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房総のむらの一角にある「風土記の丘資料館」。周辺にある龍角寺古墳群から出土した埴輪や土器、石器などの出土品の展示がされています。入り口の手前には、弥生時代と古墳時代の竪穴式住居が復元されています。こちら古墳時代。弥生時代は囲炉裏も、古墳時代の住居にはかまどがあります。約500年で進化しました。資料館前の埴輪。 さらに発掘した石棺の展示も。ようやく建物の中に。古墳時代だけでなく、旧石器、縄文、弥生と時代を追って見られます。でもやはり、入ってすぐのところにある101号墳から発掘された埴輪が並べられているところに引かれました。
2024年11月23日
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房総のむらには、商家のほか、武家屋敷、農家が復元されていて見学することができます。武家屋敷は佐倉藩の中級武士の家を再現。槍や刀があっていかにもの雰囲気。千葉県は明治以前、上総、下総、安房の3つの国に分かれていて復元農家は国別に3つあります。こちら上総の農家。中には農具や日用品などの展示。2階にも上れました。 農家の前では竹馬や竹ぽっくりもあって遊べます。安房の農家は海が近いので、カニの甲羅が魔除けでつけられていました。これはタカアシガニだそうです。鬼に見立てている。そんなふうにも見えます。 農村歌舞伎舞台では太鼓を自由に叩けます。水車小屋も再現。中では臼をついていました。
2024年11月22日
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房総のむらに入ると、まず広がるのが商家の街並み。江戸時代の佐原などを参考に再現してみたものです。17軒の建物や火の見櫓、お稲荷さんなどで構成されています。建物は資料館だったり、おそば屋さんだったり、体験工房だったりいろいろです。2階に上れるところ、閉鎖中のところもありました。半鐘。 この季節ならではの菊人形。この日は日曜だったけど、人も少なく天気も良く気温も高くて散歩日和でした。
2024年11月21日
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17日、千葉県栄町の「房総のむら」へ。昔の商家や農家が復元されているため、テレビや映画のロケで使われることも多い場所です。大木戸から入る前の資料館に、どんな撮影で使われたか、ポスターなどがずらり。有名俳優が訪れたときのサインもありました。一番左端が先月亡くなった西田敏行さんが「坂の上の雲」で訪れたときの自画像入りのサイン。その下に武田鉄矢さん、その隣に「相棒」の水谷豊さんのサインが見えます。他に池田エライザさん、広瀬すずさんらの名も見えました。
2024年11月20日
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11月9、10日は「八千代どーんと祭」でした。10日、会場に。新川沿いの八千代多目的広場に着いたら和太鼓の演奏の最中でした。いろんなブースがありますが、まずは腹ごしらえ。源右衛門鍋に。 鍋グランプリ優勝のもちぶた炙りチャーシューバージョンとん汁をいただきます。焼き肉屋の凱旋門・赤門もいろいろ焼いています。 牛カルビ串をいただきました。他にじゃがバターやたこ焼きも食べました。環境アンケートなどにも答えました。この車は三菱の4WDの性能を披露するデモンストレーション用登坂キット。勢いよく急坂を登ってアピールしてました。
2024年11月13日
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20日、縁あって赤坂の日枝神社に参拝。地下鉄の溜池山王駅を降りると大きな石鳥居が見えてきました。ここから山上にある神社へはエスカレーターで昇ります。さすが都会の神社。道路をエスカレーターでまたぎます。着いたところは南神門の前。正面に回って神門から入ります。 門の裏には、左右に神猿が2体。 さらに、本殿前には父猿、母猿の石像があります。写真は父猿。申年生まれなので真剣にお参り。本殿にお参り。息子の就職成就のお礼参りです。 摂社の猿田彦神社、山王稲荷神社にもお参りしました。
2024年10月24日
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9月8日、ドライブの途中で茨城県常総市の一言主(ひとことぬし)神社へ。平城天皇の時代の創建というから、平安時代初期。その後荒廃したが、室町時代の1459年、平将門の子孫という相馬胤弘が再建。戦国時代の1550年にはお社が焼ける被害を受ける。その後本殿を江戸時代の1700年、拝殿を幕末の1867年に再建という経緯をたどりました。今では初詣に15万人も訪れる人気の神社です。鳥居の脇に狛犬が計8体も並んでいました。 この木は、1550年に拝殿が焼けた際の焼け残りだそうです。解説にはマテバシイ、木にはスダジイの札がついています。どっちなんだ?拝殿にお参り。本殿の裏にはご神水。 さらにはご神木が。この杉の木は樹齢不明ながら相当の年代物だと思われます。
