「繭」


僕が玄関を開けると昨日の深夜に静かに降り積もったのか
白い白い世界が広がっていた
僕が今朝、分厚いカーテンを開けていなかったせいか
とてもそれをまぶしく感じた
ネクタイを締めながらコートを着るなんていう器用なことをしながら
一歩踏み出した右足には「ギュッ」という音とともに
白いものが被った。
僕はそれを振り払いながら急ぎ足でいつもの道を駆けた

白い世界はなんだかとても僕の往く先を遠く感じさせて
白い息は僕の鼓動と共に排出されていく
地下鉄の階段をいつもより気を付けて降りながら
僕は去年のこの季節に笑っていたあの子を思い出した
それはふと、まるでこの白いものと一緒に降ってきたかのように
僕の記憶に落ちて来た。
あの子の柔らかい髪の感触までが僕の指に蘇って来て
僕は少し切なく笑って改札を抜けようとした

こんなときに限って
改札は僕をその向こうに通そうとしなかった
ピンポンと音が鳴って膝のあたりの扉は閉まった
そうだ、もう定期は切れていたんだっけ

時は切ないくらい多くのものを洗い去ってゆく
僕は古くなった定期を眺めてまたあの子を思い出した
あの子が繭に包まってから僕の手から何枚の定期が更新されただろう
そしてまた、時間は僕に残酷にも新しい券を渡す
靴に残った白いものをまた僕は振り払って
僕は新しい時間を購入した

あの子が繭に包まった
するりと僕の腕から抜けて笑った
それから僕はあの子の感触を味わうことはなかった
あの子は自ら糸を紡いで囲いを作って
そこに僕を入れようとはしなかった。
それは今日見たような眩しい白い糸だった

あの子の匂いが過った気がした
僕はそのことや感触も全てを気の所為にするように
新しい定期を改札に通してそこに滑り込んだ地下鉄に乗った

そして僕の時間はまた更新されてゆく
繭の中のあの子のそれは止まったままなのだろう



               凛々リリコさんより寄せていただきました





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