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あたしがこの家に初めてきた時は、まだ名前がなかった。
だって、生まれてまだ一ヶ月もたっていなかったのだから。
あたしの名付け親は、先生の奥さんだ。
奥さんの名前はひさ子という。
先生が奥さんに言っていたのを今でも覚えている。
「ニャンコの名前だけどね、名前なんて符号みたいなものだから
どうでもいいようなものの、やっぱりないと不便だからね。
『チッペ』っていうのはどうだろう。
小柄なこの子にふさわしい可愛い名だと思わないかい」
そのときの奥さんの印象たるや、やや考えr込むような風情だった。
先生は、なにせ哲学者だし、
きっと、あのソクラテスの奥さんの名前から思いついたに違いない。
でも、ソクラテスの妻クサンティッペは稀代の悪妻だったというではないの。
とすると、これは妻の私に対してなにか含むところがあってのことだろうか。
いや、案外愛情の変形なのか。
《理解に苦しむところだわ》と。
いずれにしろ、悪妻の代名詞みたいな名前を
「チッペおいで、おいでチッペ」
なんて、毎日毎日呼びかけるのはたまらないと
奥さんは考えたんだと思う。
「もっと可愛い名前を思い付いたわ、『パトラ』なんてどうかしら」
「おお、おお、クレオパトラ のパトラかあ。
たしかにチッペよりはいいかも知れんなあ」
先生が心底そう思ったのか、美人の奥さんに一歩譲ったのか
そこんところは、あたしには分からないけど
その日から、あたしは『パトラ』になったってわけ。