2021.01.30
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富永仲基(とみながなかもと)という江戸中期の町人学者がいたことは知っていた。4年ほど前、山片蟠桃の「夢の代」を少し読んだ時に日本思想体系第43巻を参考にしたのだが、そのタイトルに山片と並んでいたのが富永仲基だった。富永の代表作「出定後語(しゅつじょうこうご)」のページを少しめくってみたが、原文は漢文でそれを読み下したものでも漢語と仏教用語が多く僕には難しすぎ、その時は放棄した。

富永仲基(1715-1746)と山片蟠桃(1748-1821)が並んで日本思想体系の一巻に収められているのは、おそらく二人がほぼ同時代の町人思想家で、かつ懐徳堂という大阪の学問所で学んだことを共通項にしたのだろう。外箱の帯には、「南都大阪が生んだ近世合理主義の極に立つ学問と思想」とある。

1660年代以降、江戸時代の経済は資本蓄積時代から商業資本主義時代へと発展し、それとともに商人、特に米問屋の集中する大阪商人の経済的地位は上昇した。やがて金銀の産出量が減少したことから経済は停滞する、それを回復させるため幕府は1695年、1710年に通貨の改鋳を行い、結果バブルとインフレを引き起こした(注1)。この間、商人たちは幕府失政のつけを押し付けられ(1705年、大阪の豪商淀屋が全財産を没収された)、と同時に社会的には金儲けを不道徳とする「賤商感」で見られることになる。

社会的には士農工よりも低い地位に置かれながらも、経済的には富を築き、しかし幕府の政策の失敗のツケを払わせられる現実的な圧迫、こうした時代に商人たちは自らの道徳的中心の創出を目指したのだろうか(注2)。塾としての懐徳堂の設立は1724年(享保9年)、大阪の尼崎町(現、中央区今橋)、5人の商人(五同士)が発起人となり、毎月の掛け金を運用した利息で運営費を賄った。1726年(享保11年)には、将軍・吉宗から公認され官許学問所となり幕府から領地を拝領している。1869年(明治2年)に廃校となるが、1916年(大正5年)に、大阪毎日新聞主筆で漢学者の西村天囚らの努力で、重建懐徳堂が建てられた。戦災を経て、蔵書と職員は大阪大学へ移管されたが、1953年(昭和28年)に敷地を大阪府に返還、重建懐徳堂は消滅した。その後大阪大学付属図書館内に懐徳堂記念文庫が置かれ、1999年(平成11年)、大阪大学文学部内に懐徳堂センターが設置された。

懐徳堂創設の五同士の一人が北浜の商人・富永芳春で、その三男が富永仲基である。

注1 このあたりのことはウィキペディアの「荻原重秀」の項を参照した。また、安田保「懐徳堂精神に学ぶ」(融合文化研究 第1号 64-69、2002年9月)も参照した。通貨改鋳については大塚英樹「江戸時代における改鋳の歴史とその評価」(日本銀行金融研究所/金融研究/1999年9月)を参考にした。

注2 テツオ・ナジタ「懐徳堂:18世紀日本の『徳』の諸相」(岩波書店、1987年)





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最終更新日  2021.01.30 13:50:38
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