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東京プリンスでのイベント準備で忙しかった年末。身動きのとれなかった私は、訪日していた義母と、去年9月から横浜のインターナショナルスクールに赴任してきた義妹に、京都の旅をプレゼントした。その京都でなんと、珍しく雪が降ったという。12月の終わりである。オーストラリア以外で暮らした経験がなく、雪を初めてみたという義妹が大層感激。私も、高校生の頃に雪の京都・奈良を経験し、その幻想的な風景をいまだ鮮明に記憶している。このたび義妹が写真を送ってきた。芸術家肌の彼女の撮った写真。あまりにも綺麗なのでご紹介する。
2007.01.31
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遅くなったが、年末年始の東京プリンスの「和のアート・クラフト展」イベントで出会った人々をインテリア茶箱クラブHP内のNEWSページでご紹介している。それぞれの商品を持ち寄って、ちょっとしたコラボレーションもしている。是非のぞいていただきたい。なにしろ年末年始の4日間、仲良くともに過ごした人々だ。それぞれに豊かな世界をお持ちで、何といっても共通項が私の好きな「和モノ」。何度か書いたことがあるが、インテリア茶箱の場合、日本の方の多くはご自分のおうちにマッチしたカーテン地などの洋風生地を好まれる。結果、普段教室で接する茶箱はもっぱら「洋モノ」。これはこれで、とても美しく幅広い世界で大好きなのだが、「和モノ」には何か格別な気持ちがある。「布張り茶箱」は20年以上も前から存在し、日本駐在外国人の人々の間では「和ものグッズ」として長い間人気を保ってきた。私も、8年前始めて布張り茶箱に出会ったのはアメリカの方の家へ遊びに行ったときだ。藍を使ったとても和風なものだった。当時は「布張り茶箱」といっても一般の日本人の間ではほぼ知名度ゼロに近い状態。教え始めた頃は皆「茶箱?あの押し入れの中によくある、あれ?」というのが普通の反応。ごくたまに、「外国人のお宅で見たことがある」とか、「外国人の方に教えてもらったことがある」いう方がいるくらい。作り方も様々で、蓋のかぶさる立ち上がり部分や、底部分に布が張っていないものもあれば、座った時用の補強を蓋に施していないものもある。飾りのロープはただぐるりと巻くものばかりだった。私がホームページを立ち上げた頃(もう6年くらいたつかな)は、ネット検索してもアメリカ人の先生で、外国人相手に長く教えていらっしゃる方のサイトが出てくるくらいだった。それが今や随分遠くまで来たものだ・・・。教室を長くやっていると、和・洋・エスニックと、様々な生地やデザインと出会う。それぞれがそれぞれに素敵で魅力に溢れている。ここ数年では、カルトナージュやフラワー関係の先生方がよくお見えになるが、やはりセンスのよい方が多い。あまり目を向けたことのなかったトワレ柄等、見直すきっかけにもなった。とても刺激を受けるし、勉強になる。こうして沢山の生地を見ていて思うに、日本伝統の生地はやはり素晴らしい。特に織物が好きだ。絹や綿の織物や刺繍・・。和ものに限ることではないが、本物を見ているとそれだけで強い力を感じる。職人さんの技というのは、材料から細工からあらゆる部分におけるディテールにあり、ディテールは見る人が見れば解る。一見「どうでもいいじゃん」と思われる所への細かい心配りが「質のよさ」を産む。そういう心配りができるからこそ全体的な仕上がり度が格段に上がる。日本人の得意とするところだ。そして、ディテールが解らなくても、「見た感じ」や「触った感じ」、「使い心地」や「持ち」が違うのはなんとなく解る。本物は実用にも優れている。これが力だ。今や「もどき」の技術がかなり追い上げてきていて、本物が危ない。だからできれば本物を使っていきたい・・・・。が。高いんだ、和モノの本物は。手間隙技術その他諸々を鑑みれば当然だと思うが、現実問題として手が出にくい。だから今の自分達ではほんのちょっとしか使えない。残念だ。もっと腕を上げて、もっと認めてもらえるようになったら、日本伝統の織物を沢山使ってちょっとでも伝統保護のお役に立ってみたい。それが夢のひとつだ。大それているけどね。夢だから。「和」に始まった私のインテリア茶箱行脚だ。茶箱そのものがまずは最高に優れた日本伝統の収納箱だ。自分はこれからもっともっと多くの、世界中の生地に出会いたい。しかし、「和」が故郷。最後は「和」の世界へ帰っていきたい。
