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過去バイクを思い出すシリーズの1台目を書いていなかった。中高辺りからバイクには興味があり、しかしお決まりの3無い運動。受験の合格発表後、即免許を取りに。段取り的に車からバイクのほうが効率がいいので、そのようにして中型バイクまで。大学は寮に入る。これが125ccまでの決まりがある。入学後まもなく、たぶんGWの帰省くらいのタイミングで、地元のバイク屋で中古のお安いXL125を購入。これで、岡山ー三重間を、帰省のたびに行き来。しかし、高速は当然使えないし、名阪国道も125では走ることができない。下道ばかりで360キロほど。結構飛ばしたつもりでも10時間ほどかかる。125の排気音は小さく、車には相当舐められる。無理にかぶせてきたり、ビタビタに付けられたり。これが一変する出来事が起こる。ある日急に排気音が大きくなったのだ。何事かと調べたら、サイドカバー内にある弁当箱みたいなマフラーのサブサイレンサー?みたいなやつに、このバイクは前オーナーだろうか?ポンチみたいなもので直径1センチくらいの穴が数か所開けられており、それを多分バイク屋が静かにするためパテか何かで埋めていたらしいのだ。それが日頃の元気な運転で、ついに圧力に耐えられず吹っ飛んだようだ。排気音が大きめだなと思いながら乗っていたが、これが思わぬ効果を生む。車が寄ってこなくなったのだ。危険な幅寄せや割り込みもなくなり、安全になったのだ。なるほど、車から見ると静かで、スリムな125は小さく見え、車様のお通りだと運転手は思うようだが、これが爆音バイクになると危険な奴が乗っていると錯覚し、近寄らなくなるみたいだ。あちこち走り回っていたので、これは安全の為に仕方ないと、穴の開いたマフラーは修理せず、そのまま乗っていた。ただ安い中古はトラブルも起る。三重のバイク屋に修理に出したとき、車体番号から部品を注文したら、イーハトーブかなんかの部品が届いたとのこと。ニコイチバイクだったのか?。1年くらいで不調から買い替えを決意。寮でも2年になると400も大丈夫と分かったので(先輩はFXやXJ)、2台目のXJ400ZSに乗り換えとなった。先輩のバイクを良く借りて乗っていた。特に空冷XJのヨシムラ管の排気音は、すごく好みで、トンネルでは空ぶかしして楽しんでいた(笑)。この記憶が、後に自分のXJにもヨシムラをつけるのだ、という決意につながっている。因みにではあるが、400でも純正マフラーは静かすぎて、やはり車になめられる場面もあったが、集合管に替えてからはそんなことが無くなったのは、おまけの効果であった。しかし、憧れの音は再現されず、エンジンが違うからなのか?マフラーの構造が変わったのか?謎である。これまでが、原付やカブ以外のバイク歴である。
2021年11月25日
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さて、2020年式ディアベルに変わった。5年たってどう変わったのか?。見た目はよく似ていると思うが、あのドゥカティの特徴的なとぐろを巻いたようなエキゾーストパイプが無くなった。純正オプションのスクリーンが低くなったくらいしかわからない。2019年フルモデルチェンジで、フレームも変わったが、エンジンが1198ccから1262ccにアップ。パワーは112ps/6500rpm,12.5kgm/6250rpmから159ps/9500rpm,13.1kgm/7500rpmとなった。さらに、標準でクルーズコントロールが付き、オプションでクイックシフトも付く。乗り比べると、コーナリングでの倒し込みが、かなり軽くなり、クイックになった。前のディアベルでは、ワンアクション入れ、尻をずらしてなど楽しんでいたが、新しいやつはシートから尻を動かさなくてもすっと寝ていく。と言って不安定なわけではなく、安定したコーナリングはできるし、楽しく速い。シフトチェンジは当初癖で、ダウンアップ時にアクセルをついあおって回転を合わせる癖がなかなか治らず、それでぎくしゃくする場面があったが、アップ時もダウン時もアクセルはそのままチェンジすれば、機械が勝手に合わせてくれるということで、うまくいくようになった。しかし、頻繁にシフトチェンジしながら走る山道などで、中途半端に踏むとギア抜け状態になり、今度はクイックシフトの癖でアクセルで回転合わせず踏み込んで、倒しこんでいる途中でつながり、リアがスリップという場面が2度ほどあった。きちんと操作する、抜けたらクラッチレバー握って回転を合わせるという教訓ができた(笑)。ロングツーリングがより楽になるバイクになったというのに、コロナが起こり、乗る機会が激減。年に一度の一泊ツーリングもここ2年中止。ついでに自身もよくわからない体の不調が続き、あちらが治れば、こちらが・・・。乗りたいが忙しいし、寒くなってきた(笑)。
