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まだまだ移転途上ですが、公開しておきます。星を見る人は草原を這う内容は09/12/04のところ、大して変わっていません。よろしければ、お時間のあるときにでもいらしてください。生活は相変わらず苦しいですが、読書はちまちまと再開しています。
Dec 4, 2009
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「もしぼくが、ぼく自身の前で裸になっていられなければ、 浜辺の裸身を愛するにふさわしくないだろう。 はじめて幸福という言葉の意味が、 ぼくには曖昧でなく思えるようになった。」p56 31
Mar 10, 2009
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「ぼく自身がぼく自身に相対しているということ。 ぼくは努力してその状態をぎりぎりまで押し進め、 いまではたいそう耐え難いと思う孤独という犠牲を払ってまで、 ぼくの生活のあらゆる局面でそれを維持しようとしたのだ。 負けてはならない。すべてがそこにあるからだ。 同意したり、裏切ってはいけない。 激しい力がぼくを助け、 そうしているうちにやがてはその力がぼくの愛を生むのだが、 その愛とともに、湧きおこる生の情熱がぼくの日々の意味を作ってゆくのだ。」…アルベール・カミュ 太陽の讃歌 p56 5
Mar 6, 2009
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断絶が見える者は、橋を架ける人生を歩むべきです。否。自らを架け替え可能な橋へと変質させるべきです。断絶は消えない。消えてくれません。たとえ別の橋が架けられようと、あなたが見ているその人が救われないのであれば、それはあなたにとって橋ではないのだ…
Feb 22, 2009
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思うに、自分が人生で苦痛と恥に満ちた期間を無効化することを、無意味化することを、克服だと思っていたことが間違いだった。あの体験は消しようがなく、苛立たせるが、無価値ではない。自分というものが、図らずも自分が自分に対して最も正直だった期間だ。そんな自分に、僕は墓を作った。自分の本質を墓に押し込んで、忘れて、周囲に、時代に、適応してしまいたかった。それでもやはり、僕が生きるには、生命と欲望の眼光を発しながら生きるには、あの生命力が必要なんだ。僕は誠実を軸とし、紳士たることを求めた。今までそれは、他人に対して、世間に対しての自分へだった。自分に対して、僕は誠実で、紳士たらねばならない。それが、墓に対する礼拝となろう。
Feb 18, 2009
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「とことんまでやり遂げねばならぬ。 それはたんに抵抗するばかりではない。 同様にことのなりゆきにまかせることでもある。 ぼくは自分というものを感じている必要がある。 それが、ぼくを超えてゆく限りにおいてだ。 ぼくはときおり、 ぼくから部分的に逃れてゆくものを書かねばならぬ必要に迫られる。 それらは逃れてはゆくが、 同時にぼく自身のなかにあってぼく自身より強烈なものの存在をまさしく物語っているのだ。」…アルベール・カミュ 太陽の讃歌 p44
Jan 8, 2009
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本年もよろしくお願い致します。
Jan 1, 2009
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潮時ですね
Nov 30, 2008
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愚者は非難し、知識のある愚者は批判し、賢者だが無気力な者は冷笑し、賢者で気力もあるが敬意を欠いている者は同調を迫る。同調はしないが理解を示し、ただ彼や彼女の幸運を願い、指導せずに鍵のある方向へと導き、彼や彼女の情熱が実を結ぶ事を祈る。
Oct 8, 2008
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礼儀のない無神論者は、堕落というよりは野蛮人に近い。
Oct 2, 2008
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敬意を示さない人間に、誰が敬意を示すか。 敬意を貶める人間の敬意を、誰が信じるか。
Sep 22, 2008
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幸福は充実の成果を以て維持し、充実は幸福を資源にすることで前進する。
Sep 22, 2008
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開拓者が入植したならば、望楼守を残し、斥候は行く。
Mar 21, 2008
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あらゆる星が…… 前半「あらゆる星が 私の衷(うち)で鼓動するのを わたしは感じます。 世界が わたしの生の中で ほとばしる水のように湧き出ます。 花々は わたしの本質の中に咲くでしょう。 景色と川との春がことごとく わたしの心の中に 薫香となって立ちのぼり そして あらゆるものの息が わたしの思想の中で 一つの横笛のように 歌います。」 …ラビンドラナート・タゴール 美の実現(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Nov 19, 2007
