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2日目。朝食はしっかり食べる派。和食って、なんて器が多いんでしょう。目でいただくうちのひとつにしても。10時過ぎにチェックアウト。宿の売店でいつも買うおやつは購入済み。父はいつも「坊ちゃん団子」「一六タルト」を買ってきたが、私が一番好きなのは「山田まんじゅう」東京のデパートに出店していたから、東京時代は買えて嬉しかった。道後温泉本館は、長い修復期間を終えて、開館された。道後温泉駅にあるからくり時計は、30分間隔、時には1時間間隔で動く。道後温泉に来たら毎回見ているのに、やはりまた見てしまう。地味な時計なのに。笑商店街にみかんソフトクリームを売っていたが、朝だったから、また後どこかでと思っていたら、その後食べるチャンスを失った。残念。みかん色電車に乗って、松山市駅へ。夫が行きたいという店でランチ。街の小さなお寿司屋さん。開店時間前には行列の人気店だった。開店10分前で10番目くらいで、小さな店ながら、なんとかカウンターに座れた。みなさんちらし寿司を注文される。イチオシなんだな。私ら夫婦は、宇和島風鯛めし。宇和島鯛めしは、生卵を混ぜた出汁を、ご飯に乗せた鯛の切り身にかける。鯛が新鮮で美味しかった。寿司も食べてみたい店だった。値段も良心的。さて、帰路、松山観光港へ行く前に、昨日なくした夫のジャンバーを受け取りに行く。朝、一か八か、伊予鉄に電話したら、電車の終着駅にそれらしい服が届いているらしかったので、松山市駅の改札口事務所に持ってきてもらう約束をしていた。よく見つかったよー。XXLのジャンバー、なかなかお店で買えないから貴重だったんだよ。それに船の時間にもギリギリ間に合いそうだったし。で、また電車、バスと乗り継いで、港へ。みかんソフトクリームくらいあるかと思ったのに、ここにはなくて、塩ソフトクリーム。坊ちゃん団子乗せ。笑ソフトクリーム食べていて、じゃこ天買うの忘れた。松山じゃこ天、トースターで焼いたら美味しいのに。で、ジェットで1時間あまりで、広島に着いた。弾丸道後温泉、終了。今月はマンションの仕事で3泊の出張が入っていて、使った旅費をまたカバーできるぞ!笑
2024.11.17
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8月に行く予定だった愛媛県松山市の道後温泉だが、前日当日台風通過予定に伴い、広島ー松山間の航路が運休になった。今回車を使わずに、夫は酒瓶を抱えて船に乗るつもりだったため、11月に変更した。早くから720mlの酒瓶をリュックに入れて楽しみに待っていたわけである。8月は内子に行く予定であったが、今回は全く動かす、道後温泉1泊2日。1日目昼からフェリーに乗り、2日目スーパージェットで3時半にはうちにいた。2日目に子供の預かりを受けていたため、多少出費のスーパージェットで1時間くらいで海を渡って帰った。珍しくお天気がよく、だいたい定刻通りの運航。音戸大橋をくぐり、四国へ。松山観光港はちょっと不便だが仕方ない。港から近くの伊予鉄駅まで連絡バス(5分)に乗り、松山市駅に向かい、乗り換えて路面電車で、終点道後温泉駅。松山ってほぼ交通は伊予鉄。(福岡の西鉄みたいに)伊予鉄バス、伊予鉄電車、伊予鉄高速バス、伊予鉄タカシマヤなどね。宿は何度も利用しているところで、フロントで説明は端折った。日の入りまでに部屋に入ったら、夕焼けが綺麗だった。松山城の見える部屋指定した。お天気というのは、いいなあ。土砂崩れで休んでいた松山城観光は、復活。11月3日より再開したらしい。こんなに高い場所にある松山城はロープウェイもあるが、そこからも覚悟がいるんだ。笑リピーターなので、部屋から眺めるだけにした。笑愛媛はみかんジュースにこだわる。お風呂は大浴場。平日でも7〜8人先客あり。夕食はレストランの仕切りで個室風。チェックインは研修中の名札を付けた若い日本人の女の子だったけど、レストランスタッフは、ほぼ外国人の若い女性だった。それも、流暢な日本語で、お料理ひとつひとつを丁寧に説明してくれた。素材名やあつらえや魚の名前など、私でもメモなく話すのは難しいのに、毎日違うメニューを言えるのは努力だろう。アジア系、欧米系と国籍も違うから、インバウンドで外国人宿泊者には英語や中国語などで話していた。道後温泉もびっくりするほど、外国人観光客が増えた。ただ、若いアジア系外国人観光客グループは旅館で食事をせずに、近くの居酒屋で安く済ませて、外湯に行くのかもしれない。浴衣を着てそぞろ歩き体験かな。ビジネスホテルはこの温泉地中心にはあまりないから、松山駅や松山市駅の近いビジネスホテルに泊まり、温泉地までやってきているのかも。仕事で松山出張の時には実際に松山市駅近くの朝食付きシングル6500円の狭い部屋に泊まらされた。だから、わざわざ来る温泉地では、地元の昔からある宿夕朝食付きに泊まりたい。部屋でゆっくり過ごすので、夕食後は外出しない。夫もさんざんお酒を飲んでいるし、もう早く寝るか湯に入るかだ。笑きっと夜遅くまで、商店街は若者で賑やかだろう。松山鯛めしは炊き込みご飯。ラウンジにはコーヒーやみかんジュース!ポンジュース、、お腹いっぱいで、部屋でゴロゴロなり。実は、道後温泉駅に着いて夫が、「ジャンバーないんだけど、、」という。暑いから、リュックを背負って手に持っていたはずのジャンバーが、駅に着いたら持っていないんだって!きっと、乗り換えた電車の車内か連絡バスかに置き忘れたのだ。そんなことになりそうだから、リュックに入れるように言ったのに、入れなかったのは自分だから。「見てない?」て言われても、「知らん!!怒!」だわ。昔からこんなこと常習で、旅先でカバンを電車に置き忘れたり、家にカバンを置いてきたり。もちろん上着を忘れてお財布抜かれたり。予定変更になったこと多数。だが私にストレスかかってイライラしてしまうから、最近は無視することにしたんだよね。笑長年付き合ってきた私の解消法。笑
2024.11.14
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3日目はもう最終日。何にも予定なく、ホテルバスで那覇空港まで行く。出発は12時、ゆっくり過ごすも、この日が一番晴れ間が見えた。しかし台風が来なくてよかった。朝食も8時過ぎからゆっくり。系列ホテルを回って、最終地は那覇空港。途中のホテルから初日に会った韓国人夫婦が乗ってきた。ゴルフできたんだって!良かったね。那覇のホテルに移動らしい。那覇空港に着いて昼食。いつも行く、空港で働く人たちの食堂も観光客もたくさん来る。沖縄そばで締めくくり。で終わろうとしたら、行列のお店があり、沖縄おにぎり、新しくできたポー玉の専門店らしかった。東京にもあるらしかった。友人が買いたいというから、ポー玉ごときに30分並んだ。保安検査場を入り、最後はやはりソフトクリームなり。紫芋ソフトクリーム。修学旅行の中高生もたくさんこのソフトクリームを買いにやってきたよ。笑機内でポー玉、私はそこまでないが、友人は帰って作って見るんだって。ポークは塩辛いんだけど。空港に着いたら、空港駐車場に置いた友人の車で帰宅。ちなみに友人と私のうちは、徒歩3分の距離。笑お疲れ様、次は友人のお誕生日旅行で。
2024.11.08
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2日目、夕食はやはり沖縄料理居酒屋さん。ホテルにもレストランはあるけど、ここで、フレンチやイタリアやステーキは違うかなと、前もって、送迎付き居酒屋さんを探して予約してあった。ちょうど予約した時間にエントランスまで来てくれた。送迎車にもう一組予約された家族があった。乗って5分くらいでお店。割と広めの店内。オリオンビールから。やはりもずく天ぷら。タコライス、セーイカ刺身、海鮮サラダ、胡麻団子。沖縄民謡ライブ 15分くらいで、手拍子や声かけや合唱やら楽しめた。1階2階があるので、場所を回ってライフしている。1時間半くらい居て、帰りもお店の車でホテルまで送ってもらい、2日目は終了。リゾートホテル周辺には、ホテル送迎付き居酒屋が数軒あり、とても便利。
2024.11.06
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ホテルの浜辺を散策。雨は上がって、曇り空。波は少し高い程度。海中展望台へ。渡り廊下の先の展望台は海中に階段を降りる。そこから見る景色は沖縄の魚さんたち。次は予定していたクルージング。サンセットは期待できないが、クルージングが初めてという友人と、予定通り、海に出ることにした。ヨットは私たち以外にも、職場の旅行なのか、若い人たち7人が一緒。台風の影響もあり、帆は出さないで、海に出た。予想通り、サンセットはアウト。というより、17時過ぎ出航は早くないか?18時頃、暗くなり始めが綺麗な気がするが、海風が気持ちよく、ヨットに乗っていたスタッフの若いお兄さんがよく話しかけてくれて、友人も満足だったらしい。ホテルに帰ったら、夜の景色は綺麗だった。さて、部屋で一休みしましょう!
