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アニメーション映画「この世界の片隅に」原作 こうの史代 全3巻 2008年発行クラウドファンディングで長編アニメ映画制作2016年11月 監督 片淵須直こうの史代さんは広島ではかなり有名な漫画家。以前も「夕凪の街 桜の国」(2004年作品)で映画化された。これも原爆投下後の広島市が舞台だったのだ。麻生久美子さん、田中麗奈さん主演だった。アニメーションはあまり観ないけど、今話題の映画であるのと、舞台が広島市と呉市ということで見逃すわけには行かなかった。私は伯母が呉市に住んでいて小学校卒業までの夏休みは1カ月くらい伯母のうちにいたので呉市は詳しいが、この作品は、やはり広島、呉出身の人でなければわからない描写が多くて、私にとってはとても懐かしくてとても寂しい作品だった。呉市はデルタの広島市とは全く異なる地形で、山、崖が迫り、その斜面に人々は暮らしていることが多い。今だに階段しか手段のない住居もあり、長崎のような坂道の迫り方だ。JRで広島駅から呉線でコトコト1時間、今や過疎化している呉市から広島市に昔から当たり前に通勤、通学している。私の親友も呉市出身で彼女の実家は地域医療を何代も続けている。少し時代は後になるが、伯母も街中ではあるが急な坂道を10分登ったところに伯父と住んでいた。伯母は女学校時代に原爆投下で被爆、ずっと後遺症で苦しんだが、幸いに呉市で海軍工廠(すずの舅が勤めていた)技師だった遠縁にあたる伯父と結婚した。子供はなかったので、初めての姪にあたる私は伯父伯母に可愛がってもらった。すずの嫁ぎ先の長ノ木町は、呉駅や呉港から小さななコミュニティ長ノ木循環バスが出ていて、伯母のうちに行く時は島から船で。循環バスを呉港から利用した。長ノ木町は港のそばではないので、空襲に合う段々畑あたりは違う地域だとは思う。軍港が見える位置ではなかったはずだ。軍港の見えるあたりは青山町、国立病院が小高い丘に建っている。伯母はここのホスピスで72歳、この世を終えた。呉市は海軍の軍港として有名なので空襲があったのは聞いたことがある。だからまさか広島市内に原爆投下は驚きで、もしかして呉市と間違えたかと思われたそうだが。あの軍艦大和は呉市の海軍工廠で作られた。伯父は若かりし時代この大和を作っていたひとりだった。私の祖父は対岸の島から山のような軍艦大和の姿を見に行き、内心「こんなに目立つ軍艦は無駄だ」と感じたと言っていた。海軍の水兵さんたちのユニフォームは、今の海上自衛隊術科学校下級海士のユニフォームとあまり変わらない。懐かしさいっぱい。日本全国から海軍兵学校に進学してきている10代の若者が帰ることのない戦闘機に乗る時には、祖母は島の婦人会で千人針を作って贈ったと言っていたが、あどけない兵隊さんの心には郷里の母の顔があるから、一番の贈り物になっただろう。連絡を受けて遠くから息子にお別れを言いにくる家族のために島の民家は当時から間借りを営業して、精一杯の小魚と畑の野菜を出してあげた。最後に晩餐を。兵学校に進学して亡くなるのは、こういうことだった。 今も島では、防衛大を出たばかりの海上自衛隊幹部候補の全寮生活の息抜きの場所として、間借りをしている民家がある。うちの島の家も貸してもらえないかと聞かれたこともある。描かれた人物の姿形を誰も見落とすことのないように必死で観ているうちに、亡き伯父伯母の人生とシンクロし、かなり辛くなった。私の子供時代も、海軍兵学校資料館に出入りし、その建築物を写生大会として目一杯描いたものだ。絵が好きな私は大賞をもらい、その絵は今だに実家の壁に。笑すずの実家は広島でも私の家とは方向が別で、海岸に向けて伸び、漁業を生業としている地域だ。あの時代でも食べ物にはさほど苦労した地域ではないだろうが、嫁ぎ先は大変。呉市から海岸沿いに行けば、風光明媚な島の香りの音戸の瀬戸がある。まだまだ書ききれない思い出があるが、またの機会に。追記すずの夫は、遊郭のりんさんと恋仲であったそうな。そうなれば、すずの胸中も、もっと違う形で描かれてもよいかも。どの時代にも、なんだかねー、ヤンパさん。笑
