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終点の新島々に到着しました。20数年ぶり3回目です。上高地に行くバスは乗り換えです。登山客が降りていきます。アルピコ交通は松本から14.4kmを14駅30分、700円で結んでいます。 最初に松本から新村まで乗ったオレンジ&グレーの電車が反対側のホームに止まっていました。新島々の先、1.3kmの島々までかつてはレールがありました。83年の台風で土砂崩れがあり85年に廃止になっています。現在は約100mほど先までが留置線になっています。 新島々の駅前には、旧島々駅の駅舎が移築されています。では、廃線跡歩きに行ってみます。
2018年09月14日
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アルピコ交通のなぎさトレインの車内で見付けたハート形の吊り輪。ピンクでかわいいですね。2010年に静岡・伊豆箱根鉄道が始めた企画が全国に広まりました。恋人同士で吊り輪をつかむと結ばれるとか。アルピコ交通上高地線では、544個ある吊り輪のうちの1つがハートです。もっとも2両編成の電車が計4編成(全部で8両)しかないので、当たりやすいとは思います。
2018年09月13日
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アルピコ交通のイメージキャラクターが渕東なぎさです。沿線の渕東(えんどう)、渚両駅から取った名前。新村車両所見学の後、乗った8時55分の電車は「なぎさトレイン」でした。ヘッドマークを付け、側面に絵が描かれている電車です。新村駅に電車が入線してきました。 渕東なぎさのキャラクターは沿線のあちこちで見られました。勤務していることになっている新村駅で。これは、電車正面の窓になぎさ。 そして終点新島々の1駅手前、渕東駅です。
2018年09月12日
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上高地線のほぼ真ん中、新村(にいむら)で下車します。ここには新村車両所(車両基地)があります。廃車になった元東急の5000系電車。通称青ガエル。当時の色に塗り戻されています。車両所で静態保存されています。 古くなった木造の有蓋貨車。これは? ラッセル車だ。信州は雪が降るからね。電気機関車。 正面から。 わずか20分の滞在ですが、楽しめました。
2018年09月11日
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松本から2つ目が渚。渕東なぎさ(アルピコ交通イメージキャラクター)の名前の元になった駅です。駅名標にもキャラの絵が描かれてます。萌え系のキャラが人気のようです。待合室には「なぎさステーション」と書かれています。 なぎさトレインという側面に渕東なぎさの絵が描かれた電車と列車交換しました。下新(しもにい)、北新(きたにい)・松本大学前=写真=、新村(にいむら)と「にい」が付く駅が続きます。新しく開墾した土地だったのでしょうか。 車両基地(新村車両所)のある新村で途中下車します。週末パスなのでアルピコ交通内は乗り降り自由です。3000系電車を見送り駅の外に出ます。 17年に建て替わった新村の駅舎。旧駅舎にあった社章が側面に展示されていました。
2018年09月10日
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アルピコ交通上高地線は、松本-新島々(14.4km)を結ぶ電車です。11年に松本電鉄から改名しました。8時19分の電車が入線してきました。元京王井の頭線の3000系。かつて松本電鉄を走ったモハ10形と同じ、オレンジとグレーに塗り替えられています。20~30年前に2往復乗っていますが、アルピコになってから乗るのは初めてです。 松本行きの電車が到着し、すぐに新島々行きに折り返します。11年にアルピコに改名されたのに、駅名標は松本電鉄のままです。 早速、乗り込みます。市街地を抜け、最初の駅・西松本はすぐです。 つづく
2018年09月09日
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池田鉄道の終点・北池田は、信濃池田から0.9km、ホーム2面が残っています。終点だけに大きな駅です。池田五丁目交差点の東、特養老人ホームの南。倉庫の裏で分かりづらかったです。池田鉄道は電車で、1日20往復で安曇追分までを14分で結んでいました。 ホーム上の廃屋は駅舎か? 反対側(信濃池田側)からも撮ってみました。 信濃鉄道(現大糸線)が高瀬川の対岸を走り、ルートから外れた池田町の住民の悲願の鉄道でしたが、世界恐慌の直撃で四十雀(始終空)と言われたガラガラ電車。電化されているのに、末期はガソリンカーに切り替えたほどです。37年に信濃鉄道は国鉄に買収されたのに、池田鉄道はその対象から外れたところで命運は尽きていました。北池田・信濃池田から、大糸線信濃松川までは2km弱。20分も歩けば着く距離です。やはり鉄道計画が無謀だったと言わざるを得ません。僕も信濃松川まで歩いて、大糸線に乗り、松本に戻りました。
2018年09月07日
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池田鉄道の本社があったのが、信濃池田です。南池田から北に0.9km。池田二丁目交差点から東に600mのところにホームや建物が残っています。ホーム上に蔵や、本社建物と呼ばれるものがあります。この角度が一番雰囲気があるかな。 説明板もあります。町が設置した記念碑。 道路を渡った先にあるコンクリートの塊。これもホームの一部か?
