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依頼人の要求で、亡くなった家族の霊が出る場合だと、長谷川わかは
変貌し、顔つきが変わる。故人の顔になって、言葉遣いも生前と同じ
ように話す。これをチェックするのは家族だから、ごまかしようがない。
たとえば、亡くなったお祖父さんを呼び出すと、お祖父さん側からも
自分の遺族を見て確認してから、金庫の鍵の番号やら、大切な情報を
教える。「この金庫はなあ。こうやって、つまみの数字を右へ廻して
81にあわせてから、今度は左に廻して34に合わせて、また右に廻して
56に合わせて、今度は左に廻して48に合わせると開くんだ」こんな具合
である。
彼女の顔つきが変貌するのは、どういう情報プロセスになっている
のかわからない。
幼児をなくした母親が見てもらいに来たときには、長谷川わかの顔が
幼児に変貌し、言葉も幼児言葉でしゃべりはじめた。それを見た母親は
興奮して「○×ちゃん!」と、名前を呼んで長谷川わかに抱きついた。
とても痛かったそうだ。

確か11月4日だと思いますが、午前10時のテレビのニュースを、じっと
見ている母に、私は声を掛けました。
「お母さん、朝ご飯を早く食べて下さい。片付けてもいいの?」
「どうぞ片付けて下さい。今、腸が出血していて、食べられませんから。」
「何言ってるの。お母さん、腸出血なんかしてないじゃないの。」
その時でした。
「あっそう!」と返事して振り返った母の顔を見て、私は、びっくりしました。
男性の顔で、昭和天皇そっくりではありませんか!
「ええっ!昭和天皇様ですか?」
私は、次の言葉が出て来ませんでしたが、頷きながら、母ならぬ人物は、
またテレビを見始めた訳ですが、アナウンサーは丁度、昭和天皇の
出血量がいくらで、輸血量がいくらだと放送しているではありませんか。
私は、目の前に起きている現象を懸命に理解しようとしました。
母ではない昭和天皇が、紛れもなく目の前におられて、ご自分の病状と
処置の説明を聞いておられる事への驚き!
しかも、東宮家の方々がお見舞いに見えておられた丁度その時刻、
天皇は眠っておられたと言う事を、その直後知った私は、幽体離脱
されて、母にお入りになった事実を、認識するようになった訳です。
そして、それから度々、午前10時に、同様の事態が起きて、私は、
ご自分の症状のニュースを、NHKテレビでご覧になっておられる
昭和天皇と、お付き合いさせて戴く事になった次第です。

『日本国憲法の本質をご理解されて、護り抜こうとされた昭和天皇は、
宇佐八幡神社の佐藤祢宜様を通して、1970年代の始め、私にご連絡を
下さり、変わり行く日本と世界を救うために、伝承された古代史を
照合し、真実の歴史と未来を開く為の道を、日本国民と世界の人々に
公表したいので、待つ様にとの事でした。
でも、佐藤祢宜様は突然心臓麻痺で亡くなられ、幾ら待ってもご連絡
を戴けず、天皇様に、私から幾らご連絡申し上げても妨害される事態
になり、結局、昭和天皇様も、私への連絡が妨害され続け、孤立化
させられた事実が、後で分かって来ました。
そして、御病気になり、治療が開始された時から、非常手段を取られて、
私にご連絡下さり、私は、日本が潰されようとしている事実を知りました。
日本を救う事が、人類を救う事に繋がるとはっきりと言われました。
そのお言葉は、幼い時、私の名付け親だった当時の宇佐神宮の大宮司様、
父達のお祈りの中で聞いた事と同じでした。
2度、記憶しているその場所がどこだったかを、いずれ機会が来ましたら、
お話します。』
『私は、守るとお誓いしたのです。
私は昭和天皇や日本武尊の命の魂の美しい輝きを知っています。
偽りの通用しない次元からの方々だと思いました。』
『本来なら、平成天皇陛下に申し上げてからでないと、私は、公表する
積もりはなかったのですが、鉄のカーテンを降ろされたままでしたので、
その機会がなく、こういう形で発言するしかなくなってしまいました。
詳しい事は、この紙上では申し上げられませんが、万一の事を考えた上で、
簡単に発言させていただきます。
昭和天皇陛下は、連日の輸血治療が始まってから、御崩御の日まで、
連日、午前10時頃から、幽体離脱して我が家にお見えになられ、
私の母に入って、テレビのニュースで発表されるご自分の病状を
お聞きになっておられました事は、既に会報で、私は申し上げました。
そして、必要な事以外は、殆どお話はされませんで、私が話掛けても、
「あっ、そう。」と言うご返事ばかりが多く、当初私は気づかないで、
「昭和天皇の真似はしないで。」と母を叱ったものです。
でも、母の顔が、昭和天皇ご自身のお顔だと気づいてから、私は、
それ迄に、理論的にしか理解していなかった幽体離脱の実態を
目の当たりに見たのです。
陛下は母をご存知だったので、母はお入りになる事を、承諾した訳
ですが、私は、如何なる人々も、私に入ることはお断わりします。
