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宿に到着して、夕飯の前に老神温泉街を散策しました。日本全国の温泉街同様、ここもつぶれたホテルやお店が目立ちましたが、それでも温泉街の雰囲気を味わえました。温泉街の外れ、片品川に架かるつり橋が内楽橋。崖に張り付くようなホテル群が川面に映えます。吸い込まれそうな緑の川が流れていきます。ここは温泉街で一番下流です。その先にダムもあります。 約1km歩いて、温泉街の一番上流に架かる赤い橋にやってきました。橋の名は大楊橋。こちら上流を見ると、穏やかな河原。さらに上流には吹割の滝があります。反対側の温泉街を見ると、ここから渓谷が始まっているようです。
2023年04月27日
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芝山町の「空の駅風和里しばやま」にいると、成田空港が至近なため次々と飛行機が着陸していくのが見られます。こちらはエア・カナダ。敷地内には飛行機も展示。電子航法研究所のJA8801です。 その上を飛行機が飛んでいくのは絵になるなあ。好きな人は一日見ていても飽きないでしょうね。実際、飛行機目当てで来た方もかなりいるように見受けられました。飛行機マニアの人が集まるスポットになっているようです。
2023年04月22日
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4月16日、旭市の中心部にある「木曽義昌公史跡公園」へ。木曽義仲から19代、木曽義昌公(1540~95)は武田信玄の娘婿ですが、義兄勝頼を裏切って織田につき武田滅亡の一因となりました。その後は徳川家康配下になり、家康関東移封に伴いこの地に1万石を与えられました。大河ドラマ「真田丸」に登場し(演石井愃一さん)、真田幸隆夫人(演草笛光子さん)に「大恩ある武田を裏切りおって」と叱られ、「仕方なかったんじゃ、おばば」と謝るシーンが印象的でした。義昌は1595年この地で没し、椿海(干拓で消滅)に水葬されました。これは水葬跡石塔であって墓ではないです。墓は近くの東漸寺にあります。この歌碑は幕末の京都の国学者野々口隆正(碑では隆生)が、義昌公をしのんで詠んだ歌。「信濃よりいづる旭をしたいきてあづまのくににあととどめけむ」。木曽の地を取り上げられた義昌の無念を詠んでいると思います。 木曽義昌公銅像。木曽家は息子義利の代で断絶しました。義利の弟の一人は、大坂の陣で豊臣方について戦死したそうです。史跡公園の入り口。モッコウバラがきれい。 藤も早くも見ごろでした。
2023年04月20日
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山武市から足を延ばして、旭市(旧飯岡町)の刑部岬にある飯岡灯台を訪れました。60mの断崖絶壁の上にあります。灯台は1956年(昭31)に設置され、高さ9.8mあります。映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(95年、岩井俊二監督)のロケ地になり、記念碑があります。触ると音楽が流れます。 「あしたのジョー」で知られる漫画家・ちばてつやさんは父の故郷が飯岡で幼少期住んでいたことがあり、矢吹ジョーの石像があります。飯岡を舞台にした作品もあるようです。ライバルの力石徹の石像も。両方デフォルメされている。 太平洋の荒波。 飯岡漁港。「飯岡刑部岬展望館~光と風~」には、2011年3月11日の東日本大震災で漁港が津波に襲われた写真が見られます。飯岡町だけで14人の方が犠牲になったそうです。合掌。灯台の後ろが展望台です。
2023年04月19日
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山武市成東の浪切不動院を訪問。赤いお堂が30mの小山の中腹に張り付くように立っているのが遠くからでも目立ちます。奈良時代、東大寺の大仏建立に関わった行基の創建と伝わります。現在のお堂は1618年(元和4)に建てられたとか。石積みの上に26本の柱で支えられています。仁王門から境内へ。 早速上ってみます。途中の観音様。良縁・子宝に恵まれるハート形の石。こちらは願いがかなう玉。 不動堂の下に来ました。柱がやはりしっかりしていて、威圧感を感じます。上から仁王門を見下ろします。結構高く感じます。 お堂の横から。海も見えます。江戸時代は常夜灯で、灯台の代わりにもなっていました。お堂の後ろ。岩との隙間が通路になっています。凄い崖。よくこんなところに造ったものです。 一周して下りてきました。思ったよりきつくなく、楽しめました。
2023年04月18日
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鋸南町の保田漁港から見た富士山がとてもきれいに大きく見えました。房総と伊豆って結構近い。東京あたりより距離はあるけれど、遮るものが少なく、海の上に浮かんでいるようで、感覚的に大きく見えます。
2023年02月27日