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自由の中に「精神が 恐怖を持たず 首が毅然と高くもたれ 知識が 自由であるところ 偏狭な 家の隔ての壁によって 世界が 寸断されているのでないところ 言葉が 真理の深みから湧き出て たゆみない努力が その両腕を 完成へと差し伸ばすところ 理性の 明らかな流れの道筋が いのちのない因襲の ひからびた砂漠の砂に吸い込まれないところ 精神が ますます広がる思想と行為との中へあなたにみちびかれて前進するところ――― その自由の天の中に わが父よ わが国を めざましたまえ。」 …ラビンドラナート・タゴール 美の実現(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Nov 18, 2007
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「岩石の中の荒々しい禁欲よりも、生命の最も優しい発現の中にこそ、 さらに強いものがあり、さらに多くのヒロイズムがあることを日本は知っています。 真の強さは広漠たる荒地にはなく、限りなく甦る美によって、 時の容赦ない歩みにもくじかれぬ、緑の草の生命の勝利にあるのです。」 …ラビンドラナート・タゴール 美の実現(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Nov 17, 2007
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「意識の輝きに自分の内的なヴィジョンを洗われた人ならば、 ただちに、民族の相異を越えて支配する、 高い精神的な一致(unity)に気づくのである―――」 …ラビンドラナート・タゴール 美の実現(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Nov 15, 2007
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「いかなる詩人も有名店から既製品の言葉を借りてきてはならない。」「詩人は自分自身の種を持っているだけではなく、 自分自らの土壌をも用意しなければならない。 各々の詩人は自分自身の、独自な言葉の用い方をもっているが――― それは、言葉全体を彼が作ったからというのではなく、 詩人の独特な言葉の用い方は、それが生命と不思議に触れあったとき、 それを自分自身の創造の独自な伝達の手段としたものだからである。」 …ラビンドラナート・タゴール 私の人生(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Sep 25, 2007
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「真の詩人、予言者である詩人は、宇宙を音楽的にとらえて表現しようとする。」「音楽においては心情が直接に自分自身をあらわす。 異質の素材の障害にわずらわされることはない。」「音楽は、他の芸術と同じように完成を待たねばならないけれども、 一節ごとに全体の美をあらわすものである。 表現の素材というものは、ことばさえ障害となる。 なぜなら、それらの意味は思想によって解釈されねばならないからである。」 …ラビンドラナート・タゴール 美の実現(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Sep 20, 2007
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「音楽は芸術のもっとも清浄な形態である。 したがって、音楽は、外にあるいかなるものにも妨げられるのことのない、 純一な形と精神を持った美のもっとも直接的な表現である。」 …ラビンドラナート・タゴール 美の実現(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Sep 13, 2007
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「虚偽は宇宙の組織のうちに存在しているのではなくて、 われわれの理解力のうちに否定的な要素として存在している。 同じようにわれわれの生活や芸術のなかで『真理』の不完全な実現から生まれる美のゆがめられた表現のうちにも醜さがある。」 …ラビンドラナート・タゴール 人生論(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Sep 11, 2007
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「虚偽というものは存在していないといえば道理に反したことである。 それと同じように、美はいたるところにあるといっても、 醜さという言葉がわれわれの言語から消し去られるべきだという意味ではない。」 …ラビンドラナート・タゴール 人生論(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)Wikipediaの紹介
Sep 8, 2007
