"ピカピカ 車検"マイスター 福岡・宗像

Hボイルド小説


これほど時が長く感じるのは。
爪先の感覚が冷たく痛い。

微かな動き
高まる鼓動

黄色い閃光が緩やかな曲線を描き流れてきた。
まだ気づいていない

警告看板
R500
ベテランでも、半径500Mのカーブの先は見えない。
いつしか霧雨に変わったようだ

本線上り。
電動機の唸りが振動になった
線路に放り出した3台の自転車が、急激に写し出された。

わたしは姿勢を屈め、草陰の中にいる。
通り過ぎた。
制動装置が閃光と轟音を撒き散らした。
ほどなく微かな衝撃音
延々と続くコンテナ車輌からも響いてくる。
思わず耳を塞いだ
停止する位置に間違いはなかった

立上り列車の進行方向に背を向けて走った。
踏切りの音が次第に遠くなる。
制動装置の焼けた青白い煙とライニングの匂い。
露に濡れた雑草で転んだ。
バラストに手をついた。
掌を切った。
かまわない。
コンテナは都合よく満載だった。
隠れ場所を探した。
ステップを昇った。
手摺は凍りついている。
そのまま張り付きそうだ。
上り終えた瞬間、滑り倒れこんだ。
最後部から2両目の連結部分に身を隠す。
50CMの空間。
行けるだけ行くさ・・・・・・・
床が濡れているのも気にせずへたり込んだ。
尻が冷たい
ようやく掌の痛みが広がり出した。
待った。
クロノグラフを見た。
12分・・・
長い汽笛
前後の衝撃と共に走りだした。
検問突破・・・・・・。
目を閉じた

暖かいコーヒーを一杯
それだけでいい・・・
いまの俺にとっては・・・


3月9日PM10:00
「出張って・・・」
うんざりした眼差しで、圭子はソッポをむいた。
いつも待ち合わせに使う郊外のバー。
ローズウッドのキャビネットにドアの反対側に古びた暖炉。
暖色系の間接照明。
端が破れたヌードカレンダー
無口なマスター
通いだして17年になる。
最初は酔いつぶれて入った店だ
常連と呼ばれる一人になった

この酒場に何人のオンナを連れてきただろう。
変わらないカントリーミュージック。
変わらない人間模様。
ただ壁のくすみと、マスターのシワの数が変化を感じさせる
髭にもかなり白いものが増えた。
いい錆かたをしている

手伝いのオンナも8年目になったらしい。
年のころは30を過ぎたかもしれない
色気は感じないが、上を向いたBカップが目の保養になる。
無口な二人なので、かまわず連れていく。
ただ、オンナの視線に軽蔑を感じることがある。
スケベオヤジ・・・・・・。

圭子にかまわず、いつも大きめの唐揚げを平らげる。
中まで均一に火が通っていることに感心する
塩加減は勝手に客が調整する
岩塩が無造作に目の前に置かれた
モンゴルの逸品らしい。
いつか講釈していたが忘れた。
ブラックペッパーは、俺だけのリクエストだ。
「まぁた~仕事、仕事って・・・」
「しょうがないだろが・・・」
「じゃあわたしはどうなるわけ?」
「大人しく一人でいるさ」
眉間に2本のシワが出来ている。
そろそろ帰るだろう。
今日は疲れているのだろうか?
ソルト&ペッパーを更にかけた
肉体作業の後は、塩分を必要以上に欲求してしまう。
窓の外で、ヘッドライトが青白く路面をてらしている。
雨だれでシルエットが滲んで見える
20系セルシオ後期か・・・
夜の街で、ガラの悪い連中の御用達みたいなクルマだ。
目の前の圭子より、こんなことの方が気になってしまう。
オトコとオンナは違う生物さ。
だから面倒なことには目を背ける。
いや、やり過ごすことが上手くなった。
寂しさと欲求を紛らわせる都合のいいモノ。
「あした早いから帰る」
思惑通り・・・
ローカル局でレポーターをしてる圭子は、いつもこのセリフで去っていく。
窓越しに、モスグリーンのロードスターのテールが踊っている。
いいオンナと思ってたのも初めだけ。
所詮こんなもんさ。
アイツがいなけりゃ・・・
今日も、上手くやり過ごした。
自嘲気味に笑った
興味ないんだよな。
ようやく食い終わり、タバコに火をつけた。
「ビールもう一杯」
綺麗に磨かれたグラスを持ちながら、手伝いのオンナが一瞬微笑んだ。
意味深な仕草に目を伏せた
フィルターがペッパーでざらついていた。


