鈴木 セイヤ 0
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木曜担当のよこてんです。今回は『日高火防祭り(ひたかひぶせまつり)』のお話。競馬に関係なさそうなお題ですが、今年はたいへんたいへん競馬に関係がありました。★お祭りのクライマックス・はやし屋台の揃い打ち まずは日高火防祭りについておさらいをしておきましょう。奥州市のウェブサイト内『日高火防祭の由来』(https://www.city.oshu.iwate.jp/kanko/event/1/1677.html)によれば、まず一説には江戸時代、水沢伊達氏4代の伊達宗景公が江戸滞在中に目にした明暦大火の惨状から地元水沢でも火防の対策を立てると共に神仏の加護を受けるべく始めた祭りというもの。もうひとつは水沢伊達氏6代の伊達村景公が民間の火消し組織を創設し、その記念の祭りが発祥となったとするもの。 「日高火防祭り」は「ひたかひぶせまつり」と読むのが正しいですが、地元の人は「かぼうさい」と短く、音読みしたりもしますね。 水沢伊達氏の話が出たところで併せて触れておくと重賞の留守杯日高賞、「留守杯」は水沢伊達家の祖とされる留守政景、さらに遡ると平安時代から陸奥国を治めた留守氏にちなむもの。留守政景は伊達政宗の父輝宗の弟にあたる人物です。「独眼竜政宗」にも登場しましたよね。 そして「日高」の方は、これにも諸説ありますが、現在でいう東日本地域を広く捉えた「日高見」という呼び方が徐々に範囲が狭まり、今の北上川流域を指すとも、北上川という名称自体が「ひたかみ」が転じたものともいわれています。 さらにちなむと北海道の日高地方、馬産地として有名な日高がひだかと呼ばれるようになったのも、大きな由来は実は同じだったりもします。 日高火防祭りに話を戻しましょう。近年の各地のお祭りがそうであったようにここも2020年から2022年まで新型コロナ禍の影響により中止になり、昨年、4年ぶりに実施されました。今年は再開2年目となります。以前は4月29日指定、近年は4月の最終土曜日が指定日。そんな以前は競馬開催と被ったり被らなかったりの日程で、競馬が終わった後に街に出てお祭りを見るという流れも可能でしたが、今は日・月・火開催だから被らなくはなりましたね。 お祭りは、岩手の他の地区に多い人形や装飾の多い山車とはちょっと異なっていて、参加する各町の「町印」を先頭にした「はやし屋台」が打ちばやしを演じながら練り歩くもの。はやし屋台はなかなかに立派な作りですが装飾としてはシンプルな印象をうけます。★町印を先頭に並ぶはやし屋台★揃い打ちの前に待機中のはやし屋台。それぞれ細かい作りに違いがあったり★2007年の火防祭。以前の揃い打ちははやし屋台が水沢駅前に集結する形でした 山車が出る大きなお祭りは周辺だと花巻まつり、盛岡秋まつりが、隣の県ですが八戸三社大祭とかねぷたも有名ですが、みなそれぞれ個性がありますよね。★花巻まつり 各所の灯火が本物の火でリアル感強め★八戸三社大祭 開いたり閉じたりする山車は初見だと驚きますよね さあ本題(?)に行きましょう。日高火防祭りのもうひとつのメインイベントというか目玉というかが「厄年連」の創作演舞です。25歳と42歳の厄年を迎える、奥州市内にある三つの中学校の卒業生たちが構成する厄年連による演舞披露。コロナ前は水沢競馬開幕の際に競馬場で演舞をみせていました。★2019年、水沢競馬場での「輝馬伝(こうまでん)」演舞 その厄年連の演舞に今年は関本玲花騎手が参加しました! このために3月から練習に参加していたという関本玲花騎手。スケジュールとしては3回、演舞としてはもっとたくさん、踊り切りました! 厄年連に参加するには奥州市の水沢中学校・東中学校・南中学校の卒業生である事が原則で、奥州市で生まれ育ったジモティーでなければ加われないですし、最初の方でも触れたように競馬開催日に被る事も多いとあって、自分の記憶にある限りでは騎手の参加は小林俊彦騎手(現調教師)以来かなと(他にもいたらすいません。該当しそうな人は何人か思い当たるんだけど・・・。なお厩務員さんは参加している方が少なくないとのこと)。 ちなみに奥州市出身の佐々木志音騎手にも“参加資格”があるようです。数えで25歳だから5年後くらいかな?志音騎手の演舞披露を楽しみにしましょう。
2024年05月02日
木曜担当のよこてんです。今回はJRA福島競馬場に遠征したザブルースのお話。 実は自分も久しぶりの、少なくとも震災以降は初めての福島競馬場でした。そもそも前に行った時にはまだ岩手競馬発売コーナーがあったような・・・。改装されてから初めてな気がする・・・。★春の福島競馬開催を伝えるバス広告。福島は競馬シティ★スタンド周辺や4コーナーの桜も満開から場所によっては散り気味。岩手よりも少し早い感じでした★春と言うよりは初夏の陽気 さて雪うさぎ賞、ザブルース。前走は昨年12月、やはりJRA・中山の2歳特別「黒松賞」でした。結果は11頭立て11着だったのですが序盤でハナに出ると直線に向くまで先頭を守り続けるというなかなかの快速ぶりを見せていました。坂のない平坦コースならもっと粘れるかも・・・と思わせるくらいのスピードを見せたのは、結果はともかく見せ場は十分だったと感じさせてくれました。 今回は、中山よりは坂の勾配が小さい福島。ただしその黒松賞以来の休み明け、この間には育成牧場でも乗り込んできていて体勢としては整っているが・・・という臨戦過程。 レースの結果としては、休み明けもあってパドックからイレ込み気味、ちょっと出遅れて前走のような形にならず・・・の16着。こういうタイプの馬でもあり、自分の形にならなければ余計に苦戦するのは仕方ないですね。★パドックを周回するザブルース 翌日に飯田弘道調教師に振り返っていただきましたが、イレ込みが気になった面はあるがJRAの馬たちも成長しているという点(ザブルースは雪うさぎ賞が4戦目、対して例えば勝ったモズトキキは7戦目・・・とかの実戦経験の差)、そして馬体重が思った以上に輸送で減ってしまったのも影響したかな・・・というお話でした。★出遅れからマクって追い上げたザブルースでしたが結果は16着 特に馬体重。+10kgくらいでは出せると考えていたのだそうで、福島の後は新潟に転戦したいというプランも言われていましたが、馬体重面を考慮して次戦は地元戦へ・・・ということになるようです。 遠征では結果が出せなかった形に終わりましたが地元では2戦2勝、それも7馬身差・4馬身差で勝っているザブルースです。遠征の経験を活かして、そして芝シーズンが始まる頃には・・・。今後の巻き返しに期待しましょう。★雪うさぎ賞を制したのはモズトキキ★雪うさぎ賞に出走したもう一頭の地方馬・浦和のビコーズウィキャン。鞍上は及川烈騎手 さて福島競馬場。自分は福島で学生時代を過ごしまして、福島の街は非常に懐かしいところになっています。 競馬場は学生時代には行った事がない(これはホント!)。競馬との接点はなきにしもあらずで、例えば夏の福島開催ころには競馬場の飲食店でのバイトの話が良くあったんですが、「もの凄く忙しい」という経験者の話を聞いて近づかないようにしていました。 それから地元の新聞。一般の新聞が福島開催時には競馬新聞かと見まがうくらいに競馬面が増える!通常の倍くらいに厚くなるのが結構ね、当時は始末が大変だと思っていましたね。今ならご褒美ですけども。 もうひとつは、吾妻通りの東北電力の前にあった「満月苑」という焼き肉屋さんでバイトをしていた時期があったんですが、そこのマスターが馬主さんだったのかな?今思うと口取り写真を店内に飾ってありました。これも今になってみれ馬のお話をいろいろ聞いておけば良かったと思うところ。 競馬場にはその後何度か足を運んだのですが、大改装前のそれも秋とかで。昔をご存じの方なら分かると思いますが、“秋の福島”は1レースから9レースくらいまでが未勝利戦でメイン前後だけが条件戦。それを寒い寒いスタンドから見続けているのは、何か修行でもしているのかという気分になったものです。★94年頃かなあ。福島競馬場。こういう景色はあまり変わってないかも しかし街の景色はずいぶん変わりました。13号線から東側、競馬場の方はそれほど変わってない感じですが、駅の方はガラッと変わった。 先ほど触れた吾妻通りは大きく拡幅されたし並んでいたお店もすっかり様変わりしました。「満月苑」があった建物は今でもあるのですがお店自体は震災前に閉業していたようです。吾妻通りと13号線の交差点あたりには小さな八百屋と本屋があって時々お使いを頼まれたのですが、ここも大分前に駐車場になっていました。 そもそもが駅前通りですよ。ごっそり無い!無くなってる!かつては中合、山田と並んでいた百貨店エリアから駅前の商店街があったあたりまでが更地!★無い!無くなってる!(旧長崎屋前あたりから駅方向)★再開発計画ですが、昨今の費用高騰の影響から期間延長・規模縮小等を検討というニュースも 中合はちょっと高級、山田はだいぶリーズナブル。そして13号線の交差点あたりには長崎屋とコルニエツタヤ、エンドーがあって、この辺を往復するだけでも割と用が足りたものでしたねえ。 駅西口のイトーヨーカドーも5月6日で閉店とのこと。福島に住む事になって、新しい街ではまずスーパーマーケットを探すのですが、駅のすぐ近くに大きなスーパーがあって良かったし便利だし・・・と安心した思い出。★福島駅西口のイトーヨーカドー。福島に住み始めて初めて買い物に行ったスーパーなのでした 福島競馬場もまた改修に入るという噂もありますね。自分が住んでいる頃とはあちこち変わってしまって、変わらないのは街から見える吾妻連峰と安達太良山の景色・・・になるのかも。 ちなみにザブルースが出走した「雪うさぎ賞」、レース名は春の雪解けの頃に吾妻小富士に浮かび上がる“雪うさぎ”の姿にちなんだものです。岩手で言うと「岩手山の山頂部に見える鷲型(岩鷲)」のようなもの。この雪うさぎが見える頃になると春の訪れ、田んぼに水を入れたり畑に種をまいたり・・・の時期になるとされています。レースの日にも見えていましたよ。★雪うさぎ。二本の長い耳と丸い尻尾がウサギっぽいでしょう?
2024年04月18日
木曜担当のよこてんです。 いよいよ4月7日から“2024シーズン岩手競馬”が開幕します! まあ、毎年書いているような気がしますが新シーズンは実質的に3月10日にスタートしているので、すでに1ヶ月ほど開催が進んでおります。2開催あったので各クラスの勢力図なども大分見えてきているのですが、新シーズン初日の4月7日に行われる3歳のスプリングC、翌週4月14日に行われる古馬の赤松杯と、そこから世代の注目馬が始動する予定になっています。3歳・古馬の力関係がはっきりしてくるのはこれからとも言えるわけで、ファンの皆様におかれましては一層の注目を、そして3月のうちに勘を取り戻した馬券力で4月からバリバリと予想を当てまくっていただければ幸いこの上なし(・・・自分がバリバリ当てるとは言っていない)。 さて今回のお題は『水沢の桜は、今年はいつ?』。岩手県競馬組合からは開幕週の4月7日から、そして翌週4月14日からのそれぞれ3日間、水沢競馬場の向こう正面桜並木を一般開放というおしらせが出ております。 昨年は全国各地で“観測史上最速”となるような早い開花、早い桜前線の進行でした。今年は、2月が非常に暖かくてこれは今年も早いのか・・・?と思っていたのですが、3月が一転して真冬のような寒さ続きで不透明な感じになりましたね。 とはいえ南の方から届いてくる桜の便りは、昨年ほどではないものの平年比で“早い”という所が多いようです。岩手も、奥州や江刺付近で4月7~8日の開花、盛岡市で4月12日前後の開花の予報になっていて、開花から一週間くらいが満開時期だとすると、やはり平年より数日早いタイミングでの満開になるのではないでしょうか。 では、近年の水沢競馬場桜並木はいつ頃見頃になったのか? 10年前から見てみましょう。2014年は4月19日~21日の開催日で7~8分咲き、翌週の26日・27日頃は散り始めだったもののまだ見頃が続いていました。この年は見頃が長かったですね。★2014年4月20日撮影 2015年は4月12日頃から花が目立ち始め翌週の18日・19日頃が満開。しかし20日に雨が降って散る速度が速くなってしまったようです。 2016年。4月11日に雪が降った!ようですが、翌週16日には満開のもと桜並木の公開が行われていました。★2016年4月16日撮影 2017年は4月22日からの週に満開。2018年は4月14日に大分咲き始めているのが写真に写っています。しかし翌21日には葉桜になりつつありますし、同じ頃には盛岡周辺が満開になっていたので、この年はどうも開催日の間に満開を迎えていた模様。★2017年は4月22日の桜並木★2018年4月21日。この年はこの日にはピークを過ぎていました 2019年は、4月15日はまだ白っぽいものが見えている・・・くらい。翌20日から22日の週に満開でした。★2019年4月20日の桜並木 無観客開催だった2020年4月は4月13日頃からはっきり咲き始め、19日から21日をこえて26日まで保ちました。無観客・一般公開なしだったのがもったいない長持ちの年でしたね。★2020年は見頃が長く続いた年でした。ただし残念ながら無観客開催・・・ 2021年も一般公開なし。この年は早くて4月11日から13日の間が満開で翌週はほぼ散った状態。 2022年。この年も一般公開なし。4月17日~19日の間満開の桜を背景にした競馬となりました。翌週には完全に葉桜、新緑の並木。★2021年は4月12日の模様★2022年。これは向こう正面ではなく競馬場近くの桜、焼石連峰を背景に★堤防から向こう正面の桜並木と馬と そして昨年、2023年は開幕2日目の4月2日ですでに向こう正面に白い部分が見え始め、競馬場周辺の日当たりが良い桜は広く開花。翌4月9日の週には満開になって16日の週にはすっかり新緑になっていました。★2023年。4月9日には満開に こうして並べてみると、天候によって若干前後はしているものの“桜が早くなっている”と感じる感覚は実際その通りなようです。そんな中でも昨年は圧倒的に早かったのも確かだったようですね。 今年は、カレンダー上では昨年だと満開を迎えつつあった頃になっていますが、今のところは昨年ほどは早くないような状況。ただ今週末から急に気温が上がるんですよね。連日20度とかそれ以上とか初夏のような気温に。気温が急上昇すると桜は一気に咲いてしまいますし、気温が高い日が続くと一気に散ってもしまいますから、今週末の開花具合によっては来週までの中間に一番良い頃を迎えてしまう可能性が・・・とちょっと心配しています。 中間の気温が高くなりすぎなければ良いんですがねえ・・・。ほどほどの気温・ほどほどの天候が続けば長持ちもしますし。8日、9日あたりの開花具合に注意というか注目というか・・・していただけると良いのではないでしょうか。良いタイミングを見計らって水沢競馬場までおこしいただいて、桜と競馬を楽しんでいただければと思います。
2024年04月04日
木曜担当のよこてんです。 3月20日、“新しい3歳ダート三冠路線”三つ目の前哨戦である京浜盃が大井競馬場で行われ、地元大井所属のサントノーレが優勝しました。★京浜盃を制したのは大井・サントノーレ。鞍上は門別の服部茂史騎手 今年からjpnII格付けとなった京浜盃はJRA勢3頭・地方競馬勢6頭の計9頭で争われたわけですが、サントノーレは2着以下を7馬身突き放す完勝、それも突き放した相手はブルーバーとCの覇者アンモシエラだったのですから価値は十分。だったのですが・・・。 既報のようにサントノーレ号はレース後に右膝骨折が判明、少なくとも三冠前半戦からは離脱、休養ということになったとのこと。 レース後、同馬を管理する荒山勝徳調教師は「さらに強いメンバーとも戦えるような状態で次も挑みたい」と、また手綱を取った服部茂史騎手も「馬が成長して反応が良くなっているのが前走と今回の違い。馬の芯ができてきたのだと思う。雲取賞組が出てくる次回も負けないように立ち向かっていきたい」と非常に前向きなコメントでしたし、後述する出走権の関係からもこれで羽田盃の最有力候補に躍り出た・・・と現場では盛り上がっていただけに残念なニュースになってしまいました。★陣営も喜びに満ちていたレース後と見えただけに残念 地方勢では地元の大将格になると見られていたダテノショウグンが5連勝後に戦線を離れたままになっており、ここでのサントノーレまでの、全日本2歳優駿から京浜盃まで地方馬最先着してきた同馬の離脱は、地方勢にとっては大きな損失ですよね・・・。地方馬同士の中では強力なライバルでもあるわけですけども強い馬がいない三冠路線が面白いわけがない。両馬の一日も早い戦線復帰を祈っております。 さて、1月のブルーバードCから始まった3歳ダート三冠路線の前哨戦が京浜盃で終わり、次戦は三冠第1戦となる羽田盃になります。今回はこの機会に“3歳ダート三冠路線の出走枠”について、自分用の確認も含めて、改めて見ておきたい・・・というのが今回の主なお題。 再編されて今年からリスタートした3歳ダート三冠路線、その出走馬の選定方法はJRA所属馬・地方所属馬で流れが異なります。 地方所属馬に関してはTCKサイトの『3歳ダート三冠競走等における地方所属馬の出走馬選定方法』(PDFファイル)、JRA所属馬に関してはNARの『3歳ダート三冠路線における中央所属馬の出走馬決定方法』(PDFファイル)が発表されておりますのでそちらで詳細をご確認ください。 意外にわかりづらいので最初に主なところを箇条書きすると、○羽田盃・東京ダービーはJRA・地方とも前哨戦上位馬が最優先○東京ダービーの地方馬は羽田盃およびトライアル競走・指定競走からの権利持ちで枠の過半数に○前半二冠においてはJRA所属馬が別路線から入ってくるのはかなり狭き門○ジャパンダートクラシックは前半二冠とは実質的に別 まず一冠目の羽田盃。フルゲートは16頭でJRA4頭・地方12頭の内訳。 JRA所属馬は(1)「京浜盃で5着以内の上位2頭」と「雲取賞で5着以内の上位2頭」がまず優先、次に(2)「京浜盃または雲取賞5着以内で(1)以外の上位馬」、つまり“掲示板に入ったけどもJRA勢では3番手以下”の馬が上位で、収得賞金順の選定は(3)でその次となります。 地方馬は雲取賞・京浜盃の上位2頭とブルーバードC・スターバーストCの1着馬が優先出走権。指定競走になるのはクラシックチャレンジ(4月8日大井1800m)で、優先出走権ではないもののその勝ち馬もまず羽田盃の切符を手にできるでしょう。残りが収得賞金順で出走枠に。 二冠目の東京ダービーもフルゲート16頭、JRA4頭・地方12頭の配分も羽田盃と同じ。 JRA所属馬はまず(1)「羽田盃5着以内の上位3頭」と「ユニコーンS2着以内の上位1頭」。(2)が「羽田盃5着以内で(1)以外の上位馬」と「ユニコーンS2着以内で(1)以外の上位馬」。ちょっとわかりづらいですが“羽田盃に出走したJRA馬4頭がすべて掲示板圏内を確保した場合の4頭目”、“ユニコーンS1着馬と2着馬まで入るか、あるいは地方馬が勝ったときの2着のJRA馬”ということだと思います。そしてここでも収得賞金順選定馬は上記に次ぐ順位。 地方馬は「羽田盃上位3頭」「ユニコーンS2着以内の上位1頭」と、トライアルであるクラウンカップ(4月2日川崎1600m)・東京湾カップ(5月2日船橋1700m)のそれぞれの勝ち馬が優先出走権。最大6頭がまず埋まりますね。 そして指定競走が3つ。まず東京ダービーチャレンジ(5月13日大井2000m)。そして盛岡でのダイヤモンドC(5月5日盛岡2000m・東日本交流)と園田での西日本クラシック(5月1日園田1870m・西日本交流)。優先出走権ではないですが、ここまでで9頭。 なので収得賞金順での枠は羽田盃よりもぐっと少なくなることになります。 三冠目のジャパンダートクラシックはフルゲート頭数こそ前の二冠と同じですが内訳が変わってJRA7頭・地方9頭に、そして優先出走権は「不来方賞1着・レパードS1着」というのがまずJRA・地方共通、地方馬のみ「黒潮盃1・2着」が加わります。 つまり直接の前哨戦から埋まる枠はJRA馬は7頭中の最大2、地方馬は9頭中の最大4。こちらはJRA馬・地方馬とも枠の過半が収得賞金順で決まるという、前半二冠とは違う構図になっています。 ちなみに今年からJpnIIになる不来方賞はJRA5頭・地方11頭の枠でJRA所属馬は収得賞金順、地方馬は、地元馬にはやまびこ賞1着馬に出走権がありますが他は選考委員会による選定です。 東京ダービーまでの三冠路線の着順によらず、不来方賞から参入する形であってもジャパンダートクラシックの枠は十分に獲れる・・・という形になっているのが前半戦と趣が異なる点といえます。 少なくとも東京ダービーまでに関しては、JRA馬・地方馬ともに、東京ダービーを目指すなら羽田盃に、羽田盃に出るには雲取賞・京浜盃などの前哨戦から三冠路線に参加するのがまず近道。 地方馬の方は東京ダービーであれば東日本交流・西日本交流のレースから出走権を得ることも可能な分、JRA馬よりは“切符”を手に入れやすいと言えますが、JRA馬は雲取賞か京浜盃で権利を獲っておかないと東京ダービーへは手が届かなくなりかねません。 ではJRAから地方に移籍した馬の場合はというと、“JRA所属時の獲得賞金は選定時の収得賞金に加算しない”“転入初戦では三冠の3レースに出走できない”規定があります。なので前哨戦で好走して賞金を加算して・・・と計画的にレースを選んでおかないと三冠レースに進めなくなる可能性がありますし、ダート狙いで地方移籍するなら早めに・・・ということにもなってくるでしょう。 さしあたり直近の羽田盃で出走枠の状況を考えてみましょう。 まずJRA勢。アンモシエラ、ハビレ(京浜盃5着以内の上位2頭)、ブルーサン・アマンテビアンコ(雲取賞5着以内の上位2頭)が枠を占めており、これらに次ぐのがイーグルノワール(雲取賞4着)、シークレットキー(京浜盃4着)。それ以外の馬が出走したい場合は収得賞金順の選定にはなりますが、先の6頭が手を挙げているかぎりそれ以外の馬に出走枠は回りません。★アンモシエラ/JRA 京浜盃2着★ハビレ/JRA 京浜盃3着★ブルーサン/JRA 雲取賞1着★アマンテビアンコ/JRA 雲取賞2着 地方馬はサントノーレ・フロインフォッサル(雲取賞の地方上位2頭)、サントノーレ・ティントレット(京浜盃の地方上位2頭)、ブルーバードCはJRAのアンモシエラが勝っているので対象無し。そしてスターバーストCを勝ったマッシャーブルムを加えてのべ4頭が優先出走権持ちになりますが、前述の通りサントノーレが離脱したので3頭。地方馬枠は12あるので9頭分が収得賞金順になりますね。★ティントレット/地方 京浜盃5着★フロインフォッサル/地方 雲取賞5着★マッシャーブルム/地方 スターバーストC1着(写真は京浜盃出走時) 地方馬はまだ未確定分が多い。一方のJRA勢は、先に触れた選定方法からすれば、羽田盃はおろか東京ダービーまで大まかな顔ぶれが見えている。というところにダート三冠路線の選定方法の特徴が浮かび上がっていると思っていただければ。 ここまでの選定方法や出走枠の配分はそれぞれ「初年度」という但し書きがついていまして、来年以降はまた変わってくる可能性があります。南関以外の地区に残った3歳重賞路線との整合性にも手が入っていくのかなと思ったりしますね。なんとなくですけども。 前にも書いたような気がしますが、かつての3歳ダート三冠路線も毎年のように形が変わっていましたしね。むしろしばらくの間は頻繁に形が変わると思っておくくらいが良くて、大事なのはその先でどういう形に定まるか?なのでしょう。 個人的な注目点はやはりダイヤモンドカップ。フジユージーンがこの路線に進んで、来襲するであろう南関や北海道からの遠征馬を破るくらいの走りを見せてくれたならば、東京ダービーへの道も拡がるんじゃないかなと期待しているのですが。そこはまずスプリングカップ次第ということで。
2024年03月21日
木曜担当のよこてんです。 3月8日の分なのですが、ちょっと後になって3月9日のLJS笠松のお話を書いております。ご覧になる方、“木曜日なのに金曜日の話を書いてる?”と思われるかもですが、未来を見て書いているわけではなくて単に遅れて書いただけであります、と念のためお断りを・・・。 ということで3月9日の「金曜日」です。笠松競馬場でLJS笠松ラウンドが行われました。岩手から関本玲花騎手が出場、それもこれが昨年の怪我からの復帰戦にもなるということで笠松まで足を伸ばした次第。 結構久しぶりになりました笠松。岩手からの騎手の冬季遠征が続いていたのでここ数年もちょくちょく寄る計画はしていたのですが、2年前かな、高知の新人王の後に寄ろうと思っていたら現地でコロナ拡大、岩手から行っていた騎手がかかってしまって行く目的がなくなり、去年も、やはり高知の後に寄る予定で高知を朝6時の特急で出たにもかかわらず近畿地方豪雪で新幹線が激遅れ。その日のうちに盛岡まで帰る予定だったので名古屋に着いたときにはもう笠松まで行く時間がなくなり・・・。 今年は念のため前日入り・前泊して挑んだのですが、当日はやっぱり新幹線が遅れていた。笠松に行こうとすると何かあるのかもしれない・・・。 さて2024年の笠松。まず最初に名古屋駅の展示を見て(後述)、4Rの関本玲花騎手のエキストラ騎乗に間に合うように競馬場へ。その4Rでは関本玲花騎手は3着。昨年9月4日以来の半年ぶりの実戦を無事に終えて、着順よりもそのことに安心。★3月8日の笠松4Rに騎乗した関本玲花騎手。半年ぶりの実戦を無事クリア レディスジョッキーズシリーズ、笠松では8騎手が出場しました。現状“フルゲート”は9人ですが、この時点では川崎の小林捺花騎手が復帰しておらず・・・で8名。 昨年11月の盛岡ラウンドでは関本玲花騎手も騎乗できなかったので7名でした。昨年3月の、LJS2022の川崎では佐々木世麗騎手が戦線を離れていて8名。 振り返ってみると出場5名ということもあったり(※LJS2021の名古屋ラウンド)して、実は全員揃ったことがないんですよね。次のLJSでは全員揃ってのレースになる事を期待しましょう。★紹介セレモニー。強い風で皆さんの髪も乱れがち 7Rで行われた第1戦。中島良美騎手・キセキタイムが思い切って出していったところに濱尚美騎手・テーオーテイラ、そして佐々木世麗騎手・ハテナが競りかけていって、序盤は前2頭・後ろ6頭の二分戦の形。勝負所、満を持して先頭に立った佐々木騎手、それに向けて次々攻めかけて来る後続。一番最後は関本玲花騎手・アップフェリスが詰め寄りましたが半馬身差まで。笠松第1戦は佐々木世麗騎手の勝利で決着。★笠松ラウンド第1戦は佐々木世麗騎手が勝利。関本玲花騎手は2着に食い込んだ・・・もののゴールでは勝ち馬の陰・・・ 「3~4コーナーでポケットのような位置に入ってしまって。あそこが違っていたら・・・」と振り返った関本玲花騎手に対して佐々木世麗騎手は「後ろから来たらまだ伸びるくらいの手応えは残っていました」。半馬身の差はそう簡単には縮まらなかったのかも。 9Rの第3戦も神尾香澄騎手・ニャーが逃げるところを宮下瞳騎手・ホウオウモンスター、木之前葵騎手・ヨーコマイラヴが追う展開になりましたが7Rと違って全体にやや前掛かりかというペース。しかしそんな中でも強気で前に出た木之前葵騎手が、3コーナーあたりで作ったリードを最後まで守り切ってゴール。★笠松ラウンド第2戦を制した木之前葵騎手。LJS2023での2勝目に 「1枠だったしハナに行きたかったんですが他の馬が行かせてくれそうになかったので“番手でもいいか”と。息を入れて脚を溜めて・・・という流れでもなく、頃合いを見て仕掛けようと思って乗りました」とレース後の木之前葵騎手。 盛岡・笠松計4戦を終えた結果、それぞれのラウンドで1勝を挙げていた木之前葵騎手が総合優勝。笠松第1戦を制した佐々木世麗騎手が総合2位、盛岡第1戦を制していた濱尚美騎手が総合3位となりました。 最終結果としては木之前葵騎手87P、佐々木世麗騎手75P、濱尚美騎手62Pとそれぞれ10Pほどの差がついた形でしたが、盛岡での2戦では木之前葵騎手・濱尚美騎手が42ポイントで、笠松での2戦でもやはり木之前騎手と佐々木世麗騎手が45ポイントで並んでいました。シリーズ全体としては接戦だったという印象を受けますね。★木之前騎手に優勝賞金50万円の使い途は?とたずねたところ「何に使おうかなあ・・・。物欲があまりないんで(笑)」 関本玲花騎手は総合順位では8位となってしまったものの笠松ラウンド単体では3位。復帰戦としてはまずまず安心の結果だったのでは。★「短期で来たかったんですけど怪我をしてこれなくなったので。1日だけですけど笠松で乗れて良かったです」と関本玲花騎手。隣は当日の最終レースで騎乗したタマモペアリングの沖田調教師 この日の笠松競馬場ではLJSにあわせてばんえい十勝・名古屋競馬・岩手競馬の共同イベントが行われており、特にばんえい十勝ブースにはバルーンばんばも置かれて、LJSにはいないばんえいの竹ケ原騎手・今井騎手の存在感をしめしていましたね。 名古屋競馬ブースで販売されていた“木之前葵騎手応援タオル”、ご本人肝いりの企画とのことですが、「タオルの売り上げを宮崎の在来種のために活用したい(木之前騎手)」とも。宮崎出身の木之前騎手らしいアイデア。 最後になりましたがJR名古屋駅の展示のお話。LJS笠松ラウンドが行われた3月8日は『国際女性デー』でもあって、これもあわせて前日7日・当日8日、JR名古屋駅中央コンコースにLJSのPRブースが設置されていました。 特大パネル、騎手個別のパネル、フラワーホースとなかなか力が入った展示。特に大型パネルが存在感があって良かった。等身大スタンドパネルは場所を選ばないメリットがあるけど、大型パネル、LJS開催場にも出せるといいんじゃないかと思いますね。あるいは女性騎手がいる競馬場に巡回展示とか。フォトスポットに凄く良いんじゃないだろうか。 締めくくりが若干(小並感)という感じになってしまいましたが、笠松LJSのお話、ひとまずここまで。★当日は誘導馬もLJSモードでした
2024年03月07日
木曜担当のよこてんです。 先週の2月16日、盛岡市内において『2023 IWATE KEIBA AWARDS』表彰式が行われました。今回は、2019年に実施された2018年の表彰式以来となる交流会も併せて行われて(※2020年3月開催予定だった表彰式はコロナ禍の拡大により式全体を取り止め。以降昨年までは関係者の表彰式のみを実施)、ファンの皆さんと関係者が語り合う、久しぶりの光景も見る事ができました。 さて今回は、そんな表彰式・交流会の会場でうかがった、昨季の各部門表彰馬の新シーズンの動向のお話を。 まずは3歳以上最優秀馬そして年度代表馬となったノーブルサターン。板垣吉則調教師にうかがいました。★ノーブルサターンを管理する板垣吉則調教師。なお写真は表彰式の壇上でのものでお話を伺った時とは違います。他の調教師さんも同じ。-まずは昨季のノーブルサターンの活躍を振り返って「ノーブルサターンは一昨年の秋に私の厩舎に来て、ポンポンと重賞を2勝してくれて、23年度は春先から全力で行きたかったんですけれどもみちのく大賞典で着外になってしまった。シアンモア記念を勝ってくれて波に乗っていくのかなと思ったんですがちょっと体調を崩してしまったんですね。そこで、私の判断で思い切って夏場は完全休養させることにしました。 秋の復帰初戦は結果が出なかったのですがそれは織り込み済み。次の北上川大賞典では完勝してくれました。トウケイニセイ記念も、間隔は短かったのですが予定通りに挑んで良い内容で勝ってくれた。こうなればもう、桐花賞連覇を狙いたいなと。鞍上の好騎乗もあって本当に強い競馬、本当に良い結果を残せたのではないかと思っています」-一昨年と比べると昨年、昨季はそんな調整の流れも手の内に入ったのかなと,見ていて感じました「体調を読み切れない部分があって、私が“調子が良い”と思ってレースに行くとちょっと結果が出なかったりしてね。今年はひとつ歳を取って10歳、年齢的には決して楽ではないですけど、馬はまだ若いですからね。その辺に期待したいですね」-ローテーションは、では昨年のような形になりそうでしょうか?「そうですね、そうなるのかなと思っています。春から始動して、夏場は少し休養して後半戦・・・のような。連続で年度代表馬に選ばれるような活躍ができれば」 ノーブルサターンについては、自分は意外に得意・不得意な条件がはっきりしているタイプだと思っています。昨年のそれぞれのレースでもそんな前提で評価をしてきました。 一番いいだろうと思うのはワンターンのマイル。広いコースで、自分のペースで戦える形がベター。本来あまり長い距離は合わないだろうとも。 それだけに、水沢の桐花賞で、自分のタイミングで仕掛けて捲りきったレースぶりには驚きましたね。スローペースに持ち込んだ北上川大賞典にしても2600mという距離でそれができたのだから地力はやはり高い。盛岡・水沢双方の、マイルと2000というチャンピオンディスタンスを問題なくこなせているのは大きな強みでもあります。 新シーズンの課題はやはり調教師も言われているように10歳という年齢でしょうか。ただそれも、実際にノーブルサターンを見た方なら分かるでしょうけども馬は若々しいですからね。昨年の結果を見れば調整過程も陣営の手の内に入っていると見ていいはず。 続いては最優秀牝馬・3歳最優秀馬をダブル受賞となったミニアチュールについて佐藤祐司調教師に。★ミニアチュールを管理する佐藤祐司調教師-2つの部門を受賞、3歳戦線でも変則四冠。終わってみれば見事な成績でした「ミニアチュールについては1年間を通したローテーション的なものを考えていまして、オータムティアラは使う予定じゃなかったのですが不来方賞を負けた事で挑むことにした。結果的にはそのあとのレースの結果が良くなかったのでね。馬に酷な事をしちゃったというのが反省点ですね。自分としてはちょっと悔いが残る部分です」-調教師的には、昨シーズンの終盤はあまり本当の力ではなかった・・・的な?「というよりも、力量が足りるか足りないかを測る見極めをするにはもうちょっと万全な体制で行きたかった・・・でしょうか。力を測って今年の路線を、のつもりでしたので。その辺は反省しなくちゃいけないかなとは思っています」-では、新しいシーズンはどのような路線を考えられていますか「柱になるのはやはり牝馬の重賞。その前後といいますが、どのタイミングでどうぶつけていくかというのがひとつの課題になるかなと。ゴールデンヒーラーの方を今年は短距離中心でと考えていますので、ミニアチュールはマイルから中距離。フェアリーカップからビューチフルドリーマーカップへというあたりを中心に、遠征も考えながらですね。 つい先日の話になりますがオーナーさんと一緒に下河辺牧場さんに行ってきたんですよ。牧場にはミニアチュールのきょうだいの牝馬が残っていないからいずれ繁殖にという話をいただいてきました。無事に競走生活を過ごさせてあげて北海道に返すという仕事が増えましたので、そういう事もしっかり考えていくつもりです」 3歳の牡馬二冠・牝馬二冠。3歳重賞はのべ6勝。文句なしに実績馬、強い馬です。 昨年の春先、あやめ賞、スプリングC、ダイヤモンドCと3連勝していたミニアチュールでしたが、2着馬との差は少しずつ縮まっていたんですよね。距離が伸びて差が縮まってきているというようにも見えて、東北優駿の頃には“2000mになれば逆転できる”と見ているライバル馬の陣営もありました。それが東北優駿で完勝、続くひまわり賞も圧勝。距離が伸びても崩れないんだ、と、他馬の陣営も脱帽した・・・という“今だから言える”的な裏話。 かといってミニアチュールが長い距離向きというわけではなくて、レースセンスの良さで対応してきたとみるべきでしょう。マイルあたりが本来手頃なのでは。 遠征も決して後ろ向きではないようです。ロジータ記念は川崎の2100m・外枠という条件ももうひとつだったかと感じました。もっと合う条件もあるのかなと思います。 もう一頭です。皆さん注目の最優秀2歳馬フジユージーン。瀬戸幸一調教師にお話をうかがっています。★壇上でインタビューを受けているのが瀬戸幸一調教師-昨年のフジユージーンのレースを振り返ってみていかがでしたでしょうか「自分が予想していた調教の内容で、納得のいく調教をしてレースに挑んで、その結果もやっぱりいい。思ってた通りのレースをしてくれましたからね。去年のレースぶりは100パーセントに近いんじゃないかと思っています」-注目はやはり今年の路線なんですけども、もう頻繁におうかがいしていますが、ダート三冠路線を一度試してほしいなと自分は思うのですけれど・・・「前走後は静岡の牧場へ、先日までは那須にいて、今は水沢に戻ってきていますが、ひと冬越して身体がまたひとまわり大きくなっているなと感じました。骨格も良い馬ですからね。ただ、動きがまだ2歳馬という感じのものでね。その辺はまだまだ。身体がしっかりしてくれば遠征でも戦っていける馬だと期待しています。 当初の予定は京浜盃という風には考えていますけども、ここからうまく調整を進めていきたい。思い通りの調整ができたうえでレースに挑みたいですね」 去年のレースぶりの“100%”は恐らく“所与の条件・状況の中において100%の走りをしてくれた”という意味であって、馬自身、馬自体が100%の完成度だという意味では無い、と補足しておきます。ここで書き切れない話も含めてのそういうニュアンスだと。フジユージーンという馬についてはまだ成長する、もっと良くなる余地があるというのが瀬戸調教師のこの時点での評価でした。 京浜盃への申し込みはするとの瀬戸師でしたが、実際の出否はここからの調整次第と思っておきたいところ。 最優秀ターフホースに選ばれたゴールドギアについては、伊藤和忍調教師とお話をするタイミングを失ってしまいました。次の機会に改めておうかがいするつもりです。
2024年02月22日
木曜担当のよこてんです。 3月10日の春競馬開幕まであと1ヶ月を切りました。先週からは開幕に向けてのもろもろの事も動き始めた・・・という今回は「2024シーズンの岩手競馬、始動」というお題で。 先週になります9日の金曜日。開幕に向けての最初のイベント・安全祈願祭が両競馬場にて執り行われました。 例年は安全祈願祭に続いて馬場解放となる流れですが、今年はまず安全祈願祭が行われて、2日おいて馬場解放という形。今までちょっと記憶にない。まあ何かの都合なのでしょう。 しかし今年は暖冬ですよねえ。安全祈願祭が行われた2月9日の盛岡競馬場は下の写真のような光景ですよ。雪がない。★2月9日朝の盛岡競馬場。こんな写真を水沢の人たちに見せたら驚いていたほどに雪がない★パドック周りも全く雪がなく。2月上旬の光景には見えないですねえ・・・ 競馬場に上がっていく道にしても例年ならすっかり凍り付いていて早朝で、スリップに気をつけながら登っていくのですが、今年は道ばたの木陰に少し雪が残っている・・・くらい。 過去のこの時期と比べてみても、やはり圧倒的に少ない。最近は確かに以前よりも雪が少なめではありますけどね。それでも・・・です。 まあ3月中旬~下旬になってドカ雪という年もあったのでまだ油断はできませんが。★2009年2月23日。とても雪深い★2020年2月19日。少なめだったとはいえしっかり積雪 ちなみに安全祈願祭で祭事を行うのは、盛岡競馬場は「馬頭尊」(写真上)、水沢競馬場は「馬櫪神」(写真下)です。馬頭尊は馬の病気や災難を防ぐ神様、馬櫪神は馬や(厩舎)の神様・守り神とされているようですね。両競馬場でお祭りしている神様が異なるわけですが、どちらも馬を守ってくれる神様であって、神社などでは両方が並んで祀られている事もあるようです。 12日。馬場開きの日は水沢に行きました。例年だとどちらかしか行けないのでこれは日程が変わった分のメリット。 その12日の朝は晴れて-6度くらいまで気温が下がる寒さでしたが、そんな中でも活発に馬場入りする馬が続く光景を見る事ができました。 もちろんまだ本格的な調教とまではいかないもので、どちらかといえば“久しぶりに広いコースに出る馬のガス抜き”みたいな意味合いが強い初日なんですけども、水沢は盛岡には無い屋内馬場が設置されている分早くから調教に入っている馬も多いんですよね。なので盛岡の馬場開き当日だと馬場に入る馬はポツポツ・・・なのが水沢は初日から続々・・・という違いになったりします。★コースから戻ってきた、前は小林俊彦調教師、後ろは千葉幸喜調教師★何頭もコース調教をつけていた岩本怜騎手 とはいえ今年は、ここまで何度も触れたように暖冬。雪がないだけでなく朝晩の気温もそれほど下がらないようですし、その分コースの状態もいいでしょうし、ここからの調整は両競馬場共に順調に進んでいくのではないでしょうか。 さて、水沢に足を運んだ目的は調教を見る他にふたつありました。 まずひとつは関本玲花騎手。昨年9月4日の落馬事故による怪我でレースを離れていましたが、今年に入ってからは屋内馬場での騎乗を再開、この日からはいよいよコース入りとのこと。 まさしくその落馬の日以来となる本コースでの騎乗に「久しぶりだからカンが戻ってないです」と言いながらコースに出て行った関本玲花騎手でしたが、まずは調教を無事に終えて帰還。このまま何事もなく進んでいければ3月8日に笠松競馬場で行われる『レディーズジョッキーズシリーズ笠松ラウンド』にも間に合うでしょう。★久々に馬上でコースに出た関本玲花騎手 もうひとつはこの春から本格稼働する木村暁厩舎。昨年の調教師転身直後はまだ実馬房の割り当てが決まっていなかった木村暁調教師でしたが、現在は10馬房をもって春の開幕に備えています。★鞍上の木村暁調教師と出迎えた小松厩務員。もう一人厩務員さんが入って・・・が当面の体制★古い方の建物の厩舎ですが自力で綺麗に片付けたそうです 厩舎メンコや厩舎馬服、厩舎ブルゾンも作って、そんな初期投資はだいぶ大きかったそうですが、「今はそういうのも必要経費だよね」とは様子を見に来ていた山本聡哉騎手。開業からきっちり揃えていくのは確かに今時ふう、今風かもですよね。 “一国一城の主”の姿も様になっている木村暁調教師。現時点の所属馬は他厩舎から移籍の既走馬ばかりでもあり、3月の春競馬開幕から使い出せるでしょう、と同調教師のお話でした。 盛岡も水沢も、自分が話を聞けた範囲では各厩舎共に馬房が埋まってきており、現時点で在厩の馬に加えて他地区から移ってくる馬、2歳馬の予定が決まっている馬が入れば概ねいっぱいになる・・・という厩舎がほとんどのようです。特に2歳馬。早期デビュー手当の支給頭数が増えたらしく、2歳を入れたいという希望の立ち上がりが例年より早めというお話。その辺もあわせて春競馬開幕へ向けて進んでいく事になりそうです。 おりしも15日に2024シーズンの岩手競馬開催日程・重賞日程が発表されました。大きな変化はなんと言っても芝重賞の開催スケジュールで、全てのレースが実質7月・8月に集約される形とされています。 昨年の終盤は芝コースの状態悪化に苦心し交流重賞のダート変更までもあったりしましたし、全国から馬が来る交流重賞は夏場の状態が良い頃に実施する・・・のは良い決断だと思います。 また3歳戦では既報の通り不来方賞が全国交流JpnIIになり、地元戦には「ダービー」の冠が付くレースは無くなったものの『東北優駿』は継続。またダイヤモンドカップが久しぶりの「東日本交流」の形になって賞金増ともなっています。ここの辺は、岩手と門別で持ち回りになる「ネクストスター北日本」との兼ね合いもあるのかなと想像(同レースは今年は門別で行われますが来年は岩手)。 追記※ダイヤモンドカップは東京ダービートライアルな位置づけになるそうです。 余談ですが、新しいダート三冠路線設置で心配された各地の3歳戦線、わりと“その地での三冠路線”が作られるようですね。 「月・火・水」開催の導入も目を惹くところですが、ここはJRAが夏競馬で暑熱対策のはくぼ開催を行うとなった時から想像されていた部分かと思います。冬場の12月は月火水が多くなりますがここは売り上げ対策でしょう。いずれこの辺はJRA・他場との兼ね合いもありますし、2024シーズンの形が確定型ではなく、しばらく流動的に様子を見るのかなと想像しています。 日程の話はもう少し情報を仕入れたりしつつ改めて採り上げるつもりです。★「何か足りないものがあったら持ってくるから言って」と気を遣う山本聡哉騎手なのでした
