いて撮影された。駅伝のシーンではフィルムとビデオでの1秒間のコマ数の差を利用した実験的な映像が使われている[5]。撮影の逸話福本渡船や浄土寺、千光寺、尾道駅、尾道市立土堂小学校、浄土寺山不動岩展望台など、尾道の風景が映画の随所に使用されている[6][7]。北尾家は実在する家が撮影に使用されたが、屋内の撮影についてはロケセットが使用された[8]。千津子が事故にあうシーンは尾道市の海徳寺下の小さな路地で撮影された。あまりに狭い路地のために、事故を起こすトラックは、右側半分だけを切断して用いた。落下する木材は発泡スチロールで、千津子はスタントの女性が演じた。本撮影場所は映画公開後も長年花束を備えるファンが絶えなかった[8]。駅伝マラソンの撮影場所としては、岩子島のトンネルや橋、向島の海岸路などが使用された。千津子の死を神永智也に伝えるシーンでは、マリンパーク境ガ浜の海上水族館が選ばれ、生演奏のベートーヴェン交響曲9番のコンサートを開催。その風景と花火大会の映像がデジタル合成された[8]。スタッフキャスト100人で、千光寺道、大林監督の実家前に撮影で訪れた際、『濹東綺譚』のワンシーンを撮影中の新藤兼人監督の撮影クルーと鉢合わせた[9]。20人ほどのこぢんまりとしたスタッフで淡々と表現できる新藤組に「さすが『裸の島』を撮られた方だ」と大林組一同畏敬の念を抱いたという[9]。石田ひかりは、NHK朝ドラのヒロインオーディションに落ちたところでスタッフのメイク担当に紹介され、大林が気に入って例外的にヒロインに抜擢した[10]。ちなみに石田ひかりは、その翌年放映の朝ドラ『ひらり』のヒロインオーディションに受かっている[11]。撮影期間は大林の映画にしては長い2か月間で、尾道でのオールロケーションのため、主演の石田ひかりは、18歳の夏のまるまる2か月間尾道に住んだ[10]。撮影のない日は、自転車で尾道の山坂を駆け回ったり大好きな海で海水浴をしたりと楽しく過ごせると思っていたが、撮影期間はひと夏でも、四季を通じた三年間の物語なので、「日に焼けてはいけない・海に入るのもダメ・街へ出る時は日陰を歩きなさい」と指示された。最初は酷いところに来てしまった、がっかりしたと思ったが、あるとき北尾実加としてなら生きられるということに気づき、喜びを感じ始めた。それを待って大林は撮影をスタートさせた[10]。大林は撮影を通じて石田ひかりに惚れ、19歳の石田ひかりを見てみたいと『はるか、ノスタルジィ』のヒロインに起用した。しかし『はるか、ノスタルジィ』のヒロイン・はるかは北尾実加とは全然違う役で、難しい撮影になった[10]。中江有里も本作がデビュー作。この映画で苦手のマラソンを克服して長野オリンピックでは聖火ランナーの一人として参加した[12]。主題歌大林宣彦&FRIENDS『草の想い』主題歌を歌うのは「大林宣彦&FRIENDS」となっているが、これは大林と音楽の久石譲とのデュエット。作詞は大林が、作曲・編曲は久石が担当している。元々は主演の石田ひかりに歌わせる予定であったが、石田の演技を見た大林が石田を女優として最後まで通させようと考え、自身がピンチヒッターとなった[5]。久石とのデュエットになったのはプロデューサーの大林恭子の提案によるもの[13]。この曲は劇中でも北尾姉妹たちに歌われており、編曲は異なるが中嶋朋子によるシングルカット版もパイオニアLDCから発売された。
2021.09.25
ジュラシック・パークの恐竜を火山に置き換えたような映画です。90分と、ちょうどいい長さで、面倒な隠されたテーマとか無くて、迫力のあるシーンが続くストレス解消にいい映画です。登場人物がほとんど中国人のハリウッド映画といった感じで、どこで撮影したんだろうかと調べましたが、わかりませんでした。女優さんは皆、同じような顔に見えました。韓国映画だけかと思ったら、中国も最近はそうなのかとびっくり。日本の女優さんは個性的なままでいてほしいです。週末の深夜にビール片手で飲むのに良い映画です。■参考リンクYahoo!映画:ボルケーノ・パーク (2019)解説活火山のある島に建設されたリゾートを舞台に、火山の噴火に見舞われた人々のサバイバルを描くパニックアクション。火砕流や降り注ぐ火山弾によって、孤島のテーマパークが灼熱地獄と化す。監督は『コン・エアー』『トゥームレイダー』などのサイモン・ウェスト。『運命の子』などのワン・シュエチーが主人公を演じ、『スマート・チェイス』などのハンナ・クィンリヴァン、『最後のランナー』などのショーン・ドウ、『善き人』などのジェイソン・アイザックスらが共演する。シネマトゥデイ (外部リンク)あらすじ火山学者のタオ(ワン・シュエチー)は、「天火島」と呼ばれる火山島の調査中に起きた噴火により妻を失う。20年後、「活火山の上に建つ世界初の火山テーマパーク」という触れ込みのリゾートが、実業家のハリスによって天火島に建設される。タオがその危険性を訴える一方で、彼の娘シャオモン(ハンナ・クィンリヴァン)はハリスの下で火山学者として働いていた。オープンが間近に迫り出資者たちが天火島を訪れる中、観測チームはマグマの動きに異変が起きていることを知る。シネマトゥデイ (外部リンク)ボルケーノ・パーク 公式サイト
2021.09.23
新型肺炎の影響で、見逃したワンダーウーマン 1984をDVDで観ました。第1作に比べて、女性監督ならではの、よりコアなファン層(働く女性や小学生くらいの女の子か)の夢をかなえることを意識した作りが強くなっている印象を受けました。これまでの、抑圧された女性の生き方のうっぷんを開放させるエネルギーになるような作品だと思いました。ただ、男性が観ても、それに気づかせてくれる点が面白いです。私みたいな、浪花恋しぐれ型の人間はどんどん肩身が狭くなる時代になってきた感じです。アクションは前回に劣らぬ迫力で、そんなかなにもロマンがあり優雅に描かれています。漫画を読んでいないので細かい設定がいまいちよくわかりません、なんで前回の第二次大戦から1984年に舞台が急に飛んだのかとか、主人公ダイアナが歳をとらないのかとか。2時間半の大作ですが、どちらかというと女性向きの十分楽しめる作品です。■参考リンクWikipedia:ワンダーウーマン 1984『ワンダーウーマン 1984』(原題: Wonder Woman 1984)は、DCコミックスのスーパーヒーロー「ワンダーウーマン」をベースとする、2020年公開のアメリカ合衆国のスーパーヒーロー映画。監督はパティ・ジェンキンス、脚本はジェンキンス、ジェフ・ジョーンズ、デヴィッド・キャラハムで、ガル・ガドット、クリス・パイン、クリステン・ウィグらが出演する。「DCエクステンデッド・ユニバース」の9作目で、『ワンダーウーマン』(2017年)の続編。タイトル通り作品の舞台は1984年である。あらすじ前作での戦いから66年後、欲望と世情不安が渦巻く1984年のアメリカ。主人公ダイアナ・プリンスはその知性を活かしてスミソニアン博物館で働きながら、一方でワンダーウーマンとして悪と戦い続ける日々を送っていた。ある日、FBIに摘発された密輸業者の盗品が博物館へ届けられ、その中に奇妙な「石」があることにダイアナは気づく。ダイアナの同僚である鉱物学者バーバラ・ミネルヴァの鑑定ではその石は当初シトリンで出来た胡散臭い紛い物と思われたが、台座にラテン語で「何でも一つだけ願いを叶える」と彫られており、ダイアナとバーバラが願いをかけてみたところ本当にその願いが叶ってしまう。それと前後して、著名な事業家のマックス・ロードが現れダイアナ達に接近、隙を突いて「石」を館外へ持ち出してしまう。石をまんまと手に入れたマックスはその仕組みを逆手にとって願いを叶える力を自らのものとすると、会社の拡大を皮切りにその権勢を際限なく拡大、やがて全世界を巻き込んだ果てしない暴走へと突き進み始める。「石」が持ち出され悪用されていることを察知したダイアナは、ダイアナの願いで復活を遂げたスティーブ・トレバーと共にマックスの追跡を開始。願いの代償で弱体化しながらもマックスを追い詰めてゆくダイアナだったが、そこに叶った願いが喪われることを恐れて寝返ったバーバラが立ちはだかる。
2021.09.21
白頭山大噴火を錦糸町で観て来ました。日曜14:00からの1回だけの上映ですが、90%の入り。中高年が中心で女性が多かったです、主演男優の影響でしょうか。予想通り、文韓国大統領をイメージした大統領の強力なリーダーシップのもと、白頭山噴火を鎮めるために南北軍兵士が協力して臨むストーリーは現政権の色がかなり濃く出ていました。ただ予告編を観てもわかる通り、ディザスター映画、アクション映画としてはかなり面白かった作品で、文大統領のプロモーションビデオで終わってはいませんでした。以前観た韓国映画と同じく、危機を乗り切るための重要な役割を果たす女性が、今回は2人登場していました。まずまずお勧めの作品です。
2021.09.05
映画館で予告編を観ていたら、MINAMATA―ミナマタ― の予告編をやっていました。メジャーな東宝系の映画館で珍しいなと思って家で調べたら、製作・主演がジョニー・デップとなっており、興味が湧きました。もう50年以上前の公害事件ですが大きなニュースとなって、当時小学生の自分も授業で公害の勉強をした覚えがあります。なかなか病気の発生原因がわからず被害が拡大した事件で企業のほかにも県や国の責任も問われました。このほかにも様々な薬害事件とかもあり、それが現在、一部にある新型肺炎ワクチン不信につながっているように思います。ジョニー・デップさんはこの映画で新たな境地を切り開いてほしいです。■参考リンクWikipedia:MINAMATA-ミナマタ-『MINAMATA―ミナマタ―』(原題:Minamata)は、2020年製作のアメリカ合衆国のドラマ映画。W・ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集『Minamata』(1975年)を基に、アンドリュー・レヴィタスが監督、デヴィッド・ケスラーが脚本を務める。1970年代、水銀中毒が熊本県水俣市の市民に及ぼす影響を記録した写真家のユージン・スミスを、製作を兼務するジョニー・デップが演じる[1]。あらすじ1971年、アメリカの写真家W・ユージン・スミスは「ライフ」誌に掲載された数々の「フォトグラフィック・エッセイ」で有名になるが、隠遁者となっていた。別の仕事をしていたスミスは、情熱的な日本人翻訳者のアイリーンから、水俣を訪れて水俣病を撮影・記録するよう促される。スミスは、地元の警察や政府の共犯者である企業の貪欲さがもたらす破壊的な影響の正体を暴くために最善を尽くすことをついに確信する。水銀中毒と水俣病による沿岸地域の被害を記録するために、彼は日本の水俣を訪れた。水俣病は、化学会社チッソが引き起こした産業公害が原因であった。ミノルタのカメラだけを持って強大な企業に立ち向かい、スミスは壊れたコミュニティの信頼を得て、この物語を世界に伝えるための画像を見つけなければならない。しかし、スミスは現地で厳しい報復を受けることになり、アメリカに緊急送還される。しかし、この報道によって、彼はフォトジャーナリズムの象徴となる。ジョニー・デップの評判が「ガタ落ち」な実情はまり役のジャック・スパロウも降ろされた猿渡 由紀 : L.A.在住映画ジャーナリスト 2018/11/20 5:30東洋経済オンライン抜粋だが、日本の観客としてはもっと気になる作品がある。来年、日本でロケ開始が予定されている『Minamata』だ。デップが演じるのは、暴力を受け、カメラを壊され、片目を失明させられても、水俣病の取材を続けてはその実態を発表したアメリカ人写真家ウィリアム・ユージン・スミス。実在の勇敢な人物を描くものとあって、うまくいけば、4度目のアカデミー賞候補入りにつながるかもしれない。デップは、現在55歳。女優と違い、男優には厳しい賞味期限がないが、それでも歳を取るにつれ、映画の中で演じる人物像は、変わっていくものだ。デップのジャック・スパロウをまだ見たかったという人は多いに違いないものの、今、彼はきっと変化の流れの中にいたのである。『パイレーツ』に出る前と出てからに分かれていた彼のキャリアは、これから、『パイレーツ』を去った後のステージを迎えることになった。それはいったい、どんなふうに展開していくのだろう。「MINAMATA」上映会、水俣市が後援拒否2021/7/13 6:00村田 直隆 西日本新聞Wikipedia:水俣病抜粋後年わかるように、水俣病は昭和20年代後半から30年代前半に、触媒の変更によって、一時に爆発的大量の有機水銀が海中に放出され、それを摂取した魚類が適切に排出できずに高い濃度で蓄積し、さらにそれを食べた人間に激烈な中毒症状が発生したものである。水俣病はいわば量的問題でおこったものであり、自然界における摂取と排出のバランスの崩壊で発生したものであった。國學院大學メディア水俣病の被害拡大はなぜ止められなかったのか発生源対策を行わない企業、それを後押しした国の関係性法学部教授 廣瀬美佳 2019年2月5日更新
2021.09.04
「白蛇:縁起」を錦糸町オリナスで観て来ました。当日2回の上映のうち1回目は朝9:00で9割の予約だったので2回目に行ってきました。カップルが多いかと思いましたが、同性とか単独の若い熱心なアニメファンのような方が中心で19:00からの上映にかかわらず8割の入りです。人間と大蛇の妖怪の恋物語を絡めたアクション映画で、アニメファンでない私も最後まで時計を気にせず作品に没頭できて楽しめました。背景の映像がとてもきれいで、ストーリーもよく作られています。お勧めの作品です。気のせいか、登場人物の名前や背景画のテイストが千と千尋の神隠しを連想させるものがありました。また、この作品には次回作もあるようで、それがなんだかワンダーウーマンっぽかったです。あと、エンディングロールが3本もあるににびっくり。個人的には長げーよ、と思いましたが、みんなおとなしく席を立たないで観てたのにもっとびっくり。2022.1.8リンク切れにより差替え。内容の追加。予告主題歌冒頭シーン■参考リンクWikipedia:白蛇: 縁起『白蛇:縁起』(はくじゃ:えんぎ)は、中国のアニメ制作会社・追光動画(中国語版)(Light Chaser Animation)とアメリカのワーナー・ブラザースが共同制作したフル3DCGアニメーション映画である。中国大陸では2019年1月11日に公開され、興行収入は中国国内で70億円を突破。中国の民間伝説『白蛇伝』を題材とし、主人公である白蛇の前世の恋物語を描いた完全新作である。監督はウォン・カホン(黄家康)とチャオ・ジー(趙霽)。日本ではこの映画の日本語吹替版が2021年7月30日に公開[1]。「白蛇:縁起」日本語吹替版
2021.08.09
お盆休み用に借りた映画の1つです。それほど評価は高くなく、実際最初はそれほどでも無かったですが、後半は、予想外に、友情、人生について深く考えさせられる作品でした、まだ考えてます。最近見た築地本願寺の掲示板の言葉まで思い出しました。機会があれば、お勧めのヒューマン系の作品です。映画の中の言葉から。この世にはこうも不幸も無いのかもしれません。幸や不幸はもういい 人生は等しく価値がある。若い頃の幸江と熊本産を演じた、岡珠希さん、丸岡知恵さんが印象に残りました。こういう友情に自分も恵まれたかったと思いました。このころの中谷美紀さんの作品は、嫌われ松子の一生、仁と観ましたが、本作も含めて素晴らしい演技だと思います。阿部寛さんはセリフの少ないイサオ役をうまく演じてました。幸江が学生時代を送った東北の鉄道にいつか乗りたいと思いました。遠藤憲一さんの演じた中華料理店の店主はドクターX の海老名先生そのまんまのキャラです。西田敏行さん、名取裕子さんといった大物でわきを固めます。Dailymotion自虐の詩:中谷美紀 阿部寛 業田良家 堤幸彦 2007年作品■参考リンク2021.6築地本願寺の掲示板、たぶん:あなたは決して一人じゃない あなたよりあなたを思う仏様がいますWikipedia: 自虐の詩概要男性サラリーマン向け週刊誌『週刊宝石』のショートコミック枠に掲載。当初は複数のシリーズがあるオムニバス作品だったが、人気のあった「幸江とイサオ」シリーズに一本化された。この項では特に「イサオと幸江」シリーズを「自虐の詩」として記す。シリーズ初期は、怒るとすぐにちゃぶ台をひっくり返したり、金をせびるばかりのイサオとそれに従う幸江といった構図のギャグが中心だったが、中期以降幸江の子供時代の回想が増えてくるとしだいにストーリー4コマとなっていき、幸江の小学生編・中学生編を経て最終回に突入していくドラマチックな展開は「泣ける4コマ」として定番になっている。また作品完結からヒットし映画化されるのにかなりの時間が空いている。これは2004年に『BSマンガ夜話』にて取り上げられて泣けるマンガとして絶賛されたことが大きい。番組で取り上げた直後にはネット通販にて完売している。スクリーン名場面ロケ地ガイド|-- ナビcafe --:自虐の詩
2021.08.04
4連休で時間がちょっと出来たので、かねてから行きたかった、昨年1月に紹介したヒノマルソウルを観て来ました。錦糸町オリナスではこの日の上映が最終日で朝9:15からの上映のみです。あの頃、ヒノマルソウルのメルマガを購読して、長野までエキストラやりに行こうかどうしようか悩んだのが懐かしいです。その後、新型肺炎の流行で、世の中は一変してしまいましたが。館内は3割くらいの入りで、中高年層が多かったです。内容は予想していた以上の出来です。配役では、菅原大吉さん、古田新太さんがストーリーを引き締め、田中圭さん、土屋太鳳さん、山田裕貴さん、眞栄田郷敦さん、小坂菜緒さんはじめ、各配役がどなたも生き生きと演じていました。これまでドキュメンタリーで観てきたテストジャンパーたちの背景を深く描くことで、感動がさらに厚みを増しました。今年劇場で観た映画で1番の作品です。もう上映館は少なくなっていますが、オンライン配信されたら必見のお勧め作品です。この作品を観て急に個人的にオリンピック気分が高揚してきました。あの場面を現地でご覧になった堀井憲一郎さんのエッセーが面白いです。以前週刊文春で読んだ堀井さんのエッセーはひょうひょうとした中にもきらりと光るものがあり、好きでした。2022.11.27リンクの差替え。dailymotion:2009 ST絆でつかんだ栄光 長野五輪スキージャンプ団体■参考リンク映画『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』2020年6月公開 主演:田中圭、1998年長野オリンピック、スキージャンプ団体と、1/26(日)NHKBS1AM10:00~もう一度見たい!平成のスポーツ中継 2「冬のオリンピック」と、虹と雪のバラード(1971)感動映画『ヒノマルソウル』 映画には描かれなかった「長野五輪ジャンプ団体」の現場の真実を語る堀井憲一郎コラムニスト6/19(土) 17:12 Yahoo!ニュース1998年2月17日火曜日 白馬ジャンプ場での真実コロナの影響で遅れて公開された映画『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』は長野オリンピックの団体ジャンプ優勝の裏側を描いた作品である。ジャンプ団体が金メダルを取ったのは、1998年2月17日の火曜日である。この日、私も会場にいた。観客として、「日の丸飛行隊」の活躍を見ようと、金メダル獲得の瞬間を見ようと、駆けつけていた。白馬ジャンプ場である。細かく言うなら「八方尾根スキー場」の脇である。名木山ゲレンデに隣接したところに「白馬ジャンプ場」はある。白馬、だけでは東京者にはよくわからない。八方尾根の脇だ。2月17日は雪がすごかった。悪天候だった。スキー競技はふつう野外でしか行われず、観客がいるエリアに屋根はない。観客もまた全員、選手が見舞われていたのと同じ悪天候の中で立ち続けてないといけない。会場まで吹雪のなか1時間歩かなければいけなかった一般の観客にとって大変だったのは「会場に着くまで、一時間ほど雪道を歩かされる」というところにあった。このオリンピックのために「長野新幹線」が開通したので、東京から長野まではすっとたどり着く。長野駅前から、各競技場まではだいたいシャトルバスが出ていた。そのバスに乗ると、観客は会場のかなり手前で下ろされる。これはジャンプにかぎらず、いろんな会場がすべてそうだった。よくわからない駐車場で下ろされ、そこから延々と歩く。夏にふつうの靴で歩けば30分くらいで着くのかもしれないが(それでも30分はかかる距離である)、雪がかなり積もった雪道だとその倍近くかかる。しかも吹雪である。まさに雪中行軍。小さい子連れの家族もいるから、まるで難民が亡命の山越えをしているみたいだった。いったい私たちは何をしているのだろうとちょっと考えてしまう。以下略Wikipedia:1998年長野オリンピックのスキージャンプ競技その他1998年長野オリンピックのフォージャンパー(Forejumpers)坂大徹(大山体協SC)鈴木幸保(東京美装)富井正樹(雪印乳業)高沢公治(野沢温泉SC)上野隆(東京美装)梅崎慶大(長野大町高校)西下和記(小樽北照高校)西森享平(白馬スキークラブ)池田義治(明治大学)吉泉(旧姓:葛西)賀子(小樽工業高校)岡村創太(雪印乳業)大洞崇之(東京美装)佐藤昌幸(NTT北海道)上杉宏樹(雪印乳業)吹田幸隆(雪印乳業)東和広(日本空調サービス)千葉勝利(東洋実業グループ)野呂田義一(デサント)桜井仁(東洋実業グループ)高橋竜二(水戸歯科スキークラブ)安崎直幹(NTT北海道)仲村和博(小樽北照高校)伊藤直人(雪印乳業)西方仁也(雪印乳業)東輝(ニッカウヰスキー)フォージャンパーは競技前もしくは競技中のジャンプ台の状況を確認するために飛躍を行うジャンパーで、審判団はこの飛躍の結果などを合わせてにスタート位置を変更したり競技続行の可否を判断する。トライアルジャンパー、あるいはテストジャンパーと称することもある。
