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今から70年前の1947年7月、米国ニューメキシコ州ロズウェルの近くの農場にUFOが墜落した。米国政府は「空飛ぶ円盤」を回収したと発表し、メディアの過熱報道を引き起こした。しかしその日の午後、現場を調査した米軍の少佐の発言は一転し、墜落したのは気象観測気球であり、その断片を回収したと述べた。と、zeraniumさんがブログで紹介してくださった本がこれ!
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事件の真相はその時以来、米国政府によって隠蔽されてしまった。
しかし実は、墜落したUFOには亡くなった2人の乗組員の他に、1人だけ無傷の宇宙人がおり、米軍に保護されていたのである。
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以下に掲載する話は当時、米軍に看護師として勤務していた、マチルダ・オードネル・マックエルロイという女性(当時23歳)が、保護された宇宙人の世話係を命じられた際に、テレパシーを通じたコミュニケーションにおいて、その宇宙人から伝えられた驚くべき情報である。以来、米国政府はこの情報を「機密文書」扱いとし、現在も公開していない。
マチルダ・オードネル氏は陸軍航空隊婦人部隊医療隊曹長を退役後、没収されずに持っていたこの情報文書を、ローレンス・R・スペンサー氏に託した。彼は事件以来60年後の2007年にその文書を受け取り、2008年に出版した。日本国内では2015年に初版が出版されている。
同日の後刻に、他の数人がエイリアンに質問を試みることを決定しました。『 ロズウエルに墜落したUFOの生存宇宙人エアルが語った「エイリアン インタビュー」その2
しかし、様々な専門家が何回も試みたにもかかわらず、ほかには誰もエイリアンからコミュニケーションを受け取ることができませんでした。
次の数日の間、東部のほうからそのエイリアンをインタビューするために、サイキック研究の科学者が基地に飛行機で送られました。
彼女の名前はガートルート何とかでした。私は名字を覚えていません。
別の時にはクリシュナムルティと言う名のインド人の透視、千里眼能力者が、エイリアンとコミュニケーションを試みるために基地に来ました。
どちらもエイリアンに何かを伝えさせるようにすることはできませんでした。
私は個人的にはどちらの人ともテレパシーを通じてコミュニケーションをとることはできませんでした。
とはいえ、私はミスター、クリシュナムルティはとても優しくて知能の高い紳士だと感じました。
最後には私が答えを得ることができるか試すために、エイリアンと二人きりにされるべきであると決定されました。
編集者の注釈
私がミセス・マックエルロイから受け取った封筒の中には、手紙の原文、記録文書と他の説明文と一緒に、「私は最後に読んで」と記された封筒が入っており、その中には以下のメッセージが入っていました。
これがそのメッセージです。
↓
この封筒の中の文書は、1947年に起きたことに関しては、話の終わりです。
(注!えっ、ということは、1947年に起きたことに関する以外のことがあるのですよね?)
しかし、政府が私を最後の移転先に定住させた数か月後、私はエアルとのコミュニケーションを定期的に続けました。
私がエアルとテレパシーを通じてコミュニケーションをとることが出来たのには、一つの理由があります。
私は失われた大隊の3千人の人員の一人なのです。
(注!おー、そうではないか、と想像していました…)
現時点では、ドメインのアヌンナキ派遣隊と彼らの「生命の樹」探査装置の使用により、地球での失われた大隊の人員は全員見つかりました。
エアルとのコミュニケーションを通して、私は過去8千年間地球で過ごした様々な転生の記憶の一部を回復することが出来ました。
これらの記憶のほとんどは、遠い昔から起きてきた出来事に比べたら特段重要ではありませんが、私のIS・BEとしての自由と能力を取り戻すために必要な踏み石でした。
私はまた、ドメイン遠征軍での自分の転生をおぼろげにところどころ思い出すことが出来ました。
私はそこでも看護師でした。
たいていの場合、私は昔から繰り返し、繰り返し、繰り返し、看護師でした。
私が看護師であることにこだわり続けるのは、それが私にとってなじみのあるものだからです。