2024年02月15日
木曜担当のよこてんです。 1月21日に佐賀競馬場で4年ぶりの『M&Kジョッキーズカップ』が行われるという事で自分も約2年ぶりの佐賀に行ってきたのですが、今回のお話はその帰り道に寄ってきた益田場外発売所、旧益田競馬場のお話を先に書きたいと思います。 というのも、その益田場外発売所は今年3月で廃止が決まっておりまして、馬券の発売は1月26日金曜日までとのこと。駆け込みな感じですが、明日行かれるという方の参考にもなればと思いちょっと順番を変えて益田場外の話を先に。 さて。前日の佐賀競馬のあとは鳥栖に泊まっていた自分は、朝6時の電車からスタートして博多・新山口と乗り継いで、4時間ほどかけて益田駅に到着しました。★博多からはハローキティ新幹線。朝7時発★益田駅着は10時。雨が降りそうな空模様でしたが、益田にいる間は小雨程度で我慢してくれました 益田駅は“昔ながら”というと失礼かな。“国鉄時代っぽい”という言い方をしてみましょうか。改札の正面が1番線で線路の向こうにホームが一本あって2番線と3番線。かつての高知駅もこんな感じだったなあ・・・とちょっと懐かしい。 かつては益田駅にも場外馬券売り場がありました。コインロッカーがあるところの左手の扉が入口だったそうですが今はもちろん何もありません。 駅から益田場外までの移動は、路線バスも考えたのですが待ち時間がちょっともったいない。ということでここは素直に“大人の手段”でタクシーを使います。現地滞在時間を最大化しないと意味が無いですしね。益田の街を抜けて10分ほどで益田場外到着。現地からタクシーを呼ぶと来るまで10分ほどかかるというお話でしたので1時間ほどしたら迎えに来てもらうようにお願いして帰りの足も確保。片道1550円の運賃でした。 さあ、やってきました益田場外。ご存じの方も多いと思いますが、現在「益田場外発売所」として使われている建物は旧益田競馬の末期になる1999年に特観席スタンドとして新設された物が使われております。 コース側から見ると通路入口の上にある「特観席入口」の文字。ぱかっとした通路の開き具合がいかにも競馬場のスタンドだった感じですよね。現在客席として使われている階の上は業務エリア、実況席か。競馬場時代の写真を見ると屋上部分にゴール板を照らす照明があったようですが今はもちろんありません。そしてかつてはこの建物に続くようにオープン席のスタンドがあったと言うことですが、こちらももちろん今はありません。★この開き具合がいかにも“スタンドの出入口”感 「~と言うことですが」的な言い方になるのは、自分は残念ながら競馬をやっていた頃の益田には来た事がないからです。 益田競馬場が休止されたのは2002年の8月16日。益田も基本土日開催のうえに冬休みもあったのでタイミングが合わせづらかった事もありましたけども、なんにせよ遠い。盛岡からでいうと“最も遠い競馬場”だったんではないか。一度行ってみたい所ではあったもののなかなか行く機会がないままに休止になってしまいました。 なので、競馬場があった頃、場外発売所になってから、とここに来られた方々のブログ等を事前の情報源に、それらと今を見比べながらかつての姿を想像する・・・という感じでの今回の訪問となっております。情報のベースが伝聞ゆえ「~だそうですが」的な。★かつてはパドック、現駐車場★パドックとコースをつなぐ馬道はスタンドやスタンド前の公道をくぐっていたとのこと★建物のコース側壁面に埋め込まれた馬のレリーフ。もちろん当初からあるもの 建物の周りの写真を撮っているうちに開場時刻。最初は誰もいなかったですが開場が近づくとポツポツとお客様がやってきました。そのお客様同士が話しているところを見ているにやはり常連のお知り合いのようです。このあとに来られた方達もだいたい常連さん、顔なじみ同士の皆さんのようでしたね。★建物の中にもレリーフがあるのですが、コインロッカーで一部が隠れている★1階にある専門紙売店ではパンやお菓子も売っておりました さて客席に行ってみましょう。階段で3階に上がると・・・。おお。見慣れた感じがする光景が。★水沢の特観席っぽい。前後の幅が狭い机に3人分の椅子。20世紀の標準的特観席スタイル 競馬場時代の写真と見比べてもほとんど変化は無さそうです。変わっているとすればモニタが液晶になっただろう点(競馬場時代はまだブラウン管のテレビモニタだったはず)。 全体にシンプルで綺麗。考えてみればOROよりもあとに作られているんですものね(このスタンド棟は1999年完成)。できた当時から禁煙で使われてきたのも内装の綺麗さにつながっているのでしょう。★かつての「特別室」は椅子が取り払われて喫煙室に★一角には読書コーナーも。「ゴルゴ13」とか「風の大地」を読んでいるだけで1日潰れそう(笑)★破損券対応なんだろうけど、高額が出たらどういう対応になるんだろう?? 場外発売所になってからは無料のスタンドとして開放されているこの場所ですが、座席には席番票が残っていて“特観席”時代の名残を伝えています。★特観席、指定席の名残の席番 スタンド正面、かつてのコースの側は区画整理・再開発がすすんでおり、スタンドの真正面などは調整池になっているのでかつての姿はなかなか想像しづらいですが、向こう正面のすぐ目の前に迫る山をはじめ左右方向を見れば、なるほど一周1000m、“日本で一番小さい競馬場”と言われたのも分かるよなあ・・・という地形。スタンドから見下ろすと向こう正面でも“手が届きそう”と感じるくらいですものねえ。 そんな光景になってはいますが座っているスタンドは間違いなく益田競馬場だったもの。窓越しにかつての姿を想像してみたいものですね。 2008年、2009年頃までは旧スタンドやゴール板が残っていたようですしコース部分も輪郭がはっきり分かるくらいに残っていたようですが、今は輪郭もおぼろげになってきています。 まあ実況席などの名残も分かる旧特観席スタンドがあるだけでも十分と言えば十分ですが、なにか馬の痕跡が分かるものはないか?? 探してみたところ、これなんかはどうでしょう? スタンド壁面の馬のレリーフ、その下のたたき部分に埋め込まれた蹄鉄の飾り。益田競馬の馬のものかなあ?? 鉄かんから作った鉄の蹄鉄ぽいから競走馬の物ではないかもですが、スタンドができた時からあったのだとしたら益田競馬の馬が使ったものを持ってきたのだろう・・・と思うのですが。どうなんでしょう?? ここ益田場外ではかつて益田競馬場に所属していた騎手を“推し”ていたりもします。 スタンド内には御神本訓史騎手・岡田大騎手・秋元耕成騎手の元益田所属騎手の皆さんの勝負服が飾られていますし、御神本騎手の重賞制覇を伝える記事なんかも掲示されていました。益田と南関、益田と大井。遠く離れていますが元益田所属騎手の活躍を通じてつながっているのかな・・・と感じるコーナーでした。 “益田競馬”を感じた事がもうひとつ。駅から発売所までタクシーを使った事を最初に書きました。その自分が乗ったタクシーの運転手さんのお話が興味深かった。小さい頃には競馬場の近くに住んでおられたそうで、「その辺を馬が歩いていて道ばたには馬糞が落ちていて、その間をぬけて学校に通ったりするのが普通だった」とか、周囲に競馬関係者がたくさんいて、夏休みに厩舎仕事を手伝わされた・・・とか。そんな尽きない話をうかがっていると往復の車の時間などあっという間でした。 場外発売所になって、周りの景色も変わってしまったのでしょうけども、思いのほか“益田競馬の香り”が残る場所だなと感じたのは、それは自分が益田競馬そのものを知らないからなのかもしれません。ですが、“元益田所属騎手推し”で益田競馬とのつながりを色濃く感じさせる発売所や、さきのタクシーの運転手さんのお話、例えば売店のおばさまも吉岡牧子騎手のことを「牧子さん」と言ったりしていましたし、競馬場が無くなって21年と半くらい経っていますけども、地元の人たちの記憶の中には益田競馬がまだまだ生きているんだな・・・と。益田競馬がまだ身近にあるかのような気配というか“空気”を自分が感じたのは決して錯覚では無かったとも思います。 こうやって来てみると「競馬がある時に来たかった」という思いを改めて強くしてしまうのですが、“益田競馬の気配”を少しでも感じる事ができたのは幸いでした。本当に良い寄り道になりました。
2024年01月25日
木曜担当のよこてんです。 今回は、前回の騎手リーディングに続いて調教師リーディング編です。早速本題へ。■調教師リーディング/菅原勲調教師が初リーディング獲得 2023シーズンの調教師リーディングは95勝を挙げた菅原勲調教師でした。2012年に開業して以来初となるリーディングトレーナー獲得となりました。★菅原勲調教師(左から2人目・寒菊賞口取り) 冬になる頃には趨勢がおおむね定まったと思えた騎手リーディングに対して、調教師リーディングは最終週まで接戦が続きました。 8回水沢前半・12月12日終了の時点で菅原勲調教師・板垣吉則調教師は共に88勝のタイ。ラストの12月30日・31日を迎えた時点では菅原勲調教師が92勝、板垣吉則調教師が90勝。そして30日が終わった時点で菅原勲調教師が2勝を追加して94勝に伸ばしたのに対して板垣吉則調教師は90勝。普通ならこれで“勝負あった”かもしれませんが、板垣吉則厩舎からは最終日にも有力馬が多く出走予定で、4勝差(実質は5勝必要)も詰めることができないとは言えない・・・という状況で31日へ。 31日の1Rを板垣吉則厩舎のピリカメノコが勝利して逆転リーディングの可能性をつなぎます。しかし続く2Rは2着・3着に終わって勝ち星数での逆転の目がなくなり、7Rで4着に終わったことで勝ち星・2着数で並んで3着数で上回る可能性もなくなって、この7Rの時点で菅原勲調教師のリーディング獲得が決まりました。 メインの桐花賞を板垣吉則厩舎のノーブルサターンが優勝したのち、11レースは菅原勲厩舎のボウトロイが勝利。95勝目の“ダメ押し”Vとなりましたね。 2023シーズンの調教師リーディング争いは僅差の接戦が続きました。春の水沢開催・春の盛岡開催の頃は菅原勲調教師が5勝ほどのリードをもって1位を守っていましたが、三野宮通調教師、板垣吉則調教師が交わして上位へ。そこからしばらくは上位3厩舎が一進一退でもつれ合う争いが続きました。 秋の盛岡開催に入る頃には、しかし菅原勲調教師・板垣吉則調教師が3位以下を引き離しての争いに。いったん少し離された2位になっていた板垣吉則調教師が1位を奪い返したのが11月の盛岡最終開催。再び、いや三度の一進一退の攻防の末、2023シーズン最終日の12月31日に最終決着となりました。上位陣の最終的な勝ち星の差こそやや大きめになったかもしれませんが、シーズン序盤から最終盤まで接戦・激戦が続いたのが今シーズンの調教師リーディング争いだったと言えるでしょう。★2023シーズンの調教師リーディング争い・最終順位TOP5調教師のシーズン中推移 菅原勲調教師は最初にも触れたように厩舎開業以来初の調教師リーディングに。95勝の勝ち星数も開業以来最多の数字ですし、リーディングとしても、2017年の板垣吉則調教師に並んで歴代4位タイとなるのですから見事です。騎手として・調教師としての“ダブルリーディング”という点にも注目。★板垣吉則調教師(左端・桐花賞口取り) 僅差でリーディングを逃した形となった板垣吉則調教師でしたが2013年以降は1・2・1・1・1・1・3・1・2・1・2と常にリーディングを争う位置を確保。今年もやはりというかさすがというか。★櫻田康二調教師(右・鈴木祐騎手500勝達成時) 3位の櫻田康二調教師は12月の水沢開催だけで16勝を挙げ、この終盤の追い上げで3位に。リーディング上位陣のほとんどが水沢所属の厩舎で占められる中、“盛岡リーディング”として気を吐きましたね。★佐藤雅彦調教師(自身の通算1000勝達成時) 4位の佐藤雅彦調教師も夏頃にいったん離されかけて夏の盛岡開催終了時点では8位。しかし秋の水沢開催以降の後半戦で45勝を挙げて急上昇、最後は櫻田康二調教師に差されての4位でしたがこちらの後半戦の追い上げは見事でした。★三野宮通調教師(真ん中・自身の1000勝達成時) 5位の三野宮通調教師は春の水沢開催・盛岡開催時点で1位に立っていました。夏も僅差で1位を奪い返すところもありましたが秋以降ちょっと伸び悩んだ形。2着3着が多めなのが惜しかったと言えるでしょうか。 今季の“TOP5”の調教師さんたちに加えて伊藤和忍調教師(今季6位)、千葉幸喜調教師(今季7位)、今季は13位でしたが昨年までは常にTOP5圏内にいた飯田弘道調教師。近年の調教師リーディング争いはベテラン勢だけでなく若手勢の活躍も目立ってきており、また1勝2勝の差で順位が入れ替わるような接戦も多くなってきています。来季もこれら“上位常連”の厩舎が活躍するか、あるいはジャンプアップしてくる厩舎があるのか?その動向が楽しみです。■大きな区切りの勝利 2023シーズン(3月11日から12月31日までの成績年度)に達成された騎手・調教師の大きな区切り勝利を振り返っておきましょう。時系列順、いずれも地方競馬通算成績です。★村上昌幸調教師1500勝達成(3月19日)★坂口裕一騎手1000勝達成(3月20日)★佐藤雅彦調教師1000勝達成(4月11日)★三野宮通調教師1000勝達成(5月15日)★新田守調教師1000勝達成(7月9日)★板垣吉則調教師1000勝達成(7月24日)★村上忍騎手4000勝達成(12月26日)★鈴木祐騎手500勝達成(12月30日) 調教師の区切り勝利が“ラッシュ”という感じで続きました。その分来季は少なめになりそうで、佐藤敏彦調教師・酒井仁調教師・飯田弘道調教師の500勝が圏内という感じです。 騎手の方は来季は多くなりそう。中でも注目は阿部英俊騎手の2000勝であと42勝。今季54勝でしたので順調に進めば十分に到達圏。山本聡哉騎手の2500勝(あと46勝)岩本怜騎手の500勝(あと56勝)も同様でしょう。山本政聡騎手も2000勝にあと155勝。今季は133勝でしたが昨季は169勝でしたし、可能性は十分にありそう。 また、区切りの勝利数ではないですが、村上忍騎手による菅原勲元騎手の4127勝越えにも注目ですね。★2023デビューの佐々木志音騎手は4月18日に初勝利!でした
2024年01月11日
木曜担当のよこてんです。 1月4日ですが明けましておめでとうございます。 いや、新年早々いろいろなことがありすぎて「おめでたい」感じが全くないんですけどもねえ・・・。2024年になってまだたった4日しか経ってないというのが信じられない。 能登半島地震、羽田空港衝突事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。 さて、12月31日で岩手競馬の2023年レギュラーシーズンが終了しました。「2023年度」はまだ少し残っていますが実質的な区切りは12月31日まで。これに伴って各種記録類の区切りもここまでとなりました。ということで今回は“2023シーズンを振り返る・人編、その1”。今回は主に騎手リーディング争いのお話をしたいと思います。■騎手リーディング/村上忍騎手が2年ぶり9回目の獲得★村上忍騎手は地方競馬通算4000勝も達成した年となりました 2023シーズンの騎手リーディングは167勝を挙げた村上忍騎手でした。2021シーズン以来2年ぶり9回目の獲得。 昨年の3月11日に実質的に開幕した2023シーズンですが、当初は村上忍騎手・山本聡哉騎手が共に負傷のため不在という状態からのスタート。山本聡哉騎手は3月19日から、村上忍騎手は同20日から復帰しているので不在期間は短かったとはいえ、4月11日、1回水沢開催終了時点ではリーディング1位が高松亮騎手、2位が坂口裕一騎手で山本聡哉騎手は3位。そして村上忍騎手はその時点で9勝、順位も10位圏内を争う位置にいるという、当初の負傷の影響が残る順位にありました。 2回水沢開催後半週に1位に立った山本聡哉騎手は盛岡競馬開幕の1回盛岡前半で11勝(3日間で!)、これで一気にリードを拡げると、その後は2位以下に10勝以上の差を保ちながら1位を維持していきました。 村上忍騎手も6月の水沢開催頃から勝ち星が急増し始め、毎週ひとつ順位を上げるような勢いでリーディング争いに加わる位置にまで急接近。 ただ、僅差で競り合う2~6位争いに比べると1位の山本聡哉騎手はそこからさらに15勝ほど上をキープしており、ポジション的にはかなり安泰と感じるところだったのですが、ここで再びの波乱が。その山本聡哉騎手が手の治療のために7月いっぱいでいったん戦線を離れることになったのです。 その時点では山本聡哉騎手が87勝と頭ひとつリードしていたものの、2位が高橋悠里騎手69勝、3位村上忍騎手65勝、4位高松亮騎手64勝、5位山本政聡騎手57勝、6位坂口裕一騎手56勝とこの辺は大激戦。“誰が抜け出してくるのか?”がそこからの焦点になりました。 9月に入って最初の週、6回水沢開催終了時点では89勝に届いた高松亮騎手が1位に。しかし翌週には村上忍騎手が93勝で1位を奪います。 そして秋の盛岡開催に入ると村上忍騎手がひと開催10勝ペースで勝ち星を量産しはじめて一気にリードを拡大。盛岡開催最終日の11月21日終了時点では148勝、2位以下に30勝以上の差をつけるまでになっていました。 戦列を離れていた山本聡哉騎手は10月22日に復帰。その後はリーディング上位の6騎手が、代わる代わるに固め打ちして週の勝ち星の2/3ほどを占める・・・というような状況が続き、また村上忍騎手は4000勝が迫ってあたりで若干ペースが落ちたものの、激戦が続いたのは2位から4位の争い。村上忍騎手のリーディング1位は揺るぐこと無くシーズンを終えました。★2023シーズンの騎手リーディング争い。秋の盛岡開催あたりから村上忍騎手が急上昇。※最初の要素の取り方を間違えていて1週のところを2週分の幅で作ってしまっております シーズン序盤は苦戦した村上忍騎手でしたが中盤以降の“伸び脚”はさすが。昨年は未勝利に終わった重賞も6勝を挙げました。最終的には4002勝、大記録へむけてきっちり“差し切った”と表現できるでしょうか。 高松亮騎手は2020シーズンの156勝には及ばなかったものの自身キャリア2位になる138勝。4つの重賞タイトルもシアンモア記念・北上川大賞典・桐花賞の3つの岩手伝統の重賞を含む質の高いものでした。 山本政聡騎手はなんと5年連続のリーディング3位。実は過去10年でなんとなんと8回目!の3位ということに(2014シーズン6位、2018シーズン4位。ちなみに2013シーズンも3位)。自分でも調べていてちょっと驚いた。とはいえ重賞5勝、シーズン後半は常に2位をうかがう位置にいましたし、ここはベテランの安定感というべきでしょう。 山本聡哉騎手はシーズン中3ヶ月近く騎乗していない時期がありながらの4位、それも最後の追い込みは2位までいってしまうのかという勢いもありました。重賞9勝(他に準重賞1勝)もトップ。 高橋悠里騎手は一時単独2位に上がったものの後半戦、秋口頃がちょっと勝ち星を増やしきれなかったのが惜しいところ。しかし130勝はキャリアハイ、3年連続100勝越え・リーディング5位確保とすっかり上位に定着しましたね。 6位の坂口裕一騎手も最後は少し離されてしまいましたが前半戦は上位争いに参加。自身初の100勝越えとなった108勝もキャリアハイです。 シーズンを通してみると、やはり村上忍騎手の急上昇ぶりが見事でしたね。地方競馬通算4000勝達成もありベテラン健在を強く印象づけたのでは。来季は菅原勲元騎手がもつ岩手競馬騎手の歴代最高4127勝越えを狙う挑戦も楽しみです。 ひとつ残念な点を挙げるとすれば、全騎手が揃って騎乗した時期が短かったこと。山本聡哉騎手だけでなく木村暁騎手も怪我などで騎乗していない時期が多かったですし、関本玲花騎手が9月4日、陶文峰騎手が10月2日、関本淳騎手が10月17日にそれぞれ負傷して以後騎乗の無いままシーズンを終えています。全騎手が揃って騎乗していたのはのべで4週間分?くらいか。ここ数年を通しても全騎手揃っていた時期は案外少ないんですよね。負傷は仕方ないこととはいえ、全騎手揃って騎乗する姿を、シーズンを通して見たいものです。
2024年01月04日
木曜担当のよこてんです。 まずは村上忍騎手の地方通算4000勝達成の話題。12月26日の9Rで達成、自厩舎である村上実調教師の管理馬での勝利で同調教師の地方通算1600勝もまとめて達成する、そして勝ったチベリウス号は村上朝陽厩務員の担当馬で・・・と、このうえない見事な達成劇でしたね。★村上忍騎手地方競馬通算4000勝達成/12月26日水沢9R この記録は岩手競馬では菅原勲元騎手(現調教師)の地方通算4127勝に次ぐ史上2位。そう。あの大記録にも手が届きそうな所まで迫ってきた・・・という点が非常に重要。 菅原勲騎手が4127勝の数字を残して引退したのが2011年のシーズン。その時点での現役1位は小林俊彦騎手(現調教師)の3567勝で、同じ時点での村上忍騎手は1881勝という数字。 小林俊彦騎手は2014年5月のレース中の負傷の影響で同シーズンいっぱいで騎手を引退、3788勝の記録を残して調教師に転身し、その時点での村上忍騎手は2461勝でした(いずれも地方通算)。 菅原勲騎手の引退から12シーズン、小林俊彦騎手の引退からは9シーズン、この間勝ち星を積み重ね続けた村上忍騎手が小林俊彦元騎手の記録を超えたのが昨シーズンのこと。そしていよいよ来シーズンは・・・というところまで来ました。 もちろん、競馬の世界で来年の、それも1年ほども先の話をするのは鬼が笑うようなことでしょうけども楽しみなことにはかわりがありません。 村上忍騎手の4000勝のお話はまた別途採り上げたいので今回はここまでにしておきますが、フジユージーンもいますし、村上忍騎手にとって来年が楽しみでそして実りある1年になってほしいもの。 さて、岩手競馬の2023レギュラーシーズンは今週末の30日・31日で終了です。「1月は岩手競馬の開催が無い」という事に気づいてない方もおられるようなので改めて『岩手競馬の2023レギュラーシーズンは今週末の30日・31日で終了です』。 岩手競馬の開催が年を越して1月にも行われるようになったのは1991年のシーズン、1992年の1月から。当時の開催日程を見ると92年の1月3日や4日は水沢を含めて地方競馬だけで全国12場!で開催されています。ネット発売が主流になった今ならとんでもない!となる被りようですが、当時は地元の売り上げがほぼ全て、そして年末年始は開催すればするほど売れるような時代でしたものね(ちなみに同年のGW、5月4日・5日は地方競馬だけで16場同時開催だったりします。凄いなあ)。 改めて。『岩手競馬の2023レギュラーシーズンは今週末の30日・31日で終了です』。 レギュラーシーズンを締めくくるラストの2日間は2歳重賞『金杯』が30日に、古馬のグランプリ『桐花賞』が31日に行われます。今回のメインのお題はその出走馬をご紹介しようというもの。 まず金杯。8頭立てとなりました。2歳トップのフジユージーンをはじめミヤギヴァリアントやレッドオパール、ユウユウププリエら2歳重賞勝ち馬が不在で今回のメンバーはこれら重賞で2着や3着に涙をのんできた馬たち。ですので見方を変えればどの馬にとっても初重賞タイトルを狙えるレースになりましたし、それだけの力がある馬たちが揃ったともいえるでしょう。★セイバイラック(10月16日盛岡6R優勝時)★サクラトップキッド(10月8日盛岡3R優勝時)★クルトゥルン(5月21日盛岡3R出走時)★リトルカリッジ(6月4日水沢3R優勝時)★マルーントリック(12月10日寒菊賞出走時)★ドリームキャッチ(11月26日水沢6R優勝時)★オフビート(7月30日盛岡2R優勝時)★ミヤギシリウス(9月11日水沢4R優勝時) フジユージーンを物差しにするなら、圧倒的な強さを見せてきた同馬に2馬身半まで迫ったことがあるリトルカリッジがここでひとまず筆頭と言えるでしょう。元々素質の高さを注目されていた馬ですし、前走、休み明け叩き二戦目で強さを取り戻したのも魅力。 ただそれに次ぐのは・・・となると、セイバイラック、ここまで重賞を含めても掲示板を外していないこの馬がまず挙がるのでしょうが、逆に勝ち切れなさが気になる面もあります。とするとミヤギシリウスやサクラトップキッドらの重賞でも上位を確保している組、あるいはマルーントリック・ドリームキャッチの、転入後もパフォーマンスの高さを見せている門別デビュー組たちも横一線と見ておくべきかもしれません。 余談ですが金杯は2歳重賞の流れの中にあるレースですが、例年これまでは1月に行われていたので「明け3歳馬による2歳の総決算」みたいな一瞬分かりづらい言い方をしなければなりませんでした。今年は12月に行われるのでそのまま2歳の・・・となって、非常に分かりやすくなりましたね。 岩手競馬グランプリの桐花賞。こちらは12頭(ファン投票10頭・報道推薦2頭)が出走予定。★ヴァケーション(6月20日 一條記念みちのく大賞典優勝時)★ゴールデンヒーラー(9月10日青藍賞優勝時)★ノーブルサターン(11月19日北上川大賞典優勝時)★オタクインパクト(12月3日トウケイニセイ記念出走時)★レールガン(11月7日朝露特別優勝時)★ホッコーライデン(12月3日トウケイニセイ記念出走時)★スズカゴウケツ(10月22日金華特別優勝時)★グローリーグローリ(4月9日赤松杯優勝時)★マナホク(11月5日絆カップ出走時)★ラブロック(右・10月10日初雁特別優勝時)★マイネルアストリア(8月29日すずらん賞優勝時)★フレイムウィングス(6月20日みちのく大賞典出走時)※ヴァケーション~ラブロックはファン投票順位順、マイネルアストリア・フレイムウィングスは報道推薦 トウケイニセイ記念の前は、夏場を休養に充ててその後しっかり上昇してきたノーブルサターンが頭ひとつリードかと考えていた古馬の中距離戦線でしたが、トウケイニセイ記念をうけてヴァケーションの評価も急上昇。 シアンモア記念はノーブルサターン、一條記念みちのく大賞典はヴァケーション、北上川大賞典はノーブルサターンと今季の古馬の主要なタイトルはこの2頭が主役になってきました。そしてトウケイニセイ記念での一騎打ち。今季の重賞タイトルの数ではノーブルサターンの「3」に対しヴァケーションは「1」ですが直接対決したレースでの後先であればヴァケーションの方がリード。この2頭の桐花賞での結果はそのまま年度代表馬争いに直結するのかなと思えますね。 そしてゴールデンヒーラー。3歳時は選出されていたもののレースが取り止め、昨年は南部杯後に調子を崩して休養に入ったことで意外にも初めての桐花賞登場になります。短距離の比重が高まっている最近ですが昨年のみちのく大賞典で2着を確保しているように2000mも決して苦手では無いですから、先の二頭にどれだけ迫ることができるか?あるいは割って入ることができるか?が注目点。 他の馬は水沢の2000がどうか?というところからになるので、やはり先に挙げた3頭に続くグループという評価になるでしょう。例えばフレイムウィングスは、北上川大賞典はスローペースになって動けなかった敗戦でもっとやれていい力はあるでしょうが、やはり盛岡の方が直線を味方にできる。ホッコーライデンが道営記念で見せかけた末脚とか、今年絶好調のレールガンとか、もう一頭二頭ピックアップするならもうお好みで・・・という気も。 ということで金杯は12月30日の水沢10R、桐花賞は12月31日の水沢10R、発走はいずれも15時35分です。お忘れ無く、ぜひ最後まで岩手競馬をお楽しみください!
2023年12月28日
木曜担当のよこてんです。 先週行われた『ゴールデンジョッキーズシリーズ』のお話から。楽天競馬のブログでそれを採り上げるのはちょっと心苦しい部分もあるのですが、なかなか盛り上がった2戦だったので・・・ということで。 “リーディング上位騎手12名が2戦で戦う”触れ込みのゴールデンジョッキーズシリーズ。今年は坂口裕一騎手が総合優勝。昨年に続いての連覇とともに自身三度目の総合優勝を達成しました。★ゴールデンジョッキーズシリーズは坂口裕一騎手が2年連続・自身三度目の総合優勝で50万円ゲット 第1戦を制したのはアサンテギア号に騎乗した高橋悠里騎手。2着は村上忍騎手、3着は今年デビューの新人・佐々木志音騎手が入りました。 そしてさらにそのひとつ後ろ・4着にフェアリーに騎乗した坂口裕一騎手が食い込んでいた。10番人気の馬でここまで詰め寄っていたのが大きかったですね。★第1戦を制した高橋悠里騎手・アサンテギア号。競り合いを制した勝利に笑顔 第2戦は1番人気キモンリッキーに騎乗した坂口裕一騎手が勝利。1戦目を勝った高橋悠里騎手は6着、1戦目2着の村上忍騎手は8着、3着の佐々木志音騎手は5着。★第2戦はキモンリッキー・坂口裕一騎手が人気に応えてV。浅間厩務員もニッコリ この2戦の結果、4着・1着の坂口裕一騎手が総合優勝、1着・6着の高橋悠里騎手が総合2位、1戦目7着から2戦目2着に巻き返した山本政聡騎手が総合3位となって、それぞれ副賞賞金を獲得しました。 1戦目と2戦目の騎乗馬を見渡した感じ、1戦目に有力馬に乗っていた騎手は2戦目はちょっと人気薄な馬に、2戦目が有力そうな馬に騎乗していた騎手は反対に1戦目が・・・とわりと綺麗に分かれていた印象。両方とも上位、両方とも連対圏という結果を簡単に獲れそうな騎手はいなさそうでしたから、結果論的ながら「有力馬の方をしっかり勝たせ、もう一方の方は可能な限り上位に持ってくる」がよりうまくいった騎手が総合上位に入ってきた、ある意味順当な結果だったのかなと思います。 坂口裕一騎手は1戦目の10番人気4着が大きかったわけですが、とはいえ高橋悠里騎手も2戦目の直線は大混戦の中で3着くらいに食い込めて良い粘りを見せていて、それが叶っていれば総合優勝まであったし、佐々木志音騎手も2戦目の5着が4着なら総合3位があった。“ある意味順当”とは言ったもののそれぞれ微妙に違う結果があって良い、激戦だったのも確かでしたね。 総合優勝した坂口裕一騎手、昨年は副賞賞金を「クリスマスに家族のために使う」とコメントしていましたが、今年も副賞賞金を家族旅行のために使うとのこと。家族想いの坂口裕一騎手らしい! ところで、「昨年の」坂口裕一騎手のコメントを読み返してみると次のようなくだりがありました。『ゴールデンジョッキーズシリーズは以前一度総合優勝したことがあるのですが、3戦の予定が2戦で終わった時のこと。今回は予定通り戦っての総合優勝だから嬉しいです』 そうなんです。ゴールデンジョッキーズシリーズは以前は全3戦・それぞれ違う日に実施されていたんですが、降雪の影響でどれかが取り止めになることが続いたために昨年から全2戦・同一日に行う形に変更されたんですよね。 坂口騎手の言う“以前”とは2018年のこと。同年の12月16日に1戦目、23日に2戦目が行われたものの、翌年2019年1月6日に予定されていた3戦目は開催取り止めのため無く、シリーズとしては実施済みの2戦で終了となっています。 2020年は12月20日に予定された第1戦が降雪取り止め、27日の第2戦は行われたものの翌21年1月10日の第3戦も降雪取り止めで1戦だけの実施。 2021年は3戦とも12月に持ってきて第1戦もそれまでより大幅に早く設定したのですが、12月5日第1戦・12日第2戦は実施できたものの26日の第3戦が降雪取り止めに。 2018年から2021年の4年間で見れば予定通り3戦を“完走”したのが2019年だけ・・・ということでは日程短縮になったのも致し方ないですよね・・・。 もう少し早い時期でも良いような気もしますけどね。12月1週目とか。12月半ばになってくるとどうしても雪の心配が出てきますし、取り止めにまでならないまでも馬場状態があまり良くない時期になりますし。 さて。岩手競馬の2023シーズンも残りわずかとなってきました。今季は12月31日までですので残り開催日は8日間の予定です。まずは無事に終わることを祈りつつ、12月12日終了時点の騎手リーディング・調教師リーディングを眺めてみましょう。◆騎手リーディング・総合TOP51位 村上 忍 160勝2位 高松 亮 131勝3位 山本政聡 128勝4位 高橋悠里 121勝5位 山本聡哉 116勝 まず騎手リーディング。村上忍騎手が160勝、2位高松亮騎手に29勝の差をつけて残り8日となると、村上忍騎手の2年ぶりのリーディング獲得は濃厚かなという状況。◆調教師リーディング・総合TOP51位 菅原 勲 88勝2位 板垣吉則 88勝3位 佐藤雅彦 72勝4位 櫻田康二 72勝5位 三野宮通 71勝 調教師リーディングの方は激戦が続いています。1位を争う菅原勲厩舎・板垣吉則厩舎、3位を争う佐藤雅彦厩舎・櫻田康二厩舎・三野宮通厩舎が毎週のように順位が入れ替わる大接戦。 調教師は騎手と違って一気の固め打ちがなかなかできないのですけども、ここに挙がっている厩舎はいずれも手駒が豊富です。調教師リーディングの順位は最終日まで動き続けるのではないでしょうか。 村上忍騎手は地方競馬通算4000勝にあと「5」に迫っています。これも今季中の達成を期待したいところです。
2023年12月14日
木曜担当のよこてんです。 12月3日、全レース終了後の水沢競馬場パドックにおいて木村暁騎手の引退セレモニーが行われました。★引退セレモニー、胴上げされる木村暁騎手★寒い中たくさんのファンが待っていてくれました これに先立つ11月17日、地方競馬全国協会から発表された『令和5年度第2回調教師・騎手免許試験 新規合格者について』で木村暁騎手の調教師試験合格が発表されて、11月いっぱいで騎手を引退、12月1日から調教師となることが明らかになっておりました。 ファンの皆さんはお気づきだったかもしれません。今年二度ほどかな、木村暁騎手が“家事都合”という理由で騎乗していなかった時期があったことを。その間は調教師試験のために教養センターに行ったりしていたわけですね。 木村暁騎手は2002年のデビュー。同期の齋藤雄一騎手が一足先に調教師に転身しているんですけども、両騎手は自分が岩手競馬の仕事を本格的に始めてからデビューして、自分からするとデビュー戦から見ている騎手でしたから、齋藤雄一騎手の時も思いましたが“ついに引退かぁ”“もう引退かぁ”と、ちょっと感慨深いものがあります。 ということで今回は木村暁騎手のこれまでを振り返ってみようというお題であります。 木村暁騎手のデビュー戦は2002年4月20日の水沢5R。ヴィノロッソ号に騎乗しました。その結果は10頭立て10着。“ほろ苦いデビュー戦”ということになるのでしょうか。★2002年4月20日水沢5Rでのデビュー戦。結果は10着 初勝利は同年4月29日の4R、ロイヤルエリート号に騎乗して挙げました。デビューから7戦目の初勝利。 初勝利後のインタビューを見ると「同期で他に勝っていた人がいなかったので自慢できた」とのコメントが。同時に「早くもう1勝したいが、勝つことに焦りすぎているかも」というコメントもありました。 実際そうだったのでしょうか。2勝目は7月28日の盛岡1Rとなっています。 その後はまずまず順調に勝ち星を挙げて、1年目は通算11勝でシーズンを終えた木村暁騎手でした。 ちなみに齋藤雄一騎手は、デビュー日は同じ4月20日でしたが初勝利は6月1日。初めての勝利は木村暁騎手の方が1ヶ月以上早かったんですね。ただし2勝目は齋藤雄一騎手は6月29日。こっちは逆に1ヶ月以上早い。 同期の齋藤雄一騎手の1年目は通算12勝。初勝利や2勝目やらが前後しながらもシーズンは同じような勝ち星で終わるのが“同期”らしいというかなんというか。 木村騎手の騎手人生、その序盤に大きな影響を与えたのが度重なる怪我です。改めて振り返ってみると、・2003年7月5日、水沢4Rで落馬負傷して同年11月29日まで離脱・2006年10月7日、盛岡8Rで発走前に負傷し翌年春まで離脱・2007年は4月16日まで騎乗したが負傷、この年も翌年まで離脱・2010年7月4日、水沢6Rで落馬負傷、同年10月23日まで離脱 この後は長期間の離脱がなかったものの、廃止問題や東日本大震災もあった時期ですし、デビューから10年ほどの間“流れが悪かった”のは本当に痛かったですよね。 これについて木村暁騎手に「どんな怪我だったか」をうかがったのですが、2003年は「850mの新馬戦で内ラチに突っ込んでしまって右腕の尺骨複雑骨折。他の所から骨を移植したけれど、それがうまく付かなくて」。2006年は「枠入れの時にゲート裏で馬が転倒。その右手の上に馬が落ちてきて・・・」。2007年は「肩甲骨を折ってしまった」。 さらっと話してくれましたが、文字にしてみると“よく生きていたな・・・”と思う怪我ばかり。木村騎手も「一番アピールしたい時期に乗れない時期が続いたのは堪えたね。騎手をもう止めようと、真剣に考えていた」とこの頃を振り返ります。 初めての特別勝ちは2006年7月24日・盛岡10R『南昌山特別』。当時はB2級牝馬・ダート1800mという条件で行われていたレースをキタノソナタ号で勝利。同馬では9月17日に行われたB1級芝1700m『八幡平特別』も制しています。自分はこの頃はレース写真を撮ってないので残念ながら手持ちの写真はありません。 自分の手持ちにある特別勝ちは2008年4月14日水沢10R『大屋梅賞』。コスモパライソ号は2番人気での勝利。★大屋梅賞の表彰式で。若い! 2012年には『南昌山賞』、C1芝1600mと条件やレース名が少し変わった“南昌山特別”をバクソクトレイン号で制しています。★2012年の南昌山賞優勝時 木村騎手というとけっこう「芝」のイメージがあるんじゃないでしょうか。実際各シーズンの成績を見てみると芝未勝利で終わっている年もまあまあ多いのですけども、芝での勝率・連対率がダートでのそれを上回っているような年もありました。 芝でも1000mや長距離はあまり勝って無くて1600mか1700m、なかではやはり1600m。人気薄も多そうなイメージですがはたして??★2018年のダイヤモンドカップではエルノヴィオで2着 重賞はなかなか勝てなかったですね。2着まではわりとあったんですけどもなかなか「1」には届かず。ついに届いたのが、皆さんもご存じの通り昨年のシアンモア記念。木村騎手も重賞ウイナーの仲間入りとなりました。「ここまで長かったけど、伝統のある重賞が初めてのタイトルになったのが嬉しい」とはその時の木村騎手のお話。★木村暁騎手にとって待望の初タイトルは昨年のシアンモア記念でした。赤松杯も惜しかったですよね 木村騎手の昨年、2022年シーズンは、重賞勝ちだけで無く勝ち星も自身シーズン最多の85勝でリーディング順位は6位、それも勝率・連対率でもしっかり6位確保。“質・量”ともにレベルの高い、木村騎手自身にとっても「乗れている」と感じるシーズンだったようです。終盤ちょっと息切れの形にはなりましたが、秋の初め頃までは自身初の100勝も狙えそうな勢いでしたものね。 それだけに今年になっての引退はちょっともったいない気もしますが、調教師試験を始めて受験して一発合格ってなかなか無い事ですからね。これも運命の流れというものなのでしょう。 今年の11月13日・盛岡9Rではユキノマツシマ号で優勝して自身の地方通算700勝達成。この時はまだ試験結果の公表前でしたが「間に合って良かった」と話していたのが記憶に残っています。 騎手としての最後の勝利は2023年11月21日・盛岡6R、ハッチャキコク。3連単18万円あまりの高配当をたたき出す木村騎手“らしい”勝利。★騎手としてのラストウィンでも万馬券をたたき出す そして最後の騎乗は11月28日の水沢12R、エイシンヌチマシヌ号でした。騎乗最終日はこの1レースのみの騎乗、それも当日の最終レース。結果は7着でしたが、最後まで見守ってくれていたファンの皆さんに良いお別れになったのではないでしょうか。★騎手としての最後のレースに向かう木村暁騎手。レース後は馬上からファンの皆さんへサヨナラ また、これは自分語りですけども、「騎手として最初のレース」と「最後のレース」、「初勝利」と「最後の勝利」を現場で見ることができたのは、こういう仕事冥利に尽きるのかなとも思います。そういう事もあっていろいろと感慨深いですねえ。 さて木村暁調教師。12月1日免許交付でなるべく早く厩舎の準備を始めたい希望だったそうですが、現状水沢競馬場に馬房の空きがないので年明けまで待つとのこと。例年2月10日頃になる、来季に向けた調教はじめの頃までには準備を整えて、3月の特別開催から出走・・・という流れになりそうです。 来春、「木村暁厩舎」のデビュー戦を、そしてその先の活躍を、楽しみにしながら待ちたいと思います。木村暁騎手の騎手生活を振り返るお話、こちらのインタビューでもけっこういろいろ語っていただいているのであわせてご覧ください。
2023年12月07日
