中高年サラリーマンからの行政書士 独立・起業の舞台裏

中高年サラリーマンからの行政書士 独立・起業の舞台裏

第2話 エスニックはいかが?



     1

 お客さんの所の打合せが終わり、ビルを出たところでマナーモードにしてあった携帯が震えだした。

 見てみると望月からだ。また書類の書き方が判らないとか、ホームページがグチャグチャになったので直して欲しいとか、そんな頼みだろうと思って電話に出た。

 「もしもし、轟だけど」

 「あっ、轟さん、よかった捕まった。何度も電話してたのに、繋がらなくて」
 どうもこのビルは電波が届きにくいらしい。
 「いやぁ、すまんすまん。お客さんの所にきていたんだけど、電波状態が悪いみたいだね」
 「そうだったんですか。で、どんなお客さんで? 新規の人ですか? 顧問契約か何かで?」
 「そんな事より、そっちは何か急いでたんじゃなかったのか?」
 「あ、そうでした。実はですね、ちょっとややこしい事になってまして」
 彼が連絡してくる時は、そう言う時しかないから、別に驚きもしない。
 「で、何がどうなってるんだい」
 「いやぁ、電話じゃちょっと言いにくいんですけど、今どこに居るんですか?」
 「日本橋だけど...」
 「そりゃあいい。相談に乗ってくれたら夕食ご馳走しますよ。
 「今からお客さんと一緒に行きますから、この前行った3丁目の料亭で待っててくれますか。向こうには電話しときますから」
 3丁目の料亭って言うとちょっと名の通ったお店で、売れない行政書士なんか一生入れそうもないところだし、大体予約無しで当日入れるようなところでもない。この前は大病院の院長の案件という事で、仕事が完了した時にご馳走になっちゃったけど、こう言うところにも顔が利くのは御曹司ならではって事か。

 でも普段ならこんなところで打合せなんかしないから、よっぽど大物のお客さんか、それほどオレの助けを必要としているのかどっちかという事だ。
 せっかく美味しい料理が食べられるチャンスでもあるから、ここは引き受ける事にした。
 「じゃ、今から出ますから1時間くらいで行けると思います。詳しい事はそのときにお話します」

 「すみません、遅くなっちゃって。こんな時に限って事故渋滞なんかしてるもんだから。」
 謝りながら入ってきた望月の後ろから、インド人らしい風貌の30過ぎの男性と、その母親なのかAAAを着た高齢の女性が入ってきた。
 「轟さん、こちらがスニルさん。こちらの女性はスニルさんの奥さんのお母さんで、ジョアンさん」
 「ハジメマシテ」
 スニルさんと紹介された青年が、割と流暢な日本語で名刺を差し出しながら挨拶した。
 「行政書士の轟です。よろしくお願いします」と名刺を渡しながら挨拶し、更にお母さんという方に
 「Nice to meet you」と声を掛けると、お母さんのほうはちょっと顔を明るくして、
 「Glad to meet you. My name is Joan. I'm mother in law of sunnir」と返事をして来た。インド人にしては訛りが軽く、クイーンズイングリッシュがかなり強い。若い頃イギリスに留学していたか、イギリス人と混ざって生活していたようだ。立ち振る舞いからも、中流以上の家庭の感じがする。多分車の中ではほとんど日本語の会話で、訳が判らずさびしい思いをしていたのだろう。
 「轟さんは英語もできるんですか」
 スニルと言う青年が声を掛けてきた。彼の日本語も訛りがほとんどない。どこで覚えたんだろう。
 「ええ、中学校が英語教育に力を入れてたので、アメリカ人の教師にみっちり会話を教え込まれたもので」
 望月も英語ができるので、一般会話は英語で話をしてもいいのだが、法律用語とかが出てくると微妙なニュアンスに自信がないところもあるので、お母さんには申し訳ないが、この際日本語でやり取りする事にした。お母さんにはスニル氏の通訳で参加してもらう事にする。

 さすがの高級料亭だけあって、日本料理に馴染まず、菜食主義のジョアンさんにも合うような料理をチョイスしてくれ、場合によっては彼女の分だけ別の味付けにしてくれたりしている。
 そんな料理を楽しみながら話を聞いてみると、このスニルという青年は、インドの大学を首席クラスで卒業し、向こうのIT企業に就職したが、その会社が日本の会社と契約してシステムを開発した時に、開発要員として、数年間日本の会社で働いていたとの事。その時の日本の印象が良くて、一旦インドに帰ったが、日本でIT関係の会社をやりたくて友人と共同して3年程前に日本で会社を立ち上げ、今では10名以上の社員を雇っているという。最近このように海外から日本に来て会社を立ち上げて活躍する外国人が増えている。ひょっとしたら日本の経済を救い出すのはこう言うバイタリティのある人たちかもしれない。
 それにしても望月のやつ、どこでこんな人と知り合ったんだろう。この男の交友関係は謎だ。