3月10日 AM3:00
レガシィー1
洗車用ホースで水をバケツに入れた。
事務所の中にはチップストーブがある。
ヤカンから熱湯を少し混ぜる。
使い終わったパーツクリーナーの缶でかき混ぜる。
少しぬるめの湯をクルマのフロントガラスにかけた。
真水だと、すぐに凍ってしまう外気温だ。
きのう圭子と別れて事務所へ帰った。
破れたソファーでくつろぎ、ターキーのロックを煽る。
いつもロックアイスだけは、冷蔵庫に入れてある。
テレビはつけない。
CDから流れる80年代ポップスがわたしの趣味だ。
テーブルの上に、工具やタイヤのカタログが、乱雑に
積み上げている。
しかし、片付ける気にはならない。
ストーブのスチームが心地よいリズムを奏でる。
静寂。

「こっちの方が気分がいいぜ」
少し草臥れてきた自動車修理工場。
隅々の壁に、排気の跡がこびりついている。
機械工具も徐々に増え、貫禄が出てきた。
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ただ、業務終了後の工具のメンテナンスだけは欠かしたことはない。
手を汚すメカニックはいつまでたっても上達しないと、教え込まれてきた。
リフトやコンプレッサーのオイルも、きちんと定期的に交換している。
工場の南面に小さな事務所がある。
年代モノのチップストーブが片隅に鎮座している。
すす汚れた小汚い部屋を、柔らかく包んでくれている。
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知人が古い窯元を壊す時、倉庫から出てきた。
「火点けるの面倒だぜ」
ビール1ケースで持ち出した。
昭和29年製と刻印がある。
製材工場から毎年20袋買い取っている。
香りでチップの材質も感じ取れるようになった。
先週末から杉に変わった。
少々大袈裟に煙突からスチームが湧き出す。
そしてクヌギのような柔らかい香りはない。

愛だの恋だのバカらしくなってもう何年になるだろう。
破れかけたアームレストに肘をつき、頬をのせた。
窓の隙間あたりが曇ってきた。
ようやく、火の勢いが強くなった。


3月9日 PM5:00 
「電報で~す」
紺の制服を着た局員が、無愛想に叫ぶ。
機械の響き渡る工場じゃあしょうがない。
エアラチェットをキャディーに置き頷いた。
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油汚れの手が気になったが、ボールペンを借りてサインをする。

薄っぺらい小さな封筒を開ける。

【霧島のロッジに3月10日 AM7:00 待ってる  久美】

久美?
しばらく理解できなかった。
久美・・・
懐かしさに一瞬熱いものが込みあげた。
身じろぎもせず何度も読み返した。
たった一行のメッセージに・・・


水温はロアーレベルから数ミリ動いてる。
チタン製マフラーからは、霧のような水蒸気が大袈裟にあがっている。
数回吹かしてみると、幾分収まってきた。
ボクサー4の鼓動が次第に軽やかになってきた。
レガシィーワゴン GT-Bツインターボ 4WD 5M/T 

5ナンバーサイズに拘った。
わたしのドヤは5ナンバーしか入らない立体駐車場だからだ。
外観上はノーマル車とあまり変わらない。
車体色は、目立たないモスグリーン。
エンジンはECUチューンで320PS
バランスを重視した。
吸気系はノーマルである。
EJ20系はガスが薄い。
無理にパワーを上げると、ガスが追いつかないのだ。
追加インジェクターを入れると、更に燃費が悪くなる。
低速トルクも心細い。
しかしボクサーサウンドだけで充分である。

ハイオクガスは使うたびに満タンにしてある。
飛ばすと5km/Lしか走らない。
バンドで固定したラゲッジの予備タンクにも20L入れてある。
当然、トリムに隠してあるサバイバルキットも確認した。
ここまでは官憲も短時間では探しきれない。
最近は銃刀法がやたらうるさい。
刃はオイルストーンで研いである。
従業員が帰った後の楽しみの一つだ。
車載の工具箱には、いつでも凶器になるものを忍ばせている。
誰が見ても、工具にしか見えない。
スクレーパーの刃も、知らずに触れば数針縫うことになる。
ロッカーから、ハイカットスタイルのシューズを出した。
車体の色に合わせたモスグリーンを買った。
踝をガードし、耐水性もいい。
ただ、防水スプレーは毎回かける。
泥濘で使いやすさを実感できる逸品である。
値段もさして高くない。


クラッチを2度踏み、ゆっくりとローに入れる。
先週ミッションオイルを替えた。
硬い。
少し音を立てた。
こいつが消えると暖まってきた証拠だ。
ミッションは改良されてるとは言え、ローとセカンドのシンクロが少し弱いと感じる。
多分、日産系のミッションメーカーだろう。
しかし富士重工のエッセンスは感じられる仕上がりにしてある。
まだ、こいつの体温は上がってないようだ。
エキゾースト、オイルもまだ正常値ではない。
赤信号。
ルームミラー越しの水蒸気は殆ど見えなくなっている。
セーラムのパッケージを2つ破る。
【九州道 古賀IC】
高速まであと100M。
徐行しながらチケットを掴む。
ストップ&ゴーが煩わしいほどの踏力が必要なクラッチ。
AM4:00 JUST!! ギアを再びローに落としスタートした!