2018年09月06日
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柏木から先も池田鉄道は県道に沿って走っていました。古地図によると県道を横切り、東側へ。跡は全く残っていませんが、南池田駅の場所はすぐ分かりました。長いホームが残り、その上に3軒の民家が立っています。柏木から1km、ツルヤから東に入り、平林メンタルクリニックの北の角。ウィキペディアに南一丁目バス停付近と書いてあったけど、全然場所が違いました。完全に土台として溶け込んでいます。 どんな形であれ、ホームが残っていて、活用されているのはうれしい。次は0.9km先の信濃池田。南池田のすぐ北の道路。古地図によれば線路跡は途中で右にカーブしますが、この辺りは線路跡だったと思われます。
2018年09月05日
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池田鉄道の路盤跡は80年もたつと田んぼや住宅に吸収されて全く残っていません。しかし、池田町が設置した記念碑があり、駅の位置だけは分かります。安曇追分を出て最初の駅が1.5km先の十日市(とおかいち)です。痕跡は何もありません。記念碑は県道に沿ったところにありますが、駅の位置も記念碑とは微妙に違うそうです。池田町営バスのバス停および地名は十日市場に変わっています。駅跡よりちょっと追分寄り。 過去に訪問した人のブログなどによると、水路を渡る小さな橋台が複数箇所残っていたそうですが、今回、見つけられませんでした。池田鉄道は左に90度カーブし、県道51号の西側の道を北上します。回りは田んぼしか見えません。十日市から1.5km、2つ目の駅は会染(あいそめ)です。ハーブセンターの南300m。現在は民家になっています。隣家との境目にホームがちらりとのぞけます。 会染から1.1km、林中交差点の西、多目的センターの敷地内に柏木駅跡があります。痕跡は皆無。今用水路になっているあたりにホームがあったと言われています。
2018年09月04日
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大糸線の安曇追分駅から、対岸の池田町まで6.9kmの私鉄がありました。池田鉄道。大正15年開通、昭和13年にわずか12年で廃止になっています。80年前の鉄道に痕跡などあるのか?と思いますが、町が各駅跡に記念碑を設置して場所は特定できるし、ホームも数カ所に残っています。松本に来たついでに足を延ばしてみました。池田鉄道の駅舎は大糸線の北東にあったらしい。この辺に駅舎があったのか?駅の北には、コンクリートのホームの残骸があります。池田鉄道のものかは分かりませんが=写真中央に小さく写ってる。 拡大してみました。国鉄の貨物用のものだった可能性もあります。 古地図によれば、池田鉄道は安曇追分を出るとすぐ東に右折し、県道329号の北を進み高瀬川を渡ります。県道脇の側道(旧道)、この辺りか。高瀬橋は2000年まで、池田鉄道の橋梁の橋脚を再利用していました。残念ながら今は、少し南の新高瀬橋に切り替わっています。 旧橋が架かっていた辺りにあるコンクリートの残骸。池田鉄道のものかは不明。
2018年09月03日
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行きの特急あずさの中では、新宿駅で買った「新宿弁当」を食べました。甲州、信州の名物をふんだんに使っています。中央線の古い地図の表紙もいい。内藤唐辛子使用原木採りの椎茸煮、信州野沢菜炒め、信州りんごだれ使用炭火焼肉、甲州名物ソースかつ、かまぼこ、八ヶ岳高原卵焼き、甲州煮(里芋・人参・レンコン)、巨峰寒天餅、安養寺味噌使用鮭の味噌焼き、甲州小梅のごはん。中身はこんな感じ。内藤唐辛子は新宿・内藤町で栽培されていた江戸野菜。安養寺味噌は信州味噌の原点といわれる味噌です。 おいしかった♪
2018年09月02日
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9月1、2日、鉄道研究会のOB会の合宿で松本に行きました。新宿発9時ちょうどのあずさ9号に乗車。八王子から甲府までノンストップかと思えば、小淵沢から先は富士見や下諏訪にも止まり、11時56分に松本に着きました。天気が心配だったけど、八ヶ岳も見えて(雲がかかっていたけど)快適な旅でした。今回は週末パスを利用。土日2日間、JR東日本や私鉄も乗れる優れもの。8730円。前日までに購入が必要。松本駅の駅名標。立派な木製で旧字に、歴史を感じます。 駅前の湧き水は「深志の湧水」。水がきれいな松本は、市内のあちこちに水が湧いています。おいしい。銅像は「播隆上人」。槍ヶ岳を開山した登山家。江戸中期の人。やはり松本、山登りのリュックをしょった登山客が目立ちます。 大糸線に乗り換えて33分、安曇追分で降りました。
2018年09月01日
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浜松の駅弁「出世大名家康くん弁当」。以前も食べたことがありますが、中身が変わっていました。ご飯が俵形になっていました。以前は三角おにぎりでした。うなぎご飯、みかんご飯、しらすご飯、茶飯の4つです。浜松名物しそ巻き。しらすコロッケ、ふぐの天ぷら、キャベツ餃子抹茶天、あさり煮と地元の料理の数々。家康くんの絵の入った大福もちがデザート。自家製肉団子に煮卵、漬物もついています。
2018年08月03日