木曜担当のよこてんです。 今回は南部駒賞を制したフジユージーンのお話。デビューから5連勝、その足跡を(早々と)振り返ってみる、というお題です。 いや南部駒賞、フジユージーン強かったですね。9頭立てで遠征馬が6頭、地元馬が3頭、地元の期待を一身に背負いつつ、一方で他地区勢からは目標にもされ。決して楽な戦いではなかったはずですが終わってみれば4馬身差の完勝でしたから、地元目線で言わせていただくならば上々と、そういって安心できる結果だったのではないでしょうか。★南部駒賞優勝/フジユージーン なにせ今季ここまでの交流重賞は残念な事に各世代とも全敗。4月/留守杯日高賞→ワイズゴールド(大井)7月/オパールカップ→ラビュリントス(川崎)7月/マーキュリーカップ→ウィルソンテソーロ(JRA)7月/ハヤテスプリント→スタードラマー(大井)7月/せきれい賞→ヴィゴーレ(大井)8月/クラスターカップ→リメイク(JRA)8月/ビューチフルドリーマーカップ→ノーブルシルエット(大井)9月/ジュニアグランプリ→トワイライトウェイ(ホッカイドウ)9月/岩手県知事杯OROカップ→アトミックフォース(大井)10月/ダービーグランプリ→ミックファイア(大井)10月/マイルチャンピオンシップ南部杯→レモンポップ(JRA)10月/OROターフスプリント→マッドシェリー(川崎)10月/プリンセスカップ→コモリリーガル(ホッカイドウ) 最後の最後でようやく勝った形ではありますが、地元勢としては快哉を叫びたい勝利なのでした。 そんなフジユージーンのデビューからこれまでを振り返っていきましょう。 同馬のデビュー戦は6月4日の2R、水沢ダート850mの新馬戦でした。 ゲートが開いた瞬間のダッシュこそ他の馬が速かったですが、二の脚の加速で一気に先頭に出るとその勢いのままリードを拡げます。そこからは持ったままで大差勝ち。★1勝目はデビュー戦/6月4日水沢2R。850m稍重で51秒7、大差勝ち “大差勝ち”という書き方をすると、それだとしばしばある話ですが、“850mの3コーナーまでの間にもう完勝態勢を作ってしまっていた”と書けばより凄さが伝わるでしょうか。 手綱を取った村上忍騎手はレース後、「能検の時から完成度が高かった。この時期にこれくらいの完成度の馬はなかなか珍しい。この先も楽しみにして良いと思う」と、また同馬を管理する瀬戸幸一調教師は「普段はおとなしいのですがレースになるとしっかり気が入ってくれた。ここではちょっと抜けていると言っていい結果でしたね」というお話でした。 また、瀬戸調教師は「去年のオータムセールで買った時は身体こそ大きかったが“軽”かった。実が入ってきた身体だと思う」とも言われていました。 そう。デビュー戦時のフジユージーンの馬体重は526kg。今年の岩手デビューの2歳馬は例年よりも馬格ある馬が目に付く印象ですが、その中でも際立って大きい、いわゆる“雄大な馬体”。それも他馬の騎手が「2歳の今の時期にあの筋肉は反則」とぼやくほどのしっかりとした肉付き。 これはちょっとモノが違うんじゃないか。 陣営もそういう期待をかけていて、それを裏付けるデビュー戦勝利でしたが、自分もそんな事を思ったレースでした。 2戦目は7月18日、盛岡2Rのダート1400m。今回のライバルは新馬戦を勝った馬、新馬戦で上位に入っている馬が多数いた上に初コース・初距離。並みの馬にとっては厳しい条件・相手強化という事になるのでしょうが、フジユージーンにとっては何の問題も無かったようです。★2勝目は7月18日盛岡2R、ダート1400m重馬場で1分26秒0。着差は8馬身 スタートでちょっと遅れたものの二の脚で一気に巻き返していったのはデビュー戦と同じ。序盤はミヤギヴァリアント、のちに若駒賞を勝つこちらも素質馬と見なされていた馬が食い付いてきましたがそれも3コーナーまで。あくまで自分のリズムで仕掛けたフジユージーンはそのミヤギヴァリアントも置き去りにして、そして今回も最後まで楽な手応えのまま8馬身差完勝。2着ミヤギヴァリアントまで8馬身、その後ろの3着までは大差(3秒差!)。 自分はフジユージーンに迫る事ができるとすればミヤギヴァリアントしかいないと思ってこのレースを見ていたのですが、それでも8馬身差。完成度の違いがあったにせよこの差なら、世代の中でフジユージーンは抜けている、それもかなり・・・と感じた結果でした。 3戦目は重賞挑戦となった『ビギナーズカップ』。8月20日の水沢ダート1400m、ライバルは6頭。 このレースではリトルカリッジと対決、2馬身半の差で退けました。★3勝目は重賞タイトル獲得に。8月20日水沢での『ビギナーズカップ』。ダート1400m重馬場で1分28秒6。着差は2馬身半 ここまでが大差・8馬身差ときての2馬身半の結果にはちょっと「おや?」と感じられた向きもあったようですが、この時は控える競馬を試してみたらリズムが狂ってしまって、とにかく勝たせた・・・という内容だったと思います。あとは、大型馬ゆえにコーナーが多い小回りはもうひとつという点もあったでしょう。 4戦目は今年新設の重賞『ネクストスター盛岡』、10月3日の盛岡ダート1400m。初対決になる馬、ホッカイドウから転入してきた馬とここでもまた新たなライバルとの対戦になりましたが、フジユージーンは3コーナーから馬なりで捲っていって直線突き放す・・・という強い走りで難なく突破。着差はデビュー戦以来二度目の「大差」ともなりました。★4勝目は新設重賞『ネクストスター盛岡』ダート1400m。稍重で1分25秒3、着差は大差 このレースを勝った事でその先は他地区の馬たちと戦う路線となっていくのがほぼ確定。レース後の陣営のコメントにも「他地区の馬ともやれる力がある」と、その辺を意識した言葉が入ってきたのもこの時です。 そして5戦目の『南部駒賞』。11月12日盛岡ダート1600m。9頭立てで遠征馬6頭・地元馬3頭の構図で地元の期待はフジユージーンに集まるような形。 今回の遠征馬は門別で重賞を勝っているオスカーブレイン、川崎で重賞を勝っているグラッシーズマン、芝のジュニアグランプリを制しているトワイライトウェイの重賞勝ち馬だけでなく、船橋・平和賞2着キタノヒーロー、オスカーブレインが勝った札幌クラシックカップ3着、JRAクローバー賞3着などのカイコウ、ネクストスター門別で5着確保デュアルロンドと連なって6頭全てが“重賞級の実績馬”。これらを退ける事ができたら、フジユージーンの実力も全国区の中の位置が見えてくる・・・と言えるだろうメンバーでした。 ファンの期待も高く、単勝オッズは1.9倍、票数上の単勝支持率は約40%。2番人気カイコウの倍近い票数を集めていましたね。 結果は。ゲートの出は一線だったものの直後はやや控え気味、そこから巻き返していったん2番手。向こう正面で他の馬が前に出て行った時に4番手。この辺、全国レベルのスピードはやっぱり速いなと思いながら見ていましたが、フジユージーンも態勢を整えて外に回ると、そこからは全く違う手応えで先頭へ。さすがにこれまでのように“持ったままで大きなリード”ではありませんでしたが、上記のような馬たちを寄せ付けなかった勝利は、十分な性能を持っている事を証明した内容と言えるはずです。 5戦を振り返ってみて、雄大な馬格、そこから発揮されるパワー、一方でこの馬格にしての素軽い機動力、短距離からマイルまで対応するレースセンスの良さ。フジユージーンが他をリードしていると感じる武器は多いですよね。 気になるのはスタートがもうひとつという点で、今のところは地力の違いでカバーしていますが、将来的にもっと実力が接近した相手と戦うようになった時に弱点になるかもしれない。そこは気がかりですが、今はまだ自分の身体を使いこなせていない、成長しきっていない所もあっての立ち後れ気味のスタートでもあるでしょうし、そこはこの先変わっていく事を期待したいところ。 フジユージーンは南部駒賞後に放牧に出され現在は休養中。来春まで身体をメンテナンスしつつ英気を養うとのことです。 では来春は?自分の感触だと、新しいダート三冠路線に進む可能性がかなり高いと見積もっています。見ている方としては夢が拡がりまくるわけですが、あくまでも馬の状態優先。今後の状況次第でもありますしね。ここは見ている方はおとなしく、来春の復帰を、その復帰戦を楽しみにして待つ事にしましょう。
2023年11月16日
木曜担当のよこてんです。 今回は“岩手競馬史上初の女性騎手による重賞制覇”の話題。 10月22日に行われた『OROターフスプリント』。芝コースの状態悪化のために当初予定されていた芝1000mからダート1000mに変更される事が事前に発表され、これも当初予定の遠征馬はじめ出走予定馬関係者に対してダートでも可か?と意思確認したうえで枠順が決まり・・・と異例な事が多かったORO“ターフ”スプリントでしたが、“芝を経験させてみたかったけど、実績的にはダートも悪くないので”という遠征馬もいたりして、結果としては遠征馬4頭・地元馬8頭の12頭の戦いとなりました。 そしてレースの結果としては、2番人気に推された川崎・マッドシェリーが逃げ切りV。同馬だけでなく鞍上の神尾香澄騎手、同馬を管理する山田質調教師のいずれもが初重賞制覇という嬉しい勝利に。★ダートで行われたOROターフスプリント。川崎マッドシェリーがV 好発からハナを奪って、しかし道中は内外から虎視眈々狙ってくる馬がずっとついてきていて、そんなついてきている馬の方が手応え良く見えるようなシーンもあって、決して楽な逃げではなかったと思うのですが、最後はライバル達をしっかり振り切ってゴール。 マッドシェリーの上がり3ハロンは34秒9、勝ちタイム58秒1は盛岡ダート1000mのレコード。鞍上は女性騎手でしたが重賞のため減量は一切無し。それでこの結果ですから見事な勝利と言って良いはず。 レース後、「とても思い入れがあって思い出も多い馬。その馬で重賞を勝てて本当に嬉しい」と語っていた神尾香澄騎手。★出迎えた関係者の姿を見て思わず・・・の神尾香澄騎手でしたが、★口取りを撮る頃には笑顔が戻っていました というのも、山田質厩舎は自身の所属の厩舎、マッドシェリーはいわゆる“自厩舎”の馬で自分のデビュー前から調教に乗ったりしてきて、自身の初勝利もこの馬で挙げたもの。3回目のコンビがその初勝利、そして18回目のコンビでの戦いが今回の重賞制覇。それは嬉しいですよねえ。★騎手が馬にまたがって・・・の口取り、岩手では撮る人がほとんどいなくなったのでちょっと新鮮 そして。この勝利は冒頭でも触れたように“岩手競馬史上初の女性騎手による重賞制覇”でもありました。 “女性騎手の特別勝ち”は岩手競馬でも複数ありますし、“重賞騎乗”という事も、なんならJpnⅠでの騎乗も何度かあります。ですが重賞制覇は今までなかった。 そんな事をレース後にSNSに書いたところ「高橋優子騎手が重賞を勝っているのではないか」という指摘をいただきました。良い機会ですのでその辺の歴史を振り返っておきましょう。 5年あまりの現役期間の間に203勝を挙げた天才騎手。と同時に、わずか25歳で夭折した幻の騎手。しかし高橋優子騎手の天才性は203勝という数字だけではなく、早くから男性騎手に伍して大レースを制してきた点に表れていました。 1969(昭和44)年5月に実戦デビューした高橋優子騎手は翌1970(昭和45)年8月の『日高賞典』をニュースターエイト号で、同年11月15日には『農林大臣賞典特別』をツルハゴロモ号で優勝しています。 前者も1着賞金35万円の当時としては高額賞金のレースでしたが後者は同50万円。当時の盛岡・水沢に1戦ずつ設定されていた『農林大臣賞典特別』がそれぞれの競馬場での最高賞金レース。そして1970年と言えば小西重征騎手・平澤芳三騎手の全盛期に加えて、先日亡くなられた村上昌幸騎手(※いずれものちに調教師)がデビュー年にいきなりリーディング3位とこちらもまた“天才”の片鱗を見せていた強豪揃いの年で、そんな中でデビューから実質2シーズン目の女性騎手が最高賞金額の大レースを制したわけですから、それはもう高橋優子騎手の凄さがうかがえる・・・というものですよね。 さて、1970(昭和45)年の『日高賞典』。これが旧日高賞(1999年まで行われていたアラブ4歳馬の重賞)の直接の祖先とされていて、レース回数のカウントも1969年に行われた最初の『日高賞典』から加算されていました。そのため旧日高賞の歴史では「第2回日高賞」の優勝騎手として高橋優子騎手の名が記載されておりました。★『岩手競馬競馬手帳1996』より。かつて毎年制作されていた競馬手帳での記載 関連する話を書き連ねていたら妙に長くなってしまったので結論を先に書くと、この時の『日高賞典』はまだ重賞ではありません。 岩手県競馬組合が創立20周年記念誌として1983(昭和58)年に発行した『いわての競馬史』によれば「重賞」・「特別」の競走が設定されたのは1973年、そして1975年になって“特別競走で始まった「日高賞」、「不来方賞」も重賞競走に組み入れられた”(「いわての競馬史」P249~P250)との記載があります。同誌に掲載されている各年の主要レース勝ち馬欄でも、1974(昭和49)年時点では日高賞典・不来方賞典には“(重賞)”の注釈がありませんし、1着賞金額からも“普通の特別”だった事がうかがえます(時系列がちょっと行ったり来たりしてしまいますが、それには別の理由があります。後述)。★『いわての競馬史』P190より。昭和49年時点では日高賞典特別に『(重賞)』の記載が無い という事で“高橋優子騎手が勝った時の『日高賞典』は、その当時の重賞級の大レースではありましたが、重賞競走にはなっていなかった。重賞競走とされたのは1975年から”となるわけです。 以下、関連する話をいくつか。●1968(昭和43)年までは「知事賞典」であったり「盛岡市長賞典」であったりと副賞名がつくくらいだった、もっと前は「けいがA」とか「平地B」とか単にクラス分けだったレースに固有名がつけられたのが1969(昭和44)年。『駒形賞典』『日高賞典』『岩鷲賞典』『不来方賞典』の4レースが設定されました。いずれも1着賞金25万円、「A級イ」とされているので最上位クラスの設定だったようです。●日高賞典はのちに『留守杯日高賞』になった際に回数がリセットされ、駒形賞典はのちに特別競走になったことで現在は回数表示がされていませんが、不来方賞・岩鷲賞の今年55回の表示はこの時からカウントされているわけですね。●1970年頃の岩手競馬は競走馬数の不足を理由としてサラ系・アラ系混合でレースが行われており、血種別に分離されたのは1971(昭和46)年から。なので高橋優子騎手が勝った際の『日高賞典』もサラ・アラ混合の設定だったはずです。●固有名をつけたレースだけでなくさらにグレードの高い設定を・・・と、1973(昭和48)年、この年に重賞競走が設定されました。既に登場していた岩鷲賞、駒形賞に加えて『みちのく大賞典特別』、また盛岡・水沢両競馬場での高額賞金レース『農林大臣賞典特別』が重賞となりました。●やはり1970年頃は競馬場の入場者数・発売額共に右肩上がりで増加していた時期。 1967(昭和42)年には開催日数78日・入場者数約9万5千人・発売額約10億円だったものが、6年後の1973(昭和48)には開催日数90日・入場者数44万7千人・発売額は112億円あまりになっています。 発売額の増加にはインフレ分もあったでしょうけども入場者数の激増ぶりはなかなかですよね。特別戦に固有名をつけたり、重賞・特別を設定したりしたのは、そんな増加するファンに向けてより魅力あるレースを・・・という狙いがありました。●1975(昭和50)になるとほぼ全てのレースが固有名を持つようになり、今にも続く桐花賞やシアンモア記念、金杯などはこの年に生まれています。 『農林大臣賞典特別』は、1973年・1974年に実施された際に盛岡のものがサラ系、水沢のものがアラ系の競走として設定されていたことから、それぞれが1975年から第1回として設定された桐花賞・紫桐杯の前身になったと見て良さそうです。●不来方賞と旧日高賞には謎があって、1972(昭和47)年・1973(昭和48)年に実施された記録が残っていません。そのためレース回数は1969年からカウントされているものの、この2年分は記録は空欄、回数だけ進んだ事になっています。当時の専門紙が残っていれば、たどっていけば判明するのかも・・・。 高橋優子騎手と日高賞典の話の方が多くなってしまいました。結論としては「岩手競馬史上初の女性騎手による重賞制覇」の栄誉は神尾香澄騎手にある事、高橋優子騎手も今でいえば重賞級の当時の大レースを制していますがその時はまだ「重賞」ではなかった事。改めて確認しておこう、というお話でした。
2023年10月26日
木曜担当のよこてんです。 ファイナル・ダービーグランプリ特集(?)。第一回に続き二回目は2010年に復活してからのお話、そして今年の出走馬にも触れていきたいと思います。■“地方3歳馬の祭典”として復活 2007年、馬インフルエンザの影響でノングレードの地元重賞として行われた第22回を区切りとしてダービーグランプリはいったん休止。ですが、“中3年”の休養明けを経た2010年、改めて“地方3歳馬の祭典”ダービーグランプリとして復活しました。 前回触れたように第1回はシーズン最終開催週の12月7日に行われていたダービーGPでしたが第2回からは11月下旬に定着。それがJRA交流化後に11月上旬、のち9月下旬へと移動していっていたので、“復活”ダービーGPが11月下旬に行われるのはまさしくかつての、地方馬だけのダーグラの復活を思わせるものでしたね。 その復活ダービーGPを制したのが岩手のロックハンドスターだったのも、岩手のファンとしては良かったですよねえ。 2歳・3歳・古馬と、グレードレースだけでなく地方交流重賞でも他地区馬にタイトルを持って行かれる事が多かっただけにこの勝利は気持ちのいい勝利でした。★2010年の“復活ダービーグランプリ“を制したのは地元岩手のロックハンドスター★レース後の菅原勲騎手を取り囲むマスコミ陣の多さからもこの時の注目度の高さがうかがえます★特別奨励金というものがあったんですね 2010年からはロックハンドスター、カミノヌヴォー、ロッソコルサと岩手勢が3連覇。★2011年優勝は岩手カミノヌヴォー。震災の影響によりこの年は盛岡での開催★2012年も優勝は岩手のロッソコルサ。ここでも村上忍騎手の大きなガッツポーズ 2013年からはしかし、ジェネラルグラント、ドラゴンエアル、ストゥディウム、トロヴァオと南関勢が4連覇して逆襲。ダービーGPでの南関所属馬の優勝は、実は第3回アエロプラーヌ以来のことだったりしました。★2013年は船橋ジェネラルグラントが優勝。石崎駿騎手の父・石崎隆之騎手もイシノサンデーで第11回ダービーGPを制しているので“親子制覇”になりました★2014年は川崎ドラゴンエアル。鞍上は吉原寛人騎手、第8回をミスタールドルフで制した渡辺壮騎手以来となる金沢所属騎手の制覇にも★2015年は船橋・ストゥディウム。石崎駿騎手は史上6人目のダーグラ2勝ジョッキーになりました★2016年の勝ち馬は大井・トロヴァオ。鞍上は真島大輔騎手(現調教師)。第3回的場文男騎手以来の大井競馬所属騎手の優勝 2017年にホッカイドウ・スーパーステションの勝利もまた第6回リバーストンキング以来のホッカイドウ競馬所属馬の優勝。この時の鞍上・阿部龍騎手は22歳と8ヶ月で、第12回をテイエムメガトンで制したJRA・菊地昇吾騎手の21歳11ヶ月に次ぐ若さでの戴冠に。★2017年は降りしきる雪の中でのレースに。角川調教師には「あの時は寒かった!」と今でも言われる。写真を撮る方としてはピントが合わないのでたいへん苦労した記憶の年 2018年は岩手のチャイヤプーンが優勝。遠征馬に掲示板を占められるような状況になってきていた数年分の鬱憤をまとめて晴らす快勝でした。★2018年優勝は岩手チャイヤプーン。久しぶりの岩手勢勝利 ところで復活時は800万円だった1着賞金は2017年に1000万円、2020年に1500万円、2021年に2000万円、2022年には2500万円と年々上昇し地方馬のみの重賞としては全国トップクラスのものに。出走を目指すメンバーもそれに伴って年々豪華に、強力になってきました。 2021年はホッカイドウ・大井・浦和・船橋・金沢・兵庫の6地区から、2022年はホッカイドウ・大井・浦和・船橋・愛知の5地区から遠征馬が参戦。多士済々、様々な路線から進んできた馬たちの激突は、地元岩手勢の成績は今ひとつではありましたが、ダービーGPという舞台にふさわしい戦いだったと思います。★2019年はホッカイドウのリンノレジェンドがV。鞍上岡部誠騎手はダービーGP初制覇かつ愛知所属騎手として史上初の優勝騎手になりました。またこの年から照明下でのレースにもなっています★2020年は岩手フレッチャビアンカが優勝。高松亮騎手も初制覇★2021年は船橋ギガキング。同馬は2歳時にホッカイドウ所属として南部駒賞を勝っており、“ダービーGP以前に岩手で重賞勝ちの経験がある遠征馬”として初★そして昨年2022年はホッカイドウ・シルトプレが優勝。2着もホッカイドウのエンリルで、 “ホッカイドウ勢のワン・ツー”は史上初■時代に翻弄された面も 36回目の今年で幕を閉じる事になるダービーグランプリ。改めて振り返ってみると、2010年の復活後が今年を含めてのべ14回。“第1期”といえる地方交流時代が10回、“第2期”となるJRA交流時代が、イレギュラーになってしまった2007年を含めても12回でしたので、今の“第3期”が実は一番長い区切りになっているんですよね。G1だったのは10年間(ちょっと間違いやすいのが、交流初年度の1996年はノングレードの交流重賞だったこと。これはクラスターC・南部杯も同様。ちなみに1年後の97年に創設されたマーキュリーCは最初からグレードレース)だったから、そう思ってみると案外短かったですね。 全国のトップクラスの3歳馬を集めたいという位置づけゆえに時代に翻弄された面もありました。 初期の11月から9月に移ったのは2001年のJBC設立の影響でしたし、復活後の11月下旬の位置から2019年に10月頭に移動したのもやはりダービーGPを制した馬がJBCにも向かえるようにという狙いから・・・だったりします。★初期の“3歳ダート三冠”の一戦だったスーパーダートダービー。1996年創設も実質3回で役目を終えた非常に短命なレースでした。画像はメイセイオペラが出走した1997年・第2回 そして今回も、全国的なダート競走体系整備の中で3歳のチャンピオン路線が南関三冠に集約される中でダービーGPがその役目を終える形になりました。 3歳路線は以前から行ったり来たりしていた・・・と言えばそういうところがありますよね。 3歳馬のチャンピオンクラスは秋冬には古馬と激突するようにしようとか、いややっぱりある程度は3歳馬だけのレースも残した方がいい・・・とか。 そうは言っても、どういうふうに路線を進ませていくか?はレースの配置だけでなく“その路線を戦い抜く事でどれくらいの賞金を獲得できて、その先にどんな路線に進めるか?”まで考慮して組み立てていかないといけないですから、難しい事なのは間違いないと思います。 自分は度々書いていますけども「全国的なダート競走体系整備」は“早くから3歳馬に賞金を持たせて、早くから対古馬路線に進めるようにお膳立てする事”が狙いだと、もちろんそれが主目的ではないでしょうが、いずれそうなっていくだろうと考えています。 新しいダート3冠路線はそのトライアルまでもグレード化されますから、路線を好成績で完走できれば秋冬にはJBCであったりチャンピオンズC、東京大賞典へと挑む、その出走枠をベテラン古馬と争えるだけの賞金を持っているでしょうし、なんなら途中で抜けて南部杯に向かう事もできるでしょう。高いレーティングを獲れれば海外にも行きやすくなる。いわば世代交代が強力に推し進められる、それも毎年・・・という事になるのではないでしょうか。 そんな流れの中にダービーGPがあってくれれば良かった・・・とは思わないでもないです。ですがここはひとまずどんな形になっていくかを見守ってみたいですね。■いよいよ“ファイナル・ダービーグランプリ” さて。そんな最後のダービーグランプリが10月1日に迫ってきました。この稿を書いている時点での出走申し込み馬、遠征馬は6頭となっています。ホッカイドウから2頭、大井から4頭で、全国各地から集まった近年に比べて所属場の数ではだいぶ少なくなりましたが、しかし“無敗のダービー馬”ミックファイア参戦、そしてその王者に挑む馬たちの存在が、最後のダーグラを盛り上げてくれそうです。 まずミックファイア。今年はダービーGPだけでなく全国各地の3歳戦で“今年で最後の○○”的な前置きがついたわけですが、この馬は“南関馬だけの東京ダービー”さらには“今年最後のジャパンダートダービー”を制してきて、路線が大きく変わる直前の今年のまさしく“時代の寵児”となっていますよね。 こういう年だからこそ強い馬が出てほしい、無敗で駆け上がっていくような馬が出てほしい・・・というファンの想いを体現したかのような。 ここまでの流れからすれば“最後のダービーグランプリ”もこの馬のためにあるようなもの、この馬が勝ってこそ歴史が締めくくられるのかな・・・という考えにもなってきます。★ミックファイア(ジャパンダートダービー)あくまでも予想を抜きにしての話をするならば、歴史の文脈はこの馬を後押ししている しかし、挑む馬たちもまた同様に、歴史最後のこの舞台で勝って、その名を刻み込もうと思ってやってきます。 ホッカイドウの三冠馬ベルピット。2歳時に二度敗れた事があるために“無敗の三冠馬”という称号こそ手にする事ができなかったとは言え、その二度の敗戦も2着、3歳三冠戦線では他馬をまったく寄せ付けない強さを見せつけてきました。 門別デビューの2歳馬がのちに南関はじめ全国に転じて3歳戦線で活躍する・・・という構図は周知の通り。今年にしても、南関3歳クラシック路線で好走しているような門別出身馬を、昨年のこの馬はほぼ圧倒し続けていたわけですから、南関勢恐るるに足らずと乗り込んでくるのも決して裏付けが無い話ではありません。★ベルピット(22サンライズC)その負けた時の写真で申し訳なし ケンタッキーダービーに挑んだマンダリンヒーロー。戸塚記念で2着に敗れヒーローコールに連敗の形、藤田調教師も「三番目の馬になっちゃったかな・・・」とちょっと寂しそうに振り返っていましたが、とはいえコーナー6つの川崎2100mに比べれば実質一周競馬になる盛岡2000mはこの馬向きの舞台のはず。鞍上に吉原騎手を据えてきたのも不気味★マンダリンヒーロー(戸塚記念)陣営は “勝負付けが済んでいる”とは思っていないはず 南関勢のサベージ、タイガーチャージは、例えば対ミックファイアの成績では分が悪いという他はないですが、ミックファイア・ヒーローコール・マンダリンヒーローが現時点で3強だとすればその次位を争える位置にはいる馬たちです。 ホッカイドウのニシケンボブも同様で、三冠路線は全てベルピットの2着でしたけども、ベルピットが“もの凄く強い”のだとすればこの馬の相対的なポジションも自ずと上にあるという事になりますからね。 さしあたり対ミックファイア・対ベルピットを想像するとして、いきなり逆転とまでは言えないでしょうけども、上位を争う資格は十分にあるはず。 地元のルーンファクターも上々の調子で挑めそうです。★ルーンファクター(不来方賞) 今日木曜日に最終追切を行ったとのことでしたので管理する千葉幸喜調教師に感触をうかがっております。「今朝は馬場が悪かったのと、先週、一週前に強めに追っているので今朝は反応を確かめる形の追い切り。手綱を取った坂口騎手の手応えも悪くなかったようです(千葉幸喜調教師)」 不来方賞ではミニアチュールら相手に完勝、同馬の三冠達成を阻止した形のルーンファクター。転入前の結果が良くなかったこともあって評価しづらい面があるのは否めないところ。ですが、やまびこ賞はハマった部分があったかもしれませんが、不来方賞は正攻法で勝ちきっていて、これをフロック視するわけにはいかないでしょう。 勝った事で「いや実は南関時代にミックファイアの1秒差で走っている馬だ」と言われたりもしましたが、ここでは、夏を越し秋を迎えてこの馬が成長している、この馬の本来の力が発揮されつつあるのだという見方をしておきたいですね。千葉幸喜調教師もそういう「成長がうかがえるレース、力を付けているのだというレース見せてくれれば」と願っているようです。 ファイナル・ダービーグランプリ。その「最後の勝ち馬」として名を残すのはどの馬なのか?10月1日の盛岡第11レース、発走は18時15分。ネットで、現地で、歴史に残る戦いをぜひ見届けてください。
2023年09月28日
木曜担当のよこてんです。 いよいよ迫ってきました“ラスト”ダービーグランプリ。今回と次回、もしかしたらその次の回も、ダービーグランプリのお話をしていきたいと思います。無謀にも前後編?の予定。 まず今回は『ダービーグランプリの時代』と銘打ってダーグラのこれまでを遡ってみるというお題。今年で36回にもなるだけに全てについては触れる事ができませんが・・・というところをあらかじめお断りしつつ話を始めましょう。■「レベルの違いを見せつけられた」第1回ダービーGP。しかしそれは次世代の糧に ダービーグランプリが設立されたのは1986(昭和61)年のこと。それまでにもエリア交流の“ダービー”は存在していて、例えば東北三県交流の『東北優駿(※新潟県競馬で実施する場合のみ東北ダービー)』は第1回が1978年の上山で行われていますし、東海エリアでの『東海ダービー』は1971年に、北関東エリアの『北関東ダービー』は1973年に設立されていますが全国の地方競馬の・・・となるとこのダービーグランプリが初。★第1回ダービーグランプリ開催を告知する新聞広告。1986年はこのダービーGPを含む12月6日・7日・8日が最終開催で、ダービーGPが「シーズンラストを飾る一戦」の位置づけでした(『岩手日報』1986年12月5日朝刊より引用)★こちらは第1回のポスター。“ダーグラは金色基調”は初期からできていた模様。上の新聞広告は、二つのポスターを足して二で割ったような図案というのも興味深いですね(『岩手県競馬組合30周年記念誌』より引用)★記事上は第1回ダービーグランプリ開催告知の新聞広告(『岩手日報』1986年12月5日朝刊より引用)より。同下はシーズン最終開催告知の新聞広告(『岩手日報』1986年11月28日朝刊より引用)から。東北3県への実況中継番組だけでなく関東でも放送、そしてダービーGP関係の事前番組が2つも!いかに力が入っていたかが分かりますね。 その栄えある第1回は北海道・グリーンタイセイ、足利・サラノオー、新潟・ダイスプリンター、大井・トミアルコ、船橋・ダイナシーズン、笠松・タカシマリーガルの遠征馬6頭を地元のノーザントライ・イワタケテスコ・トウケイフリート・ジヨージアセイコウが迎え撃つ形の10頭の戦いでした。優勝したのはトミアルコ。牝馬が“地方3歳の頂点”に立ちました。★こちらは岩手日報さんの予想。本命はダイスプリンターですね。実際の人気もこの印のような感じでした(『岩手日報』1986年12月7日朝刊より引用) のちのち「レベルの違いを見せつけられた」という言われ方をする第1回のダービーGPなのですが、単に南関東の馬が勝ったという結果だけでなく、地元のトウケイフリートは不来方賞の他スプリングカップやサマーカップを、ジヨージアセイコウはダイヤモンドカップ(※当時はダービーGPの前哨戦的位置)を、イワタケテスコはやまびこ賞を、ノーザントライもビューチフル・ドリーマーカップ(※当時はOP牝馬の特別戦。なお表記は当時に習います)で古馬に勝っている馬。 それらその年の岩手の世代トップクラスが蹴散らされただけでなく遙か彼方にいる(2着サラノオーと3着ダイナシーズンの間は7馬身差。岩手最先着の5着ノーザントライは3着からさらに1馬身強の差)。それも牝馬。 いや、トミアルコにしてもその年の大井の世代最強馬ハナキオーと互角に戦った事もある強豪ですからね。この馬の走りはそのまま南関クラシック路線のトップクラスの内容と考えていいもの。 岩手の世代トップクラスだけでなく、その岩手の馬を東北優駿で破っている新潟のダイスプリンターも、3着ダイナシーズンに食い下がったとは言え優勝争いは7馬身もの前で繰り広げられていたわけで。岩手との差・東北との差を“見せつけられた感”はもの凄く強烈だったのだと想像します。 ダービーGPの2年後に設立された南部杯、当時は「北日本マイルチャンピオンシップ南部杯」は、こちらも当初は他地区馬に蹂躙されるような結果でした。 地元馬がダービーGPを制したのは第4回、スイフトセイダイ。南部杯は第3回のグレートホープ。 なし崩しに南部杯も織り交ぜた話になってしまいますが、どちらも初期はせっかくの高額賞金を他地区馬に持って行かれる結果になって、こうしたレース設定に対する批判というか不満もあっただろうと想像します。 しかし当時は、東北三県の中であっても岩手の馬が強いとは見られていなかった時代。強い馬を出して岩手競馬を底上げしていこう、盛り上げていこうという志が、当初の苦しい敗戦にも耐えさせたのだろうとも思いますね。 奇しくもスイフトセイダイ・グレートホープはのちに「SG時代」と呼ばれる一進一退の攻防を繰り広げる好敵手となり、そして「TM時代」、トウケイニセイ・モリユウプリンスの時代へ、さらにはメイセイオペラ・トーホウエンペラーを送り出して、岩手競馬の全盛期と呼べる時期へと繋がっていきました。 第1回のダービーGPは厳しい結果に終わったものの、それは間違いなく次世代の糧になっていたはずです。★OROパーク盛岡競馬場のスタンド2階では「ダービーGPポスター展」開催中。10月1日までです。当日お越しの際はぜひお立ち寄りを■JRA交流時代のダービーグランプリ。岩手の馬も健闘していた 第1回から第10回までは「地方競馬のみ」のレースだったダービーGPは、JRA・地方交流時代の幕開けに伴って、また新盛岡競馬場・OROパーク開場にもともなって、1996年からはJRA・地方競馬交流の4歳(旧年齢)重賞となり同時に開催場も盛岡に移る事になりました。 1995年のダービーGPは、ある意味今年の南関クラシック路線のような「地方馬だけのダービーGPはこれが最後なのだ」という感慨を抱きながら見た記憶があります。 同時に新しい盛岡競馬場での、JRA馬との戦いがどんなものになるのだろうか・・・という期待もありましたね。 1996年は皐月賞馬イシノサンデーの参戦と優勝で盛り上がったものの地方勢は岩手のウエストサンボーイ4着が最高。翌年は、メイセイオペラが参戦しましたがご存じのように骨折の影響で力を出せず・・・で悔しい思いをするばかりでした。 1998年は、これも有名なエピソードになっていますよね。降雪延期。ウイングアローが三冠馬になり損ねたのにはこの降雪延期・開催場変更の影響が間違いなくあったでしょう。 また笠松のハカタビッグワンや高知のカイヨウジパングは延期によって短期間に二度の長距離輸送をするはめに。カイヨウジパングはその年の高知の三冠馬、ハカタビッグワンはのちにグレードレースを2勝する実力馬。万全の状態で戦うところを見たかったとも思います。★98年の11月下旬は雪が多かったような記憶。取り止めになるダービーGP前日の北上川大賞典も積もった雪を背景に行われておりました★たいへん私事の写真ですが、水沢でのダービーGP後、水沢江刺駅でマイケル・ロバーツ騎手とであったもので・・・。 2006年まで11年続いたJRA・地方交流時代、結果的には岩手のみならず地方馬の優勝はありませんでしたが、レギュラーメンバー、ゴールドアリュール、ユートピア、カネヒキリといった後々古馬G1を制する馬たちがここから飛躍していきました。 後に種牡馬としても、カネヒキリはトロヴァオ・スーパーステションでダービーGPを“親子制覇”。ゴールドアリュールはエスポワールシチー、オーロマイスター、コパノリッキー、サンライズノヴァら、盛岡のダートG1級レースを制する仔を送り出しています。ダービーGPは日本競馬界の血脈の中にもしっかりとした足跡を残している・・・と言っていいのではないでしょうか。★装鞍する前のカネヒキリ。風格がありますなあ。3歳馬とは思えない(2005年) ちょっと特殊な位置にあるのが2007年です。この年も猛暑の夏でしたけども、加えて馬インフルエンザが全国で猛威を振るいました。 特に8月後半からは顕著で、少頭数になるだけでなく当日競走除外が頻発、名古屋競馬のように防疫徹底のために開催を取り止める場もあるほど。 この時期のグレードレースは8月14日の佐賀・サマーチャンピオン、15日の水沢・クラスターカップまでは通常通り行われたものの、16日の門別・ブリーダーズゴールドカップはJRA馬の移動制限がかかってJRA代表馬が全て当日競走除外、地方馬のみのレースに。 そしてその移動制限の影響は9月も続き盛岡・ダービーGP、船橋・日本テレビ盃がグレードを外した地方重賞の形で行われる事になったのでした。★2007年のダービーグランプリは雨の中。優勝はハルサンヒコ★村上忍騎手には珍しい派手なガッツポーズ。自分としては、土砂降りの雨の中、当時のカメラの性能で良くピントが合ったなと思った一枚 2007年をもってグレード返上・レース休止という予定だっただけにこの年の“最後になるはずだったダービーGP”は交流JpnIとして見たかったですね。この年の優勝馬はハルサンヒコ。土砂降りの雨の中でのガッツポーズが印象的でした。 2006年のダービーGPでサイレントエクセルに騎乗していた板垣吉則調教師にお話を伺ってみました。結果は3着でも勝ち馬からクビ+1馬身半、地方馬としては“最も勝利に近かった馬”がサイレントエクセルでした。★板垣吉則騎手とサイレントエクセル(写真は2007年のビューチフルドリーマーカップ)「わりと楽に3番手くらいに付ける事ができて、ペースにも楽について行けてね。まあそうは言っても3コーナーくらいで離されていくんだろうな・・・と思ってたら直線も手応えが良くて。最後は地力の差で少し離されたけどね。 当時のダービーGPは中央との交流だったから、“勝ちたい”とか“勝てそう”とかまでは思えなかった。むしろ諦めムードの方が強かったと思うね。岩手の、昔の強い頃の馬なら太刀打ちできたかもしれないけども。中央の馬はそれくらい強く感じていたね(板垣吉則調教師)」 まあそうですねえ。例えば2000年優勝のレギュラーメンバーは「大差」、翌年のムガムチュウが「9馬身」、さらに翌年のゴールドアリュールは「10馬身」ですからね・・・。 とはいえ、JRA交流時代のダービーGPでの地方馬最先着は1997年フドオーと2000年ミツアキサイレンスの2着ですが、岩手勢もトニージェント・バンケーティング・サイレントエクセルの3着を始め掲示板圏内の結果が複数ありました。“地元の意地”はしっかり見せていたんじゃないかと思います。 次回は2010年の“復活”以降のお話を。
2023年09月21日
木曜担当のよこてんです。 残暑、厳しいですねえ。いいかげんそろそろ「厳しかったですね」と過去形で言いたいのですが、まだしばらくは最高気温が30度に届くような日があるようで。まだ油断できないですねえ・・・。 今年復活した形の“秋の”水沢開催にしても以前なら後半頃からは秋の気配が濃くなってきた記憶なのですが今年は最後まで暑くて、2開催4週間のその最終日が一番蒸し暑く感じたくらいでした。★装鞍所のミスト、結構涼しかったなあ・・・ それでも朝晩の気温はだいぶ低めになってきていたので、厩舎関係者に聞いても調教はだいぶ楽にできるようになった・・・という声が多くはなっていましたが、しかし今年の暑さが“異常”なのならともかく、こんな暑さが毎年くるようなら暑さ対策にももっと本腰を入れないといけないよね・・・という声も多かったです。できれば今年が“異常”の方であってほしい・・・。 さて今回のお話は戸塚記念です。三度の激突となった“ヒーロー”対決。黒潮盃の激闘がまだ記憶に新しい中で行われた今回はより注目度が高かった印象でしたが、結果はヒーローコールがマンダリンヒーロー以下に6馬身差を付ける勝利。ヒーロー対決を3戦3勝とする強い走り、強い競馬を見せつけました。★戸塚記念優勝/ヒーローコール そう。「見せつけた」。強さを見せつけるべく戦って、しっかりと見せつけてみせた。それが今回のヒーローコールの戦いぶりだったように感じます。 引き上げてきて脱鞍の枠場に入る時に何度も「よし」と自分に言い聞かせるように、噛みしめるように繰り返した森泰斗騎手。 序盤こそ2番手でしたが2周目の向こう正面に入ってほどなく先頭に押し上げると、その後は後続の動きを全く意に介さず、ただただ前へ前へと押し進み続けたレースぶりが、それが全て鞍上の思い通りのレースだった事への、そしてそれを貫き通すだけの力を発揮してくれたパートナーへの、「よし」という言葉だったのかと思えました。★何度も「よし」と繰り返しながら引き上げてきた森騎手。様々な想いが詰まっていたのか レース後のインタビューでは「ミックファイアと戦うまでは負けるわけにはいかない」と森騎手が語ったそうです。とすると、こういうと今回の他の馬たちには申し訳ない言い方になりますが、ヒーローコールが見ていたのは東京ダービーで6馬身前にいたミックファイア、ここではその“仮想敵”を追い上げる戦いをしていたのかもしれませんね。 そのミックファイアの次走はダービーグランプリとなっています。ヒーローコールはどうするのか? この戸塚記念の際には調教師も馬主さんも不在だったためにその場で次走がどうなるのか?がはっきりしませんでした。再戦の舞台が盛岡になってくれれば非常に盛り上がると思うのですが、さて、はたして・・・。 もう一頭の“ヒーロー”マンダリンヒーローは2着でした。6馬身の差はつけられましたが、しかし道中はかなり苦心しながらエンジンをかけて、それで最後は3着以下を引き離す2着まで来たのですから十分に立派な内容だったと思います。★マンダリンヒーロー こちらはレース後の藤田調教師に少しお話を伺う事ができました。「レースを振り返れば、ヒーローコールだけを見ていく競馬をすればよかったのかなと。それくらいのつもりでいけばもっと差は縮まっていたのかなとか思います。でも今日は改めて強いなと感じる内容でしたね。コーナーの多さを心配していましたけど良く走ってくれていた。鞍上も分かってうまく乗ってくれたと思います。次走は、このレースの前からずっと考えていたんですけども、他の馬の動き次第でダービーGPも視野には入っています」 コーナーで置かれ気味になってしまう分で差が拡がったとはいえ勝負所からはしっかりと伸びてきており、こちらも地力の高さは感じさせる走りだったのでは。 今回はコース形態的にヒーローコールの方がより力を出しやすい条件だったようにも感じるんですよね。大井であったり、あるいは盛岡であったりすると、また状況が変わってくるような気がします。 今回の結果で“勝負付けが済んだ”とするのはまだ早いと思いますね。 ところで森騎手が非常に力のこもった戦いを貫いて見せたのは、対ミックファイアだけでなく、先日急逝された左海誠二調教師への想いもあったのだろうと、いやあったはずです。 もともとヒーローコールは左海騎手が主戦を務めていて、同騎手の調教師転身に伴って森騎手にバトンが渡された形でした。黒潮盃の直後に左海調教師が亡くなられて、その後の最初の同馬のレース。冒頭で触れた「よし」の中には左海調教師に見せても恥ずかしくないレースができた、やりきった、という気持ちもこもっていたのだろうと自分は想像していますが、それは想像のしすぎでしょうか。 “最後”のダービーグランプリ。ミックファイアが予定通り出走すればチャンピオン格という位置づけになるのは、これはもうどうしようもないですけども、あわよくば一矢報いてやろう、下剋上してやろうという猛者たちが集まってきてくれるのももちろん大歓迎ですし、その中にヒーローコール・マンダリンヒーローの名があれば、レースの厚みがさらに増すのかなと思います。その時を楽しみにまちましょう。★ところでゴール後の“サムアップ”ガッツポーズ。ゴールして、ハッと何かに気づいたような感じでこのポーズ。見ていたカメラマンたちの意見として「スタンドに誰か関係者がいたのではないか?」「しかしカメラを順番に見ていくような感じで目線が来ていた」。いつか種明かし、教えてください・・・。
2023年09月14日