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調布市の布多天神に続く参道は、天神通り商店街と呼ばれ、ゲゲゲの鬼太郎のモニュメントが通りの端々に見られます。調布には、漫画家の水木しげる先生が長く住んだことで知られています。ベンチに横になったねずみ男。 一反木綿に乗ったねこ娘。塗り壁。 頭に目玉のおやじを乗せた鬼太郎。
2023年01月28日
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所用で調布に出かけたので、京王線調布駅からすぐの布多天神を訪れました。漫画家の水木しげる先生が長年調布に住んでおり、神社の裏の森にゲゲゲの鬼太郎たちが住んでいるという設定になっています。命日の11月30日が「ゲゲゲ忌」と定められ、その日から生誕100年を記念して水木キャラをモチーフにしたサンドアートが公開されています(サンドアーティストの保坂俊彦さん作)。1カ月限定の予定でしたが、延長され、1月26日に訪れたけど、まだ見られました。 水木先生を中心に鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男、ねこ娘、砂かけ婆、子泣き爺、塗り壁、一反木綿とおなじみのキャラクターが見えます。裏に回ると、コロナ収束を願ったのかアマビエがいます。もちろん、しっかり神社にはお参りしました。 天神様なので牛の像がありました。隣の狛犬は江戸時代半ばの古いものです。
2023年01月27日
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鬼怒川温泉からの帰り、宇都宮で高速を降りて、宇都宮二荒山神社に立ち寄りました。日光の二荒山神社と同じ、下野国一の宮です。前日(12月26日)日光のほうは拝観終了で寄れなかったので、こちらに来てみたということです。宇都宮市の中心部にあります。まずは拝殿にお参り。たびたび戦火に見舞われ、現在の建物は戊辰戦争後の明治です。創建は仁徳天皇41年。4、5世紀ごろ?現在地に移ったのは、平安初期の838年(承和5)。 車でいきなり山の上の駐車場まで来ましたが、実は小高い山の上にあります。下から上ってきたときにくぐる神門から下を見下ろします。標高135mの明神山の上にある神社。下から石段を上れば95段あるそうです。 神楽殿。拝殿の裏の本殿。横からお参り。 12月末ということで、すいていましたが、正月の準備が進みつつある境内でした。
2023年01月06日
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とりっくあーとぴあ日光を十数年ぶりに再訪。名画のパロディーや、だまし絵、飛び出ているように見える立体的な絵など、うまく写真に撮れたら面白いものになるはず、と思ってバシバシ写真を撮ってみるものの、なかなか思い通りにはいかず。モナリザがもぎりをやっている。華厳の滝の滝壺。 戴冠式に福沢諭吉や野口英世、樋口一葉ら日本人が隠れてる。絵からこぼれ出る羊。 生首だけ。足が見えてるけど…。サメに襲われる~。 ひまわりの絵の中に入ってみる。ミロのビーナス。 コアラと一緒に木に抱きつく。ハムスターにかじられる~。 遠近感がおかしくなる部屋。どっちが大きい? 椅子に座ってるように見えるけど…。ドラゴンの口に入る。 エジプトコーナーへ。ピラミッドの穴に入れそうですが、平面です。地割れ、崩れる壁、飛んでくる石。全部絵です。 館の外にも、外にも溶けてゆがんだポストや、空を描くでっかい手と絵筆など、面白アイテムがありました。
2023年01月03日
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3人計9000円のクーポンをもらったので、鬼怒川温泉周辺の観光地を巡ります。まずは「3D迷路・恐竜館」。各種割引を駆使して3人で500円で入りました。正直言って、クーポンがなかったら来なかったと思います。入り口から恐竜が。触ると柔らかい。入館してすぐ。トリケラトプスが飛び出して見える。 顔出しパネル。本物の貝の化石とティラノサウルスの頭蓋骨。 乗れる恐竜がいくつか。ステゴサウルスに乗って。アンキロサウルスもありました。恐竜の王様、ティラノサウルス。 迷路は3階建て。おなかが出ているおじさんには狭いところもありました。恐竜のスタンプを集めていい運動になりました。
2023年01月02日
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東照宮の後は、日光二荒山神社を訪れました。下野国一の宮です。東照宮からの雪道を通って楼門をくぐります。あいにく時間は4時。拝観時間はすでに終了しています。 拝殿は閉まっていました。2023年の卯年にちなんだ、金色のウサギ。「良い縁うさぎ」とあります。 いい年になってほしいものです。二荒山神社の左側は、徳川家光の墓所である大猷院。前にも来たことはありますが、今度は開いている時間に来たいものです。
2022年12月30日