2021年11月24日
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とんがったストリートファイターを卒業し、ツーリングも快適と思われるディアベルに乗り換えた。1198の当時ドゥカティの最高峰のエンジンを積み、それでいてこのような恰好。姿勢は楽になり、それでもハンドルが少し遠めで、背中が少し丸くなり、ストレートを走っていても楽だが、コーナーに入るとこのハンドル位置がなかなか絶妙で、ハイグリップなタイヤを履いていて、サスもスポーティーな走行に対応しているもの、車体も見た目ほど重くは無く、元気に気持ちよくコーナリングできる。後付けのスクリーンがこれまた絶妙で、いくら飛ばしても風圧に困ることがなく、サイドパニアも一泊二日なら充分。バイクとして楽しいコーナリングと高速での快適性を両立し、さらにポジションが楽で、まさに理想のバイクを手に入れたと思った。欲を言えば日本仕様はやはりパワーをかなり抑えていることだ。しかし、実用域ではスポイルされているのはごく低速と相当な高回転域となるので、普段使いで不足を感じることはまずない。スポイルされ少しぎくしゃく感があるので原因のバルブを開放固定するパーツを装着したのは言うまでもない。これは本当に効果的だった。エキゾーストサーボエリミネーターというパーツだ。このバイクに乗り換えてからは、ツーリングのコース設定がより過激になったような気がする(笑)。より遠く、一日の走行距離も長く、四国、九州一泊、和歌山ラーメン日帰り、信州一泊、などなどたくさん走った。夏はあの右側のとぐろを巻いた特徴的なエキゾーストパイプが相当熱くなり、右足が熱くなること。タンク容量が16リッター少しで、長距離ではもう少し欲しいなと思ったくらいで、あとは欠点らしい欠点は感じなかった。ただフルパワーに対しての憧れはどうしても心の隅に残っており、やり方だけは検索していたが、ついに実行はしなかった。15年式は海外のものより50馬力位落とされていた。これがマイナーチェンジでいつの間にかほとんどそん色なくなったことを知った。これ結構悔しい(笑)。その後モデルチェンジで、エンジンが1198から1260に変わり、ほとんどフルパワー、しかもオートクルーズ、クイックシフトも装着できると知る。なるほど・・・。
2021年11月23日
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2013年の春、モンスターの900からストリートファイターの848に変わった。最初またがると目の前に何もない。バイクの車体が目に入らないのだ。即道路が目の前に見える感じで違和感しかなかったが、すぐにそれも慣れる。排気量は下がったが、空冷から水冷に、不調なバイクから好調なバイクに、上までよく回り、低めのハンドルだが、コーナーは非常に楽しい。風をもろに受けるので純正オプションのスクリーンを付けたが、無いに等しい小ささ。ラジエターにガードを付けてみた。低回転ではトルクがなく、頻繁にギアチェンジをしてある程度回転をキープすべきバイク。大排気量のバイクと一緒に走ると、1人だけギアチェンジの回数がやたら多くなる(笑)。これを改善すべく、クランクケースの圧を一方だけに抜くT-REVを付けてみたが、そう体感できず。このバイクには、日本の法律に合わせるためか?エキゾーストにバルブが付いていて、中低回転では閉まっており、これが原因ではないかと思うぎくしゃくがあるので、通販でそのバルブを殺す小さな電子パーツを購入。ストリートファイターではシート下にコネクターがあるので、そこにはめると簡単。これが効果大。素直なフィーリングになり乗りやすくなった。海外仕様とはだいぶパワーも絞られている日本仕様。フルパワー仕様にするとよりぎくしゃくも減るのではと思うが、そこまでは手を出さなかった。このバイクになって、長距離も信頼できるようになったのと、地元の大型乗りの友人と話があったので、大型になって初めて一泊ツーリングを計画。やまなみハイウエイを堪能、阿蘇山、熊本を走り、温泉に泊まって帰ってきた。この時に、高速をずっと走るのではなく、山口の徳山から大分にフェリー、大分から四国にフェリーというルートがあるのをみつけ、これを使うと朝早く出て、9時ごろ大分着で、有意義に九州を堪能できるとわかった。