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体調が悪く長いこと入院生活をしておりました。去年の暮れは大変の大きな災害が私の好きなタイをはじめ各国でありましたね。少し遅れましたが災害にあわれた方には心からお見舞いもうし上げます。 リンクしていただいている皆様方大変申し訳ありませんでした。
Jan 11, 2005
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チェンマイはこれから、大変過ごしやすい季節となります。みなさんもぜひ一度いってみてください。
Nov 4, 2004
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日本における先輩後輩の間柄というのは、真夏の扇風機もない四畳半に寝転がってかく汗のようで、実にねちゃねちゃべとべと嫌らしいけど、けっこうそうのを喜ぶ人もいる。タイの場合はまあ、日本ほどひどくない。それでも大学にはソータスという新入生いびりが根付いている。 ある教授が留学した折に経験したことを、バンコクの農業大学に持ち込んだのが始まりらしい。 新入生歓迎と称し、先輩が後輩に色々馬鹿なこと、をやらせて楽しむのだ。一種の順位付け、サルのマウンティングのようなものであろう。日本人が昔から得意としてきた分野だ。 始めの頃は、命令されたことができなければ、十メートルの高さからプールに突き落とされたというからなかなかダイナミックである。どうせならわにでも話しておいたらもっと面白かった。 ソータス《年功序列、規律、伝統、協力、思いやり》を略したものだそうだ。礼儀を通してこれらを学ぼうという、狙いはよいとしても、こういったものは往々にして本来の趣旨から大きく離れて行きがちなものである。 ソンクラーンを見ればいい。昔は小さな器で優しく水を掛け合ったのが、だんだんエスカレートして、今では見ず知らずの人の顔にバケツで水を叩きつけ、それでも飽き足らずバケツの中に氷まで入れる始末である。 無論タイ人の人たちの中にもソータスを忌々しく思っている人は少なくない。最近は廃止意見も多くなっている。 しかし、意固地に維持を望むものが声を荒げて反対するので、未だに廃止しきれないでいる。 彼らの主張は、ソータスのようないい伝統を絶やしてはならない。儀式を通し、先輩と後輩が打ち解け、学び舎の気風に早く親しむことができる。 新入生はこれで協力しあうことを知り、責任感が向上するのだ」というものである。 こんなことで団結力がたかまったり責任感が向上するわけが無いし、方法は他に幾らでもある。 ソータスでないとならない理由はない。それまで無くても別に困りはしなかったのだから。 結局、彼らの主張を分かりやすく訳せば、「じぶんたちがやられたのにやりかえさないのは不公平だし、面白いからやめるわけにはいかん」ということであろう。 ラヨーンである大学がソータス合宿を行った。上級生は新入生に命じ、荒れている海の中を沖へむかって歩かせた。胸の辺りに達した時、突然やってきた大波にのまれ、六人死んだ。 タイの人たちは泳ぐ習慣がないのでカナヅチが多いのだ。 上級生たちは反省するどころか、大物の知り合いだと息巻く宿の親父とともに取材に来たテレビ局のスタッフを取り囲み、脅して撮影済みのテープを巻き上げた。 警察の事情聴取に対しても、互いに責任の所在をぼかし、あくまでも言い逃れた。なくなったものたちが哀れである。 ソータスは当分なくなりそうも無い。
Oct 6, 2004
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酔っ払った男がかつて妻の母(69歳)を犯そうとしたが、反対にお婆さんに蛮刀で首を叩ききられて即死した。 70歳の婆さんが強姦されて訴え出たけれど、警察はまともに取り扱ってくれない。業を煮やした婆さんは総理大臣に直訴した。警察の気持ちも分からないではない。 先頃、チェンライ県の田舎で大麻を庭に栽培していた男が逮捕された。ごく普通の農民である。 男は別に密売して儲けようと思ったのでも、吸って作曲のインスピレーションを得ようとしたものでもない。大麻を毎日の料理にぱらりとかけて食べていただけであった。 かつて田舎のほうでは大麻の葉を汁物放り込むことが珍しくなかった。大麻のせいで食欲がわき、うまく感じるのだ。料理に自信のないおかあちゃんたちが味の素的に使っていたのである。 その辺にたくさん生えていたせいか、麻薬として意識されていなかったようだ。 ある動物園の象の飼育場で、男の遺体が発見された。酔っ払った男が深夜動物園に忍び込み、象を犯そうとしたのだが、嫌がる象に押しつぶされたらしい。気宇壮大な男である。
Sep 30, 2004
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タイには事故の多発する期間が年に二度ある。新年と四月のソンクラーンである。 毎年この頃には千人以上もの人が交通事故で死亡し、怪我人は三万人に達する。 まとまった休みを利用して、車で故郷へ帰ったり遊びに出かけたり、大移動が起こるためなのだ。 まともな運転だとそう問題ないのだけれど、もともと粗暴運転に加え、酒酔い運転、覚せい剤運転、何でもありである。 この時期は危険度がぐっとますし、どこへ行っても宿代は高く、人は一杯で騒がしい。外にでないほうが無難なのかもしれない。だがせっかくの旅行そうは行かないものだ、皆さんもこの時期は充分気をつけよう。
Sep 17, 2004
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二十年位前、タイでスピードメーターの動く車を見かけることは滅多に無かった。最近は、みんなピカピカの車を持ている。タイの物価からすると車は驚くほど高い。新車一台分のお金で小さな家が二件建つ。 安いピックアップでも五十万バーツはするから、平均的会社員なら、五年は呑まず食わずで働かなければならないはずなのに、どうして車が買えるのだろう。不思議だ。 車はよくもって十数年、ぶつけてしまえば鉄屑である。それだけのお金があるのなら、中古車で我慢して土地でも家でも買ったほうがましだと思うけれど、そうはいかないらしい。 ぱりっとした服を着てカッコいい新車を乗り回す人の家へいってみれば、トタン屋根のごく小さな高床家屋で、そこで一番立派なものは車庫だったりする。 車を持っていると鼻が高い。一目置かれる。お金持ちのように思われる。これがたまらなく嬉しい。 幾ら立派な家を建てても、持ち運びができないのでみんなに見てもらうわけにはいかない。 車ならたくさんの人に見せびらかし、自慢することができる。無理してでも車を買ったほうがいい、結局、こういうことらいし。
Sep 15, 2004
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西洋人のようにウシ並みに巨大のもどうかと思うけれど、豊満な胸に心ときめかせる男は少なくない。 胸の薄い女たちはスポンジやティッシュをブラに詰めたり、シリコンを注射したり、涙ぐましい努力をする。 それにたぶらかされた男は、女が服を脱いだとたん、真実を目の当たりにして驚愕するが、解きすでに遅し。ずり下ろしたパンツをはき直すわけにはいかない。こうやって不幸な家庭がまた一つ出来上がる。 さて、タイにはちょっと変わった豊胸術がある。 南部出身のソンクラさんがバンコクに診療所を開き、おばあちゃんに教わった乳叩きの術で、哀れな目玉焼き(ぺちゃぱい)たちに救いの手を伸べたところ、これが大評判。口コミで広がり、有名女優も訪れるほどになった。 術は薬や器具を一切使わない。手を重ね、脇の下や腹あたりから、余分な脂肪を押し上げるように交互に叩いていく。これだけである。 ただし治療を引き受ける前に乳を見る。タレ乳、鳩胸は救えないそうだ。 注意として、寝る時ブラをしないことと、恋人に胸を強くつかんでもらうことを挙げている。 一回につき十分の治療を六日続ける。すると徐々に乳房が膨らんでくるそうだ。 もし本当に効果があるのなら、人類に大きく貢献することであろう。朗報である。
Sep 12, 2004
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西洋が錬金術にいそしんでいた頃、タイでは惚れ薬の研究が盛んだった。 色々製法があるそうなのだが、最も効果絶大のスーパー強力惚れ薬は、「自分の中の物」を原料にし、あれやこれやを混ぜた後、呪術師が呪文を唱えて出来上がる。 「自分の中の物」というのはどうやら、垢をはじめ、目糞、鼻糞、体のあらゆる部分から排出されるものらしい。美辞麗句を並べたてた文章がとても好きなタイの人たちは、人目に触れる本とかの中ではお下品な言葉をはっきり書かないためよくわからない。 別に規制されているわけではないのだけれど、ウンコという文字を見ただけですぐに目を剥き、口から泡を吹きながら怒る人がけっこう多いのだ。アニメのクレヨンしんちゃんを見て、あのような子供はあやしからんという投書をするくらいである。 ともあれ、スタンダードタイプの惚れ薬に「自分の中の物」が入ったものが強力タイプで、タイ語ではサネー・ヤー・フェートと呼ばれている。フェートは本来双子のことだから、「二人がくっついてしまう惚れ薬」くらいの意味だろう。 これを食べ物に混ぜて想う相手に食べさせ、お呪いも忘れず唱えると、めでたく術がかかる。 術に落ちいった者はひたすら相手のいこうを聞き、愛するのだけれど、もし多用し過ぎれば、術をかけたものはカスー(汚物を食らうお化け)になってしまうという、手痛いしっぺ返しがある。 惚れ薬は基本的に女が男を繋ぎとめておくためのもので、言い換えればそれだけ、移り気な男に女が泣かされてきたということでもある。 戦や強制労働で男の絶対数が足りなかったせいだろうか、古来よりタイの男たちは上の物から下の物まで、何人かの女を囲うのは当たり前のことであった。当然、女同士の競争も激しくなる。惚れ薬の研究は切実な問題だったのだ。 男は陰毛やらパンツに振り回される 惚れ薬ではないけれど、女が自分の匂いのついたパンツをこっそり想う相手の枕の中に入れておくお呪いはよく知られている。すごく効くそうだ。 そんな枕で寝たりした男は悪夢にうなされるに違いない。 そういえば、戦時中、日本兵たちは、水商売の女に陰毛を引っこ抜いてもらい、弾避けのお守り代わりに戦地へ持っていったという。人気ある女はお国のために何本も陰毛を抜かねばならず、大変だったろう。女の陰毛やらパンツには神秘のパワーが宿っているのだ。
Sep 10, 2004
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取り締まりは厳しく捕まれば財産没収、無期懲役、最悪だと死刑が待っている。しかし、覚せい剤密売に手を染める者は後を絶たない。 チェンマイ北方の検問所で、タートン発バンコク行きのツアーバスへ警官が乗り込み、乗客の身分証明書と所持品チェックしたところ、後部に座っていた三人の若い女の挙動がおかしい。身体検査をすると、腹に6000錠の覚せい剤を詰めた袋を巻いていたのが発見された。 警官は袋を押収し、三人を取り調べたが、まだなんだか覚せい剤の匂いがする。警官はくんくん匂いの元をたどって行った。案の定、靴の中にも6000錠が隠されていた。ちなみにタイでは足は不浄の極みとされているから、この警官のしたことは大変、勇気?ある行動である。 女たちは、南部のナコンラーチャシマーから買い付けにきた、二十一歳と十四歳の姉妹、そして「お金を出してあげるから北部へ遊びに行こう」と誘われ、ついてきてみれば、15000バーツで運び屋をやる羽目に陥った姉妹であった。 密売グループが覚せい剤を運搬中、という情報を得た警官が検問を敷いて待っていたところ、二台のバイクに分乗した若者六人(タイでは一台のバイクに三人乗るのは珍しくない)が通りかかった。 とめて調べてみても、違法なものは何も見つからなかったが、念のため暑へ任意同行した。 取調べ中、椅子に座っていた一番若いトンチャイ(16歳)クンがそわそわ、もぞもぞ、一時として落ち着かない。 そのうち、どうにも耐えられなくなった彼は自白した。「あのー」「なんだ」「腹が痛いんです。尻に・・・」「尻がどうした」「お願いです。取ってください。もだめです」「薬か」「はい」肛門から引っ張り出した袋入りの覚せい剤を数えてみれば、463粒。一人千バーツで運び屋を引き受けたのだけれど、初々しいトンチャイクンの尻にはちょっと負担が大きかったようだ
Sep 4, 2004
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タイの卵焼きは多量の油の中に溶き卵を流し込んで作る、卵はふーと膨れ上がり、中はすかすかで、卵焼きというより卵揚げである。タイ人の人たちはこれに辛いケチャップのようなタレをつけて旨そうに食べる。食堂では卵揚げをご飯に乗せただけの料理まである。また油の中にそのまま卵を割っていれて目玉焼きのようなものもある、これもまた白ご飯や、カウ・パットに乗せたものもある、結構いける、私は大好きである。場所によっては、油がかなり古いものを使っているところがあるので要注意!!!