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子供が赤ん坊のころ以来の10数年ぶりの日光東照宮。輪王寺は見学できなかったけど、こちらはまだ拝観できました♪五重塔。 表門。またの名は仁王門。ここから先は有料です。三猿。見ざる言わざる聞かざる。 神庫。3つあります。そして陽明門。説明不要。国宝で世界遺産。前回来たときは修復工事中だったかもしれない。 相変わらずキンキラキンです。日暮らしの門と呼ばれるぐらいで、確かに見ていて飽きない。 彫刻も凄い。裏から見たら。表は随身、裏は金色の獅子が門の中にいます。唐門。こっちも金ぴか。 中に入ってお参りしました。
2022年12月29日
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12月26日、10数年ぶりに日光へ。24日に雪が降り、参道には雪が残っていました。3時前に着いたけれど、輪王寺は拝観終了で扉を閉めるところでした。本堂(三仏堂)は見学できず。残念。裏の塔は相輪橖(そうりんとう)。高さ13.3m。1643年に作られ、重文。経典が収められています。 護摩堂で御朱印だけはもらいました。東照宮見学の後、脇にある薬師堂(本地堂)に。ここは輪王寺の所属。明治の神仏分離で境内はごちゃごちゃしています。真下で音を立てると反響する、天井の鳴龍で有名。薬師如来が本尊で、各干支のを守護する十二神将が祀られています。鳴龍は現在、手を叩くのが禁止されています。35年前に初めて来たときはOKだったように思います。係の人の拍子木が凄く響きます。説明を聞いて、穴が開いていない涼やかな音色の鈴を買いました。 裏には竜の絵がありました。
2022年12月28日
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香取神宮から、息栖神社、さらに鹿島神宮に足を延ばしてみました。東国三社巡りというそうです。重文の楼門をくぐって境内へ。訪れるのは数年ぶりです。東京ドーム15個分の広い敷地を散策しました。常陸一宮で、関東でも一、二を争う由緒のあるお社です。拝殿・本殿は工事中。手前の紅葉が赤くてきれいでした。 君が代に出てくるさざれ石。鹿園。 鹿は神の使い。奈良の春日大社も、香取神宮にもいます。奥宮にもお参り。 要石に行く手前の大ナマズの石像。映画「すずめの戸締り」を見た後だと、地中で暴れるナマズを抑えているんだと感慨深くなります。さて、要石ですが、ちっちゃな石が頭だけのぞかせています。水戸光圀が掘ってみたら、どこまで行っても掘りだせない大岩だったそうです。
2022年12月18日
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芝山町の訪問の最後に、「殿塚・姫塚古墳」を訪れました。はにわ街道から案内看板に従って車を入れましたが、分かりづらいところにあります。2つの前方後円墳が並んでいます。殿塚古墳は長さ88m、高さ13m。古墳上や周辺には桜が約100本植えられ、桜の季節にはさぞや壮観と思われます。 築造年代は6世紀後半から7世紀前半と推定されます。姫塚古墳は長さ58.5m、高さ6m。 両古墳とも、この地域の有力豪族のものでしょう。
2022年12月12日
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芝山町の古刹、観音教寺は奈良時代の781年の創建。芝山仁王尊と呼ばれています。三重塔。江戸時代後期。本堂。江戸時代半ば。右の赤い建物は、かつてはにわ博物館でした。 門前にあった旅籠・笹喜(佐々木)屋。明治時代のものが保存されています。なんて雰囲気のある建物。往時は成田山新勝寺と人気を二分するお寺でした。明治になって鉄道開通があり、成田山の人気が爆発。差がついてしまいました。
2022年12月11日
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芝山・古墳はにわ博物館に隣接した芝山公園には、殿塚古墳の復元模型があります。園内に入ってすぐのところがそれ。埴輪に囲まれ、往時の雰囲気がしのばれます。 公園を進むと古い民家が。山武市から移設した旧藪家住宅です。江戸時代半ばのものです。名主を務めた家で立派なのが外観からも分かります。あいにく修復工事中で見学はできませんでした。
2022年12月10日
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芝山・古墳はにわ博物館には埴輪以外の出土品も多数あります。鉄剣に金具、貝などの飾り。こちらも刀と勾玉。 烏山古墳(富里市)の鎧。古墳時代の家を復元した模型。 結構広い。木戸前古墳の家型埴輪。 上吹入・林古墳(芝山町)から出土した土器。こちら縄文時代の石器。 芝山町内の大滝古墳や居合台古墳、小池台古墳から出土した土偶や石の鏃(やじり)。すっかり堪能しました。
2022年12月08日
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12月3日、成田空港に隣接した千葉県芝山町の「芝山・古墳はにわ博物館」を訪れました。 芝山町内には「殿塚・姫塚古墳」を代表する古墳群があります。その数500基。埴輪や土器など副葬品が多数出土しています。館内には芝山町や周辺の横芝光町や山武市から出土したものを中心に展示しています。殿塚古墳出土の「耳輪と耳玉の女子」。円筒埴輪。いろんな所からの品。 芝山町の殿部田古墳から出土した「頭に壺を乗せる女子」や家や鎧を着た武人、馬などの埴輪。山武市の小川崎台古墳から武人、馬、家。 ひげを伸ばした武人の埴輪が目立ちます。姫塚出土。こちらも殿塚古墳のひげの武人と馬。 木戸前古墳。振り分け髪の男子と腰帯から鏡を下げた女子。埴輪だけでも大満足。これで入場料200円は安いと思う。続く。