2007.01.29
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訃報を聞いたその日の夜、御殿場から戻り、そのまま家族で東儀秀樹さんの新春コンサートへ行った。随分前から予定していたコンサートだ。どうしようかと思ったが、通夜は明けて月曜日の9日。母達は叔母に付き添いに行き、我々姪らは日常を崩すべからずと指令がくだっていた。叔父への供養は心の中で始まっている。雅楽は、そして東儀さんの音は供養の心に共鳴する。ふとそんな事も考えた。そんなわけで、今回は格別の想いをもって演奏・演出を堪能させていただいた。竜笛担当のお姉さまと縁あって知己を得、16年前にわれら夫婦の門出の日にお三方に演奏していただいたのが初めてお会いした日であった。以来勝手に見守らせていただいているが、この日、子連れで行くことにしていたのには、そういう縁に捧げるオマージュのつもりもあった。秀樹さんを先頭に、東儀家の人々は時を経て更なる天上人となっていかれるのだが、音も確実に熟成されてきている。シチリキという楽器の音をあれほど滑らかに、心のままに出せる人は他にいるだろうか。席に深く沈みこんで身体の力を抜く。「時空を超える」と表現される彼らの音にいざなわれ、時の流れが川となって見える。過ぎ去りし日々もとうとうと流れこし、現在、未来へと続く。叔父、父、母、夫、子供達・・・。連綿と流れるのは時。連綿と流れるのは血。命。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・更に話は叔父の通夜、そして、告別式へと続く。叔母は叔父に50年間添い遂げた。その叔母は憔悴してはいるものの、笑顔である。50年間の重みは私には到底想像もできない。だから叔母の悲しみの深さも、わからない。長いときをかけて丁寧に築いてきたものに、ぽっかりと大きく穴があく。日常の全ての何気ないシーンにこそ一番深く穴が穿たれる。自分もいずれ叔母の気持ちをわかるようになってしまうのが怖い。だが、叔父の愛ある退場の仕方はわかる。病院で、そして通夜の控え室で、叔母から良い話を沢山きいた。心の準備を進めなければならない家族を、動くことはもちろん、話すことさえままならぬ状態で精一杯支え、いたわり、勇気づけた患者。準備をしてもしきれることなどありはしないが、それでも「穏やかに逝った」という想いを抱かせるほど遺族孝行、看護者孝行なことはないだろうと思う。そこにもここにも、どこかに愛の光を感じる葬儀であった。精進落としの宴席でも笑いが絶えず、故人も一緒に笑っていた。そう思わせる空気があった。僧侶は浄土真宗本願寺派のお寺の副住職さんで、とても背の高い若いお坊さんだ。恐らく住職さんはお父さん。お召しになっている法衣など、きっとお父様のもので、丈が短くてつんつるてんだ。しかし、とても神妙にお勤めしてくださって、「儀式の妙」に感じ入る。すばらしく声の良い人だ。読経は見事で、叔父の魂も気持ちよくこの声に乗って昇天できるだろうと思う。話は飛ぶが、簡略初七日の後の説法のテーマは「しあわせ」だった。「幸せ」とは欲するものが手に入る喜びをいう。「仕合せ」とは命と命が出会い、仕えあう喜びをいう。この話はなんとなく心の奥まで染みこんだ。一連の葬儀を通して、お坊さんの役割、儀式の役割が見えてきた。「私の声を聞きなさい。私の声に寄り添いなさい。そうすれば間違いない。」そのように振舞いきるのがお勤めなんだな。控えるときにはじっと控え、導くときには厳かなる足取りで先頭を歩く。(ツンツルテンの法衣の裾から足首が見えていたのがちょっと笑える)。お棺に蓋をするときが来た。