2024.11.05
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2日目、しっかり朝ごはん。ホテルの和定食。前回夫と泊まった時に、夫が美味しいと言った味付けは変わらない。那覇のホテルから、ホテルの送迎バスで、系列の名護のリゾートホテルまで移動。小雨が突然大雨。台風の影響の強い日になった。リゾートホテルに10時半に着いた。お天気は曇り空。なんとかなるかな。予約していたホテル内のレンタカー屋でコンパクトカーを借りて出かけた。3時間半くらい乗ったかな。まずは、早めに昼食。名護で地元人気の沖縄そば屋さん。友人が、「ええ〜っ!!」と言った年季の入った小屋のお店。私的には、いや、美味しいお店のしるし!!笑ひっきりなしに、地元の人の車が来て、さっさと食べて出ていく。驚いたのは、店構えに反した立派な自動券売機。ラーメンではない独特な沖縄そば。友人が、「あれはなんだろー?スパゲッティ?」というのを食べていた人のお皿、沖縄そばの麺に、ミートソースがかかっていた。案外美味しいかも!のちに、ホテルスタッフの女性に「沖縄料理はなにか召し上がりましたか?」と聞かれたので、「お昼は名護の◯里食堂で沖縄そば食べましたよ!」と答えたら、「住んでいる人みたいですね!」と言われたよ。笑食後、名護のJA市場へ。私が沖縄に来たら必ず行くところ。果物を買いに沖縄に来ているようなものだからね。笑パパイヤとドラゴンフルーツ。今が旬の、ドラゴンフルーツを大量購入なり。私が必ず買うものは、果物、サーターアンダギー、沖縄の塩、夫用泡盛。ミミガー。職場のおやつは、ちんすこう。ホテルへの帰路、道の駅にて、やはり定番の、沖縄ぜんざいを食べた。小豆の上にはかき氷、が、沖縄ぜんざい。さらに、私はトッピングはソフトクリーム!笑友人も同じものを食べた。旅行先ではソフトクリームを非常に食べたくなるが、不思議なことに、普通に生活していたら、さほどソフトクリームは食べない。しかし道の駅は観光客のレンタカーでいっぱいだったよ。みなさん台風にもかかわらず、沖縄にきているのね。雨が上がり始めて、ホテルの係から電話があり、前から予約していたアクティビティがあることがわかった。友人か食べたことがないという、沖縄おにぎり、ポー玉を買って帰り、部屋で味見となった。ホークハムに卵焼きが挟んであるだけなんだけど、沖縄定番で、コンビニにも置いてある。少し部屋で休憩して、散策に出かけた。
2024.11.03
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毎日毎日、台風情報、台風進路、ANA運行状況を何度も検索していたが、20号は余裕でスルー後、21号に慌てた。台風進路が西にズレて台湾方面になり、とりあえず飛行機が飛ぶこととなった。もし、また石垣島や宮古島に行くのだったら、欠航だった。旅の前日、今回の旅の友人と最終打ち合わせをして、無事、予定日にANA広島ー那覇便は時間通りに到着した。ホント、一安心というところ。今回はすぐレンタカーを借りずに、空港からは那覇市内のホテルの送迎バス利用。広島からだと1日1便しかなくて、到着は14時前だから、その日は宿に入るのが一番になる。同じホテルバスに、30代後半〜40代くらいかのソウルからの韓国人夫婦がいて、ちょっと声をかけられた。笑私は下を向いていても、よく声をかけられる。笑たくさんの荷物で、どうやら夫婦でゴルフに来たらしい。背の高い美人奥様はただいま日本語習得中、初めての沖縄、お天気悪いし、ゴルフできたらいいね。最近は韓国も結婚年齢が上がっているらしいから、新婚旅行かと聞いたら、17年目だって。失礼!笑お天気はやはり小雨。チェックインして、出かけた。ホテル近くの県立博物館美術館へ。沖縄の歴史、風土が詳しく説明されていて、展示物も多く、広くて迷う。70歳の友人は、70歳から無料という入場をありがたく受けていた。外観 入口玄関前 私が会いたい、イリオモテヤマネコ友人は歴史には関心がないのだが、私に付き合わせていた。友人は解説を読まずに、隣で私になんでも聞いてくるから、私もわかるわけないので、結構スルーした。笑夕刻、予約していた沖縄料理居酒屋へ。ここはリピーター。シーザーがお迎え。オリオンビールから、チャンプル〜は、やはり美味しい!海ブドウ 。1時間半くらい居たかな。友人はあまり食べられないというから、夫と食べるのに比べて半分くらいかな。二人て5000円くらいで済んだ。アルコールは乾杯だけだしね。お店の車でホテルまで送ってもらって終わりのはずが、ホテル売店で買って部屋で。一応、お誕生日旅行だからね。友人は毎日夜9時には就寝するといい、今夜も9時には爆睡していた。案外、私は眠れないから、12時回って寝ても、2時、4時と目が覚めた。6時過ぎに起きたら、友人も起きた。笑
2024.11.01
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3日目、帰宅する予定を延ばした。予約した宿のために佐世保からまた南下してしまった。長崎県西海市にある◯◯戸温泉◯◯チェーンのホテル。実はもっと福岡に近い場所に泊まるつもりだったのに、夫が頭の中の地図を誤り、西海市がより佐賀に近いと思ったらしい。私は唐津あたりがどうかと提案していたが。どちらにしても、収容人数のある宿なら、前日当日でも空室があると思っていたからOK!夕方、宿に到着。古いリゾートホテルを買い取ってリニューアルしたホテルだが、飲み放題が付いているのがメリット。部屋も広め。大浴場は温泉。ラウンジで、私の旅のミッションのソフトクリームを食べた。フリー。夫作 夕朝食はブュッフェ。飲み放題が嬉しい夫。種類もテキトーにあり、美味しかった。朝食をしっかり食べて、早めに出た。ここでも、五島うどん、、さらに五島うどんの麺も購入。実は島原では島原素麺、長崎駅でちゃんぽん麺など、名物乾麺を購入。まさに私には嬉しい麺類の旅になった。また、佐世保に戻り、立ち寄ったのは、針尾送信所。案内板より重要文化財 1号無線塔針尾送信所の1号無線塔は大正7(1918)年11月より難設が始まり、大正11(1922)年5月に3本の無線塔の中で最初に完成した。無線塔の大きさは図①のようになっている。写真の資部にある1辺が18m三角形の種造場は、空中線受持造であるが、昭和50(1975)年に撮された。当時、佐世保額等府では、>水コンクリートや修理落保場(笠雑)、重油油種など日本最大のコンクリート構造物の技術が蓄積された。無線塔の施工では、塩分の少ない川砂や砂利を布で拭いて使い、時間をかけた丁寧な施工が行われた。塔の表面は、建設後100年経ても枠の跡が鮮に見え、顕著な努化が見られない。高品質の鉄筋コンクリートの構造物として残されてきた貴重な構造物である。無線塔が3本あり、中を公開しているのは3号塔。国重要文化財 送電事務所 案内板より竜化堂は送られてきた倍号を出分に美換して無線塔に送信するための機械装置を搭する鉄筋コンクリート寛個室の内部構造のようなも次用の高周波発を機が設置されていたが、昭和17(1942)年頃までに撤去された。電個室の正面現在地は、この延の2階の床面の部分である。前に見えている点は2階のきてある。竜倍室の荷量程減と水の役又酵止のために、救した根の上の大量の土みで倍室の前面が2階まで埋まっている状態てある。高さのある3本の塔、良質のコンクリートとはいえ、大正時代のものが、何の変化変質もせず現存。当時の日本の技術の高さ!案内板抜粋日露戦争で無線通の重要性を認識した旧日本海軍は、1922(大正11)年に針尾送情所を建設しました。時の海軍は、鉄筋コンクリート建造物の研究を行っていた時期である。鉄筋コンクリート技術は1890年代にフランスで発明され、わが国に導入されたのは1895(明治28)コンクリート建造物の「実験と実践の場」として考えていたようです。その一環として針尾送信所が鉄筋コンクリートで建設されたとも考えられています。建築物としては、1905(明治38)年に佐世保海軍工&第三船汽室及び附風賄所が初源です。1997(平成9)年に海上保安庁の無線施設が更新されたことにより、その役目を終えました。近代化遺産といえます。針尾送信所が建設された1922(大正11)年頃、無線の主流は長液通備でしたが、長波による遠距離通信には高出力の電波と長大な無線アンテナを使用するため、巨大な設備が必要でした。しかし、1935(昭和10)年頃になると、箱液通信が長波通信にとって代わり、長設道情は補助的に用いられるようになったため、長波送信施設の建設は行われていません。つまり、針尾送信所を始めとする長波送信施設は、1920(大正9)年前後のわずかな時期に建設されたものであり、電波技術史のなかでの記念碑的な建造物と評価されています。さらに、船橋、原町、依佐美の無線塔は既に撤去(佐美は送信機器と塔の一部が現存)されており、針尾送信所は無線塔、通信局舎ともに現存する国内最後の施設となりました。また、イタリアのマルコーニが無線を発明した1895(明治28)年から、わずか27年後には日本において針尾送信所等の近代通信施設を極めて完成度の高い土木構造物として造り得たことは、日本の近代化の象徴的な遺産と目されるものです。海軍の街佐世保ならではの日本の歴史をいまだにこうして見られるとは。やはり高齢者の地域ボランティアの方がいて、ガイドや施設管理、清掃をされていた。寄付箱に少しばかり。ここから、ずっと高速道路を走り、福岡市内で博多ラーメンを昼食にして、帰宅した。SAで食べたソフトクリームは、牛さんが作るオートメーション!3泊4日、佐賀長崎のドライブ1200キロ!ドライブ終了。台風のせいで、沖縄離島の旅が急遽長崎方面に変わったけど、じゅうぶん実のあるお誕生日月ドライブ旅となったよ。今年は、北海道、兵庫県、長崎県と、夫の運転で、よく走る。帰路は、ガソリンが気になり、ガソリンスタンドの価格看板ばかり見ていた。笑高速道路料金ETCの支払いか後日引き落としがあるだろう。飛行機を使わないからと言って、旅費が安くなったわけではなかった、、、、笑むしろ飛行機は早割で、遠くに行くほど安い感覚があるから。お土産記録島原素麺 長崎ちゃんぽん 五島うどん長崎カステラ かんころ餅 オタクサ(長崎銘菓)辛子明太子(福岡) 博多通りもん(福岡) と、収穫あり!!