木曜担当のよこてんです。 さきの8月25日、村上昌幸調教師が亡くなられました。★今年3月19日、調教師としての地方通算1500勝を達成された際の村上昌幸調教師 調教師として通算1523勝(地方1522勝・JRA1勝)を挙げた名伯楽というだけでなく、騎手としては通算1783勝、デビュー3年目の1972年から1981年まで10年間に渡って岩手のリーディングに君臨し続けた名騎手でもありました。 1987年に33歳の若さで引退された村上昌幸騎手ですので自分は残念ながら騎手時代の姿を知りません。恐らくは最近競馬に触れるようになった若いファンの皆さんにとっても村上昌幸騎手の姿は想像が付かないものなのかなと思います。 そこで今回は、村上昌幸騎手の現役時代を知る関係者に思い出を語っていただく・・・という企画。自分も含めて、それを通して“天才ムラマサ”を知る手がかりになればと思います。★ ★ ★ まずはこの方から。村上昌幸騎手の前、1968年から1971年まで平地競走のリーディングジョッキーの座にあった小西重征調教師です。 小西重征騎手が1970年に達成したシーズン162勝の記録を187勝をもって破ったのがデビュー3年目の村上昌幸騎手でもありました。『騎手になるべくしてなった人』・・・小西重征調教師 乗り方が凄く柔らかかったね。馬へのあたりも良かったんだと思う。“ライバル”とかそんな見方はしていなかった。彼が乗り始めた頃から知っているからね。 彼のお父さんの厩舎(※村上初男調教師・通算4度のリーディングトレーナーを獲得)の馬には自分や竹田実騎手も乗っていたんだけど、デビューした頃の彼が思うように乗れなかったのか、ムラハツさんが“替わって乗ってくれ”と言ってくることもあった。でも自分は“ちょっと待っていれば大丈夫だから”と言っていた。ちゃんと乗れるようになる子だからと。やっぱりその通りになったね。 彼はいろいろな要素を、他の競馬場の騎手の乗り方なんかも研究していたんじゃないかと思う。中でも佐々木竹見君の乗り方かな。手綱の持ち方とか、参考にしていたように見えたね。それができる身体を持っていたんだと思う。柔らかい。だからそういうことが自然にできるしあたりも柔らかい。乗っている姿も格好良かった。 当時岩大の乗馬部の子達が競馬場でアルバイトをしていたんだけど、村上昌幸騎手は人気があったよ。 その頃は、盛岡で競馬がある時は水沢の人や厩舎も皆盛岡にやってきて調教とかをしていた。彼くらい若い騎手は少なかったからね。彼の上というと自分や桜田の新ちゃん(桜田新一郎騎手。騎手と調教師を兼業)、竹田実さん、菊地寿さんくらいで彼とは年が離れていた。若い騎手自体が珍しいという事もあった。 レースでは、強引さはなかったね。スルスルッと勝った、という感じだった。 騎手になるべくしてなった人じゃないかな。身体とかいろいろ、天性のものをもっていたんだと、私は見ていましたね。★ ★ ★ 続いては石川栄調教師。騎手としては1974年デビュー。年齢としては3つ、デビュー年は4年の違いになりますが、自身のデビュー時にはムラマサは既にずば抜けた存在だったと振り返ります。「雲の上の人」・・・石川栄調教師 年は3つ違いでしたが、私がデビューした頃はもう岩手では抜けたジョッキー、スタージョッキーだなと思っていました。 騎乗しての馬へのあたりが柔らかい。今でいえば武豊騎手に例えられるかな。柔らかい乗り方。何年か一緒に乗ったから見ていたけどフォームが綺麗だった。 道中は後ろの方にいても3~4コーナーでは常にいい位置に付けている。レース運びもうまかったと思いますね。 ゴールデンステッキ賞で一緒に乗った時があったんです。昌幸さんとハナ争いした時に無意識に昌幸さんの手をムチで叩いた事があって。それでハナ勝ちした事がありました。 自分も懸命に追っていたからもちろんわざとじゃない。勝ちたいという一心でね。当時は賞金も高かったですしね。引き上げてきた時に謝りましたね。IBCラジオの加藤さんに今でもよく言われるエピソードです(※1986年のゴールデンステッキ賞。石川栄騎手はヨシカツイリヤ、村上昌幸騎手はマルブツリュウに騎乗して石川栄騎手がハナ差勝ち)。 最近だと菅原勲騎手がカリスマと言えるんでしょうけども、その頃は、自分は昭和49年から乗っていたけど、あの頃のカリスマというか岩手のスタージョッキーは昌幸さんだったね。当時は騎手が40人くらいいたし、でもレースはフルゲートが8頭だったりレース数自体も少なかった。そんな条件の中でリーディングになるんだからね。 短く表現すると・・・、そうだね、雲の上の人、だね。乗り役としては抜けていましたね。自分なんかは下手だったからあれだけど、さっきも言ったようにフォームも綺麗だったしレース運びもうまかった。文句の付けようがない騎手だったね。★ ★ ★ 佐藤浩一調教師は石川栄騎手と同じく1974年の騎手デビュー(※佐藤浩一騎手は春デビュー、石川栄騎手は秋デビュー)。“ポスト・ムラマサ時代”を作った小竹清一騎手とリーディングを争い、通算4度の騎手リーディングに輝いています。「憧れの存在」・・・佐藤浩一調教師 憧れの大先輩。自分が昭和49年にデビューした時にはもう岩手のリーディングジョッキーだった。わたしらの同期の小竹がリーディングになるまでは10年ずっとリーディングでね。今の岩手競馬の基礎というか、騎手の待遇とかね、作ってくれた人でもあって。ライバルと言う以上に憧れの存在だったよ、うん。 自分とは4年くらいしか違わないけど、当時の昌幸さんは凄かったから。その頃はムラマサ、平澤さん(平澤芳三騎手、のち調教師)、小西さんあたりが岩手のトップクラスで、俺らなんかは及ばない位置だったよね。そんな人から「おい、メシ食いに行くか?」とか誘われたりいろいろ連れて回って貰って、距離が凄く縮まったなと感じていたね。 昔、外国の女性ジョッキーを招待したレースがあって、昌幸さんはアメリカの金髪の騎手とコンビを組んでね。いいなあ、ってうらやましく見ていたりもしたね(笑)。 昌幸さんとのレースでは忘れる事ができない思い出があってね。みちのく大賞典で一緒に乗っていて、4コーナーで自分が何番手だったかはちょっと思い出せないけど、昌幸さんは後ろから上がってきて、自分の隣に来た時に「ちょっと早すぎたかな~」と声をかけられたわけ。えー、こんな大レースのなかでこんな余裕があるのか?って。 こっちは真剣になって、勝てないまでも上の方に入りたいと思って乗っているところだからね。“何この人?こんな余裕があるの?”と思うわけよ。 もうひとつは水沢のアラブ大賞典の時。昌幸さんの馬が本命馬で、3コーナーから先頭に立っていて、自分は後ろから上がって行って昌幸さんの馬に並んだ。そうしたら「おめえちょっと早くないか?」って言われて。3コーナーだよ、レース中の。 こっちは余裕ないし、いやいやそんな事ないよ、とかなんとか答えたら「じゃあ勝ったら飯食いに連れてけよ~」って。そう走りながら叫ばれた時には、これもレース中にそんな余裕があるのか?だよね。 その時の結果は、自分が勝って昌幸さんは2着だったかな。ご飯をおごったかどうかは覚えてないけども。 こっちは必死で余裕もないのに、あっちは普通に声をかけてくる。それだけ余裕があってレースに乗ってるという事なんだろうね。今それだけ余裕を持って乗ってる人がいるのかな?と思うね。その二つは本当に記憶に残っている(※前者は1987年のみちのく大賞典、村上昌幸騎手はマグマカザンで優勝・佐藤浩一騎手はマウタトビクラで7着。後者は同じく1987年のアラブ大賞典で、佐藤浩一騎手はローレルスポットで優勝・村上昌幸騎手はキタノエデンで2着)。 昌幸さんの乗り方を真似ようとかは思った事がないけれど、昌幸さんには「相手の事を不利にしないと自分は勝てないんだぞ」というような事は、きれい事だけでは勝てないんだという事を教わったように思います。それは、“そういう競馬”もできる人だったという事。綺麗に乗るだけではなく際どい戦いもできる、することもあったね。 騎手時代はずっとトップを走っていた人であり、岩手の騎手の礎を作った人。トウケイニセイとかメイセイオペラとかが出る前の頃の岩手競馬の“看板”だったね。★1978年の第6回みちのく大賞典をジムパーナで制したのが村上昌幸騎手にとっての初めての”みちのく”のタイトル。みちのく大賞典はこの時を含めて4勝(『レーシングメモリー岩手競馬25年の記録』P3より引用)★ ★ ★ 伊藤和騎手は1972年にデビュー。村上昌幸騎手より2年ほど後にデビューしましたが、引退は1985年で逆に2年早く調教師に転身しました。騎手同士というだけでなく調教師と騎手という関係の時期もありました。「天才。それに尽きる」・・・伊藤和調教師 やっぱり天才だったね。我々の見えないところで努力していたのかもしれないが、そういう所は見せなかった。馬へのあたりも柔かったしね。我々には分からない勉強をしていたからあれだけの成績を残せたんだろう。 いつの間にか良いところについているんだよね。どんなレースでも、どんな馬に乗っていてもね。自分は前で競馬をする馬が多かったから後ろでどういうコース取りで来ているかが分からなくてね。あの頃はビデオとかなかなか見れなくてパトロールの映像くらいしか無かった。だから、何が起きたか分からないうちに彼に交わされている、勝たれているという事が多かったね。その辺が天才のカンなんだろうね。だからといって強引でもなかった。その馬にあった乗り方をしていたと思う。 普段はお酒を飲んでも大騒ぎするような人ではなかったね。その頃の騎手は、自分なんかもそうだったが体重が重い人が多かったから調整ルームに入ってもそうそう飲み食いできないのさ。だからお酒が入った人もおとなしくね。楽しそうにしている昌幸を周りで見ているような感じだったかな。 “打倒ムラマサ”とか思いも及ばなかった。でもね、お父さん(村上初男調教師)にはみちのくを獲らせて貰ったし(※1979年・スリーパレード)、自分の調教師の1年目には昌幸に乗って貰ってシアンモアを獲って貰ったからね(※1986年・メジロゼウス)。彼との思い出はいろいろあるんだよ。 やっぱり天才だよね。それに尽きる。もちろん我々に見えないところで努力をしていたんだと思う。それなりの努力をしなければ10年間リーディングを守る事はできないだろうからね。★ ★ ★★1984年、騎手として岩手競馬史上初の1500勝を達成(『岩手競馬35周年記念誌』P251より引用) 佐藤浩一騎手のあとを襲ってリーディングの座に着いた菅原勲騎手。その後通算12度の騎手リーディングは村上昌幸騎手の10度を超えるものでした。そんな菅原勲騎手からは村上昌幸騎手はどんな騎手に見えていたのでしょうか?「勝ち方を知っている人」・・・菅原勲騎手 自分がデビューした頃はもうずっとリーディングを獲っていた人だから“凄い人”だと思っていました。 騎手としては何年もは一緒に乗ってないからね。自分もデビューして間もない、ただ一生懸命やっていた頃で、年も離れていたから“ライバル“という感覚では見ていなかった。やっぱり凄い人。例えて言うならば武豊騎手という感じのタイプだったんじゃないかな。強引に追うとかではなくてすっと乗ってくる感じだったね。 自分のスタイルって自分では分からないからね。誰かのように乗ろうと思ってもそう簡単にはいかないもの。誰々を参考にして・・・と言うよりは自然とそうなったんだと思う。 一緒に走っていて、強引さはなくてさらっと、すっと乗ってきて勝つ感じだった。それは勝ち方を知ってる人ってこと。 自分の頃とは条件も違いますからね。開催日数もレース数も少なかった頃。自分の成績と簡単に比べる事はできないし、そんな中であれだけの成績を残してきたのはやっぱり凄いと思いますね。★ ★ ★ 最後に騎手ではなく“調教師としてのムラマサ”を一番近くで見続けていた人のお話を聞いてみました。坂口裕一騎手は2003年のデビューから先日の解散までずっと厩舎の主戦として戦ってきました。坂口裕一騎手から見た村上昌幸調教師はどんな人だったのでしょうか。「何に関しても余裕がある人でした」・・・坂口裕一騎手 デビューした頃は毎レースをビデオに撮ってもらって、それを見ながら調教師がレース解説・・・を2,3年やっていましたね。その頃は自分も若かったですし“なんで毎日こんなに色々言われなきゃならないんだ”と思うばかりでした。 自分は岩手出身じゃないから、南関東の古い人は見ていて分かっていたんですけども(※坂口裕一騎手のお父さんは川崎競馬の厩務員で自身も川崎の厩舎育ち)「ムラマサ」という存在の凄さが分からなくて。みんなは知っているわけですけどもね。厳しいのは親心だったんでしょうけども自分はしごかれてるとしか思えなかったですね。 ですが、今思えば自分を思ってやってくれてたんだなって。他の厩舎の馬のレースでも欠かさず撮って、毎レース自分の事を見ていてくれたんだなと。 褒められる事はあまりなかったですけど、“よくやった”とか言葉をかけて貰えるようになっていった。先生だったら、自分だったらこう乗ったとか、調教師としてはいろいろ思うところがあったんでしょうし、そういうのもあってあまり褒めて貰えなかったのかなと思ったりします。 騎手時代には10年間リーディングを守ってきて、なって当然と言われていた時期もあって、だからか分からないですけども、切り替えが早かったですね。大きいレースを勝ったり年度代表馬を獲ったりしてもいつまでも喜んでいない。天狗にならない。現役の頃に修羅場をくぐってきたからこその切り替え、気持ちの余裕だったのかもしれないですね。 当時を知っている人、年配の馬主さんとかには「何年もリーディングを獲るんだからプライドが高い人なんだろう」というようなイメージがあって話しかけづらい・・・というような意識があったと聞いたんですけど、実際は全然そういう感じはなくて。周りが作っているイメージとは違うんだけどな、と自分は思っていましたね。 実習の頃から言えば出会って22年。振り返れば22年ですけども、あっという間でしたね。ましてや病気が発覚してからの1年なんか本当にあっという間で。最近は調教師が厩舎に来られている時はできるだけ会って話をするようにしていました。今にして思えば、自分ももっと先々の事を考えて、もっといろいろな話をしていれば良かった。 何年目ぐらいですかねえ。7,8年目くらいですか、胸椎を骨折して長期離脱した時に「いて貰わないと困るから怪我には気を付けて」という言葉をかけて貰って。そのころからですね、レースや調教で厩舎の馬を任せて貰えるようになって。 若い頃は厳しい人だとしか思ってなかったですけども、今になってみればとても尊敬できる素晴らしい方でした。★ ★ ★★1500勝達成時、“ムラマサ勝負服”を作ってきた坂口裕一騎手を見て「俺のはもっと線が太かったぞ」と言いながらも嬉しそうな村上昌幸調教師なのでした 最初に書いたように私もムラマサ騎手の現役時代を知らなくて、ましてその凄さとなると噂しか知らないですから、自分の認識としては坂口裕一騎手と同じような感じなんですよね。自分なんかにもちょっと冗談交じりに声をかけてくれる、そんな人というイメージで。 なので、かつての同時代を戦った人たちが、それもそれぞれの時代のトップジョッキーだった人たちをして“ムラマサは凄かった、天才だった”と口を揃えて言うのには、話を聞いていた自分にとって驚きでした。そんなに凄い人だったのか、と。★管理するナムラタイタンが2014年度の年度代表馬に選ばれた際の表彰式にて。インタビューに答える村上昌幸調教師 平成に入る前に騎手を引退した村上昌幸騎手でしたので映像としてすぐ見る事ができるレースは多くないようですが、ネットを探すと当時の大レースの映像がいくつか見つかります。伝説の“旧盛岡・直線大外一気”のレースもあるようですので、皆さんもぜひ探してみてください。 春に1500勝を達成された頃は割とお元気そうにも見えたのですが、その後はあまり良くない時期が続いたようで、臨場される事もなくなりました。坂口騎手によれば最後まで厩舎の行く末に気を配って、その道筋を定めてから旅立たれたのだそうです。 “天才ムラマサ”のご冥福をお祈りいたします。
2023年08月31日
木曜担当のよこてんです。 まず最初は「1日6勝」の話題。8月21日の水沢競馬で高松亮騎手が9戦6勝の大爆発。自身としても初めての1日6勝を挙げました。★1勝目/3Rジェイデン号★2勝目/5Rアビレ号★3勝目/6Rトーセンジェミニ号★4勝目/7Rトーセンカタリーナ号★5勝目/10Rチムドンドン号★6勝目/12Rトーセンマッシモ号 9戦6勝というと勝率では約67%になるわけですが、見ている感じだと「出れば勝つ」「乗れば勝つ」という感覚ですね。 加えて6勝中1番人気が4回、2番人気が2回、終盤の方は“ここまで勝ちまくっているから”で人気が上がっていた面もあったでしょうけども、人気に応えて勝つというところも見事です。 “騎手の1日の勝利数記録”は8勝。ネットで検索するとJRAでの武豊騎手・C.ルメール騎手(※2回達成)のものがすぐ出てきますが、地方競馬でも愛知の岡部誠騎手が2019年2月に達成しています。★リンク『岡部 誠騎手 1日8勝達成!!』(名古屋競馬ニュース・2019年2月28日) このニュースによれば地方競馬での1日8勝は「地方競馬全国協会に記録のある1973年以降で地方競馬初」とのことですし、このあとに達成したという話もないようですので今の時点でこの記録が前人未踏の位置にあります。 “1日7勝”はというと、最近では兵庫の吉村智洋騎手が達成しています。★リンク『吉村智洋 騎手 1日7勝を達成(園田・姫路競馬新記録)』(そのだけいば ひめじけいばニュース・2023年1月11日) 他にも渡辺博文騎手(福山→佐賀、現調教師)が福山所属時代の2001年5月26日に1日7勝を達成。この時は7回騎乗で7勝、武豊騎手が1日8勝を挙げる前でしたので渡辺騎手の7勝は「世界記録タイ」という表現で伝えられていたようです。 余談になりますがこの時の渡辺騎手の各レースの単勝人気を見ると3番人気・2番人気・1番人気・1番人気・5番人気・1番人気・5番人気、となっているんですけども、5番人気になっている二つのレース、今出馬表を見ても5番人気に留まるような成績の馬ではないんですよね。1番人気になっていた馬とも差の無い近走。 渡辺騎手はその時点で既に地方通算1000勝を挙げており、また記録達成の前後で4度の福山リーディングにもなっている名手(のち2009年に地方通算2000勝を達成)。それにしては・・・と感じる5番人気は、例えば“そろそろ連勝も止まるんじゃないか・止まるだろう”というファン心理からの逆張りだったりしたら、ちょっと面白いなと思ってみたり。 さて。では岩手競馬では? 自分の手元にあるデータでは20年ほど遡れるので調べてみたところ、“1日6勝”は以下の3例が見つかりました。2003年12月14日/菅原勲騎手(3R・5R・6R・9R・10R・11R)※7戦6勝2017年4月1日/山本聡哉騎手(4R・6R・8R・9R・10R・11R)※6戦6勝2020年5月25日/山本聡哉騎手(1R・5R・6R・8R・9R・12R)※8戦6勝 それ以前はすぐに分かるデータが手元にないのと、岩手競馬がかつて発行していた資料類にも「騎手の1日○勝の記録」は記載が無いので正確には分からないのですが、岩手競馬では1998年まで「1日6回まで」、その後も「1日7回まで」の騎乗制限があった時期がしばらく続いた事(現在は9回まで。なお騎乗変更等で急遽増加する分は除く)からすると、“1日全勝”でしか達成できない6勝とか7勝はかなり難しかっただろうと想像できます。 実際、小林俊彦調教師や畠山信一調教師の“古株騎手”にもうかがってみましたが両人とも「ちょっと記憶にない」とのこと。可能性があるとすれば以前の騎手シーズン最多勝記録だった小西重征騎手(1970年の162勝)、村上昌幸騎手(1972年の187勝)のその年に・・・でしょうか。※8月27日追記/小西重征調教師にうかがってみたところ「自分にも周りにも ”1日6勝”のような話の記憶はないよ」との事でした。そもそもが「当時(自分がリーディングを獲った頃)はけいが速歩や騎乗速歩のレースが多くて平地は1日2つとか3つとか。平地競走が無い日もあったくらいだったからね」だそうでした。ちなみに1970年の岩手競馬の年間開催日数は84日でした。 という事で、今回の高松騎手の1日6勝は恐らく「岩手競馬タイ記録」であろう・・・と、恐らく4人目の達成であろう・・・というところまで。 まあこういう記録類はしっかり残していきたいところのものですね。 もうひとつの話題は23日に川崎競馬場で行われた重賞『スパーキングサマーカップ』。岩手から出走したヴァケーション号は残念ながら12着に敗れました。 優勝したのは船橋のスマイルウィ。昨年2着の雪辱を果たす勝利になりました。★第20回スパーキングサマーカップ/優勝スマイルウィ号 手綱を取った吉原騎手は「58kgはちょっと負担かなと思ったけれどライバルも同斤量だから差は無いだろうと。飛ばしてハナに行く馬がいればその後ろくらいで・・・と考えていたのでそれよりは少し後ろ気味だったが最後まで良い手応えで抜け出してくれた。背中が柔らかくて確かにグレード級と感じさせてくれる馬でしたね」と笑顔。 最近の吉原騎手は金沢だけに留まらず毎日のように各地を転戦するばかりか重賞を勝ちまくる日々。そんな鞍上の勢いも感じさせるような勝利だったのでは。 ヴァケーションは、スタート直後にちょっとごちゃっとして、良い位置を獲れなかったのが痛かったかなと思いました。去年のこのレースでは4着、今年勝ったスマイルウィが2着でしたがそこから3馬身+アタマ、今年の2着馬リンゾウチャネルには昨年は1馬身先着していました。新規勢力も入ってきているとはいえ今回は走ってないかな・・・という印象。★パドックで外側を牽いていたのは川崎時代のヴァケーションを担当されていた本田厩務員とのこと★パドックのミストに煙るヴァケーション★返し馬★一周目を通過するヴァケーション★ゴールと引き上げてきたバケーション、出迎えた川嶋厩務員「もう少し前の位置につけて行きたかったのですが行きっぷりがもうひとつでした。序盤で思った位置が獲れなくても中団で脚を溜めて行ければ良かったのですが、そういう競馬ができなかったのが残念でした(村上忍騎手)」「スタートでごちゃついて、それで馬の走る気が削がれたのかもしれません。まずは無事に帰ってきてくれたので次戦で頑張りたいです(畠山信一調教師)」 状態も決して悪くなかったと、むしろ昨年の参戦時よりも良いくらいだと思っていたんですけどね。もしかすると最近の過激な暑さの影響があったのかもしれませんねえ。 先の水沢でも感じたんですけども、“前走あるいは前々走くらいの走りが良かった・雰囲気が良かった”が通用しなくなっている。いつまでも続く暑さの影響が馬にもかなり出てきているように見えました。 ちょっと話がずれますが、先週(8月20日~22日)の水沢競馬、全34レースでは牡馬9勝に対して牝馬が24勝(※セン馬が1勝)でした。まさしく“夏は牝馬”な状況。 以前の猛暑の時に知り合いの厩務員さんから「ある程度暑さが続くとそれなりに慣れてくる馬も増えてくる」と聞きましたが、今年ほどのの暑さだとどうなんだろう・・・。 ヴァケーションの次走予定は南部杯になる模様です。手頃な条件の遠征レースがあれば・・・と探されているようですがなかなか無くて、という状況でもあるようです。今回は、先にも書いたように“走っていない”と思いますし、次戦での巻き返しに期待したいですね。
2023年08月24日
木曜担当のよこてんです。 いやはや暑い日が続きますねえ。盛岡も冗談ではないくらいに暑いです。まともに雨が降らないから建物も地面もすっかり熱を持ってしまって。自分の部屋は2階、屋根があぶられて余計に暑い・・・。 北東北にあたる岩手県、盛岡あたりだと「暑いのはお盆まで」とか言っていたものですけども、そろそろお盆の頃が見えてきている天気予報では今と変わらず32度だの33度だのという気温の数字が並んでおります。最近は残暑も9月一杯続くかと思うくらい長いですし、毎年の事ながらこの時期は憂鬱ですなあ・・・。 そんな真夏の盛岡競馬場には脱鞍エリアわきに臨時の“水かけ場”が置かれています。これは暑さが本格化した先々週ごろから厩舎関係者の希望によって用意されたもの。 レースから引き上げてきたばかりの馬を少しでも冷やしてあげれば熱中症の予防にも効果があるのでは。しかし盛岡でもこれだけ暑い夏が常態化するようだと、西日本の競馬場にあるような常設のシャワーとかもっと強力なミスト装置とかが必要になってくるのかもしれませんね。 さて、暑い暑い8月1日の盛岡競馬場では『ヤングジョッキーズシリーズトライアルラウンド盛岡』が行われました。終わってみれば“永野猛蔵騎手デー”とも言うべき永野騎手大活躍の盛岡ラウンドでしたね。 第1戦、7番人気の大井・大木天翔騎手フェスティヴメノコと1番人気に推されていた同じく大井・仲原大生騎手騎乗イキザマが併走の形で先行する展開。3番手以下のグループは少し離れた所でそれを追っていましたが、そこから真っ先に抜け出してきたのが2番人気・永野騎手騎乗タニマサベーカ。スリーワイドの位置から前の2頭をまくっていくと坂下で早くも先頭、そこからは差を広げるばかりでゴールでは7馬身差の圧勝となりました。■YJSトライアルラウンド盛岡第1戦/優勝タニマサベーカ・永野猛蔵騎手 2着は中団から迫ったポワンテュ(代打騎乗の塚本涼人騎手)、3着は出遅れたところから巻き返してきたJRA・小林美駒騎手のアースアワー。このアースアワーが10番人気と人気薄だった事で馬番3連単は4万7300円の好配当となりました。 1600mに距離を変えて行われた第2戦はスタート直後の先行争いを制してハナに立った永野騎手騎乗ガマンがマイペースの逃げに持ち込んだだけでなくこちらもまた最後は後続を引き離す一方の9馬身差圧勝に。逃げて上がり最速の脚を引き出されては後続もなすすべ無しの完勝でしたね。■YJSトライアルラウンド盛岡第2戦/優勝ガマン・永野猛蔵騎手 勝ち馬と雁行の形で進んでいた7番人気・大木騎手騎乗のボルドープラージュが、最後は前には引き離されつつ・後続に追い詰められつつも2着を死守。その後ろのグループから追い上げてきた大井・菅原良太騎手騎乗の5番人気ヤマショウリアンはわずかに及ばずの3着。こちらはふたケタ人気馬が絡まなかったものの2番人気→7番人気→5番人気の決着で3連単は7万1250円と第1戦よりも高い配当でした。 盛岡ラウンドを2連勝した永野猛蔵騎手。奇しくも2戦とも5枠8番、奇しくも2戦とも圧勝の形の勝利になったわけですが、第1戦の早めのマクリ、第2戦の逃げはいずれも馬場傾向も完全に味方に付けた好判断・好騎乗だったと感じました。 この8月1日の盛岡ダートは先行有利の傾向がそれ以前よりも強く、差しも伸びてこないわけではないですが勝ち負けまで迫るのはなかなか厳しいという状況。1戦目の早めに前を捉えに行ったところ、あるいは2戦目で主導権を握ったところ、この日の馬場の“傾向と対策”として完璧といえ、それをしっかりやってのけたところがさすがですよね。■ファンサービスをしてからの・・・■マスコミ向けにもしっかりポーズ 7月27日のTR川崎では11着・10着、ポイントは計2点に留まっていた永野騎手。今年が最後のYJS参戦になるかもしれない同騎手だけに、ファイナル出場の可能性を高める30ポイント×2獲得は大きな勝利にもなったことでしょう。 岩手から参戦した佐々木志音騎手は第1戦9着、第2戦8着で6ポイント獲得でした。既に複数回参加しているような若手の中でも場数を踏んだ騎手がいる中で、そんな経験を積んだ騎手たちと実質初対戦の形では不利なのも仕方が無い。次回のトライアル船橋で一矢報いるようなレースを期待しましょう。■佐々木志音騎手は地方競馬東日本地区で16位■当初出場予定だった大井・木澤奨騎手が不参加となったため、塚本涼人騎手・関本玲花騎手が代打騎乗。いずれもポイント順位に関係の無い騎乗 いわゆる“コロナ禍”明けの今年のYJSトライアルラウンド盛岡は、なんとなくですが参加騎手の間にもリラックスした空気というか雰囲気が感じられたように思います。 これまでは、特にJRAの遠征騎手がいるレースでは“厳戒態勢”な周りの雰囲気がありましたからね。少々“じゃれあって”いてもいい雰囲気、みたいなのが、そんなリラックス感につながっているのかなと想像してみたり。 参加騎手も、例えば永野騎手は今年が3回目・3年目のYJS参戦になるわけですが、複数回参加している騎手たちにはそろそろ中堅の風格も出てきていて。そういう“場数を踏んだ感”も、変な緊張感ではない、こなれた雰囲気を生んでいるのだろうと思います。 やっぱり若い騎手ですからね。気楽にのびのびと、レースの合間にはからかい合ったりふざけ合ったりしながら戦えるのが一番“らしい”ですよね。 ところで今年は佐々木志音騎手ひとりのみだった岩手からの参加騎手ですが、今、候補生が1名、競馬場実習に入っていまして、順調にいけば来春デビューになるはずです。来年の岩手からの参加騎手は2人になるかもしれません。候補生のお話もいずれ。
2023年08月03日
木曜担当のよこてんです。 今回は、7月24日に地方競馬通算1000勝を達成した板垣吉則調教師のお話を。 その7月24日、盛岡9Rを管理するキモンリッキー号が制して「999勝」とした同調教師でしたが、すぐ続く盛岡10Rをエスペルト号が優勝。連勝で一気に大台を達成しました。■板垣吉則調教師地方通算1000勝達成/2023年7月24日盛岡10R 今季の岩手競馬では調教師の通算勝利数の“大台ラッシュ”ともいうべき状況で、地方通算1000勝を達成した調教師は板垣師で今季4人目(他3名は佐藤雅彦調教師、三野宮通調教師、新田守調教師)。大きな区切り達成ということであれば1500勝を達成した村上昌幸調教師を含めて5人目。また昨季には伊藤和調教師が1500勝、千葉博次調教師が1000勝を達成しているので、この1年間ほどは本当に“記録ラッシュ”でしたね。 さて、板垣吉則調教師は2010年6月の厩舎開業。免許公布日の関係で「5月31日まで騎手・6月1日から調教師」という慌ただしい騎手引退・調教師開業となったのも今となれば懐かしい記憶。■2010年5月30日に行われた板垣吉則騎手の引退セレモニー。胴上げされる板垣吉則騎手■騎手としてのラスト騎乗は翌31日の岩手ダービーダイヤモンドカップでした■騎乗終了後にインタビューに答える板垣吉則騎手 調教師としての開業は開業準備や開催日程の関係もあって6月26日、初勝利は7月5日の水沢8R・スズノエイユウ号。調教師デビューから5戦目での勝利でしたが、その時の鞍上は吉田晃浩騎手、元上山競馬所属で後に金沢競馬に移籍、同じ日に行われた岩鷲賞に金沢から遠征に来ていた同騎手の手綱捌きによるもので、奇しくも元上山競馬所属コンビによる初勝利という形になりました。■調教師としての初勝利/2010年7月5日水沢8R。上山の後輩騎手だった吉田騎手が初勝利をプレゼント その後の活躍は実に見事という他はないもので、開業の2010年は22勝で30位、2011年は32勝で14位、2012年は49勝で11位と順位を上げていくと2013年は一気に76勝・調教師リーディング1位獲得とジャンプアップ。2015年には二度目のリーディング、それもシーズン127勝の年間最多勝利数まで達成。■2015シーズンの最優秀調教師として表彰 その後は2018年まで4年連続リーディング獲得、さらに2020年と2022年もで、厩舎開業から13シーズンで7回、調教師リーディングを獲得してきています。■調教師としての重賞初制覇は2011年のOROターフスプリント なかでも特筆すべきは2015年の年間127勝の記録。これは小西善一郎調教師が持っていた113勝の記録を45年ぶりに更新したというだけでなく、それまでの厩舎の臨戦パターンを根本から覆すくらいのインパクトがあるものでした。 開業後14シーズンで1000勝達成というのも恐らく岩手競馬史上最速でしょう(※小西善一郎調教師も早かったと思われるのですがはっきりした記録が見当たらず)。 この先順調であれば、1500勝はおろか2000勝も不可能な話ではないと感じます。調教師の様々な記録の“レコードブレイカー”になるのが板垣吉則調教師かもしれませんね。 ここでちょっと寄り道。以前にも載せた写真がありますが、騎手時代の板垣吉則調教師を少し振り返ってみましょう。 板垣吉則「騎手」は1990年10月に上山競馬でデビュー。2000年・2001年には騎手リーディングを獲得しています。 2002年にはセントメイストームとのコンビで岩手に度々遠征。クラスターCで4着に食い込んだ他、同年に行われた最初の盛岡JBC、スプリントにも出走しました。■2002年クラスターカップ、上山セントメイストームに騎乗する上山時代の板垣吉則騎手 余談ですがセントメイストームは同年の春にJRAから上山に移籍した馬ですが、地元では4戦だったのに対し岩手は盛岡水沢に5度遠征と結果的に岩手の方が出走数が多い珍しいパターンでした。当時の岩手・上山は重賞級だけでなく条件級の交流戦も多かったので起こりえたパターンだったと言えるでしょう。■上山競馬場での板垣吉則騎手 上山競馬が2003年度で廃止されたことに伴い岩手に移籍。2005年には岩手で地方通算1000勝を達成。2010年5月31日に引退するまでの通算勝利数は1328勝となっています。 あと328勝で騎手時代の勝ち星に並ぶ事になりますが、板垣吉則調教師はそういう数字よりは「騎手として20年乗ったから、調教師としても20年続けたいね」というのが今の目標だそうです。 騎手時代の末期は体調を崩すことが多くなり引退前年の2009年はシーズンで315騎乗、勝ち星も28に留まっていました。「ればたら」になりますが、板垣吉則騎手が完調の状態で騎手を続けていたならば、菅原勲騎手・小林俊彦騎手が引退した後の上位の構図も、もしかしたら違っていたかもしれません。 今となってみれば調教師としても歴史にその名を刻むような実績を残してきている板垣吉則調教師ですが、そうですね、そういうことであれば、調教師として末永く、末永くって言うのも変ですけども、無事に長く調教師として活躍し続けていただきたいと思うばかりです。
2023年07月27日
木曜担当のよこてんです。 今回は岩手でも進む2歳新馬戦のお話を。この稿を書いている時点で5頭の2歳新馬戦勝ち馬が誕生しています。それらの馬たちを紹介していこうというお題。 今年最初の2歳新馬戦は5月21日の盛岡競馬場で行われました。当日の3R、盛岡ダート1000m。勝ち馬は、今年の岩手競馬の最初の2歳の優勝馬はセイフェミニン号(佐々木由則厩舎・山本聡哉騎手)でした。■2023年5月21日盛岡3R/優勝セイフェミニン 2番手追走からきっちり前を捉え切り、最後は後続に差を詰められる形でのゴールにはなりましたが3/4馬身残しての勝利は余力を感じる内容。 同馬はその後6月20日の水沢で2勝目を挙げており、“一番最初の2歳新馬戦勝ち馬”の名にふさわしい成績を積み重ねつつあります。 セイフェミニン号は鹿毛の牝馬、父トビーズコーナー、母ヴァルール、母父ゴールドヘイローの血統で浦河・岡部雅樹さんの生産馬。半兄ダイチスマイルは笠松で1勝、全兄ダイチストリームは現笠松で未勝利。本馬の母ヴァルールの半兄ダイチヴュルデがJRA→金沢→名古屋→岩手と転戦して岩手で2勝を挙げています。■セイフェミニンの母の半兄ダイチヴュルデはJRAで2勝、岩手で2勝(19年8月24日水沢5R優勝時) そんな近親の成績から、また父トビーズコーナーというところからもダート・短距離の印象が強いわけですが、2歳戦は完成度の高さが武器になる部分もありますし、この先でどんな走りを見せてくれるか?はひとまず距離を問わず注目でしょう。 2頭目の新馬勝ち馬は6月4日の2R、水沢ダート850mを勝ったフジユージーン号(瀬戸幸一厩舎・村上忍騎手)。■2023年6月4日水沢2R/優勝フジユージーン ゲートを出た瞬間こそ他の馬が少し速い感じでしたがそこからの加速で楽に他を引き離すと3角手前で、850m戦の3角手前でもうクルージングに入るくらいの余裕。そこからはゴールまで持ったままの大差勝ちはなかなかに強烈なデビュー戦でしたね。 フジユージーン号は黒鹿毛の牡馬、父ゴールデンバローズ、母デザイナー、母父スウィフトカレントの血統で新冠・村上牧場の生産馬。昨年の北海道オータムセールでの購買馬でした。 母のデザイナーも岩手でデビューした馬でその新馬戦では1番人気に推された馬でしたが残念ながら勝ち星を挙げることなく2戦0勝で繁殖入り。フジユージーンの半兄にあたるロイヤルウィーブがJRA未勝利→岩手と移って岩手で4勝を挙げています。 また父のゴールデンバローズは今年が産駒デビューの新種牡馬。本馬が父の産駒の初勝利ともなりました。■フジユージーンの母デザイナーは岩手デビューの馬(15年8月16日盛岡4R2歳新馬戦出走時)■フジユージーンの半兄ロイヤルウィーブは岩手で4勝(22年6月26日盛岡3R優勝時) デビュー時526kgの馬格を持ち、それでいて初戦から高い完成度の走りを見せた本馬は陣営や手綱をとった村上忍騎手いずれからも「ちょっとモノが違う」という評価をうかがっております。このあとは順調であれば芝重賞路線に向かう模様。もちろん2歳戦線だけでなく来年の3歳戦線での期待も高い馬だと言えるはずです。 3頭目の新馬勝ち馬は同じ6月4日の3R、水沢ダート850mを勝ったリトルカリッジ号(菅原右吉厩舎・陶文峰騎手)でした。■2023年6月4日水沢3R/優勝リトルカリッジ ひとつ前のレースの印象が強烈だっただけにその影に隠れた感じもありますが、なかなかどうしてこちらも良い走りを見せています。2着馬と競り合いながら結果的には直線だけで4馬身差を付ける手堅い勝利。レースセンスの高さは十分に感じさせてくれましたね。 実際、2戦目は盛岡ダート1200mに転じて大差勝ち。デビュー戦は本来のデビューになるはずだった5月21日の新馬戦を競走除外(※発売開始後の当日出走取消)となって、その影響も懸念された中での勝利でした。余裕を持って挑んだ二戦目の走りの方がこの馬のより本来の力だ・・・と言えるのでは。 リトルカリッジ号は鹿毛の牝馬、父アジアエクスプレス、母ブレイヴフィート、母父はキングカメハメハ。日高・下河辺牧場の生産馬。祖母のグローバルフィートが2003年の三冠牝馬スティルインラブの半妹にあたります。 父がアジアエクスプレスですからあまり長めの距離は・・・でしょうが、マイルあたりまでの強さは証明済みの父でもあります。兵庫で走る全兄のエコロジェネラスが1400mから1700mまでの間で好走しているのが参考になりそうですね。 どんどん行きましょう。4頭目は6月18日の水沢3R、ダート850mの新馬戦。優勝したのはミヤギヴァリアント号(菅原勲厩舎・村上忍騎手)。■2023年6月18日水沢3R/優勝ミヤギヴァリアント スタートからのダッシュでハナに立ち直線はしっかり追って後続を完封。大差勝ちにこそならなかったものの10馬身差なら十分に圧倒的と言っていいものでしょう。 ミヤギヴァリアント号は栗毛の牡馬。父モーニン、母ナトゥーラ、母父フジキセキで日高・道見牧場の生産馬で2021年北海道サマーセールでの購買馬。母は2015年留守杯日高賞を制したホレミンサイヤの半姉、また母の半姉ウイニフレッドは今年の東海地区の“無敗のダービー馬”セブンカラーズの母です。さらには本馬の半姉ヤマショウデリーヌが現在岩手で走っていますね。■半姉ヤマショウデリーヌは門別→岩手と進んで岩手で1勝(22年10月23日盛岡1R優勝時) デビュー戦の勝ちタイムは稍重51秒4、先の2頭が同じ稍重で51秒7・52秒1。横並びでは上位、ただフジユージーンは追っていないタイムですからね・・・と、今の時点ではなるわけですが、まだ緩さの残るいかにも2歳馬らしい身体ながらこれだけ走るのですから素質は高いと判断したいもの。村上忍騎手も「まだ身体ができていない。成長してくればもっと走るようになる」と評価していた点は覚えておきたいところ。 5頭目の勝ち馬は今季最初の芝の新馬戦勝ち馬になりました。7月2日の盛岡3R、芝1000mを制したカリフィア号(櫻田康二厩舎・山本政聡騎手)でした。■2023年7月2日盛岡3R/優勝カリフィア ゲートが開いた瞬間、一瞬遅れたもののすぐに巻き返してハナに。その分か、最後は少し脚が止まったようにも見えましたが、それでも2着に2馬身差の危なげない勝利。稍重59秒1の勝ちタイムも優秀。 カリフィア号は鹿毛の牝馬で浦河・猿橋義昭さんの生産馬。父カリフォルニアクローム、母アンフレシェ、母父マンハッタンカフェの血統です。 曾祖母のセカンドチャンスがテイエムメガトン(97年ダービーGPなど)の全妹なんですけども、遡っていくとフロリースカップに行き当たるバリバリの小岩井牝系の出・・・というところが凄く良いですし、そういう馬が岩手で新馬勝ちというのも良いですよねえ。 本馬は北海道トレーニングセールで税込み1760万円、今年のセールでは3位タイの高額で購買されました。その金額との比較でどうしても見られてしまう部分があるのですけども、最初のひとつが勝てずに終わる馬もたくさんいる中でしっかり勝てたという点、それだけの力を備えていたという事は高く評価して良いものだと思います。 今年の2歳戦は例年より馬の質が高そうな印象を受けます。馬体がよくまとまっていてバランスの良い馬が多い気がしますね。これは自分だけでなく厩舎関係者の方も同じ印象を持たれている方が多いように思います。 現時点ではあくまでも相対的な印象ですけども、でも新馬戦を勝てなかった馬たちでもいずれひとつふたつは勝ちそう・・・と感じる馬は多いように感じます。 絶対的な評価という事になると今後門別からの移籍馬が増えてきてからどう変化していくか?になるわけですけども、来年からの全国的な路線改革に先立って今年から実質スタートする2歳路線、そこで地元生え抜き馬が覇を競い合ってくれればいいですよね。新馬戦を勝った馬たちを始め地元デビューの2歳馬たちがこの先順調に成長し、戦っていけることを楽しみにしています。
2023年07月06日
