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コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~
第七話 黄金の雷(4)
【 第七話 黄金の雷(4) 】
ところで、二万の援軍を率いて、ラ・プラタ副王領で戦うアパサの元に向かったアンドレスの動向は、この頃、どのようになっていたであろうか。
今、アンドレスは、ティティカカ湖畔の町プノに到着しようとしていた。
ティティカカ湖は、初代インカ皇帝が光臨したとの伝説が残る、標高3800メートルという世界最高所にある美しく幻想的な古代湖であるが、アパサの本拠地はその湖の近くにあった。
かつてトゥパク・アマルらが、その奪還を賭けてスペイン軍と死闘を交えたインカ帝国の旧都クスコと同様、インカの人々にとって、このティティカカ湖畔の町プノも、彼らのルーツにまつわる古(いにしえ)からの所縁(ゆかり)深い重要な土地である。
トゥパク・アマルらが活躍するペルー副王領の隣国とも言える、ラ・プラタ副王領において、今、その聖なるプノの奪還を賭けて、フリアン・アパサ率いる一万二千のインカ軍と、それを阻止しようとするスペイン軍とが激しい戦闘を交えていた。
なお、フリアン・アパサとは、ラ・プラタ副王領で際立った勢力をもつ豪族で、トゥパク・アマルの重要な同盟者であり、且つまた、かつて、トゥパク・アマルの甥であるアンドレスの武術指導の師でもあった人物である。
このプノの町は、先述のごとく、インカの民にとって精神的な支柱となる聖地であるというだけでなく、ペルー副王領からラ・プラタ副王領に抜ける道程にある交通の要衝でもあり、戦時でなければ商業も盛んで、事実上、クスコに次ぐ南部高地第二の繁華な町である。
この地をスペインの支配下から奪還してインカ側の統治下に置くべく、数週間前より、アパサを総司令官としたインカ族の軍団が、プノ包囲攻撃を展開していた。
アパサの采配によって、一旦、包囲に成功したインカ軍ではあったが、しかし、今、スペイン側の猛反撃によって、その包囲網が次第に解かれつつあった。
この時、ラ・プラタ副王領の反乱軍を制圧すべく指揮を執っていたスペイン側の討伐隊の長はイグナシオ・フロレスという人物であったが、この男が、文武両道のなかなかのやり手で、このフロレスによって、さしものアパサも次第に窮地に追い込まれつつあったのだった。
フロレスは、南米大陸生まれのスペイン人(クリオーリョ)だったが、この時代、あらゆる権力を牛耳っていたスペイン生まれのスペイン人を抑えて、ラ・プラタ副王領の「アウディエンシア(最高司法院)の長」という要職にまで昇り詰めた凄腕の人物である。
同じスペイン人でありながらも、南米大陸で生まれたというだけで、彼らは、スペイン生まれのスペイン人から激しく蔑視され、社会的階級もずっと低かった。
そんな南米生まれのフロレスのような立場の人間が、アウディエンシア(最高司法院)の長といった要職に就くなど、当時としては、全く考えられぬことであった。
その事実からも、この男の有能さがうかがい知れるが、それだけでなく、歴史上の資料によれば、フロレスは、ラ・プラタ副王領の副王ベルティスからの信頼も厚く、また、自ら様々な偏見を舐め、克服してきただけあってか、人格的にも成熟した人物だった。
そんな彼は、年齢的には40歳を超えていたが、優美さと精悍さを備えたその風貌は、戦地にあっても、一際、精彩を放っている。
トゥパク・アマルの装備と似て、拳銃と重厚なサーベルを腰に備え、西洋人形のような綺麗な横顔にかかる肩ほどの長髪をなびかせて白馬に跨るその姿は、まるで西洋の騎士さながらであった。