15才夏
「あした久美が来るから夕方おいでよ。」
向い合せの玄関で、となりの気のいいおばさんから誘われた。
新築分譲マンション。
聞こえはいいが、ちょっと見は30戸しかないちっぽけなアパートメント。

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しかし以前から住んでるような安心感がある。
住み心地は悪くなかった。
「へえ~、同級生なんだ。この前ちょっと見たとき、年上かと思ったけど。」
「おとなしいけどいいコよ。仲良くしてあげてね。」
遠縁であることは前に聞いた。
じつは、ちょっとではなかった。
ドアスコープでしっかり見てた。
マンションは便利だなと思った。
スタイルがよく、ストレートヘアとジーンズの似合う同級生。
いつか、こいつを・・・・・・・・。
ドキドキした。


レブリミッターいっぱいまで加速する。
アタマの血が薄くなるような感覚。
強烈なGが襲ってきた。
闇に響くボクサーサウンド。
手のひらが一瞬離れそうになる。

心が震える。
ふいに気が付くと奥歯を噛み締めている自分がいた。
やはりこいつのエキゾーストは、俺を虜にする。
7300RPM!
トップエンド!
クラッチを蹴り上げる!!
セカンドにミートした瞬間、一瞬リアが踊り出す。
瞬間フロントに適正なトラクションがかかる。
再び獲物を狙う「けだもの」は強烈に加速を始める。
サードに上げて間もなくR200の下りだ。
もうすぐ本線。
パーシャルで進入する。
ブローオフが息をする。
130km/h
ケツのすべりを若干感じながら合流車線を全開。
少しのカウンターステア。
ダンロップのディレッザが正確にグリップを始めた。

賭け。
走行車線の前50Mに長距離トラック。
かまわず前に出る。
路肩の段差で再びのカウンター。
踏み込む!
怖くない・・・さ。
合流車線を20メートルオーバーした。
160km/hで本線合流。
3度目のカウンター。
激しいパッシング!
一瞬息を飲んだ。
ハザードを3回点灯した。
ようやく4速へ。
そして・・・
210km/h・・・
6800RPM・・・
トラックのディスチャージが闇の中で小さく消えた。
5速はゆっくりミートさせた。


18才秋
「まだ、死にたくないっ!」
単車に乗ってた俺は、クルマに興味なかった。
6ケ月ギリギリかかって普通免許を取った。
配車係りの婆さんに反発しただけのことだった。
看護婦になった久美の送り迎えがクルマ変わった。
「クルマなんて、オヤジの遊び道具さ」
クルマに乗っても単車のスピード感覚が得られるはずなかった。
だから兄貴の角4ローレルはいつもフルスロットル。
L20シングルキャブ、SGL  3A/T
「ばっきゃろう!なんでこんなに遅えんだっ!」
久美の息が荒い。
「俺の運転、信用できねえか?」
「冗談じゃないわよ!こんな土手で140km/hも出すなんて」
「黙ってろ!!」
緩い右コーナー
貧弱なタイヤが一瞬悲鳴を上げた。
景色が廻った・・・
瞬間フルブレーキ!
ハンドルの感触が感じられない・・・
これがスピンってやつか。
止まってくれっ!
祈る気持ちだった。
停止寸前にタイヤのグリップが回復し数回揺り戻された。
しばしの静寂。
ようやく目を開けた。
「悪かった、俺にはクルマ向いてねえみたいだな」
口の中が苦い。
「なあ・・・・・・」
頬を叩かれた。
「単車に戻って」
唇が触れた。
「っ!」
「これがわたしのファーストキス。絶対忘れないでね、今日のこと」

AM4:05
一連の緊張から解き放たれた。
5.000RPMで巡航。
センターコンソールの窪みを探った。
ジッポを置くにちょうどいい窪みである。
ドアミラーとワイパーヒーターもいつの間にか消えている。
暖まったようだ。
レガシィーはすべて寒冷地仕様に準じている。
パッケージを剥いておいたセーラムに火をつける。
スバルの限定品のジッポである。
一瞬、室内がほのかな光に包まれる。
剥がす数秒でも、この速度なら数百M走っている。
ちょっとしたステアリングの誤操作で、車線一つ分ずれることもある。
アッシュトレイ廻りに間接照明を追加した。
高速域での灰の処理もたやすい。
レガシィー3
ドライビングを如何に快適にできるか?
いつも問い続けて改良を重ねている。
福岡IC通過。
まだ夜は深い。
野太いエキゾーストノートに包まれながらオドメーターは短調に距離を刻む。
高速の下に数台のトラックの列が見える。
街はもうすぐ動き出す。
運輸会社のプラットホームが走馬灯のように流れていく。


気がつくと、セーラムの1箱目が半分になった。
AM6:10
チェーンスモーカーな俺は、スペアがなくてはとても不安になる。
「あともう2箱買ときゃよかったな」
郡部では、まだあまり売ってない。
霧島ロッジ・・・・・・・
20年前コンビニなんてなかったよな。
しかし、なぜ?