2024年09月12日
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猿ヶ京温泉に行く道の途中に、「塩原太助の郷」があります。塩原太助(1743ー1816)は、江戸時代半ばのこの地出身の商人。江戸に出て炭屋の奉公から豪商になり、私財を投じて道路や治水など公共事業に尽力した立志伝中の人物。明治時代に三遊亭円朝の落語「塩原太助一代記」になったことで広く知られています。その後書籍、歌舞伎や歌謡曲や映画にもなりました。江戸に出る太助が愛馬あおと別れるシーンが特に有名で、僕も知っていました。記念公園にはあおと太助の銅像がありました。隣の記念碑は、渋沢栄一の揮毫(きごう)したものです。売店に隣接の塩原太助記念館で。ちょうど渋沢直筆の特別展をやっていました。 公園内の「報徳塩原神社」にもお参りしました。
2024年08月31日
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みなかみ町の道の駅、たくみの里へ。そば打ち、こんにゃく作り、体験工房が各種あります。陶芸、木工、竹細工、わら細工、人形、ガラス細工、おもちゃ、アクセサリー、さらには果物狩りと、日によってやっているものが違うので要確認です。土産物屋やカフェもあります。道の駅を中心に工房は散らばっています。近くの交差点には巨大な恐竜が。わらで作った恐竜。稲の収穫の後は新しいわらを使い、別のオブジェに代わるそうです。何ができるのか楽しみ。今回はとりあえず売店で買い物しました。でっかいカボチャがずらり。豊かな土地であることを実感しました。
2024年08月30日
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群馬県みなかみ町に到着。道がすいていて、宿に行くには早すぎたので、ちょっとドライブ。猿ヶ京温泉まで足を延ばしてみました。相俣ダムのダム湖、赤谷湖。その周辺に温泉宿があります。猿ヶ京の名の由来は、上杉謙信の命名と言われています。ダム湖完成後、温泉は現在地に移転し今の形になりました。あいにく、ダムは工事中で見学できず。資料館を見学し、ダムカードをもらって帰りました。
2024年08月29日
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8月28、29日、旅行と用事を兼ねて群馬県へ。関越自動車道の赤城高原SAで休憩。赤いサルビアがきれいでした。売店でシャインマスカットソフトクリームを食べました。 ミニストップのものより大きくて、(その分値段も500円する)美味しかったです。
2024年08月28日
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八千代市の「第20回源右衛門祭」が13、14日、5年ぶりに新川沿いの八千代総合運動公園多目的広場で開催されました。源右衛門とは、染谷源右衛門(そめや・げんえもん)。江戸時代中期(18世紀前半)の平戸村(現在の八千代市平戸)の名主で、印旛沼を干拓し、検見川まで水路を開いて東京湾に水を流す工事を行いました。享保9年(1724)、幕府の許可を得て工事は始まりましたが資金が底を尽き源右衛門も破産したため断念しています。その後、田沼意次や水野忠邦の時代にも工事はありましたが、水路がつながったのは戦後になってからです。源右衛門の人形が、お祭りのスペースの一角にあります。八千代市内のお祭りのたびに出てくる源右衛門鍋。直径2mの大鍋です。 もちぶた炙りチャーシューバージョンとん汁は、全国鍋グランプリで2度優勝(15、17年)して殿堂入りした名物料理です。おいしい。場内には多数売店が出店。 地元の人たちの演奏会も行われました。 子供はじゃがバター明太子入りと、かき氷を食べました。新川沿いの桜もまだ残り、散策にはちょうど良い日和でした。
2024年04月15日
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瀬底島と沖縄本島を結ぶ、瀬底大橋。全長762m、高さ27m。1985年に開通しました。便利になったためか開通後、島の人口が増えたそうです。対岸のスーパー、ビッグエクスプレスから撮った瀬底大橋。 島に渡って、アイス屋さんから見た橋。真ん中が盛り上がっているのが分かる。
2024年04月13日