2022年12月07日
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23日、鴨川市の四方木(よもぎ)不動滝を訪れました。以前、太川陽介さんのバス旅の中で取り上げられ、行ってみたいと思っていました。ドリプレローズガーデンからは車で30分ほどで着きました。かなり細くて車のすれ違いが厳しい山道の連続でした。滝に行くには、公民館前に車を止めて、1km以上歩いていきます。滝の入り口に不動尊がまつられています。名前の由来です。 ここから下っていきます。途中展望台から。高さ10m、幅8mの滝が見えてきました。 滝まで下りました。葉っぱはもみじが多く、紅葉の季節だったら、きっときれいだと思います。
2022年10月25日
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函館からの帰り、乗った飛行機は初めて使うエアドゥ。ポケモンがデザインされた飛行機です。ポケモンは知らなかったのですが、白と青のほうがアローラロコン、茶色っぽい方がロコンというそうです。座席のカバーにもデザインされていました。
2022年10月04日
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函館空港から帰京。フライトまで時間があるので買い物をしたり、2階にあるギャラリーを見学しました。空港ギャラリーはアイヌの民族衣装などが展示されていました。アイヌの大酋長の像。アイヌの服やキセル。 木彫りのフクロウがネズミを捕まえているところ。木の熊に座って写真を撮れる撮影スポット。 こちらは飛行機のチケット風。16時45分のエアドゥで帰ります。
2022年10月03日
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函館のトラピスチヌ修道院(厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院)を訪れるのは39年ぶりです。函館駅から空港に向かうシャトルバスが経由します。男子禁制で部外者は建物に入れないけれど、庭や売店には無料で立ち入れます。バス停から階段を上がっていきます。赤レンガの建物が見えてきます。正面には聖ミカエル像。 聖母マリア像。3つのレリーフ。 ルルドの泉の再現。19世紀の有名な修道女テレジア。 入れるのはここまで。建物は、何度か火災に遭い、現在一番古い聖堂は昭和2年の建設です。壁の奥が修道女たちが暮らす敷地です。 お目当ての売店では、シスターの手作りクッキーなどを購入しました。同じ系列のトラピスト修道院(男性)のバター飴。トラピスチヌ修道院のホワイトチョコレート。 こういうものの売り上げが、神様に仕える人たちの生活を支えているのです。
2022年10月01日
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五稜郭の星形の全容は、五稜郭タワーに昇ってみないと分かりません。83年の15歳北海道一人旅以来、実に39年ぶりに五稜郭タワーに昇ってみました。タワーは古いものを解体して、06年に新装開業しているので、初めて昇ると言ってもいいかもしれません。高さは107m。展望2階は90mです。近い。大きい!形もよく分かる。五稜郭の全体をカメラに収めるのはちょっと無理でした。 五稜郭の出島のような三角が半月堡です。上からだとよく見える。土方歳三の像もあります。 ペリー来航から五稜郭の戦いに至るまでの歴史が見られる五稜郭歴史回廊。精巧なジオラマが目を引きます。戦闘シーンがリアルです。ただしケースに入ってるので写真は難しい。 展望台の反対側からは、函館山。さらには函館中心部や港が見えます。夜だったら夜景がきれいでしょうね。 地上1階にも土方像があります。薩長軍と旧幕府軍の大砲が両側に並べられていました。
2022年09月13日
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五稜郭公園を訪問。2013年、JR江差線の廃止(14年5月)の前に函館に来て以来です。妻と子は初めてなので喜んでいました。後ろは一の橋と半月堡です。奉行所の見学は前回来たので割愛。木々の間を散策。よくあるお城跡の公園といった印象。 石垣の上に登って散歩を続けます。堀をバックに。真ん中は二の橋。正直、中を歩いても特殊な形のお城だとは分かりません。 五稜郭タワーに昇って、上から見下ろしてみることにします。
2022年09月12日