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習志野市の藤崎森林公園の一角に静態保存されているディーゼル機関車と客車。木曽王滝森林鉄道のものです。中央線上松を起点に全長48.4kmの大規模な森林鉄道で(木曽谷全体だと400kmもあったとか)、1975年(昭50)と日本で一番最後まで運行しました。廃止翌年から縁あってこちらに保存されているそうです。 田島停車場をイメージしているようです。トラック輸送が未発達の時代、ヒノキやサワラなどを人間にはきつい山奥から運び出すのに大活躍しました。 人間も乗車できましたが、最高速度は時速30km、定員15人と小規模なものでした。中は狭そう。 客車の名前は「助六」です。だいぶ傷んでいますが、屋根付きで比較的恵まれている保存状態と言えるでしょう。 赤沢自然休養林では、復活運転が行われています。一度訪れたいと思っていますが、なかなか機会がありません。
2018年05月15日
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伊豆箱根鉄道修善寺駅で名物駅弁「武士のあじ寿司」を買いました。伊豆近海の地アジを酢で締めショウガを刻んで乗せたもの。桜の葉がご飯との間にあります。アジが不漁だった日には作れないとのことで、この日、手に入ったのは運が良かった。米は静岡産のコシヒカリ、伊豆松崎産の桜葉漬け、天城のワサビと地元産の食材を使っっているのが良いですね。2つ買って、宿で夕飯の一部になりました。アジがやはりおいしかった。
2018年03月31日
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32年ぶりに鹿児島市電に乗りました。4路線13.1km。一度全線に乗っているので、今回乗りつぶしはしませんが観光で移動する際に何度か利用しました。中心部の天文館通では1分間隔で電車が来るので便利です。85年に2路線が廃止されましたが残りの路線は健在で市民の足として定着しています。運転は2系統あり、鹿児島中央駅前を通るのは2系統です。写真は中央駅前電停。1系統は鹿児島駅前-天文館通-高見馬場-武之橋-郡元-谷山で、2系統は鹿児島駅前-天文館通-高見馬場-鹿児島中央駅前-郡元です。運賃は170円でした。乗り換えたり区間が長くなると値段が上がります。88~92年にセンターポール化されて、軌道敷が緑化されました。僕が乗ったのは86年3月だから、見違えるほど近代化されました。 写真は市内中心部、天文館通です。一つ先のいづろ通。 レトロな車両からユートラムと呼ばれる新しい車両。鹿児島市電の車両は色とりどりで目移りします。
2018年03月11日
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熊本から川内を経て47分、さくら555号は16時11分、鹿児島中央駅に到着しました。西鹿児島駅だった当時とまるで別の駅。04年に九州新幹線が新八代まで部分開業した時に改称されました。99年9月に宮崎空港線に乗った時に肥薩線に乗っているので鹿児島県は18年ぶりですが鹿児島市まで来るのは実に30年ぶりぐらいです。乗ってきたさくらは、そのまま折り返して新大阪行きになります。 改札を出ます。記憶にある西鹿児島駅とはまるで別の駅、新しい駅ビル(アミュプラザ)もできて、街の発展を感じます。NHK大河ドラマ「西郷どん」も放送中で、改札前には登場人物の大型パネルが並んでいました。駅を出ます。新しい駅だ。後ろを振り返ると、でっかい観覧車(アミュラン)が。時間があれば乗ってみようと思います。
2018年02月28日
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11年に開業した九州新幹線に初めて乗って、さっそくお弁当を食べました。博多で購入した「うまか!牛タン辛子めんたいこ弁当」。数々ある辛子明太子の駅弁の中で、店頭の写真を見て、一番明太子が大きいものを選びました。確かに大きい。牛タンもおいしい。錦糸卵。笹ゴボウ。明太子は大好物ですが、この後の旅程もあるので生ものだし、お土産に持って帰れません。弁当ですが、ここで食べられてよかったと思います。
2018年02月27日
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七隈線に乗った後は、九州新幹線に初乗りしました。さくら号は博多を出ると新鳥栖、久留米、熊本、川内だけに止まり1時間半で鹿児島中央(旧西鹿児島)に着きます。かつて夜行急行開聞で一晩かけて行っていたころを思うと、隔世の感があります。新大阪始発の14時45分発さくら555号が入線してきました。すぐ発車。 博多南の車両基地を横目に、わずか13分で最初の停車駅新鳥栖。佐賀・長崎・佐世保方面への乗換駅。長崎新幹線は、果たして開業までこぎ着けられるでしょうか。久留米を経て、筑後船小屋、新大牟田、新玉名と小駅を通過します。駅の周辺には何もありません。田んぼしかないように見えますが、船小屋にはソフトバンクホークスの2軍施設ができたり、これから発展していくのでしょうか。 熊本到着は15時23分。40分で着くとは、速い!熊本地震から2年。車窓からは地震の痕跡はないように見えます。しかし熊本を過ぎてしばらく行くと、上から押しつぶされたような民家がちらりと見え、地震の規模の大きさに今さらながら驚かされました。
2018年02月26日
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七隈線の終点・橋本に到着。ダイヤ通り天神南から24分。 この駅のシンボルマークはかつて近くにあった紅葉八幡宮にちなんだ紅葉。江戸初期に現在の早良区に移転しています。いったん改札を出て地上に出てみました。 バスロータリーや商業施設があり、駅周辺はこれから整備されて発展しそうです。天神南からは、博多に向けて1.4km延伸工事中ですが、16年11月の道路陥没事故の影響で、2020年の開業は2022年に延期になりました。
2018年02月25日