人吉ICを越え、2004年冬に開通したばかりの加久藤TNに入る。
下り車線が新調されたばかりだ。
まだ、速度は緩めない。
ブルーに光る非常口の案内が新しいトンネルと感じさせる。
まだ壁面も煤けてない。
非常電話の間隔が短く感じる。
これまで、対面通行だった。
2009_05080009
毎年のメンテナンスと度重なる事故での渋滞。
同業者が不倫カップルの死亡事故の処理をしたそうだ。
予想より早くえびのICへ着きそうだ。


27才冬 12月01日
東京へ出ることにした。
試験もパスした。
新車販売の営業からメーカー営業へ。
ここから出たかった。
薄汚れた工場、博打と暴力の街。
決してドラマのような、いい生活を望んでいたわけではない。
ただ、冒険がしたかった。
あれからオンナが2人変わった。

「あした久美の結婚式だよ。あたし呼ばれてるから行くけど、何かカズから渡す?」
1週間前、オンナ友達の千里からの電話だった。
久美と共通の友達だ。
「そうだなあ、何も詰まってない宝石箱送ろうかな。明日おまえの家に持っていくよ」
「あんたたち、バカだよ。お互い素直になれないんだから」
「縁がなかっただけさ」

疲れた・・・・・・そろそろ寝るか。
ソファーで意識がなくなってたようだ。
2007_04280015
テレビが終了の挨拶を流している。
立ちあがると同時に電話が鳴った。
ビールの小瓶を転がしてしまった。
「あ・た・し、誰だかわかる?」
「なんだよ、寝るところだったぜ。何か用か?」
「いや、ちょっと声が聞きたくなって」
聞き取れないくらい小さな声だ。
「あす花嫁さんになるやつが、どこ電話してんだよ?」
「え~、知ってたの?」
「千里から聞いたよ。お前に何もしてあげられなかったから、宝石箱送ったよ。いい思いでいっぱい詰め込むんだぞ。」
静寂・・・
「ありがとう、でもホントはカズと結婚したかった」
「バ~カ!俺は高校の時、30才で18才の若いコ貰うって言ってただろ。今のオンナがそうだよ。じゃあな!」
電話を切った。
「バカ言ってんじゃないぜ」
ため息が出た。
なぜ、会いたいと言えなかったか。
臆病なオトコと思った。
セブンスターに火を付けソファーに蹲った。
長い夜だった。


AM6:25
あと30分。
軽い興奮を覚える。
やはり、燃料は1/4しか残っていない。
営業時間前のスタンドに止まる。
ベルトを解いて、予備タンクの燃料を流し込む。
スタンドの給油器を見て笑ってしまった。
BGを給油器の横に移動する。
給油ノズルにカギはかかってなかった。
ノズルを給油口に差込み、ホースの根元をいっぱいに上げる。
変わってねえな。
高校の頃、単車のガソリンがなくなると、新聞屋の倅とよくやっていた。
ホースに溜まっていた燃料を失敬していた。
同じことを3回繰り返した。
一つのノズルから約3Lは出る。
予備タンクと合わせて29L。
燃料計は半分を少し越えた。
一瞬、いたずら坊主に戻ったような錯覚。
悪くなかった。

霧が深くなってきた。
フォグはいつも点けている。
しかしもう一つ欲しいほど深い。
このルートでは、あと20分。
時間通りだ。
霧島ロッジ。
深く、静かな記憶を頼りに走った。


18才冬
いつもの休日が終わり久美を寮へ送った。
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病院の端の駐車場。
水銀灯が寂しくあたりを照らしている。
「一度旅に出よう。ずっと遠くへ」
「ホント?その言葉ずっと待ってた。バイト大丈夫?」
「ああ平気さ。いつも俺の休みにあわせてもらって悪いな。」
「そんなことないよ。でも病院の仲間から、彼氏月曜日休みでしょって聞かれるんだ。今はそう言われると嬉しいな」
「ありがとよ。泊まりだからな。」
「えっ」
踏み越えたような空気。
これまで、オンナは知っていた。
久美も俺にオンナがいても平気な顔してた。
「なぜこれまで付き合ってくれなかったの?」
「お前の両親に悪いと思ったから」
「でも言ってたの。カズがお婿さんになってくれたらいいのにねって。知合ったときからそう言ってた。お父さんが生きてた時から」
久美の父親は事故で去年死んでいた。
「でもこうやって今は一緒。夢なのかな」
静かにフロントガラスが曇ってきた。