何故なら、エネルギーの違いで、困った症状が起きて来るからです。
神々や高い次元の存在の方々は、幽体離脱の形で入らなくても、
経絡を通して、光を送って下さる事で、私は、その存在のご意志を
理解出来ます。
だから、昭和天皇陛下は、母に入って母の口を通して、私に伝承
された訳です。
そして、幾度も幾度も、くり返して念を押されたのは、次のお言葉です。
「憲法9条を守って、日本を助けて下さい。
そして、世界に輪を広げて、戦争をしない人類社会を構築して下さい。」
「子供達を助けて下さい。
そして、国民を助けて下さい。
そうする事が、世界の人々を助ける事に繋がります。」
お言葉の表現は、その時々で変わっても、終始一貫している事は、
「日本は、憲法9条を守り抜いて、絶対に戦争をしないで、
世界にその輪を広げなさい。」
と、言う事でした。
ご崩御の日の深夜0時にも、私の枕許に立った母、つまり昭和天皇は、
「お約束しましたよ!」と念を押されたのです。
私は、その事を、くり返して、会報にも書き続けましたし、憲法9条の会
などにも出かけて、話しかけました。
でも、封鎖状態に置かれた私の話を、まともに取り上げてくれる人々には、
なかなか出会えませんでした。』
「昭和天皇陛下が、私に、お伝え下さったお言葉に、次の事があります。
《貴女が、世に出られて活躍される時の為に、資金は用意してあります》
実は、私の父も、亡くなる前に、別府の病院での看病に帰省した私に同じ
事を申しました。私の父は、古代の日本の本来の天皇の直系の子孫です。」
「私は子供の頃、宇佐八幡宮の宮司や父に、「特別の力が出るよう
になったら、それを、自分や人々の心の向上に使いなさい。」と、
云われていたし、アメリカ留学から帰国した年に出会った、権禰宜の
佐藤氏から、「スプーン曲げや物を動かす遊び等でなく、スピリチュ
アルな方向に発揮しなさい。」と忠告されていたので、それが当然
だと思っていたのである。」
「実は、私の父は、第2次大戦中、防空壕を修理しながら、まだ小学校
2年位だった私に云ったことがある。
「この戦争は負ける。日本は忍耐出来なかった。日本は乗せられてしまった。
戦争してはいけなかったのだ。特に中国や朝鮮と争ってはいけない。」
それは当時、口にしてはいけない言葉であった。しかし彼は、自分には
学問がないが、人間の道は決して踏みはずしてはいけないと、独り言の
様に呟きながら、私に云った。私は、意味がよく分からなかったが、
その言葉と周囲の情況を頭にインプットしたのだ。
それから長い間、彼は再びその言葉を口にしなかったが、胃癌の手術で
付き添った時、
「お前に伝えておきたい事がある。本当はお前の兄に云いたかったが、
あの子は、科学に興味を持ってしまって、忙しくて、神の事や歴史の
事を聞くゆとりがない。わしにはもう時間がないから、お前から、
何時かみんなに伝えて欲しい。」
と私に、言葉少なに、驚くべき事柄を伝承したのである。
それは、日本の古代史の真実と、奈良・平安時代に宇佐神宮の大宮司
をしていた辛嶋の先祖の女性達と古神道の真実等であり、最後に日本の
未来、世界の未来への予言的な内容であった。」
「実は、私は、子供の頃、父と古代史の研究家と言う方に、
家系図を見せられた事があり、先祖が神話の神々になって
いるのを記憶させられた事があります。
私は、宇佐八幡宮に祭られている神功皇后、比売大神(ひめおおかみ)、
応神天皇の真ん中の比売大神に当る人物の末裔だったのである。
比売大神の名は明治以降に置かれた名で、それまでは、
辛嶋勝乙目(からしまのすぐりおとめ)(オオヒルメ)であったと云う。
八幡神は、決して戦争の神ではない。
戦争を避け、精神の向上を目指した存在であり、
特に、中の神殿に祭られているオオヒルメは、
生命や知恵を象徴するアマテラス神霊を、
日本に招いた存在だったのだ。
辛嶋のオオヒルメは、皇室の先祖でもあり、
古神道の創立者でもある。
彼女は、皇室の先祖でもあるが、神に祈って、
人々の生命を守って来た天皇を、後ろから支えて来た
我が家の先祖でもあったし、彼女の作った古神道には、
アニミズムが合体されていた事から、自然界の精霊達も、
たまたま神に出会った私にコンタクトして来た訳である。
(昭和天皇も当時、神に出会われたと、私は信じている)」
「今から2000年前、オオヒルメが、人類は戦争を
してはならない言う言葉を、神道に、具体的に打ち出して以来、
明治維新まで、日本は、外国とほとんど戦争をしていないし、
元の襲来で、天皇が神に祈り、日蓮が八幡神に祈って、
神風が吹いたという件は、日本が戦争をしかけたのではない為に
守られた訳で、もし、日本が侵出していたら、決して守られはしない。
そこに、日本の建国の秘密があったのだ。
では何故、オオヒルメは、仏教、ユダヤ教(正統の)、道教、
アニミズムを合体して古神道を成立させ、人々が戦い合わず、
精神的に成長していく国としての日本を立て、その輪を人類に
広げていく目的を込めたのだろうか?