一方、インカ族の間で、隣国のペルー副王領にまで、「猛将」とその名を轟かせていたアパサは、かつてトゥパク・アマルが甥のアンドレスの武術指導を求めたほどの豪腕であり、戦術的手腕も優れていた。
皇族ではないアパサの軍は、さすがに皇帝であるトゥパク・アマルの本隊とは比べものにならぬほどに火器の装備が悪かったにもかかわらず、これまで、トゥパク・アマルも目を見張るほどの勢力拡大をこの地で展開してきた。
また、アパサは性格的にも、良く言えば豪放磊落で、別の言い方をすれば、狡猾さも獰猛さも兼ね備えた一筋縄ではいかぬ人物でもあり、その分かえって、この男を制圧下に置くことはスペイン側にとって至難であった。
反乱幕開け以来、ラ・プラタ副王領のスペイン役人たちは、アパサの暴れぶりに、ほとほと手を焼いてきた。
が、ついに、肝を煮やした副王直々にフロレスが討伐隊の長として抜擢されるに至り、かくして、副王の目論み通り、フロレスの手腕によって、次第に戦況はスペイン側に優勢に変わりつつあったのだった。
プノ包囲網がフロレスの手によって次第に突き崩されていくのを苦々しく思いながらも、アパサの軍団はその日も粘り強い戦闘を展開していた。
白い敵兵を騎上から槍で次々と突き倒していくアパサの脇に、彼の副官が顔を紅潮させながら騎馬のまま飛び込んできた。
敵から視線をはずさずに、「どうした?!」とアパサが声だけで対応する。
「アパサ様!!
アンドレス様の軍団が、ただいま、到着されました!!」
興奮のために上擦った声で、副官が応える。
さすがのアパサも、瞬間、動きを止めた。
そして、素早く副官に視線を投げる。
「本当か?!
アンドレスが?!
援軍か?!」
「はい!!
二万の軍勢に、多量の火器をお持ちになって、ただいま、ご到着されました!!」
副官が応えている間にも、戦場の空気が激しく高揚するのをアパサは感じ取った。
アパサ軍のインカ族の兵たちから、どよめく歓声が上がった先では、若く気鋭の兵たちに彩られたアンドレス率いる援軍が、堂々と真正面から戦闘に合流してくるところであった。
一方、今まで押していたはずのスペイン側の軍団には、予期せぬ敵方の大軍の到来に、急遽、怯(ひる)みの空気が漂いはじめる。
ここぞとばかり、アパサは腕にガッチリと握り締めた厳(いか)つい槍を高々と振り上げた。
そして、叫ぶ。
「援軍が到着したぞ!!
トゥパク・アマル様から派遣された、アンドレス様の精鋭の軍団だ!!
この期に巻き返せ!!
敵を一気に突き崩すのだ!!」
場の空気を扇動するように、アパサが繰り返し雄叫びを上げて戦場を馳せながら、兵たちを激しく鼓舞しはじめる。
アパサ軍のインカ兵たちは、興奮しながら目を輝かせた。
「援軍だ!!
援軍が来たぞ!!」
「あのアンドレス様の軍団って、まさか、本当か?!」
「なあに、アンドレス様ったって、もともとは、武器の持ち方一つ知らなかったって聞くぜ!!」
「シッ!!
そんなこと、大声で言って、いいのかよ!」
「ってぇ、かまわんさ!!
本当のことだろうがぁ!!
それを、あのアパサ大将が、あそこまでに鍛えたんだ。
言ってみりゃ、大将の弟子みたいなもんだろっ!
大将のピンチに、助っ人に来るのは、まあ、当然だわなぁ!!」
「そんなもんかね!!」
アパサ軍の兵たちがスペイン兵に向かって鈍器を振り回しながら、そんな叫び合いのやりとりをしている間にも、アンドレス率いる軍団は、溌剌たる勢いで戦線に加わってくる。
この時期には、既にアンドレスの戦いぶりはラ・プラタ副王領にも知れ渡っていたため、その存在は、押され気味だったアパサ軍の兵たちを奮い立たせる大きな原動力ともなった。
今、迎えるアパサ軍からも、迎えられるアンドレス軍からも、力強い覇気が漲っていく。
その高揚する空気の中を歓声に包まれるようにして、アパサの元に向かっていくアンドレスの姿があった。
「アパサ殿!!