 「では奥さんが妊娠して具合が悪いので、ジョアンさんにずっと居てもらって手伝ってもらっているって事ですね。しかも出産を控えて日本での暮らしのストレスと出産が重なったためかうつ病になってしまったと言うのですか?」
 「そうです。私は事業の方にばっかり目が行っていて、奥さんの事をちゃんと見てあげていなかったのです。きっと慣れない土地で、つわりもひどく、相談相手もいなかったので、どんどん自分で背負ってしまったんだと思います。もう少し早く気が付いてやればよかった。」
 「半年ほど前からお母さんに来てもらいましたが、その時はうつ病はなかったです。お母さんに来てもらってといういるの気持ちも、うつ病のきっかけだったのかもしれません」
 「お母さんは最初の2回は90日の期間で来ました。でも今回の入国は3回目で、30日しか許可が出ませんでした。でもお母さんももう向こうに長く居ないから、あと90日るから住む所も売ってしまって、日本で暮らしたい、そう思って今度は途中で家族滞在に変える積りだったのです」
 ジョアンさんのように観光や病気見舞い、ちょっとした商用で入国する場合は、「短期滞在」という資格で入国するが、これには15日、30日、90日の3種類あり、どれが与えられるかは、滞在期間やその他の条件を見て入国審査した審査官が決めるのであるが、一般には90日が与えられる事が多い。
 「でも、家族滞在はできないと言われたのです。しかも30日しか滞在できないから」
 「轟さん、どうして30日しか許可が下りなかったんですか」と望月。
 「多分短期間に何度も入国したからじゃないかな。入国審査では娘さんの病気の事なんか知らないから、ほとんど連続して半年間も日本に来ている事になる訳で、それだけ長期間居るのなら、それなりの資格で入国しろ、と言う事なんだろう。他の資格なら短くても1年なんだから。
 「それとスニルさん、家族滞在は配偶者と子供しか認められていないんです。ですから今のところは残念ですがお母さんを家族滞在に変えるのはダメなんですよ」とこれはスニルさんに説明する。
 「法務大臣に特別にお願いして認められた例もありますけど保証はないし、時間もかかります。ここはとにかく残りの日数で何とか別の滞在資格に切り替える事を考えましょう。そうすれば奥さんが良くなるまで更新が可能でしょう。それで数年滞在できれば永住許可も出る可能性もあるし、その間に家族滞在に変更できるように準備できるかもしれない。場合によってはスニルさんが帰化すると言うかもしれないしね」
 「帰化ですか? それはまだ考えてないですね。でも生まれてくる子供のことを考えたらその方がいいかも知れません」
 「別に強要している訳じゃないですよ。ひとつの可能性として話しただけです。日本人になる事がメリットかどうかは簡単には決められない話ですから。それより今は奥さんにりっぱな赤ちゃんを産んでもらう事のほうが大事ですから」
 「轟さん、それはそうとして別の滞在資格って何があるんですか」と望月。
 「スニルさん、日本と言う国はアメリカと同じ様に入国する時にその人が日本に居る時の資格を厳密に決める事になっています。ヨーロッパのように入国は比較的自由だけど、そのあと暮らすのにいろいろと許可や制限があると言うやり方はしていません。
 これを在留資格、日本にいる間のメインの資格、というんですが、許可の種類は27種類あります。今もあったようにお母さんの場合は短期滞在、スニルさんの場合は投資・経営でしょうし、奥さんは家族滞在だと思います。その他にも留学とか興業とか色々な資格があって、その資格の範囲でしか生活できないようになっています。赤ちゃんが生まれたら、その子も許可を取らなければいけない事になっています。そうしないと不法滞在になっちゃいますから。
 ですから、日本の学校で勉強している人は留学の資格で勉強していますが、卒業して就職すると国際業務などの別の資格に変更しなければなりません。ちょっと面倒なのですが、これが日本の法律なんです。しかも単純労働は入国資格としては認められていないんですよ。」
 「ややこしそうですね」
 「ややこしいだけならいいんですが、この資格が違っていると不法滞在となって、強制送還されたりします。そうなると10年間は入国できなくなります。家族がいたりすると大変な事になりますよ」
 「そうなんですか。怖いですね。」
 「そうです、しかもその人を使っていた会社も罰せられます。罰金は200万円ですから、雇う方も気を付けないと」
 「私のとこのような小さな会社なら資金繰りできなくなりますね」
 「社会的信用も無くしますし。まぁそれが罰則強化の狙いでもあるわけですが」