深い木々。
22年前の記憶が蘇る。
タイムスリップ。
けだものがきつい急坂に飛びついて駈抜ける。
重低音が凛とした空気を切り裂く。
傾斜のある道からの眺めもプレイバックしてるようだ。
でも、俺の生き方は変わった。
人間なんて移ろいやすいものだ。
感傷に浸っていても、どこかに冷静な自分がいる。
「なにやってんだ?」
答えられない
あと10分。
霧島ロッジ C203号まで。


初めてのLONG TRIP。
兄貴のローレルを3時間かけて磨いた。
グリーンのメタリックが冷たい空気の中で輝いてる。
昨日は眠れなかった。
どこに行くか、昨日まで決めあぐねていた。
山口、長崎、熊本、鹿児島、宮崎・・・・・・・
「思いでの場所・・・・そうだっ!!」
単車のタンデムは病院の寮まで。
そう決めていた。
一人の時は、行きたい方向にバンクさせればよかった。
今回は勝手が違った。
眠れずに街へ出た。
飲食店のビルの1階に花屋があった。
「二日間水やんなくても大丈夫なやつ、ある?」
「どうにでも出来るさ。でも早目に花瓶に突っ込んでくれよ。ここまでなるのに半年かかってんだ。可愛そうだからよ。」
「わかった。3.000円いや5.000円分頼むよ。大事な人にやるんだ」
「兄ちゃん、いまどき珍しいね。いまの若いのは、することばっかり考えて、口説き方しらねえや」
イカツイが、気のいいオヤジだった。
夜の街の花屋。
いろんな人生模様を見てるんだろう。


霧島ロッジまで3キロ 右折
うっすら、雪が積もっている。
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ここから、かなりの急勾配になる。
開業したてのころは、よく手前数百メートルで軽自動車がオーバーヒートしてた。
そうロッジの管理人夫婦が言ってた。
その頃は、まだ360CCのエンジン。
うなずけた。
途中から、砂利道だったけど今はどうなってるんだろう?

ん?
雪の上にタイヤの跡がある。
普通車だ。
スリップ跡もある。
多分、3ナンバークラスの後輪駆動だろう。
俺はどこかに、高級車を馬鹿にしているフシがある。
低いコーナーリング性能、船のような乗心地、オヤジ臭いデザイン。
しかし、20数年前と変わらず急勾配だ。
タイトコーナーと急勾配でギアが合わない。
1速落とす。
スバルAWDはあくまで、ドライ路面でのスポーツ4WDだ。
タイヤの目に、雪が詰まるとスリック状になる。
だから、2WDより少し雪上が強いくらいに思った方が無難だ。
やはり、オーバースピードではかなりフロントがインに入る。
普通車のスリップ跡はコーナーの度、大げさに溝を掘っている。
急いでたな。
急に感傷的な気持ちに冷たい風が吹いた。

動物的な勘。
あと500Mくらいか。
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ライトを消す。
さらに雪が降ってきた。
いや襲ってきた。
久しぶりに見るボタン雪だ。
8センチは積もっている。
フロントガラス越しの景色は水墨画だ。
離合場所でクルマを下り側にアタマを向ける。
3度切り返した。
車載のサバイバルケースを覗いた。
ジャックナイフをポケットに入れた。
薄皮の手袋をはめる。
あまり寒さを凌げないが、手先の自由は効く。
他には・・・・・・・・。
軍手を皮手袋の上にはめた。
深呼吸。
息が白く流れた。


こっそり、病院の寮の裏階段を久美が降りてくる。
いつも脚線が綺麗なオンナだ。
「婦長にどこ行くの?ってくどくど聞かれちゃった。待った?」
「いいや、でもエンジンかけたままだと、ばれちゃいそうだったから寒かった」
「ごめん」
唇が触れた。
これで何度目だろう。
深いため息。
暖かい何かを感じる。
久美がバックシートに目をやった。
「え~っ、どうしたのこれ?」
「言わせるなよ。照れちまう。最高の夜に。」
「・・・・・・・」
下を向いたまま久美は肩を震わしてる。
「さあ、行くぞ!」
水銀灯の灯火で、月桂樹のフードマスコットが光った。