2年間あちこち走ったが、長距離ツーリングでは高速と言えど元気に走ろうとするとギアチェンジが多くなり、速度が上がれば風圧もきつく、もういい年になったので楽をさせてもらってもいいかなと思い出した。車検を機に次の候補を探すのであった。楽なバイクと言えど、コーナリングは捨てられない。友人たちにハーレー乗りがいるが、コーナリングはきつそうだ。国産アメリカンもあるが、いずれもステップが遠く、やはりコーナリングは・・・・。ムルチストラーダは旅には最適だろうが、足が届かない(笑)。ディアベルに試乗してみた。カタログでもわかるがそんなに重くなく、低重心。しかしエンジンが元気に上まで回る。さすがドゥカティだ。コーナリングを捨てていない。オプションにサイドパニアやスクリーンもある。あとから荷物の取り付けに悩む必要もない。ということで、車検を機に乗り換え決定。
2021年11月22日
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過去バイクの続き。ZRXを降りて10年ほど経ってから限定解除大型の免許を教習所でとった。ちょうど友人が教習所がキャンペーン中で、少し安いのでとったと聞いて、これはと思い立ったのだ。それからもしばらく買うことはなかったが、友人のZZR1400など借りて乗っていたりはした。ある目標を立て、それをクリアしたら買うのだと決め、目標クリア。さて、何に乗ろうかといろいろ調べ、MT01という面白そうなものを見つけたのだが、ここで知り合いからM900ieを手放すという話が来た。ドゥカティなど候補にも挙がっていなかった。外車だし知識も何もなかった。しかし、そういう話が折角来たので、これは何かのお導きと買うことにした。これが当初から先方のトラブルで納車が遅れに遅れたが、きっちりトラブルをバイク屋で直すということで、それが治ったということで、2012年の4月に引き取りに行った。しかしこれが経年の劣化もあり、トラブルが頻発。こちらの地元の正規ディーラーで面倒を見てくれることになり、インジェクターから各種調整、フロントフォークのオイル漏れ、ライトの暗さからリフレクター掃除、タイヤ交換、マフラー交換、ハンドル交換、ワイヤー交換、などなど様々手を入れたが、一時元気になってもまたトラブルを繰り返し、1年ほど経過して車検を迎える頃、アイドリングすら安定しないようになり、修理に高額が予想されることから、ディーラーのちょうど試乗車上がりのストリートファイター848に買い替えることにした。快調なドゥカティとは?と考えたのだ。親身になってモンスターを治し続けてくれたディーラーに信頼がおけたのも、ドゥカティをもう一度と思った大きな理由でもある。
2021年11月21日
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スティードでアメリカンを味わい、良さも悪さもわかった。ここで基本に立ち戻り、普通のネイキッド(小さいカウル付き)が、良いだろう。CB、GSX、XJなど各社あったが、この中で選んだのはZRX。かっこも一番好みだった。ところがこの個体、キャブが悪いのか?、どうもスムーズではない。何がおかしいのだろうかと?キャブ内部のジェット類を当時はやりのものに交換したり、マフラーは自分の趣味だが、BEETのナサートチタンをおごったりした。東京出張にツーリングを合わせて、東京の大きな事務所に乗り付けたり、その後信州を回ったり、いろいろ楽しんだ。ところが結婚が決まり、そのタイミングでうちの仕事用カブが壊れ、何を思ったか?ZRXでバイク屋に行って、中古のカブで帰ってきた。これが悪かった。その後ずっとバイクから離れてしまうことになる。次に乗るのは10年以上経ってからとなる。
2021年11月17日
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極端とはこういうこと。400では当時スポーツ的に最高峰から、こちらも昔からあこがれていたハーレーは免許がないので、400のアメリカン。ヤマハもスズキもあったが、ここはホンダスティード400.乗車姿勢は楽で、これはいいなと思ったが、ロングツーリングや峠で弱点が見えてくる。1つ目は高速での風圧。姿勢が立っていて、スピードが上がれば上がるほど、風圧がきつくなる、長時間ロングがきつい。これは、シールドを後付けしてまあ解決した。2つ目はタンク容量がスタイル優先で、9リッターしか入らないこと。九州までツーリングした際は、サービスエリア2つに1つは入って給油。いつまでたっても目的地に着かない。