2017.01.31
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若い頃からひどい肩凝りと頭痛に悩む私は、東京に住む間、近場の温泉巡りは続けるつもりでいる。しかし今年初めての温泉場は、台湾*北投温泉だった。国内旅行は、馴染みの湯河原温泉から始めた。宿探しも面倒なので、いつも予約している宿で。昨年も湯河原温泉に4回行っていた。今年も便利良い湯河原温泉には行くつもり。昨年からハッピーフライデーで、会社を堂々と4時に退社できるパパは、会社のある駅から東海道線に飛び乗れるので、東海道線駅の湯河原、熱海、その先の伊東は、私の温泉地の候補になりやすい。でも私は時間に関係ないからね、3時には宿に入って、お先にお湯に。カモに癒され。この河原にはいろいろな鳥がやってくる。六月には蛍も普通に飛んでいる。食事に癒され。ただお湯に入ってごちそう食べて。うちに帰る途中、うちの周りの地元民に愛されているコの字カウンターだけの居酒屋風鰻屋でランチ。いつも店の外まで並んでいて、やたら老夫婦のお客さんが多い店。カウンターみな常連さんばかり。そして店主も店員もみな高齢者だ。笑鰻丼、柔らかで美味しい。1300円也!夕飯は、サンドイッチでもいいかー。笑
2017.01.29
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11月階段から落ちて頭を打って以来現在リハビリ病院入院中の84歳の父は、発熱した後だんだん覇気が失せて、リハビリに対する意欲がナッシング。介助あれば、ベッドから降りてトイレに行けるのだが、関節が硬くて、ヨチヨチ歩きに退化した。一番の問題は、骨折による首回りのギブスが取れたのに、嚥下障害が改善されず、むしろ悪化して、今、胃ろうにしたらどうかと医師から言われている。脳梗塞とかで寝たきりなら延命治療だと言われるところなんだけど、視覚障害はあるが誰とも普通に会話して、右手は麻痺しているが左手は特に問題なし。尿意もあり、ヨチヨチながらでも歩けて、病人ながら人間の生活上プライドレベルはキープしているものの、最近夜に鼻に入れた栄養剤用チューブを無意識に自分で抜いてしまい、困っている。これも認知症の1つかもしれない 。そのため、付き添う人がいない時や寝る時にグローブを付ける羽目になったのだが、それが煩わしく嫌でやたら怒鳴り始めて、付き添う母もワガママな父に 嫌気がさしてきた。毎日父の病院に通う母も癌患者だからね。で、胃ろうの相談を父に伝えなくてはならなくなり、母は自分から言いたくないから私に言ってと言い、妹は姉の私が言ってと言う。仕方なく長女の私が機嫌の悪い猫に鈴を付ける役目になるが、損な役回りだ。で、次に今のリハビリ病院を規則で退出しなくてはならなくて、胃ろうにした場合の受け入れ先を打診しているが、なかなか受け入れ先施設がない。たん吸引も発生してきて、24時間医療行為があるけど、寝たきり老人病院ではない老人施設はなかなか地方には見当たらないのだ。唯一あっても、ひと月50万円以上支払いなんて普通の人々なのでかなり無理ポイ。私は今、東京に戻ってしまったので、パソコンでいろいろ調べては、妹に相談中。妹はケアマネに相談しながら父の行き先を探す。以前より高齢者には優しくなった社会ではあるが、やはりハンディのあるものには、なおも生きていくことが困難だ。月に二回帰省しているが、父にも母にもいろんな問題が出始めたので、なんらか決着着くまで私だけ地元に帰ろうかと悩み中。ただ私も月二回通院中の眼科は東京でかかりたいのだ。父の行き先も私の行き先も、あちこち迷走しながら過ごす日々。父がこうなる前、昨年の初秋までに予約した今年の旅の予定を淡々と消化中。笑春からの旅の予定はこんな調子で入れられず。目一杯帰省交通費になりました。
2017.01.27
