続きは、球場で。

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信仰の自由

信仰の自由


正確には「信教の自由」となるが、日本国憲法では信仰の自由が保障されている。

が、それは真実だろうか。

『日本国』はアイヌを日本国民に組み込んだにもかかわらず、彼らの墓を掘り返し、先祖代々大切にしてきた土地を奪った。
それは信仰の自由の侵害にほかならない。

憲法という、国家を構成するに最も大事な決まりごとを、政府が率先してないがしろにしているのが現状だ。


私を含め、アイヌをリスペクトする倭人は少なくない。
が、彼らの美しい文様や穏やかな音色、魂の深い部分を繋ぎ合わせるようなウポポがアイヌの深く篤い信仰心に根ざしたものであると真に理解している者はどれだけいるだろうか。

例えば、“シャモ”がアイヌ文様風のデザインを施した商品で金儲けをする。
アイヌはそれを見て怒り、アイヌの怒りに触れたシャモは「アイヌ文化を観光客に紹介してやってるんだからいいじゃないか」と開き直る。

そこらへんの倭人は、怒るアイヌを「心が狭い」と思うかも知れない。
でもそれは間違いだ。
アイヌは文様に込められた先祖の想いを知るがゆえに、「作って金儲けした者ではなく、知らずに買って使った人にバチが当たる」ことを心配しているのだから。


アイヌをリスペクトしていると、自分で思っている倭人たちよ。
その想いが本当にホンモノかを、一度自らの心に問いかけてみた方がいい。

ひとりのアイヌと親交を結ぶや否やアイヌのご先祖さまだか神様だかに紹介されてしまった一倭人としてあえて言おう。
カムイノミとイチャルパを知らずして、アイヌを語ることなかれ。
アイヌの信仰心の篤さを知らずしてその文化を語ることは、アッラーへの畏敬心を知らずしてムスリムを語ることに等しいのだ。

モドル



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