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瀬底島の中にある「瀬底土帝君(どていくん)」。土帝君とは中国古来の土地の神で、農耕神を兼ねています。本土の氏神様のようなものでしょうか。国指定の重要文化財です。18世紀に土地の所有者である上間家の2代目が清国から持ち帰った木像を祀ったのが始まりで、後ろの林(フクギなどの自然林)、拝殿、本殿、野面積みの石垣が残り、保存状態が良いものです。 瀬底島に縁ができたので、長い付き合いを祈ってお参りしました。
2024年04月12日
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沖縄3日目(3月26日)、宿から出て海岸を散歩しました。瀬底ビーチには、ホテルの敷地内から行けます。きれいな海岸。水は冷たい。海に入れるのは4~10月です。やや南に見える小さい島は水納島。 やや北の大きめの遠くの島は伊江島。そして、本部の美ら海水族館方面が大きく見えます。小雨が降ってきてので早々に引き揚げます。 午後、もう一度散歩に出ました。ホテルの真下のほうまで行ってみました。大きくてごつごつした岩。大きな岩が自然の洞窟や滝になっていました。 今度は海に入れるシーズンに来たいものです。
2024年04月11日
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沖縄3日目、ホテルのプールサイドにある器具を使ってバーベキューをやるべく、肉や野菜を買いに出ました。一番近いスーパー、ビッグエクスプレスでひと通り買い戻って準備していると、スコールのような大雨が。風も強く外でやるのは諦めて、室内で調理して食べることになりました。ピーマンなど野菜もしっかり食べます。 シイタケもナスも。次に来たときはリベンジして外で焼きたい。
2024年04月10日
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ドライブの帰り、高速道路の終点(許田IC)からほど近い「道の駅許田」に寄りました。以前にも来ていますが、2021年7月にリニューアル。海側にも駐車場ができて利用しやすくなりました。海がきれい。 海側からはエレベーター、陸橋経由で道路の反対側に渡ります。資料館に昔の道路と今の道路の比較写真や、ヤンバルクイナのはく製がありました。今回、国頭村のクイナの森に行って生きているヤンバルクイナの観察をする計画でしたが、かなわず。次回以降の課題ができました。やんばる物産センターでは、もずくの天ぷら、沖縄そばのだしなど買いました。夕飯の材料になります。
2024年04月07日
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浦添市の「浦添ようどれ」へ。浦添城跡の中にあり、英祖(えいそ)王(在位1260~1299)と尚寧(しょうねい)王(在位1589~1620)の陵墓です。ようどれとは、夕方の波が静まるときという意味だそうです。米軍によって破壊されたけど、2005年復元されました。「暗しん御門」。天然の岩から門になっていたものが壊され、現代の技術では上の部分は再建できなかったそうです。入り口に到着。この奥がお墓。 立派な石の門です。自然の洞窟を利用した墓が2つ並びます。向かって右が英祖、左が尚寧王と言われています。 こちら英祖陵。こちら尚寧王陵。第2尚氏7代王。尚寧王が先祖を敬い、改修してこの姿になったそうです。 ようどれの上の方には、浦添城の石垣が。こちらも破壊されたものが復元されました。
2024年04月04日
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ミュージアムを見学後、いよいよ世界遺産座喜味城へ。3年前に来られなかったので、リベンジなりました。石垣が立派です。1416~22年、築城の名手・護佐丸によって築かれました。中城城の改修も護佐丸。第一尚氏王朝統一に貢献した功臣ですが、謀反の讒訴に弁明せず自害したとされています。お城は米軍の攻撃で破壊され、米軍基地が置かれていましたが、返還後見事に再建されました。二の郭に入る石門。 アーチ形の石門の一番上には三角形のくさび石があるのが特徴。二の郭から一の郭へ。 こちらの石門も素敵です。寄進灯籠。護佐丸の子孫が将軍徳川家慶に謁見した(慶賀使)記念碑です。 石垣の上に登れます。海も見える。一の郭の礎石。二の郭を見下ろします。 砂糖車(サーターグルマ)サトウキビを搾る道具。ピンボケ。 厨子甕(ずしがめ)。いわゆる骨壺。
2024年04月01日
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沖縄2日目(3月25日)、古宇利島の後は、読谷村にある世界遺産・座喜味城を目指します。3年前、中城城、勝連城、首里城、今帰仁城と世界遺産を回ったけど、ここは行きそびれています。まず、お城に登る前に、併設の「世界遺産座喜味城ユンタンザミュージアム」を訪れました。この辺りで出土した品々。腕輪、貝のスプーン、やじりなど。獅子舞の獅子。 土器。甕。2階で見た、首飾りの復元。 小型の猛禽類・ツミの剝製。ヤイボウ。武具。 太鼓に三線。楽器類。復元した沖縄の伝統的家屋。 沖縄の墓の復元模型。他に戦時中のガマの復元があったけど、写真撮れず。模型でもカメラを向けるのに抵抗があった。思わず手を合わせました。
