保育士コーチ松原美里の「子育て応援隊」

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私が保育士になった理由と、児童養護施設

□ 私が保育士を目指した理由。

それは、とっても単純でした。
幼稚園の時の先生が、とっても優しくて大好きだった!

初めは、それだけでした。

そうして、高校生になり、保育科のある短大を探していたあるとき。

偶然に見た、TVの番組で、
HIVに感染した両親とこれからHIVが発症しうる
可能性を持つ子どものお話を放送していました。
ご両親は、余命があと半年。
子どものその後のことは、ホストファミリーに託すということで
月に一度ずつ、ホストファミリーのご夫婦と交流を持っている
・・・というお話でした。

そのご両親は、
「これから、おまえたちも発症するかもしれない。
 もしかしたら、いじめられるかもしれない。
 でも、その時に、自分達はもう、この世にいない。
 強く生きなさい!」
・・・って子ども達に言うんです。

あまりにも衝撃的な番組に、なんだか私は涙が止まりませんでした。

そうして保育単科の短大の授業でも、「児童福祉」という言葉が
頭から離れなくなり、実習も、先生に
「児童養護施設か精神薄弱児施設か重度障害児施設か盲学校にしてください!」
とお願いに行き、当時の虚弱児施設に実習に行かせてもらい、
とても衝撃を受けました。

就職をするなら、福祉系。

でも、私はどうしても「横浜市」にこだわってしまい、
横浜市の保育園(子どもと生活を共にできるところ)に就職しました。

そこでは、当時 朝8時の早朝保育から、
通常の保育をはさんで6時までの延長保育を行っていました。

一年間勤めましたが、そこで私が痛感したことは
保育園で過ごす時間が、睡眠時間を除いた
親とかかわる時間よりも長くても、
そのわずかな時間で、
子どもの生活パターンやあり方が決まるということでした。

もっと、子どもの生活に密着した生活がしたい。
そうしたら、子どもの生活や生活はどうなるんだろうか?

そんな想いから、
児童養護施設へと転職をすることになりました。

□ 児童養護施設とは?

児童養護施設 とは、親に事情があって、

 一緒に生活ができない家庭のお子さんが

 児童相談所から措置されてきて集団で生活をするところです。

 全国に555箇所あまりあります。

 そこには2歳から18歳までの子ども達が生活をしています。

 朝起きて、ご飯を食べて、ここから幼稚園に行く子。

 小学校に行く子。

 中学校に行く子。

 高校へ行く子。

 帰ってきたら、彼氏に会いに行く子。

 具合が悪くなったら、職員が病院に連れて行きます。

 参観日にも、親の替わりに職員が参加します。 


ここに、親御さんが会いにくる子もいれば、会いにこない子もいます。

そこで出会った子どもたちが可愛くて、愛しくて。

「子どもの笑顔のために、大人に元気になってもらいたい」

…と思い、保育士を辞めてコーチなどをしている現在も

ボランティアとして、月に一度一緒にご飯を作ったり

イベントにお邪魔して子どもと戯れたりしています。






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