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「人は私利私欲から離れ、情欲や官能の強い欲求から遠ざかって、 物を見る力を体得するときにはじめて、 いたるところにある美の真の姿を見るようになる。 このときにはじめて、 不快を感じさせるものが必ずしも美しくないものではなく、 真理においてそのものが美しさを持っているのを悟るようになる。」 …ラビンドラナート・タゴール 人生論(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)
Sep 7, 2007
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「世界全体は我々人間に与えられている。 この世襲財産を手に入れるという信念が、我々のすべての力の究極の意味である。」 …ラビンドラナート・タゴール 人生論(訳:高良とみ先生等による、『詩と人生』(アポロン社)より)…図書館を有効利用してます。
Sep 6, 2007
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「人間は自分が信じたいことを喜んで信じるものだ。」 …ガイウス・ユリウス・カエサル ガリア戦記(訳:柳沼重剛先生による、『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫)より)
Sep 5, 2007
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「各人は、自己の正銘の要求を反省熟考することによって、 自己の内なるカオスを組織化しなければならない。 その誠実さ、その有為で真実な人格は、いつかは、 常にただ口真似、見真似、物真似をこととすることを拒むことがあるに違いない。 その時に彼は、文化というものが生の装飾、 すなわち根底において常にただ仮装であり、隠蔽にすぎぬもの ―――なぜならば、すべての飾りは飾られたものを隠すものであるから――― とは別な何ものかでありうるということを理解し始めるのである。」 …フリードリヒ・ニーチェ 生に対する歴史の利害 十(訳:原田義人先生による、『若き人々への言葉』(角川文庫)より)
Aug 29, 2007
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「気ながに見ていてください。 そうして貴方たちの予期してくださるように進歩しないでも どうか私を責めないでください。 私は静かに成長したいと思っています」 …武者小路実篤 人生の日々
Aug 18, 2007
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「自分は生きる。生きられるだけ生きて見せる。 そうして発達する限り自分を発達さして見せる。 それがもっとも男らしい。 そうして自分の出来る最も大きい仕事ではないだろうか。と。」 …武者小路実篤 人生の日々
Aug 16, 2007
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「光はあたりを照らすから光だ。 光の値打ちは自分だけが光っていればいいのではない。 あたりを照らすから光なのだ。 光だといってあたりを照らさなかったら、光ではない。」 …武者小路実篤 人生の日々
Aug 15, 2007
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「人間の値打ちは結局、他人に働きかける質と量で決まると思うね。 自己を完成するのが個人の務めには違いないが、 自己完成というのはつまり円満な人格を作ることで、 円満な人格をつくるということは 他人が円満な人格を作るのに役立つことを意味しているのだ。 自分だけを完成する。しかし他人には何の影響も与えないで死んでゆく、 悟りを開いた釈迦がその時そのまま涅槃に入ってしまう。 それでは面白くないと思う。 自分が悟るのはつまり皆を悟らせるのに役に立つから貴いのだ。」 …武者小路実篤 人生の日々
Aug 14, 2007
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「先ず、正しく生きられる社会を作る必要がある。 正しく生きろというだけでは駄目である。 正しく生きられる道を与えることが必要がある。 生きる道を与えずに、悪いことを罰するのは、無理である。 その無理が極端になれば、死ぬということになる。」 …武者小路実篤 人生の日々…sidusさんのページ | Bibuly(ビブリー)-…拍手でコメントを送ってくださった方々、ありがとうございます。 ありがたく読ませていただいています。 更新することで御礼とさせていただきます。
Aug 13, 2007
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「ギリシャ人は、そのカオスをしだいに組織化することを学んだ。 それは、彼らがデルフイの教えに従って、 自分みずからを、すなわち彼らの正銘な要求を、反省熟考し、 見せかけだけの要求というようなものを死に絶えさせることによって、できたのである。 かくして彼らは、ふたたび自己を取り戻して、 いつまでも全東方諸国の、累代の遺産相続者であり、 末社であることにとどまってはいなかったのである。」 …フリードリヒ・ニーチェ 生に対する歴史の利害 十(訳:原田義人先生による、『若き人々への言葉』(角川文庫)より)
Aug 12, 2007