木曜担当のよこてんです。 溜まってる分がありますがまず今回は帝王賞のお話。メイショウハリオが“帝王賞史上初の連覇達成”な話題から。★帝王賞優勝/メイショウハリオ 史上初と聞いて実は「あれ?そうなんだ」と思ったりしました。歴代成績を見てみるとフリオーソ(08年と10年)やホッコータルマエ(13年と15年)のように隔年で2勝している馬こそいるものの「2年連続の連覇」は確かに初めて。 同じコース・距離の東京大賞典の方は、オメガパフュームのように4連覇もした馬を筆頭にアジュディミツオー、スマートファルコン、ホッコータルマエと連覇を達成した馬がいます。東京大賞典→帝王賞→東京大賞典のような流れで連勝している馬も珍しくないんですけどね。 余談ですが、アブクマポーロって何もかも勝ちまくったような記憶しかないですが、意外にも帝王賞も東京大賞典も1勝ずつ、そもそもそれぞれ2回しか出走してないんですね。 そうかと思うとボンネビルレコードみたいに6回も出走している馬もいる。 閑話休題。帝王賞に連覇した馬がいなかったのはどうしてなのか?と考えてみました。結論らしき結論までは行き当たりませんでしたが、ここでは敢えて時期的なものを主張してみたい。 冬の東京大賞典は“冬の傾いた陽が当たる、乾いた馬場でのレース”の印象が強いように状態のいい馬場で行われることが多い。一方の帝王賞は梅雨時期で重・不良になることが多いですよね。表面が乾いて見えても下はじっとり・・・という馬場状態は、自分の経験からも多かったと感じます。そんな馬場状態の違いからの合う合わないの影響が、あるいはレース展開自体に与える影響が、結構あるんじゃないかなと思ってみたり。帝王賞はキレ、東京大賞典は息長いパワー、みたいな。 ローテーションの影響も確かにあるのでしょう。だから来年の川崎記念が4月に、名古屋グランプリが5月に移動してこの辺のラインを強化するんだと思います。 メイショウハリオについては、やっぱり馬が充実していると感じますね。かしわ記念の時もパドックを見ていて思いましたが去年の帝王賞どころか秋頃に比べてもだいぶ印象が変わった。★↑去年の帝王賞でのメイショウハリオ ↓今年。トモ周りのボリュームがひとまわり増した印象 今回のレース後、岡田調教師に“イメージに対してどれくらいの完成度ですか?”と訊ねてみたのですが答えは「ほぼほぼ完成形」。今が一番いい時期なのだろうと思って見ていて良いんだと思います。 コリアカップ参戦の話は今後の目標の話の中で出てきたもので、これも岡田師の話をひけば「JRAG1も勝ちたいが、海外にも遠征したい。韓国は近くて遠征しやすいから“海外慣れ”するにもいいんじゃないか」という意。そんな流れであれば来春の中東遠征組の中にこの馬の名前が入っている可能性は十分にあるという印象でしたし、何よりそうしていろいろな路線に行けると陣営が感じているくらいメイショウハリオが力を付けている・・・ということを覚えておきたいですね。 さてふたつ目の話題は“もうひとつの馬像”。 OROパークのゲートを入るとすぐ正面にある馬像。競馬場のシンボルとしても親しまれているアントワーヌ・ブールデル制作のこの馬像なのですが、日本にもうひとつあることをご存じでしょうか? ・・・というお話。 群馬県の高崎駅からバスで20分ほど。郊外の森の中にある『群馬県立近代美術館』にそれはあります。建物正面の広場に置かれた『巨きな馬』と題された馬像がそれ。★1990年寄贈とあるのでOROパークのよりは先に設置されていたのか こちらもやはりアントワーヌ・ブールデル制作。台座の有無の違いとそれによる見え方の違いはあるものの、そして周りの景色の違いもあるとはいえ、自分には親近感しかない姿。★木立に囲まれているのと台座が低いのでぱっと見の印象はずいぶん異なります 群馬県のWEBサイトによればこちらの馬像のサイズは高さ450cm・長さ400cm・幅185cm(※台座除く)とあります。OROのは正確なサイズを記載した資料が見つからなかったですが、見た感じ同じサイズだと思いました。 OROのは台座上にあって見上げる形になります。群馬のものは実質地上にある形なので非常に近い。そんな違いはあるものの、表情や馬装、身体の筋肉のうねりまで何もかも見慣れた感覚ですねえ。★↑群馬 ↓ORO★↑群馬 ↓ORO 種明かしをすると、この馬像は元々はアルゼンチンのカルロス.M.デ.アルヴェアル将軍の記念碑制作コンペに参加したアントワーヌ・ブールデルが、記念碑用の像を10年近くかけて構想する中で制作した“馬部分の習作”。同型の馬像は、やはり群馬県のWEBサイトによれば「この作品は他に、フランスに1点、アメリカに3点、韓国に1点の合計5点あります」(https://www.pref.gunma.jp/page/12103.html より)とされています。 ネットでざっと探してみたところ、フランス・パリにある『ブールデル博物館』の1点、アメリカ・ダラスの公園にある1点、そして韓国の『湖岩美術館』というところにある1点が見つかりました。アメリカのもうひとつのものの画像は見つかったものの場所がよく分からない。残念。 日本にも、盛岡にもあるよね~というところはさておき、ブロンズ作品には同型のものが複数あったりして、ブールデルの作品で有名な「弓を引くヘラクレス」などは計18点制作されたとのこと。鋳造なので同じ型から同じものを作ることができる。 ちなみに「本体」というべきカルロス.M.デ.アルヴェアル将軍記念碑はアルゼンチンはブエノスアイレス市のフリオ・デ・カロ広場にあるそうですが、それは馬だけでなく将軍本人も乗った状態でして、高い台座の上に立っていることもあって印象がだいぶ違います(参考/https://en.wikipedia.org/wiki/Monument_to_General_Carlos_M._de_Alvear )。 その記念碑の画像を見ると、OROや群馬の馬像にある首のところの線(?)は手綱が首に接している部分を作ってあったんだな・・・と分かったりしますね。★こちらは巨きな馬の近くに置かれているブロンズで、群馬県の彫刻家・分部順治作『飛翔』。日本の馬だな、という感じがする。巨きな馬はいかにもヨーロッパの馬 群馬県にある“兄弟”馬像。お時間があればぜひ一度ご覧になってみてください。群馬県立近代美術館のWEBサイトはこちら。★群馬県立近代美術館(群馬の森)に向かうバス『ぐるりん』は旧高崎競馬場跡地(現「Gメッセ群馬」)の近くも通ります。こちらもお時間があれば
2023年06月29日
木曜担当のよこてんです。 先週は東京のダービーのお話でした。今週は、もちろん岩手のダービーのお話。 6月11日にに行われた岩手のダービー『東北優駿(岩手ダービー)』は2番人気のミニアチュールが優勝、牝馬にして岩手の3歳クラシック二冠を達成しました。★東北優駿(岩手ダービー)優勝 ミニアチュール “一冠目”のダイヤモンドカップが終わった時点では“二冠目”東北優駿は無風というか、ダイヤモンドカップの上位馬による再戦気配が濃厚と考えられていました。 ミニアチュール、リッキーナイト、スノーパトロール。ダイヤモンドカップは結果こそミニアチュールの勝利で幕を閉じたものの、勝負所から直線半ばまで馬体を併せる位置で食い下がり続けたスノーパトロール、そんな前の二頭の隙を突くかのように猛然と追い上げたリッキーナイトのレースぶりも目を惹くものがありました。 東北優駿は1600mから2000mに距離延長。そこでこの構図が、この着順着差がどう変わるのか?変わる可能性も十分にあるのではないか?と感じさせたのがダイヤモンドカップのレースであり、その直後の雰囲気でもあったと思います。 そこに飛び込んできたのが南関からの移籍馬・ロッソナブアの登場。そして鞍上に御神本訓史騎手を配するという情報。さらにはダイヤモンドカップでミニアチュールの手綱を取っていた山本聡哉騎手が負傷のためここでは騎乗できないという状況も発生。レース直前になって事態というかレースの前提条件のような部分も二転三転して、とても“無風”とはいえない戦前の状況になっていました。 一番の注目はロッソナブア・・・ということになりましたよね。門別でのデビューが8月後半と遅めだったこともあって現地での重賞戦線には間に合わなかったものの、デビュー戦・2戦目ともに高い評価を与えられていた素質馬。南関に移ってからも重賞への出走はありませんでしたが重賞級の相手と互角に渡り合っており、備えた性能はこの馬も“重賞級”という評価が妥当・・・になるのはごく自然。 ロッソコルサの半弟という点も注目度を高めたでしょう。そのロッソコルサは2012年の不来方賞・ダービーGPを制し、年末のグランプリ・桐花賞も3歳馬にして優勝。その年の年度代表馬にも選ばれた馬。古馬になってからは休養が多くなり、結局3歳時の輝きまでは取り戻せませんでしたが、しかし4歳秋の青藍賞を制しているのですから地力はやはり高い馬でした。★ロッソナブアの半兄・ロッソコルサは12年の年度代表馬に選ばれる活躍を見せた(写真は12年ダービーGP) そして鞍上がね。つい水曜日には東京ダービーを勝って勢いにのる御神本騎手。人気するなと言う方が無理がありますよねえ・・・。 反対側の、ライバルの方から見ると、それが闘争心をよりかき立てた面も確かにあっただろうと感じますね。それがミニアチュール・山本政聡騎手の真っ向勝負ぶりにも表れたのではないでしょうか。 ピラヴロスが逃げる、ロッソナブアが2番手あたりに付ける。この辺の位置取りは自分の想像の通りでした。少し違ったのは、自分は同じくらいの位置にスノーパトロールがいてミニアチュールはその一列後ろ、そこで前を見つつ後ろにいるだろうリッキーナイトを警戒するだろう・・・と思っていたのが、ミニアチュールが序盤からロッソナブアの直後・外に付けた点。 一周目のスタンド前を通過していく馬群、ミニアチュールの位置を見て“強気だ”と感心すると同時に“大丈夫なのか?”と思ったのが正直なところ。★一周目スタンド前を通過する馬群。ピラヴロスが逃げロッソナブアが2番手。ミニアチュールはその外3番手で真っ向勝負の位置に付ける しかし2周目の向こう正面半ばすぎ、ロッソナブアに外から被せていくミニアチュールは、ロッソナブアの手応えが怪しくなっているにしてもひたすら強気・強気。ねじ伏せにいったのかと、そこまで真っ向勝負で勝とうというのかと、何というか見ていて息を呑むというか息が詰まるというか、直線にいたる攻防を見ていた時の自分の胸の高鳴りは先日の東京ダービーの直線を見ていた時とかわりがなかったですね。 ここまで“徹底的に勝つ”競馬をするのかと。いやこれは本当に見事だった。★引き上げてきた山本政聡騎手のけれんのない笑顔。いかに嬉しい勝利だったかがわかる レース後のインタビューの際、山本政聡騎手も佐藤祐司調教師も感極まったのか言葉に詰まりかけるようなシーンがありました。 そういうところはあんまり無いお二人だと思っていたんですけどもね。それくらい力が入る一戦・想いのこもった勝利だったのだろうと思います。 ただ、勝ったミニアチュールから4着スノーパトロールまでがざっと5馬身。そのうちの4馬身はミニアチュールが抜群の競馬をしたから生まれた差であって、この辺の着差が各馬の力の差だと判断するのはまだ早いでしょう。 それぞれの馬に“勝てる世界線”があったはずで、今回はこのような結果になりましたが、これからのそれぞれの成長や変化によっては勢力図も変わってくる。そんなふうにも思います。 ただ。もう一度“ただ”を重ねますけども、ミニアチュールってセンスの良さで勝つタイプだと思っていましたが、今回のような力尽くでねじ伏せるような競馬をしてそれで2000mを乗り切れるような底力があるところを見せた。ミニアチュールがもっと強い馬だという可能性も十分にあるとも思いますね。 いずれにせよ秋が楽しみです。★2着リッキーナイト。「序盤からかかってしまって。あれだけかかっていながらあれくらい走っているからたいしたものです。距離が伸びたら逆転もできるかもと思って挑みましたがミニアチュールは勝負所で持ったままでしたからね。いろいろ含めて今回は完敗です(高橋悠里騎手)」★3着ロッソナブア。「先行して2番手に付けるのは理想の展開だったけど、2000mはちょっと長いのかもしれない。それでも最後までよく頑張って走ってくれたと思います(御神本訓史騎手)」 各地の“ダービー”が次々終わって、“無敗のダービー馬”や“連対を外していないダービー馬”が次々現れているのが凄いなと思うんですけども、“ダービー路線”が来年は違う形になるだろう、今の形は今年で最後だろうという年にこれだけドラマチックな戦いが各地で繰り広げられているのを見ると、なんかもったいないなあという気持ちにもなってしまいますね。 勝ってウイニングランとか、今年は多いじゃないですか。山本政聡騎手もそうでしたけども。 来年以降も各地の3歳三冠路線は残るかもしれません、残るでしょうが、そこに「ダービー」と付くレースは無いはずです。“実質的にダービー”というレースはあるでしょうが。 もしかすると最後の各地のダービー。各地の関係者も心中期するところをもって挑んだ・・・というとオーバーかもしれませんが、なんとしても勝ちたいという強い思いが生まれてしまう今年だったのかもしれません。 やっぱりダービーというレースは馬に関わる人々にとって特別な意味合いがあるんですよね。 ダービーって、やっぱり良いなあ。
2023年06月15日
木曜担当のよこてんです。 今回の話題はまず東京ダービーのお話から。 昨年発表された『全日本的なダート競走の体系整備について』で衝撃をもって受け止められたのが3歳ダート三冠体系の整備でした。 羽田盃→東京ダービー→ジャパンダートクラシック(現在のジャパンダートダービー)のJpnI三冠を中心に置いておのおのの前哨戦路線もグレードレース化で整備。例えば岩手ではダービーグランプリが無くなる一方で不来方賞がJpnIIになるという大きな変化が、来年度の2024年にやってきます。 それだけでなく古馬のグレードレースにも条件変更や日程移動、開催場の変更等が加えられるものが多くあって、“この実施条件としては・このレース名としては、今年で最後の・・・”というフレーズが、南関東に留まらず全国各地で耳に入ってくる2023年になってもいます。 来年度からはJpnI、JRA勢を交えた全国交流重賞になる東京ダービーも“この形としては最後の東京ダービー”。来年からの形が実際どんな構図になるのかはよく分からないですけれど、先々「地方馬だけの最後の2023年東京ダービー」という言われ方をするかもしれない一戦。どの馬がその冠を手にするか?は普段は岩手にいる自分にも気になるところでした。 いやしかしミックファイア強かったですね。道中2番手追走から4角で早々と先頭、パドックや返し馬でのうるささが一瞬目に浮かびましたが、それも鞍上の御神本騎手がちらっと後ろを確認するのが見えた瞬間まで。「あ、手応え十分なんだな」と、ファインダー越しにミックファイアを見ながら思いましたね。 そこからは自分はただ良い構図を探しながら撮るだけ。最後までまっすぐ、余力も十分。6馬身差というだけでも十分凄い圧勝といえますが、見ていた感じはまだまだ余裕が、余力がある走りだったように思います。★東京ダービー優勝ミックファイア/ガッツポーズ前のコマ。★パドックではえらくうるさいところを見せていたミックファイアでしたが、現地トラックマンたちによれば「羽田盃よりずっとマシ。羽田盃ではそれであの勝ち方だったのだから、今回も気にしなくていい」とのこと。うるさいながらもバネの良さは確かに感じました 勝ちタイム2分4秒8は2007年アンパサンドの2分5秒0を上回るレースレコード。2004年アジュディミツオー以来の「無敗の」東京ダービー馬。2014年ハッピースプリント以来の羽田盃・東京ダービー二冠馬。「デビューから無敗の二冠馬」となると2001年トーシンブリザード以来。そして「大井デビュー・大井所属馬の東京ダービー制覇」は1996年セントリック以来。さらに言えば名手・御神本騎手をして初めての東京ダービー制覇。・・・凄いなと、こうやって書き連ねてみるとそう思うばかりですね。 もちろん、レース体系が異なっていたり、あるいは近年は「門別でデビューして3歳は南関」というパターンが中心だったりもしましたから例えば「無敗の○○」のような言い方は単純な横並びで比べられないのでしょうけども、まあでもやっぱりロマンがありますよね「無敗のダービー馬」って二つ名は。将来種牡馬になった時にもそのフレーズだけで売りになるでしょうし。 終わってみればミックファイアが“勝つべくして勝った東京ダービー”。そういうと語弊があるかもしれないですけども、何年か経って東京ダービーを振り返った時、歴史の流れの中でこうなるべくしてこうなったレースだったと誰もが思うのだろうと、自分はそう思います。 そして。表彰式に立つ三野宮勇調教師補佐。おめでとう!ダービーに出るのなら晴れ姿を見ることができるかなと思って急遽向かうことにした東京ダービーでしたが、本当に見ることができるとはねえ・・・。いや良かった良かった。★渡邊調教師・馬主の星加さんもおめでとうございました。このチームはセイカメテオポリスも大活躍。渡邊調教師から「この一ヶ月くらいは渡邊厩舎が渡邊厩舎じゃないみたい!」と冗談が飛び出すほどの大活躍 さて。岩手にもダービーがやってきます。今週末の11日に行われる『東北優駿(岩手ダービー)』。この記事を皆さんが読む頃には枠順も決まっているでしょうからそれを見ていただきつつとして注目点はやはりここ“牡馬の逆転はなるか?”。 昨年の2歳重賞から今季ここまでの3歳重賞において地元馬の勝利は全て牝馬・・・という、今年の3歳戦線はこれまでにないような偏った構図になっています。それも勝ち馬だけでなく“牝馬が上位独占”という結果も多い。その方が多い。昨年のビギナーズカップなどは出走馬が全て牝馬だったりもしましたし、とにかく牡馬の強豪が出てきていない状況です。 ここまでのレースを眺める限り牝馬のミニアチュールが実績で勝ると言う他はない構図。同馬にとっては2000mをいかに乗り切るかが最大の焦点になるのかもしれませんね。 しかし、ここに来て“刺客”になるだろう牡馬が現れてきました。 まずピラヴロス。デビューは今年4月11日。まだまだ成長途上という馬体印象でありながらレースぶりはまさに地力が違うという圧勝。そこから3連勝を挙げてなおまだまだ成長中・良化中という伸び代の大きさを感じさせる存在です。 今回出走するとしてここはいくら牝馬が多いと言ってもそれは多数の激戦を経験してきた馬たち、下級条件からいきなり・・・というのはそうそう簡単な話ではないでしょうが、今回どうこうというのに留まらず先々の楽しみは大きい馬だと思います。 そしてロッソナブア。以前から岩手移籍の噂を耳にしていたのですがいよいよ菅原勲厩舎からの出走になる模様。 8月中旬の、門別では遅めのデビューでしたが、そのデビュー戦は専門紙の本命、1番人気に推されて4馬身差完勝と文句ない結果を残していました。 門別で2戦して南関に移籍。ここまで重賞には出走しておらず一線級と言われる馬たちとの比較がまだ難しいですが、例えば二走前の船橋・花見月特別では門別で重賞勝ち・東京ダービー7着にもなっているオーマイグッネスに先着しているように重賞級の相手と互角に戦えている手応えがあります。★3月15日・船橋の花見月賞出走時のロッソナブア 同馬は2012年ダービーGPなどを制したロッソコルサの半弟。母のベラミカントリーがベラミロードの半妹で、ロッソコルサもそうでしたが本来はマイルあたりの適性が高そうな血筋ですが、ロッソコルサは3歳時に不来方賞・ダービーGP・桐花賞と3連勝していますしね。ここはその兄が果たせなかった三冠の夢を弟が追う・・・というストーリーを描いてみたい気がします。鞍上にも注目。 ところで、ダービーグランプリが今年限りなわけですが、その他の“ダービー”はどうなんでしょうね。噂では「“ダービー”というワードを(三冠路線以外では)使ってはいけない」と聞きましたが、“岩手ダービー”とかもNGなのか、“優駿”と言えばOKなのか。はてさて・・・。★東京ダービー後の一コマ。見学に来ていた候補生達からの質問に答えたあとは一人一人と握手する御神本騎手。目の前であんな凄いレースを見せられた後でその鞍上とこうして会えるのは、一生記憶に残るだろうなあ
2023年06月08日
木曜担当のよこてんです。 今回の話題はまず、5月23日の盛岡競馬場で行われた『地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップ ファーストステージ』から。★『地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップ ファーストステージ』出場騎手集合写真 かつてはSJT、スーパージョッキーズチャレンジと呼ばれ、2018年から地方競馬JCSとなりました。昨年は佐賀・浦和での開催、一昨年はコロナ禍により実施無し、その前の2020年はワールドオールスタージョッキーズとは切り離して盛岡での2戦のみの地方競馬騎手対抗戦として行われました。本来の形での地方競馬JCSが盛岡で行われるのは2019年以来4年ぶりという事になります。 そういえば、その2019年はチャレンジステージ、各地のリーディング2位騎手が本戦を目指して戦う前哨戦からの2名分の出場枠があってフルゲート14頭での実施でしたね。2020年からそれがなくなって各地区1名・フルゲート12頭になっているから、2019年ともまた少し違う・・・というべきかも。 さて、結果から行きますとファーストステージ第1戦はチベリウス号に騎乗したホッカイドウ・落合玄太騎手が、同第2戦はプリンスチャーム号に騎乗した浦和・福原杏騎手が優勝。今回は1戦目の上位と2戦目の上位がわりとざっくり入れ替わるような接戦となって、結果1戦目8着・2戦目1着の福原騎手が、1戦目1着・2戦目11着の落合騎手を僅差で凌いでファーストステージ優勝を果たしました。★第1戦優勝はチベリウス号に騎乗した落合玄太騎手(ホッカイドウ競馬)★第2戦優勝はプリンスチャーム号に騎乗した福原杏騎手(浦和) 福原杏(ふくはらまい)騎手は地方競馬JCSには2020年に次いで2度目の出場ですが、先も触れたようにその年はイレギュラーな開催だったのでワールドオールスタージョッキーズを目指す戦いに挑むのは今回が初。 現在は門別で期間限定騎乗中の同騎手は盛岡に来る前日、この23日も行われていた北海道トレーニングセールの会場・JRA札幌競馬場を訪れて、歴代優勝騎手の手形を見て「自分もこういう高みを目指したいという気持ちになりました」と語っていました。 2019年デビューの福原騎手、岩手では岩本怜騎手と同期になる若手騎手なのですが、佐々木竹見カップ、全国のリーディングジョッキーが腕を競うその戦いには既に2度出場しています。2020年の竹見カップ(山本聡哉騎手が総合優勝した年)には4位に入っていますね。もう若手というよりはトップクラスのジョッキーに迫っているようにも見えますねえ。★今年の佐々木竹見カップに出場した際の福原騎手★表彰式の前にポーズをとらされている(笑)福原騎手 まだ前半戦が終わったばかりで気が早い、早すぎる段階ですが、もし福原騎手が地方競馬JCSを優勝すればSJT時代を通じて最年少のチャンピオンとなります(現在2位の落合騎手が総合優勝しても同様。今回の出場騎手の中でシリーズ史上最年少優勝者になり得るのは笠松の渡邉騎手を含め3名)。気が早すぎますけどね、ただこういう若い騎手がベテラン騎手以上に躍動するのを楽しみにするのもこういうシリーズの醍醐味でしょう。★落合騎手が騎乗して優勝したチベリウス号の担当は村上朝陽厩務員。2人は競馬学校の同期で、この組み合わせが決まって朝陽厩務員は大喜び!、勝って大喜び!でした★笠松の渡邊騎手は「盛岡まで来て初めて“札幌に繋がるシリーズ”だと知りました」と告白。それくらいひょうひょうとしているのが逆にすがすがしい(笑) しかし今回は本当に接戦になりました。1戦目優勝の落合騎手は2戦目11着、1戦目2着の高知・宮川実騎手は2戦目9着だったり、あるいは2戦目2着の金沢・青柳正義騎手は1戦目が10着、同じく2戦目で3着だった兵庫・吉村智洋騎手は1戦目が12着。両方で掲示板を確保したのは笠松・渡邉竜也騎手のみという、綺麗に上下反転した形。 なのでポイントも、福原騎手が34P、落合騎手が31Pと1着30Pを取った両名が抜け出しているものの、3位以下は22Pが2名、16Pが4名もいる大接戦。次回・園田のファイナルステージで1+掲示板確保くらいのポイントを取れたなら・・・と考えれば、現時点でのほとんどの騎手に総合優勝のチャンスが残っているのでは。 例えば2015年のSJT覇者となった金沢の藤田弘治騎手なんか、前半戦で足切り敗退(SJT時代は前半戦の出場14名から2名が脱落するルールでした)だと思い込んでそれこそ“敗戦の弁”を話していたところに「ギリ通過したみたいですよ」→「後半戦連勝で札幌行き切符獲得」でしたものね。ここでは“まだまだ分からない”と言っておくのが正解なのかもしれません。★パートナーを愛撫する福原騎手。「外国の騎手みたいにキスするとかどう?」というと「・・・それはちょっと・・・」 もうひとつの話題は21日に行われた岩手での今季最初の2歳新馬戦・・・のゼッケンのお話。勝ったセイフェミニンとか出走馬たちのお話を急ぎ足でするのはもったいないので別の機会にするとして。さてゼッケン。レース名・馬名が入っていたのにお気づきだったでしょうか?★5月21日盛岡3R、今季最初の2歳新馬戦。馬名・レース名入りゼッケン登場★昨年までは条件戦と同じ白ゼッケン(写真は22年5月21日水沢3R新馬戦のケープライト) 2歳新馬のゼッケンに馬名等が入ったのは岩手競馬では史上初かと思われます。 どういういきさつで・・・というところが気になるのですが、岩手競馬独自ではなく、全国一斉にこういう方向になったようですね。 皆さんもご存じのように来年から3歳ダートの路線が大きく変わります。今年も、その前段階として2歳戦線が改革されて今年はまず「ネクストスター競走」が各地に生まれるとかという事も耳にされているかと。そんな大変革を控えて2歳馬の注目度を上げていこう・・・という目的からの名前入りゼッケンだった模様。 “2歳馬のメッカ”ホッカイドウ競馬でも、昨年まではスーパーフレッシュだけだったのかな?新馬戦の名前入りゼッケン、今年は拡大されていますよね。その他の地区でも同様です。 地方競馬で馬名入りのゼッケンが出てくると“スペシャル感”が増しますものね。2歳馬のレースの注目度を上げるというだけでなく馬主さんや関係者のモチベーションアップにもつながるのではないでしょうか。 自分はレースの写真を撮るので、“いつか将来ダービーを勝った馬”の2歳時のレースの写真が、しっかり馬名の入ったゼッケンと共に残るのは、非常に助かるし良いことだとも思いますね。
2023年05月25日
木曜担当のよこてんです。 いやもう変な天気ですね。先週(8日とか)は盛岡に「雪」予報が出て競馬場では実際うっすら積もったりするわ、長袖+上着でいても寒く感じるわで冬に戻ったのかと思ったものですが、昨日・今日(17日18日)は30度超え!岩手県内各所では5月の観測史上最高気温更新なんていうニュースになりました。 3月下旬に半袖で良いくらい気温が上がって桜も史上最速で咲いたかと思ったら4月半ばからは一転してストーブを付ける事に。5月に入っても暑い-寒いの繰り返し。先週は盛岡競馬場にいて息が白くなったんですが・・・。 天気予報によればこの先は気温高めに推移するようですけど、梅雨になるとまた寒くなるんだよなあ。今年の夏とか冬とかどうなるんだろう・・・。 さて、今回は『三野宮通調教師地方通算1000勝達成』の話題です。5月15日の盛岡競馬第3レースでエイシングラール号が逃げ切りV、同馬を管理する三野宮通調教師はこの勝利で地方競馬通算1000勝達成となりました。★三野宮通調教師、地方通算1000勝達成! 今シーズン、3月は2開催で4勝、4月の水沢開催は同じく2開催で6勝だった三野宮通調教師。必ずしも“絶好のスタート”ではなかったかもの水沢開催でしたが、盛岡に移ってからは1回盛岡で7勝、2回盛岡では前半だけで6勝と“二の脚”のダッシュが猛烈。記録達成時点では盛岡に移ってから7日と1レースでの11勝目だったのですからその勢いは見事なものでした。 岩手の調教師さんの場合、一開催5勝いけばなかなかの活躍、それ以上いけば大活躍という感じですし、管理馬のクラスによって前半週・後半週のどちらかに勝ち星が偏る・・・という事も珍しくありません。三野宮通調教師の場合は4月の水沢開催最終週から好結果が続いていて、結構レアなパターンと言える活躍ぶりなのではないかとも思います。残りわずかで足踏みせず一気に突き抜けたところも見事です。 三野宮通調教師は2001年4月の調教師デビューですので今年が23年目になります。初出走は2001年4月21日の水沢2R・パーソロングリンでこの時は9着。しかし2戦目の同年4月28日水沢3R・ドリームチェイスで初勝利を挙げました。★2008年、ワタリシンセイキでビギナーズカップを制した際 重賞初制覇は2005年のジュニアグランプリ・マツリダアーティス。一番直近の重賞勝ちは2021年、ナイトオブナイツで制したいしがきマイラーズですね。★2021年のいしがきマイラーズをナイトオブナイツで優勝。同馬は同年の最優秀ターフホースにも選ばれました 三野宮通調教師と言えば騎手時代の事を覚えておられるファンの方もまだまだ多いのではないでしょうか。 三野宮通騎手は1977年4月デビュー、2000年の引退まで(正確には2001年1月7日が最終騎乗)24年間で1378勝を挙げています。キャリアの終盤はアラブで活躍した印象が強く、実際かつての古馬アラブの主要重賞(金蹄賞・アラブ王冠・アラブ大賞典・紫桐杯)は何度も優勝。しかしサラブレッドでも主な重賞はほぼ制しています。桐花賞だけ縁がなかったですね。★1995年11月、旧盛岡競馬場最終日。JBISによると8Rのイイデダッシュに騎乗する三野宮通騎手★2000年、騎手として挑んだ最後の桐花賞での三野宮通騎手。パートナーはミヤシロブルボンでした 騎手時代は「豪腕」と言えば三野宮通騎手か西康志騎手かと目された存在で、それは“サラよりズブい”と言われたアラブを上位に持ってきた腕っ節のイメージもあったでしょう。また菅原勲騎手や小林俊彦騎手ほどメディアに出てくる事もなかったので“寡黙な勝負師”というイメージもあったのではないでしょうか。 三野宮通騎手・三野宮通調教師の小ネタとしてはまず「ORO最初の芝レースを勝った騎手」。 1996年4月に開場したOROパーク盛岡競馬場ですが芝コースは当初は育成期間とされ、初の芝レースとなったのが同年6月16日に行われた3歳(旧4歳)芝1600mの特別「はまなす賞」。それを制したのが7番人気サンディゴボーイ、鞍上は三野宮通騎手でした。地方の競馬場で初めての芝コース、その最初のレースの勝者として歴史に名を残すのが三野宮通騎手なのです。 もうひとつは2009年2月の荒尾競馬にて。この頃、岩手競馬が冬休みの間、岩手の馬や騎手が荒尾競馬に長期滞在するという交流が行われていました。この年の三野宮通調教師は人馬と共に荒尾に長期滞在。岩手から運んできたという原付バイクを「来年も働いてもらうから~」と言っていたシーンだと思います。★2009年荒尾にて。左は瀬戸幸一調教師ですね★ご子息の三野宮勇調教師補佐と。岩手で騎手デビューしたご子息はその後大井競馬で調教師補佐に。地元と遠征とで“調教師親子対決”もそれほど遠い話ではないかも 先にも触れたように騎手としては24年で1378勝。調教師としては23年で1000勝(先日の開催終了時点で1002勝)。現在のペースならあと5年くらいで騎手としての勝利数に並ぶ計算です。と、そんな話を通先生にしたら「俺もけっこういい年だぞ?」と笑っておられましたが、「でもまだ調教で馬に乗ってるからな!」と言われるあたり、まだまだイケそうな手応えがあるってことでしょうか?期待していいでしょうか!?★2018年4月30日、岩本怜騎手初勝利。ニッコニコでプラカードを持つ三野宮通調教師なのでした それはさておくとしても、まだまだ頑張っていただきたいし、次は名実ともに文句なしの調教師リーディングを獲っていただきたいとも思います。親子対決もぜひ。1000勝、おめでとうございました!
2023年05月18日
木曜担当のよこてんです。 今回はまずこの話題から。佐々木志音騎手初勝利おめでとう! 4月18日の水沢1R、マスオ号に騎乗した佐々木志音騎手は1番人気に応える逃げ切り勝ち。4月2日のデビューから9開催日目・36戦目での初勝利を達成しました。★佐々木志音騎手の嬉しい初勝利と口取りのシーン 同馬にはここまで2戦騎乗していた佐々木騎手は3着→2着の成績。3着の際は3番手追走から4角で前を追い上げようとするも及ばず2着争いをしつつのゴール。2着の際は、ゲートは速かったもののその後に少しもたついてハナを奪われ、それでも直線で先頭に立ったものの後方の馬に差されての2着。三度目の騎乗となった今回はスタートからハナに立っての逃げ切り。鞍上の成長もうかがえる勝利だったのではないでしょうかと思います。 直線も後続を寄せ付けず2馬身半の差でゴール。余裕もあったのではと思ってみていましたがレース後の佐々木騎手は「ゴールが遠かったです」。やはりそういうものか。★ちょっと緊張が解けた感じの佐々木騎手 今回の勝利は佐々木騎手が所属する佐藤祐司厩舎の馬、いわゆる“自厩舎”の馬での初勝利ともなって佐藤祐司調教師もホッとした表情でした。 お気づきの方もおられたでしょうが、佐藤祐司厩舎はこの春から「佐々木志音モード」な感じで厩務員さんのヘルメットだとか出走する管理馬のメンコだとかに佐々木騎手の勝負服モチーフを取り入れてイメージチェンジしてきていました。いわば厩舎を挙げてのバックアップ・後押しが実ったシーンでもありましたから、調教師が「自分のプレッシャーも無くなった」と胸をなで下ろすのも自然・・・というところでしょう。★“志音色”ヘルメットに“佐々木志音勝負服イラスト”いりメンコ。佐藤祐司厩舎の新スタイル 今年の岩手競馬は次の週、4月30日から盛岡開催に移ります。佐々木騎手にとってはようやく慣れた水沢を離れて盛岡に・・・ということになりますが、広い盛岡の方が乗りやすい・いろいろ試しやすいということもあるでしょうからね。盛岡でのレースぶりも楽しみにしましょう。 そして佐々木騎手は16日の留守杯日高賞で重賞に騎乗したという事でも注目を集めていました。デビューから3週目、騎乗開始から7日目の新人騎手の重賞騎乗というのはかなりレアなのは間違いない。★16日の留守杯日高賞・エスプレッシーボ号で参戦した佐々木騎手。デビューから7日目の重賞騎乗 他に?とすぐには思い浮かばなかったので調べてみたところ、岩本騎手が2018年4月14日デビュー・4月29日のやまびこ賞に騎乗していて8日目。 ただし、岩本怜騎手はデビュー翌日の4月15日、当時準重賞だったスプリングCに騎乗しています。 なので「重賞」であればひとまず、佐々木騎手が「1日早い」、準重賞も含めるならば岩本騎手がかなり早いということになるのかと思います。★2018年4月15日、デビュー2日目で準重賞に騎乗していた岩本怜騎手 2000年代前半にデビューした騎手は特別戦はともかく重賞は初騎乗ですらデビューから1年2年経ってから・・・ということが多かったですし、もっと前になると年間の重賞数・重賞の出走頭数自体少なかったし(旧盛岡なんかフルゲート8頭でしたから・・・) これより早い可能性があるとすれば、デビュー2年目から重賞を勝ちまくっていた菅原勲騎手(現調教師)かなと思いうかがってみたところ「自分は10月デビューで、そこから4開催で競馬が終わったから最初の年は重賞に乗っていないと思う」とのこと。 調べてみると菅原勲騎手は1981年の8回盛岡、10月17日のデビュー。その年は盛岡2開催・水沢2開催で12月7日に終了。その間7つの重賞がありましたが(サラ系3つに対しアラ系4つなのが時代を感じる)菅原勲騎手は騎乗していない感じ。 あと可能性があるとすれば村上昌幸騎手か、佐藤雅彦騎手か(いずれも現調教師)・・・。 いずれにせよ佐々木騎手の「デビュー7日目の重賞騎乗」は岩手競馬の歴史的にも「相当早い」ということでよさそうです。 さてその留守杯日高賞。遠征勢が上位独占というだけでなく、“岩手最先着”6着のトウヨウノマジョ・7着のダレカノカゼノアトはいずれもあやめ賞から岩手で戦っているこの春の転入馬。フジラプンツェル・ミニアチュールの二枚看板が不在の地元勢としては致し方なしな結果と言う他なし。★留守杯日高賞優勝/ワイズゴールド号。山本聡哉騎手は3週連続重賞制覇! 昨年よりも1ヶ月、それ以前の例年のパターンよりも1週間早まった時期に行われた留守杯日高賞。あやめ賞の時期を前倒しして地元的には間に合わせた形ですが、冬休みあけから間もないこの時期ではなかなか厳しいタイミングです。 来年のあやめ賞も今年同様3月に組まれているので留守杯日高賞の位置も必然的に今年同様となるでしょう。3歳戦のローテーションが変わるので前後の流れも変わって、遠征馬の流れも変わるのでしょうから、その辺の変化の影響がどうか?ですけども、地元勢にとっては大勢に変化はないのかなと思います。強い生え抜きの馬が出てくれるのが一番ではありますが・・・。 それはさておき、勝ったワイズゴールドは強い競馬・好内容の競馬だったのではないでしょうか。前走の浦和・桜花賞は先行3頭雁行の真ん中に挟まる厳しいポジションでの戦いになりつつも4着に食い下がるしぶとい内容。それだけ走れる馬が単騎マイペースならこれくらいの競馬はできる・・・ということを見せつける走りでした。 同馬を管理する市村調教師は「小柄な牝馬だから、距離がいくら伸びても・・・というわけにはいかないだろうが、このレースでマイルにメドが立ったし牝馬同士ならもう少し長い距離でも戦えるのでは。これからまだまだ力を付けていい馬」。次走はGDJ路線から東京プリンセス賞になる公算が高そうです。★広報写真も渋いけど実物はもっと渋かっこいい市村調教師なのでした ちなみにワイズゴールドの前走は浦和・桜花賞4着。これは21年スマイルミュ、20年ボンボンショコラに次ぐ3頭目の“前走が桜花賞4着からの優勝馬”。 また市村調教師は「雪がどんどん積もるダービーグランプリ以来の水沢」だったそうで、スーパーステションが勝った2017年以来ですね。その時はクラキングスで参戦して7着という結果でした。岩手では重賞初勝利。騎手時代にはアインアインに騎乗して東京プリンセス賞を制していますので、ワイズゴールドが出走して優勝した場合、騎手・調教師双方での同レース制覇ともなります。 ワイズゴールド号関係者の皆様、おめでとうございました。
2023年04月20日
木曜担当のよこてんです。 今回はまず桜のお話から。水沢競馬場の桜並木、皆さんご覧になられましたか? コロナ禍の影響によりここ3年は公開がなかった向こう正面の桜並木は今年は4年ぶりの一般公開。日曜は朝に雪(!)が降ったのと風が強かったのがちょっと惜しかった。それから黄砂も来ていましたけども、概ね晴れ間が多い3日間だったおかげで桜並木で桜を楽しまれた方、あるいはスタンドから“桜並木を背景にしたレース”を楽しまれた方も多かったのではないかと思います。 自分も桜並木の下に入ったのは久しぶり。お客様の姿が以前ほどではなかったのは史上最速とも言われる桜前線の北上だったせいもあるでしょうか。16日の週に来ようととか、GWの頃に東北の桜を見て歩こうと計画されていた方などもおられるのでは。 今年はこの原稿を書いている木曜日の時点で盛岡あたりでも既に満開を過ぎたところが多い感じなんですけども、それ以上にやっぱり“速い”ですよね。例年の感じだと「水沢が満開になった頃から数日後に盛岡あたりが満開」のイメージ。しかし今年はほぼ同時くらいにどちらも満開になって、盛岡でも日当たりの良いところは葉桜になりつつある・・・くらいの速さなのでした。 咲いた時期が過去最速くらいに早い今年でしたが、満開になっていくスピードも同様に、記憶にないくらいに一気に進んで行ったように見える今年の桜。なんかもったいないような気もしますねえ。★金ケ崎・鳥海柵(とみのさく)跡。11日。既に満開すぎ★盛岡・絆の桜。13日。こちらも徐々に葉桜 そういえば、自分が福島で大学に通い始めた時に最初にやったアルバイトが「信夫山の花見屋台での焼き鳥焼き」だったんですけども、その時期がGWの頃だったんですよ。5月の連休後半はさすがに葉桜でしたが4月下旬頃はまだ結構綺麗に咲いていた記憶。 まあ、その夏が冷夏になったような天候の年だったから、その時はその時で咲くのが遅かった年かもしれません。でも今年なんかは3月の下旬頃には満開でしょう?>福島。 話が横道にそれたついでに。自分は高知の生まれで、皆さんもご存じかと思いますが高知は桜の開花が非常に早いところですので、桜の花に「入学式」とかのイメージがないんですよね。卒業式でもない。高知の桜は「春休みの間に咲いて、散ってしまう」ものでしたからね。学校生活と桜がつながるようなイメージがない。 「桜=入学式」のイメージはやっぱり関東圏の開花の時期でしょう。これが東北に来ると「桜=連休」くらいのイメージになってくるんですから、日本って南北に長いんだなあと改めて思ったりします。 先週の話題はもうひとつ。11日の5レースを制したキラキラオーラ号、同馬を管理する佐藤雅彦調教師はこの勝利が調教師としての地方通算1000勝達成、大台到達の勝利となりました。★4月11日水沢競馬5R/優勝キラキラオーラ号。佐藤雅彦調教師の地方通算1000勝達成 3月の春競馬開幕時点では988勝、残り12勝という段階だった佐藤雅彦調教師。開幕週の4日間に6勝の固め打ちで大台に急接近すると、その後の半月ほどの間に一歩一歩、1勝1勝接近しての11日の1000勝。所属の高松亮騎手が決めたあたりも“お見事!”でしたね。 自分は今でも佐藤雅彦“騎手”の印象が強いんですけども、騎手引退が2000年、調教師転身が2001年なので、もう23年前になるんですね。 騎手時代もたくさんの名馬・有力馬に騎乗されていた佐藤雅彦師ですが、記憶に強く残っているということだとやっぱりバンチャンプとのコンビでしょうか。★バンチャンプと佐藤雅彦騎手(2000年シアンモア記念) 1999年に岩手に移籍してきたバンチャンプは佐藤雅彦騎手の手で桐花賞、シアンモア記念、青藍賞の3重賞を制覇。ちょうどメイセイオペラがフェブラリーSを制した頃の、同馬が一番脂がのっていた時期だったために対メイセイオペラでは勝つことができなかったものの、対戦した時はきっちり2着を確保、メイセイオペラが不在の時はバンチャンプが勝ちまくるという、ライバルであり二枚看板でもある存在だったと思います。 愁眉は、負けたレースを挙げて申し訳ないですが、99年のマーキュリーカップ。オースミジェット、キョウトシチー、マジックゲームのJRA勢3頭と互角に渡り合ったバンチャンプ。結果はハナ差でオースミジェットの勝利となりましたが、のちに佐藤雅彦師にお話をうかがった際には「勝ったと思った」と言われていました。★1999年マーキュリーカップ。バンチャンプ&佐藤雅彦騎手惜しい2着 バンチャンプは続くクラスターカップも2000m→1200mをものともせず3着に食い込んでいます。そうしてすごく活躍していた印象のバンチャンプ&佐藤雅彦騎手のコンビですけども、改めて振り返ってみると佐藤雅彦騎手の引退前、1年間ほどの間の話なのですから、それだけこのコンビの活躍ぶりが強烈だったという事なんでしょうね。 ちなみに佐藤雅彦騎手はメイセイオペラにも一度騎乗したことがあります。同馬が2歳12月の一般戦に騎乗して1着。 この時の話は以前にもこのブログで書いたと思います。当時のメイセイオペラには「走る馬だとは感じた、その後あそこまでになるほどとは思わなかった」という感想だったそうです。 その頃の佐藤雅彦騎手は同世代の中で抜けて強いと見なされていたアプローズフラワーの主戦でしたし、同じ世代にはJRAでも結果を出したカツヤマリュウホーなんかもいましたからね。これは明けて3歳になってからのメイセイオペラの成長力が凄かったんだ・・・というエピソード。 調教師としての初勝利は2001年4月28日水沢2Rのタガジョーアイレン号。同じく初重賞制覇は2003年のオパールカップ・コレクションボス号。その後は各世代で重賞勝ち馬を送り出し、2014年にはリーディングトレーナーにもなりました。 佐藤雅彦騎手は1978年デビューで2000年引退、佐藤雅彦調教師は2001年デビュー。騎手として23年、調教師としても奇しくも同じ23年目の今年の1000勝。調教師としても今がまさに脂がのった時期かと思います。これからも一つ一つ、勝ち星を積み重ねていって欲しいですね。まずは1000勝達成、おめでとうございました!