Sep 3, 2004
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ご存知かと思うけれど、タイはオカマ大国である。全体にオカマを面白がる風潮があって、あまり忌み嫌ったりしない。 一方、女VS女も盛んなので、男が男の妻をもらったり、女が女の夫と結婚したりのニュースがときどき報道され、世間に話題を振りまいてくれる。何でもありのタイである。 というわけで、田舎にもオカマさんはあまねく存在している。小さい頃はそうでもなかったのに、高校くらいからその道に目覚め、今では一人前のオカマである。 色はたいそう白いものの、腕の筋肉がものすごく、体操選手のようだ。 「お前なあ、頼むから孫の顔を拝ませてくれんか」 一人子の彼にお父さんは懇願するのだけれど、 「嫌!ワタシ、夫が欲しい」 と、はねつけ、お父さんを困らせている。 徴兵制度があるタイでは、毎年四月頃、各市町村で入隊の適性検査が行われる。 まず書類を提出し、その後、半身裸になって身体検査を受ける。背の低いものや肉体に欠陥があるものはここで不合格にされる。 ある町の審査会場は、すでに半身裸になって身体検査を待つイキのいい若者たちでごった返していた。 そこへ、タンクトップにホットパンツ(古いね)のグラマーな麗人が書類を手にしゃなりしゃなり歩いてきた。 彼女が行くところは、人垣がぱっとわれてまるでモーゼの再来である。 身の心も女になった彼女だけれど、お役人様の書類だけは書き換えるわけにもいかず、一応出頭したのだ。 しかし担当の軍人は彼女を一目見るなり、不合格のはんこを書類に叩きつけ、しっしっと追い払った。 無粋なことである。こういう人ばかり集めてオカマ部隊なんて作ったら結構役に立つではないだろうか。 彼女は優雅に合掌し、また尻を振って去っていった。 チェンマイの釣堀でオカマさんの団体に遭遇したことがる。彼女たちは餌のみみずをつける度に、「キャー」「ヤダー、コワーイ」などとミミズよりも気色の悪い嬌声をあげ、魚が釣れたら、釣れたで、また野太い黄ばんだ声で騒ぎ立てた。腹立たしいことに、それがまたよく釣れた。 釣り客は釣りそっちのけでオカマさんを見物し、釣りどころではなかった。 魚はオカマさんご一行にほとんど持ってかれてしまった。
Sep 1, 2004
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タイの人書く旅行ガイドは面白い。 たとえば次は、新聞の旅行欄に掲載された、ある町の紹介記事である。「平和で静かな町。空気は澄んですがすがしい。人々は品良く、男は美男、女は美女。みんな仲良くゆったり暮らしている。 どうにものどの辺りが痒くなりそうである、タイの旅行ガイドは大抵この調子だ。 男は美男、女は美女。みんな平和な素晴らしい町ばかりである。信じて出かけるとがっかりすることになる。 「美味しい店の紹介」の類にしてもおなじことである。 すべての店を、「おいしい!すばらしい!安くて親切サービスがいい!」と、褒めちぎっている。信じていくと本を破り捨てたくなるような店もある。 何が何でも賞賛することが前提になっているので、ときどき、どのようにも褒めようが無くて苦労しているような分や、あまり賞賛の言葉を並べすぎ、ついにはボキャブラリーに詰まってしまったような文にお目にかかることもある。他人に感情を損ねるようなことは極力文章にして公表しないという不文律があるようだ(ただ外国人に対しては別でにのびのびと好き放題かいている)。 もし批判じみたことを書こうものなら、それがたとえ事実でも、うんこが投げつけられる。 「熱い水は魚を生かし、冷たい水は魚を殺す」こんなことわざがる。 冷たく気持ちいい水には魚が集まるものだが、それはまた人や獣に狙われやすいことでもある。熱いところは辛いけれど、まず捕らえられることは無く、安全である。 甘言は人を喜ばせるけれど、その人のためにはならない。事実は得てして聞く人を不愉快にさせるものの、結局、その人のためになる、という意味である。 ことわざとか金言は、わかっていてもできないことをいうのだろう。
Aug 31, 2004
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象はどこの国おいても人気のある動物だ。でもそれらは、動物園の仕切りの中と外、見られる側と見る側の関係でしかない。タイでは街角からいきなり像が現れることがある。 かつてタイの象は、武将を背に乗せて敵陣へ突っ込み、敵兵を踏みつけた。戦場へ行かない像は、山できの切り出しに精を出し、汗を流した。象が最も活躍したのはアユタヤ時代である。 近代に入って、武将は前線を退き、像の代わりに戦車が走り回るようになった。人里近くの山は禿げて切る木も無い。 象たちは就職場所を失い、遥か山奥で昔ながらの木の切り出しを細々行っているいるほか、観光地でチンチンをして見せたり、ビア樽のような白人観光客を乗せて野を歩いたり、なかなか苦労している。 象ばかりでなく、象使いたちにとっても受難の時代である。幼い頃から象とともに暮らしてきた彼らは、象使い以外生きる道を知らない。象を飼うには餌代がかかる。働き口は無いやむなく巡業に出る。 彼らは象を連れて野宿を重ねながら町か町へと渡り歩く。行く先々の街頭でバナナなどを通行人に売って金を稼ぐのだ(飼った人はそれを象に食べさせる)田舎では「腹くぐり」をやることもある。 象の腹をくぐった子供は象のようにたくましく健やかに育つという民間信仰がるので、小さな子供抱いたお母さんたちが結構やってきては、幾ばくかの金と引き換えに象の腹の下をくぐっていく。 こういった巡業象を、象愛護協会や大都会に住む人たちは物乞い象と呼び、食べ物もろくに与えず長距離(数百キロに及ぶこともある)を歩かせるのは見るに耐えない、かわいそうだ、という理由で、物乞い象撲滅キャンペーンを展開している。物乞い象も町への立ち入りを禁じる県も増えてきた。 でも、これで食べている象使いはどうなるのであろう。彼らは悪人で象以下に見られても仕方ないのだろうか。 象がまた戦の主戦力として用いられ、象使いの存在価値が大きかった時代でさえ、象使いの社会的地位は低かった。 象使いだって能力と経験を必要とする立派な職業であると思うのだが、タイの人たちは伝統的に、自らの身体を使うものや職人に対して冷淡なのである。鷹匠が大名に出世したり、職人が政治家になったりするようなことは絶対にない。 確かに、象愛護協会の人たちが言うことももっともなのだけれど、無責任な立場の外人からすれば、巡業象そのものは、残して欲しいような気がする。街角でひょいと象に出くわすような素敵な出来事はほかのくににはないことなのだから。 ランパーン市郊外に象使い養成所がある。 ここでは外国人の希望者も受け入れていて、世界中から象使いの弟子たちが学びにやってくる。日本人も何人かいるようだ。 初歩コースは十日間で、象の世話の仕方、基本的な乗り方教えてもらう。まあ、お遊び、たびの記念といったところだろう。費用は一日1,500バーツである。自分専用の象が与えられる事を思えば高くは無い。山で働く象の平均賃金は、一日1,200バーツだそうだ。 中級コースは三十日間。象を使いこなすことに重点を置く。費用は初歩と同じ。 そしてプロフェッショナルコース。象のしつけ、暴れ象の扱い方、病気、健康管理、象に関するあらゆることを学ぶ。このコースは、無期限で象と結婚する決意が無ければだめだろ言われている。なんでもその道を極めるのは容易ではない。 世界各国から来ている象使いの弟子たちは、修行を積んで一人前の象使いになった後、それぞれの国へ帰っていく。帰国すれば動物園や撮影用に動物を貸し出している会社などで結構働き口はあるし、待遇もよいそうである。しかし、師匠であるタイの象使いたちは、像を持っていても、なかなか働き口が無い。あったとしても、得たお金はほとんど餌代に消えてしまい、厳しいどん底の生活を送っている。 象自体も減っているしこのままで行くとタイの象使いは消えてしまうのではないだろうか。 行く末は暗い。
Aug 30, 2004
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タイ最北の町メーサイの町にあるホテルの一室で、三人の台湾人男性が倒れているのを従業員が発見した。 一人はすでに死亡、一人は病院で息を引き取り、一人だけがどうにか命を取り留めた。 当初、精力剤の使用量を誤ったものと推測されていたのだが、死体解剖を行ってみると、オーホー!検視官は思わず声を上げた。胃、腸から出てくるわ。直系四、五センチのコンドーム玉が一人当たり二十も詰まっていた。 彼らはゴムを食べるのが趣味の奇人変人グループで、部屋でコンドームをフムフム喜悦に浸りながら貪り食っているうち、腸閉塞を起こしたのだろう、と思えばそうではなかった。コンドームの中には高純度のヘロインが詰められていた。三人は台湾暗黒業界大手の運び屋だったのだ。 その日彼らは、メーサイで中国系のミャンマー人から産地直売の出来立てホカホカヘロインを買い付けた。 さて、これをどうやって台湾まで持って帰ろう。近頃はチェンライ周辺の検問が厳しい。カバンの奥に入れたところですぐにばれてしまう。ここは一つ身体に隠す方法で行くことにした。密告でもされない限りまず安全だ。 三人はヘロインをせっせとコンドームへ詰め、口を括って小さな玉にした。 人は考える葦である。そして身体は一本の管である。管であるからには入り口と出口がある。彼らはその両端からコンドーム玉を押し込んだ。とてもじゃないが、シラフではやってられないから、覚せい剤の原料となる強力な薬品を蜂蜜に溶かし、それを飲み飲み異物挿入である。男だってやれば出来るのだ。 無事に二十個のコンドーム玉を飲み込み、尻へ詰め、やれやれ。三人は思い思いベッドや椅子に腰掛け、残りのスーパー覚せい剤をつめていた。 ところが三人は次々に気を失って、その場にばったり倒れてしまった。 どうした弾みか、二十のコンドーム玉のうち、三分の一ほどが腹の中で破裂してしまい、そこから致死量の数十倍のヘロインが血管に吸収されたのだ。 恐らく、経費を渋って大安売りしている粗悪コンドームを使ったもので、スーパー覚せい剤が何らかの化学変化を引き起こしたのだろう。薄くても丈夫な日本製をちゃんと使ってればこういうことにならなかったかもしれない。 しかし、助かった一人だがこういうのを運がいいというのだろうか。所持量からしてまず死刑である。病院で回復を待った後、取調べ、裁判、入獄、そして処刑である煩雑な手続き経ないと死ぬことも許されないのだ。複雑な世の中である。 タイのニュース番組では毎日麻薬関係の逮捕者がテレビ、新聞を一面を飾る。皆さんもタイに行った時は麻薬には気をつけよう密告制度もあるからね。
Aug 29, 2004