2021.07.22
のんさんが、宮藤官九郎さん作・演出の舞台『愛が世界を救います(ただし屁が出ます)』に8月出演されるそうです。2013年のあまちゃん以来8年ぶりの宮藤さんの作品に出られて本当によかったと思います。テレビドラマでないのが、まだ何か壁を感じますが、一つずつ乗り越えてもらいたいです。ジャンルがロックオペラなので自分にはちょっとなじみがないので行くかどうか思案中です。のんさんを検索していたら、出演されている映画『私をくいとめて』がアマゾンプライムで観られるようです。評判も良いようなので、ゴールデンウィークの楽しみにしたいです。大人計画のYouTubeチャンネルを発見。宮津祥子さん、荒川良々さんを久々にじっくり観れました。■参考リンクステージナタリーのん・村上虹郎ら参加!宮藤官九郎の大パルコ人「愛が世界を救います(ただし屁が出ます)」2021年4月14日 12:00「大パルコ人(4)マジロックオペラ『愛が世界を救います(ただし屁が出ます)』」が、8月から9月にかけて東京・PARCO劇場ほかで上演される。公演は8月9日から31日までPARCO劇場、9月4日から12日まで大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール、15日から17日まで宮城・電力ホールにて。東京・宮城公演分のチケットは7月3日10:00、大阪公演分は8月1日10:00に発売される。のんコメント大パルコ人に呼んでいただけて、嬉しい気持ちでいっぱいです。あまちゃんの時に、宮藤さんの脚本でお世話になりました。あの時は朝ドラフィルターがかかっていたんだなあ、と思うくらい、今回の宮藤さんのプロットがぶっ飛んでいてびっくりしました。きっと、タイトルを読んだだけで「一体どんな舞台なんだ?!」と誰もがドキドキワクワクしていると思います。私も心臓バクバクです。無事公演出来ることを楽しみに、稽古に励みます。頑張らなきゃ~~。
2021.04.14
築地本願寺新報の2021.3号で松本智量先生が紹介されていた西川美和監督のすばらしき世界を観ました。映画館に行くのは昨年のフクシマ50以来で新鮮でした。館内は8割の入りでした。館内は1人置きに座っているのかと思っていたら、以前のようにふつうに座っていてびっくり。これで満員だったら新型肺炎とか大丈夫なのかなと、今回の緊急事態宣言は疑問に思いました。出所した殺人犯が、周囲の助けを借りながら更生していくといった単純な映画でなく、終わった後もいろいろ考えさせられるひねりのきいたお勧めの深い作品だと思いました。上映期間もそろそろ終了なので、DVDになったらぜひどうぞ。映画の中で幼少期に親の愛を受けられなかったり虐待されると脳に傷ができて、大人になって悪影響が出るようなことについて触れていましたが、子供がこういった被害に遭わないための対策を立てることで、犯罪者を生む要因としてだけでなく、さまざまなこれに起因する社会問題を解決するきっかけになるのではと思いました。正義感の強い直情径行に走る主人公が、我慢することを覚え、社会と折合いをつけていくシーンは自戒となりました。本筋とは離れていますが、キムラ緑子さんのシーンが、肌も見せないのにどきっとして一番セクシーで印象的に残りました。西川美和監督について調べたら10年くらい前に観たディアドクターを監督されていたのがわかりました。この作品はニセ医者を鶴瓶さんが演じていてやはりひねりが効いて面白かったです。アマゾンプライムでまた、西川美和監督の作品を探して観たいと思います。また、まだまだ女流監督は少ないですが、Wikipediaを読んで、こういった実力の世界で、単なる女性枠でなく、チャンスを生かしてステップアップしていったのは立派だなと思いました。■参考リンク築地本願寺新報2021.3 P.25松本智量のようこそ、仏教シネマへWikipedia:身分帳『身分帳』(みぶんちょう)は、佐木隆三の長編小説。実在の人物をモデルに、13年の刑期を終え出所した元殺人犯の男の苦労と生きざまを描く[1][2]。1990年6月26日に講談社より刊行され、1993年6月3日に文庫化された。第2回伊藤整文学賞受賞作。役所広司主演で映画化され、2021年2月11日に公開[3]。あらすじ少年のころヤクザの世界に入り、ホステスでのトラブルなどから犯した殺人によって、人生の大半を刑務所の中で過ごしてきた山川一が、13年にわたる刑期を終え出所する。東京の弁護士に身元引受人になってもらい、生活保護を受けてアパートでの一人暮らしを始める。近隣住民とのトラブルなどもあったが、階下に住むコピーライターの角田龍太郎やスーパーの主人などと親しくなり、徐々に社会生活に復帰していく。しかし、町で見かけたヤクザと戦ったり、刑務所での仲間に会いに行くなど、自身の過去を完全に振り切ることができず、職探しも難航してしまう。出所する前から考えていた母親探しも行き詰り、挫折を繰り返す。また、タイトルにもなっている「身分帳」(刑務所で、収容者の経歴や入所時の態度などが書かれた書類)や裁判の記録などを読み返すことで、進んできた道を振り返り、このままの生活で本当に良いのか模索していく。また、文庫版には「行路病死人」も収録されており、モデルとなった田村明義との会話や、彼の死後についても描かれている。Wikipedia:西川美和西川 美和(にしかわ みわ、1974年7月8日 - )は、日本の映画監督、脚本家、小説家。経歴広島県広島市安佐南区出身[1][2]。浄土真宗(安芸門徒)の根強い地域に生まれ育つ[3]。しかし、中学・高校はカトリックのノートルダム清心中学校・高等学校に通う[4]。早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業。卒論の題名は「地獄絵の東西比較」だった[3]。学生時代より、映画製作を志し、映画制作会社などの就職面接を受けるも、ことごとく落ちるが、テレビマンユニオンの面接担当だった是枝裕和監督に意気込みを見出され、映画『ワンダフルライフ』にフリーのスタッフとして参加する。以後、諏訪敦彦監督の『M/OTHER』など、様々な日本映画の現場で活動した。2002年、自作脚本のブラックコメディ『蛇イチゴ』(主演:宮迫博之)で監督デビュー。日本の典型的な家族の崩壊をシニカルに描いた同作は、第58回毎日映画コンクール・脚本賞、”最も将来性を期待できる監督に与えられる”新藤兼人賞ほか、その年の数々の国内映画賞の新人賞を受賞する。製作は是枝裕和。2003年、NHKハイビジョンスペシャルでは、ドキュメンタリーと架空のドラマを交差させた、異色のテレビ作品『いま裸にしたい男たち/宮迫が笑われなくなった日』を発表。第20回ATP賞・ドキュメンタリー部門優秀賞を受賞した。2005年、監督5名の競作によるオムニバス『female』では、乃南アサ原作の短編小説を脚色・演出した「女神のかかと」(主演:大塚寧々)を発表。2006年、再びオリジナル脚本・監督した『ゆれる』が公開。カンヌ国際映画祭の監督週間に、日本映画で唯一正式出品。2006年度、キネマ旬報ベスト・テン2位、及び脚本賞、朝日ベストテン映画祭日本映画1位、毎日映画コンクール日本映画大賞、東京スポーツ映画大賞(ビートたけし審査委員長)作品賞、おおさかシネマフェスティバル日本映画1位、ブルーリボン賞監督賞などを受賞。これらの映画賞で、作品賞・監督賞部門での受賞は女性監督では史上初。また、同作の脚本は、2007年2月に読売文学賞の戯曲・シナリオ賞も受賞する。2006年、9月創刊の男性誌『月刊キング』に、コラム「モノゴト(名作)はいつもアイマイ」を連載。2007年1月にはオムニバス映画『ユメ十夜』(原作:夏目漱石)が公開。同年4月からは、読売新聞の読書委員として、日曜日(随時)に書評を執筆している。また、映画『ゆれる』を自らノベライズした同名小説(ポプラ社)が、第20回三島由紀夫賞の候補となった。2008年6月に、初の読書案内集『名作はいつもアイマイ』(講談社)を、7月にはポプラ社のPR誌『asta*』で、読切小説「1983年のほたる」、2009年1月に「ありの行列」を発表。この2篇に書き下ろし3篇を加えた、3年ぶりの単行本『きのうの神さま』をポプラ社から2009年4月15日に刊行。同作は第141回直木賞候補となり、受賞は逃すも、選考委員である浅田次郎から「はっきりと文学である」と評価された。2009年6月にオリジナル脚本・監督による長編3作目『ディア・ドクター』(主演:笑福亭鶴瓶)が公開。キネマ旬報ベスト・テンで日本映画1位、2度目のブルーリボン賞監督賞、芸術選奨新人賞など数多くの賞を受賞した。2010年、NHK-BS2で放送された『太宰治短編小説集』のうち、『駆込み訴え』(主演:清水くるみ)の脚本・監督を担当。ユダとキリストの関係を、ボランティア活動に携わる現代の女子高生に置き換えて表現している。2012年9月、オリジナル脚本・監督による長編4作目『夢売るふたり』公開。2015年には小説『永い言い訳』で第28回山本周五郎賞候補[5]、第153回直木賞候補[6]。2016年に自身により映画化[7][8]。本作で第71回毎日映画コンクール・監督賞を受賞[9]。Wikipedia:キムラ緑子故・佐木隆三の描いた『身分帳』から辿る、旭川刑務所を出所した元殺人犯の衝突と挫折『すばらしき世界』原案の復刊に寄せて 西川美和 現代ビジネス虐待で「脳の傷」ができた子ども…どのような症状が出るのか?友田 明美2020.1.31 幻冬舎 GOLD ONLINE
2021.03.14
中島みゆきさんの歌はYouTubeに上がってもすぐ削除されてしまいます。今日糸のミュージックビデオがあがっていて視聴回数1,000万回超えていてびっくり。去年8月にこの曲を題材にした映画が公開されていて、あの時期に興行収入22億円にもびっくり。ミュージックビデオを観たら面白そうで、アマゾンプライムにあがったらぜひ観たいと思います。■参考リンクWikipedia:糸 (映画)『糸』(いと)は、2020年8月21日に公開された日本映画[2][3]。監督は瀬々敬久、主演は菅田将暉と小松菜奈[2]。平成元年に生を受けた2人の男女が出逢いと別れを繰り返し、平成の終わりに再び出逢うまでの18年間の軌跡を壮大な愛の物語として描く[2]。当初は4月24日に公開予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、8月21日に公開が延期[4][5]。公開初日の8月21日に舞台挨拶が東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで開催され、全国111の劇場に生中継された[6]。なお、正式公開より9日前の8月12日に特別先行上映が実施されている[7]。公開から1か月半後の10月12日には大感謝舞台挨拶が実施された[8]概要平野隆が中島みゆきの曲である『糸』に着想を得、原案・企画プロデュースを担当[2]。平野はこの映画を企画するにあたり、「お客様が映画を鑑賞する前だけでなく、鑑賞した後も幸せな気持ちになれる映画を作りたいと思った」と語っている[2]。そして、自身の曲が映像化されることについて、中島は「様々な方がこの曲を唄うのを耳にするたびに様々な色に彩られることに驚きを感じている。今回の映像化により新たな“糸”の姿が見られることを心待ちにしている」とコメントしている[2]。なお、撮影は2019年7月から9月および12月にかけて関東地方近郊、北海道、沖縄県、シンガポールで行われた[9]。Wikipedia:糸「命の別名/糸」(いのちのべつめい/いと)は、日本のシンガーソングライター、中島みゆきの35枚目の両A面シングルである。1998年2月4日に発売された。シングルCDに収録された2曲は、いずれもTBS系テレビドラマ『聖者の行進』の主題歌に起用された。当初はすでに発表済みだった「糸」が起用され、シングルがリリースされた5話以降は新曲の「命の別名」に差し替えられた。ドラマの終盤では「糸」がふたたびテーマ曲となっている。シングルCDとしてのセールスは前作に及ばなかったものの、2曲目「糸」は1992年のアルバム『EAST ASIA』から20年以上経過した、2010年代に大きな支持を受けるに至り(後述)、2017年にはJASRAC賞(著作権使用料分配額)の金賞(=年間1位)を獲得した[2]。糸「糸」は元来、天理教の4代真柱・中山善司の結婚を祝して1992年に作られた楽曲であった[4]。中島はほどなくしてこのパワー・バラードをレコーディングし、通算20作目となるスタジオ録音作『EAST ASIA』を締めくくるナンバーとして同年の10月に公式に発表した。このアルバムに収録された曲のベーシック・トラックは全般的に日本国内で録音されたものだったが、のちにコーラスとストリングスがハリウッドのキャピトル・スタジオ(英語版)で追加されている[5]。この曲のコーラスも海外で録音されており、『EAST ASIA』の表題曲の弦編曲を担当したデヴィッド・キャンベルの配偶者だったレイヴァン・ケーン、1970年代からセッション・シンガーとして活動しているザ・ウォーターズによって歌われている[6]。この曲は2004年に、Mr.Childrenのフロントマン櫻井和寿とプロデューサーの小林武史が結成したチャリティ・プロジェクト、Bank Bandのカヴァー・アルバム『沿志奏逢』で取り上げられた。彼らのカヴァーはシングルとしてリリースされなかったものの、翌年に住友生命のコマーシャルに使用され[7]、これを機に楽曲そのものの存在が広く認知されるようになった。さらに世間一般に知られるようになったのは2013年頃、バラエティー番組でBGMやカバーされたりすることがきっかけとなったようだ[8]。2020年現在、のべ30組以上のアーティストによって相次いでカヴァー・ヴァージョンが商品化され、中島によるオリジナルも複数のテレビドラマやコマーシャル、イベントなどでたびたび使用されている[9]。日本音楽著作権協会(JASRAC)の著作権使用料分配額(国内作品)ランキングで2015年度の年間3位[10]、2016年度の年間1位[11]、2017年度の年間4位[12]、2018年度の年間3位[13]、2019年度の年間3位[14]を獲得した。2016年JASRAC賞銅賞を[15]、2017年金賞、2019年銅賞[16]、2020年銅賞[17]をそれぞれ受賞した。2017年にはJOYSOUNDの年間カラオケランキングで2位となった。2018年2月度日本レコード協会リリースにおいて、(着うたフル+ネット配信)でのミリオンに認定された。2002年4月のフル配信開始から15年10か月かかっており、既往の記録であった中島美嘉「雪の華」(13年0か月)を抜き、史上もっとも長い年月をかけてフル配信ミリオンに到達した楽曲となった。2020年、本楽曲に着想を得た映画『糸』(監督:瀬々敬久、脚本:林民夫、主演:菅田将暉・小松菜奈)が公開された[18]。中島の楽曲が映画のモチーフになるのはこれが初めて[19]。
2021.01.30
天気予報を見ても小夏日和という言葉が使われるほど、先日は夏とは言わないまでも生暖かい暑さで驚きました。沖縄では小夏日和という言葉があるそうですが、地球温暖化で今後本州でもそんな言葉が一般化するのか。ところで、小が頭に着く日和は春だけです。サトウハチローさんの歌もちいさい秋みつけたですし、小秋日和や小冬日和はありません。ゴロが良くないし、そういったシーンがイメージしづらいからなのか。小夏といえば、私が思い出すのは蒲田行進曲で、松坂慶子さんの演じた小夏役です。公開の1982年公開時に、たしか錦糸町の楽天地の江東劇場の建て替え前の古いビルで、映画館わきのたこ焼きの屋台でたこ焼き買って食べながら、この映画を観たときはどの役者さんもパワフルで衝撃を覚えるくらい感動しました。先日荷物の整理をしていたらDVDを見つけましたので観たいと思います。何回観てもいい映画です。予告編と荻昌弘さんの解説をご紹介します。■参考リンク小春日和というより小夏日和の暑さからの初冬の寒さ饒村曜 | 気象予報士11/21(土) 4:00 Yahoo!ニュース抜粋日本海低気圧に向かって強い暖気が北上 日本海北部から北海道にかけて前線が停滞し、この前線に向かって暖かい空気が流入しているため、西日本を中心に晴れて暖かい週明けとなりました。 その後、前線上に低気圧が発生し、発達しながら北海道を通過しましたので、週半ばは西日本や北陸を中心に、11月としては記録的な暑さとなりました。 気象庁は全国の920地点で気温の観測をしていますが、11月19日に冬日(最低気温が氷点下となった日)を観測したのが7地点(全体の約1%)に対し、夏日(最高気温が25度以上の日)を観測したのが253地点(約28%)と圧倒的に多くなっています(図1)。図1 夏日と冬日の観測地点数(11月13日~20日) 11月20日は、前日ほどではありませんが、西日本や北陸を中心に、記録的な暑さが続いています。 県庁所在地での最高気温は、那覇28.0度、金沢26.6度、徳島25.7度、長野25.5度、高知25.3度、奈良と富山25.0度となり、いずれも夏日となっています。 そして、11月20日は、徳島、長野、奈良、富山における観測史上最も遅い夏日となりました。 晩秋から初冬に、高気圧におおわれて風が弱く、日射があると気温が上昇して過ごしやすい春のような天気となることがあります。 これを「小春日和」といい、厳しい冬に向かって寒くなっているときに、ほっとした暖かさとなるのですが、令和2年(2020年)は暖かすぎます。 「小夏日和」と呼んだ方が適切な暖かさです。 「小春日和」と「小夏日和」 気象現象としての「小春日和」は、日本だけでなく外国にもあります。 ただ、国民性の違いなのか、晩秋から初冬の寒さの中の暖かさは、アメリカでは「インディアン・サマー」、イギリスでは「セント・マーチンの夏」、フランスでは「サンマルタンの夏」、ドイツでは「老婦人の夏」、ロシアでは「女の夏」と夏に例えています。 欧米人にとっての過ごしやすい季節は、夏であるのかもしれませんが、日本の夏は気温が高いことに加えて、湿度が高いため、日本人は、過ごしやすい季節は春と考えている人が多いために違いがでていると思われます。 ただ、沖縄には、昔から「10月夏小(ジュウグヮチナチグヮー)」という言葉があります。 これは、旧暦10月の立冬の頃(11月7日頃)の前後数日間、北東の季節風がやみ、時には穏やかな快晴となって最高気温が30度前後にまで上がるときの言葉です。 夏小を逆にすれば小夏です。 近年、沖縄の新聞やテレビで「小夏日和」が使われていますが、地球温暖化が進めば、沖縄以外の地方でも、使われるかもしれません。小夏日和2011年11月03日16:40 石垣島リアルタイム情報 写真あり EMERALD GREEN文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”インディアンサマー (Indian summer)Wikipedia:蒲田行進曲小夏演 - 松坂慶子10年前に映画で主演を張っていたが現在は売れなくなった女優。現在は女優の仕事自体はほとんどない様子だが、時々撮影所に訪れることがあるため、スタッフや俳優たちとも顔なじみ。物事を勝手に決めてしまう銀四郎の言動に振り回されそのたびに傷つけられるが、彼を愛する気持ちが強い。銀四郎の子を宿し妊娠4ヶ月の身体で彼に命じられてヤスと結婚した後は、主婦となり夫婦生活が上手くいくように夫を支える。恋愛においては男に尽くすタイプで、好きな男のために何かをしてあげたいという思いが強い。家事全般が得意。銀四郎演 - 風間杜夫スター俳優で、小夏の恋人。周りから『銀ちゃん』と呼ばれている。仕事場ではヤスたち数人の大部屋の役者を従えて威張っている。プライドが高く豪快で手荒い性格で日常的に傍若無人に振る舞うが、意外と打たれ弱い所がある。小夏からはその性格を「純粋過ぎて子供がそのまま大人になったような人」と評されている。また、普段から声が大きくべらんめえ口調のような話し方と大げさな芝居臭い表現を用いるのが特徴。見た目に違わず私服は派手な物を好み、愛車のキャデラックの車体もカーステッカーを貼りまくっている。ただし車の免許は持っていない。ヤス演 - 平田満大部屋俳優。銀四郎の舎弟的存在。10年間売れない役者をしながら、仕事場での銀四郎の世話をする生活をしている。銀四郎をかなり慕っているが、彼が思いつきで色々と命じるため気苦労が絶えない。真面目で健気で役者の仕事にひたむきな性格だが、銀四郎との生活で愛想笑いが癖づいている。ジェームス・ディーンに憧れており自宅アパートの壁にポスターを貼っている。元々女優としての小夏のファン。