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福岡市の地下鉄の第3の路線、七隈線は2005年開業。福岡市中心部から郊外の南西部を結ぶ天神南-橋本12.0kmです。九州上陸は17年ぶりなのでようやく初乗りです。ANAのマイルがたまったので、成田から福岡空港へ。地下鉄空港線天神駅からは改札を出て、地下街を歩いて約10分はかかります。それでも同じ駅扱いで、切符は通しで使えます。Suicaが使えたので、空港線から通しで七隈線に乗り換えました。10分は大げさだろうと思って歩き始めたら、距離もあって人も多く実際それぐらいかかりました。間に西鉄天神駅を挟んでいるためでしょうか。 天神南のホームに到着しました。 13時ちょうどの電車に乗車します。地下鉄七隈線は、日本で4番目の鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄です。そのため車内に入ると左右の座席が両脇から迫り、通路はかなり狭く感じます。 日中は7分から8分間隔、16駅で約24分かかります。ちなみに一番最初は大阪の長堀鶴見緑地線です。他に東京都営の大江戸線、神戸の海岸線などがあります。 各駅のマーク、デザインがおしゃれ。桜坂なら桜の花びら、六本松なら緑の松の木、茶山ならお茶の葉の新芽、梅林は梅と分かりやすくなってます。沿線は福岡大学や中村学園大学などがあり、乗客も若い人が多いように思われます。沿線の中心駅で路線名となった「七隈(ななくま)」。鎌倉時代からの地名で交通の要衝でした。廃止された路面電車の福岡市内線と一部ルートがかぶる(天神南から六本松まで)城南線も候補にありました。 路線図の表示。野芥。読み方は「のけ」。難読駅名だと思います。 続く。
2018年02月24日
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帰りの新幹線では、福山駅で買った駅弁を食べました。「元祖珍辯たこめし」(三原)瀬戸内の漁師料理が基になっており、たこが大きい。ぷりぷりしたたこの食感がいい。エビも入ってる。「福山ばら寿司」(福山)中心には小タイ。イクラがバラの花の形に配置されて美しい。福山はバラの町だそうです。 おまけ。駅弁フェアで買った「炙りのどぐろますの北陸御膳」(敦賀)。高級魚ののどぐろ(アカムツ)を駅弁で食べられるのがうれしい。味行けがちょっとしょっぱい。
2018年02月02日
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三江線の乗車記念に、浜田で全駅硬券入場券を買いました。35駅分を台紙に付けてみると圧巻です。江津と三次は表側です。台紙には各駅の神楽演目が描かれています。4900円。 石見川本で予約した記念メタルプレートシートも届きました。1360円。全駅の駅名が書かれています。届いてから郵便局で振り込みました。
2018年02月01日
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江津からは、山陰線の快速アクアライナーで浜田に向かいます。浜田からはおよそ1時間置きに広島行きの高速バスが出ています。約2時間半で広島駅に着きます。列車だと三次まで2時間、江津まで6時間。とても太刀打ちできる相手ではありません。料金もわずか3030円です。広島―浜田は三江線経由で3670円でした。三江線の利用者が減って廃止に追い込まれるのも仕方のないところです。アクアライナーは途中都野津、波子の2駅だけ止まって15時31分、浜田に到着しました。島根県南部の中心都市浜田。駅前にはからくり時計があります。毎時00分に動くのですが、バスの発車が15時55分で見られませんでした。 どんちっちとは石見神楽のお囃子を意味する幼児言葉。浜田で水揚げされるアジ、カレイ、ノドグロにはどんちっちのブランド名が付いています。「築地魚河岸三代目」の漫画で知りました。おいしいんだろうな、きっと。バスは高速で時々インターを降りて乗客を拾っていきます。県境付近は雪。市内の渋滞で少し遅れて広島駅には18時20分過ぎに到着しました。
2018年01月24日
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三次から乗ってきた3両編成がそのまま江津行き13時45分発の426Dになります。因原。鹿賀。 石見川越。一時終点だったこともあります。田津。 川戸。1930年の最初の開業時の終点でした。 川平。川の付く駅が多いけれど、目の前の江の川の流量に圧倒されます。さすが中国太郎と呼ばれる中国地方一の大河です。千金。江の川が近い。 江津本町。 終点江津には14時54分に到着しました。約5時間の旅でした。 江津からは、15時15分の三次行き列車でまた三江線に乗る人、特急スーパーおきで出雲市方面に向かう人、いろいろいますが、僕は山陰線下りで浜田に向かいます。
2018年01月23日
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12時18分、424Dはこの列車の終点石見川本に到着します。沿線随一の町で大きな駅。次の江津行きは乗ってきた3両編成の列車がそのまま426Dとして運用されますが、発車は13時45分なのでいったん全員降ろされます。1時間半もあるので食事や町の見学に出ました。駅前におもてなしサロンができ、案内の人が多数います。 石見川本の駅舎。江の川の堤防から見た遠景。 江津方面から眺めた石見川本駅。ホームにある鉄道むすめ石見みえ。12月26日、廃止まで95日でした。彼女も廃止とともに姿を消すのでしょうか。 江津発12時43分、石見川本着13時43分の浜原行き下り列車が入線してきました。
2018年01月20日
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6度目の江の川を渡って石見都賀。石見松原。 潮。江の川。 沢谷。浜原。比較的大きな駅ですが、三江北線の終点として1937年に開業した駅です。75年開通の新線区間はここまでです。 粕淵。7度目の江の川を渡ります。これが最後です。あかつかという駅名標で赤塚を連想しますが、明塚(あかつか)です。 石見簗瀬。乙原。読み方は「おんばら」です。難読駅名です。 竹。木路原。そして沿線の中心駅でこの列車の終点・石見川本は次です。