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「遠くからあの泉を見れば、 あるいは太陽の、あるいは星による輝きを、見る。 だが泉に近づいて、近づいて近づいて近づくにつれ、土が腐り始め、 足を腐った土に沈めながら泉をのぞき込んでみれば、汚れと闇を水底に見て、 『偽物だ』と、彼らは、彼女らは、下を向いてつぶやくかもしれない。 しかし誰かは、 汚れと闇がすべてであるような底の土に、 小さな草がゆらゆらゆられて生えていることに気づく。 泉の周りの腐った土の、枯れて還って溶けていく土に、 あの者たちは予感するであろう。 明瞭な、明瞭な、無のゆえの清浄さという異常さでも天国という虚無でもない、 混沌ゆえに清浄なところの、何度も錬磨された緊張感あるあの歴史的な建造物のような、 満たされた、何もないのに何かに満たされているような無の空間。 海を思う。けれども、この木を、この木を、 この木が、私の与えるものであり、私として与えられるものだ。 海は、本当の命のリズムを思い出させる。 海は母だ。誰もがそこから生まれてきた。誰もがそこに還る。 生は木を育てることにある。何度も幾たびも繰り返され、 少しずつ成長して腐敗して死んで生まれているこの木を。 新しい海の創造ではないのだ。 この木は、精錬された生命を思い出させるだけで、 まだ、生命のリズムを与えることができない。」
Aug 5, 2007
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「ギリシャ人が、ちょうど我々の現在あるのと似た危険にあった世紀、 すなわち異質のものや過去のものの氾濫によって、 すなわち『歴史』によって没落せんとする危険にいた世紀、があった。 決して彼らは、誇り高き純潔に生きていたのではない。 彼らの『教養』は、むしろ長いこと、外来の、 すなわちセム的、バビロン的、リディア的、エジプト的な、 様々な形式と概念のカオスであり、 彼らの宗教は、真に全東方の神々の闘争であった。」 …フリードリヒ・ニーチェ 『生に対する歴史の利害』 十(訳:原田義人先生による、『若き人々への言葉』(角川文庫)より)
Jul 30, 2007
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「その世代そのものの、力強い健康さを保証するしるしは、 まさしく次のことでなければならない。 その青年たちは、自らその本質を示すためには、 現代において流布している言葉や概念の通貨のうちからいかなる概念も、 いかなる仲間用の符牒も、使用しえないのであって、 ただ自己のうちに動いており、闘いつつあり、 分離しつつあり、分解しつつある力のみを、 そしてあらゆる熟したときにおいてのいよいよ高揚した生感情を、 確信しているであろう。」 …フリードリヒ・ニーチェ 『生に対する歴史の利害』 十(訳:原田義人先生による、『若き人々への言葉』(角川文庫)より)
Jul 29, 2007
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「生が認識の上に、科学の上に、支配すべきであろうか。 認識が生の上に支配すべきであろうか。 この二つの強い力のうちいずれが、優位にある決定的な力であろうか。 何人も疑わぬであろう、生がより高く、支配的な力であることを。 生を否定する認識は、自分自身をもともに否定してしまうであろう。 認識は生を前提としている。 従って生を保持することにおいて、 あらゆる生物が生存し続けてゆくことに持つのと同一の、利益を持つものである。」 …フリードリヒ・ニーチェ 『生に対する歴史の利害』 十(訳:原田義人先生による、『若き人々への言葉』(角川文庫)より)
Jul 28, 2007
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さすが!と言わせるFC2ブログ徹底攻略術上記の書籍で紹介されてました。06年11月なのでかなり前。といっても、このサイトの紹介ではなく、ブログパーツ(名言集プラグイン)の紹介でした。ページにアクセスするたびに、ランダムに100の名言を表示するブログパーツです。FC2ブログをお持ちの方は、以下のページでプラグインの詳細を見ることができます。ブログの管理者ページ→プラグインの設定→共有プラグインから、[ 星が見える名言集 ]と検索していただくと、見つけることが出来ると思います。2007/07/17現在、ダウンロード数は4773です。ありがとうございます。FC2ブログをお持ちでない方も、以下のページで詳細を見ることができます。FC2blog Public Plugins 星が見える名言集100スクリプトさえ許可されていれば、どこにでも貼ることが出来ます。当サイトで配布しているものは↓です。[星が見える名言集100]というプラグインを公開しました[ブログパーツ] - 星が見える名言集 - 楽天ブログ(Blog)このサイト自体が書籍で紹介される日が来るのでしょうか。うーむ。
Jul 17, 2007
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「若き魂は次のように問うことによって、生を回想してみる。 お前は何をこれまでに真に愛したか、何がお前の魂を惹きつけたか、 お前の魂をなにが支配し、また悦ばせもしたか、と。 これらの貴重な様々な対象の一群を、お前の眼前に並べてみるがよい。 そうすればそれらはお前に、その実体とそれらの作用とによって、 一つの法則を、すなわちお前の本来の自我の根本法則を、明らかにすることであろう。」 …フリードリヒ・ニーチェ 教育者としてのショーペンハウエル 一(訳:原田義人先生による、『若き人々への言葉』(角川文庫)より)
Jul 9, 2007