風圧に耐えて追い抜いた車に、給油のたびに先に行かれてしまう。のちにモデルチェンジで11リッターに増量された。3つ目はやはりバンク角。前に足を投げ出す形で、コーナーに入るとブーツのかかとがすり減っていく。決してコーナーが楽しいバイクではない。4つ目は、エンジン。期待した鼓動感がまるでない。ドゥルルルルと滑らかな感じで回っていく。メリハリもなく、そんなにトルクフルというわけでもなく、かといってすごい高回転まで回るでもなく頭打ちになる。滑らかで疲れない優等生だが、面白いものではない。アメリカンはある程度の排気量が必要だなと痛感。ツーリングにも使え、姿勢が厳しくなく、コーナーも楽しくとなると、次のバイクに続く。
2021年11月16日
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大阪での仕事を満期で終了、地元に帰った。そうなるとバイク熱が復活。何かいいものはないかと中免の範囲で近所のバイク屋をのぞく。そこにたまたまあったのが上のNS400R。程度はよく、チャンバーからの油ダレもなく、プレミアムもついてなく、ただの中古バイク値段。中免で乗れる速さ的には最高ランクだろうバイク。買った!!。諸元は59PS/8500rpm 5.1/8000rpmとなっている。XJは55ps/11500rpm 3.5/10000rpmであった。当時の水冷400は自主規制で上は59psでしばられていた。XJの後のFZからは同じエンジンで59psになっているし、他のメーカーも同じ。NS400Rは水冷のV型3気筒という特殊な型式で、2スト。低回転では4ストに負けるが、高回転に上がると一気に吹け上り、トルクもあり、乗る人が乗ると相当早い。ただ自主規制で無理やり回転も抑えられて、59PSまでとおさえられている感はある。これがXJと比べると乗り方がなんだか相当違う。コーナーではXJはハンドルには少しぶら下がるかたちで、高回転キープでクリップ過ぎたら一気にアクセルを回し、レッドまでを繰り返して加速していくが、NSでは乗車姿勢が低く、ハンドルも低いのでバイクを抑えるやり方が違う。想像以上に高回転が一気に吹け上がるので、コーナーでアクセルを早めに開けると少し怖い。コーナリング時もXJではフレームがしなり路面の悪いところも吸収していたが、NSはフレームも固くなり、下手したら一気にぶっ飛びそう。実際はこれを踏まえて乗れば、XJの比ではなく速く走ることができるのだろう。元々がツーリング好きで、峠小僧ではなかったので、そうなってくると、もう少し気を遣わない楽なバイクがいいのでは?と思いはじめる。このころ、国産400にはちょうどいいバイクがそろっていた。続きはまた。
2021年11月15日
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XJ400ZSに乗っていて、普通に走っている分にはほとんど不満を感じることはなかった。姿勢は楽、シートは厚みもありクッションがいい。小さいがカウルが付いていて、高速時には役に立つ。峠に行けば、そこそこのペースならフレームをよじらせながらではあるが、楽しく走る。しかし、北海道からの帰り、あまりの長時間ぶっ続けライドに、エンジンが垂れかかった。まあこれはいくら水冷と言えども、無茶しすぎだったか(笑)。しかし、親戚のおじと四国一周ツーリングに行ったとき、不満を感じることになる。叔父はXJ750E、その友人はGPZ750、そしてXJ400ZSというメンバー。信号待ちからのスタートのたび、大きく離される。750は普通に加速しているだけだが、400はそれについていこうとすると、それこそ信号のたびにレッドゾーンまで回すフル加速が必要になる。考えてみれば2倍ほどの排気量の違いがある。加速力も全然違うのが当たり前。それまで、400で十分じゃないかと思っていたが、考えが変わった。しかし当時は限定解除の試験は厳しく、何度も受ける必要があった。そんな時間があるならその分乗って走り回りたい、という逃げ口上であきらめていた。その時免許を取っていれば、岡山のおじのXJ750、或いは神戸のおじのZ650(ザッパー)あたりを頂けたのだが(笑)。同級生に無事大型をとったものがいて、GS650Gという半分刀みたいなバイクに乗っていた。ある日問題ない場所で貸してやるというので乗ってみた。いつもの400のつもりでアクセルを回すと、危うく振り落とされるところだった。これはすごい!!と感動。学生時代よく言っていた本屋の店主が色違いの黒のXJ400ZSに乗っていた。このバイクが600にボアアップしていた。全然違うよ、と言っており、そういう手があったか、と話を聞くと、やはり学生の当時の自分には荷が重いお値段。結局学生時代はそのまま過ごし、就職を機に車に乗り換え、バイクは弟のもとに行った。やがて弟も車に乗り換え、バイクはどこかに行ってしまった。限定解除の話もどこへやら?大阪時代は車に熱中していた。薄給なのでバイクまでは手が出せなかったのが事実(笑)。大阪から5年後地元に帰り、落ち着いたところでバイク熱が復活するのである。