2024.10.20
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二日間雨のお天気ではあったが、ようやく曇り空から晴れに変わってくれた3日目。長崎市から北へ走り、佐世保へ向かう。私が行きたかったのは佐世保の九十九島。お天気で良かったよ。展望台に向かう途中に、海自の基地があり、呉市のような海の風景を見ながら走った。九十九島、数々の小さな島、長崎は島が多い県だ。島々を眺める展望台は数カ所ある。どこも、綺麗な景色が見られた。さらに北へ向かい、平戸へ平戸はもともと平戸島、橋で繋がっている。平戸地区は旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だった。日本で初めて西洋貿易を始めた地。また、平戸は、16世紀にキリスト教の布教があって以来、繁栄・弾圧・潜伏・復活という一連の歴史の中で、一貫して信仰を継続させてきた地。現在、カトリック信者は平戸市の人口の約10分の1。集落に点在する、13の美しき教会と共に、祈りの文化を次世代に残し続けている。では、平戸城から。歴史的な展示はここにはあまりなく、天守閣へ。天守閣からの風景は、晴天で、風もなく、静か。平戸島と繋ぐ平戸大橋も見えた。平戸ではやはり教会。カトリック平戸教会昭和6年建築の鉄筋コンクリートの教会。平戸殉教者顕彰慰霊之碑(教会案内板より)聖師ザビエルによって平戸に種まかれたキリスト教は驚異的に信徒の数を増やし、ザビエル来島の翌年(一五五一年・天文二〇年)には日本初の教会がこの平戸に建立された。以来今日まで四百数十年の歳月を経たが、この間幾多の過酷な迫害もあり、一五五九年には宇野殿の家臣某は薬教を拒み、又マリアおせんという女性は主君から禁じられていた十字架の丘への参拝をやめないという理由で斬首された。この人たちが数多い日本のキリシタン教者の初穂である。一五八七年、豊臣秀吉の禁教令発布で平戸の殉教者は激増した。度島・根獅子・生月・田浦・薄香・中江の島・川内浦等で殉教した信者の数は四百人を越えると伝えられる。平戸教会では現在の教会献堂五十周年に当たる。献金箱に少し献金。さて、遅い昼食は、佐世保に戻って、佐世保バーガー。確かに、注文してから手作り。大きめなバーガーではあるが、庶民にはバーガー1個1000円以上すれば、子供にしたら、もう気軽なものではなく、ご褒美に近いわ。飲み物等セットにしたら、ひとり2000円以上になった。駐車場のない小さな店だったから、テイクアウトして、公園そばで車内で食べた。さて、ホントは帰宅しようとした3日目、夫が、もう1日泊まりたいと言い始め、近くのホテルを予約した。
2024.10.18
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夕方、島原から長崎市内到着。この日の宿は長崎駅前のシティホテル。20年前くらいに子供達と来て以来。私は高校生くらいの時に家族旅行で来たこともあるから3回目。が、長崎駅前もずいぶん再開発で綺麗になっていて、たくさんのホテルが並んでいる。特に長崎駅は広くて綺麗。往来する電車が見える。車を置いてチェックイン。部屋の窓から見える稲佐山。三代夜景のひとつだが、やはり小雨のお天気だから、断念なのだった。長崎駅まわりを散策。川に沿って歩くと、、、夫が是非行きたかった場所が登場。駅から徒歩10分くらい。できたてほやほやの、サッカースタジアム。この日の週末オープンだったから、まだ急いで什器とか運んでいた。オープ記念福山雅治コンサートなるものがある。残念ながら、J2だから、サンフレッチェとは対戦がない。ピーススタジアム!スタジアムの中に、ホテル併設、たぶん、エスコンフィールドのような感じかな。さて、駅周辺で夕食を取ることにして、新しい駅回りを歩いていたら、商業施設の広いエントランスホールに、フードトラックが来ていて、地元蔵元の日本酒まつりをやっていた。チケットはコップ一杯400円。「六十餘洲」「杵の川」という銘柄をいただいた。テーブルが結構あるのに、会社帰りの皆さんが長く座って盛り上がっていて、私たちは待つも開かないから、立ち飲み2杯。笑最後に、長崎ちゃんぽん(夫)と皿うどん(私)を食べてホテルに戻った。長崎の角煮まんももちろん!三枚肉を挟んでいる。駅の売店で、持ち帰りちゃんぽんや長崎の美味しいお菓子も買った。母にはやはりカステラ。翌朝、ホテルで朝食ブュッフェをしっかり食べた。大好きな五島うどんも忘れずに。
2024.10.13
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2日目は、島原半島ドライブ。先端の原城跡から戻って、雲仙温泉。私はリピーターだが、夫は初めて。やはり雲仙地獄。雲仙はたくさんの宿がある。やはりアジア系外国人観光客が日本人観光客より多めに感じた。長崎駅などからダイレクトにバスもあるから。温泉神社激しく湯気!!高温すぎる!途中の休憩所で、地熱ゆでたまごを食べた。そして、なんと、地域猫がこのあっつーいところに自由に出入りしていたのにはびっくり。ゆでたまご売っていた女性が、猫は熱い場所をよく知っているから、大丈夫だと言ったけどよ、、ニャンコ、一斉休憩中!予定していた日帰り温泉が、定休日だったため、少し離れた小浜温泉日帰り湯に行った。旅館がやっている日帰り湯だったから、少し高かったが、風情がある。なんと、源泉105〜110度を屋根に上げた笹を通して湯を冷ましているようだ。という一日を終わり、島原半島から長崎市を目指す。2日目の宿は長崎市。島原半島、温泉がたくさーん!半島の一番南が原城のあった場所。
2024.10.13
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長崎県 島原半島の先にある原城跡には、私が行きたかったところ。嬉野を出て、雲仙方面に向かい、雲仙から島原市に入る。その先にあるのは原城跡。HPより丘の上にある原城跡。対岸は天草。歴史的にも大きな場所だった。キリシタンが「潜伏」し、独自に信仰を続ける方法を模索することを余儀なくされたきっかけとなる「島原・天草一揆」の主戦場跡。原城は1496年、当時26万石ともいわれた領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であった。佐賀の龍造寺により再三侵略されたが、島津氏の救援で島原沖田畷にて勝利をおさめ、島原半島の南部をかろうじて維持できた。有馬晴信が1612年に岡本大八事件に連座し配流・切腹となり、子直純が再度有馬の地をおさめたが、2年後日向に転封となった。その後、1616年大和五条より松倉重政が入封、一国一城の令によって島原城(森岳城)を築城したので、日之江・原城は廃城となった。1637年、この廃城となっていた原城に一揆が籠城した。「島原・天草一揆」である。昭和13年5月30日、国の史跡文化財に指定。原城本丸には南島原市出身の彫刻家・北村西望による祈りをささげる天草四郎像や、西有家町の民家の石垣に埋もれていた天草四郎の墓石が移されている。本丸城郭の中枢となる最も重要な場所。原城本丸は島原・天草一揆の際、総大将の天草四郎など指導者層が立て籠もり、最後まで籠城戦が行われた場所。一投後は再び域の拠点とならないよう、幕府軍によって建物や石垣が徹底的に破壊され、地中に埋め尽くされていました。本丸の調査では戦いの渡さや一揆勢の信仰心を物語るよう、多くの傷ついた人骨や、十字架・メダイ・ロザリオなどの談員も出土した。南島原市よりとにかく、本丸は石垣や石門が粉々に倒され、壊された。天草四郎の墓。島原の亂、天草一揆の大将、天草四郎は15歳だったという。どんなにかカリスマ性があったのだろうか。原城からは有明海、天草が綺麗に見渡せる。小雨ながらも雨が上がり始めた。案内所から高齢男性がパンフレットを持ってきて下さった。少し解説をしていただく。この一揆で36000人が亡くなったと言われた。この男性のご先祖様もその一人だったと言われた。最後の最後まで、全員で戦ったのだそうだ。キリシタン弾圧に加えて、年貢の取り立てがこの地域が特に酷くて、生きていけない農民がどんどん亡くなっていく中、一揆を決意するしかなかった状況は想像しても辛い。この地は、キリスト教の信者の方々には、特別な場所であり、大事に守られている場所。原城跡そばにある、原城温泉という施設内にあるレストランで昼食。日帰り湯や宿泊もできるようで、地元の方々がお風呂上がりに寄って賑わっていた。具雑煮 郷土料理これも、考案者は一揆軍の総大将、天草四郎時ともいわれていて、「島原の乱では、幕府方の攻勢で原城内に封じ込められた一揆軍が兵糧攻め”に遭って悲劇の最期をとげるわけですが、その際に四郎の命によって急遽作られたのが「具雑煮」という説です。具雑煮は寛永14年(1637年)の島原の乱の時、一揆軍の総大将であった天草四郎が、約3万7千人の徒たちと籠城した際、農民たちに餅を兵糧として蓄えさせ、山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら約3ヶ月も戦ったと言われています。材料は鶏肉、アナゴ、シロナ、レンコン、ゴボウ、凍り豆腐、椎茸、卵焼き、丸もち、春菊など十数種。まさに海の幸、山の幸の集大成です。平成19年(2007)には、農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に卓袱(しっぽく)料理と並び選定されています。」武将同士の戦いと違い、なんと悲しい歴史であったかと、地元の方々はボランティアで語り継がれいる。世界遺産認定。くもりながらも、雲仙普賢岳方面
2024.10.10
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唐津から今夜の宿へ走る。台風のせいで行き先変更の旅、行き当たりばったりのドライブで、前日にネットで宿を予約した。どうせなら温泉、佐賀の有名な温泉は、武雄温泉か嬉野温泉。私的には、昭和の経済も元気な頃、この二カ所は、福岡あたりからの社内旅行などの団体客を受け入れて、いわゆる歓楽街のイメージが強いのだが、温泉地として、さらなる発展はなく、今は静かなイメージがある。インバウンドもどうなんだろうか。平日は宿もどこかがなんとか予約できる。で、嬉野温泉、1時間半くらいで到着。何せ、道が全く混んでないから。笑嬉野(うれしの)温泉佐賀・嬉野温泉は、島根県の斐乃上温泉、栃木県の喜連川温泉と並んで『日本三大美肌の湯」と呼ばれているらしい。嬉野温泉のぬめりのあるお湯は、ナトリウムを多く含む重曹泉。空室が1部屋あった小さな宿。古い旅館を今風にリノベーションして部屋数を少なくしてサービス強化、高級感を出している。最近はそういうコンサルタントのプロからアドバイスを受けて、同じようにリノベーションしたところが目につく。経営も大変。さて、スタッフは新卒のような若く明るい女の子、宿泊中、迎えから見送りまで一生懸命に付いてくれて、気持ちよく過ごせた。二階建ての2階の部屋は、思っていたより広々していて、無駄に動線が長い。笑雨とはわからない景色だけど、雨は降り続く。実は大浴場は無い宿で、各部屋に源泉が来ていて、半露天風呂に自由に入れる。お湯を張るのは自分で。ただ、難点は、源泉湯温が90度くらいあるから、蛇口から熱湯が出てくる。笑よって、加水しなければ入れないのだよ。夕食前に浸かって、雨で濡れた髪とかさっぱり。やはり佐賀牛、柔らか。松茸、早くも土瓶蒸し。すっごく薄い小さな松茸ながら、風味豊か。あわびのしゃぶしゃぶ 甘鯛の唐揚げなど。ほか、季節のお料理たくさん。産地的にこれといって強い印象の食材はない地域なんだけど、どれも美味しくいただいだ。お豆腐が温泉で湯豆腐にされて、溶けてきた。嬉野は日本茶が有名。九州ってたくさんお茶の産地がある。翌日の予定を夜に考えるのだけど、とりあえず次は長崎市に泊まることにした。夫の某所に行きたい希望があるから。
2024.10.09