そして私は人間、それから特に手が哺乳類よりも虫のように見える体を持っているドメインにいる生物たちの種族の一員たちを、助ける仕事が楽しいからです。
そしてドールボディーすらたまには修復が必要です。
マチルダ・オードネル・マックエルロイの個人的記録『 ロズウエルに墜落したUFOの生存宇宙人エアルが語った「エイリアン インタビュー」その4 』
私がインタビュー室から戻ってきて、この質問に対するエイリアンの答えを報告したとき、私はそこに集まっていた情報局のエージェントと軍の人員から、手厳しくて懐疑的な反応を受けました。
彼らはエイリアンがどういう意味でそう答えたのか、理解できなかったのです。
彼女がどういう意味で伝えたのかを私もあまり理解することはできないと認めました。
しかし、私は彼女のテレパシーの意図を最善を尽くして言葉にしていました。
私は役人たちに、もしかしたらコミュニケーションの問題は、満足できるほどはっきりと、エイリアンのテレパシーの言語を理解する能力がないのと関係するかもしれないと言いました。
この時点で私は落胆していたため、諦めたい気持ちでした。
そしていまや前よりもたくさんの、多くの論争が起きていました。
私はエイリアンが他の誰かとコミュニケーションを取るのを拒否しており、彼女とコミュニケーションを取る事ができる人が他に見つからないにもかかわらず、私が自分の役職から解任されるに違いないと感じていました。
幸いにも海軍の日本語のスペシャリストであるジョン・ニュープルと言うとても賢い人が、その問題に関する説明と解決策を持っていました。
彼はまず、問題は、エイリアンとのコミュニケーションを取る能力の欠如とほとんど関係がないということを説明しました。
それは彼女が私以外の人とコミュニケーションを取る気がない、と言うことの方が重要でした。
第二にはっきりとした包括的なコミュニケーションがおきるためには、当事者たちが一つの共通した言語を理解し、それを通してコミュニケーションを取らなければならないということでした。
言語の中の言葉やシンボルは、とても正確な概念や意味を持っています。
彼が言うには、日本人は日々のコミュニケーションの中で多くの混乱を引き起こす多くの同音異義語を持っているということでした。
彼らはこの問題を常用漢字を使って、自分が持っている言葉の正確な意味を書き留めることによって、問題を解決しています。
これが彼らにとって事柄を明確にします。
定義された用語がなければ、人と犬、または二人の小さな子どもの間で交わされる基本的な理解を超えるコミュニケーションは不可能です。
当事者たちが流暢に使えるような、はっきりと定義された言葉の共通したボキャブラリーの欠如が、全ての人々、グループまたは国家の間のコミュニケーションを妨げる要因になっています。
そのため彼は二つの選択肢しかないと示唆しました。
私がエイリアンの言葉を学ぶか、エイリアンが英語を話すのを学ぶ、このどちらかだと。
事実上、一つの選択肢だけが可能でした。
私がエアルに英語を学ぶように説得すること。
そして言語のスペシャリストの指導にもとづいて、私が彼女にそれを教えること。
他に提案がなかったので、この方法に異議を唱える者はいませんでした。
言語のスペシャリストたちは、子どもの本を数冊、基本的な読み方の教材と文法の教科書を持って、インタビュー室に行くようすすめられました。
その計画では、私がエイリアンの隣に座り、彼女がついていくことができるように、私が読んでいる文章を指差しながら、本を声を出してエイリアンのために読むのでした。
その理屈では、子供が単語、書かれた言葉と関連する音、そして基本的な文法を教えられることによって読み方を学ぶように、エイリアンにも読み方を教えられるというものでした。
私が思うに、エイリアンが私とテレパシーを通じてコミュニケーションを取れるほど賢く、宇宙船を飛ばして銀河を横断できるのであれば、多分5歳児と同じだけ早く、またはそれよりもっと早く言葉を話すことを学べると見込んでいました。
私はインタビュー室に戻ってエアルにこの提案を申し込みました。
彼女は言語を学ぶことについて、異議は唱えなかったけれども、質問に答えることは約束しませんでした。
誰も他にもっと良い考えを持っていなかったので、私達は先に進みました。
第5章 読み方のレッスン
個人的記録