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これは買い物に限らず、すべてのことに当てはまる大原則である。手に入れた金は意地でも返さない。 安物製品にはマイペンライ精神が発揮されていて、ネジや部品、備品など、何かがかけていることが多いのだが、そういうときでも、交換は出来ないものの、気に入らないから返すと言うわけにも行かない。物はよく確かめて買おう。・・・・・・店の人が愛想がよいのは金を受け取るまでである・・・ 店の人にとって、客が客であるのは支払いが終わるまでである。愛想と笑みは期限付きなのだ。もし商品を返却でもしようものならば、その顔は夜叉に変わる。・・・・値段を聞くことは買う意思表示である・・・・ 多くの商店では商品に値札がついていない。買い物は値段を聞くことから始まる。しかし値段を聞いて買わないと店の人は露骨に嫌な顔をする。買わないなら値段を聞くなと言いたげだ。それなら値段をつけろ! 同様に、見るだけと言いながら客の袖を引き、見て買わないと怒る人もいる。・・店のおばさんは赤字だと言いながらうれしそうな顔をする・・ 店のおばさんに、まけてくれというと、「じゃあ、赤字だけど、あなただけ特別にまけてあげます。誰にも言わないでね」と、おばさんはにこにこ顔で答える。しかしおばさんは同じセリフを別の客にも繰り返す。・・・・代金の計算は必ず多めに間違える・・・・ 一般に物売りのおばさんたちは計算、特に安産が苦手である。客があれこれ品物買ったりすれば、すぐさま電卓を取り出し、人差し指ででキーを突っつく。 電卓をつかわずぱっと数字が出てきたら、それはインド系か中国系である。 電卓を買い渋っている節約家のおばさんは鉛筆を舐め紙に書いて計算することもあって、たいてい計算違いするのだが、このとき、代金より多めに間違えることはあっても少なく間違えることは絶対にない。不思議だ。 そのくせ、つり銭が足らないことはままあっても、多くもらえることは滅多に無い。どうしてだろう。・・・・受け取りをもらわなかった時に限って問題が起きる・・ 面倒なのか、タイでは何事につけ、明文化しないことが多い。「あのー、受け取り、まだもらってないですけど」「あなた私が信用できないのですか?」 こう言われると弱いのが日本人。なんだか相手を疑っているようで決まりが悪い。つい、「あ、それならいいです」と引き下がってしまう。 でもこういうところに限ってトラブルが起きる。 たとえば、カメラや電化製品を修理に出す。そして約束の日に取りに行くと、「そんなもの受け取ってません」 と、とぼけられる。・・・最初安い時は後で値上げする・・・ 最初の契約料金や入札価格が安いからと言ってとびついてはいけない。そういうところは大抵後から色々理由をつけ、値上げを要求する。応じないとふてくされてぞんざいな仕事をする。・・・約束の時間には絶対に遅れる・・・・・たとえば店の人が、「・・・時に持って行きます」と、いったら、そのくらいに行動を起こしそれから半日以内にはつくであろうと言うことである。 万が一にも本当に時間通りに来たら災いののまえぶれかもしれない。お祓いをしよう。だから、「・・・時においで下さい」と、いわたときは必ず遅れていくこと。遅れそうだと思った時はまだまだ早い。遅れて悪いなと思った時でもまだ早い。約束を忘れ、思い出して駆けつければちょうどいい。・・女のの店員の仕事は化粧をする合間に物を売ることである・・ デパートなどの女の店員はいつ見てもショーケースの後ろ辺り座り込み、コンパクトを握って顔を叩いている。 それほど広大な面積ではないのだけれど、何重にも塗ったくるので時間がかかるのだろう。入念に化粧する女に限って土台が悪い。いや、土台が悪いから修正に苦労するのだ。 そして彼女たちは人前で唇をチンパンジーのように突き出し顔をゆがめて唇を引くのにやぶさかではない。毎日叩いて鍛えてているもので面の皮が厚くなっているのだ。 そういう作業中に声をかけてはいけない。気分を害された彼女にけんもほろろにあしらわれ、買い物は不成功に終わるだろう。テガダルクナッテマタコンパクトを手放すときがあるからそれまで待ちなさい。 ・・・店員の商品に関する知識は九割が想像である・・・・店員に言わせればすべての商品は素晴らしい。使ったことの無いものでもこれはいいという。月給の数倍はするものでも安いという。飲んだことのない洋酒でもこれはおいしいですという。 ○○システム使用可能かと問うと、使えないと言う。ところがよく見れば商品の箱に使用可能と明記してある。それを指摘すると嫌な顔をする。 二つの製品を比べてどこが違うのかをたずねると、結局本当に理解しているのは値段の差だけであるのがすぐ知れる。それくらいならこちらにも分かる。・・・・領収書を請求すると高くなる・・・・ 個人商店では値の張る買い物をしても、催促しないと領収書を出さないところが多いし、領収書には店の名前が書かれていないこともある。 店の名の入った領収書を催促すれば、「一割ほど高くなるよ」と念を押される。 これを彼らは「脱税」と呼ばないで「節税」といっている。二重、三重帳簿は当たり前。政府も苦労するわけだ。 領収書好きな日本人はタイでも領収書収集に熱心だけれど、タイ語で書かれた領収書なんてもらってどうするのだろう。ある日本からの出張者は、「ドラえもん様 竹コプター 十万バーツ」などとタイ人に領収書を書いて、もらっていた。これが通ってしまうのだから日本も相当形式主義である。
Aug 28, 2004
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タイ旅行の注意として、肝炎とかマラリアについてはガイドブックでもよく言及されるのだけれど、実際にはこれよりデング熱のほうが身近で罹る率の高い病気である。 デング熱はマラリア同様、蚊によってウイルスが媒介される。ただ、マラリアは森の奥地とか、病気の見られる地域が限られているため、一般の人はそう心配する必要はない。対し、デング熱は田舎でも町でも年間通して発生する。季節も場所も無関係なのが恐れられる原因の一つである。 症状は、発熱、頭痛、関節の痛み、紅疹など。タイ語でカイルアドオーグ(出血熱)と言う。毎年十万人以上が感染し、百数十人が死亡している。 抵抗力の弱い子供は無論、女の人が整理に時にかかると出血が多く、特に注意する必要があると言う。 今回タイに行った時、偶然タイ人の友人のお母さんが不慮の事故で亡くなってしまった二日目でしたね。そこで私も葬式に参加しました。式はお寺で行われました、チェンマイから車で二時間くらいすっごい山の中の集落で電気は来てましが携帯が繋がらないようなところでした。タイでは集落があれば必ずお寺と学校はあります。お寺へ入っていくと棺が隅のほうにあって(真ん中ではないんです)入り口にはお母さんの若かりし頃からつい最近までの写真がボードに張られていました、棺には電飾が飾られクリスマスツリーのように光が点滅してた。 表にはテントが張られテーブルといすが沢山並べてあって時間になると村の人が全員集まってきて(多分)食事を出されそれを皆さんみなさん食べていました。どこにもたちの悪いのがいて呑めること幸いに昼真っから酔っ払っているおじいさん、やおばあさんあまりひどいので、追い出されていました。その食事を出すのは死者が荼毘にふされるまで続くのです遺体を焼くのはいつでもよいわけでなく日本のように友引はだめだとういうのがあるらしいです。だから一週間くらい続く時もあるのだそうだ。 タイでは、ではお寺で荼毘に付すそうですが、その火葬場が簡単なもので蒔きの上に古タイヤをおいてその上に棺桶を置き囲い無いに等しい、タイの火葬場ってみんなそうなのだろうか分からないが、友人には悪い気もするが、いい経験しました。タイでも香典みたいなものはあるそうです。服装は何でもいいみたいでした。 アルバムもぜひ見てください首長族が待ってますよ。!!!!
Aug 27, 2004
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そういえば、ミャンマーの商店街には、ストリートチルドレンが沢山いましたね、事前にタイ人の友人から絶対にお金を渡さないようにと言われてましたので、可愛そうだけれど無視して歩きました、服を引っ張る子供、買い物したおつりをくれという子供、もしそこでお金を渡すとどこからか沢山の子供が集まってきて大変なことになるそうです。 さて次の日ホテルを7時に起き朝食を済ませ8時30分には、ホテルを出ました、そこからカレン族の村まで4時間くらいかかりましたかね、途中何回も検問ありそこには軍隊が4,5人いて機関銃を肩からぶら下げていました。麻薬の密輸が多いのでこうして検問をしてるそうです。途中何回かパスポートを提示させられました。車内の検査もねなんか機関銃を見せられると怖いですね。 しばらく行くと山の中の崖っぷちのところにちらほら茅葺屋根のみすぼらしい家が何軒か集まって村を形成している、本道をはずれ急な坂道の砂利の道を上がっていくと小さな村があり、車を降りるとメオ族の村でした手作りのみやげ物家の軒先に並べてあり、おばあちゃんたち慣れない英語を使って客を呼んでいました。 少し歩いていくと村のはずれここからカレン族の村に行くのには、料金を払っていくらしいお金を3人分払い300メーターほど獣道みたいなところを下っていくと、いましたやっと会えることが出来ました。首長族といわれている山岳少数民族です。そこでもやっぱり手作りのみやげ物、銀製品少し買い記念撮影、山の中だけあって携帯は圏外でした。電気もなく水も山の湧き水を飲んでいるらしい、今度は家の中を見せていただきびっくりしました竹の床ほとんど家は竹で出来ていました。その中で火を起こし料理しているようでした。広さは4畳半くらいでしたねこんなところでも生活できるんだなと感心しました。いい経験をしました。今度の旅行は充実してましたね。
Aug 26, 2004
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皆さん長らくご無沙汰いたしました。チェンマイから帰ってきて注射を二週間あまりサボったせいか身体の調子が悪かったですがやっと回復しました。またこれからも日記書きますのでリンクされている皆様よろしくお願いします。今回は、北の方へ初めて家族を連れて行ってきました。 以下の工程です。チェンライ~メーサイ~ミャンマー~ラオス~チェンライ泊~山岳少数民族の村、カレン族(首長族)訪問 チェンマイのホテルを朝8時に出て車で約4時間ほどでチェンライにつきそのまま国境の町メーサイへそこで中国の雲南料理を食べました。内容はマーボ豆腐、野菜の炒め物、卵スープ、チャーハン、しいたけの焼いたのなんか色々食べました。5人で総額800バーツほどでした、何しろ美味しかったですよ。そこから国境はもうすぐでした。イミグレーションへ行き色々手続きをして国境の橋を渡りました。橋を渡ればそこはミャンマー橋を渡ったところに結構たくさんの商店みやげ物みたいなものが売られていました。一歩そこへ入るとタイとはまた違った雰囲気が漂っていました。おばさんたちがタバコを買わせようと必死した、タバコが安かったのでマルボロを一つ買ってみました1カートン200バーツ”えっ安っ”タバコは買ったのでも歩き出すと今度は違う人がタバコを売りに来た、もういらないと言うと150、100、80バーツさっきの半分以下になった、安いからと思いもう一つ買ってみた帰ってタバコを開けてみるとなんとパッケージだけがマルボロで中身が違うでないかだまされました。ミャンマーには1時間ほど滞在してタイへ戻りました。 そこからゴーデントライアングルまでは30分位小高い丘の展望台らしきところへ行き下を見下ろすとメコン川が見えました、タイ、ミャンマー、ラオスが国境があるそうです、線が引いてないから分かりませんでした。 丘を下りて今度はラオスへ行くためにボートに乗り川を渡ります、ついた所は川の中州でお店がちらほらあり、まあ30分もいれば飽きてしまいました、また船に乗りタイへ戻りそこから地元の小さい市場によって見ました、そしたらいました世界で一番でかいなまずが売られていました、でかかった切り身になっていないものは初めてでした。 続きはまた明日
Aug 25, 2004
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ご無沙汰してます。なんとか生きて帰ってこれました。チェンマイ、チェンライ、ミャンマー、ラオス 15日間の旅行でした。また楽しい話を書きますのでお楽しみに!!!!!!
