《櫻井ジャーナル》

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2016.06.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 6月23日にイギリスで実施されたEUからの離脱を問う国民投票の結果、離脱に賛成する人が僅差ながら勝利したが、日本も似たような問題を抱えている。沖縄の独立だ。

 沖縄/琉球は17世紀から薩摩藩の植民地的な存在になったのだが、その薩摩藩が長州藩と連合して樹立させた「明治政府」は当初、琉球を日本領と考えていなかっただけでなく、日本領にしようともしていなかったように見える。新政府は1871年7月に廃藩置県を実施するが、このときに琉球国を一緒に処理しようとしていない。明治政府が琉球国を潰すと決めたのは1842年の5月から6月にかけてで、沖縄県を誕生させたのは79年。

 明治政府が1842年に琉球国を併合しようと決めた理由として考えられるのは、廃藩置県の3カ月後に起こった出来事。宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、その際に54名が殺されたとされているのだが、これを口実にして台湾へ出兵することを計画、そのためには琉球国を日本に組み込む必要があったのだろうということだ。

 日本は1874年に台湾へ派兵、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功してアジア侵略は始まるのだが、こうした流れの中に興味深い人物が存在している。厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーだ。このアメリカ領事は外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を進め、それ以降、75年まで外務省の顧問を務めた。

 その当時、朝鮮では高宗の妻だった閔妃の一族が実権を握っていたが、その体制を揺るがす反乱が1894年に始まる。甲午農民戦争(東学党の乱)だ。この戦乱を利用して日本政府は軍隊を派遣、朝鮮政府が清に軍隊の派遣を要請したことから日清戦争へつながる。

 閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃、閔妃を含む女性3名を殺害、その際に性的な陵辱を加えたことが日本への憎しみを増すことになった。暗殺に加わった奇兵隊出身の三浦梧楼公使たちは日本の法廷において「証拠不十分」で無罪になり、後に三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職についている。

 日本との戦争に敗れる前に清はイギリスの侵略戦争で疲弊していた。清との貿易で大幅な赤字に苦しんでいたイギリスは麻薬を売りつけ、利権を奪うことを決めて軍事侵略している。1840年から42年にかけてのアヘン戦争と56年から60年にかけてのアロー戦争だ。アヘン取引ではイギリス人だけでなく、アメリカ人も大儲けしていた。

 アヘン取引で大儲けした会社のひとつがジャーディン・マセソン商会で、1859年にこの会社はトーマス・グラバーを長崎へ送り込んでいる。ほどなくして彼はグラバー商会を設立、長崎のグラバー邸は武器取引に使われたが、そこには坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎たちも出入りしていたことが知られている。

 グラバーが日本へ送り込まれた年にイギリスの駐日総領事だったラザフォード・オールコックは長州藩から5名の若者をイギリスへ留学させることを決める。1863年に選ばれたメンバーは井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名だ。



 日本は1894年から95年にかけて清と戦った後、1904年から05年にかけてロシアと戦争している。この戦争では「棍棒外交」という侵略政策進めたセオドア・ルーズベルト米大統領が講和勧告を出し、韓国における日本の優先的な地位、旅順や大連の租借権、長南と旅順口とを結ぶ鉄道の経営権の日本にいたする譲渡、サハリン南半分の日本への割譲、沿海州やカムチャツカの漁業権の日本に対する譲渡などが決まった。賠償金の支払いは認められていない。

 講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意した。これは小村寿太郎の猛反対で破棄されたが、この一件でも日露戦争の裏が透けて見える。

 この当時、イギリスは日本の軍事力増強を助けていたが、戦費の調達はロスチャイルドと関係の深いクーン・ローブに頼った。この銀行はふたりのドイツ系移民、アブラハム・クーンとソロモン・ローブがニューヨークで設立したのだが、その経営を任されたジェイコブ・シッフはロスチャイルド家に近かったのだ。シッフは日銀副総裁だった高橋是清と親しくなる。

 日露戦争が始まった1904年、イギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーは世界制覇戦略を公表する。いわゆる「ハートランド理論」だ。

 彼は世界を3つ、つまりヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、イギリスや日本のような「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」に分けて考える。「世界島」の中心が「ハートランド」で、具体的にはロシアを指している。

 ロシア征服が世界支配の核心だと考え、西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」、その外側に「外部三日月地帯」を想定、そのふたつの三日月地帯でロシアを締め上げようとした。

 実際、この当時、イギリスの支配層は世界制覇を目論んでいたのだが、そのためには兵力が不足していた。ライバルのフランス、ドイツ、ロシアに対抗するために約14万人の兵士が必要だと見られていたが、実際の兵力は7万人しかいない。そこで目を付けられたのが日本で、1902年には「日英同盟協約」が結ばれている。

 1923年9月1日に関東大震災があり、東京周辺は大きな打撃を受けた。その復興資金を調達するため日本政府は外債の発行を決め、JPモルガンに頼った。ロスチャイルド家の力で生まれたアメリカの巨大金融機関だ。この金融機関と最も親しかった日本人と言われているのが井上準之助。彼は1920年の対中国借款交渉を通じてJPモルガンと深く結びついていた。

 1932年に駐日大使として赴任してくるジョセフ・グルーは、いとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻。戦後、グルーは日本の民主化を止め、ファシズム化へ方向転換させたジャパン・ロビー(ACJ)で中心的な役割を果たすことになる。(詳細は割愛)

 明治維新以降、日本は米英の巨大資本の強い影響下にあるが、1933年3月から45年4月にかけてはニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがアメリカ大統領だったことから、日米の従属関係が機能しなかった。これが日米開戦の一因だろう。(日本でフランクリン・ルーズベルトを罵倒することは安全。)

 そのルーズベルト政権を倒し、ファシズム体制へ移行させようとするクーデター計画が1933年から34年にかけてあったことは本ブログで何度か指摘した通りで、その中心的な存在がJPモルガン。その巨大金融機関の代理人として送り込まれてきたのがグルーであり、戦前と戦後を結ぶキーパーソンだ。



 岸の孫である安倍晋三首相は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指していると言われているが、これを「矛盾」と考えるべきでないことを歴史は示している。「戦前への復古」とは「ウォール街への従属」を意味しているのだ。アメリカを均一な存在と考えてそれを「善」と位置づけ、「自立した軍国主義の日本」を想定してそれを「悪」と位置づけ、その「善」と「悪」が戦ったとする見方は間違いだろう。

 こうした歴史の中、日本やアメリカの支配層に蹂躙されてきた琉球/沖縄だが、そのエリートたちは支配に協力してきたという。例えば、戦争の最終盤には「それまで、皇軍協力を叫んできた知識人・教職員が率先して米軍政に走」(森杉多著『戦争と教育』近代文藝社)り、後には「祖国復帰運動」を展開することになるが、ここにきて「指導者」が率いるのではない運動が生まれているようだ。日米への従属を拒否し、独立を目指す人も増えているようだ。イギリスのEU離脱は日本の問題でもある。





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最終更新日  2016.06.26 09:41:09


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