 「轟さん、別の資格の話はどうなったんですか」望月がせっついて来た。
 「ここはお母さんに働いてもらうしかないでしょう」
 「働く? どうすればいいんですか? 交渉ごとは得意じゃないんでが」
 「スニルさん、あなたは会社でナンバー1か2ですか?」名刺には副社長とあったが、確認してみる。
 「副社長ですから、ナンバー2です」
 「じゃ、お母さんを雇う気はありますか?」
 「雇うんですか? 事務か何かですか?」
 「いいえ、個人的にです。家政婦として雇うんですよ。メイドですね」
 「ええっっ! お母さんをメイドにするんですか? そんな事できません」
 「宗教的な問題とか慣習とか良識とか色々あるでしょうが、でもそうしてもらわないと。
  それが一番簡単な方法だと思いますから」
 「そうか!」望月がひざを叩いた。
 「轟さん、それは良いや。スニルさん、こういうことです。」と今度はスニルさんの方に向き直り、
 「さっきの在留資格で単純労働は認められないと言うのがありましたけど、特例があるんです。
 「組織のナンバー1かナンバー2で、配偶者が病弱か、小さな子供がいて、しかも同じ言葉を話す人であれば、身の回りの世話をする人を入国させられるんです」
 「そんな事ができるんですか」
 「ええ、人道的な面から認められているんだと思いますけど。今回は丁度このケースに当てはまりそうですね」
 「給料は15万円以上支払う必要がありますが、大丈夫ですか。
 スニルは大きく頷いた。
 「そうと決まったら、望月、お前はスニルさんとお母さんの雇用契約書を作ってくれ。英語でいいだろう。念のために翻訳を付けたいから、星野さんのところで大至急やってもらってくれ。俺は法務大臣宛ての上申書と早期処理願を書く。
 あと契約書が終わったら、スニルさんとジョアンさんにも上申書を書いてもらおう。この翻訳も頼まないとな。あと奥さんの病気と妊娠の診断書も必要だし。
 取り敢えずここじゃあなんだから、我々は事務所に戻って書類を作ります。明日の朝上申書とかを書いてもらったり、パスポートを受け取りに伺いますから、お母さんは取り敢えず家に戻ってください。娘さんの事も心配でしょうし、ベビーシッターの時間も終わりそうですしね」

     2

 「次の方」
入国管理局の窓口で、係官にやっと呼ばれた。ここに来たのは4時の受付時間ギリギリだ。もう6時過ぎだから2時間以上待っているけど、これが普通だからしかたない。
 「在留許可申請。特例? ですか?」
珍しいのだろう、ちょっといぶかしげな顔をして、
 「で、その会社の方ですか?」
 「いいえ、申請取次の行政書士です」
係官は、こちらが出したピンクの身分証と提出書類の中のリストに押した緑のハンコを見て頷き、書類をめくり始めた。
 「この上申書とかが一杯着いてますが?
 「今回は人の命に関わる事なので、その点法務大臣にご説明させていただこうと。」
係官の眉が動いた気がしたが、顔はあくまでポーカーフェースだ。
 「他に不備等はないようですので」係官は申請書に取次申請登録番号を控えてから受領印を押し、控えをこちらに渡すとそう言った。
受け付けは終わったが、問題はこれからだ。これから入国審査官の審査がある。結果がどうなるかは神のみぞ知る。場合によっては追加の資料を要求されるかもしれないが、そうなると期日内の許可は望み薄だろう。そうなったらジョアンさんには一旦国外に出てもらわないといけなくなる。
その後いつ許可が下りるか判らないが、その間奥さんだけでは通院もできないだろう。まして出産など論外だ。うつ病はストレスを与えずに時間をかければ治る病気だ。その辺を審査官がどこまで理解してくれるか。