ほどなくして銀四郎の子を妊娠中の小夏と結婚した後は、斬られ役の端役やスタント役などの一役数千円のバイトで日銭を稼ぐ。製作企画舞台の段階から各社で映画化の争奪戦があり[5]、企画は東映プロデューサー・佐藤雅夫と書かれた文献もある[6]。つかこうへいが自ら監督してフジテレビ資本で映画化するという構想が最初だったが[5]、往年の松竹蒲田をタイトルにした作品とあって、松竹ではこれを他社でやられては会社のメンツに関わると、執拗に映画化権獲得に動いた[5]。つかは『蒲田行進曲』の映画化より1982年の大晦日にテレビ東京が紅白歌合戦にぶつける『つか版・忠臣蔵』を製作することに賭けていて、出版元の角川書店が、この番組の大手スポンサーに付くことと引き換えに、つかから『蒲田行進曲』の映画化権を取った[5]。角川春樹は仲の良い東映社長の岡田茂に東映での映画化を提案したが[7][8][9]、岡田から「楽屋オチの話なんて誰が見るのか」と断られた[7][8][9]。これを聞いた松竹が角川に猛アタックし[5]、角川から、企画、製作、宣伝もすべて角川方式にするという条件を飲まされ、映画化権を得た[5]。東映に顔の利く角川が原作の舞台になっている東映京都の太秦撮影所を使うことを決めた[5]。当時の日本映画界を席捲していた角川映画とやっと念願の提携を果たした松竹であったが、撮影は松竹の撮影所でなく、あえて東映の京都撮影所で撮影するという異例の試みが取られた[2][10][11]。弱体化したにっかつが、他社のテレビ映画などに撮影所をレンタルした例はあるが、メジャー映画会社同士で他社の作品を撮影するのは、映画界始まって以来の珍事[5]。監督も東映出身の深作欣二であり、こうしたねじれがあったせいで最初は東映側、松竹側の双方で軋轢があったという[11]。もともと『蒲田行進曲』は松竹の蒲田撮影所を舞台としているものの、つかこうへいは東映京都撮影所の大部屋俳優である汐路章の階段落ちの逸話をテレビ『徹子の部屋』で汐路が語ったことで知り、モデルに執筆したものであり[12][13]、実際は時代劇全盛期の東映京都の話として描かれている[14][15]。撮影時の東映京都撮影所の所長だった高岩淡は、劇中の「銀ちゃん」は東映の「錦ちゃん」こと中村錦之助(萬屋錦之介)をイメージしたようだと語っている[16]。監督深作欣二は1981年の『青春の門』撮影後に、松坂慶子主演・野上龍雄脚本で、五木寛之原作の『朱鷺の墓』を映画化したいと松竹の織田明プロデューサーに要請し[17]、金沢のシナハンも終え、カナダロケの段取りをつけるなど、かなり製作が進んだ段階で、深作と野上が『朱鷺の墓』の製作中止を織田に申し出た[17]。後処理の難航で、松竹はかなりの損害を被ることが予想されたため、織田が二人に代替案を要求し[17]、野上が『魚影の群れ』を、深作が田辺聖子原作の『休暇は終わった』と松竹が企画として挙げていた本作『蒲田行進曲』を出していた[17]。深作の監督就任で製作が一気に進んだ[17]。キャスティング配役は松竹作品ということで、まずヒロインの小夏に松坂慶子が起用された。銀四郎とヤスについては難航し、プロデューサーの角川の提案で松田優作に銀四郎役の出演依頼がなされたが松田は辞退し、結局スケジュールの余裕がなくなったことから、つか作品の舞台に数多く出演していた風間杜夫と平田満が主役に起用され、結果的に2人の出世作となった[18][19]。風間が深作に指名されたのは撮影直前のことだった[20]。松竹の幹部は風間も平田も知らなかった[21]。また、映画でキャリアのない平田に対して深作は「舞台のままにやってくれたらいい」と気遣ってくれたという[22]。撮影有名な"階段落ち"の階段は、芝居では階段のセットはなしで上演されたが[23]、映画では実際に階段落ちをやった。東映京都スタジオに高さ約8m、35段の階段セットを組み、1982年8月13日に撮影が行われた[23]。スタントも最初は平田満自身がやる予定だったが[24]、舞台も控えていて深作が「ケガはさせられない」と言ったため[24]、平田には上から6段だけ落ちてもらい[23]、以降の29段はJAC所属の猿渡幸太郎がやった[23][24]。階段のへりにゴムをはり、ウエットスーツを着てのスタントであった。京都ロケでは、当時中学生だった桧山進次郎がセリフなしのエキストラとして出演していた。深作は「デビュー当時、岡田茂にいわれた映画の三要素"泣く、笑う、(手に汗を)にぎる"の三拍子が揃った」と自負した[25]。作品の評価興行成績上述の通り、岡田茂は角川に「ヒットしない」と言ったが[2][8][9]、配給収入は17億6000万円と大ヒットを記録[26]。アンコール上映も行われた[2]。それまで角川映画は大量宣伝によりヒットしていた一方で、話題先行で質が伴わないという風評があったが、本作によってようやく作品的にも評価されるようになり[14][27][28]、第6回日本アカデミー賞をはじめ映画界の各賞を多数受賞した。大量の宣伝スポットによりヒットしてきた角川映画において、口コミ中心で面白さが伝わり大ヒットしたことも角川映画としては異例であった[26]。
2020.11.21
おととい、竹内結子さんのニュースをYahoo!ニュース一覧で見たときは最初、年齢からしてありえないし、似たような芸名の人の見間違いかとびっくりしました。若くしてご家族を残されてのことでいろいろなことがあったと思います。心からご冥福をお祈り申し上げます。竹内結子さんの作品で心に残るのは以前ご紹介したした「いま、会いにゆきます」とともに、「黄泉がえり」があります。なぜか2つとも死者がよみがえる心温まる話です。黄泉がえりでは、自分が大切に思っていた人たちがある自然現象をきっかけによみがえります。小さい子供を残して亡くなった母、小さい頃に亡くなった子、妻子を残して亡くなった夫、いじめを苦にして亡くなった中学生、それぞれが感動的な話で今でも鮮明に覚えています。特に北林谷栄さんの演技とか。予告編を探すも見当たりませんでしたが、吉田隆之さん作の「追悼 竹内結子さん 黄泉がえり メイキング「月のしずく」RUI」をYouTubeで見つけました。物語がよくまとまって様々なシーンがよみがえり、本編とともにお勧めです。2020.9.30リンク切れにより削除しました。ニコニコ動画に同じものがあったので再度掲載します。大切な懐かしい人に会いたいという多くの人が持つ気持ちをスクリーンの中でかなえてくれる傑作だと思います。10年以上前にこの作品をみて石田ゆり子さんのファンになりました。柴咲コウさんの歌も聴かせます。2021.2.3リンク切れにより一部差し換え。2022.12.30リンク切れにより差し替え、内容の追加。2024.3.17リンク切れにより削除、内容の追加。ニコニコ動画:黄泉がえり 「月のしずく」 RUIしかし、この作品から20年近く経過してあらためてキャストを見ると、トラブルにまきこまれたというかトラブルをまきおこしたというか、そんな俳優さんが少なくないように思います。まあ、人間20年も順風満帆で生きる人の方が少ないような気もしますが。伊東美咲さんもかわいいです。田中邦衛さん、忍足亜希子さんとのシーンが一番感動的でした。Wikipedia:忍足亜希子忍足 亜希子(おしだり あきこ、1970年6月10日 - )は、日本の女優。北海道千歳市出身。聴覚障害を有する。来歴青葉学園短期大学卒業。銀行勤務を経て、1999年に公開された映画『アイ・ラヴ・ユー』で日本最初の聾唖の主演女優として、オーディションで選ばれデビューする。舞台『嵐になるまで待って』での共演をきっかけに交際していた演劇集団キャラメルボックス所属俳優の三浦剛(元プロ野球選手で馬主の三浦大輔の実弟)と、2009年11月11日に入籍。2012年3月7日に第1子の女児を出産した[1]。2019年1月より、SHOWROOMにて手話と筆談でのトーク番組の配信を開始[2]■参考リンクWikipedia:黄泉がえり『黄泉がえり』(よみがえり)は、1999年に発表された梶尾真治の小説、2003年に映画化された。本項では、同じモチーフのテレビゲーム作品についても扱う。概要タイトルは、死んだ人が黄泉(よみ)から帰って来るという意味[1]。熊本市およびその周辺で突如発生する、死んだはずの人が蘇ってくるという超常現象をベースに、人々の絡み合いを描く物語である。小説は『熊本日日新聞』土曜夕刊に、1999年4月10日から2000年4月1日まで連載された。作者が熊本出身・熊本在住だということもあり、作品中には熊本市内の実在の地名が数多く登場する。新聞連載時にはSF色を排除した構成になっているが、これは一般夕刊紙であることを意識したものと考えられている。単行本(『黄泉がえり』 新潮社 2000年10月 ISBN 4-10-440201-X)として刊行される際に、「彼」に関する記述が加えられた。同じ状況設定で別の視点による短編として「黄泉びと知らず」[2]がある。こちらは「詠み人知らず」の語呂合わせ。また、台湾の出版社より『黄泉歸來』のタイトルで中国語訳が出版されている。さらに2017年7月1日から「熊本日日新聞」土曜夕刊で、続編「黄泉がえりagain」が連載開始。2016年に発生した熊本地震後の熊本都市圏を舞台に「パワーアップした黄泉がえり」が起こるという設定である。挿絵は村井けんたろうが担当[3]。こちらは2019年3月に単行本化された。「黄泉がえり」には、「益城町下を走る布田川活断層の熊本市寄りの地域」で「震度7の揺れ」が起きるという、まるで2016年に発生した熊本地震を予言したかのような設定がある。作者も周囲の人たちから予知だったのではと言われて「自分でもぞくっとした」が「でも偶然だよ」とのこと[3]。なお、梶尾が続編執筆を考えたきっかけは、熊本地震だった。前作のラストでは黄泉がえった人たちが地震を止めるが、「あの人たちがいたら、今回の熊本地震は起きなかったかも…」と考えたという[3]。劇場映画版は2003年に公開された。原作小説と同じ超常現象を扱いながらも、視点が異なる。また、同名キャラクターでも設定が異なっていたり、似たような設定のキャラクターでも名前が異なっていたりするため、以下、小説版・映画版のキャラクターを別々に解説する。キャスト斉藤幸子演 - 伊東美咲聾学校教諭。聾者で体が弱かった母が自分を出産した後に亡くなったことを、ずっと気に病んでいた。母と再会し、感謝の思いを伝えることが出来た。斉藤医師演 - 田中邦衛葵がカウンセリングを受けている医師で、幸子の父。突然黄泉がえった妻に、微笑みながら手話で話しかけるシーンが印象的。斉藤園子演 - 忍足亜希子斉藤医師の亡き妻であり、幸子の母。命の危険を冒して娘・幸子を出産した、強い意志の持ち主。黄泉がえった後、生前にできなかった幸子との再会を果たす。アサ芸プラス Posted on 2020年9月30日 16:40「急逝」竹内結子さん、出演映画を巡る“謎の連鎖”を原作者が呟いていた 2008年に放送されたTBS系ドラマ「ブラッディ・マンデイ」がネットをざわつかせたのは少し前のこと。このドラマに出演していた俳優・藤木孝さんが9月20日、東京都内の自宅で死亡。自死とみられるが、このドラマの出演者が相次いで亡くなっているのだ。「このドラマに出演していた三浦春馬さんは7月18日、芦名星さんは9月14日に亡くなり、それぞれ自死とみられています。同じ作品でこれだけ悲報が続くと、何か恐ろしさを感じる人がいても無理はありません」(芸能ライター) 女優・竹内結子さんが9月27日、東京都渋谷区の自宅マンションで亡くなり、こちらも自死とみられているが、同じようにネットをざわつかせているのが2003年の映画「黄泉がえり」。彼女が出演した同作では、「出演者のトラブル」が続いていたのだ。映画の原作である同名小説の著者、梶尾真治氏は9月9日、ツイッターに「映画『黄泉がえり』に出ていた人々は、呪われたように次々に警察ざたになっていくなあ」と不思議そうに綴っていた。「もっとも、これは映画に出演していた伊勢谷友介被告が法律違反の薬物所持で逮捕された翌日のつぶやきです。『黄泉がえり』の出演者は確かにトラブル続きで、06年7月、極楽とんぼの山本圭壱が未成年少女に絡んだ騒動で所属事務所を解雇、09年4月、主演の草なぎ剛が泥酔状態で警察に逮捕されています。それから11年後に伊勢谷被告の一件があり、それで呟いたわけですが、竹内さんの悲報が伝えられた後に梶尾氏のつぶやきを知ると、悲報についてはトラブルとは言えませんが、一瞬、“連鎖”のようなものを感じてしまいますね」(前出・芸能ライター) 偶然のこととはいえ、様々な形で波紋が広がるほどに、竹内さんの突然の訃報の衝撃は大きいと言える。(鈴木十朗)「黄泉がえり」は呪いの映画!? 原作者が嘆きのツイート「次々に警察沙汰になっていくなあ」2020年09月10日18時55分 JCASTニュース
2020.09.28
ぽすれんDVDで視聴。セリフの一言一言が胸に刺さり、19歳の二階堂ふみさんの持ち味が存分に出た作品です。結婚したが子供のいない主人公の永作博美さんがが巻き込まれるトラブルを、継母の49日に絡めて描いてます。ともすれば重くなりがちな話を二階堂さんの不思議ちゃん系のキャラで最初から最後まで陽気で明るくしてくれてます。ホノカアボーイで観た岡田将生さんが出演してます。そういえばホノカアボーイのテーマもこれと同じく食とフラダンスでした。監督や脚本家、原作者が同じかと調べましたが、違いました。観終わって暖かい気持ちになれる文字通りハートウォーミングな、お勧めの作品です。二階堂ふみさんの作品ランキング1.四十九日のレシピ2.ジヌよさらば〜かむろば村へ〜3.翔んで埼玉4.この国の空■参考リンクWikipedia:四十九日のレシピ概要デビュー作でポプラ社小説大賞特別賞を受賞した作者の長編2作目。昭和を生き抜き、平成時代にその生涯を終えた女性の人生を通して、残された家族が悲しみや心の傷を抱えながらも生き方について考え、人生の再生に向かって生きていく物語。作者が親類の法事の際に聞いた「四十九日の法要が、死者の魂があの世へ旅立つ用意をしている期間に行われるもの」という僧侶の言葉が作品作りのきっかけになっている。またレシピという言葉に料理の作り方のほかに処方箋という意味があることがタイトルの由来になっている。キャッチコピーは「わたしがいなくなっても、あなたが明日を生きていけるように。大切な人を亡くしたひとつの家族が、再生に向かうまでの四十九日間。」あらすじ愛知県に住む熱田良平の妻、乙美が突然亡くなった。二週間後、生きる気力を失っていた熱田のもとに、日焼けをした黄色い髪の女子・井本が訪れる。井本は乙美から頼まれていた四十九日までの細々とした家事などを引き受けに来たと話し、熱田に乙美が残した「レシピ」の存在を伝える。そこへ結婚し、東京で生活を送っていた娘の百合子が疲れ果てた様子で帰ってきた。彼女はある出来事から結婚生活が破たんしたことを知り、離婚届を残し実家に戻ってきたのだった。熱田と百合子、それぞれ心に傷を負った親子が乙美の人生を知ることで、自ら立ち直っていくまでの四十九日間を互いの視点から描いていく。
2020.08.24
ほすれんで視聴。今年のお盆は二階堂ふみさんの映画を中心に映画を借りました。1作目はこの国の空。前半は淡々としていてPC画面の半分で別の作業をしながら観ていましたが、後半になるとぐいぐいひきつけられ画面に見入りました。二階堂さんは裏切らない安定の演技で、ある時点を境にきれいになる女性を見事に演じてました。出演される俳優も私好みの方が多く出演されてました。工藤夕貴さんがきれいだったです。斉藤ともこさんは最初観たときは発見できなかったです。主人公の買い出しに付き合うひょうひょうとした利重剛さんの演技に好感が持てました。戦争映画ですが戦闘シーンはありません。明日生きていられるか保証されない時代に生きた若い女性の正直な気持ちを描いたニッチでユニークな視点の戦争映画の佳作だと思います。1作目はこの国の空。Yahoo!の評価が3.2に対し、アマゾンは3.9と別れますが、自分としては4.1。地味ですが、観終わったあと、考えさせられる作品です。この国の空■参考リンクWikipedia:利重剛利重 剛(りじゅう ごう、1962年7月31日 - )は日本の俳優、映画監督。クォータートーン所属。神奈川県横浜市鶴見区出身。成蹊高等学校卒業、成蹊大学中退。母は小山内美江子。妻は元プリンセス プリンセスの今野登茂子。作家の鷺沢萠は元妻。来歴・人物高校時代、母が『3年B組金八先生』の脚本を執筆することになり、友人たちを集めて話し合いの場を作り、実際の10代の率直な意見として母に数々の助言をした。1981年、自主製作映画『教訓I』が、ぴあフィルムフェスティバルに入選(同年の入選者には黒沢清、松岡錠司、緒方明、手塚眞らがいる)。同年、『近頃なぜかチャールストン』のプロットを岡本喜八に持ち込み、映画化され、主演・共同脚本・助監督を務める。監督の一声で集まった超豪華俳優陣と堂々と渡りあう芝居で中井英夫らの賛辞を受けた。1996年には『BeRLiN』で日本映画監督協会新人賞を受賞。
2020.08.15
先日、大林宣彦監督の火曜サスペンス麗猫伝説(入江たか子, 入江若菜さん主演)が11月にDVDで発売になるとのニュースを見ました。入江たか子さんといえば、先日石井妙子さんの原節子さんに関する本を読んだとき、美人の戦前の大女優で、原さんが見本にされていた方ですが、戦後は化け猫を演じるなど大きな変化があり、原さんがすっぱり引退を決めた理由の一つにもなっていたとのことで、関心がありました。レンタルになったら、同じ大林監督、秋吉久美子さん主演の可愛い悪魔と一緒に観たいと思います。入江たか子さんは大林宣彦監督の時をかける少女にも出演されています。え?と思いましたが、参考リンクのKiki's random thoughtsさんに詳しい画像、説明があります。たしかに温室シーンで上原謙さんと一緒の女性がいらっしゃいました。大林監督の若い頃のあこがれの女優さんだったのかなと思います。大林監督の遺作海辺の映画館―キネマの玉手箱が、好評で、上映館を増やすようですが、錦糸町にも来たら観たいと思います。■参考リンク大林宣彦監督による「火曜サスペンス劇場」の傑作ミステリー『麗猫伝説』DVDが2020年11月に発売決定! TSUBURAYA STATION長い歴史を誇る「火曜サスペンス劇場」の中でも屈指の傑作ホラーとして名高い円谷プロ製作『可愛い悪魔』のDVDが2018年2月に発売! TSUBURAYA STATION時をかける少女:Kiki's random thoughts大林宣彦監督の遺作、満席続出 17館→69館の拡大公開へ 2020年8月3日 19時22分 シネマトゥデイ妻・恭子さんが語る大林宣彦監督と歩んだ60年と遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」2020/08/02 15:18 gooニュース大林宣彦監督、死去 時をかけ抜けた“信念3部作” 新人を世に送り出し、往年女優よみがえらせた“日本映画界の巨匠” ZAKZAK抜粋新人女優を世に出すだけでなく、往年の女優もよみがらせた。『時をかける少女』で原田の母を演じたのは「宮本武蔵」シリーズでお通を演じた入江若葉さん。その後、大林さんはドラマ『麗猫伝説』で入江さんの母で、化け猫女優といわれた入江たか子さんとの母娘共演を実現させた。Wikipedia:入江たか子入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼうじょう ひでこ)、1911年(明治44年)2月7日 - 1995年(平成7年)1月12日)は、明治から昭和期の日本の映画女優。
2020.08.03
高校生の頃、TVで観てダイナミックスさに感動した作品です。あの頃は面白そうな映画が公開されると、TVで放送されるのを楽しみにしてました。3人の主人公も魅力的で、主題歌も良かったです。違う俳優さんで新・明日に向って撃てという映画もあったようですが興行収入的にはパッとしなかったようです。2020.12.30リンク切れにより差替え。■参考リンクWikipedia:明日に向って撃て!『明日に向って撃て!』(あすにむかってうて、原題: Butch Cassidy and the Sundance Kid)は、1969年公開のアメリカ合衆国の映画。実在の銀行強盗ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドに取材した西部劇。概要アメリカン・ニューシネマの代表作の一つとされる。ストップモーションを効果的に使用したラストは映画史に残る名シーンとして知られ、主題歌「雨にぬれても」もヒットした。2003年、アメリカ国立フィルム登録簿に登録された。当初はポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンが折半してゴールドマンから脚本を買い取り、ニューマンはサンダンス・キッド役で出演する予定だったが、マックイーンが都合により出られなくなった。その後、ジョージ・ロイ・ヒル監督の薦めでニューマンはブッチ役となり、サンダンス役にはニューマンの妻の薦め(ニューマンによる述懐で諸説ある)で、当時まだ無名であった ロバート・レッドフォードが起用された[1]。Wikipedia:新・明日に向って撃て!