援護いたします!!」
アンドレスは興奮から顔を上気させながら、かつての恩師アパサの元に、艶やかな黒馬を風のように馳せていく。
一方、アパサはといえば、相変わらずの不遜な表情を変えず、アンドレスを一瞥した。
「アンドレス、久しぶりだな。
あの、ひよっ子だったおまえが、どうだい、今じゃあ、兵たちから、たいそうな歓迎ぶりじゃあないか!!
どうだ?!
すっかり『ヒーロー』の気分ってのは!!」
その声音には、本当に皮肉と嫉妬が混ざっているかのような響きさえあり、アンドレスは騎馬のまま僅かに身を退(ひ)いた。
「アパサ殿…!」
そんなアンドレスに、アパサは、周囲の敵を見渡しながら、さらに鼻で笑う。
「アンドレス、おまえ、トゥパク・アマルに言われて来たか?
ふん…おまえの助けなぞ無くとも、何とでもなったものを。
それより、あいつの方こそ、大丈夫なのか?
援軍をよこす余裕など、あるようには到底思えぬがね。
それとも、おまえ、トゥパク・アマルと喧嘩でもしたか?」
「アパサ殿…!!」
アパサの言葉をそのまま真(ま)に受けて、すっかり困惑の表情になったアンドレスに、アパサは、今度は横顔でにんまり笑って言う。
「アンドレス…おまえ、中身は本当に変わらんな。
そんなに単細胞では、大軍の将なぞ務まらんぞ。
まあ、いい。
どうせ、こんな辺境まで来ちまったんだ。
戦(いくさ)ぐらいしか、他にやることもなかろう。
来たついでだ。
戦っていけ!!」
アパサの笑みに、やっと安堵の表情のアンドレスは力強く返事をする。
「はい!!」
そして、鋭い眼差しで戦場を見渡した。
「敵将は、誰です?」
武人らしい声音に戻ったアンドレスに、アパサは槍を振るい続けながら、応える。
「フロレスという男だ。
こいつが、なかなか厄介なヤツでね」
「外見は?!」
かつてアパサに譲り受けた厳かなサーベルを鞘から抜きながら、アンドレスが続けて問う。
アパサはそのサーベルを横目でみつめ、「使っているのか」と、目だけで笑った。
それから、早口で応える。
「フロレスは、おまえに劣らず色男だぞ。
だから、すぐにわかるはずだ。
年恰好はトゥパク・アマルくらい。
肩まで髪を伸ばし、舶来の人形みたいな顔をして、わざわざ白い馬なんぞに乗った伊達男だ。
だが、腕は立つ。
油断するな」
アンドレスは鋭い表情になって、漆黒の愛馬の手綱を勢い良く引いた。
「わかりました。
では、また後ほど!!」
「ああ!!
トゥパク・アマルの状況も後で聞かせろ!!」
アパサがそう言っている間にも、既に、アンドレスはインカ軍とスペイン軍が激戦を交える最前線の方へと馬を馳せていた。
一方、息を吹き返したように自軍に襲い掛かってくるインカ軍の様子を、スペイン側の将フロレスは、さすがに苦々しい表情で見渡した。
副官のスワレス大佐が、非常に難しい表情になってフロレスに近づく。
フロレスはサーベルを握りながらも、そちらに視線を投げた。
「フロレス様!!
惜しいところでした!!
もう一息で、アパサの軍団の包囲網を解けたところを…!」
サーベルを振るいながらフロレスも頷き、「確かに、よい流れではなくなってきたな」と、冷静ながらも厳しい表情になる。
「それで、スワレス大佐、敵の援軍の規模は?」
「はい!!
