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2018年08月18日
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カテゴリ: 思い出
8月15日は終戦記念日。73年前のこの日のことを書いてみます。


近所にやはり東京の滝野川という所で焼け出された一家がいて、そこのおじさんと子どもがよく遊びに来ていました。その頃は本当に食べるものがなくわずかな配給の大豆やいもで飢えをしのいでいましたから話題はすぐ食べ物のことになります。
前の日にもそのおじさんと、焼けた家の近くにあったたい焼き屋さんの話になりました。いつになったらそういうものがまた食べられるようになるだろうね、などと話して別れた夜、空襲警報のサイレンが鳴り響きました。
広島、長崎に落とされた「新型爆弾」のことは話題になっており、今後の空襲はこれまでとは違う爆弾を使うらしいと専らの評判でしたから、いつも以上の緊張が走りました。

私たちの家は駅の南口からすぐの所でしたが、空襲の時は烏川にかかる聖大橋
(ひじりおおはし)の下に逃げることになっていました。厚いコンクリートの橋の下にいれば直撃弾を避けられるというわけです。 
その夜は高崎だけでなく前橋も空襲だったらしく、川下の方に沢山の焼夷弾が落とされるのが花火のように見えた光景を今でもはっきりと覚えています。

夜が明けて家まで帰る道々、駅前だから当然焼けてしまっているだろうと絶望的な気持で帰って来たら、何と家は残っているではありませんか。

人々が走って行きます。何だろうとついて行ってみると、ある家の前にラジオが置かれ、その前に大勢の大人たちがうなだれて立っていました。

ラジオからはボソボソとした男性の声が聞こえて来ますが、何を言っているのかさっぱりわかりません。しかし大人たちの「戦争が終わった!」「負けたんだ」「もう空襲はないんだ」と言うような声が聞こえて来ます。
何も考えられずボーッとして家に戻ると、滝野川のおじさんが飛び込んで来ました。
「ナオコちゃーん、戦争が終わったよー!たい焼きが食べられるよー!お父さんが帰って来るよー!」
その言葉でやっと「戦争が終わったんだ」という実感が湧いて来ました。
もう夜電気をつけてもいいんだ、もう空襲におびえなくてもいいんだ、お父さんが帰って来る、といううれしさがじわじわと湧き上がって来ました。





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最終更新日  2018年08月18日 23時35分28秒
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