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私は21才で結婚と出産をした。
子供の数は母は一人、私は二人。
自分の母性愛を実感しなかったことや
夫が三つ年上でちっとも家庭的じゃなかったことは同じ。
母の長い説教は中学時代がピークで高校に入学してからはぐんと少なくなった。
父の説教はそれよりもっと早くに少なくなっていた。
単純に一緒に過ごす時間が減ったことによってそうなった。
そんな中でだんだんと私にとっての「家の悩み」は
自分が当事者の問題から「両親が不仲な件」へと変わって行った。
18才で家を出てからはその悩みからも遠くなった。
自分と親の過去のあれこれは
わざわざ思い出したいことでないだけに意識して振り返ることはなかったし
意思に関係なくフラッシュバックしてしまうなんてこともなかった。
なんだかんだいって私は親に対してそれほど批判的な感情を抱いてはいなかった。
その時々でそうした気持ちになることはあったのだけど、
結局のところ、仕方のないことなのだと思っていたのだった。
母は私が悪い性格だから愛したくても愛せないのだし
私を痛めつけるような言動は
ストレスや体調の悪さのせいで心に余裕がなくなっているせいなのだ、
母が悪いわけじゃない。仕方ない。
父は私の本当の父親じゃないのだから愛せなくても仕方ない。
二人はそれぞれにストレスを抱えていて、だから、
いつもピリピリしていて些細なことで腹を立ててしまうのだ、
お互いそうだからひっきりなしに夫婦喧嘩になってしまうのだ。
仕方ない。
自然災害みたいなもので嵐がいやなら嵐の来ない場所へと自分が行くしかない。
結婚は何も相談しないで決めた。
父は怒って反対するだろうと予想していたけれど
それはどうでもよくて気になるのは母だった。
母はきっと悲しい気持ちになるんじゃないかと思った。
怒られるのは構わないけれど悲しませるのは気が重い。
予想どおり父は頭ごなしに反対した。
だけど妊娠を告げたら態度が一変、予想外の祝福態勢になった。
母はぼんやりした表情で何を言えばいいのかわからないみたいな感じに見えた。
私は母の様子に胸が痛んだけれど、結局、わざと軽い調子でごめんねと言った。
しばらくして母から手紙が届いた。
自分は良い母親じゃなかったと謝った上で、
結婚と出産については本当にそれでいいの?
もしもそうじゃないなら助けるよ、遠慮しないで言ってね、という内容だった。
初めてもらった優しい言葉だった。
だけど私はそれに対する自分の気持ちがわからない。
当時もわからなかったし今でもわからない。
手紙の返事は書かなかった。
会った時に、母が手紙を話題に出した際には、
とぼけて笑い流したんじゃなかったかと思う。
母や父はもちろん、
夫や夫の両親からも里帰り出産をすすめられた。
行きたくないとねばったけれど夫が折れてくれず
仕方なく臨月に入った頃に実家に行った。
実家では父がまさにフィーバーだった。
赤ちゃんが生まれることが楽しみで仕方ないようで
あれもこれもと赤ちゃんグッズを買ってくるし
おなかの子が心配なあまり私のこともいろいろ気遣ってくれた。
母はおなかの子より私の方を気にかけているふうだった。
自分の経験から
妊娠とは母体にたいへんな負担をかけるものなのだという思いが
強かったのだと思う。
もっとも私は何の問題もない妊婦だった。すこぶる健康。
とにかく久々の実家は、予想に反して、なかなか快適だった。
意外にも私は赤ちゃんを育てることに結構向いていたみたいだ。
子供本人が育てやすいタイプだったということもあるのだろうけど
私も赤ちゃんの世話をする上でのあれこれを苦に感じなかった。
もしかしたら
母性愛に満ち満ちている人の方が却って
ストレスやたいへんさを感じやすいんじゃないだろうか。
妊娠中、私には、
「おなかの子が愛しい」という思いが
ひたひたと込み上げて来るということがなかった。
母のようにそれどころじゃなかったわけじゃないのに、なかった。