優に二万の兵力はあると思われます!!」
「二万か。
そもそものアパサの軍団は、ざっと一万二千…。
それよりも、到着した援軍の方が、規模が大きいとは…ふ…これでは、どちらが援軍かわからぬな」
フロレスの端正な口元に、優美ながらも、苦い笑みが浮かぶ。
「しかも、アパサのお粗末な装備に比べて、援軍は、かなりの火器をも携え、装備もよい。
この援軍、そのへんの雑魚ではなかろう。
あれだけの装備を持つ軍を指揮する者となると…将は、トゥパク・アマルの側近か。
いずれにしろ、インカ軍中枢部に近い軍団に相違あるまい」
そのフロレスの言葉に、スワレス大佐は銃を構えながら頷き、鋭く応える。
「まさしく…フロレス様。
敵の援軍の将はアンドレスという、あのトゥパク・アマルの側近とのことでございます」
常にどこか優雅な余裕を漂わせているフロレスの表情が、一瞬、真顔になった。
が、それも、すぐに平素の眼差しに戻る。
「アンドレス…か。
なるほど。
となると、側近中の、側近だ。
トゥパク・アマル…ついにアンドレスを手放して援軍に回したか。
というよりも、主力軍団を二手に分けて、生き残りを図ったか」
「アンドレスの名、わたしも噂には聞いております。
あのトゥパク・アマルの甥だとか」
スワレスは、襲い来るインカ兵からフロレスを援護しながら、太い眉をしかめる。
一方、フロレスは手綱を握る指に力を込めた。
「トゥパク・アマル…!
あの者、アンドレスをこちらによこしたところを見ると、もはや覚悟を決めておるな…。
アンドレスをよこして、インカ軍の生き残りを図り、当地での勢力拡大を目論んでのことであろうが…トゥパク・アマル、それは甘いぞ」
フロレスは独り言のようにそう呟くと、手綱をそのまま強く引いた。
彼の愛馬が高く嘶(いなな)く。
「まだ18歳の若武者と聞く。
だが、アンドレス…一度、直(じか)に見(まみ)えてみたかった。
インカ側にとって花形の一人ならば、我が軍にとっては目の上の瘤(こぶ)。
この後、アパサと共に当地で暴れるつもりであるなら、芽は早々に摘み取らねばならぬ」
鋭い声でそう言い放つと、フロレスもまた、前線目指して馬を馳せた。
フロレスが馬を走らせる先から、インカ軍の方より、幾弾もの砲弾が放たれはじめた。
スペイン軍が、にわかに浮き足立つ。
当地で火器の乏しいインカ兵と戦ってきたスペイン兵たちは、こちらから火器で攻撃することには慣れていても、火器で応戦されることには慣れていなかったのだ。
(アンドレス…いや、トゥパク・アマル…!
ずいぶんと、スペイン側から火器を奪取したものだな)
フロレスは目を細め、いっぱしに大砲や銃を自軍に向けて狙い定めているアンドレス軍を見渡した。
それから、彼はサーベルを掲げ、鋭い声で言い放つ。
「怯むな!!
インカ軍の不慣れな砲弾など、見掛け倒しにすぎぬ!!
あの者どもは、大砲の扱いどころか、銃の扱いすらも、実際のところは何も知らぬのだ。
全くの、見よう見真似の猿真似だ!
恐るるには足らぬ!!
それよりも、真の砲弾の撃ち方を、銃の撃ち方を、あの者どもに教えてやるがよい!!」
鋭く力強い声で自軍を叱咤激励しながら戦場を駆け行くフロレスの放つ覇光は、押されはじめたスペイン兵を、再び、奮い立たせる。
そんなフロレスの視界に、瞬速の剣さばきで、スペイン兵たちを薙(な)ぎ倒していく混血の若者の姿が飛び込んだ。
青光りするような、しかも、かなりの厳(いか)つく重厚なサーベルを、まるで空気か羽を操るがごとくに軽々と翻しながら、舞うように敵を切り倒していく。
若者の周りに、目にも止まらぬ速さで蒼い残光が幾筋も走っては、血飛沫(しぶき)と共に消えていく。
とても人間を斬っているとは思えぬ、まるで空(くう)を切っているがごとくの軽やかさと速さであった。
しかも、その冷酷無情とも見える剣裁きの主の横顔は、氷のように鋭利に研ぎ澄まされたまま、表情が無い。
殆ど機械的に、斬っている。
フロレスの背筋に、ぞくっと寒気が走った。
(あれが、アンドレスか…――!!)