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函館市電の五稜郭公園電停から、五稜郭公園へは徒歩10分ほど離れています。間にある通りは「行啓通り」。途中珍しいものを見つけました。「ふしぎな石」がそれ。上ノ国町の天の川上流で採れた石で、触ると願いがかなうとか。流れ星のように祈りをささげました。この通り、彫刻などのモニュメントが並んでいます。このクマの像は「ぢっと手を見る」。函館ゆかりの歌人、石川啄木にちなんだ命名でしょう。 五稜郭タワーが見えてきました。06年に建て直した新しいタワーです。新しくなってからは昇っていないので、後で昇ってみるつもりです。明治44年(1911)、皇太子(のちの大正天皇)が函館商業学校を訪問(行啓)した時の「皇太子殿下行啓記念碑」がタワーの目の前にあります。ただし、当時学校は別の場所にありました。記念碑は学校の移転とともにこの地に移され、学校はさらに別の場所に移転して記念碑だけこの場所に残りました。ちなみに行啓通りの由来はこの碑と関係なく、大正11年(1922)、のちの昭和天皇の行啓にちなんだものです。 タワーの先には「箱館戦争供養塔」がありました。五稜郭の戦いで亡くなった戦士を追悼してから、五稜郭公園に向かいました。
2022年09月11日
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9月10、11日、鉄道研究会の合宿があり、函館に行きました。羽田空港から飛行機で行きましたが、駐機場にANAの「鬼滅の刃」とコラボしたラッピング飛行機が止まっていました。両側に鬼滅隊の柱が9人描かれています。 右側も違うデザインで9人を描いた絵がありますが、残念ながら隠れてしまっていて、全体が見えなかったので撮っていません。他にも主人公の炭治郎らかまぼこ隊を描いた別の機体もあるようです。
2022年09月10日
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鬼怒川温泉のスパ三日月の後、鬼怒川に架かる「鬼怒楯岩大吊橋」を渡ってみました。鬼怒川には何度も来ているのにこのつり橋は初めて。全長140mあります。結構揺れます。 真ん中まで来ました。下をのぞくと落っこちそうで怖い。 鬼怒川下りの舟が3隻、近づいてきました。一度は乗ってみたい。 対岸に到着。楯鬼の像。雨が降ってきたので、早々に引き揚げました。
2022年08月13日
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栃木・ツインリンクもてぎ(今年3月から正式名はモビリティリゾートもてぎ)は入場料1200円でパスポートは3200円。しかし、うちの子供が楽しめそうなものは少ない。1人乗りの2輪や4輪のアトラクションを運転できないし、2人乗り以上のものは幼児向けすぎる。幼いとはいえ学齢は高校生の息子。迷路やアスレチックでは遊ばないし、満足させられる乗り物が少なくて困った。パスポートを買わず金券を買いました。無料の森の散策(フリーウォーク)。里山を歩いて1周します。まずはつり橋から。キツツキのテラス(展望台)。 山の中腹からサーキットコースが見えます。山のあちこちにある遊具。大きめのブランコ。2つある生物資料館を見学して山を下りました。 「オフロードアドベンチャーDEKOBOKO」。3人で乗りました。子供にハンドルを握らせたけど、かなり地面が凸凹していてなかなか難しかった。金券が200円分余ったので、コインと交換して「おさんぽでんでん」に。これはもう赤ちゃんが乗るもの。 2分で停止。大して楽しそうでもなかったが、金券が余らなくてよかった。
2022年08月10日
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8月8日、栃木・ツインリンクもてぎを訪問。いろんなアトラクションがありますが、一番乗りたかった「レーシングカート」体験走行に挑戦しました。最高時速40kmのホンダGX270(2人乗り)。午後1時半に受付に行って、2時50分の回が取れました。運転免許が必須なので高校生の息子でなく、僕が運転します。料金は2000円で遊園地のパスポートを持っていても300円引きにしかなりません。安全のため、マスクをしてヘルメットをかぶり、さらに腕あてとグローブを着けます。小僧は短パンにサンダル履きだったのでジャージーのズボンにシューズもレンタル(無料)しました。靴下は購入しました。 これ(20号)が乗ったカート。慣れた人に次々と抜かれて周回遅れに。うまい人のコーナリングが凄かった。何度も来ているのでしょう。 1周500m余のコース、5分間の制限時間内に最大6周できるはずが、4周で時間切れになりました。なかなか難しいものです。それでもすっかり堪能しました。
2022年08月09日
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栃木県ツインリンクもてぎ内にある「ホンダコレクションホール」は本田技研の歴代のF1やラリー車などレーシングカーを含む自動車、2輪車、耕運機まで見られるミュージアムです。大正時代の古い車、今でも販売している車、実に450台がずらり。3階までエレベーターで昇って上から見ていきました。 かっこいいレーシングカーがずらり。1988年にアイルトン・セナがF116戦中15勝したマクラーレンホンダ。1987年に中嶋悟が日本人でF1初参戦し2戦目で初入賞したときのロータスホンダ。後ろはマンセルが載っていた車。 2017年、インディ500で佐藤琢磨が優勝した時のダラーラホンダ。ル・マン24時間に出場したホンダNSX(1995年)=右のオレンジの車。後ろもル・マン出場の車。 2輪もいろいろ。ホンダが初めて作った自動2輪車。 1924年製のカーチス号。子供が車好きなので来てみたけれど、なかなか見ごたえがありました。