2023年04月13日
木曜担当のよこてんです。 4月2日からの岩手競馬は年度が変わって2023年の新シーズン。実質的な開幕は3月なのではありますが、この日から新年度スタートという事で水沢競馬場では開幕セレモニーなども行われました。★恒例の管理者による開幕宣言・騎手宣誓。背景のパネルも新キャッチフレーズに変わっております 当日の水沢競馬場入場者数は3855人(主催者発表)。開門前の行列の長さを見て“もの凄く多いな!”と感じたのですが対前年比では105.5%(上同)でしたので極端に多かったというわけではなかったかな。ただ早い時間から競馬場に来られて、岩手競馬の側で長く競馬を楽しまれていた方(※水沢はJ-PLACEもあるので)は確かに多かったように思います。 水沢もだんだん若いファン・家族連れのファンの姿が増えてきましたよね。コロナ禍の前は『水沢→年季が入ったベテランファン 盛岡→若者や家族連れ多し』という印象でしたが、最近はずいぶん変わってきた感じです。 さて、新シーズン開幕とともに新しい顔も登場しました。前回のこのブログでも書きました、新人・佐々木志音騎手、期間限定で里帰り・葛山晃平騎手の両名が、早速4月2日から騎乗開始。共に2レースからのスタートとなりました。★4月2日の2R、佐々木志音騎手はデビュー戦に、葛山晃平騎手は久々の水沢戦に挑みました 佐々木志音騎手は4番人気のアヒアマリージョに騎乗、葛山晃平騎手は6番人気のゴールデンファラオに騎乗。最初のレースは佐々木騎手が4着、葛山騎手が7着でした。 佐々木騎手は続く3R、1番人気に推されたルナリュミエールに騎乗して逃げを打ち、直線半ばまで先頭を守ったもののゴール寸前差されて3着。★3R。逃げて3着の佐々木騎手(左)、差して2着の葛山騎手(中) 一方葛山騎手は5R、リスレツィオに騎乗して優勝。“期間限定初勝利”を挙げました。★5Rでは葛山騎手が期間限定騎乗での初勝利&“約3年7ヶ月ぶり”の水沢での勝利 葛山騎手は金沢で再デビュー後も岩手で何度か騎乗しており、水沢での実戦は約3年7ヶ月ぶり。2019年の8月25日に遠征騎乗があってその時の9Rで勝っているので、その時以来の水沢での勝利となりました。 同騎手は4日の2Rでも勝ち星を挙げて開幕週に2勝となかなかの滑り出しでしたね。 葛山騎手が岩手で騎乗していたのは2006年前半まで、17年も前になるから自分の記憶も薄れているはずなんですけども、水沢で騎乗している姿に違和感がないですね。本人も「昔と変わった感じがしない」と言っておりました。 今年はすぐ盛岡に変わりますが、葛山騎手は盛岡の芝もダートも苦手にはしていなかったですし、本人的にしばらく実戦経験が少なかった左回りの勘さえ取り戻せば盛岡でも活躍してくれるのではないでしょうか。 佐々木志音騎手は、あまり緊張していないように見えたけども実はけっこう緊張していたようですね。けっこうっていうかかなり。初日前の調整ルームでも相当緊張していたという自覚があったようです。 とはいえ、開幕週は3着2回が最高にはなったものの、周りの先輩ジョッキー達の評価は決して悪くありません。むしろデビューしたばかりの新人にしては乗り方がしっかりしているという評判。前回書いたような“初勝利はそんなに遠くは無い”という評価、まだ変えなくていいと思います。★かつては「菅原」に次ぐ勢力(?)だった「佐々木」の騎手名表示も久々の復活になりました そして桜。いや今年は本当に早いですね!毎年「ここが咲いたら次の週くらいに向こう正面の桜が咲きますよ」と書いている1コーナーコース脇の桜あるいは向こう正面待避所脇の桜などはすでに満開に近いくらいの咲き方。向こう正面の桜も、4月3日、4日と進むにつれて急速に開花し始めたのが見て取れました。★1コーナー脇の桜。樹勢がだいぶ落ちてきましたがまだまだ綺麗です★向こう正面待避所脇の桜もほぼ満開 全国的に早い早いと言われている今年ですけども、過去の写真を見直してみても4月の1週目、それも2日とか3日とかにこれだけ咲いているのは見当たらないです。早くて2週目。 3月開催でも雪が降らなかったくらいですしねえ(例年、1日くらいは雪が降るし、積もるくらい降る事もある)。 向こう正面の桜並木公開は今週末の9日~11日と来週末16日~18日に予定されています。朝晩の気温はまだ低めでもあり、来週まで持ちそうな気はしますが、今のところの予報では来週末はお天気が微妙。お天気的にも桜の感じ的にも今週末が一番良さそうです。4年ぶりの公開、ぜひおいでいただいて、桜並木の中から、あるいはスタンドから、楽しんでいただければと思います。★2019年の公開時の桜並木の様子。今年はこのような賑わいが戻ってくるのでしょうか。ちなみにこの時は4月20日でした。やっぱり今年はめちゃくちゃ早い。
2023年04月06日
木曜担当のよこてんです。 まもなく月が変わって4月になります。3月11日から春競馬がスタートしていた岩手競馬も年度が替わって4月2日から新シーズンがスタート。次回からは“2023シーズン”となります。 毎年書いておりますが、岩手競馬は年度で区切るので3月の春競馬特別開催は前年度、2022シーズン。4月からが新年度の2023シーズンになります。なりますが、騎手リーディング等の記録類は3月からカウントが始まりますし、賞金体系なども3月から新年度のものに変わっています。この辺がちょっとややこしいのでご注意していただければと思ったりします。 特に今年は、3月開催のところに4月以降の重賞のトライアルが入って、余計にややこしい感じになりました。今年に関してはあやめ賞が“2022年度に二回”、金杯が“2022年に2回”なので気を付けていないと勘違いしそうです。 3月開催にそのあとのトライアルが入ってくるのは今後しばらく続きそうですから、なにかわかりやすい表現を考えておいた方が良いかもしれませんね。 さて。今回は新シーズンの“ニューフェイス”をご紹介しておこうというお題。まずは新人騎手の佐々木志音騎手。★競馬場実習最終日の、佐々木志音候補生(当時) 競馬学校104期生として養成され3月に無事騎手免許取得。4月2日の開幕から騎乗開始、デビューとなりそうです。★1月の佐々木竹見カップにて。恒例の騎手候補生集合写真 以前だと他地区の新人騎手が4月1日とかからデビューするのに対して岩手の新人騎手は4月中旬頃になってからデビューしていたことを覚えているファンの方々もおられるのでは。 以前の岩手競馬は「騎手免許取得後の最初の騎乗申し込みできる開催から」騎乗できるルールになっていまして、なのでたいてい3月31日に免許が交付される新人騎手は、岩手の場合は最初の週の申し込みには間に合わず、次回・2回水沢から申し込むことができる(騎乗することができる)形でした。 2019年の関本玲花騎手の時から「免許取得見込みであれば騎乗申し込み可能」と変わって、なので関本玲花騎手は10月5日から騎乗していました。今回の佐々木志音騎手も同様に免許取得直後の開催から騎乗。 余談になりますが、2029年の4月1日が日曜なので、この年に岩手デビューの新人騎手がいて、開催日も今のように日月火が続いていれば、“岩手の新人騎手4月1日デビュー”という事もありうるでしょう。 佐々木志音騎手は競馬場実習を上手に乗り切って、関係者からの評判も良かったんですよね。初勝利もそんなに時間はかからないのではないか・・・と思っています。 そして同じく開幕の4月2日から葛山晃平騎手が期間限定騎乗。「金沢競馬から期間限定で」という紹介のされ方なのですが、葛山騎手は1997年岩手競馬からデビュー、2006年をもっていったん引退したのち金沢競馬で厩務員から再スタートして再び騎手・・・という経歴をもっており、古いファンの方なら“岩手の葛山騎手”の記憶があるでしょう。★岩手時代の葛山晃平騎手★金沢競馬で厩務員をしながら騎手復帰を目指していた頃(2008年) 金沢競馬で復帰後も何度か岩手で遠征騎乗があり、2010年のダービーグランプリではナムラアンカーに騎乗して2着。2011年の留守杯日高賞、震災のため盛岡で行われた同レースでは金沢からアンダースポットで参戦して優勝。岩手所属時代には果たせなかった岩手での重賞制覇も成し遂げています。★2011年の留守杯日高賞、金沢から遠征騎乗で優勝して岩手での重賞初制覇を達成 岩手では215勝、その後金沢等で600勝。所属期間の長さでも今や金沢の方が長くなっている葛山騎手なのですが、自分なんかには懐かしいという感じはあまりなく、むしろ普通に馴染んで見えるような気がしますねえ。 “新しいニューフェイス”と“ベテランのニューフェイス”。新シーズンの岩手競馬を盛り上げてくれる二人になってくれると期待&楽しみにしています。
2023年03月30日
木曜担当のよこてんです。 今回は3月19日に地方競馬1500勝を達成した村上昌幸調教師、そして翌日の20日に地方競馬1000勝を達成した坂口裕一騎手のお話を。 まず村上昌幸調教師。3月19日の水沢9R、坂口裕一騎手が騎乗したグランドクォーツ号が優勝して地方競馬通算1500勝達成。春競馬開幕の3月11日の時点では1497勝でシーズンイン、13日に1勝、14日に1勝と着実にカウントを進めての今季のべ15戦目での区切り勝利となりました。★村上昌幸調教師地方競馬通算1500勝達成/2023年3月19日水沢9R 村上昌幸調教師は、古いファンの方なら“村上昌幸騎手”としての記憶もあるのではないでしょうか。 1970年デビューから1987年の引退まで8883戦1783勝。デビュー年に早くもリーディング3位、3年目にリーディングジョッキーの座につくとそれから10年間トップジョッキーの座を堅守。それだけでなく、のちに後進に破られはしたものの、年間最多勝、通算最多勝、はたまた通算勝率・連対率、シーズン連対率などの記録類も総なめにしていた“天才ムラマサ”。また、騎手としては18年、34歳の若さで調教師に転身した事も当時の話題となりました。★上の写真で坂口裕一騎手が着ているのは村上昌幸騎手の勝負服を再現したもの。サプライズ。 私が岩手競馬を知るようになったのは平成になってからなので残念ながら“村上昌幸騎手”の姿は直に知らないのですけども(石川栄騎手や及川良春騎手を辛うじて知っている頃)、現役時の村上昌幸騎手はそれはそれは格好良く色っぽく、ファンも非常に多かったと聞きます これは全くお世辞ではなくて、“ムラマサ”を見るために競馬場に詰めかけた女性ファンは本当に多かったそうですよ。 さて、1988年に調教師としてデビューした村上昌幸調教師は4月2日の水沢6R、クラサウンド号で初出走・初勝利を達成。調教師としての初重賞制覇は5年目の1992年岩鷲賞、フィールドラッキー号。その年には通算100勝も達成しています。★村上昌幸調教師の500勝達成は2010年12月4日でした その後2001年4月に500勝、2010年12月に1000勝を達成(※地方競馬のみ。他にJRAで1勝あり)。そこから12年と少しでの1500勝。先日までは“騎手として1000勝・調教師として1000勝”でしたがこれによって騎手・調教師両方で1500勝と一段階上になったわけですね。 どうせなら騎手の勝利数と同じくらいの1800勝まで狙ってくださいと言うと「本来なら定年になっている歳だぞ」と笑い飛ばされましたが、とはいえ騎手+調教師で3300勝近い数字はこれまたお世辞抜きで素晴らしいもの。まだまだ活躍する姿を見続けたいですね。 さて、一方の坂口裕一騎手はその村上昌幸調教師1500勝を決めたレースが自身の998勝目。所属厩舎の主戦の務めを見事に果たした後は、翌20日の4Rを制して999勝、7Rの3着を挟んで8Rで勝って自身の1000勝を達成しました。村上昌幸厩舎視点で言えば2日連続の大記録達成でしたね。★坂口裕一騎手地方通算1000勝達成/2023年3月20日水沢8R★1月の、山本聡哉騎手のシーズン最多勝記録達成の時も小林俊彦調教師の管理馬でしたね 坂口裕一騎手は2003年4月19日、同期の山本政聡騎手と同じ日にデビュー。21シーズン目、カレンダーで言えば19年と11ヶ月での1000勝到達に。この間、2003年5月10日に初勝利、2008年12月23日に100勝、2015年8月1日に500勝を達成しています。★2003年4月19日の坂口裕一騎手デビュー戦★同年5月10日の初勝利時。坂口裕一騎手があどけない!村上昌幸調教師が若い! 重賞初制覇は2010年のひまわり賞、コンゴウプリンセス号。坂口裕一騎手と言えばナムラタイタンとのコンビが印象深く、同馬と一緒に12ものタイトルを獲得しているのですが、そのコンビが初めて重賞を制した2014年の赤松杯は坂口裕一騎手にとっては4つめの重賞タイトルだった・・・というのはちょっと意外かも。★初重賞制覇となった2010年ひまわり賞★そしてナムラタイタン。村上昌幸調教師と言えばナムラタイタン。坂口裕一騎手と言えばナムラタイタン/2014年みちのく大賞典 その一方では2014年にシアンモア記念・みちのく大賞典・北上川大賞典、2015年には桐花賞を勝って、わずか2年の間に“岩手伝統の古馬重賞”をコンプリートしていたりします。 近年ではリュウノシンゲンとのコンビで一昨年の3歳二冠を獲得するなど、2012年からは毎年少なくともひとつは重賞タイトルを手にしている点も特筆するべき実績でしょう。 若い頃は怪我で騎乗していない事も多くて、勝ち星の面では同期の山本政聡騎手に先行されていますが、レースでの存在感、特に重賞でのそれは山本政聡騎手に勝るとも劣らないポジションにあるとも感じます。 自分の感覚だとつい数年前にデビューしたような感じがする坂口裕一騎手なのですが、気がつけばもう20年なんですねえ・・・。もっともっとと横からあおり立てる歳でもないのかもしれませんが、坂口裕一騎手もまだまだ存在感を示し続けてほしいですね。 最後にもうひとつ。バンチャンプ・バンケーティングなどで活躍した平澤芳三調教師、調教師として1500勝以上、騎手としても500勝以上を挙げられている名騎手であり名伯楽ですが、この3月いっぱいで引退されるとのこと。 今週末は出走がないかもしれないのですが、あるとすれば最終日の28日になりますね。平澤芳三調教師のレースを最後まで注目していただければと思います。
2023年03月23日
木曜担当のよこてんです。 今日3月2日に川崎競馬場で行われた『2022レディースジョッキーズラウンド』では関本玲花騎手が総合優勝!おめでとうございました! ・・・なのですが今回はその話題ではなく、先日28日に行われた水沢競馬場の照明テストの話題をお伝えしようと思います。 このブログでも何度か触れてきた水沢競馬場の照明設備設置の工事ですが、概ね体勢が整ったことから、実馬を使用しての各種チェックが行われました(※正式な完成は3月)。 当日は雲ひとつない晴天!だったせいで夕方になっても空が明るい状況が続いたのですが、だいぶ日が落ちた頃合いを見計らって装鞍所~パドック周回を開始。 余談ですが夕暮れの感じはいわゆる“マジックタイム”。★パドックからコースへ出ようとする馬たち。スタンド上部に照明が設置されているのが分かります もちろんただ走ってくるだけではなく、走路上では照明が行き渡っているかを待避所まで見つつ、ハロン棒など周囲の物の影がどこにどんなふうにできているか?なども確認。 同時に実況中継のカメラや審判採決等の業務関係も本番のレース同様に動いて“照明下のレースの流れ”をチェックしていました。★実馬走行を見守る関係者★スタンド前を1コーナー方向から。スタンド大屋根上部にも照明が設置されています★ゴール板周辺も全体にフラットな明るさだと感じました 見ていた自分の感覚だと、全体にムラなく明るくて色味も盛岡ほど青くないなと感じました。 直線も全体にフラットで差が少なく、例えば盛岡はゴール板部分の照明が強くてその前後がだいぶ落ちる(暗くなる)感じなんですけども、今回の水沢はゴール板付近と前後の差があまりないように見えました。 この辺は判定画像の見え方とかで調整されるかもしれないですが、これくらいの感じがいいなあ。写真を撮りやすい。 装鞍所は、照明が追加されたけどちょっと暗いのではという感想が出ていた。パドックは、明るくなったんですけども、盛岡と同様にスタンド側からの一方向の光が主体なので写真を撮る目線で言うと撮りづらくなると思います。 今回水沢競馬場に設置された照明はアメリカ製のもので周辺環境対応も考慮した新型の物との事。灯具の形が盛岡のとずいぶん違いますが、一番違いが分かるのは集光範囲。★1コーナーとか向こう正面。コースの外側はすぐ間近の部分しか光が漏れていない この画像で分かりますか?コース外にほとんど光が漏れていないんですよ。 照明設備を付ける、ナイター等で使用するとなると、盛岡のような山の中ならまだともかくとして、市街地の中にある施設だと使用時の“光漏れ”が時として問題になります(盛岡のような場所にあっても野生動物や植物への影響はある)。 今回設置された照明はそんな問題への対応を考慮し、光が当たる範囲がかなり限定されるものになっています。 盛岡だと、例えば向こう正面の山の斜面とか周囲の木立も結構明るく見えますよね。それが水沢だと向こう正面の桜並木が暗くて見えないくらいです。★点灯中の照明を見てもそれほどまぶしく感じないです この3月から使用を開始する浦和競馬場も同様の周辺環境対応型照明という話ですが、灯具の形はまた違うかな。 盛岡に照明が付いて5年、この間の「設備の進化」もなかなかのものなんだなと感じた水沢の照明でした。★実馬テストに騎乗したのは菅原辰徳騎手と塚本涼人騎手でした そして、このように工事が順調に進んだ事で3月の特別開催から照明の使用がスタート。既に発表されている概定番組によれば3月11日からの10回水沢競馬は17時40分、3月19日からの11回水沢競馬では17時50分の最終レース発走時刻(予定)と、昨年同期より概ね40分、1レース分遅い時間帯に最終レースが設定されています。 これも以前に触れたように、4月頃になれば照明がなくとも18時台に最終レースが組めるくらいに日が長くなってきますから、照明設備が本格的に活躍し始めるのは8月下旬からの水沢開催になると思います。 ただ、3月も最終レースあたりはまだ暗いですしょうからね。新しい照明の雰囲気は十分に分かるのではないかとも思います。 ところで、水沢の照明を見ていてふと思ったんですが。 このタイプの照明灯具を使えば盛岡の芝コースの照明もイケるんじゃない?? 照明塔を移設するとか増やすとかしないとダメだからという話のようですけども、今ある芝コース内側の照明塔を改良すればイケそうな気がする。気がするなあ・・・。★気がするだけですよ?
2023年03月02日
木曜担当のよこてんです。 岩手競馬の再開まであと二週間ほどになりました。2月はしかし、ちょっとネタ切れな感じになってしまってなかなか進まない。来週はたくさんあるんだけども・・・。 と、出だしから言い訳をしつつ今回は冬休みネタという事でこんなお題を。 『岩手競馬のレース名の由来になっているものを探せ!』 岩手競馬の重賞競走には様々な名前が付けられていますが、それが何に由来しているのか?を探りつつご紹介してみましょう。解説に写真が付けられるものを採り上げておりますので言葉だけになるものはあまり出てきません。あしからず・・・。◆『南部』・・・マイルチャンピオンシップ南部杯 まずはここから行きましょう。現在は岩手で唯一のJpnIとなっているマイルチャンピオンシップ南部杯。“南部”はもちろん南部藩(盛岡藩)・南部氏に由来します。★桜山神社/1749年建立、南部家四柱をお祀りする歴史ある神社。盛岡市内内丸に鎮座 1988(昭和63)年、岩手県競馬組合創立25周年を記念して設立され、当初は「北日本マイルチャンピオンシップ南部杯」と“北日本”の冠が付いていた事で分かるように北関東以北の、北関東・東北・北海道所属馬による戦いとなっていました。 南部の名をお借りしたという事から南部杯の表彰式には南部家ご当主が参加される他、以前はご当主が馬車に乗りスタンド前をパレードして表彰台に向かう・・・という演出も行われていたのを覚えている方もおられるのでは。 南部杯のポスターやレーシングプログラム等に登場する鶴が向かい合った家紋は「向鶴」と呼ばれる南部家の家紋でもあります。 歴史に詳しい方なら「おや?」と思われるところがあるかもしれません。というのは、第1回から第8回までの南部杯が行われた水沢競馬場は、それがある水沢市(当時)は、かつての藩時代の領地でいえば伊達氏一門の水沢伊達家が所在していた、つまり伊達藩のエリアだったのですから。 当時の盛岡競馬場、旧盛岡競馬場ですが、フルゲートが8頭であったり坂がキツい形態だったりのため交流競走は水沢競馬場で行われていたという事情があって・・・だからなのですけども、1996年にOROパーク盛岡競馬場が開場し南部杯も盛岡に移り、9回目にしてようやく“南部の地で南部杯が行われる”事になりました。◆『不来方』・・・不来方賞 難読レース名としてしばしば挙げられる「こずかた」賞。“不来方”は狭い意味で言えば盛岡城の事を、広い意味で言えば現在の盛岡市付近一帯を指す言葉とされています。 難読ではあるんですが北東北の本物(?)の難読地名に比べれば序の口という感じがしないでもない。信長の野望とかで読み方を覚えた方もいるのでは。 レースの歴史としては1969(昭和44)年に岩手競馬として初めて固有の名称を名付けた4つの特別競走のひとつ「不来方賞典」に始まります。 現在の盛岡城の別名が不来方城とされることが多く宮沢賢治もそのような認識だったと思われますが、実際は南部氏が九戸から移ってくるのに合わせての築城が完成した時点で盛岡と改名されているので「お城自体は当初から盛岡城」だったようです。★春は桜、秋は紅葉が美しい盛岡城 また、今はお城から見下ろす景色は街になっていますが、築城当時は北上川の旧河道が石垣のすぐそばを流れており、洪水の際など石垣が水に打たれて崩れる事もしばしばあったとか。現在の盛岡駅前を通る北上川は盛岡藩三代藩主重信公が切り替え工事を行って開通させた部分。この河道変更によって城下町が安全になりより発展したといわれています。 そして、その工事の結果生まれた土地、現在の菜園のあたりには一番最初の“盛岡競馬場”がありました。今に残る写真にはその“盛岡競馬場”のコースの向こうに石垣が見えているものがあります。盛岡城は岩手競馬とも非常に関わりが深い場所なのです。 盛岡城に由来するレース名としては芝マイルの重賞「いしがきマイラーズ」もそうですね。◆『留守』『日高』・・・留守杯日高賞 南部杯のところで水沢伊達氏の話が出たのでこちらにも触れておきましょう。 中世はしばしば勢力圏が移り変わった水沢の地ですが戦国時代末期からは仙台藩伊達氏の一門・留守氏、のちの水沢伊達氏が治めてそれは江戸時代末まで続きました。居城の水沢城は現在の奥州市役所のあたりとされています。 “日高”は、奥州市にある日高神社を由来としています。810年、坂上田村麻呂が開いた胆沢城の、その鎮守の神社として創建されたのが歴史の始まりとされ、留守氏が水沢に移ってからは留守氏の代々も日高神社内の瑞山神社に移されました。 レース名としては不来方賞と同じく1969年に設定された4特別のひとつに遡る歴史あるものですが、アラブの重賞からサラ3歳牝馬の重賞に変わった2001年に回数がリセットされ、さらに2004年の東日本・九州交流化に伴って「留守杯」が加わっています。 アラブ重賞時代の日高賞が31回、今の留守杯日高賞が昨年までで22回。足して53になって54でないのは切り替わりの2000年に実施されていないため。★日高火防祭・揃い打のもよう。なお、だいぶ前の写真です 日高神社のお祭りとして行われるのが『日高火防(ひぶせ)祭』。かつての水沢城下では大火がしばしば起こり被害も大きかった事から、防火意識を高めるためあるいは火災予防の祈願のために始められたというのが起源だとか。 4月29日の夜に行われるはやし屋台の揃い打ち、コロナ禍でお祀りが中止になってきましたが、今年は4年ぶりに実施される予定だそうです。◆『岩鷲』・・・岩鷲賞 クラスターカップトライアルのダート短距離重賞「岩鷲賞」に付けられている“岩鷲”は岩手山の別称とされます。 長く続いた冬がようやく終わりかかる頃、岩手山の山頂付近の雪が溶けて浮かび上がる形が飛びゆく鷲の姿に似ている事から「岩の鷲」、岩鷲となったと言われています。山頂にこの岩鷲が見えてくると春の訪れも近いのです。★岩手山の頂付近に現れた鷲形とそのアップ この岩の鷲が見える時期は、しかし結構バラバラで、一旦浮かび上がったあとにまた雪が降って隠れるという事もあったりします。昨年は4月の上旬にはもう現れていて下旬にはだいぶ形が変わっていました。今年は4月30日から盛岡開催が始まりますが、さて見えるでしょうか・・・。 このレース名も不来方賞・日高賞と同じく1969年に始まった「岩鷲賞典」から続くもので、回数も不来方賞と同じく今年で55回目を迎えます。◆『早池峰』・・・早池峰スーパースプリント 山シリーズで行きましょう。現在は早池峰スーパースプリント、以前は早池峰賞として行われていた短距離戦。名前の由来はそうです“早池峰山”。 高山植物で有名。また山岳信仰の対象としても古くから知られている名山なのですが、奥深くにそびえている山かというとそうではなく、盛岡市~奥州市の広い範囲にわたって美しい山容を眺める事ができます★水沢競馬場から見える早池峰山です 水沢競馬場からは2コーナーの少し右手あたりに見える山が早池峰山です。お天気が良ければすぐ分かりますが、秋の終わりから春頃にかけての雪がある頃の方がわかりやすいかもしれませんね。◆『栗駒』・・・栗駒賞 山シリーズ。昨年から春に移動したこのレースの名前の由来は“栗駒山”、岩手県南部から宮城県北部、秋田県東部に拡がる山地で、秋は紅葉の美しさで有名です。活火山でもありますね。 岩手県の南部にあるということで、水沢競馬場からも眺める事ができますが見える場所はちょっと限られるかな。スタンド3階指定席のパドック側ベランダから南の方に見えると思います。 ちなみに水沢競馬場から見てすぐ左手方向にあるのは焼石連峰。栗駒山と焼石岳などを含めて栗駒国定公園となっております。★新幹線くりこま高原駅あたりからの栗駒山全景と、水沢競馬場からの須川岳◆『北上川』・・・北上川大賞典 岩手県の北部から県央部を縦断し、宮城県も超えて太平洋に注ぐ東北最長の川が北上川です。不来方のところで盛岡市内の北上川が出てきましたが、水沢競馬場でも、向こう正面の桜並木の、そのすぐ向こうを流れているのが北上川。盛岡競馬場・水沢競馬場ともどもなじみ深い川ですよね。★盛岡市内の北上川。先にも触れたようにこの辺は洪水対策で切り替えられた部分 そうやって長い距離を流れているだけに岩手県の中だけを見ても様々な姿を見せる川でもあります。 盛岡市あたりだと、そんなに大きい川という印象はないかもしれないですね。雫石川と合流するまでは水量もそんな多くなかったりしますし。北上の南くらいから大河っていう感じが出てくるように思います。★北上市の北上川。川越しに見えるのは焼石連峰 いずれ、盛岡競馬場に向かう時に渡る北上川と水沢競馬場の周りで見る北上川は、同じ川でもずいぶん表情が違って見えます。それぞれの競馬場に行かれた際に北上川もご覧になってみてください。◆『やまびこ』・・・やまびこ賞 写真が無いものは採り上げないと言いましたがひとつだけ。1982(昭和57)年、サラ系4歳(旧)の特別戦としてスタートしたやまびこ賞。そのレース名の由来はと言うと、これが東北新幹線「やまびこ」からなのです。 この第1回となるやまびこ賞が行われた1982年と言えばその年の6月に東北新幹線の大宮-盛岡間が開業した年。『五十七年は東北新幹線が開通したことから、その列車名をとって「やまびこ賞」として特別競走を組む』(「いわての競馬史」1983年岩手県競馬組合発行より)とあり、由来はまさしく新幹線なのです。 ここまで山シリーズが多くあったように、どちらの競馬場も名山が綺麗に見えるから、そんな印象からの“やまびこ”かなと思いきや、さにあらず!なのでした。 他にも採り上げたいレース名はたくさんあるのですが今回はここまで。皆さんも由来の謎!をいろいろ探ってみてください。
2023年02月23日
木曜担当のよこてんです。 一週空けてしまいましたがその分は追って書くとして、今回は14日に発表された2023シーズンの開催日程と重賞日程のお話をしたいと思います。 まず“小さいけれど大きな変化”になったのが開催日程。1月の開催が無くなって、12月31日がレギュラーシーズンの最終日となりました。 冬期間は“平地最北”の開催場となる岩手競馬、なかでも真冬の開催が行われる水沢競馬なのですが、1月の開催が行われるようになったのは1991シーズンの1992年1月から。この年は1月3日~6日、1月12日~15日の8日間の開催がありました。 カレンダー的に一番遅くまで開催したのは1999年1月の1月18日ですが、これは1月11日が取り止めになった分の代替競馬が18日に入ったためで当初予定では17日までの日程。しかしそれでも一番遅いですね。 当時はシーズン最終日を締めくくるのがオープン特別の白嶺賞で(“新春杯”と付いていましたね)、そしてその頃は馬の定年制(確か10歳一杯まで)があったので、白嶺賞には定年を迎えた古豪が集まって岩手最後のレースに挑む、重賞を勝っているような実績馬にとっては引退の花道にもなる・・・という、桐花賞直後のオープン級のレースながら盛り上がりを見せる最終日でもありました。 そして、おおむね成人の日の週まで開催という感じが続いてきたものの、近年、降雪取り止めが頻発した事もあり、1月を減らして3月に持って行こう・・・となって、2021シーズンからは1月は2日と3日の2日のみに、来る2023シーズンではついに1月の開催がなくなるという事に。30年あまりを経てついに・・・という形ですね。 昔は年末年始は“かき入れ時”でしたからどうしてもやりたかったでしょうし、近年は廃止の危険よりは少々無理をしてでもレースをしなければ・・・という状況もあったように思います。 幸いにして直近の数年は、インターネット発売とか盛岡のはくぼ開催とか、直近では“コロナバブル”とかあって売り上げも安定してきた。厳冬期にリスクを背負って競馬をしなくてもいい状況にもなってきたのであれば、思い切って1月の開催を無しにするというのは正しい方向性かと考えます。 どうせなら12月ももう少し早く切り上げてもいいのかなと思ったりしますね。それか、桐花賞をもう少し早くに実施するとか。ここ何年かは「桐花賞があるかどうか分からないよね」が笑えない冗談になっていたりして、確実にできる時期に持ってきて欲しい・・・みたいなのは正直ありますね。 日程の面ではもうひとつ。ここ2年ほど行われた“盛岡ロングラン”が無くなり、以前のような水沢-盛岡交互開催の形に戻ります。 2018年秋に盛岡競馬場にコース照明設備が設置され、2019年からは照明を使いたい季節の盛岡開催が多くなる日程になってきていました。そのある意味究極の形が2021年・22年での“盛岡開催6月下旬~11月下旬のロングラン”でした。今回、水沢競馬場にも照明設備が設置されて条件的に同じになった事で日程も以前の形に戻るわけですね。 両場の開催の並びは2018年のそれに近いものになり、5月のGWが盛岡開催になるのもその年以来になります。 併せて発表された重賞日程の方では、昨年のJBC開催に伴う時期移動やトライアル関係の変更が元に戻り、おおむね2021年と同様な感じになりました。昨年はJBCと同じ日に行われた2歳のジュニアグランプリ、古馬の岩手県知事杯OROカップも本来の、というか以前の位置に戻っています。 2歳の北海道・岩手交流重賞『知床賞』が無くなりましたが、2歳戦では来るダート路線整備の一環である「ネクストスター盛岡」という重賞が登場。またここ2年はカレンダーに入っていなかった古馬マイルの白嶺賞が3月開催の重賞として復活。なので重賞レース数は“2増1減”になっています。 開催日程の変化に伴っての開催場の移動では、シアンモア記念が2018年以来の、ダイヤモンドカップは2016年以来の盛岡開催になる一方、不来方賞が2009年以来13年ぶりの水沢での実施になります。 ひまわり賞が7月になるのは久しぶり、桂樹杯が1ヶ月、若鮎賞が2週間早くなったのも今までにない時期ですね。いしがきマイラーズは新設後9月→10月→8月と移動。イーハトーブマイルに続く“流浪のレース”になってしまうのか。 また1月の開催が無くなった事で金杯が12月30日に移動して「明け3歳のレース」という注釈がいらない、普通に2歳の重賞に。元々は“アラブの旧3歳馬”のレースとして行われていた金杯ですので30年ぶりに12月に戻り、そして「2023年は1月と12月の2回行われる」事にもなりました。 そういえば来年からはグレードレースになる不来方賞ですが、今年は9月上旬の水沢に置かれているんですけども、以前発表された『全日本的なダート競走の体系整備について』の資料のなかではJpnIIになった不来方賞は「9月上旬・盛岡2000m」なんですよね。ということは今年は水沢開催になっている9月上旬が来年は盛岡に戻る? 賞金では、マーキュリーC・クラスターCの1着賞金が3000万円に、南部杯は7000万円に増額。JpnIIIの二つは設立当初に戻る形ですが、南部杯はレース史上最高額になります。 ダービーグランプリも3000万円に増額されJpnIIIと並んだだけでなく、岩手所属馬が優勝した場合には1000万円の褒賞金が設定されています。なので岩手の馬がダーグラを勝ったら4000万円!ですね。恐らく今年が最後になるだろうダービーグランプリだけに、岩手の馬が勝って盛り上がってほしいですね。 他には不来方賞の1着賞金が1000万円に、南部駒賞は800万円になりました。ジュニアグランプリは600万円、2000万円がかかった昨年とは比ぶべくもないものの、2021年は400万円でしたので実際は大きく増額と言っていいでしょう。さらには交流ではないM2重賞が350万円に増額されています。 南部駒賞やジュニアGPは、他場の2歳交流重賞の1着賞金額と比較してちょっと見劣りを感じていただけに喜びたい増額。そうなってくると据え置きになったビューチフルドリーマーカップとか2年前に戻ったOROカップはもう一声欲しかったような気がします。特にOROカップ。昨年のおかげで“岩手にOROカップあり!”と注目度が大きく上がったと思うんですよね。引き続き注目してもらえる1着賞金額であったらな、と・・・。 あとですね、例年は4月に行われているけども2023シーズンの予定表の4月には名前が出てこない3歳牝馬重賞のあやめ賞。これは今年の3月に行われるそうです。詳細は追って発表になると思われます。 2023シーズンからの岩手競馬は実質的に「通年はくぼ開催」になります。5月6月の水沢開催の頃は日が長いから照明を使う事はあまりないでしょうし12月の厳冬期も遅い時間はやらないと思うのでそれほど変化の実感はないかもしれませんが、とはいえ結構歴史的な転機になる2023シーズンなのではないでしょうか。 そして先にちょっと出てきた『全日本的なダート競走の体系整備について』に関連して、岩手のレース体系に直接関係するものとしては不来方賞(とダービーグランプリ)とネクストスター競走しか出てきていないですけども、例えばこれまでクラスターCと密接につながっていた北海道スプリントが3歳限定になるとか古馬中距離のグレードレースが3月~6月に固まってくるとか、そもそもダート3歳三冠最終戦の「ジャパンダートクラシック」が10月上旬予定で南部杯と時期が被るとか、岩手の既存のグレードレースも間違いなく影響を受ける事になるでしょうし、となれば地元重賞も同様に影響を受けてる事になるはず。 なんとなく見慣れた並びになっている2023年の重賞日程も、2024年は大きく変わる事になる・・・のかもしれませんね。
2023年02月16日
木曜担当のよこてんです。 今回は1月31日に川崎競馬場で行われた『佐々木竹見カップジョッキーズGP』のお話をしたいのですが、その前に。 やはり先日、3月11日から行われる春の特別競馬・10回水沢開催の概定番組が発表されました。 この時期に毎回同じ事を書いておりますが、岩手競馬は暦年ではなく年度で区切りますので3月の開催は年度では2022年度に入ります。しかし各種記録類は冬季休催明けの3月から次の冬季休催までの期間でカウントしており、クラス分けや賞金手当の類も3月開催から新年度のものに変わってスタートします。なので3月の特別開催は「年度としては2022年度」ですが中身は「2023年度」という、構成上はちょっとややこしい所になります。 ファンの皆さんはその辺を特に気にする事なく、3月開催から「実質的2023シーズンスタート」だと思っていただいてかまいません。 という事で概定番組。B1~C2級の賞金額が変わっていたり出走手当が少し増えていたりという変化があったのですが、ちょっと違う変化がありました。それはレースの発走時間。★今年の3月開催の発走時刻(概定版) こちらが今年の3月11日からの開催での発走時刻。注目は最終レースのスタート時間「17時40分」。★こちらは昨年の3月開催の発走時刻(改定版) 昨年の同時期のそれは日によって変化があったものの16時40分~17時10分でした。 その昨年は、3月下旬の開催で17時05分~17時25分、4月頭の開催で17時40分~17時45分と少しずつ遅くなっていましたから、ざっと1ヶ月ほど前倒しで最終の時間が“遅く”なっている事になります。 これは、以前このブログでもお伝えした照明設備の稼働による変化です。3月完工予定というお話を聞いていたので3月はまだ使わないのかなと考えていましたが、聞くところによれば設置工事は完了、現在は細部の調整の段階とのこと。3月開催から照明の使用が始まるようです。 3月中旬頃だと17時30分くらいで結構薄暗くなりますからね。4月に入っても18時頃はちょっと暗い感じで、天気が悪いとなおさら。照明が稼働すれば早い時期から遅めの時間を使えるようになるという事になりますね。 自分はまだどんな照明か見てないんですけども、これまでとは違った光景を半分は楽しみに、半分はビクビクしながら(写真を撮る身には照明の具合がどうなるか気になって仕方が無い)開幕を待ちたいと思います。 さて本題の佐々木竹見カップ。3年ぶりに全国の名手を集めての戦いになったこのイベントは、3年ぶりの変化があったと同時に劇的な結末にもなったのではないでしょうか。★第20回佐々木竹見カップジョッキ-ズGP 集合写真 コロナ禍の影響により2021年は南関東所属騎手のみで実施、2022年は開催無しとなった佐々木竹見カップは2020年以来3年ぶりにJRA・地方競馬各場のリーディングジョッキーが集まる戦いとなりました。その2020年は岩手の山本聡哉騎手が総合優勝を果たしたのですが、そうか、あれからもう3年も経つのか・・・。コロナのせいでこの間のいろいろな事の印象が薄い。 出場した騎手の顔ぶれも以前の常連とは少し変わっていて、JRA・川田将雅騎手、ホッカイドウ・落合玄太騎手、笠松・渡邊竜也騎手、高知・宮川実騎手が初出場。 北海道代表は以前は五十嵐冬樹騎手がずっと常連で、近年は桑村真明騎手が多かったですね。笠松は佐藤友則騎手が、高知は赤岡修次騎手が常連でした。★JRA・川田将雅騎手の勝負服は大井・宮浦正行元騎手(元調教師)のもの。宮浦師の甥にあたるという縁からの選択とのこと★初出場となったホッカイドウ・落合玄太騎手と笠松・渡邊竜也騎手 そういう見方で言えば、岩手は菅原勲騎手→村上忍騎手ときて今は山本聡哉騎手が連続出場中。浦和は竹見カップを過去3度制している繁田健一騎手が引退して福原杏騎手の出場が増えています。兵庫も田中学騎手・川原正一騎手が交互に出ていた頃から下原理騎手に変わって、近年は吉村智洋騎手が連続で出場。ずっと出場し続けている凄い騎手も多いですけども(つまりその地区のリーディングをずっと獲り続けているという事)、少しずつ、しかし確実に変わってもきていますね。 そしてそんな騎手達の中で頂点に立ったのがなんと!初出場の宮川実騎手なのでした。 全2戦の佐々木竹見カップ、第1戦を制したのはJRA・戸崎圭太騎手、第2戦は金沢・吉原寛人騎手。・・・だったのですが、戸崎騎手は2戦目が11着、吉原騎手は1戦目が9着に終わっており、1戦目2着・2戦目5着と優勝こそ無いもののただ一人2戦とも掲示板を確保した宮川実騎手が僅差で首位に。総合1位と同2位の差は2ポイント、同2位と同3位の差は3ポイントという大接戦を制しての初出場・初優勝の快挙達成。高知競馬所属騎手の総合優勝も初めてなので“ダブル快挙”ですし、宮川騎手の2022年が“デビュー22年目にしての初リーディング”で、そこから竹見カップ出場の機会を得て・・・のこの結果だと思えば“トリプル快挙”と言ってもいいんじゃないかと思うくらいの見事な総合優勝だったのでは。★第1戦『マイスターチャレンジ』を制した戸崎騎手。この勝利が“JRA移籍後の地方通算100勝”にも★第2戦『ヴィクトリーチャレンジ』は吉原騎手が優勝。してやったりの逃げ切りにガッツポーズ 宮川騎手自身は「勝ってないのに自分でいいのかな?という気持ち」と謙虚な事を言われていたようですが、掲示板上位を堅実に押さえた騎手が総合優勝するのは“騎手対抗戦あるある”ですからね。手堅く上位に持ってくるのもまた名手の腕なのだと思います。 総合2位の吉原騎手も現在高知競馬で期間限定騎乗中という事で「実さんと“高知競馬の底力を見せてやろう!”って意気込んで来たんよ」と笑って言っておりました。確かに今の高知競馬の勢いを見せるかのような“高知騎手ワン・ツー”だったかもしれないですね。★なお総合優勝の賞金は「おむつとミルク代に」と宮川騎手★岩手の山本聡哉騎手は1戦目6着、2戦目13着で総合11位の結果でした 佐々木竹見カップは南関東所属の騎手が強くて、20回中で南関以外の騎手が制したのは実質6回(第2回・鮫島克也騎手、第5回・武豊騎手、第6回・菅原勲騎手、第14回・Mデムーロ騎手、第18回・山本聡哉騎手、第20回・宮川実騎手。第7回の内田博幸騎手と第17回の戸崎圭太騎手は、実質南関の騎手のような感じなので実質6回)。 そんな中で前々回の山本聡哉騎手、今回の宮川騎手と南関以外の地区の騎手が総合優勝したことは、騎手の顔ぶれが少しずつ変わっている事もあわせて見ると、次回以降の勝者がどこの地区の誰になるのか?の興味をより増す結果だったのでは・・・とも感じる、そんな今年の佐々木竹見カップなのかなと思います。★佐々木竹見カップ恒例(?)、この春デビュー予定の候補生集合写真。みんな背が高い!