Aug 24, 2004
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ほんとに病気というヤツは、厄介者です。こんな生活がこれから一生続くと思うと憂鬱な気分になります。今はタイへ行く事が楽しみにして頑張っています。 こんな病気持ちなヤツですが、リンクしてくださっている皆さんよろしくお願いします。日記も思うようにかけない日もありますが、出来る限り頑張ります。 それから来月5日から、二週間ほどタイに行ってきます。旅先で何もないことを、祈っていますが、内心心配です。
Jul 15, 2004
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地図を見る習慣のないタイでは旅行雑誌やガイドブックにすら出ていないのが普通である。 出版数が少ないので本屋の地図コーナーはごく小さく、地図自体の出来も褒められたものではない。細かく正確に書き入れるのが面倒なのだろう。マイペンライ精神を発揮しているところが随所に見られる。 それでいて、地図を使うのは外国人や、ちゃんとした教育を受けられる家の人たちであるのを見込んでか、やたら高いのだからまいってしまう。 軍の地図局から出されている地図はまあまあ使えるのだけれどとても古くて、近年造られた道路が書かれていないし、軍事上理由とやらで空白の地域が目に付く。人工衛星時代なのにどういう意味があるのだろう。それよりも問題は、全県揃えようと思えば数万円の出費になることである。何とかならないのだろうか、というわけで知らない土地へ行くときは、やむを得ず雑な地図で大体の見当をつけ行き先で誰かに尋ねることになる。 ところが地元の人の言葉がこれまた、タイ製地図並みの正確さなので困ってしまう。分かれ道をどちらに曲がるのか程度のことはともかく、どのくらい距離があるかということになると、とたんに信憑性ががた落ちする。「すぐそこ、すぐそこ」という言葉を信じて延々3時間車を走らせたこともある。 加え、思いやりのある人たちだから、たとえその場所を知らなくても懇切丁寧に教えてくれる。「知らない」などという不人情な言葉で、わざわざ尋ねてきた人を失望させたくないのだ。 地図がだめなら道路標識を頼りにいけばよいと思われるかもしれない。でもタイの標識はあって欲しいところにはなく、なくてもいいところにドンと立っている。道端の木陰に隠すようにかけてあっても誰も気がつかない、まっすぐの一本道にわざわざ「直進、チェンマイ」と大きな標識を立てても目障りなだけだ。 タイの人たちは地図も持たず、標識を当てにもせず道行くのだから器用である。 最近体調不良でなかなか日記の更新が出来なくてすいません完全復活まで今しばらくお待ちください。
Jun 23, 2004
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タイの酒は、国産酒=庶民、洋酒=金持ちという風にはっきり二分される。国産酒=けちな金持ち、洋酒=見栄っ張り庶民、これは例外である。 田舎ではむろん安物の国産酒が飲まれ、それさえかなわぬ人は密造酒を造る。 かつて庶民は豊富にある米からどぶろくを醸し、されを蒸留して焼酎を造った。 ところがいつしか自家酒造を一方的に禁じてしまい、伝統ある酒を密造酒と決め付けた。「市販の酒を飲め、そうすればメーカーも潤い税収が増える」役人は口には出さぬけどそう言いたげだ。 しかし、市販されている最も安い焼酎で、最低賃金の半分に相当する、それも木の根とかトカゲの尻尾とかを浸け込み。薬酒してからでないとのどを通らないという代物である。自分で作ったもののほうがはるかに経済的でうまい。禁じるほうが無理というものだ。 どうしても税金付きの市販酒を飲ませたいのならば、もっとまっとうな酒を造ってからにすべきだが、メーカーはこの点努力を怠っているようだ。 庶民は発令以来文字通り、ひそかに酒を造り続け今に至った。最近は農民団体が、密造酒をラオセーリー、「自由の酒」と言い換え警察署の前でどぶろくを蒸留し、できたてを通りかかりの人に振舞ったり販売したりして盛んにパフォーマンス的抗議集会を開いている。 そのかいあって、部分的には認められるようになったが、全面開放に入っていない。 ふた タイで販売されている洋酒のキャップを開けると、瓶の口のところに、小さな穴の開いた、透明なプラスティック製のセンが押し込まれている注ごうとすると、酒はそれに妨げられてなかなか出てこない。 どうやら注ぎすぎ防止装置らしい。タイ以外にのあるのだろうか、それろもタイの発明であろうか。ケチを恥じる国してはみみっちいことをする。酒くらいどんどんついで欲しい。同じ酒でもこれがついているのといないのでは、値段が30バーツほど違う。中栓ついていることは高級をイメージするらしく、タイの人たちは喜んでそれを買っていく。 瓶を傾けても一定量しか出てこないので、なれてしまえば意外のも便利ではあるが、これがついていないときでもあるつもりで瓶をゆすぶり、どばっと注いでしまうことがある。
Jun 14, 2004
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退院後体調が悪くしばらく日記お休みさせていただいてます。今しばらくお待ちください。
Jun 11, 2004
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東北、北部のタイ・ラオス国境沿いを流れるメコン川には、プラープックという大なまずが棲息している。体長三メートル、体重300キロに達する、ウロコノない魚では淡水魚最大、世界でもっとも食いでがるなまずだ、軽く4百人分ぐらいのおかずになるだろう。 メコンはいつも黄土色に濁り、味噌汁が流れているような大河である。上流の天候次第で白味噌になったり赤出汁になったりすることはあるけれど、澄まし汁になることはない。水の中にはどんな具が、いや、世界が広がっているのかは謎に包まれている。 プラープックが水面近くに姿を現すのは雨季の直前のみで、その外の季節はどこで何をしているのやら、誰も見たものがいない。 川漁師たちは、川底にプラープック宮殿というのがあって、そこで家来や美女の魚を侍らし、優雅に暮らしているのだろうと想像している。 チェンコンという町のある土産屋には、十数人が横に並び、巨大な太刀魚のような魚をみんなで抱えている写真が飾られれいる。メコンは化け物の棲む川なのだ。まだ見つかっていない魚なんかもきっといるに違いない。 ワシントン条約の対象になっている魚なので、本来捕ってはいけないのだけれど、チェンライ県チェコン郡のハートクライ村では、古くからの伝統行事ということで、特別に捕獲許可を受けている。タイでプラープックが水揚げされるのはこの村だけである。 プラープック漁が始まるのは四月末である。水量が雨季の数十分の一に減って、さしものメコンの流れも幾分穏やかになる頃、プラープックが産卵のため遡上してくる。それを、張った網で待ち受ける。 小さな船と腕力のみでこの怪魚をを捕らえるには大きな危険が伴い。しばしば川に呑まれて魚の餌になってしまう。川漁師たちは、プラープックが神に守られていると思われてきた。 でも、値がよく重量あるプラープックを一匹捕れば、当分働かなくてすむ。子供たちに新しい服の一枚も買ってやれる。朝から酒を飲み、カラオケにも行ける。お母ちゃんに「甲斐性なし!」と罵られることもない。身分を張る価値がるのだ。 毎年猟期の始まる前、ハートクライ村では、「神様、たまにはプラープックからちょいと離れ、どこか遊びにでも行ってくださいませ。おらたちに魚を捕らせてください」と、漁師たちは豚の頭や酒を捧げて先行投資、じゃなかった、豊漁を願う儀式をする。 そしてめでたく魚が取れれば、全国各地からかけつけてきたバイヤーが奪い会うように買って行く。 遊びに飽いた神様が戻られると漁期は終わりである。 プラープックの皮はフカに似てごつく、少し泥臭さがるものの、タイの川魚の中ではわりといける方だ。身は獣肉のようで、うまく調理して出されたら肉料理といわれても信じてしまう。僕も始めて口にしたときは豚肉だと思い、危うく店の人に文句を言うところだった。 チェンライの料理店ではけっこうプラープック料理をメニューの中に見つける。本当はこういう貴重な魚を食べたりしていけないのだけれど、罪悪感に苛まれながらも色々なところで美味しく頂いた。でも心配することはなかった。最近ほとんど天然物は捕れていないのだ。出回っているなまずは養殖物である。うなぎやハマチと同じで養殖物は脂がくどい。なまず類はたださえ脂ぎった魚なのに、いっそうギトギトがきつかなる。だから適度に脂を抜く工夫をする。うまい店うまくない店はこの違いだろう。
Jun 4, 2004
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日本とタイの冠婚葬祭、まるで違うところもあれば似たところもある、宗教や伝統的なことを抜きにして、タイらしさがあるのは「大スピーカー」である。 町はともかく、田舎の場合はどのような式であれ、人の背丈の倍はありそうな大スピーカーがでんと据付らえていて、がんがん流行り歌を流すことになっている。 懐の寂しい家はテープをかけて我慢するけれど、普通は生演奏である。こういう冠婚葬祭用のローカルバンドあちこちにあって、けっこう繁盛している。 バンドはやたらせっかちなテンポで外れた音をかき鳴らし、それが曲が終わりに近づくほど早くなるもので、終いには手がついていけなくなってしまう。ギターリストなんて演奏が終わってもまだ手がぷるぷる震えている。 でも音量は一流である。近くの家の窓ガラスにひびが入り、数キロ離れた家の床がズンズン震える。技術のなさを音の大きさでカバーしているかのようだ。 めでたい席であろうがしめっぽいせきであろうが関係ない。葬式にしたってバンド演奏つきで、おまけに花火まで打ち上げる。死者への慰めになるそうだ。時々浮かれた亡者が棺桶から飛び出し、ツイストを踊りまくることもあるらしい。だから棺のふたはしっかり釘を打ち付けるのだと聞いた。 大スピーカーつき行事はどういうわけか昼間は静かで、よる寝るころになってドンチャカ始めるのが習いである。 日本ではこういうのが数日続けば、近所の人は脳みそが完全に沸騰してしまい、抗議電話を掛け捲り、ノイローゼで自殺、などということになるのではないかと思うが、タイ人の人たちは意外にけろりとしている。子供なんて大喜びで深夜まで式場を駆け回っているし、疲れたら家を揺るがす騒音の中、平気でイビキをかいて寝てしまう。タフでなければ生きていけないのである。 大音量に包まれるのは行事だけではない、村の有線放送、長距離バスのビデオサービス、家庭のステレオ、テレビ、カラオケ。音の出る機械はボリュームを目一杯上げて聞くものだと誰もが信じ込んでいる。タイ人の鼓膜は日本人よりもはるかに丈夫に出来ているのだろうか。 ちなみに農村部で一番うるさい所は、祭事がよく行われる寺である。静かさを信条とする寺なのだけれど、実際はひどく騒音に満ちた場所なのだ。タイに住もうとするならば、間違っても寺の近くに家を建てないように。血圧上がるよ!!!!!!!!!!。
Jun 3, 2004
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小銭を乞うホームレスを、雑踏の中で皆さんも何度か見かけたことがあるはずです。 タイ人のホームレスはひたすら同情に訴えるだけのおとなしいホームレスである。 タイ人の多くはホームレスを見かけると財布やポケットをさぐり、まめに小銭を空き缶に投げ込んでいる。「徳を積む」という仏教思想が根底にあるらしい。ホームレスのためというより、よりよい来世を望む自分のためともいえる。 日本はよい国で、ホームレスに金をやるべきかやるべきかやらざるべきかなどいう議論がされたりするが、やりたければやり、やりたくなければやらなくいいだけの話だ。 さて警察がある日、街のホームレスの手入れをした。おもらいさんたちは警察を見ると必死に逃げた。それを目撃した市民から声が上がった。「行き場のない人たちを苛めるよりも、どうして悪人を追い回さないの!」けれどこれには事情がある実はホームレスの大多数はタイ人ではない隣国の人たちである、個人営業ではなく、組織化された乞食集団なのである。 乞食団ののボスはタイ人で、彼の手下がたくさん稼ぎそうな乞食候補者を隣国からスカウトし、密入国させる。子供をさらってくることもある。そして住居と食べ物を与え、主来をさせるのだ。 男の場合は不具者が理想的で、女の乞食は何より幼い子供が欠かせない小道具とされる。子供がいるか否かで収入が倍違うらしい。もし自分に子供がいなければ、乞食仲間から一人いくらかで借り受ける。 大体一人平均3,400バーツの上がりがあるというから一般労働者よりよほどいい。ただしそのうち60%をボスが自分の財布に入れる。 乞食の上前をはねるものがいるのだからおちおち乞食もやっていられない世の中である。そのうち乞食になるくらいなら働いたほうがましだというようになるかもしれない。 私もチェンマイによくいくのですが夕飯を食べていると毎回はだしの子供が花輪を売りにくる(観光客にとってたいした値段ではないだろうが)聞くところによるとわざと子供に行かせているらしいそれもこ類のものでしょうか。
Jun 2, 2004
