Chesapeake's ワシントニアン日記

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長女とは


今となっては眩しい頃の思い出。あの頃は・・・大迷惑だった。

小学校の頃、自分の父は友達のビシッと決めたサラリーマン・パパ達と全然違う
ことに気づき、それだけでかなり恥ずかしい思いをしていた。
母でさえ「普通の人」じゃないから、あの頃は授業参観があるたびに嬉しさより
恥ずかしさでどこかに隠れてしまいたかった。

父は山男。スポーツならなんでもやり、やるならマイペースの男。
あの頃の日課はサイクリング、ジョギング/マラソン、水泳、ストレッチング。

今更のように書くのだけれど、我がファミリーは3姉妹で、私が長女。
口が達者・小食・活発の3拍子揃った私は、父に朝たたき起こされ、近所の
跡地─中学の頃は皇居の周り─をジョギングでお供させられた。

「ほれ、チェサピーク、行くぞ!」
「今日は勘弁して~・・・」
「何言ってるんだ! 起きろ!」

ボーッとしながら父に靴紐の点検をされ、毎度お馴染のストレッチ運動、
やがて腕を振り回し、スキップしながらのウォーミングアップで序々に走り出す。

断っておくけれど、私はマラソンや長距離が大嫌い。でも、学校では足が
速いのを良いことにいつも短距離はもちろん、遠距離も種目として陸上競技に
出された。ピアノ演奏と一緒で、誰かに見られていると意識があったら
私はいきなり元気が出て活躍してしまう!

父はきっとこの私の呪われた性質を見抜いて密かに期待していたのだろう。

ゼーゼーしながら持久力・根性まったく無しの私にむかって父の愛の鞭は飛ぶ。
「何だらだら走ってるんだ。もう少し 楽しそう に走れ!」
「苦しい。。。お父さん先に行ってて~」
「ゆっくり走ってるじゃないか。これ以上ゆっくり走れるか!」
「歩いて帰るからいい」

と、この様なみっともない会話は日常的であった。父も父で私を励まそうと、
「チェサピーク、苦しいと思っているから苦しいんだ。
景色を楽しめ。ほら、木々が美しいだろう」
跡地や皇居をぐるぐる何度も同じ場所を廻ってどうやったら景色を
エンジョイできると言うのだ。。
こんな感じで水泳、サイクリング、ハイキング、ジョギングと数々の
スポーツに付き合わされた。

心底エンジョイできたのはスキー。
スキーといってもゲレンデ(アルペン)スキーで、クロスカントリー(テレマーク)
は楽しかったが、苦しかった。ゲレンデスキーはリフトで登りが楽だから。
(私って結局レイジーなのね)

父の男のロマンを一緒に満喫する長男がいない我が家は、私がその長男の役
だったのだろう。

思えば、6歳の誕生日に父に「誕生日に*ピンク*の自転車が欲しい♪」と
おねだりしたら、
「ほら、チェサピーク自転車だぞ!」
「わー・・・い」
と、これでもかと手に握られていたのは*真っ黒*つやつやの自転車であった。

自転車を見たなり拒絶反応を起こし、6歳の誕生日の昼下がりは台無しになり、
両親になんとか説得され、しぶしぶ午後父と外で遊んだ。
→これは今になって父にもいつまでもグチグチ言ってる。(笑)

水泳も父と二人で行かされたものだから、更衣室もメンズ。
私はお上品な女の子なのに。。。なんて当時から自覚が無いのは彼のせい。

いつしかスポーツの弟子のみから、父の編集者にもなった。父はよく山岳部の
仲間達のサークルや、日本テレマークスキー協会の為に記事を書いていた。
書くことが好き (私も結局同じような事をしている!)な父は、ある年、
新雪が積った尾瀬のある山からテレマークスキーで下山中に足を骨折した。

その体験を「・・・おもしろい体験だった。この体験を綴ってみたい欲求は
抑えがたく・・・」などと綴った12ページにもわたるジャーナルを書いた。

美術の才能も父から遺伝した呪われた私は、父の螺旋状にヒビが入った骨・
プラス・固定するためのボルトとプレートが写っているレントゲンの写真を
もとにイラストを描いたり、特別なギブスと装具を着けてモデルのように
横になっている父の足をスケッチしたり。。。(恥ずかすぃ。。。)

父も父で頭が良いのは分かるけど、どの様にして転んだから、体重がかかった
作用点・力点・支点をそれぞれ記した足の様子も絵に描いて説明までした。

まあ、この親して子あり、と言うので (と、言うっけ?) 父の弟子のなり損ない
の私が出来ることと言えば、彼の特殊な人生を綴る位である。

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