飾ってあったお花を親族皆でお棺に詰めてゆく。ご遺体に対面して突然死を実感する。病室で最後に会った時、「バイバイ」と言った叔父の姿が蘇る。ここにはもういない。ご遺体にはもう、誰もいない。叔父を長い間有難う。そういう気持ちをこめてご遺体に花を捧げた。叔父は楽しいことが好きだった。そう思うと、いてもたってもいられなくなって、どんどんお花をお棺に入れていった。お花で埋め尽くしてあげたい。一度順番を終えた他の親族達もまた、続々とお花を入れている。叔母も泣いている。従兄弟も泣いている。私も泣いている。涙があってもなくても皆心で泣いている。蓋の閉まる前、叔母が叔父のご遺体のかけていた眼鏡をはずす。お骨と一緒に骨壷に入れるのだそうだ。火葬場へお棺が運ばれる。とてもモダンなしつらえになっていて、電光掲示板に叔父の名前が記されている。それまでずっと明るく笑顔であった叔父に良く似た妹さんが、初めて声をあげて泣き崩れた。読経の声に祈る。叔父をよろしくお願いします。火が入る。思い出がこんこんと流れ込んでくる。私は叔母を見ることができない・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・こうして、叔父は旅立ち、私は色々色々色々考え、思い、仕事始を迎え、値千金の雑巾を作り、今にいたった。そうだ、ついでにまた着物を着て新春歌舞伎を観た。もう一月も終わる。どうだ、長かっただろう。
2007.01.27
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もう一月も終わってしまいそうだ。年が明けてからこっち、気持ちの区切りとしてどうしても書かなくちゃ先へ進めない一連のことがあって、どう書けばいいのかと考えているうちについ日にちが過ぎた。考えてもいよいよだめだ。しかたない。出来事の順を追って書いていこう。長くなるから、2回に分けることにする。年が明け、東京プリンスも終わって間もない頃からだ・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・御殿場へ行った。1月5日、年末年始の東京プリンスのイベントが終わり、義理母も帰国したその2日後だ。富士山を目の前に眺める義理兄の会社の素晴らしく設備のととのった保養所。数ヶ月ぶり、やっと家族そろってのイベントだ。ほんの1泊2日の小旅行。森の中、綺麗な空気を吸う。富士山の雪、かかる雲を眺める。子供達の笑い声に耳を傾ける。たかが1泊、されど一泊。・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして、叔父が亡くなった。母の義兄にあたる。癌末期で入院してから2ヶ月もしない、1月6日、土曜日の朝のことだ。御殿場で訃報を聞いた。「そうか・・・・」長いこと、10年以上も会っていなかった叔父だ。それでも私は学生時代、彼の息子で、私より1つ下の従兄弟に英語を教えていた事がある。幼い頃から気の会う、仲良しの従兄弟だ。当時は彼の家へ行って教え、遅くなると泊まらせていただいた。陽気な家庭で、いつも笑っている叔母がいて、いつも笑っている叔父がいた。一度私が何かの折に「不気味な」というフレーズを使い、何故かとてもウけた。以降、私の顔を見るたびに叔父は「ブキミな~」を連発。毎回叔母に「しつこいからやめなさいよ~」と言われてはおどける。明るく、暖かく、駄洒落の大好きな叔父だった。入院を知らされてからもしばらく、忙しさにかまけてお見舞いにも行っていなかった。年末の12月28日、東京プリンス準備追い込みの間、子供をキャンプへ入れた。送ったその帰り、車を走らせながら叔父の入院先がほど近いことを思い出した。ふと寄っていく気になった。病院へ着くと、叔母が昔から変わらぬ笑顔で迎えてくれた。末期と知る人へ会いに行くのだ。それだけですっと救われる。叔父は、意識のないことが多く、人の区別もつかない場合があると聞いていた。しかし、たまたまその日は割合意識がしっかりしているという。病室へ入る。