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東京で家を買う うちは無理なので、仕事を終えたら帰郷して30年ローンを払い終えた古い我が家へ帰ろう。 今の東京は分譲マンション賃貸入居。築15年のマンションの一階が売りに出ていたが、やや日当たりの悪い3LDK5980万円。頭金1千万円出してもサラリーマンには辛いローン人生、うちなら一生払い終わらず、生命保険で帳消しになりそうだ。東京に暮らす人々は皆さん本当にえらいなと思う。リスペクト! しかし、私のいるボランティアグループで学習していた新婚中国人夫婦、三年前に上海から来日、日本企業にご主人が勤めていたが第一子を出産するにあたり、昨年末、東京都内に家を買った。 今住む地域は高い物件ばかりだから、少し北にあった地区の中古一軒家を購入したらしい。来月引越しで、買った家には家族で一生住む予定らしい。だって、断然空気がキレイじゃないか!笑 やはり手続きなどで5000万円はかかったよね。 全額キャッシュで買ったのか、ローンが借りられたのか分からないが、日本も案外、普通に外国人が不動産を買えることが分かった。 しばらくしたら、親や親族を呼び寄せるのかもしれない。親がカンパしたのならありうるよね。 奥さんはN1日本語検定に先日晴れて合格したが、今は無職でご懐妊中、おまけに最近英語はできても日本語ができないご主人も日本企業を退職し、今はプーで、近いうち起業を考えているらしい。 私は日本滞在ビザに詳しくないけど、結構こうやってなんやかやくぐり抜けて日本に定住していくものなんだな。 「日本人は狭い家で大変ですねー!」と来日すぐに言っていた中国人妻も、こうして日本人の生活に馴染んでいくのか。ハハハ。
2017.01.26
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昼食は、泊まっていたホテルのレストランで。ここは美味しいと評判の香港料理。昼には飲茶が食べられて、いつも台湾のみなさんで賑わうレストラン。国賓大飯店 粤菜庁インテリアが可愛い。ホテルからタクシーで台北駅バスターミナルへ。桃園空港まで直行バスに乗り、50分くらい。空港で少しゆっくりして、夕方のチャイナエアラインで成田空港まで。四日間楽しく過ごして帰国した。チャイナエアライン、エコノミー席でも機内食も普通に美味しく食べらる。映画も一本は観られるから、2〜3時間のフライトは苦にならない。台湾、まだまだ行きたいところがある。次回はいつにしよう。台北は若い人々で賑わっているが、台湾の地方はのんびりながらも中高年が頑張っている。あちこち観て回りたい気持ちにさせられる。特別旅先にこだわらない夫も毎年沖縄より毎年台湾にしても良いと言い出す魅力。台北の旅日記 終了。最後まで読んで頂きありがとうございました。
2017.01.19
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台北、四日目最終日7時に朝食を取った足で、双蓮駅そばの朝市へ。昨日夜適当なごはんだったので、お腹いっぱい朝食を食べた。ホテルより、徒歩五分の朝市は開始が8時以降のようで8時前に行くと、まだ準備中。台北は、夜市が有名だけど、ここは、主婦の台所、朝8時から午前中で朝市は終わるらしい。果物は、シーズンオフなのか、あまり美味しそうに見えなかった。六月のマンゴーが恋しくなる。文昌宮子供の学問の成就を祈る母親たちが足繁く通う。みなさん、丁寧に丁寧にお祈りしていく。駅そばに、コイン式レンタル自転車があり、MRTでやってきて、買い物する人々には便利そう。ホテルまで周りを散歩して帰る。卓球福原愛ちゃんが、ジャン君と結婚式をしたホテルもそばにある。リージェントホテルさて、帰国パッキングして、台北最後の昼食へ。
2017.01.18