2024年03月31日
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沖縄2日目、ドライブに出かけました。3年前は悪天候で行けなかった、古宇利島のハート岩へリベンジです。宿から50分、古宇利大橋を渡り到着。駐車代は100円、無人なので箱に入れます。崖の下に2つの岩が見えてきました。確かに左側の岩はハートに見えます。海岸に下りました。2つの岩の真ん中に出ている小さい岩があります。角度次第で3つ目のハート形が逆ハートに見えます。 右の岩はあんまりハートに見えません。何より砂と海がとてもきれいでした。
2024年03月30日
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宿泊先と同じ敷地にある「ヒルトン沖縄瀬底リゾート」に歩いて行ってきました。外のプールは午後6時まで。すでに過ぎているし、入るには冷たいので、1日目は眺めるだけでした。(翌日、泳いでいるが外国の人がいて驚きました) 中のプールは午後7時までで、軽くひと泳ぎできました。庭も大きな池があって、まさに南国のいい雰囲気。 瀬底ビーチにも歩いて行けます。遊泳期間は4月~10月。ホテル入り口のシーサー。結局、3日間、屋内プールに来ました。
2024年03月28日
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宿泊したのは、本部町の沖合にある瀬底島の「ザ・ビーチリゾート瀬底byヒルトンクラブ」。玄関のシーサー。 3月23日から外のプールに入れます。が、夕方、水が冷たくて足を漬けただけで断念。部屋は8階でした。遠くに見えるのは伊江島。 翌朝はベランダに出てみました。同じ敷地内にある「ヒルトン沖縄瀬底リゾート」の施設も使えます。
2024年03月26日
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4日間の沖縄旅行で、借りたのは豊見城市のUMEレンタカー。ピンクで犬がラッピングされている軽自動車で、ちょっと派手に感じますが、広告がついている分、割安で借りられました。駐車場で目立つのがいい。那覇空港から事務所までは車で20分。名護、本部、今帰仁。瀬底島、古宇利島から座喜味城、美浜アメリカンビレッジ、宜野湾、浦添とドライブしたので宣伝効果もあったでしょう。 写真は返却時。逆光で残念。「いちゃりばちょーでー」とは、「一度出会えば皆兄弟」の意味。その通り、一期一会の旅になりました。
2024年03月25日
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3月24~27日、沖縄旅行に行ってきました。3年ぶり6度目です。那覇空港でレンタカーのお迎えを待っている間に、1階にある魚の水槽を見ていました。ヒフキアイゴ。 チンアナゴ。美ら海水族館の提供です。近くまでは行きますが、3年前に行ったので今回は水族館には行きません。そうこうしている間に、予約したレンタカー屋さんの迎えの車が来ました。
2024年03月24日
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成田山の境内にある「出世開運稲荷」にお参り。いつも混んでいるのでスルーしていて、お参りするのは初めてです。境内にはお稲荷様の使いである狐の像があちこちに奉納されています。赤いのぼりがずらり。 大きな提灯が天井にずらり。お参りして、御朱印をもらいました。成田山新勝寺には御朱印をもらえるところが6カ所あり、これで全部回りました。
2024年03月03日
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1月28日、茨城県稲敷市の大杉神社に行ってきました。奈良時代の創建で、江戸期には天海僧正がかかわったために日光東照宮のような極彩色のお社です。厄払いと開運、金運の神社で人気があります。止めた駐車場の裏が、名前の由来になったご神木の「次郎杉」。樹齢1000年、高さ40mの巨木です。境内には「三郎杉」もあります。28m。残念ながら太郎杉は江戸時代に焼けてしまっています。 車道に面した麒麟門。ここからは入れません。神様の通り道。一の鳥居の両脇にある天狗の石像。 大黒天像。立派な鳥居。 神門。本殿にお参り。 竜など彫刻が凄い。今年は辰年だけに、余計お参りする人が多いと思われます。四神の神楽殿。神楽に使われる四神の人形がありました。 境内には開運のために、いろんなアイテムがあります。碁盤。碁石を置いて踏むとよい。厄除けのかわらけ割り。桃は古来厄除けの果物とされています。 ねがい矢。どれもこれもお金がかかるので、選んだ方がいいと思います。境内にはいろんな摂社がありますが、競馬ファンがお参りする勝馬神社。ご神体も馬です。蹄鉄がついた絵馬を奉納します。美浦トレセンも近いので関係者のお参りもあるそうです。 最勝立身出世稲荷。子供は、屋台のじゃがバターを食べて大満足でした。
