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2010.07.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 1871年3月、パリで起きた民衆蜂起は、政府をパリ市内からベルサイ
 ユに追い払い、「パリコミューン」という自治政府まで作ってしまった。


 それより84年前に起きた、江戸での民衆の蜂起は、いかにも江戸的な
 パリに比べると異質なものだったようですな。


 その民衆の蜂起とは、「打ちこわし」とよばれ、天明のものが一番大がか
 りなものでしたが、それより五十年前の享保十八年(1733)にも起き、
 民衆の幕府にたいする米価政策批判という性格のものだったようです。


 当時の町奉行は、あの大岡越前守であり、彼とて米価引き下げ策をなにも
 打ち出せなかったのですよ。(大岡政談って作り話ですしね)



 まずは、「天明の打ちこわし」のドキュメンタリーをお送りします。


 天明七年(1787)年、五月二十日と言いますから、ちょうど今頃です。


 天明三年の大飢饉の影響で、米の価格は急騰しつづけ、江戸の下層市民は
 米を口にする事すらできなく、川の土手の草まで食べたと申します。


 米の絶対量が少ない上に、米商人が相場の上昇を期待して、売り惜しみを
 していたことも事実だそうです。


 もうこのままだと、餓死してしまうという危機感を、市民が持ち始め、
 それが五月二十日の夜に爆発してしまったのです。


 深川六間堀町の裏長屋に住む、桃燈張(ちょうちんはり)職人の彦四郎ほ
 か七人が、米商に掛け合って施米(せまい=僧やまずしい人に米をほどこ
 し与えること)を頼みにいこう、そして断られたら打ちこわしをかけよう



 その夜、彼らは、深川森下町に手広く米・乾物類を商っていた伝次郎の門
 をたたき、施米を要求したのです。


 ところが、出てきた手代は
 「あいにく、主人は留守にしており明朝までまっていただきたい」と、
 もうしたところ、



 建具や家具をさんざんに打ち壊して引き揚げた。


 ただし、この時、一粒・一品たりとも盗みはしなかった。
 打ちこわしただけだから、打ちこわしとわざわざ呼んだのです。


 深川とほぼ同時期に、本所、赤坂、四谷、青山でも
 打ちこわしが起きました。


 以後二十四日ごろにいたるまで、昼夜の別なく
 「南は品川、北は千住、凡(およ)そ御府内四里四方の内」
 余すところなく、米屋はもちろん、
 富商の家々も次々に打ちこわされました。


 打ちこわされたのは、米屋だけでも九百八十軒におよんだそうです。


 また打ちこわしの参加者数は、じつに「二十四組五千人ほど」
 という大規模な騒動でした。


 確かに郎党を組んで狼藉はしても、極めて礼儀正しいものだったそうで、
 盗みはしないし、怪我もさせない。


 しかも、途中で休息を取るほど、
 落ち着いた統率の取れた集団だったそうです。


 これは、その参加者が、ほぼ同じ町内の人で、
 しかも打ちこわした先も同町内のお店だったからでしょう。


 また、町奉行も騒動に手を持つけられない有り様で、
 これがきっかけで、下層民無視の、富商との賄賂政治を行った田沼意次政
 権が崩壊したわけです。


 打ちこわしは、いわゆる民衆のデモンストレーションであったわけで、


 それに対して、幕府は大手門外の四日市に救済小屋を設け、
 七歳以上の困窮民一人につき玄米二合五勺、豆二合五勺、銀三匁二分ずつ
 与えました。


 と、同時に御先手十組の市中巡察が始まり、翌二十五日には人心もやや落
 ち着きをとりもどし、商家も店を開くようになりました。


 打ちこわしの逮捕者で、死罪や遠島に処せられた者はいません。


 参加者の罪は軽く、一番重いもので「重敲(じゅうたたき)の上重追放」
 でした。


 その判決理由は「御府内と申、公儀を恐れざる仕方不届」と将軍のお膝元
 の江戸で蜂起した事を強調しています。


 あっ、そうそう。この時、鬼平こと長谷川平蔵が、先手組の組頭の一人と
 して華々しくデビューしました。


 もちろん、長谷川平蔵ほどの人をかり出さずとも、
 「まぁ、大げさな事」との批判も多くあったようです。


 「パリコミューン」は、1週間にわたる市街戦ののち、
 2万人以上の死者をだして崩壊しましたから、
 つくづく、あちらの方は戦争がお好きだなと思います。


 ああ、江戸が、日本が、のほほんとしてよろしゅうございます。





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最終更新日  2010.07.24 22:02:40
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