管理棟の前を走った。
シーズンオフの管理人は、前の日の晩に麓の自宅へ帰る。
止まっているのは、2台。
C棟の扉の前に真紅のゴルフ。
GTIか。
多分、久美のクルマだ。
昔から、自分のクルマはハッチバックと決めていた。
木陰に隠れて、30M手前に黒のマジェスタ。
おまけにフルスモーク。
そのまま上ってきたら、多分気がつかなかったはずだ。
奇妙なコントラスト。
知らずに、ドアを開けると多分俺はどうなるかわからない。
迷わず、ポケットからサバイバルナイフを取り出す。
腰を屈め、マジェスタに近ずく。
前2本のタイヤのサイドウォールに刃をあてる。
これで安心だ。
1本だとスペアタイヤに履き替え追いかけてくるはずだ。
携帯を見る。
圏外表示。
時間は稼げる。


無言の時間が流れた。
L20シングルキャブのクルージングが心地よい。
パワーがない分、インジェクションより静かなのが唯一の救いだ。
透過照明のメーターパネルが、ほのかに久美を照らす。
目尻の涙をぬぐった久美が囁いた。
「高校の時思い出してた」
「なに?」
「毎週街に行って遊んでた頃よ。カズはいつも肩で風切ってた」
「そうだったかな?」
「それが頼もしくて、後ろから背中眺めてた」
「そんな風に見られてたって、考えもしなかったよ」
「でもカズは大学に行って、わたしは就職した。それにカズ、単車ばかり熱中してたからすごく寂しかった。バイトも忙しそうだし。でも今は違う。ありがとう」
「いつかは、お前と付き合って結婚しそうな気がずっと前からしてた」
「本気で言ってるの?歯が浮きそうよ。でもそうなれば嬉しいな」
いつもの眩しい笑顔に戻った。
「で、博多の方に行ってるけど、どこ行くの」
「R3を南へ向かう」
「え?」
「霧島ロッジ」
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C棟の南端203号だけに灯りがついている。
心臓の鼓動が高くなる。
マジェスタから離れようとした瞬間、後ろから首を締められた。
麻縄のようだ。
クルマに身体を押し付けられ身動きが取れない。
「誰だおまえ」
くぐもった声だ。
若くはないようだ。
言われても、しゃべれる訳がなかった。
次第にロープが首に食い込む。
指1本、どうにかロープの間に入れた。
マジェスタのサイドバイザーを叩き割った。
その尖った長い破片を握った。
何度も後ろに突く。
声にならない悲鳴と共にロープが緩んだ。
ヤツの目に深く刺さっていた。
抜いた。
朱色の液体が、軍手を染めた。
眉間を狙い顔面に蹴りを入れた。
3度目に静かになった。
折れたサイドバイザーで両方の太ももを刺した。
感触があった。
オトコは口を開けて叫んだが、声にはなってなかった。
少し吐き気がした。


28才冬
「おまえ、素人じゃないな」
目の前に座った刑事がニヤリと笑って聞いた。
「いや、俺の手見ろよ」
青く腫れあがっている。
「しかし2発で病院送りとはな。知ってなきゃそこまでできねえよ」
「たまたま入っただけだ」
「たまたまねえ。まあ相手から絡んできたんだ。急変したら連絡するんで、居場所だけ教えてくれ」
京急沿いの駅前酒場でガラの悪いヤツに絡まれた。
刑事もよく知っているチンピラだった。
襟首を捕まれた時、腕を払いながら肘で一発。
足を払い蹴りを更に顔面に入れた。
計2発。
それだけだった。
どす黒い鼻血が俺のスーツのズボンを汚した。
「まあ、よく出頭してくれた。逃げちまえば俺達も捜査しないといけねえ。礼じゃねえけど俺も腹減ってるからちょっと付き合えよ」
少し冷えたカツ丼だった。
刑事ドラマのセットと一緒じゃねえか。
洒落にもなんねえや。
腹の底で笑っていた。


不思議と寒さを感じない。
蘇る感触を楽しんでいるようだった。
殺るか、殺られるか。
あと一人残っているはずだ。
どうやって連れ出すか?
マジェスタからロッジまで2ツの足跡があった。
ひとりは雪の上で動けなくなっている。

灯りが漏れている窓から中を覗く。
カーテンに遮られている。
何も見えない。
裏手へ廻った。
暗い。
すべて施錠されている。
ボイラー用の石油タンクが見つかった。
300Lものだ。
ホースをサバイバルナイフで切り裂きライターで火をつけた。
自然とそう動いた。
ウッドデッキが炎に包まれガラスが割れるまで数分。
暢気に火に手をかざした。
割れた瞬間、素早くキッチンへ身を隠した。
オトコが慌ててキッチンへ入ってきた。
何か言っているようだが、聞き取れない。
テーブルの下から大腿部へナイフを刺し入れた。
掌に確かな感触。
悲鳴を上げながら倒れた。
顔を力任せに踏みつけた。
鈍い感触。
鼻に入った。
腹を数回蹴り上げた。
不規則な呼吸になった。
また数回顔をつま先で蹴り上げる。
これで抵抗はしないだろう。