2024年01月28日
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1月7日、茨城県の牛久大仏へ。数年ぶり。圏央道を成田方面から阿見東ICに向かって進むと、高さ120mの仏像の威容が見えてきました。写真は駐車場から。台座が20m、本体が100m。ブロンズ像としては最大だそうです。仲見世を抜けると入場券売り場。その先さらに像が大きく見えます。 顔の模型。実際の大きさはこの1000個分だそうです。日本人より中国や東南アジアなど思われる外国の観光客も多い。正面。 發遣門の下にある鐘。みんな鳴らしているので、僕らも鳴らしてみました。参道途中、こちらの鐘も就いてみます。 日本一の香炉。胴回り2m50。エレベーターで地上85mの展望台へ。大仏の胸のところです。細い窓から先ほど通ってきた庭を見下ろします。 反対側は筑波山や霞ケ浦も見えます。晴れていたら富士山も見えるけど、この日はダメでした。台座にも入れます。下から見上げるとでかさが分かります。金箔を買って(300円)台座に貼っている人も多い。 前回は花が咲いてる季節だったけど、今回は1月。ここは桜や芝桜もいいらしいので、花が咲いている季節にまた来てみたい。
2024年01月07日
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佐倉市の国立歴史民俗博物館。第4展示室は、現代につながる民俗文化。おせち料理がずらりと並んで圧巻ですが、なんと撮影禁止。いろんな商品名が見えるところもダメ。撮影可能エリアでは、今も続く各地のお祭りが見られます。沖縄・八重山のお祭り。広島・比婆荒神神楽。 石川・宇出津のあばれ祭り。他、日本各地の葬式の風習が見られます。招き猫とダルマがずらり。ビリケンさんもいる。 第5展示室(近代)は工事中(26年再開予定)で第6展示室へ。戦争の色が濃くなり、三八式歩兵銃。ずっしりと重い。「ゴールデンカムイ」でも使われていたなあ。一般的な昭和の団地生活を再現した部屋。若い人が写真を撮っていたが、僕ら夫婦には当たり前すぎる昭和の風景で撮る気にならない。出口にはゴジラ。これぞ現代風俗。 企画展示室では、「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる」を開催中。中の写真は撮れないので、外で妖怪(式神)たちと記念撮影。 割と速足で、飛ばしたところもあったのに、丸々2時間以上かかりました。
2023年11月24日
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佐倉市の国立歴史民俗博物館。いよいよ第3展示室、江戸時代へ。江戸図屏風。ちょうど朝鮮通信使が訪れたところを再現している。城下が細かく描かれる。踏み絵。キリスト教禁止&鎖国で日本は独自の文化が発展する。 蝦夷錦。実は中国製の絹織物。北京から黒竜江(アムール川)、間宮海峡、樺太(サハリン)を経て松前藩から北前船経由で流通したのでこの名がある。伊能忠敬の作成した地図。これは中図(ちゅうず)。縮尺は21万6000分の1。ちなみに大図だと3万6000分の1。小図は43万2000分の1。中国・四国地方。 錦絵屋。25年の大河「べらぼう」では蔦屋重三郎が主人公で、たっぷり見られそう。江戸橋から日本橋にかけての模型。手前が江戸橋で奥が日本橋。スイッチを入れると解説が入る。火の見櫓の周りの空き地、そこに臨時の店が出て、常設の店舗になり町ができていく仕組み。なかなか興味深かった。
2023年11月23日
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佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)。外国との付き合いもだんだん活発になる。江戸時代初期の御朱印船の模型。地球儀。 明の皇帝の勅書。足利義満が「日本国王」として明国とやりとりした文書。「源道義」の字が見える。こちら、豊臣秀吉が文禄の役の後、明から日本国王に任じられた文書。意に沿わなかったので慶長の役が起きた。 戦国大名の文書もあります。毛利元就の連判状。頂点のさかさまの署名が元就で、その右が次男の吉川元春、長男の毛利隆元、左下には三男の小早川隆景の名も見える。朝倉義景の文書。城下の寺に出した禁制。この4カ月後に朝倉氏は滅亡した。本拠地・一乗谷の模型もある。 織田信長が岐阜城下に楽市楽座を設置する高札。同じく信長、安土城下へのお触れ。 次は江戸時代の第3展示室へ。