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盗難は盗られる方も悪いと言う考えもあって、盗みに対する罪悪感があまりないようだ。財布なんて拾った者のもので、もし大金を正直に警察に届けたりすれば、「英雄現る!」と言った調子で報道され、世間を揺るがす大ニュースになる。 昔は泥棒が怖くて自転車やバイクを毎夜高床の上へエッチラオッチラ担ぎ上げた。 深夜に黙って訪れるお客さんがいるので、家屋の窓という窓に鉄格子を入れるのが常識である。塀はお客さんが乗り越えられないよう、上部に有刺鉄線を張ったり、先を尖らせた鉄柵を回らせたり、中には砕いた瓶やガラスの破片を埋め込んでいる家もある。 確かに破片塀は有効であろうけれど、泥棒に入る気はなくとも、この手の塀の横を通るとものすごく落ち着かない。ギザギザが心にまで突き刺さるようだ。 これくらいでめげていては商売上がったりとばかり、鉄柵を乗り越えようとしたゴム草履履き(タイらしいね)の泥棒さんが足を滑らせ、とがった鉄に方を貫かれた。 翌朝、通行人が発見し、警察に通報したのだけれど、その人は柵に人が刺さっているのを見て一瞬目を疑った、と言っていた。そうだろうなあ、誰でもビックリしてしまう。 二階のベランダから主婦が運悪く鉄柵の上に転落して串刺しになった事件もあった。(お気の毒に) 最近では、遅刻した中学生が柵を越えて校内へはいろうとして、バランスを崩し、胸を貫かれてしまった。こういう場合鉄ごと切ってしまうしか救出する方法がないらしく、その模様がテレビで実況放送される。なかなか物騒な代物である。今年の正月にも警官がバイクに仕掛けられた爆発物を処理しているとき、その爆発物が爆発してしまった、それもテレビの生放送で放映中だったため警官が吹っ飛ぶところがテレビで放映されていた。怖い一面も垣間見ることが出来た。 さて泥棒の話しに戻しましょう。ある町で、再三泥棒に入られるに業を煮やした一人暮らしの婆さんが、塀に針金を回らし、電流を流した。泥棒(区長の息子)それに見事に引っ掛かり、感電死した婆さんは殺人罪に問われた。(どちらもお気の毒でした)
Jun 1, 2004
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あるに田舎町にローカルバスが停車していた。それから降りようとしたおじさんと、元気よく乗り込んできた、二十歳くらいの可愛い女の子が、ドアのところでぶつかりそうになった。 「キャッ!」 女の子は入り口のステップから飛び降り、暴れる心臓をなだめるように胸をさすりながら、「ヒートック、ヒートック」と声を上げた、バスの中の乗客は思わず吹き出してしまった。女の子の吐いた言葉が顔に似合わずとてもおかしかったのだ。 ヒーはタイ関係者ならよく知ってるように、女のあそこ、トックは、落ちるの意味。「あそこが落っこちたあ!」と女の子はのたまったのだ。(ああ、びっくらこいた)位の意味である。女が驚愕してあそこを落っことした様を想像してみてください。実に感じが出ていると思いませんか。田舎のとりわけおばさん連中はこの手の言葉を愛し、何かにつけて口にしては楽しんでいる。 いつかの新聞に、男の子が凧揚げ、女の子が釣りをしているイラストが出ていた。「電線に凧や釣り糸が引っ掛かったりすれば危ないから気をつけましょう」の類の記事だと思い、読んでみたら、いきなり「性器」とか「くりちゃん」の語が出てきたのではっとした。てっきり忘れていたのだけれど、タイ語で男の自慰のことを(凧揚げ)、女のを(釣り)と言うのだ。凧揚げのときの手つき、釣りををするときの手の動き、わかりますよね。絶妙の表現である。 記事は、政府が思春期の若者向けに前記のようなイラストの入った性教育のパンフレットを作ったのだけれど、「知らなくていいことまで教えてケシカラン」、という内容だった。 庶民の日常用いる言葉は、いささか品にかけるところもあるけど、こういう思わず笑ってしまう表現や、なるほどなあと感心してしまう言い回しがよく飛び出してきて楽しい。 とぼけているようで、タイ人の観察力は物事の本質に届き、それを表す、的確な言語感覚もなかなかたいしたものだと思う。
May 31, 2004
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タイの酒は、国産酒=庶民、洋酒=金持ちという風にはっきり二分される。国産酒=けちな金持ち、洋酒=見栄っ張り庶民、これは例外である。 田舎ではむろん安物の国産酒が飲まれ、それさえかなわぬ人は密造酒を造る。 かつて庶民は豊富にある米からどぶろくを醸し、されを蒸留して焼酎を造った。 ところがいつしか自家酒造を一方的に禁じてしまい、伝統ある酒を密造酒と決め付けた。「市販の酒を飲め、そうすればメーカーも潤い税収が増える」役人は口には出さぬけどそう言いたげだ。 しかし、市販されている最も安い焼酎で、最低賃金の半分に相当する、それも木の根とかトカゲの尻尾とかを浸け込み。薬酒してからでないとのどを通らないという代物である。自分で作ったもののほうがはるかに経済的でうまい。禁じるほうが無理というものだ。 どうしても税金付きの市販酒を飲ませたいのならば、もっとまっとうな酒を造ってからにすべきだが、メーカーはこの点努力を怠っているようだ。 庶民は発令以来文字通り、ひそかに酒を造り続け今に至った。最近は農民団体が、密造酒をラオセーリー、「自由の酒」と言い換え警察署の前でどぶろくを蒸留し、できたてを通りかかりの人に振舞ったり販売したりして盛んにパフォーマンス的抗議集会を開いている。 そのかいあって、部分的には認められるようになったが、全面開放に入っていない。 ふた タイで販売されている洋酒のキャップを開けると、瓶の口のところに、小さな穴の開いた、透明なプラスティック製のセンが押し込まれている注ごうとすると、酒はそれに妨げられてなかなか出てこない。 どうやら注ぎすぎ防止装置らしい。タイ以外にのあるのだろうか、それろもタイの発明であろうか。ケチを恥じる国してはみみっちいことをする。酒くらいどんどんついで欲しい。同じ酒でもこれがついているのといないのでは、値段が30バーツほど違う。中栓ついていることは高級をイメージするらしく、タイの人たちは喜んでそれを買っていく。 瓶を傾けても一定量しか出てこないので、なれてしまえば意外のも便利ではあるが、これがついていないときでもあるつもりで瓶をゆすぶり、どばっと注いでしまうことがある。
May 30, 2004
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タイ政府保健省は、暑季を迎えて雑菌が繁殖しやすいので、食事や飲み物の清潔には十分注意するようにと訴えている。 バンコク六十箇所で肉や魚・野菜の安全調査を実施したら、五十一箇所で雑菌などが検出され、うち三十一箇所でサルモネラ菌が検出された。またバンコクのある場所の検査では、五十一箇所のうち五十箇所でコリホーム菌が検出された。それらの生ものは氷中に入れて保管されており、その氷水の品質が汚染菌の原因と考えられている。 バンコクでは、氷の品質検査を行っているのだが、北タイでは行われているのだろうか。氷製造工場では、安全検査が行われておらず、多くは外国人労務者を雇っている所が多く、清潔な環境で氷を製造しているとは思えない。このような状況では、人々は氷の品質には十分注意が必要で、各家庭で氷を作るのが最も安全なのかもしれない。 といわれても旅行者はどうしたらよいのだろうか。屋台での飲み食いは極力やめた方がいいのかな、でもタイに行って屋台に行かないのは、チョット寂しい気がする。 皆さん旅先での体調には十分注意されたし。!!! 今日は調子が悪いので前に書いた日記です。すいません
May 29, 2004
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新聞に掲載されている建売住宅の広告には、「三寝室、三便所」と言う具合に、便所の多さを誇る分が目に付く。なぜだかタイの人たちは便所が多いほど豪華に感じるらしいのだ。 一般にタイ人(男)のうんこは長い。いや、うんこそのものが長いのではなく(確かめたことはないけど)、排便に要する時間が長いということだ。 地方から夜行長距離バスが早朝、バスターミナルに着くと、バスを降りた何割かの人は、鞄をぶら下げたまま、おもいつめたようにな表情で辺りを見回す。出迎えを探しているのではない。一刻も早く便所を見つけようとあせっているのだ。 早朝のバスターミナルや駅の便所はそういう人たちで混雑を極め、大便用の便所は一つ残らず塞がっている。 だから便所の回転率はひどく悪い。あまり長く密室に閉じこもったままだから、最初の頃は、中で肛門でも避けているんじゃないかと心配した。入っている一人くらいなら何とか持ちこたえるものの、ドアの前にもう一人立ってたりすれば絶望的だ。脂汗をだらだら流しつつ、この世の人として生まれてきたことを後悔してしまう。 個室が全部使用中のとき、タイでは先着順に使用権が与えられるのではなく、それぞれがこれはと思うドアの前に立つ。だから後から来ても、使用中の人次第では、ほかの人より早く入れることがある。 こういうときはとても気分がいい。幸運を神に感謝したくなる。 しかし、自分より後から来たものが先に入ってしまうこともあって、こういうときはそいつを殴り倒したい凶暴な気分に襲われる。 ようするに便所をいくつも欲しがるのは、家族が多い場合、長便が原因で便所の奪い合いになるからではないかと考えたのだが、タイでも少子化、核家族化が進んでいるので、そういうことではなさそうだ。 以前は田舎の庶民の家に便所のあるところ少なく、外で適当に用を足していたらしい。あったとしても母屋から離れたところにポツリ建てたので、草むらを踏みつけつつ通わねばならなかった。 そのことから、町の者はいなかっぺのことを「外うんこ」と呼んだ。 便所がある、しかもそれが屋内にあることは、家が大きく、熊さんやハツァンとはちょっと違うことを意味した。多便所ハウスはこういう過去と関係があるのかもしれない。
May 28, 2004
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かつては村々に呪術師がいて、惚れ薬からライバルを陥れる呪い、デキモノの治療まで、色々な悩みを取り扱った。しかし彼らの主な役目はピー退治である。 ピー(物の怪、精霊)とは対の人々が最も恐れ、愛してやまないものだ。 知識人や進歩的な人々は否定するが、大多数の庶民は心の奥底にピーを匿っている。つい20年ほど前まで、病気、悪いこと、不思議なことがあると、それはすべてピーのせいにされ、誰もが呪術師のもとを訪ねた。今でも一部の地域では強く信仰さている。 慰霊旗 北部の方では路傍の地面に時々小さな旗がたくさん刺されているのを見かける。これは事故で死んだ人の霊を慰めるためのもの。最近特に多い。 愛のお祝い 好きになった相手を振り向かせるのに協力無比なお呪いがある。使用済み(ここが大事)パンツをその相手の枕の中に忍び込ませるのだ。主に女、とりわけ妻が浮気性の夫に仕掛けるお呪いらしい。やっぱり男のパンツでは怨念が足りないのだ。でも匂いで感づかれないものだろうか。 枕を手に入れるのが難しければ奮発していいやつプレゼントするとか工夫して欲しい。他の人に使われたら悲惨なことになるけどね。 ピーの木 菩提樹やタキアン(フタバガキ科)の大木にはピーが宿るとされ、気に布を巻きつけて祀る風習がある。周辺に置かれている、柱の台座に小さな家を乗せた祠は、ピーの木に願掛けに来た人が祈願成就したお礼に捧げたものである。 いつの頃からか、街道沿いにあるピーの木の側を通る車はクラクションを鳴らして交通安全を祈るようになった。 チェンライの町の入り口には二本のタキアンの木がある。地元の人間はここを通る度、クラクションを鳴らす。 長靴物語 外へ出るのに長靴を履いたところ、何か柔らかなものを足の裏に感じた。ぷよぷよの感触がとてもいいもので、しばらく足でグリグリして楽しんだのだけれど、ふと気にかかり、長靴を逆さにしてみたら万年筆ほどの大きな毛虫がボタッと落ちた。 足はみるみる腫れ上がり。三日ほど痛痒いのを我慢して、耐え切れなくなって、家のものに連れて行かれたのは病院ではなく、村の呪い師のところであった。 呪い師は豚の油を足に塗りつけ、蛮刀で毛をそるようにすう、スーっと撫で、呪文を唱えながらプハッと息を吹きかけた。するとどうだろう。家に帰る頃には痛みも痒みも引いてしまった。タイミングがよかったのだろうが、こういうのはとても困ってしまう。信じ込む人がいても無理はない。
May 27, 2004