2020.06.28
Amazonプライムビデオで視聴。仕事が一段落して、かねてから観たかったふるさと を観ました。ダムの底に沈む村の人びと、奥さんに先立たれた認知症の老人、アユ釣りを老人に教えてもらう少年を描きます。派手なシーンはありませんが、知らずに美しい映像とストーリーに引き込まれ、あっという間に1時間46分が過ぎ去ります。古き良き日本の人びと、暮らしに出会える作品です。わかっていてもなかなか実践できない認知症対応のヒントに気付かせてもくれます。観終わった後、将来、ってかそんなに先でないですが、ひとり身で認知症になって自分のコントロールが不能になったらどうなるんだろうと考えさせられました。お勧めの作品です。樫山文枝さんはこれを演じたとき42歳ですが、若くて美しいです。長門裕之さんといい夫婦を演じています。加藤嘉さんはこの9年前に砂の器に出演され、中学生の時に観ましたがその演技に衝撃を受けました。一シ-ンを観てこの映画はそれと対をなす加藤さんの代表的な作品だと思いました。岡田奈々さんも少しだけ出演されています。岐阜つながりでご縁の出演でしょうか。前田吟さんは先生役です。■参考リンクWikipedia:ふるさと (1983年の映画)『ふるさと』は、1983年公開の神山征二郎監督、加藤嘉主演の日本映画。揖斐川の上流部、徳山ダムの建設でやがて湖底に沈みゆこうとしている岐阜県揖斐郡徳山村(現揖斐郡揖斐川町)を描く。徳山村の出身で、同地で分校の先生をしていた平方浩介の著書『じいと山のコボたち』(童心社)を映画化したもの。痴呆症の老人と少年の親交を描きながら、消え行く徳山村の美しい自然を表現している。文化庁優秀映画奨励賞など多数の賞を受賞し、主演の加藤嘉がモスクワ国際映画祭の最優秀主演男優賞を受賞した。その他撮影のロケ地として、伝三らの家は戸入地区が、商店街は本郷地区が使われた。長者ヶ淵という場所は現実には実在しないため、門入地区より奥にある長者平が使われたと言われている。この映画が製作された当時はまだ徳山ダムの工事は本格的に始まっていなかったため、工事現場及びダイナマイトでの発破音は徳山村以外での映像が使われたと言われている。この映画の記念碑が徳山村中央部に建てられたが、ダム湖底水没のため、徳山会館に移設された。主演の加藤嘉の演技があまりに自然だったため、モスクワ映画祭の審査員たちは、俳優が演技しているのではなく、本当に痴呆症の老人を使って撮影したと思っていたという。2013年、この映画の上映30周年を記念して12月6日にDVD化され発売された。
2020.06.23
アマゾンプライムビデオで視聴。5年前に良い映画だと友人に評判を聞き、レンタルで旧作になったら観ようと思っていて忘れていた作品です。結果は今年一番の作品でした。特に一番最後の特典映像の監督はじめ出演者へのインタビューが良かったです。ナンシー・マイヤーズ監督はホリデイの監督も務めていて、高齢者の生きがい、雇用、恋や、妻が夫よりも出世したり稼ぐのが、珍しくなくなってくることによる葛藤といった時代に合ったテーマで人物を深く掘り下げて描いています。70歳のロバート・デ・ニーロは、若い人のためになるアドバイスして信頼され、自身の恋を成就させ、自分の生き方の手本にしたいですが、なかなか道は険しいです。お勧めの作品です。90年ころは男女の賃金格差は倍近くありましたが、その後重工長大産業の衰退や介護等サービス産業の発展等様々な要因で縮まっています。自分より奥さんの年収が上回った時、どうやってプライドを保つのか、これからの男性はいろいろ大変です。男女賃金格差 図6-2 賃金■参考リンクWikipedia:マイ・インターン『マイ・インターン』(原題: The Intern)は、2015年にアメリカ合衆国で製作されたコメディ映画。監督・脚本・製作をナンシー・マイヤーズが、主演をロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイが務めた。ストーリーニューヨークでファッション通販サイトを運営している女社長のジュールズは、短期間で会社を拡大させることに成功し公私ともに順調な毎日を送っていた。そんな彼女の会社にシニア・インターン制度で採用された70歳の老人ベンがやってくる。若者ばかりの社内で当然浮いた存在になってしまうベンだったが、いつしか彼はその誠実で穏やかな人柄によって社内の人気者になっていくのだった。一方その頃、ジュールズには公私ともに大きな問題が立ちはだかっていた。双方において大きな決断を迫られた彼女は、誰にも自身の気持ちを打ち明けることができず苦しい日々を送っていたが、そんな彼女を救ったのは他でもないベンだった。ベンの温かな励ましを受けていくうちに、いつしかジュールズも彼に心を開くようになっていく。ベンの言葉から勇気をもらったジュールズは、目の前に立ちはだかる数々の難問に立ち向かっていく決意をする。興行収入本作は2015年9月25日に全米3305館で公開され、公開初週末に1772万ドルを稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場2位となった[5]評価本作に対する批評家の評価は肯定派優勢の賛否両論となっている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには151件のレビューがあり、批評家支持率は60%、平均点は10点満点で5.7点となっている。サイト側による批評家の意見の要約は「『マイ・インターン』は上司が女性で部下が男性という時流に即したテーマを十分に掘り下げることができていない。しかし、ハサウェイとデ・ニーロという意表を突く組み合わせがいい雰囲気を作り出している。」となっている[6]。また、Metacriticには36件のレビューがあり、加重平均値は51/100となっている[7]。なお、本作のシネマスコアはA-となっている[8]。
2020.06.22
Amazonプライムビデオで視聴。最近日本列島の北から南から小さな地震が頻発しています。4月にPCのデスクトップに設置した強震モニタExtensionがピコピコして結構うるさいです。映画日本沈没は2006年のリメイクは観ましたが、1973年のオリジナルはまだでしたが、Amazonプライムビデオで始まったので視聴。2006とストーリーが少しちがっていますので、両方観れば両方の良さを味わえます。結末的には2006のほうが現代的で好きです。1973年の時点でこれだけ壮大なSF小説を書かれた小松左京先生の偉大さに驚きます。頻発する地震が大事に至らず収束すればよいと思います。2022.8.23リンク切れにより差し替え。■参考リンクWikipedia:日本沈没抜粋物語197X年夏。小笠原諸島の北にある無名の小島が、一夜にして海底に沈んだ。地球物理学者・田所雄介博士は、ただちに現地調査に赴く。深海調査艇「わだつみ」号の操艇者・小野寺俊夫、海洋地質学者の幸長助教授と共に日本海溝[注 2]に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。折しも伊豆半島付近で地震が発生し、それに誘発されて天城山が噴火したため、内閣では地震学者との懇談会を開いて意見を聞くことになった。その席に招かれた田所は、「日本がなくなってしまう」可能性を口にするが、学者仲間の失笑を買うだけだった。だが、政財界の黒幕である渡老人は田所の説に興味を抱き、その説を検証するため、首相を呼びつけ、極秘裏に「D計画」を立ち上げさせる。D計画に集った田所、幸長、小野寺、情報科学者の中田一成らは、やがて一つの結論に達する。それは、日本列島近傍のマントル流に急速な異変が起こっており、その結果として「日本列島は最悪の場合2年以内に、地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈没する」というものだった。一方、渡老人は、比較文明史学者の福原教授らに依頼して、日本人の国外脱出とその後に関する計画を策定させる。その間にも京都、ついで東京が相次いで巨大地震に襲われ、富士火山帯の火山が相次いで噴火するなど、異変は着実に進行していた。田所は危機が迫っていることを国民に知らせ、そのことに対する国民の反応を見るために、わざと週刊誌とテレビで情報を暴露し、D計画を去る。その後のコンピューターによるシミュレーションで、日本沈没は10か月以内に迫っていることが判明し、ついに首相は、日本沈没の危機が迫っていることを国会演説で発表する。休火山[注 3]までが活動を始める中、精鋭スタッフたちは死に物狂いで全国民の国外脱出計画「D-2」を遂行し、日本人を続々と海外避難させる。一方、敢えて国内に留まり日本列島と運命を共にする道を選択する者もいた。四国を皮切りに次々と列島は海中に没し、北関東が最後の大爆発を起こして日本列島は完全に消滅する[注 4]。1973年の映画東宝映画・東宝映像の製作、東宝の配給で1973年12月29日より正月映画として公開。東宝の田中友幸プロデューサーによって、小説の刊行前から映画化の企画は進められており[2]、「映画化のあと、TBSでテレビドラマ化する」という契約が交わされていた。このため、撮影現場にはテレビドラマ版のスタッフも2台のカメラを持ち込んで撮影参加している。監督には黒澤明作品でチーフ助監督を務めた経験がある森谷司郎を抜擢。脚本には同じく黒澤作品に参加していた橋本忍があたった。製作期間は約4か月と短かったが、約880万人の観客を動員し、配給収入は16億4000万円(1974年邦画部門配給収入1位)[3]を挙げる大ヒットを記録。中野昭慶が監督した特殊撮影もアジア映画祭の特殊効果賞を受賞する評価を受けた。本作の成功で、森谷司郎は以後、『八甲田山』など大作映画を任せられる監督の地位を確立し、東宝も本作に続く形で、『ノストラダムスの大予言』、『東京湾炎上』と、1975年までパニック映画を一つの路線として敷くこととなった[2]。アメリカ合衆国では、1975年にロジャー・コーマンのニューワールド・ピクチャーズにより『Tidal Wave 』のタイトルで公開された[4]。ハリウッド俳優を使った追加撮影も行われたが、オリジナルより大幅に短縮されている。強震モニタ Extension (Chrome, Android対応)日本海溝沿いの地震活動の長期評価の改訂から見る大地震の可能性:地震本部抜粋3.将来発生が見込まれる地震の規模と発生確率 前述の地震について、日本海溝沿いで発生しうる地震の規模とその発生確率を評価しています(表1)。マグニチュード(M)9クラスの超巨大地震(東北地方太平洋沖型)については、津波堆積物から推定した過去の地震発生年代に基づき評価した結果、平均的な地震発生間隔に対し、最新の活動である東北地方太平洋沖地震からそれほど時間が経っていないため「Ⅰランク」※となっています。一方、M7〜8クラスの地震は「Ⅱランク」や「Ⅲランク」と評価され、日本海溝沿いのいずれの領域でも強い揺れや津波などによる被害を及ぼすような地震が発生する可能性は高いといえます。 また、日本は世界的に見ても非常に地震の多い国であり、日本国内では、地震の発生確率がゼロとなる地域は存在しません。地震はどこでも発生するということを念頭に置き、本評価を自治体等の防災対策や、各家庭での防災意識の向上に役立てていただければ幸いです。巨大地震「切迫」 日本・千島海溝でM9、大津波も編集委員 久保田啓介2020/5/21 2:00日本経済新聞 電子版東北から北海道の太平洋沖に延びる日本海溝・千島海溝でマグニチュード(M)9級の巨大地震が起きるとの想定を、内閣府の検討会が公表した。過去の津波の痕跡から推定し、巨大地震は「切迫している」とも警告した。30メートル近い大津波が予想される地域もあり、住民の避難を促し被害を減らす対策が急務だ。「過去の津波の証拠を踏まえ最大クラスの地震を想定した。現実に起こりうると考えて備えを強めてほしい」。東京大学…[有料会員限定] この記事は会員限定です。電子版に登録すると続きをお読みいただけます。全国で頻発 巨大地震を引き起こす「地下深層部の異変」社会・2020/06/02 22:00 / 掲載号 2020年6月11日号 週刊実話 このところ日本各地で震度4クラスの中規模地震が頻発している。ざっとこんな具合だ――。 5月17日夜、徳島県でM4.5、最大震度4を観測する地震があった。紀伊水道を震源とする震度4以上の地震は2019年3月13日以来で約1年ぶりのこと。その2日後には福島、宮城の両県でM5.3、震度4の地震が発生しているうえ、同日昼すぎには、岐阜県飛騨地方でM5.4、震度4の地震が起きたのだ。 長野、岐阜の両県では4月下旬から群発地震が続き、4月23日には長野県中部でM5.5、震度4の強い揺れがあったばかり。なんとも不気味な現象である。 日本の地下深くで何が起きているのか。武蔵野学院大学特任教授の島村英紀氏が解説する。「東日本大震災で日本の基盤岩が動き、地下がリセットされたんです。何しろ、宮城県の牡鹿半島は5メートル東にズレたほどでした。その影響は10年から10数年後に現れるので、長野・岐阜の群発地震はその影響だと思います。日本アルプスは太平洋プレートの、列島側プレートへの沈み込みに起因する東西圧縮の場となっていましてね。東西方向の圧縮力が、上への上昇力に転化して山地が上昇し、今でも高くなっています。群発地震の発生が登山シーズンでなかったことが不幸中の幸いでした」 地震予知連絡会会長の山岡耕春・名古屋大教授によると、北アルプスは隆起に伴う変形などで地震活動が活発になることがあるという。現在の状態は1カ所で起きた地震の誘発地震が続いている状態で、「今後も最大で震度5弱程度の地震が起こり得る。建物が倒壊する揺れではないが、落下物や崖崩れ、落石には注意が必要」としている。 東西圧縮の場では現在、2027年の開業(東京・品川―名古屋)を目指すリニア中央新幹線の工事が行われている。南アルプスの赤石山地には、大規模活断層の中央構造線と糸魚川―静岡構造線が南北方向に通っている。「ひずみが溜まっているところにリニア新幹線のトンネルを掘るわけで、もし直下型の大地震が発生したら、大変なことになると思います。日本列島で震度4の地震がこれほど頻繁に発生したのは珍しい。そのこと自体、大地震が近いことを感じさせる。フィリピン海プレートの活性化に伴い、茨城県などでは立て続けに震度4の地震が続いている。震源が深かったりするため、揺れはそれほどでもなかったが、より10㎞、20㎞浅ければ、かなりの被害が出たかもしれない」(島村氏)以下略
2020.06.06
Amazonプライムビデオシネマコレクション by KADOKAWAで視聴。54年ぶりに観ましたが、古さを感じずに楽しめました。藤巻潤さんが若いです。高田美和さんがこんなにかわいかったとはびっくり。小学低学年の時に観たときは普通のあっさりとしたストーリーの怪獣映画と違って重々しく感じましたが、いま、改めて観ると、大人が観ても満足のいく時代劇に仕上がっていました。ちょっと突っ込んでみると、大魔神が立ち去るとき、空を飛んで円を描いた光を残して去っていきますが、立ち去るときのその光が同じ大映のガメラのと同じではないのかと思いました。大魔神だから歩いて立ち去っても世k去ったと思います。Wikipediaによれば大魔神の身長は4.5mとのこと。20-30mくらいと思ってましたが、2F建ての家くらいなら思ったより小ぶりです。1年で3作も作ったそうですが、残り2つも予告編を見る限りでは面白そうです。時間があれば観ようと思います。お勧めの作品です。■参考リンクWikipedia:大魔神『大魔神』(だいまじん)は、1966年(昭和41年)に大映(現・KADOKAWA)が製作・公開した日本映画の特撮時代劇シリーズ三部作、またその劇中に登場する守護神の名称。概要『大魔神』、『大魔神怒る』(だいまじんいかる)、『大魔神逆襲』(だいまじんぎゃくしゅう)の3作とも1966年に大映京都撮影所で製作され、時代劇と特撮が巧みに融合された作品である。時代劇の本場であった同撮影所で『座頭市シリーズ』や『眠狂四郎シリーズ』などに腕を振るった安田公義をはじめとする時代劇専門のベテラン監督が起用されており、時代劇としても重厚なリアリティが保たれている。各作品は独立したエピソードをもつが、日本の戦国時代にて悪人が陰謀を巡らせて民衆が虐げられると、穏やかな表情の石像だった大魔神が復活して動き出し、破壊的な力を発揮して悪人を倒すという舞台や展開を同じくする。娯楽性を追求して結集させた作風と大魔神の独特の設定で『ガメラ』シリーズと並ぶ大映の特撮映画を代表する看板作品となり、後年の漫画やアニメではしばしばパロディの対象とされ、テレビCMに採用されることもあった。日本国外では、 “MAJIN” というネーミングで知られている。1966年(昭和41年)4月17日公開。併映作は『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』。大映京都撮影所作品。京都と東京の撮影所を使い分け、同作との自社製作による特撮2本立てという興行スタイルは、円谷英二を擁した東宝すら実現できなかった、日本初のものであった。製作予算は企画副部長だった奥田久司によると1億円で、配収も1億円と大ヒットはしたものの、「結局トントンで、あれだけ苦労して利益なし」だったそうである。本作の企画書が大映本社に提出されたのは、1965年(昭和40年)の11月1週目の第124回企画会議でのことで、大映京都撮影所所長だった鈴木炤成、企画副部長だった奥田久司により、チェコスロバキア映画の『巨人ゴーレム』(1936年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督[1])で描かれたゴーレム伝説に材を採り[2]、大映京都撮影所の特撮技術を活用する旨となっている。作中の小源太や左馬之助などの人名も、奥田によるものである。大魔神の元となったのはプロットのみ存在する『ガメラ対宇宙氷人』に登場する宇宙氷人である[3]。大魔神の身長は、画面でのリアリズムを考え、黒田義之特撮監督らによって15尺(約4.5メートル)に決められた。黒田はのちに円谷プロダクションのテレビ作品に参加するが、彼によると、これは本作を観た円谷一社長から声を掛けられてのことだという。永田雅一大映社長はこの興行を前に、「日本映画界は必ず復興する」との一文を当時の新聞紙上に寄せる意気込みを見せている[要出典]。大魔神シリーズはブルーバック合成が非常に効果を上げているが、この1作目の製作に当たって永田は京都撮影所に、ヨウ素電球190個を菱形に並べた11メートル×4.6メートルの大規模なブルーバック用のライトスクリーンを購入している。交流電気ではライトに光ムラが出るため、このライトスクリーンの電源には撮影所で直流に変換した電流が使用され、万全の態勢で撮影が行われた。大映京都のベテラン撮影技師の森田富士郎によれば、当時の価格で約1000万円という巨費を投じて輸入したこの機材は、大魔神シリーズ以外には同じく京都撮影所作品の『妖怪百物語』(1968年)など、「妖怪シリーズ」を除けばほとんど出番がなかったという。キャスト花房小笹:高田美和花房忠文:青山良彦花房忠文(少年時代):二宮秀樹猿丸小源太:藤巻潤
2020.05.23
