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重要文化財 1号無線塔
針尾送信所の1号無線塔は大正7(1918)年11月より難 設が始まり、大正11(1922)年5月に3本の無線塔の中で最初に完成した。無線塔の大きさは図①のようになっている。
写真の資部にある1辺が18m三角形の種造場は、空中線受持造であるが、昭和50(1975)年に撮された。
当時、佐世保額等府では、>水コンクリートや修理落
保場(笠雑)、重油油種など日本最大のコンクリート構
造物の技術が蓄積された。無線塔の施工では、塩分の少ない川砂や砂利を布で拭いて使い、時間をかけた丁寧な施工が行われた。塔の表面は、建設後100年経ても枠の跡が鮮に見え、顕著な努化が見られない。高品質の鉄筋コンクリートの構造物として残されてきた貴重な構造物である。
国重要文化財 送電事務所 案内板より
竜化堂は送られてきた倍号を出分に美換して無線塔に送信するための機械装置を搭する鉄筋コンクリート
寛個室の内部構造 のようなも次用の高周波発を機が設置されていたが、昭和17(1942)年頃までに撤去された。
電個室の正面
現在地は、この延の2階の床面の部分である。前に見えている点は2階のきてある。竜倍室の荷量程減と
日露戦争で無線通の重要性を認識した旧日本海軍は、1922(大正11)年に針尾送情所を建設しました。時の海軍は、鉄筋コンクリート建造物の研究を行っていた時期である。
鉄筋コンクリート技術は1890年代にフランスで発明され、わが国に導入されたのは1895(明治28)
コンクリート建造物の「実験と実践の場」として考えていたようです。その一環として針尾送信所が鉄筋 コンクリートで建設されたとも考えられています。
建築物としては、1905(明治38)年に佐世保海軍工& 第三船汽室及び附風賄所が初源です。
1997(平成9)年に海上保安庁の無線施設が更新されたことにより、その役目を終えました。
近代化遺産といえます。
針尾送信所が建設された1922(大正11)年頃、無線の主流は長液通備でしたが、長波による遠距離通信には高出力の電波と長大な無線アンテナを使用するため、巨大な設備が必要でした。
しかし、1935(昭和10)年頃になると、箱液通信が長波通信にとって代わり、長設道情は補助的に用いられるようになったため、長波送信施設の建設は行われていません。つまり、針尾送信所を始めとする長波送信施設は、1920(大正9)年前後のわずかな時期に建設されたものであり、電波技術史のなかでの記念碑的な建造物と評価されています。さらに、船橋、原町、依佐美の無線塔は既に撤去(佐美は送信機器と塔の一部が現存)されており、針尾送信所は無線塔、通信局舎ともに現存する国内最後の施設となりました。
また、イタリアのマルコーニが無線を発明した1895(明治28)年から、わずか27年後には日本において針尾送信所等の近代通信施設を極めて完成度の高い土木構造物として造り得たことは、
日本の近代化の象徴的な遺産と目されるものです。
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