2021年11月14日
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八戸港を8月14日午前3時40分着のフェリーで上陸後、東北道インターに向かう。そこから高速をひた走り、当時岩槻で高速は一旦終わり、国道16号線で東名を目指す。下の写真は横田基地。八戸から600キロほど。ここらまで走って面倒になり、東名じゃなくて中央でもいいかと八王子辺りで中央自動車道に乗ることにした。当時から車も好きだったので、当時でもすでに年代物ばかり集めた中古屋で写真を。観光地の写真はほとんどないのに(笑)。ここらで昼頃。中央の諏訪SAで休憩。確か3時過ぎころ。八戸から750キロ、すでに12時間走っている。ここから名古屋辺りまでの間で一泊したほうが良いかな?と思い出す。しかし若いというのは恐ろしい。名古屋辺りですでに夕方になってきたが、走り続け、高速が無くなり、国道23号線を走って帰るのだが、小雨も降り出し、視界が非常に悪くなり、前の車のテールランプだけを頼りに、だんだん走っている記憶もなくなりつつある中、午後11頃無事下宿に帰り着いた。およそ八戸からメーター読みで1090キロほど、19時間半ほど走った計算。こんな無茶は二度と出来ない(笑)。此の北海道ツーリングは出発から帰着迄、メーターで4291キロ、8月4日から14日迄の日程。いい思い出だ。
2021年11月13日
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北海道に青函連絡船で8月8日上陸、三重から1230キロ。8月13日室蘭でフェリーに乗る時、三重からは3200キロ。つまり北海道内を1970キロ走り回ったことになる。下に書いてある八戸行 19:45発のフェリーに乗る。乗る船の名は、フェリーベラということだった。この大きな船でいよいよ北海道の室蘭の港を離れ、本州へ帰る。八戸着は8月14日午前3時40分。船内でどう帰ろうかと考えたが、なにしろ大学の都合で、8月16日には学校に出なくてはならない。もう一般道でのんびり帰る暇はない。残りの財布の中身と相談してみたが、何とか高速代はいけそうだ。今なら北海道ならではのものを色々食べ、飲み、土産も美味しいものをなんやかんやと送ったりするのだろうが、当時は名物など何も食べず、飲みもせず、観光もろくにせず、使うのはガソリン代とごく普通の食事、つつましい旅で、帰りの高速代くらいは大丈夫となっていた。下の看板で道を確認し、高速の入口へと向かうのであった。続きはまた
2021年11月12日
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釧路は寒かった記憶がある。8月12日朝出発だが、13日には苫小牧に行かないといけない。余裕があるので海沿いを走って襟裳岬に行くことにした。森進一の歌で有名、北海道の北のとんがりと南のとんがりだけ制覇をもくろむ。気持ちいい道を快走し、襟裳岬に到着。そういえば宗谷岬では「そうや~のみさき~」と歌が流れていたが、襟裳岬で歌が流れていたかどうかは思い出せない。岬から苫小牧に向かって快走していると、コーナーの先で急にアスファルトから工事中の砂利道になった。減速も間に合わず、そのままのスピードで飛び込んだので、危うく転ぶところだった。ず~と走り、苫小牧に着き、そういえばと思い出す。室蘭で室蘭発が夜の便で朝到着なのでそれがいいと思っていたが満席でとれず、苫小牧発の便にしたが、ひょっとキャンセル等で空きが出ているかも?。苫小牧港で聞くと空きが出ていた。それなら室蘭発にチケットを変更してもらう。そして室蘭港に向かうことにした。続きはまた
2021年11月11日