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台北、やはりパワースポット龍山寺には行っておきたい。 北投から台北駅そばの新光三越にて再びランチは、 前回パパがフードコートで食べたかった鉄板焼き(日本料理)を食べた。 ホント、いつも肉が食べたいというパパ。 そして龍山寺へ。 MRT龍山寺、下車3分。 たくさんのお供え物。 その後、そばの商店街に向かうと、すごい人。 旧正月準備かな。日曜なので特に賑わうのか。 あと、近くのアーケードを歩いたら、やたら足裏マッサージ店が並んでいる。 呼び込みされるが、ホテルの近くですることに決めていたので、スルー。 しかし、ちょっと怪しいマッサージ店をたくさん目撃。笑 マッサージのお客は全員おじさん、椅子に足を出して座り、マッサージしているのは、金髪に染めた白いミニスカートに胸元が大きく開いたTシャツのお姉さん。パンツ見えるだろうし、パッツンに小さいシャツ。お色気作戦マッサージ屋の多いこと!マッサージが上手そうに見えないよね。ガラス張りの店内は、そんな風景。 夜に繁盛する模様。夜市がそばにあるからね。 興味ある方は夜に龍山寺へ。笑 お昼ごはんを2時頃食べたので、夜になってもお腹が空かず。結局、コンビニでサンドイッチやおにぎりで済ます。パパは台湾カップラーメンも。もちろん台湾ビールも。 あ、ホテル内のケーキ屋さんでテイクアウト。 プリンセスたちは。別腹よね、はんらさん。 二個360元、一個600円とは、台湾ではかなり高価なケーキだ。 夜にホテルの近くにあるフットマッサージに出かけ、ツボ押しで疲れを取る。太い足をありがとうございました。 三日目が終わり、明日は最終日。
2017.01.17
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ミコの湯治場海外編 台北三日目、次の旅の目的地、台湾の湯治場、北投(ペイトウ)、 地下鉄で30分30元で行ける、超近場の温泉地。 淡水ラインで「北投」駅で「新北投」行きへ。 このゆる〜いスピードの電車で3分、もういきなり温泉地に着く。 いや、こんなに街に近い場所に、草津温泉のようなムードが味わえるのは、サイコー! 駅からゆるい坂道を散策すると、10分くらいで到着。 地熱谷。 せっかく温泉地に来たのだから、もちろん日帰り温泉にトライ。 公営露天風呂には、若いバックパッカーが行列になっていたので、中高年夫婦は、少しお金を出して、 温泉ホテル大浴場日帰り入浴へ行ったよ。 フロントの若い女性は英語オンリーながら、大浴場の受付係の70歳前くらいの女性は、日本語ペラペラでいろいろ聞かれて安心。 土日ひとり600元(JCBカード割引にて) 写真はホームページより。 男性二階、女性三階、女性のほうが少し広いようだ。 泉質は最良、お肌すべすべ。 お湯の温度は日本人にはぬるめだが、高温43度の湯船があり、じっくり一人で入浴。 更衣室も清潔、タオル大小付いているから、手ぶらでOK。 ランチ付きプランもあったけど、ランチはまた台北市内で食べることにした。 このスパホテルは、宿泊部屋には温泉個室風呂があり、泊まるのもいいかもしれない。 この北投温泉には、日本の北陸、加賀屋旅館が進出していて、和服姿の女性が日本のおもてなしを実践中だった。北陸の加賀屋旅館に宿泊したことはないが、北投は一泊一部屋5〜7万円の設定になっていて、日帰り入浴もひとり5千円くらいだった。やはり、日本のおもてなしは上質だが高価だ。笑 さて、駅前にあるマクドナルドで喉を潤して、戻ろう。
2017.01.16
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花蓮から列車で台北駅に戻って、夕食は、簡単に、駅前にある新光三越のフードコートで。小さいながら、さっさと食べられる夕飯に見合うものが並んでいて、台湾の方々のひとり飯に貢献していた。台北駅地下街を通るが広すぎて、地上に出なければ、場所を把握できない。三越フードコート内。「正香」という台湾庶民料理の店。定食180元とか、650円くらい。私は麺を。どのメニューにも、青菜お浸し。おやつにエッグタルトを買って帰った。二個100元。さあ、ホテルへ、地下鉄で、二駅目20元、70円くらい。台北駅ホテル近くでタピオカミルクティーも持ち帰り。台北、安くお店があちこちあり、どこでも飲める。笑