誕生した時も沸き上がらなかったし感動もしなかった。
母のように意識が遠のいていたわけでもないのに。
大抵の人には
母性愛というものが沸き上がるものなのだろうという認識だったから、
自分は残念なタイプなのねと思いはしたけれど、
そんな予感はうっすらあったし、だから、
気分的には、ああやっぱりねと、あっさりしたものだった。
そうはいっても、子供に対して、なんかごめんねって気持ちにはなった。
子供としては
「おなかの子が愛しい」という思いが
ひたひたと込み上げて来るような母親の方が望ましいだろうし。
でもこればっかりはしょうがないじゃん?というわけで、
ごめんねより少し軽い「なんかごめんね」
そのちょっとした引け目が、
世話をする上でたいへんと思わないことに繋がってたって所はあったと思う。
そんなこんなで、ほぼ一人でこなして、親にはそれほど負担をかけずに済んだ。
一人でこなしたとはいえ
そうすべきと頑張ったわけじゃなく
無理するつもりなくただ目の前のことをやってたらできちゃっただけだ。
私も含めて三人とも深刻なたいへんさを抱えていなかっただけに、家の中は、
赤ちゃんて可愛いね、面白いねと、明るく楽しい雰囲気に満ちていた。
父と母の仲もかつてと比べればずっとましだった。
父が怒って母が応戦するという流れなだけに父が機嫌良ければ争いにならないのだ。
次の年にまた里帰りして二度目の出産をした。
年子の出産や子育ては最初の子がまだ赤ちゃんなだけにたいへんなものだけど
私はそんなにたいへんじゃなかった。
当時の私は夫に困っていた。
夫との暮らしがたいへんだった。
これに比べれば子育てなんて全然たいへんじゃないやと思うほどに。
子供たちは二人とも手のかからないタイプだったし、
皮肉にも夫が家庭をかえりみなかったことで
私と夫それぞれの両親のサポートが手厚かったりもした。
母子家庭みたいだった私たちに親たち四人はものすごく優しかった。
あふれんばかりの愛情と同情を注いでくれたのだった。
夫の両親に対しては、ただひたすらに好意と感謝を感じた。
とても良くしてもらっているということもあるけれど
人柄的に文句のつけようがない人たちだからなおさらだ。
だけど自分の親たちに対してはそうじゃなかった。
私の親は人柄的に文句のつけようがない人たちなんかじゃないけれども
それだけじゃない。
子育てしていると何かと自分の子供時代を思い出す。
自分の時はどうだったかな、自分の親はどうだったかな。
子供の頃には比べる対象がなかったり大人の心が未知の世界だったけれど、
親と同じ年齢、同じ立場になって、
子供たちや他のお母さんたちの本音の部分に接する日々の中で眺めてみれば
うちの親は一体どういうつもりだったんだ?
と言いたくなるようなことがいっぱいだった。
うちの親はひどかったんだと思うようになった。
仕方なくはなかったのだ。
愛情のあるなしは理由にならない。
血の繋がりのあるなしも理由にならない。
母のことを嫌いじゃないし憎しみも感じていない。
いやな所もあるけれど好きな所や尊敬している所もある。
普通だ。
ただ、一緒にいたいと思えない。
安らがないし素でいられないし、疲れるのだ。
私と子供たちはものすごく仲がいい。
私は子供たちとこういう関係になりたいと願っていはいなかった。
というより、どういう親子になりたいとか特に考えていなかった。
だけど、なってみると、とても良いものだと思う。
母ともこうなれてたら良かったのになと思う。
なれなかったし、この先もなれそうにないのは、
自分の性格も大きく関係している。
私は人を傷つけるのが大の苦手だ。
人が傷つく様子を見ることが精神的負担なのだ。
自分のせいじゃなくても負担なのに自分のせいだったらなおさらだ。
小さい頃からそうだった。
母が傷つくかもしれないと思うことは口に出せなかった。
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