「よう」
「・・・・・」
後ろ手と脚が縛られ、猿轡をかまされている。
「なんてザマだ、馬鹿野郎」
泣いてなかった。
「やっと息が出来たわよ。」
「ありがとうも言えねえのかよっ!」
怒りが込み上げた。
しかし、時間勝負だ。
こいつの世話は後でいい。
解いたロープを伸びているオトコに掛けた。
火は壁でくすぶっていた。
バスに溜まっている水をバケツに汲んで消した。
あのときの思いでが蘇ってくる。
部屋になにがあるか手に取るようにわかる。
外で伸びているヤツを引きずって部屋に入れた。
ようやく手に冷たさを感じた。
こいつにもロープを掛けた。
「さて始めるか」
「何すんのよ」
「黙ってろっ」
目を刺されたオトコをバスルームに引きずり込んだ。
水を入れながら上半身をバスタブに突っ込む。
「フフフ・・・・・」
薄笑いしながらもうひとりの男の髪を掴んだ。
「よくみてろ。人はああゆう風に死んでいくんだぜ」
次第に足の動きが弱くなった。
「すぐには殺さねえさ。俺を殺そうとしたんだ。償ってもらう。次はお前だがね」
バスタブから弱ったやつを出し、オトコを引きずっていった。
ふと臭いがした。
失禁してやがった。
構わず引きずった。
「こ・・・こ・・・・」
「なんだよ」
「そ・・・そうじゃない。こ・殺さないでくれ」
「なんか楽しくなってきたよ」
「やめてくれっ」
「ふふふ・・・」
オトコの上半身をバスタブにつけた。
20秒。
上げた。
水をかなり飲んだらしい。
「どうだ、死線をさまようのは。俺もバカだったらこうなってた。ほらっ」
再度つけた。
20秒。
上げた。
二人をキッチンに放置し、上着から財布とキーを抜き取った。


18才冬 霧島ロッジ
年老いた管理人が驚いているようだ。
「お若いですねえ。どうしてここをお知りになったんですか?」
「オヤジが生きていた頃、ここに連れてきてもらいました。」
「そうでしょう。ここはむかし西日本製鉄の保養所だったんです。会社が傾いて管理人やってたわたしが買取ったんです。でもね雑誌にも載せたくなかったんで若い人がなぜと思ったんですよ」
「オヤジは会社を誇ってました。そしてここも。よろしくお願いします」
「食事は管理棟にダイニングがあります。夕方5時に来られて下さい」
「知ってますよ、ここの食事の時間。楽しみです。」
久美とロッジに向かった。
C 203号
樫の木で出来た大きなキーホルダーがお洒落だ。
落ち葉の上を肩を並べて歩く。
夢に見た光景だ。
修学旅行で軽井沢へ行った。
霧島はよく似たシチュエーションだ。
久美と来たかった。
バスの中でそう感じ目頭が熱くなったことを思い出す。
部屋に入り、力任せに抱きしめた。

深いグリーンの扉。
冷えた空気。
そして久美。
一瞬フラシッュバックしたが、すぐに現実に戻った。
「なんで俺を呼んだ」
「・・・・・・」
扉を開けた。
暖かい部屋に刺すような冷たい空気が侵入する。
更に白いものが厚くなったようだ。
ボクサーに向かう。
初めて寒さを感じた。
BGはかなり雪を被っていた。

AM7:40
イグニッションオン。
ヒートゲージがかすかに上昇した。
完全には冷え切ってなかった。
エンジンスタート。
低いエキゾーストノートと共に激しい水蒸気が上がった。
谷に共鳴していた。
この音で、ヤツらは気がついたんだな。
そう思った。
少しスリップを感じて発進した。
2008_03040016
後ろでゴルフが止まった。
サイドシートに乗ってきた。
「降りろ」
久美が窓をあけ、ゴルフのキーを谷底へ捨てた。
泣いていた。
しょうがねえや。
黙ってクルマを出した。

えびのICまで戻った。
ドライバーズシートから降り、パッセンジャーのドアを開けた。
コートの襟を掴み久美を引きずり出した。
「ここから福岡行きが出てるぜ」
2009_05080016
ドライバーズに戻ると、リアドアから再び乗り込んできた。
信号待ちのドライバーが興味深そうに見ている。
無言。
再び発進させた。