2023年11月22日
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佐倉市の国立歴史民俗博物館。古代を展示する第1展示室に見たいものが多くて時間がかかりました。奈良の平城京の模型。別室では、世界遺産になった福岡・沖ノ島の遺跡が復元されています。こちら出土品。馬具など。沖ノ島は女人禁制で男でも氏子が祭りのときでなければ上陸できない禁断の島。 多賀城の碑。宮城県に3年住んでたのに行かなかったなあ。 第2展示室へ。ようやく古代から中世へ。平安貴族の暮らし。来年の大河ドラマ「光る君へ」で見る機会が増えそう。狩りの装束。 京都の町の模型。いろんな店があって細かい。市井の人々。田楽。 大鋸(おおが)引き。お茶売り、煎じ屋。みかんの皮とか枇杷とかいろいろ煎じてお茶にして売る。
2023年11月21日
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佐倉市の「国立歴史民俗博物館」に行ってきました。日本の歴史を年代順に現代までたどっていきます。最初に遭遇するのは旧石器時代のナウマンゾウとオオカミ。旧石器時代の人々の暮らし。 左はハート形土偶、真ん中は縄文のビーナス、右は遮光器土偶。各地から出土の銅鐸。 縄文も後のほうになると稲作が始まり、高床式倉庫にネズミ除けと猫。左が弥生人、右が縄文人。 福岡・志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印。銅矛と剣。 人型の埴輪。埼玉・稲荷山古墳から出土した鉄剣。「ワカタケル=雄略天皇」の文字が見える。ヤマトの勢力は5世紀後半には関東に及んでいたことを証明する貴重なものだ。これは一度、本物を行田まで見に行かないと。
2023年11月20日
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八千代バラ街道スタンプラリーが今年も10月8、9日に行われました。スタートが八千代緑が丘駅前のイオンの中になるなど、チェックポイントが増えました。5カ所集めて、京成バラ園で景品をもらいました。ナデシコの種、バラの肥料に子供向けのおもちゃが入っていました。
2023年10月10日
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渚の駅たてやまから延びる「館山夕日桟橋」。日本一長い桟橋で500mあります。この日は遭遇しませんでしたが、桟橋なので船の発着もあります。 行けるところまで行ってみます。桟橋の片側は釣りをしている人がいっぱい。のぞいてみたら結構釣れています。一番奥は工事中。行けるのはここまででした。マスコットキャラのブルーフレイムとパチリ。この日は曇っていましたが、天気のいい日は富士山も見えるそうです。
2023年10月06日
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渚の博物館1Fのさかなクンギャラリーの中は、さかなクンの描いたイラストやグッズがいっぱい。さかなクンが魚の解説をする映像も常時流れています。さかなクンの描いたイラストの前にあるジンベエザメのぬいぐるみ。さかなクンの描いた大漁旗。 さかなクンの着ぐるみ。ギョボット。さかなクンのかぶるハコフグ(初代)と「ちびまるこちゃん」のさくらももこさんのサイン。 2Fは房総半島の漁師道具や船、復元された民家。漁師が着る服。鯨の字が。館山はクジラを捕る町です。 見学は無料です。興味深かった。
2023年10月04日
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館山市の海に面した「みなとオアシス渚の駅たてやま」。館山市在住で、館山おさかな大使のさかなクンが名誉駅長を務めています。 1階がさかなクンギャラリーになっている渚の博物館の壁のあちこちにイラストが描かれています。我が家では、さかなクンが出演している「ギョギョッとさかな★スター」(Eテレ)を毎回見ていることもあり、なじみが深いです。
2023年10月03日
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今回の長崎旅行、行きは北九州空港までスターフライヤー、帰りは長崎空港から12時10分のソラシドエアで羽田に戻りました。行きも帰りもLCCを使ったのは初めて。長崎は遠すぎる。鉄道マニアだけど、行き帰りで飛行機のほうが時間も早いし何より安い。長崎空港、北九州空港はともに海の上の埋め立て地に造られたところが共通しています。長崎駅、空港でお土産を買って帰りました。
2023年09月28日
