シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

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大西俊郎

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カテゴリ: サ~ソ
ジャン・ポール・ベルモンド 、フランス映画ファンで彼の名を知らない人はいないだろう。日本で人気沸騰したのは、1960年(昭和35年)のこと、映画はヌーベル・ヴァーグの代名詞となった映画「勝手にしやがれ」だった。

勝手にしやがれ(’59仏)

この映画は衝撃的な作品で、私たち映画青年は夜を徹して夢中で論じ合ったものである。ヌーヴェル・ヴァーグのこと、時代の寵児ゴダールのこと、ジャン・ポール・ベルモンドのことなど、話は尽きなかったものだ。

「田舎は美しい。俺はフランスが好きだ。海が嫌いなら、山が嫌いなら、都会が嫌いなら、勝手にしやがれ!」
自動車泥棒で盗んだ車をぶっ飛ばしながら、主人公ミシェルが喚くセリフだ。

演技指導も台詞もなく恐らく手持ちカメラで撮影したであろう映像にしびれたものだった。
「とにかく走れるだけ走れ。いやになったら倒れてくれ」

ミシェルが銃弾を受けて死ぬラストシーンで29歳の新人監督ジャン=リュック・ゴダールはまだ無名の俳優に過ぎなかったベルモンドにこう云ったそうだ。

ベルモンドはよろけながら走り、そして倒れた。道行く人はただの酔っ払いと思ったそうである。




ベルモンドは1933年4月9日パリ郊外のヌイイ・スュル・セーヌで生まれた。父のポール・ベルモンドは、フランス美術アカデミーの会長もつとめた彫刻家で画家、母も画家だった。

子どもの頃はよく遊んだが、体が弱く、静養のために田舎の農家に預けられた。健康を取り戻して家に帰ってからは、サッカーに熱中し、ゴールキーパーを担当。15歳の時にボクサーになる夢を見たことをきっかけに、今度はボクシングに熱中する。両親に無断でボクシング・クラブに入り、練習を積むが、父に反対されてボクサーになる夢は諦めた。

1949年、16歳のベルモンドは演劇に興味を持ち、コンセルヴァトワールの入学テストを受けるも落ちる。しかし、別の演劇学校で学び、コンセルヴァトワールに入る準備を始めた。

1950年7月3日、パリの病院を巡回する一座のメンバーとして、初舞台に立つ。演目は『眠れる森の美女』で、ベルモンドの役は王子様だった。その後ピレネー地方での夏期巡業にも参加。ここでコメディアンのギィ・ブドスと知り合った。

翌1951年に念願のコンセルヴァトワール入りを果たし、アルバイトをしながら演技を学ぶ。やがて舞台に出演する機会を得たベルモンドは、1953年には代役ながら主役をつとめることとなる。またこの年に、ルネ・コンスタンス(愛称エロディー)と結婚、翌年には子供が生まれた。

その後も舞台の経験を積むにつれ、次第に演技派との評価が高まった。1956年7月1日にコンセルヴァトワールを卒業。このころには演劇批評家からも注目されるようになり、卒業直後の公演では優秀な賞を獲得した。

演技力を高く評価されたベルモンドを映画界も注目した。1957年に端役で映画出演するようになり、マルク・アレグレ監督の「黙って抱いて」には、やはり無名時代のアラン・ドロンも出演していた。

1958年にはジャン=リュック・ゴダール監督の短篇映画「シャルロットと彼女のジュール」に出演。ちなみにこの映画撮影後ベルモンドが兵役に出てしまったので、ベルモンドの声はゴダール自身が吹き込んでいる。

パリに戻った1959年、ベルモンドはクロード・シャブロル監督「二重の鍵」に出演、これまでのチョイ役に比べると重要な役で、その存在感を示したベルモンドは映画でも注目された。

そして同年、ふたたびジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」に主演。ヌーヴェルヴァーグの代表作として大ヒットするとともに、ベルモンドを一躍映画スターの座に押し上げた。

こうして、年に数本の映画に出演するようになり、それらはドラマ性の高いシリアスなものが多く、成功した作品ばかりではないが、ベルモンドは着実な演技力に支えられて、ヤクザから貴族に至るまでの幅広い役をこなした。




この映画は大ヒットし、ベルモンドも新しくアクション俳優というイメージを持たれるようになる。1965年には同傾向の「カトマンズの男」に出演するが、これで共演したウルスラ・アンドレスと恋に落ち、行動を共にするようになる。そして翌年にアンドレスが離婚したのを受けて、ベルモンドも9月19日に離婚する。

また65年には、またもやゴダール監督の「気狂いピエロ」に主演する。しかし、ベルモンドはシナリオを使わないゴダールのやり方を批評し、「二度とゴダールとは仕事をしない」と宣言した。一方のゴダールも、1970年に商業主義の映画を嫌うと宣言し、もっとも使いたくない俳優の筆頭にベルモンドを挙げている。

1969年にはアラン・ドロンからの申し込みを受けて、初めての本格的な共演映画「ボルサリーノ」に出演。85万人を動員する大ヒット作となった。また他の作品に「いぬ」「警部」「パリの大泥棒」など多数ある。

ボルサリーノ2 いぬ パリの大泥棒

その後、1974年からはプロデューサー業にもせいを出し、76歳の現在もかくしゃくたるもののようだ。私生活では結婚を2回している。





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Last updated  2010.01.20 13:59:02
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Re:ジャン・ポール・ベルモンド ヌーヴェル・ヴァーグの波に乗り大スターになった男(01/20)  
おぉぉぉ~ 最近無料アニメ、ドラマ、最新映画がイッパイあるネットを見つけたわ。

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(2010.01.20 14:32:00)

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