私は19世紀のアメリカ開拓時代の辺境地で、開拓者の子どもたちに教えるために使われていた学校の教科書を用いて読み方のレッスンを始めました。
それは精選マクガーフィー読本、入門から第6読本までと呼ばれています。
私は教師ではなく看護婦であったため、私に本を渡してくれた言語のエキスパートは同時に私に広範囲に及ぶ背景説明をし、エイリアンに教えるためにどのようにこの本を使えばいいか教えました。
彼はこの本を選んだ理由は、1836年の原本が75年の間、アメリカの学校の子ども達のおよそ5分の4が読み方を学ぶのに使ったからだと言いました。
これほど長い間、アメリカの子ども達に影響を与えた本は他にありません。
マクガーフィーの教育コースは最初の入門書で記憶することになる、アルファベットの文字を順番に理解します。
子どもたちは音声法を使い、一歩一歩言葉の基本要素を使って言葉を形成し、発音することを教えられます。
一つ一つのレッスンは読み方の稽古で使われる言葉を学習することから始まり、一つ一つの言葉の正しい発音を示すしるしがつけられています。
私が発見したのは、第一と第二の読本の中で扱われている話は、子供たちが家族、先生、友人と動物たちとどういう関係を持っているのか、と言うことを描写していることでした。『 ロズウエルに墜落したUFOの生存宇宙人エアルが語った「エイリアン インタビュー」その5 』
第3、第4、第5、第6の読本は、これらの概念をさらに拡大したものでした。
私が覚えている話の一つは未亡人と商人の話です。
それはいわば道徳心を教えてくれる話で、困っている未亡人を助ける商人の話でした。
後に未亡人が自分の正直さを証明すると商人は彼女に素晴らしい贈り物を与えます。
けれどもそれらの本は裕福な人だけが慈善を行うように期待されていると教えているわけではありません。
親切とは皆が実行すべき美徳であるということは皆知っています。
全ての話はとても健全で、正直さや慈善、倹約、勤勉さ、勇気、愛国心、神に対する畏敬の念、また親を尊敬することと言った美徳をとてもうまく説明していました。
私がまた発見したのは、この本に使われているボキャブラリーは、現代で人々が一般に使っている比較的限られた数の言葉に比べて、とても高度なものだったということです。
独立宣言を書いた建国の父達の時代から、私達は自分の言語をたくさん失ってしまったと思います。
私は指示されたとおりインタビュー室の中でエアルの隣に座り、マクガーフィーの読本を声を上げて彼女に読みました。
それぞれの本には教えられる物語や題目について、素晴らしいわかりやすい挿絵がついていました。
けれどもそれらは、今日の基準からしたらかなり時代遅れでした。
それにもかかわらず、私たちが進むにつれて、エアルは一つ一つの文字、音、音節と意味を理解し吸収しているようでした。
私達はこのプロセスを3日連続で、私が食事や休憩のために中断する以外は止まらずに、毎日14時間続けました。
エアルはどのような休憩も取りませんでした。
彼女は眠りませんでした。
その代り、インタビュー室の厚い詰め物をした椅子に座ったまま、私たちがすでに学んだレッスンを復習していました。
私たちが中断したところから始めるために、毎朝私が戻ってきた時には、彼女はもうすでに前のレッスンを記憶し、もう次の本をだいぶ読んでいました。
このパターンは最終的に私が彼女に読み続けるのが意味がないものになるまで、どんどんと加速していきました。
エアルは話すために口は持っていませんでしたが、いまや彼女は私に向かい英語で考えることができました。
これらのレッスンの終わりには、エアルは一人で読んで学ぶことができるようになっていました。
私は彼女が新しい言葉に出会ったときに、どのように辞書を使えばいいのかを彼女に見せました。
その後エアルは絶えず辞書を調べていました。
それから先の私の仕事は彼女の外交特使になることであり、途切れなく彼女に参考書が運ばれてくるように要請しました。
次にニューブル氏はブリタニカ大百科辞典の一式を持ってきました。
エアルは特にこれを楽しみました。
なぜならそれらにはたくさんの写真や絵があったからです。
この後、彼女はもっとたくさんの絵本と写真や絵のある参考書を要求しました。
なぜなら彼女にとって、学んでいる物の絵を見ることができた方がその意味をはるかに理解しやすかったからです。
次の6日間で国中の図書館から本が持ち込まれたと私は推測しています。
なぜならたったの数日間で彼女は数百冊の本を読んでいました!