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最北端宗谷岬という目的は達成した。実はもうひとつだけ目的があった。それは当時まだ元気であったうちの婆様が、ずっと前に旅行で行った際に買った摩周湖のバターが大変美味しかったので、それを土産に買ってきてくれというもの。名寄8月11日で、フェリーは13日に予約している。ということでここから摩周湖に向かうことにした。層雲峡、大雪原生林を通り、摩周湖に。そのバターはどこに売っているのか?。展望台などには見当たらず、確か下の方に降りてやっと見つかったような気がする。さすがにバイクに積んで持ち帰れないので、家に送っておいた。途中キタキツネにも会い、通りがかる車が、ポテトチップスをやっていた。いいのか?。人懐っこくなっており、車を止めてはエサをねだっていた。阿寒湖にも立ち寄り、釧路に出た。釧路で宿泊することにした。続きはまた。
2021年11月10日
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8月10日朝、名寄を出発。国道40号線を北上、北海道らしい看板、まっすぐな道で記念撮影しながら、北海道のてっぺんの左側ノシャップ岬着。すかさず看板前で記念撮影。すぐ出発して今度は最北端の宗谷岬に。三重県を出てから一般道を走る事7日目、昭和60年8月10日午前11時20分の事であった。三重から1980キロ、今はこんな気長な旅はなかなかできない(笑)。ここでも記念碑の前でと思ったが、人が多く順番待ちができていたので、あっさりあきらめた。食堂でお昼を食べたような気がする。今なら折角だからと特徴的なものを選ぶのだろうが、確かカツカレーを食べたような気がする(笑)。ここから普通ならどちらか海沿いを走って南下するのが普通だろうが、来た道を戻り、再び名寄のニュー富士屋ホテルに、結果連泊するのであった。続きはまた
2021年11月09日
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この旅には安いフィルムカメラを買って持って行っていた。デジタルカメラもない時代。撮影したものは残らず現像して、アルバムに貼るという作業がある。このおかげでこのツーリングの時の写真が今も残っている。今はデジタルで自分でプリントできるが、プリントアウトして律義にアルバムに貼っている人がいるのだろうか?。データはいずれPCの買い替え、スマホの買い替えでなくなってしまうこともある。さて、古いアルバムを見ると、8月9日9時20分、苫小牧港で撮った写真が残っている。この時間に出発したのだろう。そこから北を目指したのだが、たぶん国道36号から12号というルートを選択したと思われる。紙の地図帳しかないし、目立つわかりやすい大きな幹線を標識を頼りに走っていたのだ。しかも、宿泊は駅前のビジネスと決めたもんだから、線路沿いのルート(笑)。本当は海沿いを走ると気持ちいいだろうし、或いはきれいな観光地もたくさんあったはず。しかし目的は一番北。北上中に比布駅の標識を見つけ、ここには立ち寄った。当時、「ピップエレキバン」の宣伝が流行っていた。比布駅は午後3時30分。そこから北上するも、名寄で夕方となり、そこで宿泊を決める。この時泊まったのが、この度の事を思い出すきっかけになった北海道のテレビ番組で出演者が泊まったニュー富士屋ホテル。この宿の名前がテレビで出た時、「あっ、ここにツーリングの時泊まった!!」と思い出したのだ。昭和60年の事だ(笑)。続きはまた
2021年11月08日
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昭和60年8月4日に三重県を出発し、8月8日9時50分発の青森から青函連絡船で函館に上陸した。北海道が目標にもかかわらず、時間が掛かりすぎたら行けないこともあり得るかも?的アバウト計画だったので、自分でも一安心。写真は午後1時40分の函館駅前。さて普通ならここから一気に北上と行きたいところだが、この時は夏休み、帰りの船便を確保しておかないといけない。今ならネットでとかスマホでとなるが、当時は情報を得る手段がわからないので、行ってしまえとまず室蘭に向かいいい便が取れず、苫小牧に向かった。苫小牧港で話を聞くとやはり混雑しているようで、それでもなんとか予約が取れた。その日のその時間までに苫小牧港に戻ってくればいい。安心してで一泊。次の日からの行程を考える。あまりあちこち観光する余裕はない。やはり北海道に来たなら最北端を目指そう。そこから余裕がありそうなら考えよう。ということにした。続きはまた
2021年11月07日