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美容の名前特集というところ。URLは[ http://bluesidusiifeld.seesaa.net/ ]。当サイトは、青と星と草と、という副題を持っているので、blue/sidus/fieldというURLにしている。Google検索で星が見える名言集とうつと、2番目に来ていたので気づいた。ページを開いてみると、特に関連したものはないな。。と思ったら、Google先生は大したもので、[ bluesidusifeld.seesaa.net/WISDOM/Drucker1.html ]というものを見つけている。以前、このサイトの実験として、より自由に編集できるSeesaaでも実験的に星が見える名言集を運営していたのだが、最近閉鎖した。その閉鎖したページを、まるまるコピーしていたというわけだ。関連サイト検索でずらずらとコピーページが出てきた。さて、Seesaaブログに通報しようと思ったが、あそこの管理はひどいもので、メールでは何も対応してくれなかった。Seesaa サービス規約: 利用規約によると、第三者の知的財産権の尊重Seesaa は、第三者の知的財産権を尊重します。Seesaaのサービスを利用するアカウント登録者を含む利用者も、第三者の知的財産権を尊重する必要があります。万が一、Seesaaのサービス上でご自身の著作物が著作権侵害された場合は、以下の内容を書面にてお送りください。なお、お送り頂いた書面は如何なる理由であってもお返しできませんのでご了承ください。また、書面をお送り頂くことによってSeesaaが何らかの行為を行うことを保証するものではないことをご了承ください。1.著作権者または著作権者を代理する権限のある方の氏名、捺印、住所、電話番号、電子メールアドレス2.著作権侵害された著作物の作品名、作品説明、著作権侵害の内容と法律的根拠のある説明3.著作権侵害された原著作物が掲載、保管、保存されている場所4.著作権侵害をしているSeesaaのサービス上のURLおよび画面のキャプチャ画像5.書面の内容が真実で、書面の作成者が著作権所有者かその代理であることを示す書類嫌になる。アフィリエイトや広告目的で使われてるのが酷く嫌だ。どうすればいいのだろう。。この手のコピーがまだあるようなら、運営方法を考えないといけないな。。
Jul 7, 2007
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「しかし、我々は我々自身をいかにして再発見するであろうか。 いかにして人間は自己を識りうるのであろうか。 それは暗く、明らかにされない事実である。 そしてもし兎が七通りの皮を持っているとすれば、 人間は七十の七倍の数さえ皮を脱ぎ捨てても、まだこうは言い得ないであろう。『それがほんとうのお前なのだ。それはもはや殻ではない』とは。」 …フリードリヒ・ニーチェ 教育者としてのショーペンハウエル 一(訳:原田義人先生による、『若き人々への言葉』(角川文庫)より)
Jul 6, 2007
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「……何がなお望まれ、なお信じられるべきであろうか、 もし信仰と希望との泉が濁ってしまったならば。 もし内面性が、飛んだり跳ねたり、踊ったり、化粧してみたり、 そして―――自分自身さえしだいに忘れることとなってしまったならば。 偉大で創造的な精神は、いかにしてなお耐えてゆくべきであろうか、 自己の統一的な内面性をもはや堅持していない民族、 変な恰好に造り上げられ、 誤った方向に引きずられた内面性の持ち主である教養人と、 近づきがたい内面性の持ち主である無教養人とに分解してゆく民族、のあいだにあっては。」 …フリードリヒ・ニーチェ 生に対する歴史の利害 四(訳:原田義人先生による、『若き人々への言葉』(角川文庫)より)
Jul 2, 2007
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部分は、全体にとって自らが必要なくなるために作用する。仕事は、それ自体が組織に不必要になるための作業である。作業は一瞬の連続を引き延ばした時間帯にわたって行われる。言葉はその時間帯の一瞬を説明する部分に過ぎない。言葉が部分であるとすれば、全体は行為である。それゆえに、私は、言葉は、行為にとって不必要になるために使用されるべきだと考えている。よって、言葉が言葉を必要とするような言葉は、行為には一見結びつきそうにない言葉を補填するために使用する。星が見える名言集の目的は、言葉という部分をして、行為という全体に種を蒔くという園丁の目的である。何の行為であるかということは問題ではない。言葉は伝達手段であって全体になることは出来ない。意思を持たない道具である。道具は、それを手に取った者が自由に使うものだ。強いて言うのであれば、その道具を手に取った主体の、あるべき姿への行為のための種となることを願っている。
Jul 1, 2007