柔らかい照明のダイニング。
すべてのセットが自分達だけのものだ。
こんな気持ちは初めてだった。
夢は自分でセットアップしていくものだ。
そう感じた。
「お待たせしました。今日はお二人だけですよ。」
軽く会釈しながらオーナーがテーブルに近寄ってきた。
「サービスで取っておきのワイン出しました。でもゆっくり飲んでくださいね。滅多にないせっかくの静かな夜ですから」
暖炉の木々が燃える音のほか、何も聞こえない。
神を信じる人たちの気持ちがなんとなく感じられた。
前菜が出された。
温野菜とサーモン。
氷のボールに入った2種類のドレッシングが出されている。
メニューにはない川魚で紫蘇を中心に巻いたものも一緒に出された。
ワインは白のデカンタで出された。
これも、氷で冷やされている。
「乾杯」
囁くように言った。
グラスを上げた。
久美の瞳の中にキャンドルの炎が揺れていた。
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ルームミラー越しの表情は見えない。
「降りろよ」
しかたなく、加久藤峠の茶屋で降りる。
こちらの山は、乾いた風が厳しく、しかし雪は積もっていない。
手の感覚は戻ってきたが、手の甲の冷たさが痛い。
きのうから何も口にしてなかった。
その店の名物「牛筋おでん」と熱燗を注文する。
熱燗2合を飲み終えて、少ししゃべる気になった。
「何か言えよ」
「・・・・・・・・・」
また根競べかよ。
昔から変わってない、もどかしい時間の経過。
また2合追加した。
少し辛口の酒。
安物とすぐにわかるツンとしか匂い。
合成清酒だろう。
途中でかなり酔いが廻ってきた。
刺してみたくなった。
牛筋おでんの竹串で久美の二の腕のあたりを刺した。
「んっ!!」
コイツ主導のお遊びはゴメンだ。
もう一度同じところを刺した。
頬を張られた。
あわてて、キッチンからおばちゃんが飛び出してきた。
店のおばちゃんに、どうでもないと手を振って笑って見せた。
訝しげにキッチンへ入っていった。
「刺すの好きなんだよな」
「言うわよ」
「フン、話し半分だな」
わたしはジッと久美の目を見た。
「わたしにも解らない。ただ何か探しているようだった」
「なにを?」
「去年、旦那と離婚したの。いまは一人暮らし。お母さんは萩へ帰ってるわ」
「それで?」
「昨日勤務先の病院から帰ったら、部屋の中荒らされてた。怖くなって部屋を出るとき攫われたの」
「でもなんで、俺の居場所わかったんだ?」
「ホームページ出してるでしょう」
「ああ」
「それで、あなたの名前検索したのよ」
「そういうことか」
「あなたのブログ、毎日見てたわ。」
瞳が濡れていた。
「いつから」
「もう3年になるかしら。まだブログ立ち上げたばかりだったみたいだから」
胸が詰まった。

「盗られたものは?」
「あなたから貰った宝石箱」
一瞬、何を言ってるかわからなかったが思い出した。
「その中に何が?」
「いらなくなった婚約指輪と結婚指輪、それから
お父さんのキーホルダー」
「その鍵って何の?」
「わからないわ、ただ昔の南京錠みたいだわ」
「南京錠ね」
考えても仕方なかった。


「やあ」
「こんにちは」
久美の父親は、わたしを見るなり木刀を下ろした。
額にうっすら汗が流れている。
「君のお手並み拝見したいけどな」
「とんでもないですよ、もう剣道から4年離れてますもん」
「はは、そうか。まあこれからも久美のことよろしくな」
父親は単身で、福岡県南部で働いていた。
オンナ3人兄弟の真ん中。
さながら中間管理職である。
確かに、甘えない気丈なオンナである。

「気になることがあるの」
コタツで話しているとき、顔を近づけ不意に小声で言った。
「なに?」
「いま看護科に行ってるでしょ」
「ああ」
「パパママの血液型でわたしは生まれるはずないのよ」
「は?」
「だから、あの2人の子供ではないってこと」
久美は隣の部屋にいる両親を見た
答えに詰まった。
「ふふふ、俺たちが似てるって言われるけど、なぁ~」
話しを逸らし笑いで誤魔化した。
わたしたちは、2人でいるとよく兄妹に間違われた。
「真剣な話しなのに・・・」
俯いたまま時間が過ぎた

以前から、姉と妹に似てないとは感じていた。
性格はもとより、体型もだ。
しかし、その話しは数日後には、わたしの記憶から消えていた。


母親は山口県の萩の出身であった。
わたしの父親の親友が、萩にいて話題になった。
小さな城下町である。
偶然にも、久美の母親とわたしの父親の友人は、同じ苗字であった。
母親の実家は、同じ漁師町の町内だった。

「俺たち実はどこかで血が繋がったりしてたりして」
「よく兄妹に間違われるね」
久美は謀るようにコタツの向こうに言った
母親は小さく笑っていた。
「同じB型だしな」
気がつくと、母親は後ろを向いて茶を汲んでいた。








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