2018年01月19日
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天空の駅と呼ばれる「宇都井(うづい)」が近づいてきました。 トンネルとトンネルの間の谷間に突如出現する地上20mの高架駅。真下に田んぼが広がります。下では何かパフォーマンスをしている人がいます。 よく見ると赤い旗を振っています。「三江線ありがとう」。それにしてもこんな格好…。じっくり駅を見学したいところですが、わずか1分で発車します。この駅の魅力は降りてじっくり観賞してこそですが、いかんせん列車の本数が少なすぎます。 ホームまで20mあれば都会ならエレベーターが設置されるところですが、乗客が少ないので長い階段を上がるしかありません。訪問5日後の大みそか、NHKの「ゆく年くる年」でこの駅からイルミネーションが中継されていて驚きました。
2018年01月18日
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3度目に江の川を渡ると島根県に入ります。 島根県最初の駅が作木口です。駅名の由来の作木は、三次市の旧作木村のこと。この辺は県境が入り組んでいます。江平。読み方は「ごうびら」。 口羽は、かつての三江南線の終点。三江南線は1955年に式敷、63年に口羽まで開通しました。68年には北線とともに赤字83線に指定されました。全通はそれから12年後の75年です。当時から沿線は過疎地で江の川に沿ってへの字形に走って蛇行し直線距離で60kmしかないのに108kmもあります。連絡線の意味をなさない路線で、果たして開通させたことが正解だったのかと疑問を呈さざるを得ません。 また江の川を渡ります。これで4度目。第四江川橋梁。可愛川から名称も変わり、数も江津側から数えているので第四です。再び広島県に戻って伊賀和志(いかわし)。 さらに第三江川橋梁を渡ってまた島根県に入ります。
2018年01月17日
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最初の停車駅・尾関山には、馬洗川橋梁を渡り3分で到着しました。ホームは右にあります。三江線の各駅は右側にホームが多く江の川も右側に見えることが多いので江津に向かって右側に座りました。江の川はトンネルを抜けてすぐに渡ります。第一可愛川橋梁。可愛(えの)川は江の川の広島県内の別名です。三江線は江の川に沿って走り、計7回渡ります。 次の駅は粟屋。「さようなら三江線」「長い間ありがとう」と待合室に張り出されていました。 江の川を右手に見て進みます。次の駅長谷は通過。上下5本しか止まらず、写真を撮ったけど、ぶれてしまいました。ダムが現れました。 支流の生田川橋梁から見る江の川。船佐。 所木。 信木。 式敷。 第二可愛川橋梁。江の川を渡るのは2度目です。香淀。
2018年01月16日
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JR三江線は広島県三次と島根県江津を結ぶ108.1kmの陰陽連絡線。しかし乗客は1975年の全通時から少なく18年3月末で廃止されます。12月26日、31年ぶりのお別れ乗車に行きました。廃止が決まってから積み残しが出るほどの混雑と聞いているので1時間早く広島発6時57分、三次着8時57分の芸備線の列車に乗りました。まだ暗い中出発。途中の下深川で6両切り離して発車。停車中に空が明るくなりました。広島から離れるに従い、雪が舞っています。広島県北部の山間部は山陽路とは気候が違うようです。三次に到着。「ありがとうJR三江線」の横断幕が目を引きます。 約1時間待って10時02分発の三江線に乗ります。三次着9時21分(江津発5時38分)の下り列車が入線してきました。これがそのまま折り返します。混雑のため三江線用の足元表示に従って並びますが、この日は3両編成、仕事納め前の平日でガラガラでした。 4人掛け1ボックスに1人で席を取ります。発車前に備後落合から1人来て向かいに座りましたが、これなら広島発7時53分、三次着9時57分の芸備線でも十分に乗れました。三江線沿線は神楽の盛んな地域で演目にちなんだ愛称が各駅につけられています。三次は「土蜘蛛」です。3両編成の三江線石見川本行きは10時02分に発車します。次の停車駅は尾関山です。
2018年01月15日
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あき亀山新駅の裏手に回ると、三段峡へと続く廃線跡の路盤が現れます。100mほど進むとレールも登場します。 廃止から14年たってもまだ残っていることに感動を覚えます。標識もありました。元々可部-旧河戸間は住民が増える予想で復活の可能性があるため線路を残してあった区間。残りの廃止区間は山間で復活はないだろうけれど、いつか訪問してみたいところです。
2018年01月13日
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宮島からの帰りに、妻子と別れてJR可部線に乗りました。可部線は、03年12月1日に非電化区間の可部-三段峡(46.2km)が廃止されました。しかし沿線人口が増えて17年3月4日あき亀山まで1.6km2駅が新たに電化延長されました。事実上廃線の復活です。山陽線横川で、広島から来る電車を待ちます。 太田川を見ながら住宅街を北上します。沿線は2014年の豪雨被害があった土地であることを思い出します。確かに進行方向右手から山が迫っています。犠牲者は77人にも上りました。合掌。可部線に乗車するのは86年夏以来31年ぶりです。暑い夏、三段峡駅から渓谷入り口まで歩いたのを思い出します。約30分で可部に到着しました。旧線の河戸駅は可部から1.3kmのところにありました。河戸帆待川(こうどほまちがわ)は可部から0.8km、旧河戸を挟んでさらに0.8kmであき亀山駅が造られました。それぞれ駅間2分で着きます。 旧路盤を利用しているとはいえ、ほとんど新線を電車はゆったり走ってあき亀山に到着しました。終点に着くと亀山中の生徒のアナウンスが流れます。あき亀山駅の構内は広いです。 夕方でほとんど人がいないけど、朝はラッシュになるんでしょうか。旧安芸亀山駅はここから5kmも先の山奥です。新しくて立派な駅は、素敵です。一部区間が廃止になったのは残念ですが、ここはJR初の廃線の復活を素直に喜びたいと思います。