2023年02月02日
木曜担当のよこてんです。 今回は、24日に高知競馬場で行われた『第37回全日本新人王争覇戦』のお話です。★吹雪が強まったタイミングになってしまった集合写真。寒さに耐える表情・・・ 史上最強クラスの寒波。正直ちょっと甘く見ていました。まさかこんなことになるとは・・・なのですが、それはおいおい触れていくとして。まずは新人王。 2020年は直前の怪我のために辞退、2021年は実施が無く、2022年は当時期間限定騎乗中だった笠松競馬場で騎手の新型コロナ陽性者が複数出た事による遠征自粛という形で辞退となっていた岩本怜騎手。今年は、やはり昨年辞退の形になっていた笠松・東川慎騎手と一緒に朝のうちに高知にやってきて“4年越しの新人王参戦”がかないました。 結果の方は、第1戦は1番人気に支持されたものの9着、第2戦も10着に終わり、総合順位も11位という結果。それはちょっと残念でしたが、とはいえここまで延びてしまっている間に後輩騎手の方が先に出場していき、気がつけば2018年デビューの岩本怜騎手は今回の出場騎手中でキャリア最年長。デビュー後に一度しか参戦できない全日本新人王争覇戦に無事出走できて見ている自分もホッとしましたね。★第1戦での岩本怜騎手★こちらは第2戦「念願の新人王だったんですけども、結果を出せなくてふがいない感じでした。でもこうやって全国の若手と一緒に騎乗できたのは自分も刺激を受けましたし、これを今後に活かしていきたいと思います(岩本怜騎手)」 シリーズの結果は、第1戦をJRA・角田大河騎手が制し2着は佐賀・飛田愛斗騎手。第2戦も角田大河騎手が制して2着が飛田愛斗騎手と、この『全日本新人王争覇戦』が2戦制になって以降初めての2連勝による新人王決定に、そして騎手対抗戦としてみても“第1戦・第2戦共に1着・2着が同じ騎手・同じ着順”という珍しい結末にもなりました。★第1戦優勝/角田大河騎手★第2戦優勝も角田大河騎手 という事で総合結果も、1着50ポイント×2の100ポイントを獲得した角田大河騎手が断然のリードで総合優勝、2着35ポイント×2で70ポイントを獲得した飛田愛斗騎手が、3位以下には大きくリードして総合2位に。 その影響というか、3位圏は2戦で掲示板圏内を奪い合った3名が35ポイントで並ぶ結果になり、規定により第2戦最上位の3着を確保した金沢・兼子千央騎手が総合3位となっています。 騎手対抗戦では複数のレースでいずれも勝てる馬に乗れる事はあまりなくて、たいていの場合は一方を勝ったとしてももう一方を“いかに上の着順で乗り切るか?”な感じになるのが普通というか一般的。なので2戦を2着・4着みたいに手堅く高ポイントを獲得した騎手が1着を獲った騎手を差し置いて総合優勝する・・・のようなパターンが実に多いんですよね。 なので、連勝した角田大河騎手も凄いですし、連続2着の飛田愛斗騎手も、表彰式では悔しさを隠さなかったですけども、十分に凄いと思います。 さて、岩本怜騎手は2019年の、飛田愛斗騎手は2021年の『ヤングジョッキーズシリーズ』チャンピオンです。同じ新人騎手の戦いである『全日本新人王争覇戦』と『ヤングジョッキーズシリーズ』を共に制している騎手はこれまでいなくて、“チャンピオン2名同時出場”となった今回に期待しましたが、今年もダブルチャンピオンは誕生せず。★21年YJSチャンピオン飛田騎手と19年の同チャンピオン岩本騎手 今年の角田大河騎手かあるいは昨年の泉谷楓真騎手がYJSで総合優勝するか、あるいは昨年のYJSチャンピオン小林凌大騎手が新人王に出場できて制するか(実際どうなんだろう?)。はたまた今年行われるであろうYJSのチャンピオンが来年の新人王を制するか・・・。ダブルチャンピオンの登場もいつか見てみたいもの。 ところで、今年出場予定だった川崎・池谷匠翔騎手が飛行機トラブルのため高知に来る事ができず、“参戦扱いでは無い代理”として地元の岡遼太郎騎手が騎乗しました。 実は岡騎手、昨年は岩本怜騎手の代理として出走していて“2年連続出走”になったんですけども、正式な代表としてはまだ新人王に参戦していません。 同じく昨年、東川慎騎手の代理を務めた井上瑛太騎手は今年出場しました。岡騎手は、今年は競走中止でゴールできなかったんですけども、来年出場できたら“新人王に三度騎乗した騎手”という、これまたレアな例になるのではないかと思います。 近年は新人騎手が増えていて、また一方ではコロナ禍の影響で2021年の新人王が開催されなかった事もあって、まだ出ていない新人騎手が渋滞気味にもなっています。地方競馬の2019年デビュー組は妹尾将充騎手以外出場し終わったけれど、2020年デビュー組はまだ半分くらいで(田中洸多騎手や七夕裕次郎騎手もまだ)、2021年デビュー組は出場していない。この辺は春秋の二期でデビューしていて数も多いですしね。1年限りとかで変則3戦にして18人出場させるという手を考えてみるのも・・・? しかし高知で降雪取り止めを経験する事になるとは思っていなかったですねえ。 1レースの時点で高知にしてはけっこうな雪の降り方で、地元の皆さんは先日あった「高知での観測史上最高積雪」を経験したばかりのせいか雪自体にそんな大騒ぎはしていなかったですけども、いや、高知に住んでいた頃の自分の記憶で考えてみても“これくらい降るのは高知ではかなり珍しい”という降り方でしたもの。加えて気温も低かったですし。★1R前、吹雪にけぶるゴール板★5R終了直後くらいから雪が強まりました 寒いという事は予想していたので真冬の水沢並みの服装で行きましたがそれでも寒かった。高知の言い方でいえば「こじゃんとひやい」。 最初のうちは降っても地面に残らず「やっぱり高知は気温が高いなあ」と思って見ていたのですがそれもつかの間、5Rが終わったあたりの頃から降り方が激しくなって積もり始め、そこからはもう白くなっていく一方に。 6Rはパドックを周回していたところで取り止め、7Rも装鞍所で取り止め。この辺で一瞬雪が止みかけたので8Rから装鞍を再開したのですが、馬場状態が悪化しているという判断により8R以降も取り止めということになりました。★6Rが取り止めになって、外した馬装をもって引き上げてきた騎手の皆さん この辺の判断は難しいと思うのですけれど、安全第一であり、高知の場合は来場しているお客様が競馬場から帰れなくなるという可能性も出てくるから、あの時点で取り止めにしたのは正解だったと思います。★すっかり凍てついたパドック。高知では雪かき用の道具を常備する事もないでしょうし・・・ 翌日、笠松に寄ろうと思い朝6時の南風に乗りました。前日は強風のため運転取り止めが続いた瀬戸大橋線を順調に突破したところまでは良かったのですが、山陽新幹線が積雪のために各所で遅延していた上に京都あたりから先も雪が降り続き、結局岡山から名古屋までの区間で2時間以上の遅れ。笠松は断念して帰る・・・ということになりました。 岡山から姫路あたりの間、そして大阪から米原あたりまでの雪が、ちょっと見た事が無いくらいの積もり方でしたね。いつも雪の影響が言われる関ヶ原近辺はむしろスピードを上げて走ったくらいで。“史上最強寒波”はまさにその通りだったと感じた高知行きでした。 最後になりましたが、新人王第2戦で落馬負傷した篠谷葵騎手の1日も早い快癒と復帰をお祈りしています。
2023年01月26日
木曜担当のよこてんです。 今回のお題は『2022シーズンで競馬場を去った馬たち』。昨シーズンをもって引退した馬の中から何頭かをピックアップさせていただいて、その馬達を振り返ってみよう・・・というお話をしたいと思います。 そういう馬はもちろんたくさんおりまして、クラスの上下を問わず印象に残っている馬もたくさんいるわけですが、敢えて数頭に絞って採り上げさせていただく事にします。 まず最初はタイセイブラスト(水沢・佐藤雅彦厩舎※現役時・以下同様)。2020年の5月12日に岩手での初戦を迎えた同馬は3シーズンの間A級から降級する事無く戦い続け、昨年9月26日の盛岡11R「金木犀特別」優勝をもって引退。勝ってキャリアを締めくくる見事なラストともなりました。★22年9月26日『金木犀特別』。ラストレースを見事勝利で飾ったタイセイブラスト「調子の波があまりなくて、レース数としては結構な数を走ってきましたが、常に頑張ってくれる馬でした」と、同馬を管理していた佐藤雅彦調教師は振り返ります。 タイセイブラストのデビューは2015年7月のJRA福島、ダート1150m戦。2年あまりのJRA時代は1勝に留まったものの、南関東に移籍してから6勝を挙げ、2020年春に岩手に移籍後はさらに13勝もの勝ち星を積み重ねました。 通算勝利数は20勝。岩手では転入当初から引退までA級を守り続けたので、つまり岩手での勝ち星は全てA級かオープン特別以上でのもの。2021年の栗駒賞で重賞制覇、同年のすずらん賞で準重賞も勝ちました。短距離王として活躍したラブバレットとも何度も矛を交え、最終的には四度破ってもいます。その頃はラブバレットの好敵手と言っていい存在でしたね。★21年栗駒賞優勝時。口取り後に皆によしよしされるタイセイブラスト「展開が向いた時は本当に良い脚を使ってくれた馬。そういう時はこちらが思った以上の走りを見せてくれてもいましたね。 9歳になった2022シーズンはどうしても年齢を感じさせる走りになっていたように感じました。良い頃のような脚が使えなくなっていた。馬の状態自体は決して悪くなかったですし、休養してもう少し・・・とも考えましたが、そうすると良い成績を求めてしまいたくなる。今以上に状態を良くしよう、良い成績にしようと思って馬に負担をかけてしまうかもしれない。だったら勝って引退させてあげるのがいいのかな、と(佐藤雅彦調教師)」 常に上級の条件で走っていた馬ですから自分もいつも注目していましたが、昨年は絶好の展開になって、あるいは絶好の位置を獲れていて、でも以前のような伸びが無い・・・というレースぶりに、だんだんとなっていったように感じていました。 それでも最後の3戦の頃、夏を過ぎた頃ははっきりと立ち直ってきていて、この頃は自分も再び重めの印を付けるようにしていました。 2022年に挙げた2勝はいずれも早め先頭から粘り込む形。かつてのような上がり最速の末脚で突き抜ける勝ち方ではありませんでしたが、それでもラストレースでしっかり勝ちきって見せたのは間違いなくタイセイブラストの地力、底力のなせる技だったでしょう。★20年5月12日、岩手転入初戦を制したシーン「“こんな良い成績を残してきたんだ”と、改めて振り返るとそう感じさせる馬でしたね(佐藤雅彦調教師)」 マイネルエメ(水沢・畠山信一厩舎)もタイセイブラストと同じ2020年の春に岩手に移籍してきた馬。岩手で挙げた勝利数も奇しくも同じ13勝でした。こちらは昨年12月12日の水沢9R、9着のレースを最後に引退となっています。★マイネルエメの最後の勝利となった8月23日盛岡11Rでの勇姿「こちらに来た時は最下級、C2級の一番下の組からのスタート。そこからA級で勝つまでに出世したのですからやはり凄い馬、力がある馬でしたね」と畠山信一調教師。 マイネルエメのデビューは2017年6月4日のJRA阪神競馬場、2歳新馬戦。そこでは5着だったものの2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、翌1月にはシンザン記念にも出走しています。 結果的にJRAではその1勝のみ、転じた南関東では掲示板も厳しい結果が続きましたが、2020年4月19日の転入初戦で久しぶりの勝利を挙げるとそこから4連勝して早くもC1級の最上位へ。夏にはB級入り、10月にはB級卒業とトントン拍子にクラスを上げていくと11月8日の盛岡10R『朝露特別』でA級初戦をあっさり勝ち抜きました。C2級でも最下級あたりから半年ほどでA級優勝・・・というくらいに勝ち上がっていく馬はそうそういない。畠山調教師が「こんな馬なかなかいないでしょ!」と言うのもオーバーな話ではありません。★岩手2戦目となった20年4月26日水沢5R優勝時のマイネルエメ A級に上がってからはさすがに下位クラスほど安定した成績ではなかったものの、しばしば存在感ある走りを見せていましたし、昨年秋にA級に再昇級した時にはタイセイブラストに先着したりもしています。★20年11月8日盛岡10R『朝露特別』。初A級戦を2馬身差快勝 そのマイネルエメは引退後は乗馬クラブに移ったとの事。「茨城にある“ホースランチKYRA”で乗馬になりました。ここは同じオーナーさんの馬だったイマジンジョンを引き取ってくれたところで、その縁になります。クラブの場長さんが“いずれは乗馬の大会に出してみたい”と言われていて、いつか馬術の大会に出場するマイネルエメを見る事ができるかもしれませんね(畠山信一調教師)」 次もこれまた奇しくも2020年春に移籍してきた馬です。ツルオカボルト(水沢・瀬戸幸一厩舎)。タイセイブラストと同じく南関東のA2B1というあたりのクラスからの転入で、旧地での実績はむしろ本馬の方が上といえるくらい。ただしツルオカボルトは大井での出走が、タイセイブラストは船橋での出走が多かったため、ほぼ同じクラスにいたものの南関時代の対戦はありませんでした。昨年10月30日の盛岡10R、3着を最後に引退。★ツルオカボルトのラストレース、最内に姿が見える「来た当初は年齢もあって“どこまでやれるだろうか?”と思っていましたが、走りを見ていてまだまだやれる力はあるとも感じました。条件を色々変えてみてやはり短距離で力を出せる馬だと。そこからは短距離に絞って戦ってきました(瀬戸幸一調教師)」 岩手に来た時には既に9歳になっていた本馬ながらも秋にはオープン特別を優勝。タイセイブラストが制した21年栗駒賞では5馬身弱の差の3着に食い込むなど重賞にも手が届きそうな走りをしばしば見せていましたね。クラスターカップにも二度出走しています。★21年クラスターカップ出走時★トレードマークのメンコはジャマイカの国旗をモチーフにしたもの「11歳になっても本当によく頑張って走ってくれていたのですが、年齢のせいか、良かったと思っていた状態が急に悪く・・・とか順調を欠くような事が起こるようになってきました。秋にB1級に降級したのもね、クラスが下がったのが良い方向になるかと思っていたら、流れが緩くなった事でソラを使うようになって。A級・オープンの速い流れの方がこの馬には戦いやすかったんでしょうね。そして大きかったのが、オーナーさんが亡くなられた事。担当者が一生懸命に世話してくれていたからシーズンの最後までは・・・と思っていたのですが、そんないろいろがあって、この辺で切り上げる事にしよう、と(瀬戸幸一調教師)」 岩手では3シーズン、最後こそB1級でしたがほとんどの期間はA級を維持。2022シーズンも結果的には未勝利ではありましたが9戦して掲示板を外したのは一度だけの健闘でした。9歳~11歳という時期で・・・なのですから本当に頑張って走った馬。500kgを超える重量感あふれる馬体は毛艶もいつも良かった印象です。★20年11月7日『スプリント特別』優勝。これが岩手での初勝利でした そんなツルオカボルトも乗馬として第二の“馬生”を送る事になったそうです。「秋田のエクセラという乗馬クラブに行きました。ここは“引退した競走馬のその後”をどうするかという事を考えて活動しているところで、引退馬にトレーニングをして馬術の大会に出る事ができるようにする・・・とかをやってきている。ツルオカボルトもそういう道を歩めるか、ここでトレーニングしていく事になると思います。自分も学生時代から知っているところなので安心して送り出せました(瀬戸幸一調教師)」 近年は競走馬を引退した馬の第二の馬生というもの、元競走馬の“クオリティ オブ ライフ”についての関心が高まっているのは皆さんもご存じかと思います。“引退競走馬のみの馬術大会”も開かれていますよね。 先に挙げたマイネルエメもそんな道を進むかもしれません。いつかどこかの大会でツルオカボルトとマイネルエメが再会し、馬術競技で戦う・・・という姿を見る事ができるのかもしれません。 最後にもう一頭。リーピングリーズン(盛岡・櫻田康二調教師)は今年1月2日の『睦月特別』9着をもって引退、繁殖牝馬として、未来の名馬の母への道を進む事になりました。★23年1月2日『睦月特別』。リーピングリーズンの引退レースになりました「以前に在籍していた時よりも明らかに力を付けていたのが感じられて嬉しかったですね」と櫻田康二調教師。同馬はJRA未勝利の形で2019年秋に岩手移籍。櫻田康二調教師の元で2連勝してJRA復帰を果たしました。その後2勝を挙げて3勝クラスにまで出世。そこでは勝ち星が無かったとはいえ勝ち馬から1秒以内の走りも何度か見せていたように、昨秋の岩手再転入後は芝のオープン特別で勝ち星を挙げています。★19年10月19日盛岡5R優勝時。岩手で連勝、JRA復帰を果たした勝利★22年10月16日『OROターフ特別』優勝時。本馬の芝での2勝はいずれも盛岡でのものでした 勝ったのは岩手復帰2戦目でしたが馬の状態は後半にかけてむしろ上昇感があって、トウケイニセイ記念では9番人気ながら4着確保。最終戦となった睦月特別は1番人気に支持されたのですが、残念ながら差し馬不利の傾向にもなって9着。これをもって4シーズンに渡った競走馬生活にピリオドを打ちました。「盛岡の芝を勝っているしダートも悪くない成績ですからね。馬格もある馬だからきっと良いお母さんになるんじゃないかな。いつかもしこの馬の仔を預かる機会があったなら、ぜひまた一緒にやってみたいですね(櫻田康二調教師)」 最初にも書いたように他にも触れたい馬はたくさんいますがまずはこの辺ということで。 ここで挙げた馬たちのこれからの“馬生”が幸せなものになる事を祈りつつ。
2023年01月19日
木曜担当のよこてんです。 いやあ、春のような天気ですね。東京では「20日間降水なし」というニュースになったりしていますが盛岡もここのところ雨も雪もほとんど降ってないです。気温も10度近くまで上がってますしねえ。週末からは少しずつ天気が崩れて、また冬に戻っていくようですが、もう1月も半分過ぎるしなあ。なんか変な冬。 という事で3月11日からと予定されている春の特別開催まであと2ヶ月、つまり馬場開き・調教開始まではあと1ヶ月という頃合いにもなりました。“冬休み”、冬季休催期間が以前よりも短くなったためにこの辺がちょっと慌ただしくなった感じがします。 今回のお題は、レギュラーシーズンが先週終わったばかりの水沢競馬なのですが、この短い冬休みの間に変わる部分も結構ありますよ・・・なお話を。 今回の冬の水沢競馬、競馬場においでになった方は、コースの中に“電柱”のようなものが立っていた事に気づかれたのではないでしょうか。 本コースの内側にある調教コースの、さらに内側。先日まではコーナー部分を中心に複数の“電柱”が立っていて、そして徐々に高くなっていった・・・という事にも気づかれたかもしれません。★1コーナーあたりとか、★向こう正面あたりとか。 これはもちろん電柱ではなくて照明塔。水沢競馬場では今年3月完工の予定で走路照明設置が進められています。はくぼ開催用の照明設備ですね。 2020年までは6月、8月にも水沢開催があってこの間盛岡・水沢が交互に開催される形だったのはファンの皆さんも覚えておられるでしょう。2021年からは5月~6月の盛岡開催を水沢開催に振り替える一方で8月~9月の水沢開催が盛岡開催になり、結果、盛岡開催が6月下旬から11月下旬におよぶロングランの形になりました。 こういう日割りになった理由のひとつが「8月~9月の水沢開催の最終レース時刻」問題。まあ“問題”って言うほどの事ではないかもしれませんが。 6月頃は一年で一番昼が長い季節ですので照明がない水沢でも最終レースを18時台に行えました。ですが8月下旬になるとそうはいかず頑張って17時40分頃まで。その前後の盛岡開催に比べると最終レースの時間が30分~1時間早い・・・ということになっていたわけです。 最近は遅い時間の競争が激しいとは言え重賞級のメインレースはできるだけ遅い時間に組んだ方が売り上げが伸びる傾向に変わりはなく、なので、8月下旬の水沢開催部分を照明がなくても遅い時間までできる6月に移し、その部分を照明がある盛岡と振り替えたわけです。 販売面ではそれで良かったのでしょうけども、そうすると今度は輸送競馬が半年間続く水沢の関係者や馬にとってたいへんという声が増えてきました。 人手が潤沢にある業界ではないですから輸送競馬が続くと盛岡に行く人・水沢に残る人のやりくりが厳しくなりますし、盛岡は最終が遅いですから、レースが終わって採尿して、1時間以上かけて水沢に戻って厩舎で残りの作業をしていたら時計がてっぺん近く。ちょっと休憩したらもう朝調教の時間・・・という事も珍しくなくなったとか。 加えて冬場は暗い中での競馬にもなりがちということもあり、“水沢にも照明を付ける”という話はわりとスムーズに決まったようです。 という事で、来シーズンの開催日程は恐らく以前のように盛岡・水沢が交互になる形に戻ると思われます。 そして、春の水沢開催時は最終レースの発走時刻が17時10分くらいの所から徐々に遅くなっていったものが、4月から、いずれは3月から、夏期並みに遅く設定されるのではないでしょうか。 冬の開催は、日没後に気温が急激に下がると馬場も凍結し始めますからできるだけ速やかに馬場整備を始める必要があります(厳冬期は夜通しハロー掛けしていたりします)。なので12月とか1月の開催は大きくは変わらないでしょう。もし変わるとすれば11月の開催部分で少し遅くなるくらいかなと想像しています。★向こう正面の桜並木の見え方も、これまでとはちょっと変わるのかも 自分は、盛岡も水沢ももう30分くらい遅くしていいんじゃないかと思っているんですけどね。水沢もせっかくの照明を使うのが春先と夏場の3開催くらいに留まるとしたら惜しいような気もします。 浦和競馬場・金沢競馬場でも照明設備の設置が行われていて、現時点で14場ある地方競馬の平地競馬場の中で実に12場までが“ナイター設備”を持つ事になります。10年前の2013年はそれが門別・大井・川崎・園田・高知だけだったわけで、隔世の感というとオーバーですけども、それくらいの感慨を抱いてしまいますね。1986年/大井競馬ナイター開始1994年/旭川競馬ナイター開始1995年/川崎競馬ナイター開始2009年/門別競馬ナイター開始(※2008年旭川競馬場廃止)2009年/高知競馬ナイター開始2012年/園田競馬ナイター開始2015年/船橋競馬ナイター開始2018年/盛岡競馬場はくぼ開催開始2018年/佐賀競馬場はくぼ開催開始2020年/佐賀競馬場ナイター開催開始2022年/名古屋競馬場ナイター開催開始2023年/浦和・金沢・水沢競馬場で照明設備使用開始予定 今年度の内には“レース用の照明設備”がないのは笠松と姫路のみということに。「“”」を付けたのは、笠松は調教用の照明があるけども姫路にはないから・・・というMYこだわり。 というのも、去年姫路競馬場に行った時に「姫路競馬場では調教をしていないから照明塔が無いんですよ」と教えてもらったんですよ。浦和競馬場も同様だったのですが照明設置中ですから、地方競馬場で“照明塔が無い景色が広がる競馬場”は姫路のみになってしまうわけですね。姫路競馬場の“レア度”が上昇。★「照明塔が無い視界の広さ」、JRAの競馬場だと普通かもしれませんが、地方競馬ではかなり貴重なものになるのでしょう(写真は姫路競馬場) もうひとつ変わる点。写真は昨年秋に盛岡競馬場に新設された厩舎棟のものですが、同様の規格のものが水沢競馬場でも建設中。今年春には5棟だったかな、引き渡し・使用開始の予定です。★盛岡競馬場の新厩舎(※工事中の写真です)。同様のものを水沢競馬場にも設置中 水沢競馬場の厩舎は、一部には盛岡競馬場のものと同等の規格の新しい厩舎棟もありますが、多くは昭和の頃からある古いもの。老朽化というだけでなく今の労働環境とか馬の管理の環境にも合わなくなっていました。数が多いので一気にとはいかないものの複数年かけて新しくしていく計画で、その最初の新厩舎棟がこの春から稼働する事になります。 建物が新しくなって在厩馬が気持ちよく過ごせるようになれば、とか、働く人にとってより安全で、より働きやすい環境になっていって欲しいと思いますね。ウォーキングマシンとかも置けるようになるのかな? 最後にもうひとつ。フジラプンツェルがJRAに移籍したとのこと。より厳しい環境で鍛えて岩手に戻ってくる予定とのお話でした。 移籍したものの通用しなくて戻ってくるとなると残念だし、そんな程度の馬ではないと思うし、かといって大活躍すると岩手に戻ってこなくなるだろうし・・・と、こういう移籍の時はいつも複雑な気持ちになってしまいます。でもやっぱり良い走りを見せてほしいし、無事に戦い続けていってほしいと思います。
2023年01月12日
木曜担当のよこてんです。 1月3日、岩手競馬のレギュラーシーズンが終了しました。 昨年(度)・一昨年(度)は馬場状態悪化のために開催取り止めとなっての終了でしたので実に3年ぶりの“開催ができての終幕”であります。 今年も12月に取り止めがあり、その後もどうなる事かと思いながらでしたが、終わってみれば近年にないくらい「雪がない年の瀬」。年末年始の競馬場って雪と氷に閉ざされていないものだったんだ・・・。★12月31日。寒かったけれど時折青空も見えて。年末ってこういうものだったんだ・・・ という事で、この冬は1日と5レースの取り止めこそあったものの計画120日に対して119日の開催を実施する事ができ、レギュラーシーズンの発売額は641億円あまり、昨季に対して98億円弱の増加で終える事ができました。全国のファンの皆様に感謝、JBCに感謝、そして天候にも感謝しなくては。 今回はこの年末年始の話題をまとめてお話ししましょう。まず12月31日に行われた桐花賞。1番人気ノーブルサターンと2番人気ヴァケーション、3コーナーから続いた一騎打ちはノーブルサターンに軍配が上がりました。★第46回桐花賞/優勝ノーブルサターン 同馬はこれで転入後2連勝、それもトウケイニセイ記念・桐花賞と重賞を連勝という見事な成績。鞍上の高松亮騎手は2013年スーブルソー、2019年ヤマショウブラックに続いての桐花賞3勝目。ノーブルサターンを管理する板垣吉則調教師はその2013年スーブルソー以来2勝目となりました。★ウイニングランでファンに応える高松亮騎手 8歳最後の日に勝って既に9歳になった同馬は「このあとは休養し、春からも岩手で戦います」と板垣吉則調教師。 2着のヴァケーションは「春までは守谷ステーブルで休養し、春は赤松杯から始動するかシアンモア記念直行かは仕上がりを見て決めるつもりです。休養先はヴァケーションが昔から使っているところで馬の事をよく分かってくれているから安心して休ませる事ができます(畠山信一調教師)」 3着のグランコージー。大外枠から逃げて3着に粘り込みました。「桐花賞は最後まで粘ってよく頑張ってくれた。まだまだやれる力があると感じるレースでしたね。このあとは春まで休養することになると思います。マイルくらいの距離の重賞をなんとか勝ちたいですね(櫻田康二調教師) 今回の桐花賞は前回も出走予定だった馬がヤマショウブラック一頭のみと顔ぶれが大きく変わっていましたが、次回は今回の上位馬が出走して鎬を削り合う姿を想像したいですね。 12月31日には大井・東京2歳優駿牝馬にフジラプンツェルが出走しました。もし桐花賞が雪で取り止めになれば大井に行こうと新幹線の切符を押さえてありましたがそういう事態にはならず、レースは水沢競馬場でTV観戦。★東京2歳優駿牝馬/フジラプンツェル(撮影:真鍋元) 結果は10着でしたが関係者は前向きな手応えを語ってくれました。「状態は凄く良かったと思う。ゲートでも落ち着いてくれていました。もう少し速いペースになってほしかったけど、揉まれる形になってもよく我慢してくれていた。道中の手応えもあったのですが最後の伸びが敵わなかった。ですが同世代の他の馬がどんなものか分かったし、経験を積んでいけばもっとやれる力はあると感じました(山本政聡騎手)」「スローからのヨーイドンの形になったり揉まれていたり、今までとは違う競馬になってしまったことに戸惑った部分があったと思います。ただ最後は伸びきれなかったですがそこまでの手応えは悪くなかった。あの走りならどこかでチャンスがあるでしょうし馬にも良い経験になった。行って良かったと思っています(瀬戸幸一調教師)」 山本政聡騎手も瀬戸幸一調教師も“これなら条件が合えば足りる”という手応えを感じたレースだったようです。自分も見ていて同じように感じました。この遠征を糧にして来春以降の成長と活躍を期待しましょう。 なお同馬の今後の予定は今のところ未定、ゆっくり休養させてから考えたい・・・と瀬戸幸一調教師のお話でした。 年を越して1月3日の金杯。明け3歳馬の重賞はミニアチュールが優勝。こちらも桐花賞のノーブルサターンと同様に転入2戦目、転入後連勝での勝利となりました。★第47回金杯/優勝ミニアチュール 門別では5月18日と早い時期のデビューでしたが初勝利は8月30日と遅め。当初は“まだ幼くてレースに集中してくれるかどうか”という評価だったようです。結果的に門別の重賞には出走せずに移籍してきたミニアチュールですが、直近に限れば4戦3勝2着1回、安定して力を出せるようになったと評価したいところ。本馬も春まで休養して地元路線で、と佐藤祐司調教師。 ちなみに金杯を牝馬が制したのは2013年のブリリアントロビン以来ですが、その馬を管理していたのも佐藤祐司調教師でした。同調教師はその時以来の金杯2勝目。鞍上山本政聡騎手も2015年スペクトル以来の2勝目となっています。 そしてレギュラーシーズン終了にともない騎手リーディング・調教師リーディングも決定。騎手は216勝を挙げた山本聡哉騎手が2年ぶり6度目のリーディングに、調教師は板垣吉則調教師が105勝で、こちらも2年ぶり、7度目のリーディング獲得となっています。 山本聡哉騎手の216勝は自身のシーズン最多勝というだけでなく、既報の通り2005年に小林俊彦騎手(現調教師)が挙げた215勝の年間最多勝記録をも破る快挙を達成しつつのリーディング獲得となりました。 この小林俊彦騎手の215勝という数字はその後の十数年の間にも小林俊彦騎手自身であったり菅原勲騎手であったり、村上忍騎手、山本聡哉騎手が挑んできて、それでも一番接近したのが208勝で、これはそうそう簡単に超えられるものでは無いと思っていた記録。 記録というものはいつか塗り替えられるもの・・・ではありますが、ここで見る事ができたのは自分にとって幸運とも感じます。 ちなみに山本聡哉騎手が216勝を決めたダイワダグラスは奇しくも前記録保持者でもある小林俊彦調教師の管理馬。前の記録保持者から新しい記録保持者へ、歴代1位の座が受け渡されたかのような結果もまたドラマチックでしたね。 調教師リーディングの板垣吉則調教師は2015年に自身が挙げた127勝にこそ及ばなかったものの二度目の100勝越え。歴代でも3位となる勝利数です。「あまり落ち込む事なくどの馬もまんべんなく勝ち星を挙げる事ができたからこそのこの結果で、それで二度目になる100勝を超えたのですから上出来だと思います。もちろん、馬が頑張っただけでなくスタッフも皆が頑張った結果ですね(板垣吉則調教師)」 騎手リーディングの山本聡哉騎手、調教師リーディングの板垣吉則調教師はどちらも「勝利数」「勝率」「連対率」トップの“三冠”。さらに言えば山本聡哉騎手の重賞10勝は山本政聡騎手と同数の1位タイ、板垣吉則調教師の重賞12勝は断然の1位ですから“四冠”と言ってもいいのでは(※自分の計算のものなのでのちに出る組合の公式結果とは少し違うかもしれませんが三冠四冠は変わらないと思います)。無事にシーズンが終わった事でなんとなくホッとする感覚の方が強かったですが、騎手リーディング・調教師リーディングの記録の面ではかつてないような凄いシーズンを見たのかもしれませんね。
2023年01月05日
木曜担当のよこてんです。 2022年も押し詰まってきました。世の中は有馬記念が終わりホープフルSも終わり、東京大賞典が終わりして「来年もよろしく!」なムードですが、岩手競馬は31日まであるし年を越したところまでが“今年度”だったりするので今くらいのタイミングだとなかなかそういう感覚になりません。空模様とかにもドキドキハラハラしなくてはならないですしね・・・。 とはいうものの目の前に迫る桐花賞。今回は桐花賞に出走する有力どころの近況と、同じく31日の大井・東京2歳優駿牝馬に遠征するフジラプンツェルのお話です。 最初に、フジラプンツェルから行きましょう。プリンセスカップ後は寒菊賞-金杯のラインと東京2歳優駿牝馬との両にらみのローテーションとされていた同馬ですが、大井の方に行きたいというのが当初からの希望。無事選定されて大井に向かう事になり、枠順も3枠4番と発表されております。★フジラプンツェル(プリンセスカップ優勝時)「前走後は東京2歳優駿牝馬を目標にして順調に調整を進めてきました。追い切りも時計・内容とも予定通り。早めの入厩になりましたが問題ないですし、枠順も手頃だと思っています」と瀬戸幸一調教師。フジラプンツェルは既に25日かな、水沢を出発して移動済みとのこと。雪の影響を受けないように早めに移動して態勢を整える手はずなのだと思われます。その辺も含めて予定通り、順調。 自分はマイルはどうなのかな?という懸念を払拭しきれないでいるのですが、南部駒賞の時とは状態が違うようですし、このメンバーで大井のマイル、何より遠征競馬。好結果を出せれば来年の選択肢も拡がるでしょうし、どんな戦いを見せてくれるか?の試金石になるでしょう。 さて桐花賞。こちらも枠順確定済み。水沢2000mで12頭フルゲートの戦いとなりました。 エンパイアペガサスのような抜けた実績馬まではおらず、かつての“エンパイアペガサス VS ○○”な一騎打ちの様相でもありませんが、前半戦の重賞勝ち馬・後半戦の重賞勝ち馬が顔を揃えてくれましたし今年はなんとジャパンカップ出走馬まで参戦しています。“今シーズンの岩手競馬ドリームマッチ”といえるメンバーになったのではないでしょうか。 ファン投票は堂々1位に輝いたヴァケーション。年明けの川崎・報知オールスターCにも選定されていましたが、天候や馬場状態を最後まで見比べた上で桐花賞を選択。8枠11番からの出走となりました。★ヴァケーション(JBCクラシック)「JBC以来になりますが追い切りの本数は相当やってきているのでデキは十分だと思います。他の馬の動きを見ながら進む事ができる外枠もちょうど良いですね(畠山信一調教師)」 ファン投票3位だったリッジマン。“前走がジャパンカップ”という馬が桐花賞に出走するのは初めてですし、この先もそう簡単にあることではないでしょう。★リッジマン(ジャパンカップ)「状態面は良いものを保って出走できますね。あとはダートが合うかどうかだけ。脚抜きの良い馬場なら・・・と思っています(千葉幸喜調教師)」 ダートでの実戦は門別時代以来、その後は障害戦で一部ダート部分を走った事がある・・・くらいですから、ダートの、それもかならずしも万人(万馬?)向きでは無い冬の水沢の馬場でやれるのだろうか?は自然な心配だと思います。ただ具合は良いみたいですよ。 同厩の3歳馬クロールキックについては「前走時がプラス20kgでしたがまだ足りないと思うくらい。まだまだ成長途上なのだと思います。ただ、競走除外になって実質9ヶ月ぶりの実戦。ひとまずは無事に一戦を」とのことでした。★グランコージー(11月7日晩秋特別優勝時) ファン投票5位のグランコージー。今季の岩手ではA級特別の一勝のみに留まっていますが、シアンモア記念はゴールデンヒーラーに競り勝つ2着でしたし前走も逃げ馬圧倒的不利の傾向の中でよく健闘した内容。状態はいわゆる“着順の数字以上”と思っておきたいもの。 ファン投票6位のジェイケイブラックは今回が初の桐花賞出走に。北上川大賞典で待望の重賞タイトルを獲得して勢いに乗っての参戦ともなります。★ジェイケイブラック(北上川大賞典優勝時) 長めの距離が得意だけどコーナーはなるべく少ない方が良いタイプ。なので水沢で行われた2年前の北上川大賞典は力を出せずに終わっていますし水沢1900mなんかもあまり良い成績ではありません。なのでカギはやはり“小回り水沢の2000m”という舞台設定なのでしょうけども、ここまで力を付けてきた勢いは軽視できないはず。 ファン投票7位のヤマショウブラック。2019年のこのレースを制して年度代表馬にも選ばれたのはまだまだ記憶に新しいところ。★ヤマショウブラック(12月6日仲冬特別) 実はその桐花賞以降重賞勝ちが無いですし、白星自体からも1年半遠ざかっていますが、前走が久しぶりの水沢戦でこの馬らしい前向きな戦いを見せていて最近の状態は決して悪くないようです。管理する小林俊彦調教師も「水沢、それも冬場の水沢は合う」と常々言われています。実際、取り止めになってしまった昨年の桐花賞でも直前の追い切りは好時計を出していましたしね。4月の赤松杯では2着ヴァケーションから2馬身差の3着。それぐらいやれれば掲示板争いに参加してきて良い計算になります。 ファン投票で12位だったノーブルサターンは、注目度ではもっと上の方になるのではないでしょうか。★ノーブルサターン(トウケイニセイ記念優勝時)「前走後も変わりなく来ていますよ。転入直前の成績が良くなかったのは相手が南関の一線級だったからで、力を出せる状態であれば前走くらいやれる力がある馬・・・という事なのでしょう。2000mに関しても同じで、G1とかだから余計に堪えた分もあったのでは。だから距離に関してもそんなに心配はしていません」と板垣吉則調教師。 2017年のジャパンダートダービーではヒガシウィルウィンの5着、2019年のマーキュリーカップではグリムの2着。以前は1800m以上を主戦場にしていたくらいの馬ですし、2000mは十分に守備範囲のはず・・・と思って見るのが正しいのでしょうね。 桐花賞は31日の水沢9R、15時15分発走。当日の6Rは“トニージェント・メモリアル”、7Rが“ナムラタイタン・メモリアル”、8Rは“ありがとうエンパイアペガサス賞”と銘打ってスペシャル動画なんかも用意されているようです。そちらにもぜひご注目ください。 そして。山本聡哉騎手が12月26日終了時点で210勝として自身のシーズン最多勝利数(※2017年の208勝)を更新していると共に、小林俊彦(元)騎手が2005年に達成した215勝の1シーズン勝利数記録にも迫っております。★12月26日の7Rをボーンブレジーヌ号で勝って210勝目 残る開催日は今年2日・来年2日の4日間(※岩手競馬は来年3月開催まで「2022年度」の扱いですが、リーディング等の記録類は1月3日までで集計します)。前半3勝・後半3勝で新記録なわけで、通常なら達成の可能性大とか思うわけですけども、この時期は開催取り止めとかもあり得るのでまだなんとも言えません。次回のこのブログを書くだろう1月5日には結果がでているはず。“新記録達成”と書ける事を楽しみにしつつ、皆様良いお年を!
2022年12月29日
木曜担当のよこてんです。 一気に冬になりましたねえ。 先日までの水沢競馬、寒いことは寒かったのですが12月にしては気温高めで過ごしやすい3日間でした。ところが水曜日から雪。一気に真っ白。来週になると少し気温が上がるようなのですが(※この季節の岩手内陸民の感覚でいうと最高気温が氷点下でなければ“暖かい”になりますのでご注意ください)今週末はかなり寒いようで。競馬開催への影響もちょっと心配になってきました・・・。 それはさておき。昨日水曜日に『第46回桐花賞』出走馬ファン投票の中間発表がありました。中間上位の10頭は以下のような顔ぶれになっています。第1位/ヴァケーション第2位/ゴールデンヒーラー第3位/リッジマン第4位/カミノコ第5位/ジェイケイブラック第6位/グランコージー第7位/ヤマショウブラック第8位/カタナ第9位/クロールキック第10位/ブラックバゴ 昨年の桐花賞・・・といってもレース自体は取りやめになってしまいましたけども、その時の出走馬で今回も名前が見えるのはゴールデンヒーラーとヤマショウブラックの2頭。上位10頭中半数の5頭は今シーズンになってからの転入馬で、今年の古馬戦線の状況をある意味反映しているのかな・・・と感じる面々でもありますね。 昨年の古馬戦線は、ヒガシウィルウィンがマイル路線を、エンパイアペガサスが中長距離路線を制する形でしたが、今年はその2頭ともが不在となってぽっかり穴が開き、短距離路線こそキラットダイヤが昨年同様の活躍を見せてくれましたがマイル以上の距離はレースの度に勝ち馬が異なるような状況でした。 なので今年の桐花賞は抜けた馬がいない、いわゆる“どの馬にもチャンスがある”レースになりそうです。今回の中間発表で上位に入っていない馬でも、例えばトウケイニセイ記念を勝ったノーブルサターンは11位だったりしますが、10位あたりの票数は僅差ですし、このあと票が増えた馬あるいは報道推薦で入ってきた馬が結果レースで勝利をさらっていく・・・ということもあるのではないでしょうか。 さて、中間発表上位馬の近況等を何頭かさらっと。 まずヴァケーション。年明け3日の川崎『報知オールスターカップ』にも申し込みをしていますが現時点では両にらみ、どちらにも行ける体制で調整しているとのことです。★ヴァケーション(シアンモア記念優勝時) 現状の優勝距離はマイル以下の同馬ですがみちのく大賞典2着、マーキュリーカップ3着など2000mにも問題はありませんし、出走すれば当然有力馬の一角となる存在です。 ジャパンカップ出走で注目を集めたリッジマンも出走の方向とのこと。出走するなら障害レースのダート区間は別として、ダートでのレースは門別時代以来の約7年5ヶ月ぶり。芝コースがあるため「“地方移籍”と言ってもダートを走っていない」という馬が現れがちな岩手らしい戦績ですよね。久々ダート出走があるかどうか注目。★リッジマン(JCパドック)“前走ジャパンカップの馬の桐花賞出走”となればこれも史上初? 5位のジェイケイブラックは出走すれば桐花賞は初めてに。北上川大賞典は3度出走して今年“三度目の正直”で勝ちました。コーナーが少なければ少ない方が良いタイプなので水沢2000mが凄く良いかどうかは未知数ですけども、重賞を勝った勢いにはやはり要注目でしょう。★ジェイケイブラック(北上川大賞典優勝時) 7位のヤマショウブラックは門別から戻ってきた初戦の前走が見せ場のある2着。2019年の桐花賞を3歳で制しているように冬の水沢は得意。しかしその後はタイミングが合わなかったり雪で取り止めになってしまったりと一番得意な条件のところで出走できずにいました。前走の流れで挑めれば面白い存在になってくれそうです。★ヤマショウブラック(12/6仲冬特別パドック) なお中間2位のゴールデンヒーラーは、JBCレディスクラシック後にクイーン賞→桐花賞の路線で再調整していたのですが、馬場が悪くなる時期に無理をさせたくないとのことで来春まで休養に入っています。来春の登場をお待ちください。 この桐花賞ファン投票は競馬場・テレトラック等での投票用紙による応募は18日日曜まで、インターネットからの投票は半日早く17日17時までの受付となっています。残り時間が少なくなってきていますので投票がまだの方はぜひご投票を。お忘れなく!