覚悟はしていたが、すっかり痩せ衰えて全く動けず、抗がん剤の副作用で髪が全て抜け落ちた叔父の姿に一瞬胸が詰まる。しかし、病苦の最中で生死をさ迷う人、そしてそれを笑顔で看病する妻を前にして自分にうろたえる権利はない。「真澄ちゃんが来てくれたわよ」叔母が声をかけると、うっすらと目を明けてこちらを見ようとする。近くへ寄って「こんにちは!来たよ」と言うと・・・。にっこり笑った。おちゃめな笑顔。あの笑顔だ。あの笑顔だ。あの笑顔だ・・・。目をしっかり開けて、はっきりと私の事がわかっている。そして、何か言おうとした。「。。。。。。」あまりにかすかで、判らなかった。叔母がにこにこしながら言う。「彼はね、看護婦さんに人気があるのよ。意識あるときにはにっこり笑うでしょ。その笑顔に救われるって・・・」。私も今、どんなに救われているか。しばらくして叔父も眠る風だったのでお暇することにした。最後に、「じゃね、また来るよ。バイバイ!」と声をかけた。眠ったと思っていた叔父がまた目を開けて、動かぬ頭ももどかしそうに私のほうを見ようとする。今度ははっきりとわかった。「バイバイ」。にっこり笑って彼はそう言った。ふと胸をつかれた。お別れだ。もうお別れなんだね。私にはわかった。これが最後だ。車の中で涙が止まらなかった。そして、はっと気がついた。最初に叔父は何と言ったのか。「ブキミな」チューブにつながれ、痩せ細って起き上がることも出来ない末期がんの病人が、私を一目見て発した言葉。思わず笑った。笑って泣いて、わけがわからない。頭がとっても忙しいことになった。
2007.01.26
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今日、子供達の綿衣類で古くなったものを切って雑巾にした。身に着けるものには愛着がわくようで、ウチの子供達は中々捨てない。息子は身長の伸びが遅いのもあって、中には4年越しで着ていたお気に入りのTシャツがある。娘も同じくらい前から愛用していたパジャマがある。両方ともにツンツルテンだし、色も褪せ切って端はボロボロ、シミもあちこちについている。何もせずともすでに立派なぼろ雑巾状態だ。朝子供達を学校へ送り出してから、台所に座り、それらの衣類をひざに置く。母がそうであったが、私も使っていたものを処分する際にはついそれらに話かけてしまう。「長い間ご苦労様だったね。有難うね。」言いながらチョキンとはさみを入れる。手元にうららかな朝の日差しを受けながら、こんなにゆったりとした平和な時間をすごすのはどのくらぶりだろうと考える。子供の着ていた衣類には着ていた子供そのものの感触がある。それを着ていた子供らの情景、時間が一つ一つ懐かしく織り込まれている。おろしたてのそれらを着て喜ぶ姿から始まり、最後に脱いだ時までの全てだ。「懐かしいねえ。あの頃はあんなだった・・・」ぶつぶつと話しかけながら小さく切っていくうちに、なんとなくじんわりと目頭が熱くなる。普段忙しく動き回っている時は、手伝ってくれる人を頼んだりしているくらいこういった家事は「やっかいなもの」という位置づけにある。しかし、今回、目からウロコが落ちるようにストンと胸に落ち着く想いがあった。自分にとっては家族をいとおしんだり、心に刻んだりするのはこういう時間なんだ。これはレフレクソロジーに行くより、温泉に浸かるより、自分にとってはヒーリング効果がある。時代を経て家事時間はドンドン短縮されていく。次々に便利グッズが開発されるからだ。いまや家事ロボットの実現が秒読み段階だ。なぜなら皆総じて言って家事を「すごく面倒」だと思っているから。人間、便利を追及するその原動力は「手間から開放されたい」という想いに他ならない。確かに毎日毎日エンドレスに繰り返されるそれは、拷問に近いとも言える。よく解る。しかし「時間に追いまくられることのない場合に限って!」という限定条件つきだが、家事には他の職業にない愛を体験できる不可思議がある。古着を捨てるかわりに、ひと手間かけて雑巾にする。洋服に対する和服のように、ほんの「ひと手間」の押し広げてくれる世界のなんと深遠なることか。チョキチョキ、チョキチョキ・・。ふうわりと思い出に浸る自分の手の中で、すっかりやわらかくなった布の小さな雑巾が着々と出来上がっていく。