2018年01月12日
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12月24~27日、広島県を旅行してきました。新幹線の広島駅を降りて、最初に目についたのが、Jリーグ・サンフレッチェ広島を応援するラッピングトレイン。はるばる広島に来た実感が湧きました。呉に向かう快速は「安芸路ライナー」。227系通称レッドウイング。広島にはこのタイプのメタリックシルバーの車両が多かったです。 呉からの帰りに乗ったのが「瀬戸内マリンビュー」。2両編成で1両は指定席。丸い窓や羅針盤などが車内にあって雰囲気がありました。あいにく外は雨。せっかうの海沿いの車窓も窓が曇ってしまっています。気動車なので電車快速だと広島まで30分のところがたっぷり1時間かかりました。
2017年12月24日
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成田ゆめ牧場には、羅須地人鉄道協会が運営する軽便鉄道まきば線が走っています。線路幅610ミリ、約500mの路線です。ディーゼルカーに引かれたミルクカーがのんびり走ります。もう1両屋根付き車両が増えて連結され、以前と逆回りの反時計回りに走っていました。しかもライトアップ用に飾りがつけられています。11月~1月、光の体験牧場のイベントの一環です。今度は、ぜひ夜に来たいものです。 見ると乗客が親子1組しかいなかったので、僕らも乗ってみることにしました。すると次々乗客が乗ってきて今度は満杯になりました。1人500円です。左にカーブすると機関庫が見えます。保存車両が多数。整備中のものも多いです。新潟の頸城鉄道のラッセル車などもあります。 SLも見えます。今月は18、19日が運行日でこの日(4日)は動きません。それでも試運転はやっていました。機関庫には「羅須地人鉄道協会」の看板がありました。 木橋を渡り、カーブを回って最初の駅に戻りました。お昼過ぎ、すでに次の乗客も並んでいました。盛況です。
2017年11月05日
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本庄電気軌道はJR高崎線本庄駅から7.1km先の児玉を結んでいた路面電車です。1915年(大4)開業、30年(昭5)休止、33年廃止とと15年ほどの短い期間の運行で知っている人も少ない路線です。ほとんどが併用軌道で痕跡は少ない。しかし、本社のあった七軒町には記念碑が建てられました。高崎線秩父街道踏切(銀座通り)の南の線路沿い、矢印に従って入ってみると、あった!地元の有志が建てたのでしょう。「本庄のチンチン電車 七軒町停車場跡記念碑」、とあります。 記念碑には路線図と、 駅名標と電車の絵。下には立派な御影石で建設に寄付した人の芳名が。 記念碑があるのは本社跡で七軒町停車場は少し先の左にカーブした交差点付近だったそうです。 電車はこの先、併用軌道で国道462号を走って児玉まで延びていました。児玉は現在の八高線児玉駅の北、高架線の下あたりにあったそうです。八高線の開通が31年なので一度も接続することはありませんでした。さて、七軒町から本庄までの約200mは高崎線に沿った専用軌道でした。記念碑の横は鳥居があり、その先はマンションがあって進めないので迂回します。マンションの反対側。駅に向かう道が線路跡だったと思われます。 本庄駅南口から線路跡を見下ろします。本庄電気軌道の駅は、現在自転車置き場になっている辺りだそうです。突き当たりのマンションの裏が七軒町停車場です。
2017年10月20日
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丹荘駅から4.9kmで遊歩道が終わり、その先、神流川の支流には赤いガーターの鉄橋が残っています。しかしやぶが深く横から撮影するのがやっとでした。ちょっと分かりづらいけど。 県道に回って遠めに橋を見てみます。シルエットは分かります。橋の対岸は酒屋。こちらから端に近づくことはできません。群馬県境の神流川に沿って南下する廃線跡を進みます。道路を渡るとその先はスーパーはせがわの敷地。民家に突き当たります。その先はまたやぶ。 迂回して痕跡を探します。こんもりと盛り上がった土がいかにも鉄道の築堤です。柵があります。ここから先は、朝日工業(当時は西武化学)の敷地になります。金網の先は川で鉄橋もあるようですが見えませんでした。 県道に戻って横から見ても見えませんでした。鉄道現役の頃も、一般の人は工場正門で「鉄道に乗りたい」と係員に言ってから中に入ったそうです。のどかな時代です。それだけ乗客が少なかったのでしょう。帰りのバス(朝日自動車)は1時間に1本弱。午後2時台という時間もありますが乗客は数人でした。
2017年10月19日
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寄島駅跡から歩いて約1分、突然現れる沿線唯一のレール。踏切が残っています。上武鉄道の数少ない遺構です。そこから徒歩3分、丹荘駅から4.9kmで健康緑道の終点の案内板があります。遊歩道の舗装もここで終わり。徒歩約1時間10分かかりました。 上武鉄道は1.2km先の西武化学前が終点です。この先はやぶにのみ込まれたり民家の軒先だったり、終点付近は工場用地で入ることもできません。が、とりあえずたどれるだけたどってみようと思います。10m進むと、道路を越えた車止めの先はやぶに突き当たります。その先は神流川の支流に架かる赤いガーターの鉄橋がありますが、やぶに埋もれて近づくことさえできません。