フロレスがそう直観した瞬間、アンドレスも、その視線を感じたのか、ハッと顔を上げた。
二人の、鋭くも美しく澄んだ目が、今、完全に合う。
(あの者、フロレスか!!)
アンドレスも、瞬時に察した。
そのまま、彼は銃弾の嵐をかわしながら、フロレスの前に真正面から馬を乗り入れる。
「フロレス殿か?!」
アンドレスの毅然とした声が、砲弾の音を貫いて戦場に響いた。
フロレスは頷き、そして、落ち着き払った声で言う。
「アンドレスか。
会いたかったぞ」
「会いたかっただと?
何のことだ!?
何故、そのようなことを言う!!」
アンドレスが、真っ直ぐな目で、相手を睨むように言い放つ。
他方、フロレスは、僅かに微笑する。
「アンドレス、そなたの名は、その戦いぶりと共に聞き及んでいた。
トゥパク・アマルが、そなたを、このような隣国まで派遣した、その真の意図は何だ?
単に、アパサの援護だけではあるまい?
あの者、ついに覚悟を決めてのことか?」
アンドレスの目元が険しく吊り上った。
「何を、勝手な憶測を!!
トゥパク・アマル様は、俺などいなくても、必ずや勝利する!!」
ますます激しく睨みつけてくるアンドレスを、フロレスは冷静な目で見つめ返す。
「まあ、そういきり立つな。
わたしは、トゥパク・アマルのことを案じてもいるのだ。
できることなら、あの者と、直接、会ってみたかった」
「トゥパク・アマル様と会いたかった…だと?!」
フロレスは真摯な目で、「そうだ。あの者と、話をしてみたかった」と応じる。
「トゥパク・アマルの言い分には、実際、一理あった。
スペイン側の役人のやり方には、目に余る部分があったことは事実」
フロレスは相変わらず淡々とした口調のままそう言って、しかしながら、その目をやや険しくして続けた。
「だが、それは、あの者が起こした反乱などという、違法な行為の正当化にはならぬ」
一方、アンドレスは前後左右から己に襲い掛かる敵兵たちから意識をはずさぬままに、きっ、とフロレスを、非常に激しく睨みつけた。
「わかったようなことを言うな!!
トゥパク・アマル様が、反乱に至るまでに、どれほど長期に渡って、多くの役人たちと掛け合ってきたか知ってのことか!!
あの巡察官のアレッチェにも、モスコーソ司祭にも…副王にも訴えたのだぞ!!」
無意識のうちにアンドレスは前のめりになったまま、込み上げる感情を押し殺すように歯を食い縛った。
そして、声を低め、呻くように続ける。
「だが、おまえたちスペイン側は、何をした?!
何一つ、まともになど、聞く耳ひとつ持ちはしなかったではないか!
それどころか、非道は極まり、民の苦しみは増すばかりだった!!
あのままでは、民は本当に死に絶えた。
此度の反乱は、やむにやまれぬ結果だ。
それを…それを、ぬけぬけと、違法だのと、奇麗事を!!
スペイン側のおまえに、何がわかる!!」
「アンドレス、落ち着け。
わたしは、そなたに喧嘩を売っているわけではない。
わたしとて、トゥパク・アマルほどの者を、このような形で失うのは惜しいと思っているのだ」
瞬間、フロレスの表情に悲愴な影が、さっとよぎって消えた。
だが、興奮しつつあるアンドレスは、そんなフロレスの表情には気付かない。
「何を今更!!
そもそも違法なことをし続けたのは、おまえたち、スペイン役人たちであろう!!
それを…今更、何を…!!