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善は美しいが、本当の自分を掘り起こすことを知らない。真の善人が、自己理解を欲したときに初めて、真の悪を理解できる。そうしてようやく、我らの海と大地とが準備され、真理の種子が生まれてくる。狂気が種子の生育を早めてしまう。種子は、より以上に、より以上に、自分を超えて、自分でない何かになることを欲する。故に、彼らは常に栄養失調である。病に陥り、苦難に十分に対応できず、苦しみは増大する。だがそれでも、彼らはより以上になることを欲する。あの光、あの光、あの高み、あの高みまで!だが彼は朽ちる。朽ちて倒れて落ちて還った。ああでも、それなのに、彼はまるでそれを知っていたかのよう。あの光、あの高みを求めるのではない。彼の大地は墓場なのだ。彼の養分は墓場の中にある。彼はただ、墓場から再び生まれ、克服し、再構築し、再編成し、再び彼自身を理解するよう努めているようにみえる。あの冷たい水の音が聞こえる。もうすっかり汚されてしまった、秘密だったはずの泉。ここには朽ち木と墓場と汚された腐った泉しかないのだ。だがこの腐った朽ち木は、まだ、根を持っている。それはより成長するために、より養分を必要として見境なく墓場を荒らした盗人だ。彼があの光に到達するために、伸長するために、成長するたびに、盗人は懸命に養分を探り、手に入れ、あの光に到達するための均衡を保ってきた。あの光を求めた木は倒れた。盗人はさらに墓を荒らし回った。ただ盗人の意志が必要として木は蘇ろうとしている。理由もなく目的もなく蘇ろうとしている。盗人の意志は言う。あるべき姿へ、あるべき姿へ!盗人はすでに盗人ではなく、養分に浸食された何者かになっていた。墓場の粉砕者は、墓場を統合し、組織し、どこかへ向かう傀儡になってしまった。ほんの少しだけ残っている盗人の本来が抵抗する。あるべき姿へ、あるべき姿へ!そうして私たちは、彼らが競うなかで苦痛と共に統合されるのを見る。それこそが復活であり、混合における新生である。
Jun 29, 2007
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荒波が船を造らせることを促し、重力が上昇という観念を促し、暗黒が光への渇望を生ませることを促した。追い詰められた時、ほんの少しだけ入ることが出来る、冷たい世界がある。瞑想、デモーニッシュ、福音、悪魔と呼ばれるそれは、一瞬だけ理性に狂った人間を酔わせてくれる。そして再び突き落とす。そこに昇るのが癖になっていた。瞑想に溺れていた。自分にとっての重力。それを求めるには、酩酊状態にあるなかで、さらに冷たい世界に入る必要がある。僕は、克服する道を歩んでいる。再び、あの道を歩んでいる。「……病人や死にかかっている者が、天国やら救済やらを考えた。 彼らは惨めな故に星を欲した。だが星はあまりにも遠かった。(中略) ツァラトゥストラは病人に寛大だ。 願わくは、彼らが癒えた者となり、克服する者となり、 より高い身体をわがものとするように!」…ニーチェ
Jun 18, 2007
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名言は、自分の意見に合ったものだけを掲載する。ここでいう名言とは、自己表現に過ぎない。サン=テグジュペリの主文を載せる。『名言として取り上げられたのとほとんど同じではないか』と思うのは当然。これほどまで僕と似ていて、かつ、圧倒的な差をつけている書籍に初めて出会った。無知を感じさせてくれた。だからこそ、最も尊敬している。『絶望や悲しみを感じるのは、君が自らの言語の鎖を断ち切れず、 自分があるべき高みへと至らせていないためと考える。 ある高みへと至ったとき、すでに敵はなく、事物があるのみである。 全ては高みへ至るための養分となり、階段となる。 それを昇っていく過程で、君は、自分とは違う高みを目指す者を見つけて、 初めて微笑むことが出来るようになるだろう。 そしてまた、君は高みを支える根に属していることを感じる。 高みに至ることで、お前の目指すべき概念がはっきりする。 私は、おそらくは私以外には雑音に過ぎないこの言葉の羅列を通して何を訴えたいのか。 お前の中に流れる音楽を聴かせたいのだ。 お前が酒を飲み、薬を飲み、他人の音楽を聴き、 あらゆる享楽に溺れることで聞くまいとしているあの音楽をである。 その音楽は、お前をあの場所へ昇るよう鼓舞する。 だがそれは、あまりに激しすぎて、お前を高みへ至らせるが、 同時に、めまいを覚えさせ、混乱させる。 ゆえにお前は、一時は昇った高みを降りてきてしまったのだ。 お前には必要がなかったからか、否、 お前はその混乱を収めることができなかったためだ。 だが私はもう一度あの音楽を聴いて欲しいと願う。 なぜなら、それがお前の抱える苦しみの原因ではなく、 お前の苦しみを止揚することで解決してくれる一つの解となるのではないかと思うからだ。』※掲示板機能、制限してたの忘れてました。開放しました。 メールパーツ、左に戻したので、メッセージある方はどうぞ。 返信は激遅です。
Jun 5, 2007
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業務連絡:シラナギさん、コメントでお願いします。著作権法著作権法上記サイトを参考に、このサイトの名言集が、著作権法第二章第一節第十二条第二項の、『データベースの著作物』であることを確信した。著作権法 第二章 第一節 第十二条 第二項(データベースの著作物) 第十二条の二 データベースでその情報の選択又は体系的な構成によつて創作性を有するものは、著作物として保護する。 2 前項の規定は、同項のデータベースの部分を構成する著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない。 ■文化庁のなるほど質問箱でも確認。以下、引用。著作権なるほど質問箱ウ「創作的な組合せ」によって創られる「編集著作物」と 「データベースの著作物」 詩集、百科事典、新聞、雑誌のような「編集物」は、そこに「部品」として収録されている個々の著作物などとは別に、「全体」としても「編集著作物」として保護されます(第12条)。 したがって、こうしたものの「全体」をコピーするような場合には、「部品」である個々の著作物すべての著作権者の了解を得るとともに、全体(編集著作物)の著作権者の了解も得なければなりません。 