それは、人々が精神レベルを落として、戦い合った挙句に天災を招き、
失ってしまった超古代文明の教訓を生かし、また古代イスラエルの人々が、
戦ってはいけないと警告した神を無視した為に、神が去り、
国を失ってしまった事を考え、千代に八千代に平けく、安らけく
健全な社会が存続するように、と云う祈りが込められていたのである。
従って、代々の日本の天皇は、作物が実って、人々が食べ物に恵まれ、
戦いもなく、安らかで健全な生活が出来ます様にと、日々神に祈り、
今日まで、人々を守り続けて来たのである。
そして近代になり、政治家や軍部が、国家神道を戦争の守り神として、
勝手に利用する事態になり、天皇や神道に対して誤解した人々もある様だが、
実は、室町時代以降、政変の為に古代日本が封鎖された後も、代々の天皇が、
未来に向けのての人々の成長の為に、言霊の真理を守り、生命を守る
神ながらの道を、保持し続けて来たのは事実である。
ところで、この旅で、私は思わぬショックを受けてしまった。
たまたま先祖の魂に祈る為、立ち寄った宇佐八幡神宮で見た事態であった。
神宮の菱形沼の古代から神霊が降りる場所であった社が潰され、
奈良・平安時代に大宮司をしていた辛嶋の女性達の社が潰されて、
一本の柱が残され、代わりに、非常に立派な宝物舘が建っていたのである。
私は、見学しながら、言葉を失っていた。
私は、宝物舘に入って、直ぐに疑問の一部を解く事が出来た。
宇佐神宮の歴史を物語る書物が全部書き換えられていたのである。
実質的に宇佐に八幡神宮を創り上げた、古代の辛嶋の歴史が、
全て消されていたのである。
奈良・平安時代に大宮司を務めたのが、辛嶋の女性の系列であった
事実が消され、まるで、宇佐氏が祭った神宮のように改定されて
いるのである。
しかも、中の神殿に祭られている比売大神は、明治維新まで、
辛嶋勝乙目(オオヒルメ)として明記されていた訳で、その名が
消えた時、日本の古代史を解明する手掛かりが得られなくなり、
日本の古代史は意味を失うであろうし、2000年間、外国に
出兵して戦わない歴史を保った日本の存在価値も、天皇家の存在も、
正しい解明が出来なくなるではないか。
ここでは、詳しく歴史を語るスペースはないが、簡単に述べると、
八幡宮の建っている小椋山は、辛嶋勝乙目の眠る巨大な古墳
なのである。
彼女は、2000年前に、父を中国のある王として、母を釈迦の
血筋を引く女性として、中国に生まれ、仏教、ユダヤ教、道教を
携えて日本に渡ってきた、東西随一の学者であり、王女であった
存在である。
彼女はそれらの宗教が、古代からの伝承で、本質は同じであると
知って、アニミズムと合体させ、編み出したのが、日本の神道の
一番元になる神祭りであった。
古神道は、その後時代を経るにつれ、変化して行ったが、彼女の
神祭りが根本であるには間違いは無い。
従って、明治維新までは、神社は神仏混合であったし、維新後に
廃仏毀釈が行われたのである。
ここではスペースがないので述べないが、明治維新にフリーメーソンの
影響があって、その後の神道にも変化が起こったのは確かである。
それまで比売大神の場所にあった彼女の名前は、昭和10年に
再建された宇佐神宮の表面から消えてしまい、2000年間、
外国との戦いもほとんど無く、平らけく、安らけく、時代を
経て来た日本も世界戦争に加わる事態となったのである。
神の意志を大切にし、戦いを避け、千代に八千代に続く国として、
建てられた古代の日本、その日本と云う国を守るため、そして
神に祈って、国民の平安と豊饒を守る天皇を、守る立場で、
宇佐八幡神社は続いてきたのである。」
その若い看護婦さんには、そのご幾度かお会いする機会はあった
のですが、何時も何か言いたげでいて、口を噤んでいる様子で、
天皇陛下と皇后様のご様子を、少し話し、自分は元気で仕事を
していると言うだけで、内部状況を口外してはならない風に、
誰かに言われている様子でしたので、私も、追求しませんでした。
そして、彼女に会えなくなった後で、何と私は馬鹿だったんだろう。
昭和天皇に会えるチャンスを逃してしまったんだと気づいたのです。