それに、トゥパク・アマル様は、おまえたちなんかに、決して敗れはしない!!」
そこまで言うと、アンドレスは唇を引き結び、焔の燃え立つような眼(まなこ)で、騎馬のままサーベルを構えた。
そして、地を這うような低い声になって言う。
「フロレス殿…。
ここで会ったのが、互いの運命(さだめ)。
お命、頂戴いたす」
前髪の間からのぞく、あの彫像のように美しくも鋭利なアンドレスの目は、もはや完全に獲物を狙う武人のそれであり、否、それ以上に、これまでになく獰猛な気配さえ湛えている。
フロレスは僅かに目を細め、しかし、彼も、ゆっくりと、完全に隙無く、サーベルを構えた。
アンドレスとフロレスは互いを睨み据えたまま、片手にサーベル、そして、片手に愛馬の手綱を手繰りながら、己に有利な間合いを掴むため、小刻みな移動を繰り返す。
双方共に全く隙が無く、なかなか容易に切り込むことができない。
両者は時に接近し、接近しては、すぐさま離れる。
或いは一方が相手に接近し、もう一方が俊敏に遠ざかる。
周囲が戦場でなければ、それは、まるで、完全に息の合った優美な舞踏のごとくにさえ見えたかもしれない。
両軍の兵たちは、共々、思わず、その様子に目を奪われた。
遠目から、アパサも、不意に視線をこちらに投げた。
アパサは己の精鋭の部下たちに素早く合図を送ると、アンドレスの方に銃器で狙い定めるスペイン兵たちに鋭い眼を光らせた。
一方、アンドレスとフロレス、その二人の動きは、張り詰めた緊迫感の中で、相変わらず間合いを取り続けている。
二人の険しい視線のみが、無言のままに絡み合う。
そのまま、どれほどの時が経過しただろうか。
まだ、さして動いてもいないのに、アンドレスの横顔には、既に、幾筋もの汗が伝っている。
だが、それはフロレスも同じだった。
傍から見れば、単に、間合いを取り合っているだけの単純な動作である。
しかし、熟達した剣士である二人には、それだけで、既に、双方の力を見抜くに充分であった。
互いにこれまで感じたことのない手応えを覚えながら、しかし、決して負けることのできぬ命懸けの戦いに意識を集中しようとする。
周囲は流れ弾が飛び交い、また、油断すれば、どこからでも敵兵が襲いくる。
それら周囲の気配にも意識を満遍なく張り巡らせながら目前の強敵と対峙する、その至高のプレッシャーは、ある種の興奮と恍惚さえも、もたらしていく。
(この者、確かに、できる…――!!)
その思いは、アンドレスも、フロレスも、同じだった。
互いの力を引き出し合うに足る相手と対峙して、二人の間には、今、輝くような覇光が、激しく交錯しながら立ち昇る。
果たして、どれほどの間、両者は間合いを計り続けただろうか。
突如、二人はピタリと動きを止めた。
それも束の間、ついに勝負を仕掛けたのは、アンドレスの方だった。
彼は、もはや何者にも臆することのない、その完璧な剣裁きで、フロレスへと一直線に切り込んだ。
騎馬のアンドレスの全身が、風を切って相手に迫る。
だが、フロレスは、完全に動きを止めたまま、微動だにしていない。
彼は、決然と迫り来るアンドレスを馬上から鋭利な眼差しで見据え、その安定した構えを一縷(いちる)も崩すことなく、眉一筋さえ身じろぐこともないままに、そこにいる。
アンドレスはサーベルを水平に握ったまま、一気にフロレスとの距離を詰めた。
ついに互いの体が交差する瞬間、アンドレスは、水平に構えていた己のサーベルを、フロレスの喉元へと真っ直ぐに突き出した。
一方、その最後の最後まで、フロレスは全く動かない。
そのままアンドレスのサーベルは、確実にフロレスの首を貫くはずであった。
が、手応えが無い!!
己の意識よりも早く、アンドレスの鍛えられた動体視力は、フロレスが、首の一捻りで己のサーベルを避けるのを、はっきりととらえていた。
「!!」
アンドレスは、息を呑んだ。
(なんという冷静さ!!
フロレス、この者は…――!!)
アンドレスの中に、ある種の感動が突き上げた。
しかし、その一瞬の隙を狙うようにして、今度はフロレスのサーベルがアンドレスの喉元に襲い掛かる。
だが、実戦の中で無数の銃弾をかわしながら、図らずも心眼を研ぎ澄ませ続けてきたアンドレスは、この時も反射的にその剣先をかわした。
フロレスの表情にも、微かな恍惚の笑みが浮かぶ。
(アンドレス…確かに、なかなかのもの…――!)