2007.01.11
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「今年はいい年になる」って言ったのが昨日。今日それがもう証明されちゃったのである。午後、家族で近くの大きな商店街に行った。この商店街にはポイントカードというものがあって、商店街で買い物をするとポイントが貯まる。これで、事ある毎に行う「ガラポン」に参加できる。忙しい買い物だったので、主人も私も用事だけ済ませてとっとと帰りたかったのだが、「何かもらえる」事に血道を燃やす息子がしつこくガラポンをやっていきたいとせがむ。仕方がないので「ちょっとだけ」ということで参加。何年も貯めていたポイントで、最高50回くらいはできると言われ、はじめは子供それぞれ10回づつと言ってみた。賞品は、一等の銀の玉「500円玉つかみどり」から始まって「100円」「50円」「10円」と下りていき、最後は空クジなしの商店街専用の割引件500円分となる。列に並ぶ。前の人たちがガラガラと出てくる玉の色に一喜一憂し、周囲のギャラリーがワイワイ囃している様を見ていて、結構気分が盛り上がってきた。「あたちもやりたい」・・・・。この際だからと、自分も10回、夫にも10回、合計40回試してみることにした。順番が回ってきてまずは気分がはやって仕方のない息子がまわす。カランカラン・・・。出てくる玉はびりっけつの緑色ばかり。むなしく終えて、娘の番。カラン、ポンっ。おっ!黄色だ。これは10円つかみ取り。いいねいいね~。カラン、ポンっ!おおっ!また黄色だ!カラン、ポンっ!おおおおおおおっ、また黄色・・・!こうなるとギャラリーも色めきたってくる。結局娘は4つの黄色を出して喝采を浴びた。私の番。からんからん、からんからん、からんからん・・・・・。けっ、全部びりっけつかよ、つまらん。夫の番。カランカラン。緑。カランカラン。また緑。「こりゃだめだ。ま、いいか、娘が10円つかみ取り4回当てたからな。結構な額になるよ」。諦めムードで8回目まわそうとしたとき、娘が夫の手にふと自分の手を添えた。がらん、ポンっ。お~~~~~っ!また黄色が!息子が「僕も!」といって9回目をまわす。ポンっ。緑だ。最後の一回。何やら確信した勢いで娘がまわす。カラン、ポンっ、きらっ。「へっ?!きらっ?!きらって何よ、きらって!!?」おおおおおおおおおおっ!!!!銀だああああっ!銀の玉じゃああああああっ!!!ギャラリーから歓声が上がる。全部で8個しかない銀玉。当てやがったよっ。500円玉つかみ取りのチケットをもらって皆大興奮。娘の頬は紅潮し、私と夫は雄たけびを上げ、息子は「僕が今日ガラポンやろうって言ったんだよねっ?!そうだよねっ!?」と自らの役割を強調。数人のおばちゃまたちが「お嬢ちゃんがつかみ取りするのを見にいこうかね」とついてくる。いざつかみ取り。まずは10円玉から。息子2回、娘3回でいくことにした。大人では箱の穴に手がつかえてそうそうは取れない。「つかみ取り王者」の異名を持つ息子がダントツだ。そしていよいよメインエベントの500円玉つかみ取り。「王者」の息子は自分がやりたくて仕方ないが、当てたのは娘。脇にはりついて娘に大声で指示を与える。「いいかっ、まず真ん中に山を作るんだっ!違うっ!もっと細く高くだよっ!自分の手の大きさを考えるんだっ!そうっ!次に手のひらを少し丸くして底から包み込むようにっ!できるだけ一杯細長く持つんだっ!つかんではだめだっ!半分力を抜けっ!・・・・っ」(アンタ、一体いつそんなテクを・・・?)ギャラリーの見守る中、そんなにチイコイ手の平でよくぞそこまで、というくらいてんこ盛りの500円玉がじゃらじゃらっと・・・・・。またまた拍手喝采。やったぜベイベっ!結局、ガラポンをするように我々をしむけ、的確な指示で娘をサポートした息子、ポイントを貯めていた私(ただ使うのが面倒だっただけだが)、とりあえずスポンサーな夫、そして滅茶苦茶当てまくった娘、それぞれの役割を鑑みて、賞金を適宜割り当てることにした。とても民主的なんだ、我が家はさ。お正月早々お年玉をぐんと膨らませた子供達は大喜び。一人のギャラリーのおば様が、満面の笑顔を浮かべて「いいねええ、お嬢ちゃんの幸運を分けてもらおうっと!有難うね!」と、娘の背中を撫でていった。なんかいい感じ。いい感じ~。いい感じだな~。