2017.01.15
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台湾には移民してきた中国人漢民族より随分前から居住する民族が16あるそうだ。(台湾では原住民族と呼称する)台湾人口の2〜3パーセントが原住民族で、国で守られているので、教育費や年金、預金利率まで優遇されていて、政治参加も原住民族の比率を高く設定されているらしい。その原住民族居住地域に太魯閣がある。高山族という。花蓮県に9万人。さて、原住民族居住地域は保護されていて、太魯閣に、原住民族だけで運営している宿泊施設リーダーヴィレッジ太魯閣(立徳布洛湾山月)がある。昼食はそこで太魯閣原住民族の料理をいただいた。木彫りなど手作りに秀でている原住民族の皆さんの作品が店内に展示がある。宿泊施設はバンガロー。泊まってみたい!!夜は屋外広場で舞踏などの催しがあるらしい。昔、結婚したら、顔に刺青を入れていたらしいが、今は現実難しい。原住民族の料理をいただいた。竹筒の中はもち米。右端上は豚の皮の料理(お祝い時出されていた)メインは鯛を焼いたものとエリンギ。台湾で一番美味しかったのは、焼きサツマイモ。かぼちゃ色の甘い味がとても美味しい。持って帰りたかった。庭に梅の花が咲いていた。太魯閣観光は終わり、大理石や石で有名な花蓮で出土する宝石を扱うお店に寄るが買う気もなく時間をつぶし、3時に花蓮駅に着いた。台北駅行きの列車が発車するまで、ガイドさんは手を振って見送ってくれた。台湾、また来てみたいと思わせるのは、やはり人々の心の力だな。一緒に回った四人組は、60代の夫婦とその親戚二人だったが、今話題の民泊をしているらしい。四人で2DKのマンションで4泊、かなり安く上がると言っていた。ただキッチンは使ってはいけないらしいが、台湾の庶民の外食は、餃子5元(18円くらい)からあるから大丈夫だ。
2017.01.14
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さて、マイクロバスで走って30分、行きたかった場所に到着!タロコ峡谷。(太魯閣国立公園)漢字名は日本統治時代に日本人が当て字として付けたもの。発音はtarukoらしい。花蓮市山間部 南北38キロメートル、東西41キロメートル、大理石を侵食してできた景観で、岩壁断崖、まっすぐな滝が見事。未だに落石がひどく、安全のためにヘルメット着用するが、もし岩が落ちてきたら、何の役目もしないよね。実際に観光客がたくさん岩に当たり死亡しているらしい。こんな大自然の前で、ホント、ちっぽけな人間だよね。洪水の多い台湾は、頻繁に橋が決壊する。渡りません。渡れません。笑歩いて観光して2時間あまり、そしてお昼ごはんを食べに行く。
2017.01.13
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台北、二日目。今回の旅の目的のひとつ。日帰り、花蓮。日本で12月に現地ツアーを申し込んでいた。列車のチケットも手配してくれるから楽ちん。(卓球の愛ちゃんは、ジャン君が購入した台南市のマンションに台湾では住むことになりそうですね。ジャン君は新竹出身とあります。ジャン君は銀行マン、転勤とかありそうだけど。)台湾鉄道、台北駅から台東行き 朝8時発。自強号(特急)440元台湾の東側マウンテンラインとあるも、海岸を走ったり山中に入ったりと、景観は変わっていく。花蓮駅までおよそ2時間。運行時間は日本同様に正確。車内もとても綺麗に清掃済み。快適な旅。花蓮駅ホームでは、日本語流暢なガイド女性が待っていてくれた。同じツアーメンバーは、四人組家族と我が家の二人の六人で、観光もスムーズに行きそう。マイクロバスでさあ、出発!!