ぽすれんのDVDで視聴。40年ぶりで帰らざる日々 を観ました。学生の頃名画座で観て自分とだぶらせ、後悔の混ざったほろ苦くて甘酸っぱい青春をうまく描いていると感動しました。登場人物もそれぞれみんないい仕事してます。タイムトラベラーの島田 淳子さんが浅野真弓さんに名前が変わって健康的な感じから大人っぽくなってます。江藤潤さんと永島敏行さんの友情が印象的でした。竹田かほりさんが光ってました。この映画を観るのはハードルが高くて、DVDはもう中古しか無く、オンライン動画にも無く、結局ぽすれんで借りましたが、なぜかうちの2台のPCは認識してくれず、2台あるDVDデッキの1台でようやく観られました。結構いい映画なのにWikipedia日本語版に無く、なぜか英語版があったりとかよくわかりません。小さな古い名画座で感傷にふけりながら観るのがふさわしい青春映画の傑作です。この映画の役の江藤さんを気に入ってましたが、江藤さんは役者さんのかたわら、今、居酒屋さんの板前さんもやられているそうです。新型肺炎が落ち着いたら訪れてみたいです。2022.8.20リンク切れにより削除。2020.11.1リンク切れにより差替え。2022.11.7リンク切れにより差し替え。2023.3.3リンク切れにより削除。■参考リンクYahoo!映画:帰らざる日々 (1978)作家を志しながら、キャバレーのボーイをしている青年が、6年ぶりに帰郷する電車の中で回想する高校時代の青春の日々をノスタルジックに描いたドラマ。主人公の友情に恋、初体験、そして別れなどが甘くドラマチックに綴られていく。Wikipedia:Kaerazaru hibiKaerazaru hibi (Japanese: 帰らざる日々, "Days Not Returning") is a 1978 Japanese film directed by Toshiya Fujita.SynopsisThe story of a high school boy (Toshiyuki Nagashima) in Tokyo returning to his home town of Nagano upon the death of his father.[1]CastJun Etō as Ryuzo KuroiwaToshiyuki Nagashima as Tatsuo NozakiMayumi Asano as Makiko TakemuraKaori Takeda as Yumi Hira2018.05.01居酒屋で働く70年代の青春スター 江藤潤は孫3人「各駅停車」で活動中1970年代半ばの青春スター、俳優・江藤潤が作務衣(さむえ)とゲタ履き姿で、焼き鳥を焼いていた。まるで映画のワンシーンのようだ。絶妙の焼き加減を堪能した。「センスだよ。男ってこういうの好きだしね」。66歳。何をやっても、プロの仕事を貫く。そんな流儀を感じた。 江藤は2015年12月から、ザ・ドリフターズの仲本工事が都内で営む居酒屋「仲本家 JUNKAの台所」をスタッフとして手伝っている。芝居の公演時など以外、週5回ほど、夕方5時過ぎの開店作業から夜11時まで勤務。「人間観察も含めて楽しいですね」。接客もまた、役者の肥やしになっている。 1975年、日本映画史に残る傑作「祭りの準備」(ATG)で新人ながら主演デビュー。76年はテレビ版「青春の門・筑豊編」(MBS制作)で主役を務めた。アリスの主題歌が染みる映画「帰らざる日々」(78年、日活)でも青春のほろ苦さを等身大で演じた。 「長髪が主流の時代に“短髪のシラケ世代”としてフレッシュに見えたんじゃないかと。テレビドラマには出ていましたが、『祭りの準備』は初めての映画の現場。高知から東京に出て行く僕を『バンザ~イ!』と見送る原田芳雄さんの演技に、こみ上げちゃってね、列車のドアがバタンと閉まった瞬間、すーっと涙が落ちてきました」。今は亡き原田さんの仲人で80年に元演歌歌手の妻と結婚。俳優の長男・慶、会社員の次男と三男、そして、3人の孫がいる。 72年に「若すぎる恋」という曲で歌手デビュー。同年のドラマ「にんじんの詩」(NET、現テレビ朝日系)の挿入歌となり、歌手を目指すボーイ役でも出演。今も音楽活動を続ける。5月19日には浅草・東洋館のイベント「昭和93年祭り」で歌を披露する。 「今は何でもやらないといけない時代。仲のいい風間杜夫が落語やるんで、僕は講談をやった。80年代以降は舞台の面白さが分かってきた」。6月15~17日にはアガサ・クリスティー原作の舞台「マウストラップ」(中野区ウエストエンドスタジオ)に出演する。 「焦らず、急がず、食べていければいいかなと。僕が色紙に書く言葉は『八勝七敗 各駅停車 ゆるりゆるりと 一歩づつ』。相撲の一つ勝ち越し。少しずつ上がっていくと」。自然体を貫く。 (デイリースポーツ・北村泰介) ◆江藤 潤(えとう・じゅん)1951年10月28日生まれ、東京都出身。文中以外の出演映画は「純」「アッシイたちの街」「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」など。テレビでは「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」など時代劇にも出演。兄はジャッキー吉川とブルー・コメッツのベーシスト、故江藤勲さん。
2020.05.14
大学生の時、ラフカディオ・ハーンの怪談・奇談を読んで面白くて、その後その下敷きになった雨月物語、今昔物語、井原西鶴の日本永代蔵、中国の聊斎志異関連の本とか、熱心に探して読みました。雨月物語の映画があるのは認識していましたが、当時は映像ソフトが十分に出回っておらず、名画座や京橋のフィルムセンター(現国立映画アーカイブ)で特集が無いと観られず、この映画はずっと観られないままでしたが、Amazonプライムビデオのシネマコレクション by KADOKAWAで観ることができました。なかなか観られない名作を観る良い機会だと思います。作品としては怪異的な要素よりも、男性が追い求める家族を犠牲にしてでも競争に勝ってお金や地位を獲得するよりも、女性が求める家族円満な暮らしが大事という主張を強調しています。第二次大戦終了から8年しか経っていない中で、イタリアで開催の映画祭で賞を獲れたのも、同じ敗戦国の女性の共感を得たからでしょうか。価値観が多様化した現代で、雨月物語を溝口監督が描いたらどんな作品になるのか。信長に滅ぼされた一族の姫を演じる主演の京マチ子さんはこの時、31歳の時の作品です。昨年95際で亡くなられています。心よりご冥福をお祈り申し上げます。■参考リンク2024.6.23リンク切れの削除、内容の追加。Wikipedia:雨月物語『雨月物語』(うげつものがたり)は、1953年(昭和28年)3月26日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は溝口健二、主演は森雅之、京マチ子。モノクロ、スタンダード、96分。上田秋成の読本『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編に、モーパッサンの『勲章』を加えて、川口松太郎と依田義賢が脚色した。戦乱と欲望に翻弄される人々を、幽玄な映像美の中に描いている。海外でも映画史上の最高傑作のひとつとして高く評価されており、第13回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。スタッフ監督:溝口健二製作:永田雅一企画:辻久一原作:上田秋成脚本:川口松太郎(「オール讀物」所載)、依田義賢作詞:吉井勇撮影:宮川一夫キャスト若狭:京マチ子阿濱:水戸光子宮木:田中絹代源十郎:森雅之藤兵衛:小沢栄(俳優座)老僧:青山杉作(俳優座)丹羽方の部将:羅門光三郎村名主:香川良介衣服店主人:上田吉二郎右近:毛利菊枝Wikipedia:京マチ子京 マチ子(きょう マチこ、1924年(大正13年)3月25日[1] - 2019年(令和元年)5月12日[2])は、日本の女優である。本名、矢野 元子(やの もとこ)[3]。大阪府大阪市出身[4]。来歴・人物一人っ子として出生したものの、5歳のときに父が蒸発により生別、母と祖母の手で成長した経緯を持つ[1]。 1936年(昭和11年)に大阪松竹少女歌劇団(OSK)に入団して、娘役スターとして戦時中に活躍した[1]。1949年(昭和24年)に大映に入社、女優デビューした。後輩の若尾文子、山本富士子と共に大映の看板女優として活躍した。160cmと当時としては大柄であり、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演した[1]。(1952年)溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年)、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれる[4]。1971年(昭和46年)の大映倒産以降はテレビドラマと舞台を中心に移し、活躍の幅を広げた。大映社長永田雅一との恋愛関係が憶測された時期もあったが、生涯独身を通す[1]。1965年(昭和40年)には、日本で初めての「億ション」、コープオリンピア(東京・表参道)を購入して話題となった[5]。月丘夢路とは映画『華麗なる一族』、ドラマ『犬神家の一族』などで共演し、共に家庭内の壮絶な抗争に執念を燃やす中年女性の狂気を熱演した。1976年12月公開の『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』でマドンナ柳生綾を演じ、マドンナの中では唯一渥美清より年上である。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の3位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では第7位になった。80歳を過ぎた2006年の舞台まで活動を続けたが、その後は引退状態であった。2014年1月には池畑慎之介のブログに登場した[6]他、2017年6月にも仲代達矢が近況について「元気です」と伝えていた[7]。2019年(令和元年)5月12日、心不全のため東京都内の病院で死去。95歳だった[3][4]。生前からハワイの墓に納骨するように遺言していた[2]。第92回アカデミー賞の逝去した映画人を称える“In Memoriam”(イン・メモリアム)のコーナーで追悼された[8]。
2020.04.19
Amazonプライムビデオで視聴。打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? の岩井俊二監督の作品です。アマゾンのレビュー251で4.4と高かったので観ました。カーテンが風に揺れることにすら感動するような美しい映像の作品です。俳優さん、女優さんも生き生きと映し出されています。前半はいまいち設定がのみこめませんでしたが、後半一気にストーリーが展開して、盛り上がりさわやかな後味の良い作品でした。見終わった後に時間差で感動が高まるお勧めの作品です。酒井美紀さんを見ていると白線流しを思い出します。柏原崇さんが光っていました。鈴木蘭々さんが、ちょっと危ない女子高生をうまく演じてました。岩井俊二監督のラストレターも観たいです。■参考リンクWikipedia:Love Letter (1995年の映画)抜粋概要誤送された恋文から始まる、雪の小樽と神戸を舞台にしたラブストーリー。第19回日本アカデミー賞にて、作品が優秀作品賞を、秋葉茂を演じた豊川悦司が優秀助演男優賞と話題賞(俳優部門)を、少年時代の藤井樹を演じた柏原崇と、少女時代の藤井樹を演じた酒井美紀が新人俳優賞を、REMEDIOSが優秀音楽賞を受賞した[3]。一人二役を演じた中山美穂は、ブルーリボン賞、報知映画賞、ヨコハマ映画祭、高崎映画祭などで主演女優賞を受賞した[1]。1995年度『キネマ旬報』ベストテン第3位、同・読者選出ベストテン第1位[1]。製作はフジテレビ、韓国では1999年に映画を公開した。韓国で140万人の観客を動員する興行記録[4]。1999年に韓国でも公開され人気を博し、劇中に登場する「お元気ですか?」という台詞が流行語となったり、豊川悦司の「それが山田さん家ィやったら、手紙は届かへんのや」という関西弁の台詞がバラエティ番組でモノマネされるなどの話題を呼び、舞台となった小樽には韓国人観光客が大勢訪れた[5](韓国ドラマ『甘い人生』は、序盤、本作の影響で主人公が小樽に行く設定)。なお、藤井樹(女性)の自宅という設定だった小樽市の旧坂別邸は、2007年5月26日に火災で焼失している[6]。あらすじ神戸に住む渡辺博子は、山で遭難した婚約者の藤井樹の三回忌の帰り道、彼の母・安代に誘われ、彼の中学時代の卒業アルバムを見せてもらう。忘れられない彼への思いから、そのアルバムに載っていた、彼が昔住んでいたという小樽の住所へとあてもなく手紙を出す。すると数日後、来るはずのない返事がきた。その手紙の主は、亡くなった婚約者の藤井樹と同姓同名で、彼と同級生だった、女性の藤井樹。やがて博子と樹の奇妙な文通が始まる。キャスト渡辺博子:中山美穂藤井樹:中山美穂(二役)秋葉茂:豊川悦司藤井晶子:范文雀藤井剛吉:篠原勝之藤井精一:鈴木慶一藤井慎吉:田口トモロヲ樹(少女時代):酒井美紀樹(少年時代):柏原崇藤井安代:加賀まりこ阿部粕:光石研及川早苗:鈴木蘭々梶親父:塩見三省浜口先生:中村久美利満:うめだひろかず春美:長田江身子鈴美:小栗香織治夫:神戸浩運転手:酒井敏也担任:山口晃史阿部粕の妻:山口詩史学年主任:山崎一男:徳井優看護婦:武藤寿美図書委員 遥香:藤村ちか図書委員 恵子:市川さき図書委員 真理:林美恵図書委員 優子:高原遊図書委員 彩:園田亜季子図書委員 智加:木村絢
2020.04.15
浅草今半の「重ねすき焼き弁当」(JR上野駅、駅ナカecute店、1,620円)と「異人たちとの夏」(大林宣彦監督、1988年)リンクの修正好きなCM ファンタ 学園シリーズ リンクの修正美空ひばり:愛燦燦、川の流れのように 小椋佳 :愛燦燦、泣かせて リンクの修正ブラザーフッド内容の追加
2020.04.03
確定申告の決算書づくりが終わりほっと一息ついて、かねてから観たかったFukushima 50を観てきました。去年60歳になってシニア料金適用になったので、敷居が低くなった感じです。今まで福島原発の事故はTV、ニュース、インターネットのブログ情報等で断片的なものしか接していませんでしたが、今回はじめて一貫した事故の流れを知り、その時々で人はどう動いたのかを知ることができてとてもよかったです。門田隆将さんの現地取材に基づく地元の方々の描写がストーリーに奥行きを与えています。吉岡里帆さんの演技も良かったです。音楽もきれいでしたが、岩代太郎さんでした。ハンカチ必携の、数年に一度の傑作と思います。吉田所長は亡くなられましたが、Fukushima 50の方々が今、お元気で過ごされていればと思います。津波のシーンが迫力がありました。■参考リンクWikipedia:Fukushima 50 (映画)あらすじ『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)は、2020年3月6日に公開された日本映画。門田隆将著のノンフィクション書籍『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』を原作に[1]、東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所事故発生時に発電所に留まって対応業務に従事した約50名の作業員たち・通称「フクシマ50」の闘いを描く。監督は若松節朗、主演は佐藤浩市と渡辺謙[2][3][4]。新作の日本映画の中では初めて、ドルビービジョン,ドルビーアトモスを用いた制作作業を日本国内で完結した。ドルビーシネマでも上映された。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が発生し、巨大津波が福島第一原子力発電所を襲った。津波による浸水で全電源を喪失してステーション・ブラック・アウト(SBO)となり、冷却不能の状況に陥った原子炉は、このままではメルトダウン (炉心溶融) により想像を絶する被害がもたらされることは明らかだった。1・2号機当直長伊崎ら現場作業員は、原発内に残り原子炉制御に奔走する。全体指揮を統括する吉田所長は部下たちを鼓舞する一方、状況を把握しきれていない本店や官邸に対し怒りをあらわにする。しかし、現場の努力もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされる。官邸が試算したこの事故による最悪のシナリオでは被害範囲は半径250km、避難対象人口は約5000万人にも及び、それは「東日本の壊滅」を意味する。現場に残された唯一の手段は「ベント」で、未だかつて世界で実施されたことのないこの手段は作業員が体ひとつで原子炉内に突入して行う手作業が要求される。外部と遮断され何の情報も入らない中、ついに作戦は始まる。監督 若松節朗脚本 前川洋一原作 門田隆将出演者 佐藤浩市渡辺謙吉岡秀隆緒形直人火野正平平田満萩原聖人吉岡里帆斎藤工富田靖子佐野史郎安田成美音楽 岩代太郎Wikipedia:フクシマ50フクシマ50(フクシマフィフティ、英語: Fukushima 50)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の際に福島第一原子力発電所の対応業務に従事していた人員のうち、同発電所の事故が発生した後も残った約50名の作業員に対し欧米など日本国外のメディアが与えた呼称[1][2]。人数はその後変動し、2016年4月で平日1日あたり5790人ほどが作業に当たっている[3]。概要「福島第一原子力発電所事故」も参照2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震の後に発生した津波によって福島第一原子力発電所の原子炉の冷却機能が停止し、それらの復旧作業や応急処置のために同発電所には社員を含め約800人の従業員が従事していた。しかし、懸命の復旧作業にもかかわらず、原子炉1号機の水素爆発など度重なる原子炉爆発事故が発生し、遂に3月15日には、原子炉4号機の爆発と火災が発生。この4号機の爆発は使用済み核燃料プールに保管していた「使用済み核燃料」が建屋(たてや)上層にあり、爆発によってそれが露出した可能性があることと、放射性物質が飛散した可能性があるため、これらの危険回避の為に人員約750人は東京電力の指示によって避難した。しかし、約50人が現地にとどまり、福島第一原子力発電所の被害を食い止めることに尽力した。これを日本国外メディアが彼らを地名と人数を合わせた「Fukushima 50」の呼称で呼び始めた[1]。しかし16日朝、検出された放射線の高さから健康への影響が懸念され、彼らは短い時間一時的に避難しなければならなくなった。彼らが現場に戻ったとき、新たに130人以上が加わり、当初の約50人に加え総数は約180人になったと報告された[4]。3月18日には柏崎刈羽原子力発電所や送電線敷設要員も加わり、総勢580人の体制になった。彼らの中には東京電力やその子会社の東電工業や東電環境エンジニアリングなど東京電力協力企業の社員、また東芝や日立製作所の社員なども加わっている[1]。3月21日までに、東芝は横浜市磯子の技術センターで700人の原発事故対応チームを組織、そのうち100人を福島の2ヶ所の原発に派遣し、日立も1000人規模の対応チームを組織、120人を現場に送った[5][6]。人数は増えていったものの、「Fukushima 50」の名前はそのままメディアで使われ、彼らを総称する言葉となった。アメリカのABC放送が原発事故においての対応として、たいていの場合は高齢者で生殖可能年齢を超えた者が対応に当たることが多いことから後日はそのような対応が行われたのではないかとの憶測を報じたが、事故当初はとにかく現場の技術者が対応せざるを得ない状態にあり事故拡大および被爆の度合いが予想不可能の状態での作業であった[7]。彼らの活動には、爆発によってもたらされた損害と放射線濃度の測定も含まれており、海水で損傷した原子炉を冷却し、火災の危険を除くことに取り組んだ。彼らは、放射線汚染を受けるリスクを承知で現場にとどまった[2]。放射線汚染の危険レベルは非常に高く、半径20kmの避難地域が指定され、またメディアはこの厳しい状況が将来、彼らの健康に重大な悪影響を及ぼしうること、また場合によっては死にも至りうることを指摘した[8]。フクシマ50の実像フクシマ50の情報は、東京電力によって氏名や所属会社を含む一切の情報の開示が拒絶されている。ウォールストリート・ジャーナルの取材によると、フクシマ50の一人が、危険手当など一切の特別報酬なしに、被曝の危険と隣り合わせになりながら職務にあたっていることが明らかになった[9][10]。作業員数核研究家のエリック・ホール博士によると、このような原発事故の場合、放射線に曝された影響が生きている間に表面化するのを避ける意味でも、年配で子供を持たない作業員が作業に当たることが望ましい[11][12]としている。しかし実際は、被曝した関電工の社員は20代や30代であったり[13]、現場で作業に当たる大阪市消防局の消防吏員の中には、先輩消防吏員の息子と同じ年齢の消防吏員もいる[14]など、若い人材が危険な現場で作業に当たっているという事実も各メディアで報道されている。Wikipedia:門田隆将抜粋福島第一原子力発電所事故後の状況を現地で取材。『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(2012年)、『記者たちは海に向かった―津波と放射能と福島民友新聞』(2014年)を刊行した。2014年5月、朝日新聞が福島第一原発の吉田昌郎所長が政府事故調の聴取に応じた「吉田調書(聴取結果書)」を独占入手したとして「所員の9割が吉田所長の命令に違反して撤退した」と報道したことに対して、「これは誤報である」とブログ[8]で主張した。その後、週刊誌(『週刊ポスト』6月20日号、『週刊新潮』9月18日号)、写真誌(『FLASH』6月24日号)、月刊誌(『Voice』8月号・11月号、『正論』8月号・10月号)、『産経新聞』8月18日付朝刊[9]等で批判の論陣を張った。一方、朝日新聞は門田の論評に対して「訂正謝罪」の要求と「法的措置を検討する」との抗議書を複数回送付したが、逆に9月11日、木村伊量社長が記者会見を開いて、当該の「吉田調書」記事を全面撤回し、謝罪した[10]。門田は11月に出版した『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』に、その経緯を記した。『Fukushima50』出演の吉岡里帆が抱く福島への思い 「みなさんの声を少しでも表現できれば」文: 髙橋晃浩2020.03.02朝日新聞抜粋揺らぐはずのないものがなくなってしまう事故への恐怖映画に入る前、別のお仕事で、震災前に福島の富岡町に住んでいた女性のお話を聞く機会がありました。その方の家は帰還困難区域の中にあって、今は東京で暮らしていらっしゃいますが、聞かせて下さったお話は生々しく、リアルな当時を知る人の言葉として心に響きました。今回の映画は「家族」も大きなテーマの一つ。ですから、その方のように故郷を失った方々の想(おも)いを家族のシーンの中で代弁できればと思いながら撮影に臨みましたし、福島のみなさんの声を、自分の役柄を通してほんの少しでも表現できればと思いながら演じました。監督からも、父親が危険な場所にいるという現実の怖さをキャラクターに乗せて演じてほしいと言われていたので、撮影の合間には自分の家族のことをよく思い出していました。劇中、満足に荷物をまとめられないままに避難所へ逃げなければいけなくなり、津嘉山正種さんが演じるおじいちゃんが、家族の写真を大事そうに抱えるシーンがあります。実は監督の要望で、ここでは実際の私の子供の頃の写真を使いました。だから、父親が撮ってくれた写真が演技の途中でふと目に入ることがあったんです。写真って、その時に確かに誰かと一緒にいた、その「証(あかし)」のようなものですよね。そんな揺らぐはずがないものがなくなってしまうことへの恐怖を、演技をしながら感じました。
