吟遊映人 【創作室 Y】

吟遊映人 【創作室 Y】

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

吟遊映人

吟遊映人

カレンダー

2014.08.26
XML
テーマ: コラム紹介(119)
カテゴリ: コラム紹介
【北國新聞 時鐘】
20140826

昭和天皇(しょうわてんのう)が植樹祭(しょくじゅさい)で石川県を訪(おとず)れた1983(昭和58)年のこと、砂丘(さきゅう)の植物(しょくぶつ)を観察(かんさつ)された天皇が記者団(きしゃだん)の数メートル先まで来て帽子(ぼうし)に手をあててニコッとされた。

顔見知(かおみし)りの宮内庁(くないちょう)の年配(ねんぱい)記者に気づかれたらしい。隣(となり)の記者が頭(あたま)をさげたので気がついた。だが、最初はただただ驚(おどろ)いた。われながら単純(たんじゅん)な話だと思うが、多くの人が指摘することでもある。それまでの昭和天皇観(かん)が一変(いっぺん)したのだった。

明治(めいじ)に生まれ「現人神(あらひとがみ)」として戦前戦中(せんぜんせんちゅう)を生き、この「天皇」の名の下(もと)に何百万(なんびゃくまん)の人々が亡(な)くなった。重(おも)い、などという言葉(ことば)では表(あらわ)しきれない歴史を背負(せお)った人がいま、昭和21年生まれの自分の目の前を通っていく。この感情(かんじょう)をどう記事(きじ)にすればいいのか身(み)の引(ひ)き締(し)まる戸惑(とまど)いだった。

「昭和天皇実録(じつろく)」が完成した。人間天皇の素顔(すがお)を描(えが)くものではなく昭和史の真実(しんじつ)を描くものでもない。だが、戦争(せんそう)も平和(へいわ)も繁栄(はんえい)も貧困(ひんこん)も破壊(はかい)も憎(にく)しみもあった昭和を一身(いっしん)に受け止めた「昭和天皇」の姿(すがた)が記されていることは間違いなかろう。

そこに迫(せま)る記述(きじゅつ)を探(さぐ)ってみたい。戦後の40年ばかり、同じ時代を生きた者(もの)の責任(せきにん)だと思う。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それを「昭和天皇観」というのかわからないが、私も同様の経験がある。
もう40年近く前の事である。国体の開会式で、当時高校生の私は幸運にも、間近で陛下を拝する栄(もちろん私はそこにいただけだ)を賜ったのだ。陛下は生徒の一団にむかいニコッとされた。
それまで天皇や皇室は次元の異なる話しと思っており、別段の興味もなかったが、陛下の微笑みをお見受けしてから陛下と皇室がイッキに身近になった。不敬をお許しいただきたいが、それ以来私は昭和天皇のファンとなった。
だが、それは私だけではない。当時の仲間と会う折は必ずその話題となる。各々が「私を見て微笑まれた」と言ってきかないのだ。昭和天皇の微笑みは、それぞれが鮮明な記憶として、「青春アルバム」の一ページに刻まれているのだ。タイトルは「私の天皇陛下」、一団は皆、昭和天皇のファンなのである。

余談まで。
当時皇太子殿下であられた今上天皇は競技をご覧になるため、我が母校に来られた。授業はなかったのだが私はイソイソと出かけ、玄関の最前列に陣取り皇太子殿下をお迎えした。


御無礼ながら時鐘氏の

『身の引き締まる戸惑い』

はおおいに共感できる。そしてそれこそが日本人を日本人たらしめる極めて健全な感情であると思うのだ。それは畏敬の念の発露であり、先祖から受け継いできた感情の歴史である。

このたび「昭和天皇実録」が完成されたという。

常人のはかり知れない重荷を負うて生きてこられた昭和天皇の、あの微笑みに思いを馳せ、実録の完成を心よりお慶び申し上げる次第だ。


20130124aisatsu





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.08.26 15:25:28
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: