諦めないで ♪



日本語でも先日事故死(?)した坂井泉さんの「負けないで」という激励の曲があった。まあ、あれは坂井泉の美でもっていたに過ぎず、メロディーも歌詞もティーンに付け髭か付け睫毛をつけた程度のリスナー層をターゲットにしたものだった。

ピーター・ガブリエルの詩の背景はざっとこんな感じだ。イメージとしてはアメリカの中・下流の男達、生まれてからずっと頼りになる存在として必要とされてきた、戦って勝つことを教えられてきた、失敗するなんて夢にも思わなかった。でも、夢は全て崩れてしまった、負け犬には誰も見向きもしない。よその町に移って、そこでやっていこうと一生懸命やってみた。でも、仕事一つに、職探しの男が多すぎて、誰も雇ってくれないような、俺みたいな奴ばかりがうじゃうじゃしている。アメリカ・マッチョ文化で社会と家族から期待される男の精神崩壊、とも読めるが、男女を問わない人間の宿命とも取れる。

ピーター・ガブリエルの呻吟に続いてケイト・ブッシュの天恵が挿入される。

さあ、頭を休めて、貴方は心配しすぎるのよ (Rest your head、You worry too much)
大丈夫よ、みんなうまくいくから (It's going to be alright)
どうしようもなくなったら (When times get rough)
わたし達のところに頼ってらっしゃい (You can fall back on us)
だから、諦めちゃだめよ (Don't give up、Please don't give up)

と歌う彼女の言葉は、西欧の人々であれば天使の囁きなのだろう。日本人の僕にはそうは聞こえないが、それでもどうしても何回聴いてもこの部分で感無量になる。別に失恋とか失職とか知り合いの死とか、何の状況がなくても、この歌詞と旋律には共鳴してしまう。

ケイトに続いてピーターが状況の深刻さを語る。

もうここにはいられない (Got to walk out of here)
もうこれ以上我慢できない (I can't take anymore)
あの橋の上に立って (Going to stand on that bridge)
ただ呆然と下を見る (Keep my eyes down below)
何が起ころうと、何がなくなろうと (Whatever may come、and whatever may go)
あの川は流れ続けてる (That rivers flowing)

結局この歌の提示しているイメージは、日本もいまやそうなりつつある、競争社会で自分だけを頼りに生きのびていこうとする一個の生物体に、なくてはならない<支えてくれる存在>のイメージだろう。そのイメージをこの歌は、男の皺枯れた唸り声で提示される絶望的状況と女の透明な声で差し出される救いの存在の対比で、巧みに表現しているのだろう。ひょっとするとこれが、キリスト教の原イメージかもしれない。西欧の過酷な現実、異民族の進入、仲間同士の領土の削りあい、黒死病、宗教戦争、この中で押しつぶされてきた人々に、キリスト教の父性と母性を組み合わせた安息は必要だったに違いない。こういった人々のニーズを吸い上げて富と政治に利用する教会権力は、悪徳九割九分、功徳一分ほどの存在で、いつの日かこの地球上から消えてなくればいいと思うが、虐げられてきた人々のニーズは決してなくならない、この無神論者の僕でさえ抱えているのだから。そんな我々に誰が救いの手を差し伸べてくれることやら。それでは、呻吟と天恵の絶妙を少しばかり、どうぞ。< クリック


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