2020.03.22
3/15に丸の内TOEIに、のんさんの出演している星屑の町を見に行ってきました。公開のタイミングに新型肺炎の影響が直撃し心配していました。出がけにインターネットで予約した際には5くらい席しか埋まっていなかったのが、映画館には観客が30人くらいで上映スタート。わたしと同じくらいの年代50-70歳くらいの客層が主流です。映画の出来は野球でいうと2塁打くらいでしょうか。復帰第1作としては上等だと思います。東北が舞台ということで、あまちゃんの延長線といった感じで楽しめました。のんさんの歌も聴かせます。結構好きな戸田恵子さんの歌も意外に良かったです。お笑いのでんでんさん、赤信号の小宮さん、ラサールさん、太平サブローさんが懐かしかったです。昭和のムード歌謡もこの歳になって聴くといい感じです。劇中のmiss youという歌が良かったです。帰りに3/14に開業した高輪ゲートウェイ駅に寄ってきました。天井の高い駅だなと思いました。■参考リンクWikipedia:星屑の町 (2020年の映画)『星屑の町』(ほしくずのまち)は、2020年3月6日に公開予定の日本映画[1]。なお、全国公開に先がけて同年2月21日に東北4県(岩手県 宮城県 秋田県 青森県)限定で公開された[1]。原作と脚本を手がけた水谷龍二、ラサール石井、小宮孝泰が結成した「星屑の会」によって1996年の初演から2019年のアンコール公演まで上演された舞台「星屑の町」シリーズが本作のベースとなっており、地方回りの売れない昭和歌謡グループ「山田修とハローナイツ」の悲哀を描いた作品[2]。なお、本作には舞台に出演した演者がすべて出演するほか[2]、女優ののんが2014年公開の「海月姫」以来6年ぶりに映画に出演し、本作のヒロインを務める[2]。キャスト天野真吾:大平サブロー市村敏樹:ラサール石井山田修:小宮孝泰込山晃:渡辺哲西一夫:でんでん青木五郎:有薗芳記久間部愛:のん山田英二:菅原大吉キティ岩城:戸田恵子山田啓太:小日向星一久間部浩美:相築あきこ久間部六造:柄本明
2020.03.16
アマゾンプライムビデオで視聴。最初はたんたんとストーリーが進行していって、えっこれが興行収入19億円?と思いつつ、新型肺炎でこれまで起きたことをなぞったり今後のシミュレーションにいいかなと思って観てましたが1時間経過後くらいからぐいぐいひきつけられて感動のエンディングでした。今ちょうどまさにお勧めの映画です。瀬々敬久監督は脚本も書かれています。10年以上前に新型肺炎に着目されて、ストーリーを作ったのはすごいと思います。国仲涼子さんの演技は安定しています。おととい仕事帰りに病院に血圧を測りに行きましたが、いつもは1時間待ちなのが1人しか待合室におらず、院内感染を恐れてみんな来ないのかなと思いました。診察室に入っても先生は先月マスクされてたのに今回はしておらずマスク不足の影響かと思いました。消毒薬の不足も言われていますし、その医院のスタッフが感染すればしばらく医院は休業になるだろうし、今後爆発的な感染になれば医療の崩壊も予想されます。生命の危険にさらされながらの医療関係者のご苦労に頭の下がる思いです。新型肺炎にノーガードで立ち向かっていただくわけにはいかないと思います。スムーズに医療が行えるような環境作りに私たちも協力しないといけないと思いました。マスクは医療・介護機関優先にして、50枚500円くらいのマスクは1枚単位、10枚単位で売ることで購入者数を増やすとか、昔の米穀通帳みたいに配給制にするとか、工夫をしたらどうかと思います。■参考リンクWikipedia:感染列島概要この映画が公開された3か月後の4月には、実際に新型インフルエンザが蔓延し世界的流行となっていたが、本作では日本において新型ウイルスの感染が蔓延した場合、どのような事態となるかが描かれていく。2008年5月のカンヌ国際映画祭で、ストーリーが話題を集め大きな反響を受ける。さらに、公開前の時点でハリウッドによるリメイク版も計画されていた[4][5]。ロケは主に新潟県で行われたが、一部北海道中川町でも行われている。また、この映画を原作とした漫画が『ビッグコミックスペリオール』(小学館)で連載されていた。ストーリーある日、救急救命医である松岡剛が働くいずみ野市立病院に1人の急患が運び込まれる。その患者は今まで人類が経験したことの無いウイルスに感染しており、医師団の治療虚しく死亡した。その後、謎のウイルスは瞬く間に院内に広まり、院内は戦場と化した。この患者が発症したウイルスは新型インフルエンザなのか、それとも新種のウイルスなのかと見当のつかないものであった。数日後、WHOからメディカルオフィサーである小林栄子[6]が派遣されてくる。小林は松岡らに「このウイルスが国内に広まったら3ヶ月以内に交通網・都市機能が停止、半年後には感染者数が数千万人にのぼる」というあまりにも残酷な事態が起こるという予想を告知した。キャスト監督 瀬々敬久脚本 瀬々敬久出演者 妻夫木聡檀れい国仲涼子田中裕二(爆笑問題)池脇千鶴カンニング竹山佐藤浩市藤竜也マスク1日1枚、新型肺炎患者受け入れ病院で-不足で休院検討も黄恂恂、Max Zimmerman、竹沢紫帆、小田翔子2020年3月6日 14:27 JST更新日時 2020年3月6日 17:53 JST Bloombergマスクは1人1日1枚。新型コロナウイルスに感染した患者も受け入れている都内のある病院で先月末、マスクの使用を大幅に制限する指示が文書で通知された。 1人当たり1枚で計算すると医療用マスクの在庫が院内には1カ月分程度しかなく、本来定められた医療用マスクの使用方法とは異なるとした上で「非常事態の対応策」として協力を求めた。一般的にマスクは一度外したら捨て、新しいマスクに交換することが推奨されている。 この病院に勤務する医師は、マスクの継続使用は自身や他の患者にも感染リスクをもたらすことになるため、現在はマスクを使用していないと明かした。 異例の対応は他の病院でも発生している。特定の感染症に対する治療を行う感染症指定医療機関となっている神奈川県内の病院に勤務する医師は、今週に入りマスクの供給が制限されるようになり、看護師の場合には3勤務に1枚と限定され、事実上3日間同じマスクを使用し続けることになっていると話した。 手術室や新型コロナウイルスに感染している患者を診療するような場合には従来通り毎回マスクを変えているが、それ以外の業務に関しては制限されている状況だという。現場にいる人間にとって医療品が行き届かないという状況は精神的に疲弊すると打ち明けた。 神奈川県相模原市の広報担当は6日、同市内に住む20代の男性医師の感染を確認したと明らかにした。同市内にある感染症指定医療機関の相模原協同病院に勤務する臨床研修医で、現在入院しているという。休院を検討する病院も マスクや消毒液の不足は全国に広がっており、マスクの内側にガーゼやティッシュペーパーを当てて使用する医師や看護師もいる。院内感染を防ぐために休院を検討する病院も現れている。 人口の28%を65歳以上の高齢者が占める日本。感染者数は世界で5番目の水準となっている。高齢者が新型コロナウイルスに感染すると重症化しやすいことから、マスク不足で多くの病院が休院する事態となれば危機的な状況に直面することになる。 米国の科学ジャーナリストで作家のローリー・ギャレット氏は、「日本特有の問題となるのが人口構成だ。日本は高齢化率が高く、構成比率で大きな割合を占める高齢者の重症化リスクは高い」と指摘する。「人口の高齢化を考えると、日本は今後大きな課題を抱えることになる」と述べた。
2020.03.07
突然学校に行かなくてもよくなって卒業式が無くなった今年の卒業生は本当に気の毒に思います。新型肺炎が収束した段階で行ったらいいのではとも思います。またはオンライン卒業式とか。アンジェラ・アキさんの手紙 〜拝啓 十五の君へ〜(2008)をYouTubeで探していて見つけた映画です。予告編を見ただけで面白そうです。アマゾンプライムでたしか以前無料でやっていたときに見なかったのが悔やまれます。しばらく待ってみようと思います。■参考リンクWikipedia:くちびるに歌を『くちびるに歌を』(くちびるにうたを)は、中田永一の青春小説。NHK全国学校音楽コンクールの課題曲となった「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」の作者であるアンジェラ・アキのテレビドキュメンタリーをもとに小説化された[1][2]。2011年11月24日に小学館より出版され、2013年12月6日には文庫版が刊行された。また、ジュニア向け小説として2015年2月18日に小学館ジュニア文庫版が発売された。映画化され、2015年2月28日に公開された。あらすじ長崎県・五島列島のとある島の中学校。合唱部顧問の松山ハルコは産休に入るため、代わって松山の中学時代の同級生、自称ニートの臨時教員・柏木ユリに、1年間の期限付きで合唱部の指導を依頼する。それを知った校内では柏木の美貌目当てに合唱部に入部したいという男子生徒が続出し、桑原サトル・向井ケイスケ・三田村リクらが入部したが、もともと合唱部には女子しかおらず、以前から合唱部に所属していた仲村ナズナ・長谷川コトミ・辻エリなど、受け入れる側の女子生徒と軋轢が生じる。さらに、柏木は7月に諫早市で行われるNHK全国学校音楽コンクール長崎県大会出場にあたっても独断で男子との混声での出場を決め、合唱部の男女生徒間の対立は深まる。その一方、柏木は課題曲「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」にちなみ、「誰にも見せる必要はないから、15年後の自分に向けて手紙を書け」と部員に宿題を出す。これを受けて一同がそれぞれに書く手紙、あるいは登場人物同士の会話を通じ、彼らがそれぞれに抱えている秘密と心の傷も明らかになっていく。その後、合唱部内でのある事件を経て、これまでやる気のなかった合唱部所属の男子生徒もコンクールに向けて真面目に練習に打ち込み始めるなど次第に部内のわだかまりが解消されていき、やがて長崎県大会の本番に挑むことになる。映画2015年2月28日公開の日本映画。配給はアスミック・エース。主演は新垣結衣[2][4]。監督は『陽だまりの彼女』、『ホットロード』などの三木孝浩。監督の三木は映画化にあたり、生徒たちの15年後が柏木になるような物語、15歳の自分と大人が交わす往復書簡のような映画にしたいと構想していた。新垣を柏木役に起用した理由としては、新垣が先生ぽくない人だからとし、まだ大人になりきれない柏木が生徒と向き合ううちに大人になっていく柏木を求めているからとしている。また、新垣の明るいイメージとのギャップも大事なことだったとしている[5]。ピアノ未経験者の新垣は撮影前に3か月の特訓を行い撮影に挑んだ[1]。合唱部の生徒役については全員をオーディションを行ったうえで起用。こちらも半年間に渡る合唱練習を経て撮影に挑んでいる[6]。撮影は2014年7月より約2か月をかけて、五島列島を中心に全編に渡り長崎県で行われた。三木は映画化決定より前に五島列島を訪れて調査を行っており、五島列島で撮影をしたいと思った理由として、映画を五島列島の穏やかさで包みたかったとしている[6]。映画のキャンペーン中には女子部員7人(恒松、葵、柴田、山口、朝倉、植田、高橋)がアイドルユニット・Lips!を自主的に結成[7][8]。お遊びでセルフプロデュースしたものだったが、2015年3月24日にはポニーキャニオンから『壁ドン 〜拝啓、勇気を出せない君へ〜 (アカペラver.)』とのタイトルで楽曲が配信されるまでに至った[9]。
2020.02.26
星屑の町が3/6から公開されるようです。1980年代のMANZAIブームの時代の俳優さんも多く出ており、出演者も好きな俳優さんが多く楽しみです。言葉を聞くと、あまちゃんを思い出します。素朴な歌い方ののんさんが、どう昭和歌謡を歌うかも楽しみです。今まで行ったことはないですが、できたら初日の舞台あいさつに行きたいです。■参考リンク映画『星屑の町』公式サイト 3月6日全国公開2020.02.05 岩手日報のんさん新作映画を語る 「星屑の町」21日から先行上映笑って泣ける人気の舞台「星屑(ほしくず)の町」シリーズがヒロインにのんさんを迎えて映画化された。地方回りの売れないムード歌謡コーラスグループと、歌手を夢見る田舎娘が騒動を巻き起こす。のんさんは6年ぶりの実写劇場映画出演で、劇中では昭和の歌謡曲を披露。久慈市でのロケにも参加した。「25年続いた舞台の方たちの中に入るのは勇気が要った。かき回す役だったので感情が出る部分を大切に演じた」と語る。 注目してほしいのは歌の場面という。ボイストレーニングに時間をかけて「恋の季節」「新宿の女」「ほんきかしら」などの名曲に挑み、透明感のある歌声を披露した。映画オリジナルの「シャボン玉」は特にお気に入り。「衣装がすごく好き。私の声に合わせて作ってくださったので、自信あり」と力を込める。 映画「星屑の町」は杉山泰一監督、3月6日公開。2月21日から岩手・青森・秋田・宮城で先行上映。久慈市で24日開かれるプレミア上映会のチケットは完売。映画.com星屑の町 劇場公開日 2020年3月6日杉山泰一監督出演:大平サブロー、ラサール石井 、小宮孝泰、渡辺哲 、でんでん、有薗芳記、菅原大吉、戸田恵子、小日向星一 相築あきこ、 柄本明
2020.02.05
何年か前にNHKで「絆でつかんだ栄冠~長野五輪 ジャンプ団体~」という、長野五輪でのスキー団体ジャンプの金メダルの秘話のドキュメンタリーを観て、裏方さんの苦労を知り、とても感動したことがあります。もう一度観たいと思っていましたが、今はやってないようです。今年6月に田中圭さん主演で同じテーマで公開されるそうです。ぜひNHKを上回る出来栄えの映画を期待します。思わず公式サイトで、白馬でのエキストラに申し込んでしまいました。たまたま明日のNHKBS1でもう一度見たい!平成のスポーツ中継 2「冬のオリンピック」という番組があり、原田選手が出演されるようです。2021.2.24追記2024.8.9内容の追加。5/7に公開が決まったようです。予告編もできているのでご紹介します、それよりも、この映画の前提となっている東京オリンピックは無事開けるのか。■参考リンク映画『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』公式サイト悲願の金メダル!映画『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』公開決定!2019/11/30 映画ログプラスニュース1998年長野五輪、日本中が歓喜に沸いたスキージャンプ団体、悲願の金メダル。この栄光を陰で支えた25人のテストジャンパーたちの知られざる感動秘話が映画化、オリンピックイヤーとなる来年2020年6月に全国公開されることが決定いたしました!主人公はスキージャンパーの西方仁也(にしかた・じんや)。1994年のリレハンメル五輪スキージャンプ団体戦で日本代表を牽引するも、エース原田雅彦のジャンプ失敗で金メダルを逃し、長野五輪での雪辱を誓うも故障で代表落選。テストジャンパーとなって日本代表選手たちを裏方として支えた人物です。物語は、西方の金メダルへの強い想い、それを打ち砕く挫折、原田との友情、そして怒りと嫉妬、それでも仲間の為に、日本の為に、命の危険を顧みずテストジャンプに挑む、深い人間ドラマを映し出します。また、長野五輪での手に汗握る団体戦の攻防、吹雪による競技中断、そんな中、競技が再開できるかを図るために行われた、西方率いる25人のテストジャンパーたちの決死のテストジャンプを、史実に基づいてダイナミックに描くオリジナルストーリー。原田選手が金メダル獲得後インタビューで語った「俺じゃないよ。みんななんだ。みんな。」という言葉は、岡部・斉藤・船木ら代表選手だけでなく、裏方に徹し日本選手団を支えた親友・西方、そしてテストジャンパーたちに向けられた言葉だったのです。4人の代表選手と25人のテストジャンパーたち、そして彼らを支える家族や関係者たちの、熱い想いと絆を知った時、誰もが心を打たれる感動のヒューマンドラマです!!物語は、西方の金メダルへの強い想い、それを打ち砕く挫折、原田との友情、そして怒りと嫉妬、それでも仲間の為に、日本の為に、命の危険を顧みずテストジャンプに挑む、深い人間ドラマを映し出します。また、長野五輪での手に汗握る団体戦の攻防、吹雪による競技中断、そんな中、競技が再開できるかを図るために行われた、西方率いる25人のテストジャンパーたちの決死のテストジャンプを、史実に基づいてダイナミックに描くオリジナルストーリー。『毎日新聞社提供』原田選手が金メダル獲得後インタビューで語った「俺じゃないよ。みんななんだ。みんな。」という言葉は、岡部・斉藤・船木ら代表選手だけでなく、裏方に徹し日本選手団を支えた親友・西方、そしてテストジャンパーたちに向けられた言葉だったのです。4人の代表選手と25人のテストジャンパーたち、そして彼らを支える家族や関係者たちの、熱い想いと絆を知った時、誰もが心を打たれる感動のヒューマンドラマです!!その主人公・西方仁也役に「おっさんずラブ」シリーズ、ドラマ「あなたの番です」、『図書館戦争』シリーズなど、人気実力共に今最も旬な俳優・田中圭。西方の揺れ動く内面、葛藤を、圧倒的な存在感と演技力で力強く演じ切ります。監督には、「荒川アンダーザブリッジ」で大きな注目を集め、様々な分野で才能を発揮する映像作家・飯塚健。秀逸なテンポ感の中で、しっかりと人間模様を描く演出力に定評があり、感涙無くしては見られない感動作品を描き上げます!撮影は2020年1月~2月。実際に長野五輪のスキージャンプが行われた長野県白馬村でも撮影が行われます。公開は、オリンピックイヤー2020年となります。日本中が東京オリンピックへの期待で盛り上がりを見せる2020年、金メダルの裏に隠された感動秘話を、壮大なスケール感のもと、日本人らしい葛藤や心の機微を繊細且つ鮮やかに描いた、実話の感動超大作が誕生します!以下略。スポーツ大陸 大逆転スペシャル「絆でつかんだ栄冠~長野五輪 ジャンプ団体~」(2009年12月27日放送) ※一部抜粋 NHKアーカイブス長野五輪では金メダル確実と期待されたスキージャンプ団体だが、天候の悪化で原田が失速。リレハンメルの悪夢が脳裏をよぎった。1回目を終えて4位の日本。競技が続行できなければ順位が確定してしまう。絶体絶命の窮地を救ったのはテストジャンパーたち。競技再開が可能なことを示すため、降りしきる雪の中、次々に大飛行を決め、金メダル獲得への扉を開いたのだった。NHKBS1 1/26(日)午前10時00分~ 午前11時50分もう一度見たい!平成のスポーツ中継 2「冬のオリンピック」あの感動を再び!長野五輪スキージャンプ団体の金メダル!荒川静香選手、羽生結弦選手の五輪金メダル!平成の時代、日本スポーツ界は世界へ飛躍。多くの名勝負が生まれた。NHKが放送した、えりすぐりのスポーツ中継を6回シリーズでお伝えする。第2回は「冬のオリンピック」。ご覧いただくのは、長野五輪のスキージャンプ団体、そして、トリノとピョンチャン五輪のフィギュアスケート。ゲストの原田雅彦さんが五輪の秘話語る。【ゲスト】原田雅彦,【司会】工藤三郎