2017.01.12
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ネットで予約したホテルは国賓大飯店。目の前が高速バスの停留所になっているから、スーツケースを持っていても楽、個人旅行には最適な位置だ。MRTメトロ双蓮駅からも徒歩5分くらい。ただチェックインは3時だが、3時10分前にカウンターに行くと、部屋の支度が終わらないと言われ、カフェで珈琲飲みながら4時近くまで待った。ちょっとテンション下がり気味。着替えて夕飯を食べに中山駅方面へ散策。やはり、台北では小籠包!有名な鼎泰豊は、日本でもあちこちあるから、徒歩5分の前回行った金品茶楼で、まず乾杯。好きな東方美人茶や高山茶を通りのお茶屋さんで買って、初日は終わり。実は二日目、三日目が旅のメイン!朝早い鉄道だから、早く寝よ!
2017.01.11
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1月パパの誕生日旅行と称して、夫婦台北三泊四日の旅を予定したのは昨年夏、友人と台北旅行から帰って1ヶ月して、もう少し台北を旅したくなったからだ。ほとんど私のためのような?笑パパと8年前に台北に行った時は激安大勢のツアーだったので、バスに乗せられては、サッサと観光、お土産屋と連れ回された記憶しかない。で、今回は昨年の旅で台北市内の様子がうっすら分かった私の企画でゆっくりと。沖縄旅行から1ヶ月もしないうちにまた同じ方面に飛んだが、富士山が近かった。日本は10度くらいの気候なのに、台北は20度越えくらいだったから、上着も着たり着なかったり。成田空港からチャイナエアラインで桃園空港へ。機内食は、中華風味付け。お菓子の最中は、なんと広島の県北の和菓子屋だった。機内食は、ポーク OR チキン?大韓航空なら、ポーク OR チキン OR ビビンバ だよなー。笑桃園空港から高速バスで台北市街へ入る。所要時間1時間。一人125元、400円くらい。安!バイクと古い看板が台北に来たと感じる。
2017.01.10
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元旦に東京に戻って、ウダウダ過ごしていた。デパート注文おせち中華ランチうちは都内でも神奈川県寄りにあるから、成田国際空港へは、2〜3時間かかる。成田エクスプレスとか名前は早そうだが、そんなに早くもなく運賃が高く、日暮里から京成電鉄もあるが、日暮里駅までが遠い。一番良いのは、東京駅から成田空港までの千円バスで1時間過ぎには到着する。成田国際空港の午前便になると、フライト時間の2時間前に着いておきたいから、うちから始発の5時台の電車に乗るのだが、それでギリギリ余裕はない。今回、仕事帰りのパパと成田空港近辺のホテルに前泊。東京駅から成田空港直行が、午後6時半からホテルを回るバスに変わる。それでも7時にはホテルを出て送迎バスに乗った。全くの個人旅行で、エアもホテルもエクスペディアで予約。全て私に任せきりのパパは、どこのエアかどこのホテルかさえ気にならず、ただ現地で三食食べられたらいいみたい。笑三連休があり年末年始を海外で過ごした人たちが帰国ラッシュが続く中、まだまだ出国手続きもかなりの行列。ブロマダムたちが、仁川空港を出国して日本に向かう中、私は近場なのにチケットの安さから羽田空港じゃなく成田空港を出国する。
2017.01.06