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ランチを終えたら小雨の中、唐津 名護屋城跡へ。名古屋ではない名護屋。笑名護屋城周辺には全国より名だたる武将の陣屋が150以上あり、朝鮮出兵に力を入れていた様子が分かる。だから唐津は当時は居住者も増えて、商業も盛んになっていたのだろう。佐賀には伊万里焼や有田焼も。wikより豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、黒田官兵衛らに命じて天正20年(1592)に築城。総面積約17万平方mという当時大坂城に次ぐ規模ながら、わずか5カ月で主要部分を完成させた。名護屋城では茶会が盛んだったといわれ、周辺には草庵茶室跡や茶の湯に使った太閤井戸などが残る。 本丸跡敷地は広くて、石垣は現存。本丸からの景色は雨ながらなんとか。立派な資料館がある。資料は多くなくレプリカがたくさんだったがじゅうぶん。無料。朝鮮出兵兵数 およそ、豊臣秀保 10000徳川家康 15000加藤清正 10000島津義弘 10000前田利家 8000黒田長政 5000織田秀信 8000小西行長 7000 真田昌幸 500 など全国から全般に兵を集めてその力加減を表すかような出陣兵数学、次に、唐津城舞鶴公園内にあり、見晴らしのよい髙台にある。唐津城案内板より唐津城は慶長十三年(1608年)に完成した平山城城を築いた寺沢志摩守広高は豊臣秀吉の側近で、築城には名護屋城の解体資材を用いたといわれている。寺沢氏以後は代々譜代の大久保・松平・土井・水野・小笠原の諸氏が入城。寺沢氏の十二万三千石ではじまり、廃藩前は六万石。明治十年から本丸跡は現在の舞鶴公園として一般に開放され、藩主の住居は高校敷地となっている。周囲約一キロ、面積四・三ヘクタール、海抜四十三メートルにそびえる現在の唐津城天守閣は天守台跡に慶長様式で、文化観光施設として昭和41年に完成したもの。ちょうど、唐津でも国体をやっている最中だったよ。
2024.10.06
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早くからバッチリ予定を立てていた沖縄離島の旅は台風18号のせいでキャンセルして、飛行機も変更して仕切り直し。毎日台風情報を見ていたら、台湾あたりで方向転換したりで迷走、予定日飛行機は沖縄、石垣島まで飛んだみたいだったが、離島への船は連日欠航だった。波が5メートルとか、瀬戸内海だとびっくりな波だよ。で、4日間フリー、各地雨の毎日となるでしょうと予報され。何にもなく空いてしまったが、雨でもOKな地上を行くドライブの旅に切り替えて、出発。景観を望まない、夜景も星も望まないとなると、温泉や食事や歴史的な観光か。はっきり目的地を決めてないから、宿は前日に空いているところをピックアップしての、どちらかというと、行き当たりばったりのドライブに近い。一応、私の誕生日月だから、これが誕生日旅行というわけ。九州、一応、佐賀から始めた。というのも、夫がいまだに「イカ」が頭から離れないのか、「じゃあ、呼子!」ってことになったからね。広島から佐賀呼子まで、ドライブ6時間と計算して、1日目は朝6時過ぎに出発。まあ、夫しか運転できないから、頑張ってもらって。高速道路ってありがたいが、平日は割引もなく残念。割引プランはあるにはあるが、我が家と一致しない。海の上にあるイカ専門レストラン、こういう感じが何店舗かある。イカ、前回の須佐の方が大きかったけどね。笑これはアオリイカ。いかしゅうまい、イカ天席は地下だったから、窓は海、時々魚が通る。小雨だが、激しくならないのはありがたい。お腹を満たし、先ずは佐賀の観光から、唐津市呼子(よぶこ)400キロ走った。
2024.10.04
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先月の旅で香住で新鮮なイカを食してから、ヤケにイカにこだわり始めた夫。スーパーでもイカの刺身をカゴに入れる。イカが好きだったことを思い出したんだってさ。今よ!とうとう、活イカを食べに、山口県萩市に出かけることになってしまったよ。でないと、佐賀の呼子まで行く勢いだったわ。須佐、住人さんはご存知かしら?萩市須佐の男命イカ(ミコトイカ)北長門海岸国定公園須佐湾で獲れる剣先イカ。漁師の一本釣り、活きたものしか認めない須佐男命イカブランド。というわけで、活イカを食べるお店が須佐に一軒。それも、朝、入荷を確認してお店に電話する。活イカを生きたまま取り置きしないと、お店に行っても、入荷により食べられないというわけらしい。というわけで、繋がりにくい電話をなんとか、2はいのイカを予約。自宅から萩市須佐まで、車で2時間半、平日は並ぶこともなく、12時半くらいには席についた。土日は1時間待ちらしく、先日冷麺に並んで辟易していたからラッキー。とうとう、夫の念願の活イカをいただいた。この日、台風で漁に出られない日が続いた翌日、剣先イカは大量に獲れたらしい。で、割とサイズも普通に大きい方。秋冬に向け、サイズダウンするらしいよ。動いているから、なんだかかわいそうではあるが、食べる。笑透明なイカはさっきまで泳いでいたんだけど。身はプリプリで弾力あり。新鮮一番!活イカ定食この店、イカ専門店だけど、港で上がるのどくろ料理とかあり。県外ナンバーの車多し、お店の人が、目以外全部食べられると。目と目の間が一番甘いと、、、でも、固い、、というわけで、ゲソは天ぷらにしてもらう。確かに揚げたてゲソ天は美味しかった。けど、私はどちらかと言うとタコの方が好きかもと気づいたよ。笑須佐駅からさほど離れていないお店は、JRでも来れそう。須佐駅にはイカマルシェイカが量り売り。萩観光はせずに、目的を果たした夫と帰路、リンゴで有名な徳佐で、アップルパイを買い、リンゴソフトクリームを食べて、私も目的完了。リンゴはまだ時期じゃないからね。帰宅して食べたアップルパイが予想を超えて美味しかった。リンゴ農家が作っているものだが、また買いたい。リンゴの時期に、またイカか?
2024.09.03
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ドライブ旅3日目、香住の宿の近くにあるJR山陰線、余部(あまるべ)橋梁に寄った。余部あまるべ 橋梁 明治45年(1912)完成。約100年もの間、山陰の交通を支えた朱色の余部鉄橋が、安全性、定時性確保のため、平成22年(2010)8月コンクリート橋に架け替えられた。余部鉄橋同様、「空中列車」としての眺望も美しく新たな余部のシンボルとなっている。余部駅へは急な細い山道が続くため、車では行けない。余部鉄橋の橋脚は、駅側3本が現地保存されていて、展望施設「空の駅」として活用されている。平成29年(2017)11月、空の駅へと続くエレベーターは余部クリスタルタワーが完成。過去に事故があり、ニュースは記憶している。昭和61年(1986)12月28日、午後1時28分頃、鉄橋を通過中、香住発浜坂行き回送列車が、突風にあおられて、7両が橋から落下して、真下の民家や水産加工工場直撃。6名死亡、6名重症の大きな事故となった。この列車は、臨時団体和風列車「みやび」福知山駅発、山陰お買い物ツアー客74名を香住駅に降ろしてから浜坂駅に回送中だった。高所恐怖症の夫は、下から眺めただけで、よかったらしいが、せっかくだからと説き伏せて、エレベーターで空の駅のホームへ。エレベーターで、一気に。余部駅を利用している住民もいるだろうけど、朝は気持ちいいと思う。ホームへ着いたら、景色は最高。夫は見ないけど。ただ、雨の日だと、軒先がないから濡れてしまいそう。エレベーター降りて、ホームまで少し歩くから。帰りはエレベーターを使わずに、歩いて降りた。余部駅は無人駅だけど、駅長さんは、亀の空くん、駅周りを巡回中。地域の住民がボランティアでお世話されているみたい。毎日定時に駅長の家の小屋から外に離しているらしいが、うっかりしていると見失うので、大捜査になるんだって。確かに歩くのが早い!笑また、山陰海岸ジオパークを走って鳥取。鳥取では、倉吉のスイカを買い、漁港で魚や岩牡蠣を見て、仕上げは道の駅で、大山ミルクソフトクリーム。夕方には帰宅。1000キロ走ったそうだ。夕飯は鳥取賀露(かろ)港で買った魚の煮付け。
2024.08.15
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京都府丹後からまた兵庫県山陰側を走る。山陰海岸ジオパークという自然のままの海岸線を走って、兵庫県香美町香住地区へ。香住、かすみ、ズワイガニが獲れる香住港、冬はカニを食べに来るたくさんの観光客のために、民宿が100軒あると聞いた。だけど、カニの獲れない夏は民宿は休んでいるらしい。ホントは冬のカニシーズンに来たかったが、雪のある山陰には冬タイヤで慎重に運転しなければならないので、山陽側に暮らす者にはハードル高い。新幹線などは乗り換えもいるから時間的に不利だ。カニだけのためなら、鳥取にもたくさん温泉宿があるしね。一応、香住も温泉地だが、城崎温泉からも近いから、温泉地としての知名度はない。で、温泉街もなーんにもないので、外国人観光客がほとんど来ない地域。やたら民宿の看板をみるくらい。小さな民宿経営の多い中、小さな旅館が数軒あり、今回はそこに泊まった。宿のスタッフも、ほとんどが兵庫か関西からのお客様だと言っていたよ。そのスタッフは大阪出身の若者だった。夫のためにフリードリンク付きの宿にした。レストランや休憩所や部屋の冷蔵庫もすべてフリー。お風呂上がりに飲むビール、地酒、ワイン、種類も多い。私は風呂上がりは、コーヒー牛乳!笑そうです、夏はイカなんですよ!夕食のメインは但馬牛とイカ。景観は望めない民宿だらけの場所は、ひたすら温泉と料理を楽しむ場所。運転の疲れと暑さと、アルコールで、部屋に帰って、即爆睡の夫だった。チェックアウト時、記念にと、チェキで写真付きだった。鮮明でないほうがよい。笑お米は田んぼで宿のみなさんで作ったものだそうで、美味しかった。
2024.08.12
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「伊根の舟屋」伊根湾を取り囲むようにして、海辺ぎりぎりに立ち並ぶ伝統的な建物。海に直接面した1階は船揚場や作業場、2階は居室や民宿などとして機能的に活用されている。現在、約230軒もの舟屋が建ち並ぶ伊根浦地区は、漁村では全国初となる「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。遊覧船や展望台からの一望もいいが、町並みをゆっくりと散策すると舟屋の生活を間近に感じることができる。(wik少し走って、伊根の舟屋遊覧船乗り場へ。チケットを買い、桟橋で、乗る船を待っていると、たくさんのカモメ、そして観光客がえびせんを投げているものだから、どんどん集まり、カモメの鳴き声もすごい。そして、ヒッチコックの映画のように、、船に乗って走り始めてもずっと追いかけてきて、船のまわりをブンブン飛ぶ。なんと、私ら以外に乗った乗客20人くらいが、みんなえびせんを手にして、船から投げているのだ。乗船しているのは、関西弁の日本人5人くらいに、あとはアジア系外国人だが、ひっきりなしにえびせんが飛ぶ。船から景観の写真を撮るにも、カモメが写真に入って煩わしい。どうやら、「カモメにえびせんをやれます!」と、観光案内もされているのだ。多量のえびせんが待合室売店で、売られていく。ちょっと、どうなんだろう。落ち着いて景観を眺めるどころか、ずっとカモメのギャーギャーという声に、案内のスピーカーも聞こえない。これ、全く楽しくないよね。乗船は20分くらい。ほかの桟橋からは少人数乗るボートでの遊覧もあったみたいで、そちらにすればよかったと後悔。ただ、、、小さなボートに夫が乗るかどうかだ。(怖いから、、)丘の上に伊根町道の駅があり、食堂があったから昼食。丘の上からみた景色、静かでいい。夫の食べた魚定食。うーん、地元の魚なんだろうか、わからない。私が食べたフライ定食については、ホタテにえび。地元産じゃないよね。残念な昼食だったよ。そして、カモメは嫌いだ。さて、本日の宿まで走ろうか。
2024.08.12