2020.01.25
アマゾンプライムビデオで視聴。1994年の松本サリン事件に伴う冤罪事件を扱った映画です。厚労省の村木さんでもそうでしたが、21世紀になっても繰り返される冤罪は自分がいざその立場になったときに、厳しい取調べに耐えられるか恐怖を感じます。映画の最後の迫真の再現シーンを観て、なんでこれで河野さんが怪しいとなるのか、首を傾げたくなります。河野さんはじめご家族の強い意思で難局を乗り切ったのは立派だと思います。マスコミの報道にも問題があり、それを利用する警察、凶悪犯罪が起きたらいち早く容疑者を逮捕するようにせかす私を含めた世間と、すべての仕組みを変えないとまだまだこういったことは続くと思います。中井さん、寺尾さん、石橋さんの持ち味が出たいい演技でした。細川直美さんの演技も光ってました。事件のマスコミ報道をドキュメンタリーで取り上げた高校生。女の子はどこかで観たことあるなと思ったら遠野凪子さんでした。映画の最後の再現シーンは一気に引き込まれます。■参考リンクWikipedia:日本の黒い夏─冤罪キャスト笹野誠:中井貴一浅川浩司(コージ):北村有起哉野田太郎(ノロ):加藤隆之花沢圭子(ハナケイ):細川直美神部俊夫:寺尾聰神部の妻:二木てるみ吉田警部:石橋蓮司永田威雄:北村和夫鳥尾エミ:遠野凪子山本ヒロ:斎藤亮太藤島教授:藤村俊二大出女医:根岸季衣古屋教授:岩崎加根子鈴木捜査一課長:梅野泰靖小田営業課長:平田満山川刑事:鴨川てんし神部の長男:反田孝幸神部の長女:皆川香澄神部の次女:児玉真菜佐山記者:佐藤健太岡野記者:岡村洋一宮本記者:三国一夫柳田記者:笠兼三武山記者:白鳥哲Wikipedia:松本サリン事件
2020.01.03
アマゾンプライムビデオで視聴。第二次大戦のヨーロッパ戦勝記念日を祝う夜に、妹とともに街に出かけた若き日のエリザベス女王を描いたフィクションドラマです。ローマの休日と、水戸黄門をミックスした感じですが、主人公の女の子も可愛らしくつい引き込まれ、テンポの良い、後味の良い、爽やかなラブコメディに仕上がっており、新春第1作として観るのにふさわしい作品と思いました。映画を観て英国民が王室にいだく親しみ、敬愛する気持、距離感が、伝わってきました。英王室を題材にした映画は多いですが、国民の生活の一部になっているように思います。映画の中で妹のマーガレット王女が、自分たちはドイツ系の家系だけど、ドイツは敵国なのでウィンザーを名乗るようになったと言っていたのが面白かったです。英王室の「王位継承権は男子・女子関係なく生まれた順によって決定される」と改定しています。君主制をとる国は世界でも少数になってきていますが、時代に合わせて制度を変更する柔軟性も、長続きには必要かと思います。ヨーロッパ戦勝記念日でなんでこんなにはしゃぐのかと思いましたが、昔読んだ本で第二次大戦中ドイツから大陸間弾道弾V2ロケットが発射され、約1000発のうち半分がロンドンに着弾したそうです。確かにお隣の国からミサイルが500発東京に着弾したら怖いです。長い戦争が終わって浮かれるのもわかります。■参考リンクWikipedia:ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出Wikipedia:ウィンザー朝抜粋第一次世界大戦中の1917年、ジョージ5世は敵国ドイツの領邦であるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠された家名を避け、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称し、かつ、王家は姓を用いないとの先例を覆してウィンザーを同家の姓としても定めた。そのため、1917年以降は現在の女王エリザベス2世にいたるまでをウィンザー朝と称し、かつ、その構成員は(必要がある場合には)ウィンザーの姓を用いる。ただし、ヴィクトリア女王の血統が断絶したわけではないので、いずれもハノーヴァー朝の継続と見なされることがある。ハノーヴァー朝以来代々の王位継承者の配偶者はドイツ人やドイツ系の王族が迎えられることが多かったが、エドワード8世がアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚問題から退位し、代わって王位に就いたジョージ6世の妃エリザベスはグレートブリテン王国成立以降で初の同国出身の王妃となった。現王太子チャールズの元の妃ダイアナ、現在の妃カミラもまた同国出身である。Wikipedia:エリザベス2世抜粋1945年2月には、英国女子国防軍に入隊し、名誉第二准大尉として、女性軍人として「エリザベス・ウインザー」の名および『230873』の認識番号において[22]、軍用車両の整備や弾薬管理などに従事したほか、大型自動車の免許を取得し、軍用トラックの運転なども行った[23][24]。それまでの女性王族は、イギリス軍などにおいて「肩書き」が与えられたとしても、名誉職としての地位に過ぎないというケースが慣例だったが、枢軸国によるイギリス本土への上陸の危機(バトル・オブ・ブリテン)という事態を受けて、エリザベスはその慣例を打ち破り、他の学生たちと同等の軍事訓練を受け、軍隊に従軍する初めてのケースとなった。エリザベス王女は、王族である自身が一般の兵士とほぼ全く同等の待遇をされることを非常に喜び、これらの経験をもとに、「自分の子供たち(3男1女)も宮廷で教育させるより、一般国民の子女たちと同等の学校に通わせること」を決意したという。ヨーロッパでの第二次世界大戦が終結した、1945年5月8日(現・ヨーロッパ戦勝記念日、V-Day)には、ロンドンの街中で戦勝を祝福する一般市民の中に、妹と共に匿名で混じって、真夜中まで勝利の喜びを分かち合ったという。【イギリス王室の王位継承順位】跡継ぎの子供たちは?次の王冠は誰の手にPIKARINEWikipedia:V2ロケット抜粋イギリスに対してロンドン - 1358ノリッジ/イプスウィッチ - 44V2 の軍事的効果は限定的であった。ごく初歩的な誘導システムは特定目標を照準できず、命中精度は現在の基準では実用的ではないくらい低く、7 - 17kmだった。コストは4発で概ね爆撃機1機に匹敵した(爆撃機はより遠距離の目標に、より正確に、遥かに多くの弾頭を、幾度も運搬可能)。ただし心理的効果はかなり大きく、爆撃機や特徴的な唸り音を発するV1飛行爆弾と違い、超音速で前触れもなく飛来し、既存の兵器では迎撃不可能な V2 は、ドイツにとって有用な兵器たりえた。特に、ロンドン市民は連日の攻撃に多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大であった。最大射程は320kmで最大射程時に飛行時間は5分半で高度は93.3kmに到達した。発射されたミサイルのおよそ4%が発射後30秒間で故障した。およそ6%が弾頭の暴発やタンクの爆発で空中分解した。また再突入時にも構造の破壊で多数が失われた。その結果、ロンドンへ向けて発射された1152機中、到達したのは半分以下の517機に過ぎなかった。アマトール爆薬が弾頭に使用された理由は大気圏再突入時の暴発を防ぎ、信頼性を高めるために低感度爆薬を選択しなければならなかったからである。一方、搭載されていた触発信管は高感度で連合国側で発見された不発弾頭はわずか2基のみだった[5]。反面迎撃不可能ゆえに、V2 の攻撃を阻止するには発射基地を制圧する必要があり、かえって連合軍のドイツ侵攻を早める動機づけにもなった。そのような意味ではドイツの敗北を早めた兵器とも言える。Wikipedia:君主制抜粋君主が存在する国家を君主国、君主が存在しない国家を共和国という。君主国は通常、支配者の君主号によって、王国(王)、大公国(大公)、公国(公)、首長国(アミール)、帝国(皇帝[注釈 1])などと呼ばれる。その地位を一人の人間が終身で持ち続け、その一族により世襲される君主制を世襲君主制という。世襲君主制においては、君主の一族を王家(王室)と呼び、王家による世襲権力の連続体を王朝という。バチカン市国のように選挙によって君主が選ばれる君主制を選挙君主制という。また、マレーシアやサモアは任期制の君主国[注釈 2]である。君主が絶対的な権力を持つ政体が絶対君主制である。これに対し、君主が権力を制限されていたり付与されていない政体が制限君主制であり、権力の制限が憲法に基づく(立憲主義)場合は立憲君主制となる。立憲君主制はさらに、君主が名目的な地位にあるイギリス型と、君主に強力な権限を持たせたプロイセン型(外見的立憲君主制)に大別される[5]。
2020.01.02
映画「白頭山」が韓国で公開され人気のようです。南北が協力して困難に立ち向かう映画がこの時期に公開される意味を考えると、予め何か大きなスケジュールが組まれていて、それにこの映画が組み込まれていて、世論を誘導しようとしているのではと考えたくなるような映画です。2021.7.19リンク切れにより差替え。2022.11.5内容の追加。■参考リンク映画「白頭山」、公開3日で100万突破・・・「国際市場で逢いましょう」より速い速度12/22Wow Korea映画「白頭山(ペクトゥサン)」が、公開して3日で100万観客を突破しました。「白頭山」は、韓国と北朝鮮すべてを飲み込む初めての災難である白頭山の最後の爆発を防がなければならない人々の話を描いた映画です。 公開に先立ち、俳優ハ・ジョンウ、イ・ビョンホン、マ・ドンソク、チョン・ヘジン、スジの出演で話題を呼びました。「白頭山」は、観客の熱い好評によって21日午前、100万観客を動員しました。 これは1441万人を記録して歴代興行成功作になった映画「神と共に 一章 罪と罰」と、今年1月に公開されて1626万人を集めて歴代ボックスオフィス2位になった映画「エクストリーム・ジョブ」(原題「極限職業」)と同じ速度です。また、1425万人を動員した映画「国際市場で逢いましょう」の4日目100万突破より速い速度で世間の注目を集めました。 このように「白頭山」は、爆発的な口コミと支持に力づけられて公開2週目にもより興行成績をあげるものと見られます。映画は公開後、観客の熱い好評と共に劇場街を席巻しています。観客は「イ・ビョンホン、ハ・ジョンウのケミストリーがものすごい」、「年末に見るのにちょうどいい映画」、「感動と笑いまで二兎のウサギを捕まえた映画」、「劇場で必ず見なければならない映画である」、「演技力も優れている俳優ばかりなので信じて見たが、後悔ない選択だった」などの熱い反応を見せました。「白頭山」は19日に公開され、韓国全国の劇場で絶賛上映中です。今年最大の話題作「白頭山」が韓国で公開! フィクションだが、現実となるかも?辺真一 | ジャーナリスト・コリア・レポート編集長12/19(木) 13:28 ヤフーニュース抜粋韓国大統領府は非常事態宣言を出し、対策に乗り出す。青瓦台民情首席秘書官(チョン・ヘジン)は地質分野の権威者である大学教授(マ・ドンソク)に会い、協力を要請。米国に旅立とうとしていた教授は国内に留まり、指揮を執る。前半から中盤まではソウル市が大災害に見舞われ、大混乱をきたすスペクタクルな災難場面がこれでもかと流れ、観客は手に汗を握る。 さらなる爆発を防ぐための秘密作戦に韓国軍爆発物処理班の大尉(ハ・ジョンウ)が投入される。一方、北朝鮮も人民武力部の工作要員(イ・ビョンホン)が乗り出し、未曾有の災難を防ぐための死闘を繰り広げる。第4次爆発を阻止できなければ、朝鮮半島は沈没する。まさに朝鮮半島の運命はこの二人に委ねられることになる。 葛藤を繰り返しながらも、火山爆発を防ぐと言う共通目標で宿敵であるはずの二人は手を組む。ハ・ジョンウとイ・ビョンホンはこの映画が初共演で、二人のツーショットは開始20分頃から。友情と義理が行き交ったり、窮地に陥ったり、観客の涙を誘う場面も。韓国映画『白頭山』の感動シーンは南北の協力週刊実話2019年6月13日 10:00 exciteニュース 政権への忖度の強い韓国映画が『白頭山』の制作に入った。主演のイ・ビョンホンが噴火を止めようと任務にあたる北朝鮮要員で、ハ・ジョンウはイ・ビョンホンとともに噴火に立ち向かう韓国側の要員として出演する。また、マ・ドンソクは科学者役で登場するという。全キャスティングを終えた後、来年初めから撮影に入る予定だ。 「北朝鮮と中国の国境上にそびえたつ白頭山(標高2744メートル)は、朝鮮半島の『聖山』です。同時に朝鮮半島唯一の活火山でもあります。北朝鮮世襲政権2代目オーナーの金正日総書記が生前に力を入れて制作させていた映画は、そのすべてが体制宣伝の道具でした。自身の生誕地だから『聖地』だと宣伝した今回の韓国映画と同名の『白頭山』では、日本統治下の朝鮮を舞台に抗日パルチザンのリーダーだった父、金日成将軍の戦いぶりが描写されています。金正恩氏も韓国の文在寅大統領と実際に登頂し、南北統一を誓い合っています。同山は北の世襲独裁にうまいこと利用されてきたわけですが、今回の韓国映画は、南北が力を合わせ災害に立ち向かう姿に観客を感動させようと意図しているのがミエミエです。韓国人監督は、対北融和派が多いですからね」(韓国ウオッチャー) この白頭山、実は北朝鮮の専門家が蓄積データを英国に提供し分析を依頼したというから、噴火の懸念が大きいといわれている。先日、英国で開かれた国際学会では、周辺でここ3年間に地震が頻発し、地表が最大7センチ隆起したと報告されている。 「白頭山はこれまで100年に一度の小噴火と、1000年に一度の大噴火を繰り返してきました。中でも西暦946年に起きた大規模噴火は世界最大級ともいわれる巨大噴火で、頂上に直径5キロメートルのカルデラが形成され、火山灰は偏西風に乗って日本の東北地方にも降り注いでいます。ちなみに最後に噴火したのが1925年で、このときは小規模でした。白頭山噴火の危険性は5~6年前に中国の一部学者らが本格的に提起したことで、韓国でも関心が高まっていました。すでに2005年の時点で撮られた映像から地下にマグマが溜まっていることや、地下から噴出するマグマによるガスで白頭山の樹木が枯死していることも確認されています。北の核実験でゴジラならぬ白頭山を目覚めさせたのかもしれませんね」(同・ウオッチャー) 自業自得と言えばそれまでだが、日本に火山灰が降り注ぐのだけは防ぎたいものだ。
2019.12.22
来年6月公開です。第1作は珍しく劇場で見ましたが、アクションと美しさが共存して面白かったです。今から楽しみです。■参考リンク2019.12.10傭兵ペンギンさんGIZMODO:80年代を舞台に鮮やかに大暴れ! 『ワンダーウーマン 1984』予告編新たな敵はドナルド・トランプなのか!?ジャスティス・リーグの一員であるスーパーヒーロー『ワンダーウーマン』の単独映画第二弾『ワンダーウーマン 1984』の予告編が公開となりました。今回もいつもの同じく、予告編からわかることをちょいちょい解説させていただきますよ!コミックでの設定の話もするので、もしかするとネタバレに繋がっている可能性もあるので少々お気をつけください。今作のメインとなる舞台はそのタイトル通り1984年。第一次世界大戦の最中、恋人スティーブ・トレバーを失ったワンダーウーマンことダイアナ(第一作『ワンダーウーマン』)は、その正体を隠して暮らしていたが、そこにどういうわけかスティーブが復活し姿を表す。そこから、新たな敵であるマックス・ロードとチーターを相手に戦いを繰り広げることになる……というストーリーの様子。『ジャスティス・リーグ』の冒頭っぽいやや既視感のあるアクションシーンもあれど、とにかく派手でカッコいい。時代を反映してかとにかく鮮やかで、回想シーンと思しきアマゾンの筋肉番付風なアスレチックアクションもやたらと壮大で熱いですね。鮮やかさで言えばラストに登場するアーマーが、黄金聖闘士みたいになっていますが、これはおそらくコミックの『キングダムカム』以降、何度か登場している羽つきのアーマーがモデルなのでしょう。前作では世間知らずなダイアナにトレバーが色々教えるという構図でしたが、今作ではタイムトラベル(?)してきたトレバーにダイアナが色々教えるという流れっぽいのも面白い。以下略。
2019.12.16