一方、アンドレスは微塵の躊躇(ためら)いも無く、再び、疾風のように切り込んでいく。
サーベルの描く蒼い軌跡が、宙に光の筋を引いて走る。
だが、フロレスのサーベルは、アンドレスの剣先を確実に受け留め、俊敏に切り返す。
二人のサーベルが交わる鋭い金属音が、幾度も戦場に鳴り響いた。
アンドレスのサーベルは、間髪入れず、繰り返しフロレスを狙った。
それをフロレスが弾き返す。
そして、また両者は素早く間合いを取る。
二人の目が光った次の瞬間には、蒼い残光と共に正面から互いが交差する…――!!
それはまるで、正々堂々たる、決闘のごとくであった。
両者が交わる瞬間、アンドレスのサーベルがフロレスの喉元を幾度も襲った。
しかし、フロレスはその剣先を紙一重でかわし、同時に、その愛剣でアンドレスの胴を一文字に薙ぎ払う。
今度はフロレスの方が手応えを探るものの、だが、彼の剣先も虚しく空を切る。
アンドレスはまるで翼でも持っているがごとくに、軽々と舞うようにそれをかわし続けた。
二人は、再び、間合いを取りながら、汗で張り付いた前髪の間から、鋭く相手を見据えた。
両者とも、さすがに肩で呼吸をし、かなり息が上がっている。
フロレスは、目を細めて微笑んだ。
「アンドレス、今日はここまでだ。
残念だが、決着はお預けのようだ」
「フロレス殿!!
お逃げになるか!!」
荒い息の元、アンドレスが騎馬のまま身を乗り出すと、フロレスは目でアンドレスの後方を指して、再び、ふっと微笑んだ。
「さらばた、アンドレス。
また会おう!!」
アンドレスが素早く己の後方に目を走らせると、強力な援軍を得てスペイン軍を既に圧倒したインカ軍が、アパサを筆頭にこちらに向かって怒濤のごとく押し寄せてくるところであった。
フロレスは俊敏に馬を方向転換すると、「引け!!引き上げるぞ!!」と、鋭い声で撤退の号令を発しながら、スペイン兵たちを整然と撤退させていく。
アンドレスは肩で息をしながら、構えていたサーベルを下ろした。
「フロレス……あのような者が、スペイン軍にいたとは…!」
彼は去り行くフロレスの後姿を、いつまでも目で追い続けた。
アンドレスとフロレス…――それぞれに他者を思う真摯な心を持ちながらも、インカとスペインの間に横たわる深い溝をこえられず、その両岸から対峙し続ける運命の二人の――これが、最初の出会いであった。
かくして、インカの聖なるティティカカ湖畔の町、プノでの戦闘は、アンドレス率いる援軍の到来と共に、アパサが布陣した包囲網から、事実上、フロレス軍を叩き出した形勢となり、この時はインカ側に勝利をもたらした。
だが、ラ・プラタ副王領におけるアンドレスのこの最初の戦いは、この後、当地で彼を待ち受ける過酷な運命のほんの前哨戦にすぎなかった。
◆◇◆今後の展開について◆◇◆
いつもお読みくださり、どうもありがとうございます。
この先、再び、トゥパク・アマルの本戦に戻って参ります。
トゥパク・アマルの戦いは、いよいよ大詰めとなり、この後、戦闘、その後の展開などの中で、(歴史上で起こったことをお伝えする上で、物語の展開上、やむなく)これまで以上の流血、その他の残虐な表現が出てくる可能性がございます(書いてみないとわからないのですが)。
ただ、そうした表現は、物語の展開に支障の無い範囲で控えめに描いていきたいとも思っておりますので(実際の歴史上で起こったことは、もっと激しかったとご認識頂いて過言ではないと思います)、そうした表現、シーンを逆にご期待の場合は、添えないかと存じます。
共々、ご了解の上、ご覧頂けましたら幸いです。
いつも皆様のご来訪が執筆の励みとなり、感謝いたしております。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
◆◇◆ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ
第七話 黄金の雷(5)
をご覧ください。◆◇◆
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