2022年12月15日
木曜担当のよこてんです。 12月になりました。11月22日をもって今季の盛岡開催が終了。27日からは冬の水沢開催がスタートして、そして今季の岩手競馬(のレギュラー開催)も残すところ1ヶ月ほどということに。今年は雪で取りやめとかありませんように・・・。12月に入って急に寒くなったんだよなあ・・・。 さて。水沢に移った初日の27日ですが、自分は水沢ではない別の競馬場におりました。JRA東京競馬場。リッジマンが出走したジャパンカップを見るためです。 今回はそのジャパンカップに出走したリッジマンのお話。 JRAの競馬場に行くのは久しぶりだなと思って考えてみると、2019年12月、YJSファイナルラウンドで中山に行って以来でしたね。東京は2018年の1月、ラブバレットが出た根岸ステークス以来。なので東京競馬場はほぼ5年ぶり。その時は関東方面に積雪があった直後で、寒くて、スタンドのお客様もまばらでしたね。 今回はG1・ジャパンカップ。府中本町に近づくにつれ競馬場に向かうであろう人の数が増えるのを体感。駅から競馬場への通路も以前のG1日ほどではないかもですがなかなかの混雑具合でした。★府中本町駅からの通路にあった出走馬紹介バナー。もちろんリッジマンのもありました★芝が綺麗でええなあ・・・ 何より暖かいですよねえ。基本外にいるし風がそこそこありそうだし・・・と上着を多めに持ってきましたが結局1枚いらなかった。 むかーしジャパンカップを見に来た時はスタンドが底冷えして寒くて、日向を探して歩いていたような記憶が。11月下旬にしては暖かい今年のジャパンカップだったのでは。★自分はジャパンカップは21年ぶり。上に書いた「むかーし」はもう少し前のレガシーワールドが勝った時の事です。2001年はもうメモリアルスタンドできてた さて今回は取材証ではない一介のスマートシート民なのでしたが、リッジマンに集中すればいいと思えば気が楽でもある。 4階の自分の席からパドックへの道筋を確認しつつパドックの場所取り。競馬場で会った知人曰く「つい先日の天皇賞・秋の日よりも断然人が多い」とのことでしたので2時間前からパドックにいて少しずつ良さげな場所を探す。いわゆる“地蔵”ってやつだったりしますが、こういうの慣れてるので。★外国人騎手の写真を撮ったりしつつ。ダミアン・レーン騎手★H・ドイル騎手。もっと勝てていいと思うんだけどなあ★B.ムルザバエフ騎手。カザフスタン出身とあってかパンツの騎手名に気づかなければ日本人騎手だと思ってしまう とか思っているうちに15時。ジャパンカップの出走馬がパドックに現れました。★パドック内の馬主・調教師ポジションを示すプラカード。すぐ馬も来るのかとパドックで座っていた人たちも立ち上がったのだけど、なかなか来なくてまた座る・・・みたいな。結局馬が来たのはプラカードチームの10分後★リッジマンだ!田嶋さ~ん! リッジマンは前日の土曜日に水沢から移動。いわゆる前日輸送での出走でした。馬体重472kg、前走の岩手県知事杯OROカップ比で-6kg。長距離輸送があってこの数字なら特に問題はなさそう。輸送も順調だったのでしょう。★フランス・シムカミル★フランス・オネスト★フランス・グランドグローリー★ドイツ・テュネス 馬もそうですが、曳いているストラッパーさんの姿がまちまちなのがいかにも“国際レース”な感じですよねえ。★この30分くらい後に今年のジャパンカップ馬となるヴェラアズール この頃になるとパドック周りは大混雑。スタンドに近いあたりは立錐の余地無しな感じでしたね。自分がいたあたりは局地的にいくらかスペースがあったようです。 騎手が騎乗する前にパドックを切り上げスタンドへ。リッジマンの本馬場入場。 「水沢から世界に挑む。16番リッジマン」。実況の山本直也アナはあの1999年フェブラリーSを実況された方なんですよね。あの時も「水沢の雄メイセイオペラ」と言われていました。今回の本馬場入場で「水沢」と読んだ際、心なしか力が入っていたような気がしました。★発走が迫るスタンド前。こんな混み具合久しぶりに見た★ゲート裏で輪乗りをするリッジマンと田嶋厩務員 スタート。レースは実況動画もあるので細かい所はそちらをご覧ください。 リッジマンはまずまずの好発から徐々に控える形で1コーナーでは最後方近くに。道中も最後方追走、3~4コーナーで仕掛け始めた時は手応えにまだ余力があるように見えましたがそれ以上は差が詰まらず、ただ大きく離されることもなくゴールまで走り切りました。 結果18着・前の馬から4馬身差ではありましたが、自分よりずっと年下の、今年の重賞で勝ち負けしたような馬達とのこの差ならお世辞抜きで健闘と言いたいですね。 千葉幸喜調教師のジャパンカップ後コメント『2年ぶりの平地重賞がG1で馬も息が入らなかったか、最後の一ハロンで離されてしまいましたが馬は頑張って走っていた。現状の力は出し切れたと思います。 出たいと思ってもなかなか出ることができないジャパンカップという舞台に出ることができたのは素晴らしい経験でした。本馬場入場の時に「水沢のリッジマン」と紹介されて拍手が起こったのにもグッときました。世界の舞台に立って、得がたい経験をさせてもらったリッジマンには感謝ですね』 リッジマンがジャパンカップに出走意思を見せていると報じられてから同馬を管理する千葉幸喜調教師には度々お話を伺いました。出走枠に入るかどうか・・・という頃よりも実際に出走できるとなってからの方がより悩まれたというか苦労が増えたというか、そんな感じもありました。 一方で、いざ出走となって、そして実際に走り終えて、応援であったり声援であったりの声が、例えばJRA時代からリッジマンのファンだったというような方の応援の声が多くて、それは非常に心強かったし安心もしたとも言われていました。 ジャパンカップに出走した地方所属馬は、ダーリンググラス・ロッキータイガー・ジュサブロー・ガルダン・ロジータ・ジョージモナーク(2回)・ハシルショウグン(2回)・コスモバルク(6回)・ハッピーグリンの9頭。リッジマンは10頭目となりました。いやあコスモバルク6回出走か。凄いな。 ジャパンカップはじめJRAの芝G1に地方馬が出走するハードルはかなり高いので今回のリッジマンのような例はあくまでも“レアケース”。ただ、岩手には芝コースがあって、リッジマンのような芝実績が厚い馬でも地方で活躍するチャンスがある・・・という方向につながってくれれば良いなあと思ったりします。 どうでしょうね、盛岡の芝にグレードレースとか。芝の状態が良い7月頃で1700mくらいで。地方の馬はなかなか勝てないでしょうけどもいずれはそこから芝G1に羽ばたいていく馬も出てくる・・・とか想像してみたいですね。
2022年12月01日
木曜担当のよこてんです。※この稿は2022年11月24日分を後になって書いております。 2022シーズンの盛岡開催が終了しました。2年連続の“半年間ロングラン開催”もついに終了。次週からは冬の水沢競馬へと移ります。 今年の盛岡開催は先のJBCを最大の山場としつつ、“今年限りの芝”だったり“今年限りの高賞金”だったり、重賞競走の日程や条件が例年と大きく異なる形で行われましたわけですが、そんないろいろの甲斐があって盛岡開催66日間の発売額は415億円あまり、対前年比120.4%の好成績で終える事ができました。このまま冬の水沢開催も、昨年のような降雪取り止めが連続せず、好成績が続けば良いなと願うばかりです。 さて、そんな盛岡開催の最終日を締めくくったのがLJS、レディスジョッキーズシリーズの盛岡ラウンドでした。 昨年出場していた高知の2騎手、濱尚美騎手は負傷欠場、別府真衣騎手は引退となって不在。反対に昨年のこの時は負傷欠場だった浦和の中島良美騎手が参戦、そして今年デビューの川崎・小林捺花騎手が初参戦となり、出場した女性騎手の総数は7名で昨年と変わりなし(名古屋・木之前葵騎手は昨年・今年とも欠場)。 大きく違ったのは天候だったかもしれませんね。昨年はただでさえ11月下旬で寒いのに、冷たい雨が降り続いて本当に寒かった。馬場状態も水が浮いてびちゃびちゃの不良。今年は、寒い事は寒いですが好天・良馬場。昨年よりはずっとずっと気が楽なLJSの日になりました。★恒例の集合写真。左から関本玲花騎手、中島良美騎手、神尾香澄騎手、小林捺花騎手、深澤杏花騎手、宮下瞳騎手、佐々木世麗騎手。北から南へ。 盛岡での2戦、まず第1戦を制したのはエクシードスター号に騎乗した川崎・神尾香澄騎手でした。 直線出先に抜け出した小林捺花騎手騎乗プレストルーチェを佐々木世麗騎手騎乗のパープルグローリーが交わした・・・というところ、外から追い上げてきた神尾香澄騎手エクシードスターが捉えて交わしたところがゴール。 昨年の第1戦も神尾香澄騎手が制しているのですが、その時は2着に7馬身差の完勝でした。今回は僅差の勝利で、ちょうど昨年の第2戦、佐々木世麗騎手と濱尚美騎手の接戦の再現のような結果でした。 第2戦はゴール前で4頭一団の大激戦、その抜きつ抜かれつの接戦をモノにしたのはエイシンヌチマシヌ騎乗の関本玲花騎手でした。 関本玲花騎手は第1戦が4着。それも実は昨年の第1戦と同じ結果だったんですけども、第2戦は昨年の3着とは違って見事に1着を獲得してみせました。 そして同騎手はこれが地方競馬通算100勝達成の節目の勝利。口取りには同期の中島良美騎手を始め女性騎手達が参加して実に華やかなものになりました。 こういうタイミングで勝てるというのは意外になかなか無いですよね。持ってるよなあ。 そういえば、今は高知に所属している木村直輝騎手が初勝利を挙げた時、盛岡だったんですけども、ちょうど南関東騎手招待をやっていた日で、口取りに森泰斗騎手とか内田利男騎手とかがずらっと入ってくれたことがありましたねえ(なお木村直輝騎手は「めっちゃ緊張しました」と言っておりました)。 関本玲花騎手はこれでLJS盛岡ラウンド1位、表彰式はラウンド1位のお祝いと100勝達成のお祝いと、ダブルの祝福となりました。 今年のLJSは2ラウンドのみとなっていて次回は来年3月2日の川崎競馬場での実施です。2ラウンド4戦のポイント上位騎手が表彰されるので、前半戦を1位で通過した関本玲花騎手には川崎でも頑張ってほしいですね。 今年の盛岡ラウンドは2戦とも接戦・激戦が印象的でした。そして、例えば第1戦の小林捺花騎手が見せたような積極果敢に攻めていく若さあふれるレースぶりがあったと思えば、第2戦の宮下瞳騎手のように、他の馬たち・他の騎手達の競り合いをあわやまとめて交わすかというようなベテランらしい戦いぶりもありました。昨年に続いて出場した騎手は、昨年以上に腕を上げたと感じる戦いを見せてもいたと思いました。 女性騎手のレベル、上がってきているんじゃないか? JRAの今村聖奈騎手の活躍が話題になっている今年でしたが、地方競馬の女性騎手も腕を上げていて、ちょっと良い感じに伸びてきているように見えるんですよね。 欲を言えば、地方競馬だと今、全員揃って9名か。もう少し増えて12名、フルゲートが組めるようになればもっと盛り上がるしもっと面白いレースが見られるようになるんじゃないでしょうか。★川崎競馬のマスコット・カツマル君のぬいぐるみを持ってきたのは川崎所属の2名。来年の川崎ラウンドの宣伝だそうだ
2022年11月24日
木曜担当のよこてんです。 ようやく後編までたどり着きました。前編はこちら・中編はこちら。今回は『JBC2022盛岡』まとめ編です。 8年ぶりに行われた盛岡競馬場でのJBC。過去の2回、2002年・2014年の数値等にも触れながら今回の盛岡JBCを振り返ってみようというお題です。■観客数/1万4287人→1万331人→1万730人 JBC当日の早朝、盛岡駅西口の優待バス乗り場には既にバス待ちの列ができていたというお話はあちこちに書いてしまいましたけども、あとでうかがったところでは前夜から待っていた方もいたとのこと。待っている人もいるだろうなと思いつつ行ったとはいえ朝の6時にもうバス一台分近いファンが待っているのまでは想像していなかったですね。 今回の2022盛岡JBCは指定席券は事前抽選発売のみ、一般入場券は当初事前発売のみの発表でのちに当日発売も追加されました。★JBC2022盛岡の記念入場券 また、指定席利用者・優待バスの直行便利用者は所定9時の入場開始時間から15分早い8時45分から、当日発売利用者は反対に10時から(※入場券の当日発売が10時から)の入場開始として開門時の混雑を緩和する方策も採られていました。 最終的な盛岡競馬場の入場人員は1万730人となり、これは実は前回・2014年のJBC当日を上回っています。 これは途中で退場された方も含む数であって場内にこれだけの人数が常にいたわけでは無いという点には注意が必要ですが、これまでの数字も同様なのですから、コロナ禍の影響がまだまだ残る中にあって、わずかとはいえ前回以上の入場者数という結果は、これもまた想像していなかった部分でした。 そのせいで・・・というべきか、当日の場内で携帯電話のつながりが非常に悪くなるという状況になってしまったのは誤算でしたが、“ポスト・コロナ”な競馬イベント・JBCイベントとしてひとつの区切りというかメドというか、昔のように本場で競馬を楽しもう、楽しんでいいんだ・・・という姿が見えた今回のJBCだったのではないでしょうか。■発売額/21億8千万円→29億3千万円→69億7千万円 2002年の盛岡JBCの際はスプリント・クラシックの2レースのみ。2014年はレディスクラシックが加わってJBCは3競走。今回も同様でした。 発売額は、しかし2014年を40億円ほど上回る69億6683万円余。これはもちろん岩手競馬の1日発売金額レコードとなりました。○2002年JBCスプリント/5億9941万5600円JBCクラシック/8億1833万3600円○2014年JBCレディスクラシック/5億8077万7800円JBCスプリント/5億9941万5600円JBCクラシック/11億8296万3400円○2022年JBCレディスクラシック/14億7485万5100円JBCスプリント/19億5177万1300円JBCクラシック/25億49万1500円 2002年JBC当日の「1日発売額」を今年のJBCクラシックが1レースだけで超えていたりするわけですが、2002年当時は一部ネット発売(というかその頃は“電話投票”)があったもののメインは広域場外発売でのあの額。3倍ほどにもなった発売額の違いがネット発売の威力ということになるでしょう。 ちなみに1日発売額の中での自場(盛岡競馬場や岩手競馬の発売施設)と広域(他場での場外発売とネット発売)の比率はおおむね3:97。広域場外の中での他場場外発売とインターネット発売の比率はおおむね6:94でした。 芝の重賞レースも貢献しましたね。○ジュニアグランプリ2021年/1億716万6700円2022年/1億9603万4600円○岩手県知事杯OROカップ2021年/1億2546万2800円2022年/2億9093万400円 2014年JBC当日に同時に行われた不来方賞・秋嶺賞(この年限り重賞として実施)の2レースで3億円ほどの発売額があったので、それと比較すると3億→5億という増加。それぞれの昨年の発売額と比較すると約2.5億→約4.8億と概ね倍増。 秋の芝重賞は発走時刻が早くなることもあって夏場ほどには売れない。それを思えば倍増近くまで増やしたのは良かったでしょうし、話題性も含めレースの移動は大成功と言って良いと思います。 ということで『2022盛岡JBCは』、「1レースあたり」「1日あたり」「1開催あたり」それぞれの発売金額レコードを達成。JBC競走でもレディスクラシックが発売金額レコードとなりました。■昼開催からはくぼ開催へ 発売額の増加はネット発売の増加の貢献が大ですが、ネット発売が増えたのはレースの発走時刻が変わった影響もあります。○2002年JBCスプリント/発走15:00JBCクラシック/発走15:45○2014年JBCレディスクラシック/発走14:15JBCスプリント/発走14:55JBCクラシック/発走15:40○2022年JBCレディスクラシック/発走16:40JBCスプリント/発走17:20JBCクラシック/発走18:40★上・2002年JBCスプリント、下・2014年JBCクラシック。いずれも明るい時間帯★2022年JBCクラシック。もう真っ暗です 2002年と2014年は普通の昼開催の時刻。2002年は10R編成でしたね。2014年は11R編成。 岩手競馬では2018年から照明設備の使用を開始して盛岡での開催ははくぼ主体に舵を切りました。これが今年と以前との大きな違いのまず一点。 そして今年からグレードレースの発走時刻が遅くなったことに気づかれた方も多かったと思います。JBCクラシックの18時40分という発走時刻は岩手でのグレードレースとしては今までで一番遅いものともなりました。■街に飛び出したレースPR 以前の2回とは規模が変わったと感じたもののひとつがPRの拡がり方でした。中でも印象に残ったのが盛岡市や周辺部を走る路線バスに施された“JBCラッピング”です。 前面エプロン式表示だけのものから側面にも大小のラッピングを施したものまで種類は複数。盛岡駅のバスターミナルではそんな各種ラッピングを施したバスがひっきりなしに発着する姿を見る事ができました。 また盛岡駅内、花巻空港内などにも大規模なPRバナーが掲示されましたし、盛岡市役所にも掲示があったとの事。 2002年は盛岡市内の一部にバナーが掲出された程度だった記憶です。2014年も、前回よりは規模が拡大されていたもののここまで面的ではありませんでした。2002年の頃などは“ギャンブルである競馬を街中で大々的にPRするのは憚られる・・・”な雰囲気だったのも覚えています。なんというか、当時はまだまだ肩身が狭かったんでしょうね。 今回は積極的に街に拡がる方向になりましたしTVでのCMも多かったように思います。20年の間にそれだけ競馬というものの社会的な認知が進んだという事でしょう。★2014年はJBC関連の広報ものは駅周辺にちょっとだけという感じ★駅前通りに桃太郎旗おいてあったんですが、植木の影とかにあって全然目立ってなかった 「11月3日に」「盛岡競馬場で」「大きなレースがある」という認知が競馬ファン層以外にも伝わってくれていたならばありがたいですし、JBCは開催する競馬場だけのものではなく「開催場が立地する都市全体を巻き込んだ祭典」という認識が広まり定着するきっかけになるならなお幸いだと思います。 前回から8年ぶりに行われた盛岡でのJBC。先にも少し触れたように「現地で楽しむ競馬ファン」がたくさんいた、いてくれたということは“ポスト・コロナ時代の競馬”にとって心強い材料になったと感じます。 課題や反省点も多々あるのかとは思いますが、それはいつかまた盛岡でJBCができる日に活かせばいいでしょう。 そう。“いつかまた盛岡でJBCができる日”。皆さんもご存じのようにJRA・NARが全面的に協力し合っての3歳ダート三冠路線が2年後の2024年からスタートします。それに伴いダートグレードレース全体も大きく変わる事が予想され、3歳馬だけでなく古馬にとってもJBCに向かうローテーションが大きく変わるはずです。 次回の盛岡JBCがいつあるのか、そもそもあるのかないのかも今は全く分かりませんけども、その時は、出走してくる馬達のローテーションも顔ぶれも、今回とは大きく異なったものになっているのは間違いないでしょう。
2022年11月17日
木曜担当のよこてんです。 JBC編をどんどん書かねば。 今回は後編の予定でしたが書きたいことが多くなったので芝重賞とJBC競走のみで中編としてまとめを改めて後編にしたいと思います。 どんどん本題に行きましょう。まずは芝の二つの重賞から。 JBCの予定が発表された時に2歳のジュニアグランプリ・古馬の岩手県知事杯OROカップもJBCと同じ日に移されるとなって「どちらも重要なレースなのにJBCの前座のようにするのはもったいない」という声もありました。2歳の前哨戦になる芝戦がダート変更になってしまったりもして、当日もダート変更になったりしないよね?と心配された方もおられたのでは。といろいろ心配とか懸念とかもあったこの日の芝重賞ですが、終わってみれば大成功だったといえるのではないでしょうか。 2歳芝のジュニアグランプリは大きく見てホッカイドウ勢対岩手勢の形になりました。頭数では遠征勢6頭対岩手勢8頭。しかし結果は、その6頭の遠征勢が6着までを占める決着となりました。★ジュニアグランプリ/優勝ラビュリントス(門別・田中淳司厩舎/岩橋勇二騎手) ゴール写真はあちこちにあるのでここでは違う路線の写真を。 勝ったラビュリントスは知床賞に続いての盛岡での重賞制覇。その知床賞ではメンバー最速の末脚で差し切りましたが今回はひと足先に抜け出してメンバー中2番目タイの末脚でまとめ切る形。芝ダ兼用、距離が伸びるのも苦にしなかった点等、実りの多い勝利だったのでは。勝ち時計1分37秒9はレースレコードともなりました。 「田中淳司調教師にはチャンスを頂きながらなかなか勝てなかった。それに応えることができて本当に嬉しかったんです」とはレース後の岩橋勇二騎手。彼にしては珍しいくらいの大きなガッツポーズはその嬉しさの表れだったのですね。 地元勢は7着キタカラキタオペラが最高。盛岡の芝マイルに勝ち星がある馬も複数おり、中には1分40秒を切るタイムで勝っている馬もいて例年のような1分40秒台の決着になれば・・・でしたが、先にも触れたように1分37秒9、これまでのレースレコードを一気に0秒6も短縮するようなレースになってしまうと・・・。 地元勢にとっては前哨戦となるべき芝重賞がいずれもダート変更になったことが、高いレベルでの経験値の差になってしまったのかなと考えたりします。 続いて古馬の芝重賞・岩手県知事杯OROカップ。岩手でのJpn3よりも高い3000万円という1着賞金が話題になりました。それだけにメンバーもJRA重賞勝ち馬が複数登場する好メンバーに。★岩手県知事杯OROカップ/優勝アトミックフォース(船橋・山下貴之厩舎/矢野貴之騎手) 優勝したアトミックフォースはJRA時代には重賞勝ちこそ無いものの僅差の上位入着は複数回あり。今年7月のせきれい賞を制しているように盛岡での芝実績も十分。今回はそのせきれい賞以来の休み明けという点が懸念されましたが終わってみれば何の問題も無く、むしろより適距離の分せきれい賞よりも強い競馬を見せての勝利となりました。 2着は大井のコズミックフォースで鞍上の本田正重騎手にとってはジュニアグランプリと同じ悔しい結果に。3着のロードクエスト昨年盛岡で見せたような強気のマクリを打って場内を沸かせました。同馬はこれが引退レースになったということで、最後の戦いでJRA重賞勝ち馬の地力のなんたるかを見せてくれましたね。 地元勢はリッジマンが4着、ソロフレーズが5着に。この辺は2着争いとしては6着、7着あたりまで一線と言って良く、そんな馬達を6馬身ちぎった勝ち馬の強さが際立った直線の攻防でしたね。★1周目のスタンド前を2番手で進むリッジマン なお、3番人気に推されていた大井・トーセンスーリヤはレース中の3コーナーで左肩関節脱臼の故障を発症。競走中止、予後不良となりました。改めて同馬のご冥福をお祈りいたします。 雨が降ったりやんだりの天気になってきた盛岡競馬場でしたがJBCレディスクラシックの頃は降っていてもごくごく小雨という感じ。レース発走の頃はすっかり日が落ちましたね。★JBCレディスクラシック/優勝ヴァレーデラルナ(栗東・藤原英昭厩舎/岩田望来騎手) JBCレディスクラシックは前哨戦となるレースから転戦してくる馬が好結果を残していて、浦和1400mというスプリント的な設定になった2019年を除いて、過去の勝ち馬はいずれもがレディスプレリュード、あるいはブリーダーズゴールドカップを経ての参戦・勝利となっていました。 しかしヴァレーデラルナは前走がJRAの3勝クラスの特別戦。そしてそもそも今回が重賞初挑戦でもあって、このような臨戦過程からの優勝馬はレース史上初です。 初めての重賞挑戦かつ初めての重賞制覇がJpnIというシンデレラホースの誕生。それも3歳馬ですからね。この先の活躍が楽しみになる勝利になりました。 レースとしては思いのほか流れが落ち着いたように見えました。逃げたサルサディオーネが抑えた逃げに持ち込むのは想定内として、その他の有力馬もそれに合わせていった。自分は今回もテリオスベルあたりがレースを動かしに行くかと思っていたのですがそうはならず、落ち着いたままで直線まで流れ込んだ。グランブリッジにとっては前が止まらない展開になったし、ショウナンナデシコにとってはレースを動かすチャンスがないままになってしまった。それぞれ2着・3着を確保したのはむしろ立派だと思います。 このレースでの地方馬最先着は8着のサルサレイアでした。半姉のサルサディオーネは9着。ここまで何度か同じレースで戦ってきた姉妹なのですが、サルサレイアの方が先着したのはこれが初めてだったようです。★JBCスプリント/優勝ダンシングプリンス(栗東・宮田敬介厩舎/三浦皇成騎手) JBCスプリントも落ち着いた流れになりました。レッドルゼルが後方からの競馬になったことも一つの要因だったでしょうが、改めて考えると逃げたダンシングプリンスの後ろがほとんど動いていない。2番手に付けたヘリオス、内の3番手ラプタス、外の4番手リュウノユキナ。先行集団の4頭がほぼ同じ隊形が変わらなかった。 逃げている方とすれば、マイペースで走っていて後続が動かないどころか離れていったり、後ろから上がってくる馬もせいぜい同じような脚色・・・なら、時間が経過する毎に余裕はむしろ増していくくらいの気持ちだったのでは。 同馬はクラスターカップで1番人気に推されながらも出遅れが影響して4着。途中の前哨戦を挟まずに直行してきたのはそれだけ8月の借りを11月に返す意気込みの強いのだと思って見ていましたが、その通り、ダンシングプリンスの強さを見せつけることでその“借り”を返した結果でしたね。 しかし、クラスターカップでは1枠1番に入ったダンシングプリンスが出遅れて後方からになって4着。JBCスプリントでも1枠1番に入ったレッドルゼルがダッシュつかず後方からになって4着。なんとも・・・。 JBCスプリントでの地方最先着は5着のイグナイターでした。南部杯同様に直線で内を突く攻め。ただ、南部杯では一瞬先頭にも立ちそうな勢いを見せつつ最後まで食い下がりましたが今回はそこまでではなく、それは1200mの影響なのかと感じました。とはいえ長距離輸送が短い間隔で連続してなおしっかり力を発揮させる調整は見事という他はありません。★JBCクラシック/優勝テーオーケインズ(栗東・高柳大輔厩舎/松山弘平騎手) クラウンプライドがハナに立ってゆったりとしたペース。このレースもまた緩めのペースになりました。結果的にそのクラウンプライド、そして先行していたペイシャエスが上位を占めた事を思えば、中団やや前を追走し3角手前から捲っていったテーオーケインズが勝ち切ったのは、なかなかに凄い走りだったと思います。 例えばレディスクラシックのサルサディオーネ、例えばスプリントのダンシングプリンスのような“この馬が逃げる”という存在が、クラシックにはなかった。加えて直前で有力馬・実績馬が次々抜けていく混戦模様の力関係にもなりました。 クラウンプライドが逃げたのはそんな状況を見てでしょうし、フィールドセンスなんかも、その時は何で2番手に?と思ったんですが、あとで見直すと出して行っているように見えます。スタートが良かった時点で前に行く作戦だったんじゃないでしょうか。スローと踏んで前でレースを作る・粘るのは上位を狙いたい馬達の共通認識だったのではと思います。 テーオーケインズはそれを自力でひっくり返してしまった。時々“あれっ?”という負け方をするんですけども、今回は昨年の帝王賞やチャンピオンズカップに匹敵する、いやそれ以上の強い競馬だと感じました。 このレースでの地方馬最先着は8着のギガキングでした。優勝争いとは少し離れた所だったので目立っていませんが5着争いに加わっての8着ですからよく頑張っていたといえるでしょう。やはり盛岡は得意ですよね。 JBCの3競走はいずれも緩い流れの展開になりました。もう少しこう、レースを動かしに来る馬が出てくるのかとも想像していたのですが、思った以上に落ち着きましたね。しかしそんな中でも各馬自分の競馬を貫いていて、落ち着いた展開ではあったものの紛れはなかったのかなとも思います。 3歳馬の活躍が目に付いたJBCでもありました。レディスクラシックは3歳馬のワン・ツー。クラシックでも3歳馬が2着・3着を占めています。 各レースとも上位に若い馬が多かったですよね。例えばクラシックの掲示板5頭が全馬5歳以下というのは2020年以来の2度目。その時の上位馬の顔ぶれがクリソベリル・オメガパフューム・チュウワウィザード・ミューチャリー・ダノンファラオで、それらの馬達のその後の活躍ぶりを思えば(クリソベリルはその後勝てませんでしたが)、今回の上位馬の今後の期待も高まるというものでしょう。 これだけをもって世代交代が・・・と言うのは早いでしょうけども、そういう手応えのあるJBCだったのでは。 スプリントは、ここは3歳馬が出走しづらい。レースの配置的に東京盃を勝つしかないけどそこは古馬のレベルも高くて・・・なので出走権を獲るまでのハードルが高い。ただ3歳でJBCスプリントに出て勝てるような馬ならば、スーニのようにその後何年もダートスプリント界に君臨するような存在にもなれるでしょう。そんな強豪の登場を待ちたいですね。 次回は後編として、2022盛岡JBCを過去の盛岡JBCと比較しながらその違いをまとめてみたいと思います。もう少しお待ちを。
2022年11月10日
木曜担当のよこてんです。 11月3日の所に載せていますが実はこれを書いているのは既にJBCが終わった後であります。 3日の朝とか夜とかの時間を見て書く気は満々だったのですが、やっぱりというか案の定というか時間など全くありませんでした。 今回は、3日の分と10日の分の2週分を使って『JBC2022盛岡』前・後編という形で振り返る事にしてみたいと思います。 ということで、11月3日の項目なのに時系列が変・・・という部分があるやも知れませんが、そういう事だということで前後編合わせて読んでいただければ幸いです。 11月3日、決戦の朝。6時に家を出て盛岡駅西口の優待バス乗り場に寄ってみると既にバス待ちのお客様が並んでいるのを見て驚きつつ7時頃に競馬場着。すると競馬場の正面ゲート前にも既に列ができつつあって・・・という状況でした。★朝6時の盛岡駅自由通路「さんさこみち」ここはまだ人通り少ないものの、バス乗り場には既に行列が 盛岡駅8時発からの優待バスが到着し始めると優待バス直行便利用者専用の臨時入り口(全体9時に対して15分前から入場できる)にも列が伸び、開門間近の雰囲気が高まってきます。 競馬組合調べでは9時の開門時点での入場者数が500人ということでしたので、そうするとそれほど凄い数ではなかったわけですが(見た感じも2014年のそれよりはずっと短かった)、久しぶりに見る“入場待ち列”、やっぱり期待感というか高揚感がありましたね。★臨時入口の従事員さんは前回のJBCも経験。「あの時の賑やかさは今でも覚えている。今日はどんなふうになるんでしょう」。※若い警備員さんはもちろん初めてであります★正面ゲート前でお出迎えのミスさんさ・さんさ踊りチーム。レンズを向けるとお願いしていないのにカメラ目線で笑顔。さすがです! さてJBCを迎えた朝の各所を眺めてみましょう。 こちらは臨時プレスルーム。昨年の金沢にならってプレハブのプレスルームが立ち上がりました。自分は結局ほとんどここに来なかった。使い勝手はどうだったのでしょう。 レース順に並べて準備されたJBC各競走の賞状・トロフィー類。JpnIともなるとそもそも多いうえに3レース、他に重賞2レース。並べておかないと分からなくなりますよねえ。 パドックの横断幕も時間と共に増えていきました。 屋台村の各店舗も“お祭りモード”。見たことがないくらいの商品が積み上がっておりました。 ジャンボ焼き鳥の「鳥喜」さんは開場とほぼ同時くらいに行列ができはじめ、遅くまで長い列が続いていました。のちに聞いたところでは通常時の5倍近くの売れ行きだったとのこと。「焼いて焼いて焼きまくりました!」と鳥喜さん。 場内広場にはケータリング屋台が多数出店していた他、広場内に臨時の休憩所も設けられていました。 これも結構早い段階から行列ができはじめていて、1レース前なら買いやすいのかなと思っていた自分は結局ゆっくり買う暇無し・・・。 激戦の舞台となるダートコース・芝コース。当日朝の段階ではいずれも「良」の発表。のちに雨が降りましたが馬場状態の変更は最後までありませんでした。 気になったのはやはり芝コースの状態。馬場管理担当の佐々木さんに直前の様子をうかがってみる。「時期的にどうしても痛みはありますが、ここまでできる限りのメンテナンスをしてきたおかげで、この時期としては良い状態を保ってくれていると思います(佐々木さん)」。 過去には11月下旬まで芝レースをやったこともあったとはいえその頃は芝のレース数自体が今より少なかったという面もあります。今季はここまでに何度か“芝休催期間”を設けて芝の維持を図ってきました。その努力の甲斐はあったと思える当日の芝コースだったのでは。★最後の馬場メンテを見守る佐々木さん 10時45分、いよいよ1レースの馬がパドックを周回し始めました。ここからは各レースの勝ち馬をプレイバック。★1レース『JBC盛岡・門別 いよいよ開幕』優勝はモーモーブラック・塚本涼人騎手★2レース『プロポンチスメモリアル』優勝はセイシークエンス・高橋悠里騎手厩務員さん達もJBCオリジナルマスクを着用して周回する姿が(※関係者には事前配布され、当日着用推奨の形。これもイメージ作り)。★3レース『フラストレートメモリアル』優勝はコウソクブラック・山本政聡騎手★4レース『アストニシメントメモリアル』優勝はトーセンマッシモ・山本聡哉騎手★5レース『フロリースカップメモリアル』優勝はボウトロイ・村上忍騎手この辺の時間から雨がちに。★6レース『ビューチフルドリーマーメモリアル』優勝はフィナルタ・関本淳騎手★7レース『東京トゥインクルファンファーレ賞』優勝はベストフィーチャー・村上忍騎手★東京トゥインクルファンファーレ隊による生ファンファーレ。14mmでも正面からは入らんかった・・・ 2レースから6レースまでいわゆる“小岩井牝馬”の祖というべき馬達の名が付けられていました。 4レースにはそのものズバリのアストニシメント直系のトーセンシュシュが出走していたのですが残念ながら10頭立て10着。しかし勝ったのはビューチフルドリーマー直系のトーセンマッシモなのでした。 2レースのプロポンチスメモリアルに出走していたコーラル(アストニシメント系)は4着。6レースのビューチフルドリーマーメモリアルに出走していたビューチフルドリーマー系オオサキフラワーは10着。スカイルーク(アストニシメント系)は7着。 こういうのを見ると“サインだ!”とか面白おかしく想像するのですが、なかなかうまくいかないものですな。 午後からは雨が降ったりやんだりの雨基調に。それでもケータリング各店舗の行列は縮まらず。雨が降ったもののあまり寒くなかったのが幸いしたんでしょうか。前回の2014年は寒かった。 結果的にはですけども「雨が降らないが寒い」「雨が降るが気温高め」の二択な感じだったような当日でした。雨が止めば止んだで霧が出てくる可能性がありましたしね。 当日の7レースまで来ました。8レース以降の重賞とJBC2022盛岡のまとめは次回・後編へ。
2022年11月03日
木曜担当のよこてんです。 『JBC2022盛岡・門別』、あと一週間に迫ってきました。という事で今回は当日行われる重賞競走5レースをざっとプレビューしてみようというお題。■11月3日第8レース/ジュニアグランプリ(2歳・地方競馬全国交流・芝1600m)-地の利の少ない今年は例年以上に遠征勢優勢か- ジュニアグランプリは過去10年でホッカイドウ勢7勝・岩手3勝。星の数を比べると“ホッカイドウ勢断然”なのですが、それぞれのレースを見ると上位の勢力的には割と拮抗していて、門別の馬が勝っても岩手の馬が大きな差無く2着になっていたりあるいはその逆という結果が少なくありません。 それはやはり“地の利”の差、小回り・洋芝でやや癖があるとされる盛岡の芝コースを先に経験して挑める、遠征勢を迎え撃てる地元馬のアドバンテージによるものだったはずです。 しかし今年は8月の若鮎賞、9月の若駒賞、芝で予定されていた前哨戦がいずれも馬場状態悪化によってダート変更に。それだけ地元のアドバンテージが薄まる事になってしまいました。 もちろん、地元の馬たちにはデビューから芝を何戦かしている、芝マイルも経験している馬たちがいますから全く地の利が無い訳ではないものの、小さからぬ影響があるのではと感じます。 となるとJRAすずらん賞を勝っているコスモイグローグ、同じくJRAクローバー賞を勝っているジョリダム。それぞれJRAでは人気薄の勝利でしたが門別での対戦成績からは決してフロックで勝ったものではないといえますし、過去のジュニアGPへの遠征馬に比べても上位の実績を持つこの二頭がやはり最有力となりそうです。★コスモイグローグ(8/11門別8Rパドック) 他の遠征勢は、知床賞1・2着のラビュリントス・メンコイボクチャン、南部駒賞1・2着のエイシンケプラー・ナイトオブバンドということで対地元馬の実績で上位になりますし、ラビュリントス以外の芝を経験していない馬達も芝に対応できていい血統背景を持っています。決して侮れないでしょう。 地元馬も、しかし全くという事はないと思います。芝マイルで勝ち星あるペルトランやレジーナは1分40秒を切るタイムを出しており、例年の地元代表からのジュニアGP上位馬に比べてそれほど大きなひけは取っていないと見る事は可能。 私の注目はイイヒニナルです。芝で2勝という戦績も立派ですが目を向けたいのは中身。デビュー戦が35秒2、二戦目が34秒8。いずれも上がり最速です。こういう馬はやはり芝向き、芝馬だというのが経験則。血統的にはスプリント色が強めですがマイルであの脚が使えれば、あるいは・・・と思いますね。★イイヒニナル(10/2盛岡5R優勝時)■11月3日第9レース/岩手県知事杯OROカップ(OP・地方競馬全国交流・芝1700m)-JRAグレードレース並みの顔ぶれで激戦ムード- OROカップのメンバーをざっと見渡した感じ、JRAの芝重賞並みと思うような顔ぶれになりました。 2020年の新潟大賞典2着アトミックフォース。2021年中山記念3着、今年の函館記念でも4着があるウインエクシード。2018年東京優駿3着コズミックフォース。2016年のファルコンSを制しているトウショウドラフタ。2021年函館記念優勝トーセンスーリヤ。そしてスワンSなどを勝っているロードクエスト。 地元代表馬にも2018年ステイヤーズS優勝のリッジマン、同じく2018年小倉記念優勝のマウントゴールド、2019年チャレンジC優勝ロードマイウェイがいます。 JRAから地方に転入してあまり間もない馬もいればすでにダートでも実績を積んでいる馬もおり・・・ですがいずれも直近の成績は悪くないですし、アトミックフォースやロードクエストのように遠征馬ながら盛岡の芝での優勝経験がある馬もいます。★アトミックフォース(7/31 せきれい賞優勝時) 今年の盛岡での古馬芝戦線はひとまず順調に進んできていてここに出てくる馬達も前哨戦をしっかりこなしてきています。アトミックフォースが勝ったせきれい賞での結果からも、少なくとも対戦経験がある馬の間では極端な力の差が無さそうにも感じます。ということになると、地方に移って初めての芝になる馬、初めての盛岡の芝になる馬がどんな力を発揮してくるか?という難しい想定に悩む事になるのでしょう。洋芝経験が無い馬を切る・・・というのもあまり意味が無さそうですしねえ・・・。 地元勢ではここまでOROカップ目標で進んできて結果も出しているソロフレーズを第一に挙げたいですけども、いしがきマイラーズ2着マウントゴールド・3着バスカヴィルらも力負けでは無く展開負け・枠順負けの印象があるだけに、そのレースの結果だけで力関係を決めるのは早計だろうと感じます。★いしがきマイラーズゴール前/優勝を争うソロフレーズ、マウントゴールド、バスカヴィル■11月3日第10レース/JBCレディスクラシック(OP牝・ダート1800m)-女王の座を巡る戦いは各馬横一線- 今年前半の牝馬グレードを勝ちまくり、牡馬を相手にかしわ記念まで制したショウナンナデシコ。JBCもこのまま同馬が獲って終わりだろう・・・という雰囲気で始まったRoad to JBC。しかしレディスプレリュードでの敗戦で状況一変、牝馬路線は一気に混沌としました。★レディスプレリュードゴール前/内で競り合うテリオスベル・ショウナンナデシコを一気に交わすプリティーチャンス ショウナンナデシコは敗れたとはいえ3着、休み明けの前哨戦と思えば本来気にする事ではないのですが、いつものこの馬の粘り腰を発揮できずに競り負けた点、マイナス2kgの馬体が休み明けにしては余裕なさげに感じた点が気になりました。 これまでも休み明け初戦はもうひとつ、ひと叩きで良くなる成績でしたし、やはり気にしすぎる事ではないのでしょうけども、上積みがどれくらいか?はちょっと意識しておきたい部分だと思います。 ここに来てライバルが勢いを付けてきたのも意識しておくべき点といえるでしょう。レディスプレリュードを制したプリティーチャンス、ブリーダーズGCを制したグランブリッジ。テリオスベルも直近の連続好走を見れば油断できない存在になりました。地方勢からも8歳にして衰えを見せないサルサディオーネが虎視眈々狙っています。★グランブリッジ(8/11ブリーダーズゴールドカップ優勝時) ショウナンナデシコにとっては、春先に戦ってきたのはどちらかといえば同タイプの先行型で終いの脚はちょっとジリでもあり、自分はサルサディオーネを捉まえる事に専念していい相手関係だった・・・という印象もありました。差し・マクリを武器にするライバルが増えたのは戦い方を難しくする要素になっているのでは。 一方で“徹底先行”サルサディオーネがいるのはショウナンナデシコにとっても戦いやすい展開になるはず。「サルサディオーネがいるかどうか」がレディスプレリュードと違う結果に持ち込むカギでしょうし、逆にサルサディオーネはショウナンナデシコの“徹底マーク”をいかに切り抜けるか?がカギになるでしょう。★サルサディオーネ(8/28ビューチフルドリーマーカップ優勝時)■11月3日第11レース/JBCスプリント(OP・ダート1200m)-連覇を狙うレッドルゼルは順調発進。ライバルはどこまで迫る事ができるか?- JBCスプリントの直接の前哨戦となる東京盃。頭数は少ないながらも今季前半戦の活躍馬とその後の活躍馬との激突の構図となりました。 軍配があがったのは前半戦の活躍馬。中でもレッドルゼルは58kgで楽勝と言って良い強い勝ち方を見せ、JBCスプリント連覇に向けて順調な滑り出しを見せましたね。★レッドルゼル(10/5東京盃優勝時) 3月以来の休み明け、それも海外遠征後の初戦。どこかに隙を見つけたかった自分でしたが、あの勝ち方を見せられてはそんな“隙”は無いと言う他はないでしょう。実際、フェブラリーS→ドバイ遠征→休み明けで東京盃からのJBCスプリントのローテーションは昨年と全く同じ。その東京盃は昨年は56kgで勝てず、今年は58kgで快勝。流れは昨年以上にも感じます。 ではレッドルゼルに立ちはだかる馬はいないのか?というと、それは決してそうでは無いとも思いますね。 例えば東京盃2着のテイエムサウスダン。こちら視点で見れば2kgの斤量差があって簡単に交わされているのは確かにその通りですが、こちらも5月以来の休み明け&+14kg。それで一度は先頭に立ってレッドルゼルと競り合ったのですから内容は悪くありません。いわゆる叩いた上積みはかなり大きく見込んでいいのでは。 クラスターカップは4着に終わったダンシングプリンスでしたが陣営が選んだのはJBC直行。不良馬場で持ち味を削がれたレースは力負けではないと、これでコース経験も積めたと判断してのこの臨戦過程でしょうから陣営の自信を感じます。北海道スプリントも結果は僅差でしたがこれも当日は内ラチ沿いが深い、不利と言われていた中での1番枠からの勝利ですから着差以上の評価が必要でしょう。 他にも今季の敗戦がいずれも展開負け、力負けには見えないリュウノユキナ、左回り巧者と判断していいヘリオスもコース経験をアドバンテージにできる今回ですし、イグナイターは1200mが初めてですが今季ここまでの勢いは侮れません。南部杯での走りもあと1ハロン2ハロン短ければ・・・と思わせるものでしたよね。地元戦で好タイムを連発してきたキラットダイヤも楽しみな一頭です。★ダンシングプリンス(6/2北海道スプリント優勝時) 昨年のJBCスプリントは1400mという条件ゆえに1400~マイルあたりの実績が厚い馬が中心でした。今年はよりスプリンター型が増え、そういう馬にとって戦いやすい条件にもなります。そこがレッドルゼルにとっては昨年と違う前提条件になるのではないでしょうか。■11月3日第12レース/JBCクラシック(OP・ダート2000m)-昨年のクラシック出走馬は1頭のみ。最後の大一番が最大の混戦か- 2019年のJBCクラシックを制し今年の川崎記念も制しているチュウワウィザードが直前になって繋靱帯炎のために引退、東京大賞典3連覇中のオメガパフュームは出走せず。結果的に昨年のJBCクラシック出走馬12頭中で今年も出走するのはテーオーケインズ1頭となりました。出走馬中の「古馬グレードレース勝ち馬」もそのテーオーケインズの他にメイショウハリオ、カフジオクタゴン、フィールドセンス、オーヴェルニュの計5頭。“G1馬三つ巴”の印象があった近年のJBCクラシックに比べると、横一線という感じが強いですね。 カギはやはりテーオーケインズの走りでしょう。帝王賞からJBCのローテーションは昨年と同様、左回りもサウジを除けば崩れておらず得意と言っていい。時々ぽろっと負けるのが悩むところですね。59kgでも圧倒的に強かった平安S、あっという間もなく突き抜けた昨年の帝王賞。そんな走りを見せてくれればここでも圧倒していいのですが。★テーオーケインズ(21年帝王賞優勝時) もうひとつはメイショウハリオの評価。帝王賞は、チュウワウィザード・オメガパフューム・テーオーケインズの“G1トリオ”を一団の僅差ながらも退けているのだから強い内容と言っていい。一方で帝王賞の1ヶ月前の平安Sでは59kgのテーオーケインズに57kgで5馬身差の敗戦。その力関係がわずか1ヶ月ほどで逆転しているとも言い難い。どこまで高く評価して良いのか?が悩むところです。 直近の中距離ダートG1での実績馬が力を出し切れないようだと、例えば日テレ盃上位組、あるいは3歳勢が台頭する可能性もある。左回り巧者に思えるオーヴェルニュやカフジオクタゴンも同様。これは“やってみないと分からないレース”と思えてなりません。★メイショウハリオ(6/29帝王賞優勝時) 注目したいのは、ひとつは3歳勢。レディスクラシックのグランブリッジもそうですが今年のJRAダート路線の3歳世代は素質馬揃いの印象があります。オーバルスプリント2着のリメイクも3歳馬でしたよね。この時期のダートグレードで3歳馬がこれだけ存在感を見せるのは近年にないですし、レース内容も斤量差があるにしてもそれぞれに目を惹くものがありました。もしかしたらこのレースが世代交代のきっかけになっていくのかも。 もう一頭、フィールドセンスにも注目してみたいです。スパーキングサマーカップ・日テレ盃を連続して人気薄で勝った同馬なのですが内容は強いの一言。大一番を前に勢いが上がる一方という馬は軽く見ない方がいい・・・とは何度も思わされてきた事ですし、この二戦の走りもフロック視するのはあまりにももったいないですよね。★フィールドセンス(8/25スパーキングサマーカップ優勝時) さて来週のJBCデー。レースだけでなくお天気は?気温は?と天気予報を見ながら一喜一憂。余計な事を書くと裏目に出そうなので書きませんが(苦笑)、一週間後がレース日和になってくれる事を強く願っております。
2022年10月27日
木曜担当のよこてんです。 11月3日の盛岡JBCも徐々に近づいてきました。あと2週間ですね。いろいろ書きたいネタ・書かなくてはいけないであろうネタもあるのですが、今回は「8年ぶりに迎えるJBCを前に、盛岡競馬場の変化したところ」というお題で行きましょう。 まずはこちらから。『馬像が綺麗になりました』★「そういえば昔はこんなだったな」と26年ぶりに思いました これは夏に綺麗になりましたね。前回の2014年JBCの時も特に手が入れられてなくて、開場からずっとそのままだったんじゃないでしょうか。まあ適度にウェザリング(汚れとは言わない)されているくらいが風格があって良いような気もしますが、ブロンズ像ですし黒光りしているのももちろんいいものです。 そして『彫刻群も綺麗になりました』★ゲートの外に置かれているものですけれど門内のも綺麗になっております OROの入場門前の通路や中に入った所の緑地帯の各所に置かれている彫刻群。これは岩手県競馬組合設立30周年記念事業として行われた『馬の彫刻コンクール』入選作品の10点で、OROパークの落成式の日に表彰式もあわせて行われていた事を覚えています。 これも長らくそのままで、屋外に置かれているので塗装が剥げたり錆びたり・・・という状態だったのですが、今回清掃修復されて26年前の美しさを取り戻しました。ここ10年くらいに競馬を始めた方は“こんなに綺麗だったのか”と思われるのでは。 『特別観覧席がリニューアルされました』 今季のORO開幕時から工事が進められていたスタンド3階特観席・F席・G席のリニューアル、10月2日から新装オープンとなっています。 これまでは“普通の指定席よりもちょっと広い席”と“テーブルがあるグループ席”でしたが今回グループ席主体に改装。4人グループ席・8人グループ席を広く取る形になりました。 なかには土足禁止のカーペット席もありまして、ごろごろと寝転がりながらレースを楽しむ事も不可能ではありません。★こちらが土禁席 また、二人がけのペア席もこれまでよりも幅広く、そしてベンチシートタイプのものになって要は仕切りがなくなりました。 どの席もこれまでよりゆったり楽しんでいただけるのではないでしょうか。 『パドック脇観覧スペースもそろそろ完成』 お客様の目に見える範囲でいうとこれ。気がつかれた方も多かったでしょう。 パドック脇で行われていた観覧スペースの工事が進み、先日囲いのネットが取り外されると共に植え込みの木が刈られて全体が見えるようになりました。★工事が始まって間もない頃 この辺はながらく植え込みでしたし、パドックの出口側から眺める事が多い自分にとっては景色もずいぶん変わる感じがします。 『新厩舎絶賛工事中!』 厩舎地区の奥の方に建てられていた新しい厩舎棟。まだ工事の途中なのですが、先日の土曜日ですね、実際に馬を歩かせたりして造作の確認が行われました。 既存の厩舎棟とは異なり“今風”の平屋建て、馬房の仕切りも引き戸に。全体に窓が多い・大きくて明るい感じがします。厩舎の建物の間も将来ウォーキングマシンを置く事を考慮して広めに。 現在建設中の新厩舎棟はとりあえずJBCの遠征馬用の馬房として使用を開始するとのこと。★モデル・小林凌騎手。 また、同タイプの厩舎棟は水沢競馬場でも建設が進んでいまして、来春には3棟かな、完成して引き渡される事になっているそうです。水沢では古い厩舎を順次建て直していく計画です。 細かいところですが『OROボードになにやらありそう!?』★塗ったのではなくパネルを貼っている模様。スクリーンにするのかな?? これはめっちゃ細かい所ですけども、ビジョンの隣にある旧OROボード。以前はオッズとか着順着差等が掲示されていた事を覚えておられる方も多いでしょう。 2016年まで使用されていましたが部品枯渇という事情で2017年からはシャッターが閉まったままの状態。それも長くなったのですっかり目になじんでいた・・・のですが、先週、シャッター部分にスクリーン様のものが貼られているのを発見。何かに使うんでしょうねえ・・・。 『街にも拡がっていますJBC装飾』 JR盛岡駅の改札と西口を結ぶ連絡通路・通称『さんさこみち』にJBCの広告が出たのは南部杯の前の週。 盛岡駅と競馬場を結ぶ優待バスはJBC当日には西口に発着します。遠方から新幹線で来られた方は自然とこの通路一杯のJBCイメージを見ながら・・・という事になりますね。 花巻空港にもタペストリ広告が出ているそうですがまだ見に行けてない。という事でお伝えするのはラッピングバス。 盛岡市内を走る岩手県交通の路線バスにJBCラッピングが施されております。 正面に幕を張ったもの、側面のバナータイプは大小があるようです。ラッピングが付いたバスが競馬場行きの優待バスに投入されるのかな?なので、もしかすると11月3日には市内ではあまり見かけない・・・という事になるのかもしれませんが、今のところは盛岡駅東口のバスターミナルで見ているとわりと頻繁にラッピングバスがやってきます。 盛岡の路線バスはですね、車両のバラエティが豊富ということでその筋(何の筋?)のファンの方には有名だったりします。JBCの前にでも、駅前でバスを眺めてみるのも面白いかもしれません。 ということで駆け足でしたが「JBCを前に変わったところのいろいろ」をお伝えしてみました。2週間後に迫った2022盛岡JBC、8年前とは違ったこれらのところにも目を向けていただけるとお楽しみが増えるのではないでしょうか。
2022年10月20日
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