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長崎市内は30年以上前に観光していますが、飛行機の時間までのわずかな時間に訪れたことのないところに行きます。長崎のオランダ坂。石畳に洋館が並び風情のある急坂ですが、「日本三大がっかり名所」とも言われています。(他2つは札幌時計台、高知はりまや橋)路面電車を降りて坂の麓に。メディカルセンター、大浦海岸通の両電停の間です。斜度16度、急ではあるけど、車が行き交うことができる生活道路です。約100m、坂を上り切ったところから見下ろします。 その先道は二股に分かれますが石畳の道は続いています。長崎は地形的に坂が多い。さらに緩い上り坂を進みます。 坂を下りたところにある孔子廟。見学にはお金がかかるので外から。時間もないです。 こちらもオランダ坂。石橋側の下から。通称大浦オランダ坂(東山手オランダ坂とも)です。
2023年09月27日
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長崎の中島川に架かる石橋、眼鏡橋。長崎には何度か来ていますが、訪れるのは初めてです。石橋群の中で最も古いもので、1634年(寛永11)に造られました。渡ってみます。 逆側(下流、南側)から見る眼鏡橋。柳が風情を添えます。その先の袋橋から眺める眼鏡橋。水に映って眼鏡に見える。 袋橋。こちらも古い石橋。同じく寛永年間のもので、眼鏡橋に次いで古い。1982年(昭57)の長崎大水害でほとんどの橋が流され、江戸時代のものは眼鏡橋、袋橋の他に上流の桃渓橋と3つ残っているだけです。上流側の東新橋。一見古く見えますが、長崎大水害の後に再建され、割と新しいです。 上流(北)から見る眼鏡橋。
2023年09月25日
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長崎で宿泊したのは、「THE GLOBAL VIEW(ザ・グローバルビュー)長崎」。駅から徒歩7分、長崎電軌軌道の路面電車だと、長崎駅前の2つ目の宝町電停が目の前です。宿泊した部屋(10F)から見下ろす長崎駅。左は新幹線、右は在来線の高架です。空いている土地はこれから開発が進むでしょう。 朝食バイキングでは、長崎尽くしの料理を選んで食べました。鯛茶漬け、長崎の麦味噌を使った野菜味噌汁、長崎かまぼこ、長崎漬物、長崎みかんジュース、長崎和紅茶、長崎彼杵茶など。他にサラダもたっぷり。自分は和食派です。他に長崎卵のオムレツ・目玉焼きなどもありました。
2023年09月22日
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数年ぶりに、那須町の「戦国武将ショップ」を訪れてみました。売り上げ好調なのか、大通り沿いに2号店ができていました。この日は2号店が定休日で、那須サファリパークの奥にある1号店へ。ログハウス風の店舗。のぼりもいっぱい立っています。 歴史好きの夫婦には、楽しいグッズの数々。子供用に、「ねこねこ日本史」の武田信玄と、「戦国どうぶつアクリルキーホルダー」の武田信玄を買いました。僕が武田信玄好きなためか、なぜか子供も武田信玄を選んでいます。妻はクリアファイルなど買っていました。
2023年09月04日
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道の駅湯の香しおばらに隣接した田んぼで、田んぼアートが実施中でした。小屋に登って上から眺めます。神奈川県の「かながわ金太郎」、温泉むすめの「塩原八弥(やや)」、千葉県の「チーバくん」。稲の種類は9種類あり、色分けはこれらの組み合わせで行います。 少し離れたところには、栃木カーボンニュートラル実現リーダー「ニュートラくん」と飛脚のウサギです。なお無料で見学できますが、各所の募金箱に1人100円ずつ寄付してきました。実はこちらの2つは第2会場。第1会場は、県道55号蛇尾川遅沢橋近くの西遅沢地区で実施中。こちらは、ヤクルトの村上宗隆選手とマスコットのつば九郎でした。 10年以上前からやっているそうです。大変な作業だと思います。
2023年09月02日
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千葉市の犢橋(こてはし)にある「こてはし温水プール」。7月30日、行ってきました。大変混むプールだけど、午前9時の開館直前に到着。入場制限前に入れました。ここは300円で入館できる上に、流れるプールもあり、スライダーもある市民プール。外にもプールと小さい滑り台があります。2時間以内に出なければならないけれど、真夏日にさっぱりしました。
2023年08月11日
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徳川2代将軍の秀忠公は、家康が浜松にいたころの生まれです。母である側室の西郷局が秀忠が生まれたとき、この辺りの井戸水を産湯に使ったとの伝承から「新しく」作られた井戸です。場所は遠州鉄道の高架下。真上は遠州病院駅です。 実際の井戸はここから西に50mほどのところで浜松城の下屋敷があり、明治のころはまだ井戸があったそうです。現在は民家の敷地になっています。なお、秀忠は城下二の丸の北で生まれた説もあります。要するによく分からないってことです。