また、収録されているもの(部品)は「著作物」である必要はなく、データや英語の単語のようなものでもかまいません。このように、編集物が著作物として保護されるためには、そこにどのようなものを収録するか、または、その順序をどのようにするかということ(「選択」又は「配列」)について、「創作性」がなければなりません。したがって、「ある作家が、生まれてから死ぬまでに書いた全ての小説」を「書かれた順」に収録したような全集は、「選択」についても「配列」についても何らの工夫・創作も行っていないため、「編集著作物」にはなりません(個々の部品(作品)は著作物です)。このような編集物のうち、コンピュータで検索できるものを「データベースの著作物」といい(第2条第1項第10号の3、第12条の2)、できないもの(紙に書かれたものなど)を「編集著作物」といいます。データベースの著作物の場合も、部品が「著作物」である場合と「データ」等である場合がありますが、編集著作物と同様に、収録されている「部品」とは別に、「全体」が保護されます。 ここで問題なのは、私が作成した名言集に創作性があるか否か、だ。これまで私は、明らかに自分の考えと合致する言葉のみを選び、かつ、その言葉群が、ある高みへと、このサイトの言葉で言えば、『星の草原』へと誘うような配置を心がけてきた。サン・テグジュペリ、ベートーベン、ロダン、ヘレンケラーがその配置に顕著である。それは名言集の趣旨からも明らかである。その全体の部分たる著作物が、異なる方向性を示していようと、私は、その中の私の方向と合致する言葉だけを選んできた。アルベール・カミュ、ウィトゲンシュタインにそれは顕著である。ドラッカーにおいては、進路、キャリア、自己啓発と並べることで若者への啓蒙を促し、イノベーション、マネジメント、ベンチャー、公的機関と入れ替えることで、既存の組織があらゆる変化に防御策を講じるために、自ら変化を生みだし攻勢をかけなければならないことを表現した。傍観者の時代においては、主義、教育、政治哲学のみを引用し、20世紀の巨人の視点によって20世紀への印象を表現した。善への誘惑など、自己の栄光と自己満足への欲望を、善に奉仕することで達成していることのみを引き出したに過ぎない。ドラッカーの各作品は、こんな名言集よりも遙かに膨大で遙かに濃度が高い。だが、私は私の認識できる範囲で選び、認識を確認できるように配置した。今後は、著作権者の名前が冠されている名言集に、主文を付けてみる。とりあえずは量的なことは考えず(解説は考えず)、名言集作成に至ったときの信条だけの、質的な主文のみを付け足す。
May 25, 2007
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とうぶん、突貫工事でもする。映画、M・P・フォレットの名言集は消した。名言が質的にも量的にも従となるような主文を書くことにする。聖書を引用するとしたら、聖書を従として主文を書かなきゃいけないのだろうか。どうやってそんな主文を書くんだろ。質も量も上回るものを書いたら聖人になれる。
May 24, 2007
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アフィリエイト収入が目的--書籍の無断ウェブ掲載で逮捕 - CNET Japanという記事もあるくらいなので、著作権についてご意見を募りたいと。って、何で楽天は引用タグ(blockquote)が使えないんだよ。システム的に著作権侵害しなくちゃいけないじゃんか。斜体タグも使ってるのに文字は斜めにならないし。まず、法令。(引用)第32条 公表された著作物は、引用して利用することができる。 この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、 かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。私個人としては、勉強、研究の範疇であるのですが、引用という方もいれば、引用でないという方もいるかと。最終的な判断が司法だったら、告訴されるまで分からないのでしょうか。次に、引用が認められる条件を見てみます。引用ここから条件著作権法において正当な引用と認められるには、公正な慣行に従う必要がある。最高裁昭和55年3月28日判決によると、「引用とは、紹介、参照、諭評その他の目的で著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録すること」である。文章の中で著作物を引用する必然性があること。 質的にも量的にも、引用先が「主」、引用部分が「従」の関係にあること。引用を独立してそれだけの作品として使用することはできない。 本文と引用部分が明らかに区別できること。例『段落を変える』『かぎかっこを使用する』 引用元が公表された著作物であること。 出所を明示すること。(著作権法第四十八条)引用元、出所は分かりうる限り、明示しています。かぎかっこをつけて区別できるようにしています。しかし、『質的にも量的にも引用先が主、引用部分が従』というのは現状アウトです。しかしこれは、主たる文章を書けば良いかもしれません。当サイトの名言集では、複数の作品の引用を組み合わせて1つの作品にしている、と私は考えています。しかしこれも、人によっては作品の線引きが異なるので、グレーになるのかもしれません。現在刊行されている著作物のほとんどに、私は過去の作品の影、影響を見るのですが、これは著作権侵害に当たらないのでしょうか。であれば、名言にて表現しているものを自分の文章で説明すれば侵害には当たらないのでしょうか。