先日ZAKZAKに米軍が『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)という映画に撮影協力と出ていました。そういえばあれから8年になるけれど、直接事故を扱った映画はまだ見たことが無くぜひ見たいと思いました。 原作の門田隆将さんの「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」は評価も高く、事故の真相を今更ながら知りたいと思いました、特に当時は評価されたなかったような菅元首相の果たした役割とか。kindleでも単行本より文庫本のほうが安いのが不思議です。小泉元首相が主張されるトモダチ作戦での米兵被爆被害を心配していましたが、Wikipediaによれば、『アメリカの国防総省が2014年に公表した報告書で、作戦参加者の被曝は「極めて低線量」とし、健康被害との因果関係には否定的な見解を示しており、』とのことでちょっと安心。■参考リンク死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日 単行本 – 2012/11/24門田 隆将 (著)映画「Fukushima 50」公式サイト|2020年3月6日(金)全国ロードショー『トモダチ作戦』再び!佐藤浩市主演「Fukushima 50」に米軍が撮影協力2019.11.19:ZAKZAK東日本大震災の福島第1原発事故を描く映画「Fukushima 50」(若松節朗監督、来年3月6日公開)に、邦画史上初めて米軍が撮影協力したことが18日、分かった。 同作はジャーナリスト、門田●(=隆の生の上に一)将氏のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」が原作で、事故現場で戦い続けた約50人の作業員に迫る物語。 俳優の佐藤浩市(58)が第1原発の1、2号機当直長役、渡辺謙(60)が第1原発所長役で出演している。 同作では米軍が行った被災地支援「トモダチ作戦」が描かれ、米国大使館関係者を通じた米側安全保障チームとの交渉の末、米軍の協力が実現し、米軍横田基地を日本映画で初めてロケ地として使用。施設内の会議室で作戦会議シーンが再現され、支援に向かう場面では米軍所有のヘリを実際に飛ばし、リアリティーを追究。米兵もエキストラとして参加した。 さらに、自衛隊の要人輸送ヘリも使用され、総理役の佐野史郎(64)が乗り込んで福島第1原発を訪問するシーンも再現した。 横田基地第374空輸航空団将校を演じた米国出身のタレントで山形弁研究家、ダニエル・カール(59)は「基地での撮影はとても楽しいものでした。東北に強い絆を持つアメリカ人の1人として、『トモダチ作戦』の発令を行った司令官役を演じさせていただけたことを本当に誇りに思います」と充実感をにじませた。Wikipedia:Fukushima 50 (映画)概要門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を原作とし[3]、東北地方太平洋沖地震の際、福島第一原子力発電所の対応業務に従事していた人員のうち、事故が発生した後も残った約50名の作業員達=通称“フクシマ50”の闘いを描く。キャスト伊崎利夫(福島第一原発1・2号機当直長):佐藤浩市吉田昌郎(福島第一原発所長):渡辺謙前田拓実(福島第一原発5・6号機当直長):吉岡秀隆[4]野尻庄一(福島第一原発発電班長):緒形直人[5]大森久夫(福島第一原発管理グループ当直長):火野正平[5]平山茂(福島第一原発第2班当直長):平田満[5]井川和夫:萩原聖人伊崎遥香(伊崎利夫の娘):吉岡里帆[5]伊崎智子(伊崎利夫の妻):富田靖子滝沢大(遥香の恋人):斎藤工[5]内閣総理大臣:佐野史郎[5] 浅野真理(緊急対策室の総務班職員):安田成美[4]福原和彦:田口トモロヲ樋口伸行:皆川猿時福島民友新聞記者:ダンカン松永:泉谷しげるジョニー:ダニエル・カールWikipedia:トモダチ作戦抜粋トモダチ作戦(トモダチさくせん、英語: Operation Tomodachi オペレーション・トモダチ[3][4])は、アメリカ軍の作戦名の一つである。概要2011年(平成23年)3月11日、日本で発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震とそれを原因とする災害)に対して行う災害救助・救援および復興支援を活動内容とする。作戦名は日本語の「友達」にちなんでいる[5]。この語は、アメリカ太平洋軍司令部に北東アジア政策課日本担当として在籍中のアメリカ空軍退役軍人ポール・ウィルコックス (Paul Wilcox) を名付け親として、太平洋軍司令官ロバート・F・ウィラード大将 (Admiral Robert F. Willard) が採用した[6]。2013年に駐日大使として着任したキャロライン・ケネディ氏は、このトモダチ作戦実行の発端について、2015年10月17日、在日米軍管理施設 New Sanno U.S.Force Center にて米海軍司令部により主催された日米消防フレンドリーシップパーティー開会式挨拶の中で、『3.11トモダチ作戦は、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロに、日本の消防救助隊が駆けつけてくれた事に起因する』と公の場でコメントした[注 3]。乗員および艦艇の放射線被曝第7艦隊の報道官によると、展開中のアメリカ軍艦艇が放射線に曝露していることが、監視装置の測定によって判明した。別機材による測定でも、乗員17人が放射線被曝したと述べた。しかし、ジェフ・デービス海軍中佐は、露出は少なく乗員は洗浄後に行った放射線検査では陰性反応を示したと明らかにした。これは日常生活上で1ヶ月間に被曝する放射線量未満とされ、今後は念のため露出部位を最小に抑えて救援活動を実施するとした[41]。東京電力に対する訴訟2012年12月、トモダチ作戦に従事した空母「ロナルド・レーガン」の乗組員8名が、福島第一原子力発電所事故に関する正確な情報を得られずに被曝したとして、東京電力に総額1億1000万ドル(約94億円)の損害賠償などを求める訴訟を米連邦地裁に起こしたと報じられた[42]。2016年5月に、提訴に元兵士らとその家族が加わって約400人に達した。同年5月中旬、カリフォルニア州サンディエゴ近郊を訪れ健康被害を聞いた小泉純一郎元首相は「見過ごせない」と涙を見せた[43]。同年7月、小泉氏は支援基金設立を発表した[44]。しかし、アメリカの国防総省が2014年に公表した報告書で、作戦参加者の被曝は「極めて低線量」とし、健康被害との因果関係には否定的な見解を示しており、科学的なデータや根拠に基づく検証が必要とされると述べている[45]。さらに国立がんセンターにて診療・研究に従事してきた上昌広も広島の原爆被害者の被曝の研究で既に違うと判明している死因が被曝や白血病によるものだとの偏見であり、小泉氏は自身の原発への考えに基づく誤った判断をしていると反論している[46]。アメリカ軍の医者(軍医)を以前に務めていたジョナサン・ウッドソン国防次官補(健康部門)[47]も2014年に議会に招致された際に極一部の兵士らだけが主張する健康問題が放射線によるものだという客観的証拠はないことして関連性を否定している[48]。謝意4月4日に三陸沖で支援活動中の空母「ロナルド・レーガン」を訪れた防衛大臣北澤俊美は、「米軍に感謝と称賛を申し上げたい。今ほど米国が同盟国であったことを頼もしく、誇りに思う時はない」と述べ、「米国の迅速かつ力強い支援は、半世紀にわたる日米同盟により、両国が培ってきた絆の証しだ」との菅直人首相のメッセージも代読している[49][50][51]。作戦に対する反応気仙沼市大島においては、4月6日の海兵隊の撤収時に多くの住民が見送りを行い、上陸用舟艇には別れのリボンが付けられた[52]。航空機向けの標識とともに宮城県女川町では"THANK YOU USA"の文字が描かれ[53]、仙台空港そばの海岸には、住民により「ARIGATO」(アリガトウ)の文字が作られた[54][55]。Wikipedia:福島第一原子力発電所事故抜粋最悪のシナリオ政府の事故調査・検証委員会が福島第一原発の吉田昌郎所長から聴取した内容(通称「吉田調書」)によると、2号機の注水が停止しベントもできない危機的な状況に陥っていた3月14日から15日にかけて、吉田所長は、このままでは格納容器が破壊され核燃料が全て出てしまう、原子炉の圧力破壊が起きると考えていたという[285]。「放射性物質が全部出てしまうわけですからわれわれのイメージは東日本壊滅ですよ」と語っている。このような恐怖感は、同じ頃総理官邸も共有していて、例えば枝野内閣官房長官は、福島第一から福島第二原発、東海第二原発へと連鎖的に事故が進むシナリオが頭の中にあったとのちに語っている[286]。2号機の格納容器が破壊され、放射性物質が大量放出される最悪のシナリオが現実に迫っていた[287]。実際には、2号機は圧力破壊には至らず、格納容器の配管の繋ぎ目が壊れたり蓋に隙間が出来たりして、部分的に放射性物質が漏れ出したのではないかとみられる[288]。なぜ2号機が決定的に壊れなかったのかは、十分解明されていない[289]。菅直人総理大臣は、最悪の場合に何が起きるか具体的なイメージをつかむため、3月22日、近藤駿介原子力委員長に「最悪シナリオ」の作成を要請した。3日後の25日、「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」と題する資料が細野首相補佐官に提出され菅総理に報告された[290]。この資料は閲覧後回収されて存在自体が秘密に伏されたが、2012年2月初めに、内閣府の情報開示で公開された[291][292]。この資料で示されたシナリオでは、1号機で再び水素爆発が発生した場合、放射線量上昇により作業員が全面撤退を余儀なくされ、他の号機への注水も止まり、4号機の使用済み燃料プールの燃料損傷が発生、使用済み燃料プールでコアコンクリート相互作用(溶融燃料コンクリート相互作用、MFCI)が発生する[293]。この場合、4号機の使用済み燃料プールからの放射性物質の放出量が最も多く、避難規模を大きく左右することになる。その結果、チェルノブイリ事故で適用された基準を当てはめると、170km圏[294]で強制移住、東京を含む250km圏[295]で避難を求めることが必要になることが示されている。菅直人も2013年11月8日、ハフィントン・ポストにて、最悪の場合東京を始め首都圏を含む5000万人の避難が必要となる可能性があったと述べた[296]。この4号機の燃料プールは、事故収束宣言後の2012年4月12日にも、冷却装置の警報が作動し、温度上昇が発生した。水漏れや異物の混入などの可能性が懸念されている[297]。共同通信配信の産経ニュースほか国内多くの報道機関や米国ビジネスウィークなどは、2012年2月21日発表されたNRCの事故当初10日間の3200ページ[298]からなる自動録音の電話会議記録文書について報じた。3月16日グレゴリー・ヤツコ委員長は「最悪のシナリオはおそらく、3つの原子炉がメルトダウンすること。格納容器が壊れ、放射性物質の漏出が起きそうだ。漏れの規模を予測するのは難しい」一方、「風が東京に向かって吹いている場合、東京にどう影響が及ぶのか」と懸念する出席者に「現時点で米国民の退避範囲は、50マイル(約80キロメートル)でいこうと思うが、不確実であり、拡大する可能性はある」と答えた。これらのことはメルトダウンの可能性を認めようとしなかった日本政府のリスクに対する危機意識の違いがあった[299][300]。
2019.11.27
ミッドウェーという映画が先日米国で公開されて好調なようです。日本からは豊川悦司さん、浅野忠信さん、國村隼さんが出演されています。てっきりお正月映画かと思ったら、なかなか日本での公開のメドが立たず、やっと来年公開に決まったとのこと。WSJによれば、最近ヒット作の無いエメリッヒ監督のこの映画にハリウッドからは資金提供するところが出ず困っていたところ、スターライト社と、ある中国企業1社から出資を受けたとのこと。最近ハリウッドに対する中国の出資は先細りだったのでめずらしいそうです。中国政府が長年、日本の軍事行動を巡るプロパガンダ映画をテレビで放映してきている中で、第2次世界大戦、特に中国絡みの副次的テーマが盛り込まれ日本が負ける筋書きのハリウッド作品は中国で成功を収めるようになってきているとのこと。この作品にもそんなシーンがあるようです。作品の評価的には良いようで、観たい気もしますが、中国を不自然にヨイショするようなシーンがあるならちょっと腰が引けます。最近やたらと海底から日本の軍艦が見つかったとのニュースがありましたが、これの宣伝だったのかなと思いました。■参考リンク「ミッドウェー」初登場首位、「ドクター・スリープ」抑え-北米映画Hailey Waller2019年11月11日 8:26 JST Bloombergベテランズデーの週末の北米映画興行収入ランキングで、第2次世界大戦中のミッドウェー海戦を題材とした「ミッドウェー」(ライオンズゲート・エンターテインメント)がスティーブン・キングのホラー小説を基にした「ドクター・スリープ」を抑え、初登場首位となった。 調査会社コムスコアが10日発表した推計値によると、ミッドウェーの興行収入は1750万ドル(約19億1000万円)。アナリストの予想は1140万-1500万ドルだった。 この週末は上記2作品を含む新作4本が公開された。ハリウッド映画「ミッドウェー」 後ろ盾は中国の理由By Erich Schwartzel2019 年 11 月 10 日 06:17 JST 更新 Te Wall Street Journal【ロサンゼルス】ハリウッドの新作戦争映画「ミッドウェー」のプレミア上映会を終えた5日、ローランド・エメリッヒ監督(63)の邸宅でパーティーが開かれた。監督はプールの周りで南国風のたいまつや、寿司の並ぶテーブルの間を縫って歩きながら、2枚の記念撮影に収まった。 1枚はミュージカルドラマ「glee/グリー」の人気俳優ダレン・クリスとの写真だ。ダレンは「ミッドウェー」では旧日本軍と戦ったパイロット役で映画に出演している。もう1枚は中国の制作会社、星光文化娯楽(スターライト・カルチャー・エンターテインメ...以下有料記事。旧日本軍の空母「赤城」、米調査団が発見 ミッドウェー海戦で沈没2019.10.22 Tue posted at 12:02 JST CNNWikipedia:ミッドウェー海戦ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん; 英語: Battle of Midway)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年(昭和17年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)から7日(6月3日から5日とする場合もある[1])にかけて、ミッドウェー島付近で行われた海戦。同島攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形で発生し、日本海軍機動部隊とアメリカ海軍機動部隊および同島基地航空部隊との航空戦の結果、日本海軍は投入した空母4隻(全て主力空母)とその搭載機約290機の全てを喪失する大敗戦となり、以後残る主力空母はこの作戦に参加しなかった2隻のみとなった[注 1]。ミッドウェー海戦はMI作戦の一部であり、この敗北で同作戦は中止された。以下略。全米1位デビューした、豊川悦司ハリウッドデビュー作はどんな映画?猿渡由紀 | L.A.在住映画ジャーナリスト11/11(月) 13:00 ヤフーニュースこの週末、ボックスオフィス戦線に異常が起きた。圧倒的強軍「ドクター・スリープ」を相手に、負け戦に挑んだと見られていた「ミッドウェイ」が、見事首位を獲得してみせたのである。第二次大戦を舞台にしたこの映画は、豊川悦司のハリウッドデビュー作。豊川が演じるのは、海軍大将の山本五十六。山口多聞役で浅野忠信、南雲忠一役で國村隼も出演する。 タイトルが示すとおり、映画は1942年6月5日から7日にかけて起きたミッドウェイ海戦を語るもの。真珠湾攻撃の前からスタートし、日本側の動きを察知した米軍によって打ち負かされるまでを描く。以下略
2019.11.12
杉山泰一監督の、の・ようなもの のようなものを見ました。森田芳光監督のの・ようなもの偉大さに比較したらきっとかすんでしまうと、期待してませんでしたが、結構面白かったです。の・ようなものの登場人物のその後が見られて懐かしかったのが良かったし、森田監督を偲ぶ会的な映画に仕上がっているのも、興味が湧きました。同窓会に出席した気分です。の・ようなものをはじめて観た時、不思議な懐かしさを感じました。なんでだろうと思ってました。最近読み始めた志賀貢さんの「臨終の七不思議」の中に、『人間の本能には「集団欲」という欲望が備わっています。つまり、人間は一人では生きていけない生物であって、親子、兄弟、仲間が群れをなして助け合ってはじめて生きていけるのです』とありました。の・ようなものは、人間の本能のうち性的欲求とともに、集団欲を見事に描いているから心にいつまでも残るのではと思いました。宮藤官九郎さんのタイガー&ドラゴンにも同じ様な懐かしさを感じます。Wikipedia:麻生えりかの・ようなもので麻生えりかさんのバイクのシーンが一番好きです。Wikipedia:大野貴保志ん魚とともに落語家としての将来に悩む若者の鬱屈を演じた大野貴保さん。平凡な日常の一コマに突然入ってくる微妙にエロティックなシーン。女優さんの名前は分かりませんが、40年経った今も強烈に印象に残ります。やはり森田監督は私も天才だと思います。Cinema Cafe.net 2012.3.29.森田芳光の名作で芸能界デビューしていたエド・はるみ 女優志望だった30年前を回想そういえばこのおかっぱ頭の女の子はエド・はるみさんのように思います。Wikipedia:吉沢由起吉沢由起さんが待ちくたびれておにぎりを食べるシーンが印象的でした。■参考リンクWikipedia:の・ようなもの(1981)『の・ようなもの』は、1981年の日本映画。落語の世界を題材にして、コメディの要素を取り入れた青春群像映画。本作の35年後を描いた杉山泰一の監督作品『の・ようなもの のようなもの』が2016年1月16日に公開された[1]。製作N.E.W.S.コーポレーション制作、日本ヘラルド映画(現・角川映画)配給。森田芳光が監督・脚本・企画を務めて制作された作品で、劇場映画監督デビュー作である[3]。栃木弁丸出しの伊藤克信が秋吉久美子と並んで主役に抜擢され本格的にデビュー、秋吉がソープ嬢[2]を体当たりで演じたことも話題になった。落語関係者や日活ロマンポルノ関係者などが多数出演している。タイトルは三遊亭金馬 (3代目)の十八番(おはこ)の演目「居酒屋」から採っている[4]。この作品について、森田は「『人間はみな面白いものだ』という観点から人間をより多面的にとらえ、言葉やしぐさの中に含まれる人間的な温かみを表現したかった」[5]と語っている。キャッチコピーは「人間ってなんて面白いんだろう」だった。また、『間宮兄弟』の原点であるとも語っており、同作の公開とあわせて2006年10月に初めてDVD化された[6](発売元:アスミック、販売元:角川エンタテインメント)。キャスト伊藤克信:志ん魚(しんとと)秋吉久美子:エリザベス尾藤イサオ:志ん米(しんこめ)麻生えりか:由美でんでん:志ん水(しんすい)小林まさひろ:志ん肉(しんにく)大野貴保:志ん菜(しんさい)入船亭扇橋(9代目):出船亭扇橋(師匠)内海桂子:近所の主婦(松葉くずし主婦)内海好江:おかみさん(泰明小卒)三遊亭楽太郎:笑太郎春風亭柳朝(5代目):有名落語家芹沢博文:由美の父加藤治子:由美の母小堺一機:川島(オカマのコンビ)ラビット関根:川添(オカマのコンビ)室井滋:亜矢(エリザベスの友人)鷲尾真知子:おばさんディレクター永井豪:エリザベスに挨拶される男吉沢由起:佐世子(志ん米の妻)小宮久美子:志ん菜の姉五十嵐知子:まりや風間かおる:真代直井理奈:佐紀金井久:前座・柳感小笠原勤:前座・君丸大角桂子:落研所属の女子高生ナガシマ&結婚式の新婦・竜子(ニ役)由良聡:結婚式の新郎・新介エド・はるみ:落研所属の女子高生(エキストラ)Wikipedia:の・ようなもの のようなもの『の・ようなもの のようなもの』は、2015年の日本映画。森田芳光監督の劇場デビュー作『の・ようなもの』の35年後を描く完全オリジナルストーリー。第28回東京国際映画祭・パノラマ部門出品作品。製作2011年12月の森田芳光監督の急逝を経て4年、森田組のスタッフ・キャストが再集結し『の・ようなもの』の35年後を描く本作が制作された。主演の志ん田役には、森田芳光監督の遺作『僕達急行 A列車で行こう』の松山ケンイチ。志ん田を振り回しながらも優しく見守るヒロインの夕美に『間宮兄弟』の北川景子。前作と同じ役で伊藤克信、尾藤イサオ、でんでんらも顔を揃えている。また、森田作品ゆかりのキャストが前作には全く関係ない役どころで姿をあらわしている。監督は『の・ようなもの』以降、森田作品を助監督として支え続けた杉山泰一が本作で映画監督デビュー。脚本は、やはり森田作品の助監督を経て、前年『ショートホープ』で監督デビューを飾った堀口正樹によるもの。『の・ようなもの』で志ん米の師匠・出船亭志ん扇を演じたのは入船亭扇橋で『の・ようなもの のようなもの』では写真(遺影)での登場を考えていたが、撮影当時扇橋は入院中で、シャレで済まなくなると考え登場を断念した(扇橋死去は2015年、映画公開は2016年)[2]。キャスト松山ケンイチ:出船亭志ん田(でふねていしんでん)北川景子:夕美伊藤克信:出船亭志ん魚(でふねていしんとと)尾藤イサオ:出船亭志ん米(でふねていしんこめ)でんでん:出船亭志ん水(でふねていしんすい)野村宏伸:出船亭志ん麦(でふねていしんむぎ)戸谷公人:出船亭志ん茸(でふねていしんたけ)鈴木亮平:蕎麦屋の出前ピエール瀧:渡辺孝太郎佐々木蔵之介:みやげ物屋の店主塚地武雅:銭湯の男宮川一朗太:弁当屋のオジちゃん鈴木京香:都せんべい女主人仲村トオル:居酒屋の主人笹野高史:床屋の主人内海桂子:秋枝婆さん三田佳子:斉藤女会長秋吉久美子、森田芳光監督ってやっぱり天才だった 2016年1月24日 16時58分尾藤イサオ:シー・ユー・アゲイン雰囲気(1981)~「の・ようなもの」~から、悲しき願い(1964)、あしたのジョー(1970)
2019.10.23
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