2023年07月14日
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浜松城の東、元浜町の路地の一角にある椿姫観音。祀られている椿姫とは、お田鶴(たづ)の方。引間(引馬)城城主、飯尾連龍の妻で夫の死後は女城主として城を守り、18人の侍女とともに徳川家康と戦って討ち死にしました。父は鵜殿氏、母は今川義元の妹で、義元のめいになります。家康正室の築山殿とはいとこ。築山殿がお田鶴の方の死を哀れんで椿を100本植えて供養しました。それが社の由来です。 触ると願いがかなう祈願石。NHK大河ドラマ「どうする家康」にも登場したお田鶴の方。演じた関水渚さんのサインもありました。 中の観音の写真。建物は昭和19年建立も太平洋戦争の空襲で焼け、昭和27年再建されました。お参りして次に向かいます。
2023年07月13日
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帰省したついでに、約20年ぶりに、浜松城に上ってみました。大河ドラマ館とのセット券で入ります。お城の下にある徳川家康銅像。 天守門。以前はこんな立派な門はなかった。往時から残る石垣。 中の資料館を見学。3Dシアターの家康。大河ドラマ「どうする家康」でも使われている金色の鎧(左、複製)。右も家康の鎧。 本多忠勝の鎧(右)。大河ドラマ「葵徳川三代」で撮影に使われた徳川秀忠の鎧。 場内にある井戸。復元時に発見。上に上ります。見晴らしは良い。方角は北。三方ヶ原のほう。 足元の石垣。天守門。 大河ドラマ館に隣接した二の丸石垣。2020年に発見されたという。2021年にリニューアルされた浜松城。来てよかった。
2023年07月12日
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甘楽町は江戸時代、小幡藩で、織田信長の息子の信雄の子孫が、江戸半ばに国替えになるまで代々藩主を務めました。信雄が江戸初期にこの地に築いたと言われるのが、庭園「楽山園」。池泉式庭園で、国の名勝に指定されています。素晴らしいお庭です。池(昆明池)の上に茶屋が2つ見えます。 奥の池。牡丹園。4月23日、ちょうどいい季節でした。 池にはメダカ。オタマジャクシ。 昆明池には鯉がたくさん。池の外には屋敷のあった跡。 八重桜。なぜか餅つきの像。 長屋ではVTRが流れ、信雄直筆の書や信雄像もあります。2000年から往時のものを復元する事業が始まり、12年に完成しました。
2023年05月06日
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4月23日、老神温泉の宿をチェックアウトして、沼田市内の中心部にある沼田城へ。大河ドラマ「真田丸」でも取り上げられましたが、関ケ原の時、城主真田信之(当時は信幸)の妻・小松姫が、義父真田昌幸の入城を許さなかったエピソードで知られます。本丸跡には、信之と小松姫の銅像があります。なぜか関係のない、信之の弟の真田幸村(信繁)のポップ。ゲームキャラだと思われます。 城跡は花盛り。黄色いチューリップに、紫色のチューリップ。 藤、ツツジ、ボタン、芝桜、遠くに復元された明治時代の鐘楼が見えます。利根英霊殿は日清、日露戦争の戦没者を祀ったお堂。ツツジが映えます。 真田時代のものが残る西櫓台石垣。真田家は、1590~1681の90年余にわたり、この地を治めました。 こちらは江戸時代の堀。本丸と二の丸の間にあります。旧生方家住宅。17世紀のものを移築しました。 城跡から見る谷川岳。こちらは上州武尊山。 城跡にはウサギやクジャク、クマなどもいます。天守など残っていませんが、約30分、散策を楽しめました。
2023年04月29日
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老神温泉では、毎朝6時~7時半、朝市が開かれています。会場は大蛇みこし展示館の前です。僕たちも早起きして朝市に行ってみましたが、野菜(行者ニンニクを売ってた)や自家製ドレッシング、ジャム、お土産など目移りして困った。値段も安かったので、子供の選んだお菓子を買いました。さて、この大蛇は全長108.22m、重さ2tもありギネスにも登録されています。12年に1度、巳年に登場します。200人がかりで動かします。大蛇まつりはコロナ禍のため3年間お休みでしたが、今年は4年ぶりに5月12、13日に開催されます。 白い蛇は子供みこし20m、もう一つは若衆みこし30mです。今度は祭りの時期に来てみたいな。
2023年04月28日
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