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新潟も観光するでもなく、名物を食べるわけでもなく、ただ泊まり、次の朝出発。国道はいつの間にか7号線になり、山形県を通り過ぎ、秋田県に。約270キロ。ここでも駅前を目指し、早速宿を探す。ここでは値段は安いが大きなホテルになり、早速夕食を食べに街に出た。どんな店だかは忘れたのだが、注文のやり取りがうまくいかず、これが秋田の方言かと驚いた。同じ日本だが、ここまで聞き取れないとは自分でも結構なインパクトで、思い出として残っている。秋田に泊まって次の日、男鹿半島というところがあるので行ってみようと思い、初めての観光。ドライブインみたいなところになまはげがいて、記念写真を撮る観光客を待ち受けていたが、客が少なく寂しそうだったので、記念に遠くから盗撮しておいた。男鹿半島を回って青森へ。ここで泊まることにして、町をうろうろしていたら、市場みたいなところで声を掛けられ、これから北海道だというと、これまたきつい方言でいろいろ教えてくれたが、聞き取れたのは「網走は何もないよ」ということだけだった。続きはまた
2021年11月07日
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三重県の国道23号線を北上、琵琶湖東側を通り、日本海に出て、福井、石川、と国道8号線を走る。富山県辺りで夕方になり、野宿と考えていたものの、一日排ガスを浴び続け、白いTシャツは灰色に、出ている体も日に焼けるは汚れきるはで、風呂に入らなければ、と銭湯を探そうとして、着ていたシャツも洗わないといけないし、安い宿なら一気に風呂、洗濯、泊まるところ探しが片付くと気づく。 宿を探すなら今はスマホですぐだが、そんなものもない時代、駅前の案内所に行けばいいやと、駅を探し、富山の高岡駅に到着。案内所で安いところを教えてもらう。素泊まり3千円だったか3500円だったか?。これくらいなら10日間くらいはいけそうだと、このパターンで行くことに決める。 ビジネスホテルに超汚い格好で入り、早速来ていたものをふろ場で入浴兼洗濯、干して、夕食に出かける。何を食べたか思い出せない。 ふかふかベッドでテレビもエアコンもある。これは楽だ。2日目の予定を立てる。1日目、朝から夕方までで360キロほど移動できた。となると、同じく国道を走るので、距離はそう変わらないだろう。大きめの駅前ならビジネスホテルにも困らないだろうと、考える。 とにかく北海道が目的なので、途中の観光など全然考えていなかったし、グルメ情報も調べていないし、こだわりもなかった。 2日目朝起きて、出発、また国道8号線を北上していく。新潟駅まで行って宿を探し宿泊。続きはまた
2021年11月06日
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思い出せるうちに、書いて残しておこうと思い立ち、ただ、不定期にはなると思うし、忘れてしまったことも多いので、あやふやなものになるのは仕方ない。大学2年の時、125では高速にも乗れないのと、寮の規則があったが、許されるとわかってから、400を考えていた。当時の先輩たちは、ℤ400FX、XJ400などなど全盛期。しかし、それらを入手するのは、ただの中古、学生価格。先輩から安く譲ってもらうことも可能。買っておいて取っておけば・・・と思うが、そんな予測はできない。さて、空冷から水冷時代になりつつあり、CBX400の空冷48psよりXJ400ZSの水冷55psのほうが、自分にはよく思えた。冬休みのバイトで貯めた金を握りしめ、ヨシムラの集合管を入れた。それでもまだまだあったので、夢の北海道ツーリングも可能だと、日程を見ると10日間ほどあり、その後試験があるので、何日迄には帰ると決めた。早速岡山の友人他にも行くか?と声はかけたが、急には無理だ。ソロ決定。準備、やはり寝袋は必要だろうと安いやつを買い、あとは普通のスポーツバッグにTシャツ、パンツ、ソックス3枚ずつくらい、合羽、友人にタンクバッグを借りた。これは走りながら地図を見るためだ。昔のタンクバッグは、上が透明で地図を入れてそれを見ながら走ったものだ。スマホはおろか携帯もない時代。スポーツバッグは防水ではないので、大きなごみ袋を用意して、雨の時はそれで包むことにする。ルートは地図で見ると日本海側を走ったほうが、北海道に近そうだ。三重県から琵琶湖東側を北上して日本海側に出て、あとはひたすら国道を走ると決定。あとは日数の関係で行けるところまで行って、帰るという計画。ヘルメット、グローブ、長い防水ブーツにTシャツとただのズボンという普段そこらを走り回っていた格好で、出発した。続きはまた
2021年11月06日
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