アメリカ政府はイランで「カラー革命」を目論んでいるのではないかという噂が流れている。クルド系女性が警察署で死亡した出来事が切っ掛けになり、テヘランなどで反体制派が暴力的な抗議活動を開始、警官隊と衝突しているが、その背後でそうした計画が進められているのではないかというのだ。イラン警察は病死だとしている。
現在、イラクにあるPKK(クルディスタン労働者党)の基地へ大量の兵器が運び込まれ、イランのクルドへ供給されると言われている。そうした兵器がどこから来るのか不明だが、アメリカ/NATOがウクライナへ大量に供給している兵器の約7割が闇市場へ流れていると言われているので、そこから流れている可能性は否定できない。
ところで、イラクを拠点とするクルドはバルザニ家に率いられてきたが、その家の人間であるムスタファ・バルザニは1960年代の後半からイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われ、その息子であるマスード・バルザニもイスラエルの影響下にあるという。
イランの現体制は1979年のイスラム革命から始まる。ムハマド・レザー・パーレビ国王が王妃と国外へ脱出、2月にフランスからアヤトラ・ルーホッラー・ホメイニが帰国したのだ。
そして1979年11月、「ホメイニ師の路線に従うモスレム学生団」を名乗るグループがテヘランのアメリカ大使館を占拠、大使館内の機密文書を手に入れる一方、館員など52名を人質にとった。人質の多くはアメリカの情報機関員だと見られている。
アメリカでは1980年に大統領選挙が予定されていた。人質が解放されるかどうかは選挙の結果に影響する可能性がある。もし投票の前に人質が解放されたなら、現職のジミー・カーターにとって追い風になったはずだ。ジャーナリストのロバート・パリーらの調査によって、共和党がイスラエルのリクードと手を組み、人質の解放を選挙後へ遅らせる秘密工作を行ったことが判明している。この工作は成功し、人質が解放されたのはロナルド・レーガンが大統領に就任した1981年1月20日だ。共和党やリクードは人質の解放を遅らせる代償として兵器の供与をイランに約束していた。イランから受け取った代金の一部はニカラグアの反革命勢力「コントラ」へ渡っている。なお、アメリカの情報機関CIAはコントラを支援するためにコカイン密輸でも資金を調達していた。
カーター大統領の安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンへサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団をアフガニスタンへ傭兵として送り込み、ソ連軍を戦争へ引きずり込む秘密工作を進めていた。これをレーガン政権は引き継ぐ。アフガニスタンの秘密工作でCIAはヘロインの密輸で資金を調達している。つまり、イスラム革命からしばらくの間、アメリカ、イスラエル、イランは手を組んでいた。
1989年8月から97年8月まで大統領を務めたハシェミ・ラフサンジャニの時代に「経済改革」が実行され、新自由主義が導入された。日米欧の巨大資本がカネ儲けしやすいように国のシステムを作り替え、新たな経済エリート、いわばオリガルヒを生み出している。その間、在外イラン人事業家へ「帰国」を呼びかけていた。その一方、庶民は貧困化する。
そうした 利権集団と戦ったのが 2005年から13年にかけて大統領を務めたマフムード・アフマディネジャドだ。まず欧米の金融資本と結びついたパールシヤーン銀行にメスを入れようとしたものの、成功しなかった。イランの経済部門は欧米の巨大資本と手を組んだ「第5列」に支配されていたことが大きい。経済部門を支配する利権集団は不動産への投機を開始、バブルが発生する。そして2008年、リーマン・ショックと連動する形でバブルは破裂した。
2013年の大統領選挙でアメリカ政府はラフサンジャニ人脈を勝たせることに成功した。 ネオコンのエリオット・エイブラムズとも親しい関係にあると言われていたハサン・ロウハーニだ が、そのロウハーニもラフサンジャニのような政策を実行することはできなかった。
そして現在、イランは中国やロシアとの関係を強め、SCO(上海合作組織)への加盟手続を進めている。中東で「親米国」と考えられてきたサウジアラビア、バーレーン、カタールもSCOへの加盟を申請している。コントロールできなくなると体制を破壊して「石器時代」にするのがアメリカの手口であり、それをイランで目論んでいる可能性はあるだろう。