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息子が広島発の新幹線のぞみで昨晩上京したのだが、トラブルがあった。 品川駅で下車するのに、棚の上を見たら、自分のキャリーバックがなくて、同じ色のキャリーバックがあったそうだが、明らかに自分のものとは違うものだと分かり、手ぶらで下車した。たぶん先に降りた乗客が間違えたのだ。品川駅で問い合わせたら、確かにその棚の黒のキャリーバックは忘れ物で残されてあるが、取り間違えは、JRは対処できないから直接警察に行けとのこと。 で、あまりに理不尽だと思い、私がJR東海の忘れ物センターに連絡してみた。 だいたいその忘れ物になったキャリーバックの持ち主から問い合わせがあった時、こちらの連絡先を伝えてくれさえすれば良いのに、「一切知りません、忘れ物だけの取り扱いです。」で押し通された。 こちらには全く落ち度はなくて、それも目の前にうちのキャリーバックを持っいる人がいるって言うのに、そして個人情報はこちらが提供するって言うのに、伝言さえできないという冷たい態度。 品川駅の前は新横浜駅、名古屋駅と、どこで降りた乗客かさえ分からないが、手がかりはその忘れ物キャリーバックだけ。 で、少し粘って電話していたら「こちらにかけてください。だけど今日は休みですけど。」と、苦情受け付けのような部署を案内されたわ。 ふん、もちろん、電話は休みでもメールで、冷たいJR東海の基本姿勢に一言言わせていただきましたわ。 臨機応変って、こんな時に活かせるんじゃないかと思うけど、自分の仕事だけを死守して、一切我関せずの態度で通せるJRは、全くサービスの何かを知らないのかな。 「毎日すごい量の忘れ物があるんだから、いちいち関知しないわ」というけど、JR東海東京は新幹線が主じゃないの。そのあまりに冷たい態度に、ますます帰省には飛行機を使おうと思ったのだ。 で、息子にキャリーバックの中身を聞いたら、 新しく買った洋服、着替えくらいで、パソコンなどは手元にあった様子。ま、仕方ないね。 で、警察には行くようには言ったけど、 「新幹線でキャリーバックを盗難にあいました」 くらい言わなくちゃ、警察にどう届けるのかさえ分からない。相手は「新幹線で拾いました」と言うのか、いや、捨てられるのか、分からない。 今年はお正月からケチが付いたなとカレンダーをみたら、トラブルの日は凶だった。 JR東海、残念ながら、「おもてなし」は、ないな。
2017.01.03
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あけまして おめでとうございます年末は早くから帰省して、自分の家と私の亡き祖父の島の家を掃除して墓参り、パパの方の墓参り、それにプラス今回は入院中の父の見舞い、妹宅とか母をあちこち連れていき、慌ただしく過ごした。息子が帰省予定がないのに、突然29日真夜中2時頃、玄関のドアをドンと叩いて帰宅し、そして、私より遅く東京に帰るというので、放ってきた。82歳になる母も、父のワガママ放題の入院に毎日通うのが疲れていて、料理が好きな母も今年はやる気が全く無し。私が年越し蕎麦を作り、お雑煮を作り、近くの神社に参拝して、元旦、早々と東京に戻ってきた。数年前は、地元のうちが我が家でゆっくりできたはずなのに、なんだか今年は、東京の仮の住まいと思っていたマンションが落ち着く感じになってきた。東京の元旦は、やはり静かだ。機上から見た夕暮れ、今年もなんとかやっていこうと思えた。明日は箱根駅伝、若い学生さんたちに元気と感動を頂こう!!皆様、今年もよろしくお願いします。
2017.01.01
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