2017年10月18日
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築堤を抜けると、再び狭い1面のホームが現れます。「寄島(よりしま)」駅。丹荘から3.9km。神川中学校前とともに2つもホームが保存されているのは貴重です。右手に階段があってここもホームに登ることができます。 上武鉄道日丹線は、1942年、日本ニッケルの専用鉄道として開業。47年に旅客鉄道になり、62年に上武鉄道という名になりました。しかし1日わずか4往復、利用客10人程度という状態で73年元日付で旅客廃止、貨物も86年12月31日付で廃止になりました。駅でなくてもどこでも手を挙げれば止まってくれる、のどかな鉄道だったそうです。復元駅名標もあります。
2017年10月17日
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ホームの残る神川中学校前駅を後に、廃線跡の健康緑道をさらに進みます。次の青柳駅までは約1km。徒歩8分ほどのところに信号機が残っています。ふと振り返ったことで発見しましたが、草に絡まれていて見落とすところでした。さらに3分ほど歩くと、遊歩道が途切れ、突然砂利道に変わります。砂利道は100mほどで尽き、再び遊歩道に戻ります。工事が完了していないのでしょうか。 この辺りが、青柳駅のあったところ。ホームなどは残っていませんが、青柳小入り口の交差点に近く、間違いなさそうです。ベンチのある所の後ろ辺りです。青柳小入り口交差点です。振り返ったところが青柳駅があった辺りです。 稲穂が実る水田の先に、こんもりそびえる小山たち。青柳古墳群です。直径10~15mほどの古墳が250基ほど点在しています。廃線跡近くだけでも3つほど確認できました。6世紀ごろのものだそうです。 鉄道用に造られた小高く細い築堤がそのまま遊歩道に残っているところに来ました。見晴らしも良い。よくぞそのまま残してくれたものです。
2017年10月16日
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八高線丹荘駅から1.9km。最初の駅が「神川中学校前」です。 コンクリートのホームが残っています。でも小さい。客車1両が止められるスペースしかありません。駅名標があります。復元だと思いますが。この駅は後からできた駅で66年開業、わずか7年の営業で72年の旅客廃止時に姿を消しています。 保存されているホームの、線路の反対側、道路側に回ってみます。同名のバス停があります。中学校は目の前。階段があって、ホームに登ることができます。ホームで駅名標に近づいてみます。改めて見るとよくできています。 隣には、「上武鉄道日丹線」の歴史が書かれた説明板がありました。傷がつけられているのが残念です。
2017年10月15日
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丹荘駅からの上武鉄道の廃線跡は、一般道を歩いてちょうど1km、遊歩道が始まります。健康緑道と命名され赤い石畳が敷かれています。廃線跡の情緒はないけど、歩きやすくていいです。案内板には、ホームが残る神川中学校前まで0.9kmと書いてあります。いくつか水路を渡りますが、鉄橋の痕跡はなし。 その代わり遊歩道脇の農地に、枕木と思われるものを発見。無雑作に置かれていますが、何かに使われているのでしょうか。 進行方向左手に、石の塊が見えてきました。あれはまさか、神川中学校前駅のホームでは?廃線
2017年10月14日
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上武鉄道は、群馬県境に近いJR八高線丹荘(たんしょう)駅(埼玉県神川町)から6.1km先の西武化学前を結んでいた私鉄です。72年12月限りで旅客営業廃止、86年大みそかで貨物輸送を廃止しました。丹荘駅の駅舎は北向きですが、上武鉄道の敷地は八高線の南にありました。JRホームから眺めると、南側ホームに隣接する青い柵の向こうの草むらに鉄道用地があったのが分かります。八高線の南側のホームはすでに使われていません。ホームは現在住宅が立っているところで10数年前まであったそうです。 線路は渡れないので、迂回して100mぐらい先の踏切(鬼石街道踏切)を渡って、廃線跡に回ってみます。上武鉄道の踏切があった地点に到着しました。踏切の痕跡は残っていません。丹荘駅方面に向かい、廃線跡の草むらを進みました。水路があります。ここに架かるコンクリート橋は当時のもの?廃止から30年もたっているので違うかもしれません。 管理地の看板は「朝日食品工業」。上武鉄道の終点西武化学は、のち合併で朝日工業になり、朝日食品工業は朝日工業から分社化した会社です。踏切跡から先は左にカーブした一般道が続きます。痕跡を探したら、鉄道のものと思われる木製の境界標が、民家の玄関にあるのを発見しました。
2017年10月13日
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雑木林を抜けると再び大きめのガーター橋が現れます。池部用水橋梁というらしいです。NHK朝ドラ「つばさ」(09年上期、多部未華子主演)のロケ地でオープニングの映像でも使われ、つばさがトロッコに乗った話もありました。一時は観光地化されロケ地の案内看板が設置されトロッコが置かれたりもしていたのですが、トロッコも撤去されて現在はこのありさま。「つばさ」が朝ドラ史上最低視聴率を更新(次の「ウェルかめ」に抜かれ現在はワースト2位)したこととは関係ないとは思いますが、一時はウオーキングなどで人が多数来ていたことを考えると栄枯盛衰、無情を感じます。下の川は水があまりないとはいえ、やぶも深く渡るのは無理と断念しました。渡った先もかなり草が深そう。マムシが出たら困るしね。もちろん立ち入り禁止です。 迂回路もなく、やぶの中を通るのはあきらめて、その先を目指します。休止後の93年に開通した、入間川を渡る八瀬大橋(一般県道川越生越線)の南に先回りしました。池部用水橋梁から続く路線跡は橋の上からでも架線柱やレールがはっきりと眺められます。ただし、線路は八瀬大橋で分断されて橋西側から再び安比奈駅跡を目指すことになってしまっています。↓八瀬大橋から、南大塚方面を見る。↓安比奈へと続く線路。上からでもレールが見える。 橋の下に下りて安比奈まで行くことも考えましたが、今回はここで打ち切り。おそらく草ぼうぼうの中にレールが続く同じ景色だろうし、路線跡が続いているのは分かったので、いずれもっと探索向きの季節にまた来ることかもしれません。