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さて、天橋立ビューランドの展望台から下りて、松林を散策と思ったが、あまりの暑さに、松林の陰のベンチで休む時間多し。知恩寺「3人よれば文殊の知恵」の菩薩様が祀られているらしい。今話題の大河ドラマ「光る君へ」の和泉式部の歌碑があるが、見逃した。おみくじがあり、扇型のおみくじ。こうして、松にくくりつけたら、なんだか綺麗。どこからか、白猫が突然現れて、先頭に案内してくれた。首輪もない野良猫と思われるが、主なんだろうか。笑松林は気持ちよく、しばらく座っていた。(私は抹茶ソフトクリームを食べながら、、)その松林に行くために、廻施橋という橋を渡るのだが、この橋、船が通る時には、二つに分かれて船を通す。上に上がるのかと思いきや、分かれて横に向く。さて、次の目的地へ。
2024.08.10
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さて、しっかり旅館で朝食を食べて、、城崎温泉の旅館出発。東に走って、とうとう京都府丹後に到着。1時間走ったかな。割と早く着いて、天橋立ビューランドにリフトで上がった。暑い日だけど、雨じゃない!!笑とうとう天橋立に来れた!これが見たかった!若者受けしそうなものがたくさんあった。さらに観覧車とかもあるが、暑すぎるよ。やはり、ここも、外国人観光客でいっぱい。駅も近いから、アジア系外国人の若者がグループで来ていた。タイかベトナムかな。景色を見ながらリフトで下りるのは、とても気持ちが良かったよ。次は地上へ。
2024.08.07
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昼食は、朝来の道の駅で、但馬牛カレー。兵庫は但馬牛推し!1日目の宿は、城崎温泉へ。テレビでよく見かける城崎温泉は初めて。大きな宿は街歩きのメイン通りにはあまりなく、昔からの小さな宿が並び、土産物屋さんや的当てなど懐かしい遊技場がポツポツとある。城崎温泉駅もすぐ近くにあり、関西からの宿泊客が多い様子。それより。インバウンド人気で、外国人観光客が8割くらいかな。あえて、通りから少し離れた小さな古い旅館に宿泊。だから、食堂はなくて、部屋食で、係の女性がいろいろ付いてくれた。そして、その若い女性は、日本語も上手なベトナム人だった。@@宿で働く外国人は多い。聞くと、私の泊まった宿には外国人はあまり宿泊しない様子。城崎温泉には外湯がたくさんあり、若い人には色浴衣を着て、そちらを回るのが人気みたいだ。だから食事は居酒屋で、素泊まり宿が好まれるみたい。日本旅館、庭に面した部屋荷物を置いて、メイン通りを散策。日帰り外湯に入る。入湯チケットは宿でいただき、どこの外湯も入れる。散策から戻って宿の湯。さっぱりして、夕食。今回は部屋食。但馬牛登場ロビー横のカフェエリアには、ドリンクフリー。ビールや日本酒を飲んではいたが、さらに夕食時にはビール。さて、一休みしたら、また、夜の街歩きへ。夏休みの期間、毎日9時から5分間、花火が上がる。雨じゃなくてよかったよ。宿に戻ってまたお風呂に入り、今日は暑い中たくさん歩いたから、疲れて就寝。
2024.08.06
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毎日、暑くて暑くて、仕事に行きたくないぞ!!だけど、私の仕事休みシフトと夫の都合が合った3日間、思い切って出かけることにした。←出かけるといったのは夫。中国地方四国地方九州地方は、帰郷してからこまめにドライブ旅行したが、コロナで敬遠していた近畿あたりにもそろそろ行ってみることにした。(京都はインバウンド混雑でさらに気持ちが遠のいた)前から行きたかった姫路城、20年前に一度は行ったことがあるが、白く綺麗になったのを見たかった。姫路までの高速道路所要時間を逆算して、暑くならないように9時開場に合わせて着くと考えたら、我が家を出るのは、早朝4時半になったわー。所要時間は4時間という感じで。高速道路は混んでないけど、やはり4〜5時台はトラック多し。姫路城、山の上にないから、姫路に入ってもなかなか現れなかった。笑朝8時半には到着したが、何、この暑さ、30度はすでにあるよ。入城は午前9時。チケット販売も9時、列に並んでいるのは、ほぼ外国人団体観光客。そして中には結構高齢者の外国人男性も。姫路城の天守閣まで、上がれるんだろかー?天守閣までの道のりは遠く、頑張るしかない、、、ひたすら城内も上へ上へ、、、階段、階段、、到着、、はぁー。天守閣からの眺め、、お天気!姫路の繁栄を表す模型、そして、帰り道にあるのは、、、怪談播州皿屋敷のお菊の井戸、、、ホントにあったのね、、姫路城には11時過ぎに出発して、次の目的地へ。駐車場を地下にしたので、車が熱々でなくて助かった。姫路城世界文化遺産 国宝 大切に保存されているのは見応えもあり。ゆっくり観るには広すぎるから、季節を選んで来た方が良いね。
2024.08.03
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浜田市から2日目は隣の益田市へドライブ。益田市、すごく地味な静かな町なんだけど、いくつか観光スポットがある。益田市の益田は、昔から地域に貢献してきた城主益田家から付けられたらしい。満福寺益田家の菩提寺(時宗)本堂は、応安7年(1374年)南北朝時代に建立され、昭和9年に解体修復。15代城主益田越中守兼堯公が雪舟を招き石庭を作らせたので、雪舟庭園として、公開されている。宇宙を表現しているらしい、、四季の庭園は景観が変わり、大きな紅葉の木があった。続いて、やはり雪舟庭園のある、医光寺へ。医光寺臨済宗、元は天台宗宗観寺の古刹の後身。享保14年(1729年)火事で焼失、再建され現在に至る。雪舟は明国を経て、北京で壁画を描いて、帰国後は大分、また益田を訪問、満福寺と医光寺に山水庭を残し、多くの作品を残した。益田の山寺で禅に励んでいたが、この地で87歳の生涯を終えた。雪舟が益田市と深い関わりがあるのは、やはりこの静かな益田を雪舟が好んでいたのだろうと思われた。お昼ご飯は、益田市の食堂を探したが、定休日や廃業が多くて、手頃な寿司屋へ。盛り合わせでじゅうぶん。益田市内にある日帰り温泉に寄る。美都温泉。利用者は地域の方々が多く、コミュニティセンターみたい。湯はしっとりアルカリ性単純泉、35度冷泉の加温。外に、柴犬発祥の地として、石号と名付けられた犬の石像あり。広島県に入り、人気の牧場があり、やはりお決まりのソフトクリームで終わった。浜田港おさかなセンターで、メバルなど買っていて、さっそく煮付けて夕飯に。
2024.06.18
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島根県というと、出雲や松江が中心に知名度があり、足立美術館、玉造温泉など、そういう近辺に観光客が多いが、広島市から近いのは、島根県西側、石見地方の浜田市。遠くから観光客は来ないだろう地域。空港もJRも不便だからね。こちらからしたら、浜田漁港もあるから、日本海のお魚は新鮮。というわけで、浜田市の国民宿舎へ行ってみた。出かける日、前夜からの雨がひどくなり、傘があっても濡れてしまうお天気だったが、県北を越すと、島根県側は雨はなく、どんより曇り空だった。車で2時間弱で着く、浜田市。海は、砂浜も思ったより綺麗だった。風がなく、波も穏やかな日本海、稀な浜辺。夏には海水浴客で賑やかになる。コインシャワーやトイレや、休憩場所の日陰やらあるし、広島からの海水浴はここに来ることが多い。そんな場所に国民宿舎があり、とても便利。かなり昔からある宿はリフォームしたみたい。部屋は和室。布団は最初から敷いてあるから、部屋にスタッフの出入りはない。大浴場は人工温泉だったけど、日帰り湯の利用者がたくさん。真夏はもっと混雑するだろうな。夕飯は地元産食材。やはりお魚!蒸し魚はのどくろ。夕飯時に日の入り。雲の隙間に夕日があり、珍しく、綺麗な海となった。部屋に戻っても、綺麗な海、イカ釣り船か、光を放っていた。国民宿舎は賑やかだった。70代の15人くらいのグループがあり、同窓会のようだった。昔に戻り、◯◯ちゃんと呼ばれている方々は、皆さん楽しそうだった。朝ごはんの時でさえ、大声で元気すぎる。チェックアウトの時に、宿のスタッフと話したら、飲み過ぎて倒れて大変だった方がいたようだ。救急車の音は聞こえなかったけど。楽しくて飲み過ぎるひととき、幸せだよね。(^^)
2024.06.13
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PayPayドームの試合が終わり、横にあるホテルには、日の入り前にチェックインできた。福岡タワーが見える。福岡タワー側の部屋、31階より、雲は多いけど、夕焼けはいつも綺麗。ホテルラウンジで少し、ワインやビールを入れて。夫の希望で、また、博多ラーメンなり。笑夜のPayPayドーム。さて翌日、帰路、福岡県宗像市の宗像大社に寄った。宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社のひとつ。御祭神は、天照大神の三女神。沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社というらしい。そのひとつが沖ノ島にあり。沖ノ島、船で渡らなければならないのだけど、、、<立入制限 島は全域が宗像大社の私有地であるため、まず大前提として宗像大社の許可が無ければ(公権力の行使を除いては)島に上陸、立ち入ることはできない。 また、島は重要な宗教施設であるとともに「沖ノ島原始林」として国の天然記念物にも指定されている>神宿る島で世界遺産登録。島全体が宗像大社沖津宮の御神体で、今でも女人禁制の伝統を守っている。また、男性でも一般人は毎年5月27日の現地大祭以外は上陸を基本的に認められず。wikiよりさて、九州を離れて、、関門海峡、関門大橋。福岡門司から下関を眺める。山口とすごく近い。夫の親戚は門司で昔から商売を手広くしていたらしく、夫も大学生の頃、一度尋ねたことがあるらしいが、もう縁が遠くなった。
2024.06.10
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プロ野球セパ交流戦、カープファンの夫と、福岡PayPayドームで、ソフトバンク対カープの試合を観戦に出かけた。車で、2回くらい休憩して3時間半くらい走って福岡。ついこの前の北海道のことを思うと楽勝!笑夫も福岡には2年間赴任していたので、地理は分かる。住んでいた西新のマンションを通り、懐かしい街並みを眺めた。PayPayドームも割と近いから、うちから歩いて観に行ったこともある。試合開始14時、入場12時、その前に、懐かしい博多ラーメン屋さんへ。西新店じゃなく、駐車場のある店舗へ。11時開店、30分前から並んでいる。器が小さいから、山盛りに見えるが、量は普通。お皿が添えてあるから、汁をこぼしてもセーフ。チャーシューは、茹で豚厚め切り。850円。お客さんは、「バリカタ大盛り」を頼む若い男性多し。さらに「替え玉」注文多し!昔はそうだった夫はもうシニアで、スタンダードな博多ラーメン1杯で満足。さて、PayPayドーム横のホテル駐車場に車を入れて、PayPayドームへ。チケットはあらかじめ購入済み。もちろん三塁側。カープの練習から。ドーム球場、エアコン入っているから、観客だけでなく、選手も過ごしやすくて羨ましい!天候に左右されないで試合できるし。カープなんて蒸し暑い気候の地で、観るのも真夏はナイターでもベタベタするし、そりゃビールは売れるだろうけど。我が家から自転車で10〜15分で行けるというメリットはあるけどね。PayPayドームや北海道エスコン見たから、なんだかカープってど根性感があって、スマートさがないのは、ドーム球場じゃないからかも。笑外野席、カープファンが集まりだした。結構広島からも応援に来ている。広島から車で走っていると、カープユニフォームを着たカープ女子が歩いていて、広島駅に行くのだなと思ったよ。カープが知名度上がってよかったよ。笑試合開始までに、様々なオープニングイベント。キャラクターがよくわからない。笑女の子も踊る、、、両者、フーセン!演出三昧。笑で、ソフトバンクの勝ち、、、カープも9回で同点になり、延長戦で負けた。また、イベントで、勝利の花火やら。ドームが開いて、勝利宣言。ダンスにインタビューに、ファンイベント、、、なんか演出が多く、カープは地味ーに感じてしまうのは私だけ?14時から17時40分くらいまで試合、今日は隣のホテルに泊まり、明日帰る予定。でないど、夫は1日8〜9時間運転することになるからね。笑