2022年08月08日
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ゴールデンウイークの5月8日まで、八千代市の新川に架かるゆらゆら橋に鯉のぼりが飾られていました。寄贈された100匹の鯉のぼりが川の上になびいています。 橋はつり橋なので渡ると結構揺れます。あいにく風がいまひとつで絡んでいるのもありました。
2022年05月10日
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東金市の八鶴湖畔。本漸寺の反対側(東)にあるのが最福寺です。創建は平安初期の9世紀初頭です。やはり鷹狩りで訪れた徳川家康との関係が深い。住職の日善上人と家康は意気投合。わざわざ駿府まで招いていろいろ相談したそうです。大坂の陣の前、豊臣家には恩があり主人でもあったのに滅ぼしてよいものかという葛藤があったが、日善は今しかないと攻撃を勧めたという。それが境内にあるこのレリーフです。家康は豊臣を滅ぼすことを決めていたが、誰かに背中を押してほしかったのだと思う。本堂にお参り。境内には「お富さん」の切られ与三郎のモデルになった伊三郎の墓がありました。 大黒堂には御朱印が置いてありました。300円。境内の八重桜。
2022年04月21日
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東金の八鶴湖の近くには、古刹が2つ。まずは本漸寺へ。鎌倉時代の創建と伝わります。湖を見下ろす高台にあります。隣が東金高校で、家康が鷹狩りで立ち寄るために建てた東金御殿の敷地でした。城主酒井氏の菩提寺でもあります。お寺の裏が東金城でした。 客殿と立派な池。かつてはかやぶき屋根だったのが明治43年にこの鬼瓦を含む屋根に変わったそうです。 家康お手植えのミカンの木がありました。
2022年04月20日
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習志野市の津田沼駅付近にある「菊田神社」。二宮神社同様、平安初期の弘仁年間(810~824)創建と言われています。狛犬が3組6体もありました。一番手前の狛犬は顎がしゃくれていて、「アイーン狛犬」と呼ばれています。 アイーンと対になる狛犬。一番新しい狛犬は昭和59年、それでも40年近く前。 奥の狛犬はかなり古そう。境内の桜の木が見頃でした。 隣は水鳥公園になっています。鯉は見えたけど、水鳥は見えない。この池は、二宮神社が水源と言われています。下総三山の七年祭りなどで両社の結びつきがあります。
2022年04月06日
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船橋市の二宮神社は、下総国二宮です。(一宮は香取神宮)創建は平安初期の嵯峨天皇の時代で1200年も前になります。うちから割と近くにありますが、訪れるのは初めてです。階段の先、目に入るのは大イチョウ。樹齢400年、高さ25m、幹回り4.7mの巨木です。本殿にお参り。 神楽殿。毎年1月と10月の神楽はこの舞台で舞われます。御朱印を頂きました。月替わりの御朱印は人気があり、1時間半も待ちました。でも桜の絵が素敵です。
2022年04月05日
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神奈川県寒川町にある、相模国一の宮が、「寒川神社」です。関東の一の宮巡りの一環として訪れました。創建は雄略天皇の5世紀までさかのぼるようです。八方除の守護神として知られています。参拝者は神奈川県では鎌倉の鶴岡八幡宮に次いで多いそうです。建物は平成に入ってから建て直したものが多く、新しさが目立ちます。神門。大きな狛犬。2mはある。このサイズにはびっくり。 本殿にまずはお参り。本殿の向かって左側にあるご神木。代替わりするそうでまだ若い木です。 右側には「渾天儀(こんてんぎ)と方位盤」という珍しいものが。天体観測用の器具です。占いにも使いました。本殿の裏には神苑と資料館がありますが、祈祷を受けないと見られません。境内を散策。敷地の外れにある三の鳥居の前の神池。噴水になっていました。 一の鳥居、二の鳥居は寒川の町中にあります。関東地方の一の宮、残るは武蔵国です。
2022年03月24日