     3

 「先生、お願いしますよ。そこを何とか」
パンチパーマに黒いプリントシャツのこの男は、テーブルに両手をついて頭を下げてそう言った。
もう何度このセリフを聞いた事か。
 「そう言われてもねぇ。これじゃ無理ですよ」
 「そうなんですよ。何度も入管に行ってるんだけど、ダメの一点張りで」
 「そりゃこの戸籍見せられりゃ、誰でもそう言うでしょう」
 「でも先生今度は本物なんだ。おれは美麗を愛してるんだ。でも誰も判っちゃくれない」
 「そう興奮しないで下さい。信じてないとは言ってませんから。でもねぇ」
 「確かに俺は極道だった。でも心を入れ替えたんだ。美麗のために。今はかたぎに暮らしてるんだ」
 「そう言われても、私が許可する訳じゃないんで」
戸籍上10回以上も中国人と結婚・離婚暦がある人物が、また中国人と現地で結婚したから「日本人の配偶者等」で在留許可を出してくれ、日本に呼ばせてくれといっても、まず無理だろう。
 「でも先生なら何とかなるって...」
 「誰がそんな事を」
 「望月って言う先生ですが、ご存知じゃないんで?」
アイツ!!
 「知ってはいますが、私も全能じゃないですから。申し訳ありませんがこれは受けられません。受けても通らないと思います。結局無駄なお金になってしまいますよ」あくまでも平静を装ってそう答える。
 「じゃ、先生どうしたら。」男は今にも土下座でもしそうな勢いだ。
 「申し訳ないですが、暫くは別々に暮らしてもらうしかないと思います。奥さんの方は短期滞在で90日は滞在できますしあなたは向こうに行く事も自由にできますから、何回か行き来を繰返してある程度期間が経てば色々と実績もできて、入国審査官の心象も変わるでしょうし納得してもらう証拠なんかも揃うでしょう」
 「証拠ですか! わかりました、証拠ですね!! それならありますとも! ありがとうございました!! やっぱり先生に相談してよかった。」
 「えっ。 いいんですか」
 「はい。証拠を出してやりますよ。証拠をネ」
そう言うと男は鼻歌交じりで出て行った。

 男と入れ替わるように郵便局員が入ってきた。キョトンとしている。それはこっちもおんなじだ。
と思ったら、さっきの男、相談料払わずに行っちまった。ま、いいか。
 「轟さんですね、簡易書留です」
封筒を見ると、入管に出したスニルさんの申請結果だ。
 「ご苦労様です」と答えながらも上の空で受領印を押す。中身が心配だ。あれから2週間ほどしか経ってない。普通こんなに早いはずはない。やっぱりだめだったか。でも要件は揃ってるんだが。
封筒を持つと割と分厚い。だめな時はもっと中身は薄いもんだ。ひょっとしたらと思いつつ封を切る。
やった! 許可だ。 この時が一番行政書士冥利に尽きる瞬間だ。

 「轟さん、でも本当によかったですね。スニルさんの嬉しそうな顔とジョアンさんの涙を見ていると、ちょっとウルッてなっちゃいました」
2人でスニルさんのところへ書類を届けた帰り、望月がこう切り出した。
 「本当だな。しかもこのスピード裁定。審査官殿もなかなかだね。入管も捨てたもんじゃない」
 「しかしあの時は大変だったな。あのあとはほとんど徹夜で書類を仕上げ、翻訳も無理やり頼んで仕上げてもらい、何とか翌日の受付時間ギリギリで提出したんだから。
お陰で、翌日のアポやらなんやらキャンセルしちまって、あとのフォローが大変だった。美味いものに釣られるとろくな事はないな。」
 「でもあの店はさすがに美味しいですよね。自分の金じゃ気軽には行けませんけど」
 「ところで、前から聞きたかったんだがスニルさんとはどこで知り合ったんだ?」
 「言ってませんでしたっけ? 実家のそばにうまいインド料理店があるんですよ。なかなかインド人にも評判でかなり遠くからもたくさん食べに来るんですよ。日本人も多いんですけどね。
 「そこで食事をしてたら、こちらのバッチに気が付いたのかスニルさんから声をかけて来たんですよ。入管の事で相談があるって。でもあのお店、美味いけどソースこぼされたり、おつりが間違ってたり、ろくな事がないんですよ」
 「やっぱり旨いものには気を付けろって事だな」
 「ところで今日のお昼はどうします。この近くに美味いベトナム料理店があるんですけどね...」


 注:実際には短期滞在から他の在留資格への資格変更は認められておらず、短期滞在中に他の在留資格を取ったのち、その在留許可書を持って本国に帰国し、改めてビザを取得して入国し直すというのが原則的な運用であるが、特別は理由がある場合には特例として短期滞在からの在留資格の変更が認められている。


2005/11/03


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