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国土の大半を平地が占め、滝が少ないと言う事情もあってか、タイ人は異常なくらい滝が好きだ。だから彼らがどこへ遠出するといえば滝かお寺へ行くことである。 その滝派の多くはわざわざ見に行くほどのものでもないのだけれど、彼らは服のまま水の中に飛び込んではしゃいだり、ござを敷いて酒を飲んだり、とても楽しんでいる。 洞窟もありがたがること並大抵ではない。規模が小さく、鍾乳石が伸びていることも稀で、言っては悪いかもしれないが、只の洞穴である。その代わり中には仏像が安置され、拝み好きのタイ人を満足させている。 洞窟、滝のある地域はたいてい国立公園に指定されていて、入場料をとる。タイ人が20,30バーツ、外国人は200バーツである。何の変哲もない滝をちょっと眺めるだけで200バーツは高い。建前としては自然保護のために必要な入場料らしいが、残すべき自然を切り開き、辺りに不似合いな立派な管理事務所を建て、駐車場を造り、芝生を植えたりしているのだからおかしい。このために200バーツも支払わなければならないのかと思えば尚更入場がためらわれる。それにタイの自然はタイ人自身が守るべきであって、外国人にタイ人以上の負担を強いるのはどうかと思う。 入りたくないところには入らなければいいだけのことであるが、困るのは、道路に検問があって、国立公園に入るつもりでなく、別の目的地へ向かうときでも、そこから先に進めないところがあることである。地元の人は自由に行き来できるのに、外国人は呼び止められ、銭を払えと迫られる。数十キロ引き返して別の道を行かなければならない。何とかして欲しいものだ。 さて、対観光と言えばまずは、バンコク、アユタヤ、スコタイ、チェンマイ、パタヤ、プーケット、といったところ。寺と遺跡と海である。海外からわざわざタイの滝や洞窟を見に来る人なんてあまりいないと思う。 青空に映えるオレンジ色の屋根のお寺もいいし、遺跡はそれなりの価値があるし。海もきれいだけれど、残念ながらこのようなものは世界各地にある。タイでなければならないことではない。 それでは一体何がよくて旅行者はタイを訪れるのか。これはもう、タイにしかないもの、タイそのもの、人、人の暮らし振りではなかろうか、僕は常々、タイのよさと言うのは日常の面白さにあると思っている。 旅行者がそれぞれの国にお土産とともに持ち帰った思い出の小箱の中には、お決まりの観光地のことより、市場でのやり取りのこととか、人々がお坊様に手を合わせる光景とか、はだしで駆け回る子供の笑顔とか、そういったものが詰められているような気がする。 彼らが食事や宴会をしているところに通りかかり、偶然目があったとたん、にこり微笑みかけられ、「さあいっしょにやろうよ」と、手振りで誘われたりした経験を持つ人も少なくないはずである。この気安さ、そして優しさと寛容、これですよ。 タイはいいところです。お出かけください。
May 26, 2004
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タイの歴史は13世紀のスコタイ朝に始まり、アユタヤ朝、トンブリ朝、バンコク朝と引き継がれていく。そのアユタヤ朝時代の首都があったところである。日本人には山田長政、日本人町、などの語で馴染みがある。 1767年、アユタヤはビルマ軍により陥落し、アユタヤ朝は滅びた。その間もなく後、アユタヤを逃れた中国系の武将タークシンが軍を率い、ビルマ軍からアユタヤを奪回するのだけれど、町はすでに修復できないまでに破壊しつくされていた。彼は旧都に見切りをつけて南下し、トンブリで一代限りの王朝を築く。続くバンコク朝もトンブリ対岸のバンコクへ移っただけでその地に留まった。以来アユタヤは捨て置かれてきた。 廃墟は近代に入って発掘調査の後整備され、バンコクに次ぐタイの代表的観光地となった。パック旅行には必ず組み込まれるところである。1991年には世界遺産のお墨付きをもらったので、ますます観光客が訪れ、お金を落として行くだろう。喜ばしいことだ。 ところで、アユタヤに現存する建造物は、王宮、寺に関するものばかりである。「ははあ、支配階級は大体こんな感じであったか」と言うのはなんとなくつかめるのだけれど、華やかで壮麗な都を支えた庶民の生活が見えてこないのはいささか残念だ。 当時のアユタヤは完全な階級社会であった。支配者が被支配者のどちらかである。支配される側には一般庶民と奴隷がいた。 庶民は大きな商売を禁止され、農業や手工業を生涯つづけなけらばならなかった。市場で米、野菜を売るくらいのことでは金などたまるはずもない。だからアユタヤには中流がいなかった。この二極構造境界をぼやかしつつもつい最近まで続いてきたように思う。 日本からも船が行き来したように、アユタヤは国際貿易都市として数百年間にわたり名を馳せたけれども、これは庶民を使って只で商品を集めさせ、あるいは安く買い取り、それを外国に高値で売った結果である。支配者階級は庶民が貿易にかかわることを厳重に禁じ、利益を独占した。彼らはさらに力を貯え、庶民との差は開くばかりであった。 アユタヤに暮らす庶民の男はすべて二十歳になると兵にとられた。一度徴兵されると六十歳になるまで隊を抜け出すことは出来ず、自由に住居を移動することもままならなかった。 国が平穏時には戦の代わり、一ヶ月おきに労役につかされた。一ヶ月労役をすれば、一ヶ月は自分が生活していくための仕事をする、と言う具合である。労役は賃金が得られないばかりか、食べ物も与えられない、手弁当の奉公である。この点では、一応、衣食住の保障がある奴隷のほうが庶民よりましであった。 労役の間、食べ物はどうしたかというと、女房殿が届けた。女房を持たないものは母親である。おかあちゃんがお父ちゃんのいない家を支えたのだ。 けれど、たいていの男は、労役が明けて家に帰ってきても、ぶらぶらしていただけのようである。もっぱら官につかわれるのみで、何の能力も持たなかったのだ。手に職を得るにしても、一ヶ月経てばまた労役の戻らなければならず、このことがやる気をなくさせてしまったらしい。 男たちは朝、起こされて飯をかき込んだ後、再び一眠りし、昼頃のこのことこを這い出した。午後からは、引き続きボーとしているのか、さもなければ賭け事に熱中した。その間、妻は田畑を耕し、市場へ物売りに出かけ、懸命に働いた。 モラルは時代によってつくられる。きっと、夫を養うことが女の甲斐性、とでも言われたのだろう。そうやって正当化しなければやっていけなかったに違いない。 女たちは子供や親兄弟、夫まで養わなければならず、苦労した反面、自由であったようである。生活のためにという大義名分の下に、好きなところへ行き、好きなことをして稼ぐことが出来たのだ。この性格は幾分現代にも受け継がれている。 結婚適齢期は女十五、男十八である。若いし、ほかに娯楽はないし、子供がぽんぽん出来たのではないだろうか。 夫は自分を養ってくれる妻には忠実であったそうだけれど、以外にも絶対権力を持っていたのは夫の方である。 その頃の法律では一夫多妻が認められていた。めかけを持つことは庶民の間でも一般的で、夫には正妻意外の女子供を売り飛ばす権利すらあった。戦や強制労働に使われる男は短命で絶対数が少なかったせいかもしれない。 離婚は出来た。女から申し出ることもあったが、決断は男が下した。その際の子供分配方がちょっと面白い。妻は奇数、夫は偶数番目の子供それぞれ引き取るのである。女には人手が必要であったことから、奇数のときは一人余分にもらえた。よく出来ているといえばよく出来ているけれど、たびたびこういう訴えを持ち込まれるお奉行さまが「ええい、面倒だ。女は奇数、男は偶数。これでいいだろう、」と、やけっぱちになって作ったような法のような気もする。 愉快なことに、男たちは二十歳になると、一物に何かを埋め込む習慣があった。厄除け、あるいは超人パワーを得るためではないだろうかと言われている。やっぱりあれは力強さの象徴だから、そういう信仰があってもおかしくない。みなぎる十八のあさときたら・・・・・・。 町には専門家がいて、訪れた男の皮を引っ張り、鋭い刃物で切り目を入れ、一ダースの錫玉を押し込んだ。術後はぶどうのようであったという。 果たしてアユタヤとの繋がりがあるのか、日本では刑務所ではモンモンのお兄さんたち、懲役暮らしの憂さ晴らしに歯ブラシの柄とかを磨いて入れてるらしいけれど、そんなものではない。ぶどうですよ、ぶどう。一ダースのぶどうの粒。 金にいとめをつけないヤツは錫の代わりに、金を加工して中に砂粒を入れた小さな鈴を挿入した。動くたびにちんちんがチンチン鳴ったという。まことに風雅である。イボなしのノーマルはむしろ身分の引くものであったそうだ。 夫が絶対権力を誇ったこととぶどう粒は何か因果関係があるのだろうか。気になるところである。
May 25, 2004
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皆さんおかげさまで退院することが出来ました。肝臓腫瘍ようするに癌ですね、腫瘍凝固治療と言いまして肝臓に腹から5ミリくらいの針を刺しましてその針の先が割れてそこからくまでみたいなものが出てきてその先からラジオ波と言うものを照射して80度くらいの温度で焼くのです、焼いた後はだんだん小さくなっていくらしいですが、そのときの痛みは大変なものです、場所、人によって痛みはまちまちらしいですが、私には、あれはこの世の中で一番の痛みです終わったあとは冷や汗でビショビショでした、そのあとは3時間動くことが出来ないし、もう地獄でした、でももう私は、この治療は10回くらいやっていますが痛みになれることはありません。私のは、悪性腫瘍らしくこれからも出来るそうです。一個、二個ならこの治療でいいのですが、これから出来る数が多くなると、今度は、抗がん剤を投与するようになるそうです、旅行もこれからは一週間が限度だと言われてしまいました。(主治医に) 寂しい限りです。
May 24, 2004
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日記リンクしていただいている皆様へ、かねてから治療しておりましたが、入院して治療することになりましたので、少し休みます、ノートPCあれば病院でも続けられるのですが、まだ持ち合わせておりませんので、申し訳ありません。 (肝臓腫瘍のラジオ波照射治療)
May 17, 2004
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先ごろ、海老の頭から鉛が出てきて大騒ぎになった。検出されたのとは違う。2センチあまりの鉛の塊、釣りに使う錘がぼろぼろ出てきたのだ。むろん海老が自発的に外科手術で埋め込んだりするはずもなく、人が嫌がる海老を押さえて、無理やり呑ませたのだ。何のためって?重量増加を計ったのだ。 海老はタイでも値がいいので時々こういう事件が起きる。以前はブラックタイガーに注射器で水を注入した料理店があったが、水腫れの海老は普通の人にもはっきりわかるほど味が落ちるのですぐにバレ、摘発された。ハタの腹の中に石が詰められていたこともある。色々考えるものである。 鉛入りの海老はどうやらミャンマーからターク県方面を経由して入ってくるらしい。サラウィン川辺りに棲息する頭の大きい淡水の手長海老で、大きいものは一匹300グラム以上ある。これが鉛入りだと500グラムにもなる。タイにはこれほどの大物はいない。 鉛を口から強引に押し込むには、海老が生きていないと肉がぐちゃぐちゃになってしまうし、タイの商人はそれほど暇じゃない。ミャンマーの漁師、養殖業者の仕業に違いないと、タイ側の関係者は主張している。 価格をごまかされるだけならともかく、問題は鉛の害である。知らずに調理し、熱や酸を加えれば、鉛が溶け出して肉を汚染する。それを食べた人は・・・・考えると恐ろしい・・・。金属探知機を持って市場や食堂へ出かけなければならない世の中になってしまった。せっせと鉛を入れる時間があるのなら本業にもっと力を入れてほしい。 鉛が入っているのは、金を気前よくばら撒く観光客(日本人)やグルメ用レストラン向けの、一キロ800バーツ模するような高級品だから庶民には関係ない。今は金属探知機を使って1箱づつチェックしているらしいから、お金持ちの皆さん、ご安心ください。 魚同様、タイでは伝統的に淡水産の海老が好まれてきた、代表的なのは手長海老、トムヤムクンや焼き海老に使われる。沼や湖で捕れる半透明の小エビは庶民の海老、かき揚げやタタキ、踊り食いをすることもある。 海のものでは、ブラックタイガーと言う名で日本へ輸出されているウシ海老、赤尾海老など。プーケットに多いイセエビに似た龍海老は立派だけれど大味。 海老は日本人も大好物の一つ安いのでこれでもかと言うくらい食べてみよう。
May 16, 2004
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たとえば、日本ではパパイヤ、マンゴーなどというのは、割にイメージがよく、どこかしら南方への憧れすら漂わせている。 果物屋での扱いは丁寧だし、そこそこお値段がする。何より地方では手に入りにくい。 それがタイでは、いい年こいたおじさんもつい「ウッソー」と上ずった声を上げてしまうほどの値段で、そこらじゅうに山ずみして売られている。安いわ珍しいわで毎日食べる。食べて食べて食べまくる。あしかし、その夢中でかぶりつく時期を過ぎると、意外に品のない果物のように感じられてくる。価値観なんてけっこういい加減なものである。 どこが駄目かというと、まず、やたらべたべたするのがいけない。べたべたする果物は多いけれど、べとつき方どうにも幼稚だし、果物がやわ過ぎる。そこら中に生えているのもありがたみがない。 パパイヤは食べて種をその辺に吐き出しておけばまた生えてくる。パイナップルだって、頭のぼさぼさを湿ったところにおいておけばすぐに根を張る。 田舎ではどこの家にもマンゴーの木の一本や日本生えていて、マンゴーの季節なんて市場はマンゴーだらけである。大風が吹いた翌朝など、みんなが落ちたやつを拾って持ってくるから、洗面器一杯が1バーツということもある。 でも決してパパイヤやマンゴーがおいしくないというのではない。タイにはドリアンを始め、他にそうそうたるメンバーが控えているので、無理して口にしなくても言いといいうだけのことである。品位にはかけるけれど、これはこれで十分おいしい。 そのドリアンだけれども、こいつはイメージにそれほど狂いがない。よく話のタネにされる果物だから、ドリアンが「果物の大様」と呼ばれていることはご存知かと思う。獣の乳で作ったような、ねっとり重厚な甘味はやっぱり大様である。大体風貌がいい。あんなごついトゲに覆われている果物などほかにないでしょう。トゲは鋭く、うかつに素手で触れば皮膚を破ってしまうのです。 ドリアンに柄をつけて振り回せば立派な凶器である。 匂いについても、普通、果物は芳香を放つものなのに、こいつはプロパンガスに似た異臭を放つ変わり者である。ガイドブックにはたいてい、「ドリアンは臭いぞ、臭いぞ」と書かれている。食べてみればやっぱり臭い。この匂いはとても強烈で、冷蔵庫に入れておいたら、中にあるもの、がドリアン風味になってしまう。すべてを支配下におかなければ気がすまない暴君なのである。 果物というか食べ物は基本的に現地まで身体を運んで口にするものだと思う。今は輸送手段が発達しているし、金に任せて取り寄せるので、日本にいながら世界中のものが食べられるけれど、遠くから運ばれてきた食べ物というのは、ポートレートのようなものである。その抜けている背景を含めた素顔を、見たり感じたりすることが、現地に身を運ぶ意味なのではないだろうか。まったく、タイは果物のうまいところで、これらを食べる目的だけでも訪れる価値のあるところです。 一般に知られてるのはマンゴー、パパイヤ、ランプータン、マンゴスチン、ドリアン、レイシ、ジャックフルーツ、竜眼まあこんなところだが、このほかにもたくさんの果物がある。手当たり次第食べてみよう。