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小田原の先、南足柄市にある「大雄山最乗寺」。開祖・了庵慧明禅師の弟子で、室町時代の僧侶兼修験者、最後は天狗になったという道了がまつられており、道了尊の名で親しまれています。車で行ったけど、結構な急坂。最寄りの伊豆箱根鉄道大雄山駅から上る人は、徒歩はやめてバスのほうがいいです。天狗にちなんで、世界一大きいと言われる大きな下駄があります。なんと3.8t。まずは階段を上り、本堂にお参り。 本堂の前の池。金剛水は土木工事に優れた道了が掘って病に効くと言われる霊水です。600年湧いています。 この先が、道了がまつられているエリア。橋を渡り、左右に天狗がいる門をくぐります。向かって右が大天狗。左が小天狗です。 道了がまつられているお堂の脇に下駄がありました。下駄は夫婦和合の象徴だそうです。信者の人も大小さまざまな下駄を奉納しています。 その先にも、天狗と狐の像がありました。その先の奥の院までは行きませんでしたが、上ったり下りたりで結構歩きました。
2022年03月23日
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3月15日、小田原の「鈴廣かまぼこの里」へ。4年半ぶり。かまぼこ本店のほか、かまぼこ博物館があります。夜おつまみにするちくわや板わさなどを買った後、鈴廣かまぼこ博物館へ。かまぼこ作りの体験の子供たちでいっぱいでした。予約しないと入れない人気です。僕らは展示物を見学。以前は石臼でこのように魚をすりおろしていました。魚の種類によってできる練り物も変わってきます。クイズ形式で覚えるのは子供には楽しいんじゃないかな。 井戸水がきれいだから発展したようです。シログチ(イシモチ)をはじめとするかまぼこの材料になる魚たち。 工場で作っているところも見学できます。フラッシュをたかなければ撮影OKでした。
2022年03月22日
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しとどの窟は、実は真鶴町にも同じ名前の洞窟がありました。字は違うけど、「鵐窟(しとどのいわや)」がそれ。岩海岸から、舟で房総半島に渡った源頼朝一行がこの洞窟で待機していたそうです。場所は真鶴港のすぐ近くです。頼朝のころには130mの奥行きがあったそうですが、波で削られ、現在は11m。さらに、関東大震災で隆起して海からもちょっと離れました。
2022年03月16日
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湯河原町の「しとどの窟(いわや)」。現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも出てきます。挙兵した源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、身を隠した場所がここの洞窟でした。梶原景時に発見されたものの見逃されたエピソードは有名です。場所はとんでもない山の中。ヘアピンカーブが連続する山中。駐車場から徒歩20分。車道の端からは急坂を400m下ります。前夜の雨で滑りやすいので、杖(自然の木の枝)を使いました。 石仏が並ぶ洞窟。上の岩が落ちてこないか不安になります。 しかし、梶原景時はよくこんな山の中で発見したなあ。元々洞窟があるのを知っていて捜しに来たんじゃないだろうか。なお、真鶴町にもしとどの窟があります。湯河原町のほうは、土肥椙山のしとどの窟と呼ばれています。
2022年03月15日
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佐倉市の佐倉城は、千葉県内で唯一、日本100名城に選ばれているお城です。江戸初期、土井利勝によって築城されました。城主は幕府の要職に就くことが多く、頻繁に後退しました。幕末には日米修好通商条約を推進した老中堀田正睦らを出しました。明治になって建物は取り壊されて、佐倉連隊が置かれました。きれいな形が残る馬出し空堀。本丸跡。正面に天守閣がありました。 本丸を囲んでいた土塁の跡。入り口の一つ、台所門跡。 日米修好通商条約を結んだハリスと道を挟んで堀田正睦の像があります。堀田正睦像。井伊直弼により失脚し、明治を待たずに死去しました。 空堀。
2022年03月02日
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千葉県佐倉市にある臼井城址公園。このあたり一帯を支配した千葉氏の一族・臼井氏の居城として平安末期の1114年には城が造られましたl。戦国時代にはいろんな戦いの舞台になりました。豊臣秀吉の小田原征伐後は、徳川家臣の酒井家の城になり、転封で1604年に廃城になりました。細い道を車で上って駐車場へ。見るからに土塁と空堀。上の土橋から見た空堀。桜の木。まだ咲くには早すぎ。 二の丸跡。臼井城の説明の看板。 空堀の反対側は本丸。本丸跡から眺める印旛沼。見晴らしは最高に良かったです。
2022年02月25日
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奈良の大仏と言えば、奈良市の東大寺にある盧舎那仏像のことかと思われがちですが、ここ千葉県市原市奈良には、正式名称「奈良の大仏」が存在します。平将門によって、平安時代の931年(承平元)創建。東大寺のものを模して創ったとか。当時は銅製で何度か造り直され、f現在のものは江戸時代の1804年(文化元)に造られた石像です。高さは1.7m。釈迦如来像です。 2011年の東日本大震災で台座から落ちましたが、市民の協力で復興しました。参道には樹齢100年の山桜の並木があります。その季節が待ち遠しい。