2024.06.08
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日高地方を帰路コースにするわけが夫にはあった。このあたりは牧場が多く、競走馬を育成している。ほんとに、広ーい牧草地が並んで、馬がいる。そんな牧場を見ながら帰りたかったみたい。寄り道は、新冠(ニイカップ)道の駅。特産物は、日高昆布ばっかり!笑ハイセーコーの銅像あり。もうずいぶん前に活躍したよね。モニュメントも、たくさん、歴代の競走馬が並んでいた。さて、レンタカー返却して、新千歳空港へ。出発は19時前、余裕に、ラーメン。笑そして、やはり、最後はソフトクリーム!北海道ドライブ、1200キロ走って、お疲れ様でした。今年、北に3回飛んだ。そろそろ南かな。
2024.06.06
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最後の宿は十勝川温泉。私のリクエスト。前にも泊まって、とても良かったモール温泉。鉱物系ではなく、植物系温泉で、お肌しっとり。最後の宿はゆったりと。部屋に風呂があり、もちろんモール温泉の湯。大浴場も広くて快適。部屋からの夕刻は綺麗だった。この辺りには、キツネやリスも来るらしいが見かけなかった。夕飯はビュッフェ。アルコールはフリードリンク。翌日は襟裳岬へ走る。ところが、襟裳岬まであと5分くらいというのに、通行止めにされた。若いスタッフに、CM撮影中で5分待つように言われたけど、20分くらい待ったかな。たくさんスタッフがいて、ロケ車もケータリングテントまであって、大きなCMなんだろな。でも会社名など言われず。しかし、いきなり通行止め、なんだか通行者の善意に頼っているよな。でも、この業界に息子もいるので、プンプンもできず。さて、襟裳岬。前に来て、感動したアザラシたちをまた見にきた。漁師さんと共存しているアザラシ、ずーっと見ていたい。ずーっと先の岩場にたーくさんいて、岩の上に上がってゴロゴロしていて、かーわいい!写真ではわからないけど、望遠鏡で眺めるんだよ!襟裳岬の資料館となる施設にある望遠鏡は、あざらしに焦点。笑冬の厳しい地域、風がひどく、体験室あり。お天気は曇り気味だけど、風は弱く、散策した。可愛い灯台が船を守る。さて、空港までの帰路、観光地も少なく、魅力的な場所も思いつかない日高地方を通ることにした。
2024.06.05
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湖の合間についでに観光した硫黄山。すごく熱気があり、臭いもすごい。ここはリピーター。夫も思い出した。というか、こんなインパクトある場所を忘れるか!?近くまで行ったけど、転んだりしたら危険!ここにも、韓国人観光客、中国人観光客の団体ツアーバスが、どんどん到着していた。釧路湿原には前に行って、展望台から眺めたが、今回、釧路湿原の中を通るドライブ道路があると、夫が言い始め、遠いのに、行ってみた。確かに湿原ね中の舗装されていない狭い道を走るけど、景観が変わらない。笑茂みにキツネとかいないか気にしたけど、見かけなかった。前回、エゾタヌキに会ったんだよなー。さてこの日の宿は、十勝川温泉。走らなくちゃ!釧路から帯広へ!
2024.06.03
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阿寒湖出発して、屈斜路湖。あまり観光地化されていないのに、中国人観光客を乗せたバスが止まっていた。天気は回復して、晴天。水が綺麗だった。途中、砂湯があり、砂を掘っていくと、湯が出てくる。前も寄った記憶あり。深く掘れば足湯!?摩周湖風もなく静かな摩周湖。摩周湖といえば布施明を思い出す人は、もうシニア、、、一休みで、ソフトクリーム、、摩周湖の水。今回、私が行きたかった湖、オンネトー。阿寒湖で見た雄阿寒岳と、オンネトーで見る雌阿寒岳。平日だったので、観光客もあまりいない、静かな湖ばかり。青みがかった湖を見ながら、ゆっくりしたい気分ではあるが、何せ、次の目的地までひたすら走らなければならず。北海道は広ーい!海や草原に比べで、湖って地味目な観光スポットだね。
2024.06.01
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夕刻、阿寒湖そばの宿に到着。阿寒湖には一度来たことがあり、阿寒湖クルーズなるものもしたが、立ち寄りだったから、今回宿泊。前日夕食はビュッフェだったから、今回は和食会席。部屋から、ちょいと阿寒湖が見えるが、部屋は広めなツインルーム。部屋の横にこのブースの専用足湯あり。少し贅沢に!大浴場は部屋から少し遠かったが、広くてゆったりした脱衣所も湯船も、混雑せずに快適だったよ。お湯は湯上がりさっぱり。足湯 夜中に利用した。夕食は、レストランブースにて。お魚はキンキ、瀬戸内海ではあまり見かけないかな。団体観光客もたくさん受け入れられる宿だけど、ビュッフェに流れるだろうから、今回は和食会席にして、正解!仕切られたテーブルで、静かにゆっくり食事ができた。地産地消で、クォリティ高いお料理だから、お酒が増える。笑北海道の日本酒、東川町蔵元の酒が気に入り、女将さんがあまり流通がないとのことで、ネットで空港の北海道物産店にあると知って、2本買って帰ったよ。笑早朝、阿寒湖散策。雄阿寒岳がかっこいい!阿寒湖横に、アイヌコタン村。早朝ゆえ外観のみ。前回博物館を見たが、とても素晴らしい作品が多かった。お土産店も並ぶ。朝食はたーくさん食べて、出発!山盛りいくら丼!いくらの下にサーモンが。笑
2024.05.29
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雨は小雨になりつつある。流氷館の映像で見た、流氷の辿り着く場所に行ってみたくなり、雨で景色が見えなくてもいいからとドライブ。能取岬のとろみさきこの岬の前が流氷で、素晴らしく神秘的な光景になっていた。また流氷の鳴き声のようなきしみ音も印象的。でも、冬には来れない。道もクネクネ、たどり着いた岬。流氷のたどり着くオホーツク海車を走らせて、振り向いた能取岬。オホーツク海を見ながら、北見方面へ走った。途中休憩した北見北見相生鉄道公園隣接の道の駅は定休日。廃線になった駅なのかな。駅舎もあり、カフェやライダーの宿とあり、簡易宿泊ができるのか。網走から阿寒湖まで、結構距離があり、夫は鹿や熊に注意しながら走った。この日の宿は、阿寒湖温泉。
2024.05.28
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さて、網走で有名な観光スポットは、博物館網走監獄。思ったより、敷地が広い。そして、来館者は、ほぼ中国人団体旅行客。旧網走刑務所の歴史的建物を保存展示する野外博物館。国の重要文化財、登録有形文化財指定のものがあり。北海道開拓時代、日本全国から囚人1200人が集められて、過酷な労働を強いられながら、網走から旭川まで繋がる中央道路や鉄道、農地開墾を行った。木造建物は、網走の地で、相当寒いだろう。監獄が観光スポットになり、たくさんの外国人観光客が訪れていて、案内音声があちこちで中国語が流れていて、インバウンドって、オセオセでやってきた感じがすごい。ホントの正門じゃない。でもホントの網走刑務所前に、中国人観光客を乗せたバスが止まり、たくさんの中国人観光客が写真を撮っていたのを見かけた。不思議ー!資料館として、資料もたくさんあり、北海道の開拓にかなりたくさんの囚人が関わっていたことがわかる。お昼ご飯には、監獄食堂という建物の中で、囚人用の食事を体験できるらしかったが、遠慮して、市内でやっている食堂で、海鮮丼を食べた。笑夫はカニラーメン。北海道のテレビニュースで網走で、カニ祭りがあったらしい。毛蟹を投げるお祭りで、受け取る側もヘルメットかぶって応戦していた。取った毛蟹はお持ち帰り!
2024.05.26
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千歳空港からレンタカーで、富良野経由層雲峡まで、だいたい5時間以上走っている。そして、昨今の熊や鹿の飛び出しや衝突を避けて、山道は慎重に運転しているせいか、夫は温泉と夕飯を食べたら、速攻で爆睡し、大好きなテレビも観ないで寝た。そして、雨の霧の中を、2日目は、予定になかった網走へ行くことにした。また2時間走る。網走オホーツク流氷館中で、流氷体感したり、網走に流れ着く流氷のビデオを見たが、自然の力ってすごい!と感じた。網走、寒さの中で生活していくには、根性が必要かな。実際の流氷を運んできたそう。この中はマイナス15度ゆえ、上着を借りて見学。動物は人形ね。笑クリオネもいました。ちいさーい!かわいーい!人気ですね!こんな子もいました。かわいい!さて、小雨の中、有名なあの場所へ。
2024.05.24
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だんだんとお天気が曇りがちになったが、宿に入るまでは降られなかった。開業70年という宿は、層雲峡温泉でも、建て増ししているせいか、収容客が多そう。山の中の温泉地。ただ、フロントからレストランスタッフから、みんな中国人。聞き取りにくい説明の女の子などいても、こちらが理解してあげる感じになる。おまけに、宿泊客も中国人団体がどんどん入ってくる。中国人観光客(台湾からかも)より、説明する中国人添乗員が非常に大声でしゃべり続けて、中国人宿泊者も団子になり、エレベーター前を占領。日本人なら二列とか整列して、他の宿泊者のじゃまにならないようにするだろうと思いながら、彼らがエレベーターに乗り終わるまで20分、くたびれた。さらにその後、日本人ツアー客が観光バスからどんどん降りてくるのを見つけた。私の旅は、あまり収容人数のない宿を選んでいたから、久しぶりに団体客のパワーをみたよ。インバウンド頼りになっているんだな。層雲峡温泉はとても良い湯だったが、団体が来ないうちにと、さっさと出た。部屋はツイン。景観はアウト、駐車場。笑それに、どんどん雨が降ってきて、明日の予定変更。ラウンジでアイヌ族の人の短いトークショーあり。アイヌの人も地域によって、全く言葉が違うことがあるらしい。この方は層雲峡にあったアイヌの方。アイヌ伝統ぬ笛、さらに踊りなど。手作り木彫りの物を少し買った。翌朝、黒岳ロープウェイの予定が、結構な雨。散策は諦めた。層雲峡から出るまで、霧の中。ホント、お天気とは縁がない。お天気だったら、ロープウェイで五合目まで行き、高山植物など散策したのに。ただ、ヒグマ目撃がたくさんあるとかで、ブルブル走った。
2024.05.23
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今年前半は、北に飛ぶ旅が続く。3月北海道南、4月東北、5月北海道東へ。下調べした天気は晴天だったのに、また雨になるらしい。笑北海道上空から見る北海道の地は、モザイクの大地から始まるのだ。同じ農業でも、なんて違うんだろう。義母は狭い棚田で苦労していたから。パッチワークの農地、整って綺麗。さて、今回の目的地は、北海道東側。ニセコあたりも好きなんだけど、また次回。ニセコ温泉郷はとても良い温泉だったが、定山渓温泉、今年登別温泉、次に北海道三大温泉地の層雲峡温泉を目指すことにした。レンタカーでちょっと時間がかかり、占冠(シムカップ)で高速道路を降りて、簡単にランチは、10割蕎麦。道の駅で高齢男性ひとりがやっている小さな店。ライダー御用達の、美味しい蕎麦だった。道の駅には熊さん剥製あり。ヒグマさん。道で出会わなければ良いのだ。富良野経由で、富良野マルシェへ。昨年同じ頃富良野に泊まり、毎日マルシェに来たから、買い物も同じ。富良野牛乳ソフトクリーム!