2017年09月26日
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葛川橋梁を横から見た後、川を渡れないので道を大迂回して安比奈側から築堤に近づいてみました。行けるところまで行って、反転して安比奈方面を目指します。踏切が残っています。というより、路線休止後にアスファルトが敷かれた感じ。何しろ54年も前から電車は走っていません。その先も水が枯れた水路が複数認められます。こちらの水路は、広町用水というらしいです。 その先、交差点手前の水のない川は長瀞川橋梁。枕木がボロボロで骨組みだけ残った橋。上を渡らず、脇を通りました。 さらに雑草が茂る低い築堤を行きます。架線も残っています。その先の雑木林は、森林浴にぴったりないい雰囲気を出しています。よく廃墟マニアにも取り上げられる地点。中は広々した空間です。落ち葉が舞い散る季節ならば、さらに趣があったでしょう。返す返すもこの季節の探索はちょっと時期が早かった。 レールもしっかり残っています。
2017年09月25日
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突然現れる廃橋梁2つ。新河岸川の支流が2つ続いて南大塚寄りの2mほどの短い橋が赤間川橋梁、その先30mのガーター橋(安比奈線で最長)が葛川橋梁です。草が生い茂り枕木もボロボロ。とても渡るのは無理です。09年にはウオーキングもできたそうですが、この荒廃ぶりは凄いぞ。通りを迂回して北側からアプローチしてみました。↑これが赤間川橋梁。そして、葛川橋梁。 やぶが深くこれ以上近づくのは無理か。何しろ沿線にはマムシが出るところもあるらしい。実際蛇も見ました。草の生い茂る季節に来たのが失敗かも。2月など冬枯れの時季なら歩きやすかったかも。南側から回ってみてもよかった。他の人のHPを見ると南側から近づいた人が多かったようです。
2017年09月24日
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廃線跡は直接中には入れないので、線路沿いの道を歩いていきます。国道16号に到達。さすがに踏切はアスファルトの下に埋め込まれています。車の通行量が多くて渡れないので、迂回して陸橋を渡ります。安比奈線は1925年(大14)開通、63年(昭38)に川砂利の採取が禁止され路線休止になった後も廃止されず、54年も休止状態でした。安比奈に新車両基地を造る計画があったためですが、新宿線の複々線化が頓挫して南入曽車両基地の増強で新基地の必要はなくなり、旅客線化の話も流れて廃止に至ったわけです。その先、線路脇の側道が通れたので歩いていきます。 住民と思われる人とすれ違ったりしました。安比奈線に隣接してある川越名物という焼き団子の「丸和だんご」。手前の道路に踏切が埋まっています。あん団子90円が心引かれたけど、前のお客さんが大量に購入していて時間がかかりそうだったので断念。人気店なのでしょう。 民家に隣接しているので、花壇と化しているところもあります。50年も休止だったので、線路用地というより、庭先です。西武鉄道も黙認、という感じです。将来的に遊歩道として整備されたら、どうなるんだろう?
2017年09月23日
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西武安比奈(あひな)線は西武新宿線南大塚を起点とする3.2kmの貨物線でした。入間川の砂利輸送に活躍しましたが1963年に休止となり、今年5月31日限りで正式に廃止されました。休止から50年以上たち廃止前から廃線のような雰囲気でした。南大塚駅を出ると、左に分岐していく路盤が見えます。一部レールは撤去されてはいますが、廃止から間もないのでだいぶ残っています。 この写真は、ホームから分岐していく路盤を眺めたものです。電化されていたため、架線柱もほとんど残っています。踏切もそのまま。 線路跡は西武鉄道の管理地で、中に立ち入れないので、外から残っているレールを眺めます。しっかりレールは残ってます。今にも電車が走れそう。 架線は外されてだいぶたつのかな。つづく。
2017年09月22日
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20日、西武特急「小江戸号」に乗って出かけました。西武新宿-本川越を45分で結ぶ特急。停車駅は高田馬場、東村山、所沢、狭山市。12時43分、高田馬場から乗りました。日中はガラガラなのに1時間おきに走り7号車まであります。朝夕のラッシュ時に500円の座席指定券を買っても乗りたい人用のホームライナーです。きっと通勤・帰宅時はフル回転でしょう。リクライニングシートを倒して、狭山市までの34分をのんびり過ごしました。途中駅からの乗客がいないのは楽です。沼袋、野型、都立家政、鷺ノ宮、下井草と小駅のホームをかすめるように通過。井荻は待避線があってちょっと広め。特急から見ると線路用地がかなり狭い。地下複々線化の話があったけど、どうなったのか。輸送量増強は難しそう。 13時17分着の狭山市で下車。普通電車に乗り換えて2つ目の南大塚まで行きました。目的は西武安比奈線の廃線です。
2017年09月20日
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