http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime1.htmlはじめての著作権講座標語、キャッチフレーズ、題名などは著作物になりますか?標語、キャッチフレーズのようなものが著作物として保護されるかどうかは、一概にいえませんが、通常は保護されないと考えられます。もちろん、一口に標語、キャッチフレーズといっても、その内容は様々で中には著作物といえるものもあります。著作物かどうかは、標語、キャッチフレーズといった表現形式によって決まるものではありません。同じような観点から題名も通常は著作物として保護されません。名言というものが標語にあたるのか、触れられていません。グレーです。http://www.cric.or.jp/qa/sigoto/sigoto1_qa.htmlはじめての著作権講座2広報誌に市販の図鑑から野鳥の写真と説明文などを抜き出し、図鑑名、出版社名なども表示掲載し、住民に配布していますが、問題がありますか。図鑑に載っている写真は写真の著作物、説明文は言語の著作物として著作権法によって保護されています。したがって、無断でこれらの写真や説明文を抜き出すことは複製権の侵害になります。また、写真の一部分をカットしたり、説明文の一部分のみを抜き出した場合には、著作者の同一性保持権を侵害したことにもなります。なお、図鑑全部をそっくりコピーしたわけではなく、野鳥の写真と説明文の一部のみを抜き出すことは、引用であって著作権法上許されると考えている人もいると思います。しかし、著作権法第32条1項によって許される引用とは、公正な慣行に合致し、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければなりません。たとえば、報道や批評を行う際に、他人の写真や説明文を引用することはできますが、引用される側の著作物と自己の著作物とがはっきりと区別ができなければなりませんし、また、自己の著作物が主、引用される著作物が従たる関係になければなりません説明文の一部分を抜き出したときは、著作者の同一性保持権を侵害したことになるそうです。過去の作品を抜粋して紹介、という行為も著作権侵害ですね。何も紹介できない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E7%94%A8引用 - Wikipedia著作権の保護の対象にならないもの以下のものは著作権法の保護の対象ではない。・著作者の死後50年以上経っている著作物 ・創作性のない表現 ・情報 ・アイディア ・キャッチコピー ・憲法その他の法令 ・国、地方公共団体の機関又は独立行政法人が発する告示、訓令、通達 ・裁判所の判決、決定、命令、審判 ・著作者の許可を得たうえでの利用 となると、最も有効な方法は、著作者の許可を得ることに尽きます。しかし、http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime2.htmlはじめての著作権講座翻訳物を使う場合に原作者の権利も働くのですか?翻訳物などの二次的著作物の利用については、原作者の権利も働きます。つまり、翻訳物を出版する場合には、翻訳者の許諾だけでなく、原作者の許諾も必要になるということです。ということなので、これ、全部アウトじゃないですかね。どうやってヘレンケラーに許可を求めるんでしょうか。http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime2.htmlはじめての著作権講座他人の著作物を使う場合、どのような場合であっても修正を加えてはいけないのですか?著作者には同一性保持権があり、その同意なしには著作物に修正を加えることは許されません。ただし、著作権法では、教科書に掲載するために用字・用語を変えることや建築物を改築・改修すること、プログラムを利用上の必要に応じて変更することなど著作物の性質、利用の目的及び態様に照らしてやむを得ないと認められる場合の修正は許されるとしています。 自分がどれに該当するのかさっぱり分かりません。総括すると、現状での名言集継続はアウト。主たる文章の後に、従として位置させること。もしくは引用せず、著作物の名前のみ書くこと。色々と法解釈を聴いて、ムリと判断した場合は閉鎖します。
May 16, 2007
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「解決策は、特定の命令についても一般的な命令についても同じである。 まず、当事者たちを状況の検討において結びつけること、 次に、状況の要求するものを見抜くこと、 そして、状況の法則を発見し、それに従うことである。」 …メアリー・パーカー・フォレット:管理の予言者 監訳:三戸公先生・坂井正慶先生
May 12, 2007
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「専断的な命令が、あるいはいやおうなしの服従の強要が、 自主性を弱体化させ、自尊心を打ち砕くのであれば、 我々はいかにしてこの不幸な事態を回避できるのだろうか。 4つの方向で考えることにする。 1つは、命令の非人格化(depeasonaling)によって。(中略) 我々はいかにして、命令授与における過剰な上司風を吹かす態度と、 それに付随する避けることの出来ない反感を回避できるのだろうか。」 …メアリー・パーカー・フォレット:管理の予言者 監訳:三戸公先生・坂井正慶先生
May 11, 2007
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