でも、また申し込んでも、妨害されたのかも知れません。
それに、私は、天皇・皇后様がお元気なら良いではないか、と安心
していたのかも知れませんが、実はその頃、生涯を掛けて、看護学
体系を作ろうと、懸命に努力していましたし、優れた看護婦達を
育てる事に喜びを感じていましたので、正直に言って、佐藤権宮司様
とのお約束よりも、自分の進むべき道は、その方向だと思っていたのです。
ところが、1985年になって、事態は一変しました。
前年の暮れに、年が明けて3月に看護部長に就任が決まったと、
赤十字本社の看護課長から呼び出しを受けた私は、仕事の整理を
していたのですが、その3月始め、突然、強制解雇を言い渡され
たのです。
経過は省略しますが、晴天の霹靂でしたし、病院の人達から何故?と、
連日聞かれましたが、私も全然納得できません。
院長や管理局長等々に質問に行きましたが、みんな困った顔をして
真実を話そうとしません。
結局、事務局長(その後亡くなりました)が、一言忠告を下さいました。
「天皇家と皇室に近づかない様にして下さい。」
「昭和天皇ご崩御の日だったと思いますが、宮内庁の医師団長の高木様
(侍従医長)から、一言、電話がありました。
「昭和天皇陛下を殺したのは、私(或いは私達だったか?)ではありません。」
突然のお電話に私はびっくりしましたが、反射的に答えた様に覚えています。
「はい、分かっています。」
東大関係医師団と治療方法で意見が合わず、手出しが出来なかった事は事実
だったのですが、何故、私にご連絡下さったのか、不思議だと思いました。」

笠井「なんとも、すごい話になってきた。」
金井「私はこの時に、日本の白山神界の構造がわかった。
神々や眷族の主だったものが名乗りをあげて自己紹介してくれましたからね。
私がまったく意外に思ったのは、八幡神が白山神界に属しているということです。」
笠井「全国に四万社はあるといわれる八幡神がね・・・。
たしか八幡の本家は宇佐じゃなかったっけ。」
金井「ええ、ところが宇佐の八幡は八合目なんです。
だから根の根の底に押しこめられておった10合目の八幡神が踊り出ると、
ご機嫌伺いにやって来ましたよ。
その手を取り合っての主従再開の光景を見て、八幡神が白山神界に
属していることがわかったのです・・・。」
具体的には、"母止津和太良世大神"に始まる「造化準備時代」、『 超真相!日本の古代史;3、大和朝以前の先行王朝と神武以前の"古天皇" 』
"天津身光大神"に始まる「造化時代」、"天之御中主"に始まる
「修理個成時代(白山王朝)」、"国常立"に始まる「万国統治時代
(富士王朝)」、"饒速日命"に始まる「鵜芽葺不合朝」、
"天照"に始まる「神倭(大和)朝」となります。
但し、スメラミコトが「天皇」と記されているのは、初代・天之御中主天皇、
高木天皇(高御産巣日神)、天地明玉主照天皇、国之常立男天皇、
大斗能地王天皇、大綱手彦天皇、弥広殿造天皇、造化氣万男身光天皇、
富金足中置天皇、神心伝物部建天皇、伊邪那岐天皇、天疎日向津比売天皇
などです。
そこでまず、神々が降臨し(?)、天皇として姿を現した「修理固成時代」の
「白山王朝」ですが、竹内文書などによると、国名を「天之越根中津国」
といい、富山県婦負郡久郷村御皇城山に歴代の皇祖皇大神宮が置かれていた
そうです。スメラミコトのスメラは「皇」ですが、「白」と「王」からなります。
「白山王朝」→「富士王朝」→「不合王朝」→「神倭朝(大和朝)」『 超真相!日本の古代史;4、緩やかな連合国家「鵜芽葺不合王朝」 』
という流れから考えると、
富士山の爆発で阿祖山大神宮(富士王朝)は一旦崩壊した後、
関東に都を移し「日高見王朝(後の東日本"日之本王朝")」を建て、
一方で、九州を都にした「不合王朝」が成立。
一方で、九州を都にした「不合王朝」が成立。
大和地方には「邪馬台国」が成立していた
と考えるのが自然なのではないかと考えられます。



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