May 15, 2004
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電話がタイ全土に普及したのは比較的最近のことで、それまではチェンマイからバンコクに欠けるのでさえ一仕事だったそうだ。何十回もしつこくボタンを押して、やっと回線が確保できたと思ったらすぐ切れてしまう。 その頃、地方から長距離電話をかけるには、郵便局か私設の電話屋へ行かなければならなかった。料金は一分につき幾らで計算するのだが、チェンライの電話屋は一軒しかなく時間を計るのに砂時計を使っていたそうだ。 笑い事ではない。こちらが三分だと主張しても、向こうの砂時計が5分をさせば5分ぶんの料金を支払わなくてはならないのだ。(友人談) 近年ようやく電話線が地方の村々まで繋がり始めたのに、携帯電話のせいでまた停滞してしまった。前々からそうなのだけれど、タイ人たちの電話のかけ方はとても独特である。開口一番、「そこでこですか」とくる。 自分から電話をよこしておいて、そこはどこはないだろう。どこかも和歌らず掛けるのか。」と、普通の日本人なら思ってしまいますよね。 当初は混線が多かったため、まず相手を確かめる習慣がついたというのだけれど。 こちらが問わない限り名を名乗ることもない。自分は自分が誰だか知っているから相手もわかっているに違いないと信じて疑わないようである。 中には「そこどこ」を略していきなり、「00はいる?」という物もいる。これがほとんど間違い電話なのだから腹も立つというものだ。 タイでの携帯電話の普及は日本より早かった。でもそれは長らく中流以上のステータスシンボルであった。彼らは受話器よ大きいやつをベルトにぶら下げて町を歩いた。今から思えば少しおかしい。 安くても十万はしていたのが、二,三年前から一万円代まで下がり、ようやく庶民にも手が届くようになった。今では市場の団子売りまでがハロー、ハローしながら団子を焼いている。 携帯電話が普及するに伴い、それにまつわる犯罪も目立つようになった。 電話など触ったこともない炭焼きの爺様が、数百万円の電話代未払いで訴えられ腰を抜かした、などという事件がこのところあいついで起きている。 電話購入に必要な住民票と身分証明書の写しを第三者から騙し取った詐欺師が、その名義で電話の登録するのだ。 店は電話さえ売ればいいので、書類が整っていればそれが当人であるかどうかはチェックなどしない。 手に入れた電話機は、海外旅行者、出張者らが国際電話をよく利用するところにもちこみ、使いまくるわけである。 日本と同じような事例ですな。 一部の地域では携帯の方が一般電話より先に普及してしまった。自転車と一緒で、モラルやマナーとかが確立する前に天から降ってきたように与えられたものだから、使用法はとてもおおらかである。 人の迷惑なんてマイペンラ。場所柄に関係なく、一人芝居のように身振り手振りを交えながら大声でがなりたてている。電話機がなければただの精神異常者である。 車どころか疾走するバイクにまたがるものでさえ、うつろな目をして片手に電話機を握っている。ますます自動車のスリルに満ちてきた。わざわざジャングルの奥や北極にまで行かなくても、町でちょっとした冒険気分が味わえる。刺激的な世の中である。でも便所の個室の中からも人声が聞こえてくるのはちょっと不気味だ。 一般電話より携帯電話が先に普及するのもおかしなものですな。
May 14, 2004
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家のものがこのところ毎日市場からバナナをぶら下げて帰ってくる。テーブルの上の幾房かはすでに黒く変色し始めている。「こんなにあるのにまた買ってきたの」「買ったんじゃないの、これみんなもらったのよ」プット婆さんが庭に生ったバナナを村の市場に並べたのだけれど、まったく売れず、「もって帰るのも面倒じゃわい」と、ため息ついていたところ彼女が通りかかり、押し付けられたのだった。「昨日のバナナはセンおばさん、その前のはカムおばさんにもらったの。くれるっていうのに断るわけにもいかないじゃない」しかしこんなにバナナばかりもらっても困る。隣近所に配るにしても、どこの家の庭先でも色ずき始めたバナナがぶら下がっているのだ。とても喜んでもらえるとは思わない。家のバナナも重く頭を垂れそろそろ切らねばならない。 バナナは一本の幹に20房くらい生る。それが次から次ぎに実をつけていく。幾ら大家族でも食べきれないので、村の人は市場へ持っていくのだが、投げ捨てたいくらいだから売れるわけがない。田舎でのバナナの地位はこんなものである。 町では結構でかいつらしているのは、アパートやマンションではバナナを植えられないからである。 バナナは一年草。実をつけた幹は枯れるが、別の株が竹の子のように次々に出てくる。「バナナを切るなら根っこも掘れ、父を殺すなら息子も殺せ」という言葉がある。日本ならさしずめ「竹を切るなら竹の子も食べろ」であろうか(ちょっと違うかな)。ついでに「楽勝」このことを「バナナを剥いてたべるよりかんた」という。 葉は食べ物を包むのに昔から用いられてきた。むろん食器にもなる。使い捨てが出来、環境に優しい、採っても採ってもまたすぐに生えてくる最高の素材である。 花は煮て食べたり、麺類に添えて生食する。少しエグミがある。幹は刻んで豚の餌にする。芯の白い部分は汁にして食べられる。外皮からは紐が出来る。 バナナの食べ方色々 焼きバナナ バナナは焼くと甘味がぐんと増す。熟したやつは皮のまま網の上に乗せるだけでいい。固めのやつは圧して平たくする。輪切りにしてくしに刺したものがある。 バナナのフライ 衣をつけて油で揚げたバナナはよいおやつである。芋のフライを思い浮かべていただければよい。実際、芋のフライも一緒に売られている。日本だと惣菜だけれど、タイでは菓子感覚で食べられている。これがバナナを調理したものの中で一番人気。至る所に屋台が出ている。タイのファーストフードといったところだ。 クロエ・チャープ 薄くスライスして揚げて砂糖をまぶす。バナナチップスである。大量生産物に多いのだけれど、これは輪きりにしてはいけない。縦方向に切るものである。 干しバナナ 干して蒸したバナナ。保存が効くので土産物屋でよく売られている。 クエロ・プアチー バナナをココナッツミルクと砂糖で煮込んだデザート。
May 13, 2004
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団体旅行は日本人の行動様式かと思えば、そうでもないようで、タイ人はもっと徹底して一人旅をしない。どこへ行くにも一塊の団子状態である。まず個人旅行者を見かけることはない。 「一人首飛び、二人道ずれ、三人へたどり着く」こういうことわざがある。一人旅は殺してくれといっているようなもの。二人だと死ぬにも友がいて心強い。三人でようやく無事に帰宅できる。という意味である。 そのとおりだと思う。タイでの個人行動は本当に危ない。観光で短期間の滞在しかしない人たちにはわかりづらい、住むほどに感じる怖さである。事情が知れるにつれ、無理はないと思うようになる。 タイの新聞を読めば、いや、読めなくても、毎日一面を飾る、蛮刀で切り刻まれたり、拳銃で穴をあけられたりした赤いカラー写真を見れば納得するはずである。ネタに困らないので犯罪雑誌が発行されているほどなのだ。物取り、怨恨、利権争い、動機がどのようなものだあれ、被害者は一人の時を狙われる。要するに数は力であり、安心、安全を意味するのである。 身の危険にかかわることばかりとは限らない。酒を飲むにしろ、ご飯を食べるにしろ、タイのひとたちはとに書く群れをなすのが好きである。 こういうのを見るとやはり稲作社会と結び付けて考えたくなる。日本も個人より衆に頼むことが多いけれど、集団で稲作を続けてきた地域の伝統なのだろうか。 ただ、タイのグループや集団は、日本のように強固ではなく、とりあえず進む方向が同じだから集まった、いつ壊れるかもしれない、タイ米で作ったおにぎり程度のごく緩やかな結びつきである。 タイ人は血縁者との絆をウェットに保ち、わりに大切にする。これは、必要上、あるいは本能的になんとなく寄り集まってグループを作るのだけれど、それが一過性のものであることを知っているので、結局、信じられるのは親族、という思いが根底にあるのかもしれない。
May 12, 2004
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年末から新年にかけて寒い時期になると(チェンライは最低気温が3℃まで下がったことがある)、季節の話題というわけで、犬の記事が紙面を飾る。「今年もまた懲りずに犬の肉をうりはじめた」という内容である。 韓国、中国、タイは犬の肉を食べる。喫犬文化圏である。タイの場合は一般的な習慣ではなく、北部、東北部の庶民、とりわけ底辺の人たちの間で偏愛されている。でも西洋からのお節介もあって、全体的には喫犬を嫌悪し、野蛮、文化的ではないとする意見に傾きつつある。 北部のナーン県では未だ犬を骨まで愛してしまう頑固な人が多いらしく、季節には犬の首を掲げた犬肉屋がこっそり(でもないか)店を広げる。羊頭狗肉でなく狗頭狗肉である。首は肉が本物であることを証明するディスプレイーなのだけれど、犬肉のまがい物には何を使うのだろう。う~~~気になる。 寒期に好んで食べられるのは、犬の肉が体を温め、精が付くからだそうだ。「精力」という言葉を聞いたとたん、すかさず耳がピクリと動き、正常でいられなくなるのは中年男悲しい性である。この頃、地盤沈下が気になりだしたおじさんたちは、期待を胸に犬の肉を買い求め、家路を急ぐ。 犬鍋を突き、この後のことを想像しながら焼酎を呷るのは、たまらなく愉快なことに違いない。うっしっし、にやけるおじさんの姿が目に浮かぶようである。 北部には多くの山岳民族が山で暮らしているのだが、彼らもまた犬には目がない。以前、ある村に山岳民族が山を下りてきて、拙いタイ語で、「要らない犬がいたら売ってくれ」と各家の戸を叩いて回った。彼らが村に来たときぬら中の犬が吼えた。 喜んでいいのか、悲しんでいいのか、家の赤犬は鶏4羽の値をつけられた。彼らは現金の持ち合わせがないので、腰にぶら下げた鶏や豚の子を犬と交換するのだ。鶏4羽はかなり高値らしい。犬は薬効が高い黒犬がよしとされる。ついで赤い犬である。 聞くところによれば、彼らの秘薬は黒犬の陰茎を浸けたとうもろこしの焼酎だそうだ。鼻血が出てとまらなくなるほどの爆発的効果があるらしい。 最近はトンと姿を現さなくなってしまった。 ナーンの狗頭狗肉屋は注文に応じきれず、売り切れ店仕舞いの毎日だそうだ。肉は週に一度、トラックで数百キロ離れたナコンサワンまで買い付けに行く。ここは中国人の多い町なのだけれど、食用県でも養殖しているのだろうか。 タイの犬好きには二種類ある。「可愛い犬だね」と、頭を撫でるものの目つきと口元をよく観察しなければならない。うかつに知らないおじさんに付いて行かないよう、愛犬にもしっかり教えておく必要がある。 (プーケットで誘拐、殺犬、喫食事件が起きた。東北から出稼ぎ労働者が、道路を駆け回る近所のテリアを見てどうにも湧き出るつばを押さえることができず、捕まえてトムヤムスープにしてしまったのだ。それを肴に上機嫌で焼酎をひっかけていたところ、通報を受けてやってきた警察に、動物虐待のかどで逮捕された。)らいし。
May 11, 2004
