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「一切れのパン」
(F・ムンテヤーヌ著)という短編を今でも鮮烈に覚えているっす。
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第二次世界大戦で捕虜となったルーマニア人の主人公は、脱走する事を決意するっす。主人公は脱走せずに残る事にした捕虜仲間のラビから小さなハンカチの包みを渡されるっすよ。
「この中には、パンが一切れ入っています。そのパンは直ぐに食べず、できるだけ長く保存するようになさい。パン一切れ持っていると思うと、ずっと我慢強くなるもんです。」
主人公は過酷な逃亡の道の中、激しい飢えに何度もそのパンを食べようとするわけっすけどね。ポケットのハンカチの中のかさかさになったパンをなでて、我慢するわけっすね。
あそこまで行ったら食べよう。朝が来たら食べようと何度も何度も、誘惑に駆られながらがんばるっす。
「いや、このパンを今食べてはならない。今はこのパン切れだけが、まだ俺に力を与えてくれる唯一の物だ。立ち上がって歩き出さなければならない。ここで時間を無駄にしては何の意味もない」
命からがら家まで逃げてきた主人公は、妻に言うっす。
「この一切れのパンこそが僕を救った」
そしてハンカチの包みからこぼれ落ちたのはただの木片だったっす
「ありがとう、ラビ」
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よい嘘、悪い嘘に関する議論は止まらないのだけど、ま~あえて、これはどっちがいいとは言わないっすw
ただ例えば、クリスマスにサンタがプレゼントを持ってくるとか、いいとされている嘘が存在しているのは確か。
そして、このお話のように人の命を救う嘘も存在はしている。
もう数値的に望みのない患者に対しても、「がんばれ、傷は浅い。気を確かにもて」と言うだろう。
我々は嘘がもたらす気力が奇跡を起こす事もある事を知っているからだ。だからま~嘘とは言い切れない。
ただ、現実を見つめたいというのもある。もしあと1年の命なら、それを知っておいたほうが1年の間、精一杯生きられるかもしれない。絶望で、1年を待たずに自殺してしまうかもしれない。それは人それぞれだ。ただま~生き死にに関してはあれだけどね。明日、何かで突然死ぬ可能性もあるわけやしね
さらに大嘘を実現させてしまった人も大勢いる。ガリレオも当時は希代の大嘘付だしねw
極端に言えば、俺のやっている映像って仕事は、嘘の世界を作る事で、人々に感動を与えたり、幸福を与えたり、購買意欲を掻き立てたりする仕事をしてるわけ。音楽家や小説家も同じ人種だよね。
だけど、僕らのつく嘘が、戦争をやめさせたり、死にいく人に安らぎを与えたり、人に生きる道を悟らせたりする力があると思っているっす。
何故誰もが、嘘はいけないと言ってるのに、平然と嘘をつくのか
それは何故かといえば、人が人に何かを伝えるという行為は非常に難しいからだと思うっす。
言葉はもちろん伝える手段のひとつだけど、テレパシー能力を何万年も前に失った僕らは、気持ちを伝える手段を試行錯誤しているところなのだと思うっす。