2024.05.20
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今まで、奥出雲町が好きで、仁多米を買いに来たり、町運営温泉施設に泊まったり、日本酒買ったりしてきたのだが、その先の雲南市には、以前、葡萄園に来ただけ。過疎化の進むこの雲南市吉田町も、実は魅力ある集落なのだが、やはり若者がいないと、最近の情報や最新のプロセスがわからないようで、アピール不足と感じた。とにかく手っ取り早くアピールできるのは山々なんだけどね。にわかにできた道の駅は立派だけど、レイアウトやスタッフの力量不足を感じた。これは宿でも思ったこと。翌日、晴天。吉田の歴史が分かる地区へ走った。石畳の坂道奥出雲同様に、吉田にも、たたら製鉄にて鉄山経営の田部家があり、蔵は田部家のもの。坂道を上がると鉄の歴史博物館と看板のある民家。田部家が呼んだ医師の医院を利用していた。たたら製鉄の製造過程を、なんと50年前に収録したビデオが上映されていた!歴史を残すって大事だよね!立派な木造建築。坂道には古い歴史のありそうな建物が並んでいた。ここから、高速道路近くの道の駅で、簡単にランチ。割子蕎麦。で、ソフトクリーム、、笑出雲蕎麦を買って帰宅。途中、広島に入って、小さな牧場に寄った。エサ100円で売っていて、もちろん、早くちょうだいビーム、、笑早くってば!可愛いこの子たちはおとなしい。私もー!で、さらにミルクジェラート!また来るねー!3時には帰宅。動物たちに癒されて楽しい締めくくりだったドライブ。
2024.05.11
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ゴールデンウィークはなるべく遠出せず。仕事もあったので、日常と変わらない日々だった。さて、開けて平日、午後より予定通りに島根県へドライブ。天気は曇りで、気温17度、特に寒くもなく暑くもない。ところが、走ってすぐ、小雨になり、県北の道の駅に着くと、気温9度になっていた。シャツ一枚じゃ寒い。目的地は島根県雲南市。毎年1〜2回は寄る奥出雲から、地図だと上の地域になるが、山間部の小さな集落で、たくさんの地域が合併して、市になった。が、仁多郡奥出雲町の方が整備されていて活気があるように感じる。前に通りがかって見つけた小さな温泉のある国民宿舎が目的地。1200年前からある温泉で薬湯とある。途中の奥出雲の道の駅で、一休み。小雨の中食べるソフトクリームなり。笑このあたりには、赤字路線木次線がある。この前まで、トロッコ列車が走り、鉄オタにかなり評判だったが終了。たまたま、三成駅に居たら来た木次線列車。三成駅にJA市場があり、筍とフキとタラの芽を買った。雨がひどくなる中、宿に到着。とても綺麗な施設で、2019年リフォームとあった。和室も洋室もあり、私は狭くても洋室があれば必ず洋室。緑が綺麗な季節。お湯は単純アルカリ泉。41度の源泉を42度あたりに加温。なんとなく草の香。島根県は和牛も有名だから、今回は和牛夕食。でも、いわゆる国民宿舎だから、おしゃれは無し。笑研修生と名札のある10代の女の子が、全く笑顔無し。淡々と作業で無言。笑宿泊客はシニアばかりで6組くらいか、8名の80歳くらいの高齢者グループが、楽しそうに食事していたよ。朝食は卵かけご飯とかで、卵かけご飯用醤油がウリな地域だ。食事の後、またお風呂に入って、さあ出発。良いお天気になった。しかし昨夜は冷えて、暖房を入れた。やはり海側と山側は天気はかなり違う。
2024.05.09
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3日目、最終日、大雨に加えて強風。春の嵐はかなり手強い。幸に観光するプランは立ててない。9時にチェックアウトして、帰路にある日帰り温泉に寄った。アルカリ泉で、とろりとする。美肌の湯。やはり地元の常連さんが、大雨にもかかわらず、来られていた。中山平温泉。予想通り、とろりとするお湯、源泉掛け流し。だけど43度くらいあるだろうか、熱め。同時に入った地元高齢者女性、いつもはもっと馴染みがいるのに、雨の日は来ない人が多いんだと言われた。だから、湯もみんなが入らないから熱いんだと。方言、訛りがあるから、なかなか聞き取れないが、こちらとて、広島弁訛りで話すからねー。笑さて、次に、石巻市に向けて、走った。道の駅で買ったおやつ。ずんだだんご。石巻市でお昼ご飯は、テキトーに寿司店へ。小さな寿司屋、カウンターだけ。高台に上がって、津波被災地石巻市内を見渡した。まだまだ復興できたとは思えない風景だった。当時、この高台から海を眺めたのだと思う。胸が締め付けられただろう。傘がさせないほどの強風に、せっかく咲いた桜もかわいそうだった。お天気だったら、お花見日和だっただろう。仙台空港でも、こけしが展示。お弁当を買って、うちで夕飯とした。夫は、牛タン弁当。私は、米沢牛弁当。広島と仙台、1時間あまりで結ばれていたなんて、とても東北が身近に感じた。1週間くらいあるなら、仙台空港から、山形県、岩手県を回れそうだ。仕事辞めたら、いや、待てない、仕事休むかなー。働いて予算残さなくちゃ!笑4月、北に飛んだ第二弾、終了。
2024.04.20
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私が行きたかったのは、、テレビで紅葉シーズンになったら必ず登場する鳴子峡。秋の景観とは段違いだけど、深い谷の上に現れる橋。レストラン併設のレストハウスからの写真なんだけど、レストハウスは冬期休業中。ゴールデンウィークには開業してるかな。それだけ、雪が深いのか、、水の音がすごくて、雪解け水が流れている。今回、滝ばかり、見ているような。やはり夫は遠くにいて、鳴子橋から目をそらしている。私はすごくワクワクするんだけど。鳴子温泉へ。鳴子こけしは有名。作者の名前のあるこけしは、結構高価。実は父が東北に出かけた際に、こけしを何体か買ってきている。鳴子こけしもあるのかな。新たにこけしを買おうと思ったけど、シニア断捨離を思って躊躇した。今夜は、夫がわざわざ会員になって予約した◯◯◯温泉◯語の宿、お手頃な宿。スタッフも親切だし温泉の湯はよかったけど、バイキング形式の夕飯は、産地ものもあまりない中、夫はホルモン焼いていた。気仙沼ホルモンだというが、、、私はあまり食べたいものがなかったよ。温泉目的だからいいけどね。夜から雨予報、予報はあたり、深夜から結構降り始めた。やはり雨はつきもの。鳴子峡でひっそり見かけた、ふきのとう?
2024.04.19
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銀山温泉を出て、しばらく走ると、赤倉スキー場があり、そのあたりも温泉地らしく、日帰り湯を検索して、寄ってきた。山形県最上郡 奥のほそみち赤倉ゆけむり館という、公共日帰り温泉施設。地元の人で賑わっていて、住人は200円くらいで利用できる。3種類の温泉「芭蕉の湯」「曾良の湯」「峠の湯」があり、日本庭園の中に露天風呂がある感じだが、日差しがあったから、内湯から眺めた。公式HPよりとても清潔な落ち着いた施設だった。ロビーで地元野菜など販売していた。利用者が高校生くらいの女の子二人だったがお風呂から上がり、お湯は熱めだけど、湯船でひとりになって、じっくり浸かった。さて、今夜の宿へ。宮城県に戻り、北に向かう。
2024.04.17
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秋保温泉は宮城県だけど、地図を見ると、県境近くにあり、隣は山形県で、中でも有名な銀山温泉がある。秋保温泉から2時間くらいかな。ただ、「ここは絶対通ってはいけない!」という現地から警告された経路があり、かなり狭く険しい山道のようだ。ところがカーナビに任せていると、そこを通らせたいらしい。何度も「違うから!」とナビに言い聞かせる。笑前に大分県でそういう崖の険しい山道をナビの案内で通ったことがあり、ナビは信用ならない!山形県に入って走っていたら、パトカーが路肩に止まっていて、道の真ん中に黒いかたまり。あ、熊の赤ちゃんだ。動かないから車に当たったんだろうな。ということは熊が出没するんだ、、、山の集落から少し離れた段々畑の上方に、なんだか動くもの、、大きいから、たぬきや犬じゃなく、、、大人の熊ですわー!野生の熊を見たのは初めて!ちょっと用心しながら走る、、、旅先では、野生動物によく出会わすが、熊はもういいかな。笑銀山温泉集落は、狭い範囲なので、その手前1〜2キロあたりに観光者用駐車場があり、温泉地まで歩くようになっている。ツアーバスが数台いて、観光客がバスに戻るために歩いて帰ってきていた。この日は気温20度のお天気で、上着はいらないくらいだ。私が友人と銀山温泉に泊まったのは、コロナ前の2018年だった。昼間も賑わっていて、夜の温泉地も風情があって、また来たいなと思った。ところが今回、賑わいが全く感じられなかった。川の両側に歴史ある宿が並んでいる銀山温泉。台湾、タイなどの観光客もちらほら見かけた。私が泊まった宿も修復中、またほかの宿も休業、修復中とあり、日帰り湯をやっている宿が数件あるのに、全て休業。ゴールデンウィークに向けて休業して手直ししているのかな。「おしん」ロケ地、銀山温泉、前回、おしんこけしを買ったのはこの店。この先に、銀山温泉にも滝がある。やはり水流が激しい東北の滝。下から見上げるのに、夫は滝にこようとはしなかった。食堂が二軒くらいしかなく、お蕎麦屋さんへ。揚げナス冷やし蕎麦。美味しかったから、家でもやってみよう。唯一、公共の日帰り湯があるので、寄ってみたら、公共の日帰り湯、隈研吾さんがデザインした小さな湯しろがね湯。一人、係の男性がいるだけ。風呂も2、3人しか入れない小さな湯船らしく、貴重品ロッカーもなく、入湯料金を現金を渡すだけ。ちょっと持ち物が心配で断念した。私はこういう歴史建物のある温泉は大好きだけど、夫は銀山温泉に泊まりたいとは言わないだろう。風情はイコール不便ととるか、それを楽しむかなのだろう。さて、銀山温泉は、2時間くらいで出発。
2024.04.16