2022年02月10日
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長南町にある笠森観音(笠森寺)に数年ぶりに訪れました。長福寿寺よりもさらに古い784年(延暦3)、同じく最澄による創建という古刹です。山頂の岩の上に61本の柱に支えられて立つ高さ34mの観音堂は、四方懸け造りという日本で唯一の珍しい構造で、重要文化財です。後一条天皇により建てられた観音堂はその後焼失し現在の建物は安土桃山時代の再建です。山下の駐車場から山頂まで至る道がまた急です。途中にある名木・三本杉。 二天門まで到着。観音堂の階段が急。 岩の上の観音堂の下の土台。しっかりしています。拝観料300円。上からの眺めが素晴らしい。 境内を見下ろします。房総の山々。 鐘楼に登って鐘を突きました。
2022年02月08日
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房総は長南町の「長福寿寺」に行ってきました。宝くじが日本一当たる金運の寺、と言われていてちょっと眉つばだなあと思っていましたが、桓武天皇の勅願で798年(延暦17)、比叡山を開いた最澄によって創建された由緒ある寺です。本堂(根本中堂)は江戸初期、将軍家光のころ、延暦寺を解体した材木で建てられたものです。屋根に菊の紋があるのが勅願寺である象徴です。両脇にあるゾウの像が特徴的です。向かって右側にあるのが吉ゾウくんです。 この日は大安と一粒万倍日が重なる日で、たくさんの人が御利益を求めて並んでいました。僕らもすいてから、足元の小判を触ってみました。 吉ゾウくんの反対側のゾウは結愛(ゆあ)ちゃん。縁結びのご利益があるとか。空を見上げて人が騒いでいるので上を見ると、竜の形の雲に見えました。妻には鳳凰に見えたそうです。 大仏もあります。境内にはゾウを狙って投げる運試しの池や(水は入ってなかったです)、 インドからやってきた菩提樹の木。キティちゃんの石像。 道路沿いには黄金のゾウが目立つように立っていました。演壇に立ったご住職の話を聞いていましたが、トイレ掃除など日ごろの心掛けが大事など、ごく当たり前でためになるお話でした。僕は宝くじは買う習慣はないけれど、金運の寺、バカにはできないと思いました。
2022年02月07日
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初詣は済んでいますが、16日、成田山新勝寺にお参り。さすがに1月のうちはまだ参拝客が多い。結構並びました。この大本堂は、1968年建立と比較的新しいものです。釈迦堂は旧本堂。安政年間の1858年建立。大本堂の建設に伴い、1964年に現在地に移されました。 「ブラタモリ」でやってましたが、その前の本堂は光明堂(1701年築)、さらにその前は、現在門前町にある薬師堂(1655年築)が本堂でした。建物は、お寺の発展とともにどんどん大きくなっていったのでした。古いお堂を壊さずに、移転して残したのが素晴らしいと思います。
2022年01月18日
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埼玉・深谷にある渋沢栄一の生家・中の家(なかんち)。この銅像は、パリ万博に行った時の栄一(当時は篤太夫)だそうです。池もかなり大きい。大きな鯉もいます。 主屋の中には現在は入れないけれど、庭から部屋をのぞきます。「青天を衝け」のポスターもありました。床の間には渋沢栄一のアンドロイドがあって、生きてるように動いています。80歳の栄一だそうです。 裏庭。竹藪の先には、石碑が3つ。1つは渋沢平九郎の追懐碑。栄一のいとこで妻・千代の弟で、尾高家から渋沢家の養子になったけど、新政府軍と戦って飯能戦争で自刃。演じた岡田健史さんの人気か花が供えられていました。2つ並んだのは栄一の両親の招魂碑。左が母・ゑい、右が父・市郎右衛門です。この日は花を供えるイベントがあって、うちも参加しました。小林薫さんのことを思い浮かべながらお参りしました。 渋沢栄一記念館も見学。栄一の書や千代さんの写真などいろいろ興味深かった。栄一の講義の肉声を録音したものも流れていました。深谷ネギを購入してお土産にしました。大きくてびっくり。
2021年10月21日
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埼玉・深谷の渋沢栄一の生家・中の家(なかんち)を訪問しました。駐車場も広く、敷地も広く建物も立派です。正門の奥に大きな建物が見えます。まさに豪農だったのでしょう。 正門の前には、明治の文豪幸田露伴筆の石碑。「青淵翁誕生之地」とあります。青淵は栄一の号。主屋。メインの建物。2階建てで、養蚕を行った農家に多いタイプ。 向かって右側に土蔵が2つ。入り口に近いほうが、藍の土蔵。入り口よりには、藍の販売所だった建物もあります。これが藍です。 奥のほうの土蔵は米蔵だったと考えられています。主屋の裏にも道具蔵など2つあり、土蔵は全部で4つあります。続く
2021年10月20日
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