2007.01.04
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終わった~!やったー!最終日の今日は半日。午後1時ごろから搬出という事もあって、今日は始めからかなり「打ち上げ気分」な展開だった。他の出展者さんたちと今後のコラボレーションを話しあったり、お互いの写真を撮りあったり・・。 今回は「和モノ」オンリーの出展だったため、元来和モノ好きの私にはとても楽しい出会いがあった。今後のブログでボチボチ紹介していくことにする。今日は打ち捨てていた家族の為に午後を使うことにしていたので、12時ごろから義理母、義理妹、主人に子供を東京プリンスに集め、身体のよくない父の為、自分の父母と姉夫婦は事が落ち着くころあいの夕方から来てくれるように手配していた。1時をまわって搬出間際、お客さんもほぼはけて、着物を着ていた私は作業に備えて戦闘態勢に入るべく着替えに走った。手伝いを頼んでいた人は12時半で上がっていたので、店番に残ったのはオーストラリア人の義理母、義理妹に夫と子供。着替えて戻ってみれば、全員が何やらそわそわしている。どうした、と聞けば、「茶箱売った」。はいっ?もいっぺん言ってみそっ?「茶箱が売れた」お隣のブースのミニチュアアートの方が手伝ってくださったそうだが、想像すると結構笑える。だって、まずは日本語できないじゃん。おまけに茶箱の事知らないじゃん。店の事務作業もなんも解らんじゃん。どなた様かはわかりませんが、お買い上げいただきまして有難うございました。ちいこい茶箱をばかに大きい紙袋に入れてお渡ししたそうで、大層失礼申しあげました。おつりなど間違えてはおりませんでしたでしょうか?!その後、明日帰国する義理母を囲んで日本にいる双方の家族でお茶をした。私も父母の顔やっと拝んでようやく新年を迎えた気がする。年末年始、一緒に頑張ってくれたスタッフ全員、そして一生懸命支えてくれた家族、皆に心から感謝する。今年はきっと良い年になる。
2007.01.03
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2007年になってしまいました! 今年の正月は東京プリンスのおかげで色々と普通でない感じでやってまいりましたが、蓋を開けてみれば結構おめでたいものになっております。 まずは犠牲にしてきたなと思っていた家族が結束して、一生懸命助けてくれましてね。これこそ「愛」。愛に包まれて迎える正月。ありがたやありがたや・・・。 そして、東京プリンスのイベントがゆったりペース。今まで経験してきたイベントでは基本的にゆっくりする時間はなかったですが、今回はホテルのお客さんがメインで、しかもお子さん連れが多い。我が家の子供達もやってきて、沢山ある「体験コーナー」を制覇して、すっかりお祭り気分です。 準備段階までは大車輪でしたが、開幕してからは、これほどゆったりとした時間をすごすのは珍しいというくらいリラックス・ペース。他の出展者さんたちと楽しく交流したりなんかして、これもまた楽しいものです。出展するからには客足が多いほうがもちろんやりがいもあるのですが、いっても「お正月だしな~」。 お客さんたちものんびり歩いて、雑談したりしていきます。ドカンと買ってくださる方もいらっしゃれば、通り過ぎるだけのお客さん、また、教室のお話しに花が咲くお客さんたちもいらっしゃる。それぞれにゆっくり時間があります。これはこれで良い気がするな。 イベントもあと二日。のんびりやろうっと。 今年もよろしくお願いします!
2007.01.01
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