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仙台市内から車で1時間の場所にある秋保温泉。秋保を「あきう」と読むなんて。秋保温泉も仙台市。チゥックインする前に、秋保大滝へ。道路脇駐車場から徒歩5分くらい。水の音がすごく、水量が多い。勢いもある。雪解け水があるのかな。日本三大大滝らしい。しかし、夫は滝がよく見える場所には近づいて来ない。私のように、滝壺を見たいとは思えないらしい。高所恐怖症の夫は、私に付き合って仕方なく滝に来たけど、早く帰りたいらしい。さて、秋保温泉の旅館、和風旅館が宿。久しぶりに和室10畳くらいでお布団を敷いてもらう部屋。夫婦だけならじゅうぶんな広さ。古い旅館ながら、綺麗に清掃されていて、一番不便なことは、携帯の充電コンセントだけ。Wi-Fiは完備。温泉は、無色透明、塩分を含み、皮膚の傷には殺菌作用を発揮するとある。なるほど、足の擦り傷が緩和したような、、、食事はごちそう。大きなアワビもあり、スタッフに食べやすくカットしてもらった。写真は撮り忘れ。笑仙台牛、柔らかでおいしかった。牛タンも先に食べた。どんなにおなかいっぱいでも、デザートまで完食。おなかいっぱいで一休みしたら寝入って、就寝前に湯に入れなくて、朝もう一回入った。夫は、10年前にも、仙台出張の時、数人で秋保温泉に泊まったらしいのだが、全く宿を覚えてないらしい。高級旅館だったということだけ。笑
2024.04.13
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仙台ではやはり観光の定番、仙台城(青葉城)へ向かった。道がわかりにくいのと、駐車場がわかりにくいのと、ナビ頼りながら、ナビ通りに行けず、やっと到着。花見シーズン、混雑はしているものの、あちこちににわか駐車場があり、止めることができた。この周りには東北大学キャンパスがあり、たくさんの学部校舎の周りを走ってたどり着く。この坂道、通学は辛いな。笑伊達政宗像は有名。高台にある仙台城跡公園からは市内がよく見渡せる。お天気なのは嬉しい。本丸跡同じジャケットを着たボランティアのシニアグループが、パンフレットを配布したり、無料ガイドを引き受けて、観光客に対応していた。地域貢献、社会貢献、生涯学習、いろいろな言葉があるが、やはり歴史を生きてきたシニアには、こういう活動は生きがいになると感じる。近くにある瑞鳳殿。やはりシニアグループが駐車場で活躍中。仙台も桜が開花し、満開にもう一歩という感じだが、瑞鳳殿にある桜は満開で綺麗。仙台も外国人観光客が多かったが、台湾からの観光客がたくさん居て、いろんな場所で記念写真を撮っていた。あとで空港で知るのだが、台北からエバー航空やLCCなど、1日3便も発着していた。広島ー台北は1往復、台湾では東北観光は人気があるみたいだ。七夕まつり、羽生結弦くんの衣装を真似たものらしい。坂道を登り降りして、良い運動になった。この日、仙台は気温20度。上着は必要ないくらい。さて、今夜の宿の温泉地まで。1時間ドライブ。
2024.04.11
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帰郷して、広島空港から仙台便が1日3便あることを知った。IBEXとANA共同運航。東京時代、三陸あたりは旅行したが、飛行機ではなくJRが交通手段だった。今回は2泊3日で、温泉地に泊まることを目的にした宮城の旅。また北へ。さて、初めてのアイベックス。晴天なり。小さな飛行機、定員70名。そして満席。搭乗して、いきなり楽天イーグルスの応援ユニフォームを着て出迎えるCAさんに挨拶。あ、楽天イーグルス特別号だったんだ!1時間半もしたら、仙台空港到着。空港近くのレンタカーを借りて、まず昼食。機内誌に載っていたラーメン店へ行った。行列のできている店だったが、回転が早くて、20分くらいしたら食べることができた。鴨出汁ラーメン味噌ラーメンさあ、観光開始。宮城県は三陸には行ったけど、都市仙台は初めて。綺麗な街の印象だ。
2024.04.09
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3日目は最終日。ホテルでゆっくり朝食をとり、新千歳空港へ。11時過ぎ、早めに昼食。やはり、北海道ではラーメンも食べなくちゃ。そして、必ず忘れない、ソフトクリーム!アイスがかためで、クリームが溶けにくいのはすごい!!空港にはソフトクリームを売る店があり、あちこちの椅子で、ソフトクリームを食べている人を見かけた。荷物は預けているから、楽ちんで、再度買い物をしていたら、美味しいお菓子がありすぎて買い過ぎたよ。笑黄色いANA??STAR WARSラッピングだった。機内から見た景色が、美しい。羊蹄山、倶多楽湖支笏洞爺国立公園特別区域にあり、約4万年前のクッタラ火山山頂部の陥没でできたとされる、周囲8kmのきれいな円形をしたカルデラ湖。流入、流出する河川がなく、水質は全国でもトップクラスで、透明度は摩周湖に次いで高い。名前の由来は、アイヌ語で虎杖浜の湖を指す「クッタルシ・トー」が由来といわれる。wik広島空港に着いても、高速リムジンバスがなかなか来ない。こういうところは地方都市の悲しさ。旅日記、読んでいただき、ありがとうございました。次回の旅をお待ちください。4月号あります。笑
2024.04.03
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新札幌駅近くのホテルに荷物を預けて、エスコンフィールドシャトルバスで、スタジアムへ向かった。20分くらい乗車、どんどん、寂しくなる風景に、ドーンと現れるエスコンフィールド。しかしバス代片道600円はお高め。行きも帰りも乗客3人だったから、仕方ないかなあ。私は昨年夫と来たけど、同じ平日でも、もっと観光客で賑わっていたし、お店もたくさん開店していたから、やはりオープン1年、落ち着いたのかな。団体旅行客もたくさん来ていたけど、今回は全く見ない。私はダルビッシュくんが好きで、だんだん大人のカッコよさが重なってきたよね。もちろん大谷くんも応援してるけど。エスコンフィールドをぐるりまわって、予約時間に集合場所へ。スタジアムツアー(福岡ドームでは、バックヤードツアーと言っていたな)は、約1時間。選手のロッカールームや新庄監督の部屋、トレーニングルームやバッテリー練習場など、ぐるぐる回る。写真は撮れない場所が多いから、載せられないけど。友人は実は日ハムファン。広島はカープが大好きなんだそうだけど、リーグ違えば日ハムらしい。だから興奮して回っていて、写真撮影禁止のところもうっかり携帯かざすから何度注意したことか、、やれやれ。最後には、入ってはいけない場所も踏んでしまうから、「参加者みんなルールを守っているのに、あなただけ何度もルールを守らないのは常識のある年齢なのに、恥ずかしいことだよ!」というと、猛省していた。笑私が注意してない時も案内するファイターズガールに注意されていたからね、ホント、恥ずかしい。笑グラウンド整備中。芝の育成のためのライトらしい。ロッカールームの一枚。未使用のロッカーを写真用に開けてくれていた。ロッカールームは広くて、いい香りがする。新庄監督が香りにこだわって、どの部屋もいい香り。ベンチと新庄監督席。自由にみなさん座っていた。笑記者会見室の壁が、とても素敵だったよ。過去に遡って、貢献した選手たちの写真が、選手の通る廊下にもたくさん掛けてあった。今回案内していただいたファイターズガールさん。お世話になりました。インタビュー台が片隅に置かれていた。買い物を済ませて、バスで駅に戻り、ホテルチェックイン。ショッピング街でテキトーに惣菜パンを買い、ホテル地下のスパでゆっくりして、2日目終了。
2024.04.02
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登別温泉から札幌駅前までの直行高速バスは、午前中1本あった。9時半発11時15分着で、チェックアウトもちょうどいい。昨夜9時には寝てしまった友人(私は11時頃就寝)は、なんと朝も起こさなかったら、7時になっても起きず、さすがに7時半に予約した朝食に間に合うように起こした。笑日頃も一人暮らしだから、9〜10時には寝るんだって。旅先で10時間寝られる人はすごいよ。笑さて、札幌駅着。滑らないように注意しながら、、、道路は雪はないけど、その分、歩道はツルツル、御用心。前から調べて行きたかった、根室発の回転寿司屋。12時まえでも、1時間待ちだったのだけど、立ち食いブースならすぐ順番が回ってきそうで、10分待ったら、食べられてラッキー。カウンターの前で握ってくれて、すぐ食べられる。カウンター中の担当は女の子だった。ボタンエビが大きいな。生サーモン!地元だと、冷凍だよね。ホタテが美味すぎる!たらこそして、根室の郷土料理らしい、ふのりの味噌汁。ふのりって海藻、コリコリで好きな感じ。それも2月3月しか採れないもので限定。お汁でお腹いっぱいになり、食べ忘れた花咲カニ。食べて見たかった。友人は魚中心に食べていた。友人はそれにイカが好き。クォリティの高い、美味しいお寿司、回転寿司もここはおすすめ。さて、次の目的地までJR,新札幌駅まで、すぐ。
2024.03.31
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3月が誕生日の友人との誕生日記念旅はやはり3月になり、昨年も小樽、定山渓温泉に行ったのだけど、やはり雪があるお天気だった。それでも今回は晴天。広島は連日雨だけどね。広島空港ー新千歳空港のエアチケットは、3月発着でも早割だと安いので、片道12000円くらい。だから宿泊費込めても旅費は私の月10日勤務のパート代でまかなえる計算なので、選びやすい。新千歳空港から登別温泉ダイレクトの高速バスは完全予約制。国際線ーANAーJALと停留所があり、最後の方に乗ったら、8割くらい乗車していた。うち、若い外国人が半分くらいで、みなさん、よく調べて旅をしているんだなと感心したわ。1時間ちょっとで登別温泉バスターミナル到着。鬼のみなさんがウェルカムと言っていた。笑荷物を宿に預けて、地獄谷散策。この友人は1日2000歩も歩かないという運動苦手な人だから、励まして坂道を上がり、地獄谷へ。硫黄の臭いが漂う。団体旅行の韓国人中国人観光客が、さまざまなポーズでシャッターを押していて、面白い。笑鉄泉池 80度くらいに湧いている源泉。お宮は閻魔様登別温泉は大きな団体客も受け入れられる、大きな観光ホテルがたくさんある。バブリーな時代は、さぞや多くの浴衣姿のお客様が歩いていただろうと思われる。で、私が予約した宿はこじんまりとした団体客は受け入れられないだろうと思われるところ。笑お雛様ディスプレイお風呂は白濁の良い泉質、夕食前にゆっくり入った。部屋は和室10畳にベッド2台置いてあるコンパクトな部屋だがじゅうぶんだ。夕食は登別でもお刺身あり。なんて言っても、デザートは、北海道ミルクソフト!
2024.03.29
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