彼女は私が想像できるあらゆる題目について学び、私がしりたいとも思わなかった天文学、金属学、工学、数学、様々な技術マニュアルなどのとても専門的なことも学んでいました。
後に彼女はフィクションの本、小説、詩と文学の古典を読み始めました。
エアルは文系の本、特に歴史についての本を本当にたくさん要求しました。
彼女は人類の歴史と考古学について少なくとも50冊は読んだと思います。
もちろん私は彼女が聖書も一冊受け取るようにしました。
彼女はそれを何も言わず、質問も聞かずに表紙から裏表紙まで読みました。
私は毎日エアルと12から14時間一緒に居続けましたが、その一週間の間のほとんどは、彼女が時々私に質問をする時以外は、私たちの間にコミュニケーションはあまり起きませんでした。
それらの質問は多くの場合、彼女が読んでいる本の内容の前後関係の感覚を与えるため、または何かをはっきりさせるためのものでした。
面白いことにエアルは、彼女の一番好きな本は「不思議の国のアリス」、「ドン・キホーテ」と「千夜一夜物語」だと教えてくれました。
彼女はこれらの話の作者たちは、素晴らしい技術や大きな力を持つことよりも、偉大な心意気と想像力を持つことの方が重要であるということを示しているのだと言いました。
私は彼女の質問の多くに答えることができませんでした。
そのため、私は別部屋にいる人たちに相談しに行きました。
これらの質問のほとんどは、技術的と科学的な物事についてのものでした。
彼女の複雑な理解の深さと質問の鋭さは彼女がとても鋭利な知性を持っているということを示していました。
個人的に私は、彼女は地球の文化と歴史について、最初に始めた時に認める気があったよりもはるかにたくさんのことをもう既に知っていたと思います。
彼女がどれほどもっと多く知っていたのかを私はすぐに発見することになりました。
第6章
私の教育が始まる
(マチルダ・オードネル・マックエルロイの個人的記録)
墜落現場からエアルを「救出」してから15日たった頃には、私は流暢に、また努力せずとも彼女と英語でコミュニケーションを取ることができました。
彼女はこの時点では本当にたくさんの資料を吸収していたため、彼女の学問的な教育レベルは私のものをはるかに超えていました。
私は1940年にロサンゼルスで高校を卒業し、大学で4年間医学部進学過程と看護の訓練を受けていましたが、私自身が読んだ本の多様性はかなり限られたものでした。
今やエアルが触れた題目のほとんどを私は勉強したことがありませんでした。
彼女の鋭い理解力、熱心な学習の姿勢とほとんど写真のように正確な記憶力を考慮に入れるとなおさらそうでした。
彼女は自分が読んだ本の中から長い文章を思い出すことができました。
彼女は「ハックルベリーフィンの冒険」、「ガリバー旅行記」、「ピーターパン」と「スリーピーホローの伝説」等のお気に入りの文学の古典からの節が特に好きでした。
この頃にはエアルが先生で、私が生徒になっていました。
私はこれから地球人が知らないこと、知る方法がないことについて学ぶのでした!
エアルと私が今やギャラリーと呼んでいた、マジックミラーの向こう側から私たちを観察していたたくさんの科学者やエージェントたちは、彼女に質問を聞きたいとどんどんとイライラしていました。
しかし、エアルは私以外の人が質問を聞くこと、それが書面であっても、私が翻訳者として身代わりで聞くことであっても、拒絶し続けました。
16日目の午後、彼女は読書しながらエアルと私は隣り合わせに座っていました。
彼女は呼んでいた本のページを閉じ、横に置きました。
私は読まれるのを待っていた大きな本の山から次の本を取って彼女に渡すところでしたが、彼女は振り向いて私にこう言いました。
「これで話す準備ができた」
当初私はその発言に対し少し混乱しました。
私は彼女に続けるようにジェスチャーをし、彼女は私に最初のレッスンを教え始めました。
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