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うんざりする熱暑の中を歩いているときに、町を流している、バイクに屋台を連結した移動式のアイスクリーム屋が通りかかったりすると、子供でなくても呼び止めたくなる。 このアイスクリーム屋にはお馴染みのコーン、カップとともに食パンやハンバーガー用のパンが並べられている。はじめて見る人は首を傾けるに違いない。 試しに食パンを指差すと、おじさんは食パンを一枚手に取り、アイスクリームを二、三個すくってのせ、ココナッツミルクを染みこませたもち米を一塊落とす。そしてピーナッツでトッピングし、コンデンスミルクをかけた後、上にもう一枚パンを乗せて手渡してくれる。タイではアイスクリームをパンに挟んで食べるものなのだ。嘘みたい!! 大口を開けてかぶりつくと、西洋とタイをミキサーにかけてかき回したような味がする。悪くはないけれど、そのうちパンを食べているのかもち米を食べているのかわからなくなるのが欠点だ。 ラーマ4世(1851-1868)の頃、バンコク~シンガポール間に汽船が就航した。 貿易船がバンコクの港に入ると、荷主は王様に珍しいものを献上するのが習いだった。 あるときオガクズに埋もれた氷が宮殿に届けられた。これがタイ初めての氷だそうだ。 王様は家臣に氷を分け与えた。そのまた分け前に預かった子供たちはかけらを口に含んで楽しんだらしいが、大人たちは歯が痛くなるとぼやき、不評だった。お年寄り連中は氷が水であることを頑なに信じようとせず、「誰が水を固めて塊にできるものか」と囁きあったらしい。 製氷工場ができたのは5世(1868-1910)の時代である。当時はパンに氷をのせ、シロップをかけておやつ代わりに食べたともいう。なかなか過激なことをするものだ。氷が溶けてパンに穴を開けたりしなかったのだろうか。気になるところである。 今でもパンにアイスクリームを挟んで食べるのはその頃の名残りかもしれない。 昔のタイのことわざに「水をこねて形にするな」というのがあったそうだ。不可能なことをするな、自然に逆らうな、意味である。氷が入ってきたばかりの時代、大人がこういって諌めると、黙って氷を差し出した嫌味な子供もいたとか。 (タイの氷。製法上の理由であろう、円柱状で、縦に穴が通っている。)
May 10, 2004
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チェンマイ警察とチェンマイ交通警察は、4月1日よりナンバープレートの付いていない排気量50cc以下のスクーター・小型バイク、を違法な車両として厳重に取り締まって逮捕すると発表した。 今までは、それらのスクーターバイクなどは税金不払いで、ナンバープレートもなしで運転しても長年にわたり見逃されてきた。しかし、今後は税金逃れの法律違反として運転者はもちろん販売店も逮捕することになった。逮捕者には車両価格の4倍の罰金か最高5年の禁固刑が課せられることになった。 3月8日、ランパーン県当局は、県内の9郡で早魃の影響が深刻化していると発表した。それらの郡では住民が飲料水にも不足をきたしており、県が給水車で飲料水を配給している。また、この早魃による農作物への被害も深刻になってきており、今後も早魃の被害は増加すると考えられている。 このような早魃の被害が出るようになった最大の原因は、山や森林での不法な伐採が続いていることによる。このような山や森林の破壊が続けば、ランパーン県の乾季の水不足はさらに進行して、あと5年で砂丘化する懸念も出てきている。
May 9, 2004
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今のなっては、珍しいものではないが、チェンマイにもやと2003年9月にオープンした。 世の中には理由もなく挑戦してみたいことがある。その1つにバンジージャンプがある。一億円つまれても飛ばない人もいれば、自分からお金を払って飛ぶ人もいる。度胸試しだ。そんな恐怖以上のスリルを味わいたい人に今回のスポットを紹介。 北部で唯一、宙を飛べるところがメーリムにある。2003年9月にオープンした”JUNGLE BUNJY JANP”だ。ここには背の高いクレーン車のようなものがあり、その上から下の池に向かって飛び降りるようになっている。その高さ50メートル。それが高いか高くないかは、上に昇った人のみぞ知るだ。 上へは簡易エレベーターのようなものでカタカタと昇っていくが、柵だけなので高所恐怖症の人はその場から動けなくなる。もっともそんな人は最初から飛ぼうとは思わないだろうが。しかし、喜び勇んで飛ぼうと思っている人にも、足元から恐怖がジワジワと襲ってくる。何しろ柵があるといっても上も下も横もすべて隙間だらけで周りが丸見えだ。 地上から50メートル上がると、周りの山や田園が目の前に広がり、吸い込まれるように美しい。美しいか、正直景色を楽しむ余裕はない。足に命綱がついているとはいえども、立つのがやっと。それを柵が開いている隅まで歩いていき、そこから自分の体を投げ出すといったら尋常ではない。 一人、中近東のガッチリ体系の青年が上がっていったが、10分ぐらい上でウロウロして、結局飛ばずに下に降りてしまった。下にいた彼女に「弱虫!それでも男なの!」と罵られて可哀想」なのなんのって。 もちろん飛ばなくてもお金は払わないといけない。しかし、もったいないという気持ち以上に、お金を捨ててもいいから飛ばないほうがましと思うのは、上に昇った人にしかわからない。 下から見る以上にその恐怖は想像を超える。一生に一度の大イベントなのか、変わったことをする人がいる。店には記念写真がずらりと並んでいるが、目だったのが裸で飛ぶ人。それも一人や二人ではない。アルバムになるくらいの人が裸で飛んでいる「なんでこうなるの?」と理解しがたいが、それも飛んだ人のみぞ知る。 そうそう、歌手のパフィーもここで飛んだそうだ(もちろん服は着ている)。 ここのいいところは、飛んでいるところを全部写真に撮って、フィルムごとくれるこ。チェンマイの忘れられない記念になること間違いなしだ。 ちなみに、例の中近東の彼は、また上に昇り、意を決して飛んだのだ。降りてきた彼のなんと晴れやかな顔!きっと一度飛べば病みつきないなるだろう。まずはともあれ一度飛んでみては?! 料金:一回1000バーツ(約3000円)証明書つき Tシャツと写真(24枚フィルム)1400バーツ 送迎:一人100バーツ(二人でもよい235KgまでOK)
May 8, 2004
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日本では考えられないかもしれないけれど、町の小学校の退け時は、校庭の一角にお菓子の屋台がずらり並び、お祭りのようである。 手にしっかり硬貨を握り締めて群がっている子供たちの、テープを早回ししたような黄色い声のざわめきに加え、わけのわからぬ奇声が飛び交い、にぎやかなことといったらない。しばらく立っているだけで頭がくらくらしてくる。 それにしてもこの豊かさどうだろう。たとえばチェンライの学校だけれど、揚げ団子、中華まん、イか焼き、スルメ、アイスクリーム、果物の塩漬け、バナナのフライ、東北ソーセージ、甘いコメ菓子、子供用の小さな焼き飯、焼きそばなどの屋台がしのぎを削っている。一つだけ選ぶのがつらそうだ。 ヤム・ウンセン(春雨の和え物。有名なタイ料理の一つ)まであって、子供たちはそれを指でつまんで高く持ち上げ、あんぐり開けた口に落とし込んでいる。惣菜をお菓子にして無節操な感覚が面白い。 フライドチキンは最近の流行だ。ただしKFCじゃなくてCFCとある。チェンライ・フライドチキンなのだ。KGBなんてスパイ組織が経営しているような名もあるが、何の略かは当の屋台の人にもわからない。 飲み物だってコーラやファンタばかりではない。搾りたてのオレンジジュース、割りたてヤシの実、着色したてのケバイ色付ジュース。 これらはたいていビニール袋か紙コップを使うのだが、中には竹筒にカキ氷をぶち込み、竜眼やレイシのジュースを注いでくれる店もある。 スーパーの中で、かごを手にぶら下げたお母さんが、まだ代金も払わないうちから、子供にジュースや菓子を飲み食いさせている光景を時々見かける。「見っともないから止めなさい」とか、お父さんが言うのだけれど、「どうせお金払うのだから同じじゃない」と、お母さんは大胆である。
May 7, 2004
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政府の社会貧困層問題解決プロジェクトで、全国各県で貧困者登録を受け付けて2月27日に締め切った。期間中、チェンマイ県では、25万6千人余りが登録した。チェンマイ県当局は、その結果から県内では12万を超える世帯の約40万人が、年間収入2万バーツ以下であると発表した。貧困者登録をもとに、今年度はまず2万4千世帯に援助をする計画であるとも発表した。 保健省の発表ではタイ国内の推定結核患者は約7万人と出ており、北タイでは病院などで判明した結核患者は3千5百人であるが、統計に出ていない患者も3千人近くいると推定されている。また、結核患者の約3分の1はHIV感染患者と考えられている。結核は伝染するので、今後は結核患者が増加すると懸念されている。
May 6, 2004
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タイ料理は辛い。旅行者用に手加減されていない田舎の日常料理を日本人が食べれば、百人中九十九人くらいは口から火を噴きながら外へ飛び出し駆け回る。なかなか楽しい料理である。 だけど世の中広いもので、残りの一人は、唐辛子の中で最強の辛さを誇るプリック・キーヌー(ねづみのうんち唐辛子)を、「ほう、ほう、これはなかな辛いね」とかいいながら、平然と口に放り込む。恐ろしい。 タイに唐辛子が入ってきたのが十六世紀から十七世紀頃にかけてではないかと推測されている。ナムプリック・カピという、カピ(エビを発酵させたペースト)と唐辛子を使った舐め味噌に関する記述がその頃の文献に見られるらしい。ナムプリックは今でも代表的な家庭料理である。唐辛子が実際にいつ頃から栽培され始めたのかははっきりしない。 どうしてタイ料理はこんなに辛いのだろう。いろいろ説がある。一般に言われているのは、暑いから唐辛子で食欲を刺激する、というものである。しかし食欲を増進させるだけなら何もこんなに辛くしなくてもよいではないか。物には限度がある。それとも当初はそれほど辛くなかったのが、並みの辛味では飽き足らなくなり、「もっと、刺激を」というわけでここまで辛くなったのだろうか。 田舎の人たちときたら、ご飯のおかずに唐辛子をそのままぼりぼりかじるのだから、これ以上の辛さはもう自然界に存在しない。究極の辛さを極めてしまったのだ。 唐辛子の辛味は神経を刺激し、皮膚への血流量が増えて熱が放出されるため、幾分体温が下がる。だから熱帯で唐辛子がよく食べられる。という、唐辛子熱放出説もあるのだけれども、こんな食べ方をしたら体温が下がりすぎてしまうのではないかと心配してしまう。
May 5, 2004
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安くてうまい食堂 クルア・ヤー(タイ料理)TEL:(053)811-235営業時間:9ー14:00(土休み)オススメ理由:友達の家の庭で食べているような暖かい雰囲気がる。料理の飾り付けがきれいだ。日替わりメニューやパッタイ(40B)、激辛の南部カレー、ゲーンタイ・プラー(35B)、デザートもオススメ。上品な量。 プーケット・ラーイクラーム(タイ料理)TEL:(053)278-909営業時間:8:30-14;00 16:30-20:30(毎月12,13、27,28日定休)オススメ理由;南部出身のオーナーがしているだけあって、ゲーンタイ・プラーやゲーン・ルアンといった激辛でコクのあるカレーや南部名物のカオ・ヤム(ハーブご飯/25B)などが食べられる。エビ入りパッタイ(30B)やオレンジジュース(15B)も見逃せない。 クルア・ゲーン・ジャイ(イーサン料理)TEL(053)221-265営業時間:11-21:00(第3日・休み)オススメ理由:本場イーサン料理が食べられる。セーブ(辛くて美味しい)料理が沢山あり、季節によって蟻の卵入りスープなど郷土料理が食べられる。ソムタム(20B)、ラープ(ミンチサラダ30B)、スープ(40B) サイグローク・イーサン(ソーセージ/30B)は食べる価値あり。 チョー・ポチャナー (らーめん)TEL(053)213-076営業時間:7:00-15:00オススメ理由:手作りチャーシュー(ムー・デーン)やカリカリ豚(ムーグローブ)が脂っこくなく、香ばしい。チャーシューはラーメンにしてもいいし、ご飯と一緒に食べてもいい。ワンタン入りラーメンもオススメだ。ここの手作りシューマイは、クワイが入ってて絶品(少し甘め)。 名前は忘れましたごめんなさい。選んだ具の中から好みのものいくつか選び氷を細かくしたものの中にいれシロップをかけたもの屋台のデザート。 私のお気に入りです。
May 4, 2004
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3月17日チェンマイ警察は、チェンマイ県メーアイ出身の30歳と40歳の兄弟二人を売春斡旋容疑で逮捕した。チェンマイ市内のポンピンタワー・ホテルとダイヤモンドホテルのロビーで待ち合わせをしていたら、容疑者が二人の女子大生連れてやってきた、一回あたりの売春料を受け取った時点で、警察は斡旋人の男二人と女子大生二人を逮捕して警察に連行した。翌18日容疑者の親戚が保釈金20万バーツ(約60万円)支払ってきたので身柄を釈放したが、起訴して裁判所に送られることになる。 保釈金結構なお値段ですこと。いままでに沢山儲けてる模様です。もっと厳しくしないとダメ、日本のおじ様方も気をつけたほうがよいようですよ、今は売春も大変厳しくなっていますからね。
May 3, 2004
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